はてなキーワード: オタク差別とは
社会学者たちに意見を求めても、話そらして自分たちの罪から逃れようと必死になるのが目に見えてて哀れで仕方ない。
1980年代から続くオタク差別の問題も福島の左派学者・社会学者達による差別・弾圧の歴史も拭いようがない。
もうどうしよもうないわけ。
だから謝罪するのも罪を自覚するのもすべて自分たちの頭の中で、グループの中で一切しないように徹底してる。
もうすでになってるのにね。
政党支持率を見ればわかると思うのだが、原発事故というのは、非常に巨大な毒まんじゅうだった。
あの後盛り上がった反原発運動というのは、残念ながら、左派勢力にとっては「千載一遇の好機」ではなかったのだ。
実際には毒まんじゅうだったの。
ともするとそれまでの自民党政治を攻撃して決別し、左派によるイデオロギーを浸透させるべき好機に見えたんだけれど、実際には、「そのためには被災地を犠牲にせねばならない」「極端な運動家の台頭を招く」という強烈すぎる副作用があった。
で、結局、左派がそれまで積み上げてきた信頼をすべて失ってしまったんだよね。
「福島の農家はテロリストと同じ」「地産地消で被曝して死ね」「福島で凄まじい事態が発生!妊婦15人のうち12人が奇形児を出産しています!」「ガンが増える」「被曝の影響は遺伝する」「フクシマの人とは結婚できない」──。具体的に挙げればキリがありません。
これらの声を左翼勢力は戦うどころかむしろ煽り立ててしまったんだよね。
選挙では分裂を重ねて自民党が漁夫の利を得るし、草の根的には「地方に放射能汚染のスティグマを貼り続けるのか?」と地方団体から総スカンを食らった。
それ以降、10年間、野党勢力は一回も国政選挙で勝ってないんだよ。ずっと自民一強政治が続くことになった。
それでも、「フクシマ」神話はそうした被害を無視し、あくまでもセンセーショナルな放射線被害の発生ばかりを執拗に求め続けました。なぜならば、「フクシマ」にとっては福島や被災者がどうなろうと対岸の火事であり、むしろ描かれる「被害」がよりセンセーショナルで悲惨であるほどに、政治的、あるいは商売や娯楽上での利用価値が高まったからです。
左翼勢力が、差別と偏見と戦えばまだまだ救いはあったのだけれど、実際には、差別や偏見を排除せずに、それを主軸において戦った結果、「普通の一般層が左翼を見限った」んだよね。
東電に対する怒りも恨みも、それらすべて一緒に戦ってくれるはずの左派勢力が、裏切って痛みを分かち合うどころか、バイキン扱いしたという恨み。
その恨みが10年たった今も続いているわけで。
しかも、これらの言説を広めてきた人の中には大学教授や文化人などのいわゆる知識人層や、反原発や反差別を訴える団体とその支持者たち、ジャーナリストや伝統宗教関係者なども多くみられました。
社会学者が、「ぷぅwwwww」と笑われる原因になったのは、実はオタク差別問題以前。反原発運動の頃から、だったよね。
だから、左翼勢力が復活するためには、いいかげんに禊をするしかない。
具体的に言うと、きちんと謝罪することだ。
誰も謝ってないけれど。
我々が間違っていたと、誰かが言わないといつまで経ってもこの問題は尾を引き続ける。
昨今、タイツメーカーによる性的消費を推奨するようなイラストの掲載するなどの事件が起きている。
これらが批判されると、きまってオタクどもは「オタク差別だ」「表現の自由の侵害だ」などと文句を垂れる。
まるでわかっていないと言わざるを得ない。決してオタク差別ではない。
萌え絵といった生ぬるいものではない。性的消費を想起させ、女性に著しい恐怖を与えるのだ。
https://twitter.com/Blue_Reimu/status/796959793378250752
https://twitter.com/segawashin/status/796960413250453504
俺は30年前からオタクやってるわけだが実感にはそぐわないし、むしろ大いにオタクが市民権を得てきたとも思うし、その空気の醸成こそはまさしくポリティカルコレクトネスのたまものであると思うのだが、「殴られ続けてきた」というのはなにを根拠にそう言っているのだろうか。
https://twitter.com/HironobuSUZUKI/status/796997345749544960
奴らはオタクを僭称するHENTAIなだけ。その辺りの線引きは最早日本よりアメリカ界隈の方が正しい。オタク文化は日本よりむしろアメリカのオタクの方が純粋に保っている。
そう、お前らは決してオタクではない。巨乳で童顔の女子に、顔を紅潮させ下着を見せびらかす女子に、公共の場で欲情する只の変態だ。
お前らはオタクだから叩かれているのではない。変態だから叩かれるのだ。
https://twitter.com/mrr_nn/status/1338306212052361218
「男女平等のためには"男がきらい"って言うのは良くないよ。だって例えば韓国の人に『日本人きらい』って言われたらなんか嫌じゃん?」って言われたけど(いや日本人はそれだけ酷いことしたんだからそう言われて当たり前じゃない?そこでムッとするような人は構造分かってなくない?)ってなってしまった
悪いことをしたのだから糾弾され、灸をすえられる。なにもおかしいところはないだろう?
社会が抱える闇や問題に目を背け、自らの快楽を一番に考える超弩級の変態だ。
https://twitter.com/sunset2943/status/1268606241321807872
ものすごい本音というか語るに落ちるというか、オタクと臣民の親和について、まさか客観ではなくオタク側から「逮捕されたらゲームも出来ないしアニメも観られない」の一文で完全に説明される日が来るとは思わなかった。そうか……
https://twitter.com/sunset2943/status/1268607848138694656
コロナ禍以降何度も見聞きする「パンとサーカスのサーカスしか見せないのが日本政府」という意見があるが、オタクというのはまさに「サーカスさえあればどこまでも尊厳も正義も捨てられる人」なんだな。そりゃ「コンテンツの自由と報道の自由」とかいうバグに「なるほど!」と思っちゃうよな……
本邦には自らの快楽だけを求め、身の回りに潜む闇に目をつぶり、国の言いなりになる愚かな臣民ばかり…
こう思ってるってことかな。
これ以上はもう戻れなさそうになるからやめておくね。
よくよく考えて見ると凄いよな
例えば東京ガールズコレクションで献血ブースが出来て若い女性が一杯献血したら掛け値無しに賞賛されると思うんだよ
まぁ中には腐す奴も居るかも知れないが圧倒的少数だろうし支持もされない、腐す奴はただのしょうもないカスってのは一般的に共有される見解だろう
でもオタクならそれがひっくり返る
「オタクスゲー」系と腐されたり食傷と言われたり、「コミケに行かないと献血しないの?」と言われたり
「女性スゲー」系と腐されたり食傷と言われたり、「TGCに行かないと献血しないの?」と言われたりなんて無いのにね?
これは凄い事だよ
こんなに態度とか受け取られ方が違うんだから
この前ナイキのCMに対する反応で、日本に差別が無いとする反応が却って差別のある現状を浮き彫りにした、なんて言われたがあったけど、
献血の話題に対する反応で、浮き彫りに成っちゃってるよね、かつてより随分マシになったとは言え、まだオタクは平気で迫害される立場なんだって事が
だって現にオタクと非オタクで献血したことに対する反応がまるで違うじゃん?これでまだ「オタク差別は無い」と言うなら、それこそナイキCMに「差別は無い」って言うようなもんだよね、それ自体がもう差別じゃん
まわりに在日なんておらんひとがほとんどでしょ(全国の在日韓国・朝鮮人は479,193人で、人口100人あたり0.38人。)
民族差別なんかよりも貧困格差や学歴差別、ルッキズムのほうがよっぽど身近なのに
やっぱり他人事の差別ほどみんな敏感になれるんだなとつくづく思う
自分の身に火の粉が降りかからないところで、差別糾弾して悦に入りたいんだろ
他人事の差別批判してる暇あったら、自分がしてる差別について反省しなよ
【追記】
誰も自らを省みることは出来ない
だから、NIKEはこれからもウイグル差別に加担し続けるし、エリートは低学歴差別をしても恥ずかしいとすら思わないし、公立中学は動物園にスターが集まる
反吐が出るような在日ヘイトを垂れ流しながした同じ口で中国のウイグル差別に反対するんだ
低収入、勝ち組、負け組、学歴、学力、知性差別、年齢差別、ブルーカラーへの職業差別、食文化への差別、オタク差別、地方差別、原発地域への差別、男女差別、老人差別、ルッキズム、病人、障害者差別
身近な差別には鈍感になり、自分を省みなくて済む差別には敏感になっていく
ひとりでいいから見てみたいなあ
自分の差別意識に立ち向かい抗い戦いそしてそれに勝つ人間の善性を
【ブコメ返答】
「会社の先輩が「自分は在日コリアンで~」と昼飯の席で話したら同期が「自分もそうです」と打ち明けて少し驚いたことがある。「言わないだけで身の回りにいるし、それは友達かもしれない」と思った方がいいですよ
」
100人あたり0.38人だから、接点少ないのは間違いないがひょっとしたら身近な大切な人が在日コリアンかもしれない。確かにそこは考慮にいれて完全に他人事には出来ないことは自覚しなきゃな。俺も反省するよ。けど、みんなが見てきたはずの差別に鈍感になる理由にはならんかな。
追記(意図しない読み取られ方があるので前に移動しました、誤解を招く表現だったことおわびします)
私は、書き忘れていたが、日本国憲法第14条に規定される属性による区別は当然のことながら差別だと考えている。私があげた絶対不可能な属性による区別の話は憲法上規定されていない属性に関してそれが差別かどうかを判断するガイドラインとして扱ってほしい。
日本国憲法14条
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」
社会的身分には職業が含まれると考えるのが相当であるので、私も職業差別には反対の立場であることは変わりない。
そもそも先述のガイドラインにたどり着いた理由を説明すると、すべての人には自由があり、差別として行為の禁止を行う余地はできるだけ小さくしておくべきという私の価値観がある。ただし、生来変更不可能な属性に基づく差別は第三者による救済が難しいものが多いため、差別禁止によってもたらされるデメリットよりもメリットのほうが圧倒的に大きいのはほぼ間違いないであろう。一方で生まれてから少しでも選択の余地のある問題に関しては差別を禁止するよりも、その人が選択できる余地を増やすことを通した救済が比較的行いやすい。そのためそのような問題に関しては差別の撲滅に注力するよりもより救済を行う方へ注力するほうが望ましいと考えている。
加えて合理性を求めるひとがいるが、およそ全て人間はバイアスを経て観測した世界に対して最も合理的な行動を常にとっている(たとえそれが周囲に人間にとって不合理に見えたとしても)。合理性は客観的なようでその人の価値判断や目的などに左右されるきわめて主観的なものである。この文章は私にとっては合理的に思えるが、読む人にとってはそうは思えないかもしれない。合理性とはきわめて主観的かつ相対的なものなのである。ただ、社会的な意味での合理性は人々の議論を通じたコンセンサスの形成によるものであるので、成熟した議論を経た後での差別の描像がはっきりとより多くの人に共有されることを望んでいる。
追記ここまで
中学受験に関しての増田を端に発した議論がはてな界隈で盛んになっている。
大方ブクマカのダブルスタンダードを批判したものであるが、そもそも差別がはてなーすべて同じ意味で使っているとは思えない。例えば公立中学に通っていたことを黒人になぞらえて批判しているエントリがあったが、肌が黒いことと公立中学に通っていたことが全く同列に扱われるべきものとは現在の社会通念に照らしてもあまり一般的な考えではないと私は考えるが、その増田にとっては同じようなものとして考えていることは明らかである。その是非はともかくとして、現状においては差別は各人それぞれによって定義されるものといって差し支えないため、さまざまな形態の区別を明示し、その日本の社会およびはてなでの受容のされ方について考えるとともに同時に私見を述べてみたい。なお、どこから差別と考えるかは各人に委ねたいと思うのでここから先ではあえて「区別」という言葉を使う事にする。加えて強調しておくが、これはあらゆる社会通念に照らして問題とされている差別を肯定するものではない。差別とは何かを考える指標としていただきたい。
これははてなーはもちろん、現在の社会通念上認められていないといって差し支えない。特に性別についてはこれを支持する判例も存在し(e.g. 最判昭和56年3月24日民集35巻2号300頁 いわゆる日産自動車事件) 、これはおそらく論ずるまでもなく明らかである。ただし憲法の私人間効力については間接適用説が主流となっているため、例えば三菱樹脂事件のような判例も存在する。ここでは憲法の議論を意図したものではないのでこれ以上は触れない。
これは最近聞かれる医療従事者への偏見にも関連している。社会的な建前としてはおそらく差別だと認定されているが、実際としては差別だとする意識が1.ほど完全に浸透しているとは言い難いところがあるだろう。おそらくはてなーに聞いてもこれは差別だと(それが建前であっても)答えると思う。なお、実際にHIVについては陽性者に対し無断で検査を行い陽性だったことを理由に解雇した事件についてはその解雇が無効であるとした判例も存在する(千葉地判平成12年6月12日労働判例785号10頁)。
このあたりから判断が難しい。現在、社会的に定年制は受け入れられている(是正しようとの動きもあるが)ため、年齢”差別”という言葉が社会的にまだ受け入れられていない可能性は高く、受け入れられるにしても近い未来ではないだろう。おそらくはてなーでもこのあたりから認識が分かれ始めると思う。以前あった私立医科大学が女子生徒と多浪生を意図的に排除していた問題にあってはこれを問題視する風潮がはてなにはあったのは覚えている方は多いと思うが、定年制への問題視はあまりなかったように思える(これは自分の印象)。なお、判例においては定年制は公序良俗には反するとは言えないとの判例が出ている(東京地判平成6年9月29日判時1509号3頁)。
これは今渦中にある問題である。実際として就活においてはいわゆる学歴フィルターは存在しないと断定することはできず、存在するものと考えるべきだろう。しかも厚生労働省のガイドライン(https://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm)にも採用の可否を決める要素となってはならない項目の中に大学名・学校名に該当する項目は存在しない。少なくとも採用の場においては大学名のみによる扱いの差を設けることは認められているといって差し支えないだろう。私の周りを見渡しても実際学校の評判とそこへ通っている生徒への評価が関連づけて語られることも多く、私的な場においてもこれがタブーとされているとは到底言えないであろう。実際はてなーでも公立中学を「動物園」とまで評する向きもあることからそこまでのタブー視もはてなーの中にはないと言える。
いわゆる「オタク差別」などを念頭にしたものである。これを例にとると過去には東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件などに端を発したいわゆるオタクへの偏見があった(が、現在の社会では薄いものとなってきていると私は感じており、マクロな視点に立つならそもそも区別が存在しなくなってきているのではないかと考えている)。これの社会的な受容を考えてみる。個人のミクロな視点にたつならそういった嗜好を理由にハラスメントを受けた例はあるだろう。ただ、それは嗜好を理由にしたハラスメントが問題とされるのではなく、そのハラスメント自体が問題とされる(ことが多い)ため、おそらく社会的な問題視はあまりないであろう。ただ、そもそも属性による区別はその属性をもつ者がある一定程度存在しないと成立しないものである(その嗜好を持つ人が単独ないし少人数でしか観測されなければ単なる変人として扱われるだけで、それは区別とはよべない)ため、嗜好による区別に接する機会がすくなく、議論の俎上に上がるレベルにすら到達していないかもしれない。これはぜひ読んだ方に該当する例とその社会への受容のされ方を考えていただきたい。
と思いつくものを上げてみた。どれが差別に当たるかは皆さんに考えて、議論していただきたい。正解は存在しない。なお、私の中での差別の定義は「絶対に選択不可能な属性・事実に基づいて行われる区別」と考えている。これに立脚するなら1-3までが差別に該当し、私は公立中学に関して「動物園」と評するなど、悪い評価を与えるものについては差別的表現ではないと考えている。なぜなら公立中学に進むかの選択は自由意志に基づくものである(経済的な事情などにより私立への進学は到底不可能な方がいるのは重々承知している。その実態はともかく)からだ。ただ、その表現は褒められたものではないのは確かで、やはりひどい公立中学の現状があるのだとしてもそれへの是正措置に関する言及があるべきだっただろう。つまりこれは差別の問題として扱うのではなく、公的な機関からの財政的支援などによる学習の機会均等や学習環境の改善の問題に還元されるべきである。これを差別であるからと現状への批判を封じるのは実態への改善の議論を封じることになり、好ましくないと考えている。ただ、度を過ぎた中傷は理由の如何を問わず控えられるべきであることは注記しておく。
また、学歴の問題は、生来変更不可能なものではないのでこれもまた差別ではないと考えている。ただ、大学の再入学を経た後の不利な扱いは年齢差別として問題視されるべきだとも考えている。年齢への差別に関してはこれを問題視し、排除へと議論がより進むことを期待したい。
ここまで様々な属性への区別について述べてきたが、おそらくそれぞれの考える差別があったことだろう。ただ、差別の問題を考える際に忘れてはならないのはそこへの是正措置である。公立中学の問題に関してもそれを差別であるからと議論の提示を封じるのではなく、ではそこにどのような是正措置が行えるだろうかと考えてもらいたいのである。なぜなら本来の理想の状態であれば誰でも自由にその中学に行くか選択できるから、そのような偏見など生じないからである。偏見や差別は現在の不完全から生まれる。差別の問題はセンセーショナルになりがちで議論している双方が異なる差別の概念を持っており、話がかみ合わないという事はありふれたことである。そうなりそうなときには一度立ち止まって双方が差別の概念を共有するよう歩み寄ってもらいたい。以前として世界にはびこる差別への問題提起および是正のきっかけとなればうれしく思う。
オタク差別と人種差別をまとめて扱ってるレベルの人はそんなに見ないような・・。いるの?Twitter使ってないし、RedditもMemeとかしか見てないけどさあ。
日本語で「差別主義者」という言葉は、オタク差別とか、ホームレス差別とか、田舎者を差別とか、他人をその人の属性によって異なる扱いをする人全般を指す否定的な表現です。
ネットの雑な差別議論をガチ差別議論と混ぜて何がしたいのかよく分からない。日本で差別主義者といった時にオタク差別とか普通含まないと思うが。
日本語で「差別主義者」という言葉は、オタク差別とか、ホームレス差別とか、田舎者を差別とか、他人をその人の属性によって異なる扱いをする人全般を指す否定的な表現です。
これは、不思議な言葉です。差別解消とかいうのは、おそらくアメリカの公民権運動が世界で一番有名な例だと思うのですが、そのアメリカには、一般に「差別主義者」をあらわす単語はありません。和英辞書で差別主義者という単語を調べるとracist (人種差別主義者); sexist(性差別主義者); segregationist(人種差別主義者(硬い))の三つが出てきます。あえて言うならsegregationistになりますが、そもそもracistに比べると使用頻度が1/50の単語ですし、segregationを英英辞典で調べれば、まず出てくるのが「人種および階級による差別」なので、一般の日本語で言う「差別主義者」にはあたらないでしょう。
アメリカでは人種差別は厳しく否定されています。レイシストという単語は、日本でいう性犯罪者よりもさらに否定的な言葉で、ほとんどの上場企業では、レイシストは無条件で一発クビというルール(zero tolerance)があります。大学だったら一発で退学です。BLMとか警察の暴行はどうなってるんだ、という話ですが、警察側の建前としては、一応「犯罪の疑いの高い人を制圧した」とか、「犯罪の起こりやすい地域を重点的にパトロールした」みたいな話になっています。もし「黒人だから怪しいと思った」みたいなことを言ったら、それがプライベートな場だったとしても、その録音がネットに流れたりすれば、即クビでしょう。実際、根拠のない偏見で勤務時間外に黒人男性を警察に通報した白人女性が、それだけで解雇されています。
もちろん、アメリカでもプライベートな場で「オタクきもいよねー」って言ってもクビにはなりません。つまり、オタク「差別」と、人種「差別」は根本的に違うものとして扱われています。これは妥当な話で、「差別」なんていうのは定義できないからです。人種差別禁止や宗教差別禁止なら具体的に社内規定に落とせるし、それに基づいてクビにもできます。ですが、「差別」っていうのはどこまで含むのかが非常にあいまいで、クジラ食べる人のことを理解できないとか言ったらダメなのか、AndroidのことをiPhoneのパクリって言ったらダメなのか、きりがないです。そもそもそんなことをやるつもりがないから、「差別主義者」っていう単語がないのでしょう。
だから、「差別のない社会」とか聞くと、そんな一般に他人をその人の属性によって異なる扱いをすることを排除するなんてできるわけないし、そんなに人々の内心を強く規制するなんて、ディストピアだよ、って思います。「差別のない社会」みたいなのはナンセンスで、目指すべき社会ではありません。
日本でも、増田の適当な議論とかじゃなくて、憲法とかはしっかりしています。憲法14条では、差別を受けない属性は具体的に列挙されており、それ以外のことは保証されていません。「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別を受けない。」ってやつです。
注:日本語の「差別」に近い単語としては、discriminationっていうものがあります。遺伝子に基づく差別とか、広がりを持つ言葉です。ですが、これは行動に対して使われる言葉で、人に対して使われる言葉ではありません。discriminationistという単語は、ネットには存在しますが、辞書には記載されていません。
オタクと全く関係ない話をオタク迫害の理由につなげるネトフェミさんまじ論理とか超越してオタクヘイトに命かけてるな。
https://b.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20201120#bookmark-4694441126315225730
弱いからおとなしくしてるだけで自分で自分を律するって訓練がほとんどできてへんねん"おたくカルチャーについての「力不足ゆえに無害なだけだった」を思い出した→/https://github.com/omo/t9n/blob/master/why_nerd_culture_must_die.md
「主語が大きい」という言葉は有名になりすぎて誰でも脳死で批判できる領域に成り下がったが、「主語が小さい」ことはあまり問題にされない。
嫌韓が盛り上がっていた頃から指摘しているのだが、差別を行う人々は時に「一般的に成り立つはずの事象を、あたかも特殊なことのように話す」ことがある。
例えば、「韓国は下水設備が貧弱で、水洗トイレでもトイレットペーパーを流すことが出来ない」ことを嘲笑う人がいる(いた)。しかしそれは全く逆で、「日本は下水設備が優秀で、水洗トイレにはトイレットペーパーを流すことが出来る」というのが正しい。「トイレットペーパーを流すことが出来る」のは、そもそも世界的に見て日本の方が特殊なのである。(最近は海外も状況が変わっているらしいが。)
このような論理は女性差別やオタク差別などでもしばしば用いられる。
「女は嘘をつく」と言うが、そもそも「人間は嘘をつく」のである。「女は感情的」と言うが、そもそも「人間は感情的」である。
「二次元表象が犯罪や差別を助長する」と言われる時、「二次元表象以外が犯罪や差別を助長する」可能性は無視される。「たとえ二次元でも小児性愛を肯定的に描くことは、現実の小児性愛の肯定に繋がる」と主張する人は、「たとえ成人でも対人性愛を肯定することは、現実の小児性愛の肯定に繋がる」とは言わない。