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はてなキーワード: 人知とは

2013-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20130616212726

クリスチャンだけど。


「神なんていない」を受容する気は無いけど、

「恨まれるためにいるのかもな」は比較的受容できる。

何故って?

その恨んでる瞬間、その人は孤独ではないだろう?

孤独と疲労は最も精神を病んでしまうもんだ。




人知家族を傷つけるくらいならば、君のように「いない」と思いながら「(本人にとって)いないはずの仮想相手」を恨んだ方が、

現実的に害は少ないと思ってさえいる。

この世だけがすべての人にとって、隣人を傷つけるよりは、そうしない方がずっといいだろうさ。

それは宗教が違うってことであって、例えばこのような話題で怒りを起こすようなクリスチャン沸点が低すぎると思ってくれね

まあ沸点が高すぎて仏教徒菩薩と呼ばれたことはあるんだけど、「これだから○○教徒は」とか言い合ってるのを見ると

個体差を忘れてるなといつも思う。脱線スマヌ!

2013-06-11

「家に帰ったら、とりあえずテレビつける」人の気持ち

以前からずっと「家に帰ったらまずパソコンつける」のが習慣だった。ネット全盛のころ俺は高校生で、そのころからネットにずっぱまりで、同時に全然テレビ見なくなった。テレビが嫌いになったってより、単にそれより面白いものを見つけたから、って感じ。

あれから十年来。就職して、仕事とかプライベートでもいろいろしんどくて、今までやってた趣味とかも面白く感じられなくなって、今いろいろつらい時期なんだが、今日、家に帰ったら無意識テレビつけてた。パソコンじゃなく。そしたら、なんとなく「家に帰ったら、とりあえずテレビつける」人の気持ちもわかったような気がした。

テレビって、とりあえずそこに「世間」を見せてくれる感じがある(本当の「世間」かどうかはともかく)。「何となく正しい感じの情報」を見せてくれる感じがある。今じゃネットの中の情報も、発信した後からからどんどんツッコミが入れられて、どんどん意見も論点も散逸していくし、どんどんギスギスしていくし、「専門家」や詳しい人ほど、どんどん主張が精鋭化して読むのが嫌になってくる。あるいはツイッターのどうでもいいつぶやきとか自意識過剰ネタツイートとか、Facebook のほんとどうでもいい友人知人の情報とか。それに比べたら、テレビの「何となく正しい感じの世間」を、それも受け身でぼやーと受けている方がラクだし心地良い。

どうしてテレビネットに駆逐されるのか | More Access! More Fun!

http://www.landerblue.co.jp/blog/?p=2091

テレビは、与えられるだけ・・・・・・受動メディア

ネットは、自分で見たい物を探せる・・能動メディア

って上のブログエントリーにあるけど、その「能動」もさいきん大変になりすぎてないか、嫌にならないか、って話です(関係ない話だけど Google リーダーも終わるし)。

から上のブログエントリーにあるような「テレビをガシガシ見ている」「パソコンが使えない人」と、パソコン(というかネット)が使える人との差は絶対に埋まらないんだろうなあ、と思う。そのことの弊害とかは返信の人たちに任せます。じゃーねー。

2013-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20130602105129

可愛くない女がレディーファーストを要求した例ってあるの?

少なくとも自分はそんな人知らないな。具体的なソースあるなら提示してよ。

2013-06-01

ワタミ社員、元社員の方に向けて

link:「ブラック企業」と呼ばれることについて - わたなべ美樹(ワタミグループ創業者)公式サイト

http://www.watanabemiki.net/journal/post-475.html

 

仮にこれらの数字が本当だとしても、それは叩かれるようになって必死改善(隠蔽?)した結果だろ?

それをさも最初からブラック企業と呼ばれる云われはありません。」というような語り口で語るコイツ厚顔無恥さに心底反吐が出る。

 

コイツ経営者として偉そうな口を挟んでくる限り、ワタミなんか絶対使わない。

ブラック企業汚名を本気で返上したいんだったら、方法は簡単だ。

お前がワタミをやめろ。

 

最近ブラック企業新参したユニクロ会長は、一度ユニクロ経営の第一線を退いている。

まあすぐ戻ってきたんだけど。

その点この人は会社客観的に見ているし、私利私欲ではなく純粋会社社会の事を思ってやってる感じがする。

悪気はないブラックというか。

しかワタミユニクロとは違う。ゲロ以下の匂いがプンプンする。

 

普通に考えて、これだけ叩かれてたらもう会う人会う人「ブラック経営者だ。」って思ってるわけでしょ。

それを恥ずかしげもなくこれだけメディア露出して、夢とか愛とか言っちゃう。。。

果ては、「そもそもブラック企業と言われる筋合いはない。」と。。。

 

スマン、長くなったが、ここからが本題で、言いたいのは

ブラック企業駆逐したいんだけど、それには外野でやいのやいの言ってる俺らじゃダメだ。

中にいるワタミ社員(もしくは近年退職した方)、君の力が必要だ。I WANT YOU!!」

ってこと。

 

まず君に言っておく。

この会社おかしい。

君は全然おかしくない。

怖がることはない、この社会はある程度おかしものおかしいと言える社会になってきつつある。

言えるのに言えない。

「でも、、、」って自分を納得させる言い訳を用意して、おかしいと思ってきた数々を封印してしまってはないか

情報遮断されてないか長時間労働で思考は低下してないか?変な誓約書を書かされてないか?売上さがったとかや些細なミスなど、弱みにつけこまれてないか?(本当は弱みでもなんでもないんだが。)、洗脳されてないか

もしくは少し昔までこういう状況だったんじゃないか

 

ワタミに将来はない。

売上のことは知らん。ただこの人がトップに居る限り、社会的信用はこれからもずっと地を這うことになるだろう。

君がその汚名を背負い続ける必要はない。

 

告発しよう。

彼の言うペテンで状況は変わらない。死んだ人は帰ってこない。心を壊して辞めていった人も報われない。

君の力だけが、この会社を、関わる人々を救える。

応援する。

君が考えているよりも、ずっと多くの人が応援してくれるはず。

 

なぜこんなことを言うのか?

コイツ自民党から擁立されたニュースを見て寒気がした。

このままではマズイ。

できることは少ないが、できることしなければと思ってエントリーを書いた。

 

【追記】-------------------------------

政治家を目指す人を身近に一人知っているが、とても誠実で、心底社会を良い方向に変えてやろうと思っている尊敬できる人だ。

(ちなみに今年の参議院選では維新の会から出馬する)

彼がいて、人生で初めて真剣政治を考えるようになった。

やはり政治家の力は強大だ。

国民代弁者となる人だからこそ、もっと真剣に考えないと。

あの会長に代弁させて本当にいいのか?って。

2013-05-27

リベラルな知人がミソジニーをこじらせているのを見たら、非モテ界隈を思い出した

俺も30代前半であり、ミソジニーをこじらせた経験がある。ミソジニーっていったって、単なる女性恐怖症なのだが、これはミソジニーなのだが、それはおいておくとして、同年代の男も、またミソジニーをこじらせた。その話を効きながら、俺は本田透の『電波男から7年くらい経つんだな、ということを考えていた。本田透も、ギャグとして「非モテ」といっていたのが、段々と30代が近くなってから、病的な印象を与えるようになって、あの本を書いた、みたいな話をきいた。

女性か、あるいはこじらせていない男子は覚えておくといいのは、30代になってから、急に「非モテをこじらせて暴れる」ということが往々にしてある、ということだ(ちなみに、これを書いた当初は「翁媼」と誤記してしまっていた)。

今となっては殆ど信じられないが、『電波男』に影響されたのかどうかわからないが、はてな非モテの議論が熱心にかわされていたことがある。非モテ一言で語ることは難しいが、単純に「モテないという"自意識"を抱えている男」くらいのまとめ方でいいと思う。彼らが定形化した「※ただしイケメンに限る」という言葉は、彼らの"実体"とは余りにもかけ離れているように思われた。自分もちょくちょくとオフ会などで顔を出していたが、半分くらいは、少なくともフェミニズムもどきの話を出来るくらいには、インテリだった。実際に、男性学がどうのこうの、という話をしていた。

その後彼らの人生を見てたら、技術者として大成し、一人の「デベロッパー」として注目を浴びるようになった。また、海外で働くのを選ぶものや、あるいは大企業に勤めたり、あるいは定期的に同人雑誌を出したり、単著を出していた。そういえば革非同ってどうなったっけ?まあいいや。とにかく、そいつらは、殆ど非モテの話をしなくなった。なぜなら、それはもはや「センセーショナル」ではなくなったからだし、彼らは非モテを語ることよりもやるべきことが見つかっただけだ。

それは宇野(当時の仮想敵)か宮台か知らないが、当時に言っていた「小さな成熟」なのかもしれない。ある程度、彼らは自分の「自意識」に折り合いを付けて、卒業した。他人がどうあの空間を気持ち悪いと思っていたとはいえ(あとから、そう話をちらほら聞いた)し、実害を出していた。乱暴にまとめるが、結婚に付いて語るだけでフルボッコにされた。しかしあの頃を考えるに、それはイニシエーションだったのかもしれないな、と思う。要するに、自分自意識とどう折り合いをつけるのか、あるいは、そういう話を通じて、自分が「モテない」という、主観的な意識を相対化していったように思う。

最近になって、比較的「リベラル」だと思われる男子が、30代を超えて「恋愛について全てを諦める」といい始めた。これが魔法使い意識なのかとは思ったが、それはいい。彼は社会学教育を受け、そしううて大学院に入り、ポスドクになったわけだが、急にそういう風にいい始めた。非モテネタだし、リア充爆発しろ、というのは若人にとってはネタではあるが、だんだんと周囲が結婚し、子供を生むにつれて、「それをやっていない自分と言うのは、世間から見て劣っているのではないか」と思い始めた。社会学を専門にしている人でもそういうことを思うのか、へぇ、とは思ったが、学問的な含蓄と実践というのが結びつかないのは往々にしてあるのは知っている。それは、鈴木謙介クズさだし、東浩紀が単なる「哲学に詳しい中小企業おっさん」になってしまったのと一緒だ。それも「小さな成熟」かもしれないが、それはよくわからない。

それはともかくとして、既に若者には「非モテ」より、ただ「2ちゃんねるまとめ」の気の利いた話を聞いたりしているが、彼らからは「自分モテないという自意識をこじらせることについて」みたいな話をしているのか、というのは気になるところだと思う。だんだん論客が減って、そこにこだわっているのはシロクマ先生みたいなものだが、宇野の「サークルクラッシュ研究」と似たようなもので、もう「脱非モテ」みたいなもので、それを語ることはない。まあ、東にしろ宇野しろ、単純に言ってしまえば「非モテなんて自意識をこじらせたやつは気持ち悪い」と心の底では思っているだろうから、そんな彼らの悩みなんて触れたくもないだろう。

はてな村が大好きな有村悠は未だに「童貞」をダシにしているが、あれも単純に童貞を捨てたら自分価値が無くなるからアイデンティティを必至に守っているだけでしかない。彼もまた「女性エロ漫画なんて書くわけがない!」というのを定期的につぶやいて、ミソジニーをこじらせているっぽいが、もはやあれも芸であって、「自分欠点を認めたくないが故に、自分欠点を認めたフリをする」といったものなんだと思う。とはいえ、男性ホモソーシャル(ようするに男性中心で回っている共同体)なんつーのは、ただそいつが「童貞」だからという理由だけで同情して仕事を与えたりする。

ただ思うのは、そういう話題が出来なくなって、結果として「俺がモテない」という自意識について、半年くらい考える機会というのは、自分恋愛経験を相対化して、消化して、自分がどうするべきか、について方向性を与える機会というのはあったと思う。チャーチル名言(これも怪しいものだが)としてよく挙げられている「20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない」という言葉があるが、結局のところ、非モテを続けている人間は、芸風だけになってしまった印象だ。あれだ、童貞.comの人(勝手検索してくれ)が、なんかロフトプラスワンイベントをやるたびに女性を食いまくるために、童貞をダシにしていたのと似ている。あとえがちゃんか。えがちゃんという名前を聞くたびに吐き気がする人間は数人知ってるが、彼は上手く企業して、ぼちぼちと受託をこなしているそうで、彼は彼でまた「あがり」になった。

食堂で飯を食っていたところ、慶應大学生らしき学生二人組が隣に座って「俺たち非リアだもんなwwwwあーゼミの発表とか忙しいなー、○○ちゃんノートうつさせてくれねーかな」みたいな感じだ。もしかしたら、そっちのほうが健全なのかもしれない。だって「俺はモテる」というよりは、「俺がモテない」というほうが話題が進むからだ。(前者はただの嫌な奴だが、後者は「なんでーそんなことないのにー」みたいなキャバクラトークになる)

しかしたら、今の「中途半端に真面目な人間」というか、「真面目系クズ」と呼ばれるような男子は、Facebookか、あるいはTwitterで、5年前と同じことを繰り返しているのかもしれない。これは観測範囲という問題なのだが、あんまりそういう話題をてんで見かけなくなったように思う。最近流行りはどうやら「意識の高い学生を叩くこと」だが、そこには怨みたいなことはなく、おっさん説教みたいなことが繰り返されている。俺がよくわからんのは、今のそういう「自意識をこじらせた男子」というのは、何処で話題を深めているのだろうか。それとも、結局これはインテリの遊び事であって、インテリの遊びが、そういう哲学ごっこではなくて、むしろ「売れている作品のマーケティング戦略分析してわっしょいする」(これをインテリ界隈では「批評」と呼ぶと聞いた。濱野智史新書はそういう本だって聞いた)ということのほうが楽しいのかも知れない。そりゃそうだ。誰にも頼まれないのに悩むなんてバカがやることだ。

しかし、この手の「リベラル男子」が自分ミソジニーみたいなものをこじらせたとき、今は何処に行くんだろう?ゲンロンカフェか?まあいいや。こういうことを書きたくなったというだけで、おっさんであり、老害だ。「俺と結婚しろ」と書いて「まってました!」みたいな承認を貰ったほうが、インターネットは楽しくなったというだけだ。むしろそっちのほうが健全なのかもしれない。そういうのを気にするのは、「みうらじゅんは嘘つきだ」という今更の話をただずるずると引きずっているだけなんだろう。

蛇足だが、上の文章を読んで「モテなさそう……」と思ったら、貴方が正しい。

2013-05-22

そりゃ店主が悪いよ

基本的に。

ただ店主が謝罪してもなお取り巻きが抗議電話かけまくって営業妨害が続いてるのは

罪に対して罰が過大だと思う。

から乙武氏もいかがなものかって話になる。

これは「社会的制裁」の問題だと思うんだけど。

一番近いと思うのは「ドブスを守る会」事件かなあ。

あれも確かに差別的言動それ自体は責められるべきだったけど、

退学&名前晒しで生涯にわたって不利益を受ける(就職結婚等)というのは

過大な罰だったんじゃないのと思う。

社会的制裁法律的なそれと違って、人知コントロールすることができないから怖い。

2013-05-18

惡の華についての戯言

 アニメ原作絵と違って気持ち悪いと評判の惡の華1話を見て興味を持ち、ネットであらすじを探って、原作本を全巻購入し、幾度と無く読み返してもまだ飽き足らない。子どもじみた中学生らしい登場人物が、思春期特有の心理状況を抱えながら、自己を萌芽させ、徐々に顔つきも大人びてくる。当初はギャグテイストの悩みや災難も、次第に力を帯び、心をえぐり、魂をすりつぶすほどの痛みになる。登場人物は傷つきながらも正気を失わず自分の心が発するの声にしっかりと耳を傾け、美しくも悲しい物語を紡いでいく。マンガアニメの主要な購買層が求めている作品ではない。思春期で思い悩む少年少女とってのバイブル恋愛社会との関わりの中でひどく傷を負い、いまも人知れぬ痛みを抱える人々にとっては、癒し物語となるだろう。

高校生編はまだ途上なので評価は避けたい。蛇足にならないよう願いたい。常盤さんと付き合うことになったが、仲村さんが登場するならば春日には破滅しかない。常盤さんという人物が、高校生となりある程度社会性を身につけた仲村さんとしての役割を担うならば、仲村さんは永遠に登場してこないだろう。

 中学生編は、3巻の峠を境に前半と後半に分かれる。前半は主人公が、あこがれの娘の体操着という、無意識の海に落とし込んだ財宝とも言うべきものを盗むことから始まる。思春期は幼い子供だった時代と別れ、自我覚醒する時期。親や学校、友人らと同一の存在であり、他とは異なる自分というものがなかった幼い自分に別れを告げる時期。未知の財宝を奪うという行為は、通常の意識よりも深いレベル無意識から発せられる。さらに、住み慣れた世界から自己を引きはがす未知のモンスターが登場。深淵からの使者、仲村佐和秘密を握られ、否応なしに「自己覚醒」へと突き動かされる。すべての出来事は現実と同じく、良い結果と悪い結果の両方をもたらす。そして自己表現とは属する社会道徳とは相反するものになる。すべての結末は死、解体別離。カミソリの刃先のような危険で細い一本道を命がけで渡る春日の姿は、一種の英雄譚のようだ。

自己表現すなわち仲村の呼ぶ「変態」が本作のテーマか。分かりもしないボードレールをこれみよがしに見せつけて俺は他の奴らとは違うんだと悦に入る気持ち悪いネクラうじうじ男、春日。彼が未知から召喚に応じ、キリスト受難のような試練を受ける。思わずあこがれの佐伯体操着を盗み、思わず嫌われ者仲村をかばい、思わず佐伯デートに誘って思わず告白する。仲村に本当の自分を黒板に書けと言われ、一度は断るものの、仲村が溜め込んできた周りの世界への鬱憤を知り、さよならを告げる仲村を思わず引き止める。自身のカミングアウトだけでなく、芸術作品のように自分存在の全て教室にぶちまけて仲村の言う「クソムシの海」を創り上げる。完全なる自己覚醒は住み慣れた世界との別れ。仲村とともに「向こう側」を目指すも、愛すべき社会体現した佐伯が立ちはだかる。唾棄すべきもの社会から忌み嫌われるものだったはずの「ありのまま自分」が佐伯から受け入れられ涙を流す。だが、一人で「向こう側」に向かおうとする仲村を思わず引き止める。引き止めたことに驚いたのは春日自身。言葉が出てこない。行くか戻るか2人から選択を迫られ引き裂かれる春日普通に佐伯と「付き合う」ことができず、仲村の求める「変態」にもなれない、自分空っぽであまりにも無力な存在であることを思い知らされる。

後半も「変態行為自己表現だが、その行為には一切の欲望や情念は込められていない。愛の表現のものだ。愛は自己表現であり、社会価値観とは反するもの。峠の心理状態のまま時間が止まり、仲村にも佐伯にも歩み寄れない春日。3者は峠の出来事で自分存在をズタズタに引き裂かれている。社会性の権化だった佐伯親友木下に付き添われることで辛うじて社会生活を送り続ける。春日と仲村は以前にもまして社会とは関係を持てない。木下佐伯春日関係修復を試みる。互いに相手から好きだと言われたいとの思いはあるものの、これ以上傷つきたくないというのが本音だ。もう引き裂かれる痛みに耐えられない。双方とも無表情を装い、相手を拒絶する言葉を放つ。佐伯と別れ、残るは干からびて死んでいくだけの日々。夢のなかで、それまで気づいていなかった仲村へのいとおしさに気づく。仲村への気持ち以外の他の全ては意味のない空虚存在自分の「向こう側」は仲村の中にある。仲村を笑わせるためならば、社会自分自身さえも捨ててしまおう。愛の巣そのもの秘密基地を作り、佐伯を除くクラス女子全員のパンツを盗む。変態行為は仲村への愛のメッセージであるとともに、佐伯には決別のメッセージ佐伯への決別の決意を知った仲村はようやく春日の思いを受け入れ、世界で2人にしかからない特別な関係、すなわち「契約」を結ぶ。

 一方、決別のメッセージを受け取った佐伯は、自分の抑えこんできた欲望、自分のものの萌芽を迎える。社会性の象徴である木下を伴いながら、春日と仲村が創りだす2人だけの世界を探求する。それは木下にとってはただ変態犯罪者の異様な空間。だが、佐伯にとって、自分には絶対にたどり着けなかった世界嫉妬と羨望と欲望の対象、世界の求める姿を演じることなく自分の好きなことを自分の思いで自ら創造する世界彼女の求めたすべてがあった。悪行を社会に知らしめることは、春日と仲村の2人だけの絆をさらに深いものにしてしまうだけ。木下と決別し、麦わら帽子と共に自らの演じてきた仮面を脱ぎ捨てる。春日が仲村のために創り上げた世界を燃やし尽くし、春日セックスで取り込むことで仲村から奪い、自分のものにするという欲望をさらけだすも、春日に拒絶され、仲村との対決にも敗北する。

 仲村は勝利したものの深い傷を負う。後半の仲村は未知のモンスターではない。攻撃的な性質は持ち続けているものの、春日を受け入れるまでは、いばらに閉ざされた眠りの森の美女。春日を受け入れてからは愛の対象者として存在する。変態行為を求めることはない。ただ自分を喜ばせるためだけに、他のすべてを捨てて一生懸命になってくれる男の子春日存在を嬉しく思う一人の女の子だ。2人の間に割り込んできた佐伯存在により、自分春日関係は誰からも祝福されないもの自分存在は周りを不幸にするだけのものだと思い知らされる。行き着く先は死か破滅しかない。だけど私は死にたくない。

 春日の隠し事が徐々に露見し外出禁止となる。春日を閉じ込める家は地母神の胎内そのもの放火懺悔を決意した佐伯春日の元を訪れ、2人で罪を告白し元の世界で生きる道を提示する。佐伯に心を引かれそうになるが、仲村を信じ想い続け、佐伯を拒絶する春日。行き着く先は破滅のみだと分かりつつも。佐伯自白とともに、佐伯の分身とも言える木下の手で、すべての出来事が世界に露見される。誰一人幸せにできなかった。何一つできなかった春日。閉じ込められた檻を力づくで破壊し、閉塞した社会の胎内から春日を引きずり出したのは仲村だった。社会から拒絶されるならば、社会のものを拒絶し、春日を殺し、自ら死ぬ覚悟をしていた。仲村にとって、自分の知らない自分を引き出してくれたのはいつでも春日自己表現の爆発だった。春日がかぶっている皮を一枚一枚はがす度に、仲村は自分自身を発見していた。運命夏祭り明日。すべてが終わるのは明日。もう時間がない。向こう側を、自分自身を見つけなければ。全裸にし、皮膚をめくっても出てこない。バット脳みそを叩き割れば出てくるのか。殺す気だった。だが、できなかった。私は春日くんを失いたくない。刺のある言葉を周囲に発して、無関心無表情を装って、硬い殻で閉じ込めて、ずっと守ってきた本当の自分、見たくなかった裸の自分自身。弱々しくて、壊れそうで、大嫌いな自分世界クソムシじゃない。私がクソムシ。私がいるから、こんなにも世界は生きづらくて苦しい。決して消えることのない自分ありのままの姿をさらけ出した仲村を春日は魂の咆哮とともに抱きしめる。2人は心中することで、周りの世界のすべてを拒絶し、魂の永遠なる結合を図る。夏祭り、2人は世界に向けてありのまま自己、この世に生きた自分という存在のものを叫ぶ。仲村は春日を愛していた。そして愛する春日が、両親や佐伯社会から愛されるべき存在であることも知っていた。世界から拒絶され、孤独深淵で苦しむのは私一人でいい。あなたは生きて。春日を突き飛ばし、一人で死へと突き進む。だが、その仲村自身も世界から愛されるべき存在。死から拒絶され、2人、いや佐伯を含む3人は、桐生市という地母神の胎内から外の世界へ排出される。そこで中学生編は終わり。

主人公春日くんの心理描写はあるものの、仲村や佐伯についてはどのような心理状態でいるのかあまり描写がない。だが、2人とも自分しかからない悩みを抱え、自分の信念に基づいて行動している。物語の都合や作者の都合で動かされる人物ではなく、自らの意志で動く生きた人間だ。春日自分の心の奥底に秘めた何かを求めてしまった2人の少女が作者の意図範疇を超えて動きまわる。自らの意思で動く登場人物が自然と創り上げてしまった物語惡の華中学生編ではないか。仲村が、佐伯がどんな気持ちを抱えてその場にいたのか、想像を膨らませながら読むと深い、深すぎる物語。まるで恋人の心を探るような、自分を拒絶した異性の心を探るような、そんな作業にも感じられる。

面白いおもしろすぎる物語エンターテイメントではない。現実の人々は、自分自身との関わり、愛すべき存在との関わり、社会との関わりの中で、必ず傷つき、苦しむ。この物語は生きる糧となる物語。魂に必要食べ物。癒えることのない痛みを和らげる物語。閉じ込めて見ないようにしていた心の古傷を思い出させ、生きる歓びに涙を流させる物語世界は悪意と欲望で満たされている。常に腐敗し悪臭を放ち続けている。自分自身も、かつては不滅の存在に思えていた社会のものも、実は有限で不完全な存在に過ぎない。すべての欲望、情念、怒り、迷妄を捨て去った後、哀れみの心が生まれる。法隆寺、玉虫厨子の捨身飼虎の図で描かれるように、愛する人のため、社会のため、神に捧げる供物のように我が身を捧げることで、初めて完全無欠、永遠存在を感じることができる。世界の中心はここにある。永遠は今この瞬間にある。神は常にあなたとともにある。

2013-05-17

未婚や子供のいない女性人生設計を甘く見過ぎているのか

30代半ばで既婚、子供のいない女性です。

自分をはさんで上下10才、20代半ば〜40代半ばの友人知人親戚の女性子供のいない人が多いです。

狭い観測範囲の話で申し訳ないけれど、数少ない子供のいる人は

旦那の稼ぎがいい

お金持ちの親が近所に住んでいていつでも頼れる

出来ちゃった婚だった

ほとんどがこのどれかです。

うちはどれでもありません。

今は私が正社員で働いているのでなんとかやっていけていますが、

妊娠したらたぶん今の仕事は辞めざるをえないか

運良く会社に残れたとしても給料はかなり減るので、子供ができたら家計破綻します。

頑張ったけど、笑って産休育休に送り出してくれるような会社には入れませんでした。

そもそも、人生って設計したとおりになるんですか?

まわりの子供のいない女性で、人生設計が甘かったからだと思えるような人は誰もいません。

友人たちはみんな、就職氷河期と言われる中で必死に頑張っていました。

仕事楽しいから結婚妊娠出産が遅れたなんていうのは、ほんの一握りのエリート女性の話でしょう。

ほとんどの凡庸な女性は、少ない給料のために一生懸命働いていて、生きていくことで精一杯です。

余裕がないか結婚妊娠出産もなかなかできない。

ただそれだけです。

可能なら子供が欲しいと思っている女性はいっぱいいます

子供が欲しければ早く産んだ方がいいなんて、みんなわかってます

少子化の原因をぐうたら女のワガママのせいにするのは楽でしょうが、それで根本的な解決になるんですか?

2013-05-14

不妊治療という博打

そもそも不妊治療は、現状の医療技術ではどうしても『博打である。『治療』という言葉のチョイスが誤解を生みがちであるが、そもそも医学は万能ではないし、不妊治療先端技術なので尚のことそうである

そもそも妊娠という現象は、自然妊娠であってもその確率は一割程度である

私達自身は結局のところ親の子だし、友人知恋人も全て親の子なので、妊娠出産をまるで当たり前のことのように(心の底では)考えてしまう。

  • 1回目で成功することもあれば、何十回と臨んでも治療が失敗することもある

不妊治療にはお金がかかる。継続して取り組むと尚のことかかる。また肉体的・精神的苦痛も大きい。様々な不安もある。すると「こんなにお金をかけたのだから後には退けない」「こんなに頑張ったのだから次は大丈夫」「ここで諦めたら今までの努力無駄になる」と考えるに至り、尚のこと治療中断できなくなる。

  • "やめどき"がない

そうした患者を金づるにする医師も皆無ではない。

またそうでなかったとしても、患者に「どうしても続けたい」と言われると、医師としては治療を続けざるをえない。また治療医師が断ったとしても、そうした患者治療を受け入れてくれる病院を探して転々とするという例もある。

  • ずるずると追い詰められていく

そうして、運よく子供を授かるか、さもなくば資金か精神的な余裕のどちらかが尽きるまで、『治療』は続く。



たぶん『中断』という言葉が、悪い印象を与えているんだと思う。

子供が授からないことと、そのひと個人の価値尊厳努力の有無多少なんかはまるで無関係だ。

それなのに、全てを否定されるような気分になる。

おかしいはなしじゃないか

まあ先日の「クローズアップ現代」の受け売りなんだけどさ。


子供は素晴らしいものだと思う。

少子化対策も大切だ。

子供がいる夫婦幸せです。社会的義務です。女性手帳を配りましょう。人生設計を立てましょう。早期に子作りしましょう(※)。なるほど結構

でもそもそも生殖なんてのは非常にコントロールの難しいことだし、ライフプランなんて立てた通りに進むわけないし、人生アクシデントはつきものだし、就職氷河期だし、結婚相手が見つかるかどうかも大博打だし、子供を育てるにはお金がかかるし、そもそも生殖なんて月並みだけど奇跡の賜物だし。ああめんどくさい。社会にできることは個人の人生に介入することじゃなくてそのサポートをする程度しかないだろう。

子供がいない夫婦は不幸ではない。



※:不妊の原因は加齢だけではないので、若い夫婦が子作りをして子供が授からないということだって当然あり得る。早期に結婚してSEXしろっていう方針はつまり、愛する相手が生殖的に不能だったらとっとこ別れて若いうちに再婚しろってことか?酷い話だ。



http://anond.hatelabo.jp/20130514124434を読んでいて何とも言えない気持ちになったので書いた。

ブッコメの、二人目が授かることをお祈りしてます、なんていう言葉に不誠実さしか感じない。

どうして彼女に誰も「もう十分頑張ってると思うよ」と無責任に言ってやれないのか。

2013-05-13

ふと思ったこと。

金持ちから貧乏に転落したら、友人知人が掌返したように冷たくなったって体験談を時々聞くけど。

それって、別に集り根性とかではなくて、落ちぶれた相手に金の無心なんかされると困るから警戒してるのでは?

逆の立場で考えて、友人が金に困っていると聞いたら、あまり出費のある飲み会なんかには誘いづらいし、

話をしようと呼び出されたら、特にその友人に思う所はなくても、やっぱり警戒する。

「金ないんだけど久しぶりに楽しく話したいから、安い店で飲まないか」とでも言ってもらえたら、多少安心して飲みに行けそうだ。

その場合でも、もし借金を頼まれたらどう答えるかは、考えてから行くと思うが。

2013-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20130506111132

参考にできる女性の先輩はいませんか?

私はおばさん・おばあちゃんになるまで研究者を続けていらっしゃる先生を数人知っています

みんなそれぞれ結婚したりしなかったり、子どもを持ったり持っていなかったりしていますが、人それぞれですよ。

本当は怖いムスカ

実は瓶で頭を殴られるまでは温厚な性格だった。

飛行船ではシータ食べ物をすすめたりしていた。

あれは任務で連れ帰っていただけ。

海賊が攻め入ってきた時にはシータに隠れるよう言ったり紳士だった。

仮に昔は温厚な正確だったとしたら何故あんな超兵器ラピュタに執着してしまった?

実はラピュタ超兵器人知れず葬り去ろうとしてたけど

殴られたせいでその辺の記憶がすっぽり抜け落ちた

実際軍には財宝の事しか伝えてなかった

2013-05-03

承認欲求分散するしかないんじゃないかな…

「好きなことは隠れて書くしかないのかな」

 http://anond.hatelabo.jp/20130503070306

を読んで思うことがあったので、書いてみました。

最初に強調しておきたいのは、「好きなことは隠れて書くしかないのかな」を書かれた増田さん(以下、俺さん)のことを責めるような意図はまったくないということです。わたしは似たような事例で、俺さんとは異なる立場経験したので、その視点からこの文章を書かせていただきます

俺さんがどうしたいのか、俺さんのプライオリティがどこにあるのかが、この文章からだけでは、わたしにはよくわかりませんでした。

もちろん、わかってらっしゃるとは思いますが、「いいたいことをいいたいようにいって、世界全員から好かれる」ということはありえません。

「いいたいことをいう」と「それが批判される」を天秤にかけて、前者に傾くならば、リアル人脈で「エラそうな奴、鼻持ちならない奴」という評価されるリスクを負ってでも、いいたいようにいえばいいのではないでしょうか。(アーティスト本人から私怨を買うというのが実は一番おそろしいのかもしれませんが。)

で、冒頭に申し上げたとおり、異なる立場経験からひとつお話しすると、「お前には、俺が何をいっても受け入れてほしい(肯定してほしい)」といわれるほうは結構しんどいです。逃げ場がないのです。

「率直な意見を聞かせてほしい。読んで偉そうだと感じたら、そう教えて」というのは全然OKです。「この分野においては、俺、一家言あるから、ウザく語り始めたらスルーよろしく!」もOKです。ノープロブレム。(あくまでわたしの場合ですが。)

ただ、「俺がどんなことをいっても、どんなにやりたい放題やっても、俺を賞賛しろ。お前にいってるんだ」というのは、よほど相性の良い仲、相互に覚悟同意のある仲でないと、ちょっときついです。

こちらとしては、「ごめんなさい。わたしはその分野について、あなたの真価がわからない。だから、その分野について語りたい(賞賛されたい)なら、わかってくれるお友達をみつけて。わたし、あなたとそのひとが語り合ってても、嫉妬したりはしないから」と思うのですが、「いいや、お前だ、お前に認めさせたいのだ」といわれるともう、逃げ場ないです。そのとき、わたしは自分人間扱いされていないように感じてしまますYES人形

もちろん、俺さんがそう思っているというわけではありませんが、相手が職場の後輩やご兄弟等、「逃げられない関係だとしたら、一歩間違うとハラスメントになります

俺さんは、有名ブロガー等の有力者になれば実名でいいたい放題いえる、と思っているかもしれませんが(思ってないかもしれませんが)、有力になればなるほど、ハラスメントとして他者を苦しめる危険性は高まってしまうのではないでしょうか。(わかりませんが。)

承認欲求を特定の友人に集中させず、ライト関係の友人知人にふりわける(つまりSNSから離れて…たとえば増田w)というのも、有効な手段だと思います

http://anond.hatelabo.jp/20130502191601

ただの思い出話。

印象が自分の時とおなじ。モラハラと感じる。

いまはモラハラという言葉が浸透しているが、当時はまだなく、そのため周囲の友人知人に説明のしようがなく

社会的には悪くない仕事をしている配偶者にたいして不満を感じることそのものが悪いことだと感じていた。

この手のひとは、自分被害者と思っているので(出来の悪い妻の被害者仕事を手伝ってくれないパートナー被害者

自分にも悪いところがあるかもしれない、相手の話を聞こう、という引っかかりがなく、話し合いにならない。同じ土俵にのれない。

求めていることが高いというより、その時々で求めるものが違う、脈絡がない要求をしてくる。

食器は定期的に買い替えるものだと言われ、突然、フォークスプーンナイフをすべて捨てた。

しかしそんなルールは聞いたことがない。自分が買った食器一式にしたかったのかもしれない。いまだに理由はわからない。

勝手な想定を押し付けてくる。

どうせお前はオレの妹の悪口をいっているんだろう、と突然言われたこともある。

普段まったくかかわり合いのない人に関しては悪口どころか話題の片隅にも登らない。

私が夫の妹の悪口を言っていると、私は出来の悪い妻ということになるから、彼にとって都合が良かったのだと思う。

自分が知っている情報をわざと隠し、私を右往左往させて、もし私が達成したらほめて「あげる」、私が失敗したらそれみたことかと馬鹿にする。

私が自分より劣っていることが彼にとって必要だった。

結婚するまでは友達もうらやむ、自慢の、それまで付き合ったなかで最高の恋人だった。

それが結婚したとたんに配偶者人生の伴侶ではなく、モノのように扱うか、家族カーストの一番下におく。

または家族の外。家族とは自分の両親、兄弟姉妹兄弟姉妹配偶者達。

無意識から指摘のしようもない。そういうのもモラハラの特徴だ、ととある本で読んで腑に落ちた。

私は専業主婦をやめ、アルバイトをはじめたので仕事先で普通の人付き合いがあり、首になることもなく仕事も続けられたため

自分が特別劣っている訳ではないと感じられた。

から正気を保てたが、この記事の人は外とのつながりがなさそうなので心配になった。

あるとき、彼の事業が芳しくない、と言ってきた。原因は彼の両親(創業者)が二重帳簿をつけていたためだった。

将来の家の購入のためにちょっと貯金あるし、気にしないで仕事に専念するように、と言ったりしてた。

ももちろんストレスはあったが本人には伝えないようにしていた。

彼はこのとき3ヶ月間無給だったのでその間は私の稼ぎで生活していたのだが、

ある夜、私がアルバイトをしていることにより夫の事業が傾いた、と言われた(怒鳴られた、家のなかに荷物をぶちまけられた)。

彼曰く、私がバイトを優先して彼のことを支えなかったのが事業が傾く原因だったのだと。

家が汚いと。仕事にやる気がでないと。彼が一人暮らしときより数段きれいだったが。

兄に相談したらすぐに実家に帰るように連絡があり帰った。

その時に「妻にあたるとは夫として一番してはいけないことをした」と離婚するように言われたが、できなかった。

結婚して半年後には別の女性がいたらしい。その女性結婚できないのは私のせいだったらしい。

私の独身時代貯金で買物をしたら、結婚したら妻のものは夫のもの、お前は勝手にオレの金を使ったと言われた。

真顔で言われたので反論しなかったがこういうおかし思考回路モラハラの特徴なんだろうな、と感じた。

離婚の原因は表向きには彼の不貞となっているが、実際はモラハラである

浮気を見つけた時、有利に離婚できる、とほっとしたのも本音。もちろん愛情はあったので辛かったが。

上手な人はこんな人も手のひらで転がすのかもしれない。

でも自分はできなかったし、その能力はいらない。相互に普通の人でよいと思っている。

この投稿記事をきっかけに自分の思い出を綴ってみた。私を知っている人が読んだら誰だか分りそう。

ただし程度の差はあれ、会社にもモラハラはいる。

助かるのはいろんな人が「あの人はおかしい」と共通認識をもってくれること。

2013-04-27

仕事のできないワーキングマザー

最近ワーキングマザーまわりの話やニュースを良く見聞きするけど、

こういうのを見るたび、焦るし、自己嫌悪になる。

インタビューで取り上げられるワーキングマザーはみんな、信じられないくらいすごい人々。

仕事が大好き、育児も手は抜かない、もちろん会社にも迷惑はかけられない、むしろもっと責任ある仕事だってしたい。

そんな高い志で、会社でも家庭でも、自分ミッションにフルコミットしてる感じ。

かっこいいなぁと思う。

でも自分にはなれないと思う。

仕事は大好きだし、時短勤務だからと言ってルーティーンワークばかりにして欲しいとは思っていない。

可能な限り、責任ある困難な仕事にも取り組みたいし、ステップアップもしていきたい。

ワーキングマザーけが大変だとも思わない。むしろ我々はラッキーだと思う。

我々には「育児をしている」という分かりやすレッテルがあるから

早く帰っても、残業できなくても、「まああの人は仕方ない」と思ってもらえる。(諦めもあるだろうけど)

親の介護精神疾患、身体が弱い…そんな状態でも、周囲には言えない・言わないで人知れず苦労している人も数多くいるだろう。

それを思うと、本当に恵まれていると思う。

でも、今こうしてワーキングマザースポットが当たっている世の中で、

「与えられた仕事無難に定時までで仕上げて帰る人」ではなく、

(もちろん実際は与えられた仕事を定時に仕上げる事だけでも十分に大変なのだけど)

「限りある時間の中、仕事でも大いに能力を発揮し、もちろん家庭でも良き母・妻である人」が

ワーキングマザーとしてのあたりまえ・めざすべき姿、みたいになっていくようで、そうなれない自分が恥ずかしい。

産休を取るまでは、連日終電まで仕事休日PCを持ち帰る状態だった。

周りの社員が優秀すぎて自分仕事に自信が持てなかったから、

その分を時間で補うという気持ちがあったと思う。

実際、「○○さんは毎日遅くまで頑張ってるね、無理しすぎないようにね」と声をかけてくれる人も多かった。

でも今はそのやり方が通用しない。

何が何でも時間が来たら帰らなければいけない。

今まで何とか時間を使ってこなしてきた仕事も、今ではもう手に負えない。

時間」というメッキがはがれた自分が、どんどん「仕事のできない人」になっていくのが分かる。

いや、前から仕事はできなかったんだろう。

でも頑張ってごまかしていたつもりだったんだ。

ワーキングマザーだって色々な人がいる。

仕事ができる人と、そうでない人もいる。

今の自分は、まず、自分が「仕事のできないワーキングマザーだってことを、自分で受け入れるところから始めないといけない。

2013-04-18

PCネトゲ環境問題的な話

特にPCネトゲ場合利益を得る方法として、MMOのように長期間遊ばせてペイさせるモデルが散見される。

でもこれだと、プレイヤーが遊ぶ速度とコンテンツの実装ペースの差から、どうしても少ないコンテンツで無理やり遊ばせる形になりがち。

そうなると「育成にとんでもなく時間がかかる」とか、そこに来てプレイ時間を無尽蔵につぎ込める廃人プレイヤー中心の世界になるとか、オフゲではまず起きない問題に直面する。

そこでコンテンツの少なさは半ば諦めるとして、ゲームバランスの調整とかがとても重要になるし、そもそも企画段階で「こういうバランスゲームを目指せるといい」という話が出てくる。


しかしそこで必ず「プレイヤーの質の問題」「プレイヤーの遊び方の問題」として反論する輩がいるのはどういうことだろう。

ハッキリ言ってプレイヤーの遊び方やモラルなんて、ゲームバランス調整や仕様変更で良い方向にも悪い方向にも、いくらでも変わるというか変えられる。

バランス調整の結果、最強厨とか火力厨みたいなプレイヤープレイスタイルを変えたり人知れず引退したりで、結果的にプレイヤー間のモラル勝手に向上してしまうこともよくある。

逆に、長い間まともな仕様修正が入っていないため、廃人効率厨巣窟になり、果てはチートBOT公然の秘密になっているゲームもある。

要するに、どんなプレイヤーが居付くかも含め、全ては作る側が生殺与奪を握っているのであって、プレイヤーの質に原因を求めるのは、作る方の怠慢を見逃すことにしかならないと思うのだ。

本当はそんな客しか呼び込めないお前ら(作る側)が悪いんだろって感じ。

身も蓋もない言い方をすれば、賭場の客選びは胴元の胸先三寸と似たような話か。


人の振る舞いは、その人が置かれた環境によって想像以上に左右されるのだが、意外と気づかないと言われていて、本人の意志とか知識教養とかでほぼ決まると勘違いしている人が多いらしい。

上述の話も、根本にはそういう錯誤があるのだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20130418060247

あなたはすごくいい旦那さんだと思います
奥さんが母親になったのと同じで、あなたも父親になったと考えてみるのはいかがでしょうか?
出産たからと言って、母親になれない人も、父親になれない人もたくさんいて(精神的に)
それでネグレストや、出産直後の無責任離婚が問題になっている。
そう考えると、あなたは至極まともで良い父親であり、素敵な旦那さんだと言えます

今では、グラビアアイドルとかAVのおっぱいとかでもイマイチ興奮しない。
猿みたいに他所おっぱいを求めたり、子供嫉妬するのは、子供よりも自分にかまってほしい男コドモ。
人知人の話では「子供おっぱい取られた」と嫉妬する男性結構いるようです。
この手の旦那さんは「夜泣きで気が狂いそうな時に、痛すぎる夫」として女性からは不評です。

まだ1歳にもなっていないし、奥さんも大変だと思う。
幼稚園に通いだして、子供に手がかからなくなってお互いに男女の意識が戻ってきたら
その時にすればいいんじゃない?義務的に考えると、余計に辛くなっちゃうよ。

2013-04-14

ノーメイク女の生きる道

ネット徘徊していると、メイク関係で荒れている話題をときどき見かけます

その中で「社会人としてメイクは最低限の身だしなみである」という主張が必ず出てくるようです。

一方で「メイクなしでも社会生活は問題なく送れる」という主張はあまり見たことがありません。

そこで、30代ノーメイクである自分人生晒すことで、ノーメイク生き方について考えてみたいと思いました。

問題なくかどうかは分かりませんが、少なくとも生きることは可能であるという実例です。

できることならメイクをせずに生きたいと思う若い女性の方は、参考になれば幸いです。

 

私のメイクしていない度

現在はお風呂上がりにニベアちょっと塗るのと、唇が荒れた時にリップクリームを塗る以外、本当に何もしていません。

化粧水もつけないし、脱毛もしないし、眉も整えていません。ネイル爪切りで切る以外の手入れはしていません。

美容院には2,3ヶ月に1回行きますが、毎日の髪のセットは櫛を通す程度しかしないので、気合入れてカットしてくれる美容師さんには少し申し訳なく思っています

結婚式などに出席する際は、産毛を剃ってファンデーション口紅つけます。余裕があるときにはアイシャドウとチークを追加しますが、時間がない場合は省いています

20代から30過ぎくらいまでの間には、何度かメイクデビューに挑戦しようかと、道具を買ってみたりしたこともありましたが、1か月もしないうちに面倒になって元に戻るのが常でした。

そのときに買った道具が、必要時には今でも活躍します。

 

得られているものと得られていないもの

美しさとは全く無縁の人生を送っております

男性とお付き合いしたことはありません。そもそも恋愛願望が薄く、あまり異性にアプローチをかけたりしたことも無いので、これはメイクのみの問題ではないかもしれません。

当然ながら、結婚出産の予定もありません。

一方で、友人知人には不自由していません。学生時代からの友人とも年に数回会って話をしますし、社会人になってから出来た友人もそれなりに居ます上司や先輩、後輩とも親しくできています

会話がメイクのことになると、私は専ら聞き手に回るほかありませんが、それほど多いことではないので特に不満はありません。

仕事の上でも特に困っていませんが、これは職種による差が大きいのではないかと思います

私は医療介護関係の職に就いており、仕事中は大抵マスクをしています

周囲にメイクせよと言われることは時々ありますが、仕事上ではなく、友人からアドバイスとしてです。それも最近はめっきり減ってきました。

いずれにせよ少数派になることは間違いないので、それを辛いと感じる人は、失うものが大きいかもしれません。

 

ノーメイクに向いていると思われる点

自分の中で、どういう部分がノーメイク人生を送るにあたって重要だったか、考えてみます

まず、家族があまりメイクを重視しない人達でした。なので私もこのように成長したのでしょう。

人見知りせずに誰とでもだいたい同じ調子で話せる性質なので、これが友人知人を作るのには役立っていると思います

恋愛願望のみならず、綺麗になりたいという欲求がないのも大きなポイントかもしれません。多少なりとも綺麗になろうと思ったら、やはりメイクをする以外の方法は思い付きません。整形してもノーメイクでは駄目だろうと思います

それと、上で書いたように、職業の選択はとても重要に感じます

知人でノーメイク人達職業は、医療介護関係の他では、研究職、デザイン関係専業主婦などです。

逆にメイクは嫌いだけれど仕方なくしているという知人は、事務職、派遣社員などをやっています

それ以外ですと、食品関係などはノーメイクでも許容されるのではないでしょうか。

 

まとめ

ノーメイクでそれなりに生きることは、不可能ではありません。

しかし、そのための条件はいくつかあるように思います

その条件を満たす努力よりは、面倒でも我慢してメイクした方が良いという場合もあるでしょう。

メイクする派もノーメイク派も、お互いに迷惑をかけなければ共存できるはずですから、うまく妥協してやっていきましょう。

乱文失礼いたしました。

 

 

追記

ブクマトラバありがとうございます。私にとっても参考になる点が多いです。

 

 >古い化粧品は止めた方が良い

そうですね、いい加減買い替えます

時間で使いきれる少量の口紅などないか検索して、リップパレットというもの存在を知りました。

今度はこれを試してみようかと思います

 

 >日焼け対策

まり日に当たらない、程度でしょうか。

夏場に旅行したりするときは、市販の日焼け止めを塗っています

2013-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20130410095915

はてサの悲しきナルシズムだな。

インテリリベラルで論も立つ賢い自分が、低学歴社会の底辺の愚かなネトウヨレイシストどもを成敗する。

ネトウヨレイシストに染まってしまった愚鈍兄弟や友人知人を救済する。

こういう毎度おなじみのストーリーしか書けない。

後は今回のように本当は良い人だった優しい人だったんだというヒネりをたまに加えるだけ。

兄と弟の性格や強弱関係を入れ替えればそこそこ面白い話になったと思うが、

独特のナルシズムと上から目線で智を授けてやるというプライドからはてサには無理だったのだろうな。

2013-04-08

「ごめんください」

「何や今時分、おお、お前か。まあ上がり」

「どっちの足から上がりましょ」

「お前と掛け合いで落語やる気はない。早よ、上がれ」

「へへへ。ほな失礼します」

「失礼は毎度のことやんけ」

「何です」

「いやいや。ほんで何やねん」

「実はね、ぼく今の仕事辞めよか思てますねん」

「ほおん、なるほど。で、その心は」

別に謎かけやないんですが、まあ、しんどいちうことと、ええ歳していつまでもこんな仕事してたらあかんなあと思いまして」

せやなあ、今年は蟹の水揚げが不調やしな」

「いったい何なんですか、ぼくの職業は。多喜二ですか」

「軽い冗談や」

「まあ、ほんまにそれくらい厳しい労働条件ですけどね。いっそアカになったろか思いますよ」

「ほな、俺、公安ね」

「なんで今からごっこ遊びせなあきませんねん」

「せやから軽い冗談や、言うてるやろ。で、辞めてどうするねん」

コンピュータ関係仕事にでも就こかなあ、と」

「何やて」

「いや、せやからコンピュータ関係

コンピュータて、お前、コンピュータで何ができるねん」

「ほら、ぼく、ワードやエクセル使うの得意ですやん」

「ワード……、エクセル……」

「何ですか」

「お前、キーパンチャーにでもなるつもりか」

「何ですか、そのキーパンチャーて」

「それはやな、君」

「なんでいきなり噺家口調になるんですか」

小学校の頃、あったやろ。こう、水槽に粉入れといてやな」

シーモンキー。滅茶滅茶遠いし」

「とにかく俺が言いたいのはやな、お前ほんまにワードやらエクセルやら云々でコンピュータ関係仕事に就けると思てるんか、ちうこっちゃ」

「ああ、判りました。いつもの口癖ですね。プログラム作れん奴はコンピュータ触るな、とか、ユニックス判らん奴はネットに出てくるな、とか」

「まあ、そういうこっちゃ」

「でも、コンピュータ関係仕事には絶対にプログラムの知識が必要なんですか」

「んー、そういうこともなかろうけどな。まあでも、ソース読めへんSEとか管理者っちうのはちょっとぞっとするわなあ」

「実はね、そうやろうと思ってぼく最近プログラム勉強してますねん」

「ほほう」

「あっ、いきなり薄笑い浮かべてますやん。滅っ茶馬鹿にしてるでしょ」

「いいやあ、別にい。で、何勉強してるねん」

「C言語です」

「くくく」

「あっ。腹立つ、このおっさん

「くくく。まあ、しっかり頑張りたまえよ」

「何か悔しいなあ」

「で、どないして勉強してるねん」

「へへへ。ちゃんと例のやつ買ったんですよ」

「例のやつて何やねん」

「いつも言うてはるやないですか。バイブルやて。R&Bですよ、R&B

R&B

「そうです」

せやなあ、レイ・チャールズはええよなあ」

「何ですか。……あっ、R&Bちゃいます。ええと、ええと」

「K&Rやろが」

「そうそう。そうとも言う」

「そうとしか言わんちうねん」

「とにかくそれで勉強してますねん」

「今どれくらいまで進んでるねん」

「ええとね。摂氏温度と華氏温度の変換のやつです」

「それ、滅茶苦茶初めのほうやんけ」

「これからですよ、これから

大丈夫かいな」

「それに、ぼく、パールは使えますし」

「はあ。パールて、あのパールか、ラリー・ウォールの」

「そんな人知りませんけど、とにかくパールです」

「お前、パール書けたっけ」

「ばりばりですよ。たとえばうちのサイト掲示板ですけど」

「えっ。あれって自作やったんか」

「ちゃいますけど、ちゃあんとタイトル書き換えて使ってますやん」

「……」

「頭抱えてどないしはったんですか」

「お前、コンピュータ関係仕事に就きたいんやったよな」

「そうです」

「お前な、何かをものすごく誤解してるか、世間ものすごく舐めてるかのどっちかやな」

「えへへ。そうかな」

あかんわ。褒められたと思とる」

「C言語覚えたら次はシーインクリメントですわ」

なんやて」

「シーインクリメント」

「それって、Cプラプラのことか」

「そうです。何か変ですか」

「まあ『++』は確かにインクリメント演算子やけどな。普通はCプラプラって言うやろ」

「変ですやん、そっちの方が。大のおとなが『ぷらぷら、ぷらぷら』言うて」

「確かに宮沢章夫もそう書いてたけどな」

「ところで、C++とCは一言で言うて何がちゃうんですか」

「お前なあ、自覚ないやろけど、それはものすごく難しい質問やで。一言で、て」

「けち臭いこと言わんと教えてくださいよ」

「C++はオブジェクト指向やねん。どや一言や」

またまたあ、わざとややこしい言い方して煙に巻こうとしてるでしょ」

「むかむかむか。そしたら言うたるわい。C++ちうのはやな、要はクラス概念を実装したもんで、クラスちうのはインスタンスをうんたらかんたらで、継承オーバーライドがこーたらで、ポリモーフィズムがなんたらで、隠蔽がどーたらで、うらうらー」

「……」

「おらおらー。クラスクラスクラスー」

「……」

「はあっ。はあっ。どうや、参ったか

「うーん。何かよう判りませんわ」

「せやろ。あんまり世間様を舐めたらあかんで」

「なんか難しそうやから、C++やめて次はJavaにしますわ」

ぎゃふん

2013-03-23

つの時代ソフトウェア工学の話だよ

http://d.hatena.ne.jp/nowokay/20130322#1363969460

以下の記述のまとめ:

お前の言っているソフトウェア工学は今のソフトウェア工学じゃねえよ.

端的に言うとそんだけ.

で,本題.

まず,書いてる内容が古すぎて救いがたい.iPS細胞研究ノーベル賞取った現状で,「実験材料に受精卵を使う万能細胞研究なんて許されませんよ!」と主張されても,その何だ,困る,とかそういうの.

1999年、なにがあったかというと、XPエクストリーム・プログラミング入門という本が発行されたのです。リンク先は2版ですが、日本語版でも初版2000年12月になっています

ここからソフトウェア工学ガラガラ崩れた気がしています

で,何?2000年以降ソフトウェア工学が何も進んでないと主張したいの?

特に学術的にソフトウェア工学に触れたことはない

って最初に書いてあんのに,そこから崩れて何も出てきてないって主張はどっから出てきたの?自分が知らないことが分かってるのにドヤ顔提言とか大丈夫か?

しかし、結局統一設計手法は完成せず、UMLけが残りました。実際に使われているのはその一部です。CORBAも普及せず、WebプロトコルにあわせてSOAPが出てきたものの、結局単純なRESTが定着しました。XMLはいまは毛嫌いされています大成功したはずのオブジェクト指向も、Webアプリではうまく適用できませんでした。

から何だ.提案されても使いにくかったり,状況自体が変化したら無用になるに決まってる.まさかソフトウェア工学分野で提案された手法はどれだけ開発環境が変わっても生き延びていなければならない」とかい寝言じみた主張でもしたいのか?言語流行廃りがあるように,手法にも流行廃りはあるに決まってるだろ.

あとSOAPXMLに関しては,その衰退過程自体がよくある話すぎて話にならん.一番最初に厳格な重量級の様式が定められて,それをベース運用レベル考慮した軽量級の様式が定義されて駆動するってのはよくある話.言い換えると,学術から出てきた理論的に正しい手法が,産業界必要なところだけつまみ食いされる形で運用されるとか,サンプルは死ぬほどそこらじゅうに転がってねえか?

ああ,CORBAはまあ,うん,そのなんだ.アレはフォローできない.

実際のところ,UMLが残っただけで十分じゃねえの?最初に提案された時の理念さえブレてなければ,つまみ食いしたモノがはやってても提案者的には本望だろ.

そしてCMMもいま特に話題になることもありません。

今はCMMIだ.CMM2000年CMMI統合されてる.今更XPの本出してくるところといい,真面目に2000年より前で知識止まってんだな.

また、動的型付言語の普及も、ソフトウェア工学離れのひとつであると言う事ができるかもしれません。

はぁ?動的型付言語が普及したらなんでソフトウェア工学と離れんのよ?静的型付言語で使えて,動的型付で使えなくなる研究分野なんぞ,完全にソースコードに寄り添った研究だけじゃねえか.

「この手法C言語を対象としている」って書いてある研究は他の全ての言語には一切適用できないと主張してんのと一緒だ.はじめてのCあたりからやり直せ.

ここで、やはりCMMの失敗がソフトウェア工学にとっての痛手だったように見えます

もちろん、プロセスを規定することが難しいということは当時からも言われていました。それであるからCMMプロセスのものを規定するのではなく、プロセスの規定方法を規定するというメタプロセスになっていたのです。

そして、すべての組織で同じプロセス採用することはできないということから、5段階のレベルを設けました。また、プロセスは変化し続けなければいけないということからCMM成熟レベル5では「最適化している」という成熟度になっていました。

これはなかなかいいかもしれないということで、期待は大きかったと思います

でも、とにかく運用が大変だとか、CMM成熟レベル5でも品質いいわけじゃないとか、そういう話がきこえてくるようになりました。

まず失敗を定義しろ.で,失敗したってんなら,CMMIで未だに新たな認定がなされてる(http://cmmiinstitute.com/assets/presentations/2012SepCMMI.pdf)理由を説明しろ

で,運用が大変?当たり前だ.品質確保すんのに運用が楽とかあり得んだろ.従業員に好きにやらせてもアウトプットが高品質ならそもそもCMMIなんぞ必要無い.順序が逆だ.「CMM成熟レベル5でも品質いいわけじゃない」ってのも当然だ.アレは組織成熟度を評価する指標であって,中で働く人間能力を評価してるわけじゃない.というか流動すんのに評価なんぞできねえけど.

そもそも,CMMIレベル5ってのはおおむね高品質ものが出てくるだけで,人間が関わっている以上ある程度のばらつきは存在する.つーかさー,CMMIレベル5なら必ず高品質のモノが出てくるとか思ってんの?まさかまだ銀の弾丸存在を信じてんの?「ISO9001に準拠してればリコールなんて発生しない!」と思い込むくらい残念すぎねえか,その思考回路

ああ,「CMMI」じゃなくて本気で「CMM」の話をしてるんなら申し訳ない.もう無いんだからCMMの話を最近全く聞かないのは当然で,勘違いしても仕方ない.悪いもしくは古いのはアンタの頭だ.

そこにXPですよ。アジャイルですよ。

もともとソフトウェア工学に対しては「がっこーで現場しらない人が研究してる手法なんて使えない」のような声があったのですが、XPアジャイルによって「現場から生まれた手法のほうが使えるよねー」というのが決定的になりました。

前半は正しい.ソフトウェア工学最初からずっとその手の意見はあって,未だに言われてる.が,後半は話にならん.

真面目に聞くんだけど,アジャイルソフトウェア開発宣言に名前が入ってる17人のうち,何人知ってる?何人が開発寄りで,何人が研究寄りか分かる?まさかKent Beck1人を見て「アジャイル現場から!」とか寝言垂れて無いよな?そもそもKent Beckコンピュータサイエンス博士号持ってるし,開発寄りと主張していいのかどうかすら微妙なんだけど.

あとアジャイルも突発的に出てきたわけじゃなくて,プロトタイピングとかあの辺(とそれ以前)からの流れがあると思うんだけどなあ.

ソフトウェア工学が何を失敗しているかというと、その学問自体の認知度が低すぎることです。

ソフトウェア工学がどのような問題を扱う学問かが知られていない。どのような問題を扱う学問か知られていないので、その問題に直面している人がソフトウェア工学の成果を積極的には利用できない。

ああ,まあ,うん,認知の低さは同意します.

問題に直面してる人がソフトウェア工学の成果を積極的に利用できないうんぬんについては,最近の国際会議でもその辺を扱った研究が出てきてたりする.ICSE2012のDistingished paperのうちの1本がそんなん.Eclipse検索ツール使わずに,テキストエディタコピペしてCtrl+F使ってる人の話とか出てきてた覚えが.

ただ,ソフトウェア工学認知度なんぞどうでもいいと思うんだけどなあ,別に.そっから出てきたモノが使われさえしてりゃあ.ソフトウェア工学研究の成果が,それと分からずに使われてるんならそれ以上に望むべきモノは無いだろうに.「これがソフトウェア工学様の研究成果でござーい」と大上段に振りかぶって,「ありがたや」の言葉と共に使われることを望んでる研究者なんぞいねえだろ.

就職活動で「半年プログラムは覚えれるし専門は必要ない」のようなことを言われるという話があります。たしかアルゴリズムなど実装技術研究をしていた人をSIの開発現場で生かすのは難しいと思います。でも、ソフトウェア工学の専門知識は、半年で覚えれるものではないし、SIでの開発現場必要になるはずです。

うん,そうですね.だがそれを学術側を知ろうともしてない人間が言うな.

ソフトウェア開発がある限り、ソフトウェア工学必要なので、XPアジャイルを織り込んで再構築して、認知度を高めていってほしいなーと思います。再構築とかは他力本願になってしまうけど。

ソフトウェア工学を再構築しよう,という動きとしては http://semat.org/ あたりがあるのでそっち参照.

あとさー,そもそも論として,ソフトウェア工学研究内容を「現場」と「学術」に2分することが不可能だって分かってる?工学ってそういうもんだろ?その2分は「工学」と「理学」というレベルでは可能なのであって,既に工学カテゴライズされてるソフトウェア工学を分けるのは不可能だ.それくらいは語の定義レベルの話なんで,分かっててくれ,頼む.

まあ暇ならトップ会議であるところのICSEプログラムhttps://files.ifi.uzh.ch/icseweb/fileadmin/downloads/ICSE2012_conference_program.pdf)でも眺めてみて,ソフトウェア工学定義について悩んでみるのもいいかと思います

実際のところトピックは割と流動的.最近OSS周りが流行gitのおかげで開発者の行動とか取りやすくなってる関係もあって.

まりさー,なんでか知らんけど,この人の頭ん中では「ソフトウェア工学は静的型付言語を利用したウォーターフォール型開発でしか使えない」てことになってんだよな.

あと,なんか無理矢理にでもソフトウェア工学disりたくてしょうがないってことは分かった.

釣りにしても書いた人間の知識が足りる足りない以前のレベル過ぎて話にならん.

2013-03-20

作画オタク界隈のジャーゴンについて

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130318/1363707421#c1363722838

きてる 2013/03/20 04:53

Gl17さんは「作画を語るスレ」を全スレ読み直す所から初めてはいかがでしょうか。でないとお話にもなりませんので。

我々は「きてる」「たまんね」で全ての意思疎通が行えるんですよ。歴史と訓練の積み重ねでここまでやってきたんですよ。あなた出来ないでしょ?あなただけですよ。そんなの。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130318/1363707421#c1363738926

Yoshitada 2013/03/20 09:22

>>我々は「きてる」「たまんね」で全ての意思疎通が行えるんですよ

悪い。オレもそれはつきあいきれない。

ついでに指摘すると、その手の高度に内輪で最適化された言説が、世代を超えて浸透/伝承されることはない。

これ、ジジイ経験則な。

http://b.hatena.ne.jp/kowyoshi/20130320#bookmark-137280062

kowyoshi コメント欄

コメント欄の「きてる」という捨てハンの主張…えーと、ディープな作画オタクってそういうものなの?いやまあ、なんJもそうだけどディープコミュには特定のジャーゴンってありますが… 2013/03/20

このへんの。

我々作画オタクは、自称アニメオタクさんとアニメを語り合ったときに作画の話題が通じず歯痒い思いをした、という経験をおそらくみな一様に持っています

人知関係はもちろん、アニ研漫研mixiTwitterリアルでもネットでもこの悲劇を何度も繰り返しています

ところが作画スレでは一切の遠慮無く伝わってしまうんです。

それを端的に表しているのがこち亀のこれ。

http://livedoor.blogimg.jp/shake1728/imgs/0/5/052c46a0.jpg

もちろん作画スレには作画オタクしかいないので当たり前なんですが、この作画オタクというのが非常に少ない。

作画スレは1日1スレを消費するので人が多いのかもと思いがちですが、アップローダダウンロードカウントを見る限りROM含めて100人もいません。

Twitterにはアニメーターすら上回る知識を持つガチな方からにわかと呼ばれるカジュアル勢までいますがこれですら数百程度。

ただTwitterは3〜4年前の移住から既にコミュニティ成熟してしまっています

ブロガー連中は萌え豚と売り豚がほとんどで、真面目にアニメを観ているのは宮台東宇野かぶれの前島くずればかりという悲惨な状況。

新たに参加しようとしても冒頭の悲劇が繰り返される恐れがあるのです。

このような背景があり、我々作豚はお互いにシンパシーを感じ、馴れ合い感情を抑え切れないことが多くあります

「なあ」「つれえよ;;」「すげえわかる・・・

作画スレの会話はこんなのばかりです。

作画スレは疲れた作豚がボノボ最後の居場所なんです。

「きてる」「たまんね」はお互いの存在を確かめ合う言葉なんです。




今まで書いたのもネタとかではないのですが、それとは別の視点から

作画オタクが少ないというのを書きましたが、たまに「戦闘シーンがすごいアニメを挙げるスレ」みたいなまとめを目にすることがあると思います

わりとカジュアルに色んな人が語り合っていて、ブクマ結構ついたりします。

これはつまり作画がすごいということを話しているスレなんですが、そのスレで語っている人たちにそういう意識はあんまりないです。

というかアニメ制作についてもそんなにわかってないです。

原画動画とかレイアウトと原図、ひどいときにはコンテと原画の区別すらついてません。

そんな人たちでもある意味作画を語れているんですよね、戦闘シーンに限っては。

しかし芝居のアンテナは作画オタクしかついてないんです。

我々作画オタクは丁寧な芝居を非常に好みます

具体的にどんな作画が好まれるかについては御先祖様万々歳全部やゴールデンボーイの紀ちゃん、

最近のだとあの花2話の焼肉とかザムド最終話の大人ヤンゴと船長

みんなが観てそうなのだけいおんクリスマス回のプレゼント交換を思い出してください。(だいぶ系統違うけど丁寧ではあるということで)

こういう芝居にスゲェ!と目を見開いてしまうのは作画オタクだけなんです。

そして芝居というのは語るのが非常に面倒くさい。

粘っこいエフェクトとか派手なサーカスとか全然ない。

そのうえ下手なこと言うと突っ込まれて優越感ゲームが始まってしまう。

作画オタク教養主義たる所以です。

でもお互い共通認識は持っている。

もう「たまんね」でいいでしょ、だってたまんねえんだもん、となります

最近羽生善治が演技だ演技じゃないって盛り上がってましたよね。

増田で貼られてた動画観ましたがプロ2人の解説でもすごい素晴らしい天才だくらいしか言ってないんです。

僕は将棋からないんですが、それほどたまんねえ一手だったんでしょう。

たまんねえものにはたまんねしか言えないんですよ。

2013-02-23

人間性を疑われた話

出産して母親になった友人知人と会うことが今月何度かあった。

会ったからといって自分のことをぺらぺら話すわけでもなく、お母さんたちの話を聞きつつ子どもたちと遊ぶのが好きなのだが、「最近どうなの」とどの母親からも熱心に聞かれたので、独身彼氏特におらず一生懸命仕事しているという近況を報告した。するとほぼ全員が「結婚しないの?」「将来が心配じゃないの?」という定番をおっしゃる。30代に入ってこの手のには慣れたので「別に~」とにこにこ笑って返したのだが、今回何に驚いたといって「やっぱり。前からちょっと人間じゃないんじゃないかと思ってたんだよね」「人間性が違うよね」的なことを口ぐちに言われたことだった。

まさか彼氏配偶者仕事の有無で人間性まで言及すると思ってなかったのでびっくりした。「そんなことを平気で言うそちらの人間性を疑うわ~」と言うと角が立つうえに多勢に無勢で負けるしつまらないので、黙って聞いておいた。私には「人間らしい感情が欠如してる」らしい。そんな人間自分の子どもを遊ばせてて大丈夫か?

独身彼氏なしで仕事してるというだけで、憂さ晴らしサンドバッグになるのだなあ。母親をやるとか主婦をやるとかって、他人にそんな言葉を投げつけずにいられないほど閉塞した生活なんだろうか。そんなに嫌なら結婚生活主婦もやめればいいのに、と思ったけど、それこそ人間性を疑われるのでこれも言わなかった。

2013-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20130215112601

ホワイトデーのお返しが目当てなんだろ?』みたいに嫌がる人には渡しても意味がない。

「お返しが目当てなんだろ?」なんて奴はいねーだろ

「お返しがめんどくせー」って奴なら一杯いるし俺もそうだが。

重度の2ちゃんねらーっぽい人には渡しても逆効果だと思って渡さないようにしてる」

なんで2ちゃん関係あるのかわからん

ほとんどの男は義理チョコとか面倒くさいから嬉しくはないと思うぞ。

まあ俺の友人知人・観測範囲で。すごく社交的なイケメンクラスタは知らん。

チョコもらうのが嬉しい男性は「チョコ貰うと嬉しいのが『男』。貰ったものより良いものを返すのが『男』の甲斐性」みたいに思っているし、

チョコいらない男性は「『いまどきの男性』はお返しが重荷だからバレンタイン廃止を望んでいる」みたいに思っている。

それは合ってるんじゃね?

義理チョコに限って言えば前者なんてどれほどいるか知りたいもんだが。

なんで主語自分にしないんだろう。

さっき『職場若い女の子』を騙ったイタコがそれを言うか。

『男』も『氷河期以降の男性』も一枚岩じゃない、価値観はそれぞれ違うのに。

欲しいか欲しくないか主語自分にして明確に語ってほしい。

俺は、嬉しくないです。

面倒くさいです。

恵方巻と違って実害がある。

チョコ屋のステマに踊らされるのはやめましょう。

この件は女性からやめてくれないと男には決定権がない。



あとさあ

露骨に面倒くさそうな顔する奴は失礼だしコミュ障だと思うが

嬉しそうな表情とコメントで受け取る奴がみんな本心から嬉しいとは思わないでくれ。

だってニコニコして受け取ったよ昨日。

…って「職場若い子」に言っといて。

2013-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20130121001007

俺も昔、何か宗教を持ってれば良かったのにと思った時期があったな。

悩みのポイント元増田とは少し違って、神様がいつでも見守っていてくれる、という感覚が欲しかった。

神様が実際に願いをかなえたりしてくれるのは期待してなかった。

ただ、自分人知れず努力したり善い事をしたりしたとき、誰も見ていなくても神様は分かって下さる、と思えば幸せな気がして。

あとは、何が正しくて何が間違っているのか、自分で考えるのがしんどくて誰かに丸投げしたかった。

善悪神様が教えてくれて、誰も見ていなくても頑張ってその通りにできたら、きっと心は安らかだろうと思った。

根が面倒臭がりなもんだから、結局そこから先へ進んで何かの宗教を受け入れる事は無かったが、まだその時の気持ちは思い出せる。

でも理想通りに頑張れなければ、逆に神の怒りを恐れて生きる羽目になるかもしれないと気付いて(そして自分はきっとそうなるに違いないと感じて)、もう宗教を求めるのは止めたよ。

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