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はてなキーワード: 反抗期とは

2023-01-30

シンママ限定マッチングアプリ記事見てて、そういう意味ターゲット選定してる男がいるのにドン引きしたけど、

中学生以上の子どもがいると初めからわかっていて付き合う人」になんの瑕疵もないってこと、あんまりないような気がするなとも思ってしまった

ドラマとかでの大きい子供いるのに再婚パターンあくまきっかけは婚活やマチアプじゃなくて職場恋愛とかで、要するにあなたがまず好きで、その上で子どもあなたも支えていきたい、ってパターンじゃん。

でも、婚活してるとわかるけど、婚活ってある程度みんな希望する条件があるわけで、よほどシンママ/シンパパが富豪とかじゃない限り、基本的子供ってお金がかかるだけで、ほとんどの人間において子持ちってマイナスポイントでしょ。

しか反抗期の子どもとか、本当の親ですらかなり相手するのしんどいと思うし、あえてその子どもがいても声をかけてくる人、

実家がど田舎農家長男など条件が悪すぎて他の人にはほぼ足切りされており、妥協した結果

②今回の犯罪者パターン

聖人(これはこれで清廉潔白すぎて生活しにくそうだが)

のどれかって感じで、③なんてほとんどいないと思うからかなり婚活しててキツいんじゃないかというか、疑心暗鬼になりそうなだと思った

でも、自分もも婚活してて後出し子どもいるって言われたら即切るし(子ども自体が大嫌い)、そんな重大事項隠すなカスって舌打ちしてしま

シンママで大きい子がいても婚活成功するパターンあんのかな…?せめて小学生の低学年くらいまでがなんていうか、一般人の許容限界なんでは?とか野暮なことを考えてしま

2023-01-24

anond:20230124173550

中二というか反抗期

大人バカ、俺らは賢い、って共感性羞恥

つーか今のリアル中学生ってもっと賢い子多いよなあ

2023-01-17

ダメな母の愚痴だと思って聴いてくれ。

我が子もうすぐ4歳、イヤイヤか、イヤイヤが終わったかもしれないけどじわじわ中間反抗期と呼ばれるものに移行しつつある気がする感じ。

発達は今のところ定型だと思う、これまでの幼児健診で何か指摘されたことは今のところないんだけど、気に入らないと本当に一瞬で着火して、大声で喚く泣く。

そんでさ、自分の我を通そうとした時に一旦共感しろかいうじゃん。して欲しいことに対して直接言って動かない時は、別の方法別の言い方で誘導しろっていうじゃん。

児童心理学的なあれこれでそういう話なんだと思う、それが正しいんだろうとも思う。思うんだけど、それを続けてって、いつか直接的に「これをしてね」「これをやめてね」って言う方法に切り替えた時どうなるんだろうと思う。

ある程度大きくなったら、しなくちゃいけないこととやっちゃいけないことは、基本的に直接そう話すようになるわけじゃん。それをそういう風に伝えて伝わらないのを、工夫してない努力してないみたいに言われるんの何なんだろうなって感じちゃうんだよね。

どうしてしなきゃいけないか、なんでダメなのかはちゃん理由も伝えてるよ。理由も言わないでいきなり怒ったりしないけど、それはダメって言っても伝わらない、というかなんか世の中「ダメって言うな」みたいな感じあるよね。

そのうち伝わるようになるのかなぁ。

毎日喧嘩みたいになってて疲れる。

2023-01-14

夢乃は「キモいおじさん」についてよくわかってない

夢乃さん、本当にキモいおじさんとはこういう人のことだぞ

2023-01-13

anond:20230113221823

横だけど、相手が一番魅力的だった瞬間を知っているというのは大きいやで。

子供だって、小さくて愛らしかった時を知らず、いきなり中学生反抗期で生まれてきたら子供なんていらんとなるで。

2023-01-12

バカな母と理解ある彼くんな父が憎い

母はたぶんADHDで、金にだらしないしご近所トラブルになる趣味を止められない、どうしようもない女だった

反抗期辺りからその異常性に気付いて、子供立場から色々矯正を試みたがダメだった

で、父に相談して注意するよう言ったものの、父は父で理解ある彼くんだった

何かと理由をつけて及び腰で、直接対決を避ける

子供目線から見ても呆れるほど下らない、おままごとみたいな夫婦だった

こんなのが結婚していた昔の皆婚ムードってほんとクソだったんだな

理解ある彼くんは自分さえ犠牲になれば…って顔してるけど、本当に犠牲になるのは子供なんだよ

バカな女と理解ある彼くんは子供を作るな

2023-01-04

年賀状が好きだ

出すのは好きじゃないけど、来る年賀状をみるのが好きだ

凝ってるやつも適当なやつも、子供をばりばりにのせてるのも大好きだ

一年で太ったり痩せたり育ったりしている姿を見るのが大好きだ

その中でもずっと父宛てに我が家の住所で送ってきていた人がいた

父にそれを渡すがたぶんその人との親交がもうなく父は住所訂正も年賀状も送らずにいたんだろう

それでもその人はずっと我が家年賀状を送り続けてくれた

父の昔の仕事関係だったのであろう見ず知らずのその家族から年賀状を楽しみにしていた

だいたいが玄関前で撮った3人と犬のジョンの名義だ

息子は小さいころ笑顔だったが反抗期の頃は不機嫌そうにちょっと離れていたりして微笑ましかった

結局引っ越ししまったため、郵便転送をしていたその次の年の一枚が届いてそれが最後になった

父親の背を超えて母を間にしてその足元にジョンが幸せそうに寝そべっているのが最後に見たあの家族の集合写真

いまでもあの見知らぬ家族がジョンとともに健やかでいてくれるといいな、となんとなくお正月になると思い出す

2023-01-03

母が重い、35歳女の脱出

2023年1月1日、私は限界を迎えて、東京ホテルを予約した。元々3日から予約していたのだけれど、1日からに変更した。実家で絶え間なく続く母の愚痴に耐えられなかった。



子どもの頃のまま、中1のときに貼ったアヴリル・ラヴィーンポスターこちらを見つめる部屋で荷物をまとめていると、ドアから父がその様子を覗く。


「どこ行くの?」

今日から東京に行こうと思って」

「3日からじゃなかったっけ」

「やっぱり今日からにしようと思って。いろいろやることがあるし」

「そう」


しばらくするとまた父が来る。

「なんで行くの? お母さんが泣いてるから理由を教えて」

泣くのか……少しは想像してはいたけれど。

仕事とか渡航準備の関係があるから

「そう…」


父は去ってしばらくすると、今度は母と登場した。

ユニクロの縞模様のフリースを着た母は、部屋にはいると、ドアの前で正座をした。その後ろで、灰色のだるだるのパジャマを着た父が立っている。

私はベッドに座って、ポーチ化粧水を詰めているところだった。


「なんで?」

悔し泣きのような顔で、正座をした母が言う。


仕事とか渡航準備あるから、やっぱり早めに行こうと思って」

「なんで? 私がなにか悪いこと言った? なにがだめだったか、教えてください」

正座した上半身ゆらゆらと前に屈ませながら、母が泣いている。


「いや、別に……」

「教えてください。私があなた子供の頃からしていた所業が悪かったのはわかっています。謝ります。ごめんなさい。でも、言われないとわからないんです。私ばかなので」


正座ゆらゆらと頭を下げる母。泣いて頭を下げる親を上から眺めるなんて、最悪だ。自分が本当に人でなしのように思える。


これが嫌でこれまで距離をとってきたんだったなというのと同時に、これが予想できたとしても最悪のタイミングで拒絶をしたかったんだとも思う。


「5秒ごとにネガティブなことを言われるのに、疲れただけだよ」

ネガティブなことってなに? 教えてよ」

「どれというより、本当に息を吐くように言ってるから、一度録音してみたら…」

「そのときに言ってよ。言われないとわからないよ」


母の涙声の語気が強くなる。本当にわからないのだと思う。それは2人で暮らす両親の習慣なのだ


***


母は父の一挙手一投足に文句を言い、ときに声を荒げる。父はかなり雑で無神経なほうなので、文句を言いたくなるのもわかるときはあるけれど、母の謎のこだわりに沿っていないかったり、さっき母が自分で言ったことを忘れていたりという理由での文句も多い。

煮物を真ん中から食べたとか、思っていたのと違うお皿を使っているとか。


文句を言うとき、母は私のほうをちらりと見る。一緒に文句を言ってほしいという合図だ。祖母ご近所さん芸能人を悪く言うときも一緒だ。


子どもの頃は、これに必死賛同していた。賛同したほうが、家庭内平和だし、「やっぱり父に似て鈍臭くて雑」と言われたくなかった。私は母のなかにあるお皿のルールを覚えて、完璧対応できるのが、誇らしかった。


母の文句合理的ではないと気付いたのは、中学生になった頃だろうか。反抗期を迎えた私は、母の「ちらり」に反応しないことにした。子どもの頃の癖もあるから、反応しないのには一定のパワーがいる。


20年ほど経つのに、未だに母は私の賛同を待っている。目を逸らすと、「冷たい」「つまらない」と残念そうに言うこともある。私は私で、いまだに反応しないのには、パワーを使う。



母は自分にも、ネガティブ言葉を投げかける。料理の味付けが薄かった、もっとこうすればよかった、失敗した……。「そんなことないよ」「おいしいよ」と父はすかさず言う。「心にもないことを」と母が言う。


私も基本的には「おいしいよ」と言って、自分が実際に食べたいと思う以上に食べる。実際にそんなにまずいと思うことはない。おいしいことも多い。絶対に言えないけれど、もっとこうしたらおいしいのにな、夫だったらここはもっと丁寧につくるなと思うことはある。



母と父は2人っきりで、ずっとこの関係を続けているから、自然なのだろう。父は天然で人の話をよく聞かないタイプだし、何十年も家庭を放棄して母に苦労をかけてきた負い目もあるのだろう。なにより退職して、今かまってくれるのは、母しかいない。


そうして自然に任せると、5秒ごとに母が、父の批判か、フォロー待ちの自分批判をすることになる。


「そうだそうだ」と母に賛同しているときは、楽だった。そういうものだった思っていたから。でも、なんだかおかしいなと気づいてからは、食事3回分、24時間くらいが限界らしい。


最近は、夫や弟夫婦帰省することが多く、彼らがいたから、なんとか耐えられていた。

弟の奥さんや夫を気遣う体で、物理的に距離をとれたし、外の目がある手前、母のネガティブも多少減る。

彼らは空気を読むタイプなので、波風を立てない形で、母をなだめ、父へのフォローもできる。弟と私が、そういう伴侶を共通して選んだのは、偶然ではない気がする。



そんな夫が「あんなに失敗したって言われながら、食事を出されると反応に困るんだよなぁ」と、いつかの帰り道にぼやいた。

それで私は、やっと自分がいつも母の絶え間ない自虐に疲れていることに気づいた。


12月29日の夜に帰省した私は、24時間が過ぎた30日の夜に、電池切れしてしまった。


31日はタイミングが悪いことに母の誕生日だったけれど、その日は私はなにも話すことができなくなっていた。そうなると、私は思春期に戻ってしまう。


こうならないように、ここ何年かは、それっぽい理由をつけて一人のとき自分が耐えられる時間だけの滞在にしてきたし、長い時間ときは夫や弟夫婦と一緒に行動するようにしていたのに。

今回は急遽海外への引っ越しスケジュールがずれこんで、直前に長く実家滞在することが決まった。私以外は皆海外にいて、一人での帰省だった。


ゆっくり実家にいれるようになって、よかったね」というまわりの言葉になんとなくそうかなぁと思ったけれど、やはりどうしても私には無理だったらしい。


年末に駆け抜けた引っ越し渡航準備、仕事で、疲れきっていた。さらに悪いことに、家族緩衝材役を担ってくれていた犬が、最近病気で寝たきりだ。

私は母と話せなくなると、犬に話しかけて、場を和ませて、なんとか大人自分に戻っていた。



私は実家にいるとき、3つのモードがある。


①母の文句や笑いに喜んで賛同し、適度に甘える、7歳の無邪気な自分 ←母はこれを一番期待している。25歳くらいまでは、違和感を持ちつつも、これで仲良くやっていた。


②母に反抗して黙りながらも、我慢してその場にとどまる15歳の自分 ←母はこのモードに、世話を焼くのも嫌いではなさそうだ。私はかっこわるくて最悪な気持ちになる。


③母の愚痴ニュートラルに聞き、親切にする35歳の自分 ←母は物足りなそうだけど、自慢の娘というかんじでご機嫌。私も心が安定する。心の余裕がないと、長時間できない。


もちろん、基本的には今の自分の年齢と一致する③でいたい。①は楽で平和だけど、自分のなにかが死んでいく気がして、絶対にやりたくない(実際この形でうまくいっている母娘はけっこういる気がするけど)。


③が崩れそうなときに、①を断固拒否すると、②になり、今回は頼みの綱の夫、弟夫婦、犬の不在で、③に戻れなくて、耐えきれず、物理的な脱出をはかったわけだ。


***


修羅場に戻る。


「なんで嫌ならそのときに言ってくれないの!? 私が子どもの頃、すぐヒステリーになったから、それがトラウマで、普通言葉もすごく嫌に聞こえるんだよね? そう、私が悪いの……」


母は一人で話しつづけている。

しかに、そうなのかもしれない、と思う。


「どうせ私は虐待親ですよ。そう思ってるんでしょ。この家に足を踏み入れるのも辛いんでしょ」


こんなふうに母が言うのは、弟が4年ほど前に、そう言って母に反旗を翻したからだ。


から見て、弟は弟でわりと極端な思い込みがあるほうなで、それは言い過ぎではと思いつつも、面倒なことを伝えてくれて助かったなとも思っていた。


虐待とまでは言わないけれど、母の臆病さや不安定さに、随分振り回されたなと思う。母の年齢に近くなり、いくら大変でも、大人の私はそれはしないなぁということがいろいろある。時代も違い、私には子供がいないから、未体験領域ではあるけれど。


ただ今になって本人を責めたいとも思わないし、お金と労力をかけてもらったぶんそれなりに自分人生を生きらている自覚はあるので、のらりくらりと、どちらの側にもつかずに距離をとっていた。


その間に結婚して、夫という防波堤ができて、このまま平穏にほどほどの距離感でやっていけそうだったのに。ここにきて、こんなことになるとは……。


「ずっと嫌だったんでしょ。無理してこの家に来てるんでしょ」

「まぁ、それはそう」


弟ほど実家に寄りつきたくないわけでもないけれど、母の雰囲気におされて肯定してしまった。実際、いればいるほどエネルギーが吸い取られるかんじがするし。


「嫌なら、なにが嫌かはっきり言ってくれたらいいのに。なんで教えてくれないの?」

「こういうふうになるってわかってるからおかしいなと思っても指摘できないよ。子どもの頃から、言えないように、あなたがしてきたんだよ!」


一度肯定すると、私も感情的になって、涙がでてしまう。


「指摘できないなんて、思わないけどなぁ」

父がとぼけて言う。

だって家にいなかったから、知らないじゃん」


ついでにした父への批判は、なんとなく母が言ってほしい言葉を言ってしまった気がする。


だって、いなかったし、そのうえ、気に入らなかったら、怒鳴ったり暴力振るったじゃん。アル中DVだったときのこと、忘れたの?

と本当の私は言いたかった。


宙吊りにされてテーブルの角に頭を打った母が頭から血を流したことも、ベランダガラスを蹴って割ってくるのを、弟と部屋のなかで怯えて見たことを、私は忘れられない。

部活から帰ってきて眠っていたソファから、突然投げ落とされたことも。

日曜の昼、ウィスキーを飲み始めたら、今日は怒鳴りだす合図だったことも。


でも、それはこの家ではなかったことにされているタブーだ。母の思う「うちは、幸せな家庭でよかったね」の規範から、明らかに外れているからかもしらない。


今の父は穏やかで、母を落ち着かせる役割を担っているし、あの頃のことを申し訳なさそうにする素振りをしているので、私も言わないことにしている。


ある一定の期間だけだった気がするので、仕事ストレスもあったのだろう。その仕事で、大学まで行かせてもらったわけだし。だからって、許されることとも思わないけれど。


そんなことを考えて黙っている間も、母は話し続ける。


「私はひどい親かもしれないけど、あなたのことが大好きだから、楽しみにしてたくさん準備して」


楽しみにしていた誕生日とお正月に、大好きな娘にこんなことをされるなんて、母はとても可哀想で、そんなことをする私はなんてひどい娘なんだろう。

母の憐れさに飲み込まれていく。罪悪感で、頭がぼんやりする。


あなたがしていることは、はっきり言って暴力だよ。無視されることって辛いんだよ。お父さんと同じことを、あなたはする。なんで?」


母は悔しそうに泣く。父にされたことも、思い出しているのかもしれない。


しかに、15歳のモード言葉を話せなくなってしまった自分は、不甲斐ないし、申し訳ない。もう35歳なのに、なにが嫌か言葉でなかなか説明できないなんて。それでも。


「そんなふうに被害者っぽくされるのに、もう疲れたので…」

被害者面なんてしないよ! 絶対しない。でも、被害者って言うなら、言わせてもらうけど」


被害者」というキーワードが、なにかの引き金になったらしい。母がここぞとばかりにまくし立てる。子どもの頃、どれだけ私や弟に尽くして節約し、我慢し、プリントを整理し、時間をさいてきたか自分がこんなふうに拒絶されるのが、どれだけ辛いか


プリントの整理、私嫌いじゃなかったし、別にしてもらわなくてもよかったんだけどなぁと思う。


節約して5歳から18歳まで行かされていた塾も、今思えば先生子供たちに人格攻撃をするやばいやつだったので、あの先生のために節約しなくてよかったのにねとも、思う。

どんどん人が辞めていくなかで、私は一番長くその塾に通った。今思えば、あそこにいた子どもたちは、みんな無表情でか細い声をしていた。


母にも辛くあたった塾の先生祖母を黙らせた私の全国模試順位に、母が満足気にしていたのも思い出す。私に勉強の機会を与えたのは、私のためだったのだろうか。


母がヒートアップするほど、だんだんと冷静になってくる。


母は絶対否定しない父を後ろに据えて跪き、私が絶対罪悪感を抱く言葉を泣きながら放つ。

この人は、本当に自分可哀想で仕方ないんだなと、思う。


過去やってきたことを否定したいわけじゃないよ。ただ今、愚痴を聞き続けるのが疲れたっていうだけだから

「本当に行くのね?」

「うん」


これまでの私だったら、ここで東京に行くのをやめていたかもしれない。そもそも行事を大切にする母の手前、大晦日とお正月実家家族から離れる選択肢なんて、一昨年夫がコロナの濃厚接触者になった一度以外、なかった。


海外駐在中も両親が自宅まで来たし、濃厚接触者になった翌年の新婚ニ年目も年末がちょうど誕生日から義実家より私の実家を優先した。「失敗したかもしれない」と呟く母のおせちづくりを毎年手伝い(「おいしいよ」とフォローしながら)、きれいにできた重箱やお正月風景を撮ってアルバムにして、プレゼントした。


今年は弟夫婦も夫も海外で、犬は寝たきり。それでも母は、親子水入らずでのお正月を楽しみにしていたのだと思う。急遽伸びた海外行きと、それに伴う実家滞在の長期化を、母はもちろん喜んだ。


私は夫と会うのがお預けになってがっかりしたし、なにより自分実家滞在に耐えられる自信がなくてとにかく不安だったけれど、そんなこと、まったく思いもしなかっただろう。



「私はお正月家族で過ごすものだと思ってるから。こんな仕打ちってないよ。〇〇ちゃんの家は母娘でおせちをつくって、●●さんの家ではもっと……」


母が地元に娘が残って、べったり子育てサポートしている家族を羨ましく思ってるいるのは、わかっている。


それが嫌だから上京してよかったと何度思ったか。一方でその願望に多少は答えなくてはと思って、お正月誕生日と、GWお盆帰省した。旅行もした。

でも、今回は無理だった。弟夫婦や夫がいてくれる年を過ごしたら、もう1人では耐えられなくなっていた。



「もう何十年も、十分やってきたでしょ」


そう言うと、母は静かになって、去っていった。


私が喜んでやってきたと思っていたことを義務のように言われて、母は心底悲しくなったのかもしれない。私だって、いつも100%嫌々やっていたわけではない。ある程度、楽しんでいた。


母は本気で自分を直そうとして、泣いて質問しているのもわかる。


それでも、「まだほしい、まだほしい」と千と千尋カオナシのように、やればやるほど依存されて欲しがられるかんじに、耐えられなかった。

母が変わるのを根気強くサポートする気力が、私には残っていない。



母が羨ましがる〇〇ちゃんや●●さんの家だって、娘が気を遣っているところはあるのだろうと、私は思う。彼女たちが一時精神を病んでいた原因に、母との関係がなかったと言えるだろうか。


娘同士で話すと、娘側が母にリップサービスをしたり、話を合わせたり、距離をとったりしていることは多い。

10代の頃は本当に仲の良かった「友達母娘」でも、いつまでもそのままでいられると思っているのは、たいてい母のほうだけだ。それでも、娘は母をがっかりさせないように、大人の振る舞いで和やかに過ごす。


だって、本当はスマートに、本人には気づかず幸せでいてもらったままで、ほどほどの距離感で過ごしたかった。


誕生日やお正月を楽しみに、食材を考えていた母を思うと、胸が痛む。とても。涙がでるほど。

こんな最悪のタイミングで反抗しなくたってとも、思う。しかも、こんな年齢で。


それでも、今、私は自分のために、自分をどうしても逃がしてあげたかった。

脱出した私は、その夜、東京銭湯に行って、ホテルのベッドでぐっすり眠った。

2023年、はじめの自分へのプレゼントだった。


——-


けんか(?)を片方の立場から書くのって、フェアじゃないよなぁと思いつつ。

まずは自分のなかの混乱を整理するために書きました。だからか、うまく削れず、とても長いです。


迷いつつも、シェアするのも悪くないかなと思ったのは、信田さよ子さんの本や記事にでてくる人たちの具体的なエピソードに、私自身が背中を押されたからです。

https://www.amazon.co.jp/dp/4393366255

https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html


もうおばさんという年齢なのに、いつまで私は子どものようにじたばたするんだろうと思うけれど、自分選択して、書いて、振り返って、前へ進めば、大人としてドライなほどほどの関係を築けると信じて…。

自分ブログ用に書いたけど、さすがになぁという内容なので、ここに載せます

2023-01-01

anond:20230101210155

一人の人間として向き合ってないって?

二次反抗期バチバチにやり合わせたらいいんじゃない

あと10年後ぐらい?

今はまだ本人も動物から愛玩動物で間違ってないと思うよ

自我が芽生えたら夫婦子供と戦おうって話ならいいんじゃないか

理想現実社会との折り合いで家族で立ち向かおうって話でさ

2022-12-26

金のために祖父と寝た女

私は守銭奴だ。出ていく金は一円でも少なく、入ってくる金は一円でも多くするために日夜ケチケチ過ごしている。

初めて貨幣を手にした瞬間から勘定をしていたので、きっと生まれながらのいやしんぼうなのだろう。そんな私の特性をよく理解していた両親は、私に何かさせようとするとき金銭からめた。家事をしなかったら罰金テストでいい成績ならおこづかい増額、「一発ギャグ面白かったら100円やる」と言われたりもした。

中1の冬、いよいよ祖父がベッドから起き上がれなくなった。意識ははっきりしているが体がいうことをきかないらしい。あとどれぐらい会えるのか考えたら泣きそうになった。

祖父が起き上がれないから、その年の正月宴会は寝室で行われた。酒が入った大人の1人が、「誰かじいさんに添い寝してやりなよ」と言い出した。じいさんも男より女のほうがいいだろう、どうせなら若い女がいいと話が進み、候補は2人のいとこと私に絞られた。従姉妹は絶賛反抗期だったので、おじいちゃんキモいとか、ウザいとか散々罵っていた。お互いに添い寝押し付けあっている。そのやりとりをベッドの上から祖父が眺めている。見ていられなかった。なんで大人どもは笑って見てるんだ。

私が行くしかない。見せ物になりたくなかったが、誰かが行かなきゃ終わらない。私が立候補しようとした最悪のタイミングで親が財布から金を出した。

「じいちゃんと寝たら千円やるよ!」

千円札をぴらぴらとわたしに見せつけてきた。親にとってはいもの余興のつもりだろう。私は金さえ出せば動くから

本当に最悪のタイミング。ここで私が祖父と寝れば、祖父は私の金ヅルみたいじゃないか。断れば、祖父は金を出しても添い寝してもらえない人だ。私の立候補の決心があと10秒早かったら、祖父にこんな惨めな思いをさせずに済んだのに。

結局、私はヘラヘラ笑いながら祖父が寝るベッドに横たわった。親戚たちは「本当に寝やがった!」とドッカンドッカン爆笑祖父は掠れた小さいこえで「ごめんねえ、ごめんねえ」と呟いている。

私、おじいちゃんが好きだよ。たかが千円のためにここに来たんじゃないんだよ。昔は一緒に昼寝したもん。ちょっと恥ずかしいけど、中1のでかい図体でおじいちゃんと寝るのが恥ずかしいんだ。おじいちゃんが恥ずかしいわけじゃない。

泣きそうになるのをこらえて、ヘラヘラと起き上がる。親は満足そうに私の財布に千円札を入れた。その光景でまた親戚は大爆笑

それから半年ぐらいして、祖父は死んだ。祖父の死後10年は経ったけれど、あの日出来事はいまだ「金のために祖父と寝た女」という親戚爆笑テッパントークとして語られているらしい。

私はあのときどうすればよかったのだろう。添い寝を命じてきた大人を引っ叩いて回ればよかったのだろうか。ヘラヘラせずに号泣してみせればよかったのだろうか。千円札を親の口にでもねじ込めばよかったのだろうか。祖父法事のたびに、その場の空気とか大人の機嫌とか気にしてヘラヘラした自分を思い出して嫌になる。

なんでこんな長文にしたためたかって、祖父がごめんねごめんねと謝る夢を見たから。最悪な気分だ。正月が近いからかな。

2022-12-25

anond:20221223171458

その優秀な男性ってつまり自分に見向きもしなかった男だよね?

そんな遺伝子受け継いだ子供なんて私に対しても辛辣になるに決まってるわ。少なくとも反抗期までには「精子を受け取ることでしか子供を作れなかった劣化女」扱いし始めるに決まっている。

 

優秀な遺伝子が発現して子供から優秀だったら精子もらって産んだだけの女なんか、ただの劣化品のバカしか見えないだろ。

 

もうマジで無理絶対嫌です。

まれる前に死ねや。

2022-12-21

anond:20221221115234

冷笑派って、それを指摘されるとムキになって切れるよね。反抗期のガキみたい。

2022-12-18

anond:20221218223730

これには反抗期のワイもぐうの音も出ないわ

2022-12-17

一人暮らし6年目、ついにホームシック

19歳から地元を離れて県外の大学に通っている。大学院に進学したため、一人暮らしは6年目を迎えた。

6年目にして、初めてホームシックになった。

きっかけは修論によるプレッシャー

小学生から不登校を繰り返して、高校中退し、親との関係が安定してきたのはだいたい7〜8年前。

小学生の時からかなり自律神経がしっちゃかめっちゃかで、最近プレッシャーを感じると何もできなくなってしまう。

11月にあった学外発表で無事に力尽きてしまい(発表前は60時間起きてた)、毎日18時間寝る生活になった。その後、修論に全く向き合えなくなり、バイトにも行けず、ゲームもできず、ただひたすらYouTube小説でやり過ごす日々。流石に指導教官から実家に連絡が行き、母親に帰ってこいと言われ実家に帰った。

今でこそ、母親との関係は良い。

私(長女)の経験を生かし、不登校に関するNPO法人を立ち上げたり、放送大学に通い心理学を学んだりと、母親が学び続けたおかげで関係改善したと思っている。

そんな母のことは嫌いでない。好きだし、尊敬もする。

それでもこの歳になるまではとにかく家を出たくて、一人暮らしも楽しく満喫していた。

小学2年生から不登校だった。幼少期は引っ越し続きで、父は九州田舎亭主関白、母は全く周囲に頼れる大人がいない状況だった。その上、父は単身赴任(本社勤務とのことで家を買ったが、その後転勤が決まったらしい)。私と、弟たちを母1人で育てていくのは今思えば本当に大変なことだったと思う。

それでも、小学生の私にとっては、母が子育て等に不安を感じ続けている生活不安を感じないわけがなく、学校で周囲と衝突し、家では激しい反抗期、とにかく攻撃によるストレス発散が多かった。

よく父に怒られて家の外に出されていたが、その時は泣きながらどうしたら死ねるだろうと、塀(といっても1m)から飛び降りるか迷っていた。飛びおりなかったが、人生で初めての自殺未遂は今でも鮮明に覚えている。

ご飯を食べなくていい、と父に子供部屋に閉じ込められたこともあった。内開きのドアの前に重たい家具を置かれて、ドアノブを紐で繋いで開かないようにされ、水も飲めないトイレも行けない状況で一晩を過ごしたこともある。

喧嘩した時、私がダイニングテーブルをひっくり返して破壊したこともある。15万くらいするかっこいいデスクトップpcも壊したことがある。

私が原因で、離婚になりかけたこともある。

流石にいいところも書いておく。

ピアノ小学1年生から始め、2年生の時には100万の中古グランドピアノを買ってもらった(欲しいとは言ってないけど)。水泳そろばんなど、習い事をたくさんさせてくれた。クリスマス誕生日には欲しかったゲームをくれた。高校では50万の管楽器を買ってくれた。行きたいと言えば海外研修にも行かしてくれた。母は料理が上手(だと思っている)で、3食手作りしてくれたし、時にはお菓子も作ってくれた。裁縫うまい。父も農家出身未成年喫煙するような不良だったが、国立大学に行き20代で1000万プレイヤーだ。

やりたいことをやらせてくれる家庭だったと思う。

今は母も穏やかになり、自分のやりたいことを見つけて人生を楽しんでいる。父も亭主関白はなりをひそめ、週末は単身赴任から帰ってきていろいろ料理をする。私が帰省するとリクエストを聞いてくれる。私がお金心配をしなくてもいいのは絶対に父のおかげだ。

とにかく小学2年生から5年生までは攻撃的な子どもだったし、両親だった。家庭内情緒が最悪であった。(1番の被害者は弟たちだと思っている)

私は部屋に閉じこもり、昼夜逆転生活を送り、どうしたら死ねるかを考え、なぜ生きているのか悩み、母が書いてくれた私の0ヶ月から1歳半までの育児日記を読んで母の愛を確認していた。こうして振り返るとかなり寂しい子どもだと思う。

中学生になってからは、かなり落ち着いたと思う。母が支援に繋がれたことが大きい。

そんな家庭で、形や中身は変わりながら高校まで過ごしていた。

大学はとにかく県外に出たかった。高校中退学歴コンプレックスがあったし、弟たちがいるので国立しか視野になかった。将来の夢があり、養成の名門と呼ばれる大学を目指した。

5年半、ずっとホームシックになることはなかった。

一人暮らしは本当に楽しい自分のペースで生活できること、家にいる限りだれも私のことを知りようがないことがよかった。今でもそう思う。

それでも、ホームシックになった。

実家から帰る日、予定があったのでどうしてもその日に帰らなければならなかった。帰ろうと朝起きて、起きた瞬間涙が止まらなかった。8時半くらいに起きたと思う。18時まで泣き続けた。結局予定はキャンセルした。

18時に、今帰らないとずっと帰れない、と覚悟を決めて帰る準備をした。泣きながら準備をした。

それを見ていた母に、抱きしめてもらった。頭を撫でられながら、がんばってるね、えらいねと褒めてもらった。頑張りすぎなくていい、いつでも応援してると慰めてもらった。

1、2分だったと思う。

そのあと、やっぱり泣きながら車を運転して帰った。

帰ってきた日から、ずっとホームシックだ。

母が持たせてくれた沢山のご飯を食べながら生きている。ジップロックに書かれた母の文字を見ては泣いている。

修士論文にはまだ向き合えていない。

就職が決まっている。

なにもできない日々を過ごしている。

2022-12-11

少子化対策とはKKOにいい感じの家族ができることではない

KKO結婚しても

子供障害肥満因子やどうしようもない顔面を受け継ぎ

学校ではヒエラルキー中間層以下に並べられ

楽いいイベントは全部ヒエラルキー上位の子供のためもの

 

なにひとつ手に入らない

頼みの綱の勉強KKOの残念な頭脳を受け継ぎ全くうまくいかない

しろ計算障害の発生まである

 

この状態では反抗期に確実に家族崩壊するし

ついでにいえばそんな子供に執着するか完全放置するキチ嫁としてのアイデンティティしか

持つことができない妻の方も

 

幸せではない

2022-12-09

https://anond.hatelabo.jp/20221208132515

タイトルからして、結婚出産目的になってしまっている。

もっと言うなら目的が「普通」になってしまっている。

かると思うけど、結婚したら現状の全てが解決するわけではない。

正論を言うなら、人生をともにしたい好きな人いるか結婚するわけで。

結婚したいから(誰でもいい誰かと)結婚するわけではない。

「既婚」というラベルが一つ手に入っても、自分本体が変身するわけではない。

まして出産し、「親」というラベルが付けば全ての責任が生じる。

しか遺伝の関連性は高い。親子で発達障害という話はありふれている。

アスペ睡眠不足に弱い人が多いので夜中のミルクオムツキツイ

泣いてる間にミルクつくってオムツかえて健康観察して、ずーーっとマルチタスク

熱があれば病院に連れていく、ずーっと心配タスクと締め切りと騒音

発達の子は食べない。全然食べない。

保活もある。

PTA活動もある。子育てコミュニケーションの塊。

イヤイヤ期もある。反抗期もある。子育てコミュニケーションの塊。

義親の対応もある。子育てコミュニケーションの塊。

増田さんは、結婚したいんじゃないと思う。

結婚式のタスクだけでも、ゼクシィ立ち読みチェックリスト読んだら絶望すると思う。

もっとちゃんと考えたらいいと思う。

締めの文章メンヘラっちゃってる。全然考えてない。

からブコメが全体的に厳しいんじゃないかな。

ここで愚痴を書くのはもちろんいいんだけど、突然読んだ人を脅迫まがいの文章で締めてる。

読んだ人は心理的防衛機能が働くよ。だから批判されてる。

歴代彼氏も「ついていけない」は自己防衛だよね。

増田さんにとって”結婚”ってなんなのか。

なぜ既婚ラベル必要なのか?

無償の愛を手に入れたいのか?

未来永劫の依存先を見つけたいのか?

性欲の解消か?

単純に同居人必要だと思ったのか?

家事や何かを分担してくれるパートナーがいればいいなと思ったのか?

友だちが結婚たから、焦っただけなのか?

この問いをちゃん文章化できたらいいと思う。

現状がさみしいというだけなら、今は結婚相手ではなく、男女問わず友達を探すところからスタートして、楽しい暮らしを1日1日つくっていくのが正解だと思う。

薬でメンタルの起伏があるだろうから、何をするにもがんばりすぎないで。

増田さんの明日がたのしい1日になりますように。

2022-11-29

なんでみんな明日死ぬ話を嫌がるんだ

よく思うことなんだが、外ではとても言いづらいことなのでここに書かしてもらう。

自分は「もし自分明日死んだら」ということをよく考える。誤解されないために明記するが、これは自殺したいと思っているということではない。自分の余命が決まっているというわけでもない。自分はありがたいことに安定して(多くはないが、生きていくことはできる)お金が手に入る状況にあるし、友人にも恵まれており、趣味等もある。体もまだ20代前半で特に大病を患っているわけでもない。かなり恵まれている状況にあるということは自覚している。

だが、こういう状況にあっても、明日死ぬ確率というのは決してゼロではない交通事故、なんらかしらの社会とのトラブル事件に巻き込まれるなど)、突然の体の異常の発生(心臓発作等)、最近だとコロナもある。もちろん、小さい確率ではあるが、無視できるものではないだろう。明日ではなく1年後になれば、人間関係トラブルからの鬱の発生→自殺願望の発生といったルートや生死にかかわる病気を患うといった、もっといろいろな要因が存在する。1年後、今と同じように心身ともに健康にいられる確率というのは決して100パーセントではないだろう。死というのは、たとえ恵まれ自分であっても決して遠い状況ではないのだ。

こういう考えを持つようになったのはなにも最近のことではなく、小学6年生のころからであり、23歳になった今になるまでずっとこのことを意識している。小学6年生のころに一時的に親との関係がうまくいかなくなり(今思い返せば反抗期の始まりのような些細なことであったが、当時の自分にとっては世界を揺るがすような重大ごとであった)、自殺を考えたことがある。実行はしなかったし、「自分死ねばみんな困るだろう」という小学生らしい浅慮な考えだったが、幼いながらに死に方に思いを巡らせた経験はかなり強烈であり、それからも事あるたびに、死は近くにあることを思い返すようになった。

最初はこういった考えが悪い方向に働くこともあったが(どうせいつかは死ぬんだといろいろ投げやりになった時期になったこともあった)、高校卒業したあたりからは「いつ死んでも後悔しないような生き方をしよう」というように考えるようになった。これは、色々なことに対して「プロセス」を重要視するようになるという変化を自分にもたらした。例えば、何か目標がありそのために努力をしなければいけないとする。すると、それまではその目標を達成するために努力をしようという考えだったのが、努力する過程も楽しもうという考えになった。そうすれば、目標を達成する前に死んでしまったとしても後悔しないからだ。これは極端な例だが、なんらかしらの結果を出すために何かを我慢するのではなくそプロセスを楽しむ、あるいは選択をするときプロセスが楽しそうなほうにする、という風に考えることができるようになった。

他にも、人との出会い一期一会と思って大事にすることができるようになったり、なにより「今日一日は楽しかたか?」ということを意識しながら生きることができるようになった。これは後ろ向きな考えをしがちだった昔の自分からするとずいぶんとよい傾向だと思っている。

(ちなみに、今死ぬなら誰にどういう遺言を残したいか、といったことも考えたりする。そうすると自分が本当にお世話になっている人はだれか、とかやり残したことは何か、みたいなものが見えてくるのでよい時間だと思っている。もちろん、本当に自分遺言を書かなきゃいけない場面になった時にこういう考えができるかといわれたらそんなことはなさそうだし、おままごとの域を出ないとは思う。)

まあこういう感じで、死にたくはないが、明日死ぬことになっても後悔したくない、ということを念頭に置いて生きているんだが、こういう話をする(もちろん、本当に親しい友人にしかしないが)と「やめてよ、そんな話」とか言われたりすごく傷ついた顔をされる。本当にやめてほしいと頼まれ場合ほとんどだ。もちろん、自分のことを必要存在だと思ってもらえること自体はありがたいことである。だが、「もし死んだら」みたいな話をそこまでタブー視しなくてもよいのではないか、という気持ちになる。「今本当に死にかけてる人とかに失礼じゃん」みたいなことを言われたりするが、その発言こそ「自分はまだ死ぬ側じゃない」という傲慢さを自分は感じてしまう。○○歳まで生きてあれとかこれとかやりたいみたいな話をしておいて、それよりも早く死んでしまい、「もっとやりたいことやっておけばよかった」となるよりはよっぽど良い気がするのだが、「それはそうだけど死ぬなんて言わないでよ」みたいに言われてしまう。

先ほども述べたように、死はいだって割と近くにいると思ってるしそんな状況でも死なんてどっか他人事みたいな扱いをするよりは、もう少し気楽に話せてもいいのになあといつも思っている。

ここまで書いて思いついたのだけれど、こういう話を笑い話としてできるフォーマットが「明日地球に巨大隕石が落ちてきたら」なのかもしれない

2022-11-20

2chまとめ系のyoutubeチャンネルによる捏造

こちらの「夫が娘を殺そうとしていた」という2chまとめ記事だが、

http://kijoden.com/archives/25096371.html

youtubeの「2ch面白しゅらばなし」というチャンネルで、この夫と妻を逆にしてあたかも実際の2chまとめのようにしていた動画があった。

妻に対して「子煩悩」は確かに違和感がある。

https://youtube.com/@shurabanashi

女が悪者の話をよく投稿してるyoutubeチャンネルだけど、そこまでして女叩きしたいのか…今見たら該当動画消えてた)





こちらの「夫が娘の躾の邪魔をして甘やかす。クズに育った娘を見捨ててやった」という話も、

http://kijoden.com/archives/24546069.html

youtubeで妻と夫を逆にした話が投稿されていた。

https://youtu.be/xH5X-5gr9qM

「妻と娘に罵声を浴びせられる俺。離婚して捨ててやったザマァ!今さら縋ってきてももう遅い」系のスカッと話は溢れてるから、それらと一緒に出てくる。

反抗期の娘が托卵の子」もよくあるパターン




たかも本当の話のように捏造した2chまとめもどき創作話を垂れ流してるチャンネル、本当の2chまとめ系に混ざって非常によくあるから、タチが悪い


https://youtu.be/y32RXRMWJVY

こちらの動画とか概要に、「こちらの動画2ch風のオリジナルストーリーです」とある

誰も概要なんか見やしないので真に受ける

2022-11-19

anond:20221119012534

今は反抗期のない子も多いし精神的な成熟自体が昔より遅くなってるというのが定説から、そこまで問題ないんじゃないかなあ まだ反抗期が来てないだけの可能性もあるし、下手に厳しくしすぎて全然違う方向に行ったりしてもそれはそれで嫌なんだろうと思うし

あと全寮制の高校はうまく行けばいいけど学力メンタル人間性が本当にめちゃくちゃになって帰ってくることもあるからここに書くぐらいに心配性な親の場合お勧めしない

2022-11-16

anond:20221116124203

ファミコン面白い面白くないかの話じゃなくて

自分面白いと思うものもつまらないと考える人間は普通にいて当たり前なのに

それを見下すイキリっぷりが恥ずかしい、と言ってるんだけど気付かないのか

いや、小中くらいの子供が親にやってるのはしょうがないよ、反抗期だし

でも大人になっても同じ事やってたら恥ずかしすぎるだろ

2022-11-09

今朝通勤途中で原付に乗ったおばさんが中学生くらいの子どもに何か怒鳴りつけてた。

それ見て、ん?事故かなにかトラブルかなと一瞬通り過ぎようと思ったんだけど

まりにも怒号がすごいので、もしトラブルなら仲裁警察呼ぼうと思って声かけてみた。

するとおばさんはキョトンとしてから「親子げんかですけど!!!」って怒られたw

あぁ、何か怒ってるのでトラブルか何かかと思いましたって退散した。

去り際に「反抗期で何も言うこと聞かないんです!!!」って言われたw

大人子どもに怒鳴りつけてるの見ると不安になってしまった。声かけたことは後悔していない。

ただ、おばさん側だけに話しかけてしまって、子ども側に大丈夫?って聞けなかったことが後悔。

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