はてなキーワード: オーケストラとは
米津玄師やYOASOBIのAyaseといったボカロ発のアーティストが注目され、ボカロ音ゲーのプロセカがヒット、Vtuberはこぞってボカロ曲をカバー、tiktokでもボカロ曲が普通に使われている(らしい)というこの2021年。
有名ボカロPを10人ぐらい紹介します。チョイスも順番も適当です。
代表曲は最近のヒットとそれ以外で一番人気な曲の2曲にしていると思います。
再生数ごとの曲数とイメージはかなりざっくりですが以下のような感じなのですごさの参考にしてください。
例えば100万再生以上の曲は20万曲中600曲という読み方をしてください。
再生数 | 曲数 | イメージ |
---|---|---|
1000万 | 6曲 | 神話入り・みくみく千本桜メルトマトリョシカWEDHモザイクロール |
500万 | 60曲 | 超有名 |
100万 | 600曲 | 伝説入り・文句なしに有名 |
50万 | 1000曲 | ボカロ好きなら少なくともPか曲名は知ってる |
10万 | 5000曲 | 殿堂入り・中堅ライン |
5万 | 8000曲 | この辺まではわりと何でも聴く |
1万 | 2万曲 | マイナー |
5000 | 3万曲 | クオリティー保証ライン |
1000 | 9万曲 | ドマイナー |
全体 | 20万曲 |
(プロセカがヒット?と思う人もいるかもしれないが、プロセカはユーザー男女比4:6で約半分が10代というセルランが主戦場ではないソシャゲなのでメインユーザー層と近い人でないとヒットが把握しづらい。ソース:『プロセカ』がボカロファンやミクたちに与えた影響 ― ニコニコ動画が果たしていたような役割を担うかもしれない【開発者座談会】)
最初の数曲は再生数5万程度とそこそこの伸びだったが、オートファジーがヒットして一気に有名Pになった。
歌詞は文字で見るとよく分からないが最近は音として聴いたときの感じを重視するのが流行りらしい。多分。
この人が使っているv flowerというボカロは中性的な声が特徴で、最近多いおしゃれな感じのボカロ曲によく使われている。
v flowerにも初音ミクなどのようにキャラクターイラストがちゃんとあるのだが、おしゃれな感じのボカロ曲はPVにオリキャラを出したりキャラのいないイラストだったりすることが多いので認知度が低そう。
2008年から投稿している、全曲10万再生以上の安定した超有名古参P。
2011年頃に柴咲コウなどの人間に曲提供をしていて、アルバムにも人間曲を普通に入れていたので、当時はボカロPをやめて人間の曲を作っていきたいのかと思った。
実際2008年から今までで2011年だけボカロ曲を一切投稿しておらず、2012年も企業案件系の曲のみであった。多分。
その答えは2013年のインタビューで明らかになる。(DECO*27「DECO*27 VOCALOID COLLECTION 2008~2012」インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー)
2020年に突然Youtubeのみに投稿するようになったりした(ヴァンパイアで戻ってきた)ので、そういう感じのふらっとした人なんだと思う。
この人が立ち上げた曲を作るための会社「OTOIRO」が2019年に炎上したが曲人気には全く影響しなかった。
P名の由来は「みきとP」という曲名。SF-A2 開発コード mikiというボカロをテーマにした曲である。
P名は古参でもついていない人は普通にいるし、最近の人でもついている人はいる。
ただ最近は動画タイトルに自分の名前を入れる人もいるので、そういう人はP名をつける空気にならない。
作風の幅が結構広いが、どの曲も聴くとちゃんとみきとPの曲だと分かる。
「ロキ」はPとボカロ(鏡音リン)のデュエットで、こういう人間とボカロが一緒に歌っている曲はニコニコ動画では「VOCALOIDと歌ってみた」というタグで括られる。
ロキ以前には歌い手によるカバー曲以外では大きなヒットがないタグだったので、人間がいるから駄目ということではないという証明になった曲だと思う。
DECO*27も「デコーラス」と言われるぐらいには主張強めに入れる。(最近の曲は控えめかも)
あのカゲロウプロジェクトを作った人である。
カゲロウプロジェクトとはボカロ曲を軸にボカロキャラとは関係のないオリジナルのストーリーを展開していくというプロジェクトで、アニメ化もされた。
2011年の初投稿「人造エネミー」から2018年の「アディショナルメモリー」までカゲプロが展開されていた。最近10周年でリブート企画が始動した。
ということで最初から企業の仕込みだったということはないと思う。
企業の仕込みだと初投稿から半年でファーストアルバムが商業流通で出る。
カゲプロは本当にボカロの流れを変えた存在で、(以前からそれなりにいたが)ここで一気に女子小中学生がリスナー層に増えたと思う。
最盛期はアルバムクロスフェードが100万再生を達成するほど勢いがあった。
「日本橋高架下R計画」や「Sky of Beginning」はカゲプロとは関係のない曲だが再生数はしっかり伸びているので、別にカゲプロじゃないと伸びないPではない。
直近ではアニメ「魔法科高校の優等生」のOPを担当することが発表されている。
ヴィランや(ボカロじゃないけど)うっせぇわのAdoに書き下ろしたギラギラが話題になったP。
急に最近人気になったわけではなく、2010年の「アンファンテリブル・イン・ハロウィン」ですでにランキングに顔を出していた。
その後2012年に「怪異物ノ怪音楽箱」がヒット、同じく2012年の「古書屋敷殺人事件」は女学生探偵シリーズとして楽曲・小説が展開された。
女学生探偵シリーズは当時流行っていたカゲプロ的なストーリーの繋がりがある楽曲シリーズで、カゲプロ・終焉ノ栞・ミカグラ学園組曲など色々あった。
それらが厨二系だったのに対し女学生探偵シリーズは昭和レトロな雰囲気が唯一無二だったので、いい感じに地位が確立されていたと思う。
もともとリズム感重視で韻を踏みまくった歌詞をよく書く人なので、今は前述した「音として聴いたときの感じを重視する」という波に作風がしっかり嵌っている。
別名義で小説を書いている。
代表曲:「アイ情劣等生」「ベノム」
この人も自分の作風はしっかりあるが流行に合わせるのが上手い。
かなり意識的にヒットを狙いに行っていると思う。
「アイ情劣等生」と「アルカリレットウセイ」は「#コンパス 戦闘摂理解析システム」というソシャゲのキャラのテーマソング(公式)。
コンパスには1キャラ1曲テーマソングが存在し、さまざまなボカロPが曲を提供している。
コンパス曲はヒット確定という風潮もあり、実際多くの曲が100万再生を達成している。
なぜそういうスタイルがウケたのかというと、腐女子とかが「この曲はあのキャラっぽい」「このキャラはあの曲っぽい」と勝手に好きなキャラと関係ない曲を結びつけるイメソン文化を公式でやっているからである。
プロセカも腐女子とかが男キャラのMMDを作ってボカロ曲を踊らせたりボイスを切り出して無理矢理歌わせたりしているのを公式でやっているようなものなのでウケた。
(もちろんどちらもあくまでも人気になった要因の1つに過ぎないし、やっているのは必ずしも腐女子ではない)
代表曲:「ジャンキーナイトタウンオーケストラ」「テレキャスタービーボーイ」
「テレキャスタービーボーイ」は2019年のショート版と2020年のフル版が両方100万再生を達成している。すごい。
ショート版の曲長は1分で、他にも「空中分解」「エゴロック」などの1分曲を作っている。
ぐらい。他にあったらすみません。
Adoに曲提供するようなおしゃれ系の人にしては珍しいかもしれない。
カバー曲は2009年から投稿していて、カバーだとPONPONPONのレンカバーやえれくとりっく・えんじぇぅの鏡音アレンジカバーが有名。
どちらかと言うとボカロキャラのための曲を作るタイプの人で、「レン廃留置所」というレンくん大好きユニットにも参加していた。鏡音レンはそういうPを飼っているボカロである。
でも2016年前後は歌い手のれをると組んでれをる用の曲ばかり作っていたのでボカロ曲は全然投稿していなかった。そういうこともある。
代表曲に「ギガンティックO.T.N」を挙げたが、こういう曲があってこそのボカロ文化である。多分。
歌い手出身のボカロPの中にはボカロ打ち込みや編曲を他の人に任せている人もいるが、まふまふはそのあたりも自分で担当している。
歌い手としても自分で自分用に作った曲をよく歌っており、この前東京ドームで無観客無料配信ライブをしていた。
それが朝の情報番組で「まふまふさんが東京ドームでライブしました!」と普通に取り上げられていてびっくりした。そんな有名なのか。
以前ゴーストライターに曲を作らせていたスズムというとんでもないボカロPがいたのだが、そのゴーストライターをさせられていたと言われている。(未確定情報)
この時点ですでにハイクオリティで、3DSの音ゲー「Project mirai」にも収録された。
BEMANIに曲提供をしているP*Lightと同一人物で、「エレクトリック・ラブ」がボカロ処女作というわけではない。
今ほどはボカロがメジャーな存在でなかった2012年頃からボカロ界の貴公子という謎の異名を背負って何度かテレビに出演していた。
テクノポップがメインでいかにも電子音な曲を作るので、そのボカロ感がテレビウケという点で良かったのかもしれない。
(他に有名でテレビに出てくれるようなコミュ強Pがいなかったというのもあるかもしれない)
NHKのニュース番組「フカヨミ」では2012年に番組内企画で番組のイメージソングを制作し、それがEDとして使用されていた。
NHKはその頃ラジオでボカロ曲専門番組をやっていたりと、結構前からボカロと仲良しである。
代表曲:「SNOBBISM」「ロストワンの号哭」
強めの高速ロックのイメージがあるが特に最近は高速じゃない曲もある。
「脱法ロック」と「い~やい~やい~や」のPVは他アーティストのPVのパクリではないかと話題になった。
(PV製作はそれぞれりゅうせー、寺田てらなのでNeruが直接作ったわけではない)
後者はパクられた側が直接Neru側に問い合わせているが、パクリではないと返答されている。(ソース:Cluster A騒動によせて - in the blue shirt)
このはてな匿名ダイアリーにいい感じの記事があったので全体像はこちらを参照。→Neru(ボカロP)と寺田てら(動画制作者)の「Cluster A」パクリ疑惑騒動まとめ
PVパクリ疑惑とは別に曲パクリ疑惑もあるがPVパクリよりも曖昧な話になってしまうので割愛。
代表曲:「アンノウン・マザーグース」「ワールズエンド・ダンスホール」
2009年に処女作「グレーゾーンにて。」を投稿し、その後の数曲はそこそこしっかり伸びて同年6曲目の「裏表ラバーズ」が大ヒット。
ハイテンポな高音ロックサウンドが特徴で、「ボカロっぽい曲」という概念を確立したPのうちの1人だと思う。
2011年まで毎年投稿していたが人間のバンド「ヒトリエ」を結成したためボカロは一旦休止。
ちなみにボカロPが人間のバンドを組むのはよくあることである。ボカロP活動とのバランスは人それぞれ。
そして2017年に初音ミク10周年記念CD用書き下ろし曲「アンノウン・マザーグース」を投稿。ライブで最高に楽しい曲。
2019年死去。
ボカロPが亡くなるというのはさすがによくあることではないが、「ルカルカ★ナイトフィーバー」などのSAMナイトシリーズで有名なsamfree、「Q」「ストロボラスト」の椎名もた(ぽわぽわP)、「オマーン湖」の乙Pなどもすでに亡くなっている。
samfreeはあいみょんのデビューシングルの編曲やアニソン制作もしている超有名P、ぽわぽわPは「ストロボラスト」投稿時16歳ということもあり非常に注目されているPだった。乙Pは曲タイトルでお察しください。
この人たちはレーベルに所属していたり、活動仲間がいたため亡くなったことを知ることができたが、ボカロPには消息不明のPも多い。
突然帰ってくることもあるが、本当に亡くなっているPもいると思う。
ボカロをしっかり聴き始めたのは2010年なので2009年以前の話は詳しくないです。すみません。
あのさ、
冷凍庫の中がビールシャーベットまみれになったこと私1回あって
そんな話は良いんだけど、
で人間は日々成長よ!
そこでキッチンタイマーなのよ。
60分にセットして60分冷凍急冷にしたらそこそこ美味しく冷たいルービーになるから
タイマーセットしたのね。
家事が終わった頃に出来上がる寸法よ!
で60分たちました!
美味しいビールに冷え冷えのを喰らったんだけど、
氷結の缶って菱形の模様になってて、
あれが多少余裕になって凍っても破裂しなかったのよ。
事なきを得た感じがしてセーフって思わず口走っちゃったわチェリー。
これが本当の氷結ね!って
やかましいわ。
で解凍すべく
今度は冷蔵室に入れるんだけど、
なかなかの冷え冷えっぷりだったのね!って驚いたわ。
冷凍庫の中に入れていいのはビールはだめで氷結ね!って気を付けて欲しいし
東京の夜は19時ってまだふざけたことを言うには早い時間帯ではないことは確かね。
なんてお下品な!
でもさー
本当飲食店で飲食できない時代に突入して何が面白いかって言うともう
テイクアウトして家飲みってなんか要素が2つ入ってるから二択なんじゃないの?って細かいことは
テイクアウト初やってみようかなーって
新しい事に挑戦するってチャレンジでもありチャレンジスピリッツでもあるあよね。
何が問題かって言うと、
やっぱり焼き鳥は焼きたてを
串を口に入れる時は串を縦にしたら喉の奥に刺さって危ないから
CWニコルさんが焚き火で炙った日本ハムの美味しいところを口元に持って行って、
そこで炙りたてのハムをナイフで直で切って食べるワイルドスタイルを提唱したいわ。
本当は日本ハムのより館野ハムの方が美味しくてオススメなんだかんね。
そうだから
焼き鳥の串はくれぐれも縦にして飲み込まないように!
ほら!ペンギンさんも
魚を飲み込むとき鱗がカエシになってノドに引っかからないように上手に頭から飲み込むでしょ?
鵜さんとかもそうよね。
あれをさ、
魚の胴体を半分に切って頭が2つあるようなキメラ的なきめー魚を人工的に人間が生命で遊ぶな!って怒られそうな合成して作った
ペンギンさんとか鵜さんとか
いわゆる魚を頭から丸呑みするタイプの先輩の鳥類にあたえたら、
どっちが頭か?ってぐるぐるくちばしで回して探してどっちから飲み込めばいいのかバグったりしないのかな?
傘の上で升を回すような
いつもより余計に回っております!って
だから
どちら側も頭っていう魚を鳥さんに与えるとどうなるか!って
鳥だけに!ってやかましーわいって
またまた怒られちゃいそうよね。
ごめんなちゃい!
うふふ。
そういう季節はもう終わったのかしら?って
厚焼き玉子ベーコンサンドを撮った写真を破りながら灰皿で焼いたわ!
破って焼いたのは嘘だけど、
写真にしては飾ってあるわ。
ボニーって感じがまたより一層ピンクみを引き立ててるわ。
夏らしくなってきたわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」
窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟むねばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼めもさめるような、青宝玉サファイアと黄玉トパースの大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸とつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環わとができました。それがまただんだん横へ外それて、前のレンズの形を逆に繰くり返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡ねむっているように、しずかによこたわったのです。
「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」鳥捕とりとりが云いかけたとき、
「切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子ぼうしをかぶったせいの高い車掌しゃしょうが、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。
「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしていましたら、カムパネルラは、わけもないという風で、小さな鼠ねずみいろの切符を出しました。ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着のポケットにでも、入っていたかとおもいながら、手を入れて見ましたら、何か大きな畳たたんだ紙きれにあたりました。こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って叮寧ていねいにそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。
「何だかわかりません。」もう大丈夫だいじょうぶだと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。
「よろしゅうございます。南十字サウザンクロスへ着きますのは、次の第三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。
カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草からくさのような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込こまれてしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想げんそう第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈はずでさあ、あなた方大したもんですね。」
「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれを又また畳んでかくしに入れました。そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだというようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。
「もうじき鷲わしの停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較みくらべて云いました。
ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸さいわいになるなら自分があの光る天の川の河原かわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙だまっていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊きこうとして、それではあんまり出し抜ぬけだから、どうしようかと考えて振ふり返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚あみだなの上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度したくをしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖とがった帽子も見えませんでした。
「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう云っていました。
「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕ぼくはどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」
「ああ、僕もそう思っているよ。」
「僕はあの人が邪魔じゃまなような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。
「何だか苹果りんごの匂においがする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」カムパネルラが不思議そうにあたりを見まわしました。
「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨のいばらの匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。
そしたら俄にわかにそこに、つやつやした黒い髪かみの六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていました。隣となりには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹ふかれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。
「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛かあいらしい女の子が黒い外套がいとうを着て青年の腕うでにすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。
「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召めされているのです。」黒服の青年はよろこびにかがやいてその女の子に云いいました。けれどもなぜかまた額に深く皺しわを刻んで、それに大へんつかれているらしく、無理に笑いながら男の子をジョバンニのとなりに座すわらせました。
それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。女の子はすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。
「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」腰掛こしかけたばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向うの席に座ったばかりの青年に云いました。青年は何とも云えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。
「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待っていらっしゃったでしょう。わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待って心配していらっしゃるんですから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」
「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」
「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトル、スター をうたってやすむとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」
泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟にまた云いました。
「わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくて匂がよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代りにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう。」青年は男の子のぬれたような黒い髪をなで、みんなを慰なぐさめながら、自分もだんだん顔いろがかがやいて来ました。
「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」さっきの燈台看守がやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかにわらいました。
「いえ、氷山にぶっつかって船が沈しずみましてね、わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発たったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日きのうのあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾かたむきもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧きりが非常に深かったのです。ところがボートは左舷さげんの方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫さけびました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈いのって呉くれました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押おしのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気きょうきのようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸はらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟かくごしてこの人たち二人を抱だいて、浮うかべるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰たれが投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑すべってずうっと向うへ行ってしまいました。私は一生けん命で甲板かんぱんの格子こうしになったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのとき俄にわかに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦うずに入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年没なくなられました。ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕こいですばやく船からはなれていましたから。」
そこらから小さないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼めが熱くなりました。
(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍こおりつく潮水や、烈はげしい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込こんでしまいました。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠とうげの上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」
燈台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
青年が祈るようにそう答えました。
そしてあの姉弟きょうだいはもうつかれてめいめいぐったり席によりかかって睡ねむっていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔やわらかな靴くつをはいていたのです。
ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光りんこうの川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈げんとうのようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のろしのようなものが、かわるがわるきれいな桔梗ききょういろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗きれいな風は、ばらの匂においでいっぱいでした。
「いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう。」向うの席の燈台看守がいつか黄金きんと紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝ひざの上にかかえていました。
「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんとうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかかえられた一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめていました。
「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」
「さあ、向うの坊ぼっちゃんがた。いかがですか。おとり下さい。」
ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃくにさわってだまっていましたがカムパネルラは
「ありがとう、」と云いました。すると青年は自分でとって一つずつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニも立ってありがとうと云いました。
燈台看守はやっと両腕りょううでがあいたのでこんどは自分で一つずつ睡っている姉弟の膝にそっと置きました。
「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」
青年はつくづく見ながら云いました。
「この辺ではもちろん農業はいたしますけれども大ていひとりでにいいものができるような約束やくそくになって居おります。農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種子たねさえ播まけばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィック辺のように殻からもないし十倍も大きくて匂もいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです。」
「ああぼくいまお母さんの夢ゆめをみていたよ。お母さんがね立派な戸棚とだなや本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」
「その苹果りんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」青年が云いました。
「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」
姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイを喰たべるようにもうそれを喰べていました、また折角せっかく剥むいたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜ぬきのような形になって床ゆかへ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。
川下の向う岸に青く茂しげった大きな林が見え、その枝えだには熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸しみるように風につれて流れて来るのでした。
だまってその譜ふを聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋ろうのような露つゆが太陽の面を擦かすめて行くように思われました。
「まあ、あの烏からす。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なく叱しかるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原かわらの青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光びこうを受けているのでした。
「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」青年はとりなすように云いました。
向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌さんびかのふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱しているらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまた座すわりました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれどもいつともなく誰たれともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカムパネルラも一緒いっしょにうたい出したのです。
そして青い橄欖かんらんの森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまいそこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひびきや風の音にすり耗へらされてずうっとかすかになりました。
「あ孔雀くじゃくが居るよ。」
「ええたくさん居たわ。」女の子がこたえました。
ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見ました。
「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に云いいました。
「ええ、三十疋ぴきぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。ジョバンニは俄にわかに何とも云えずかなしい気がして思わず
「カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。
川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛ゆるい服を着て赤い帽子ぼうしをかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが俄かに赤旗をおろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者のように烈はげしく振ふりました。すると空中にざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまりも鉄砲丸てっぽうだまのように川の向うの方へ飛んで行くのでした。ジョバンニは思わず窓からからだを半分出してそっちを見あげました。美しい美しい桔梗ききょういろのがらんとした空の下を実に何万という小さな鳥どもが幾組いくくみも幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。
「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外で云いました。
「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂気きょうきのようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんという潰つぶれたような音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。と思ったらあの赤帽の信号手がまた青い旗をふって叫さけんでいたのです。
「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しい頬ほほをかがやかせながらそらを仰あおぎました。
「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻もどりました。カムパネルラが気の毒そうに窓から顔を引っ込こめて地図を見ていました。
「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっとカムパネルラにたずねました。
「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょう。」カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしぃんとなりました。ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立って口笛くちぶえを吹ふいていました。
(どうして僕ぼくはこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱ほてって痛いあたまを両手で押おさえるようにしてそっちの方を見ました。(あ Permalink | 記事への反応(0) | 22:20
オーケストラとか知らねぇけど、いい曲なのにみんな聴かないなんてもったいないじゃなくて、この曲も知らないなんて文化的素養に欠けるみたいな意見を言ってる時点でお前はその曲そのものを楽しんでるんじゃなくて、貴族が自分の「格」を誇示するかのような目的で曲を嗜んでるんだよ。
あと、お前は自分が偉いと思ってるみいだけど、実際には裸の王様みたいなもんだよ。誰も興味を持たない黴びたクラシックの楽曲の知識で身を纏ってもその魂には何の価値もない空っぽな人間なんだよ。
せいぜい親に恵まれて、高級な楽器を買ってもらったり、留学に行けたり仕事がなくても生きていける貯蓄や不動産があることに感謝してネットで人を不快にさせないよう慎ましく生きとけバーカ。
20年前、中学2年生のときに参加した秋の吹奏楽コンクール。夏休みをつぶして練習をしていた彼女たちを横目に見ながら、ステージの上で俺は何もせずに突っ立っていた。割り当てられた楽器はトライアングル。特定のパートで音を鳴らすだけだった予定だが、誰かのミスで俺の楽器がステージに用意されることなく終わった。別にトライアングルを準備しなかった誰かを怨んじゃいないし、たぶん本当にただのミスだったんだと思う。悪いのは夏休み中に一回も練習に参加しないどころか、辞める意思を伝えなかった俺だと思う。
うちの家族は音楽一家だ。俺が小5のときに死んだ父親はフルートの奏者で、同期の友人を集めて社会人サークルを作ってときどき演奏会をしていた。姉も姉でピアノが得意でときどき、受験勉強の合間に演奏をしていた。妹もサックスの奏者で運転免許教習のためにと渡した金で自分用のサックスを買ってた。母親は別に音楽はしなかったが、彼女たちを育てるのにリソースを費やしていた。そんな家族だったから俺も音楽が好きで、得意できっと才能もあるのだろうと思っていた。
俺が楽器に触っていた一番古い記憶は幼稚園のころにピアノを習っていた記憶だ。音大を卒業したばかりの若い女性の先生を家に呼んで姉と俺が習っていた。彼女の教え方は結構自由な感じで、俺は楽譜を無視して勝手にペダルを押してみたり、習ってもない黒鍵を押して変な音を出したが彼女は「じゃあ、アレンジしてみようか」って言って楽譜の改変を許してくれたし、そんな優しい対応をしてくれる大人の女性に気恥ずかしさを感じた記憶がある。
それに対して母親はどちらかというと教科書的に楽譜を覚えさせようとする人で、幼稚園から帰ってピアノを自主練する時間になるとひたすら楽譜の同じフレーズを繰り返させられた。ちょっとでも間違えると「あと10回繰り返しなさい」という具合。これが原因でピアノが嫌いになってしまって先生を呼んでの個人レッスンも辞めてしまった(辞めた時の具体的な流れはもう覚えていない)。
そんな俺だったが小5のときに父親が死んだ。彼が残したフルートを見て「これを俺も吹けるようになりたい」と思った。そんなことを思いはしたものの、具体的に行動は起こさず、塾やら剣道やら(これも嫌いだった)中学受験に失敗したりしているうちに進学先の中学校に吹奏楽部があることを知ってそこに入部した。思えばこれが間違いだった。
俺の入部した吹奏楽部は俺以外全員女子。顧問はまさかの俺の父親の知り合いで、そこに男子が参加したものだから舞い上がっていたように思う。最初に割り当てられた楽器はチューバだった。いわく、低音でバンドの全員を支えろとのこと。チューバ奏者には申し訳ないのだが、これが全く楽しくない。低音を鳴らしても自分が何を演奏しているのか分からない。顧問は部員のモチベーションをあげるためなのか、自分の趣味なのか分からないがみんな知っているポップスや歌謡曲を演奏させたが、メロディを奏でるメンバーが聞いたことのあるフレーズを演奏しているのに対して低音が演奏している音は一体何の役に立つのか全く分からなかった。定期的に同じ音を鳴らすこの行為になんの意味があるのか分からなかった。ついでに俺は残念ながら肺活量が低くてチューバを満足に吹くことができなかった。その後、顧問の命令でアルトサックスへ、そして最後はコントラバスに転向。もはや管楽器ですらなくなり、この辺で完全に俺のやる気は消失して部活をさぼるようになっていた。
で、中学2年生の夏休み。俺は部活に行くと言って家を出てから友達の家へ行って連邦VSジオンで遊んでいたものの、あるタイミングで顧問がその友達の家に乗り込んできて俺は拉致されてしまった。与えられた楽器はトライアングル。夏休み明けのコンクールは部員全員で参加して今の3年生を送り出すんだから、お前も参加しろとのこと。無理やりワンフレーズだけのパートを練習させられて、そして迎えた本番で事故は起きた。トライアングルが無い。
理由は分からない。楽器を運ぶ担当の1年生からも下に見られていた俺は、楽器の用意をしてもらえなかったのかもしれない。それか、俺が自分の責任で運ぶように指示されていたのかもしれない。分からないが、ステージ上で何もせずに突っ立っていた記憶だけは残っている。指揮棒を振る顧問の困った顔、演奏が終わった後でほかの部員から向けられた視線。すべてが苦痛で俺は逃げるように会場を後にした。顧問はさすがに哀れんだのかそれとも呆れたのか、それ以降俺を部活に連れていくことはなくそのまま俺の存在は自然消滅した。
そんなことがあって、何年もの月日は経過したが幸いなことに音楽自体を嫌いになることはなかった。どちらかというとDreamcast勢だった俺はクレイジータクシーやソニックアドベンチャーで洋楽に触れて、バンドの存在を知って低音が奏でる面白さをそこで初めて知った。と言って、特に具体的な行動を起こすでもなく大学に行ってからはギターヒーローとかドラムマニアでときどき遊ぶ程度。あとはオーケストラやマーチング、ジャズなんかをときどき思い出しては聞く程度だった。だけど心の中で、音楽をもう一度やってみたいと思う気持ちだけはちょっとずつ育っていっていた。
結婚して子供もできて、その子供が8か月になったころの2020年からコロナの影響を強く感じるようになった。仕事はそれ以前から完全リモートだったので特に支障はなかったのだが、趣味の温泉旅行が制限されたのはつらい。そんな中でおこもり需要の一つとして注目されたのが楽器だったわけ。俺もその例にもれずヤマハが発売しているヴェノーヴァを購入してみた。生まれて初めて自分のお金で買った楽器。これがめちゃくちゃ面白い。
練習はだいたい朝子供を保育園に送る前と夕方、保育園から帰ったあとの夕食までの時間。だいたいどっちも20分くらいだから1日のうち40分くらい。しかも最近は寒いから朝の練習はしない日もある。練習と言っても昔のように間違えたフレーズをなんども繰り返すわけじゃない。最初こそ音を鳴らす練習や指の運びの練習はしたけど、一通りそれっぽく音が出せるようになったら後は自由だ。楽譜を買ってきて自分が好きな曲を自分が満足するまで吹けばそれでいい。アニメや特撮が好きなので「ドラえもんのうた」とか「ウルトラマンのうた」とかを一通り吹いて、サビだけ吹けるようにしておしまい。最近はコンビニで曲ごとに譜面を印刷できるので、気になる曲だけ印刷してくれば1枚400円くらいで収まる。飽きたらまた別の曲をやるし、ときどき思い出して前にやった曲を吹いてみて自分の中の変化に目を向けると、ちょっとは上手になったかな?と思って自己満足する。それだけでいい。
子供の時にやっていたバイエルをひたすら反復する練習は何だったのか。中学のときに面白さが全く分からなかった低音をひたすら鳴らしていたのは何だったのか。そんなことやる必要なんてなかった。自分が好きな曲を適当に吹いてひとまず満足して、そしてまた戻ってきて高みを目指したり目指さなかったりすればいい。そう言う物だったんだな。
今にして思えば父親が俺に音楽を教えてきたことは無かった。たぶん、彼は今の俺と同じことが分かってて練習を強要するんじゃなくてやりたくなったらやればいいくらいのスタンスだったのだと思う。俺もそういう気持ちで子供に接して行きたい。
今日は飲むぞって決めて、ちょっと良いウィンナーを買って帰る。
家に着く、カバンと仕事着をてきとうに放り投げて、まずは昨日の晩御飯の残りをレンジで温めながら、気温差でほのかに水滴をまとった缶ビールを流し込む。
一日の疲れがどっと出てくるようで、休息以上に解放感に満ちた心と体が栄養と快楽を欲するのが分かる。
チン、という小気味良い音で一つ目のつまみが出てくる、昨日作った文字通り豚バラ肉とじゃがいもだけの、肉じゃがが、盛大な湯気と醤油の香りをまといながら、食卓と呼ぶにはあまりに粗末な折り畳みテーブルの上に鎮座する。
匂いだけでビールをもう一口、甘めの味付けの豚バラ肉を追い掛けるように口に放り込み、さらに駄目押しでビールを流し込む、一呼吸終えて出た溜め息は演奏を終えたオーケストラにおくる拍手と同義である。
あっという間に無くなったいぶし銀なスーパードライの空き缶をくしゃりと握り潰し、引き換えにビニール袋から取り出したストロングゼロ ダブルレモンのプルタブをこじ開ける。
辺りに漂う先程とは違う濃厚なアルコールの匂いに、肝臓が嫌でも引き締まる。
ここで先ほど買ったウインナーの登場だ、レンジ対応の薄汚れた引き裂いた袋からこぼれ落ちるウインナーを落ちないようにだけ積み上げる。
それは人為的な盛り付けではなし得ない、燃え尽きる前の一番に火が盛り上がるキャンプファイヤーの崩れかけの土台のような、雄々しさすら感じさせる自然に出来た肉欲を満たす櫓だ。
そのままレンジに投入し、タイマーをぐるりと回す、燃え尽きるまでの時間は3分、芳ばしい肉の匂いだけでもう一口酒が飲める。
早くも500ml缶の半分が空いたレモンサワー、キツいアルコールの味を塗り替える強烈な肉の味に涎が止まらない。
レンジから再度鳴るチンという音は、人生を掛けて戦う男たちをリングに呼び戻すゴングそのものだ。
ウインナーを噛る、硬い、なんだこれ。
父親が息子をモーツァルトの再来に仕立て上げるべく7歳3ヶ月だったのを6歳とした話は読んだ。そのせいでベートーヴェンは中年すぎまで自分の年齢を正確に把握できなかったとか。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』では、父親はアル中でとんでもない奴だけど根はいい奴で、自由主義者としてベートーヴェンを導く役割を果たしている。まあさすがにこれは現実ではなかったかな。なおこの漫画の中でもベートーヴェンの難聴の驚きの理由が判明している。
青木やよひ『ゲーテとベートーヴェン』には、父親が宮廷に出した手紙の書き出しが「尊敬すべきお慈悲深き大司教兼選帝侯殿下」、結びは「御足下にひれ伏し服従申し上げます」だったと書かれている。ベートーヴェンと父親の関係については、ベートーヴェンが、バッハのカンタータの未完成写譜を「父が書き写したもの」と書き込んで大切にしていた、とある。
謎の女=死
ヴェーゲラーはベートーヴェンの5歳上。ロールヘンは2歳下。ヴェーゲラーとベートーヴェンの出会いのきっかけは明らかではないらしい。ヴェーゲラーの紹介でブロイニング家に出入りするようになった。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』ではヴェーゲラーは出てこないが、ロールヘンとの出会いは本作と似ていて、いじめられてたベートーヴェンをロールヘンが助けるシーンになっていた(ただしこれがきっかけでブロイニング家に出入りするようになるわけではない)。
ここで出るか。
強さ、か。生きるための、成し遂げるための。
fffはFuto Final Forever説を信じているけど、第2場で触れた通り交響曲第7番と第8番でベートーヴェンが史上初めてfffを使ったとのこと(第7番は手元にスコアがあるので確認済み)。これは、難聴が関係していたのではないかなと邪推している。難聴の時期は高音があまり使われなくなった(=自分で聴こえる音で作っていた)らしいし。そしてほぼ聴覚を失ってからは高音が再び使われるようになった、というか、第九は演奏困難な高音であったと。そしてこれも触れた通り、第九にはfffはない(オーケストラの編成の大きさも関係してるのか?)。第九は、実際ちょっと常軌を逸した曲だと思う。聴覚がないからこそ書けた曲。第4楽章のコントラバスとかもそうだけど(これはベートーヴェンのお友達コントラバス奏者のドラゴネッティのせいか)、第3楽章。美しい理想が見えるけど、理想に近い演奏を探してみたけど出会えなかった、何年も前の話だけど。オーケストレーションに難あり、だよなと。もしくは時代がまだベートーヴェンに追いついていないのか。
実際は出入りする間に自然と啓蒙思想に触れていったのかなと想像。
なんか泣ける。朝美マジック?
あらきた。1804年12月。
謎の女「心のおともだち、ナポレオン」
んーー、第4場Bで少し構えていたけど、ここハイリゲンシュタットの遺書だったのかあ。いつの間にかハイリゲンシュタットに移動してた?劇場のままかと思っていた。時間もほんとは結構経ってる設定だったのかなあ(ナポレオンの戴冠式はあったけど、もともとの劇場の時間もふわっとしてるし、伝わるのに時差あるかなと思うし。あ、謎の女からの情報だからリアルタイムだったかな)。気が付ける要素あったかなあ。
難聴や失恋からくる衝動は救済の記憶でおさまった後(実際の遺書ではただ"芸術"が引き留めたと)、心のおともだちナポレオンが皇帝になったショックからのシーンだしなあ。
ベートーヴェン(歌)「
歌い続けろ 聴こえない カラダ
歌い続けろ カラダ カラダの そとに
歌い続けろ 中に鳴り響く音
歌い続けろ 出し尽くすまで
大きく 大きく 大きく もっと
強く 強く 強く きっと
たとえ命 たとえ魂
この体が朽ち果てても
たとえひとり 声もしない
孤独の道 ひた走ろうと」
「大きく」「強く」 3回ずつ(=fff)。
ハイリゲンシュタットの遺書から該当しそうな箇所を以下に抜いてみる。
私を引き留めたものはただ「芸術」である。自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。そのためこのみじめな、実際みじめな生を延引して、この不安定な肉体を――ほんのちょっとした変化によっても私を最善の状態から最悪の状態へ投げ落とすことのあるこの肉体をひきずって生きて来た!――忍従!――今や私が自分の案内者として選ぶべきは忍従であると人はいう。私はそのようにした。――願わくば、耐えようとする私の決意が永く持ちこたえてくれればいい。――厳しい運命の女神らが、ついに私の生命の糸を断ち切ることを喜ぶその瞬間まで。自分の状態がよい方へ向かうにもせよ悪化するにもせよ、私の覚悟はできている。(片山敏彦訳)
遺書の中の「難聴の苦しみ」「孤独の叫び」「自死願望」ついて参考までに抜き追加。長いけど。一部難読字は平仮名に、一部ルビ省略。
社交の楽しみにも応じやすいほど熱情的で活溌な性質をもって生まれた私は、早くも人々からひとり遠ざかって孤独の生活をしなければならなくなった。
しかも人々に向かって――「もっと大きい声で話して下さい。叫んでみて下さい。私はつんぼですから!」ということは私にはどうしてもできなかったのだ。ああ! 他の人々にとってよりも私にはいっそう完全なものでなければならない一つの感覚(聴覚)、かつては申し分のない完全さで私が所有していた感覚、たしかにかつては、私と同じ専門の人々でもほとんど持たないほどの完全さで私が所有していたその感覚の弱点を人々の前へさらけ出しに行くことがどうして私にできようか!――何としてもそれはできない!――それ故に、私がお前たちの仲間入りをしたいのにしかもわざと孤独に生活するのをお前たちが見ても、私を赦してくれ! 私はこの不幸の真相を人々から誤解されるようにして置くよりほか仕方がないために、この不幸は私には二重につらいのだ。人々の集まりの中へ交じって元気づいたり、精妙な談話を楽しんだり、話し合って互いに感情を流露させたりすることが私には許されないのだ。ただどうしても余儀ないときにだけ私は人々の中へ出かけてゆく。まるで放逐されている人間のように私は生きなければならない。人々の集まりへ近づくと、自分の病状を気づかれはしまいかという恐ろしい不安が私の心を襲う。
私の脇にいる人が遠くの横笛の音を聴いているのに私にはまったく何も聴こえず、だれかが羊飼いのうたう歌を聴いているのに私には全然聴こえないとき、それは何という屈辱だろう***!
たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。みずから自分の生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。
ナポレオンきたー!
か、かっこいいやん、、そしてまさかのコロナを逆手に取ってオケピ使って演出してくるとは
ベートーヴェン「タッタッタタッタタ」
「タッタッタタッタタ!」
こんなリズムあったっけ。
モーツァルトさんベートーヴェン君のこと覚えててくれてありがとう。
これは、自筆なのかな。
あ、これ一時期待ち受けに使ってたやつと多分同じ。やっぱ自筆だ。
あ、この3人ひとりひとりがfで、3人でfffてこと?
うむ。
ベートーヴェン「くらいよるーにめざめてー」
真彩さんどっかにきた!
お、史上初めてfffが使われたのは交響曲第7番だけどそこはやはり変えますね(さらにすぐ手に取れる手元のスコア2種を見る限り第九にfffは無い)。もっともっとじゃないのか。
?
ヘンデル「そうだ、この雲を、耳に入れるんだー!」
主要人物顔見せ(謎の女は声のみ)と、時代状況、難聴の原因の提示。
交響曲第3番もかっこいい(実在のベートーヴェンがすごいだけ。いやアレンジもかっこよかった)、よく動くセリと盆もかっこいい、ナポレオン軍・市民・楽団員の群舞もかっこいい。ナポレオン軍の衣装もかっこいい。ベートーヴェン、ナポレオン、ゲーテの登場もかっこいい。
クラシック音楽が最近話題だけど、クラッシック畑の人々の音楽の語り方は本当にカッコいい
○○派とか□□以前とかxx世紀とか、そういうワードがポンポン出てくる
さすがクラッシュク、古典というだけあって、やっぱ蓄積ってもんが違うのかもしれない
いや、でもクラッシュクーだけじゃなくて、ジャズとかロックでもそういう語り方してる人はいるんだよな
コルトレーンとナンチャラの絡みが云々、このバンドはUKの影響を強く受けていて云々……
たぶん、どんなジャンルだろうとその気になれば体系的にツラツラ語ることはできるんだろうなと思う
俺もアレができるようになりたい……と思いつつ、全然できる気がせん
リバティーンズはザ・ストロークスのフォロワーで、Reptiliaをカバーしたのがバンドとしてはじめての活動だったらしい!みたいな、瑣末な知識しかない
ストロークスはガレージロック・リバイバルのバンドだ!っていうのはストロークスファンとして知ってるが、他のガレージロックリバイバルバンドは知らんし、そもそもリバイバルじゃないガレージロックのことも全然知らん
最近はiTunesのおかげで聴く曲の幅が広がったけど、ひとつのバンドへの掘り下げは浅くなってしまった
アルバムを通しで聞くのはよほど気に入ったやつだけ……なのは前からそうだけど、一度も通しで聴きすらしないことが増えた
気に入った単曲のつまみ食いばかりしていて、繋がりみたいなものを把握できてない
つか、クラッシュバンディクー趣味の人たちってどうしてるんだろう?
アルバム(?)を通しで聴く、みたいな営為、クラッシュ万ディクーでやると相当キツイイメージある
個人的に好きな歌モノ、ペルゴレーシさんのStabat Materなんかも、三曲も聴くと眠りの世界に誘われてしまう
そもそもクラッシュ万事休す、というか管弦楽曲、生で聴いてすら眠くなるからなあ
昔相当うまいオーケストラの演奏会行ったとき、かなり感動し、もっと聴きたい!と思いながら寝るという謎の体験をした
あれどうやったら集中しつづけられるんだ?
とにかく、体系的に語りたいんですよね
なんとかできねえかなあ
https://anond.hatelabo.jp/20210210234834
本当に初心者への教え方ってもんがあろうに。
ここはお前の知識ひけらかしの場じゃねえ!(「え、あの程度でひけらかしとか…」って思うお前がすでにもうダメ)
まずだな。
(1)誰でも聴いたことのあるメロディーを含まれているもの。もしくは非常にノリがいいもの。
(2)できるだけ短いもの。
(3)ジャンルを選ぶ。
こんな感じ。
ポップスしか聴いたことのない奴は、クラシックはとにかく長い・退屈と思ってしまうから、交響曲とかをいきなり勧めてはいかん。勧めても1つの楽章だけだ。組曲も全曲じゃなくて1つの楽曲だけを紹介しろ。
(3)はオーケストラが好きなのか、ピアノが好きなのか、くらいでいいと思う。
オーケストラもしくは弦楽で、聞き覚えのあるメロディがあるものならこんな感じだ。よく入門的なCDやレコードにある奴だけど、そういうふうに導入としてすでに確立されているわけ。
10曲を厳選する。
・パッヘルベル「カノン」(「3つのバイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」)
・ベートーベン「トルコ行進曲」(劇付随音楽「アテネの廃墟」より)
・チャイコフスキー 組曲「くるみ割り人形」(これは全曲どれも有名なのでOK)
・モーツアルト 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(第一楽章だけでも全曲でもOK)
こうやって書くとなんか本当に「初心者向け」っぽくなるが、それでいいんだよ。初心者向けなんだから。自己顕示やめろ。
まあ、それを聴いたら、アレだ。ちょっと難しいのに手を出してみるのもいいな。
なんでそういうデマを広げるんですか?
リュート奏者の佐藤豊彦さんが最初のLPを出したのが1971年で、ハーグ王立音楽院教授に就任したのが1973年です。
そして、有田正広さんがブルージュ国際音楽コンクールのフラウト・トラヴェルソ部門でダントツで第1位を取って賞賛されたのが1975年ですよ。
同じ時に東京リコーダー・カルテットがリコーダーアンサンブル部門で優勝しました。山岡重治さんらのグループです。
有田正広さんは、その後70年代中からコレギウム・アウレウムのメンバーとなって活躍されてました。後には18世紀オーケストラなどにも参加。
また、オトテール・アンサンブルの活躍開始も70年代です。アルヒーフからレコードが出てましたね。(今はCD)
中世の音楽についても、皆川達夫さんの主催する中世音楽合唱団がありましたし、岡本一郎さん主催のダンスリー・ルネサンス合奏団の結成も70年代(1972年?)でした。
その後、主な団体だけでも、東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの活動開始が80年代。バッハ・コレギウム・ジャパンの活躍開始が90年代、ヴォーカル・アンサンブル カペラの活動開始も90年代です。