はてなキーワード: オタク差別とは
それでもインターネットユーザのレベル(階層)はきっと「オタクはLGBTと同じ」だから「オタク差別」程度なんだよなぁ。
そういえば喫煙への規制強化も「喫煙者差別」「禁煙ナチス」などと言っていたが結局どうなった?
オタクは飲酒(酒飲み)や喫煙(喫煙者)と同じように行動によって規定されるのだからLGBTと同じわけがない。
オタクと違って、LGBTは脳の構造のような「生まれつき」の原因が由来であるとされている。
生まれつきのものだから矯正することなんか絶対にできないし、生まれつきの属性にケチをつけるのは差別というわけだ。
だからこそ「オタクは生まれつき」「オタクは一生オタク」という風説が「オタク差別」などという主張の核なんだろう。
「脱オタク」に猛反発するのも「オタクは生まれつき」という風説が否定されるためだろう。
そんなにオタクが生まれつきだというなら、LGBTと同じように脳を検査して証明すればよかろうに。
オタクを「できた」のは裕福な家庭といった環境的要因かもしれないが、オタクを「続ける」理由にはならない。
因果が捻れて「オタク差別」という概念をゴリ押しするために「脱オタクできない」という自縄自縛だ。
う〜ん。今時、オタクだからモテないってこともないと思うんだけどねえ。増田も「平成生まれの私には(それが関係有るのかすら良く分からないが)あなた方のその憎しみがどこから来るのか、正直に言って皆目分からない」って書いてるってことは、自分の世代では、もうオタクは一般社会に溶け込んでて、差別の対象じゃないんだと思ってるんだろうし。
昭和生まれの世代でオタクがそんなに差別されてたかといえば、自分にはそういう印象もないな。「オタク」や「ビョーキ」は好事家たちが好んで使う隠語っぽい自称だった。オタク差別の例としてよく取り沙汰される、東海林のり子がコミケ会場で「ここに10万人の宮崎勤がいます」って言った、ってやつも何度検証してもソースが出てこず、細部も辻褄合わず、何より東海林さん自身が「コミケに取材に行ったこと自体1度もない」とはっきり否定してて、結局「デマだったらしい」という話になる。そんなに差別されてたなら『七人のおたく』みたいな映画の題材にもならなかったと思う。平成生まれの人達の中で「昔はオタクは差別されてた」という伝説が一人歩きしてる感じがする。
青山のカフェの店主がラブライバーに苦言を呈し、それが炎上している。(変なコスプレ・人形持ち込まないようにドレスコードを設定しようかなという旨)
オタク差別だとか、棲み分けが大事だとか言ってる奴馬鹿じゃねえの
マジで正直言ってオタクがキモいとかキモくないとかじゃないんよ。店主が嫌って言ってんだからやめろよ。お前の家にアメリカ人が土足で上がったら嫌やろ。アメリカの文化ですとか言われても知ったこっちゃないやろ。一緒やねんそれと。お邪魔してる方がデカい顔すんなやマジ
オタク差別だって言ってる奴も棲み分けどうのとか言ってる奴も見当違いのお門違いやねん。多様性がどうのじゃなくて、店主が嫌なことすんなって言ってんの。この店主は人形持ち込んだり、変なコスプレする客が来るのが嫌ですって言ってるわけやろ。人が嫌がってることはやらない、幼稚園と保育園で習ったよな?人のテリトリーで人の嫌がることしたら追い出されるに決まってんだろ。そんなんだから嫌われんだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20210318200022
この増田について、ブックマークのコメントで気になったものに返信させていただきます。(長すぎて切れてしまったので増田を分けることにしました)
碧志摩メグの件で不快感を示す海人さん達を叩き、映像研で作者を叩いた人達たくさん居たよね。権利者が言ってるのにそれはないだろうと思う。あと、オタク兼フェミニストも沢山いるので勝手に対立させないでくれ
碧志摩メグさんの件は実はこの件に関して物凄く重要な例だと思っています、ナマモノとそうでないものの境界だからです。後程詳しく説明します。
映像研の作者さんはこの文章を書く上で念頭に置いていました(具体的には(ここにも例外はあり、明確な基準を出すケースもあります)辺りで)、ただ「叩いた人達たくさん居た」と言うのが自分の印象と異なっていて驚きました。恐らく観測範囲の問題だと思うのですが、自分の見える範囲では大部分のオタクに受け入れられていたので自分の中では「一次創作者が基準を出し、受け入れられた例」として記憶していました。
あとオタク兼フェミニストが居るというのは文章中も書いた、と言うより結論部で強調したはずですが・・・・どういう意図のコメントでしょうか・・・・・?
対立しているとも書いていませんし(集団間に信頼関係は無いとは書きましたが・・・・)、互いに信頼関係の無い集団の両方に属する人が居るのは当たり前の事です。
オタク兼フェミニストが存在するという事実は私の論旨にとっても非常に重要な事実です。既に書いた通り、それは二次創作を取り巻く環境の特殊性を知っているフェミニストの方が居るという事ですから。
そもそもウマ娘に関しては騒いでる「フェミニスト」というのは最初から存在せず捏造デマの嘘松エア炎上だったで決着してたはずやがこの増田はいったいどこの「フェミニスト」に向かって言ってんのや?
誤解がある気がするので詳しく説明します。私が念頭に置いているのは以下の増田さんの冒頭で引用されているツイートです。(尚、この増田さんの文章はフェミニストへの敵意が露わになって居る為、閲覧には注意が必要だと思います。内容としては似通ったことを言って居るかも知れませんが、態度に私は同意出来ません)
https://anond.hatelabo.jp/20210317235416
ここで引用されているツイート主の方は別の所で見た事も有り、フェミニストの方だと認識していますが、それ以前にツイート内で「フェミニスト」と「それに「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」と言う人」が登場します。
ここで質問なのですが「ウマ娘に関して騒いでる「フェミニスト」」とはどのような人を想定されているのでしょうか?
さっきのツイート主の方の事でしょうか?であれば存在します。そうではなく例えば「ウマ娘自体を(性的であったり、動物を女性化しているという理由で)批判しているフェミニスト」という意味であれば、私はそのようなフェミニストの方をそもそも想定していませんし、文章内でも触れていないはずです。(もしそうであれば、どこからそういう発想が出て来たのか良く分からないです・・・・)
私が想定し、理解を求めているのは「オタク(二次創作者)は一次創作者とフェミニストで態度を変えているじゃないか」と違和感を持つフェミニストの方です。そうした方の存在は先のツイートで居るのだと認識して書きました。
同様の誤解を与えてしまって居そうな方を挙げます。私の文章が分かり辛く、すみません。
今のところ私は「ウマ娘を叩くフェミニスト」を見たことないんだが…なんか仮想敵作ってシャドーボクシングする案件増えてないかなあ…。
本作品で「エロいから/女性の性的消費だから引っ込めろ」的な「いつものフェミニスト」の過激主張ってそんなに大きかったっけ?エア炎上は有ったがまさかソレが既成事実化しててその前提であちこち話が広がってる?
フェミが焼いたみたいなデマを元にしてる時点で評価できない。そもそも自分たちがやってること、消費してることに対しての危険性を自覚しろ。開き直るな。それこそ同じオタとして迷惑だ。
ウマ娘は「『フェミが炎上させてる』は嘘だった」が知られているし女性にも人気なのでそっとしたいてほしい。オタクは嘘炎上でも構わないから女叩きがしたいんだ、とまとめて敵視されたくもない。テイオーかわいいよ
恐らく同様の誤解を与えてしまって居ますね。申し訳ございません。
恐らく想定されているような「ウマ娘を叩くフェミニスト」はこの文章では元々想定していません。あくまで「オタク(二次創作者)は一次創作者とフェミニストで態度を変えているじゃないか」と違和感を持つフェミニストの方向けの文章です。
「一次創作者と二次創作者の信頼関係」に対して、「フェミニストとオタク」を当てはめてる意味がわからないんだけど。せめて、「フェミニストと表現者」では? 「オタク」というのはどういう存在なの?
これは実は非常に重要な点です。実は先の元になったツイートで私も良く分からないのがこの点なのです。
ウマ娘における曖昧な基準でも受け入れられる暗黙の関係は、ご説明した通り「一次創作者と二次創作者の信頼関係」で成り立つ特殊なものです。
一方でツイート主の方が想定されている「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人の大部分は恐らく一次創作者でも二次創作者でもありません。つまりそこに二次創作の特殊な事情で成り立つ関係が同様に適用出来るという発想が私には不思議なのです。(そのような意味で、「せめて表現者を想定するべきでは?」という疑問は私も共有します)
ただしこうした関係が二次創作の特殊な事情に依るとそもそも知らなければ、おかしな発想ではありません、そこで私はそのような想定でこの文章を書こうと思った次第です。
また、勿論二次創作者とオタクを兼任する人は居ますので、兼任する人だけを想定している、という考えはあり得ると思います。そのような想定も念頭に置いて書いたつもりです。
「オタク」については「「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人」では長過ぎるので、言い換えています。「「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人」かつ「「ウマ娘のエロ絵は禁止」の一声で「何がエロだと受け取られ、馬主を不愉快にするか」をきちんと自分達で考え始めた人」の集合ですね。
増田はあなたがあなた自身で二次創作者に向けて「自分の作品に」配慮して欲しい旨を伝えたことがあるのだろうか。編集部などではなく自分自身で二次創作の過激なエロを止めて欲しいような事を発言したことが?
私自身は自分の作品の二次創作は自由に遣って頂いて構わないので、そういう発言をした事は無いです。
ただ、自分以外の方の例を見て、発言すれば意図を汲んでもらえそうだなと思う事はあります。
あと映像研の作者の方の件は受け入れられた認識だったので(そうではない可能性が出てきましたが・・・)、そこでも一次創作者の意図は組んでもらえそうだと考えていました。
上っ面で敵意がないとか言いながら俺らは昵懇なので口出すなって言ってしまう無能な増田だ。都合よく選んだステークホルダ間に閉じたオレオレ信頼の話じゃなくて社会一般に開いた話をしようね。
対応の差は元々問題と思わないので異論もないが、表現においてOK/NGの基準が暗黙裡に共有されるって相当特殊な状態なわけで、部外者にそれを求めるのは無茶かと。オタク差別的な表現を非難する時に基準などないでしょ
このお二方は私の文章と同じ趣旨の事を、反論という形で書かれています。つまり誤解を与えてしまって居るという事ですね、申し訳ございません。
私の文章はまさに「社会一般に開いた話」に「都合よく選んだステークホルダ間に閉じたオレオレ信頼」と同じ対応を求めるのは無茶である、と言う趣旨です。
また「表現においてOK/NGの基準が暗黙裡に共有されるって相当特殊な状態」を「部外者同士(フェミニストとオタク)の関係間にも求めるのは無茶」という趣旨です。
本当に重要な事なのですが、「二次創作者と一次創作者」の暗黙の関係の方が特殊で異常なのです。だから社会一般の殆どの関係でそれと同様の対応を求めることは出来ないし、「フェミニストとオタク」の間にそれを求めるのも不可能、という事なのです。
うーん・・・・これでも分かりにくいかも知れませんね・・・ただこれ以上どう詳しく説明すれば良いのか、苦慮している状態です。表現者としてなっていませんね・・・・。
あとは最初に言っておいた碧志摩メグさんの件について書きます。
実は碧志摩メグさんの件はこの話で非常に重要な論点です。何故かと言うとウマ娘における馬主や競走馬達と似た(しかし微妙に異なる)立場に海女さんの方々が置かれた例だからです。
まず重要なのは「碧志摩メグさんはナマモノなのか」という事です。ウマ娘の場合、限りなくナマモノに近い、と言うより個人的にはナマモノと言ってしまっていいと思います。実在の馬に対し、個体を識別できるレベルで二次創作を行っています。
対して碧志摩メグさんはと言うと、実在の海女さんという職業を対象にしていますが、個人を識別できるレベルの二次創作ではありません。海女さんという職業を対象にした萌えキャラ化という認識です。
ただし注意しなければならないのは、「職業を対象にした萌えキャラ」を全て同等だと考えるのは危険だという事です。
例えば駅乃みちかさんは恐らく鉄道スタッフを対象にした萌えキャラですが、彼女と碧志摩メグさんを同等に考えるのは危険です。何故なら海女さんという職業に就く人の少なさに加え、「伊勢志摩」という地域の限定もかかっている為、個人を識別出来るレベルでないとしても絞られる人数の規模が異なるからです。
私の書いた文章では、まず第一に法律レベルで尊重されるのは一次創作者の様に作品の権利を持っている場合か、ナマモノの様にその人自身が肖像権等の権利を持っている場合だと考えていました。
通常、職業を対象にした創作について、その職業の方が権利を持つ事はありません(例えば漫画家が「漫画家の萌えキャラを描かないで」と言っても効力は有りません)、しかし単純にそれを碧志摩メグさんに適用するのは危険だと私は考えています。
これは個人的な考えですが、碧志摩メグさんの例は、一次創作者やナマモノの対象者の様な権利者と、職業萌えキャラの間ぐらいに位置すると考えるべきだと思います。
恐らく(素人なので分かりませんが)法律的に海女さん達が碧志摩メグさんに権利を持つ事は無いと思います。しかしだからと言って彼女たちの意志を無視するのは倫理的に問題がある、というのが私の考えです。
そしてウマ娘ではまさにこうした問題に対する対応が行われています。法律的には競走馬の馬主の方々やファンの方々はウマ娘について権利は持っていないそうです、しかし権利を持っているCygamesが馬主やファンの方々の意思を尊重する姿勢を明確にしています。
こうした関係は理想的ですし、碧志摩メグさんについても同様の対応がとられていれば良かったのではないか、と考えています。
すみません、そのような前提では書いていません。
フェミニストの方の中にはオタクも、腐女子も、ウマ娘を愛好する人も、ウマ娘と二次創作者の現在の関係を理解し肯定する人も、二次創作者も、一次創作者も、その他色々な人が居る、という前提の下書いております。
特にフェミニスト兼オタクや腐女子、二次創作者や一次創作者の方は、私が説明するまでも無く二次創作を取り巻く環境の特殊性は理解されている、と言う認識で書いております。
フェミニズムに親和的な人間もそれぞれの趣味に傾倒するし創作もするよ。そのなかで誰かを傷つける可能性に葛藤も悩みもするよ。だからこそ不誠実な「何がエロかわっかりませ~~ん」に怒るんだよ
フェミニズムに親和的な人も創作する事、存じております。と言うよりも(隠していた訳では無いですが)私自身フェミニズムに強く共感している創作者の一人です。
ただ、それ故に「何が不誠実なのか」を論点先取する事には一定の躊躇を覚えます。「エロ」というものの定義困難性や明確化の困難への懸念や警戒を「何がエロかわっかりませ~~ん」へと翻訳することについてもです。
一人の創作者でありかつ創作の受け手でもある人間として、「エロ」というものの難しさに向き合うことにも誠実でありたいのです。
「何がエロなのか決めることが難しい」事が本当に不誠実な態度なのか、まずはそこを決め付けずにもう一度詳しく検討したり、議論したりすることが誠実な態度なのではないでしょうか?
フェミが焼いたみたいなデマを元にしてる時点で評価できない。そもそも自分たちがやってること、消費してることに対しての危険性を自覚しろ。開き直るな。それこそ同じオタとして迷惑だ。
この方の後半についてなのですが、ここは私自身の立場がややこしいというか、難しいのですよね。
私自身勿論オタクでもありますが、同時にその「消費」を提供する作者でもある訳です。
創作者側としては、割と好きに消費して欲しいという思いもあり、この件に対しては複雑な心境です。
また私の描いたキャラクターが特定の属性の消費に繋がるか、という事についても・・・・余り私自身の情報で変な予断を増やしたくないので暈しますが、例えば私が女性で、女性のキャラクターを消費し易い形で出したら、そこにはどのような問題が有るでしょうか?
これは女性が自身を自由に表現してよいか、という女性自身の自由にも関わる話であり、この議論はそうした様々なパターンを想定した上でなければ(つまり男性が女性を消費すると言う様な典型的なケースだけ考えるのでは)意味が無いと思うのです。
社会学者たちに意見を求めても、話そらして自分たちの罪から逃れようと必死になるのが目に見えてて哀れで仕方ない。
1980年代から続くオタク差別の問題も福島の左派学者・社会学者達による差別・弾圧の歴史も拭いようがない。
もうどうしよもうないわけ。
だから謝罪するのも罪を自覚するのもすべて自分たちの頭の中で、グループの中で一切しないように徹底してる。
もうすでになってるのにね。
政党支持率を見ればわかると思うのだが、原発事故というのは、非常に巨大な毒まんじゅうだった。
あの後盛り上がった反原発運動というのは、残念ながら、左派勢力にとっては「千載一遇の好機」ではなかったのだ。
実際には毒まんじゅうだったの。
ともするとそれまでの自民党政治を攻撃して決別し、左派によるイデオロギーを浸透させるべき好機に見えたんだけれど、実際には、「そのためには被災地を犠牲にせねばならない」「極端な運動家の台頭を招く」という強烈すぎる副作用があった。
で、結局、左派がそれまで積み上げてきた信頼をすべて失ってしまったんだよね。
「福島の農家はテロリストと同じ」「地産地消で被曝して死ね」「福島で凄まじい事態が発生!妊婦15人のうち12人が奇形児を出産しています!」「ガンが増える」「被曝の影響は遺伝する」「フクシマの人とは結婚できない」──。具体的に挙げればキリがありません。
これらの声を左翼勢力は戦うどころかむしろ煽り立ててしまったんだよね。
選挙では分裂を重ねて自民党が漁夫の利を得るし、草の根的には「地方に放射能汚染のスティグマを貼り続けるのか?」と地方団体から総スカンを食らった。
それ以降、10年間、野党勢力は一回も国政選挙で勝ってないんだよ。ずっと自民一強政治が続くことになった。
それでも、「フクシマ」神話はそうした被害を無視し、あくまでもセンセーショナルな放射線被害の発生ばかりを執拗に求め続けました。なぜならば、「フクシマ」にとっては福島や被災者がどうなろうと対岸の火事であり、むしろ描かれる「被害」がよりセンセーショナルで悲惨であるほどに、政治的、あるいは商売や娯楽上での利用価値が高まったからです。
左翼勢力が、差別と偏見と戦えばまだまだ救いはあったのだけれど、実際には、差別や偏見を排除せずに、それを主軸において戦った結果、「普通の一般層が左翼を見限った」んだよね。
東電に対する怒りも恨みも、それらすべて一緒に戦ってくれるはずの左派勢力が、裏切って痛みを分かち合うどころか、バイキン扱いしたという恨み。
その恨みが10年たった今も続いているわけで。
しかも、これらの言説を広めてきた人の中には大学教授や文化人などのいわゆる知識人層や、反原発や反差別を訴える団体とその支持者たち、ジャーナリストや伝統宗教関係者なども多くみられました。
社会学者が、「ぷぅwwwww」と笑われる原因になったのは、実はオタク差別問題以前。反原発運動の頃から、だったよね。
だから、左翼勢力が復活するためには、いいかげんに禊をするしかない。
具体的に言うと、きちんと謝罪することだ。
誰も謝ってないけれど。
我々が間違っていたと、誰かが言わないといつまで経ってもこの問題は尾を引き続ける。
昨今、タイツメーカーによる性的消費を推奨するようなイラストの掲載するなどの事件が起きている。
これらが批判されると、きまってオタクどもは「オタク差別だ」「表現の自由の侵害だ」などと文句を垂れる。
まるでわかっていないと言わざるを得ない。決してオタク差別ではない。
萌え絵といった生ぬるいものではない。性的消費を想起させ、女性に著しい恐怖を与えるのだ。
https://twitter.com/Blue_Reimu/status/796959793378250752
https://twitter.com/segawashin/status/796960413250453504
俺は30年前からオタクやってるわけだが実感にはそぐわないし、むしろ大いにオタクが市民権を得てきたとも思うし、その空気の醸成こそはまさしくポリティカルコレクトネスのたまものであると思うのだが、「殴られ続けてきた」というのはなにを根拠にそう言っているのだろうか。
https://twitter.com/HironobuSUZUKI/status/796997345749544960
奴らはオタクを僭称するHENTAIなだけ。その辺りの線引きは最早日本よりアメリカ界隈の方が正しい。オタク文化は日本よりむしろアメリカのオタクの方が純粋に保っている。
そう、お前らは決してオタクではない。巨乳で童顔の女子に、顔を紅潮させ下着を見せびらかす女子に、公共の場で欲情する只の変態だ。
お前らはオタクだから叩かれているのではない。変態だから叩かれるのだ。
https://twitter.com/mrr_nn/status/1338306212052361218
「男女平等のためには"男がきらい"って言うのは良くないよ。だって例えば韓国の人に『日本人きらい』って言われたらなんか嫌じゃん?」って言われたけど(いや日本人はそれだけ酷いことしたんだからそう言われて当たり前じゃない?そこでムッとするような人は構造分かってなくない?)ってなってしまった
悪いことをしたのだから糾弾され、灸をすえられる。なにもおかしいところはないだろう?
社会が抱える闇や問題に目を背け、自らの快楽を一番に考える超弩級の変態だ。
https://twitter.com/sunset2943/status/1268606241321807872
ものすごい本音というか語るに落ちるというか、オタクと臣民の親和について、まさか客観ではなくオタク側から「逮捕されたらゲームも出来ないしアニメも観られない」の一文で完全に説明される日が来るとは思わなかった。そうか……
https://twitter.com/sunset2943/status/1268607848138694656
コロナ禍以降何度も見聞きする「パンとサーカスのサーカスしか見せないのが日本政府」という意見があるが、オタクというのはまさに「サーカスさえあればどこまでも尊厳も正義も捨てられる人」なんだな。そりゃ「コンテンツの自由と報道の自由」とかいうバグに「なるほど!」と思っちゃうよな……
本邦には自らの快楽だけを求め、身の回りに潜む闇に目をつぶり、国の言いなりになる愚かな臣民ばかり…
こう思ってるってことかな。
これ以上はもう戻れなさそうになるからやめておくね。
よくよく考えて見ると凄いよな
例えば東京ガールズコレクションで献血ブースが出来て若い女性が一杯献血したら掛け値無しに賞賛されると思うんだよ
まぁ中には腐す奴も居るかも知れないが圧倒的少数だろうし支持もされない、腐す奴はただのしょうもないカスってのは一般的に共有される見解だろう
でもオタクならそれがひっくり返る
「オタクスゲー」系と腐されたり食傷と言われたり、「コミケに行かないと献血しないの?」と言われたり
「女性スゲー」系と腐されたり食傷と言われたり、「TGCに行かないと献血しないの?」と言われたりなんて無いのにね?
これは凄い事だよ
こんなに態度とか受け取られ方が違うんだから
この前ナイキのCMに対する反応で、日本に差別が無いとする反応が却って差別のある現状を浮き彫りにした、なんて言われたがあったけど、
献血の話題に対する反応で、浮き彫りに成っちゃってるよね、かつてより随分マシになったとは言え、まだオタクは平気で迫害される立場なんだって事が
だって現にオタクと非オタクで献血したことに対する反応がまるで違うじゃん?これでまだ「オタク差別は無い」と言うなら、それこそナイキCMに「差別は無い」って言うようなもんだよね、それ自体がもう差別じゃん
まわりに在日なんておらんひとがほとんどでしょ(全国の在日韓国・朝鮮人は479,193人で、人口100人あたり0.38人。)
民族差別なんかよりも貧困格差や学歴差別、ルッキズムのほうがよっぽど身近なのに
やっぱり他人事の差別ほどみんな敏感になれるんだなとつくづく思う
自分の身に火の粉が降りかからないところで、差別糾弾して悦に入りたいんだろ
他人事の差別批判してる暇あったら、自分がしてる差別について反省しなよ
【追記】
誰も自らを省みることは出来ない
だから、NIKEはこれからもウイグル差別に加担し続けるし、エリートは低学歴差別をしても恥ずかしいとすら思わないし、公立中学は動物園にスターが集まる
反吐が出るような在日ヘイトを垂れ流しながした同じ口で中国のウイグル差別に反対するんだ
低収入、勝ち組、負け組、学歴、学力、知性差別、年齢差別、ブルーカラーへの職業差別、食文化への差別、オタク差別、地方差別、原発地域への差別、男女差別、老人差別、ルッキズム、病人、障害者差別
身近な差別には鈍感になり、自分を省みなくて済む差別には敏感になっていく
ひとりでいいから見てみたいなあ
自分の差別意識に立ち向かい抗い戦いそしてそれに勝つ人間の善性を
【ブコメ返答】
「会社の先輩が「自分は在日コリアンで~」と昼飯の席で話したら同期が「自分もそうです」と打ち明けて少し驚いたことがある。「言わないだけで身の回りにいるし、それは友達かもしれない」と思った方がいいですよ
」
100人あたり0.38人だから、接点少ないのは間違いないがひょっとしたら身近な大切な人が在日コリアンかもしれない。確かにそこは考慮にいれて完全に他人事には出来ないことは自覚しなきゃな。俺も反省するよ。けど、みんなが見てきたはずの差別に鈍感になる理由にはならんかな。
追記(意図しない読み取られ方があるので前に移動しました、誤解を招く表現だったことおわびします)
私は、書き忘れていたが、日本国憲法第14条に規定される属性による区別は当然のことながら差別だと考えている。私があげた絶対不可能な属性による区別の話は憲法上規定されていない属性に関してそれが差別かどうかを判断するガイドラインとして扱ってほしい。
日本国憲法14条
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」
社会的身分には職業が含まれると考えるのが相当であるので、私も職業差別には反対の立場であることは変わりない。
そもそも先述のガイドラインにたどり着いた理由を説明すると、すべての人には自由があり、差別として行為の禁止を行う余地はできるだけ小さくしておくべきという私の価値観がある。ただし、生来変更不可能な属性に基づく差別は第三者による救済が難しいものが多いため、差別禁止によってもたらされるデメリットよりもメリットのほうが圧倒的に大きいのはほぼ間違いないであろう。一方で生まれてから少しでも選択の余地のある問題に関しては差別を禁止するよりも、その人が選択できる余地を増やすことを通した救済が比較的行いやすい。そのためそのような問題に関しては差別の撲滅に注力するよりもより救済を行う方へ注力するほうが望ましいと考えている。
加えて合理性を求めるひとがいるが、およそ全て人間はバイアスを経て観測した世界に対して最も合理的な行動を常にとっている(たとえそれが周囲に人間にとって不合理に見えたとしても)。合理性は客観的なようでその人の価値判断や目的などに左右されるきわめて主観的なものである。この文章は私にとっては合理的に思えるが、読む人にとってはそうは思えないかもしれない。合理性とはきわめて主観的かつ相対的なものなのである。ただ、社会的な意味での合理性は人々の議論を通じたコンセンサスの形成によるものであるので、成熟した議論を経た後での差別の描像がはっきりとより多くの人に共有されることを望んでいる。
追記ここまで
中学受験に関しての増田を端に発した議論がはてな界隈で盛んになっている。
大方ブクマカのダブルスタンダードを批判したものであるが、そもそも差別がはてなーすべて同じ意味で使っているとは思えない。例えば公立中学に通っていたことを黒人になぞらえて批判しているエントリがあったが、肌が黒いことと公立中学に通っていたことが全く同列に扱われるべきものとは現在の社会通念に照らしてもあまり一般的な考えではないと私は考えるが、その増田にとっては同じようなものとして考えていることは明らかである。その是非はともかくとして、現状においては差別は各人それぞれによって定義されるものといって差し支えないため、さまざまな形態の区別を明示し、その日本の社会およびはてなでの受容のされ方について考えるとともに同時に私見を述べてみたい。なお、どこから差別と考えるかは各人に委ねたいと思うのでここから先ではあえて「区別」という言葉を使う事にする。加えて強調しておくが、これはあらゆる社会通念に照らして問題とされている差別を肯定するものではない。差別とは何かを考える指標としていただきたい。
これははてなーはもちろん、現在の社会通念上認められていないといって差し支えない。特に性別についてはこれを支持する判例も存在し(e.g. 最判昭和56年3月24日民集35巻2号300頁 いわゆる日産自動車事件) 、これはおそらく論ずるまでもなく明らかである。ただし憲法の私人間効力については間接適用説が主流となっているため、例えば三菱樹脂事件のような判例も存在する。ここでは憲法の議論を意図したものではないのでこれ以上は触れない。
これは最近聞かれる医療従事者への偏見にも関連している。社会的な建前としてはおそらく差別だと認定されているが、実際としては差別だとする意識が1.ほど完全に浸透しているとは言い難いところがあるだろう。おそらくはてなーに聞いてもこれは差別だと(それが建前であっても)答えると思う。なお、実際にHIVについては陽性者に対し無断で検査を行い陽性だったことを理由に解雇した事件についてはその解雇が無効であるとした判例も存在する(千葉地判平成12年6月12日労働判例785号10頁)。
このあたりから判断が難しい。現在、社会的に定年制は受け入れられている(是正しようとの動きもあるが)ため、年齢”差別”という言葉が社会的にまだ受け入れられていない可能性は高く、受け入れられるにしても近い未来ではないだろう。おそらくはてなーでもこのあたりから認識が分かれ始めると思う。以前あった私立医科大学が女子生徒と多浪生を意図的に排除していた問題にあってはこれを問題視する風潮がはてなにはあったのは覚えている方は多いと思うが、定年制への問題視はあまりなかったように思える(これは自分の印象)。なお、判例においては定年制は公序良俗には反するとは言えないとの判例が出ている(東京地判平成6年9月29日判時1509号3頁)。
これは今渦中にある問題である。実際として就活においてはいわゆる学歴フィルターは存在しないと断定することはできず、存在するものと考えるべきだろう。しかも厚生労働省のガイドライン(https://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm)にも採用の可否を決める要素となってはならない項目の中に大学名・学校名に該当する項目は存在しない。少なくとも採用の場においては大学名のみによる扱いの差を設けることは認められているといって差し支えないだろう。私の周りを見渡しても実際学校の評判とそこへ通っている生徒への評価が関連づけて語られることも多く、私的な場においてもこれがタブーとされているとは到底言えないであろう。実際はてなーでも公立中学を「動物園」とまで評する向きもあることからそこまでのタブー視もはてなーの中にはないと言える。
いわゆる「オタク差別」などを念頭にしたものである。これを例にとると過去には東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件などに端を発したいわゆるオタクへの偏見があった(が、現在の社会では薄いものとなってきていると私は感じており、マクロな視点に立つならそもそも区別が存在しなくなってきているのではないかと考えている)。これの社会的な受容を考えてみる。個人のミクロな視点にたつならそういった嗜好を理由にハラスメントを受けた例はあるだろう。ただ、それは嗜好を理由にしたハラスメントが問題とされるのではなく、そのハラスメント自体が問題とされる(ことが多い)ため、おそらく社会的な問題視はあまりないであろう。ただ、そもそも属性による区別はその属性をもつ者がある一定程度存在しないと成立しないものである(その嗜好を持つ人が単独ないし少人数でしか観測されなければ単なる変人として扱われるだけで、それは区別とはよべない)ため、嗜好による区別に接する機会がすくなく、議論の俎上に上がるレベルにすら到達していないかもしれない。これはぜひ読んだ方に該当する例とその社会への受容のされ方を考えていただきたい。
と思いつくものを上げてみた。どれが差別に当たるかは皆さんに考えて、議論していただきたい。正解は存在しない。なお、私の中での差別の定義は「絶対に選択不可能な属性・事実に基づいて行われる区別」と考えている。これに立脚するなら1-3までが差別に該当し、私は公立中学に関して「動物園」と評するなど、悪い評価を与えるものについては差別的表現ではないと考えている。なぜなら公立中学に進むかの選択は自由意志に基づくものである(経済的な事情などにより私立への進学は到底不可能な方がいるのは重々承知している。その実態はともかく)からだ。ただ、その表現は褒められたものではないのは確かで、やはりひどい公立中学の現状があるのだとしてもそれへの是正措置に関する言及があるべきだっただろう。つまりこれは差別の問題として扱うのではなく、公的な機関からの財政的支援などによる学習の機会均等や学習環境の改善の問題に還元されるべきである。これを差別であるからと現状への批判を封じるのは実態への改善の議論を封じることになり、好ましくないと考えている。ただ、度を過ぎた中傷は理由の如何を問わず控えられるべきであることは注記しておく。
また、学歴の問題は、生来変更不可能なものではないのでこれもまた差別ではないと考えている。ただ、大学の再入学を経た後の不利な扱いは年齢差別として問題視されるべきだとも考えている。年齢への差別に関してはこれを問題視し、排除へと議論がより進むことを期待したい。
ここまで様々な属性への区別について述べてきたが、おそらくそれぞれの考える差別があったことだろう。ただ、差別の問題を考える際に忘れてはならないのはそこへの是正措置である。公立中学の問題に関してもそれを差別であるからと議論の提示を封じるのではなく、ではそこにどのような是正措置が行えるだろうかと考えてもらいたいのである。なぜなら本来の理想の状態であれば誰でも自由にその中学に行くか選択できるから、そのような偏見など生じないからである。偏見や差別は現在の不完全から生まれる。差別の問題はセンセーショナルになりがちで議論している双方が異なる差別の概念を持っており、話がかみ合わないという事はありふれたことである。そうなりそうなときには一度立ち止まって双方が差別の概念を共有するよう歩み寄ってもらいたい。以前として世界にはびこる差別への問題提起および是正のきっかけとなればうれしく思う。