はてなキーワード: 負債とは
大阪圏は日本第2の経済圏ぐらいに思っていたが、人口転出超過が凄い。日本で最も東京一極集中に貢献しているエリアという記事もあった(大学生が卒業後に東京圏で就職するため)。
https://toyokeizai.net/articles/-/657833?page=2
ただ、その人口転出超過は1970年代かららしい。オリックスのように大阪圏で生まれた会社も1970年代に本社を東京に移したりしている。
大阪府/大阪市は一発逆転を狙って1980年代に箱物行政を行なうも寧ろ巨額の負債を作ったようだし、神戸市も「神戸株式会社」と言われるような都市開発を行ったがあまり成功しなかったようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Bq_Oy1mhX-Y&t=0s
1980年代に作られた巨額の負債を返済する必要もあり、新しい地域政党が支持されてきたのだと思われるが、負債を返済して支持を固めたあとに何をするかと思ったら、結局箱物で一発逆転を狙うような方向性を感じる。
良質な港があった大阪圏が今のシンガポールや香港みたいになっていれば、この国で東京一極集中とか議論にもならなかったのにと思う。関西空港も、成田空港以上に、建設までの経緯がグダグダだなと思う(そのわりに利用人数は多い)。
今のはてなは女叩きのメッカと言っていい状態で、特に最近運営が手を入れるまで半年ぐらい主に増田の女叩き記事が延々毎日複数個ホッテントリ入りしていた。
元々弱者男性論が幅を利かしているところで、そこまでは許容範囲なのだがそこで男性社会での疎外や表現規制の主題を扱えばいいのに女叩きの方に行ってしまい、雪だるま式にルサンチマンやデマで埋まってしまう。
更に最近だとコロナ初期での反PCR運動という反技術ラッダイトムーブメントの中心となり社会に甚大な悪影響を与えたのが記憶に新しい。
はてなは2010年頃からブクマリニューアルとか日経との提携とか「キャズムを超える」為の施策を色々やってたんだが、その結果キャズム超え出来ずに土着化したようなユーザーの楽園になってしまったんじゃないかと思われる。
創業当初のはてなは個性的な「変な会社」で、技術志向のユーザーと運営の距離が近かった。障害が発生したらその障害の内容を技術的に解説する、todoリストを公開する、ユーザーがwantリストに書き込める等の特徴があった。
人力検索だけだったサービスにはてなブックマークとダイアリーを加えると数年でユーザーの特徴や偏りが顕著になった。
IT技術者、経営者ワナビー、リベラル、非モテ、がメインユーザーとなった。
IT技術者が多いのははてなの運営特性に合致するターゲット層だから。
経営ワナビーは小泉改革と大人気学者だった竹中の影響だが、肝心の経済に弱いという特徴があった。日本の経済構造を一新する改革側に居れば既存の経済活動に関する知識や経験は必要ないしそれが自分を幸せにすると信じていた。金融とは証券取引の事と信じそれらとM&Aの記事に金融タグを付けて経済通のつもりになっていた。商慣行や銀行との付合いには無知だった。
リベラルが多かった理由は2chの隆盛の為だ。まだネットの書き込みに関する事件捜査は行われておらず、ブログや掲示板を炎上させれば意見が通ると信じられて全能感に浸る2chネラーが暴れており、その対極としてはてなが位置づけられていた。故にこの頃のはてなは一部のネラーに憎悪されていてはてな=在日朝鮮人などという病識がないコピペで溢れていた。「2chの専門板ははてなでは敵いませんよ」という有名な文章があった。このころの2chネラーの全能感に棹さしてキャリアスタートさせたのが佐々木俊尚。
非モテは今に繋がるが、この頃は革非同などネタに昇華させて外国メディアに記事にされたりもした。
はてなユーザはこういう布陣でいた訳だが、一方で「キャズム」が問題になっていて『キャズムを超えろ』なんてブログが人気をはくしてもいた。
キャズムとは断崖の事で、新製品の受容ユーザーをイノベータ→アーリーアダプタ→マジョリティと分類した時に分布が正規分布になり、そのベルカーブの縁の部分を超えて広がるのが困難だという事である。
当時のネットはキャズムを超えられずベルの端っこの下、ロングテール部分にしか訴求出来ていない。これは製品の販売量で規模の経済が働かない、それ故広告料も上がらないという事である。
はてなはユーザーが特殊で偏っていて更にブクマのせいで喧嘩も多いという特殊な環境で、それで一般の人に忌避され、日記を始めてみたけど止めちゃう、アメーバに乗り換えちゃうというケースも多かった。
そこでキャズムの中のキャズムを打破すべくはてなは2010年頃から色々なイメージアップ策をするようになった。
・日経と提携する:経済意識が高いユーザーが多いのに応えてだと思われる。B層的であり経済事件などに不如意な点も経済記事を毎日読めばリテラシーがアップすると期待されたと思われる。
・綺麗なオフィスを公開する:会社のイメージアップと社員の採用面で重要。
・旅ブロガー等の推し:ココロ社氏やメレ子氏、在華紡氏など、一般受けしやすい旅&食べ物ブロガーを推してインタビュー記事などを掲載。最後の在華紡氏は喧嘩や炎上があると必ず火事場にガソリン持って立ってる人で推していいのかと不安に思うが、この甲斐あって彼等ははてな出身ライター、ブロガーとして多種媒体に出るようになった。
・はてブの改変:人気コメントだけだが表示されるようにするなど。ブコメ欄での論争低減を狙ったものと思われるがかなり不評でユーザーの流出もあって元の仕様との折半になっていった。
だがこうやって一般化を目指すと一つまずい事がある。
はてなのユーザ層はオタクに寄っている。そこでキャズムを埋めると一番流入するのは当時隆盛を誇っていたまとめブログ層じゃないのか?すると一般人とのキャズムはより深くなってしまう結果となる。
このまとめ民流入が増えた時機ははっきりしていて2018年だ。18年にネトウヨ春のBAN祭り騒動というのがあり差別デマや文字スクロール動画で埋まっていた日本版Youtubeが大掃除されたのだがそれでネットでの風向きが変わった。
更にこの前後からまとめブログでの広告引き上げが続いており、要するにまとめブログがおいしい商売では無くなった。元々差別的なまとめブログが隆盛となったのは広告料の上昇によるもので商売の形として確立され情報商材屋のシマともなった。しかも情報商材屋はネット広告でカモを集めるというループである。ネット広告キャパが拡大するに従って拡大した循環参照だが、広告料の上昇で審査が厳しくなって商売にならなくなったのだ。
ヘイト動画の方は18年の前から米国で悪質動画が問題になっており、極右や極左、イスラムの過激派が過激動画で勢力を伸ばしている事が問題視されてgoogleは対策に追われていた。ISの殺人動画等は消されても支持者がアップしてしまうのでそれを上回る速度で面制圧して統制しろとの要求がユーザーだけに留まらず行政司法機関から出されていた。
その為にガイドラインが相次いで変更されノウハウが蓄積され組織化されていた。結局広告キャパの拡大がそれらのコンテンツを爆増させ、それにより広告料の上昇が阻害され、対策されて消され市場として消沈するという流れだ。
ところでイーロンマスクは買収相手の業態の上記の流れを知らなかった為に「広告料上昇阻害」のラインまで広告引き上げされた訳で素人丸出し過ぎるんだが、まとめキッズとかツイ廃キッズのままで経営出来ると思っちゃったんだろうか?不思議な人である。
こういう流れがあってまとめブログのパイが急速に縮小して代わりにはてなにまとめキッズ(中年)が増えたという流れである。
彼等はtwitter社の大量解雇ではコンテンツ制御部署や法務部署の存在理由や綺麗なオフィスをわざわざ見せる理由が判らずにバックオフィスを「キラキラ世田谷自然左翼」だとの認識に蝟集し、めいろまの「twitterはアニメやプラもが好きな人らのものなのにユーザーに背を向けている」との論難に快哉を送ってしまっていた。会社にバックオフィスがある理由やこれまでのネット事件での流れ(特に米国内)、メジャーサービスでのキャズムの超克というテーゼなどを何も知らない無垢さを現していて侘び寂びの念に包まれる。
ついでにM&Aでイーロン下でtwitter社が多額の負債を抱えることと成長企業は積極的に融資を受けて投資に回す事を混同しており、企業体質が巨額赤字だと信じていた。税制への無知である。後になって「LBOはそういうもの」等と誤魔化しているが、そもそも個人が手持ちの金で買うというスキームで考えていたので無駄である。これは給与生活以外の世界を知らないからでネットの経営者ワナビーの悪影響である。
新型コロナが流行し始めるとはてなでは「インフルより弱毒」「ゆっくり感染して社会免疫」「PCR検査数が増えると偽陽性が激増するので検査してはならない」との危険なデマが席巻する事になった。また悪質なブクマカがPCRを受けたいとの願う患者や意志を見つけ出しては悪罵して叩き潰すという行為に出た。
最早社会に対する驚異である。この時のはてなはパブリックエネミーと呼んで差支えない。
これらの主張が「科学的」の表皮を被っていた事は忘れてはならない。有名なのがベイズ推定での偽陽性の議論の援用だが、ベイズ推定はベイズ統計学の一つのタームでしかないので概念の理解が簡単な上に知的に背伸びした気分になれる。だがPCRの特性上、偽陽性が発生しないのだから適用出来るはずもない。
PCRは独立で機能出来る検査じゃなくて、DNAシーケンサーの開発と普及に拠っている。2001年頃にシーケンサーが開発され、塩基配列が容易に読めるようになった。更に開発競争により世に普及するとともにありとあらゆる生物、ウイルスの遺伝子が読まれるようになった。この時に沢山使用される試薬の需要に応じて多くの試薬ベンダや製薬会社の部門が設立され、例えば焼酎の宝酒造が設立した子会社がタカラバイオだ。
この流れでコモディティ化した技術がPCRで、生物由来の物品を扱う様々業種で利用されるようになった。もうコモディティ化して普及が始まって20年以上になる。
要するにバイオテクノロジーにキャッチアップ出来てない人間があれらのデマに乗っかっていたのである。そもそも遺伝子検査で偽陽性が出るという事に疑問を抱いて調べないものだろうか?遺伝子偽陽性とは端的に他の生物と配列が一致するって事で、人間ががんになったら光合成できるようになったとか、人間同士から時々マンモスが生まれるって事だぞ?
しかもコモディティ化した技術なら必ずマニュアルと技術説明は公開されている。ソーシャルブックマークなのにそういうのを探しに行かないのだ。
代わりに「最先端の特別な知」的なものに弱い。これは、それらは具体的に判る所まで判らなくても背伸びした知的な自意識が満足させられるのに対して、コモディティ化した技術や常識では具体的に判ったところでスタートラインのペエペエだ。自意識の面では効率が悪いのだ。
これは経済分野でも同じで、日本が発達した資本主義社会なので経済知識を身に着けるのは大変だ。学校では教えてくれずに社会に出てしか判らない秘術みたいな知識もかなりある。それを身に着けて初めてペエペエなのだ。
だが給与生活者が経営者エアプしている限りはそれらの摩擦に晒されずに済む。こうして「ネット経済通」となって中年の永遠に終わらない青春に浸り続ける事になる。
コロナ初期にはてなスターが機能停止し運営はテストだと言い、それをブクマカらは無能だと評していたが、まず考えるべきなのははてなの異常なデマバブルだろう。SIモデルとベイズ推定を全能感の為だけに消費して批判的に検証しない、技術マニュアルを見に行かないという自意識フィードバックを停止させるために止めたのではないかとまず考えるべきだろう。
元から弱者男性論が多かった地でまとめキッズの植民が始まったら女叩きに移行するのは目に見えている。自分たちの権利擁護として表現規制反対が多くなるのは当然の権利で真っ当な事だ。だがそこから批判対象がフェミに収斂し、女叩きへと容易に至る。
だからcorabo叩きの最中に男女平等パンチ賞賛の増田なども当然にホッテントリ入りする。
https://anond.hatelabo.jp/20230110202355
女に対する恨みの蓄積なんだそうだ。しかも世の男は皆女に恨みを抱いていると考えている。それは弱者男性だけであるし弱者男性の敵はそもそも「男らしい男」やその概念ではないのか?
それからcorabo叩きの最中には「西早稲田2-3-18-51」デマも複数ホッテントリ入りしている。これはプロテスタント教会が市民運動に事務所貸ししてるのだが以前は在日朝鮮人の根拠地という噴飯な差別デマであったものをアレンジしたものだ。エグザイルの伝統舞踊を踊りなんである。
非モテ+リベラル+経営者ワナビーの集団のうち、非モテは残って女へのルサンチマンで上書きされ、リベラルの非現実性とのバランスに実務者や現実主義ではなくて自称リアリストが蝟集して現実から遠ざかってしまい、経営者ワナビーの経済音痴は温存されたままになってしまったのが現在のはてなだ。
故に10年前のリニューアルはうまく行かなかったと言える。一般人を呼び込むつもりが一般人が近寄りがたいデマが横行するルサンチヘイトサービスの方に行ってしまったのだ。
どんなことしても半分くらいの人は不満がでるけど、
もう不満抜きでどうにかするの無理やろ。
すべての想定されるリスクを受け入れた上で外国人を受け入れるか、
直近数十年と女性の人権を多少無視してでも少子化への対策を行うか、
弱者への大きな救済制度を消して、そもそもの負債を消すかくらいしかないだろ。
そういえばヒロアカでも最近アニメになった場所でヒーローであるお前らがーみたいなノリのところあったけど
まあ、政治家だけのせいだとか、政治のコンテンツを炎上騒ぎ程度で楽しむ俺達みたいだよな。
俺はあの場面を見たときこいつら○んだりしないかなと楽しみにしてた。
だからきっと客観的に見たら今のクソみたいな日本社会は大量に人間が不幸になることは自業自得で笑えると思う。
今のうちに笑っとこう。
丁度男児である事の加害性が話題になっていたので、関係ないけど思い出した事を書く。
私の母は性差別主義者の父(※1)に虐げられたことで心を病み、生まれてきた私が「欲しかった方」じゃない事を理由に殴ったり蹴ったり刃物を向けたり、時には心中を持ち掛けたり自殺させようとしたりしながら育てた。
一見するとこれは虐待のように思われるかもしれないが、これは母の中では筋の通った「裁き」なのである。
母は男が憎く、夫が憎く、それらに復讐したかった。しかし父には敵うべくもない。当時はSNSもないので社会を呪う術もない。(※2)(※3)
そしてしかし、ある時気付いたのである。彼女の手元に憎い男に似た、自分が生殺与奪を自由にできる、「将来の加害者」である私がいる事に。
「お前も女は馬鹿だというのだろう」「男は失敗しないんじゃなかったのか」そんな事を言いながら母は私を嬲った。
もちろん私は一度としてそんな事を言った事が無く、その発想も無いのだが、どうも父なりがそう言っていたらしく、つまり母に向けられたそれらの言葉は男性優位社会の罪なのである。
そしれ私は将来その男性優位社会の存在になるのだから、裁かれて当然…そういうロジックであったらしい。
暴力や暴言は年月を経るごとにエスカレートし、教科書やノートは破られて庭に撒かれたからテープで繕う必要があったし、喋れないように口に布を入れてからテープでふさいで殴る蹴る等された時は意外と息ができなくて死にかけた。
跪かせた子供に蹴りを入れて「ごめんあそばせ!おほほほほ!」とかやる人間は母しか見た事が無く、正直これまで対面したパワハラ上司達をも超えている。
背中に枝切りバサミや包丁を突き付けられながら宿題をやらせてもらったり経験のおかげで倫理観とやらもグチャグチャである。
よくミソジニストにならなかったなと思う。(それでも親に愛されたかったなどの背景から性別を否定すると都合がよかったので性別が嫌いな人間になった)
ーーーどうでもいいゾーン終わりーーー
まあ私の不幸自慢はともかく、「将来の加害者である」という罪で裁かれる経験は、(申し訳ないのだが)個人的にはあまり快適とは言えなかった。
自分のした訳ではない罪を問われ、「お前もいずれそうなるであろうから」と詰られるのはあまりにも「自分を見てもらえていない」。
暴力を振るわれない時でさえ辛かった。
私が親に自分を見て欲しがるような出来損ないのクズだから辛かっただけかもしれないが、正直普通の人でも辛いのではないだろうかと思う。
また、親の方にしてもそういう「万能の剣」を持つ事自体が危険でないかとも思う。
パワハラとかいじめもそうだが、「なんでもそれで黙らせられる理由」「あいつを攻撃していい理由」を持ってしまうと、人はエスカレートするのである。
母の場合は、最初は一応「失敗に対応した叱責」の体で私を攻撃していたのだが、途中からはかなり楽しんでおり、「お前は罪人だからサンドバッグに使っていいのだ」くらいのノリで私の本来の罪(※3)とは関係ない、親戚の娘に反抗的な態度を取られたのは父の弟である叔父の血がどうとかそういうこじつけじみた理由でも私を攻撃するようになっていった。
私はどうにか母の気にいる返事をしてやり過ごしていたが、そのような拡大解釈に応じるのはもはや完全にプレイであり、あの時の私は明らかに母のオナホ状態だったと思う。
…まあ私は性別がもたらす文化それ自体を嫌うように育ったので、試みとしては正解だったのかもしれない。あるいは母が異常者なだけで、100人に99人は失敗しないのかもしれない。
だが男児原罪論で子供を「裁ける」快感は、段々と拡大解釈を生じさせ、ラインをヤバい方にズレさせていき、やがて決定的な破局を誘発する危険性を孕んでいるのではないかという気がしてならない。
「息子を属性で裁く」という試みに100人の1人が失敗した時、生まれてしまった「出来損ないの男」がもたらす負債はどれほどのものだろうか?(※5)
私は高校に上がった頃母をぶん殴って(暴力を振るわれて育ったので「力ずくでわからせる」事が親子間で普通に通る理屈だと認識してしまったのである)殺しかけた事があるが、正直大してまずかったと思っていない。私の痛みの1000分の1にも足りないし、もっと苦しむべきだとすら思っていた。子供をそんな冷酷なバケモノに育ててしまってはおしまいなのである。(※6)
※1…だったらしいがよく知らない。父も私の首を絞めていたので正直両方敵だった。
※2…父が転勤続きで母に友達があまりいなかった事も災いしたように思う。
※3…父は仕事が忙しくて家にあまりいなかった。透明化する父親だ。
※4…男であるという事
>私はwebディレクターなのだが、特にエンジニアできないふわふわした質問でもたなんと返してくれるところだ。エンジニアに聞くと機嫌悪くする、またはもっと詳細詰めないとわかりません、といつような内容もchatgptなら的確に教えてくれる、しかも無感情で淡々と。
まともなエンジニアなら、その「的確に教えてくれた」内容なんてわかりきっていて、その上で技術的に何を使えばいいか、時間がどれくらいかかるか、将来的に負債にならないか、ベンダーやライブラリにロックインしすぎないか、チーム構成を考えてジュニアや多言語の人もメンテしやすいか、フレームワークやライブラリが活かしやすいか、エコシステムは整っているか、みたいなことを山ほど頭の中でこねくり回して回答しているんだけどね。
だから~~~~~~
女というだけで特定の職業につけない、そもそも職業につけず家におしこめられる、受験で点数減らされる、
かつ
男という性別だけに被害が偏った犯罪ある?ないよね?それってどれだけ幸せかわかる?ないよね痴漢にあったことないけど痴漢のAVはみたことあるよね、そういうぬるま湯で「何も感じない」とかいってんの
こっちからしたら「そりゃそうだよな!?!!!!!!!」になるんだわ
そのつけをいま払ってるの
男に生まれたあなたは医者にも弁護士にも政治家にもなっちゃいけません、なんなら高等教育うけちゃいけません、って逆転の期間を同年数設けるのが本来なら平等だよね
でもそれをしないでやってんの
で、未だに同じ大学出て同じ仕事してる層を比べても、女の方が給料も少なければ役職も低いの
おかしいよね
なんで生まれる前の負債を俺が返さなきゃいけないんだっていうイチャモンについては
戦争の「生まれる前の戦争なんかしらないわ」って理由で賠償蹴れないのと一緒
「国」としてやらかしたら、その国にぞくせいしてる限り払わなきゃいけない
「男(対女)」でやらかしたら、男に生まれた限り引き継がなきゃいけない
わかった??
・努力不足
・他責思考
・無気力
だいたいこの辺が揃っていますね。
バブル世代、Z世代の使えない奴らも同じような傾向があります。
たとえばパソコンがずっと使えない奴はこういう特徴が強いですね。
地道にコツコツ勉強していって少しだけ昨日よりもマシな自分になろうって気持ちがない。
突然神様からチートスキルを貰っていきなり世界最強になれたらいいなの世界観で暮らしている。
もちろんんそんなことは起きないという現実に対して「じゃあ自助努力しかないね」となれる人は氷河期世代でも勝ち組になれています。
まあそれは単に若い頃に苦境に立たされても折れなかったどうかという形で篩にかけられているだけで、氷河期に立ち向かったから強くなれたというのとは違うのですが。
氷河期の負け組が他の世代の負け組よりも恵まれていなかったのは事実でしょう。
基本世の中の多数の人は負け組になるしかないような生き方をしています
たとえば小学校~高校3年間までの間の「現代日本人として最低限身についていないければおかしいはずの教養」を完璧に身につければ現代の大学受験のレベルなら早慶レベル、少なくともMARCHならアッサリ入れますし、それを受験生時代の特別な努力ではなくて人として当然の努力としていた人は卒業までストレートで辿り着くでしょう。
ですが多くの人は出来ません。
世間ではMARCH卒業している人は勉強が得意な上位5%のエリート様となってしまいます。
高校数学を理解し、まともに日本語の読み書きが出来て、外人に道を教えるぐらいは可能性、世界の歴史を新聞が理解できる程度には知っていて、ニセ科学に騙されない程度の科学知識があるだけでいいはずなのに……。
そんな努力不足な大多数の無能人間たちであっても、その結果として本当に負け組になるかは時代ごとの余力で決まります。
時代に余力があれば高校中退のボンクラであっても十二分な暮らしをして、ゆくゆくは出世の道が拓けることもあります。
というかね、今の時代って昔より技術的にはかなり発展してるから「それなりの暮らしを負け組でもする」っていうのは全然出来てるはずなんですよ。
ただその状態に対して自分の状況を冷静に分析するための知能を全く磨いてこなかった連中は「同じ小学校に通ってた奴が年収2000万円貰って高級マンションに住んでるなら同世代として俺にもその権利があっても良いんじゃないかな?それでどこまで生活が向上するのかは知らんけど」レベルのフワフワとした現状への不安を抱えてしまうんですね。
他人と自分を比較するのではなく、もっと貧しい自分ともっと豊かな自分を想像して、それに対してどれぐらいコストを払って生活を向上させる、もしくは努力を惜しんで生活レベルを下げるか、そういった損得勘定を働かせる発想さえないんですよ。
おもちゃ屋さんで子供が指を咥えて他の子供が買ってもらったものを羨ましそうに眺めているのと変わらないんですよ。
そんなんでどうやって勝ち組になろうっていうんでしょうね?
正直言ってどの世代においても多くの負け組が負け組になって当然の生き方をしている。
それは「氷河期の負け組」であっても変わらず、氷河期であってもちゃんと自分の人生に対して責任感を持って努力をした人は中間層ぐらいにはたどり着いてますよ。
それは氷河期が過ぎ去ってある程度転職市場も温まって来たあとになってからの繰り上がりかも知れませんが、そうやって繰り上がるための努力を続けている人は負け組を脱出している。
それをせずに「俺は氷河期だから」でずっとイジケている人達が口にする「氷河期だった俺たちを救うための特別な援助」というのはちょっとムシが良すぎませんか?
人生には様々な困難が怒るわけですから、自己責任論で弱者を切り捨てているようでは皆で金と労力を出し合って国家というコミュニティを作り上げ維持してきた旨味がないというのは分かります。
でも、勝手に「もう無理無理コールドゲームみたいなもんでしょ」と勝手に試合を切り上げてしまった人達が「なんか一発逆転のボーナスチャンスとかないの?」とワガママ言うのは聞く必要はないかなと。
「氷河期の負け組」が学習性無力感に打ちひしがれているのは分かるんですが、いつまでも「氷河期だから無気力になるのは仕方がない」で甘え続けるのは自分の人生対して無責任すぎるんじゃないでしょうか?
ましてやそこで「俺たちは氷河期で無気力になってしまった。俺たちの無気力の責任はその時代にあるのだから、俺たちはその分何らかの優遇をされるべきだ。それはそれとして俺たちはもうやる気がないのでやる気は出さないぞ」と言ってしまうのは……。
なんで今になってこんな事言ってるかって言うと、「氷河期世代の負け組」と「非氷河期世代(勝ち負け問わず)」が氷河期世代の負け組が無気力に寄ってダラダラすることによって発生した負債を「氷河期世代の勝ち組に払わせられないか」計算している動きがあるから。
これはマジで勘弁して欲しい。
それに対して「氷河期の負け組の問題は氷河期の負け組の問題であって、それは氷河期の勝ち組が蹴落としてきたというのとは違うんですよ」ということを皆に分かってもらい戦った。
「同じ世代で椅子を奪い合ったんだから、お前たちがそれで負かした奴らの人生も面倒見てやるべきだろ」と言われても困ってしまう。
だってそうやって椅子取りゲームしてたのはずっとずっと前だし、それで今でも駄目な人達はその後の自助努力不足は明らかなんだから。
新卒シーズンの椅子が埋まっていたと言っても、その10年後の比較的温暖な時期に転職活動で新たな椅子を手にすることは出来たはずだ。
私の周囲にも「一度は負け組に転がり落ちたが必死の努力で腕を磨き、実力によって結果を出して続けて、最初の椅子取りゲームでエネルギーを使い切ったような連中なんてとっくに抜き去り気にも留めていない」という理想的な「氷河期の元負け組」がいる。
彼らのような「腐らずに努力を続けた人達」に対して「氷河期だから……」でいつまでもイジイジしている達の面倒を見ろというのはやはり不公平なんじゃないかと思うわけだ。
結局、私が言いたいのは「氷河期だから負け組なんじゃなく、いつの時代でも負け組になっていた可能性が高い人達の面倒まで氷河期に押し付けるのはおかしくないですか?」ということに収束する。
氷河期の負け組が「氷河期だから負けただけだし……」と言ってるのは単なる当事者の供述に過ぎず、実際に他の世代に生まれていたら「バブル景気で浮かれてるし余裕だと思って……」「氷河期よりはマシっていうけどまだまだ……」と言い訳していたんじゃないかと思うわけだ。
こんな連中の負債まで氷河期だからで負わされるのは溜まったものじゃないので、日本全体で面倒を見るべき「普通の負け組」として数えてくれないだろうか?
という話だ。
過去数十年にわたる不自然なまでの金融緩和は、多くの人々が必要以上に借り入れをする「モラルハザード」の世界を作り出しました。
今、金融が厳しくなり、企業や個人だけでなく、一部の政府も、昔から言われている国家破産が「いきなり」起こることを見つめているのです。
日本は、金融の崖に向かってゆっくりと歩き、突然転げ落ちている見本です。
ここでは、日本に何が起こっているかを10ステップで紹介します。
ステップ1:巨額の負債を積み上げる。1990年代、不動産バブルが崩壊し、日本政府は、残酷な不況を受け入れ、債務不履行によって債務の大半を解消するか、
ゾンビ銀行や建設会社を救済し、最善を尽くすかの選択を迫られた。1991年にGDPの40%だった連邦政府債務は、2000年にはGDPの100%に達した。
ステップ2:金利を下げて利払い費を最小にする。GDPの100%に相当する負債を6%で支払うのは破滅的な負担となるため、
日銀は負債が増えるにつれて金利を下げ、政府の金利負担を許容できるレベルに維持した。
ステップ3:実質的に無利子で借り続ける。金利が下がる一方で、公的資金を吸い上げるゾンビ企業に加え、
日本の社会保障制度やメディケアを利用する退職者が増えていった。その結果、政府の支出は増え続け、財政赤字は拡大し続け、金利引き下げ圧力はさらに強まった。
日銀は、新たに作った円で国債を買い、金利をゼロ、あるいはそれ以下にまで引き下げることに成功した(つまり、日本国債を購入する残りの民間企業は、実際にその特権を支払うことになった)。
政府は借金をすることでお金を稼ぐようになったので、それを止める理由はないと思われ、負債は現在のGDPの262%まで急増し、これは主要な政府によって記録された最も高い数字かもしれない。
ステップ4:突然の急激なインフレを経験する。2022年、すべての新しい通貨が、金融緩和の批判者が予測していたインフレをついに引き起こした。日本の公定歩合は年率4%で上昇し、0%の国債の実質利回りは-4%になった。
ステップ5:通貨の急落を体験する。他の多くの中央銀行がインフレ対策として引き締めを行っている中、日銀は低金利を維持するために債券を買い続けた。
この利回り差に気づいた投資家は、円建て債券を買わなくなり、円の為替レートは米ドルに対して急落した。
ステップ6:しぶしぶ金利上昇を認める。2022年、日銀は、政府が発行するすべての紙を買いたいのでなければ、金利を少し上昇させなければならないことに気づきました。0%から0.25%、そして0.5%へと、非常に迅速に金利を上昇させた。
ステップ7:利払い費用に振り回される。さて、日本政府が発行したり、ロールオーバーしたりする債券には、すべてコストがかかっている。
仮に平均利回りが現在の0.5%まで上昇したとしよう。GDPの260%に相当する借金の場合、支払利息はGDPの1.3%に相当し、すでに巨額の赤字に加え、負債全体、ひいては支払利息も増加する。
さて、ここからが「いきなり」編です。
上記のすべてが起こりつつあるか、起こっており、次のステップは、近い将来に予定されている。
ステップ8: 必死で金利を下げようとする。日銀は、金利の高騰が国家の破産を意味することを認識し、新たに作り出した大量の円で国債をさらに購入することで、この傾向を止め、逆転させようとする。
しかし、世界の他の中央銀行は緩和が遅れているため、日本の国債の利回りと、例えばアメリカやドイツの国債の利回りの差は拡大し続ける。
ステップ9: 円が暴落するのを無気力に見守る。政府債務が放物線を描いて増加し、その結果生じた紙の津波を買ってくれるのは日銀以外にはいないため、
日本は完全な現代通貨理論の領域に入り、政府は新しく作った通貨で資金を調達するだけとなる。世界の国々は、インフレの影響を認識し、円を捨て、通貨の為替レートは自由落下となる。
通貨が下落すると輸入コストが上昇し、インフレが進み、さらに円安が進み、金利が上昇し、といった具合に、いわゆる「デス・スパイラル」に陥ってしまう。
ステップ10ゲームオーバー。日本は公式な通貨切り下げ/通貨リセットを余儀なくされ、今後の消費とインフレの能力が制限される。
政府を信頼し、旧通貨を保有していた人々は困窮し、詐欺に気づき、現金や国債を実物資産に換えた人々は豊かになる。よくある話である。しかし、今回は重大な国で起こっている。
https://www.zerohedge.com/markets/how-country-goes-bankrupt-10-steps
現代において通貨自体が政府の負債だという話と、自国通貨建て国債では財政破綻しない。外貨借金での財政破綻は否定していないという話だぞ。
だよ。
昔1930年世界恐慌に対して、ケインズ主義として、不景気なら国債を発行して需要を作りましょうという話があったんだ。
一方で、1970年代にオイルショックとか、アメリカがベトナム戦争戦費や欧州日本の復活で経常赤字化と金流出が起きたり、途上国が腐敗して財政破綻することになったんだ。だから、財政出動は良くないんじゃない?という話になった。
だけど、MMTで、自国通貨建て国債と外貨借金は別じゃない?財政破綻は外貨借金だけの問題じゃない?となった。とすると、外貨借金の問題が起きない基軸通貨国と経常黒字国は不景気ならやっぱり国債を発行して需要を作りましょうとなる。
しかし、今みたいな海外インフレで需要大供給小の状態では、次に需要大に合致した供給を自分たちが作って好景気にすることが大事だとは思う。
正直、ないものねだりが透けて見えるんだよね。
それを言わずに、卑怯な物言いをしているだけにしかみえないよ。責任という言葉にくるんだりするひともいるよね。
それは、子供のいない世帯からみてもないものねだりはあるし、どちらの側からみても、実際、お互いにうらやましいと思う部分があるわけで。
しかし、甘えという言葉で物事を考えるなら、ふと思ったんだが、国益という考え方はむしろ危うい。
現役世代はトータルで見て、将来世代に依存して生きているんだから。国益などという言葉にくるんで甘えているのは自分たちだと考えたほうがいい。
債務問題しかり、資源問題しかり。将来世代のリソースを食いつぶすことなくツケを回すことなく開発しなければいけない、というのが1987年のブルントラント委員会の結論。
将来世代に何を残せるかを考えるのは、子供がいる世帯だけの責任じゃない。
その意味で、小梨世帯との間に何か差異があるわけでもない。DINKSが将来世代のことを何も考えなくてもいいわけではないよ。
どちらかといえば、親の世代の甘えによって、託された負債や資源の欠乏、未来永劫続きそうな原発事故処理業務、親の世代が過剰に投資して老朽化した経済社会インフラ維持、
Gondwana 「役職ならすっきり!」ってのは、本人が嫌がってるかどうかじゃなくて、外形的に上下が確定しているから落とし所として妥当って話だよね。男女は上下じゃない。
あっこれで完全に理解したわ。
奢り奢られ論争の問題点。
「女は男より経済的に下」
「男は女より立場的に下」
前者由来の奢りについては「女でも金持ってる人はいるんだからその人相手にどうすんの?「女の癖に頑張ったね奢ってあげるよ」みたいな感じ?は?人間を舐めるなよ」ってヘイトが湧いてくる。
でももっと最悪なのが後者の方で「女さん僕の印象良くなってくれませんか?僕としては女さんともっと仲良くなりたいんですよスリスリ」みたいなキモい助平心が見え隠れするし、それに乗っかろうとしてきた女側のよくない歴史も感じさせて実に気持ち悪い。
女にしろ男にしろモテてえって気持ちがある中で、何故だか知らんけど恋愛においては男の側が必死にアプローチする必要があるっていう謎の因習に縛られた発想なんだよね。
なんで男が勝手に膝を曲げてくるねんっていうね。なんかこの辺「童貞は負債だけど、処女は資産です」的なキショイ価値観を感じないでもなくて本当に嫌だよね。
うんうんここなんだな。
なんで勝手に性別で人を貧乏人扱いして見下したり、選別する側として持ち上げたりするのかっていうのが詰まってるんだな。
もし最初から「上司だ部下だ貧乏だあぶく銭だで奢り奢られ論争してるんじゃねえ!売名のプロである俺様がここは全部持ってやるからお前らは「ヨッピー様ありがとうございました」を毎回ツイッターに書けい!」とかしてたら、この人ドンドンすげーことになっていくな……とドン引きはされてもこんな変な論争には至らなかったように思う。
「なぜ男女で区切った」が全てなんだよな結局。
贈与とは負債の贈与であるということがわかってない人が多すぎる。
社会人同士では飲みの金銭よりも奢られたことによる心理的負債の方がよほど大きい。表面的にどのようなロジックで「不満」が表明されるにせよ、奢られることの忌避に繋がるネガティブな感情の大きな供給源はその時に押しつけられる心理的負債である。
これは奢られる側が「相手に奢らせるかどうか」の選択権を持てばある程度相殺される。つまり最初に奢られる側が「奢る権利」を贈与することによって、奢られることによる心理的負荷を軽減することはできる。
「奢られるのが好きな人」「奢られても気にならない人」の多くは「それで相手が満足する(不満がない、自ら望んでやっている)のであれば」という条件がつくはずで、それはすなわち内面的に「相手の希望を充足させる」という贈与を行なって収支のバランスをとっているということである。
なので、本当に論争を終わらせたかったら結局はその場その場で対等な参加者として同意を取るという結論しかない。つまり奢り・奢られが発生する場合でも、それぞれの参加者が納得する(=内面的な収支のバランスが取れる)状態を準備するのである。年齢とか男女とか収入とかいった外形的な要素を考慮するのは初手から間違えている。
なお、「食事は奢るからデザートは奢ってもらう」とか「次回は逆にする」といった「スマートな解決」が実現されること、あるいは「かならず先輩が後輩に奢る」というような拘束力のある習慣が成立する条件は、当事者間で負債のキャッチボールやリレーを続ける合意があることである。当然だが、これは当事者が(その意味においては)対等であり、かつコミュニケーションの継続や共同体の持続が前提あるいは目的となっている場合にしか成立しない。
そういったものを共有していない人にとっては、そこに巻き込まれるのは奢る側であれ奢られる側であれやはり負担でしかない(前者は金銭的な意味、後者は心理的な意味で。最初に述べたように、往々にして後者の方がより負荷が大きい)。そして、「男」「女」という入れ替え不可能な属性に依拠してそういった関係を組み立てることが基本的に誤っていることも自明である。