はてなキーワード: スポットとは
この批判がまさにそうなのだが、どうもわれわれ日本人は「ChatGPTが一番苦手なこと(≒自分が知らないことを教えてもらう)にChatGPTを使おうとする」という傾向があるらしい。日本の経営者に聞いたChatGPTの使い道のアンケートでは、「仕事で調べものをする時に活用する」が39.3%でトップだ。これが米国の職場でのChatGPT利用法の調査だと、上から順に、
となっていて、情報検索や調べもののタスクは上位5位に入っていない。総じて米国の働き手は、ChatGPTを自分に情報をインプットするためのツールではなく、自分が他人に情報をアウトプットするためのツールととらえている。
深津氏も折に触れて言っていることだが、生成AIは元々「文章の続きを書くAI」であり、それがスケーリング則によって多くの拡張的能力を獲得したものだ。だから一番得意なのは、「プロンプトで与えたテキストを指示通りに加工すること」(校正・要約・分類・翻訳など)と「プロンプトで与えた指示によって、新たにテキストを作り出すこと」(作文・提案・問題作成・コード作成・ロールプレイなど)だ。元々そのようなことを実行するための仕組みなのだから、ここがスイートスポットになるのは当たり前だ。少し触ってみて、何ならうまくいくのか、何だとうまくいかないかを自分なりに検証して結果を見れば、今のChatGPTはテキスト加工器・テキスト生成器として使うのが一番いいということがすぐわかるはずだ。増田自身も
と書いている。その通り。そこが一番使える用途なのだ。つまり元増田も、体感的にはそれがChatGPTの一番得意なことで、情報検索は不得手だとわかっているのに、不得意なことをバリバリやらせて、その結果に失望している。GPT-3やGPT-4は「2021年9月以後の情報は持たない」と折に触れて回答してくるのにも関わらず、生成AIのハルシネーション問題がこれだけ広く注意喚起されているのにも関わらず、それを調べものに使って勝手にガッカリしているのである。
これは元増田だけではない。自分の周囲にも、同じことをやって同じようにガッカリしている連中がたくさんいる。おれは、これが日本人が文化的・歴史的に〈ファンタジーとしての汎用人工知能(AGI)〉に馴染みがありすぎるせいなのではないかと思っている。自律思考型のロボットやアンドロイドが登場する数々の創作に触れ続けたことで、我々には「思考能力を持つ、優れたAI」というものの存在が、脳内に〈リアリティある未来〉としてインストールされている。だから、おれたち日本人は、「AIと対話的なテキストコミュニケーションができる」となった瞬間、その対象に一定の知性を仮定してしまう(これはもちろん、ANI(特化型人工知能)にすぎない今の基盤モデルに対しては、高すぎる期待だ)。そして自分の知りたいことを問いかけては、的外れな答えが返ってくることに失望し嫌悪する。これは「知性のようなものが、実際はそうでなかった」ことに対する、一種の「不気味の谷」反応だ。
上のサーベイで取り上げたアメリカ人のChatGPTの使い方を見ると、彼らが全くそんな幻想を持っていないのがわかる。これはキリスト教圏における、おそらくは宗教的タブーに紐づいた、人間/非人間のあいだに設定された懸隔の大きさと無縁ではないだろう。彼らは、人間以外の存在には軽々しく知性を見出さず、あくまで〈道具として〉ChatGPTを使役する。だから回答の正否を自分で判断できないようなことは聞かない。テキストの加工器として、あるいはアイディアの生成器として使うだけだ。生成された結果の善し悪しは自分が評価し、使うか使わないかを判断すればよい。そういう道具を使って、作業時間を大幅に短縮しつつアウトプットを仕上げる。そのような使い方が、今のところはChatGPTや生成AIの用法のベストプラクティスということになるだろう。
そのことは、マイクロソフトの365 Copilot実装のデモ動画を見てもわかる。スピーカーは、人間が操縦士であり、Copilot(GPT-4ベースのChatGPTの兄弟)はその名の通り副操縦士だとして、両者の主従関係を繰り返しアピールする。Copilotは忠実な僕として、人間がプロンプトで指示したことをやる。娘の卒業パーティのために会場の予約メールから情報を抽出し、友人達に送る招待メールの文面を書き、OneDriveから写真を引っ張り出して、指定したトーン&マナーでパワポを作成し、画像を生成し、アニメをつける。Wordでスピーチの文案を作らせ、みんなから戻ってきたエピソードを適度に切り貼りさせる。あるいは職場で、商談相手に向けたWordドキュメントを補完させ、それをPowerPointにコンバートさせる。Excelで昨期の売上低下要因について考えられる候補をいくつか出させ、そのひとつを掘り下げて分析させ、ボトルネック要素を改善した場合の予測をさせる。
これだけてんこ盛りのタスクショーケースの中に、「ローカル側にデータが存在しないことに関する情報検索・調べもの」が入っていないのがわかるだろうか。つまり、生成AIというのはそういう使い方をするものではない、という話なのだ。
確かにBingは出典リンク付きで答を返してくるが、これはGPTのような基盤モデルにとってはあくまで余技の類だ。本来一番得意な「生成」の能力を制約しつつ、リアルタイムブラウジングの機能を持たせた結果、何とかそのように動作するのであって、逆にBingやperplexity.aiはテキスト生成・加工がめちゃくちゃ苦手だ。つまり「正確な情報を返すこと」と「新たなコンテンツを生成すること」は、現状の生成AIにおいては相反する要請だ。どちらかを重視するなら、それが得意なAIにやらせればよい。
ChatGPTを調べものに使って文句を言うやつは、裁ちばさみで鼻毛を切ろうとしていることに気がついてほしい。とにかくおれたちはアトム幻想を一旦捨てなければならない。生成AIは、知性ではなく道具だ。道具だから、お前が使った通りに動作する。動作結果に不満があるなら、用途が間違っているか、指示が間違っているか、その両方だ。
昨日2年ぶりにセックスをしたら1回だけで満足できてしまった。相手にお泊りを打診されたが、ラブホの休憩時間(3時間)程度のセックスだけで疲れてしまって帰宅した。
2年前は一晩で何回もセックスできたし、1回じゃ満足できなかったのに。
まだ29歳なんだけど、とにかく疲れやすくなった。
体力をつけるためにジムへ通おうものなら翌日風邪をひくし、1度風邪をひくと1ヶ月は治らない。毎週木曜日に口内に大量の口内炎ができる。健康維持のために行なってることは通勤時に往復1時間歩くことだが、効果は感じられない。
あまりに疲れやすいので病気なんじゃないかと調べたが、原因不明。原因不明の症状を抑えるために複数の病院に通っているし、たくさんの薬を毎日飲んでいる。
先週からBスポット療法もはじめたが、効果があるのかどうか…。
とてもつらい。
G7が終わった。
広島県民ならわかっていて、他の県民にはわかっていない情報を共有せねばならない。
「何故、厳島神社の集合写真で、フランス大統領マクロンは所定位置からズレたのか」問題である。
厳島神社の最強映えスポットにして、最高にアイコニックな場所は、当然海に浮かぶ鳥居。みんな知っている。
今回、日本の岸田大統領を中心に各国代表が、鳥居、海、山をフレームに入れて撮影したのも当然である。
だが、その時、マクロンはズレた。1メートルほど、何故かズレたのである。
何故か。
答えは簡単。
山にぶっ建っているのだ。ヤバげな御殿が。
都会の人間たちも、知ってほしい。そういうものが、大統領すら動かしてしまうくらい、侵食していることを。
敵は統一だけではない。
この記事のタイトルを見てこのページを開いた人達の中で、同じ気持ちの人は何人いるのだろう。
新作が発売されて間もないこの時期、水を差すようで申し訳ないとは思うが、文章として残しておきたかったので書いておく。
新作のネタバレがあるので注意してください。
私はゼルダの伝説というゲームが好きだ。昔から大好きだ。テンプレのように時のオカリナからハマり、過去作も新作もずっと遊び続けた。
おなじみのキャラクターが出ても同じようなギミックやアイテムが出ても古臭さや飽きを感じさせず、常に新しさを感じてきた良いタイトルだ。子どもの頃から遊んで、大人になった今でも夢中になれるほど好きなゲームだ。本当に大好きだ。
ゼルダの伝説のキャラクターは、本作を遊んだことが無い人でも名前ぐらいは知っているぐらい有名だと思う。主人公のリンクとヒロインのゼルダ姫。この二人は毎度違う人物だったり前作と同一人物だったり様々だけれど、だいたいの関係性は変わらない。いつだって二人は「勇者」と「姫」だ。
ゼルダ姫というキャラクターは最初のシリーズでは登場回数も少なく、メインカラクターにしてはやや影が薄かった。だけど気にしたことがなかった。だってプレイヤーの中で「ゼルダ姫」というキャラクターは特別なのだ、そう簡単に会えるものでもないと子どもながらに思っていたし、大人になった今でもその考えは変わらない。
スマブラの影響もあり、私の中でゼルダ姫=時のオカリナのイメージが強かった。そんな中で、風のタクトが発売された。ゼルダ姫のイメージが今までとがらっと変わり、衝撃を受けた。だけど、すんなりとい受け入れられた。だって彼女は性格や人間性が違ったとしても、「特別なゼルダ姫」だったからだ。
重要な時に現れ、リンクを導き、そして一緒に魔王を倒す。王道なすストーリーの中で、ゼルダ姫は物語のヒロインとして輝いていた。
その後も様々なタイトルが発売され、スカイウォードソードが発売された。これも風のタクトの時と同様に衝撃を受けた。だって、今まで特別な存在だったゼルダ姫が姫ではないどころか、序盤から会えるどころがリンクとは既にとても深い関係にあったからだ。
スカイウォードソードのゼルダは新しい存在であったが、愛らしい容姿と一途にリンクを想う姿がまさにヒロインで、すぐに大好きになった。今まで物語のヒロインであったゼルダが、今度はリンクのヒロインになった。姫ではないけれど、やはり特別な存在であることに変わりわなかった。
そしてスカイウォードソードからはゼルダという人物にスポットが当てられることが増えたように感じた。でも、そうなるのも分かる。だってヒロインだし、可愛いのだ。今まで影が薄かった方がむしろおかしいのだ。そう思った。今までリンクとゼルダ姫の関係性に恋愛の様な進展があることはなかったが、きっとこの二人は結ばれたのだろう。リンクのゼルダを救おうとする必死な姿を見て、そう思えた。
2017年3月3日、待望の新作「ブレス オブ ザ ワイルド」が発売された。
ブレワイを発売初日に遊ぶために死に物狂いでSwitchとゲームソフトを予約し、一日中遊び続けた。今までには新しい遊びがたくさん詰め込まれたゲームだった。
はじめは声だけだった姫だが、リンクが記憶を取り戻すごとに彼女がどんな人間だったのかを垣間見ることが出来た。どれだけ修行を積んでも力が目覚めず苦悩する姿、リンクへのコンプレックス…と、今までのゼルダ姫とは明らかに違う人物だった。
それから徐々に感じるようになった。彼女は、本当に「ゼルダ姫」なのか、と。
少しでも皆の役に立つため努力しているけれど報われない、「かわいそうな」ヒロインだった。こういう女性の姿を見た時、多くの人間は「守りたい」と感じるのだろう。だけど、私はそうは思えなかった。むしろ、勤勉な設定なのにどうして役に立つことを物語中なにも行う描写がないのだろう、と。
頑張る姿はこれでもかという程描かれているのに、それが報われるのはリンクの死の間際と物語のラストだけ。いくら「ゼルダはすごい人だ」と言われても、納得が出来なかった。
私は、このゲームを通して「ゼルダ姫という愛されるべきキャラクター」を押し付けられている。そう感じてしまった。
ブレワイのゼルダ姫はリンクを守ってくれない、アドバイスをして導いてくれない、ただひたすら遠くから神秘的な声を一方的に送られるだけだ。役に立つ重要なアイテムをくれたりもしない。光の弓矢だって、使えるのはラスボスだけだ。大事な場面だけ登場して、ガノンを封印するという美味しいシーンだけ持っていく。彼女は気持ちを押し付けるだけ押し付けてきて、こちらの考えは聞いてくれない。一体どうして、そんな彼女を愛せることができるのだろうか。100年の間、ひたすらリンクを待ってくれていたと言うけれど、誰が待っていてくれと頼んだのか。勝手に待ち続けて、勝手に満足しているのではないだろうか。
良くも悪くも、彼女はリンクという人間に依存し過ぎている。だけどリンクが彼女のそばにいるのは、彼女が好きだからではない。リンクが勇者で、騎士だったから。それだけだ。ゼルダの中でリンクという存在は大きいだろうが、リンクの中でゼルダという存在は比例していない。証拠も何もないけれど、少なくとも私はそう感じた。ゼルダを助けたいという気持ちを、リンクからは何一つ感じなかったからだ。
思い出を辿っていく中で、リンクの記憶のはずなのゼルダ姫目線のものばかりなのも気になった。捏造された記憶を見せつけられているのではないか、と思うぐらい。
だけど、ゲームはとんでもなく面白かった。ゼルダ姫という人間は理解できなかったが、それでもゲームをクリアできたのは彼女の姿も名前も、ほぼ記憶の中と終盤しか出てこなかったからだ。
そしてついに、ティアーズ オブ ザ キングダムが発売された。
プレイ前から、嫌な予感はしていた。ゼルダ姫という人間のゴリ押しをひしひしと感じたからだ。だけれど、ゲームはやはり面白い。空島だけで夢中になってしまっていた。そして始まった、怒涛の「ゼルダの伝説」のムービーが。
どのムービーもゼルダ姫、地上のモブキャラクターの口からもゼルダ姫、他のメインキャラクターと会話してもゼルダ姫。どこを見てもゼルダゼルダゼルダの嵐だった。
いずれ訪れる未来を救いたいと、自ら龍になりマスターソードを癒し、リンクを待つゼルダ姫。それはもう感動のシーンなのだろう。私以外の人間にとっては。
龍の泪のストーリーを終え、涙が散り地上絵になった瞬間に悟った。ああ私、このキャラクターが嫌いなんだ、と。
どうして、こんなことをする前にもっとリンクの為に力になるシーンが無かったのだろう。どうして、おいしいところだけ持っていこうとするのだろう。どうして、頼んでもいないことを勝手にやって勝手に泣いて、勝手に全てをリンクに押し付けてくるのだろう、と。
このゼルダ姫の中で、きっと「私の憧れるリンク」という存在がある。そのリンクは、プレイヤーが操作しているリンクとは違う。彼女は頭の中のリンクに依存し、そして自分の思い描く完璧なストーリーを辿ってくれると信じて疑わない。だから押し付けてくるのだ、なにもかも。
ブレス オブ ザ ワイルドもティアーズ オブ ザ キングダムも、本当に素晴らしいゲームだ。だけどたった一人「ゼルダ姫」という存在の為に、手放しにこのゲームを大好きだと言えなくなってしまった。ムービーの度に現れる姿にもテキストの中で名前が出てくるだけど辛くなり、ゲームが出来なくなってしまった。どうしてこうなってしまったのだろう。私はもう、このゲームを好きだと言える資格を持っていない。
唯一の救いは、2作も出したのだからきっともうブレワイの系譜の続編は作らないだろうということだ。新しいハイラルで、新しいリンクとゼルダ姫を見守りたい。一刻も早く、そうなってほしい。
飯田譲治もゲームクリエイターなる人種が急にスポット当たった時期にメディア受けが良かったので名前が残った、ほぼ一瞬だけ浮かんで一瞬で消えた印象で、サブカル受けはしていてもオタク受けしてた時代なんてない
せつこそれは飯野賢治や
あかほりさとるがオタクにウケてた時期っていつ? ずっと無視されてたのでは?
飯田譲治もゲームクリエイターなる人種が急にスポット当たった時期にメディア受けが良かったので名前が残った、ほぼ一瞬だけ浮かんで一瞬で消えた印象で、サブカル受けはしていてもオタク受けしてた時代なんてない
小中和哉ってどこで盛り上がってたっけ? ってwikipedia見たらこの人の話題エヴァより時系列的に後では
雨宮慶太はずっとオタク御用達だと思うけど、ずっとオタク御用達なのでエヴァ以前も以後も一般層にまで支持が届いたという印象が全然ない。
量産型っていわなくなったのかと思っていたら、まだまだ現役のようだね。
量産型とは、流行に敏感で同じような服装や髪型をしている女性のことを言うんだ。
量産型は、男性にモテるという理由や、周りに合わせるという心理で、量産型ファッションをすることが多いんだ。
量産型ファッションの特徴は、ピンクや白や黒の3色でまとめたコーディネートで、リボンやフリルやレースなどの甘めのデザインが多いことだ。
量産型ファッションをする女性は、インスタ映えするスポットに出かけたり、海外旅行に行ったりして、SNSに投稿することも好きなんだ。
量産型ファッションは、一見かわいくてお姫様のように見えるけど、個性がなくてつまらないと思われることもあるから気をつけたほうがいいよ。
某とあるサイトで「首都圏住み悪さランキング」堂々の1位を取った埼玉県八潮市。増田は八潮市には住んでいないが、八潮市の魅力に取り憑かれ、東京の西側からわざわざ通っていた(今はそう簡単に行けないところへ引っ越してしまった。)今日はそんな八潮市の魅力を開陳したい。なお、増田は戸ヶ崎の方には行ったことはなく、そちらはよりディープスポットらしいが、今回は割と行きやすい方に限る。
その前に魅力的でないと言われる部分から。
はっきり言って悪い。TXができるまでは鉄道が通っていなかったし、今でもメインルートは草加か綾瀬からのバスで、市役所や商店へはバスでないと行きづらい。バスはだいたい15分から20分間隔である。増田は散歩も趣味なので北綾瀬駅から歩いても行くが、だいたい1時間以上かかるため全く非推奨。よって行くなら車か多少不便を被ってもバスか徒歩でいくしかない。
知らん。昼前に歩いている分には何も感じないが、そもそも人通りが少ないので女子1人での歩きはもしかしたらまずいかもしれない。大丈夫だとは思うがわからない。なお、北綾瀬からの歩きだと工場のようなところを歩いて行くことになるので、シムシティ基準では治安が悪い。
というわけで、住むには便利なのかわからん。ただ、自転車でTX、東武、メトロまでリーチできればそれなりに行けるし、六町とかに比べたら家賃安いのでは、と思う。知らんけど。
増田が初めて八潮市に興味を持った店。単なるセコマであるが、恐らく東京から最も安価に行けるセコマの一つと思われる。(もしくは草加店)品揃えはセコマそのもので、北海道牛乳もガラナサワーもホットシェフも完備されている。どさん子プラザで消耗するならよほどこちらの方がお勧め。ただ、増田は最近北海道出張が続いたのと後述の店が魅力的で最近行っていない。かなり辺鄙なところにあって綾瀬からのバス以外では行きにくいのもマイナス。
スーパーマーケットスイーツの鉄板モンテールの倉庫が八潮にはあり、しっかりと直売所が併設されている。ここは八潮駅からも歩いていける程度の距離なので後述のヤオコー、青木亭あたりと絡めて八潮初心者におすすめしたい。直売所なので半端モノが安く手に入る。味はもちろん定評のあるモンテールの味。なお、朝には限定販売もあるようだ。
埼玉県下を中心に展開するスーパー。ここはなんと言っても惣菜の種類が豊富で、味も良い。とりわけおはぎは、かの名店秋保温泉「さいち」のおはぎのノウハウを受けて作っているというから、その気合が違う。そこらのスーパー和菓子はもちろんのこと、多くの餅屋に引けを取らない味わいである。八潮ならではという店ではないが、駅チカな分他と絡めてアプローチしやすい。
住宅街にこぢんまりと店を構える、昔よくあったパン屋とケーキ屋の併設店。ここはなんと言ってもレーズンパンが売りだ。見た目は変哲のないレーズン入り食パンであるが、ずっしりと重い。油断すると余裕で落とすぐらいには重い。その分、中身がしっかりと詰まっている、非常に食べごたえのあるレーズンパンである。なお、ふらっと店頭に並んでいて買えるケースもあるが基本は3日前ぐらいまでには要予約なので予約していくことをおすすめする。
八潮市には中古車販売業を営むパキスタン人が多く住んでいる。そんなパキスタン人向けの料理を出す店が市内には何箇所があるが、その中でも最も定番なのがカラチの空だ。ここはもうカレー好きの知る人ぞ知る名店で、タモリ倶楽部やアド街にも取り上げられたこともある。おすすめは土日限定のカレー。ニーハリやハリームといったいかにも手の込んだ料理が手軽に食べられる。またビリヤニも良いが、とにかく量が多いので2品頼むと簡単に死ねる。そういったときは残りを持ち帰ろう。
カラチの空の対面にある弁当屋。ついカラチにそそられてしまうが、ここは極めてオーソドックスな唐揚げ弁当を出している。これぞTHE唐揚げ弁当というストロングスタイルで、子供の拳ほどもある唐揚げを豪快に盛ってくれる。飯の量も自由自在で、大食いの人にも大満足の店だ。辛いものもイケる人はカラチへ、そうじゃない人はほっかほか大将へ行こう。
ログハウス風の見た目で居心地の良い喫茶店。2階のあるなかなかの大箱である。混雑時には3時間までという制限しているんだかしていないんだかわからない制限が心地よい。ここはモーニングは大したことはないが、ほとんどの飲み物の量が多い。普通に飲み切るだけでもゆうに30〜40分はかかる。なんかさっきから多い多いばっかりで八潮市民は健啖家ばかりなのだろうか。
ラーメン屋。これを書くにあたって調べたらチェーン店だったことを初めて知る。増田が行ったのはもう4年前であまり覚えていないのだが、店自体は変わらず繁盛しているので、恐らく万人に受け入れられる旨さなのだろう。主観的にみても旨かった。カラチやほっかほかよりはまだ駅に近いほうなので、モンテール目当てで時間のない人用。
これもカラチの近く。ほっかほか亭の隣。もはや日本語名がない。カラチはいかにもパキスタンカレー的な、スパイスの効いた辛めのカレーであるのに対して、ここはより庶民的というか、マイルドで奥の深いカレーを出してくる。どちらかというとカレー味の煮込み、というイメージ。ここで蕪とカリフラワーのカレーという、ややトリッキーなカレーを食べたら新しい世界が開けた。それ以降、増田はカレーに蕪を定番にしている。あとカラチは全員パキスタン人男性というムサい空間だが、ここはオーナーパキスタン人に日本人の女性(ヒジャーブ巻いてたので多分ワイフ)がいるので、そういう意味でも落ち着く。
これもやっぱりカラチの近くにある公園。OBとカラチらをはしごしようとすると量が死ねるので、少し休憩するのに最適な公園。最近流行りの遊具だとかなんだとかは何一つ無い、どちらかというと治安の悪そうな公園だが別に気にならない。何匹か猫がいて、日頃から八潮市民に何か食べ物をもらっているのか、やたら人懐っこい。ベンチに座っているとさかんにスリスリしてくる。ひたすらにかわいいので、猫と和解したい人におすすめ。とはいえ餌はあげないほうがいいと思う。
GWでも八潮は恐らく全く混まないと思う(モンテールは知らん)ので、ちょっとしたショートトリップにおすすめしたい街である。他にも通えなかった店はいろいろあるが、ぜひ八潮市の魅力がみなさんに伝わると嬉しい。
仕事の繁忙期と、会う回数が重なるほど増す真剣さにすり潰されていった2ヶ月目。
仕事・生活リズムの見直しにまで至り、迷走し始めてるのが自分でも分かる。
いい歳した男性の情けない姿をここに記す。
・35歳地方在住
・身長175cm、ベンチプレス100kg、スクワット145kg、デッドリフト160kgでBIG3は400
・大学生の頃から、遊びもせず、介護や仕事や勉強や家業としてるうちに、彼女いないまま30代半ばになった
・女性からの「いいね」待ちにして、最初のメッセージも相手待ちにする ⇒ 鼻息荒い童貞からアプローチ最初にくるの嫌だろうなと思って(だからずっと童貞なんだと思うけど)
・変更:人となりが分かるプロフィールの方ととりあえずコミュニケーションをとる ⇒ 写真なし、プロフィール項目が少ないところから話題広げるの大変なので
・複数のマッチングアプリを使う ⇒ 別の同僚女性に相談したところ、「マッチングアプリは3つやりなよ」と言われたので
・色んな人に相談してアドバイスを試す ⇒ 周回遅れの存在なので、あと意外と皆真面目に聞いてくれてアドバイスくれるので
・引き続き減量する → 継続。繁忙期につき停滞だけど、体重の二桁目が変わった。BIG3MAXは下がってると思う。
・地元周辺のお店情報やスポットなどを調べる → 実施。少し先の時期に合わせたスポットを抑える必要にようやく気づく。
・自分に足りないものを言葉に表してまずは認識できるようにする → 実施。 誰かと一緒に過ごすための生活の余白が足りない。仕事・生活サイクル改善中。他にもあるはずなので継続。
・年度始めの繁忙期により余暇が減少したので、マッチング→電話など実際に会う以外の方法も実施した。
・プロフィール画像がない方、プロフィール項目が異常に少ない方はマッチングをするのをやめた。
・何を送っても「そうですね」等の一言+絵文字の方は、断りを入れて自分からやめるようにした。
・自分に迷いがあり、4回目会う口約束してる人達に具体的に提案できず保留中。申し訳ない。
・既婚者の男女(夫婦ではない)に4回目躊躇する問題をそれぞれ相談した。
・結婚願望はあっても、生活に誰かと一緒に住む余白がないと気付き、仕事の仕方、労働時間、生活リズムを見直し改善中。
・コーチングお願いしてるカウンセラーにフロムの「愛するということ」を勧められて読書中
・オススメされたものを一緒に見ながら話すを実施。相手の人となりも知れて、同じ物を好きではなくても尊重することが大事(大体納得できるところがある)と感じた。
・ちゃんと断ることによって、限られた時間・エネルギーをもっと知りたい相手に使えるようになった。
・4回目躊躇する問題を通して、婚活に止まらない自分の弱い点の指摘とそのアドバイスをもらえた
・繁忙期とはいえ、連日夜遅くまで仕事してジム行って0時過ぎて元気よく「こんばんわ!今家帰ってきました!今日は足鍛えました!今週の土日は出社です!」と返すのは迷惑であることに気づくのが遅かった。即返信する。余裕がない時はその旨の断りとフォローを入れる。
・せっかく好感を持ってくれる相手に対して(この人は今の自分だけを見ているだけで、過去辛かったことも知ってくれるんだろうか?)と、疑心暗鬼になってしまった。
・仕事のように一線引いた状態で会う回数だけを増やして相手のことは知れど、心の準備ができてない自分が情けない。形だけのKPIに溺れて相手に失礼だった。
・大体付き合うかは遅くても5回目くらいまでかも。4回目となると相手も真面目に考え始める。が、3回も4回も5回も将来振り返ったら誤差。回数じゃない。
・いいから会うこと。重い。
・これだけマッチングして、全然進めない場合、自分のマインドに問題がある。
・自分の生い立ちに負い目を感じて、自分の不幸に合う人(や物)を求める傾向にある。自分に合う人を求めるべき。
・結婚するかしないかは自分で選べる余地のある選択肢。ポジティブに捉えた方が良い。
アドバイスされて別れた後ちょっと涙出た、結局普通の人にアプローチしてダメだったら、自分の生い立ちやこれまでのせいだと傷付くのが怖いのだ。いい歳をして。
・近所の猫で練習して「可愛い」と口に出せるようになった(まだ誰にも言えてない)
・婚活を深刻に考える傾向があるので、気楽に考えるべくグループ魂の「モテる努力をしないとモテないゾーン」を聴くようになった
・引き続き減量する
Bスポット療法というのをやっている。EATって呼ぶ人もいる。
くっそ痛い。
鼻の奥の粘膜に、綿棒でゴリゴリ消毒液を塗りつける。という治療法なので、そりゃ痛いよってやつである。
これまで5回くらいやったのかな。
治ってきたのか、だいぶ痛くなくなってきたのね。
よかったー、これなら完治まで続けられる…と思ったら、本日先生が…
「鼻に綿棒を入れられるの上手になりましたね。これでやっと奥までできます」
って言って、
えっそんな奥? そこ入っちゃいけないところなんじゃないの???って場所を、
ごーりごーりごーりごーりって…………いつもよりずっと長くごりごりと。
めちゃくちゃ沁みて涙出たし、5時間経ってもまだ痛いよ。
完全に初回の痛みに戻ったよ。
前回までのそこそこ痛かったのは、怖がって身体硬くなってるビビりさん向けの接待だったらしいよ?
まじか……
お鼻に綿棒入れても嫌がらなくなった自分!えらい!いいこ!
あと何回だかしらんが、これからも頑張ろうな!
違いはないと言い張る人間はどういうセックスをしてきたんだろうか?
俺が童貞なのにゴムを使うのはオナホを洗いやすくなるという話を聞いたからだ。
結局ローションを使うから洗わないで放置するのはオナホによくない。
洗いにくい形状、ひっくり返したときのダメージが大きいオナホの場合は、洗う回数を1回飛ばしにしてもいいのかも知れないが。
ゴムを使ってオナニーをしてから生で挿れるとチンコに当たるオナホの内壁の感覚が全く違うことに気づく。
ゴムを使うと切り込みやツブツブを感じるのはかなり難しくなるし、シリコンが粘膜に吸い付きつつも擦れる独特の感覚も味わいにくくなってしまう。
文字通り表面に厚さコンマ数ミリのバリアが貼られた状態のような曖昧な感触になる。
その気持ちよくなさがある意味でリアルで興奮するという部分はあるのでコンドームの購入は全くの無駄に終わったわけではないのは救いであった。
俺のようなオナニーしか知らない人間でも生の気持ちよさは知っている。
ゴムありによって失われる物の多さを知っていると言ったほうが正確だろうか?
実際にセックスをしたことがある人間が何故ここで嘘をつくのか分からない。
それとも、オナホのようなチンコに程よく擦れる突起物が無数に生えた気持ちいい膣なんて滅多にあるものではなく、大抵の膣は単なる真っ直ぐの筒でしかないのか?
相性のいいオナホや、全然物足りないオナホ、アイディアが失敗しているオナホ、様々なオナホを知っているが、実際の膣がどの程度チンコに対してホスピタリティを発揮しているのかだけは知らない。
でもこれぐらいは言わせてもらっても良い気がする。
「ゴムがあってもなくても変わらないのは、お前らがセックスに使っているマンコやチンコが名器には程遠いからだよ。腟内のヒダやカリ首の引っかかりが最初から失われている単なる棒と筒でしかないだけだろ」
ぐらいのことは言えるんじゃないのか?
まあ俺はバイブを尻穴に挿れたことはないから、それにゴムを被せたら何が変わるのかなんて分からないんだけどな。
だがオナホのバキュームスポットに亀頭が滑り込み引き抜くと引っかかるあの絶妙な工芸美がゴムの僅かな厚みによって失われることは知っている。
女の側にもその損失は感じ取れるはずだという確信があるんだ。
それは無数のオナホール経験は俺に無数の名器のあり方を教えてくれたからだ。
名器とは、チンコとのコミュニケーションが濃密な膣のことであり、そのコミュニケーション性はゴムによって阻害されやすい。
女にとっての名器たるチンコも、単に大きい小さいではなく、それが蜜なるコミュニケーションを生み出す力があるかで決まるのではないかと。
だからヤクザはチンコにタマを入れたがるのであり、天然のチンコにも謎のツブツブが進化の歴史の中で生き残ってきたのだと。
気持ちよくもないならツブツブしたチンコなんてキモくてフラれまくってるはずなのに、世の中にはツブツブチンポが多すぎるじゃないか。
ちなみにそれを俺が知っているのはXvideosでみた無修正による知識だ。
「童貞、エロ博士たる(童貞は1人の彼女を持たず、複数のエロコンテンツをはしごし続けるので、上辺の知識だけならそこらの彼女持ちよりも詳しくなってしまう)」とはよく言ったものだな。
俺は童貞だ。
に対して
ではなく
を比べてる。
あっちのAV の性犯罪混入率 v.s. ジャニーズの性犯罪混入率
もしくは
https://anond.hatelabo.jp/20230417120220
私は山上徹也に同情する。つまり情状酌量の余地があると思っている。
『テロリストの主張に沿った物言いをすることがテロ容認だ』や『目的の正しさは手段を正当化しない』というコメントを目にしたが、山上のやったことが正しいことだとは思っていない。
手段は誤っており、殺人で、有罪である。しかし情状酌量の余地がある。この2つは両立する。
「同情する」という感情は私だけのものではなく普遍的に存在する。しかし社会の大きな枠組みとして存在するわけではなく、個人の意思に委ねられるので、消すのは難しい。というか無理である。
例として、ある会社で社員の不注意により事故が起こった。今後事故を起こさないようにするにはどうすればよいかを考える。「もっと注意する」は効果が薄い。人間のミスは無くせないから。根本的原因を解決するか、事故が起こっても大事に至らない方法を考えるのが正しい。
これと同じように「犯人に同情する」という消せないものを消すことに力を注ぐのは何かずれてるなという気がする。そんなことでこの負の連鎖は解決しない。
次に、『テロの背景を知るとか原因に対策するとかという議論がナンセンス。テロの主張にスポットを当てること自体が、次のテロの原因になる。テロを起こせば言い分を聞いてもらえる社会なら、テロがなくなる訳ない。』という意見。
「テロ」とは「政治的目的を達成するために殺害など苛酷な手段で、敵対する当事者さらには無関係な一般市民などを攻撃し、そこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して譲歩や抑圧などを図るもの」とされている。
無差別殺人テロであれば私だって「情状酌量の余地なし」と思うけど、山上は「安倍元総理の隣の人に当たらないくらいの距離まで近づいた」と言っている。正直なところその他の殺人事件被害者1人との量刑差を見いだせない。
今回のテロであれば敵対対象が明確な分恐れもない。知らないうちに国に巣くってるカルトの方が怖い。
一部ではあるが『いかなるテロも容認できない』と主張する方々の中には一方で『いかなる差別(実際には区別)も絶対的な悪だと決めつけてしまうと、自分は悪ではないので差別しない→自分がしているのは差別(区別)では全くないという誤った認識に陥ってしまう。ある程度の"区別"は社会に必要だよ。』なんてブコメしている人もいる。都合がいい物差しじゃないか。そして根拠薄弱の自覚があるのか自らの主張を「民主主義に対する脅威」として権威付けする。
個人ではなく国として「テロ犯の要求は聞かない」という方針はありだとは思うけど、だからって自民党議員の半数近くが教会と接点を持つような脅威とカルトを放っておくのはなしでしょ。結果的にそれが山上の主張に沿う形になったとしても対応すべきだよ。
何より山上からすると旧統一教会のせいで家族が崩壊した中で、国に頼ろうにも政権与党が「政治的な正しさや国民の苦しみよりカルトとの癒着による議席の確保が大事」だとしてきたわけで「ではこちらも正しさなど知ったことではない。」と山上に言われたら返す言葉ないじゃん。
これって「テロを起こせば言い分を聞いてもらえる社会」だからではなく「テロでも起こさないと言い分を聞いてもらえない社会」だったからだよね。(岸田首相襲撃の木村容疑者に関しては何も分かっていないため今判断しても的外れになるので書かない。)
単なるアイドル事務所の枠をいつの間にか超えていて、すごいことになってるよね?
NHKだと紅白やうたこん、Venue101は言うに及ばず、大河の主役もあれば『少年倶楽部』なんて、ジャニーズにスポットあてた番組もあれば、Eテレで中高生もその父母をターゲットにした『バリューの真実』なんて番組も、MCはジャニーズのグループだ。
東京でオリンピックやれば当然、嵐がテーマ曲うたって番組の司会。
民放のテレビは言うまでもなく、なぜかニュース番組でしたり顔で語っているのも何人も。
クイズ番組でも最近は、そこそこの大学や大学院いってるインテリジャニーズ枠がたいていはいってるし。情報系バラエティは風間俊介入れときゃなんとかなるみたいになってる。
舞台の世界に目を向けると、帝国劇場、新橋演舞場、東京グローブ座、大阪松竹座あたりは、もうジャニーズの集客力を切ったら、経営にそこそこ悪影響出ると思う。
ここ10年くらい、日本の伝統美を取り入れた舞台で、一番若い人に影響力を持ってたのは『滝沢歌舞伎』とか『滝沢演舞城』だと思う。
そういえば今年の新橋演舞場の新春公演では、海老蔵じゃなかった團十郎白猿がジャニーズの子を共演させて普段歌舞伎なんて見ない若い客を引っ張ってた。
帝国劇場もすっかり、年始の公演はジャニーズが定番になってしまったし、今、日本で“単独主演ミュージカル公演”の公園回数記録を持ってるのは、堂本光一だ。かつては森繁久彌(屋根の上のバイオリン弾き)とか先代の松本幸四郎(ラ・マンチャの男)とかが競っていた記録だが。
なんでこうなった?
SMAPを、“バラエティもこなせるスーパーアイドル”としてもてはやしすぎたから? さらにそれに続いて、櫻井翔に“ニュースも読めるアイドル”なんてカテゴリーを作らせてしまったから?
欧州のオペラやバレエや演劇のように、きちっと歌ったり踊ったり演じたりする人を育てて供給して保護する仕組みがないから?
日本だと結局、宝塚かジャニーズか、国立劇場の歌舞伎の養成所くらいしか、そういうのちゃんとやって来なかったっぽいよね。
いや、これたけでっかくなって閉まった権益を壊すのって、そりゃ大変ですわ。
「バリキャリOLこそ下方婚をしよう」と言うけれど、自分にある程度の年収や学歴があると、年収が低い人と顔を合わせる機会少なくないですか。
私のスペックは以下です。
年齢: 35
住所: 東京
年収: 1500万
このような環境で過ごしているのですが、年収が低い男性は本当にまわりで見かけません。
下方婚を推奨する言説を見るたび、上昇婚をして格差社会に貢献してしまったひとりのバリキャリとして、モヤモヤします。
会社の同期は私と同じくらいの年収ですし、大学の同級生もみんな低くても600万くらいはあると思います。プライベートの友人も、同僚や大学の友人の紹介がきっかけで友人になっているので、同じような年収帯なんじゃないかと。
確かに男性は下方婚が多いですが、年収が低い女性ってコリドー街みたいなナンパスポットに行けば出会えるし、合コンに呼べば仲間を引き連れて来るじゃないですか。芋づる式に出会えますよね。それに比べて年収が低い男性って、ナンパスポット行かないし、群れないし、出会えなくないですか。アプリには生息してるんですか?
人は簡単に「下方婚しろ」と言うけれど、普通に生きていているとこんなにも交わることがない人間同士が、どこでどう出会い、どこに惹かれることを想定して言っているんだろ。
長い文章書いたわりに肝心なテロ定義の「恐怖」が特定できていない。この増田の「恐かった🥺」という個人的感情を起点に理屈を展開してるにすぎない。客観的な社会の「恐怖」の計量を試みるもできなくて、やっつけ仕事で見つけ出したんだろう「恐怖」がコレ↓
>また現状の統一教会への加熱する報道や国葬報道への賛否等々テロによる恐怖に突き動かされた結果と言えます
↑デタラメで痛々しい。自分の主張を正当化したいがためにデタラメな理屈を作り出してしまった。
国葬議論は外国要人の弔問や公金支出が主要なテーマでテロの恐怖は関係ない。
統一教会報道は30年前の統一教会報道の焼き直しであり山上の特殊な生い立ちの背景にある統一教会にスポットを当てたにすぎない。