はてなキーワード: 目眩とは
インフルエンザにかかって家で寝ていたら、こんな夢を見た。
実家のダイニングでテレビを見ている。仮面ライダーをやっていて、仮面ライダーが銭湯で敵の一味にこてんぱんにされて終わる。
隣のキッチンでは大きなアルミ製と思われる金だらいがコンロで火にかけられていて、中のお湯が沸騰している。
いま風呂に入っている母がやっていったのだろう。
僕はダイニングテーブルから火を消しに立ち上がるが、そのとたん強烈な目眩に襲われて立っていられない。どうにかキッチンへ辿り着いてコンロの火を消すが、目眩は終わらない。脳出血などを思い浮かべ、死を覚悟する。助けを呼ぼうと何故かトイレに閉じ籠ろうとするが、トイレに辿り着けない。
更に消したと思っていたコンロがまだ火がついており、金だらいが熱で溶け始めていて、形が崩れている。目眩でバタバタしながらキッチンに戻るが、どのつまみを触っても火が消えない。どうしたらいいのか分からず叫んだところで眼が覚めた。
また、夢ではないが、眼が覚めてからこんなことを妄想して本気で涙していた。
昨日テレビで見た、珍しい姓のルーツを辿る番組で取り上げられていた「返脚」さんの件。
木地師の姓である小椋を木地師の免許と一緒に返却したのが由来ということだったが、並大抵のことではない。
400km以上を明治の初期であるから歩いて木地師の集落まで訪ねて返したのだ。
国の政策で林業が自由にできなくなったから廃業を決意したのであろうが、この返しに行った人物がしたためた文書が出てきたという妄想から始まる。
文書には、初代返脚氏の木地師許可と職能姓を返却することにした理由が語られている。
曰く「免状と小椋姓を返納するのは、御国の方針に自ら進んで協力した証を公文書として残すためである。やがて姓名の由来など忘れられようが、私が免状と姓を返却したことは公的な記録として残り、子孫の目にも留まるだろう。祖先が御国の施策に沿うべく行動した栄誉ある者だということが分かるであろう。」という内容で、備忘のためにこれを記すとされている。
これを聞いて当代の返脚氏は涙を流す。「良かった」と。
「何代も続いた生業を国の政策で捨てざるを得ず、私はこの人が、ひょっとしたら惨めで悲しい気持ちで出自の村まで歩いて向かったのかと心を痛めていた。しかしそうではなかった。誇らしい気持ちで返却したのだと分かった。良かった」
以下、高校受験を控えた中学生が正月に勉強サボって書いた妄想文のようなもの。
誤情報・誤認識に基づいた記述が多々想定されるので、くれぐれも「その通りだ」などとは思われぬよう。
1、ノーベル賞を受賞しても国家予算は決められない
大隅良典先生は、オートファジーなる現象の発見で2016年のノーベル賞を受賞された。
その後、いくつかのメディアなどを見ていると、大隅先生は
・独創的な発想に基づく研究の推進
・若手研究者の支援など人材育成の充実
などを提言されている。
しかし、この影響は極めて部分的なものにとどまると思う。
つまり、今後も独創的な研究の支援は増えないし、
若手研究者の研究環境・生活環境は悪劣なまま維持される。
なぜなら、「科学技術振興予算は今後、増えない」からだ
(ごまめの歯ぎしり:河野太郎代議士のブログ参照)
https://www.taro.org/2017/01/%e8%ac%b9%e8%b3%80%e6%96%b0%e5%b9%b4%e7%a0%94%e7%a9%b6%e8%80%85%e3%81%ae%e7%9a%86%e6%a7%98%e3%81%b8.php
科学技術振興予算の内訳を組み替えるにしても、
すでに奪い合いの激しい中で、目に見えた結果の出にくい
上の二つをどこまで拡充できるかには疑問がある。
もしも予算を増やそうなどと思ったら、公民の教科書ではないが
概算要求→政府案→予算審議→予算成立
という国家予算のプロセスの中で、負債の返済や、
増え続ける社会保障費などとともに俎上に載せた上で、
予算成立までこぎつける必要がある。
どちらにしても、研究者という存在の限界は
大きく超えているように思い、いくらか愚考してみることにした。
具体的には、
「研究者が国会議員になることで科学技術振興予算を増やせないか」
ということだ。
多分、ノーベル賞学者の知名度なら参議院議員になれると思ったので、
2019年の選挙もそう遠くないし、勝手に考えてみた。
2、象牙の塔からの発信ではなく議員として予算委員会へ
いきなり乱暴な議論だが、上記の予算プロセスを経て、
「平成29年度予算は政府案どおり成立した」らしいので、
http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2017/
政府=研究者ならば問題は解決する気がする。お手盛りで決められるかもしれない。
当然そうはならないが。
では立法、つまり国会から研究支援法のようなものを提案することは可能だろうか。
これもなかなかハードルが高く、参院ならば10名
(予算がらみなので20名以上?)集めないといけない。
おそらく、まず初めにできることと思われるのは、
予算委員会で発言する事のように思う。できれば議員として。
予算審議の公聴会における公述人でも良いではないかと言う考えもある。
しかし、それでは足りないと考えている。
五年前くらいに災害対策特別委員会で京都大学教授・
内閣官房参与の方が日本の災害対策・インフラ問題について、
公述人として熱く語っていた。
しかし、地方のインフラの悲惨さが変わる気配はない。
つまり、考えの正しさだけでは足りない。
国民の理解を得られている、という事を示さないといけない。
やはり選挙を経て、国民の信任を受ける必要がある。
しかし、わざわざ著名な学者でなければならないのだろうか。
3、果実をもぎ取った人の説得力が必要だ
結論としては、著名であることは何より必要であろうと思われる。
国民に対し研究の重要性を訴える事は、誰でもできる。
しかし信頼を得るには、担保となる実績が必要だろう。
研究の種が花開き、果実をもぎ取る季節までは、
気が遠くなるような時間がかかる。
蝉の一生ではないが、ほとんどの時間は日の当たらない
地中生活といっても過言ではない。研究者にとっては、
その生活も楽しいのだが、たぶん理解されない。
広い人々に訴え、信頼を得るには、
その手に確かに、たわわに実った果実が必要だろう。
現状、日本は科学・技術の振興をやめつつある。
他の先進国との競争に負けつつあり、新しい研究の芽吹くことのない、
研究の土壌として貧しい国になりつつある。
Nature Indexについての記事が話題になったのは記憶に新しい。
https://www.natureasia.com/ja-jp/info/press-releases/detail/8622
これでいいのか、このままでいいのか、
ということについて述べるのは、あまり意味がない。
悲しいことだが、国民が選び議論した結果だからだ。
それでも保険会社が子供に夢を聞けば、
「学者」は高い人気がある。
彼らが果実をもぎ取ることができる未来は
このままだと日本という国からは着実になくなっていく。
衰退しつつあることが現状である以上、
現状維持は衰退の維持である。
わかりやすいところでいうと、
大学院の博士課程には、もう学生がいない。
愚考とはいえ、著名な研究者の国政進出を願いたくなるほどに、
現状は深刻で、喫緊に対応を要すると思う。
4、別に大隅先生でなくてもいい
非現実的なところでいくと
・政府・内閣・国会が突如科学振興に目覚めて予算方針や法律が変わる
・法律や閣議決定された予算の基本方針などに逆らって
勇敢な予算編成が組める官僚が出現する
もう少し現実的には
・研究者が大挙して霞ヶ関に大々的に陳情に行く
(パブリックコメントって効果あったのだろうか)
・国会議員に積極的に働きかけ理解を求める
しかしこれらの効果も限界があるように思われるので、
・研究者が国会議員になる
が短期的には最も有効である気がしてしまう。
中期的には研究者が中心となって小さくても良いので政党化すると良いと思う。
長期的には
・科学振興が選挙における関心事になる
ことが良いように思うので、
少しずつでも科学者は象牙の塔から出て、
地域のイベントや飲み屋に繰り出すべきではなかろうか。
研究者という生き物が国民に、さらには国会議員にきちんと理解されるようになれば、
研究者は象牙の塔ならぬ地中暮らしで満足なのだから。
大隅先生など著名な先生を国政に引っ張り出す必要もなくなる。
以下の文などを読むと、すでに飲み屋には
大隅先生をはじめとした研究者がたむろっている気がしてならないが。
http://www.jscb.gr.jp/jscb/contribution/contribution.html?vol_id=223&no=9&id=28
以上、あまりの散文に目眩を覚えつつ、間違って投稿ボタンを押すことにする。
これは、典型的な「自分でやっていない、なにやら盛り上がっている作品を、気に食わないと上から目線で批判する文章」だ。
本文は『月姫』と『Fate/stay night』のネタバレを含む可能性がある。特に『Fate/stay night』原作を未プレイで、劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel]』の続きを楽しみにしている人は、ネタバレを含むため読まないでほしい。
私が奈須きのこの作品と出会ったのは2003年。月姫、月姫PLUS+DISC、歌月十夜の3作が収められた『月箱』であった。いわゆる型月ファンとしてそれほど古参というわけではない(型月における古参とは、竹箒に連載されていた時代の『空の境界』読者――とまでは言わないものの、最低でも2001年には『月姫』に触れたレベルを指すものだろう)。当時『ONE』『Kanon』『AIR』に心酔する所謂「鍵っ子」であった私は、もちろん月姫の噂は聞いていたものの、手を出すきっかけを掴みかねていた。月箱が頒布されたのは、そんなときである。歌月十夜まで一揃えで化粧箱に収められたそのパッケージは、初めてのTYPE-MOONとしては最適であった。同時期、彼らが商業へと移行し、次回作「Fate」は商業ゲームとしてリリースすることを発表したことも背中を押した。群雄割拠のエロゲ界についに鳴り物入りで乗り込んでくる新進気鋭の代表作を、体験しておかねばならぬと考えたのだ。
『月姫』は衝撃であった。連綿と積み重ねられてきたビジュアルノベルや恋愛アドベンチャーゲームの文法に沿っていそうに見えながら、しかし決定的に異なる「それ」は、私に新しい刺激を与えてくれた。私はシエル先輩が好きになった。この文章を打っている2018年に至ってなお、人生のオールタイムベストはシエル先輩だと胸を張って言える。もちろんそれだけではない。ファーストインパクトとなったアルクェイドが醸し出す寂しさを、そして、ひまわり畑で微笑む琥珀さんの愛おしさを、今なお昨日のことのように思い出せる。
月姫の魅力のひとつに、不思議なノスタルジーがあると思っている。あの文章とグラフィックと音楽には、懐かしいナニカを思い出させるものがある。去り行く少年時代を描いた作品だからだろうか。遠野邸の遠い記憶がそうさせるのかもしれない。
PLUS+DISC、歌月十夜まで一気にプレイした私は、そのまま『MELTY BLOOD』も楽しんだ。シエル先輩を動かせるのが楽しかった。弓塚さつきの話が出ると抜き身のナイフのようになる志貴を思うと切なくなった。琥珀さんが楽しそうで涙が出た。G秋葉でゲラゲラ笑った。
したらばのTYPE-MOON板にも入り浸った。それまで葉鍵板が主戦場であった自分が。当時、すでに「月厨」は鬱陶しい存在として認知されていた。私は努めて無関係な場ではTYPE-MOONの話をしないようにし、型月板でその分、目一杯、楽しんだ。たくさんのアンソロジーコミックにも手を出した。武梨えり、佐々木少年、磨伸映一郎……(そういえば特に好きだったこのお三方はみな現在も商業作家として活躍中であり、同時に、シエル先輩ファンであった。当時、武内崇は「シエル先輩が好きな作家さんは漫画力が高い人が多い」というような趣旨の発言をしていた記憶がある)。
だが。不思議なもので、このとき私は『空の境界』にはハマらなかった。もちろん原作は読んだのだが。当時、マルチシナリオ形式のビジュアルノベルに未来を見ていたためか。あるいは、純粋に趣味に合わなかっただけなのか。後年、空の境界はアニメ映画化され大ヒットを飛ばすことになる。
2004年、ついにTYPE-MOONの商業作品第一弾『Fate/stan night』がリリースされる。もちろん発売日に予約して買った。事前の雑誌での情報を見ていて、藤ねえがお気に入りだった(まさかあんなことになるなんて)。ライダーさんはビジュアルだけ見て絶対にアサシンだと思っていた。体験版の段階でクオリティが大幅に上がっていることは明らかだった。心が躍った。世界が変わる瞬間が、目の前にあった。
魔術師と英雄が跋扈する本作を終えて、私は思った。私は優秀な魔術師でも高潔な英雄でもなく、なんでもない、取るに足らない、醜い人間が好きなんだと。だから私は、間桐桜と衛宮士郎の物語が好きになった。
桜は魔術師ではあるが、本作においては魔術師としてよりも、もっと違う存在として描かれる。衛宮士郎もまた、魔術師ではなく魔術使いとして描かれる。そしてラストシナリオである桜ルートでは、桜は家族の呪縛から解き放たれて人間として生き始め、士郎は正義の味方に憧れたロボットからひとりの人間に生まれ変わる。魔術師と英雄が闘い続けた果てにたどり着いたのが、ふたりの人間の、人間としての歩みであったことは、とても感動的で、同時にこれが、奈須きのこが幻の弓塚さつきルートで実現しようとした未来なのではないかと想像した。
そして絶望する。ご存じの通り、桜ルートは批判された。当時の型月板は荒れた。セイバールートと凛ルートが絶賛されるとともに、桜ルートは徹底的に批判されたのだ。
イリヤスフィールの物語とオーバーラップして主題が分かりづらいという主張には一理ある(一説にはイリヤルートを作るリソースが間に合わず、桜ルートに混ぜた、と言われている)。描写不足であるという批判も、ある意味では仕方ないだろう。だがそれ以上に、ファンたちは、「多くの人間を殺しながら幸せなエンドを迎える桜」と、「正義の味方であることを諦めてセイバーを犠牲にした士郎」を批難した(正確には、彼ら2人に対してというより、そのようにある物語を避難した)。私は憤慨した。衛宮士郎の、何を見てきたというのだ。
正直に言うならば、私はセイバールートや凛ルートの衛宮士郎が嫌いだ。凛ルートの遠坂凛も苦手である。はっきりと言ってしまえば、物語として楽しみながら、登場人物たちに対しては苦々しい思いを抱き続けてプレイした。そんな彼らが、桜ルートで丸ごと好きになった。桜ルートでは、みな、人間として生きている。それが愛おしかった。
同時に、TYPE-MOON作品のふたつの側面のうち、ファンに望まれる側と、望まれない側が見えた気がした。考え過ぎかもしれないけれど、私がより好む側は、望まれていないように見えた。
これ以降、私はTYPE-MOON作品と少しずつ距離を置くようになっていく。厳密に言えば『Fate/hollow ataraxia』は心から楽しんだ(アンリマユとカレン・オルテンシアの物語はとても好みだ)。だが、『DDD』は未読、『Fate/Zero』は同人誌として頒布された際に1巻だけ読んで断念、『Fate/unlimited codes』『Fate/EXTRA』には手を出さず、期待した『魔法使いの夜』はプレイしたものの、それほど心惹かれなかった。この間、各種メディア展開で楽しんだものは、佐々木少年による漫画版『真月譚 月姫』のみであった。パスタ先輩のことは一生許さないよ。
時は流れ、2014年7月27日。もうTYPE-MOONに何の期待もしなくなった私は、それでも「Fate Project 最新情報発表会」をニコ生の中継で見ていた。そこでUBWのテレビアニメ化や『Fate/strange fake』の正式出版化に並んで、ひとつの新作が発表された。『Fate/Grand Order』。通称FGO。ついにソーシャルゲームをやるのか、と私は冷めた目で眺めていた。むしろ発表会本編終了後のサプライズ、Heaven's Feel の劇場版制作決定の発表の方が魂が震えた(今でもあの瞬間の、観客席からの絶叫と、涙を流しながら挨拶をする下屋則子さんの姿をよく覚えている)。
私はソーシャルゲームをほとんどやらなかった。手を出してみたことはあるが、純粋に楽しみ方が分からなかった。というよりそれ以前に、私はいわゆるオンラインゲーム全般が合わなかった。だからFGOが楽しめるかどうか不安だった。2015年、サービス開始に合わせてダウンロードし、序盤をプレイした。だめだった。まったく合わなかった。どう頑張っても楽しむことができなかった。私はFGOをアンインストールし、Twitterのタイムラインに流れてくるFGOプレイヤーたちの悲喜こもごもを眺めるだけになった。年を重ねてしまった、と感じた。
やがて、現実の人間関係の中でも、FGOの話題が上がることが増えてきた。2016年末のイベントの様子はTwitterでも見ていたが、彼らはとても熱っぽくFGOがいかに面白く、衝撃的で、とてつもないかを語った。私は羨ましかった。もうTYPE-MOON作品でこんなにも熱く語れることはないだろう。そう思った。
私はFGO本編をプレイしていない。いろいろと明かされたアレやソレを、なんとなく知識で知っているだけだ。そうした立場で評価するのは御法度であろう。それでも私はFGOが気に食わない。これは負け惜しみだろうか。それともただの老害でしかないのだろうか。私が好きだった奈須きのことTYPE-MOONの描く取るに足らない人間たちの物語は、もしかするとFGO本編でも繰り広げられているのかもしれない(琥珀さんルートや桜ルートが好きで、かつFGOのシナリオがそれと同様に面白い、という人がいたら、ぜひ魅力を語ってほしい。皮肉ではなく、ぜひ知りたい)。だけれども、数多くの英雄がスマートフォン上で戦い続け、それをプレイするファンたちが嬉々としてお気に入りの英雄が引けたことをTwitter上に報告する様子を、どこか冷めた気持ちで眺めてしまう自分に気付く。私がTYPE-MOONに求めていたものは、これだったのだろうか? 幾度となく繰り返されてきた、単に自分が望むような創作から外れていってしまった存在を寂しく思うという、これはきっとただそれだけのことなのだ。つまり、八つ当たりと取ってもらって構わない。
劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel] I.presage flower』は、公開初日に映画館に観にいった。素晴らしかった。須藤友徳監督の、間桐桜と桜ルートに対する圧倒的な「理解」に目眩がした。アバンで桜と士郎の「それまでの日々」をたっぷり描いた時点で、完全に勝利だった。FGOで得た利益でこんなにも素晴らしい映像作品が作れるのなら、FGOに感謝すべきであろう、などと思った。第二章も楽しみだ。
聞くところによると、FGOの世界には死徒二十七祖(という概念)は存在しないそうだ。私が好きだった奈須きのこワールドとは違う世界がそこにあるのだな、と改めて思った。繰り返すが、これはただの八つ当たりだ。
2017年末も、FGOは盛り上がっていた。きっと酸っぱいに違いないと、私は新年からこのような文章を打っている。2008年4月、月姫リメイク制作決定が発表された。今年、ついに発表から10年が経過する。優先順位があることくらい私だって理解できる。だからもう「月姫リメイクはよ」とは言わない。そのようなファンに耳を貸す必要だってない。FGOを楽しむ人々に向けて頑張っているスタッフの皆さんに、おつかれさまです、と声をかけたい(年始メンテおつかれさまです)。FGOという作品を批判する気もない。そもそも批判できるだけの素地すらない。何しろ、プレイしていないのだから。本当に申し訳ない。
結局のところ、私はTYPE-MOONが、奈須きのこの世界が好きだったのではなく、ただ『月姫』という作品が好きだっただけなのだろう。あるいは、月姫が生まれた、あのころが。
人格を形成する時期に、ひたすらググれカスの世界で生きてきたから人に物を教わるのが苦手だ。
学校に通っていた頃は、知らなければいけない情報は全部プリントかネットか教科書に書いてあったので困らなかった。
卒論だってエンジンやソフト適当に入れてプログラム書いてデータ入れてポチーしてまとめれば終わりだった(ただし、設定や内容の理解にはかなりの時間を要した模様)。
思えばネットをやるよりも前から人に何かを聞くのが苦手だった。
他人に質問や要求をしないといけない選択肢は極限まで選ばず、誰からも許可を求めなくていい範囲で、他人の協力を得ずに出来ることばかりやっていた。
だが会社に入って状況が変わった。
相手の会社の社内ルールに忖度したり、特定の上司を相手取るための忖度ルールが飛び出してきたりもするのでその数は膨大だ。
そんな状況になっても、どうにも人に聞くという行為が躊躇われる。
何故なのかは分からないが、相手に直接面と向かって「あなたの時間を分けてください」と頼むのがとてもキツい。
だが、システムになりきっていない状況での質問はそれが必要不可欠であってもとても消耗する。
ほぼ確実に一度は誰かに聞かなければ、他人の仕事を見ても盗みようもないほどに煩雑な類の(というよりも理屈というものが通用しない)社内ルールを身につけるために勇気を出して人に聞くのが本当に辛い。
どうしてこんな目に合うんだ。
社内ルールを作る時に全部明確にマニュアル化して、そのバイブルを残しておいてくれ。
何故、曖昧な口約束の積み重ねが絶対遵守の不文律と化してしまうんだろうか。
吐き気がする。
法則性を導くことが不可能な(正確に言えば法則性がほぼ破綻している)規則が自分のすぐ真下で蠢いているという事に目眩がしてくる。
なんだろう。
俺、アスペだったのかな。
そういうの本当に無理なんだ。
おかしいな、最初は人に質問するのが苦手だって話がしたかったんだけど、いつの間にかテーマが変わってきたぞ。
不愉快だ。
消したくなる。
だけど堪えて残す。
この経験が俺を強くするはずだ。
まあ、テキトーに読み流してもらえるにはどうしたらいいかな?と考えた場合、「オッサンの雑談」ほどテキトーに聞き流されるものもあるまい、ということで、オッサンの雑談を書くことにした。
もう5年前くらいに田舎のお葬式に出た際、飲み食いの席で、遠い親戚の叔父さん達の雑談を聞いていた。
自分としては特に話すことも無かったし、叔父さん達は話を聞いてもらいたかったようにも見えたので、テキトーに眠そうにしながら彼らの聞いていたのだが、心の中では戦慄していた。
当たり前だが、「叔父さん達」と言っても、それは「血縁上の」という意味であり、他人から見ると、年齢的に「お爺さん」「お婆さん」である訳だが。
別によく増田で書かれているような「人間関係のドロドロ」とかそういう話では無い。
平和そうに話される会話の内容が、どう考えても、「時代が間違っている」訳です。
「お前ら、タイムスリップしてきたのか?」と。
なぜこの話を思い出したかというと、下の記事がはてブにあったからだけどね。
江戸幕府が終わってからまだたったの150年という事実…「進化の速度すごい」「江戸幕府は約260年続いた訳で…」「混乱する」 - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1182953
まあ、そうなんですよ。
叔父さん達が若者であった時代は、「トラクター」や「コンバイン」なども無い訳です。
そして、「朝から晩まで働いて、鍬や鋤で畑を開墾した」みたいな話をされる。
島崎藤村の「千曲川(ちくまがわ)のスケッチ」みたいな話をリアルタイムで聞いていると、目眩感を感じる訳です。
学校の小使は面白い男で、私に種々な話をしてくれる。この男は小使のかたわら、自分の家では小作を作っている。それは主に年老いた父と、弟とがやっている。純小作人の家族だ。学校の日課が終って、小使が教室々々の掃除をする頃には、頰の紅い彼の妻が子供を背負ってやって来て、夫の手伝いをすることもある。学校の教師仲間の家でも、いくらか畠のあるところへは、この男が行って野菜の手入をして遣る。校長の家では毎年可成(かなり)な農家ほどに野菜を作った。燕麦(からすむぎ)なども作った。休みの時間に成ると、私はこの小使をつかまえては、耕作の話を聞いてみる。
(中略)
粗末ではあるが眺望の好い、その窓の一つに倚りながら、私は小使から六月の豆蒔(まめまき)の労苦を聞いた。地を鋤(す)くもの、豆を蒔くもの、肥料を施すもの、土をかけるもの、こう四人でやるが、土は焼けて火のように成っている、素足で豆蒔は出来かねる、草鞋(わらじ)を穿(は)いて漸(ようや)くそれをやるという。小使は又、麦作の話をしてくれた。麦一ツカ――九十坪に、粉糠(こぬか)一斗の肥料を要するとか。それには大麦の殻と、刈草とを腐らして、粉糠を混ぜて、麦畠に撒(ま)くという。麦は矢張小作の年貢の中に入って、夏の豆、蕎麦(そば)なぞが百姓の利得に成るとのことであった。
「戦前の農村」と考えると、まあ、似たような時代なんでしょう、工業化も農村までは行き渡らなかったと思いますし、ほとんど江戸時代のようなものですよ。
その一方で、「一歩間違えたら、自分も手作業で畑を開墾していたかも知れないな」と思い、「はわわ」と内心戦慄していた訳です。
さらに、論を展開させると、「実は明治時代に戻りつつあるのかも知れないな」とも思います。
「レールに乗っていれば、無事上がれる」みたいな時代は終わっている訳じゃないですか。
というか、「マスコミの敷いたレールに乗ると、食い物にされ、大抵は地獄に墜ちる」ということでしょうけど。
マスコミが「~に投資しろ」「~の時代が来た」という時点で、搾取のシステムは完了しており、それに乗った人はむしり取られるだけ、的な感じでしょうか。
「だからマスコミが悪い」と言いたい訳でもない(言いたい部分もある)が、構造的に、「すでに先端から一歩遅れた話」をマスコミは報じる訳です。
「自分のリアルタイムのメシの種の秘密」を教える人なんていない訳ですから。
全然関係無い話ですが、「iTunes Storeでの音楽ダウンロード販売を終了」という話がありました。
で、ビジネスの中心をSpotifyやApple Musicなどのストリーミングへと移行する、と。
(さらに関係無い話をすると、「ビットコイン資金洗浄の最新手口はiTunesでの楽曲販売」みたいな話もありましたね)
何が言いたいのかというと、「App Store」でiPhone用の買い取りのゲームなんかも毎度セールをしている訳ですが、240円くらいで世界の才能のあるアーチストの作った美しいゲームが買えたりしますが、一方で、まだ「iTunes Store」では、シングル曲を250円くらいで販売している、もう、値付けが何が的確なのかよく分からない印象があります。
(その一方で、未だにAKB系のシングルCDが1500円くらいで売られている。まあ、「握手券」や「アイテム的価値」というのはあるかも知れないが。またさらに言えば、アイドル系以外の音楽のアーチストが「CDを買ってください」と頭を下げている)
「格差」「格差」と言いますが、「格差」を利用して儲けるのが商売というものだと思います。
現に、上のような矛盾するシステムが共存する訳で、その隙間を狙えば、多少は良い思いが出来るんじゃないでしょうか。
必要なのは、多分、「認識を適切に変化させること」であって、「相手の認識を時代遅れにすること」だと思います。
体制を打倒したいのならば、「体制の認識を時代遅れにすれば良い」訳ですが(体制の認識が時代遅れになれば、江戸幕府のように倒れるんじゃないでしょうか?)、例えば、リベラル系の重鎮の人達は、「自分達が時代遅れになっていることすら気がついていない」気もします。
今の状況を「ピンチ」と見るか、「チャンス」と見るかでかなり人生の見方は変わると思います。
そして、「認識を適切に変化させること」については、多分、日本人が一番アドバンテージがあるんじゃないでしょうか。
現に、アメリカは国がまとまらないほど、容認出来ないほど認識格差は広がっていると思いますし、例えば、最近、地球平面説信者が勢力拡大しているらしいです。
その上で、以下のようなパロディがある。もはや訳の分からない状況にある。
参照:地球の萌え擬人化が海外でブームに! 地球平面説信者の勢力拡大が原因かwwwww
http://yurukuyaru.com/archives/74181806.html
参照:北京から「底辺住民」を追い出す中国の不条理 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/12/post-9150.php
まあ、こんな分析はどうでも良いんですが、結構安全地帯はないと思いますので、早めに変化の苦しみを味わっておいた方が良いんじゃないでしょうか。
さっき風呂入ってるときにもう一人の自分と話をしていたんだよ。
そしたらいつの間にかテーマが『生まれてきた意味』になっていったんだ。
それで一人でキャッチボールしてるウチにふともう一人の自分が、
と言ったんだ。
だから自分は「それは『理由』だろ。『意味』とは違う」と返したんだが
「でも、貴方が生まれた事が何を『意味しているか』を語るなら、もっとも正確な言い方は『ご両親がチョメチョメした結果』でいいんじゃないでしょうか」
「ついでにいえば世の中の人は皆そうですよ。跡継ぎが欲しいとか、幸せな家族計画を夢見たとか、単にムラムラしたとか色々あるでしょうが、最終的にはチョメったから子供が生まれたに行き着くんです」
と畳み掛けるもんだから「いやちょっと待てよ。割りと大事な話をしている流れなのにそうやって言葉遊びで誤魔化すつもりかよ」と止めようとした。
そうしたらさ、
「でも、そもそも『生まれた意味なんてあるのだろうか』というのが、ある種の言葉遊びに過ぎませんよね」
って返ってきたんだ。
それ聞いて何かこうあっ何か今凄い事聞いたなと思ってこの増田書いてるんだけど、よく考えたら別に凄くもなんとも無かったのかも知れない。
でも俺は一人キャッチボールしてた片割れがそう言ってきたのを聞いて、「お前がそれを言うって事は俺はもうそれに気づいてたのか」と返してさ、
「そうですよ。私は貴方ですから。今偶然全てが繋がったのだとしても、気づくための下準備までは終わってたという事になりますね」
と返ってきた時に思わず。
あぁぁぁぁぁって叫びそうになったのさ。
今まで無理して無意味に必死に目を逸らしていただけだったんじゃないかって。
自分は何でここにいるんだろうとか全部くだらない事だったんだととっくに気づけてるはずだったんだろうなって、もう一人の自分にそっと諭されてしまったらそりゃ少しテンパるよな。
単に自分の中で盛り上がってるだけで別に大したことじゃないんだろうけど、頭の中を整理したいから大まかに書き出してみた。
いや、うん本当にくだらない事だし、自分も小さいうちから何度も気づいては忘れたり目を逸らしたりを繰り返してきた事何だと思うし、内容としては小学生レベルも良い所だわ。
でも今の自分の悩みにドンピシャの答えが自分の中に既にあったなんだと思うと目眩がしそうになった。
なんでもう一人の俺がそんなアッサリ答えを言えるのかよって。
でも内容は本当に全然凄くないよな
『生まれてきた意味があるんだろうか』なんて悩み自体が既に単なる言葉遊びのようなもんなんだから、そんなのは『親が生殖行為に励んだからです』で終わらせとけば十分だ、ね。
あーもう何でこんな事でウジウジしてたんだろ。
アホらしくなってきた。
吐き出したらいよいよアホらしくなってきたけど同時にスッキリした。
インスタでもいいねがついたり
YouTobeの再生回数が増えたり
そういう数字が増えて嬉しいのはわかるが、そんなに見られて、一体何を見せたいんだ?
きったない下ネタとか、風俗行ってみた話とか、そういうのが見せたいわけ?
スライム風呂に入ってる動画とか、恋愛あるある?みたいな動画とか、食べ物ぐちゃぐちゃにする動画とか、たくさん見られて、何がしたいの?
まだ、言いたいことがありそうな、政治的な発言をするおっさんの方が、健全な気がする。
(これはこれで、ただ不平不満をぶちまけてる人ばっかりで、しんどいんだが…)
拡散するって、言葉やアイデアが広がっていって、いろんな人の目に触れることなのに、「言いたいこと」が何もなくて、面白けりゃいいじゃん、というノリだけで、ウケ狙いの言葉や画像や動画をネットに上げまくってる人が、正直、気持ち悪い。。
いろんな人の「目立ちたい」が、身の回りに溢れてて、目眩がする。
ストレス発散のために、不平不満を言ったり、他人をバカにしたりする発言も溢れてて、見知らぬ人の大量のストレスで圧死しそうだ。
いい言葉や物語に出会うためのコストが、かかりすぎるほどに、ネットは言葉や物語で溢れかえってる。
みんながみんな、「俺がいい!」「俺がおもろい!」「俺が正しい!」って言ってて、ほんとうに疲れる。
結局、お前ら、「俺」のことしか考えてないんだろ?
マチコンに行ってきた。
彼女ができないという劣等感を解決するには彼女を作るしかない。
自分を変えるために、手当たり次第できることは恥ずかしがらずにやろうと思った。
そのために行動を変えなければならない。
まずは服。
上から下まで一式全部コーディネートしてもらった。値は張ったが、自分を変えるつもりだと思って目をつぶった。
変なプライドは捨てて、シンプルで清潔感がある服装をお店の人に聞いた。
恥ずかしかったが、似合っている服が買えたような気がした。
次に髪の毛。
美容院の予約を取った。
当日は、行くのをやめようかと思った。美容院の人は気を使っていろいろと話しかけてくれた。
髪のセットの仕方も教えてもらった。
早速、ワックスを買って髪を整えるようにした。
髪の毛だけで印象はずいぶん変わるんだと気分が高ぶった。
そしてマチコン当日。
気になった子と、マッチングが成立したので連絡先を交換して今度ご飯に食べに行くことになった。
僕はウキウキだった。次は何を話そうかなとか考えてた。話していて楽しかったから。
次の日LINEをした。ご飯に行きましょう
返事はなかった。
楽しかったし、また話したいなと思っていたのに相手はそんなことは微塵も思っていなかったわけだ。
今まで僕と話してきた人たちは、一言返すことさえ苦痛な思いをしていたのだ。
それに気づかずに今までのうのうと生きてきた。
変わろうと思えば人間は変われるんだと思っていた。もう無理だろ。
ずっと変わるのを怖がっていたのは、自分がどうしようもないことが明らかになるのが怖かったからだ。
何をやってダメな人っている。そういうことだ。僕は主人公ではない。
就職も失敗した。
友人だと思っていた人は、就活に失敗した僕に向かってブラック企業は辛いという話を延々としてきた。
そんなの僕の方がずっと知っている。なんせブラック企業に行くのは僕なのだから、
飲み会になると嬉々としてそんな話をしてくる。アルコールが入っているから他人にはおもしろい話題なのかもしれないが、
別に就活中に天狗になって絡んでいたわけではない。自分のことで精一杯だった。そして失敗した。
就活は正直くじ引きだと思っているから、しょうがないと思って受け入れようとしたが、
友人からここまで言われるとは思わなかった。
話題にされるぐらいならと飲み会に参加するのを断れば、「あんまり就活の失敗は気にしないで、残りの学生生活一緒に楽しもうよ!」というLINE
正気を疑う。
就活はいい企業に就職した奴が勝ちだし、僕にとっては、彼氏、彼女がいるやつが勝ちだ。
将来はわからないみたいなことを言っているサイトとかを見たが、
いつまで生きられるかわからない中で将来を夢見るとかちゃんちゃらおかしくて腹筋が割れた。ワンダーコアよりよほど効果がある。
そして今を楽しく生きる方法はずべて絶たれた。
高校の頃、仲の良かった子がいた。
結局告白もせずに終わったが、その頃の思い出はかろうじて数少ない幸せな記憶の一つだった。
あの頃は楽しかったと思うこともあったけど、
今ならその子が、僕と話すのが嫌だったことがわかる。
その子はきっとものすごくいい人だったんだと思う。人を嫌がらせてやろうとかそういう気持ちの全くない。
そんな人に出会えて、優しくしてもらえてよかった。告白しなくてよかった。
ただただ今はそんな事が分かる前に死んでしまえばよかったと思う。
もともといろいろな仕事を結構マルチタスクで開いてしまい、少しつづ閉じていく。。。みたいな仕事をするタイプなのだけど、開いた仕事を忘れてしまうことが増えてきた。
その状態で少し仕事をしていたけど、また少し経ったぐらいから明らかに涙もろくなったり、感情的にいろいろな人と会話することが増えてきたように感じることが増えてきた。
その罪悪間で押しつぶされそうになる日も多くなってきた。その頃から自分に対して負荷をかけるようになった。例えば、昼ごはんを罰としてあえて抜いてみたり、体をつねってみたり。
体に悪い、痛い、そういう感覚が味わえることをちょこちょこ与えつつなんとか乗り切ってきてた。あまりにもいろいろ不安になって一度本気で首絞めしてた時期もある。
自分で自分に課す首絞めは簡単には死ねないので大丈夫。(死ぬ前に手の力が抜けるので死ぬまではいかないのです)
そのあともう少し経ったぐらいから急にまた調子よく仕事できる時期が来た。結構いい感じでこなしていて、バンバンタスクぶっ壊していた。
でもその頃のことを思うと、結構ミスとか抜けが多かったように思う。調子良かったのはたぶん上部だけなんじゃないかな・・・。
もう少したってから、会社に行こうとするたび目眩と頭痛、吐き気が襲ってくるようになった。最初の頃はまだ調子悪いなー?風邪引いたかな??ぐらいで済んでいた。
そのうち会社に行くのも辛いレベルで、朝起きれなくなった。この段階でさすがにもう無理、おかしいとなり、病院に行った。
結論から言うと、神経衰弱、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E8%A1%B0%E5%BC%B1_(%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%96%BE%E6%82%A3)
と診断された。そして、医者からすぐにでも1ヶ月間の休職をすべき。という診断書をもらった。
人事に連絡をし、この診断書を提出、なるべく早めに休ませろ。という要望を出してほぼ1ヶ月。というのが今。
実は現状まだ休職扱いにはなっていない。少ない有給を使いつつなんとか仕事に噛り付いている状況。
今日は完全に動けず家で休んでいて、ふと動けるようになったのでこの文章を書いている。
人事にはその旨を伝えているが、引き継ぎやらなんやらをしないと休ませられない。の一点張りで話が進んでおり、明日医者に行くので再度強めの診断書をもらう予定だったりする。
診断書には法的な拘束力がないのは知っている。最近は仕事中は何も食べ物が通らないレベルで体調が悪くなってきている。ウィダーインゼリーを飲み込むのが精一杯でなんとか仕事している。
そのような状況を話しても引き継ぎだの・・・という話になる。
そんな会社もうさっさとばっくれちゃえ。っていう意見も聞く。だけど、こんな状態になるまで働き続けるぐらいには変に正義感が強い私なのでどうしようもないらしい。
このあと引き継ぎが終わったとしても素直には休職にはさせてくれないだろうなとは思っていて、すでに転職活動もしている。
ここに書いて何かして欲しいとか、そういうわけではないのだけれど、記録として残したい書き出したらスッキリするかな?と思いここに記載をした。
誰にでもツーカー出来ると思いこんでる奴らが沢山いて目眩がする。
初めて行くコンビニでもレジで「セブン!」と注文すればマイルドセブンライトが出てくると思い込んでるような人種。
伝えるべき情報の3割も伝えれば相手が残りの7割を脳内で補ってくれて当然だといつも考えてる人達。
彼らは病気だ。
自分が知らないことは皆も知らないと思っているし、自分が昨日知ったことは皆も昨日知ったとすら考える。
そういう感覚がまだ身についてないのだろう。
皆一緒でお手てつないで同調圧力しましょうねの世界で純粋培養されすぎたんだろうか。
そういう連中は言葉の使い方が雑だ。
何も面白くないのにニヤニヤと笑いながらそうやって喋る。
頭の悪い相手とわざわざ喧嘩してもしょうがないから愛想笑いで受け答えするけど、本心では馬鹿なの?死ぬの?と思っている。
自分は他人と自分の区別がついてるから、思っているだけじゃこちらが本心では嫌がっている事は伝わらないと知っている。
だからいつまでたっても奴らがそういう生き方をして他人に迷惑をかけていくのを辞めないのも仕方ないと割り切ってる。
そういうの迷惑ですよってこちらが教えてないんだから仕方ない。
何で教えないのかと問われれば、わざわざ頭の悪い奴らと言い合いなんてするだけで損だからだ。
彼らは本当に可哀想な輩だ。
そうやって見捨てられ続けて歳だけ食った子供のまま太鼓腹だけが大きく育って心の有り様は幼稚園児のまま。
私は一人暮らしなんてできなかった誰かに支えられて助けられて引っ張られてないとまともに生きていけないそんな生き物だった
朝は起きられない夜は眠れない準備ができない間に合う時間にも間に合えないまともに部屋も片付けられないお洗濯も洗い物も料理も風呂も全部後回しに溜めて溜めて溜めてぐちゃぐちゃで汚くて笑える
18年生きてて自分が発達障害だったなんて知らなかったよ 引っ越す前に教えてよ、遅いよ
早く心療内科に行って診断してもらわなきゃね
いい成績とって親に喜んでもらいたかったもうこの子はひとりで大丈夫だって安心して欲しかった信じて頼ってもらえるような娘になってあげたかった
私は何もできなかった
友達とも大学生活の話合わないしそれでも笑顔で謎の助言とか励ましとかしなくちゃいけないしなにこれなんなのこれ、うるさいうるさいあああああああああこっちはレポートテストプレゼン以前の出来損ないなんだよ出席数不足で引きこもり生活始めてんだよ普通の大学生の悩みなんて話なんて聞いたって共感できないよやめて
ごめん
もうどうでもいいや、
夜寝ることも朝起きることももうどうでもいいやどうでもいいーーーーーどうでもいい頭痛がする目眩がする立ちくらみがする気力が出ない
もうどうしようもない仕方ないどうでもいい
後悔のやり方なんてわからないどうでもいい