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はてなキーワード: 劇場とは

2015-10-27

日本アニメは滅びてもいい

アニメーターのあまりにも薄給奴隷労働話題になり、このままでは人材が育たないと危機感のある叫びも見られ、そこまで切り詰めているのに大ヒットを出せないアニメスタジオは潰れ、対象はどんどんオタクに特化されて行き、日本アニメ何だか未来のない閉塞感に満ちている。

最近海外アニメを見ることが多いが、日本より遥かにクオリティが高い。

カンフーパンダカーズペンギンズトイ・ストーリーなどの3D映画をTVシリーズにしたものを見ると、日本アニメ劇場クオリティより3Dアニメ劇場クオリティの方が遥かに美しいと感じる。

対して日本3Dアニメは不自然な動きや不自然な手の形ぎこちない表情かわいくないキャラ見苦しくても3Dから仕方ないと甘えているようにすら見える、これはもう勝ち目がないのではないか。

では3Dじゃないアニメはどうかと言うと、こちらもセンスクオリティで遥かに劣っている。

トムとジェリーミッキーマウス!やフィニアストファーブや怪奇ゾーンなどを見ていると、背景とキャラがとけこみどのシーンを切り取っても絵になるし話も楽しい

そしてこれらのアニメは多くの金をつぎ込まれ海外に輸出され多くのキャラグッズが作られアニメーターにまともな給料が払える。

もう日本アニメに勝ち目が見えないしこのまま生活苦で若手が去っていってじり貧で消えていくくらいでちょうどいい気がする。

2015-10-26

物があふれる時代貧困

ある5人が無人島に流れ着きました。

最初はそれぞれ別々に森を探索し、住むところと食べるものを探したため、苦しい生活が続きました。

ある時から、作業を手分けする事にしました。

それぞれが作業に集中する事で効率が上がり、2人が全員分の食糧を確保し、2人が全員分の家を造るようになりました。余った1人は素材を集めて服を作ることができるようになりました。

1年後、皆は生活にもある程度慣れてきました。家がある程度出来上がって来たので、一人が家の整備を続け、一人はきれいな飾りを作ったり、みんなのための娯楽を考える余裕ができてきました。

10年後、仕事効率は格段に上がりました。Aさんは立派な農場を作り、その気になれば1人で10人分もの食糧を作る事ができます。Bさんはその気になれば全員分の豪邸を建てることができます。Cさんはその気になれば全員にきれいな服を作ってあげることができます。Dさんのおかげでさまざまな宝飾品であふれるとともに、劇場では全て見きれないほどの種類の映画が上映されています。そのような中、Eさんはこれまでの苦労を振り返るとともに、全てが満ち足りた現在比較し、ゆっくりと感慨にふけっていました。

そんなEさんにAさん,Bさん,Cさん,Dさんは口々に言いました。

「何サボってるの?何か貢献しないと僕たちの製品は渡せないよ?」

Eさんは困りました。これ以上役に立ちそうなものは簡単には作れそうにありません。

昔のように森で自給自足しようにも、かつての森は農場工場劇場に代わってしまっています

Eさんはどうすればよいでしょうか。

2015-10-24

映画ギャラクシー街道」観てきました。

友達がおらず、感想が言えないので、増田の皆さんにご報告です。

本日公開の「ギャラクシー街道」を劇場で拝見させていただきました。

率直に言って、松本監督の新作って感じでした。

大日本人」→「しんぼる」→「さや侍」→「R100」→「ギャラクシー街道」って言われても納得しちゃいますね。

そういう意味だと、よくできた作品だと思いました。

2015-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20151020081344

「「R.O.D -THE TV-」」「攻殻機動隊 S.A.C.」CS有料配信先行放送

空の境界」「ガンダムUC劇場公開が最初だが実質OVA地上波無料放送は相当遅れたのでちょっと違う

ヤマト2199」これはかなり増田の言う形に近い

どれも固定ファンのいるシリーズカルト的ファンのいるものばかり

スカパー!PPV先行が続かないってことはだめだったんだろう

2015-10-18

anond:20151018212921

わかる。

劇場アニメ版と対比する意味テレビアニメ版をアニメ版と言うのは、

世代アニメマンガって呼んでたみたいな座りの悪さを感じる。

DVDBDでもOVAって呼んじゃうとかも。

TVアニメ版」を「アニメ版」って略す奴なんなの?

最近TVアニメから映画化されたある作品を視に行ったので、考察レビューブログ記事を読んでいたんだが、TVアニメ版のことを『アニメ版』、劇場アニメ版のことを『劇場版』と記述するブログがあった。

これっておかしくないか?

マンガ版に対して『アニメ版』と言うなら分かるのだが、「アニメ版では~、劇場版では~」のようにTVアニメ劇場アニメを対比する文脈なんだ。

でも、劇場アニメだってアニメだ。

それなら『TV版』って呼ぶべきではないか?

しかも、これはそのブログだけじゃない。

まどか☆マギカ劇場版」や「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でも色々なブログ記事を読んだけど、『アニメ版』・『劇場版』という記述をちょいちょい見かけた。

いったいどこからこの表現は広がったんだろう?

本当に不思議だ。

2015-10-17

鴻上尚史英国留学は何の意味があったのか

鴻上尚史作・演出の「ホーボーズソング」を観劇した。20年前と全く変わらない方法しか感じられず、鴻上氏は今まで何をしてきたのだろうと不思議に思った。

俳優は、特に主要なキャストは魅力的な人々なのだろう。しかし一つの演劇を通した時に、全く何の感動も触発も発見もない、無意味体験だった。

私は虚構劇団舞台を見ながら、青年団女優がかつて平田オリザに対して言い放った言葉を思い出していた。曰く「こんな普通セリフを客席に向かって喋るなんて恥ずかしくてできない」と。その文脈で言えば、虚構劇団の皆さんは、恥ずかしげもなく客席に向かって喋り、踊る。そしてオープニングとエンディングと、劇中にも歌入りの音楽が流れる。セリフ説明的であってもお構いなしに、必要ならばプロジェクター用語解説まで入れながら日本社会文化について作者の批判精神を観客に伝えようとする。

誰かが私にに何か伝えようとすればするほど、私はそれが伝わってくるのを避けようとする。どうせろくなものじゃないからだ。私は誰かが控えめに、ささやか表現した行為から何かを読み取りたいと思う。現代とは表現者節度と鑑賞者の教養が組み合わさった時に共犯的な芸術が成立する時代なのだ

私は鴻上氏に馬鹿にされているように思った。「どうせ俺の芝居を見に来るような奴らはこういう表現を求めてて、これくらい親切にしてやらないと理解しないだろう」という侮りを感じた。あるいは彼は、理解されない事、伝わらない事を恐れているのかもしれない。しか有史以来、常に演劇を作る人、演劇を観に行く人がいるのは、そもそも人間孤独で、相互理解し合えないからではなかったのか。劇場とは他者出会特別場所ではなかったのか。

私の観た限り、今回の芝居には出会うべき他者存在せず、若者が代弁した鴻上尚史講演会しかなかった。20年前には社会に対して説得力があったのかもしれないが、今は何もなかった。

2015-10-13

観劇マナーについて。

2,5次元舞台アイドル舞台小劇場演劇歌舞伎宝塚ジャニーズ舞台ミュージカル海外ミュージカル海外演劇、能、落語狂言文楽、その他古典芸能劇団四季ファミリーミュージカルパフォーマンスショー、アイスショーダンス朗読劇。

ジャンルにより、さらに細かいルールがあると思います

バレエクラシックコンサートオペラでは、もっとデリケートになってくるのではないでしょうか。

それぞれのジャンルルールに従いながら、マナーを守って観劇しましょう。


  • 頭を動かしすぎるのも、後方の座席お客様の目につきます。気を付けてください。
  • 脚の長いお客様、体勢が厳しいかもしれませんが、前の座席をけったりしないように気を付けてください。
  • 愉快な場面で笑うことは、素晴らしいことです。しかし、私語はしないでください。上演中の感想の話し合い、実況中継のような会話、キャーキャーという黄色い声、一切やめてください。感嘆の声や感動からくる溜息がおもわず漏れしまうことと、私語は、まったく違います許可がない限り、上演中に立ったり叫んだり騒いだり歌ったり踊ったりしないでください。歌舞伎の大向こうは、素人さんはかかわらない方がいいです。俳優と一緒に歌をくちずさんだりするのも、許可されている場合のぞき、おやめください。ロッキーホラーショーでは一緒に踊れる場面がありますので、ぜひ挑戦してみてください。
  • 公演中に、役者に手をふるのはやめてください。
  • 「○○くん大好き」だの「○○さん愛してる」だの書いたうちわボードは、観劇中に掲げないでください。こういったことは、コンサートなどで楽しんでください。観劇中にこんなことをする必要は一切ありません。
  • 咳やくしゃみなどに注意してください。日頃クセになっている咳払いが、観劇の場となると迷惑になることがあります雄叫びのようなくしゃみ、咆哮のような咳や咳払いはやめてください。しかし体調はひとそれぞれ。どうしても痰がからんだり咳が心配になる場合は、タオルハンカチを手元に準備し、あらかじめ開封ずみの飴(くれぐれもニオイに注意)をそこにしのばせ、ノドに危機が訪れそうになった瞬間、口にこっそり放り込むという手段もあります本能のおもむくまま咳をされるより、こちらのほうがよっぽどマシです。寒ければ、たいていの劇場ではブランケットを借りることもできますよ。どうしても咳やくしゃみが出てしまいそうなときは、口元にハンカチをあててやりましょう。
  • 座席の肘掛を使うときは、隣の席のお客様からだに肘がふれないようにしましょう。また、足の長いお客様は、となりの席に足をはみ出させないように心がけましょう。隣の席のお客様のスペースに、からだをわりこませないように気を付けてください。
  • 無駄に髪の毛をさわってみたり体をかきむしってみたり指を鳴らしてみたりびんぼうゆすりをしてみたり足をぶらぶらさせてみたり下手にリズムをとってみたりピアノ演奏のマネをしてみたり、あまりオーバーリアクションをとってみたり、ひとりごとを言ったり、けたたましい笑い声をあげすぎたり。不審な挙動は、両隣のお客様に丸見えです。意味のない行動はやめて、手は膝の上に置き、観劇に全力を注ぎましょう。手拍子は、場面に応じてOKです。
  • 感動して涙を流すことは素晴らしいことです。しかし鼻汁の音をブーブーピーピー鳴らしまくる音や、場面が変わったのにいつまでもスンスンしゃくりあげる声音は、意外に目立つものです。気を付けましょう。
  • 持ち物に鈴などはついていませんか?鈴の音は、静かな空間に響きます。持ち物チェックも大事です。
  • お手洗いは休憩時間、上演前にすませましょう。どうしても波がおとずれたら、すみやかに退出しましょう。

バッグや持ち物は座席の下かひざの上におきましょう。バッグハンガーを前の座席にかけ荷物を吊るすようなことはおやめください。大荷物の場合は、コインロッカークローク活用してくださいね

  • 上階席で観劇する場合、見えにくいこともあるかもしれません。しかし、立ち上がって観劇するのはやめましょう。身を乗り出しすぎるのはやめましょう。一階の前方列で観ている客には観えないものが、二階や三階から見つけられるはずです。あなたしか観えないものがたくさんあります。それを楽しんでください。
  • 物語オチを大声で話したり、出演している俳優の悪口を大声で叫んだり、俳優根拠のない噂話でもりあがったり。座席での会話は周囲につつぬけです。気を付けてください。

2015-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20151008134418

映画館での映画が始まるまでが長すぎる 点は同意

そして、劇場ホールへの入場を上映開始後10分くらいに入ると無駄CM動画を観なくて済むライフハック流行りつつあって、

遅れてくる人のために、さらCM動画を長くする動きが悪循環・・・

○○厨と同担拒否の話

ずっとジャニーズJr.を応援している私が、こともあろうに担降り同担拒否になってしまった話をします。

ただつらつらと自分感情を書くので、乱文です。書き捨てです。じゃあ日記に書いてろよって話だけど。すいません。

根底同担と仲良くやっていきたいですよ。でも、やっぱり出来た人間じゃないわけで。

別に彼のこと「リアコ」とかじゃない。だけど人生の半分以上ジャニオタやってきたのに、今になってどす黒い感情が渦巻いてて、毎日もやもやしてる。

しろ学生時代当時の担当にリアコだったときの方がみんなで仲良く楽しくみたいな感じだったとも思う。

っていうか二十代前半まで当時の担当にリアコだったよねww付き合いたかったよ結構年下のJr.だったのにさ。

私はちゃんとあなたを見てるよ!とばかりに毎日コンサート入って舞台観劇して同じ演出の同じ内容のもの毎日毎日毎日

大好きだから飽きない。舞台班のJr.担だったときなんて毎日殺陣の後の死体姿勢とかに微妙な差を見出し

今日はここが違いましたね、なんて手紙に書いてた。でも、ファンが増えたらそれだけ感想レポも増える。

私はファンが増えると冷めてしまタイプです。

自分以外にも彼を見てる目があれば自分は見なくてもいいよねって思っちゃう

でもそうやって担降りして、元担がセンターポジションついたりドラマとかCMとか出たり、果てにはデビューしたら嬉しいんですよ。

彼のうちわが私含めて数人しかいなかったときから好きだったんだぜ!みたいな感じで鼻高々になってる。

今年の初めに、こんな匿名ダイアリーがアップされた。http://anond.hatelabo.jp/20150209010459

これ、Jr.担ならあるあるだと思います。一部の超絶人気Jr.を除いて。

しろ出待ちとか行かなくたって認知されるよ、今の私の担当がそうだもん。

アイドルの営業活動の一つに「手紙の返信を書く」ってことがあると思うんだけど

性格がでますよね。筆まめな子、全然書かない子、気まぐれに書く子、溜めに溜めたら年賀状で一斉送付する子…などなど。

人名は出せないですけど某Jr.の返信見せてもらったらその子の営業能力があまりに高くてびっくりしたのと同時に

羨ましいって気持ちが生まれたを覚えてます。返信の内容がただの付き合いたてのカップルみたいだったからね。

そのとき自分担当が全く返信を出さない子だったこともあって、新しい世界を見た。

今の担当担降りしたとき、すぐに手紙を送ったんだけど、たぶんあんまり手紙をもらったことがなかった子だからか、

それとも元々の彼の性格なのかすぐに返信がきた。すごい丁寧だった。プロフィールまで丁寧に書いてくれた。

それがものすごく嬉しかった。次の仕事の時もまた手紙を出す。そして、すぐに返信が来た。

そしたら長丁場の仕事の時、なんと彼は何日かに1回のペースで返信を送ってくれました。私も毎日手紙を書いて劇場に送る。

それで公演中に私を見つけたら「いましたねー」なんて書いてくるんだ。羨ましかったあの頃の私よ、数年後に同じことやってもらえますからね!ww

ますます、好きになって、手紙を書くために公演を見に行ってたと思う。私って返信厨だったのか。

ただ、急に垢抜けてダンスも上達して、仕事露出が増えた彼は

みるみるうちにうちわが増えて、ファンが増えていきました。

それまで彼の名前をいっても「え?誰?何の仕事出てます?」みたいな感じだったのに

SNSで彼の担当がどんどん増えていく。彼女たちが自担くんかっこいい!今日もファンサもらっちゃった!とか言ってるのを一歩引いて見てる私。

これ、いつものように担降りするとき感情と同じだ。

結局私は、ずっと同担拒否だったんだって一瞬思ったんだけど、たぶん違う。

たぶん私は新規がすごい苦手で(自分だって降りたての時は新規のくせに)

自分が失ってしまった感情で応援できる新規のファンをすごい遠くの上の方から

こんなことも知らないなんてって見下してたんだと思う。でもその新規きゃぴきゃぴした感じが羨ましくてきゅんきゅんしたくて、

新しい子を見つけて担降りしてた。

でも今はその時の感情と同じではありません。

じゃあどんな気持ちかというと

それはたぶん、自分の年齢的なものだと思います。今までの担当にあった「リアコ」という感情

今の担当には全くありません。そうなると、違う感情で彼の一番のファンでいたいと思うんでしょう。

その感情をはっきり説明はできない。

だって担当の一番のファンになりたかたった。毎日舞台に通って、もしかしたら万が一にも

繋がるとか特別なファンになれるとか彼女じゃなくてもいいから…そう思ってたからこそ脳内がお花畑で楽しかったのかも。

妄想話とか、永久に出来たもん…自分担当星屑スパンコールを何度妄想したことかw

だけど今の担当で下手な妄想はできない。なんででしょう。

アイドルを応援しながら、それでも脳内の何パーセントかが今までと違って必死現実に引き戻そうとしてるからかな。

から妄想話とかできゃっきゃできる同担のことをたぶん羨ましいと思いながら恨めしいと思ってる。

年を重ねたことで、見た目の問題(それも大きな問題だけど)じゃなくて、精神的に大人になっちゃったんだなーって思いました。

また自担マメなことも、負の作用をもたらして、

ますます同担拒否反応をおこしちゃうんじゃないかな。

みんなにズボラだった元担のときにこんな感情はおきませんでしたし…自分精神も若かったと思うけど。

この話に終わりはありません。

からオタクをやめるわけでもないし、今の担当から降りるつもりもありません。

書きたいことがやまほどあったけど、ここまで書いたら結構すっきりした。

さて、仕事に行ってきます

2015-10-04

3Dメガネで見る3Dエロゲは良かった

3Dメガネ付きノートPCを2年前くらいに買った。型落ちVAIOで安かったので

ポータブルBlu-ray再生機と割りきって購入

映画視聴時、劇場3Dと比べるとモニタが小さいので、

ヘタな特撮ミニチュアみたいなチープな立体感になる

3DAVも何本か借りたが、ミニチュアみたいな立体感が災いして

人間によく似た小さな生き物が交尾をしているのを見ているような、要は端的に言ってグッとこない

ちなみに、ちょっと前に麻美ゆま春菜はな無修正流出してたけど

映像ソースは、この3Dで見たAVと一緒だった

流出したってことは、この3DAV制作会社潰れてしまったんかなあとしんみりした

予想外だったのが、「安保よりチンポ」で祭りになったオープンワールドエロゲを作った

イリュージョンゲーム中途半端3D対応してたこと

実写AVだとピンとこなかったミニチュア体感

ポリゴン3Dモデルになると、美少女フィギュアが動いてすけべをしているような

ちょっと独特のいやらしさがあって、大変すばらしかった

4Kモニタは既に買った。DELL23.8インチのやつ

HD映像と電書のマンガオリジナルサイズで並べられるのはすばらしい

コンシューマ3Dはこのまま時代の徒花として収束しそうだが

解像度は疑いなく正義

http://anond.hatelabo.jp/20150929142600

2015-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20150920014850

作画は2話の段階で崩れて3話で卯月魚眼になったかと思えば凛の顔は常にデカい上に基本的に動かない棒立ちの会話が進行してライブ最近止め絵の連発。作画がアレなのはまあ本家アニメからそうだったけどさ、割とチョコマカ動いてはいたよ・・・

なんでシンデレラガールズでそれが出来ない???????金は払ってきたのに・・・バハムートの時は金に物言わせて有能アニメーター買いまくったんでしょ??????????なんでそれしないの?????

1クール開けて再開したかと思ったら相変わらず作画よくならんしさ・・・1話で出来てたじゃん・・・

予算だとかなんとかって話は推測しかできないけど、あの1話を2クールアニメの第1話しか見てないのが既におかしいんじゃね?

1話でやった事は演出がどうしたとか、基準が全部劇場アニメレベルだろ。掛かってるコストが違いすぎるのは明らか。

何よりマズいのは、これゼノグラシアじゃないの。「アイドルマスターシンデレラガールズ念願のアニメ化」なの。今後ライブとかこれに則るの。(ゼノが普通におもしろいとかそういう話は置いといてね。)

念願のアニメ化までに関係者がどれだけ膨れ上がったか、それは本家アイマスみたいな長い時間掛けて耐えられるように増えてきたのかって視点で見れば大した仕事もしないのにカネを溶かす人間が山の様に蠢いてるのは想像できるだろ。

あの露骨アニメ感想postしだしたミリオン中の人達のtwitterとか顕著だろ。

露出してる人間であの露骨さなんだから裏側に群がるゴミがどれだけいるか想像に難くない。

神バハは真実成金コンテンツで、突然儲かったか札束で叩くだけでなんとかなったかもしれない。札束で殴ってやれって思って振りかぶるまでに大したエネルギー使わないんだから

モバマスでは札束で殴ろうと思ったその時点から、実際に殴るまでに平気で2割や3割は消える。グッズやCDじゃないぞ?何も産まないゴミが吸い取ってるんだからな。

カットの単価が1万切ってるものばっかりだったんだからおかしかったんだよ。1話や4話のロリシーンは

モバマスアニメが高い観察力と理解力要求する作品なのは確かだが

http://anond.hatelabo.jp/20150920014850

面白い面白くないかは個人の感受性の違いだからなにも言わん。

ただ、おまえの観察力が非常に貧弱なのはよくわかった。ほんとにモバマスやってるの? そのうえでデレステのコミュとかぜんぶ見た?

たとえばきらり。WONDERFUL MAGICきらりセンシティブ少女らしい内面が描かれて話題になったよな? 新年イベントで杏ときらりの関係性も掘り下げられた。アニメきらりはちゃんとそれを踏襲してる。12しかり、18話しかり。それを踏まえてデレステの10話を見たら魂が震えるっしょ。

みくだってモバマスカードだけからもそのプロ意識の高さと仲間思いがちゃんと伺える性格設定だ。アニメで常に「みくが」じゃなくて「みくたちが」と発言することに「そうそう、みくってそういう子!」って感動しきりだったよ。アニメスタッフは本当に細部にわたるまでアイドルのことをよく観察してるって思った。そういうとこ、ちゃんとみてる? それとも卯月ブルマみすぎて目がつぶれちゃった?

しかシンデレラアイドルはとんがった性格の子が多いよ。これをアニメにするって聞いた時は、シンデレラ劇場みたいな一話完結のギャグアニメにするしかないじゃんって思ってたよ。ところが蓋を開けてみれば、原作の設定はそのまま活かしつつ、現実的に地に足つけた等身大少女たちを描いてみせた。正直舌を巻いたよ。

他にもお前のあげた欠点は単なる観察不足ばかりで、同じPとして情けない。23話の公園のシーンだって、間にPとMJの会話を挟むことで時間経過を表現してるんだよ、そのあいだに描かれてない会話があったうえでの「私たち帰るね」だろ。どんな会話があったか24話で描かれるかどうかわからないけど、何かあったんだな、って想像するのが普通じゃん。さらに「どんな会話があったんだろう」って想像するのもアニメ鑑賞の楽しみじゃん。

上っ面だけみて楽しい気分になれる萌えアニメが好きでも別にいいけどさ、そういうのじゃない作品には先入観捨ててちゃんと向きあえよ。というかそもそも10代の女の子のこと知らんだろお前? 女子高生ってほんとにあんな生き物だぞ、知ってるか?

2015-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20150916155428

デビューの経緯とかは世界線ごとに違ってても別に構わないから

とりあえず小梅ちゃんは走るゾンビ推し(ボイスドラマ)なのかノロノロ歩くゾンビ推し(劇場、デレステ)なのか統一してもらいたい

2015-09-19

映画の内容がわからなかった。27歳になり無職になった子がヒロインなんだけど

なぜか、その子感情移入をし過ぎてしまった。その子パートになり目が滲み鼻をすすってしまう。

隣に座ってた人が、それに気付いてこっちに視線を飛ばすのがわかった。めっさ、恥ずかしい。

もう、こうなってしまうと、スクリーンとの焦点はブレブレで、思い出が勝手に蘇り、その間だけ話が飛ぶ。

完全に迷子になることは無かったが、ヒロインが立ち直る理由が飛んでしまった。

前向きになるヒロインに対して、感情移入しすぎた自分は、ただ置いてかれる。

隣の席からすすり泣く声が聞こえて、感動するシーンだとやっとわかる。

スタッフロールが流れ終わると劇場が明るくなった。

シートに沈み込んでしまったので、だるくて立ち上がるのを億劫にしてると、隣の席も立ちあがらない。

映画の終わりの余韻に浸ってるのだろうか。

終わった実感さえ無い自分には、何かを強制されてるような感覚になり億劫になる。

劇場を出ると、風が冷たい。ぽーっとする。頭が痛い。

ああ、わかった。風邪ひいた。連休中にはなおそう

2015-09-09

家庭用のテレビが大型して、ネット動画配信も本格的に普及して、これから映画館に行く人ってどんどん減っていく気がする。

とっくに終えてるかもしれないが、映画観賞が特別という時代から特別に好きな映画とか、デートの時とか特別な時に使う。

そういう場所としての用途に変化していく。

それでも劇場は選んで欲しいといつも思っていうr。いくつか理由はあれど音響が違うから

田舎シネコンのメインオチはだいたい音響が狂ってる。ドア開けたシーンでお客さんがビクッとする。ホラーでもないのに。

逆に、音響が調整された映画館は、不可解な驚きを与えない。

それでも、意識すると音響がかなり効果的に使われてることに気が付く。

せっかく金を払うなら、良い劇場の良い音響で楽しみたい。

ただ、かなりの人が地元シネコンで済ましてしまう人が多く、あの劇場が良いよね。という話があまり出来ない。

劇場好きって結構いると思うんだが、少ないんだろうか。

2015-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20150908200853

蕎麦はもともと庶民食べ物で、

現代でも立ち食い蕎麦のように安かろう不味かろうのイメージがあるから

天皇陛下に献上するはずがない」と書くと一見するともっともらしいけど、

実際には皇室御用達蕎麦というのは存在するわけで、

ステンシルは野蛮だから王立劇場に使われるはずがない」だけでは、

ちょっと説得できないよなぁ。

ちゃんと根拠を示してくれないと。

「よくわかる、なぜ「五輪リエージュロゴは似てない」と考えるデ

よくわかる、なぜ「五輪リエージュロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?

http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

なんというか、この記事を読んで「この人って常識教養もないのか?」って思った。

もしこの見解が「デザイナー界隈の最大公約数」というのなら、デザイナーってのはどれだけ教養常識もないのだろう。

この説明をみて「その通り!」って思う人って、どれだけ教養も知識もないのだろう。

深津貴之という人は、ベルギー国やそのデザイナー侮辱しているのだろうか。

今回の類似性理解するには、前提としてステンシル書体を知っていなければなりません。これは製図やレタリングで使われるステンシルテンプレートモチーフとした書体通称です。リエージュや、チヒョルト展の文字デザインは、このステンシル系の書体ベースにしています

まりリエージュチヒョルト展のロゴにあるTやLの文字の分割具合は、「ステンシル書体お約束」なわけです。

1.ステンシル書体という書体ジャンルがある

2.リエージュロゴチヒョルトロゴは、このステンシル書体に属する

3.ロゴのTが分割されてるのは、ステンシル書体(のローマン系)の作法

などとあるように、深津氏の論理大前提に「リエージュロゴ」や「チヒョルトロゴ」は、ステンシル書体を基本にして作られている、という主張をおいている。

そんなわけあるか。

ステンシル体というのは、ペンキやスプレーなどで簡単に、木箱や木樽などにアルファベットをペイントする「型紙文字」を模したものだ。

ところどころ文字の線が切れているのは、「型紙を作るときに閉曲線を作らない」為とか、さらに型紙の強度(壊れにくさ)なども加味した、

実用大前提理由があるんであって、オシャレのためでも独自性のためでもない。

更に、ステンシル書体の由来が「実用」、それも非常に泥臭い場所用途での実用やその使われる対象や実際の転写品質関係もあることから

ステンシル書体は「野性味」、良い意味での「不精さ」「無骨さ」「無頼」「不器用」「泥臭さ」「俗っぽさ」「荒っぽさ」、そういうイメージ連想させるものだ。

ベルギー国王名前を冠したベルギー王立の劇場エンブレムを作るときに、そんなものから出発するわけがないだろう。

深津氏の主張は「ベルギー王や王立劇場イメージは、野生、不精、無骨不器用、泥臭い、俗っぽい、荒っぽい、である」といっているに等しく、

ステンシル書体から出発してスタイリングを経て現在ロゴになった、と主張するということは

リエージュ劇場は、ちょっときれいにスタイリングされただけ、そもそもの根本的にはステンシル書体が似合う場所なんだよ」と言っているにすら等しい。

まりにも無教養すぎるし、ベルギー国や王立劇場、そのデザイナーに対してあまり侮辱的過ぎる。

「でもステンシル書体と共通する特徴があるんだし、ステンシル書体と同じ」というところから恐らく深津氏の論理は出発しているんだけど、

それこそ深津氏が言うところの「井と♯と#が同じ文字と言っている、無学な藁人形」と深津氏の知能が同じであるということに等しい。

なんというんだろう、これが本当に「デザイナー」の共通認識なのか?

デザイナーというのはここまで無教養で、無礼で、不躾で、まがりなりにも一国の王を侮辱して恥じない人間なのか?

深津氏の説明を聞いて「なるほど」と思った人は、このぐらいのことも頭が回らないのか?

五輪エンブレムをめぐるホッテントリについて」がわかりにくい理由

http://anond.hatelabo.jp/20150907223211

個人的釈然としない部分がいくつかあるので整理・言及したい。

増田氏の主張は以下の通りである

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1. 「劇場ロゴパクリ」は争点になっていない。五輪エンブレムとして採用するか否かが争点

2. 類似性(似ている/似ていない)が認められるかどうかということが話題となった

3. パクったかどうかに関係なく、単に似ているということで著作権上の問題が生じる

4. 他の案件におけるパクリ(盗用)はあった

5. 「劇場ロゴパクリ」はなくても、チヒョルト展のパクリはあったと認定できる。その根拠は次の二つである

5-1. 文字とは無関係の装飾要素かつまったく不要な赤丸が原案の右下にあったか

5-2. 「(佐野氏がチヒョルト展を訪れた事実を認めた上で佐野氏がチヒョルト展のロゴを)覚えてない」と弁解したことについて、彼は嘘をついている、プロならばこれほどのデザインをあっさり忘れるはずがないから

6. 深津氏は争点になってないものについて解説しており、深津氏の見解のもの意味を持たない。

7. 「劇場ロゴとのパクリではない」なんていうどうでもいいことを持ち出して、「専門家の言うことを聞け」と述べるような深津氏の主張は妥当ではない

8. 深津氏の見解の主要な点は「専門家に任せるべきだ」とした部分にあるが、最終案を決めたのは素人である武藤事務総長であるため、深津氏の主張は成立しない

9. ベルギー劇場ロゴとの類似性が認められるかどうかという法的争点を抱えている状況の中、佐野氏の他の案件におけるパクリが判明。加えて、原案と最終案はまったく違うものであるほか、最終案を決定したのは事務総長ということが判明した。これをふまえて、「五輪エンブレムとして採用するには適切ではない」という民意が生じた。

10. 9 を無視して「専門家判断に任せよ」という深津氏の主張は問題デザインの面だけに限定しており、きわめて視野が狭い。まったく問題所在理解していない。

11. 今回のエンブレムは、エンブレムデザインとしての良し悪しで決まったのではなく、展開力で決まった

12. (原案の)丸と三角と四角というデザインはあまりにも単純で凡庸であり、これを「美しい」「見事だ」と思うようなデザイナーはいないだろう。専門家民衆の声と自分の心の声を聞くべき

13. 心の底では「くだらん」と思いながらはっきりと口に出せない。「展開力が優れている」と言われると「なるほど」と言って承諾するだけで「エンブレムとしてはあまりにも凡庸な図形だ」という本音を口にできない。

14. そんなデザイナーたちの良心というものを信用できない

id:sisya 氏のコメントに対し:

15. 「(劇場ロゴと)似ているか依拠しているか」というような話題は争点ではない

16. この事件問題点は、ベルギー裁判で勝つかどうかじゃない

17. 著作権問題にしていない。そもそもベルギーロゴとの関係問題にしていない。ベルギーロゴとの関係などはどうでもいい

id:bros_tamaコメントに対し:

18. “五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”ということは今回の騒動ではほとんど意味がないことだというふうに評価している

19.パクリデザイナー作品五輪正式採用することの倫理的な是非」が問題

20. 美術的な問題はない。美術的なことをいくら論じても、今回の騒動には何の関係もないというのが本項の趣旨

21. 劇場ロゴとの類似性とかパクリとかはほとんど話題になっていない

22. 深津氏の見解否定しているわけではなく、本質とは関係ないとして軽視しているだけ

id:Eizo0000 氏のコメントに対し:

23. この問題専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視している

id:honma200 氏のコメントに対し:

24. 問題本質は、法律違反をした(あちこちで画像の盗用をした)作者のデザイン五輪採用するかどうかという倫理的な部分にある

25. 23 の主張も、深津氏の記事が訂正されたことによりかなり色褪せてきたとも言える。

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全体を通して、おそらく増田氏は「犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレム採用することは倫理的問題がある」ということを言いたかったのだろう。

しかしながら、その結論に向けて展開した論理が歪んでいること、根拠が不十分であったりすること、本筋とは関係ない論理が混じっていること、

話題」「争点」「問題」といった言葉の使い分けが曖昧であることが、エントリのわかりにくさや理不尽さを生じているのではないかと考える。

冒頭で個人的釈然としない部分があると述べた。論理が歪んでいるのが気持ち悪いと思う私的な感情から、その部分について指摘していきたいと思う。

増田氏が取り扱う問題と深津氏が記事が取り扱うことが違うということを増田自身認識していない

増田氏は、深津氏の記事を「劇場ロゴパクリではないと言っているだけ」としたが、この時点から既にズレが生じている。

記事は、「五輪リエージュロゴは似てない」と考えるデザイナーがどうしてそのように考えるかといった点にフォーカスしたものに過ぎず、増田氏が取り扱いたい問題については言及していない。

増田自身も、ロゴデザインがどうとか劇場ロゴと似ているかとか著作権がどうとかは争点ではない(主張1、15、16、17、18、20)、

自身の取り扱いたい問題本質とは関係ないとしている(主張22。これらの主張だけを見れば主張6 も「(増田氏にとって)意味を持たない」として解釈することができる)。

それなのにも関わらず、自身問題とすることを深津氏の記事と結びつけたために、6、7、8、10 といった見当違いな主張が生まれ、(はてブコメント欄観測する限り)読む側に混乱が生じたのではないだろうか。釈然としない。

■各人のコメントに対する返答の的はずれさ

3、4 に対し、id:sisya 氏は「単に似ているだけでは盗用にならず、依拠しているかどうかが重要」とコメントされたのではないだろうか。

そのことについては深津氏の記事の「前提知識1」の項に書かれており、それを踏まえてid:sisya 氏は「参照元エントリ全然読解できていないように見える。」「もう少し元記事を読み返すことをお勧めする。」と述べたと思われる。

そう考えると、id:sisya 氏に対する返答は的外れである

id:bros_tama 氏の「あの記事は“五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”について書かれているんです」というコメントに対し、

「それはわかっている」「本質とは関係のないことをいくら解説しても、そんなことはどうでもいいことだ」と返答しながらも、なぜ自身問題とすることを深津氏の記事と結びつけたのか。

その矛盾id:bros_tama 氏がコメントをする動機となったと思われるが、いかんせん増田氏の返答は的外れである釈然としない。

根拠不十分

4 については、実際にトートバッグの件について佐野氏側が「第三者デザイントレースしていたことが判明」と発表していることから、間違いのない認識だろう。

しかしながら、5 については何の根拠もない。その根拠とする5-1 についても5-2 についても不確かではないか。釈然としない。

■「それ、あなた感想ですよね」(ひろゆき風)

ちょっと主語が大きすぎるのではないかと思う(主張9、12、13)。自身の思いを投影しただけに過ぎないと感じる。釈然としない。

不要論理

犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレム採用することは倫理的問題がある」という結論に向かう上で、6、7、8、101112、13、14 は必要のない論理ではないか。

深津氏がいわれもなく謗られたと受け取る可能性がある内容を記述することに何の意味があるのか。釈然としない。

犯罪者呼ばわり

トートバッグの件について、佐野氏側はトレースした事実を認めたが、それ以外の案件についてはまだはっきりとした裏付けはとれていない。

何らかの罪に問われたわけではない現在の状況下において、一個人を「大犯罪者」と呼ぶのは果たしていかがなものか。一個人が一個人を断罪することは危険ではないかと私個人は思う。釈然としない。

■ずれる結論

犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレム採用することは倫理的問題がある」(以下、結論Aとする。)という結論に向けて論理を展開したかと思いきや、

id:Eizo0000 氏のコメントを受けて「この問題専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視している」(以下、結論Bとする。)と結論を変更した。

その後、深津氏が記事結論部分の表現を変更したことを受け、増田氏は「問題視したことは、かなり色褪せてきたとも言えます。」「「大衆デザインには無知なんだから口出しするな」というような方針が、少しは改まったのだとすれば、本項は一定役割があったと言えるでしょう。」と追記。

なんだ、結論Bを言いたかったのかと思いきや、さらにその後のid:honma200 氏のコメントを受けて、再び結論Aを書き連ねる。これでは、結局言いたいことが錯綜しても仕方ない状況だ。釈然としない。

■まとめ

横暴な論理を振り回すことは非常に危険行為ではないかと思いますしかしながら、増田氏が問題視する倫理面に切り込んでいくことは重要と思うので、これについて僕も書けたらよかったのですが、見識がなく断念しました。どなたかお願いします。

2015-09-07

五輪エンブレムをめぐるホッテントリについて

深津貴之 氏の見解が多くのブクマを集めている。

   http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

   http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

 

実はこれは、「劇場ロゴパクリではない」と言っているだけだ。上手にていねいに解説しているが、話の趣旨のもの組織委の見解と同じだ。その点は、増田が指摘したとおり。

 似ているとか似ていないとか最初に言い出したのは誰なのかしら

 

しかしながら、組織委の見解はピントがずれているし、その意味では、深津貴之 氏の見解もピントがずれている。そのことを解説しよう。

 

 1.劇場ロゴパクリは争点ではない

劇場ロゴパクリはもともと争点となっていない。これを話題にしたのは一部の人だけ(もしくは初期だけ)だ。

 

では、何が話題になったか? 次の二つだ。

  (1) 劇場ロゴとの類似性

  (2) 他の画像パクリ(盗用)

 

前者は、著作権問題だ。これは、パクったかどうかに関係なく、単に似ているということで、著作権上の問題が生じる。このことは、劇場側の弁護士が主張したことだ。

後者は、サントリーのバッグや、五輪の展開例や、多摩美ポスターなどで、画像の盗用があったことだ。これを「パクリ」と指摘した。

要するに、「劇場ロゴとの類似性」もあったし、「パクリ」もあったのだが、「劇場ロゴパクリ」は、もともと争点になっていないのだ。

その意味で、深津貴之 氏の見解のもの意味を持たない。ありもしない仮想敵攻撃しているだけだ。藁人形論法であるにすぎない。

劇場ロゴパクリ」というものを、彼がいくら否定しようが、それは、ありもしない怪物攻撃するドン・キホーテと同様であり、もともと存在していない対象否定しているだけにすぎない。

 

 2.チヒョルト展のパクリ

劇場ロゴパクリ」はなくとも、チヒョルト展のパクリはあったと認定できる。なぜなら原案では、右下に余計な赤丸があったからだ。

このような赤丸は、文字とは無関係の装飾要素であり、まったく不要ものだ。実際、他の文字では、このような余分な要素はない。

  http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bunbuntokuhoh/20150828/20150828225213.jpg

なのに、T という文字でだけ、余分な赤丸の要素が追加されている。この文字だけにある特異な現象だ。

このことからしても、これがチヒョルト展のパクリであることは明白だろう。

(仮にパクリでなければ、赤丸は中央上または中央下にあるはずだ。それが佐野デザインの9分割のポリシーからだ。)

 

さらに、状況証拠もある。「そんなことは覚えていない」と弁解したことだ。素人じゃあるまいし、プロならば、これほどのデザインをあっさり忘れるはずがない。

とすれば、「覚えていない」と言った時点で、嘘をついている。あるいは、ジョブズ並みの「現実歪曲空間」に入っていることになる。そのいずれだとしても、パクリはあったことになる。(ただし本人が正直に申告していないだけだ。)

 

 3.専門家に任せるか?

深津貴之 氏の見解の主要な点は、「専門家に任せるべきだ」ということだ。

1. 大衆によるデザイン判断は、デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、専門家への信任が必要

 

しかしながら、今回の最終案を決めたのは、専門家である審査員ではなく、素人である武藤事務総長だった。

   http://www.yomiuri.co.jp/national/20150904-OYT1T50016.html

ゆえに、「(決定を)専門家に任せるべきだ」という主張は成立しない。現実には専門家には任せられず、素人勝手に決めてしまたからだ。(そして佐野最終案に決まった。)

 

また、今回の主要な争点は、デザインの良し悪し(デザインジャッジ)ではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。

デザイン的に良し悪しを判断する(ジャッジする)のならば、専門家が決めてもいいだろう。しかし人々が批判したのは、デザインの良し悪しではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。そこでは、次の諸点が問題となった。

  ・ ベルギー劇場と法的争点をかかえている。

  ・ その法的争点は、類似性の有無であって、パクリの有無ではない。

  ・ トートバッグではパクリが判明した。(彼は犯罪者だと判明した。)

  ・ さらに、続々とパクリが判明した。(彼は大犯罪者だと判明した。)

  ・ 原案と最終案がまったく違うと判明した。(組織委は嘘をついた。)

  ・ 原案では、最終案にある大きな円がなかったと判明した。

   (大きな円を選考理由とした初期の説明は嘘だったと判明した。)

  ・ 最終案を決定したのは審査員たちでなく事務総長だと判明した。

   (制度を逸脱した暴走であると判明した。非合法ふう。)

 

これらの問題が続々と判明した。このことから五輪エンブレムとして採用するには適切ではない」という民意が生じたのだ。こういう民意無視して、「専門家判断に任せよ」というのは、問題デザインの面だけに限定しており、きわめて視野が狭い。まったく、問題所在理解していないと言える。

自分の専門領域のことしか理解できない人を「専門馬鹿」と呼ぶ。

今回の問題は、「劇場ロゴをパクったかどうか」というデザイン界だけの問題ではないのだ、と理解するべきだ。そもそも、「劇場ロゴをパクったかどうか」というのは、もともと争点になっていなかったと言える。(劇場だって、そのことを争点としない旨を主張している。商標法違反ではなくて、著作権法による類似を争点とすると主張している。)

今回の問題は、上で列挙したようなさまざまな問題が絡み合っている。ここで「劇場ロゴとのパクリではない」なんていうどうでもいいことを持ち出して、「専門家の言うことを聞け」と述べるような主張は妥当ではない。むしろ専門家こそ、民衆の声を聞くべきだ。

 

最後に一つ。

深津貴之 氏はデザインのことは専門家に任せるべきだと主張する。しかし今回のエンブレムは、エンブレムデザインとしての良し悪しで決まったのではない。展開力で決まったのだ。つまり、布地の柄物のパターン出来映えのような見方によって決まったのだ。

そもそも、(原案の)丸と三角と四角というデザインは、あまりにも単純で凡庸であり、これを「美しい」「見事だ」と思うようなデザイナーはいないだろう。なのに、心の底では「くだらん」と思いながら、はっきりと口に出せない。「展開力が優れている」と言われると、「なるほど」と言って承諾するだけで、「エンブレムとしてはあまりにも凡庸な図形だ」という本音を口にできない。

自分の(デザイナーとしての)内心の声を聞くことができず、説明された「展開力」なんていう言葉を信じてしまうようでは、デザイナーたちの良心というものを信用できないのである

専門家は、民衆の声を聞くべきだ。そしてまた、自分の心の声を聞くべきだ。「あの原案はあまりにも凡庸だ」と、自分の心の声が訴えているはずだ。

 


 

 追記。

 

id:sisya 参照元エントリ全然読解できていないように見える。単に似ているだけでは盗用にならず、依拠しているかどうかが重要。もう少し元記事を読み返すことをお勧めする。

 

本項の話を全然読解できていないように思える。「(劇場ロゴと)似ているか依拠しているか」というような話題は、争点にはなっていないというのが、本項の趣旨だ。そんなことはどうでもいいから関係ない、という趣旨

 

だいたい、そんなことは、たいていの人は話題にしていない。著作権を争点にしているのは、ベルギー弁護士だけだ。日本人ほとんどは、そんなことに関心を持っていない。関心を持っているのは、id:sisya さんや id:allezvous さんぐらいだ。

 

この事件問題点は、ベルギー裁判で勝つかどうかじゃない。そんなことを話題にしている人は、ほとんどいない。(そもそも裁判が成立するかどうかもはっきりとしない。訴えの利益がないので、却下されるかもしれない。そうなったら、著作権を争点にするのは、すべて空論になる。)

 

もちろん、本項でも、著作権問題にしていない。そもそもベルギーロゴとの関係問題にしていない。(ベルギーロゴとの関係などはどうでもいい、という趣旨。)

 

id:allezvous 著作権侵害要件たる依拠性を検討できない分析なぞ意味はない。

 

依拠性によらず類似性だけで著作権法違反を問える、と主張しているのは、私ではなくて、ベルギー弁護士 http://bit.ly/1VMxON2 です。詳細は、このリンク先にある週刊新潮記事に書いてあるので、そちらを読んでください。

一般に、ロゴのような単純な図形では、依拠性というものは(証明のしようがないので)問われず、類似性けが問題となります。たとえば、ミッキーマウス著作権では、単に似ているだけで問題視されます。いくら「真似したわけじゃない」と主張しても、「似ている」だけで問題視されます

なお、本項では、著作権についての「分析」なんかしていません。著作権は本項では話題になっていません。ついでの形で、1行か2行、ちょっと引用ふうに言及しただけです。

 

id:bros_tama あの記事は“五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”について書かれているんです.本来どうすべきであったか,解決のためにはどうする,とかはこれを踏まえて考えなくちゃいけないんだよね,という話です

 

それはわかっているし、本項もその趣旨で書いてあります

それを前提とした上で、“五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”ということは、今回の騒動ではほとんど意味がないことだ、というふうに評価しています五輪エンブレムデザインなんか、あまり重要ではないんですよ。デザインじゃなくて、これを採用するかどうかが問題なんです。

端的に言えば、「パクリデザイナー作品五輪正式採用することの倫理的な是非」です。ここでは倫理的問題があるだけで、美術的な問題はありません。美術的なことをいくら論じても、今回の騒動には何の関係もない、というのが、本項の趣旨です。

本質とは関係のないことをいくら解説しても、そんなことはどうでもいいことだ、という趣旨です。


 

誤解があるかもしれないので解説しておくと、私は別に、深津貴之 氏の見解否定しているわけではない。素人向けに専門家が詳しくデザインのことを解説しよう、という努力は立派なものだと思うし、有益でもある。

ただしそれは、あくまで今回の騒動のオマケふうのエピソードとか裏話であるにすぎない。楽屋裏の話。こっそり井戸端酒場でおしゃべりするための話題

今回の騒動は、佐野デザイン五輪エンブレム正式採用するかどうか、ということだ。それは、「採用しない」という形で、一挙に解決した。これだけが問題であったからだ。

一方、劇場ロゴとの類似性とかパクリとかは、ほとんど話題になっていない。だから、こんなことはどうでもいいことだ、というふうに評価している。

深津貴之 氏の見解を(間違っているとして)否定しているのではなく、(本質とは関係ないものとして)軽視しているだけだ。勘違いしないでほしい。

 


 

その後、状況が少し変化したようです。次の質問に答えようとして、気づきました。

 

id:Eizo0000 何と戦ってるんだ。

 

この問題専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視しています。そのことは、本文中で引用した箇所で、下記のことです。

1. 大衆によるデザイン判断は、デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、専門家への信任が必要

 

しかしながら、この箇所は、今では次のように書き直されました。

1. 大衆によるデザイン判断は、外見やキャッチーさに集約されていまう。デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、デザイナや弁護士など専門家への信任が必要

 

深津貴之 氏が、元の文章を書き改めたので、本項において問題視したことは、かなり色褪せてきたとも言えます

大衆デザインには無知なんだから口出しするな」というような方針が、少しは改まったのだとすれば、本項は一定役割があったと言えるでしょう。

 

  ※ 「集約されていまう」というタイポは、原文のままです。

    引用部分はコピペしました。

 

id:honma200 結論とかまとめを書かないから散らかりすぎてて良く分からん

 

まとめ:

この問題本質は、最終案が劇場ロゴパクリであるかどうかではなくて、考案者があちこちで画像の盗用をしたという問題である。つまりデザイン問題ではなく、法律違反をした作者のデザイン五輪採用するかどうかというという倫理面の問題である。したがって、この問題デザイン専門家に任せておけば済むというわけには行かない。「デザイン専門家に任せよ」という主張は、今回の問題本質からは外れている。

 

  

似ているとか似ていないとか最初に言い出したのは誰なのかしら

深津さんのエントリhttp://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/)は、基本的には佐野氏と委員会の説明をなぞったもので、デザイナーでなくても彼らの説明で「なるほど劇場ロゴのパクりではないのか」と納得した人は少なくないと思っていたので、この内容に対して「なるほどわかりやすい!」と関心している人が多いことに逆に驚いている。

これを読んでも納得いかない人がいるのは、おそらくデザイナーが「似ていない」という言葉を使って反論しているところに理由があるのではないか。万人に納得してもらう説明としては、「似ているが、パクリではない」が正しい。

あのエントリでも書かれているとおり、デザインは装飾ではなく最適解を求める設計なので、限られたパターンであれば結果が似てくることは珍しくない。

ゆえに、色々やった結果が「似てしまう」ことも「悪」とはされないが、同じ見た目のものが氾濫すると混乱を招く(それこそ社会におけるデザイン目的と反する)ので、商標などのルールによってお互いの利益を損なわない形で解決しましょう、というのが現代社会におけるお約束になっている。

からこそ、海賊版など意図的にこのルールを侵し、混乱させ、利益を得ようとする「パクリ行為「悪」なのだ

委員会が「法的には問題がない」と判断したのも、上記のルールにのっとってリェージュ劇場ロゴ商標登録されていなかったことから、「似ている」が「違法ではない」という当然の結論である事実佐野氏の初期案は「似ている」商標があったので修正を行ったと説明されているので、もしリエージュ劇場ロゴ商標登録されていたら、(撤回はされたが)現在エンブレムも「似ている」ことを理由委員会からNGとされていただろう。

当初、デザイナーがこぞって「パクリではない」と佐野氏を擁護した理由は、そういうことだ。エンブレム最終案があのデザインになった課程について、十分納得のいく説明はなされているし、最初から擁護していた人達はそのデザインの良し悪しは別として、コンセプトも含めてなんとなくでも理解していたはずだ。

その上で、なお疑義が残るとすれば、意匠=見た目の問題において「初期案を作るときに“T”の右下に●を置くアイデアチヒョルトからいただいちゃったんじゃないの?」という点だろうか。「9分割のモジュールアルファベット表現する」というアイデアは、言ってしまえばそれほどオリジナリティが高いものではないが、「鼓動のパワー」を表現するという「●」が「T」の右下にあるのはこのエンブレムオリジナリティの一つだといえよう。それが佐野氏が過去に見た展覧会のメインビジュアルに由来するのでは? という疑問が生じたわけだ。だからデザイナー矜持として、原案チヒョルト展のポスター類似の話が出たタイミングで、当初は佐野擁護だったデザイナーの中から批判に転じる人が出たというのも、おかしな話ではない。「(身内として)擁護しきれなくなった」のではなく「初期案のコンセプトの正統性に疑問を感じた」のだ。だが、これも「疑惑」にすぎず剽窃の「事実」は認められていないので、真実は闇の中である

個人的には、佐野氏のエンブレム以外の仕事を見ても、面白いものはあるが独創性に欠けるという感想を抱かざるを得ない。日本広告エンターテイメント世界においてよく見かける、海外で売れているが日本にはまだ入ってきていないものを「いただいちゃう」ようなやり方にどっぷり浸かりすぎてるんじゃないの? と思わないでもない。

もちろん、サンプリング本歌取りという手法クリエイティブを発展させることは確かだし、オマージュパロディによって発揮される作家性は存在するので、そういった行為否定するものではない。だが、それらの手法は「コンテクスト文脈)」に乗った上で初めて効果があるものであるサントリートートバックのイラストの件などはコンテクストも何もなく「いただいちゃった」案件のもので、悪質である。(パンの写真メガネ写真を無断で素材使用したのはまた別の問題だ。)佐野氏の事務所クリエイティブに、こういった姿勢垣間見えることで、オリンピックという大舞台デザインワークを担うのにふさわしいデザイナーであるかどうかを問われてしまうのは仕方がないことだろう。

はいえ、現在の「パクリ批判」のあり方は、その内容や手法において明らかに間違っている。

ここで長々と述べてきたことようなことを理解しているのかいないのか、本質とずれた批判センセーショナルに書きたて、多摩美など佐野氏が関わっている所なら話題性があるとばかりに火をつけて回るnetgeekやまとめサイトの在り様と、それに扇動されるネット民リテラシーのほうが、パクリ疑惑以上に深刻な問題なのではないだろうか。

佐野氏の望んだ未来

今回のパクリ騒動、個々の事例は別として(管理責任については知らない)、エンブレムに関しては、佐野氏は少なくともパクリでないと今でも考えていると思う。少なくとも、さらなる問題となった原案によって、ベルギー劇場ロゴに関しては偶然、ということは証明された。

ヤン・チヒョルドのあれは、あの単純構造を見ていたとしても、意識して真似しようとはならないだろう。9つのブロックに分けて幾何

形態でTを図像化すればヤン・チヒョルドのあの形は早い段階で出るし、似ていると思ってもダメだとは思わない。オデンの図像化で赤塚不二夫以降、⚪︎△◽︎はパクリとして叩かれたことがあるだろうか?

あれが今回のオリンピックに相応しかたかどうかはわからない。ただ、想像だが、極めて単純な形でエンブレム構成した佐野氏が目指していたのはこういう事だったのかなと思うところがある。

最初炎上したときに、どこかのセブンイレブンが悪ふざけで、オデンでエンブレム表現していた。なるほど。簡単に真似できる。だれでも、ふざけてそこらにある物で真似して、SNSにアップできる。今回のオリンピックは様々な問題で、人々の心から離れていた。でも、この単純なエンブレムで積み木のように一般市民ロゴを真似して親しみを積み重ねたらちょっと楽しくないだろうか?あのオデンの件でわざわざ公式に問い合わせたら拒否された、と反論もあるだろう。そりゃ、商売からオフィシャルダメと言うよ。同人誌出版社関係と同じだ。

そこまで考えていたかはわからないが、そういう未来もあったがもう失われた。

2015-09-05

東京五輪エンブレム問題は関わる人すべてが滑稽にみえ

1000人の完全なる素人に「”T”という文字からデザインを作ってみて!」ってお願いしたら、少なくとも10人くらいは「ベルギー劇場ロゴ」みたいなデザインをすると思うんだよね。

から、あのカタチに主張できるような創作性はないと思うのに、営利目的か知らんが訴訟までやる気のベルギー劇場は滑稽なクレーマーしか見えない。

単なるクレーマーであるベルギー劇場に躍らされて、正義を振りかざしたつもりになってる2ch民たちも滑稽

四苦八苦エンブレムを取り下げた佐野氏も滑稽

エンブレムの選定に携わった偉い人たちも言い訳に追われてる感じが滑稽

仮にもベルギー欧州の国だから無意識的に強く意識ちゃうんだろうなー。

ベルギーではなく「アジアの国の劇場ロゴ酷似してる」だったら、2ch民たちも動かないと思うと人種差別(今回は逆差別?)の根深さを感じる。

2015-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20150901191914

そこにきてあのベルギー劇場ね。パクりかパクりじゃないかというと、個人的見解としてはパクりじゃないですねアレは。

それを決めるのは「専門家」ではないってことだろ

この件に触れてるデザイン関係増田書き込みはいくつもあるが、全員例外なくこの部分を理解してないよな

盗作の前歴がごろごろ出てきた時点で、それ以外の類似作品も全てが「パクり」になったんだよ

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