はてなキーワード: しづとは
ついに結婚されたお二人だが、ほぼ同世代であるアラサーの私的には「反対とか賛成を言える権利はない」というスタンスだ。
(まぁ友人から「こういう人と結婚しようと思うんだけど」と相談されたら祝福しづらいけど)
色々な疑いやあれやこれやがあるのは承知だけど、心穏やかに過ごせますようにとは祈っている。
世間では、某妃みたいにインタビューであることないことぶっちゃけたり、王子みたいにわけわからん暴露本出したりしやしないかと危惧されているけど、
あのお二人はそんなケチな真似しないと信じたい。
信じたいけど、個人的に一番いやだなぁと思うのが「お子様の皇位継承権」だ。
皇室典範に則れば、お二人の間にお子様が生まれても、その子は生まれながらに一般人で男子だろうが継承権はないことになっている。
ただ、人権がどうとやかましいアメリカの熱気にやられて、「女系の子供にも平等に継承権がないのは差別だー」とか騒ぎ出したら、あの後手後手の宮内庁には手に負えないかもしれないという気がする。
国内で勝手に騒ぐならまだしも、遠く離れたアメリカから、声のクソでかい人権団体をバックに「日本は差別国家!時代遅れ!」とかギャーギャーやられたら、
今更SNS運用がああだとか言っているおじいちゃん達が適切に対処できるはずがない(と思う)。
この一連の騒動で、女性宮家とか女系天皇論は下火になったと思うが、本当に炎上するのはこれからかもしれないと思うと、ちょっとゾッとする。
(個人的には、女性差別とかそういうものを超越した”神聖にして侵すべからず”の領域だと思っているので)
お二人には穏やかに幸せに過ごしてほしいと一国民として祈りつつ、アメリカのこうした団体に祭り上げられたりしませんように……と祈ってしまう自分は心配性なのか、余計なおせっかいなのか。
https://anond.hatelabo.jp/20211113201646
横田だけど、ちょっとググったらそれっぽいストーリーが立てられたので共有しておく。
三行でストーリーをまとめると
・「屍山血河」という言葉を考案したのは大日本帝国陸軍の文官で、陸軍教授の地位にいた樋口石城なる人物である。
・「屍山血河」は、旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を邦訳する際、邦題として発案された。
・この邦訳を読んだ人々が邦題を熟語として認識。そのうち、司馬遼太郎が小説内で多用したことで日本中に広がった。
「屍山血河」の由来はなにか。まず、中国語で言うところの「成語」にそれらしい言葉はない。
かといって「屍山」とか日常言語で使う単語という感じではないし、自然発生した四字熟語でもないだろう。
普通に考えたら、中国語以外の言語にある熟語を、明治以降の文化人とかが邦訳するときに成語っぽく整えた、とかが一番ありそうなパターンだ。
しかし、「屍山血河」という単語は辞書に載っているが、用例として記されているのは司馬遼太郎の小説ばかりだ。後は三島由紀夫だが、司馬遼太郎の用例が古い。
辞書を作ったときにそれより古い用例が見つからなかった可能性が高い。
普通、辞書の用例はその用法で一番古いものを採用する。だれか他の文学者が創作したならそっちが採用されないのは奇妙である。
もちろん、司馬遼太郎が独自に考案したと考えるのは早計だろう。
司馬遼太郎が勝手に創作したとされていた史観や、事実関係が怪しい記述も、近年ちゃんと調べてみると「元ネタ」があるものばかりだったらしい。
もちろん、だからといって、それらが歴史的事実だというわけではなく、「元ネタ」を書いた人が勝手に創作したり、誤認識していたということらしいのだが。
ともかく、司馬遼太郎は無から発想したり、自分で説明なしに訳語を創作するような人間ではないと思う。
用例として採用しづらい対象で、司馬遼太郎が興味を持つ題材の日本語の資料で「屍山血河」を使ったものがあるはず。
この条件に合致しそうなのが "屍山血河" コステンコ 著,樋口石城 譯 [1]である。
ちょっと調べてみると、これは旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"[2]の邦訳だ。
М. И. Костенкоは旅順攻防戦に少将として参加した後、戦後は軍事法廷の議長とかをやった、とwikipediaに書いてあった。
旅順戦の日誌は貴重な資料であり、ロシアで広く読まれた。これが邦訳され、1912年に出版された。
しかしそれにしては邦題がおかしい。おかげでググっても原著がすぐ出てこなくてちょっとイライラした。
"Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を機械翻訳すると、"旅順要塞の包囲と降伏:私の印象"となる。
実際、この本は1973年に田崎与喜衛に再訳されており、そのときの邦題は"旅順攻防回想録 "となっている[3]。
泥沼の旅順戦で主に大量の兵士、とくに日本兵が死んだ様子を描写して「屍山血河」と言っているのだろうが、戦闘記録の題名にするには文学的にすぎるだろう。
М. И. Костенкоが序文とかサブタイトル的な位置にこの単語を使っているのではなく、樋口石城が勝手につけた邦題である可能性が高い。
ロシア語でも Горы трупов (死の山)とか реки крови(血の川)という表現は戦争を表現する際、よく使うようだ。
熟語とまでは行かないが、並列して使われる例もググればそれなりに出てくる。
原著に直接この組み合わせが出てくるかはちゃんと調べていないので不明だが、本文検索してみたら、Горы труповは単体で積み重なった日本人の死体の表現として使われていた。
もしこの記録が文学作品だったらこの題をつけるのは適当かもしれない。
これ以降は完全に当て推量である。
陸軍教授、樋口石城がどういう人物なのかはググっても出てこないが、樋口季一郎の親戚とかだろう。しらんけど。
まあ、軍教授なのだし名家出身の学者で、ロシア語を含む文系の教養があって、仕事はロシア関連の軍事資料の邦訳を大量にやらされていたのだろう。
だから文学作品とかを書く暇もないので、やらされた邦訳の仕事で、多少のオリジナリティを発揮してみたくなったのではないだろうか。
そこで少し文学風に気取って成語っぽい「屍山血河」という語を創り、戦闘記録の邦題としてつけたのだ。
それを司馬遼太郎が資料として閲覧。そういう成語が既にあると認識、戦争小説で多用。
小説を読んだ人間もそういう語があると理解し、大量の死者が出る戦争を語る際に一般的な単語へと一気に昇格してしまった。
そしていざ辞書に載せようとすると、用例として明記できる古い例が司馬遼太郎以前にないことに気づく。
樋口石城の訳書も発見はされたのだろうが、題なので用例としては不適であり、スルーされた。
結局、遡れるのは司馬遼太郎の小説しかなかったのではないだろうか。
無論、上記は全てネット上で手に入る資料の断片からの推測であり、だいぶお粗末なものだが、もし当たっていればなかなか面白いストーリーではないだろうか。
以上、「屍山血河」の由来について横田が調べてみました。
[1]https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024298307-00
今話題になっている、「米山隆一議員と仁藤夢乃氏と室井佑月氏のアレ」。
選挙後早々にリベラル界隈で内部紛争が勃発、ということで各方面から注目が集まっていますが、これまでも、
といった事例があり、この件に限らず、立憲・共産党とフェミニズム活動家は必ずしも一枚岩でないことがわかります。
そして、こうした話題を見ていて思い起こされるのが、ズバリ「部落解放同盟と、そして日本共産党との対立関係」です。
「社会的弱者や被害者の掘り起こし・組織化に熱心な共産党と、解同の仲が悪い」という事態は、この界隈をよく知らない人間にはなかなかイメージしづらいものがあります。
なので共産党も、あの手の運動には珍しく、真顔でディスっているというわけです。
なお、対立の理由は他にもあり、例えば1965年の「同和対策審議会」答申を巡る評価が解同と共産党で分かれたことも、その一因と言われています。
答申に一枚噛んでいる社会党に近い派閥が答申を評価する一方、共産党や解同共産党派は内閣諮問機関による答申を「毒まんじゅう」、つまり自民党との妥協であると批判。
なんだか「表現の自由」あたりでも散々聞いたような話ですね。
社会運動が自分の支配下である間はとりあえず優しいけど、ヨソが手を伸ばしてこようものなら即手の平返しちゃうと。
しかも、そんなこと言ってた共産党がこないだの選挙では自ら毒まんじゅう食わせる側に回ったのだから、まあなんとも皮肉な話です。
一方、解同側も社会党派を中心に共産党勢力の排除を進めていき、1971年には以下の理論を打ち出します。
その名も「朝田理論」。
半世紀も後のツイフェミの言動までもが全てこれで説明できてしまうなどと、いったいどこの誰が予想したでしょうか。ノストラダムスじゃねーんだぞ
しかし仲の悪い相手にはとことん手厳しい共産党、こちらについても「部落民以外はすべて差別者=部落排外主義」と批判を加えています。
米山先生おっしゃるところの「フェミニストイズム」も、これに当てはまるかもしれません。
それにしても「当事者・活動家至上主義と先鋭化が極まった結果、共産党のオルグすら拒んだ」というのは、いろいろと示唆に富むものがあります。
(まあ、「社会党vs共産党の争いで社会党側が勝った」と言ってしまえばそれまでなのですが)
様々なものを一方的に燃やされてばかりの男オタクの立場からは観測しづらいかもしれませんが、
実はそごうやルミネ、TOKYO女子けんこう部などの事例を振り返ると、むしろ「女性に媚びているはずの広告がなぜか炎上」したケースも結構多いことがわかります。
それも「『けんこう』が平仮名なのは女性をバカにしている!」などと、まさに令和最新版朝田理論の全力ブン回し。
いったい何が差別にあたるのか、もはや当事者と中国王朝の暴君以外に判別がつかないレベルです。
1000のうち1か2でも気に食わないことがあるとすぐ糾弾会をおっぱじめるバーサーカーぶりからは、やはり『血だるま剣法』的な何かを感じずにはいられません。
と、解同に対する批判の多くがなぜか現在のツイフェミにもブッ刺さる、というまことに面白い結果になったわけですが、
私は彼ら彼女らの暴力的な性格、先鋭化や偏狭さはともかく、運動のあり方自体を批判するつもりはありません。
社会運動は特定の党派の持ち物ではないし、自分の要望を実現してくれるなら誰と手を組んでもいい。
むしろ、リベラリズムからアベヤメロまでいちいち全部ワンパッケージにしなければ気が済まない風潮の方が、ぶっちゃけよほど不自然ではないでしょうか。
逆に俺は取り出すより並べる方が大変だと思ってる。
油まみれの皿を一度キッチンペーパーなどで拭い、こびりついて落としづらいものは予洗いをした上で、洗浄力をキープできる配置にするって意外と大変よ。重なったりすると汚れが取れないし、軽い素材だと中で暴れるから場所にも気を配る。水切りがよくないものは上下も気にしないといけない。でも洗ってしまえばそれをそのままの状態で使えば良い。
「成長戦略」を述べるには「ここに金をかけたら成長する」という存在が必要なんだよな。
そこで成長戦略芸人とも言うべき、「ここに金をかけるべき」みたいな連中がいる。竹中平蔵みたいな。
でも先々成長する案件は儲けが見えてくる前は常にどうなるかどうなるかわからないものだから成長戦略芸人によって逆に潰されていくと。
まあ長期的な費用対効果も結局データ集めて科学の積み重ねでないとならない。社会科学は色々恣意的な指標が入りやすい。
それでも数を増やせば当たりそうな指標も作り得る。最も「長期的な費用対効果測定の費用対効果は?」のループに陥るw
そんなまどろっこしいことせずに口先八丁で成長戦略芸人が煽ってそのとおりにすれば反論しづらい「政策」とできる。だから重宝されると。日本のがん細胞だとは思うが。
転職して3年目(3社目)。今の会社は昔の取引先で、いわゆるリファラルで入社した。
その時は今の上司になる人を人間的に好いていたし、いちプレイヤーとして尊敬もしていた。
が、2年目に突入するころトラブルが起きた。年収とリファラル時に約束された業務の件だった。
平たく言うと期待値以上の仕事をしていたのに年収が下がった。その件は上司も加担していた。
事前に約束していた業務からは外されていた(聞けば、私が入社する前から上司がやる仕事として決まっていたらしい)
そんなわけで、なんのキャリアにもならない仕事を、前職より低い収入でやることになっている。
転職をしようにも、完全にキャリアダウンしているからアッパーな転職は難しい。
完全にモチベーションは無くなった。一度その件について上司に話はしたが、結局「勘違いしてた」などという言葉で流された。
この会社自体が人材育成をしていなかった結果、こういうマネージャーが生まれてしまったんだとこの3年で気がついた。
もちろん自分からもっと早くに相談をしていればよかったのだろうが、そもそも何の情報も落ちてこないので、自分が外されていたことに気がついたのは案件が始動してしばらく経った頃だった。
喚き散らせば担当者になれたかもしれないが、引き継ぎの工数やそれによって周囲が被る手間を考えると、社会人として「やらせて欲しい」とはとても言えなかった。
というより、些末なことから比較的大きなことまで書き切れないぐらい、今の上司に対する信頼を削る出来事があった。
取引先としては問題なかったが、マネージャーとしては最悪な人だった。
最近、若手の流出や売り上げの低迷のため、会社自体がようやく人材育成にも力を入れていこうと言う方針になった。
が、もう上司に対して信頼などないし、今更何かして欲しいなどの期待はない。
もしもっとビジネスライクに考えられたら、もっと協力的な態度をとってうまく立ち回って環境の改善に少しでも繋がることができるだろう。
でもそれができない。生まれて初めて会社に行くことが辛い(仕事を本当にしたくない)と思った。
どんなに忙しくても達成感やワクワク感があったのに、もうそれが全く無くなった。
いい上司ではなかったかもしれないが、どんなに仕事が忙しくても月に一回30分面談の時間を持ち、彼らの中長期的なキャリアプランを真剣に考えていた。(いずれ仕事を辞めたいという人であっても、そうするためにどうしたらいいか向き合った)
家庭の相談にまでのったし、自分の仕事が土日に食い込もうと面談を求められれば絶対に断らなかった。
部下と言っても大事なチームメンバーなので、仕事なんて金稼ぎでしかないが極力本人が納得できる環境で仕事をして欲しかった。
自分には話しづらいと聞けば、他部署のメンバーやバックオフィスに頭を下げて面談をお願いした。
給与交渉もかなりしたし、少なくとも結果として部下は全員給与アップしたし仕事が嫌で辞めていった人はいなかった。(はず)
今月から例の「なんでも話して!頼って!改善しよう!」みたいなノリの面談が始まるらしいが、きっと自分は何も話さないんだろうなと思った。
題名のような事を考えた事のある同士に向けて一例として参考になるようメモを残す。
性自認がどうとか男性が女性がとかでなく、あくまで体としての個人の話なのでご了承頂きたい。
そもそもは疑似でもヒトみたいなものと触れ合える「ラブドール」が羨ましかったのがきっかけだった。
もちろん女の体向けも存在している、が値段面や炎上(以前炎上してるのを見かけたことがあるし使ってる事を公言せずとも何らかでバレて晒される可能性もある)、置き場確保等ハードルが高い。
抱き枕にそういう用途のカバーを着せてまぐわう事が可能だ。(向き不向きはあるとは思うが)
めちゃくちゃ羨ましい。どうにか女の体でも抱き枕とまぐあえないかを考え始めた。
男の体の話なら参考になるものがそこそこ見当たるが女の体の話となるとあんまり見当たらない。
「パートナーの為に自分磨き♡」「パートナーを悦ばせたい…☆」じゃあないんだよ、何でそんな事まで誰かの為にせないかんのか。自分の為に決まってるだろ。
話が逸れたがそんな感じで結局見つけられなかったので色々頭を絞って自作することにした。
・インサートエアピロー
本体。色々種類があるので財布とか後述のカバー絵とかを考慮して決めていいと思う。
・インサートエアピローカバー
自分は純正のカバーで十分だったが女の体ではどうしても…となる同士は現状男の体が描かれた枕カバーを加工するしかない。
・棒状のバイブ
・オ○ホ
各々の棒状バイブの直径より小さいであろうものを用意すること。
ピローを膨らませてカバーを着せたらピローの穴にオ○ホを入れそこに棒状バイブの持ち手側を差し込むだけ。簡単。
注意としては、エアピローの場合あまりパンパンに空気を入れるとカバーを着せるときに手間取ったりオ○ホがセットしづらかったりしたので少しゆるめに膨らませた方がいいのと
あんまり深く棒状バイブをオ○ホに差すと電源が押しづらくなるのと
ガッチリとした固定は出来ないのですっぽ抜けに気をつけた方がいい位だと思う。
自涜中は棒状バイブがオ○ホの中で振動するので余計抜けやすくなる。
几帳面な同士なら使う度に空気抜いてとかやれると思うが自分は面倒だったので
いらないトップスをリメイクしてクッションカバーを作りエアピローに着せ、抱き枕として日常使い出来るようにした。
もちろん大きめのクッションカバーを買ってきて着せてもいいが
自涜用カバーを着せたままクッションに擬態させるとしわの元になったりうっかり透けたりするので脱がせた方が無難。
その他グッズも透けない素材の巾着にひとまとめにして仕舞うなり擬態させるなりすると
バレにくくなりバレそうでも時間が稼げる。
強度や隠す面倒さ等色々難はあるがかなり見た目的に満足できたので個人としてはやってよかったなと思った。
どうにか技術が進歩して苦労せず女の体でも擬似触れ合い自涜が出来るようになれば今後かなり助かるのでそういうメーカーには頑張ってもらいたい。
なお某メーカーでは映像とか音声にリンクして動くグッズが出ているので疑似触れ合いもそこまで夢物語じゃないのかなとは思っている。
事件記者のパーカーは、連続殺人犯のリッキーを正義感から助けたが、恩を仇で返され殺されかけた。
再び収監されたリッキーだったが、ある日刑務所を脱走して行方不明となる。リッキーからの報復を恐れ、警察に付き添われつつ逃避行したパーカーだったが、護衛に着いてくれたスッタッグ警部補に好感を持ちはじめ……。
すごく面白い訳じゃないけど、つまらなくもない。終盤、もしリッキーが復讐に訪れたら、その時パーカーはスタッグ警部補に何をしてもらいたいと願っていたのか、その胸の内を白状するところが、人間臭くてよかった。
柴からのプロポーズを受けて、結婚するのもいいかなと思った、秋山くん。だが、自分と柴がふわっふわしていて地に足が着いていない有り様を仲間達に指摘され、自分がしっかりしないと、と決意したのだった。
進路選択を機に我に返って現実を見る、というのはあるあるだけれども、世間に歩調を合わせて妥協するのではなく、「結婚する」という目標はブレないまま、それぞれ成長していくところがよかった。
柴と秋山くんだけでなく、柴の友人のじおんくんやちえちゃん、秋山くんの悪友達も彼らなりに考えて成長し、互いに影響を与え合っている様もいい。
そして、地方のヤンキーや底辺高校生達の人生を回すスピード感がリアル。彼らは都会の大卒がアラサーで悩むような事に、高校在学中に悩み決断するんだよなぁ。
BL漫画を描くような人が、こんな感じの市井の人々にスポットを当て、「ヤンキー」という形だけでなく彼らの暮らしぶりのリアルを肯定的に描くのは意外な感じがした。
第1巻の、かなり酷すぎる性的虐めからのまさかの展開の時点では想像もつかなかった、大団円。よかったわねぇ、皆……と近所のおばちゃんの気分でほろりとしてしまった。
記念すべき第80号。飛ぶ鳥落とす勢いの人気小説家、凪良ゆう先生の作品をコミカライズ! というスペシャルな感じがあるんだけど、寄稿者の人数が今月も少なく、大丈夫なの……? と一読者の私は若干心配になるのだった。朝田ねむい先生の『スリーピングデッド』が2話分一挙公開! さもなければ雑誌がもっと薄くなってしまったよね。私は電子派だから、リアルに本の厚みに一喜一憂は出来ないのだけれども。
ちなみに、『Canna』のテイストはエロ大人しめで、青年漫画に近い感じかな。変わった作風のものが多いと思う。じっくりストーリーを楽しみたい人向け。
ではでは、作品ごとに感想を書いていくぞ。順番は掲載順。文章量があからさまに思い入れに比例してて御免。
昨今はあまりにも小説が売れないが、ストーリーを作れるのはやっぱり小説家、ということで、小説のコミカライズがお盛ん。しかし小説のコミカライズを読む度に、大体原作の方が面白いなって思う。やっぱ、漫画には漫画の、小説には小説のやり方があるんじゃないかな。
という訳で、この作品もやっぱり原作読んだ方がいいんじゃないかなという感想。私自身は凪良ゆう先生の作風が好きだけど、『積み木の恋』は未読。原作の方が好きになれそうと思った。
凪良先生の良いところは感情表現とユーモアで、ユーモアの方は台詞に出がちなのでいいとして、感情表現は地の文に出がち。しかも行間を読ませるというよりは分析的な文章なので、漫画の余白とか空気感で表現はしづらいんじゃないかなと思う。
コミカライズ担当者がまずいという訳ではない。漫画化との相性がいい原作を選んだの? と疑問に思うだけ。
現在、他誌でも凪良ゆう先生の作品が漫画化されているんだけど、そちらは近々ドラマ化される『美しい彼』で、コミカルな台詞回しが多く、少女漫画のセオリーを綺麗に踏襲しつつたまに強烈な逸脱を見せる作風で、より漫画向きな感じがする。
すごく評判のいい作品なのだが、私はつい最近(4、5号前かな)から読み出したせいで、話がさっぱりわけわかめ。最近までは悪魔Jの過去話で、現在は主人公のマコトちゃんがなんか生首持ってJの家に来たところ。
まあ、よくわかんないけど、マコトとJのどろどろの愛を楽しむ漫画なの? 今回はやばやばエロ回。Cannaの漫画っておかしな性癖のエロはあまりない感じなんだけど、本作の今回は若干アブノーマルかなぁ。最中の台詞を読んで、それ奴隷商人痴皇(@『幽遊白書』)が言ってた台詞のやつじゃん、とツッコミを入れたりなど。
ストーカー?×恋愛の美味しい所だけ味わいたいグラスハート のおっさんずラブみたいな感じ。画風がサラリーマン向け雑誌みたいだが、エロはがっつり腐女子好み。エロシーン多め。「×」というよりは「VS」が似合う関係性のようにも思ったが、受けの人は粘着されて嬉しそう。まじかよ。
第1話を掲載した後数回休むってすごいな! と、これまで読んできた漫画雑誌といえば有名少年漫画・少女漫画雑誌くらいの私は思うのだが、Cannaにはよくあることなのかもしれない。
別にBLでなくてもよくないか? と思った。まあ、こういうBLが好きな人もいるさ。
相変わらずタイトルの響きが最高だなあ、ベルガモットアンドサニーデイ! 声に出して読みたいタイトル。
働く大人女子向け漫画っぽいもだもだした恋愛もの。別にBLでなくてもよくないかという気がしないでもない。
オメガバースって、二次創作においては行きつく所まで行ったニッチな性癖感あるけど、オリジナルBLにおいてはネタの範疇に妊娠と出産も一応入る為に社会派の側面もあるよねー。ということで、これもうっすら社会派っぽい雰囲気のある作品。
とはいえ、大概のオメガバースはαとΩのやり過ぎエロとかΩの業の深さを楽しむものだとも思う。本作も社会派っぽい面はあくまでおまけかな。
イエーイ今回一番楽しみにしていましたイエーイ!! 2話ぶん一挙掲載にしても凄い分量がある。全部で80ページ越えだもんな。
ネタバレをしながら書くので、ネタバレ無しで読みたい人は読み飛ばしてください。
今年の8月末日に刊行された第一巻の続き。殺人事件に巻き込まれて理不尽な死を遂げた佐田が、マッドサイエンティスト間宮に拾われ理不尽にもゾンビにされ、これまた理不尽にも食人をして生きることになったのが、第一巻までのストーリー。
巻末辺りで、間宮が実は顔見知りだったことを佐田は思い出す、という謎めいた展開に。
今回は、佐田の記憶に結構ぼこぼこに抜けがあるのが判明しつつ、視点は佐田から間宮に移る。
これまでもっぱら佐田視点で物語が進み、佐田の人となりを読者は佐田の自己認識という形で知ってきた。ところが! 間宮の記憶に残っている佐田の人物像がとても意外。いや、表向きは佐田は昔から非の打ち所のない、ほどほど善良な人物だった。それを間宮はスクカー最底辺のひがみ根性から「偽善者」と決めつけていたのだけれど、あることがきっかけで、佐田の邪悪な一面を垣間見たのだ。
一巻までは、クレイジーな科学者間宮に翻弄されるごく普通の善良なスパダリ佐田、という構図だった。けれども一皮剥けば、間宮は科学的探求心に突き動かされていない時には案外まともな感性を持っているのに対し、佐田は無意識ながら自身の暴力性を発揮する隙を窺っているようにも見える。
理由も無しに暴力を振るわない間宮と、理由さえあれば嬉々として暴力を振る佐田。彼らは似ているようで根の部分は真逆。
佐田の仮面を剥がすと現れるのは、過去に間宮を虐めた奴らと同じような気性で、間宮が佐田に惹かれるのはストックホルム症候群のようなものに思える。お、これって同作者の『マイリトルインフェルノ』じゃん? 『マイリトルインフェルノ』のあとがきに、最初はいじめられっ子が悪魔の力を借りていじめっ子に復讐する話だったが暗くなりそうだからやめた、と書いてあったと記憶しているが、今回はそのテーマに再挑戦するということなのだろうか?
間宮と佐田の過去編にはBLなのに若干百合みを感じる。陰湿×陰湿だからかな。
感情を表情や言葉で表すのが大の苦手な間宮の、一巻までの言動の伏線は全部一巻内で回収(あーこいつ実は佐田のことかなり好きだな、と。)されたものだと思っていたが、そのなかでの特に重要な台詞や表情の一つ一つが、実は二人の過去(しかも佐田には綺麗さっぱり忘れられている)に掛かっていた、というのにはやられた。なんてすごい構成力なの……。
ここまで見てくると、間宮の佐田に対する一方的な想いが実にエモーショナルに感じられ、間宮の佐田に対する言動の一つ一つが愛らしく思えてくる。間宮が佐田の死顔を見、「……あまり変わってないな、キミは」と呟き佐田の頬を撫でるシーンにはちょっと涙が出てしまうな。一巻収録ぶんを未読な人には、変な人の変な行動にしか見えないかもしれないけど。いまだ紆余曲折の真っ最中にあり見た目にまで苦労の滲み出ている間宮が、昔のまま歪みなく順風満帆に大人になり夢も叶えた佐田に対し、羨望と嫉妬以上の眼差しを向ける、名シーンだ。
ところで、佐田が肝心の所をまるで覚えていなかったのは、何かの影響による障害にも読めるし、加害者と被害者の記憶のギャップにも読める。佐田は間宮を虐めた人ではないけれど、佐田の心根にはいじめっ子的な所があるというか。間宮が佐田のことで強烈に記憶している部分というのが、佐田にとっては他人に対する悪意を解放した部分である(佐田本人はスカッといい気分)であるから、そりゃ覚えている訳はないか。
間宮と佐田の過去と二人の関係性、そして間宮の佐田に対する想いは明らかとなった。だが、ゾンビ化が佐田に与えた影響という伏線はいまだ回収去れていない。これが今後どのようにストーリーに関係していくのか。ゾンビものの定石として佐田が人格を喪い人食いモンスター化し暴れ出すとかいう展開も予想出来る流れだし。
次回が待ち遠し過ぎる。
えっ、この漫画もう第5話なの? あらまあ! 時の経つのは早いなあぁ。そういえば、私が初めてCannaを買ったとき、ちょうどこの漫画が新連載として載っていたような記憶がある。
ハードっぽい作風と画風で、日本の漫画という由りは海外の、フランスとかの漫画っぽい雰囲気なのだが、やっぱりBLはBL。急速に恋が始まり、油液が飛んだ。(←何かの隠喩ではない。)ここまで一応事件はあったものの凄い急展開が起こった感はないのだけど、もう5話。一巻以降も続く感じかな。次号とかで終わったら、何だったのかよく分からない漫画になってしまうし。
娼館ものでかつ猫耳獣人ものという欲張りセット。連載が長く続いているのもあり、私にはさっぱりストーリーがわけわかめ。
この間まではなんか過去の話をしていなかったか? 攻めの人がどっか遠い所に行っちゃうような話では? と、前回までの話を把握していないまま今回を読んでも理解出来るはずもなく……。絵が綺麗。しかし、何故レディコミではなくBLなのだろう? という疑問もなくはなく。まあ、こういうBLが好きな人もいるさ。
イエーイ、これもすごく楽しみにしていましたイエーイ!! だが、ストーリーはそんなに進まなかったので、ネタバレのしようがない。
前回までの色々が解決も進展も後退もせず。フィーは子供時代に犯した過ちがシャングリラに及ぶことを恐れて怯え続けれており、一方アポロといえば、輝く白さのホワイト労働のはずがまさかの自身の性質によって馴染むことが出来ずに進退を考える局面に差し掛かっていた。
アポロが試情夫として正規雇用されて依頼、なかなか接点を持てないふたりは、それぞれの悩みを一人で抱え込んだまま、ひたすら悶々とし続ける。
精神的に詰みそうになったタイミングで、運良く二人きりになれたとこまでで次回を待て!
なんとも言いようがない。ただ、座裏屋蘭丸先生の描く、男子達がより集まってあーだこーだ言い合うシーンは最高だなあ、ということくらい。
絵柄がすごく綺麗なのに、背景を真っ裸で歩くフィーの超遠目に映ったおちんが白抜き修正されてしまうのが、地味に悲しい。全身クローズアップ絵では脚とかで隠し切っているのになぁ。
別にBLでなくてもいい気がするのだが、BLじゃなかったらこのモフモフが観れなかったので、BLでよかった。
つむぎの狐Ver.の口元のふにゃふにゃさと狐らしいお手々の感じが癒し。だが今回は人間姿でこってりエロ回。モフモフしっぽガードがよかった。
この作品はかなり人気があるようで、Cannaの代表作といえばこれ、みたいな扱いをされているけど、私はあんまり好きじゃないんだよなぁ。BLなんだけど、少女漫画特有のねっちりさがあるところが、あまり好みではない。そういうのが良ければ少女漫画を読むよ。しかし世間ではこれが王道綺麗めBLなのかもしれない。知らんけど。
***
個人的に、「BLなのに百合みがある」は正直な感想でありつつ褒め言葉でもある(と言いながら、私はあまり百合は好き好んでは読まないのだが)のだけど、「BLでなくてもよくないか?」は明確にdisりとして使っている。
せっかくの増田。何もしがらみのない場所なので、そりゃ忌憚のない感想をかくさ。
では今日はこの辺で。
直接ね、奥さんの会社の社内規則とりよせてしっかりよみこんだほうがいいよ
よく「うちの女性社員だけ産休ズルイ」とかいう雰囲気が課内にはあるから妊娠しづらいけど
総務課(および実は社長)は弊社社員の産休取得を男女とも推進しています、なにかいう課長がいれば社長肝いりで黙らせます(そうしないと産休取得率が低すぎるので会社が社会的にシメられてるのでちょうどいいチャンスだった)みたいなのよくある
進行管理の仕事をしていますが、ミスを連発して上司から「もう次の案件では絶対ミスしないでね」と優しく叱責された今朝。
落ち込みながらも気持ちを切り替えて仕事してたら、さらに別のミスをしていることにさっき気づきました。どうしてこうなった…。
「ミスしないように検知するのも進行管理の仕事だよ」とも上司に言われました。ちなみに自分は経験7年目です。新卒への助言みたいなこと言わせてすみません。
上司含め先輩も同僚も、ミスの起因調査と再発防止検討に協力してくれて本当に職場に恵まれてると思います。
それだけに貢献どころか迷惑かけっぱなしで本当に申し訳ないです。
メンタルしんどいとき、家族に仕事辞めていいか相談したら一蹴されました。既婚なので収入を得る責任があるし、仕方ないけどね。
ちょっと前にこんな増田を見かけたけど、この増田と新人さんの心象想像して読むのしんどくなりました。
https://anond.hatelabo.jp/20211022205638
↑の増田のブコメに仕事や職場との相性を指摘するものがあるけど、自分もそう思います。
自分は発達障害の診断もらって投薬しつつ現職続けてますが、自分の中の一定水準からスキルが伸びてないことに最近気づきました。ここ2年くらい仕事の難易度上がってないし、新しい仕事振られません。なのにいまだミスが減らないし、寧ろ緊張感が無くなったせいか頻発してます。
同僚に経験年数も年齢も同じ人がいて、(お互い中途入社なので経験した案件は全く違いますが)比較して全く成長してないのも輪をかけて辛い。
その同僚は本当に優秀で、チームリーダー的なポジションに就いたし、自分が日々困ってることの言語化も協力してもらってます。全然レイヤーが違う。本当にありがたいです。
その点についても上司から言われました。「◯◯(同僚)さんと同じような役割を担って欲しくて採用したのに」と。
これ以上合わない仕事続けて、スキルも伸びないし自分も周りも辛い思いし続けるなら職種変えようと考えがよぎっています。発達障害と相性のいい仕事且つ家族を養える年収の職種って何でしょうね…。
わかってたら皆やってますね。
家族といえば、心療内科に通い出して半年経つことも打ち明けられずにいます。
初診前、通院したい旨を家族に相談したらやめとけと言われてしまったので。結局その後限界が来て内緒でかかっています。
年齢も年齢なので早く子供も作らないといけないし、それには異業種への転職は諦めて現職でもがき続けたほうが長期で考えて建設的な気がするし、この仕事ずっと続けなきゃならないのかと絶望するし、もうどうしていいのかわからなくなってしまいました。
うだうだ考えてないで転職に向けて準備しろとお叱りを受けてしまうと思いますが、
どうしても気持を吐露したいくらい今辛くて、でも話せる場や相手がいないので増田に書かせてもらいました。
最も相談しづらい存在が家族になるとは思いもしませんでした。利害関係の無い誰かに気軽に愚痴話したい。
長文読んでくださり、ありがとうございました。
自分は「維新がテレビメディアを恫喝・懐柔して、どんな失政をしてもバカにしたような批判を絶対に許さなから」と単純に考えている。どんな間違いをしても、情報番組で吉本芸人たちがすかさず「頑張っている」とフォローを入れる。「みんなの空気」に合わせるのは私たち日本人の習い性で、テレビをみて空気を読めば自然と維新が投票先になる。自民や立憲は「頑張っている維新」に「水を差す」存在なので、当然嫌われて票を落とす。それだけの単純な理由であると思う。
少し翳りが見えるとは言え、とくに中高年には日本のテレビ報道の信頼度は依然として絶大である。そこを抑えているから維新は強い。安倍政権や菅政権の序盤も、完全にこれで理解できる。菅政権の後半以降、緊急事態宣言の菅首相のぐだぐだ記者会見が続き、テレビは少しづつ批判を遠慮しなくなった。そしたらわかりやすく支持率が激減した。菅政権の延命ということだけを考えたら、記者会見はやるべきじゃなかったのだろう。
思い起こせば、第二次安倍政権が誕生直後、フジテレビで安倍と産経の報道記者とがニコニコ飯食っている番組が放送されていて「なにこれ気持ち悪い」と思ったけど、その後7年半も政権が続くことになった。メディアを懐柔した結果である。民主党政権時代、記者に「悪いことを書くなよ」と冗談を言ってバッシングされて辞任した大臣がいたけど、自民党はもっと裏で露骨にやっているのに一度も報道されずバッシングされなかった。非常に腹立たしいけど、結局そういう単純なことなんだと思う。
頭を使うより体を動かすほうが好きなので、ウェットのバイオ系研究室に入った
3回生までの学生実習は楽しかったけど、研究室で何やるかまだ分かっていない
スペが入ったのはテイオー研でした
配役はこれ
研究所所属のメジロマックイーン教授の話をよくしてくるので勝手に会ったことないマックイーン先生に親しみが湧いている
トウカイテイオー教授の夢いっぱいなヴィジョンを現実的に進められる実務能力を持つ教授の片腕が務まるのはエアグルーヴ
研究進めてみるといつもトウカイテイオーの見ているものが正しくて驚く
物静かだけど理路整然としていて、それでいて行動力を持つのが助教エイシンフラシュ
なんか心向くままに研究やってて、一般企業に就職もしたくないままいい結果出してきて助教になったナカヤマフェスタ
クッソ頑張るしギラギラしてて尊敬できる先輩なんだけど、なんかいつも怖い
でも機嫌いい時は色々面倒見てくれる
無理しすぎてるから、たまに寝坊していない日はついに死んだのかと思う
ちょっと話しづらいけどめっちゃ知識が幅広いので、セミナーで質問してくると一番嫌なのがゼンノロブロイ先輩
最近、トウカイテイオーに国際学会に連れてってもらって張り切っている
DC1取っていて、マイペースで実験するからあまり話さない先輩
でも自分がセミナーすると、たまに楽し気に、ほう、とか言ってくれるからちょっと嬉しい
なんか頑張ってるのに結果が出ないのでいつも難しい顔してイライラしている
「ドクターは何も考えずに行くところじゃない」といつも言ってくるのが怖い
研究室対抗ソフトボール大会で優勝経験がある研究室だから、という理由でテイオー研に入った
実験中にトレーニング理論話してくるのがよくわからんけど先輩だから聞くしかない
ヲタクでこわい
優秀だよ、と聞くけど正直よくわからない
セミナーでヲタクっぽい絵を挿入してくるのでエアグルーヴ先生がよく怒る
めっちゃ面倒見てくれる優しい先輩
ミドリカワ書房の『恍惚の人』が浮かぶけど、どんでん返しとはちょっと違うかもしれん
2019参院選から、自分の1票を最も有効な形で使う、ってことを意識し始めたんですよ。
例えば定員2名上の選挙区だったら、ほぼ当選確実な候補とかほぼ当選しないであろう候補は一旦無視して、当落線上の候補を吟味して誰に入れるかを考える。
所属政党とか当人の政策とか、許容できない言動の有無とか、そこら辺調べて。
その上で投票結果を見るのが凄い楽しくて、僅か0.5%の相対得票率の差で当落が決まることもあるんだな、とか、初めて選挙結果の細かい数字を気にするようになった。
これは当時定員が複数の選挙区に住民票があったからこその楽しさではあったけど。
比例代表もさ、全国統一で入れたい候補に直接入れることができる訳じゃん?
当落だけじゃなくて得票数も大事、みたいな話があったし「数字に活かせている感覚」みたいなのを覚えることができたわけよ。
誤解を恐れず言えばゲーム感覚で投票先を選んだと言っても良い。
流石にマズいか?
投票行動のゲーミフィケーションとでも言えばマシか?多少はマシかな?
んで、翻って衆院選よ。
定員1名。
候補者も少数。
競り合ってるなら全然いいよ?
でも投票前の段階で大勢決してたら「自分が1票入れたところで」ってなるわな。
しかも負けるであろう候補に入れようもんなら開票を待たず死票。
まあそれでも世代別投票率に少しでも寄与できたら程度の考えで今までもずっと投票はしてたけどさ。
あと比例代表な。
ブロックに分かれている。
これも小選挙区ほどじゃないけど、全国統一と比較すると死票を生みやすい?
2019参院選のときの鳥取・島根とか徳島・高知みたく複数の県で1人だけってなるとマジかよってなるし、なんなら後者なんて徳島を地盤にした候補が1人も居なかったって話だし。
分かるんだけどね…
まあ行くよ、今回も。
でも前回の参院選の投票行動が楽しかっただけに、今回はあんまテンション高くない。
あ、用語とか間違ってたら教えて下さい。