はてなキーワード: 露天風呂とは
旅館に2泊ってしたことないんだよね、同じところでさ。でも2泊したっていいよね。
山奥の温泉とかで、温泉街とまではいかなくともちょっとした集落になっているようなところでさ。
初日はとりあえず17時とかまでに到着して、お風呂のち食事。お酒頼んじゃったりしてさ。普段あんま飲まない日本酒とか頼んじゃったりして。多少強い酒でも旅館だからそのまま寝られるしいいよねって。
でもほら、旅館の食事って18時とかからだったりするから、結構夜は暇だったりしてさ。
テレビでも見ながらぼんやり過ごしたら、ちょっと腹ごなしもかねて外を歩いてみたりしてさ。
星が見えても見えなくてもいいから適当になんか散策できる天気ならそれで良いいよね。
それで寝る前にもう一回露天風呂とか行って、それでまた部屋でぼんやりしてから就寝だよね。
1泊ならそれで翌日帰るわけだけれど、2泊なら1日暇な時間が丸々あるよね。
普通ならそういう時、登山に出掛けたりハイキングに出かけたりするんだろうけれど、そういう「頑張る」やつは極力控えめにしてさ。なんかちょっとした地元の温泉神社とか行って見たり、川に降りて行って見たり、小さな資料館に顔出してみたりさ、そういうのでいいよ。ああでも、外湯とかがあるとそれはそれで嬉しいな。お昼ご飯の時間だけ考えて、あとはもう適当に過ごすのがいいよね。
行きたいところは多少ピックアップしておくけれど、別に行けなくてもいい。それくらいの気持ちで、ゆっくり歩く。
近所に道の駅みたいな場所があればそこでコーヒーでも飲んでもいいし、そういうところがないなら宿に戻ってお茶を飲んだりしてもいいよね。地元のお菓子なんか買ってみたりしてさ。自由だよ自由。本当に自由。
夕方になったら部屋に引っ込んで、眠くなったらちょっとお昼寝したり。眠気覚ましに温泉に行ってもいいよ。
そしたらもうほら、また夕ご飯だよね。2連泊だとちょっとメニューが変わっていたりして、そういうのもいいよね。お酒もちょっと変えてみたりね。
翌朝の朝ごはんもしっかり食べてさ。旅館の朝ごはんってのは美味いよなあ。前の日に食べたエビの頭とかが入った味噌汁とかそういうのも憎いね。2泊目だから飽きているかと思いきやそんなことはなく、お代わりしちゃったりしてさ。卵かけご飯とか久しぶりに食べるよ、ってなったりしてさ。近所の生みたて卵だったりするんだよな。あとは烏骨鶏の卵だとかさ。
もうなんて言うか、普通でいいんだけれど、普通の贅沢がしたいんだよね。3万とか出したら2泊でこんな旅館に泊まれるかなあ。行きたいな。
全くどうでもいい記憶が蘇った。小学生の頃、自分の理想の家を描いてみよう、という宿題があった。自分は築40年は建っているだろうボロボロな戸建てに住んでいたから、せめて理想の中だけでもと全力で家を描いた。
部屋がとにかくたくさんあって、部屋同士はハシゴや階段で行き来している。扉も屋上もふんだんにある。最終的には世界樹とでもいうべきでかい樹を中心にして、ログハウスみたいになった家を作っていた。生活動線とかどういう人間が住むとか考えなしの凄いやつ。高知県の沢田マンションみたいに思いついた分だけ増改築していった。
当然、絵はよこからみたものしか書けていない。一般的な見取り図はなく、外観を俯瞰したものもない。子供が書く子供が思う家そのものだ。
でも今の俺が考える理想の家なんかより遥かに楽しそうだと思う。ペット専用にでかい部屋を作ったり、なぜか高いところにある駐車場とか。キッチンには煙突があったり風呂が露天風呂だったり。
それに比べて、今俺が思いつけるのは「太陽光発電はつけないようにしよう」「窓のサッシはオール樹脂サッシで20年単位で取り替えよう」「できるだけ平屋に近づけてバリアフリーにしよう」とかだ。
夢も希望もない。単に老後のための家に過ぎない。
みんなまとめてアイドルマスターはもう色々と無理かもしれない。
アイマスという作品は複数シリーズが世代交代無く同時に走っている、良くも悪くも独特な作品である。ガンダムとかもそうなのかもしれないが、そこら辺と違うのはキャラもプレイヤーも男女ごちゃ混ぜにされることがあることだ。
そんなのどう考えても地雷だろって? そうだよ。
自分も今まで長く付き合ってきたけど、時に雨風をしのぐようなこともあったさ。
ただ、最近になって内々の学級会じゃ済まないことが出てきたのでここに書くことにする。
具体的には、俗に言う"みんマスおじさん"からナンパ(もしくはそれに近いことを)されたという相談をこっそりもらうようになったことだ。紹介されて相談されることもあり、名誉なんだかなんなんだかというところ。
みんマスおじさんとは、アイマスの全シリーズみんなを推している(と騙る)おじさん達で、自分個人の印象としては非常にタチが悪い。一点あげると女性の地雷を簡単に踏み抜く。
ナンパの場はリアルならライブ、オンリーイベ、オフ会等、ネットならツイッターだのディスコだのだ。色々な話を聞くにどうもこういう事例は2つに大別できるらしく、
オタク女漁りたい勢(アニメイト付近でナンパしてるような奴ら)
アイマス婚を信じちゃってるやべーやつ
があるようだ。
前者はどうにも避けようがない。他の作品でも居るんじゃないだろうか。もはや事故のようなものと思うしかない。大抵どこのアイドルの名前もあまり出てこないようで、もうどうしようもない。
ただ後者は痛いしやべー。
たまにラジオとかで読まれる"アイマスが縁で結婚しました!"メールを額面のままで受け取り、自分もそうなれると思い込んでいるようなのだ。言い寄られた側としては恐怖しかないだろう。
そして、みんマスおじさんはここに属する。
自分が聞いた被害(?)事例はシンデレラ界隈が多い。圧倒的に多い。乱暴に言うと男性向けコンテンツなため、自分の主戦場だと思っているようだ。
特異な特徴としては、挨拶代わりにミリオンの話題でマウンティングしてくる場合がある。ミリオン界隈の方々には非常に申し訳ないが、そんなん恐ろしいと言うほかない。
(最近の話題としてレイジーレイジーデッキを手に入れたのでそこら辺注意しよう。非常に申し訳ない。)
次点がSideM界隈である。理由は恐らく、女性が単純に多いからだろう。
大抵共通していたのが、木星ぐらいしかロクに知らない。あと涼。会話の取っ掛かりに木星デッキを出してくる奴はほぼアウトと言っていい。
そもそもとして、自分個人としてはSideMのライブに"アイマスだから。"で出張ってくるおじさん連中からしてあまり良く思っていない。混浴の露天風呂に気合入れて入ってくるオッサンのような印象しか抱かない。
どうにかならないものだろうか。
と書き散らしたが自分が相談を受けても、そいつのエアプポイントを列挙した後に、「同作品推しの情は捨てよう。リアルを知られていないなら勇気を出してブロックしよう。」ぐらいしか言えないのが実情だ。
誰かもう少しマトモな対応があったら教えて欲しい。みんながみんなではないだろうが、リアルからの解脱を求めてアイマスに触ってるのに直結するのはどういう精神だ?
ポプマスが出てスタマスがこれからということで、公式からしてみんマスを推してる中、これから被害事例が増えるかと思うと非常に頭が痛い。無理。ガミPたすけて。
急ではありますが、久々の休みをもらいました。ただの風邪派としては、家で居るわけにもいかないので、スーパー銭湯に行ってきました。
電車に乗ります。我社は、出勤時はマスク着用が義務付けられております。会社の最寄り駅でマスクするのも変なので、いつも布マスク鼻マスクで通勤しております。
帰りは、会社を出て軽く夕食を食べればそこで、自宅で夕食を食べる時は会社の最寄り駅でマスクを外します。
今日はプライベートなので当然ノーマスクです。朝からノーマスクで電車に乗るのは久々であります。
スーパー銭湯到着。マスクしないと入場不可らしいので、しぶしぶ手持ちの不織布マスクをします。面倒なことを避けるのが私のもっとうです。体温測ります。アルコール消毒などは当然いたしません。
朝風呂入ります。混んでいます。爺や休みで暇そうな大学生で混んでいます。朝風呂気持ちいです。社畜共(普段は俺もだが)が出勤している時に、入る露天風呂が最高です。
風呂の後は、岩盤浴へ。汗をかいたら、休憩コーナーでコミックでも読みます。いつのまにか未読が増えているキングダムでも読みます。マスクしろと書いていますが、強いお願いなのでしません。意識高いです。俺。
周りを見ると、老若男女いますが、マスクは誰もしていません。数十人居るなかで、なぜか男子大学生二人組だけマスクしています。なんだろうこいつら。コロナ脳ならこんなとこ来ないだろうから、マスク厨なのかマスク依存症なのか。
昼になったのででスーパー銭湯を後にします。スーパー銭湯内にも飯屋はありますが、値段のわりにマズイのでパスします。コロナ前は、飯屋利用のみの客もいて混んでいましたが、ガラガラです。
バイキングがなくなり、この値段で、密密なら来る客はいないのは不思議ではありません。ここが潰れてもコロナ脳のせいではないと思います。
近所のラーメン屋で昼食です。うまいです。緊急事態宣言下なので空いているかと思いましたが、13時を超えても行列です。
イオンがあるので、お買い物でもします。緊急事態宣言下とは何なんでしょうか。激混みです。皆さん、意識高いです。
フードコートでクリームブリュレパイを食べます。チョコよりこっちがうまいです。みんなノーマスク。わいわい喋っております。やっぱ意識高いのが日本人です。
東京の今日のただの風邪の検査で陽性がでた人数は、618人だそうです。着実に減らしております。五輪を開催するには、減らすしかありません。ただの風邪派ですし、五輪は興味ないので、開催しようがしなくてもどっちでもよいのです。
夜は少し早めに一軒目系の居酒屋ですましました。早寝早起きの私ですので、コロナが流行るらしい20時以降に外に出ることはあまりないのです。
ではおやすみ。
ひなびた感じの旅館がいいな
入ってすぐの受付に意外と人がいなくて、スミマセーンとか声かけるのをちょっと躊躇するあの時間もいまは愛しいぜ
台帳書いたりしつつ期待を膨らませ、部屋を案内しますねと言われたところでテンションはピークに
旅館ってなんか静かなんだよな 足音がギシギシ言うのだけ聞こえるなか部屋に向かうのがまたいい
部屋、大抵まあショボいんだよな 景色も特に見えんし別に広くもないし、ホンノリ薄汚れた感じもする でも掃除が行き届いてないとかではなく、積年の味とも解釈できる
中居さん的な人が出ていってからの時間が一番楽しい とりあえずウロウロして、茶なんかを淹れてみたり、謎のお茶菓子を食ったりする
旅館にあるテレビのリモコン、なんか分厚い感じがすることが多い そうでもねえかな
知らん地方のテレビ番組!と思いながらザッピングするんだけどまあつまんねえんだよな つまんなさはどこも一緒だよなと思いつつ、時折感じられる地方色を探すのも一興
広縁に出てショボい景色を見たり椅子に座ってみたりするのもいい アレ何が楽しいのかわかんないけど異常に楽しいんだよな なんなんだろうな
さあ、飯までの間にあたりを散策するぞ!って気分ともうずっと横になってダラダラしてたいって気分の戦いが常にある
いっそはじめから散策なんてしないつもりで来れたらいいんだろうけど、どうしても外に出ないと損な気がしちゃうんだよな 貧乏性だから
で、外に出てみて後悔したことは今のところない なんか楽しいんだよなあ 荷物が減って、確実に帰れるし飯まで出してくれる場所がある状態で歩き回るっていうのがポイントなのかな
旅館のメシ多いんだよな 後半に出てくる釜飯とかはもはや味がしねえと思いながら食うことが多い それもまたよし
温泉、好きなんだけどよくわかんねえ 家の風呂に入浴剤入れて入るのとどう違うのかと言われるとガチでわからん でも脱衣所も湯船も広いし、露天風呂なんかがついてることもあるし、やっぱなんか、良いんだよな
あと男湯女湯ののれん周辺を歩いてるときには修学旅行とかをちょっと思い出してドキドキ感がある タイミングよく好きな子の風呂上がり姿を拝めますように!と思いながら大浴場に向かったのを思い出す(拝めなかった)
旅館で風呂上がったあとの時間のこと全然思い出せねえ あまりにくつろぎすぎて家にいるのと同じ状態になってる説あるな
でも、21時台の地方ニュースとか見るのはなんかグッとくんねんな あの気だるさと静けさと心地よさ!ホンマにええ
そして寝る 布団の寝心地、あんまり気に入らないことが多い いつもショボい湿った布団で寝てるからあんまりフワフワされても困る
そんでなんか朝7時とかに目が覚めるんだよな まだ早いんだけど朝食の時間とかもあるし、ちょっと落ち着かない朝の時間を過ごす それもいい
年取るにつれてBLコンプライアンスがどんどん厳しくなり「風邪ひいた受が色っぽくて抱く」「仕事中に会議室で」「温泉の露天風呂で」などの昔は読めたものがコンプライアンス違反で読めなくなってしまってきた🙅🏻♀️
BLコンプライアンス、別にいいっスけど、このひとナルトのカカシ先生とイルカ先生のカップリングやってるんだよな
カカシ先生とイルカ先生、俺の記憶だと同性愛者とは読めなかった というかまあそれだけならまだ許せるんだけど(追記:一貫性を保つならやっぱここ許しちゃダメだな!)、カカシ先生の方はどちらかというと異性愛者に見えたぞ イチャイチャタクティクスとか好んで読んでたし(まあ同性愛者でも異性愛の恋愛本くらい読むだろうけど!) アニオリでカカシ恋歌なる回があったという情報もあり、とにかく同性愛者とは看做しにくい
ええのか?勝手に定めたあんまり原作に沿ってるとは言えないセクシャリティをキャラに押し付けて二次創作するのはええのか?
俺的には風邪ひいてるときに(合意の上で)セックスするより、他人の生み出したキャラのセクシャリティを歪めて二次創作することのほうが「コンプライアンス」違反に見えるんですけど……
アレなのかな カカシ先生もイルカ先生も原作中で恋愛描写少ないし、かなり綿密な読みのもと同性愛者だったって結論を出した上でやってんのかな それならまあ文句もねえけどな……
異性愛でもそうだけど、カップリングってポリコレ的にかなり危ないと思うんだよ 明確に描かれてないセクシャリティを貼り付けちゃダメでしょ
カカシ先生に関しては異性愛者もギリセーフ(?)、イルカ先生は完全に謎 アセクシャルの可能性もある
アセクシャルキャラに恋愛させるのはアウトじゃん異性愛でも同性愛でも両性愛でも
いや、本音を言うとどうでもいいよ
でも合意とかその辺を重視するならそれよりもっと根幹の部分にも注目するべきなんじゃねえかって話だ
ホモフォビアとか言って差別主義者扱いしたら勝ったことになるって考えが気に入らん 俺は異性愛カップリングもダメさでは同じだと思うぞ
田舎の底辺暮らしはほんとに生きてくだけで大変だゾ。特に冬は辛い。
夜中。
寒くて何度も起きる。耳が冷えすぎて頭が痛いので、耳を手で畳んで寒さを凌ぐ。
部屋の気温は5度から7度。雨が降らず、風が吹かないだけマシか?
湯たんぽを必死に抱いて布団を体に巻きつけて寝る。洋服は上下ともに重ね着マックス。もこもこして寝苦しい。タイツの上に靴下を履き、さらにルームシューズを履いているのに足がかじかむという寒さ。もはや人権侵害の領域。
朝。
布団を畳む。しきっぱなしにしたいが、部屋が狭いので邪魔なのだ。何枚も布団を重ねているので重い。リビングに移動し、朝ご飯を食べる。周りにコンビニやカフェはないため、ご飯を炊き忘れたり、パンを買い忘れていたらその日はもう諦めるしかない。
昼。
休みの日は家事で1日が終わる。ネットスーパーもないので、買い出しは車で1時間のスーパーに行く必要があるし、食洗機はないので食器は洗わないと行けないし、洗濯機はあっても洗濯乾燥機はないので、自分で干さないと行けないのだ!ウーバーイーツもなければ出前すら無い。体調が悪くても自分で作るしか無い。(出前は頼めるかもしれないが、お金がないので頼んだことがないので存在を知らない)
洗濯には風呂の残り水を使うし、冷蔵庫に製氷機能はついていないので、氷は氷皿を使って自分で作る。「丁寧な生活」を楽しんでいるわけではない。お金がないから最新の家電が買えないのだ!
柔軟剤無しで天日干しした洗濯物の硬さを君は知っているか。柔軟剤ありで、乾燥機にかけた洗濯物のかける100杯ぐらいゴワゴワしている。そして臭い。
夜。
お風呂に入る。唯一体が芯からあったまる瞬間だ。追い焚き機能が無いので、後の人に遠慮をしてお湯の量に気を配る必要がある。
お風呂場は殆ど露天風呂といっていいぐらいの寒さなので、体を洗っている間に体が冷えてくる。そして湯船の湯もすぐ冷めてしまう。
浴室内の床はタイル張りなので、浴室には寒さ防止でマットを2枚敷いている。お風呂が最後の人は、マットを上げて、床をお湯で軽く流してあげる必要がある。
朝と逆に、布団を敷く。地味に面倒くさい。
思春期である。普通のプールに行くことを考えるだけでムラムラが収まらないのである。そんなさなかに、教科書や参考書の隅っこにビキニ姿の女性が踊っているのを見て、平常心でいられるはずがあるだろうか。
だいたい、カーニバル衣装のビキニのパンツ部分から下がっているふんどしというか前垂れというか、極限まで深くしたスリットみたいな、あれをみても平静ではいられない。たまにファンタジーものでもそういう名前がわからないけれどもふんどしというか、マーニャの踊り子衣装みたいなのがあるのだが、あれってめくったらどうなっているんだろ。鳥山明に聞いてみたい。
カーニバル、つまり謝肉祭とは、四旬節という物忌みの期間直前のお祭りであり、しばらくは肉料理が出なくなる。要するに遊ぶだけ遊んで翌日からは真面目にやる日、というわけだ。別の説によれば異教の祭りが起源であるのだが、どちらにしても現在ではキリスト教の暦と密接に関係している日である。ちなみに、この四旬節が明けて過ぎ越しが明けた日がイースター、復活祭に当たる。
ウィキペディアによれば、黒人と白人の音楽の混交から生まれた音楽・ダンスを指すそうである。もう少し詳しく述べると次の通り。
音楽としてのサンバはダンス音楽であり、19世紀の終わりごろブラジル北東部の港町、バイーア(現:サルバドール)で生まれた音楽が源流となった。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が集められ、売り買いされた場所であった。その後、白人文化からの影響も受けながら1910年代に確立し、1930年代に普及と隆盛を迎えたそうである。内容も黒人の生活や人種差別から抒情的な内容も含むようになっていった。
ダンスとしてのサンバもまたバイーアに住んでいたアフリカ人奴隷の踊りが元となっていて、足や腰の動きを基本とし、ほとんど即興である。ポルトガルの文化と混交してリズムや踊り方が変化した。伝統的には音楽を演奏しながら周りで手を叩きながら輪を作って踊り、交代で人が中に入って踊るが、これをサンバ・ジ・ホーダ、サンバの輪といい、都会のサンバの進化にも影響を与えた。これは今や、ブラジルの文化的なアイデンティティとなっている。
現在のサンバショーでは現代の欧米のダンスを取り入れた振り付けだが、あくまでもサンバは基本的に即興の踊りが中心で、またその醍醐味であるそうだ。
なお、日本に初めてサンバが紹介されたときには知識が不足していたせいか、キューバのマンボと混同していたり、なぜかメキシカンハットをかぶっていたりと文化考証がめちゃくちゃで、冒頭に引用した語句のように、今でもこの誤解を引きずっている人は少なくない。マツケンサンバだってサンバとはちょっと違う。
Rio de Janeiro's Carnival Costumes Throughout the Years - ABC News(不幸にして画像はリンク切れ)
The History and Tradition of Rio Carnival Costumes - Bucket List Events
カーニバルの仮装はイタリアにその起源を持ち、その伝統はポルトガルにまで広まった。それが植民地のブラジルにもたらされた。誰が誰だかわからない、そういう楽しみであろう。
1930年まではブラジルの社交界の人々は平民たちの視線のなかで、豪奢な衣装や仮面を見せびらかして歩いていた。仮面は動物や悪魔の形をかたどったものや、イタリアに起源をもつ道化の顔もあった。
1930年以降、庶民もカーニバルに参加するようになった。しかし、当然のことながら高価な衣装は身に着けられないし、2月のブラジルは非常に暑い。そこで、明るい色を身にまとうことになった。カーニバルのパレードは1932年に端を発する。
そこから徐々に衣装の軽量化が始まった。1950年にはすでに男性は上半身裸、女性はビキニ姿になっていたことが確認される。水着のビキニが1946年に誕生しているので、非常に適応が早い。海以外でビキニ姿になったことを考えれば、全く持って革命的である。
1970年代になるとサンバ・スクールが組織化され、現代のように洗練され始める。この産業が衣装の豪華さを支えている。実際、テカテカビキニばかり有名だけれども、他のメンバーの極彩色の衣装は露出が少なくても見ていて楽しい。こうしたサンバ・スクール(エスコーラ・ジ・サンバ)は学校を名乗っているが実際は組織化されたダンスグループで、最大で4000人の規模にも達する。舞踏や衣装のスタイルに違いがあり、区別される。なお、ダンサーだけで4000人であり、衣装を準備する人やその他オーガナイザーは含んでいない。
また、同時期にサンボードロモ、つまりサンバを披露するためのエリアが作られる。ウィキペディアによれば、通常は、サンバ・スクールのパレードが展開できるほど長い空間を、観覧席が取り囲むような構造になっているそうだ。阿波踊りの会場みたいなものか。そして、リオデジャネイロのサンボードロモの場合、中央のパレード空間の長さは700メートルに及ぶとのことである。ブロコス、カーニバルのブロックもまた作られた。
現代では、ほとんどあらわになった胸に紐パン姿も散見される。英国のタブロイド紙がこうした乳首の露出やフェイクの乳首について記事を書いている。
今のところ、全裸は許容されていない。とはいえ、ルールを守らない人もおり、そのせいでサンバ・スクールが時折資格を剥奪されることさえある。そういう格好で踊っている人が見たければxvideosかpornhubをご覧いただきたい。野外で全裸になるのは露天風呂でもわかるように最高なので気持ちはわかるが、ルールは守りましょう。
Hyper sexual Carnival atmosphere has a dark side for Rio's women | The Independent | The Independent
ここで記者は、カーニバルのビキニの女性たちは過度に性の対象となっている、モノ化しているのではないか、と指摘している。つまり、パレードで疲れた男性たちを鼓舞するように休みなく踊り続ける半裸の女性、いわゆるボンキュッボンの「理想」的な体型で選ばれるサンバの女王たち。少年たちがサッカー選手に憧れるように、テカテカのビキニの女性に憧れる少女という構図。一見エンパワーメントされているようだが、実際は? しかも、カーニバルでは性暴力の数が圧倒的に増える。その場の雰囲気で強制されたキスだけでなく、強姦も含む。こういう空気を嫌ってか、カーニバルの期間は脱出する人もいるそうだ。
自分は、よその文化だから評価できる立場にはない。ただ、たとえば「理想」的でない体型の女性も選ばれたらもっと素敵になるかもしれない、と思うのだ。昨今、モデルの体型をやせ過ぎにするのはやめよう、という運動が起こっている。それに、いわゆる美人ではないしスリムではない女性が芸能界で活躍することが増えた。自分の好みではないが、とてもいいことだと考えている。貧乳でもいい、毛深くてもいい、ぽっちゃりでもいい。そういうメッセージが社会全体に広がることで、あなたはあなたのままでいいという空気を作ってほしい。あなたをあなたのままで尊重する、そうすることで暴力の少ない社会にしていきたい。
過度に性的な空気は似たようなイベント、ニューオーリンズ・マルディグラでも問題になっている。家族で過ごすイベントである側面もありながら、野外で全裸になる人も後を絶たないのだ。ブラジルから外れるので詳しくは述べる余地がないが、詳しくはウィキペディアを参照してほしい。
Child queen, U.S. stars to light up Brazil Carnival | ロイター
https://www.france24.com/en/20100215-controversy-over-child-performances-mars-rio-carnival]
あるいは、7歳の少女が躍る権利についても議論が巻き起こっている。子どもの権利を保護する団体が、彼女が性的に搾取されることを恐れたのだ。ハイヒールにビキニの大人たちのいる場はどうしても性的だし、40度にも達する気温は子供の身体に有害である恐れがある。同時に、踊りたいという子供の夢をかなえたい思いもある。日本でも、浅草かどこかで踊る小学生のビキニ姿をアップロードする者は後を絶たない。
ちょっと前まで子どもがすっぽんぽんで泳ぐのがかわいいとか言っていた時代だったかもしれないが、誰でも写真や動画が容易に拡散できるようになってしまった時代、そうもいかないだろう。僕たちは否が応でも自分の身体を性的だと意識せざるを得ないし、子どもが自分の身体を守るための性教育の必要性は高まっている。何も幼稚園児からセックスについて事細かに説明する必要はない。ただ、身体の特定の部位を覆い、むやみに他人と触りっこしないように教えて身を守れるようにすれば十分だろう。性教育とはセックスの知識だけではないのだ。
2月の祭りとしてはしないと思う。日本人は概して祭りが好きだし、海外の祭りを積極的に受容してきたが、イースターが定着するかどうかどうかという雰囲気であり、これ以上の祭りを受け入れるキャパシティは少ないのではないか。2月にはすでにバレンタイン商戦があるので、そこにねじ込むのは少々無理があるだろう。50年経てばパリピがホーリー祭りまでやり始めるかもしれないが。あるいは、8月の浅草サンバカーニバルや5月の神戸まつりのように季節をずらすかもしれない。大体ああいう格好をするのは単純に踊っているとめちゃくちゃ暑いってのもあるだろう。
私事だが、イギリス育ちの自分としては、日本に戻ってハロウィンやイースターがないのが当然だと思っていたし、寂しいとも思っていなかった。触れるとすればせいぜい、NHKの「えいごであそぼ」や国際交流の授業で言及されるくらいであった。ハロウィンやイースターを定着させようとする動きはごく最近のものだ。
それに反対するわけではないのだが、ハロウィンが終わって街の雰囲気がすぐにクリスマスになるのは風情がなさすぎる。米国ならクリスマスまでの間に感謝祭があるのでまだ11月を感じることができるのだが、日本ではそうもいかない。二十四節季を楽しんでいた先人のいる国とはとても思えないほどに大味だ。
商業主義との両立を考えるなら、11月にも何かイベントをやればいいのではないか。2月には豆まきとバレンタインがある。毎月2度のイベントをやれば、二十四節季めいていてまだいいのではないか。
今回はテカテカビキニが50年代にまでさかのぼることを示した。今後は、世界各国の祝祭の場における露出の自由、野外全裸、性的規範のゆるみについて調べるとともに、暴力を防ぐための対策についても調べていきたい。
コロナで仕事がヒマになったこともあって(40代後半自営業、実質所得2000万円程度、妻と子供2人)、出会い系サイトに登録してみた。もともと5年になる恋人の甲さん(アラフィフ、既婚、子供あり)がいて、甲さんとはナンネット的な遊びをしていたのだけど、ナンネットのような異性に満たされた男達じゃなくて、出会いを求めている男性達に彼女の裸の画像や動画でも見せてあげた方が喜ぶんじゃないのっていうくらいが登録の動機だった(2020年3月登録)
登録してしばらくは、業者さん、あるいは個人事業主売春婦さんからの売り込みのメッセージがどんどん届いた。お店のサイトで顔と身体を出しても客が付かない、あるいはそういった店で働く程度の協調性みたいなものがない女性が多いのだろうなと思うので放置しておいた。出会い系サイト内で日記がかけるので、そこに彼女とこんなラブホテル行ったとかいうような内容を性描写は抜きで、彼女の身体の写真(顔無し)と共に貼っておいた。温泉にいけば温泉での裸、露天風呂付きのラブホテルにいけば、青空と裸、そんな感じだった。
しかし、出会いを求める男性はそもそも男性が書いた日記なんて見ちゃいないのだろう、ほとんど反応は無かった。それではまたナンネットの方に戻ろうかなと思っていた5月に40歳くらいの女性からメッセージが届いた。「条件があれば教えてください(お金欲しいんだったら言ってね)」というメッセージを返したら、どうやらお金は求めていないみたいだった。それでこんなコロナの状況ですが会いましょうかってなって大阪のスパワールドの近くで待ち合わせをした。車から降りてまっていたらすぐに彼女は来て、挨拶したら、ホテルに行きましょうってことになって、そのままホテルに移動して、2時間ほど汗を流して、また駅まで彼女を送って別れた。
その彼女とはその時だけだったが(私のルックスかセックスが基準以下だったのだろう)、また6月にもメッセージが届き、その女性(アラフォー)とは、2か月の閒に3回くらいあった。車でピックアップしてホテルにいった。もちろん日常会話もするし、ラブホテルご飯だけど一緒にも食べるし、子供の受験の話なんかもした。でも基本的にはセックスをして別れた。その彼女は夫の転勤とやらであえなくなった。本当かもしれないし違うのかもしれない。
私がその出会い系サイトで書いているプロフィールは別に通り一遍のことだ、性感帯は?みたいな質問にはさすがに答えていないが(そんなのまじめに回答している中年男性なんて気持ち悪い)身長、体重、活動エリア、なんかを書いている程度だ。だけど1か月に2通くらいそんなメッセージが届く。8月に会った女性乙さん(アラフォー既婚者子供あり)は、すごく相性が合う方で、乙さんとはしばらくは付き合っていきたいと思っている。この日記を書いている翌日もデートの予定だ。そうしているうちにもまたメッセージが届いた。30代後半の彼女、丙さんはなかなか綺麗な方で、その方とも会ってセックスして、あとはカカオで「おはよ。」「仕事終わったよ」「お休み」くらいのやりとりをしている。しばらくは会い続ける予定だ。
もともとの彼女甲さんとは、2週間に一度くらい会って、お互いの生活圏から離れたあたりでデートするかホテルにいっていた。あんまり切ない気持ちにならないようにホテルにはお金かけて(休憩で1万円くらい)いたくらいで、ごく普通の不倫カップルのデートだ。そこに乙さんが同じくらい、丙さんが月に一度くらいってことで、月に5回もデートするようになってしまっている。出会い系のプロフィール欄を「出会えないおっさんになっております」と書き換えてしまっているので、今は業者以外からのメッセージは届かなくなった。
半年ほど出会い系をやってみて思うのは、彼女達は、「おはよ」、「仕事お疲れ」とメッセージをくれて、そしてデートしてくれて、丁寧にセックスしてくれて、キレイだと言ってくれて、ときには好きだとかも言ってくれて、デート代くらいは出してくれて、あとくされのない異性を求めているんだなあってことだ。
私はなんとかその条件にあてはまるので、これをモテるといっていいのかどうかよくわからないけどそんな感じだ。乙さんとも丙さんとも事前に写真の交換はしなかった。メッセージの交換はある程度したけど、でも顔もわからない、どんな人間が来るのかもよくわからない。でも彼女達は私の車(ごくごく普通の仕事用のプリウス)に乗り、ホテルにいく。
35歳で結婚するまでは異性関係は乱れていたが、結婚してからは5年前に甲さんが彼女になるまでは、一度も浮気したことがなかったし、それ以降も甲さん以外とはセックスしていなかった。それがこのコロナ禍の中で半年で4人とセックスをした。プロフィール欄に出会いいりません!と書いてなかったらまだ人数は増えていくだろうと思う。
こんな簡単に(とはいっても平日の昼間に時間作れて、車出せて、1万円程度のデート代を負担してあげられる程度の条件はあるが)、出会いが存在する時代なんだなってことに驚いています。そして彼女達は私よりこの世界の先輩で、定期的に会うようになっても、お互いの細かい個人情報的なことは知ろうとしません。何回もセックスして好きとかいう言葉だって交わしたりもするのに、知っているのは相手のハンドルネームだけ。いろんなことを考えたらそれくらいがいいのはわかりますが、なんとなく抵抗があるのは私がまだ半年ほどの経験しかもたないビギナーだからなのかもしれません。
彼女達はメンヘラ系でもなく(そういう方からのメッセージも来るが、メンヘラの人は日記サービスでメンヘラの方っぽい日記を書いているので地雷踏まなくて済む)、今どきのちょっとこぎれいにしたお母さん女子だ。そんなお母さん達が平日の昼間、子供が学校に行っている閒に、お父さん以外の男性と会ってキスしてセックスして好きだと言われて、また家に戻ってくる。
妻から、子供の幼稚園時代の仲良しグループ8人の中に、恋人が外にいる人が3人いるらしいというのは聞いている。妻にだって恋人がいてもおかしくない。妻ともセックスはしているが、日常の生活から切り離された恋人という立場の男性との会話、キス、セックスの方がそりゃ楽しいだろうとは思う。知らない閒に中年男女の出会いってすごいことになっていたんだなとけっこう感動しているというのが、出会い系登録から半年たった時点での私の感想です。もうしばらく使ってみます。
果名温泉の泉質は硫黄泉で酸性度は高く石膏分を含み、典型的には乳白色の湯を湧出し、皮膚疾患や自律神経不安定症、冷え性に効くとされる。現在の果名温泉にあたる場所で湯治が行われはじめた正確な時期はわかっていないが、戦国時代には国衆の松影氏と配下の武士が戦闘時に受けた傷を癒すために東屋を建て、熱した岩に湯をかけて出た蒸気を浴びる療法を行った記録が残っている。
旅館の立ち並ぶ温泉街が発展を始めるのは果名駅が完成し鉄道が停まるようになった大正初期以降で、大正年間には山形屋、鳳萊館、飛雲閣、梅風館、寶山閣が温泉旅館として営業を開始している。昭和初期には湯治客の増加に伴い、月風荘のように高層化した木造建築の旅館が現れた。昭和10年発行の果名温泉旅館協同組合名簿には27件の加盟旅館が記載されている。
温泉街は一大経済圏を形成し、湯治客のみならず温泉での働き手を引きつけた。特に昭和の恐慌時には各地の農村から子女が年季奉公で旅館に送り込まれ、仲居あるいは酌婦として住込みで働いた他、「即席御料理」の看板を掲げた曖昧屋も複数存在していた。
温泉街でありながら閑寂な山居の趣を味わいうる果名温泉は多くの芸術家たちを魅了した。志摩名護也の「果名にて」や葛西前後の「波浪」といった小説は果名温泉の旅館で執筆されており、当時の果名温泉での生活を垣間見ることができる。作曲家和賀英良の名曲「疑問」は、鳳萊館の露天風呂で着想を得たとされる。
戦時中には物資の統制や倹約の奨励で温泉旅館の営業は一定の影響を被った他、温泉街は疎開児童の集団受け入れの場となった。終戦直後の乏しい物資供給を乗り越え温泉街の旅館は営業を続けたが、高度経済成長期には急峻な地形に鉄筋コンクリートの高層ビルを建てにくかったことから果名温泉は団体旅行の受入地とはならず、鄙びた温泉地の形態を留めた。
今世紀に入って旅行者の嗜好が変わるにつれ、果名温泉街の伝統的な景観と旅館の木造建築が再び脚光を浴びている。経営者の高齢化、湧出量の維持といった課題を抱えながらも、温泉旅館協同組合が主な担い手となり、地域の産業振興策と一体となった新たな温泉街の魅力づくりに取り組んでいる。平成10年には青年会により温泉街で第1回オメガラーメンまつりが開催され、果名村が発祥とされるオメガラーメンを温泉とともに楽しんでもらう行事が現在に至るまで毎年秋に行われている。
と言っても、あれはいつ行ってもできる体験という訳ではなく、天候不順時限定である。
2年ばかり前のゴールデンウィークの最終日の事だった。
時期的に江の島は滅茶苦茶混んでいた。
どれくらい混んでたかというと、江の島の裏側から表側に出ている船が、乗船まで3時間待ちだったくらい混んでいた。
江の島の参道(というのか)は、せいぜい100mかそこらしか長さが無いくせに、そこを歩いて抜けるのに1時間かかるとアナウンスされていた。
それくらい混んでいた。
午後、島の裏側まで歩いた我々は、当初船で戻るつもりだったが、あまりの待ち時間に諦めて歩いて戻る事にした。
江の島は小さい島だが、船を使う以外で裏側まで行こうとすると、一度山の頂上まで上らなければならない鬼畜構造だ。
正直、一度上って裏側に下り、再び上って帰らなければならないのは疲れるが仕方ない。
天候が曇りで、どうにも雲行きが怪しかったから、というのも理由の一つだが、この判断は結果的に正解だった。
あの時、船を待つ判断をした人達はその後の夕立でズブ濡れになっただろう。
その日も帰りに汗を流すために、当初から江の島スパを利用する計画だった。
江の島スパ(正式名称:江の島アイランドスパ)は、料金は通常の温泉や銭湯よりお高めである。普通で3000円以上する。
しかもゴールデンウイークで特別価格だったため、なおさら高かった。確か4000円くらいしたはず。
高いだけあって設備や広さは通常の温泉より1ランク上であり、通常の温泉施設がエコノミークラスだとすると、ビジネスクラスくらいの余裕があった。
通常の男女に分かれる温泉部分のほかに、水着を着る事で入れる混浴部分があり、
その中には半露天の洞窟風呂や、露天プールやらプールサイド的な、まあなんやかんや「外」の海に面したロケーションがある。
ついでに、値段が高いせいで、利用をためらう人が多いらしく、外の歩くのもままならないギュウギュウ詰めとは別世界のように広々していて、客の半分くらいは外国人旅行客だったと思う。
我々が入館してほどなく・・・30分くらいしてからだろうか、江の島は夕立に見舞われた。
我々はタッチの差で事無きを得たのだが、これがまー最高だったのだ。
雨がドバドバ降ってたので、屋外のプールサイドみたいな施設は利用できなくなったのだが、
我々は、他の外国人観光客の人達とその洞窟風呂につかりながら、外の海に降り注ぐ雨を眺めていた。
気が向くと洞窟から出て行って、温泉の水面に波紋を散らす雨に頭を打たれながら露天のオーシャンビューに浸った。
正直、雨の中でみんなで温泉に入りながら海を眺めるのがこんなに楽しいとは思わなかった。
目の前には湘南海岸が広がってるわけだが、時折その海面を魚が跳ねたりしていた。
そのうち雷が鳴りだした。
はっきり言って露天風呂のオーシャンビューは視界が広い。晴れてれば富士山まで見えるらしい。
その広い視界の中、遠方の海上や陸上の山の方角に稲光がバシバシ光った。
ひっきりなしに海の上に落ちる稲妻を遠く眺めながら、我々は温泉に浸って雷鳴を聞いていた。
やー、最高だった。
多分、あの時一緒にいた観光客の江の島好感度はMAXまで振り切っただろう。
(一方、そのころ島の裏側で船を待っていたであろう人達の好感度は神のみぞ知る)
サウナに入ったり、ジュース飲んだりして時間を潰し、もう辺りも暗くなりかけた頃、我々は施設を出て帰路についた。
その時もう雨はやんでいた。
またあの体験ができるなら、4000円は全然惜しくないのだが、よく考えるとタイミングがかなり難しい。
「もうすぐ夕立が来そうだな」くらいのタイミングで行って、運が良ければ体験できるかも、というレアなイベントだ。
そんなわけで、今日みたいに天候不順な日が来ると、
他人に迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリアの混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所が日本にないのは残念だ。何も混浴にしろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。
さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである。
以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。
有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性の壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマのビキニには漫画「テルマエ・ロマエ」からも言及があった)。つまり、絵画の水浴図で誰もが全裸なのは、西洋の画家の猥褻な妄想ではない。
水着の歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場で女性がガウン上のものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫のシャーロック・ホームズ「ライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物は全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性に悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。
ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝の反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代のビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外の観光案内に、トップレスの女性の写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツ・オーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。
また、一部のスポーツ施設では、男性が全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本のCFNM系エロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きである(リンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。
なお、女性の水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に、生理時の衛生管理の問題もあったそうである。
ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較的最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴の歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年に自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉がイギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。
この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国が世界をリードする国家的運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランドの英文学史の本にも載っている。
海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である。
https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear
上記の記事によれば、女性がオリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年のストックホルムでのこと。競泳水着の歴史は、ここから語られるべきだろう。
初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太ももの露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである。
ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。
1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性の水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着の流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんのハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。
そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードのボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。
つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどしの一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房の露出があるのでリンクは控える)。エッチなマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。
https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/
https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg
これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である。江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。
昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物をしまうことで、取りすぎることを防ぐそうである。
http://www.chie-project.jp/001/no15.html
たぶん、女性のふんどしの使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか。団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SMは不勉強なもので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。
考えてみれば、自分はふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。
このご時世なので、無職の特権を活用し、平日に群馬の水上温泉に行って、
予約無しで泊まってきた。ガラガラの温泉地に昼間から温泉入って、
冷房効いた畳の居間でゴロゴロして、スマホがあれば暇は潰せる。
んで、混浴でない男湯の露天風呂に、午前中から一人で1時間くらい入ってたら、
別にこっちが困ることは何も無いし、いや時間が変わって女湯になったのかな??
話のニュアンスだと、日本の混浴は、男女の境を超えて情緒・風情を楽しむ文化は素晴らしい、
みたいな捉え方をしているようだ。崇高。
湯船の中でちんこをまんこに挿入。彼女の方から「アダルよビデオみたい」と笑って。
女性3人で来てて、あとの2人が部屋に帰って来るくらいにセックスしてましょう、
と作戦実行したら、なんかふつーだった。
2週間以内に日用品の買い物以外の外出や電車に乗った用事もなかったので、お盆最後の土日で箱根にGoToしてきた。
露天風呂付きのツインベッドの部屋がこんな時期に一人で取れたのでどれだけ空いてるのかと思ったら、宿の駐車場は品川やら世田谷やらの東京ナンバーの車でごった返していて、チェックインもかなり待った。
宿の中も赤子連れの若い家族からジジババ夫婦旅まで至る所に人がいて、むしろ自分がなぜ一人で予約が取れたのか不思議なぐらい。
夕食も朝食も食事処は長蛇の列。ただ、席は他の客と離れたカウンターでゆっくり食べられた。
大浴場も気になったけど、人との接触を避けるために露天風呂付きの部屋を取ったので、部屋でのんびり。