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2020-08-23

米津玄師ファンを辞めた話

米津玄師国民アーティストとなって久しい。

もとよりアイネクライネをはじめとしてLOSER、ピースサインなど若者を中心に認知はされていたけれども、Lemonがこんなにも幅広い年代に聴かれる曲になるとは思っていなかった。音楽といえば昭和歌謡で止まっている私の母でさえもCDで何度も聴きライブDVDを繰り返し観た。その母よりもさら流行りに疎い父でも、とりあえずは「米津玄師」の名を知っているというほど、Lemonは彼の存在を世に知らしめた。

そして8月5日米津玄師の3年ぶりとなるアルバム『Stray Sheep』がリリースされた。Lemon、flamingo、馬と鹿など数多の人気曲を引っさげた「最高傑作」と評価されたアルバムだ。

当然私も買った。そして全曲聴き終わった後、脱力してしまった。「みんなのものになってしまった」と、ほんの少しの絶望と寂しさを感じたのだ。

私は彼の大古参ファンという訳ではないが、それでもハチ時代の曲はそれなりに聴いてきたし、米津玄師の名でメジャーデビューしてからはずっと彼を追いかけていた。ボカロPとしては伝説級の人物で、ボカロ全盛期と言われたあの時代を生きた人間しかこ感覚は分からないと思う。多分この感情を持っている時点で、これから米津玄師についていける人間のふるい落としにかけられていた。

ハチ(ボカロ)の曲をバカにしていた友人が米津玄師の曲を褒めているのを見るとムカつく」というのはLemon以前、もっと言えば一回目の転機になったであろうアイネクライネ以前から応援しているファンの中でのテンプレ感情である。「応援してたインディーズバンドメジャーデビューしてちょっと寂しい現象」と似たものなんだと思う。かくいう私もLemonが大ヒットを飛ばしている最中自分の事のように誇らしい気持ちの裏にどこかそれと同じ感情を抱いていた。それを拗らせに拗らせた結果がこのブログだ。(そのようなテンプレ感情を患わせた古参米津オタクのみんなにはなるべく新規ファンに優しくしてくれることを祈る)

ただ、それはある種仕方の無いことだ。ハチから米津玄師初期、アルバムでいうとdioramaやYANKEEあたりの曲と、BOOTLEGやStray Sheepの曲の雰囲気はまったく異なるから新海誠で例えると『秒速5センチメートル』と『君の名は。』くらい違う。

それでも私はあからさまに変わった彼の音楽に対して感じる寂しさを拭えきれなかった。

音楽の専門的なことはよく分からないので「この曲のこの音が〜」などと詳しい話はできないが、単純に昔の彼の音楽が大好きだった。好みの別れそうなおどろおどろしいサウンドや、少し毒々しい歌詞名前も付けられないような感情を代弁してくれたような優しい歌詞も。米津玄師は私にとって、教室の片隅にちょこんといる人間を、誰も知らないアミューズメントパークにこっそりと連れ出してくれる魔法使いみたいな存在だった。そこで集まったみんなは似たもの同士だった。一種選民思想的なものさえ感じていた。

だけど今では「好きなアーティスト米津玄師です」と言うのがはばかられる程の人気者になった。好きであろうと嫌いであろうと、とにかく新曲情報が入ってくる。そんなポップアーティストとなった。

米津玄師」の名のついたものはなんでも売れる。それくらい、彼は彼自身ブランドを築き上げた。もう小学生適当に作った曲でも、米津玄師製作と銘を打てば売れるんじゃないかって、そんな意地悪なことも考えたりするほど。

そして彼を好きであることはアイデンティティでもなんでもなくなった。

みんなが彼の曲を聴くから。彼の音楽大衆文化として消費されるようになったから。純粋に彼の心地よい魔法にかかっていたのが一変、彼の噂を聞きつけた野蛮な人間に土足で村を踏み入られたように感じられて、なんだか居心地が悪くなった。

何が悲しいかって、彼自身がそれを望んでいたことだ。

米津玄師は度々インタビューで「普遍的ものを作りたかった」と語っていた。そしてそれがLemonであった、と。

その言葉を聞いたときに、「みんなの歌」じゃなくて「私たちの歌」を作ってよ、と叫びたくなった。しかしそれと同時に勘違いしていたことに気づいた。私は勝手自分エゴ押し付けていたのだ。彼を自分代弁者だ、「こっち側」だ、と祭り上げていた。彼が見ている世界は、そんな小さなものではなかったのに。だけど、どうしてもそれが、置いていかれたみたいで嫌だった。

よくよく落ち着いてみると、こうして純粋に彼の曲を楽しめなくなってしまったのは、私が本当に好きだったのが「あの頃の米津玄師」ではなく「あの頃の米津玄師を好きな私」だったからかもしれない。それはそれでかまわない。

どれだけ私が寂しがったところで、彼はこれからも素敵な曲を書きもっともっと愛されるアーティストになっていくだろう。コンサートで「誰一人この船から落としたくない」と語ったように、これから米津玄師という船は正しく真っ直ぐ平等に、より多くの人を救うような、より多くの人が楽しめる方へと舵を切っていくのだ。

彼の素晴らしい旅路に祝福を。無惨にもその船から零れ落ちて溺れ死んだ人間からささやかな反逆心を持って言葉を送らせてもらう。





追伸・この文章を書いている最中米津玄師カロリーメイトCMに出ていることを知り、さら絶望した。

2020-08-12

アイディアが先越された

タイトル釣り

何とでも言えるのを逆手にとって、ここに書き捨てる。

武漢大学などの研究者が、画像動画新海誠監督宮崎駿監督が作るような画に変換するシステムを開発したらしい。

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2008/11/news096.html

これと同じ様に、3DレンダリングAIシンクさせて新海誠作品風にレンダリングするというアイディアまで考えてた。その名も「SyncAI」(しんかい)

技術的な事はまったく考えてなく、名前だけ。

からアイディアとか全然違うのは分かってるんだけど、画を様々な監督風にしたいっていうニーズは、洋の東西わずあるんだね。

2020-07-17

anond:20090717010338

One more time,One more chanceのPVとして100点満点の出来だったと思う。

新海誠監督音楽に合わせた作品を作るのが本当に上手い。

2020-07-04

さらの『天気の子感想

感想要約

『天気の子』は"子どもたち"(陽菜さんと帆高さん)が自然災害対立する話ではなく,実際には"大人たち"と対立する話であるという視点大事だと感じた。

『天気の子概要

『天気の子』では"大人たち"や社会は,"子どもたち"と"世界の仕組み"のふたつを無視していることが描かれる。

そして偶然にもそのふたつを兼ね備える子どもたち,つまり世界の仕組みを担っていた子どもたち(陽菜さんと帆高さん)が,今度は今まで自分たち無視してきた社会無視するという決断をする。

この決断が天気の巫女をやめて東京沈没を選ぶということだった。

『天気の子』内容の確認

自然災害無慈悲かつ強力なので人々は受け入れるしかないが,天気の子人柱にするなどの方法はあった。(これが"世界の仕組み")

しか世界のことに興味を持つ"大人"はほとんどおらず,大人の多くは自分生活を優先していた。

同様に子どもたち(帆高や陽菜さんたち)を優先する大人もあまりいなかった。

たとえば警察は帆高の天気の巫女の話を無視して仕事を進めた。

児童保護施設陽菜さんたちがあのまま暮らしたいという意思無視した。

須賀さんも家出した帆高が東京で暮らすことを手助けしていたが結局は娘のために帆高を島に帰らせようとした。

大人たちが良識的で常識的対応を続けた結果,帆高たちは追い込まれしまった。

帆高は一度は手に入れた3人暮らし幸せをもう一度実現するために,人柱になった陽菜さんに対して帆高は自分たち幸せに生きるために社会のことは無視しよう,と伝える。

陽菜さんが天気の巫女をやめて雨は降り続き東京沈没する。

④数年後に帆高が東京に戻ると,何人かの大人たちは東京沈没を受け入れている様子が見られた。(もともと海だった場所を埋め立てた土地がまた海に戻った,など)

これは①の自然災害は受け入れるしかないものという態度が一貫している。

帆高はこれで本当に良かったのかと自問する。そして自分たちならきっと大丈夫だと確信して終わる。

感想タイム

改めて,帆高と陽菜さんの決断はよかったかと考えるとあんまりよくはないだろう。

最も良い可能性とは大人たちが子どもたちのことを理解し,世界の仕組みを知り,一致団結して自然災害対峙することだった。しかしそうはならなかった。

じゃあ陽菜さんの命と東京とでどっちが大事か,とか聞かれてこっちですとか言える人もあんまりいないだろう。それはつまり帆高のやったことが間違ってると言える人もあんまりいないということである

から自分は帆高たちのことはあんまり悪いとは感じない。

そもそも帆高たちには人柱東京を選ぶトロッコ問題スイッチたまたま与えられただけで(陽菜さんにとっては自殺東京かを選ぶスイッチである),彼らは別に英雄総理大臣とかじゃない。彼らが人々を助けなきゃいけない理由特にない。

だがしかし陽菜さんは一度は晴れを届けるという形で人々と関わることを自分生き方の形として納得していたので,陽菜さんにとって人柱になることはそういった生き方の延長線上にはあったかもしれない。

帆高の言葉は,そうやって新たに獲得できたばかりの天気の巫女というアイデンティティも捨てて生きていこうという提案だったわけだ。

この辺は前作の『君の名は。』より話が一段階難しくなっているなと感じる。『君の名は。』では,三葉は隕石から町を守るにあたって父親(大人たち)の協力を得られなかったが,結局子どもたちだけでうまく問題解決することができた。

一方で『天気の子』では東京沈没はうまく回避できなかったし,世界の在り方だけでなく,これから陽菜さんたちはどう生きていけば良いのかという彼ら自身問題まで提示されている。

君の名は。』の話を出したので,『天気の子』含めこれら2作における"世界の仕組み"観についてちょっと振り返る。

これら2作では何か神様のようなものもつ絶対的ルール(黄昏時とか入れ替わりとか天気の巫女とか)と,自然が持つ絶対的な脅威が関連している。

これらは新海誠監督の美しい自然描写や生々しい街の描写によってより説得力を持つものになっている。

まず世界に都会(東京)と自然があり,そしてその両方を支配している絶対的ルールがある,というのが世界観の基本にある。そして2作ではその絶対的ルールに巻き込まれ若い男女がテーマとなっている。

都会と自然の中に同じ神秘的な仕組み現れるというのは現代アニミズム的な思想を感じる。

君の名は。』では神秘的な存在というのは,神の領域としてしか現れず,つまり肉体(?)を持つ神様のようなものが目の前に現れるということはなかったが,『天気の子』では雲の魚や龍のような存在が描かれていて,神秘的な存在の具体的な描写が新しく行われていると思った。あの龍みたいなやつかっこいい。

ちなみに雨が続くやつは台風ではなく巨大な寒冷前線(真夏に雪が降ったのも特徴)として描かれている。これは非現実的災害として描かれていた。

『天気の子』の大人たちについて,彼らの対応が極端に間違ってたかというとそうでもないだろう。一応,陽菜さんが空に消えた夜に多くの人が陽菜さんが泣く夢を見たらしいが,それでも天気の巫女とか信じて行動するのは難しいだろう。

とくに刑事たちの働きぶりは淡々としていて彼らの思想が見えてこないと最初は感じたがむしろ仕事内面が出ないというのがまさしく大人らしい態度だったのだろう。

高井刑事が帆高にイラついたり,安井刑事が泣いている須賀さんに声をかけるというシーンは彼らの人間味を出しているが,しかし彼らはとくに雨や天気の巫女については言及しなかった。(つまり世界の仕組みを認知していないあるいは興味がなかった)

その一方で,世界のことに興味があり,また就活中の身でありながら帆高や陽菜さんを助けるためにバイクでお尋ねものになってくれた夏美さんは"大人たち"には全く当てはまらない人物として描かれていると感じた。

夏美さんのこの作品における存在意義,特に就活に失敗するような描写がなんの意味をもっていたのか,夏美さんが持つ就活問題が帆高たちとの関わりでどう変化したのか,あるいは変化しないならなぜそんなシーンを入れたのかを結構不思議に思っていたのだが,こう考えるとあのシーンは夏美さんが大人たちの側の人間ではないことを描写していただけだったのかもしれない。

ついでに帆高が銃持つ必要あったのかという疑問もあって,最初陽菜さんの天気の巫女の力と対比するための帆高の力として与えられたのかな〜〜くらいに思っていたがあれもやはり帆高と社会対立を深めるための舞台装置だろうと思っている。

『天気の子』は大人たちと子どもたちの対立を強調しているが,これらに当てはまらない大人も当然いた。

天気の巫女人柱の仕組みについて知っている老人や,雲の上についてはしゃいで話す研究員などは世界の仕組みに関心のある人たちだった。また立花さんや天気の巫女の一環で関わった人たちのように,誰もが帆高たちの邪魔をしていたわけではない。

須賀さんについて振り返ると,家出理由を明かさないがとにかく東京暮らしたいという未成年の帆高の意思を初めて尊重仕事と住処を与えたひとだった。しかしやがては帆高を匿うことのリスクを考えて,万札と帽子を渡し帆高に帰るように伝えた。

(よくあんなにパッと出せるお金があるなと思った。)

帆高の家出理由最後まで明かされなかったが,深刻な事情あるかないかに関わらず意思を受け入れるというのは尊重の仕方として正しい形だろう。

須賀さんは最後は帆高のもう一度陽菜さんに会いたいという心に,妻を亡くしもう一度会うことが叶わない自分と通ずるものを感じたのか,警察対立し帆高を解き放つ選択をとる。

ここは帆高解放連盟のなかでも夏美さんや凪(先輩)たちとは全く違う動機を持っている感じがする。須賀さんはなんというか常に帆高を対象として動くキャラだなという感じがした。初対面でビールたかるシーンから想像できないキャラクターの広がり方だった。

そんな感じで『天気の子』はどうにもならない話だったという感じがあるが,帆高はまだ未来があると確信してたので今後に期待大。

帆高まとめ

家出し,東京ホームレスになり,高1で好きな女の子ラブホ宿泊し,東京沈没させた。

2020-07-01

anond:20200701153429

ディズニーディズニー映画ってシリーズから新作じゃない」論だと

「鬼滅はジャンプアニメってシリーズから新作じゃない」になるけど

他にも類似例沢山ありそう

ジブリもそうだし新海誠なんかもシリーズ扱いでいいな、天気の子君の名はの続編的な位置づけで売れてたしな

2020-05-26

断固として、映画 #天気の子に抗議します 

ネタバレ含みます

これから書くことは、新海誠の描く女の子気持ち悪さをディスるとかそういうことではありません。

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の発動により、人々が経済的に困難な状況に陥り苦しみを体感しました。人の往来が規制されるだけで、どんな過酷事態が発生するか私たちは痛感しました。

そんな経験をした直後に、あの忌々しいアニメ映画リリースされるなんて、これほど国民感情を刺激する出来事はありません。

関東を海に沈めて数十万人の命を奪う元凶となった男が、女とデートしていい感じになって、このあと絶対セ〇クスするんだろうなと、匂わせるラストシーンはらわたが煮えくり返り、ネット誹謗中傷をして自殺に追いやりたくなる胸糞の悪さです。

擁護派は「3年間かけて徐々に水没したのだから死者はいない」と言います

しかし、たとえゆっくりゆっくり風呂に水を張っても、いつかは浴槽から水はあふれて流れ出すのです。

東京には多摩川水系荒川水系利根川水系鶴見川水系と言った多くの河川が流れています。これらが一斉に増水し、氾濫を起こす悪夢想像してください。

国も河川が氾濫したときの死者数を想定しています国土交通省の試算によると荒川が氾濫した場合3500人が亡くなるとされています。すべての河川の想定を合わせると大変な数になります。水害は様々な被害を及ぼします。令和元年の台風19号汚水を逆流させ部屋を糞まみれにしました。また地盤の緩いところで土砂崩れを発生させるなど、多くの災害を発生させています。そう言った様々な事象を想定すると死者の数はもっと膨れ上がります

映画にはレインボーブリッジが水没しているシーンが登場します。レインボーブリッジと言うのは橋桁の高さが約50mあります。それが水没したと。つまり海面が50mは上昇したということです。

ここで海面50mが上昇したときシミュレーションをご覧ください。

リンク「Flood Maps」

http://flood.firetree.net/?ll=35.7174,139.7531&zoom=10&m=50

ご覧の通り東京だけでなく、海抜が低い埼玉県千葉県群馬県茨城県までもが海の藻屑となります

電車が止まって会社に行かなくていいなど、甘いものではありません。

経済が完全に止まります

東京機能しなくなります

どれだけの打撃があるでしょうか?

緊急事態宣言の1か月でどのような生活の変化があったか、だれもが知っていると思います

セックスは生きた人間しかできません。しかしそのために他の命を犠牲にして良いのでしょうか?

見ていて耐えられるものではありません。

こんな心ない作品ではなく、子供たちには道徳的アニメ作品を見て欲しいのです。

以上の点を踏まえ、私は映画「天気の子」に断固として抗議します。

2020-02-05

増田漫才

商標ってあるやん

あるね、商品名とかブランド名のやつね

あれって、先に登録したらいいらしいね

ニュースにあったね。中国無印良品が使えないってやつな

それそれ。実績関係なく先に登録した方が偉いんやてね。それでいい事思いついたん

爽やかな顔して悪巧みかい

ビジネスビジネス

それで何を商標登録するつもりなん?

宮崎駿

宮崎駿人名やんけ。商標って商品名とかブランド名に使うもんやろ。ブランド名人名使うのなんて自動車くらいやろ。トヨタホンダスズキテスラニコラ・テスラから来てるしな。自動車メーカーになるんか?

スマホ

スマホ

ス↑マホ

スマホってiPhoneとかGalaxyとか、人名ちゃうやん

それがいけるんやって。これ見てみ、宮崎駿で撮ったん

おお、綺麗やな。鮮やかな色彩はさすが宮崎駿や!

だろ

いけるやん!スマホ宮崎駿。爽やかな顔してエゲツないこと考えるな

新しい宮崎駿知っとる?

新しい宮崎駿宮崎駿もう作らんって言ってたやん

そんなん何度も言ってはる。これ、宮崎駿10プロ

プロ宮崎駿プロフェッショナルやけど、あえてプロ

これ見てみ

おお!さすが宮崎駿やな、夜の温泉街を綺麗に描いてるわ、間違いなくプロフェッショナルの仕事

だろ

いけるやん!いけるやん宮崎駿スマホ!はよ商標登録しに行こ!ついでに新海誠商標登録しよや

お前、クソ悪人面になっとるぞ

2020-01-21

ディズニーディストピア感が好きだった

色々買収始める前のディズニーは、ある程度統一された世界観

完全に教育されたキャストの、何というか軍隊宗教みたいな感じが面白かった。

言い方がちょっと悪いけど、仏閣に観光しに行った感じがあって良かった。

最近ディズニーは、本当の意味ディストピアというか

今まで見知ってた「俗」な映画が、ディズナイズドされて、本当にディストピアになった気がして気持ち悪い

スターウォーズ製品にもミッキーの影がチラついて、内容も改変されてるし悲しくなる

東大寺とかは区域が分かられてるから良いのであって、

そこら辺の新海誠作品に卍マークが、ついて

内容も説法みたいになったら嫌じゃん。

2019-12-27

ベストアニメ10落選作品供養

こういうのを書くのは蛇足なのであまりよろしくいかもしれないけれど、「なんでこれが入ってないんだ!」という異論が出てきそうなので、ベスト10選出にあたって考慮した作品ベスト10から除外した理由を挙げて供養しておく。

偽物語』(2012年

足の作画にこだわった実にフェチ映像化であり、映像不可能と言われていた歯磨きプレイ完璧原作再現してみせたのはただただスタンディングオベーションするしかない感じだったのだが、自分の中で化物語2009年)のファーストインパクトを超えるものではなかったので除外。シャフト時空と「君の知らない物語」の衝撃は10年経った今でも色褪せていないんだ……

戦姫絶唱シンフォギア』(2012年

2012年に1期が放映され、2019年に完結編となる5期が放映された、まさにテン年代を駆け抜けたアニメシリーズの第1作。「急に歌うよ~♪」に代表される外連味あふれる演出はほんと好きだし悠木碧水樹奈々も良い仕事してるなって思うしひびみくは尊いし「Synchrogazer」ほんと名曲で大好きなのだけれど、他の作品が良すぎてベスト10入りは厳しかったみたいな感じ。

咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2012年

アニメとしてのクオリティは確かに良いし、熱血シーンも多かったし(「改変完了…!」が好きすぎて何度も聞いてしまう)、穏乃が最高に可愛かったのでそこだけ切り取ればベスト10でもよかったのかもしれないけれど、原作改変してレジェンド無能キャラにしてるのは許されざる感じ。原作だとレジェンドは色々裏で手を打ってたわけだけどアニメ版では控室で解説聞いて「知らなかった」みたいに驚いてるシーン付け足されちゃったところが何箇所かあって、まあアニメだけ見てるとレジェンド無能に見えてしまうよな……なんもかんも原作改変が悪い。あと千里山関西弁もうちょいどうにかならんかったんか……

え? 実写化? やだなあ『咲-Saki-』は実写化なんてしてないですよ何言ってるんですか冗談が下手だなあHAHAHAHAHA。

氷菓』(2012年

なんとも評価に困る作品である氷菓だけに)。確かにアニメとしてのクオリティは高かったし、原作尊重もしていたと思う。でもやっぱりあちらこちらで「ええ~……」という感じになる改変箇所があった。キャラデザの段階で原作ファンをざわざわさせていたのだが、それはまあ解釈問題なので別にいいとして、「わたし、気になります」の謎エフェクトはいったい何なの? 『クドリャフカの順番』回で奉太郎真相を解き明かす場に里志がいたのは個人的には微妙。その場にすら居合わせられなかった辺りが福部里志なんじゃない? ただまあその辺は宥恕できる範囲だとして、ファーストシーズンEDは本当に許せない。なんなのあれ? 〈古典部シリーズにああいEDとか人を馬鹿にしてるのかと思う。セカンドシーズンEDはまあ良かったけど反省したのかね。OPは完成度高かったのになあ……。そして数年後に『氷菓』が実写化したときに「京アニイメージ台無し」とか「またアニメ実写化かよ」とか言い出す連中(末代まで祟ってやる)が出てきたのでやっぱりアニメ化しなかった方がよかったんじゃない? と思ってしまった。いや、アニメきっかけによねぽ作品全部揃えたとかい友達いるか安易否定するのはよくないのだが、高校図書室の片隅で読んでいた僕たちの〈古典部シリーズ横取りされた感はなんか強い。この辺のモヤモヤがあって手放しには褒められないので除外(ところで実写どんな感じでした? よねぽ作品初の映画化なのにまだ見てないというのは忸怩たる思いがあるのだけど、ちょっと見るのが怖い)。

最後に。細かい話になっちゃうけど、時代背景は原作発行当時にしてほしかった。作中でみんながスマホ使ってるのにチャットとかサイトとかあのへんの描写がすごいスマホ以前の時代匂いを漂わせていて、なんというか違和感があったんだよね。だったら時代2001年とかそのへんにしてキャラには一昔前のガラケー持たせればよかったんじゃない? と思う。スマホ以前の時代中高生活を送った者として、同時代に読んでいた小説空気感はそのままに一部の小道具だけ現代になってるのはやっぱりなんか変な感じがするんだよな。時代考証がちぐはぐというか。この点、出来はともかくちゃん舞台1990年代のままにしていたこの世の果てで恋を歌う少女YU-NO2019年)は賢明判断だった。

新世界より』(2012/2013年

文明崩壊世界原作通りに丁寧に、しかも我々の予想を超える形でアニメ化してくれてチョベリグだったのだが、競争相手が多すぎてベスト10に入れなかった格好。いやーほんとね、原作描写された未来の異形の生物たちをあそこまで丁寧にアニメ化してくださったのは素晴らしいですよ。そして浪川大輔さんの演技が最高だった。新世界より』で一番輝いてた声優は誰って言われたら浪川さんを挙げる。ほんとすき。

ただアニメオリジナルの大歓喜帝の即位シーンはどうかと思った。「大歓喜帝となられる!」っていう台詞があったけどあれは諡号なんだから生前そう呼ばれることはありえないと思う。もちろんそれは伝統的な王号の話であって未来適用できないのでは、という議論もありうるけれど、慈光帝にしても大歓喜帝にしても生前のおこないを皮肉る形でつけられてるんだからやっぱり諡号なんじゃないかなぁ。まぁこれは些細な点で、これ以外はケチのつけようもなかった。良アニメ化の見本みたいな感じ。

さくら荘のペットな彼女』(2012/2013年

単体で見れば良い出来なのかもしれないけど割と大胆に原作時系列を改変していて微妙な気分になるので除外。龍之介とリタの関係とかさぁ……。

Z会クロスロード」 120秒Ver.』(2014年

アニメを使ったCM最高峰だと個人的に思うので最後までベスト10に入れるかどうか迷った。

ヤマノススメ セカンドシーズン』(2014年

映像としてのクオリティ百合作品としての密度キャラのかわいさ、どれを取っても高品質で良い作品なのだが、原作描写違いすぎませんかね……? という理由で除外。だって原作完璧超人なキャラアニメ版で脳筋おバカキャラになってるのはちょっと擁護不能じゃないです? ゆうかのかえでへの思いが全然違うものなっちゃうじゃん……

響け!ユーフォニアム』(2015年

良い作品なんだけどちょくちょく原作描写変えてるんだよね。最大の問題はなぜ標準語にしたのかという点。原作では方言で喋っててかわいい漫画版もそれを再現してるのに! あと『2』であすか先輩の実家がなんで豪邸になってたのかがわからんあんな豪邸じゃああすか先輩が育ててくれた母親に恩を感じる理由微塵もなくない? どう考えてもアニメ版であすか先輩がこれまで生きてこられた理由実家パワーであって暴力をふるう親に感謝しなければいけない理由が見えてこないよあれじゃ。あすか先輩もひとりの高校生であり、特別人間なんかじゃない、という意味原作のつつましやかなお宅には込められていたと思うんだけど、そこ変えちゃうかー、という残念さはあるよね。夏紀先輩が大天使だっただけにこれをベスト10に入れないのは割と断腸の思いではあるが(でも夏紀先輩の描写原作と違う……ぐぬぬ)。

ガールズ&パンツァー劇場版』(2015年

ガルパンはいいぞ。……とだけ言って終わらせるのはあまりにアレだけど、実際にそうとしか言いようのない感じはあり。とにかく戦車アクションのキレが良く、それを映画の尺で濃密にやってくれたもんで大満足の出来だった。ベスト10に入れるつもりでいたけど気づいたら11作品くらい挙がってたので泣く泣く削った感じ。

君の名は。』(2016年

俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がるなんて予想もできなかったが、流行るだけのことはある作品だった。新海誠『天気の子2019年)とかぶるからバランスを気にして外した、以上の意味はなく、もちろんテン年代アニメ映画ベスト10に余裕で入る傑作である。これぞ新海誠という感じの映像美にこれぞ新海誠という感じのガバガバSF要素が加わりやっぱり新海誠じゃねーかとなる感じの恋愛模様を前面に出しつつも東宝かいう拘束具を得た結果オタクだけでなく一般人からも支持される作品に仕上がったのは本当にアニメ史に残るサクセスストーリーではあるまいか。いやだって言の葉の庭』の興収とは文字通り桁が違うというか……あのセカイ系がどうたらこたらみたいな論を立てるめんどくさいオタク大人気だった新海誠国民アニメ監督になる日が来るだなんて2010年自分に言ったら失笑されるだろうと思う。

この世界の片隅に』(2016年

映像表現としては素晴らしいの一語に尽きるのだが、重要なところで謎の原作改変を複数していて微妙な気分になってしまうので除外。リンさん関係の省略で妊娠を疑うシーンが意味不明になってたのもそうだし(これはこないだ公開されたバージョンではちゃんリンさんの出番あったらしいのでそっちに期待)、なんですずさんの慟哭シーンの台詞を改変したか未だに納得がいかない。そもそも原作では、「米軍空襲という暴力には屈しない→自分たちも暴力他人を従えていたのか→だから暴力に屈するのか」という一連の流れになっていたのに、映画では「米軍空襲という暴力には屈しない→植民地食べ物を食べて生きてきた→だから暴力に屈しなければならないのか」と改変されていて流れが途切れている感。もちろん真ん中の部分も自分たちが植民地支配という暴力を振るってきたんだと気づかせる意図ゆえの改変でだというのは理解するけれど(そしてそういう気づき方の方が一主婦であるすずさんの立場から自然だという論にも一理ある)、やっぱり「暴力に屈するものかね」という台詞を踏まえると原作台詞を維持すべきだったと思っちゃうんだよね。というか、原作そのままの台詞にも改変後の台詞にも一定合理性がある以上、原作を変えるべきじゃないでしょう常識的に考えて……アニメ化は原作の婢ですよ……

けものフレンズ』(2017年

すごーい! 君は下馬評の低さ、1話切りの嵐からソーシャルネットワークの勢いで覇権上り詰めた2010年代を象徴するような流行り方のアニメなんだね! 最初はなんだこれって思ったけど、普通に面白くてびっくりしちゃった! 最終話を待ってた1週間はとーっても長かったんだ! ……ということでベスト10に入れても良かったのだが、多くの人を満足させて終わった放送終了後にとんでもない騒動が(コンテンツホルダー側の責任で)巻き起こったのを思うとベスト10に入れるのを躊躇われ、最終的に外してしまった。アニメ外の要因で評価するのは邪道だろうけれど許してほしい。

で、こういう話をするならけものフレンズ2』2019年)についても語る必要があるだろうけれど、途中で切っちゃったんだよな。解釈違いというかちょっとそれはどうなのって思うところが多々あったので。ただその私がどうなのって思ったところも他の人の考察とかを読む限りでは最終的に「なるほどそういう問題意識に基づいていたのか~(私と立場は違うけどそういう立場立脚するのは理解できる)」みたいな感じに落ち着いて終わったっぽいので、完走すりゃよかったかなとちょっと後悔している(某所の感想を読んで「つまりけものフレンズ2』は『ソラリス』だった……?」というある種の納得を得た)。でも是非以前にクオリティ問題で見ててあんまり面白くなかったんだよ『けものフレンズ2』……

あと私もたつき監督作風は好きだけど、吉崎観音がコンセプトデザイン(≒原作)であってたつきあくまアニメ版の監督に過ぎないっていう前提を忘れてまるで1期が原作であるかのように振る舞う2期批判派の人は生理的に無理。実際のところはどうだか知らないが、仮に吉崎観音たつき対立して前者が後者を追い出したというゴシップの内容がすべて正しかったのだとしても、原作者とアニメ版の監督対立しているのなら普通原作者の肩を持っておくのが良識だろうと思っていたのだが……?

リズと青い鳥』(2018年

単体で見ればとても良い出来なのだ希美みぞれ関係性あるいは夏紀とみぞれ関係性に関し解釈違いというか原作と違う箇所があって微妙な気分になるので除外。原作の久美子が夏紀や優子に置き換わった結果関係性が変わっちゃってるんだよなぁ……。原作希美が久美子に弱さをさらけ出すシーンを夏紀&優子相手に変えたら原作の夏紀先輩が見せた気遣いはどこに行ってしまったの? ってなるし、クライマックス台詞にしても原作とはニュアンスが違ってきちゃうわけで……。そもそも希美先輩はなかよし相手あんな弱音を吐くキャラではなかろうし(あれは相手が久美子であったことに意味があるのであり)。あと夏紀先輩が謎にみぞれ先輩に優しいのはなんでだ。原作では割と冷ややかに見てたよね……? というか原作と明らかにクライマックス後のnzmzの距離感が違うじゃないですかァーーーーーッ!!!(いや短編集まで含めての話です。希美の誘いをきっぱり断ったみぞれ先輩はどこいっちゃったの?)公開直後に「のぞみぞ添い遂げて」とか言ってる人たちを見て、はぁお前らどこに目ン玉つけてんだいったい原作のどこに添い遂げる可能性を感じられるんだ、と思ってたけど、映画見てみたらそう言いたくなる気持ちもわかってしまった……ともかく関係性が原作と違う……

キャラデザも意見が分かれるところだろうと思う。個人的に傘木希美キャラデザはTVアニメ版の方が好き。地に足が着いてる感じがする。リズ版は軽薄さが強調された感じに見えて傘木希美モンペとしてはこう微妙な気分になってしまうのです(二次創作その他での傘木の扱いがあんまりにもあんまりすぎてモンペ化した。リズ青の傘木が! 無神経に! 見えるのは! 原作気遣い描写を削ってたり! 余計な改変をしてたりするからです!)。逆に鎧塚みぞれリズ版の方が良い味出してたと思う。みぞれの儚さを引き立たせるためのキャラデザなんだなと思えば納得(いや、原作とはそもそも髪型違うんだけどさ)。みぞれ先輩の視界むっちゃ狭いな! っていうあの演出は本当に傑出した映像表現であって素晴らしいなと思うところ。これで原作に忠実ならベスト10に入れてた。

銀河英雄伝説 Die Neue These』(2018年

良いアニメ化だけど迷った挙げ句に落とした。

今作、耳が孕みそうになるイケボのシェーンコップや立体機動装置を使ってそうなオーベルシュタインヤンチャしてそうなキャゼルヌといった新しいキャラデザが輝いていたし、ショタハルトさまの破壊力すごすぎてキルヒアイス人生狂わされたのも納得してしまったし、フレデリカが一部オタク性癖を鋭角でえぐる見た目になっていてたいへん素敵だったのだが、MVPはなんといってもアンドリュー・フォーク准将だと思う。顔立ちは整っているが陰気、という原作描写完璧再現してくださっている……! しかCV神谷浩史流れるような詭弁も聞けて本当に耳が幸せ3,000万将兵の命を無謀な作戦に費やす勇気俺たちの求めていたフォークはこれだよ感が素晴らしい。

ただキルヒアイスがことごとく解釈違いで……いや、流石にカストロプ動乱はあんまりにもあんまりというかキルヒアイスがああいう策を弄せるならオーベルシュタイン要らないじゃん感がすごくないです? 戦闘は得意だけど策とか謀略とかそういうのは不得手、というのがキルヒアイスの美点であり弱点でもあったと思うのだけれど。というかなんであんな鋭い目つきなの? もっと温和な感じじゃない? ただでさえラインハルトの目つきが鋭いんだから相方であるキルヒアイスもっと穏やかな感じにしてくれた方がバランス取れない? 道原かつみ絵で産湯を使った人間なのでキルヒアイス描写は不満が多かったけど、キャラデザの部分に関しては単に解釈が違うという話で原作と違うという話ではないのでまあ許容範囲内ではある。でもやっぱりカストロプ動乱はおかしいと思うんですよ(しつこい)。

荒野のコトブキ飛行隊』(2019年

空戦シーンは文句なしに最高の出来なのだが、やっぱりキャラもそれで動かすのは微妙というか……いや本当に空戦シーンは素晴らしいんだよ……でもキャラの顔とかが……空戦シーンは2010年代で最高なんだが……

独断偏見で選ぶ2010年代ベストアニメ10

2010年代が終わるわけだが、2010年代アニメベスト10独断偏見で決めてみたくなった。ので増田に放流。

見てない作品は語れないので見た作品だけ挙げる。見た作品の数が少なくラインナップが偏っている結果チョイスが偏った点については先に謝っておく。また、順番は順位ではなく放映順である

魔法少女まどか☆マギカ』(2011年

長いゼロ年代の終わりを飾るというか10年代の始まりを告げるというか、とにかくエポックメイキング作品だった。紛れもなく一時代を画すアニメであり、こんなに議論が盛り上がって人々の印象に残ったのってマジでエヴァ以来なのではという衝撃があった。

Fate/Zero』(2011/2012年

2010年代にはFate/stay night [Unlimited Blade Works](2014/2015年)とFate/stay night [Heaven's Feel]』(2017, 2019年)がアニメ化され、さらにはFGOや『Fate/Apocrypha』に『ロード・エルメロイII世の事件簿』もアニメになり、いずれも素晴らしい出来だっただけにどれを入れようかすごい迷ったのだけれど、Fateシリーズに新しい客層を開拓したという点でZero存在感がなんだかんだで大きいかなと。切嗣重要台詞微妙原作改変でそれはどうなのかと思わなくもなかったがラストの桜ちゃん原作ではなくボツになった原案通りに作ってくれて素晴らしかったですね。人間オルガンちゃん再現されなかったのは残念だけど仕方ない。Heaven's Feelも本当に素晴らしかった……。何も言うことはない。俺たちの見たかった最高の桜ルートだ……。2010年代Fateアニメ化で盛り上がった10年だったと回顧できるだろう。セイバールートも作り直して。

おおかみこどもの雨と雪』(2012年

一作くらいは細田守を入れておいてもいいんじゃないかと思って挙げてみた。細田守はてなでは評判が微妙だが普通に『おおかみこども』は良い作品だと思うんだ。純粋家族愛物語として見ると違和感とかも出るのかもしれないけど、歪められた関係性も理想化された田舎も、すべては花の回想をもとにして雪が語ったことであって、花というある意味信頼できない語り手を通して見た世界なんだよね。加えて言うなら、花が雪より雨を構っていることに批判的な意見も多々見られ、それは雪から見ればそうなのだろうし実際にきょうだいより構われなかった思い出を持つ人にとっては良い気持ちはしないのだろうけれど、でも完璧人間でないと母親になってはならないか、といったら違うわけでしょう。母親欠点を持つひとりの人間だし、それでも母親なのだ、という話だと思いますよあれは。それらの偏愛や歪んだ世界像を卓越した映像美でくるんで提示してくるところに、細田守が色んなひとの神経をざわつかせる理由みたいなものがあるんじゃないのかな。

サカサマのパテマ』(2013年

アニメ映画を1つだけ挙げろ、と言われたらこれを推す。名作名作アンド名作。何を語ってもネタバレになりそうなので最高のSFアニメ映画だという当たり障りのないことしか言えない。ボーイミーツガールSFの傑作。いいから何も言わずに見やがれください。

SHIROBAKO』(2014/2015年

単純なアニメ業界楽屋ネタに留まら人間ドラマとしてしっかり作り込んでいてくれて良い作品だった。23話はみゃーもりにつられて泣いちゃうでしょ……。5人の歩く道は凸凹していて、正解はわからずに手探りで進んでいくしかなく、それでもアニメに関わりたいという意志を持って進んでいけば夢に手が届く。そういう話の筋としてはありふれた成長譚を細やかな人物造形と堅実な脚本で良いアニメにしてくれていた。「万策尽きたー!」「どんどんドーナツどーんといこう!」などのフレーズも印象に残る。ただアニメというフィルターを通してもなおアニメ業界ブラックさが滲み出ており「これは美談にしてはいけないやつでは」みたいな感もあって、アニメの放映スケジュールが狂うことがあちこちで頻発しているのを放映予定の変更とかで視聴者目線でも感じ取れるだけに複雑な気分である

放課後のプレアデス』(2015年

紛れもないジュヴナイルSFアニメの傑作。可愛らしい格好をした魔法少女たちが土星の輪に突入するとか太陽系外縁部を探査するとかブラックホールを反転させるとかのハードSF冒険を繰り広げるギャップがすごいし、荒唐無稽ファンタジイとリアル宇宙描写を融合させた映像美はアニメからこそ実現できるものだろう。ちょっと宇宙が出てくる魔法少女ものだと思って見始めたわけだけど土星の輪に穴を開けてエンジンを探し始めた辺りでガチSFをやろうとしてるんだと理解したし実際かなりSFだった。降着円盤温度まで考察されてるのすごくない……? そして根底には傷つきやすい繊細な心と他者を思いやる優しさが流れていて、映像の美しさと相まってリリカルさに心が洗われるような気持ちになる。放映終了後の喪失感は半端なかった。『サカサマのパテマ』と並ぶ2010年代SFアニメ金字塔ですわ。これが星雲賞を獲るべきだったのでは。

プリンセス・プリンシパル』(2017年

アクションのキレの良さ、百合描写の濃密さ、黒星紅白キャラの可愛さ、音楽テンポの良さ、細部の丁寧さ、どこをとっても娯楽アニメとして超一級の出来だったと言うほかない。特に5話の剣戟シーンはここ十年で一番の殺陣だと思う。梶浦由記オサレ音楽BGM美少女たちが流れるような作画チャンバラするの控えめに言って最高としか言えない。また「神は細部に宿る」を地で行くような作品であり、アンジェプリンセス手紙の遣り取りとか、脱出用の荷物に書かれた文字とか、さり気ない描写ひとつひとつに込められた情報量が半端なく、それによって世界観と百合に奥行きを持たせることに成功していた。アンプリ、いいよね……。劇場版むっちゃ楽しみ。

宇宙よりも遠い場所』(2018年

素晴らしい作品だった。2018年TVアニメ豊作の年でありゾンビランドサガ』『SSSS.GRIDMAN』などオリジナルの良作が次々と放映されたわけだが、なかでも別格だと思うのが『よりもい』。毎話毎話が最終回のごとき余韻を残し話ごとのメリハリも利いていて軽くシネマっすねという感じだったし、「先に行けって言われて先に行く薄情にはなりたくない!」「友達ってたぶんひらがな1文字だ!」などの印象に残る名台詞の数々は記憶に焼き付いて離れない。花田! 神回しか作れずに恥ずかしくないのか? 視聴者を泣かせて食うメシは美味いか? なかでも特筆すべきは12話で、まさか受信メールフォルダを映し出した画面に泣かされるなんて思ってもみなかったアニメ史に刻まれる名シーンですわ。

さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018年

岡田麿里が本気を出してファンタジイをやったらなんかすごいのが出力されてきた。失ったものいつまでも抱いてしま妄執とか、恋と愛の区別あやふやになって煮えたぎる思いとか、無理やり連れ出されて見せられた世界の美しさとか、そういったドロドロした感情を叩き込んだ闇鍋から人は互いに織り上げあう物語であるというテーマを掬い上げて観客の前にどーんと呈示してくる素晴らしい映画作品。ただただ名作と言うほかない。15歳しか離れていない不老の種族美少女なお母さんに育てられたいだけの人生だった……

『天気の子』(2019年

君の名は。2016年)で俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がってしまい、遠くに行っちゃったんだな……とゼロ年代に魂を囚われたオタクたちが訳知り顔でホロリとしていたところに投げ込まれた傑作。いや~原作PC版のクライマックスを忠実に再現してくれてましたね! 私は原作だと夏美ルートが好きで、彼女が晴れ渡った青空を見て浮かべる笑顔の爽やかさと、その青空意味を後続のルートで種明かしされて味わうことになる切なさがめちゃくちゃ印象に残ってるんですよね。でもやっぱりあの長編エロゲから1ルートを取り出して劇場アニメにするとなったら陽菜ルートになるのも納得がいくわけで(甲高い早口

……という感想を諸人こぞりて口にしはじめる辺り、完全にゼロ年代エロゲだったテン年代最後の年にゼロ年代を煮詰めたような要素てんこ盛りの作品を公開してしかもそこにセカイ系を力強く肯定するオチをつけるわけですよ。ゼロ年代の亡霊が昇華された感があり、なんというか新海誠すげえわ、一生ついてくわ。

今日の夢:学校という閉塞された空間について

昨日、夢を見た。ずっと昔の夢。その夢の中では僕たちはまだ十三歳で、そこは一面の雪に覆われた広い庭園で、人家の明かりはずっと遠くに疎らに見えるだけで、降り積もる新雪には、私たちが歩いてきた足跡しかなかった。

――新海誠秒速5センチメートル


“いつも通り登校し、教室の真ん中にある自分の席に座る

教室の後ろ、左から2番目の席には、「現実」の小学校で友人だった男子生徒が座っていた

互いに目配せした後、私は席に向かう

隣席の女子生徒が何かをしている。どうやら、この人とは知り合いのようだ、見覚えはないが

授業が始まる。なぜか内容はマインスイーパーだった。

今日は新しい単元のようで、周りが悩んでいるのが雰囲気で分かった

一通りのルール規則解説された後、切り抜きの法則という聞き覚えのない法則提示された

さっぱり意味が分からなかった。

それを不思議に思い、いきなり場面転換した授業を不思議にも思わないまま、教員質問をする

「今のままで解けているなら、それで良いよ」と、そう言われた

そうか、教師がそういうのならそれでよいか、と納得し、また場面が変わる”

昨日の夢は、こんな雰囲気だった

私が“教室”にいたのも、すでに10年や20年は前の事だ

から今日は久しぶりに、学校特有のあの閉塞感を思い出した

から醒め、さらさらと砂細工が崩れるように薄らいでいく記憶感触ではあるけれど

先ほどまで確かにそこにあった、現実感の強い教室雰囲気、そして居心地の悪さ

やはり、あの空間は好きになれない

たとえ人生をやり直せたとしても

2019-12-17

anond:20191217153323

新海誠監督っていう超優秀な宣伝班がおるやん。この前は立花代表ステマしてたし

2019-12-06

20年前に別れた彼女への気持ちはなんと呼べばいいのだろう?

初めて付き合った彼女の事をいまだに思い出す

いまお腹いたくてウンコ我慢してるんだけど

はらいてぇ、あいつ引き受けてくれないかなこの痛み」

って思った。

いや結構頻繁に思う、例えば眠いときとか

「俺のこの眠気引き受けてくれないかな」

みたいなことを、週に1度はそんな妄想している。

このなんと呼べばいいのかわからない気持ちを維持してしまった戦犯はわかっていて

新海誠秒速5センチメートル

なぜ見に行ったのか覚えていないが、劇場まで見に行った

そこには初恋女性を忘れられない腐った俺みたいな男が、まるで壊れやすい宝物のようにキラキラと描かれていて

あ、俺の気持ちもこうやって綺麗に仕舞い込んでいいんだって、まるでゼロから始めましょうって言われたかのように目の前が開けた

それから俺は俺の人生を歩むことができて今は嫁も子供もいる

なので戦犯であり俺が前に進めたのは新海誠のおかげ、

別に昔を思い出したりはしないし、今の嫁に不満はまったくないし

仮に今あいつに会ったとしても付き合いたいなんて思わない

ただ、こうしてたまに痛いこととか辛いことがあると

「引き受けてくれないかなぁ」

と思い出す、いったいこの気持ちはなんと呼べばいいのだろう?

2019-11-28

『天気の子』と『ジョーカー』の共通点と、その差異

2019年に印象を残った映画を上げるなら、僕は天気の子ジョーカーを上げるだろう。どちらも大ヒットをした作品で、どちらも非常に「似た要素」を持つ作品だ。

新海誠作品は前回の君の名はの時も、非常に似た要素を持つシンゴジラがヒットした。新海誠作品は、どうも数奇な運命作品に巡り合うらしい。

天気の子ジョーカー、どちらも公開時期は近いから、どちらかがどちらを参考にしたという事も無い。

しかし内容と、そしてモチーフまで非常に似通っている。

「都会で、周りの人にぞんざいに扱われる」「銃を手に入れ、物語を動かす狂言回しとして存在する」「どちらも既存の正しさに異を唱える作品

これらの共通点は、単に箇条書きマジックか、偶然だろうか。僕はそうではないと思う。

新海誠も、トッドフィリップスも、どちらも現代社会を描いた結果導かれた必然ではないかと思う。

しかしながらそのような大きな共通点がありつつも、その結果と印象は全く異なる。

トッドフィリップスジョーカーを「人の温かさを描いた作品だ」と言った。社会的思想だとあえて言わなかった。

明らかに現代社会風刺しているにも関わらず、だ。

先ほど内容とモチーフが似通っていると言ったが、実はその共通点の中に、二つの物語差異存在する。それはまさしく、「人の温かさ」なのだ

・都会での周囲の人の暴力

風俗店経営者と聞くと、多くの人は「ちょっと怖い」とか「金持ちそう」とか「褒められたものではない職業」と思うだろう。

これは天気の子主人公が都会や社会に対して抱いていた感情と似たものがある。

ジョーカーでは、その役割看板を壊した褒められた存在ではない不良、新卒サラリーに抱くちょっと怖く金持ちそうという存在に負わせている。

天気の子の須賀は主人公を体のいいコマとして使うが、同時に役目と居場所を与えている。

ジョーカーではその役目を、ピエロを雇う事務所と、精神科医が担う。ピエロであることで、役目を与え、向精神薬によって居場所を与えているのだ。

そして周囲の人の中に居た女性は、自分の事を気にかけている、までは一緒だったが、ジョーカーではそれは妄想だった。

ジョーカー母親妄想しか目を向けておらず、誰もジョーカーの事を見ていない。

天気の子主人公は猫に自分を重ねて助ける優しさを持っていた。

ジョーカーも、幼少期のバットマンの寂しげな顔に自分を重ね、笑わそうとする優しさを持っていたのだ。が。

・『銃』という存在

この銃は、両映画にとって「社会にとっては間違っている、主人公の正しさ」を象徴するアイテムだ。

二人が銃を手にした理由は違えど、持ち続ける理由は、同じだ。片方は風俗店経営者暴力(足掛け)をされたこと。もう片方は、不良に襲われた事。

社会に恐怖を感じ、自分の身を守る為に銃を持った。

しかし、その銃を持った結果には差異存在する。「銃を見た人の対処」そして「誰に向けたか」だ。

天気の子では、主人公銃をヒロインの前で撃った。標準を「自分を拒絶する社会」としての風俗店店員に定め、しかし恐怖か迷いかで弾は逸れる。

ヒロインは一回それを拒絶するも、主人公家出して不安に感じたことを理解した上、それを許容する。

そして主人公も、その自分勝手な正しさを投げ捨てるのだ。

ジョーカーでは、銃を小児病院で落とす。しかしそれに対して社会や人々は、ジョーカーが銃を持った理由理解しようとせず、拒絶した。

ジョーカーは部屋で銃を持ち踊る時、自分世界象徴である母親椅子に向けて標準を合わせている。結局ジョーカーはその正しさの行き場を失い、自己に閉じ込め、

電車のシーンでは「自分を拒絶する社会」としての新卒サラリーに迷わず発砲する。

天気の子では、あくまで向けるだけで発砲しない。自分の都合の良いように女の子を使って、いなくなっても気にせずに呑気に笑ってる人に対して、脅しとして使う。

主人公にとって世界は「自分を拒絶する社会」ではなくなっていた。主人公も同時に社会を拒絶していた事に気付いて、優しさに触れた。

女の子一人を見捨てる社会」に対して銃を向けていたのだ。かつて自分がそうなりそうな時に拾ってくれ、見捨てずに愛を教えてくれた一人の女の子に対し、同じことをしたのだ。

ジョーカーはその銃で、「男一人を見捨てる社会」の象徴であるコメディアンを撃つ。自分への愛などないと教えてくれた一人の男に対し、同じことをした。

・『正しさに異を唱える』

天気の子では、兎に角「正しさ」に対して異を唱えている。神社で言われた、「現代の人の考える正しさなど、1000年スパンで考えればないも同じもの」という趣旨セリフ

最後マンションのシーンでも、「昔は海に沈んでいた場所が、あるべき姿に戻ったのかも」というセリフ。正しさというもの絶対的ものとして語られがちな現在に対する批判である

そして極めつけは、最後主人公の「天気なんて狂ったままでいい。青空よりも、陽菜がいい」というセリフ主人公にとっての正しさを「選び取る」セリフだ。

新海誠も「選び取る」事に対して、意識して制作したと言っている。

ジョーカーは「正しさ」を雄弁に語るテレビの向こうの人物を見て笑う。ジョーカーは誰も自分を見てくれず、平気で見捨てる社会に銃を向ける。明らかに世界は狂っているのに、その世界自分をことごとく無視する。

薬を辞めて、あるべき姿に戻ったことを感じる。正しさの無い世界で、正しさなんて自分で決めていいんだと気付くのだ。「正義なんて自分で決めたっていい」という、主人公にとっての正しさを選び取る。

天気の子ジョーカーも、暴力に遭いつつも、主人公は誰かを見捨てない優しさを持ち、社会から自分を守る銃を持ち、その銃で正しさを行使し、既存の正しさに異を唱えた。

しかジョーカー場合は、誰もジョーカーを見ず、助けず、愛など与えなかった。結果的に優しさは失い、銃は社会を襲い、誰かを救うためにその力を使えなかった。

天気の子現代社会で愛を描くことで愛を表現し、ジョーカーは愛を絵が描かない事で愛を表現した。

愛を与えればいい、そう結論付けるのは簡単だが、僕たちはまだ犯罪を犯してない、

だが金がマックで寝る男を、精神障害を持ち銃を落とす男に優しさを向ける事が出来るだろうか。

少なくとも、優しさを与えないのなら、ちゃんとその道を選んだ覚悟認識を持ちたい。

そう考えた雨の降る夜であった。

2019-11-19

anond:20191119002309

たとえばアニメだけで言えば、セカイ系が大躍進の時代だった。

まどマギエヴァリメイク新海誠の大ブレイクと、セカイ系揶揄されてきた作風作品群が一気に世界的な評価を得た時代

たぶん2020年代新海誠アカデミー賞を取る。

2019-11-12

anond:20191112122933

トッドフィリップス新海誠も「現代の世相を反映させた」って言ってるし

実際それが売れてるんだから社会反映論w」って言われても、そうです、としか言えないわな

2019-11-10

そうして、人は悲しさや喪失すら失くして生きていくことになる

あたし忘れかけてる

お母さんの顔 忘れるはずないのに一瞬浮かばなかった

大好きだったお母さんの匂い

服は全部取ってあるのにもう防虫剤で分からない

いやだ 悲しくていい 忘れたくない お母さんのそばにいるんだ

私屋カヲルこどものじかん10

もう一度思い知ったから 色褪せていくこと

“思い出”に変わっていく

身を裂くようなさびしさを 悲しみを

忘れることはなくても 鮮やかな記憶として残せない

どう言い繕ったって どんなに どんなに誓ったって

時は動き 褪せていく残酷なほど

悲しくて そんな事実が悲しくて悲しくて

なのにもう 止まらない

お母さんを一番に想っていた私は“思い出”になっていく

まらない とまらない

高屋奈月フルーツバスケット20

この数年間、とにかく前に進みたくて届かないものに手を触れたくて

それが具体的に何を指すのかも、

ほとんど脅迫的とも言えるようなその思いがどこから湧いてくるのかも分からずに

僕はただ働き続け

気づけば、日々弾力を失っていく心がひたすら辛かった

そしてある朝

かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが綺麗に失われていることに僕は気づき

もう限界だと知ったとき

会社を辞めた

新海誠秒速5センチメートル

三界狂人は狂せることを知らず

四生の盲者は盲なることを識らず

まれまれまれまれて生の始めに暗く

死に死に死に死んで死の終りに冥し

弘法大師「秘蔵宝鑰」


死にたいエントリを書き散らし、はてブに煽られるのを繰り返さなくなって、もう何年経つのだろうか

真夜中にポエム製造しなくても生きていける人生に、いつからなったのか

自殺する想像が浮かばなくなって、もうどのくらいになるのだろうか

“――かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが綺麗に失われていることに僕は気づき

そうして、人は悲しさや喪失すら失くして生きていくことになる

そんな、何もない人生を送るくらいだったら

もう一度、もう一度だけでも、その喪失と傷付きを再体験

今度こそ悼みを魂の奥深くまで刻み付け

自らの血の痛みと温かさに酔いながら生きていきたい

何もかも忘れて、ぬるま湯のような平穏を生きるなら

どこまでも溺れて、苦しんで、藻掻いて、傷付いていたい

私は、自分の生と死と不在と欠損と希求真摯でありたい

2019-11-08

anond:20191108005043

あのレベル出世してるのってどれくらいいるんだろう。

虚淵とかちょっと畑が違う気もするけど新海誠くらいかな。

2019-10-27

[]

英語タイトルの"Weathering With You"の頭文字"WWY"は、"wrong way"の省略系でもあるようです。

辞書で調べてみると、「横道、進入禁止邪道、〈逆方向に〉・反対に」という意味合いのようです。

新海誠監督インタビューの中で帆高について「大人がこっちに行けと言っても、逆の方向へ行こうとしてしまうような、そんな少年として描いた」という旨のことを言っていて、そういう意図が込められていたのかもしれません。

https://ejje.weblio.jp/content/wrong+way

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