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2019-07-27

海監督も親になったんだなあ

というのが天気の子をみた感想だった。

この国には長い、長い雨が降り続いている。子供たちはみな追い詰められているし、大人たかられ、食い物にされようとしている。

子供たちの力でたまに陽が差すような日もあるけど、それも結局は子供たちを削りとるだけになってしまう。

いよいよもって日本が壊れていくときも、大人たちは勝手な「正しい」理屈子供たちを突き放し、そして追い詰めていくだろう。今まで通りのみんなの暮らしを守るためには、子供がその命を使わないといけないと。

しか監督はいう。大人のいうことなんかきくなと。彼らの理屈になんかしたがうことはないと。逃げろ。ルールなんて守らなくていい。そして行きたいところに行け。大事な人のことだけ、自分たちのことだけ考えろ。世界ことなんか考える必要はない、と。

その結果、この国は沈んでいくことになるだろう。老人たちの暮らしも壊されてしまうかもしれない。けどいいんだよ。君たちさえ幸せなら。

そんな子供たちへのメッセージが聞こえるような映画だった。

2019-07-26

海監作品とは

要するに、エロゲを新海監アレンジで、おされアニメ映画にするとヒットするってことだろうな

誰でもやれることじゃない、新海監督のあの綺麗な映像演出あってのものだろう

2019-07-25

ネタバレ】天気の子に隠された深遠なメッセージ

みてきたので書きます


作品主題は、経済的に困窮し水商売生計を立てるシングルマザーだ。

ヒロインヒナは弟のナギと2人暮らしをしている。姉と弟の形だが、これはヒロイン性を保ちつつシングルマザー象徴するためにこの形となったと考えられる。

冒頭でバニラ宣伝車が登場したのはおそらく意図的ものだ。黒い服のスカウトマンという形でもやや露骨協調されている。

また、劇中ではシングルファザー象徴としてライターケイスケも登場する。娘を引き受けたくても祖母に許しを得られない場面は、独り親の難しさの別側面だ。


クジラ

金融市場に大波を起こす大口参加者のことをクジラと例えられることがある。作中の雨水クジラはこれをモチーフとしているのではないか

国内ではこのクジラは5頭ととらえられることが多いが、この中の1頭は年金運用を行うGPIFという団体だ。


竜:

水と竜から想起したのが、ウロボロスという自らの尾を食らう竜だ。

国内では年金受給者が不安からという理由で大部分を銀行貯金する傾向にあると言われる。

この傾向のマイナス面として、

年金銀行貯金する→銀行国債を買う→国は国債年金支給に使う→...」

という形で実体経済寄与しない形で、特に現役世代を経ない形で還流してしまうということだ。

これが自らの尾を食らう竜に例えられることがある。作中の竜はこれがモチーフではないか


さて、作中では大洪水をもたらす降雨災害が発生するが、これは前述のクジラや竜が制御不能になったら...ということを暗喩しているのではないか

過去に、バブル崩壊サブプライムショックという大嵐の際に行われたのは、新卒採用抑制という形で人柱にツケを押し付けることだった。


主人公ホダカは、「自分のために願って」とヒロインに告げる。

たとえ大雨になっても大嵐になっても、人柱になんてならずに自分の願いをかなえて欲しい。

それが新海監督が込めたメッセージなのではないだろうか。

2019-07-21

残念な土曜日 「天気の子」の感想

今日は何にもできなかった。大して面白くもないツイッターに張り付いてクソ詰まんないツイートを眺めて一日が終わろうとしている。

昨日は天気の子を見た。終わった直後はうーん、てなったけど新海監督のインタビューみたりパンフレットを読んだりしてたらちょっと評価が変わった。

好きなシーンはいっぱいあった。絵もよかった。話とかセリフとか声優とかは気に入らなかった。うん。君の名は。っぽいところもありつつ新海監督の好きそうなエロいところもある映画

汚い東京を描いてびっくりしたね。新海監督は東京をきれいに描く人だと思ってたから。君の名は。を観た時になんか東京を凄い美化しているなと思ったりしたけどいざ汚い東京を見せられるとちょっと見たくないなと思った。

子どもたちだけで何かするというのはとてもいい。憧れだ。俺も女の子と一緒にどこかへ逃げたい。逃げ続けることなんてできないけど一生忘れられない思い出ができるはず。声優ヒロイン女の子以外全員違和感あったな。

君の名は。みたいな大ヒットはしないと思う。君の名は。のような勢いながないから。大人が見たらなんか物足りないなって思うかもしれない。若者向けの映画だと思った。また主人公女の子のために走ってた。

家出少年ライ麦畑で捕まえてを読んでるのはちょっとべたすぎるのではないかと思ったけど、実際にはライ麦を読んで家出する人はいないので主人公は凄い子だなと思った。

あとは広告だな。あの東京ウザイ広告の嵐を丁寧に全部描いててちょっとうるさかった。カップヌードルとかどん兵衛バイトルヤフー知恵袋などが出てくるのも現実に引き戻されるから嫌だった。

現実を描いているんだと言われたらそうなんだけど、もうちょっと取捨選択をしてもいいのではないかと思った。女の子が祈っている姿は美しいですね。画集が欲しいです。

あと爆音音楽独り言カットの多い映像時間を一気に進めるやつはあんまりきじゃない。君の名は。でもあったけど。前前前世のところね。あれやると映画音楽ミュージックビデオみたになっちゃう。

天気の子は好きな作品だ。でも一回じゃわからいからもう一回観に行ってみようと思う。

2019-07-20

『天気の子』を批判している人たちへの反論(1)

ネタバレあるので、まだ観ていない人は右上の×を押してください。

そもそも新海誠薄っぺらいじゃないか

 新海誠監督の最新作『天気の子』を観てきました。「ヤフー映画」の感想とかを見ていると、新海監督が公開前に言ってたように「賛否両論」の様子。……しかし、否定的評価をしている人たちの感想を見てみると、「賛否両論以前の問題」で、人物描写薄っぺらさを指摘している意見の多いのが印象的だった。

 だが、待って欲しい。「人物造形が甘い」とか「人物描写薄っぺらい」という批判新海誠にするのはいかがなものか。そもそも、新海作品にこれまで重厚人物描写などあっただろうか? 薄っぺらくない人物なんて一人としていただろうか?

 まず、大ヒット作『君の名は。』で考えてみよう。瀧君も三葉も奥寺先輩も、ラノベ並みの、いや、そういう言い方はラノベに失礼なくらい、ペラペラの薄さだったと思いますよ。三葉の悪口を言ってた同級生たちなんか、当社調べでは0.01mmの薄さで、わが日本が誇るコンドーム会社オカモトが対抗意識を覚えるくらいの薄さじゃないですか。

秒速5センチメートル』も同じ。主人公遠野君)は半年前に転校したメンヘラ気味の女の子に会うために、東京から栃木電車で向かう。しかし、大雪のために途中で電車は大幅に遅延する。その時の主人公遠野君)のモノローグを皆さん覚えていますか?

「たった一分がものすごく長く感じられ、時間ははっきりとした悪意を持って、僕の上をゆっくりと流れていった。」

 ごめん。最初『秒速5メンチメートル』を見た時、私はここで腹痛くなるほど笑い転げて、逆に何度もここを再生しましたよ。もうね、ほんとリアル中学二年生でもこんなポエムを呟かないですよ。時間は君に悪意を持つほど暇じゃないと思うんだよね。たんに大雪のために電車が遅延してるだけやん……

 未見の方いたら、すみません。この電車の遅延、単なる一つのエピソードじゃなくて、『秒速』のなかでは、物語の要となるようなエピソードなんです。

 意味不明自己満SF雲の向こう、約束の場所』、ジブリを真似た結果盛大にコケた『星を追うこども』。これらも、人物描写書道半紙なみの薄さです。

言の葉の庭』も、ストーリー人物描写の甘さについては微笑せずにはいられません。ユキノ先生いじめられてる理由とか、いじめてる生徒の描写とか、これ薄っぺらくないと思う人いるの……?

まあ、いるんだと思う。それはそれでいい。私が言いたかったのは、『天気の子』が「薄っぺらい」という理由批判されるのは不合理だということである。初めっから薄っぺらいし、中二病だし、セカイ系だし、自意識過剰のウィスパーヴォイスがうざいし。そんなこと、分かり切ったことじゃない。それを今更批判したってどうしようもなくない?

 というわけで、『天気の子』もただひたすらに薄っぺらいわけです。ストーリー人物描写説得力かには期待したらダメリアル中学生でも、もう少し人間に対する洞察力をもった人は五万といる。そのレベルです。主人公はどうやら「神津島から家出をして「東京」フェリーでくるわけですが、家出理由、とくになし。至って普通の家庭で、酷いイジメにあっていたとかでもない。なんとなく嫌だったから、くらいのノリ。いわゆる反抗期? なんとなく盗んだバイクで走りだしたい気分? サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』を持っていたけど、まさかサリンジャーに感化されて?(笑) いや、笑いごとじゃなくて、マジで新海はそのレベルでなんとなく家出をさせてOKだと思っている人なんですよ。

じゃあ、なんでそんな薄っぺら新海作品はこれまで評価されてきたのか? とくに『君の名は。』の歴史的ヒットはなんだったのか? 問題はそこにいたる。

美しい背景描写

 第一に挙げなくてはならないのは、美しい背景描写だろう。カメラレンズを強く意識して、超広角レンズや逆光、望遠などが多用される。しかし、実際のカメラではあんなに綺麗に映ることはない。細かいファンタジック「嘘」がそこかしこに散りばめられている。ありえそうだけどありえない風景。新海が描き続け、そして観客を魅了しているのは、そうした風景にあるんじゃないのか。もっとも、この美しい風景も、セカイ系の、センチメンタル自意識過剰の、中二病ポエムではないのか、と反問されるだろうが、それについて私は次のように答えるしかない。「いかにも、その通り」

 で、そこから新海誠童貞」のような公式がでてくるわけだ。「たぶん新海さんは楽しい恋愛高校時代したことがないんじゃないですか」(石田衣良)という言葉が出て来る所以であろうが、これについては一言。たしか新海誠自意識過剰中二病ポエマーであるかもしれないが、全ての童貞自意識過剰中二病ポエマーであるわけではないし、またその逆もしかである童貞に対して失礼である石田衣良には猛省を促したい。

君の名は。』のカタルシス

 さて、『君の名は。』ヒットの理由について語るのは当然のことながら難しい。だが、これを見た人の多くが「東日本大震災」を想起したこと無視できるものではないだろう。『君の名は。』は、良くも悪くも「震災芸術」であり、『君の名は。』の賛否両論根底にあるのも、「震災をなかったことにしてもいいのか」というこの作品についての疑問から生じているだろう。

 『君の名は。』には、カタルシス浄化作用)がある。瀧君と三葉の恋物語以上に、この映画で「主役」となっているのは「彗星」であり「隕石である。突拍子もないことのように思われるかもしれないが、これは演出上も疑いを得ないことである。このことについては伊藤弘了という人が「恋する彗星──映画君の名は。』を「線の主題」で読み解く」という卓抜な評論を書いているので一読を勧めたい(http://ecrito.fever.jp/20170123213636)。

 少しだけ説明する。「糸守湖」が出来たのは劇中でも語られるように、1200年前にここに隕石が墜落したことにするものだ。瀧君と三葉は三年の時間差を越えて出会いを果たすわけだが、その奥には1200年という長大時間を経て、同じ彗星が墜落するわけで、あの惨劇を生み出した隕石は、それ自体隕石恋物語でもあったというわけだ。瀧君と三葉の悲恋は、その運命を受けいれて、むしろその「運命のもの」に同化するような形で、自己を超越した恍惚体験へと昇華する。これが、『君の名は。』のインパクトである伊藤は言う。

観客は人智はるかに超えたティアマ彗星の壮大な恋物語のうちに自らの似姿を見出し、同時に自己自身を超越する感覚を疑似体験する。これが本作の記録的大ヒットを支えた一因である

この伊藤の読みは、それ自身、私も正しいと思う。ちょうど隕石地球を目がけて猛烈ないきおいで突進してくる際に流れるRADWIMPSの「スパークル」の歌詞をここで引用しておこう。

運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を

伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする

 いわゆる「サビ」の部分がはじめて出て来るのは、隕石墜落のシーンなのである彗星隕石と化して「いまだかつてないスピードで君のもとへダイブを」するわけである。観客はかくして、瀧君でも三葉でもなく「隕石」に感情移入をすることになる。それによって、運命を超越した運命とでもいうべきものに同一化し、「自己自身を超越した感覚を疑似感覚」させるのが『君の名は。である。ちなみに言っておくと、これは何も新しい話ではなく、ギリシア悲劇古典的パターンであり、「悲劇」の快楽のものである。この点についてはニーチェの『悲劇の誕生』を参照して欲しい。

悲劇忘却

 要点のみを記す。1200年前に糸守町に落ちた彗星は偶然の産物である。劇中で墜落する彗星の《片割れ》もまた偶然の産物である。その偶然をしかしながら運命的なものにするのが『君の名は。』のドラマである隕石は、人間視点からはどうしようもない《偶然的=運命的》なものであり、それが世界に災厄をもたらす。それは《悲劇であるニーチェが述べるように、悲劇とは一方では自身運命翻弄され自身の非力さを痛切に認識した上で、他方ではそうした小さな自己を超越し運命のものに一体化する感覚のあるところに《悲劇》の快楽があるのだとすれば、『君の名は。』における悲劇とは、次のようなものである。(A)それは自己意志の無力と運命の強調という形で行われるのではなく、(B)確かに一方では自己意志の無力さを痛感させられるが、星の動きはたんに災厄をもたらす運命だけではなく、同時に強烈な人間的な意志でもあるのであって、運命から逃れていく偶然の力として描かれるのである。ここにおいて、まことに《運命=偶然》という奇跡的な場所での物語が描かれるのであって、その強烈さに私たちは感動をするのである

 震災を《運命=偶然=意志=恋》と化すことにより、現実震災美的昇華してしまうのが『君の名は。である。『君の名は。』は過去タイムトラベルすることで「震災をなかったこと」にするだけではなく、上に書いたように、情動レベル震災というトラウマを「昇華」させて、フロイト流にいうならば「喪の作業」を遂行することを促進するのである。「昇華」とは、「忘却」の別名である

 こうしたところが、『君の名は。』の慧眼な人々に批判される所以であるだろう。

 だが、どうだろう。《忘れない》ことが一つの倫理であることは疑わないが、《忘れる》ことも一つの生き方として否定されるものではないのではないか。また、《忘れさせる》ことを描いたものが《覚えられる》ということ自体が、完全な忘却からは救うはずだと私は考えるが、いかがだろうか。

──ライトな語り口で始めたのに、全然そうではなくなった。そして、肝心の『天気の子』にまだまだ辿りつけていない。次回、『天気の子』の内容に踏み込んでいきます

2019-07-19

天気の子エンディングについて

お前ら天気の子エンディングは、グッドエンドとバッドエンドのどちらだと思う?

俺はバッドエンドだと思う。

東京に憧れた少年が、自分選択東京犠牲にする結末だったし。

その代わりに少女を救うことはできたけど、そもそも少女を失う原因を作ったのは主人公だし。

閉鎖的な島が嫌で家出したのに、事件後数年間は島に軟禁状態だったし。

いい雰囲気出して終わってたけど、世界的に見たらバッドエンドだよね。あの二人に、大人世界も振り回されただけ。

人柱の話になった時、小栗旬が「一人の犠牲で救われるならいいじゃないか」みたいなこと言ってたけど、正直気持ちわかる。

そのタイミング小栗旬タバコ吸ってたから、ダメ大人として描写したように見えたんだけど、もしそうなら納得いかない。

一人の命を犠牲に、東京救ってくれや。最近雨ばっかだし、晴れてほしいわ。

とかとか、他にもいろいろ考えたけど、本来ボーイミーツガール物ってこういうものなのかもしれないね

周りを犠牲にしても、一人の好きな人のために奔走するみたいな。

現実的観点作品を見るなっていう新海監からメッセージなのかね、まあわからんけどさ。

2019-07-04

気持ち悪さ」の境界線

シビアだよね

あと人に依る

 

口噛み酒は別に存在自体キモイと言うほどじゃない(衝撃だけど)

でもそれを受けて赤面するのは、少しキモい

その赤面をする様子を書いてるのがおっさんとなれば、もはやキモい

 

ゴクゴク民はキモいだろうか?

(ゴクゴク民とは、主にニコ動アニメで、風呂のシーンがでると皆で「ごくごくごく」と書くテンプレネタである

個人的にゴクゴク民はネタとして面白い

でも実際に風呂の水を飲みたい、となれば少しキモい

実際飲んだ、となれば更にキモい

風呂の水を販売している、となるともうキモい

 

こういう境界線は非常にシビア

ネタでやるとの、マジでやるのと、マジでやっているのを創作するのと、少しずつ意味が変わってくる

 

ヲタクはその境界線に対して無頓着な傾向があると思う

そういうのに敏感に反応してしまう人はヲタクに向いていない(自分がそうだ)

 

でも最近アニメ漫画界隈はそういうキモさをギリギリライン回避するのが非常にうまくなったと思う

これはとても評価してる

10年前、20年前はもっとアカラサマにキモかった

海監督は、その古きヲタクそのまんまという感じがしてる

別に否定はしない、それを否定すると過去の色んな物を否定しなきゃならんから面倒くさいし考えたくない

でもそれを見てキモいな〜って言う人がいると「わかる〜」となる

そんだけ

2019-05-17

私は新海誠監督作品が嫌いだ。

私は新海誠監督作品が嫌いだ。

私が嫌いな理由は本当に個人的な、自分勝手理由です。

これを読んで気分を害する方もいらっしゃると思います申し訳ありません。

ここから自己責任よろしくお願いします。

海監督の作品を観ると謎の体調不良を起こすため現在映画館に行くのも億劫になっています。(予告で流れるので)

この感情は本当にもったいない自分でも思ってるし万人に受け入れられ賞賛されている作品否定的な思いを感じることが正直辛いので、ここで吐き出させてもらいます。そして、ここで吐き出したことでもう一度新海誠作品チャレンジしたいという気持ちになれたらいいなと思っています

私が嫌っている理由

それは『一番最初の見せられ方が気に食わなかった』というだけです。

当時付き合っていた彼氏の家で『秒速五センチメートル』を彼氏に勧められて一緒に観ました。

それはそれは綺麗な背景に切ない恋愛模様。男女のすれ違い。星がとても好きなので種子島舞台になっていることも好印象でした。そして、最後のシーンはグッとくるものがありますペラペラ感想ですがあの瞬間感動し他の作品も是非見てみたい!!!!と感情をひどく揺さぶられたことを覚えています

ただ、その後の彼氏の見せてきたものが最悪だった。

私は立ち上がれないほどの感動と切なさを感じていました。

そこに彼氏が突きつけてきたものが、

ラップMAD

一瞬で冷や水を浴びせられました。

すんなり立ち上がり「あーいいねいいね(棒)」というなんとも言えない反応をなんとなく合わせて言ってました。

その動画自体はとても再生回数が伸びてますし、このブログを書くにあたってもう一度聞いたのですが、よくできてるなぁと思いました。ラップというジャンルにあまり興味はないのですが、魂を感じることができました。

本当に動画投稿主様に申し訳ないのでここで謝らせていただきます申し訳ありません。

でも!!!出会いが悪かった!!!!!

私は今、本作を観て、悲恋つら、、、でも人の出会いっていつ巡り会うかわからいから大切にしよう…とかなんか思ってたと思うんですよっ!!!でもその記憶が全部ラップリリックにやられちゃう!!!!!!(ごめん!!ぶっちゃけリリックとかわからないんだけど使いました!!!ごめんなさい!!!勉強します!)

ラップすげー!!!全ての記憶ラップに塗り替えられた!!!威力ぱねぇ!!!

結局その彼氏とはこの後別れたんですけど、新海監督の作品見るたびに思い出してしまうんですよね。ラップ作品イメージを全て塗り替えられてしまって虚無になってしま感情を。

これ恐ろしいものでさっきまで『うう、、私たち幸せになろうね』的な乙女心だったのが『こんなもんよね!!!ありがとう夢!』ぐらいの心境の変化。

私の気持ちを一瞬で変化させるラップの強さ。ヒプマイが流行り始めた頃に「あー、私ラップで倒されたことあるから分かるわぁ」なんて思ってました。

多分なんですけど、見る時間が違っただけでだいぶ感情が違ったと思うんです。

作品を見て、デートが終わって、家に帰り着いて、落ち着いてからラインだので『この動画見てみてよ』と言われて見てたら「ラップ?意外だけど見てみよ。(涙腺崩壊)」ぐらい行けたんじゃないかなと思います。感動系CMとかでも一瞬で泣けるので確実に落ちてたと思います

人に何かを勧める時は順番に気をつけようと思いました。てかその人が見たいと思ってるときに見せるべきかな……難しいや。

ということで、その後新海監督の作品を観るたびに謎の体調不良がなぜか出るようになった女の話です。

これを機にヒプマイ勉強してみようかなぁとか思いつつ新海監督の新作をとても期待しています

君の名は』の時は映画開始5分で退場してしまったので、次こそ完走をっ!!もしくはレンタルかな……(ハードルを下げる作戦

吐き出して少しだけすっきりしました!ありがとうございました。

2019-04-16

あれ? これ女性監督で年間邦画興行収入1位いくんじゃね?

今回の名探偵コナン監督女性だってよ。

で、今回の名探偵コナン3日で18.8億円の興収で去年よりペース早いってよ。

去年のコナンは91億で邦画2位だった。


ここ10年の興収TOP10に入った女性監督( ドラえもん寺本監督聲の形山田監督 )は全部アニメだけどコナンの永岡監督もそうなるのか。


追記

あーいかん。

そういえば今年、天気の子があるんだった。

でもこのペースだと100億付近まではコナンいくだろうし、新海監督の映画ももう一回200億越えはさすがにきついだろうからデットヒートは間違いないか

※追追記

あー口コミあんまりよくないのか。

2018-08-26

https://anond.hatelabo.jp/20180825190041

知らんけど新海監督って日本チェーン店看板だらけの街並みも美しく描いてるの?

そら電柱電車なら機能美を見出すことは難しくないだろうが日本の街並みの醜さってチェーン店などの看板にあると思うのだが

2018-08-25

アジア人ヨーロッパコンプレックスがいい加減ダサすぎる

なにがヨーロッパじゃ。どいつもこいつも。うんざりじゃ

なにが街並みが美しいだよ。あんな作られた美しさなんか微塵も魅力ねーわ

街並みキープのために情報が削られまくって窮屈な生活になってんだろあいつら ああいうのをディストピアっつーんじゃ

  

ヨーロッパの美意識なんかくそくらえだよ 真の美しさってのは人間暮らして行くために必要ものが連なって自然に生み出されんの

そもそも意識するもんじゃないんだってば。新海監督はやっぱ神なんだよなー。電車や車や電柱やらコンクリートやら こういうものに美を見出してこそだよな 

  

ヨーロッパの街並みなんてのは狙ってやったあざとさ全開で気色悪いんじゃ。どう?俺たち美しいでしょ?みたいな。

美しさなんて狙ってない、何気ない日常風景こそが美しくあるべき。我ながら名言じゃね?

 

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追記

https://anond.hatelabo.jp/20180825190041

なんかこれが結構まれてて焦りましたわ。

まぁ何が言いたかたかというと

 

ヨーロッパヨーロッパ言ってないで日本日常風景の美しさを見ろ

・奇妙に揃った街並みより暮らしの中でつらなって来たものが美しくあるべきだと思っている

 

の二点かね

  

https://anond.hatelabo.jp/20180826134800

日本景観人間なら誰でも感じ美しさの部分で既に誤りを犯してる場合が多い。ここを修正しようぜって言ってんの。

 美しさの部分の誤りってなんだ?景観修正暮らし否定しょうが

 それこそヨーロッパ化するわ

  

自然調和した庭造りや情報を削って抽象化する独特の美意識日本文化には多く見られると思うんだが。

 日本文化=電柱コンクリじゃないだろと言いたいようですが、暮らし時代とともに変化するものです。

 『今の日本暮らしの美』は今あるものです。もちろん自然調和されている地域そのままでいいし

 コンクリ景観そのままでいい。暮らしの上で不便でない限り景観のためだけに整理する必要はない

  

景観論者は日本が嫌いだから日本景観否定してると感じるみたいだが、

>むしろ日本文化のポテンシャルを生かしてない、これまでの日本文化をガン無視してる現状を改善しようぜって言ってるんだがな。

 だから、『これまでに戻ろう』ってのが暮らし否定でありヨーロッパ化だっつってんだよな。

 昔の日本文化を生かすために原住民が狭い思いするのは京都とか一部の観光地だけで十分なんだわ

2018-08-08

エヴァ:||製作委員会庵野おまえ遅すぎ、クビや」

代わりに頼むで!細田監督

回想小学生シンジ「んなぁぁぁぁあああああああ!!!」(ケモノ化)


代わりに頼むで!新海監

シンジ「あっ!あやな…み ッ!(カヲル君と…)」

綾波「…なにか用?」

シンジ「う、ううん。なんでもないんだ…」

綾波「…さようなら


代わりに頼むで!宮崎監督

宮崎監督一般オーディションから選んで声優は全員チェンジ

2018-01-06

君の名は。」(そして、星野源)がヒットして本当によかった

君の名は。」は名作だ。脅威的な興行収入を叩きだし、大人から子供までが映画館に向かった。結果的2016年という年を象徴するような、国内から海外をも巻き込んだ社会現象にもなった。メディアは'宮崎駿後継者'と新海監督を褒めそやし、関連商品が飛ぶように売れていった。

素晴らしいことだと思う。このブームは今の日本によくある、'大手メディア大手広告2社の大人達'によって、予め社会的意図として起こることが決められていたブームではないからだ。

もちろん新海誠監督にとって、一般的ネームバリューを獲得する本当の意味での出世作となるべく川村氏というプロデューサー広告会社バックアップにより作られた作品だったが、ここまでのヒットを誰が予想しただろう。これまで素晴らしい作品を作ってきた監督が、それにふさわしいヒット作と称賛を受け取ることができて、心から良かったと思っている。

星野源の作る曲や新海監督の映画がヒットしたというのは、私たちや名も無きクリエイターにとって大きな希望となるだろう。

現代の、特に日本という国のポップカルチャーという枠組みの中では、「本当の意味で'いい作品'というのは、そこまで売れない」という主張が一般的だ。

しかし、そんな醒めた常識を彼らは打ち砕いてくれた。私としては、この流れがこれからもなるべく続いてくれればいいなと思っている。

いずれにせよはっきりとしているのは、来るべき新海監督の新作が楽しみで仕方がないということ。

本当の意味で、富も名誉も手にしたであろう稀代のアニメーション映画監督は、次にどんな世界私たちに観せてくれるのだろうか。

2018-01-05

海監督はエロゲー出身ではなく

日本ファルコムで働いていた

イースとか英雄伝説とかなんとかの軌跡とか聞いたことあるでしょ

そこ作ってたメーカーにいたの

2017-11-26

https://anond.hatelabo.jp/20171125001839

自分インフラエンジニア(♂)で、すでに結婚していて、周りもみんなインフラエンジニア(但しITOpen系)から感じた件をマジレス

なお、Step1.の人材探しは、都内あたりだと、フットサルテニスゴルフハイキングなどの軽めのスポーツ系がおすすめ。どういうわけか、Step1に合致する系のインフラエンジニアは、これらのスポーツ系にも所属していることが多い。ちなみに、偏見覚悟でいうと、Step1.に該当しないインフラエンジニアは、何故かIT勉強会か、文化系漫画アニメアイドル・その他文化系)専門サークルに多数生息していることが多いので、アプローチするコミュニティ絶対に間違えないようにしてね!

2017-09-20

君の名は。』と絵コンテと騒ぎ

私はアニメ絵コンテが好きです。そこには監督演出家が考えた「生」の表現があるからだと思います最近買った絵コンテは、最近でもないですが『君の名は。』のちょっと後に公開された『この世界の片隅に』です。絵コンテ片渕須直監督監督補の浦谷千恵さんによって描かれています。そこにはあの濃い原作をどうアニメーションに落とし込むかの筆致が出来上がった映画以上に濃く感じ取れます

原作があるのですから原作の駒を貼っても良いわけです。少し古い作品になりますTVアニメ魁!!クロマティ高校』は意図的にかどうか漫画の切り抜きで絵コンテ構成されていました。基本的にはこちらが例外で、絵コンテ監督演出家が「表現」としての設計図役割を持っています

この世界の片隅に』の絵コンテ原作漫画の魅力に加え、数年にもわたって監督広島に通って得た膨大な取材の結果が通りの一本一本、呉の港に列ぶ戦艦一隻一隻まで、絵コンテを読む魅力に溢れています

君の名は。』についてはどうでしょう。さすがにパクりや盗作とは言い過ぎと思います。ただ、宇野鋼之介監督は「(新海)監督の中でキチンと変換できていればそれはオリジナル。」と軟らかく書いていますが、キチンと変換するというのは他の作品カットを持ってきてトレスすることでしょうか、と疑問もわきます。あの三葉の家は箱で書いて「宮水右手側面・設定参考」で良かったと思うのだが。庵野秀明引用の名手と思っていますが、新海監督ほどには迂闊ではないように思いますオマージュなら隠そうともしませんし。

さて、この騒ぎの収穫は以下のレビューが読めたことです。

君の名は。 - Hold Fast that Which is Good」

http://yokimono.hatenablog.com/entry/2016/09/11/220139

これだけは新海監督に対して声を大にして言いたい!

監督、この作品、すごく【虹色ほたる】っぽいですよね?」と。

この文句、私も言いたかったです。

で、最後にひとこと。

虹色ほたる』は良い映画なので今回初めて知った方は観てください。

https://m.youtube.com/watch?v=hPOnRKvxWqw

2017-06-13

新海誠

新海誠

@shinkaimakoto

僕の交際関係を報じる記事が出たとのこと。記事中にある食事等は事実ですが、交際事実は一切ありません。お騒がせしてしまい、たいへん失礼いたしました。

RAIE‏ @R8eru 1 時間1 時間

関係を持つなら神木さんですよね。

ぱち‏ @xymcs542 1 時間1 時間

海監督が関係もつのは

神木くんだけだと信じています

2017-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20170331130500

作品が全く無い状態で、企画書が回ってきた段階で「これが当たる!」と判断して出資出来る人はほぼいない

作品単位と作者(=ブランド単位のどちらで捉えるかで話が変わってこないかな?

ブランドの売り込みをイメージして元増田を書いたんだけど、

作品単体でいかに売れるかって話になると今の考えをそのまま適用していいかわかんない・・・


けものフレンズの例だと、問題はたつき監督いかにしてキャズムを越えたかで、

てさ部から注目できてた人たちがいないといきなりヒットはできないような


自分にとって今日一番の気付きって

「先にほしのこえを作らないと秒速は作れないし、言の葉の庭を作っとかないと君の名は。も無理」

ってことだったの

お金や助けてくれる人のことじゃなくって、

いきなり(小規模であれ)秒速だけ(ほしのこえ以前の新海監督が)作っても

「あーよくあるそれ系ねw」で終わっちゃうんだろうなって


最近必死こいて君の名はをやろうとしてたから、

そっちじゃないのかな、ちょっと考え方変えないとなあって話でした

2017-01-23

ティアマ彗星整合性を考える(ネタバレ

確かに整合性おかしいところは多い。私は3年のずれに気づかないことよりも、この広い宇宙隕石が1200年周期で同じ場所を直撃することのほうが超天文学的確率というか、分母が10の何乗になるのか、そのほうがずっとありえないと思いながら見ていた。

http://anond.hatelabo.jp/20170122101332

彗星の名は

ティアマ彗星の名は、シュメールの龍神ティアマからとって新海監督が命名した。

ティアマトは神話では天地に引き裂かれて世界創造の元となった、また20世紀のヴェリコフスキー宇宙論ではティアマトも彗星として解釈されるのだという。

神話宇宙論における役割は公開後まで新海監督は知らなかったそうだが、ふつう人名彗星名前ティアマトとしたのは

監督アカシックレコード接続してこれら関連情報から無意識的に適切な命名をしたのだと、ムー1月号での新海監インタビュー記事にて明かされた。

そしてムーではもう一点、作中で描かれているが気が付きにくい事が新海監から発表されている。

テッシームー読者であり三葉の入れ替わりに並行世界やエヴェレット解釈アカシックレコードを持ち出したのはセリフにもあるから皆さん覚えておいでだろう。

終盤、避難のために奔走する時にもテッシームーを持っていて、その表紙には「ティアマ彗星は人工天体」との見出しが書いてあるんだそうだ。

全然気づかなかった。

部分軌道爆撃系人工彗星ティアマ

糸守には過去隕石落下でできたと思しき場所がある。糸守湖と宮水神社御神体のあるクレーターだ。

そして劇中では3度目の落下が描かれている。

1200年周期で巡ってくるティアマ彗星が毎度来るたびに地球付近で分裂して落ちてくる。偶然にしては出来過ぎ。

それも地球上にどこかへ落下、ではない。精確に糸守を狙っての着弾。大気圏燃え尽きることなく地上に爪痕を残す龍。

ティアマ彗星は何者かの作った人工天体であり、天文学的スケールと精密さで糸守を狙撃していると考えるのが妥当だろう。

この彗星製造者仮定体Aと呼称する。

(つづきは明日書きます

2017-01-22

イギリスでの「君の名は」(今更だがネタバレ注意

残念だがそれほど人気がない。

俺は英国在住のおっさん年始ロンドンで見たが、そもそも上映している映画館が少ない。毎日上映している映画館ロンドンで2-3か所。860万人住んでいるのに。

月に数回上映がそのほかに数か所。以上。ザッツオール。公開後1月以上経過しているから減ったのだろう。

客の入りは5割くらいで、そのうち6割がイギリス人、4割は東洋人。中国人韓国人日本人

イギリスメディア君の名はを絶賛した、という記事は俺も見た。口コミサイト評価も見てみたが、非常に良い。

更には上映後のイギリス人の反応を観察してみたが、満足そうに見えた。

ゆえに入口でのハードルなのだろう。ただし内容について「感動」「ラブストーリー」というよりは「展開が早く引き込むストーリー性」「映像の綺麗さ」が評価されているように思う。

若者ラブストーリーである君の名は」がイギリスアジア圏のようなヒットにならない理由は以下のように推察している。

欧米ではおおむね共通ではないかと思う。

アニメ子供オタクのもの

今でも完全にそうです。宮崎アニメのように家族で見に行くならともかく、ラブストーリーアニメで見ようという発想は世間若者に全くないように思うし、他人に知られたら恥ずかしいことと思われる。

なお本作では奥寺先輩が煙草を吸ったり、瀧が酒を飲んだりするので12規制がかかっている。

・瀧と三葉は欧米人から見て魅力的か

作品にのめり込めるか、一番重要なのはこの点だと思う。瀧が三葉が男性として女性として魅力的に描かれているか

多くの日本人には、瀧はイケメン、三葉は高校時代は可愛く大人時代美人、という設定に異論はないと思う。

欧米人から見ると、経験に基づく推測だが、瀧も三葉も体が薄っぺらすぎる。

瀧は本人のときでもかなり「中性的」に寄っている。欧米人からジャニーズ中性的子供に見えるということと同じである

(3人組のうち)高木くらい男くさいほうがいい。イギリス人は瀧に対してこう言いたくなるだろう。「もっと肉を食え、ラグビーで体を鍛えて、女性を守れる男になれ、髪形もベリーショートリーゼントしろ」(適当

三葉は単純に子供に見えていると思われる。もっとグラマラスな魅力が出てこないとラブストーリー主人公という雰囲気が出てこない。シャイ性格マイナスだ。瀧の三葉くらい気が強いほうがウケる作品内でもそうだったが)。

イギリス人ラブストーリーは顔を0.3フィートくらいの距離まで近づけてロマンティックな言葉を囁きあう感じなので、瀧と三葉の恋愛動作は非常に幼く見える。こちらの高校生結構オトナである

山頂で出会うシーンもイギリス人なら、強くハグして、濃厚なキスをして、0.3フィートである(超適当)。名前を書きあっている場合ではない。出会って3秒でハグキス0.3フィートである高校生にそういう描写が許されているのかは知らない。

ラストシーンでいったん声をかけずにすれ違ってしまうシーンには、階段の一番下から大きく手を振って「Hey!!!, I think I met you sometime and somewhere!!!」と大声を出さないのか不思議であろう。奥ゆかしさは理解されてもそこから生じる感動は理解されないと思う。実際に泣いている人は少ししかいなかった。クライマックスの「すきだ」も字幕からね。手によくわからん文字が書いてあって字幕I love youちょっとねえ。

日本人おっさんである俺にとってどうだったかというと「超面白かった」。イギリス日本、機内の計3回も見てしまった。最初に見たのは機内だったが、中年おっさんうるうるしているのを見てCAさんはドン引きしていたことであろう。少し気になるのは日本での作品への「評論である。確かに整合性おかしいところは多い。私は3年のずれに気づかないことよりも、この広い宇宙隕石1200年周期で同じ場所を直撃することのほうが超天文学的確率というか、分母が10の何乗になるのか、そのほうがずっとありえないと思いながら見ていた。変電所の爆破は中部電力に連絡が行ってしまったので町を救ったからお咎めなしになるものではあるまい。ああい会社は融通をきかせるのが難しい。テッシ―の「髭剃れ」の話は収監されていたから?などとも思った。しかしながら、内容の整合性に難があってもそれ以上の魅力で引っ張ってくれれば私はそれでいいと思う。官僚銀行員のような減点主義映画を見てもつまらんでしょう、と個人的には思う。

キネマ旬報ベスト10がどういう選考基準なのかHPを見てもよくわからなかったが、アジアで数千万人を引き付けた映画よりも、日本映画だけでも10個も上位があったら、それって大ニュースなのではないかと思う。売れる映画と良い映画は違うというのは一部分かるが、それよりはもっと簡単説明できる言葉があるのではないかスノビズム大衆は見る目がない、ということだもの

同業の監督評論家の「売れる要素だけ詰め込んだ」とか「モチーフがありきたり」の批判に対しては、おっさんは長く生きているので、30年前の「ノルウェイの森騒動を思い出す。「100%純愛小説」と付けてクリスマスカラーで売り出した同書は「君の名は」と同様に爆発的に売れ、今ほど有名でなかった村上春樹スターダムに押し上げると同時に、評論家から「誰でもかける薄っぺら通俗小説」「ありきたりの三角関係」などの多くの批判が浴びせられ、その騒動村上春樹は心を痛めて日本を離れた。彼の作風にも影響が出てしまった(軽妙さが失われた)と思っている。

俗流日本論にはなってしまうが、やはり日本嫉妬文化根深い、と日本を離れて思う。

海監督が村上春樹級なのかは知らないが、売れれば批判する人たちがいるのは世の常なので、どうか気にせず頑張ってください。

2017-01-20

http://d.hatena.ne.jp/higasibata/20170118

これ読んでて面白かったんだけど、悠木碧が演技派だと思っている悠木碧推しの一人としては

匿名しか書けない内容を含むので増田コメント

あ、典型的悠木碧推しであるかどうかは一切保証しないので、みなこうだとは思わないでね。

声質声優か声色声優かという点では、前者だというのは完全同意

でも幼女戦記とワルブレについては好きな演技だ。合ってないとも思わない。

そもそも、合ってる合ってないは好みの問題から見解が異なるのは当たり前とも言える。

参考までにわたしが好きな最近の碧ちゃんの演技を挙げておくと、ユリ熊嵐百合園蜜子、

僕だけがいない街の雛月加代、聲の形西宮結絃、アンジュ・ヴィエルジュのレミエル、

クオリディア・コードの天河舞姫田中くんのいつもけだるげの莉乃、幼女戦記のターニャ・デグレチャフなどだ。

いい加減にしておかないと全作品挙げかねないので柄にもなく厳選した。

わたしが思うに、彼女は声質タイプなんだけど、自分の声を端から端まで使うことに躊躇がない。

それがはっきり出ているのが弱酸性ミリオンアーサー48話

http://www.nicovideo.jp/watch/1484102729

モーガンの演技で

同作では少ししか出番がなく、もう一つの出番38話でも奇声しか出していないので

普段モーガンてどんな声なのか聴いててまったく判らず、でも面白い

碧ちゃんの演技はめっちゃ特徴あるので、ここ数年わからないと思ったことが殆どないが、

聲の形の結絃の声は判別時間がかかった。事前にキャスティングを知ってたにも関わらず。

彼女イベントとかで演技論を少し語ってくれることがあるんだけど、その内容から

明らかにカメレオン声優立ち位置は目指していないことが判る。

でも先述のように、どんな声を使うことにも躊躇がないので、結果的表現に幅ができ、

現場で適切な声を適切な解像度選択することができれば、演出家の求める音を出すことが

出来る、ということなんだろう。

演技力については本人がどう思っているかはよく判らないが、わたしが聞いた範囲では

本人はネガティブ評価しか言っていなかった気がする。でもそれもだいぶ前の話だし

自己評価を基本口にしないので今どう思っているかわからん

演技プランがどれも同じ、というのは4年くらい前には感じたことあるな。

それはある種の運動神経みたいなもので、現場の状況に合わせて素早く声でリアクションする

ことを優先した結果、それがOKテイクになったのかなと思っていた。

収録を短時間で終わらせることを考えると、早くフィックスすることは必要だろう。

今は出番の数も違い、主役か脇かというと後者のほうが多いので、そうすると似たような

タイプの役にキャスティングされることが増えてきた。

結果として別々の演技プランに沿ってやっていることが、かえってよく判るようになった。

君の名は。名取紗耶香の演技については、もっと海監督を評価してやってほしい。

あの映画は他の役者もそうだけど、声の出演者の立ち位置が細かく決められていて、

誰がやってもそこにハマる演技しか許されなかったんだろうと見えるから

合ってると思うのなら、それは合わせた人の手柄だよ。

あと、もうあまりロリ顔には見えない。個人的には、だけど。

3月で25歳だし、それはそれでいいんじゃねと。

そんなわたしにとって推しとはどういうことかというと、例えば2chなどでどんなに口汚く

彼女仕事についての悪口が書いてあるのをうっかり読んでしまったとしても、

本人の演技を聴くと「別にどうでもいいか」と浄化される気持ちのことだ。

2017-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20170115164638

根底にあるのは新海監督への理解の違いと見た

自分は新海監督は絶対女殺さない派

あんなに未練かつ憧憬乗せまくり女性なんか殺せないだろう

2016-12-05

個人的に、君の名は。面白かった理由(売れた理由わからん

http://anond.hatelabo.jp/20161205000501

設定と小道具が秀逸だった。

1000年周期の彗星接近(及び破壊)に、1000年続くお祭り伝統的な口かみ酒。

入れ替わりとタイムパラドックスの要素を組み合わせたストーリー陳腐というかあるあるなんだけど、

歴史(実際にある伝統から感じるミステリアスさ含む)と科学を組み合わせたっていう点で、

ファンタジー面白いものになった。

加えて、アニメーションからなんだけど、

実写よりも美しく感じる表現がある。

特に新海誠アニメーションに美しさを持ってきた監督だと思う。宮崎駿とは別の種類の。

彗星なんかは、実写ではリアリズムを追求するので、それに合わせたCGになる。

それを美しく感じる人もいるとは思うけど、

新海が描いたような絵で描いたものほど万人受けはしないと思う。

まぁ、君の名は。は一回しか見てないけど、

設定の組み合わせのセンスというかアイディアだけで敗北感を感じた。

新海作品はわりとテンプレートだなぁと感じるし、

ストーリーは誰かに相談しながらやった方がいいのかな、って感じる。

脚本任せて良かったと思う。演出表現は良いってわかってるのだから


ただ次の作品心配ハードルが上がってる(とも言えないか自分周りは評判悪かった)。

自分は新海監督には過去ガッカリさせられたこともあるので免疫あるけど、

世間はどうなんだろ。

自分が一番好きな新海作品は秒速なんだけども。



追記

ブコメ

〉インタラクトさせたのがよかった。

そうだわ。その通りだわ。時間地理的空間を飛び越えてようやくの逢瀬だったか面白かったんだ。

2016-12-01

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である

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君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。

さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

**************

さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

**************

 

さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-18

海監督は肝臓壊すぞ

酒飲みすぎだろwwwwwwwwwww

アル中なのか?w

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