はてなキーワード: しづとは
経営者なりたての新参者だけど、とても興味ある話題だったので書いてみる。
うちは今年創業の、まだ出来たてほやほやの会社。業種はWeb関係。
スタッフは6名、20代~30代前半がメインで、ITツールを使いこなすスキルもある。
コロナ禍真っ最中の創業当初、リモートワークをフル活用して新しい働き方を目指すぞ!と意気込んでいた。
スタッフ全員にMacbook proを配布し、ヘッドセットも用意し、オフィス内にはGoogleMeet専用のiPadを設置して、
いつでも気軽にオフィス内スタッフともコミュニケーションしやすいようにした。
リモートワーク中はMeet接続推奨だけど、必須では無く、カメラやマイクも必要に応じてONにするルール。
クラウドサービスも駆使した。Googleカレンダーで予定を共有し、Trelloで細かいタスクの進捗をリアルタイム可視化した。
普段のやり取りはSlackでスピーディに行い、業務データは全てDropboxとGoogleDriveで完全共有。申請等もほぼペーパーレス。
しかし色々試行錯誤する中で不都合が多いことに気づき、今では事情がある場合を除いて、オフィス勤めとしている。
よく言われることだけど、やはりこれが最も課題だった。私の力不足と言われればそれまでなんだけど、管理職ってほんと難しい。
スタッフ一人ひとり、能力も性格も、欠点も得意分野も、好き嫌いも全員違う。たった6人のスタッフに気持ちよく動いてもらうだけで、毎日必死だ。
そう、管理職って、スタッフに気持ちよく動いてもらう場作りが仕事なんだと思っている。
そのためには、スタッフ一人ひとりをしっかり観察して特徴を把握し、活躍しやすい場を提供することが大切なんだと。
例えばあるスタッフは技術的にベテランなのだけど、仕事に過剰なくらい真面目に細やかに向き合ってくれる。
一方で、放っておくと細かい部分で悩みすぎて手が止まってしまうことも多い。
であれば、ちょっとでも悩んでいるようならすぐに声をかけて、私がスピーディに判断を行っていけば、さらにパフォーマンスを上げられると考えた。
一方で新卒で入社したスタッフもいる。社会人成り立てで、当然ビジネス上のルールなどをまだ理解できていないので、つきっきりで教える必要があった。
遠方から引っ越してきたために友達もおらず、唯一人とコミュニケーションが取れる機会が、うちの職場だった。
ちなみにうちの会社はいわゆる「コワーキングスペース」に入居しており、他社や学生など色々な人が出入りする。
この地で心地いい人間関係を作ってもらい楽しく生活してもらうためにも、リモートだけでは難しかった。
このようにスタッフによって全く異なる条件を踏まえて、彼ら彼女らがもっとも活躍できる環境を「早急に」組み立てていくには、リモートワークはハードルが高かった。
もちろん潤沢な時間があれば、スローペースでも問題ないだろう。
けど、創業したてで事業が安定していない中、最短で利益を上げられるようにならなければ会社の未来は無いと判断した。
あるスタッフは、大都市の大手企業のもとでバリバリ経験を積んできた方だった。
その会社では、大手広告代理店直下の過酷な環境の中で利益を上げることを最重要視したビジネスを行っていたと聞いている。
しかし、ウチは少し「ソーシャルビジネスの要素」が入ったビジネスモデルを志向している。
そのためクライアントにもそういう団体等が多く、うちも利益「だけ」を目指す仕事の受け方をしていない。
全く利益にならなくても、社会益があると判断したら受ける案件もある。
そのためには、うちの会社がどこを目指して歩んでいくのか、という「ビジョン・ミッション・バリュー」の共有がとても重要だった。
ベクトルを合わせて目標に向かって進んでいくのは、立ち上げたばかりの会社にとっては死活問題だ。
しかし、いくら標語を掲げても、全体MTGで話をしても、そういうものってなかなか伝わらない。
日々の雑談のはしばしや、経営者の働き方や姿勢をフルタイムで見せていって、やっと伝わるものだと思う。
目指したい価値をチームで生み出すためには、単に決まった時間に仕事をスタートさせて、
数字で表現できる成果を上げて、定時まで働けばOK、というわけには行かなかった。
人間関係って、相手のことを理解するまで不安にさいなまれることが多いと思う。
この人は本当は何を考えているんだろう、裏切ったりするんじゃないか、とか。
スタッフ側もそうだと思う。
この会社は本当に信頼して自分の人生の一部を預けることができるのだろうか、と。
そういう不安を払拭するには、沢山コミュニケーションをとって、さらには態度で示していくしか無いと思っている。
私は、あなたを信頼している、だからあなたも信頼してほしい。そのために、こんなに色々あなたのためを思って考えている。そういう態度。
そういう安心感があると無いとでは、仕事へのモチベーションも変わると思うし、
もし会社がピンチな状態になったとしても信頼があれば力を合わせて乗り切れると思う。
ちなみにうちではスタッフごとにノルマのようなものは設けておらず、「みんなで協力し合って案件を達成する」ことに重きを置いている。
新卒の子でも得意分野ではベテランスタッフを助けることもあるし、もちろんその逆もしかりだ。
そういうしっかりした人間関係に基づいた信頼感、安心感の醸成には、やはりリモートワークオンリーは厳しいと感じた。
他にも細かい理由は沢山あるけど、そういうわけでうちはリモートワークを非推奨にしている。
ざっくりまとめると、「ビジネスとは言え、ビジネスライクなだけでは組織は成り立たない」ということだった。
例えば、体調が優れないとき(本当に調子悪いときはもちろん休暇を取らせる)、子供が調子悪い時、
重要な荷物が届くなど自宅にいる必要があるとき、年末年始の混雑を避けて帰省したいとき、など。
そのくらいの柔軟性があったほうが、社長自身にとっても都合がいい。
ちなみにスタッフの感想によると、オフィス環境も居心地が良いように気を配っているためか、積極的にオフィスに来たいと思ってくれているようだ。
集中できるし、スタッフ間で相談もしやすいし、おやつ食べ放題だし、地方なので満員電車に揺られることも無いし。
定型業務が多く数字で成果を出しやすい業態、ベテラン揃いでスタッフが自立して動ける環境、出勤するだけで満員電車等でエネルギーを消費する環境、など。
それであれば、諸々考慮してもリモートワークのほうが成果が出るかもしれない。
逆に言えば、どんなに働き手にとって都合が良かったとしても、事業として成果を出せなかったらリモートワークは選択できないとも思う。
なるべく柔軟にいくつもの選択肢を用意して、結果としてスタッフが成果を出しやすい働きやすい環境を作るのが重要なんだと思っている。
異論反論、質問、歓迎です。色々な人の意見、聞いてみたいです。
そうですね、権限移譲はとても大きいと思うけど、強いチームを作るには後者の3点が欠かせないが故にリモートワークオンリーは難しいと思っている。
意思統一については、本文には書かなかったけど、引っ越しを期に完全リモートで遠隔地にいるスタッフがひとりいて、
その子とは1年以上毎日膝を突き合わせて議論を重ねていたので、例外的に成り立っていると思っている。
音声チャットは考えていなかった!ちょっとやってみるよ。電話にせよLINE通話せよ、もちろんZOOMも、それなりにハードルあるんだよね。
へええ、こんな考え方あるんだ。勉強することたくさんあるなぁ。組織が一丸となって目標達成させるためのもので、ちょっと高めに設定するのね。
ガチガチに目標設定して、結果マイナス評価になりがちなものより、ポジティブに機能しそうな気がする。
ちなみに今でもざっくりとしたチーム全体の目標売上とかはちょっと大きめに共有している。もうちょっと深堀りしても面白そう。
確かにそれが理想。いずれそういうふうにシフトしていきたい。今は創業初期でメンバー少ないゆえの一枚岩戦略なんだなーと改めて自己認識した。
組織が大きくなったらそうもいかなくなるし、逆に多様な考え方の中から価値あるものが生まれてくると思う。
経営者に発信力があって(多分魅力的なビジョンやフィロソフィーが明確にあって)、増田さんもそれにしっかり向き合っているのだろうな。
そういう事柄の重要性を相互に理解しあっているというか。リモートでも強い組織を作っていけそうな環境ですね。
ほんまか!ありがとう~嬉しい
すまんな・・・。ちなみに以前会社勤め(銀行系SI)していたとき、多分私も増田さんと近い感覚やった。
やりがい搾取、サービス残業、業務外の付き合いとか、無くなればいいって。
雇用契約で9~18時働くことになっているんだから、それで十分だろうって。
(今も大体そう思ってるけど)
経営する立場になって気づいたんだけど、信頼できる関係性内での多少の融通は、人生を変えるほどの大きな変化を生むってことに気づいた。
おれ30歳過ぎてから一度うつ病を患ってて、数ヶ月寝たきりで、それまで勤めてた会社も辞めて信頼できる仲間も友達もだれもいなくなって、
けど、たまたまPCやウェブに詳しかったから、知り合いの知り合いとか、頼ってくれる人が周りにいたんだよね。
少しばかり無理して頑張って要望のちょっと先を目指してみたら、クライアントがめちゃめちゃ喜んでくれて、びっくりするほど感謝されて、差し入れまでもらえて。
そこから地域での居場所や信頼関係が強固になって、困ったことがあったら助けてくれるような関係性が生まれたり。
それが、会社、スタッフ、クライアント、その他ステークホルダーを超えて、広がっていった。
そうこうしているうちに、うつ病は完治してしまった(何年もかかったけど)。
そして会社を作ったわけだけど、個人事業主時代から一度も宣伝広告を打ったことがない。
口コミとリピートオーダーだけで法人化してスタッフ6名まで成長できた。(まだまだ極小零細)
会社勤めしていた10年間、会社に言われた通りに仕事をしていたけど、自分自身が価値を生み出すべきだ、なんて考えたこともなかった。
みんな惰性で働いているか、上司のパワハラやクライアントのクレームが怖いから、仕方なくがんばってた。
そこで理解したのは、どんなに時間通りに真面目に働いても、価値を生み出さなければ意味が無いし、そうなったら会社組織は存続できないってこと。
けど、経営者と被雇用者はもちろん立場が違うから、スタッフをおれと同じようにさせるわけにはいかない。
なるべく自由で居心地のいい環境でパフォーマンスを出してもらうことを毎日考えている。
顧客に対してぼったくることもしない。取引先を無理に叩いて値下げさせるようなこともしない。
そんな中で考えたのが、ビジョン・ミッションを明確にし、チームが一丸となれる体制づくり。
限られた労働時間の中で成果を生み出すためには、色々な物事を価値を生み出すために最適化・効率化しないといけない。
(リモートワークチャレンジもその一環だった。うまく行かなかったけど)
ビジョン・ミッションはスタッフも含めてみんなが幸せになれるような理想を描く。と言っても全く手が届かないようなものではなく、
頑張れば少しづつ実現できそうなもの。そのために、みんなで頑張ろう!それも、楽しくやっていこう!って。
ドライに仕事をして責任を全うし報酬を得ることだって十分立派だと思ってる。
けど、それだけでは生み出せない価値を、うちのチームでは生み出したいといつも願っているし、それがスタッフやクライアントや地域の利益につながると信じている。
友達はみんな善良なんだけど
自分が夫のこととても尊敬して感謝してるってこと詳しく話すと、自慢でマウントとってるように聞こえちゃうんじゃないかとブレーキかけてしまう。
友達のこと信頼してるのは本当なんだけど。
そういう人が多いから、未婚層が結婚のいい話聞けず、夢も希望も持てないのだろう。
夫の好きなところ
情緒が安定してる
ものづくりが好き
年上にも年下にも慕われる
仕事がかなりできる
趣味が多い
人生楽しんでる
教養を重んじている
等
掃除が苦手とか、所々コミュ障とか、もちろんちょいアカンところはある。あと客観的にみたらハゲてるし肌年齢は実年齢+20歳でお腹は出てるけど、それも苦労の証と思うと愛しいよ。
おめでたいツイートを見かけたらいいねボタン押すのと「おめでとう!」とリプライするようにしてるんだけど、
役職上がれば上がるほど、相手の都合考えずにいきなり呼びつけたり、席にいったりして雑に仕事依頼したり、ヒアリングできるからな
リモートだとメールでわざわざ文章こさえてヒアリングしたり、依頼しなくちゃいけないし、電話だって出ないリスクあるし、直接依頼するときの圧みたいなもん使えないしな
色々面と向かってやったほうがスムーズなんだろうなぁ
周りの友人は、面白い事を文字でうまく表現していて羨ましいのだ。
それがとても羨ましい。
普段は店頭販売でお客さんを笑わせたり、クレーム対応も静かに終わらせたりしており、
プライベートでも会社の飲み会でも、ちょっとした専用のトークタイムみたいのを用意される感じだ。
飲み会の時は必ず何か話せと言われて、自然な流れで笑い話や感動できる話が出来る。
普段の何でも無い事すらイベントにしてしまうので、楽しいらしい。
(私自身は、クドくないようにスラーっと会話しているだけなんだけど)
会話が自身のセンスなので、文字に起こすと会話だらけになるのだね。
いわゆる 「」 だらけ。
だが、周りの人は出来てしまう。
悔しい。羨ましい。
文章のセンスというのは本を読み続ければ磨かれるものなんだろうかね?
同僚の子供にラノベを勧められたが、時間がなくてなかなか読めないのだ。
気合出して読んでみようかな。
やりたかった分野の研究室で優秀な人が揃っているところだった。
なんとか進学できたが、実力不足をカバーできなかった。研究計画もろくに建てられず、先輩の研究を引き継いで、無理くり新規性を作っていた。
学部の研究室で研究計画やサーベイをやっておらず、研究のやり方がよく分かっていなかった。
そんな研究室に嫌気が指して、他の院の研究室に進んだが、ぬるま湯に浸かりきっていた自分にはついていくことができなかった。
ちゃんと教授に相談できていればよかったんだが、コミュ障で悩んでいることを相談がうまくできていなかった。自分の直接の指導教官のグループでの不在が多かったことで話しづらかった理由だった。
実力不足を感じていたこともコミュニケーションをうまく取れないことに拍車をかけていた。
また、私の研究は最先端のトピックから外れていて、最新の学会論文と結びつけることが難しく、最新の英語論文を読むことを怠けていた。
そんな状態で研究をしようと無駄に手だけを動かしていて、就活を先延ばしにし、見事に失敗してしまった。
なんとか受かった会社からバイト依頼が断りづらく、修論直前まで行っていた。
その研究分野には大変魅力を感じており、今でも関われたことは良かったが、本当に不甲斐ない結果しか残せなかった。そのことは本当に後悔している。
グラフィックとか追加要素がほぼないとかは承知の上で買ってるわけだし(フルプライス取るほどか?とは思う)、バグはまだ遭遇してないから気にしてない。
そんなことよりも基本的な移動がしづらいせいで何するにもストレスが溜まるのがヤバい。まともに遊ばせてほしい。
BDSPにおいて、フィールドは原作とほぼ同一の配置で、マス目状に作られている。十字キーを使用することでこのマス目を1マスずつ動くことができて、スティックを使用することでマス目を無視した360°移動ができる。
当たり前だが、マップは本当に原作そのまんまなので斜め移動を想定して作られていない。あらゆるオブジェクトは直角に作られている。どこに移動するにも障害物にぶつかる。とにかくつっかかる。
さらに壁にぶつかりながらの斜め移動をする際は大幅な減速が入るようになっていて、突っかかる部分をスムーズに抜けることができないようになっている。
一マスの隙間を抜けることを求められる地形が元々大量にあるゲームなので、さらにこのストレスが際立つ。
じゃあマス目で移動すればいいじゃん、とも思うがこれも操作性が悪い。
・十字キーの入力には下<上<左<右という優先順位が存在し、同時入力した際にはより強いキーが採用される
例えば、右に移動中に上に方向転換したい時はどうすればいいか?
「右キーを押しながら上キーを押す」これは方向転換できない。右に進み続ける。
「右を一回離してから上を押す」これだと一回硬直が挟まり、テンポが悪くなる。
正解は「右キーを押しながら上キーを押しておいて、方向転換したいタイミングで右キーを離す」。これでスムーズに移動できる。
ちなみに上への移動から右への方向転換の場合だと優先順位が逆で今度は「上キーを押しながら右キーを押した」瞬間に方向転換する。気をつけましょう。
自転車は初速が極めて遅く、2マスくらい進んだところで急加速して最高速度になる。これがヤバい。まともに制御できない。
上記の通り、スティック操作でも十字キー操作でも減速や硬直が挟まる。そのたびにトロトロとした初速に戻ってしまう。
最初の1マスをゆっくり移動→急加速→停止→最初の1マスをゆっくり移動→急加速→停止を繰り返す。このストレスがひどいうえに、なんなら自転車を使わない方が早い。
リメイクとしていい悪いとかじゃなくて、普通にゲームとして操作性が悪いのがひどい。
ポケモンは長いこと「毎年新作ゲームを出す」という縛りをやっていて、明らかな納期不足が原因でのクオリティ低下がどんどんひどくなっていた。去年は珍しく有料DLCを出すだけに収めていたのは成長したなと思っていたんだけど、外注でこのクオリティでもいいから販売しちゃえってのはやっぱり進歩してないな...
だからって何もするなとか、強い気持ちでいろとか言うのは安全管理的に微妙な話ですけれども
対策はすればいいんです、後は対策したものにも改善を求めるとかね
そういうのが自浄作用とか言うんでしょうけれども
まぁ性善説がねじれ切ってる世の中では中々機能しづらいものです
だけどまぁ便利だから良くも悪くもなり続ける、となったなら、性善説よりも大事なのは改善することこそ今後の便利の為になると報せ続けることなのかもしれないですね
丁度僕らが手洗いうがいマスク消毒をちゃんとしたらインフルエンザに罹る人が激減したのと同じように
ということで本日は【手洗いうがいよいか】でいきたいと思います。
手洗いうがいよいか!手洗いうがいヨシ!
学生の集団チャリもウーバーもまあ鬱陶しいんだけど、頭抜けて恐ろしいのはママチャリ。次点でジジイ。
何が怖いかって、全体的に腕力体力のなさそうなママさんがゴツい荷台に買い物袋満載だったり、前後のチャイルドシートにお子さん乗せて歩道爆走してるんだよね。腕力もないから制御しづらそうにしてるし、車体感覚もないのか結構スレスレを通り抜けられたりする。ツイッターの人みたいに交通法規にも疎そうだし。重そうな車体ガタンガタンさせて何の遠慮もなく鼻先掠めていくの、本当に怖いんよ。
まああれで車道走れというのは酷なんで言わないけど、ママチャリ爆走勢はせめて気を使って歩道を走行してほしい。なんでだいたい我が物顔なんだあいつらは。
最近、インディーゲームを作る人とかお絵かきする人とかといったような、会社がお金をかけてコンテンツを作って売り出すというのとは違って個人か多くても数人程度の人達が手弁当でコツコツとやっていてそれがうまくいって今はそれで食べていけてます、みたいな例が結構出てくるようになったと思うのね。
これ自体はとても良い事だと思うし、実際そういう記事を読んでるとこの人達がこのまま良い方向に行くといいなぁ、と思うわけ。
そうなんだけども、そういう記事や話題を見かけた時、「じゃぁ俺はなんで報われないんだ」みたいな気持ちが少しづつ育ってしまっている感じがしていて困っている。
なんでかっていうと、俺は俺で個人でアプリを作って何年か前から公開して使ってもらってる感じの事をしているんだけど、食べられるような収入どころか、投じているお金だけで考えても赤字になってて、さらに投じている時間まで考えるとなんでここまでやるのか全然わからんというのが正直な所になってて、そういう状況からするとこう、うまく行った人達は良いなぁ、俺は辛いだけなんだよな、「お金ない助けてって言ったらパトロンができた」ですって?凄いな。俺も似たような事を言ったことあるけどその時はAmazonギフト券1000円分しか貰えなかったよ、とかそういう感じでいちいち比べてしまっているわけですよ。
まぁ、記事になったり話題になったりする人達はそれこそ成功例なわけなので、失敗例であるところの俺の現状と比べたらそりゃ惨めにしかならないのは明らかなんだけども、そういう記事を読んで鬱々とした気分が育ってしまうというのはなんというか「よくない」よなぁと思うわけ。
昔はそんな事気にしてなくて、ただただアプリを使ってもらえているというだけで嬉しくて、「これこれこう駄目なので星1つです」みたいなレビューがついても、「なるほどそこが気になって使えない判断をしたのか。じゃぁこう直したらどうでしょ?」みたいな気分でゴリゴリとアプリを改良していってたのよ。星1つレビューでもレビューがついたことが嬉しいとかそんな感じ。
他に、「変な動作をします」とのお問い合わせを受けて、「どういう事ですか?」と返信してそれへの返信を貰って、「あぁ、これはこの機能を使えていないのだな」とわかってやり方を説明する、みたいな事を毎日何回もやるために時間が奪われてしまうので、そういう人を減らすために そもそもその変な動作ができないようにする、であるとか変な動作をしてもそのまま設定画面に遷移できるようにUIを作り直したりするといった形でお問い合わせを受ける回数をへらすような努力もしていったりして、アプリ自体は良いものにしていってると思ってる。
で、そういう事を何年もしていると、俺は使わないような機能だったり、実装がとても大変な機能だったり、サーバ運用が必要になってコストがかかってしまう機能だったりといったような、実装しにくい機能を要求するようなお問い合わせばかりが残る事になってしまって、これらを実装するのはそりゃ望んだ人は嬉しいんだろうけれど、俺は全然うれしくないし、実装にかけるコストに対して俺の楽しさが少なすぎる、というような状態になってしまった。
でも、それでも、使ってくれている人達はそういう事を望んでいるんだと思うので、できるだけそういう事までできるようにとほぼ中身を総入れ替えするような大修正をやったのよ。
まぁそこまでやっても解決できていない問題はあるわけなんだけども、それはしょうがないとしてもかなりの未消化のお問い合わせが解消できたと思ってたわけね。
でも、実際はそうじゃなかった。確かにその大修正で喜んだ人は居たけど、そういう人は俺の所に問い合わせてくる事はなく、ただ自分で喜んだだけで、俺からはほとんど観測できなかった(まぁ少しは居たけど片手で数えられる位だ)。で、そうではない人が激増した。今までのお問い合わせの数とは比べ物にならないくらい、「前はできていたアレコレができなくなった」であるとか、「新しく実装されたアレコレは俺の思っていたアレコレではない」であるとか、「アレコレができるようになったけど使ってない。何故なら〜」であるとか、それはもうなんというかお前らそれだけ文句があるなら自分で作れよとしか言いようがない位の数のお問い合わせが寄せられたわけよ。
で、まぁ、それらはなんとか修正したり返信で納得してもらったり告知文に出して納得してもらったりして今は沈静化してるんだけどもさ、それだけやっても後からあとからよく思いつくよねアプリのアラ探しが仕事なの?と思いたくなる位には大量にお問い合わせが届くわけですよ。
で、もうさ、お前らのためにタダ働きするの疲れたよという事になってるわけ。で、今そういう状態にある俺が「一人でコツコツやってうまくいきました」という人達の記事やら話題やらを見かけると、「じゃぁ俺はなんで報われないんだ」と思ってしまうのはどうしようもないという気はするんだけど、でもそれってただの僻みだよなぁ、この成功した人だってこの記事や話題では触れられていない様々な努力をして今があるのだし、もしかしたらたまたまうまくいったという幸運な事もあったかもしれないし、俺にも同様な成功が得られるなんてことは無い方がより自然だってのは頭ではわかるんだよ。
そりゃ、見る人によっては「お前それは駄目だろ」みたいな事しかしてないんだろう。俺にはそういう成功例の人達みたいな道を選び取るような商魂たくましさがなかったのではないかとか、そういう理由付けはきっとできるんだろう。そういうもんだというのも頭ではわかってるつもりだ。
でも、けど、それでも、俺はアプリを使ってるユーザには真摯に対応してきたし、それを誇りに思ってしまっていて、それが故に、これだけユーザに尽くしてきたのにAppleに年間で払うデベロッパ登録料すらも払えないくらいのAmazonギフト券しか貰えてない現状なのはどうなんだという気がしてしまうわけ。
はぁまぁでも、完全にただの僻みなんだよこれ。うまくいってない人がうまくいってる人を僻んでるだけ。うまくいかないのの理由はたくさんあると思うけど、単に僻みなんだよ。なので増田に書いた。あってよかった増田。
今の販売管理システムどっかで入れ替えないといけないんだけど、今メンテ頼んでる電算屋さんとか某塚商会とかが提案してくるシステムだと現状よりもデータ引っこ抜きできる範囲が狭くなるみたいな説明を受ける
現状はどうかというと、だいたい全部自社内サーバーからアクセスでデータ引っこ抜けちゃうので売掛買掛残の管理から価格改定からお歳暮の送り先までほぼ全部をアクセスで引っこ抜い済ましており、それが出来ないと困ると担当者(実質のシステム設計者だね)から言われている
しかしそれで便利かというとアクセスから抜いたデータを半ば手作業的に加工しており(多少のマクロは使うがマクロ使う前のデータ修正とか細かいとこでなんか引っ掛かる)、サーバーがオフラインな都合で仕入れデータ入力や支払いデータ入力も手入力を経由してしまっており(そこで金額や数量のチェック作業を兼ねている形になってるのも変更しづらい理由のひとつ)、営業端末からシステム在庫を見るみたいなことも出来ないでいる
ソリューション展示会とかでソフトの説明を聞いても部分部分の改善は判るんだけどそれをどう繋げるか、線引きするかのデザインは小さい変更で済みそうにない気がしてる
某塚商会の営業とかでなく、もうちょっと詳しく突っ込んで聞ける人おらんかなあとなってしまっており、いいかげん危機感があるんだが下手なコンサルの意見ではとてもまとまりそうにないとも思ってしまい、躊躇しまくりである
なんとなく事務じゃなくて業態そのものを見直せ、と言われそうなのだが、そこはちょっとおさえて、事務処理改善が可能というアドバイスがあるなら教えて欲しい
https://twitter.com/fromdusktildawn/status/1457653213834866693
このツイートがバズっていて、一週間も前のネタだが、正直違うんじゃねーかと思ったので書いておく。
ちなみに、ツイート自体にはイラストの解説がついていないため、主意は想像で捕捉してみる。
…
左:COP26(Conference Of the Parties)に関連するデモに参加する若者は、家庭環境的にも物質的にも、現時点で十分恵まれている。彼らがこれ以上「豊かさ」が要らないと主張できるのは、そういう背景に支えられている。
右:一方、家族からの支援も期待できず、貧困を抱えて「豊かさ」を求めている若者もいる。
…
左と右を比較すると、「豊かさ」がはじめから存在して当たり前と錯覚している左側の若者の想像力のなさが浮かび上がるという、そういう構図になっている(と思う。繰り返しだが、ツイートには図解が載っていない)。
…
ここには一つの罠がひそんでいる。
それは、左の若者が「要らない」といい、右の若者が「欲しい」という「豊かさ」は、冷静に考えてみると、それぞれ別のものだということだ。
同じ「豊かさ」という言葉が一つのイラストで共有されているために、まるで、左の若者が右側への想像力を決定的に欠いた勝手な人間のように見えてしまうが、そもそもテーマが違う。
右の若者たちが求めている「豊かさ」は、物質的なアイテムや資産、そして、家庭環境によって勉強の機会や将来の夢が制限されてしまう不平等の是正だろう。
一方、左の若者たちがいう「豊かさ」は何か。
COP26が環境保護を含んだ、いわゆるSDGsに関する議論であることを考えてみる。そうすると、ここでいう「豊かさ」とは、環境を犠牲にして得られる、もしくは途上国に負担を押し付けることで手に入れる経済成長であると予想される。
左側が、要らないと言っているのはそういう「豊かさ」だ。
別に、右側の「豊かさ」が必要ないと言っているわけではない。環境を破壊したり誰かを搾取してまで、まだこの世界にない新たな資産を出現させなくてもいい、と彼らは言っているのだ。
確かに、左側の若者が「もう要らない」と言えるのは、家族や物質的に恵まれた環境で育ったことが背景にある可能性が高い。しかし、繰り返すが、否定されている「豊かさ」の意味が左右で根本的に違っている。
…
COP26がSDGsに関する議論であることはすでに言及した。そして、SDGsの中には貧困や不平等の解消も目標として含まれている。
つまり、COP26の成功とSDGsの達成を求める立場である左側は、右側への想像力を欠くどころか、むしろ右側と協調して貧しさの是正に向かう側になる。
SDGsが富裕層の道楽や欺瞞であるという批判は否定しないし、環境破壊の切迫さを考えると解決策として不十分である(話題になった『人新世の「資本論」』でも、こうした視点が紹介されていた)、という指摘もある。
しかし、お互いに目指すものだけにシンプルに注目すると、イラストの左右はまったく対立していないことがわかる。
…
…というのが「一つ目」の罠のよけ方。
実は、このよけ方をすると「二つ目」の罠にハマる。次にそのことを書く。
…
実際のところ、このイラストにあるような単純な左と右なんて、そもそも存在しないのだ。
右側の若者は進学をあきらめて労働に就くことで家族を養っているが、世界にはそれさえ不可能なレベルの貧困も存在する。日本でもよく聞かれる、「自助」という概念ではどうにもならないレベルの貧しさだ。
COP26に関連付けられる「豊かさ」をテーマに考えるなら、本来、こうした極度の貧困までも視界に入れなければならない。
そして、(傲慢にも)最下層の貧しさの立場から見ることを許されるなら、「豊かさ」はもう要らないと主張する若者はもちろん、残酷なことだが、自力で家族を養うことが可能な若者でさえ「左側」となるはずなのだ。
逆のことも言える。
例えば、もう一生労働しなくても困らないような、左側の極致のような富裕層もこの社会には存在する。
ちなみに俺の家族はというと、両親は比較的収入の高い共働きで、つまりイラストの左側ド真ん中だったわけだが(ということもあって、俺はこの件で少しムキになっている)、とてもそこまでの資産家ではない。仮に二人のどちらかが大病を患っていたら、生活レベルはまるで変わっていただろう。
今のところ不自由なく暮らしているけど、何かあったら即時右側行きだろう。こういう言い方は「右側」の人たちからすれば不快かもしれないが、俺は自分が右側の予備軍だと思っている。
…
ない、が言い過ぎであれば、そこには可能性も含めてきわめて広いグラデーションがあるだけで、綺麗に二分割などできない。
しかし、このイラストはそこに一本の線を引くだけで、まるで魔法のようなことを起こしてみせた。
見た者に無意識のうちに自分の所属を分類させ、プライドやコンプレックスを刺激し、仮想のグルーピングによって敵意を加速させた。
これが二つ目の罠だ。線という罠。
そこにあるフレームに従って一方を批判するにせよ、フレームに従って自分のポジションを擁護するにせよ、視覚的に線を引かれただけで、そもそも線という存在の不自然さに気が付けない。
…
オチはない。
このツイートは現在、2.3万回もRTされている(そのすべてが同意ではないだろうが)。
おそらく、
・ちょっとトンチが効いている
という要件を満たしたことで、主に右側を自認する人たちの共感を得たのだろう。
俺はそこからたまたま抜け出し(たつもりでいて)、自分は左でも右でもないと思っている。
でも、別の「線」にはきっと引っかかるだろう。そして、俺自身がどこかで、「線」を引いているはずだ(それこそ、今回のイラストに「引っかかったやつ・引っかからないやつ」とか)。
なんだか救いのない話だと思う。
あまり詳しくは言わないけど、反社・DQNと動物肉というのはからんでいるよ
2002年、この年は雪印食品や日本ハムといった食品メーカーにおいて、2001年ごろから次々と牛肉偽装事件が発覚し、大きな社会問題となっていた頃でした。
その中で、大手スーパーマーケットである西友においても、この牛肉偽装事件が発覚したのです。
事の発端は埼玉県狭山市にある西友狭山市駅前店において、アメリカ産やカナダ産の牛肉、豚肉を国産と偽って販売していたことが9月に赴任した畜産マネジャーによって発見されたことでした。
その後ほかの店舗も調べてみたところ、北海道札幌市東区にある元町店(現在の元町北24条店)でも同様の偽装が見られ、このため西友側はお詫びとして販売した牛肉や豚肉について、返金対応をすると発表しました。
しかし上記の偽装期間が調べてみると1年間ほど続いていたことや、スーパーマーケットなどで商品を購入した際のレシートや領収書を保管しているお客様が多くないことから、レシートなどの証明するものの提示が困難だと判断し、異例にもレシートや領収書なしでも自己申告制で返金対応を行うという方針を打ち出しました。
西友側は同年9月18日から狭山市駅前店で、9月27日からは札幌市東区元町店でも返金対応を開始したのですが、当初は主婦の方などが返金を求めて来店していたものの、次第に噂を聞きつけた若者や暴力団関係者(のちにDQN客などと表現されました)が店に殺到して返金を求めるようになるという事態に陥りました。
そしてそれでは終わらず、翌日の28日には1日の売上げをはるかに超える金額を要求するDQN客が現れたため、示談によって金額を支払うという結果になります。
それ以降の返金希望者には一律その金額が支払われるようになり、返金額はさらに増えていきました。
すると29日には返金額が5,000万円以上と、年間販売額の3倍以上になったため、ついに西友側は返金を打ち切り、特売による還元に転換することを発表しました。
その後も、西友側が臨時休業とした日にも若者ら数百人が終結して大混乱となり、警備員に暴行したとして19歳の男2人が現行犯逮捕される事件も発生しました。
これらの一連の流れから、ようやく西友側は北海道警察へ出動を要請し、道警は今回の返金騒動で暴力団が関与していたとし捜査を進めていく中で、10月4日に道内の暴力団関係者を恐喝未遂で逮捕しました。
DQN客とは?
こういった事件などが発生するようになってから、「DQN客」という言葉がよく使われるようになりました。
しかし皆さんは、そもそもこのDQN客という言葉について、正しく理解されているでしょうか。
DQN客とは、軽率そうな人や実際にそうである人、粗暴そうな風貌をしている者や実際に粗暴な者、かつ非常識で知識や知能が乏しい人を指す、一般的なインターネットスラングであると言われています。
この「DQN客」は侮辱語とも呼ばれ、良い意味で使われることはありません。
しかし振り返ってみると、西友偽装肉返金事件は、その肉産地偽装自体も問題でありながら、その後の返金対応において事態が大きく悪化し、収拾がつかないほどの大事件に発展したと言えるでしょう。それはどうしてなのでしょうか。
その後の調べでは、北海道札幌市東区にある元町店に来たとされる者の多くが、明らかに札幌の人間とは違う訛りや風貌であり、札幌以外のナンバーの車が多く押し寄せたとも言われています。
それに加えて、その後の報道でワゴン車にすし詰め状態で札幌にやってきたと証言する者が多数いたことが報道されたことなどから、実際には西友元町店で問題とされる肉を購入していないにもかかわらず、札幌以外からわざわざ返金処理目当てでやってきた者が多くいたということが浮き彫りになりました。
また一説には、地元メディアでは当てもなく北海道の地方からやってきて、すすきのでたむろしている若者を暴力団関係者が雇い、返金請求に行かせたことが騒動の原因ではないかとも報じていました。
実際、西友側がその後、購入を証明するものを持参した人のみの返金する方針に切り替えたところ、少数の主婦がレシートを持って返金を求めたに留まり、若者が返金を求めることはなかったという点でも、上記の説が事実であったということを裏付けているように感じます。
肉産地を偽るという偽装事件は大変な問題ではありますが、この西友偽装肉返金事件を通してもう一つ大きく浮き彫りとなったこと、それは何かあった時にそれを受け取る側(人間)のモラルが問われるということです。
もちろん当然ながら、該当の肉を購入した者がその後店側に返金を求める、というのは何の問題もありませんし通常の行動です。
しかしながら、店側の最大限のお詫びの気持ちと配慮で「レシートや領収書なしでも自己申告制で返金対応を行う」とした対応を逆手にとって、購入してもいないのに返金対応を求めて押し寄せるというのは、まったくのお門違いでありモラルを欠いた行動です。
こうした事件を逆手にとって便乗する行為をする人間が多数いたということについては、偽装事件とはまた別の観点で問題視しなくてはいけないのではないでしょうか。