はてなキーワード: 雨後の筍とは
今の世の中外出るときはマスク着けてなきゃ非常識扱いで、最悪汚物や感染源として白い眼やゴミを見るような目で一定層が見てくる。
コロナ第一波の時はマスク不足だったから言い訳しようもあった。(まぁ布マスクってのがあるし俺も作ったよ、慣れないミシンでチクチクな)
が、雨後の筍の如くマスクが湧いて出た今じゃ「え?お着けになってない?あなた常識あります?義務教育受けました?」って風潮だ。
そんな風潮じゃない?知るかボケ、ネットの声でけえ奴等の叫びでそんな風に見えんだよ。
実際、聞いた話じゃ自粛警察のアホにマスク着けてないからと絡まれるとか、列車内でこっそり写真撮られてツイッターに晒されたとかあるそうだ。嘘松の可能性もあるけども。
そうじゃ無くとも「みんな我慢してつけてるんだから、お前も一緒に我慢しろ」と日本得意の同調圧力だよ、日本死ね案件ですわ。
まぁ外国じゃ破ったら逮捕な自宅待機もあってるらしいけども、強制じゃなくて善意や推奨だからこそ「やらないやつは非常識」って空気になるのか辛いんよ、ホント。
理由は簡単だ、息苦しいし、なんか知らんが皮膚が荒れるんだよ。
顔に籠もる熱と息苦しさがとにかく嫌いで仕方ない。
冬ならまぁ、防寒具代わりに・・・と思おうとしたけど冬でも正直辛い、それが今や夏だ。
俺や俺以外のマスク嫌いも殺す気か、いや死なないけど。
「じゃあ肌に優しいマスク着けろ」「今は冷感マスクあるからそれ着けろ」とか言われるだろうけどそうじゃない、息苦しくて辛いんだよ・・・正直物理的な意味で・・・。
それが創作性を持つのかは別として、スマホアプリというのも同人的に作っている人が多いジャンルだと思う。ゲームだったりツールだったり、色々なサービスの野良アプリだったり。(一昔前にはTwitterクライアントが雨後の筍のように生えていた)
無料で広告も付いていない、企業の後ろ盾もない、ただ作りたい人が作りたいから作った、という点では同人と言えると思う。
ただ、スマホアプリなので即売会なんてものはなく、AndroidならPlayストア、iPhoneならAppストアに普通の企業製アプリと一緒に転がっている。
そんな同人アプリは、星の数ほどあるスマホアプリの中からどうやって探されるのだろうか。
大多数のユーザーは、ストアで検索して一番上のアプリを選んで終わりだ。中身なんて大して気にしちゃいない。では一番上のアプリはどう決まる?DL数と評価だ。
星1から星5までの5段階で選ばれるあの評価だ、と言われてもピンと来ない人も多いだろう。なぜなら、誰も評価を付けないからだ。自分の4桁DLのアプリの評価数は10個以下。まあこれは当たり前の話で、使ったアプリをわざわざ評価なんて誰もしない。アプリを好きになったり感動したりする人間は変わり者だ。
しかし、いつもは評価を書かない人間が評価を書くことがある。アプリが使えなかった時だ。
アプリが使えない、そう一口に言っても色々な原因がある。アプリのバグだとか、ユーザー側のスマホが古いだとか、ホーム画面設置型のアプリをダウンロードしたのにホーム画面に置いていないだとか。
「アプリが使えない」と星1のレビューが付くと、アプリ作者はすぐに飛んでくる。平均評価が下がるからだ。平均評価が下がると検索ランクが落ちるし、星4以下のアプリは露骨にインストール率が落ちる(気がする)。
「アプリが使えないということで、ご不便をおかけして申し訳ございません。もしよろしければ、ご利用の機種と詳しい状況をお聞かせください。」平身低頭だ。ユーザーは神様。問題がなんとか解決すると、ユーザーは星1のレビューを星5とか星4にしてくれる。平均評価は守られる。一件落着。
まるで不具合解決クエストだ。成功すると評価が保たれ、失敗すると下がる。健全か?これ。
アプリ開発は間違いなく楽しいからやっているのだけど、字書きとか絵描きとかになりたかったな、とたまに思わなくもない。
蛇足だけれど、スマホアプリに高い評価を付けて喜ばない作者はいない。そのぶん星1レビューへの耐性が増えるから。中身は気にしてないけど、デザインを褒められると少し嬉しい。
それはあまりにも突然のことだった。
2月末にはほぼ全部屋キャンセルとなり、稼働率は一気に一桁にまで落ち込んだ。
ただでさえ今年は雪が少なく、「パウダーの聖地」の名が泣くような状況だった。
パウダー日和と言える日は全部で1週間もなかったかもしれない。
ただホテル自体はほぼ満室で、ピークシーズンを忙しく過ごしていた。
正社員を含めた通年雇用者も有給の使用が励行され、出勤が減らされた。
3月半ばには外国人観光客は完全に消え、メインストリートのひらふ坂はゴーストタウンになった。
判断の早い会社は、3月後半の時点で正社員のリストラも敢行した。
自分がいる会社も4月に入りいよいよリストラの声が出始め、希望退職制度が始まった。
現在、ほとんどの飲食店がクローズ。またホテルもかなりの数がGWを待たずにクローズとなった。
ニセコのバブルは未知のウイルスによって弾けたのかもしれない。
これが一時的なものなのか、根本的なものなのかはまだ分からない。
ただ一つ間違いなく言えるのは、
ニセコの現在の隆盛が外国人富裕層(よくいうインバウンド)に大きく依存しているものであり
バブルが弾ける前(つまり今年の1月まで)のニセコはそれはすごい勢いだった。
開発ラッシュはまだまだ続いていて、ホテルが雨後の筍のように建っていた。
一部では供給過多の声も聞かれたが、それでも勝算があると見込んだ大手外資が開発を続け
スキー場には外国人しかいないし、ひらふ坂周辺の看板には日本語よりも英語の方が先に書かれている。
ローカルエリアとなる倶知安町の中心街もスキー場周辺で働く外国人に溢れ
田舎のはずなのに日本人と外国人がミックスされた不思議な世界が形成されていると感じた。
スキー場周辺で大金を使う外国人富裕層をビジネス的に分析していく過程で
比較的早く疑問を感じるようになった。
「このバブルはいつまで続くのか、どうやって弾けるのか、弾けた後の準備はできているのか」
その時点ではバブルはまだまだ続いていた。
初期投資こそお金がかかるものの、簡単に、びっくりするくらい利益が出る。
その状況に甘え、ハードこそ立派だがソフトが素人レベルのホテルが林立した。
1泊100万円もするペントハウス(最上階のスイートルーム)があるのに、
対応するフロントスタッフはスノボしに遊びに来ているホテル初経験の季節雇用者なんていうのは普通だ。
簡単に利益が出てしまうので経営者も厳しい目をスタッフに向けないし、スキルアップという考えも薄い。
将来的にこれは火種になるのではと思った。
こんな噂が蔓延すればニセコを避ける外国人富裕層も増えるだろう。
「雪」だ。
今年は雪が少なく、また質も非常に悪かった。
雪を楽しみに来ていた外国人季節雇用者の落胆は半端なかったと思う。
ところがこれは今年に限った話ではないらしい。
昔からニセコにいる人に聞くと10年前と比較して質が落ちてきていると。
自分はあと数年で、雪の劣化によりニセコバブルが崩壊すると予想した。
もしかしたらこれがトリガーとなって、根本的なバブル崩壊になるかもしれない。
一時的だとしても、結局は雪の劣化によってニセコのバブルは近いうちに崩壊すると思うが。
バブルが弾けた後の事を誰も考えていない。
誰もは言い過ぎかもしれないが、少なくとも、自分は近しい人とこの件で議論をした事はない。
繰り返しにはなるがバブルに甘えてしまっている、楽をしすぎていて
自分は考察を経た上でバブル崩壊に備えてこういう事をしておくべきだという答えを持っているが
周りを見る限りそのような動きをしている会社やホテルはあまり見られない。
このままバブルが崩壊したら、ニセコはかつて崩壊した日本の有名温泉街のようになるだろう。
立派でオシャレな建築物が朽ちていく様は見たくない。
今ニセコでビジネスをしている人は、このコロナをきっかけに目を覚まし
根本的な部分からビジネスを再検討してほしい。バブル崩壊に備えてほしい。
それがニセコの永続的な発展に繋がると思っている。
自分は獣神サンダーライガーの最盛期はまだプロレスを見てなかったけど、過去の映像を見て獣神サンダーライガーの凄さを知ってるだけに、最後の引退セレモニーを見て号泣してしまった。
獣神サンダーライガーの最も大きな功績は、おそらく団体の垣根を超えたジュニア・ヘビー級のトーナメントであるSUPER J-CUPだろう。
SUPER J-CUPの開催により見出されたプロレスラーも多くいるし(ハヤブサやTAKAみちのくなど)、何よりジュニア・ヘビー級の存在を大きくアピールすることに成功した。
そして獣神サンダーライガーは新日本プロレス一筋で30年以上マットに上がり続けた名レスラーだ。
新日本プロレスは過去に様々なトラブルから闘魂三銃士を筆頭に多くの名選手が離脱している(これは新日本プロレスに限ったことでは無いが…)。
雨後の筍のように選手がプロレス団体を立ち上げるなど様々な事が行われたが獣神サンダーライガーはずっと新日本プロレスに在籍して活躍していた。
獣神サンダーライガーは新日本プロレスだけじゃなくプロレス界全体の功労者なのだ。
そんな訳で獣神サンダーライガーの引退に至る試合は華々しく行われた。
当時IWGPヘビー級王者だったオカダ・カズチカやIWGPジュニア・ヘビー級の王者の高橋ヒロムとやるなど新日本プロレスも出来る限りの誠意を尽くしたと言える。
最近は表舞台にあまり出てこなくなったアントニオ猪木がビデオメッセージを送ったのもそれを証明している。
きっとアントニオ猪木がこんな笑顔でビデオメッセージを送るのは獣神サンダーライガーが最後だろう。
バラエティー番組では獣神サンダーライガーが後輩から嫌われてるとか罰ゲームに登場するおじさんだけど、本当は後輩から慕われてるレジェンドのプロレスラーなんだ。
獣神サンダーライガー今まで本当にありがとう。
報道や各種メディア、個人が様々な媒体で伝えているこの事柄に対して、私個人のごく私的な見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、つらつら書いてみようと思う。
・検閲
今回発生した問題は検閲の問題ではない。現在紙面やネットで騒いでいる検閲という問題は、当事者の手を離れた部外者による場外乱闘であった。扇情的な展示に対して、権力を扱う不用意な政治家が、自制せず権利を侵害する発言を行ったことは大問題であるが、ここまでくるともはや展示云々ではなく、国家、自治体による権利侵害(の実行又は脅迫)という、大事な問題だが、別方向の問題として切り離して考えるべきで、後述する問題を覆い隠してしまうことになる。展示を取りやめたのは、大量の抗議や脅迫、犯罪予告により、芸術祭にかかわる方々の安全を確保できなくなったという状況に陥り、該当展示の実行委員会(実行キュレーター)の同意なしで中止に至ったという顛末と理解している。
芸術市場が大きい欧米諸国に対し、日本国は元々芸術品の売買に対して諸国のような減税優遇措置をとっておらず、バブル期を除き、民間のギャラリーを経由した売買や、流通操作で伝統工芸品を大型百貨店の展示場で、国内のみ通用する相場で販売する程度であったが、バブル期~90年代の大型公共投資の連続からハード面での地域振興策が資金、コンプライアンスの両面で実行が不可能になった自治体における「少額で、短期間で既存のインフラを活用でき負担が少なく、運が良ければ国際的な知名度を上げることができる。」ツールとして、この10年雨後の筍のように芸術祭が乱立する事態となった。そこでは、ノウハウのない自治体が、自称地域文化の担い手である新聞社に丸投げ、そこからコネ採用された力のないキュレーターは、自身の貧弱なコネクションで囲い込んだ微妙な作家しか呼べず、投下した税金の割に貧相な芸術祭になった場合。自治体が運悪く山師に金を預けてしまい、多額の不適切支出で泣き寝入りになった場合。など皆さんが思っている以上に税金を使用したイベントにはトラブルが多い。税金が投入されるイベントは前提条件として・補助金申請等の手続が煩雑・大小の自主規制や、地域ルールに縛られる・税金が原資なので、疲弊した財務状況の自治体では開催不能、批判を招く場合がある。税金は芸術より生活政策に資金が回されるのは当然である。所詮流行りの水物なのだが、皆さんが思っているより所謂コスパの良い地域振興策なのでなくならないだろう。
今回の問題では、アートと異なる展示がなされているという意見が多く出ているが、大きく表現の自由と括られる中でも、その自由の元に「どの媒体で」「どのような手段で」「どの程度の深度で」、成果物として表現しているかは人それぞれ、所属する社会により異なるという点。またアートは政治と不可分であるが、極端な扇情(アジ)を行わなくとも、その行為がそもそも自由を行使しなければ表現できない、自由で平和な状況でなければ創作活動はできず、人の創造性を発揮できない点が大前提であり、自由の中で個々人が世界との関わりの中で何らかの美醜混じった真理を見つけ、それを昇華したのがアートとすると、今も表に出ない問題の一つ、表現の自由を行使する媒体と手段の衝突という背景が見えてくる。
新聞社や論壇を中心とするジャーナリズムは、文字を用い、抽象化している諸概念を文章化し、権利と自由を、守り、啓蒙し、扇情したりするわけだが、小説などと異なり「直感的に察する/察させる」機能は弱く、相手を文字化、文脈という論理化してしまった問題に対し、「同意するか」「同意しないか」の二者択一を求めてしまう。そして問題となった展示は、実行委員会の多くが学者又はジャーナリズム出身という状況で、同じ表現の自由でも、性質が異なる表現を行ったことが原因にあり、一般市民が考える「アート」とイコールにならなかった。「これはアートではない」という声である。表現はしているが、アートではないと。
アーティストと名乗る作家にも問題がある、この「ステートメント芸術」と揶揄される表現は、業界に詳しくなれば詳しくなるほど根深く、呪いともいえる。
アートという行為、物質/空間/映像/音楽で意図が伝わるよう、意識を特定のベクトルへ向けるよう誘導し、表現しなければならない所なのだが、その実力がない作家の中に、延々とそれらしい説明文を付けて意味づけする行為や、文脈という補助要素を主要素に持って来て、実態だけを見ても理解不能となる。そのような作家は大体退場していくのだが、言葉が主戦場のジャーナリズム界隈と親和性が高いので、変な形で融合してしまうことがある。
「文脈を追うのが現代アートだ」という解釈の誕生である。一面では事実だが、全てではない。
ビジネスの世界でこの行為を言い換えた表現としては「ストーリー」という言葉がある、そしてこれを最大限活用した米国の企業、セラノスの末路は多くの人を巻き込み凄惨なものであった。
・何が問題だったのか
①監督が芸術キュレーターの経験がなく、自身の分野であるジャーナリズムの文脈で解釈した表現を、芸術祭にねじ込んだ為、酷く食傷を起こしてしまった。
②食傷を起こしてしまった後の対応が、構造を理解している人の不足で収まっていない。
①食傷を起こした理由は長々と書いた。経緯として自分たちが表現の自由の最前線で、他の作家は何も考えていない。ように捉えられてしまうキュレーション(自由の世界におけるジャーナリズムの優越性)をしてしまったのが原因にあると考える。結果、津田氏がFM番組で発言したように「自分一人ならナイフで刺されてもいい覚悟だが、関係のない人を闘争に巻き込んでしまった」という発言につながっている。
表現は自由であるから、闘争を持ち込むなとは言えないが、徹底的なゾーニングと仕掛(言語化できている主張表現に容易にアクセスできる導線を作る)ことが必要であった。言語化できている(と思われる)主張表現に対して、実態が追い付いていなかったのではないだろうか。
不特定多数の威圧行為は、少数で行う創作活動にとって凶悪な暴力であり、過去も多々あり、これからもなくならない。すべての事柄に寛容な社会など来ないし、永遠に付き合わなければならない。
②をわざわざ書いたのが、今回の騒動で最も被害を受けている、他の参加作家に対して謝罪と対策を行っているのかよくわからない状況だからである。
・誰が最も被害を受けたのか
昨日声明文を出さざる得ない状況に追い込まれた、他の参加作家である。それぞれの表現を深化させて今日を迎えているが、キュレーターがバランスを取らず、独自にプレイヤーとして創作活動を我田引水した結果。必要のない状況で、自身の作品を見てもらうという重要な事柄を達成されないまま原理原則論の確認や主張を行わされたのは、イベントの主催者として責任が重大である。表現の自由は大事だと言うに決まっている。また、作品を撤収せざる得ない状況に追い込まれた海外からの参加者に対して、展示機会を奪った結果になった事も忘れてならない。マスコミが何をキーヴィジュアルとして記事にするか理解して、扇情的な人形を配置しているのは明白で、記事を見た輩が抵抗/抗議を通り越して、挑発と解釈してしまった訳である。撤収した2人は、必要のない場面で・積極的に日本側の行為に抗議を行う・無視した場合に自国内で起きている扇情的民族主義の標的になることを避ける。2者択一の判断に迫られた。
昨日声明に協賛したのは参加作家全員でないだろう、検閲を受けたわけでもない、こういうキュレーターのミスによる騒動に対してのスタンスは作家ごとに異なるのは当然である。
・なぜここまで注目が集まったのか
芸術は本質的に生活必需品とは言えない。生活環境が改善し、可処分所得と余暇がある状況下で初めて人は関心を持つようになる。今の日本、問題は起きているが、ネットで百家争鳴する位この国は文化的に成熟しており、得体の知らない世界に関わりを持ちたい気持になったのは素晴らしいと思う。物事の全ては飛び込んでこそ妙が分かる。威圧や脅迫はださく醜悪である。そしてアートはこんな長文も飛び越えて一瞬であなたの感性に突き刺さる力を持っている。
もう直接会って話す機会も、お手紙を渡す機会もなく、かと言って手紙を郵送する気力も、本人のブログのコメントに気持ちをぶつける勇気もないので、ここに書いて終わりにしたいと思います。
推しくんへ
推しくんに出会ったのは2014年の夏の終わり、2.5次元舞台のDVDの中で輝く貴方でした。あのとき、雷が落ちたように、貴方に視線がくぎづけになりました。
貴方が気になって気になって、貴方を知らべ、長いこと書いているブログをいちからすべて読み、なんて誠実に役と向き合う役者さんなのかと感激したのを覚えています。
秋、生で貴方のお芝居を見て、やっぱり映像より生の舞台の方がいい!と確信を得ました。
年が明けて厳冬、初めて役から離れた貴方にお会いしました。他の役者さんと2人セットでのイベントでしたが、自分のファンにも、お相手しかお目当てでないファンにも、等しく誠実に向き合っている貴方を見て、お芝居と同じく、ファンにも誠実な方なのだと心が震えました。
それ以降、たくさん劇場に通い、役から離れた素の貴方とお会いするイベントにもたくさん行きました。
その過程で、私は貴方のことを、仕事にもファンにも誠実に向き合うひとなのだと期待してしまっていました。
だから、お付き合いする方にも、生涯の伴侶として選ぶ方にも、きっと誠実に向き合ってくれる。そして、いつか来るその日には、私たちファンがもろ手を挙げてお祝いできる状況を揃えて発表してくれる。
そう、期待してしまっていたのです。
だから、ごめんなさい。
「お付き合いして数ヶ月の20代前半のお相手を妊娠させ、お付き合いから半年ほどでデキ婚した30代男性」の貴方のことを、とても誠実とは思うことができません。
ご本人同士の間では、考えや思いがあっての出来事なのだと思います。そう思いたいです。事故での妊娠ではないと思いたいです。
でも、世間一般には「付き合って半年の、年の離れた若い彼女を孕ませた30代男」と捉えられてしまうことをわかっていますか。
デキ婚のどこが悪いの?そう思われる方も、世の中にはもちろんいらっしゃいます。
でも、「お付き合いをして、結婚をして、その後に子どもがほしいと望んで、そして生まれる」という順番を、私の倫理観ではよしとしていました。
また、お相手は20代前半です。これが貴方と同世代と同じか、それ以上だったら、デキ婚でも印象が違ったのだと思います。
女性にはどうしたって、妊娠適齢期があります。30代半ばを過ぎると、適齢期は終わりを迎えていきます。だから、同世代のお相手であれば、強行手段しかなかったのだなと納得したと思うのです。
また、学生時代から長くお付き合いしてきた方とであれば、年齢関係なく、キッカケがなければ、貴方のお仕事を考えると結婚できなかったのだなと思えたと思うのです。
しかし、実際のお相手は、貴方より8歳も年下の20代前半、その上、貴方より世間に名前も顔も売れている方です。
妊娠は彼女が望んだことなのかもしれません。そんなこと当事者同士しか分かりません。
でも、一般人の私が考えても、これだけ売れている彼女の、1年先、2年先のお仕事が決まっていないとは思えないのです。
ちょうどアイドルグループを卒業して、女優としての地位を確固たるものにしつつあるなと、ファンでない私でも感じていました。
その時期に、妊娠出産育児で現場を離れることは、彼女にとってよかったことなのでしょうか。
そして、その地位を築くために手を尽くしてきた、気の遠くなる数の関係者がいるはずです。
そんなことより、貴方です。
貴方は舞台から映像へ、お仕事の主軸を転換している真っ最中であるなと、ファンである私は感じていました。
ここ数年、舞台への出演が減り、生で貴方のお芝居を観られないことはとても苦しく、味気のない日々が増えていたところです。
映像の世界は激戦区でしょう。貴方より若く、知名度も実力も高い俳優は山ほどいますし、さらに若い方が雨後の筍のように毎日毎日出てきます。
そんな世界を貴方は望み、進んでいったのです。映像がやりたいとブログに書いていましたものね。
生で観れる機会が減るのに、舞台でついたファンを維持して新しいステージに行くのは、本当に難しいことなのではと感じていました。
昔から応援していたファンが離れてしまうリスクは考えましたか?
貴方にも絶対に存在する、手を尽くしてくれた数え切れない数の関係者のことは?
今回の結婚、妊娠で、たしかに貴方の名前は広く報道されました。
でももう貴方は「彼女の夫」という肩書きがついてしか、記事にはされないんですよ。
その肩書きが外れるのは、彼女よりも圧倒的に知名度が上回った日、彼女の肩書きが「貴方の妻」になる日です。
そんな日は来るのでしょうか。
その間ずっと「売れてほしい」「もっと有名になってほしい」、ただその気持ちだけでした。
こんなことで有名になって欲しかったんじゃないんです。
彼女の方が圧倒的に有名だから、公表のタイミングを貴方サイドはコントロールできなかったのでしょう。
だから、いわゆる接触イベントの直前に発表となってしまったのでしょう。
そして、そのイベントのチケットを持っているファンの中に少なからずいるだろう、私と同じ気持ちの方はどれほどか。
たまたまどうしても日程が合わずにチケットを持っていない私は、その方々の気持ちを考えるだけで胸が張り裂けそうです。
もし私がチケットを持っていたら、いま、どれほどの気持ちだったのか…想像もしたくないです。
ただ、世間の方には強く言いたい。貴方がいわゆるガチ恋営業をしていたとは、私は思いません。
昔はガチ恋ファンもいたと思いますよ。接触イベントも多かったですしね。でも最近は激減していましたね。1年に数回、数秒の握手程度でした。
そんな中でガチ恋のモチベーションを保てた人がいるなら、尊敬の念さえ覚えます。
「ガチ恋営業をしてたのにデキ婚って」とは、私は微塵も思っていません。
私が悲しいのは、仕事にもファンにも誠実に振る舞ってきた貴方が、誠実とは思えない結果をもたらしていること、それだけです。
結婚だけじゃダメだったのですか。お互いの仕事を考えて、時期を見て妊娠じゃダメだったのですか。
デキ婚だとしても、貴方の映像の仕事が軌道に乗り、貴方の名前がもっと世間で知られてからではダメだったのですか。
ねえ、どうして、なんで、このタイミングなの。
会社員として働く一般人とは、同じ結婚妊娠出産でも訳が違います。
その点、本当に考えていましたか。
「もちろん考えていたけど、やっぱりこの方法しかなかったのだ」と言ってくれることを、これを書いている今も期待してしまっています。
ダメですね。
他人に期待したっていいことはないと、私は実生活で思い知っていたのに。
そしてやっぱり「他人に期待するんじゃなかった」と同じ轍を踏んで、泣いています。
お芝居を観に行って、泣いたり笑ったり、今回は脚本がイマイチだったけど推しくんは素敵だったなと思ったり、出演舞台や映画の話題がネットニュースで取り上げられると嬉しかったり。
この5年弱という時間に、いっぺんの悔いもありません。
http://kazenotori.hatenablog.com/entry/2019/04/14/113600
00年前後が青春ど真ん中だったエロゲヲタのひとりとして衰退理由を一言でまとめると、、、
だと思う。
Leafでいえば『雫』『痕』『To Heart』。Tactics/keyでいえば『MOON.』『ONE』『Kanon』『AIR』『CLANNAD』。TYPE-MOONは『月姫』『Fate/stay night』。エロゲではないけど同人の流れをくんだ『ひぐらしのなく頃に』。
この辺のソフトはプレイヤーを熱くさせ、語りたい欲を大いに刺激し(葉鍵板なんてのもあった)、「これエロゲーじゃないから泣きゲーだから」などという妄言を口走りながら周囲にプレイを勧めさせるだけの力があった(売上だけなら『鬼作』とか『大悪司』も当時強かったけど語るもんでも勧めるもんでもないから伝播力に欠けた)。
これらはざっくり「伝奇/サスペンス」「泣き」に分けることができてそれぞれブームを作ったけど、かなしいかなそれに続くブームはつくれなかったし、フォロワー作品は年を追うごとに小粒化して(初期は『sense off』とか『みずいろ』とか『秋桜の空に』とか『それ散る』とか良質なフォロワー作品がいっぱいあった)エロゲ全体のブームを急速に沈下させた。エロゲの時代は突然やってきてあっというまに終わった。
自滅、というのは言い過ぎかもしれないが、文化として根付かせることができなかった、ぐらいは言ってもいいだろう。
粒が小さくなって新しい体験が提供できなくなったエロゲは世代交代(『恋姫シリーズ』世代はいると思ってる)に失敗したし、熱狂してた連中はエロゲといっしょにオタクを卒業するか新たな最前線へと旅立っていった。
それは『ラグナロクオンライン』/『東方』(ROは2002年開始だけどコミケの流行が葉鍵/型月→RO→東方と変わっていった(型月はしぶとく東方と共存してたような記憶)のは大きなトピック)だったり、ラノベ(西尾維新/『ハルヒ』/『とある』/『ゼロ魔』)だったり、ニコ動/ボカロ+アイマス文化だったりした。
ブームが完全に去った現代はソシャゲ(『艦これ』/『デレマス』/『グラブル』/『FGO』)でゲーム体験を満たしつつエロはその同人で摂取する時代だから本格的にエロゲの出番はないだろう。ニッチな需要は同人エロゲが担っているから尚更だ(『奴隷との生活』はヒットしたなあ)。
1. ラノベ・深夜アニメ・ソシャゲ(あるいはスマホゲー)など他のメディアに客を奪われた。
2. ファイル共有ソフトなどにより海賊版が蔓延して購入者が減った。
3. CDからDVDへの移行、スマホの普及、光学ドライブのつかないノートパソコンの普及など、周辺環境の変化によりプレイヤーが減った。
の4つがかかげられていたけど、
2. は共有ソフト以前にコピー問題があったので要因とまではいえない
3. はスマホの普及以外論外(エロゲをやるためにパソコンを買う・組む連中は多数いた。DVDへの移行なんて屁でもないし、光学ドライブがつかない云々はDL販売とかUSBドライブの存在を無視してる)
4. は正しい。制作コストの増加とプレイコストの上昇は別問題なので切り分ける必要はあるが、これらの問題は大きかった
という所感。
上記以外の理由としてはこのエントリの主張である「オタク系サブカルの最前線という地位を失ったから」と、もうひとつあるとすればスマホの登場による可処分時間の細切れ化。エロゲをやるようなオタクはもともとインターネットとの親和性が高かったわけで、スマホの登場でネットに常時接続する消費スタイルへ移行すると、パソコンに向かってじっくりエロゲをプレイするなんてことが難しくなった面はあると思う(ここに物語の長大化によってプレイコストが上昇した問題がからんでくる)。
まあ同人エロゲもエロゲといえばエロゲだし、DMM GAMESのエロゲも形をかえたエロゲと言えるだろうし(大本のオモコロの記事はまさにその宣伝だ)、FGOもエロゲに含めれば(含めるな)過去最大のエロゲ市場が爆誕してると言えるのかもしれないが。
Q. 「オタク系サブカルの最前線という地位を失ったから」ってそれトートロジーじゃないの?
A. そう見えるかもしらんけど、オタクを熱狂させる弾がなくなったから、という話をしてるつもり。
逆になんで00年前後にそういう作品が雨後の筍のごとくでてきたかというとまあ割と謎なんだけどひとつ言えるとしたら若いクリエイターに申し訳程度のエロさえつけてれば自分のやりたいことをやれる場所だって認知されたことがデカいんじゃないかなーって(日活ロマンポルノみたいなやつって言えば伝わるのかね)。
『Phantom -PHANTOM OF INFERNO-』ってエロゲがある。ニトロプラス(今はたぶん刀剣乱舞で有名)の処女作でシナリオはぶっさん(虚淵玄。今だと『まどマギ』で有名……ってそれももう古いか)。
アメリカに旅行した青年が殺しの現場を見たせいでマフィアに拉致られ暗殺者をやらされるって話なんだけど、ハードボイルド小説か映画かってあらすじでもうエロゲじゃないよね。で、なんとこのゲーム暗殺に使う銃を選べて、なおかつその銃がポリゴンで表現されてた上に、どの銃を選んでもシナリオには一ミリも影響がない、というのが爆笑ポイントで単に作り手がそういうの好きなだけっていう。当時すでにIllusionとかがポリゴンエロゲを世に送り出してたとはいえ銃だけポリゴン表現にしたエロゲって『Phantom』が最初で最後じゃねーかな(ゲームはめっちゃ面白かったよ念の為)。
『雫』だって『新興宗教オモイデ教』のフォロワーだし、菌糸類が菊地秀行とかの影響モロに受けてるの見ても、外の文化にエロをつけてエロゲの流通に乗せる、は所謂たまによくあるってやつだった(そういうのの元祖はたぶん蛭田昌人と剣乃ひろゆき)。
まあ結局売り手も買い手もスケベ心があったんだよな。当時はエロさえ入れてれば一定の購買が見込める市場で、市場が未熟な分、制作コストが安くすんだ。買う方としてもエロがあるだけでオトクな感じがしたし地雷でも許せた(Tony絵に騙されて買った『Partner』ですら俺は許したよ)。上で挙げた諸作が仮に非エロだったらここまで売れてなかったと思うね(『CLANNAD』とか『ひぐらし』は地盤を築いた後だったからヒットした説)。
エロゲ(商業パッケージ)の売上は2015年に底を打っててV字回復しているとか,10年代でも名作はあるとか,本当に崩壊したのはエロゲ批評のコミュニティだとかいう話をすればいいんです? / “エロゲが衰退したのはラノベのせい、、、ではない”
https://twitter.com/nix_in_desertis/status/1117750519840198656
なんだろな,一連の流れを読んでいて思うのは,『千桃』とか『サクラノ詩』とか『金色ラブリッチェ』とは言わんにせよ,『ホワルバ2』とか『はるくる』とか『つり乙』あたりをスルーされると,お前エロゲ追わなくなって10年近くないか感強くて,一気にもにょるんだよな。
https://twitter.com/nix_in_desertis/status/1117753560047898624
こういう論旨を理解せずに訳知り顔するやつが一番むかつくんだよね。
とりあえずエロゲ市場規模は02年の段階で560億(財界さっぽろ)、15年の実績値で150億(矢野総研)。V字回復というからには18年実績値で300億ぐらいに戻してるんだろうな?
そして本稿は00年台前半にエロゲ市場が盛り上がったあと衰退した理由をその当時オタクシーンの最前線をはれる弾がありその後そういうのがなくなったから、に求めてるのであって、それ以降にエロゲとして名作と呼ばれる作品があったかなかったかなんて話は一切していない。
俺が最後にやったエロゲは『もっと!孕ませ!炎のおっぱい異世界エロ魔法学園』(2018年4月27日発売)だ。ゲスパーすんなヴォケ。
またムカつくコメントがついたら全力で殴りに行く。
新型のiPad Proが発表されてから、大手のテック系メディアでiPad Proを称賛する記事が相次いだ。どれが自発的に書かれたもので、どれがAppleからお金をもらって書かれたものか、一般の消費者にはよくわからない。
今回のiPad Proの利点は、基本性能の高さらしい。それまでのMacに勝るとも劣らないと。
しかし、なんでタブレットを褒めるときに、PCをひきあいに出さなくてはいけないんだ。
iPadの新型が出るたびに、iPadはPCと同じように仕事に使えるのか、という検証記事が出てきて、まだあれができない、これができない、とやっているのだけど、じゃあそういうならPC使えよ、と思う。
今度のiPadには、こんなに使いやすいキーボードがつけられます、ただし別売り、とやっているのを見るたびに、じゃあMac買えば? と思う。
いまから数年前には、雨後の筍のごとくWindowsタブレットが各社から発売されたけれど、いまはあとかたもない。
そのかわり、MicrosoftのSurfaceが登場して、改良を重ねるようになった。
いわゆるWindowsタブレットとSurfaceの最大の違いって、基本性能を除けば、「いいキーボードがついている」ことしかなくないか?
タブレットが進化するにつれて、基本性能や使い心地がPCに近づいていくのって、なんか進化の方向として、おかしくないか?
PCと同じような使い方を想定して開発するなら、そもそもタブレットが存在する意義があるのか?
タブレットが普及し始めたころ、タブレットこそが未来のコンピュータで、PCはやがて消滅するとか、まことしやかにいわれていた。
元来「萌え」という語自体には性的な意味合いは無く性とは別概念として捉えられていたが、一般へ広まると同時にオタクの間で使われなくなっていった過程で何故、性的な意味を持つ(と思われる)ようになってしまったのだろうか。
1995年、パソコン通信文化がまだ華やかだった頃に初版が発行された用語辞典「通信用語の基礎知識」では萌えについて下記のように記している。
元々は、まだインターネットなど普及していない時代の草の根BBSで、しかも自然発生的に生まれたと考えられる用語である。
それは男社会であるので、当初「萌え」が表現したものは、可愛い女の子の素敵な仕草を見て湧き上がる感情、であったと考えられる。
しかし時代の変遷を経て、「萌え」という語も広く普及するにつれ、誤用なども含めて様々な意味で使われるようになったと考えられる。
たとえばエロゲーに対する批評で「萌えゲー」と言われれば、それは「エロ要素が皆無か極めて薄い作風で一般アニメ漫画作品のような可愛らしい絵」を指すものと解釈されるケースが多い。
しかし昨今多用される「萌え絵」は全ての二次元絵を内包する巨大な概念として使われている節があり、「萌え絵は性的だ」「萌えとエロは違う」という不毛な争いをも生んでしまっている。
(そも、時代と共に変遷する性的概念を定義することそのものに無理があり、また性的か否かは画風で判断されるものでは無い。性交を直接描けばR18だがベッドシーンならR指定か一般指定、という実写映画のざっくりレーティングは比較的分かりやすい基準と言えるが何故絵に対しては画風で判断するのか)
風俗店の看板・広告で描かれる二次元絵のほぼ全ては無断使用であると言える。出典はエロゲーなこともあれば一般アニメや漫画であることもあり、適当に選別していることが容易に伺える。無断使用されている方にとって見れば迷惑なことこの上ないが、無断使用されていることなど知りもしない人が見れば「アニメ絵の風俗店看板→このような画風は性的である」と擦り込まれる可能性は充分に有り得る。
ちなみに何故、風俗店看板が二次元絵を使うのかというのも疑問だが、一説に寄れば「写真を看板・広告に貼るとこの女性を出せという客が来る」からだという。さすがに厄介な客も二次元絵ならこいつを出せとは言わないだろうという自己防衛策である。いい迷惑だ。
一時期のメイド喫茶ブームの煽りで、JKビジネスを含むライト系風俗が雨後の筍の如く激増したという。
このような店が名乗り始めたのが「萌えリフレ」「萌えエステ」「萌えマッサージ」であり、上記と同様に「風俗店が店名に使う言葉→性的な意味を持つ言葉である」と擦り込まれた可能性がある。
バーチャルYouTuberって言葉を最初に使ったキズナアイは徹底してバーチャルキャラクター(AIである設定)としての振る舞いを貫いてるよ。
それ以後に雨後の筍のように生えてきた人らは、いわゆる「生主」がキャラクターの皮をかぶっているだけみたいなのも多く、それらは「Vtuber」だと思ってる。
その文脈で、狭い意味でバーチャルYouTuberって名乗れるのはキズナアイ一人だけ。
中身の情報を漏らさず世界観をしっかり守っている人も十分にバーチャルYouTuberだし、そうでない人もそう呼ばれているのが現状だけど。
参考:
「VTuber」と「バーチャルYouTuber」についての覚え書き - 自然法被害者の会
http://okimochi-philia.hatenablog.com/entry/2018/10/10/033103
ガチャソシャゲなら儲かるということで、雨後の筍のように色んな物を女体化して擬人化してガチャソシャゲにする流れがでているのはご存知のとおり。
もちろん、元々なにかコンテンツが好きだった奴も、自分の好きなコンテンツがガチャソシャゲの射幸性の高いパチンコ屋みたいな雰囲気になったら周辺に逃げてる。
で、落ち着いた自分の好きな界隈で楽しんでたりするが、そこにパチンコ屋のじゃんじゃんばらばらが来ると聞いたら反対運動起きるわ。
ましてや、手塚系といえば、綺麗な奴はとことん教育的な扱いをされてたりする。ブラックジャックとか火の鳥とか特にな。
手塚系でガチャソシャゲやるというのは、小学校の前にパチンコ屋をおいて、小学生にパチンコやってねと宣伝かけまくってるようなものだと思う。そりゃ小学校教員激怒するわ。
つい数年前は、新卒または中退プロブロガーが雨後の筍か蚊のように湧いていた。
「新卒即ブロガー」みたいな一発ネタでしか自分の価値をつけるしかないことに自分でも気が付いておらず、
結果、哀れな存在としてまだ惨めにブロガーやっているものもいる。
まもなく24歳にもなって、小学校からの思い出をプロフィールに書いて、実名だして……。
まだ働きたくないとかやりたいことがないとか……。
このままでは自分の人生がダメになると気がついたヤツ(石田の話とか)は、
彼も頑張ってほしい。
24にもなれば、同級生、同世代の子らは、労せずボーナスで100万円をもらっている者もいるだろう。
得意の語学を使い、コミュ力を使い、PCスキルを使い、社会経済をまわしているのだ。
一方でクソみたいなブログ書いて、1,000円のアドセンスゲットしているものもおり……。
今は苦しくても、易きに流されないよう、頑張ってほしい。