はてなキーワード: 伝統とは
3/22夕方の東京の雨水, Iー131が 3543Bq/L,Cs合算は428Bq/L。やっぱりこの「春雨」には濡れるべきではなかったんだ。 http://www.jrsm.jp/shinsai/0915higaki.pdf
http://twitter.com/geophysics/status/138746943097679873
モトの図は「雨水の核種分析とポット型浄水器による浄化」 桧垣 正吾 (2011年9月15日)。確かに特濃だけど、こんなんが土砂降りだったわけじゃないからなあ…。
検討は略するけど、あくまで人が触れた量と環境影響の度合いが問題でしょう。
もうひとつは
いやまあ、人文系の伝統的な教育を受けた人なら、当然そういう危惧を抱くはずなんですが(もちろんそれほどコテコテの反科学みたいなものではなくとも)、昨今、逆にそちら側につく文系のアカデミシャンが増えているので、さすがにそれは違うだろう・・・と。
http://twitter.com/A_laragi/status/138638562001301504
えー自民党の西田昌司でございます。 えー関屋先生どうもありがとうございました。 えーあのー私も意見を申し上げさせていただきますが、 こらまぁ私の個人的意見でございます。 えーあの先生のあの報告の中にもですね憲法制定過程についての瑕疵があるとそのことに ついての問題点についてですねこの中に述べられておられますし今日のですね意見表明を されましたそれぞれの会派の中でもそのことを多くの方が問題視されておられます。 で、ところが、そうは言う物のそれはそれは横に置いておきながらですね、個別の議論が 次々次々生まれてくるんですね。あのたとえば9条の議論もそうでありますし えーこの非 常事態に対する法律(必要性)がないというそう言う問題がくるんですが 私は憲法問題と いうのはどこまでいきましてもその制定過程 そもそものですね その正当性があるのか と言うことの議論をせずにこの個別問題に入ってくるとその議論の闇の中に包まれてしま って本質が見えなくなると思っています。ですからまずはですね 制定過程がそれぞれの 会派の方々問題視 問題であるということであるならばですね、 そもそもこの憲法自体が 果たして有効性があるのかというところにいくべきなんですね。ところがこれ60年ほど使 ってくると、ま 実際それが有効に使われてきたんじゃないかと言うところで話しがですね 終わってしまうんです。 しかしそうじゃないんですね。 私は、この その問題についてはこの5分間では説明しきれませんので、また別の機会にで すね続けて発言をしたいと思いますがまずはこの正当性の話を議論しなければ、個別問題 に入ってくと本質を見誤ってしまうと 特に、本質問題で言いますと日本の憲法といいま すのはそれぞれの国、憲法がそうですけど国柄を表す物だとで国柄というのはなにかと言 うのを考えますときに、例えばアメリカ合衆国のようにですね ま いわゆるえー人工的に えーこの作られた国とですね、また、えー共産主義諸国のようにですね革命によって作ら れた国とは根本的な成り立ちが違うわけですね。それは よく先生方もよく伝統 ま 文化 そう言う言葉で使われますけれども、そのことをずっとたどって行きますと、まっ一言で 言えば相続と言うことに行き当たってしまうんですね。 つまり我々日本人の主権というのは、なにから来ているかというと、憲法によって保障さ れる、そういう問題ではなくてですね 我々の先祖が、この国をずっと代々、歴代にわた って守りつたっ 守って伝えてきたと、その相続人としての権利なんですよ。ですからそ の相続人としての権利ということを考えましたときには、国柄 国の伝統ということをで すね最大限我々が尊重しなければ 我々の主権自体がですね、実は否定されてしまうと。 そこをですね憲法によってできてるんだという風に考えてしまうとですね、そもそもの日 本の国柄という物が見えてこないんです。 で なにが言いたいかと言いますと、そう言うことを考えていきますときに一番象徴的に 出てくるのがひとつは皇室なんですね。で皇室の存在 存在というのがやはり日本の 日本 の国の形を考える上では一番大きなモンであります。ところが、今、この場で議論するの は、はばかれることかもしれませんけれどもこの皇統がですね、十分にこれから先もです ね 保証できるような状況あるのかというとですね非常にその辺に大きな問題を抱えてい るわけでありまして、そういう事かんがえますと私はまず憲法の議論をするときには本質 論から入らなければならないし 同時にそのことを考えましたときに まずは皇統が絶対に 絶えないと言うことをですね 法律的にやっぱり我々がですね担保する仕組みを作っておか ないとこれはとんでもない話になると思うんですね ですからえー皇室典範の話はですね政府の中からも議論されていたようであります。真偽 のほどはよくわかりませんがそういう事も含めて考えなければならないと思っております。 それからもう一つその皇室に象徴されるのは実は皇室に象徴されるように我々は相続によ ってですねこの国を守ってきてるんだと言うことはもう片っぽで家族という発想なんです ね。日本人が一番大切にする家族という物の価値観をですね実は今の憲法は何一つ、家族 の「か」の字も書いておりません。それぐらいに日本人の価値観とは非常に離れたところ からできている憲法であるとだから二重三重にいろんな意味を含めてですね。今の憲法に は正当性がないしそのことは皆さん方それぞれの会派の多くの方が共有されていること思 いますので是非ですねえー関屋会長の報告の中にも冒頭にありましたようにね制定過程の とこから含めてもう一度根本論をこの審査会ではですねしていただきたいと。そのことを 私の意見とさしていただきたいと思います。
クリスマスというのはクリスマスだけで成り立っているのではなくて
アドベント(待降節)というものがあって、それが4週続くのですよ。
文化祭の準備に似てる、というのも正解。
アドベントはクリスマス準備期間だから。ドイツとか行くと普通の家庭が本物の木を取り寄せて飾りつけとかやってる…
詳しくは教会暦について調べてみてね☆
アドベントカレンダーでググってみるとカウントダウンカレンダーになってるおもちゃが出てきますよ。
と大真面目にレスしてしまいましたが、別に商売に乗るだけが楽しいことでもないですよ。
(派手さで言えばカトリック行くとビジュアル的に楽しいかもね)の教会に遊びに行けば
似たような人がいっぱいいます…暇してるからって近所の人もけっこう来てます。
ウチの近所だと場所柄なのか、観光で来てる人もいる。礼拝中の写真は勘弁です。
あ、礼拝中にワイン・クッキーorウエハースが出てくるかもだけど洗礼受けてなければ頂くべきでないので
順番が回ってきたら、軽くお辞儀すればいいよ!何も言わなくてもすぐわかってくれるから。
パーティに参加するなら、献金は参加料程度の金額を出せばお互い気分悪くならんでしょう。
あと、面白いのが…世間話ができる(笑)。色んな人がいるから、本当に「社会見学」になる。
そういえば…礼拝堂は基本広いから暖房効きづらいし、行くならぜひ温かい格好してください。
この時期一人で風邪ひくとすごく寂しいしなんか今年は怖いウイルスも出てるし、マスクして行ってもいいかも。
では、お節介おばさんでした。
シングルマザーの従姉が育児ストレスと過労でうつ状態になって入院した。
良い母親で有りたいという気持ちと、忙しくてまともに家事もできていないという現実とのギャップに相当苦しんでいたようだ。
入院中、従弟が従姉の娘の面倒を見ているのだが、こいつがハイスペック過ぎて従姉の精神状態にトドメを指している。
毎日残業有りの外回りだった従姉と、デスクワークで8~16時勤務定時帰りの従弟では家事に費やせる時間も体力も大違いで、従姪の生活環境に明確な差が出ているのだ。
朝ごはんは今までシリアルだったのが、気合入った伝統的日本の日本の朝ごはんになり、
夕ごはんは八時過ぎに買い飯食べていたのが、六時には一汁三菜デザート付きで準備できている。
食後には勉強を見てあげて、本の読み聞かせをしながら寝かしつける。
このため、就寝時間が今までより数時間前倒しになり、授業中居眠りばかりしていた従妹が、ちゃんと起きてられるようになり、成績も向上した。
休日、従姉は疲れて寝て過ごしていたのだが、従弟はあちこち遊びに連れていく。
その帰りに見舞いにやってくる。
従姪はにこにこと楽しそうに近況報告をするのだが、彼女が帰った後、従姉はボロボロ泣くのだ。
自分がやりたくても出来なかった良い母親役を、従弟が難なくこなしているのを知った従姉の精神状態はどん底まで落ちている。
【追記】
誤解があるみたいなので追記
従姉と従弟は実の姉弟ではなく従兄弟同士。
従姉と従弟は徒歩圏内に住んでいて従弟は以前から仕事が遅くなった時の保育園の迎えや、従姉や従姪が熱を出した時に面倒を見るなどのサポートをしていた。
従弟は共働き世帯の長男で年の離れた妹の面倒をずっと見ていた上、保育園でボランティア経験があり家事、育児共に熟練の業を見せる。
従姉は片働き世帯の一人っ子で結婚まで親と同居。時々家事を手伝っていた程度。
従姉は駆け落ち同然で結婚して即離婚して、実家に顔を出せないうちに両親が亡くなり、育児スキルを継承し損ねた。
両者の子育て経験の差は歴然としており、従姉は従弟に娘を預ける度に親スキルの違いを見せつけられて凹んで帰ってきていた。
いくらあやしても泣き止まない娘が、従弟に抱かせた途端に泣き止んで数分で寝付いたり
一緒にお風呂に入ろうとしたら、「お母さんより従弟の方がいい」と言われたり(従姉はシャンプーするのが下手だったためよく目に入って痛かったらしい)
そんな経験を繰り返していくうちに自分は駄目な母親だという思いが強くなっていったという。
そして今回、自分がいなくても娘が幸せそうにしているのを見てトドメをさされた状態だ。
彼女は別に悪い母親ではなく、初子にしては頑張っている部類なのだが、時間がなくて理想が高くて人に助けてもらうのが下手なのだ。
この問題どうすればうまくいくのだろうか?
従姉が一人で子育てをするコースは過労死コース一直線だろうし。
従弟がサポートするコースはコンプレックスこじらせるばかりだろう。
従姉の子育てパートナーを見つけるにしても、バツイチ子持ち30代うつ状態の契約社員と共に血の繋がらない娘を育てようという男性が見つかる可能性も低い。
>何かできないことがあったときに「あぁ…早生まれだから。他の子より育ちが遅いから」「仕方ないね」「かわいそうに」と親から言われることによって、それが本人の中にも内面化されるんではないかという分析だった。
えー、ご存じの通り(ですよね?)早生まれの私ですが、敢えて「異議あり!」と言わせて頂きます^^;というのは僕の場合、親から言われたことはなくて、自分で後から「早生まれは損だ」と思ったからなんです。もし敢えて親のせいにするのであれば「早生まれなんだから仕方ないよ」ぐらい言って欲しかったな、ということになるのかもしれません。
経験談の一例ですが、幼稚園から小学校にかけて、周囲に比べてダントツで運動能力が低かったんです。ですが、高校を出る頃にはいつの間にか体力テストなんかでは全国平均を普通に超えられるようになってました。まあ元々運動や外遊びが好きな子供ではなかったですけど、別にその後人と比べて特に運動していたわけでもなかったので。で、子供の頃は実年齢の差がかなり大きかったのではないかなということに気づいたのはかなり後になってからでした。無駄に運動苦手コンプレックスを持ってたもんだと後悔したものです。
ところで、N さんが誰だか見当がつかない私です。
そういえば、悪名高き私の母校では全学年を通して異様に4・5・6月生まれが多かったです。僕はどちらかというと年齢以上にガキなので、周囲のマセ具合に余りついて行けなかった記憶があります(苦笑)
あと聞いた話だと、少年サッカー英才教育の世界では、選手がやはり4・5・6月生まれに偏っていたので、選抜に誕生月を考慮するようになったとかいう話も聞いたことがあります。
そういうことから、すくなくとも一部の分野においては、無視できない程度の影響があるのかなとは思っています。ただ、どれも男の場合の話であるのは事実ですね。女性はその辺どうなのか、面白いデータがあれば欲しいですね。たぶん誰か既に研究してるんでしょうけれど。
例のあだ名ゆえにあのお方が「Nさん」であることを完全に失念していました^^;まあ、何となく「先輩」が女性であるという先入観があったのも事実ですが(何でだろう?)。まあでも確かに、女性だったらおめでたの話があるのにもかかわらずお酒を飲んでいるはずがありませんね。
いずれにせよ、おめでたいことで。
そういえばドイツでもシュレーダー政権ができたてのとき、首相が党の実力者を追放して一波乱という一幕がありましたね。そのときの状況と今の日本の状況は似ているのかどうか……。
たぶん noctifer さんの同期の「実家が尼崎の人」がデジタル化したデータ持ってると思いますよ。僕も自分が 3 回生のときの録音をその人にもらったので。
ちなみにこれ、一年掛けて準備したのに散々ボロクソに言われた演奏で、僕の中ではまさに「黒歴史」だったんですけど、5 年ぶりに聴いてみたら意外にも、自分としてはそれなりに納得のいくものだったので愕然としました。あれ以来自信なくして楽器にだんだん触れられなくなってたのはいったい何だったんだろう……、と。というか音楽以外すべてにおいても自信喪失してしまう悪循環に陥ったきっかけみたいな一件だったので、あれをもっと早く聴いてればひょっとしたら少しぐらい人生変わったかもなー、なんて思ってます。要はその録音を聴かなかったこと自体が「黒歴史」でしたという情けないお話ですが(苦笑)。
ああなるほど、定演以外の録音でしたか。そりゃさすがに尼崎の人に頼んでも持ってないですよねえ。
ところで全然関係ないですが、今日聴講した某研究会で、僕の2年下の「ヘアスタイルが独特の人」に会いました。彼は今年D3でしたっけ?月日が経つのはなんとやらとはこのことですね。
都合が許さず彼の晴れ舞台を見られなかったのはなんとも残念です。こんど会ったらよろしくお伝え下さい。
前回までの大会と違って、今回は自分が主力選手と同世代だから身につまされるものがありました。仮に自分にあの方面の才能があったとしても、この段階で最盛期なんてとても無理だろうなとか思うと、前回大会までとは違った意味で感慨深いです。
それでよく考えてみれば、サッカーの選手生命から考えて、僕らと同世代の選手のほとんどは今回が最後のチャンスだったわけですよね。今までよりも、負けて悔しがる選手の姿が一歩だけとはいえ身近に感じられて、その分切なくなりました……。
論文を添削するには内容を理解できないといけないわけですから、それをタダでやってくれる人となると本当に貴重ですよね……。
思うに、大人に言語を教えるのは経済的にも効率がよくないですよね。色々な場に応じてそれなりの言葉づかいができて、なおかつ幅広いスタイルの文章を読んで書ける人なんて、なかなか語学教師をやろうとは思わないでしょうし、そういう人を雇うには相当なお金がかかって当然、生徒の側もそれだけの教師を探すには苦労するわけですから。
子供の頃から、母語の習熟に準じて第二言語を(できれば複数)学べると、言語というものを相対化できるという意味でいいんでしょうけどね。(現状は英語崇拝と英語憎悪の二極化およびその裏返しとしての日本語特殊論、そしてそれ以外の外国語への無関心がはびこっていて本当によくないと思う今日この頃。
こんにちはー。
「絶対音感」って能力、実は個人的には言語能力と近いんじゃないかなと思ってるんですよね。少なくとも僕の場合は、ですが。実際、無調性に近い音楽を聴いていると途中で音がわからなくなったりずれてしまうことが多いですし、無調性は無調性でもそれなりに慣れているウィーン学派系よりも、あまり聴かないブーレーズとかのフランス現代音楽系とかのほうが苦手だったりするので。
あと、E-dur と F-dur を間違えることはほとんどないのに D-dur と Des-dur の区別にはたまに自信がなくなることがあるなど、多分にピアノの鍵盤(というか頭の中でつけている「読み仮名」的な音名)に引きずられる傾向があるんですね。いってみれば、日本人は /t/ と /d/ の区別には苦労しないが /l/ と /r/ には苦労するというような話なんですが、まいさんはそういう傾向ってないですか?
そういえば、高校生ぐらいの頃は基準音を 2Hz ぐらいの単位で聴きわけられたものでしたが、古楽を聴くようになって以来その能力はほぼ完全に破壊されてしまいました。
ちなみに僕も音に「色」のイメージがありますけど、その正体はかなり情けないものでして、おそらく子供の頃に買ってもらったおもちゃの鉄琴です。一音ごとに色分けされていたのですが、その印象を未だに引きずっているんですよね。
個人的には欧米でどうして "Hentai" 文化があんなに抑圧されてるのかが気になりますねー。ホラーの世界では日本よりよっぽどどぎつい表現が社会的に許容されている風土で、ポルノの方面になるとフィクションであってもある種の表現はまかりならぬ!というのは、日本に生まれて暮らしている限り根本的にどこかで理解できない面があると思うのですが、だからといって「ピューリタニズムの伝統」で片付けてしまうのも一方では乱暴な気がするんですよね。
似たようなことは、捕鯨問題とかその他の文化摩擦のときにも色々感じることではありますが、その辺のことで「住んでみてわかったこと」って何かありました?
>実際には日本のエロゲの守備範囲の広さはそんなのを凌駕しうるわけですが、それでもアニメでは女性はそのように子どもっぽく可愛く描かれる事が多い(ただでさえ若く見えるアジア人をベースにしているのでなおのこと)
なるほどありがとうございます。確かに現代の日本人はおしなべて幼形成熟的なものが好きですね。女性に限らずジャニーズ系とかも結構そういう気がしますが。向こうから見れば余計子供に見えるというのは盲点でした。
しかし個人的にもっと疑問なのは、その "Hentai" 文化を変なものとして片付けるのでなしに、禁止してしまおうという考え方の方なんですよね。そしてそれを日本でも禁止せよと圧力をかける動きもあるようですし。米国は基本的に他者に寛容を是としているのだと思ったら、ときどきいきなりその逆の面が見えることがあるので、いったいあのあたりはどういう感覚なんだろうなあと思いまして。
うーん。やっぱりそれなんでしょうかねえ。だとすると捕鯨と "Hentai" はちょっと性質が異なる問題なんですね。
どうも最近、英語圏のメディアを読むようになればなるほど、日本に対する悪意や蔑視が一部高級メディアにでも平気で蔓延していることに気づいて憂鬱なんですが、その根っこは必ずしも一つではなさそうですね。
やっぱりこういうと何ですけど、欧米がアラブに違和感を持っている(あえて「蔑視している」とは言わない)のと同じような意味で日本から欧米(といっても色々温度差はあるでしょうが)を見たときに違和感があるんだなあと最近思うんですね。あんな趣味を持っているぐらいなんだから当然私は西洋かぶれ的人間なんですけど、例の "The Cove" 以来やっぱりあばたはえくぼじゃなくてあばたなんだなということにようやく気づきだしたわけでして、その背景には最近ちょっと興味を持ちつつあるんですが、どうもなかなか一筋縄ではいかなさそうですね。欧米の天地は複雑怪奇なり。
ところで話は変わりますが、意外なところで結婚ラッシュが始まりそうな噂を耳にしました。詳しくはそのうちお聞き及びになると思いますが……。お楽しみ(?)に!
あれ、あそこバーベキューだめになったんですか?「新条例」がなんなのか気になります。
>知らない人が20人以上という状態で3時間おしゃべり持ちこたえたのは我ながらよく頑張ったと思う(たぶん英語スキルというより社交スキルの問題)。
最近あちらこちらで、アメリカでは(あるいは「国際社会」では)そういう状況で人間関係を作れるかどうかがものをいう、そういう場でやっていけないと通用しない、みたいな主張をよく見るもので。
本当だとしたら語学力以上に絶望的に高い壁だなあと思いつつ、そういうことを書く人は大抵すごく社交的だから、たまたまその人の回りでそういうことが起こりやすいだけのようにも思えるし、その辺の真相が少し気になってまして。
http://anond.hatelabo.jp/20110907193725
を書いた増田だけど久しぶりに増田にログインしたらトラバがついてたんでお返事。
http://anond.hatelabo.jp/20111005112736
見てるかわかんないけど。
これはそのつもりで書いてます。ブラックリストホワイトリストという言い方ではなくて、オプトイン、オプトアウトという考え方で。元記事にも書いてあるんだけど、日本の法律ではオプトアウト方式は認められていないので、合法にやるにはオプトイン方式でないと無理だと思っています。
オプトアウト方式が認められていないのに、著作権違反はいくら大規模にやろうと親告罪であると言うゆがみがあると思っているんで、個人的にはそこは改善されるべきだと思っているけど。フェアユース導入なり、大規模著作権違反の事案は摘発が可能なようにするとかバランスを取るべきだと思う。
例えば自炊依頼のために許諾を求める業者は、その結果に責任取れるんだろうか?
その責任の所在を、自炊業者に求めるなら、法的リスクと収益で割が合わないだろうし、事故として上限免責されてしまうなら、許諾するのが馬鹿らしい。
これはそもそも自炊業者には責任は発生しないと考えます。許諾を得ていればもちろんのこと、許諾を得ていない真っ黒な現状でも。
電子書籍でもDRMフリーで販売されているものがありますが、そのDRMフリーの電子書籍が違法に流通して実害が出たとしても、DRMフリーの電子書籍を正規に許諾を受けて販売した業者は責任を問われないのと同じです。違う言い方をすればコピー機を有料で貸し出しているコンビニや、ドキュメントスキャナ、コピー機を製造している業者が違法性を問われないのと一緒です。もちろん違法流通のために特別な何かをしている場合は別だし、幇助レベルではない別の違法行為があれば違います。
実際に裁判で訴えられるとしても訴える側が自炊業者側に違法性を予見して未必の故意があった等と言う事を証明しなきゃならない事になるわけだけれど、そんなことはまず無理だと思う。
証拠(因果関係)が希薄だから自炊業者無罪なら、余計悪い方向だ。
ちなみに。
電子透かしを求めようが、何をしようが、業者が故意に行うデータ流出は防げないし、アフィリ等で流出の方が儲かる事情があれば簡単に崩壊する。
これは信頼関係を築いていくしかないと思います。と言うのはこれ電子書籍に必ずついて回る問題だし、昔は書籍についても同じ問題がついて回っていたから。と言うのは、販売量は業者しか分からないと言う事だからです。
最近の本でも伝統がある出版社の本なら奥付に「検印廃止」って書かれているのを見る事ができると思いますが、これは何かと言えば昔は出版社が作者に内緒でたくさんすって売っているのではないか(いわゆる偽版)を防ぐために、著者が検印を押した紙で確認するという事が行われていた名残です。同じ版をつかって作者に内緒で刷って裏流通させているんじゃないかと言う疑惑があったんですね。また電子書籍でもDRMがあろうがなかろうが、電子書籍販売業者が横流ししていると言う疑惑は当然ついて回ります。
もちろん、「状況が同じだからって自炊業者が問題無いわけじゃないだろ」って話は当然あって、だからベンチャーなんかがぽっと出でやるのは難しくて、信頼のある印刷業者やら取次やらが既存の自炊業者をノウハウごと買収してやるのがいいんじゃないかと言う〆にしてあるわけです。
実は元記事では触れてなかったけど、ここにある需要があって商売になるかってのが最大の問題としてある。でこれについてはなかなか難しい。
今後電子書籍は黎明期を脱してくるだろう思う。Amazonが来るぞとか言う印象論ではなく、
などが主な理由で、つまりは大手出版社が本気になりつつあるからと言う事なのだけれど、だけどこれは新刊や比較的近年に発行されたものに限ると思うんだよ。
一方今自炊したいという人の話を聞くと、だいたい2種類需要があって
と言う所なんだけど、電子書籍が普及してくると前者の需要は尻すぼみになると思う。と言うかむしろ成りつつある。わざわざ同価で販売されている電子書籍をDRMがあるからといってわざわざ自炊する人間がどれだけいるのかというとそんなにいるとは思えない。
一方後者の需要なんだが、こちらはむしろ電子書籍が普及すれば普及するほど増加してくるんじゃないか。今でも切実にスペースが足りない人は多い。たとえば私もそう。で、電子書籍の環境がだんだん使い物になるようになってくると、その欲求はどんどん膨らんでいくと思う。
また電子書籍で本を読むことが当たり前になってくると、古い蔵書を読みたいという時、紙じゃなくて電子化して読みたいという需要もどんどん増えてくると思っています。
しかし、新刊書籍については需要もあるし、DTPデータも丸ごと保存された状態から発刊と同時に業務フローの一環で電子データを作る事ができるからコストは安くすむし、どんどん電子書籍が出るだろう。
一方、古い書籍はどうだろう?DTPデータが消えてしまっている、あるいはそもそもDTPで作られていないとかで電子書籍を作るコストも新刊書籍より高い。しかも需要はニッチだから作成コストがとれない。だから全ての書籍をカバーすることなんてとうてい無理だ。ただこう言った事情から電子書籍が出ないのであって、権利問題がある訳ではなかったりするのも多いでしょう。電子化するコストは多くの人が言うほど安くはありませんし。
そこに、自炊業者と言うのは存在していけるのではないかと思うのだけれどどうだろう。確かに今の違法でありつづけることで必要なコストを払わない対価ではとても無理だが、たとえば引っ越し業者などと提携して、貴方の蔵書丸ごと電子書籍化しますといったサービスとしてはありえるのではないか、許諾があるものは自炊し、許諾がないものは既存の電子書籍がある場合はそれを案内しつつ、どうしても許諾がなく電子書籍化もできないものは返却する。(希望に応じて裁断だけ手がける)電子書籍化の要望が強いが権利者不明などの理由によってできないものは裁定制度を利用するといった電子ライブラリ構築エージェント的になれないかと思うわけです。
真実が明らかになって「やっぱりそうだと思ったんだ」と、あとで記憶をすりかえないために。
ちゃんと答え合わせをできるようにするためにここに答案を記す。(FAの件は後回しにして、3社買収問題のみの回答)
問1.オリンパスの過剰な3社の見積もりについて、会社側の真意を答えよ
答案1.
①実際は05年以前から、長期にわたって収益の水増し計上を行なっていた。(※背景には同社の脆弱な財務体質?)
③架空の現預金項目が数百億のレベルにまで膨れ上がり、明らかに不自然になってしまった。
④膿を出すため、06年5月から08年4月にかけてボロクズ会社3社を総額730億円で買収する、ということにする。(※リリースすら出さず、こっそりとやる)
⑤架空買収で生じた巨額ののれん代でもって、粉飾資産部分(現預金)をおきかえる。
⑥経営環境が悪化したということにして、巨額ののれん代をごっそりと減損する。(※この時、リーマン危機が重なったのはオリンパスにとって行幸だった)
⑦帳簿上はM&Aに失敗して現預金が流出した、という形式になり、粉飾していた現預金の水増し部分が解消する。以上
以下、若干の補足説明。
・ここでの1つの焦点は、誰にカネが渡ったかではなくて実際に現金が動いていたか否かにあります。Facta(今月号)は、実際にキャッシュアウトが伴っていた前提に立ち、それがヤミ勢力に渡ったのではないかと仮説を提示しています。しかし、”ヤミ勢力”がこれだけ巨額のキャッシュをわざわざこんな大企業から受け取る必然性は薄いと考えます。経営者へのキックバック目的という仮説も同様、サラリーマン経営者が私服を肥やすには大規模すぎます。私はしたがって、現金が動いていなかったという主張を支持しています。菊川会長の一連の行動は自己の利益のためではなく、愛する自社と社員を守るために行ったものであると考えています。
・オリンパスに勤める私の弟によれば、一般社員には何一つ情報は伝わってきておらず、社内でうわさ話をすることすらタブーになっているそうです(オリンパスには伝統的に”告げ口文化”と言うのがあるため、社員がヘタに論評をすると誰かに告げ口される危険性がある)。しかし私の答案が正しいとすれば、経営陣だけでなくオリンパスの財務・経理社員もこの粉飾に加担していることになります。そうなれば組織ぐるみということになり、社会的非難・制裁の声はさらに高まってくると予想されます。
当局による回答はおそらく数週間後、以下の空欄に記載する予定。
答1.
。
http://twitter.com/#!/zaway/status/127774939330772993
最近どうもニュースを見てもネットを見てもTPPに対する議論が噛み合っていない。
色々と見ていて歯がゆいので、自分なりに賛成、反対を整理します。
とりあえず賛成のほうから。
賛成意見
経済学的には自由貿易がそれぞれの国の厚生を上昇させることは自明である。
さらに 例え自国の関税だけを下げ、輸入のみが増えても更生は増大する。 詳しくはリカードモデルでも読んでください。
生産者の失う利益を考えても、消費者がより安い価格で買えるという利益のほうが大きくなる。
いまのFTAは関税だけではなく、投資やサービスの自由化、貿易円滑化などの非関税障壁に対する規定が含まれている。
このWTOのような既存の枠組みでは議論が十分に進んでいない規定はまだ標準化できていない。
TPPでこれらの条項を整備し、より包括的な貿易協定を組むことによってこれからの貿易協定のベンチマークとする。
将来のスタンダードとなりうるかもしれないこれらの規定に対して日本の意見を反映させる意義は大きい。
さらにTPPで決定された基準をデファクトスタンダードにすることによって、中国をその規定に従わせられないかと考えている。
おそらく賛成派の人が主張するメリットは主にこの二つだと思います。
最近はてブで高岡英夫関係のエントリが上位に来ているのをよく目にする。
コメントを読んでいると、割とナイーヴに受け止めている人が多いようだ。
別に高岡英夫の理論が間違っているとか、体操の効果がない、とか言いたいわけではない。正しいかもしれないし、効くかもしれない。
ただ、ニセ科学批判の好きな人が多い一方で、高岡英夫(や、似たようなオッサンたち、さらに言えばスピリチュアルくさいライフハックやら)が割とすんなり受け入れられてしまうのがちょっと不気味なのだ。
最近はどうなのか知らないが、武道・格闘技にやる側として関わっていた人なら、高岡英夫の名は小耳に挟んだことのある人は少なくないと思う。一時福昌堂系の格闘技雑誌などによく登場し、ディレクトシステムなる理論だか図面で、色々な達人の動きを分析してみせていた人だ。ヒクソンのDSとかいうのもあった。人体に色んな線を入れた図面なのだが、こうした図は高岡の特殊能力(?)で読み取られるものらしい。さらに、宮本武蔵のDSと称するものを一億だか一千万だか、ものすごい値段で売っていた記憶もある(値段はよく覚えていないが、とにかく破格だった)。
高岡英夫の話は、一見もっともらしい。わたし自身も、一時期興味を持ち、「統一棒」なるすりこぎみたいな棒を買って練習していたことがあるくらいだ。
武道・スポーツの話をするのに、東大出のオッサンがソシュールだの持ちだして理屈をつけて語る。しかも結構説得力がある。割と賢い目のアスリートたちが魅了されたのにも訳はあるのかもしれない。
しかし、もっともらしい理屈を語るだけなら、この世界では珍しい話ではない。理屈の筋が通っていることと、実際にスポーツ理論として機能することの間には、かなりの溝がある。
格闘技ファンの中では伝説的な怪しいオッサン、堀辺正史(追記:名前間違えてました、スイマセン)だって、初期の頃の本はとても面白かった。多分中国拳法の理論を色々継ぎ接ぎして組み立てたのだろう。特に伝統武術系をかじったオタクの心には、グッと掴む不思議な魅力があった。その後の堀辺氏の凋落ぶりは、格闘技ファンなら誰もが知るところである。
吉丸慶雪なども、理論だけならかなり魅力的だ。理論書好きの武道オタクにはたまらないものがある。わたしも持っている。
この辺のおもしろさを全部認めた上でなお、この人達が実際にこの理論に基づいて強いのか、あるいは弟子たちがこの理論で強くなったのか、というのは、全然別問題だ。
武道やスポーツの理論書というのは「ツボ」があって、そこをうまく押す文章を書けば、ある種のオタク系アスリートをひっかけることは容易いのだ。
中国武術系などは、理論が非常に発達していて、とても面白いのだが、この理論通りにできるかというと、必ずしもそうではない。理論を実践につなげる訓練がないと役に立たない(ただ分析の役には立つ)。この辺は「戦う編集長」山田英司氏などがよく語っているところだ(山田氏には直接お目にかかったことがあるが、別に達人ではないものの、本当に強い。トリックと口ばっかりの中国武術家では全然ない。普通に喧嘩の強いオッサンだ)。
大分話がズレてしまったが、高岡英夫も似たような部類のインチキくさいオッサンだということは、よくよく認識しておいた方が良い。
繰り返すが、彼の理論や体操が無効だと言いたいのではない。実際意味があるかもしれない。少なくとも読んでいる分には面白い。面白いからこそ危ない。おまけに彼の商売は相当えげつない。人間的にはまったく信用ならない人物だと思う。
ついでに言えば、堀辺氏も、本人は(若い頃は)本当に強かったのだと思う。動きのキレが確かに違う。しかし別に彼は、彼の理論で強くなった訳ではないだろう。また、その後のコロコロ変わる態度や凋落ぶり、道場生に対する不埒な行いの噂を聞けば、人間的には信用ならない人物に見える。少なくともわたしなら近寄らない。ビデオは見たいが。
ゆる体操がビジネスに効く!とかノセられているライフハッカーたちは、その辺をどう受け止めているのだろうか。
ニセ科学は許せなくても、科学の名を冠したり、科学くさい言葉遣いをしていなければ、一転無防備なのだろうか。
科学者が一般書を書くと、せっかく面白いことを書いてきたのに、最後の章で哲学やら政治思想のようなものを書き始めて、これがびっくりするくらいナイーヴで幼稚なことがある。それと同じようなものなのだろうか。
全部わかって乗っているなら止めないし、実際個人的には、高岡のようなパチくさいオッサンが多少世の中にいるのはむしろ面白いと思ってはいるのだけれど、運動音痴科学好きのライフハッカーが、ナイーヴにコロコロ転がされているのだったら、他人事ながらちょっと心配だ。
せめてニセ科学に対するのと同じ程度の警戒心は持った方が良いんじゃないか。
あるいは、それくらいの寛容さとテキトーさを、ニセ科学にも適応してやってくれないか。インチキくさいものが多少あった方が世の中面白いし、高岡にコロっとやられている人をこうして眺めるように、ニセ科学にまき上げられている人たちも「アホやなぁ」と「寛大」に眺めてやったらどうだろうか。
いやまぁ最後はイヤな言い方してごめんなさいだけれど。
原文: Schumpeter blog: Angst for the educated(http://www.economist.com/node/21528226)
裕福な国の何百万人もの卒業生が、泣く泣く両親に別れをつげて、大学での新生活を始めようとしている。学生の一部は純粋な学問への愛ゆえに大学に向かうのだろう。しかし、ほとんどの学生は、大学で3年か4年過ごせば、そのために多額のローンを組むことになったとしても、実入りのいい安定した職に付ける見込みが強くなるのだと信じて大学に進んでいるのだ。
大人たちは常に「教育こそがグローバル化した社会で成功をつかむための最良の道だ」と子供たちに言い聞かせてきた。そしてこのお馴染みの話は次のように続く。ブルーカラーの仕事はやがてオフショアされるか機械化されてしまうし、中退したら金に困る一生を送ることになる、世を勝ち抜くのは学士号を手にしたエリートだ、と。これは証拠によって支持されている見解でもある。ジョージタウン大学の教育・労働力センターが最近発表した研究によれば「中等教育以上の学位を取得すれば、ほぼ必ず十分なリターンが得られる」という。学歴と収入には強い相関関係があるのだ。専門学位をもつアメリカ人の生涯賃金は360万ドルだが、高卒の場合はせいぜい130万ドルでしかない。さらに、学位を持てるものと持たざるものの差はますます広がりつつある。2002年の研究では、大卒は高卒の1.75倍の生涯賃金を得ているという結果が得られたのだが、今日ではこのプレミアはさらに大きくなっている。
しかし、過去というガイドは未来において役に立つだろうか? むしろ、私たちは仕事と教育の関係が変化する時代の境目に立っているのではないだろうか? 実際のところ、古いパターンが変わりつつあり、今は不況によって引き起こされている西欧社会の大卒需要低迷という事象も構造的なものに転化しつつあるのだと考えるべき根拠は十分にある。数十年にわたって多くのブルーカラー労働者を揺さぶり続けた創造的破壊の強風は、今や教育エリートにも牙を向こうとしているのだ。
大卒者の供給は急速に増大しつつある。高等教育統計によれば、1990年から2007年の間に、大学に進学する学生の数は、北アメリカでは22%、ヨーロッパでは74%、ラテンアメリカでは144%、アジアでは203%に増大したという。2007年には世界中で1億5000万人もの人が大学に通い、そのうち7000万人はアジアの大学に在学している。経済的新興国、中でもとりわけ中国は欧米のエリートに対向しうるだけの大学の育成にリソースを注いでいる。この新興国では、タタ・コンサルタンシー・サービスやインフォシスのような専門サービスを業とする会社も生まれつつあり、これらの会社は新卒生を世界クラスのコンピュータープログラマやコンサルに育て上げている。詰まるところ、富かな国の最優秀層は、より少ない賃金で沢山働いてくれる貧しい国の最優秀層と競合しつつあるのだ。
同時に、教育を受けた労働者の需要のあり方もテクノロジーによって変わりつつある。この状況は19世紀に農業労働者が直面し、20世紀に工場労働者が直面したそれと非常に似ている。コンピューターは反復的な知的作業のみ成し得るというわけではない。コンピューターは、アマチュアにプロのごとく仕事をこなせるようにする力を与えるのだ。どうして生身の会計士を雇って納税申告をしてもらう必要があるだろう? そんなものは、Turbotaxを使えばわずかな費用でやれるのだ。今後、論調と言語的曖昧さを処理できる機能が備わるようになれば、コンピューターがこなせる仕事の種類は今の何倍にもなるだろう。
Paul Krugmanを含む経済学者の一部は、ポスト工業化社会の特徴は絶え間なく続く知的労働者需要の増大ではなく、巨大な「空洞化」にあるのだと論じている。この「空洞化」は、中級職が賢い機械によって取って代わられ、上級職の増加が鈍化することによって起こるのだという。MITのDavid Autorによれば、このコンピューター時代におけるオートメーション化の主たる効果は、ブルーカラー職の消失というより、ルーチン化できるあらゆる職の消滅にあるという。プリンストン大のAlan Blinderは、低賃金の仕事よりも、大卒が伝統的にこなしてきた仕事の方が比較的「オフショアしやすい」と論じている。配管工やトラック運転手はアウトソースすることができないが、プログラマの仕事ならインドに頼むことができるからだ。
大学教育は、未だに医療・法・学問といった巨大なギルドの入会資格になっていて、このギルドは安定した高賃金な職を生み出している。これらのギルドは前世紀において非常に強力な参入障壁として機能してきた。この障壁は時には正当な目的に出たものだったが(誰も床屋に手術されたいとは思わないしね)、他方で自分たちの利益を目的としたものでもあった。しかし、ギルドは次第に没落しつつある。新聞はブログとの戦いに負けつつあるし、大学はテニュア付きの教授をテニュアの無い職に置き換えつつある。法律事務所は「discovery」(訴訟に関係のある資料を探し出す仕事)のようなルーチンの仕事を、Blackstone Discoveryに代表される電子検索の専門集団に外注しはじめている。医者ですら安泰ではない。患者たちはオンラインでアドバイスを受けた上で、ウョルマートの新しい医薬品センターを利用して治療を求めるようになりつつあるからだ。
MITのThomas Maloneは、このようなオートメーション化・グローバリゼーション・自由化といった流れは、もっと大きな変化 - すなわち「知的労働の分業化」という流れの一局面かもしれないと論じている。アダム・スミスの工場マネージャがピンの生産を18の手続きの分割したように、企業はますます知的労働を細切れにしつつあるのだ。例えば、TopCoderはITプロジェクトを小さな塊に分けたあと、その細切れをフリーランスのコーダーに分配するという方式を採用している。
このような変化は間違いなく知的労働者の生産性を高めるだろう。消費者はサービスに対して高い対価を要求する専門家ギルドを避けて通れるようになるし、多くの知的労働者は退屈な仕事を外注することで自分の最も得意な仕事に集中できるようになるのだ。しかし他方で、この知的労働の再編の流れは、次の世代の大卒者の人生を、はるかに不確定で安住できないものにするのだ。
うーんと、
改めて確認しとくけど、論点を切り分けておくと、
A.yuhka-unoさんは、聞くに値する主張をしている
B.itiさんは、バカ
D.yuhka-unoさんは、全面的に正しい
という話はそれぞれ切り分けておきませんか。
まず、わたしは、A,Bに関しては繰り返しになるけど、
yuhka-unoさんは聞くに値すること(私も苦しめられたパターナリズム批判)をしているし、
おおざっぱに言って、itiさんはバカ、でいいと思います。
(まあ、私は、itiさんが実際に目の前にいたら「はぁ、そうですか」でスルー対応すると思うけどね…)
あと、ちょっと、あんまり強い言い方をされると、
私も書く気力をなくすので、ご配慮いただけると幸い >きゃあさん
******
で、改めて、
C.荒れるメカニズム
まず、荒れるメカニズムは絶対に、あの手の話はあると思っています。
パターナリズム批判は、批判された側が、ぜんぜん理解してくれないですよね。いっつも。
だからこそ、荒れる。荒れるのは、もう必然だと言っていいと思います。
あと、批判される側(親側)が、旧来的な何かしらの<ローカルな正義>を振りかざしていることが多いので
それを、まっこうから全部否定してしまうとね、宗教論争的な風景にならざるを得ないですよ。やっぱり。
まあ、そこで対応としては、
相手の主張を「ああ、そうですか。勝手にそう思っていてください」的なことを「やんわりと」言っていなすか
yuhka-unoさんは真っ向から対立しているので、荒れるのは仕方ないとは思います。
D.どこまで完全に正しいか
Dに関しては、まあ、おおむねyuhka-unoさんが正しいとは思うけれども、
書き方の問題はあるとはやっぱり思います。
(ちなみに、「遺伝子に感謝」の話なんかは私はしていません……
そりゃ、「遺伝子に感謝しなさい」なんていわれたら、「シネ、カス」で終わりだと思いますけれど…)
具体的には、ごく一般論として「子育てはやっぱり大変なこと」という論点はあると思います。
「親だけの手柄」じゃないのは当然だし、「私だけの手柄」だけでもない。
そこを完全に言い切るのは厳しいのではないでしょうか。
もちろん、
「育児が大変だったんだから」という主張に対する伝統的な反論として、
「子供は生まれてくる親を選べない」ということもセットであるので、
そこは、お互いに、負い目を負っていると思います。
鬼の首をとったように言い続けて恩着せがましい相手は
やっぱり下品だし、わかってないし、ひどいとは思います。
でも、そのことを完全否定しすぎるのもやっぱり、言いすぎになるかな、と。
ただ、yuhka-unoさんは、きちんと読むと「文章」の部分の功績について、自分の功績と言っているだけで、
その他の部分については、実は言及していないので、yuhka-unoさんはやはりおおむね正しいとは思いますが、
それと、
どのぐらい母親が子育てについて、放置気味だったか、そこまではよくわからないから、
部外者には何もいえないと思うんですよね…
※ちなみに、話に全然関係ないけど
具体的に言うとこのあたり
自分もそれこそ男の人と同じくらい稼げるようになって、そりゃあ人を養うには足りないくらいの安月給だけど、だからこそ思う。
結婚したら、自分の稼ぎを全部妻に管理させて、自分はお小遣い制で妻にお金をもらう形になっちゃうわけです。
(専業主婦orパートレベルでやっていける程度に収入があれば)
たかだか食事の数千円くらいも気持ちよく支払ってもらえないというのは、
で時空が歪んだ。
男尊女卑社会で生きてきて、反骨的に男と同じくらいの社会的地位になるっていう方向に進んでみて、
結局気づいたのは、
男にはとことん男らしさを求めるのが合理的な着地点だということだった。
その変心の理由をもうちょっと合理的で論理的な文にして欲しい。
ちなみに、さっきコメント書いた人間とおなじ人間ですけれども…
まあ、こういうのって要するに、
たぶん、上司は、いまだに、自分のやったことは正しいと思っていて翻えらないんだよね、ああいうのは。一朝一夕では。
未熟でわがままな人なのだろうし。
まったく、ぼくよりも、はるかにバカだったくせに、どの口がいうか、って感じだけど。
(本当に死ねとは思ってないけど)
ただ、まあ、世話をしてくれたところもあるし、迷惑をかけたことがないわけでもないので、
それは確かにそうなんだけれども、そこだけ過剰にとりあげられて、未熟だなんの、っていわれても、
ほんと、むかつくよね。
結局、こっちは元上司の発言に対して、
過呼吸やら頭痛やらで適応障害になるまで、我慢して、もうこれ以上はむりだわー
http://togetter.com/li/173853 を読んで。
結論から先に言う。彼らがCDを売るのは、コミケに自分のスペースを確保する名目である。本当の頒布物は、「偶像化された自分自身」である。要は「アイドル」になりたくて来ているのだ。
よって、サークルの周りに溜まったり、写真撮影したり、握手会をしたりといった、アイドル化に必要な行為を画一的に禁止しては、サークル参加者本人の最大の目的が果たされない。コミケは彼らの承認欲求を満たし、「すべてを受け入れるコミケ」でありつづけるか、古い秩序を強制し、従わない者を排除するかの岐路に立たされている。
コミケの伝統である「大手もピコ手も買専もみんな同じ。例のアレが好きな同志」という意識が、歌い手クラスタには存在し得ない。もちろんサークルと一般参加者の意識に格差がある状況はよくある話だ。が、このジャンルに於いてはそもそも構造的に「同志」になり得ないのだ。
サークル参加者が好きなのは自分自身であり、一般参加者が好きなのはサークル参加者本人である。すなわち、サークル参加者は一般参加者の欲求を一身に背負った「神」であり、一般参加者はひたすらおこぼれをもらうだけの、只のしがない取り巻きに過ぎない。
こんな構造では同じ意識を共有しろというほうが無茶である。サークル参加者は「施しをする者」として振る舞うのが自然であり、当然のごとく一般参加者は「お客さん」化していく。
こういう構造を理解せず、あるいは無視し、単純にみんなの問題として黙殺しようとするのは、今あるコミケを守るための最善手であるのかもしれない。が、あまりに保守的ではなかろうか。見なかったことにしたい範囲が大きすぎはしないだろうか。現在進行形の問題として、あるいは将来再びあり得る危機へのたたき台として、議論すべきだと考える。
ロミロミ (Lomi Lomi) とは、古代ハワイアンが医療として行っていた伝統的な癒しの方法。「ロミ」とはハワイ語で「もむ、押す、圧迫する」や「マッサージする(英訳)]という意味。もともとは医療行為として発達したが、現在はリラクゼーションマッサージのひとつに数えられている。ハワイに一般日本人が簡単に行けるようになってから(1970年代以降)、その存在が知られる事となる。
大分話がでつくしてきたようなんですが、ここ4、5年日本の現代思想やコンテンポラリー・アートの業界にうとかったので、色々、わからないこと疑問になっていることでてきました。
無尽蔵に、彼ら的な言葉でいえば機械的に、作品(前芸術てきなものも含めた)が創造されていくネットをアートにすると。「ネット」と「アート」の分断を克服すると。
ただネットというのは結局現象ですよね。ファイン・アートの意味的に作品にはならない。
ある意味でその非・固定、永久に、automaticallyにつくりつづけられるシステムとしてのネット、を、どうしてピンで昆虫採集みたいに物理的に止めてしまうのか?そうしたらもうそれは『ネット→現象』でなくて『アート→作品(芸術としての)』への変換にすぎないんじゃないの?
いちばんよくわからないのが、東氏がいうところの、いわば郵便的可能性をネットがもっていると、そういうところを、まあアートでやると。
で、その郵便的な話をちゃんと喋れる東氏が理論的に助けててどうしてこんな単純なことに気付けなかったのか?????
素朴に疑問。
前段の疑問を百歩ゆずったとして、そもそもネットとアートを分断を克服するって?分断していたの?
このへんがよくわからない。
ふたばとかPixivが、機構としてコミュニケーションの速度と多様性を支援しているのはわかるんだけど、それってカフェや飲みや、パーティーなんかで芸術家が出会ってベラベラしゃべったり酔っぱらったり、その場でなんかやってみたりしてたのと、構造的に同じではないの?そーいう場にたまたまいた人が一緒にもりあがって、なんかになっていく感じも同じだし。創作の過程という意味では全然分断していない。
彼らは発表の機会が云々とかいっているのだろうけど、そういうカフェや飲みやで話したりドンチャンしたことが作品?Pixivではポートフォリオとして使っている人もいるけど、ポートフォリオは静的で、彼らいっているところの機械的につくりつづけられるネットの有り様ではない。
加えてもしここでいうところのアートを近代的な(ファイン・アートの伝統の延長線上にある)アートではなく、語源としてのアート、技術や創造そのものとしたら、ギャラリーとネットにある作品をわけることは始めからありえないんじゃないの????
これはどうしたいんだ??
■アーキテクチャ?
カオスラウンジ宣言に出てくるアーキテクチャという概念を東氏は引っ張っているようだけど、これってなに?
システムと力の話?ということはマルクスの疎外とフーコーの力と、構造主義・ポスト構造主義における社会への眼差しがやってきたことをまぜて焼き直しただけ?
浅田彰が「そんなことはもうやってきた」ってのはそのとおりじゃないの?
なにがしたいの?
最初はお祭り騒ぎなのかーっと自分も参加して面白かったけど、なんだか疑問ばかりになってきた…。
誰か説明してほしい…。モヤモヤ。
今私は、鬱状態で仕事を休んでいる。フリーランスのアーティストとして10年ほど。その半分以上を海外でくらし、今もヨーロッパの片隅にいる。
カオスラウンジというグループ、全く知らなかったが、なるほど、人々の怒りがよく分かる経緯だった。
面白いので、コラにはコラに対抗ということで、代表藤城嘘の作品や彼の写真をphotoshopで10分ほどやっつけでコラした絵をPixivに投稿。説明なしのアカウント削除→IPアドレス指定拒否→串刺しIPでの再UP→瞬殺アカウント死亡 などを繰り返して遊んだ。
http://www.rupan.net/uploader/download/1311933348.jpg
で、私の意見。
これ、日本の芸術にたいするマーケットのあり方や、芸大における教育とか、そういうことが根本にある。
まずマーケット。
これは日本だけでないけど、マーケットって、ようはお商売の世界。売れればいいの。芸術家も、批評家も、生活あるから、お金にしなくちゃいけない。
で、やっぱり、売れたものはみんな金魚のふんみたいについていくの。それは仕方ないこと、どこでも。
そのために役にたつのが権威(power)。カオスラウンジは村上隆と美術手帖がそのicon。
私は両方とも死ねと思っている。(殺害予告ではありません… 念のため) 正直。
村上隆は売れた。それはいい。オメデト。尊敬。でももともとサブ・カルなのに、権威的にふるまう?どうして?
本流に対してのalternativeなありかたとして出した、その経験の意味は?
美術手帖。いつも売れ線をおっかけ。責任おわない。コンテクストが脆弱(消極的な取材が透けて見える)。しょうがないけど。お商売だし。でももうちょっと、光を見せてよ、せっかく日本のマーケットで権威もっちゃったんだから。
僕は90年代に青春をすごしたから、今の日本の若い人とちょっと感覚ずれてるかもわからないけど、その時の感覚からすれば、分かる。
日本の人って、権威に弱い。テレビとか、どっかの大学の先生とか、批評家とか、マーケットとか、あとは身近な友人や家族なんかの意見にも。
もちろんどこでもそうだけど、日本はちょっと過剰だなーっておもう。
今自分が見てるもの、聴いているもの、食べているもの、感じているものを、どうやって、「いい」か「悪いか」判断できるだろう?
日本の人は、まず周りをみる。周りの様子にノル人、ソル人…
僕が暮らしいるところの人たちは、まず自分のフィーリングを聴く。で、それから周りの人も見る。それから、どうするかと考える。
yap, subjectは結局おなじなんだけど、順番が違うんだよね。僕がくらしている人たちは、まず自分の意見が先にくるんだよ。
例えば、スーパーマーケットにいって、入り口に物ごいがいる。ああ、かわいそうだなって思ったら、こっちの人はお金渡す。
日本の人は、まず、お金わたす自分の姿が周りからみてカッコワルイ、アタマヲカシイ?、ってかんがえて、無視する。
全員がそうでないけど、そういう傾向が、ある。
この順番が、カオスラウンジの人たちの行動にもよく見える。
http://d.hatena.ne.jp/lie_fujishiro/20110625
端的にいうと、ダサい。カッコワルイ。
同じ芸術家として、引用とかサンプリングについての立場はちょっと分かるよ。ちょっと。
でもさ、想像力って彼らは持っているんだろうか?
例えば満員電車の中で私が突然うんこしたら、みんな嫌がるだろーなーって、なんか創造できる、だから私はうんこしない。
やべぇ、うんこもれそう、もうしぬぅーーーーってなっても、みんな嫌がるだろーなーっておもうから、我慢して、次の駅までまって、でダッシュ。
ま、動機はカッコワルくなりたいってのもあるだろうけど、まぁおんなじように。
で、カオスラウンジの人たちは「ウンコしたい」で、すぐウンコしちゃってる。ブリブリ。
ネットのオタク文化いけてる、売れそう、俺好きやし、カッコええやん、よっしゃ、これで俺の作品つくったろ。
一方的。想像してない。それで誰が傷付くか。
みんな同じようなネタをずーっと話してたり、コラしてたり…。純粋だなーって思うのと、あと普通だなーって思う。
世の中の多くの人たちが、文化については保守的。日本をみたら、なんで演歌や歌謡曲が未だに紅白で重要な立ち位置を持っているかということ。
そういう人たち(=普通の人たち)の気持ちに思いを巡らすのが、やっぱり普通の人であるところの、普通の芸術家でないの?
少なくとも、私は自分自身芸術家としてそういうスタンスを譲らない。
あるいは、もし自覚的にそうした『普通』に対する反抗であるなら、最後までヤリきらないと。
炎上したから?ビジネス・パートナーが予定していた商品をキャンセルしたから?周りのエラい批評家にお説教されたから?
本当に反抗したいなら、まず梅沢ナントカという友達の作品を正当化して、ウルセェ、テメエラなんもわかっちゃいねぇんだよっていって、もっともっと同じ手法で作品を創らなくちゃ。で、その路線で別のパートナーをみつける、そこまでいかないと。
この謝罪、カッコワルイよ。
たぶん村上隆が翻ったのも、この日和見的なところ(態度)で、ア、コイツラ、シロウト。ってみやぶったんだと思う。
で、彼らがここまでやってこれたのが、日本の芸大etc.における芸術教育の影響だろうなぁと。
「売れる」ことを考えすぎ。たぶん、日本におけるfine artの伝統の不在が起因なんだろうけど。
自分が、一人の人間が、今思い、考え、感じていること、そしてそれによって目の前にある作品や起きている事象にたいする疑問を素直に「どうして?なぜ?」と問いかけること。こういう当たり前の姿勢がどうして求められないんだろう?
タマタマ自分がやっていることが売れ線だと。で、エラい批評かなり、curatorなりが、ヨイヨイ、といって、金だして、仕事なりコンタクトわたしたりして、ま、同業者として分かるっちゃ分かるけど、それで、自分がやっていることは全肯定できるのだろうか?
酔いが回ってきたので、またそのうち続きを書こう。
テレビが急成長って言ってると実は成長が鈍化してる ←中国のこと。
Twitterで一切ツイートしたりリツイートしなくてもお気に入りにするだけで相手に伝わる
Onliveでゲームをしてるとその様子を誰にでも見せることが出来るし誰のプレイでも見ることが出来る
K-POPの楽曲や振り付けを提供しているのは日本人 DAISHI DANCE
朝鮮半島南部と日本はイギリスと北アイルランドのように一つの国だったのかもしれない 「韓国南部の前方後円墳は倭人の墓か?」「ハングルと日本語の文法規則の一致」
個人的メモ
韓国人で日本人を嫌ってるのは日本で2chしてるようなネット原住民
自民党 統一教会 韓国の伝統の儒教を置き換えようとしている統一教会?
マヤ暦はアナログ放送が終わった日に終わった けれども新しい暦がもう始まってる
在日韓国人で日本国籍を取得出来る若いひとは日本国籍にする人が多い
1週間位記憶が曖昧になってようやくはっきりすると周りの仲が良かった人間が俺のことを嫌っていた このせいで人間不信になって大学を中退して2年以上引きこもってる やっと分かった 押さえ込んでいた自分の中の暴力性を最近見ている 自分では全くコントロール出来ない 閉じこもってる部屋の外で物音がするだけで「俺を殺そうとしてるのか?そうなのか?なんでぼくのこときらいなの なんで なんで なんでぼくのこと嫌いなの なんでなんでなんでなんで」
白目をむき出しにして相手の首に噛み付く 血が出る位歯を立てる 精神病院に無理やり入れられて両手両足をベッドに固定されて 殺される クスリを鎮静剤 殺される 殺される 叫ぶ 家の前を通りかかった 殺す 殺す なんでなんでおとおさんとおかあさんはぼくをおいていくの なにもしてないのに なんで ずっとくるまのなかにおいていくのなんで ころされる ネットに充満する狂気 キチガイ ガチキチ マジキチ 変態 狂気 狂気 月に住む
人より判断するのが遅い 学校で色々な調査を書くときにいつも一番遅い 真面目?違う 障害者?
キリスト教の次のスピリチュアル 幸福の科学 スピリチュアル 人間の体 炭素からケイ素
現金は価値が無くなる アメリカではそうなってる マクドナルドくらいにしか現金は使えない 「クレジット」 $の価値は下がり続けて無くなる 地域通貨 クレジット
ごめんなさい許してください
おもしろく読んだ。
一応フォローもしておくと、コンクール至上主義の人&団体もぜんぜん少なくないし、
そういうとこは下手なスポ根物よりも暑苦しいのは確か。
甲子園出場に命をかける球児がいるように、全国大会出場に命をかける奏者もいる。実力はおいといて(笑)
自分は手のケガで数日休んだら、同じパートの子に「たるんでるからだ」と説教されたことがあるよ(笑)
あ、自分は中高で吹奏楽のクラやってました。大学ではたまにオケでトラしてました。
じゃあオケ部は閉鎖的じゃないのか?合唱部は?サッカー部は?剣道部は?バスケ部は?
経験者や優秀者がでかい顔をするのも、伝統だからと妙なしきたりを固持するのも、