はてなキーワード: 劇場とは
エンブレム白紙撤回の報道で、各メディアが「取り下げはネットの功績」「最初にネットで指摘された」とそろって報じていて、何か何でもかんでも2ちゃんねらーのおかげ的な文脈になってるのが気持ち悪いので、把握している経緯をメモ。
・発表直後から、ネット、特に2ch系のコメントが集まる場所ではもともと「微妙w」「ダサいw」「これはない」「他のが良かった」という否定の感想で占められていた
・ベルギーのリエージュ劇場のデザイナー・ドビ氏がネットで「似すぎている」と苦言を呈した
・それがtwitterで拡散し日本語クラスタでも翻訳され拡散し、2chにも伝わった
・ベルギーのドビ氏が本気で訴訟すると表明し、最初からデザインが気に食わなかった日本のネットユーザーが総じて味方になった
・五輪組織委と佐野氏が記者会見で「全く過去にパクリはしたことない」と表明
・当初のエンブレムに関する「パクリかパクリじゃないか」「参照したのかしていないのか」という議論から、佐野氏の過去のデザイン検証の段階に入る
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以下、サントリートートバッグ画像盗用、ピンタレスト登録、太田市美術館疑惑、東山動植物園疑惑と出てきて、永井氏が「原案は別ものだった」と爆弾発言出て、組織委が原案発表、展開例の画像盗用、原案の参照元まで発見され、佐野氏により「五輪のイメージ悪化を防ぐため」という理由で白紙撤回がなされた。
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・ベルギーのドビ氏は「劇場ロゴと似ているから撤回した」という事実をIOCが認めない限り訴訟を続けるとしている
まとめ
都内で細々と自営のデザイン屋をやっております。今回のエンブレムの騒動もここにきて(とりあえず)一つの区切りがついたようなので、この一連の出来事において個人的に感じたことなどを忘備録も兼ねて書き留めておきます。
まず、佐野研二郎という人物についてですが、今回の騒動でまぁ国民に広く知れ渡るほどの知名度を得ましたけど、デザイン業界においてはスーパースター的な知名度が元からありました。まぁサッカーの日本代表でスタメンに入るようなイメージですかね。ちなみに僕はJ2にも入れないぐらいですね。サッカー観ないからよく知らないけど。まぁ所詮業界内だけのことを国民的なスポーツに置き換えるのもアレなんですけど。
で、そんな彼がこんな形で騒がれ始めて、まるで自分や自分のやってる仕事に対していちゃもんつけられてるような気になって一人で勝手に心を痛めていたわけです。しばらくは。
今回のエンブレムが発表されて最初に感じた個人的な感想は「これはちょっとやばいぞ」でした。何がやばいかというと、一般ウケしないのは一目瞭然だったんですよ。まぁ皆さんがダサい理由としてあれこれ上げてらっしゃることと同じ理由で。でも選ばれた理由は幾何学的な要素だけで構成された、今後の展開やブランディングを視野に入れてのことなんだなというのは初見でなんとなくわかりました。
とはいえですよねぇ。今回のオリンピック、ボランティアのユニフォームはダッセーって騒ぎになったしスタジアムはまぁあんなゴタゴタですし。もっとさかのぼるとAKBを開会式に出すんじゃねーの?やめてよね!みたいな機運もあったり。もっとさかのぼると、そもそも毎回オリンピックやるたびに選手団のユニフォームがダサいって槍玉に挙げられてるし。もう国民の感情がちょっとでも変なもん出したらただじゃすまねーよって空気が既に醸成されてたわけですよ。
そんななかあのエンブレムでしょ。「こりゃやばいぞ」と思うわけです。
でも正直ここまで大ごとになるとは思ってなくて、なんだかんだいって世間も落ち着いて、そのうちあのエンブレムがいろんな使われ方をして面白い展開がされていくなかで、徐々に世間から受け入れられていくんだろうなと楽観してたんですよね。
ダサいかダサくないかは正直これからの使われ方次第、というのが僕のデザイナーとしての見方でした。
そこにきてあのベルギーの劇場ね。パクりかパクりじゃないかというと、個人的な見解としてはパクりじゃないですねアレは。
ただ、あのときの記者会見で完全な悪手を打ったのは間違いないです。どういうことかというと、デザインのプロセスを素人にもわかるように説明しなかったからですね。
例えを出すと、アルファベットの「E」とカタカナの「ヨ」、ひっくり返ってるだけですごく似てますよね。でもこれらはまったく違う文化と文脈とプロセスを経てたまたまアウトプットが似てしまっただけなのはわざわざ説明するまでも無いんだけど、これぐらい明確に多くの人が納得出来るアウトプットまでのプロセスを開示してくれれば良かったんです。(ダサいダサくないは別な議論として)
ちなみにこの辺りではまだ僕は100%佐野さん擁護の立場でした。
そのあとトートバッグの件とかあれこれパクりだなんだと掘り返されてく騒動を見てて、明らかにいちゃもんだろってのも多かったんですけど、こりゃ完全に黒だわってのもボンボン出てきて。ほんと正直な話をしちゃうと、程度の差はあれネットから無断で画像を拝借して勝手に使っちゃうって経験、ほとんどのデザイナーにあると思うんですよ。
だからトートバッグの頃まではもちろん悪いことだけど同情も禁じ得ないみたいなね。下のデザイナーが勝手にやっちゃったんだろうなーと。だからこの辺までは個々の問題は切り分けて議論すべきという立場で、まだ擁護派でした。
でもそのあとさすがに出てきすぎだよね。僕ぐらい小さな仕事しかしてないデザイナーでも人の目に触れるような仕事では他人の素材を勝手に使うのは怖くて出来ないのによくやるなーと。お客さんによっては「予算無いから素材購入はそっち持ちで。撮影?無理無理www」みたいなのとか「ネットの画像、適当に使っちゃってよ、どうせバレないっしょwww」なんてケースもけっこうあります。やんないけど。でもあれほどのビッグクライアントがそんな予算渋るとは思えないしね。あり得ないよね。
で、佐野氏を結構擁護してた僕なんですけど原案を見て「もうダメだわ」となりました。
だって当初発表していたデザインコンセプト自体が後付けだったってことがはっきりしちゃったので。亀倉さんへのオマージュなんてどこにも無いじゃん!みたいな。あー、どうりで最初の会見でプロセスをはっきり説明出来なかったんだなーと。この時点でもう擁護するのが面倒になりました。心ももう痛まないです。
まぁ結果的に取り下げになったのは佐野氏にとっても委員会にとっても国民にとっても良かったんじゃないかなと思います。というか空港の画像の件、取り下げる理由を探してた委員会としてはとても良い言い訳が見つかってホッとしてるんじゃないかなと。
話がまとまってないけど、あのネットで話題になった扇のエンブレムね。あれを汚いって中島英樹氏は言ったけど、あれはデザインが悪いという意味とはちょっと違いますね。多分だけど。あれはあの丸のレイアウトに幾何学的な法則性がなくて、なんとなく配置してるだけなんですよ。だから揃うべきところが揃ってない。あと配色もなんとなくで決めてるのがわかりますしね。その点佐野氏のデザインは円と正方形のみでちゃんと計算されたエンブレムなので、そういう意味での完成度は明らかに違います。(ダサいダサくないは別な議論として)
最後に「デザインのわからん素人は黙ってろ」というこっち側の人間に多く見られた反応ですけど、あれは呪詛ですよ。絶対にやってはいけない。
僕もネットの心無い書き込みを見て「素人がなんも知らんくせに」という感情が何度も湧き上がったのは正直に告白します。でもそれを言ったらもう終わりなんですよね。わからんやつは黙ってろじゃなくて、わからせるためにこっちは何が出来るか、わかってもらうための努力まで込みで考えてものを作るのがデザイナーやアートディレクターの仕事だと思うんです。
だから出産直前で佐野氏擁護の発言をした森本氏がこれから新しい命が誕生する前になんでこんな呪詛を振りまくんだろうと不思議で仕方なかったです。あれなんて典型的な「素人黙れ」発言だったので。
普段あまり文章を書く習慣の無い人間にありがちな、非常にまとまりのない文章ですみませんでした。
でもデザイン業界側の人間で僕みたいな捉え方してる人ってわりと多いんじゃないかと勝手に思ってるので、多少そんな人たちの代弁ができたんだとしたらいいなと思ってます。
佐野:
「デザイナー」という大きな立場から見れば、やはりご指摘を真摯に受け止めて、
どこかで折り合いをつけなければ、デザイナーじゃないと思うんですよ!
ですから、私はそのデザイナーという、本当にもう……このロゴが大好きで、
本当にロゴが大好きなんで、ですから、もうロゴに申し訳なくて……。
こんなデザイナーで、国民の皆さま、私も死ぬ思いで、もう死ぬ思いでもう、あれですわ。
一生懸命、ロゴ制作を重ねて、やっとコンペで認められて採用されたからこそ、
こうやって国民の皆さまにご指摘を受けるのが、本当にツラくって、情けなくって、
デザイナーという大きな、ク、カテゴリーに比べたらベ、ベルギーの、ベェェッルッギーの、劇場ロゴトノォォー、
ウェエ、折り合いをつけるっていうー、ことで、もう一生懸命ほんとに、
トートバッグ、プレゼン資料ェェエエッハアアアァアーー!! 無断転用問題はー!
我が社のみウワッハッハーーン!! 我が社のッハアーーーー! 我が社ノミナラズ!
そういう問題ッヒョオッホーーー!! 解決ジダイガダメニ! 俺ハネェ!
ブフッフンハアァア!! 誰がね゛え! 誰がデザインしデモ゛オンナジヤ、オンナジヤ思っでえ!
ウーハッフッハーン!! ッウーン! ずっとデザインしてきたんですわ!
せやけど! 変わらへんからーそれやったらワダヂが! デザイナーになって!
いや、だから現行案のロゴはベルギーの劇場ロゴのパクリではなかったんでしょ?
で、実際に使われるのはヤン・チヒョルトのパクリ(かどうかも定かでないが)のロゴから変更されたロゴでしょ?
写真の無断使用はもちろん良くないが、ロゴデザインとは無関係の部分だし、使用イメージを公開していたわけでもないし、それだけで取り下げるほどのことかって話でしょ?
連日のパクリ騒動について静観決め込んでたけど、デザイナー連中が一向に本音を吐こうとしないからそろそろ苛ついてきた。
デザイナー連中はいつまでオリジナルが大事だとかすました顔で言っているつもりなのか。
それならば聞くが、君たちはいつピカソやダリや北斎を超えたのか?
自分たちが過去の作品に習って学校で体系的に学んできたことが自分たちのデザインがそもそもパクリの上に成り立っていることを示す確固たる証拠ではないか。
それが何か。
「一部のパクリデザイナーを見て全員をそう思わないでほしい。」「一生懸命に素材を撮影したり手で書いたりしている人がかわいそう。」
笑止千万。ヘソで茶を沸かしてやるからまずはこれ飲んで落ち着け。
それなら手書きしたり自分で素材撮影したりすればそれはオリジナルだと言えるの?
その構図にモチーフやインスパイアがあってもそれはパクリとは言わないってわけ?
それなら聞くが、既存の素材を取り込んでフォトショで加工することと何が違うの?
だからもうみんなではっきり認めなさい。そんなことは全て綺麗事だということを。
一度でもデザインに携わったことのある人間に聞くが、自分が創りだしたそれが全く何の影響も受けてない完全無欠のオリジナル作品だと言い切ることができますか?
だったらなんでライターが持ってきたどっかで見たような写真と文章を、デザイナーはどっかでみたようなレイアウトで配置しつづけるの?
まともにデザインなんてしたことがないような連中がいうならまだしも、プロ連中がそれをいってちゃダメだろ。
だったらインスパイアされた相手にいつも許可とってライセンス料払ってるの???
パクった佐野研二郎が悪いんじゃなくて、デザインはパクリなんてない崇高で潔白なものじゃないとダメって思っている世の中にあるわけ。
パクリ問題の本質は、パクることの是非ではなく、ライセンスの支払いやら法的効力に全て帰結することにあります。
だって違法じゃなければデザインなんてみんなパクりなんだから問題にしようがないんだもの。
それを世の中がパクリそのものが悪なんて顔してるから、世の中のデザインは窮屈でしょうがないんだよ。
例えばスペインの片隅にある劇場にどうやってアポとってライセンス料契約とかを結べばいいわけ?
どんなに似てようが、国も違ければ法律も違う上で、違法になり得ないなら別にかまわないのよ。
だって、デザイナーはそれよりも重要な使命を負っているのだから。
彼らがやっていることはもっと崇高なの。
世界中から集めた数多あるデザインを適切な場所に適切なデザインで再構築と再配置するという大きな使命を担っているんだ。
世論に押されてだんまり決め込んでないで、デザインなんてパクリだ何が悪いってさっさと開き直ることだね。
どうせ事なかれ主義の法律が追いついていないだけな瑣末な問題だ。
現に中国で生まれたラーメンが日本で姿を変えアメリカに持ち込まれたことで多くの人が喜んでいるではないか。
自分たちの行いが正しいと信じているなら、変えるべきものは法だ。それこそ一国の首相が認めていることではないか。
問題提起してさっさと法改正させないと、それこそデザインの死が訪れてしまう。
パクリ問題でもとのデザインがあればだれでもデザイナーになれるって言ってる奴いたな。
だったらお前はなんで世界的デザイナーになれてないだ?デザイナーにかぎらず、少なくとも実業家くらいにはなっているはずだろ?
くだらないこと言ってる暇があったら自分の足元よく見ろよ。
世界をめぐる情報は、早さ、量、質ともに人類がかつて経験したことのない水準に到達しているのだ。
その世の中で自分以前にオリジナルが存在しないことを証明するのは、いわゆる悪魔の証明というやつで、証明する労力と見返りが釣り合うことのない問題だ。
結局はそれが違法であるか否かという点でしか問題として取り上げることは困難なのだ。
そんなことにリソースを割き続けることは人類にとって単なる損失だ。
今の世の中で高く評価されるべき能力は、世界中に点在する様々な要素を、今、それを求めている場所に求めている形で再構築する能力だ。
そういう意味ではいつまでもデザイナーなんて呼び方に酔いしれてないで、さっさとコーディネーターとでも名乗り直すことだな。
いずれにしても君たちの行いは求めてられていることなのだ。
食傷気味ではあると思いますが、佐野氏問題について自分の考えをまとめるために文章を書きました。
もうこの話題にうんざりという方はそっとスルーして頂けると幸いです。
■前書き
デザイナーではないけれど、クリエイティブ職に携わっています。
私の立場としては、
・トートバッグはアウト
というものです。
以下、目次です。
▾ デザインとは
- このエンブレムは一体何なのか
- 似ているのか
- 原案は似てる
- お粗末なマネージメント
▾ 個人的には
■デザインとは
デザインは、社会に受け入れられることを目的の一つとしています。
受け入れられるということは抵抗がない方がいいですから、あまりに新しすぎて意味が理解されないようなものはよくありません。
しかし多くのデザインにおいては、新しさや独創性を伝えたいという想いもありますから、デザイナーにとって受け入れやすさとオリジナリティというのは永遠の課題であると言えます。
多くのデザイナーにとって、ロゴのオリジナリティについて語りにくいのはこれが非常に繊細な問題であることが理由だと思います。
ところで、デザインは「計画」「設計」「応用美術」という言い方もされることがあります。
あるいは例えば、◯◯デザイナーという肩書きなどについて、プランナー(計画者)、マネージャー(管理者)という言葉を入れ替えても近いニュアンスがあるということについて考えてもいいかもしれません。
これらの言い方からも分かる通り、デザインとは一から全てを新しく作り出すという行為ではなく、適切に設計する、配置する、選択するという行為であるとも言えます。
では果たして佐野氏のデザインは適切なものだったのでしょうか。
その前に、デザインにおけるトレンドというものについて簡単に考えたいと思います。
参考に、近年のロゴのトレンドと言われているものをご覧ください。
http://photoshopvip.net/archives/78102
http://www.radflaggallery-design.com/blog/2015-logo-trend
http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/788.html
すでに2008年のトレンドが古く感じてしまうのが分かるかと思います。トレンドというのは、新しく感じられ、それでいて受け入れられている、という一つのラインです。トレンドを押さえる(上手く選択する)ことで瑞々しい印象を与えることができますが、トレンドが去った後には古さを感じるようになるものです。
新しさがありつつ、普遍性のあるデザイン、というものが如何に難しいかが分かります。
・このエンブレムは一体何なのか
それでは本題のオリンピックエンブレムについて考えたいと思います。
図像的には非常にシンプルなものになっています。また、恐らくは1964年の東京オリンピックの亀倉雄策のイメージをオマージュしており、色彩は日本的トラディショナルなもので、あまり目新しさは感じられません。そういう意味でこのエンブレムはあまりトレンドに乗っていないと言えると思います。
なぜこのような選択・デザインになったのでしょうか。
トレンドに乗らず、非常にシンプルなものにしたのは、普遍的なエンブレムになることを狙ったものだと思います。
亀倉雄策の1964年オリンピックは今でも素晴らしいデザインと語られるもので、古さは多少感じさせても未だに迫力が伝わってきます。
佐野氏のデザイナーの仕事にはシンプルで洗練されたものが多くあります。また、近年世界にアピールできている日本のデザインはシンプルなものや余白を活かしたもの、自然融合的なものが多く見られます。
このように、佐野氏、あるいは日本の強みであるシンプルなデザインであり、また一時的なトレンドではなく普遍性をもつもの、として単純な図像になっているのだと思います。
もちろんこれにより、トレンドに乗っていない、古めかしく見える、単純すぎる、単純すぎるために似たデザインが挙げられる、といったことについて意見が出てくることについては想定していると思われます。
・似ているのか
さて、よく問題として挙げられているベルギーのロゴと比較してみます。
前述の通り、単純な図像なので、近いロゴがあることは避けられないと思います。しかしプレゼンテーション動画などを見ると、このエンブレムのアピールは以下のようなものです。
・東京の頭文字T
・日の丸
このうち、ベルギーの劇場のロゴと共通するのは円のモチーフくらいではないでしょうか。
以上のような点を踏まえると、佐野氏のエンブレムは図像的にはベルギーの劇場のロゴと近く見えるところもあるが、その他の点で大きく異なっている、と言えると思います。
著作権は、思想・感情を創作的に表現した著作物を保護するものです。
佐野氏のエンブレムはベルギーの劇場ロゴの思想・感情的な表現とは違う発想で出来たものであることは明らかだと思われます。
Wikipediaによると、リエージュ劇場は公共性が高いためロゴに商標登録がなく、商標権については問題にしていないとあります。
・原案は似てる
色彩、配置的なアレンジはありますが、これはヤン・チヒョルト展のタイポグラフィに結構似てると思います。
しかし原案として過去のデザインを参考にすることは問題ないのではないでしょうか。個人的には、なぜ公開したのだろう、と思いますが…。
これがこのまま採用されるとしたら大変ですが、最終案ではかなり変化しているので、これはある意味で事前チェックが上手く機能したと言えるのではないでしょうか。
・お粗末なマネージメント
佐野氏ほどのデザイナーですと、事務所を構え、他のスタッフにデザインをさせるというのは勿論あることです。しかし本人の名前で発表する以上、その監督責任は本人に求められます。
トートバッグに関しては、明らかに佐野氏の失態です。佐野氏もそれを認め謝罪し、社会的な罰は十分受けていると思います。
私が冒頭に書いた「(ほぼ)問題なし」という括弧はここが理由です。
本来なら大きな仕事は少し控えた方がいいと思いますが、今回はエンブレムの後に発覚したものですし、取り下げる程ではない、と思っています。
そもそもこのコンペは、一定以上のクオリティを信用されているデザイナーへの指名コンペです。
日本有数のデザイナーであれば、色々な人間との関係性ができるのは当然ではないでしょうか。
コネは悪用された時に問題になるものですが、今回のコンペがコネを悪用したものかどうかについては判断できないと思います。
■個人的には
個人的には、もう少しトレンドを押さえたデザインが好きだなぁ、と思っています。しかしそれと、ダサいかカッコイイか、良いか悪いか、善か悪かといったことは無関係です。
個人としてはそこまで好きになれなくても、表面的な華やかさを控えて理念としての重要性を選択したということは驚きでしたし、思い切った決断だと思っています。
ところで、オリンピックのエンブレムはどれほど重要なのでしょうか。
東京オリンピックを世界に向けて恥ずかしくない誇れるものにするために、私たちは何を大切にしなければいけないのか選ばなくてはいけません。
インターネットのお陰でどこまでも検索することが可能になり、どんな事象でもどこまでも批判できるようになりました。
【NHK】東京オリンピックエンブレム発表実況 [転載禁止]©2ch.net
http://orpheus.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1437733199/
東京2020大会エンブレムを発表 [転載禁止]©2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1437734077/
ダサい、地味、暗いなど、ネガティブな第一印象が多く見られる。発表会で期待を煽り過ぎた反動かも。
ベルギーのリエージュ劇場と、スペインのhey studeioの作品が酷似しているらしい
その後トートバックにパクリ疑惑がもたれ、佐野氏は13日に一部を取り下げる。15日に「部下が第三者の作品をトレース」したと釈明。
素人「やっぱりパクりじゃないか(憤怒)」
コネについては、佐野氏が博報堂出身で審査委員に知り合いがいたって事らしい。
でも贔屓というより、コンペで選んだならこんな地味でダサい奴が選ばれるわけがないという素人的偏見が根本にある。
デザインがダサいという第一印象、デザイナーがパクリに関わっていたという事実から素人はこのエンブレムに偏見を抱き、オリジナルであると証明できても汚名返上は不可能。
素人=大衆に受け入れられればパクリだろーが地味だろーが許された。オリジナル性が証明されても素人からの支持は得られず、パクリとわかっていても撤回はできない。
2020東京五輪は、グダグダな経緯で白紙化された国立球技場で、パクリ疑惑のエンブレムを掲げて開催される。でもそのころには大衆もグダグダな経緯は忘れてると思うので、頑張って盛り上げていきましょう
その後、大会組織委員会が佐野さんの案を商標登録するために、世界中の商標を確認。永井さんは「(原案と)似たようなものがほかにあったようだ。そのため佐野さんの案は、元のイメージを崩さない範囲でパーツを一部動かすなど、組織委の依頼で何度か微修正された」とした上で、「最初の案は(類似性が指摘されている)ベルギーの劇場ロゴとは似ていなかった。盗作ではない」と話した。
http://www.asahi.com/articles/ASH8T5VXCH8TPLZU005.html
原案段階で似たような意匠がすでに商標登録されてて、それを回避しようと微調整したら商標登録されてない劇場ロゴに似てしまった、と。
便乗してもうすこし昔からたどると、エヴァのあとTVアニメがイケるってんでTVアニメのクオリティ(深夜ではなかった)をガンガンに上げてみたのはWOWOWだと思う(エスカフローネとか)このころはまだ夕方だった。
で、さすがにそんなの作れないけどコア層に売ってみよう、深夜でもう少しお手軽にやろう、ってな感じで、エルフを狩るモノたちぐらいから深夜でそこそこのクオリティでセルビデオ(DVD)を売るスタイルが始まってきた。
そうこうしているうちに深夜でもハルヒあたり(というか京アニが下請けじゃなく元請けになったころ)から短期TVアニメのハードルがんがん上げた印象はある。
とはいえ深夜TVでそんなにクオリティ求められたって!って短編シリーズモノ劇場スタイルってのが出てきているんじゃないかと思う(やたら劇場版増えたし)
さらに昔に戻ると、シリーズモノOVA(TV放映せず最初からセルビデオで5~12話ぐらい、1話5000円ぐらいで売る)時代にキチガイじみたクオリティ+劇場作品では難しいボリュームでOVAのハードルをメチャクチャに上げたのはトップを狙え!とかガンダム0083とか。
反動でそこそこのクオリティで安定して売れるというパイオニアの天地無用シリーズあたりで今の短期深夜アニメスタイルに近いものが確立されてきたと思う。(1話 美少女と出会う、2話 美少女のライバル登場、3話~4話 グダグダ温泉回(水着回)、敵ライバル登場等、5話シリアス展開、6話 大団円のパイオニアLDCスタイル)
小さく始まる→成功例が出る→ハードル上がる作品出る→違うスタイル模索
OVA時代 と WOWOW時代、深夜アニメっていう「作品そのものを売る」タイプのスタイルはだいたい似ていて時代が繰り返している感はある。
青色LEDの時から思っているのだけど、発明した人の価値って本当にそんなに高くていいのかな?
例えば小さな研究機関にいて同じものが発明できたのかどうかって疑問だよね。
さらに言えば、発明できたとして、それの権利を守りながら流通させられたのかどうかという問題になってくる。
そんなことは当然個人の限界を超えた対応が必要なのだから、やっぱり発明した人の価値ばかりが騒がれるのはすごく違和感がある。
昨今のデザインパクリ問題についても同じような疑問があって、例えば本当にロゴをパクってたとするよ。
でも、地方の劇場でしか使われないようなデザインを、世界的なオリンピックという舞台に相応しいデザインとして取り上げた功績って本当にない?
違法性うんたらの話をしたいわけではなくて、あるべきものをあるべきところに配置するセンスってすごく価値が有ることだと思うのだよね。
トートバッグだって、使用料を払わなかったのは問題だけど、素材を選ぶセンスと配置するセンスがなければできないことなわけじゃない。
音楽にもパクリ問題がよく話題に上がるけど、ほとんどの場合、確かに存在はしているけどそのオリジナルなんて聞いたことがなかったりするよね。
海外のどこか片隅で聞いたことのある音楽を、日本で流行る!って持ち込んで受け入れられるようにアレンジできることってやっぱり価値が支払われるべきことだと思う。
生み出すことに価値がないとは言わない。
だけど、それがどんな場面で使われようが、自分には一定の対価が支払われるべきっていうことにはすごく違和感がある。
それよりも、それを見つけ出して今の世の中で使える形にアレンジして、それが受け入れられたとしたなら、はっきりいって生み出した人に支払われるべき取り分なんて些細なんじゃないかな。
無断は良くないってみんなは思うかもしれないけど、中途半端に法整備されてるから無断で使ったとはいえないし、かと言って作者と交渉どころか連絡すら取る手段がないときだって沢山あるはず。
それが原因で良質な作品が生み出されるきっかけを失うことのほうが世の中にとってよほど大きな損失だと思うのだよね。
そんなことはない。どんな場面でどんなアレンジして使われようが、オリジナルを制作した人間には一定の対価が支払われるべきだって人。
あなたが生み出すものは本当にあなたが全て0から生み出しているものですか?
それらを最初に提唱した人に、常に対価を払い続けることが正しいと思う?書籍代払ったかららチャラ?
今回のパクリ騒動を声高に叫ぶということは、むしろこの辺のライン引きを加速させてしまうことになるような気がするんだよね。
タダ乗りがしたいわけではなくて、もっと自由にアイデアが行き交う時代になって、もっと自由に色々なものが生み出される時代になってほしいということ。
適材適所を見抜ける才能がある人間が、もっと評価される時代になってほしいということ。
そのほうが、世の中はもっと良い方に加速していくと思うんだ。
わかってもらえないかな。
面白かった。
予想より読みやすかったのもよかった。
もともといつか読もうと思ったきっかけは、増田の野崎まど『know』論・前編——知ルはいかにしてブッダとなったかを見かけて、なんか面白そうなのかなーと思ったから。
つーかその増田見つけてから結局2年越しかよ・・どんだけ時間たつのはえーんだよ
野崎まど一冊目にパーフェクトフレンドを選んで失敗した感はあったけど、こっちは全体として体裁が整ってた。
ちょっとだけ愚痴るなら、SFにありがちな「昔はそんなめんどくさいことしてたんですか!?」みたいなわざとらしい説明描写があったことと、情報材自体の原理がどんなものかよくわかんなかったこと(虐殺器官の虐殺のコンテキストの立ち位置に似てる)と、この世界の高木浩光センセは何をしてたんだろうということと、やれやれ村上系のいけすかないヤリチン主人公がシルたんというJCとおセックスしやがってムカついたのと、真面目な本に性描写を入れとけばなんか高尚な意味を持つような気がする理論が使われてたのが癇にさわったくらいかな。
でもハードSFには辟易しちゃう自分が読めたくらい、難しそうに見えて全然難しくないこと書いてるだけだったから、エンタメとしてそれなりに楽しかった。
ラストは余韻のあるいい終わり方だった。
やり方によってはただの手抜きしかなりかねないところだったけど。
がんばることは基本的に良いことだ。なにごとも頑張らなければ成功はない。
それはそれとして、本邦には誰かが頑張ったことを過剰に評価する風潮がある。
そりゃがんばったんなら成功しようがすまいが褒めてあげればいいんだろうけれど、一部の人たちは「◯◯ちゃんはすごくがんばった」ことを外部へ向けて印籠代わりに使いたがる。往々にして頑張った本人ではなく、頑張ってる◯◯ちゃんを応援する人びとが、だ。
「がんばること」は尊いので、成果物に対するあらゆる批判を封殺することができる。
関わったスタッフはみな血反吐を吐くような努力をして作品を作りました。
アイドルは下積み時代に地べたを這いずるみたいな大変な思いをしました。
うちの社員は毎日残業続きですが誰も弱音を吐いたりせず有給も会社です。
しかし、その結果として、クソみたいな映画やマンガや曲や小説やプロダクツが生産されてしまった場合はどうなのだろう。
Q1. 誰かのがんばりを知ってしまった、がんばってもない俺らはその腐った成果物を批判する権利はないのか。
Q2. 彼ら彼女らのがんばりは仕事をこなす上で当然の努力であり、趣味以下のレベルで消費する俺らにはそんながんばりなど関係なくはないのか。
Q3. いかなるプロセスを経ようはモノはモノであり、俺らは直接にモノそのものと向き合うべきではないのか。
問いに対する答えはこうである。
A2. もちろん関係ある。
神風特攻を思い出してみよう。甲子園の思い出ヘッスラを思い出してみよう。24時間テレビのマラソンを思い出してみよう。
人はなぜがんばるのか、努力するのか。それは「たとえ今は使えなくても、将来有用な経験となるから」ではない。
ジョージ・ミラーも言っている。「真の英雄とは、他人にために犠牲となれる人だ」と。たぶんこれはジョーゼフ・キャンベルからのパク、引用だと思う。
真の努力人とは、自分のためにがんばる人ではなく、他人のためにがんばれる人だ。
俺たちはもっとがんばりを評価すべきだ。むしろ、がんばりだけを評価すべきだ。
Aさんが2時間かけて作った最高品質のプロダクトより、Bさんが二十時間労働を百日つづけて作ったクソプロダクトのほうが価値は高い。その価値を市場価値や世間的な評価に反映させるべきだ。
なぜならがんばれるということはそれだけ真剣だということだからだ。思いがつまっているからだ。真剣な人は傍目からどれだけ滑稽におもえても、偉いのだ。
効率や品質などという上辺だけの評価軸に踊らされるべきではない。もっと人間を見よう。モノの内部に宿った魂を見よう。
がんばってできない人は、がんばらなくてもできる人より、時間や金をかけている。その見返りを与えてやってなにがいけない。
考えてもみろ、俺たちだって人のことを言えるか? がんばらなくてもできる人か? がんばってもダメだろ? いつも努力の方向を間違えてしまうだろ? おもいやりだよ。共感だよ。それ自体がドラマで、製品に組み込まれているんだよ。
だからがんばりへの評価と製品への評価を切り離すべきではない。
ベルギーオリンピックでベルギーのアートディレクターがデザインしたロゴがあった。
・
一方、遠く離れた日本のとある劇場のロゴをデザインした人が「パクリだ」とfacebookで指摘。
画像共有サイトのpinterestで自分の作品を見た可能性があるとしている。
・
ところが、そもそもの発端となったベルギーオリンピックのロゴのパクリ問題については、日本の劇場は商標権登録もしておらず、商標法上問題ないということが明らかになっている。
また、判例から著作権法上、問題ないというのが法律家の意見の大半を占めており、アートディレクター本人も「日本の劇場のデザインは見たことも聞いたこともない」と述べている。
・
こうした事態の中、日本のとある劇場ロゴのデザイナーはついに法的措置をとると決定。
このまま裁判となった場合、「パクリなのか」の立証責任は日本のデザイナー側にあるため、その現実味が議論されているが、立証は非常に難しいとの見方が強まっている。
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こんな状況だったら日本人はどんな反応を示すのだろうか?
五輪エンブレムで文句言ってるのはベルギーの「劇場」のロゴの「デザイナー」だろ。
ゆりかもめ、あの浮世離れした感じがいいよね。でもあの感じがあるのは豊洲側の半分だけで、新橋側は建物も多いし乗ってる人も多くてそこまでの風情はない。それでもレインボーブリッジのループ(考えてもみろ、都内にループ線あるんだぜ)とか第六台場(独自の生態系が発達しているらしいぞ)とか三角ビル(一番上の三角のところのフロア想像すると涼しい)とかセメント工場(高架だからパイプが間近に見れてちょうかっこいいぜ)とか竹芝桟橋(伊豆諸島行きの船が出てるらしい!)とか四季劇場(いつ通ってもライオンキングやってるんだよ、信じられるか?)とか見所はたくさんあるので、退屈はしないと思うけど。機会があったら一度端から端まで乗ってみるといいと思う。
2ちゃんねるその他のSNSでださいだとか、これはないわ〜とか酷評される
こんな酷いデザインが、当選されるような選考委員会とか、デザイナーの経歴や過去作品に2チャンネラーやネット住民の興味が集中。
■オリンピック公式エンブレムのデザインが盗作ではないかとよく似てる海外劇場が声を上げる
たしかにそっくり
ユーミンのアルバムジャケットは、駄目だろう、くらいの盗作疑惑
■選考委員とか経済産業省とか、電通とか博報堂とか人間関係相関図が出まわる
これは、なんかおかしい
◯最初にこのデザインはださいよね。とか、一般人が酷評するようなデザイン自体が低レベルだと思うし、そのデザインを当選させた選考委員のレベルを疑うといいと思う
わたくしは、佐野さんのデザインしたエンブレムをオリンピックに使ってほしくないし・・・東京オリンピックまるごとなくなってほしい
首都圏は渋滞するし、交通機関は混みまくるし・・・経済効果って、恩恵を受けるヒトや法人は一部だけで
あとは、大迷惑だと思うの。