はてなキーワード: 演出家とは
どうしてだろうか
私はアニメアイドルマスターを視聴して以来、いわゆるプロデューサーとして7年ほどアイドルマスターのファンでいた。
一時はアイドルマスター、シンデレラガールズ、ミリオンライブ、SideM、シャイニーカラーズ、全てのアイドルマスターのコンテンツをそれなりに追い、CDは全て購入をし、アプリには課金をし、ニコニコ動画に動画を投稿し、ライブにも足繁く通う。
それはそれはアイドルマスターに従順なプロデューサーさんであった。
しかしながら、ある日を境にアイドルマスターへの熱がスっと冷めてしまう感覚に陥った。
ある日とは、昨年12月に開催されたシンデレラガールズ6thライブ名古屋公演2日目である。
この公演、私に近しい人間以外は、最高のライブだったという感想ばかりであり、終演後酷くそのことに疑問を覚えたものである。
手放しで最高と言えるライブだったのか?
具体的なダメ出しをすると、6曲目の「楽園」のあとの「あんきら!?狂想曲」である。
お前それほんまか?
この時点で私のこのライブに対する興味がスっと失われた。
「楽園」を歌い上げた会沢紗弥さんは見事であったし、関裕美が本当にステージで歌っているようで涙を流したし、「あんきら!?狂想曲」を歌った五十嵐裕美さんも松嵜麗さんも前回のライブよりもよりパワーを増したパフォーマンスだったように思えた。
長くなるため簡潔にあげると、バラードの余韻を許さないセトリ、誰も望んでいない曲目、2曲目のソロのみで構成されるソロパート。
本当に悲しかった。
ライブを見ていて無の感情しか湧いてこない自分や、終演後に愚痴しか出てこない自分に対して悲しくなり、一人になった時にホロホロと涙が零れてきた。
アイドルマスターに対してこんな感情しか持てない自分が本当に嫌だった。
他の人はどう感じてるんだろう?
そう思いツイッターを開いてみれば称賛の嵐。
ほんとにか?
お前らほんとにこのライブが最高と思えたのか?
初星宴舞で少しは盛り上がりを見せるかと思ったら全く展開がないアイドルマスター。
まるでミリシタ1stだと言わんばかりのセトリであったミリオン5th公演。
振り返ってみれば2018年のアイドルマスターは、初星宴舞以外本当にいい思い出だったと思えるものはなにもない。
これまで、アイドルマスターに魅せられ続けてきたものにとっては、2018年は本当に失望させられた年であった。
そして、そんなアイドルマスターになんの文句もなしに最高だ、最高だと言い続けるプロデューサー達とのギャップも感じる。
今の状況を楽しめるプロデューサーというのがプロデューサーであって、所詮私はプロデューサーではなかったのだろう。
私は今のアイドルマスターというコンテンツに、かつてほどの魅力を感じない。
と、なぜこのタイミングでこんな長ったらしい愚痴を綴ったのかというと、本日私のお気に入りのアイドルである橘ありすの2曲目のソロ曲が発表された。
そこで思い返してみたら、12月のライブ以降、私はアイドルマスターに対して1円もお金を落としていないことに気付いたのである(多分)。
発売は来月、3月20日であるが、久々にアイドルマスターにお金を落とそうかなと思う。
コンポーザーとアレンジャーを見て、変な曲になることはないなと胸をなでおろした。
この曲が再び私をプロデューサーの道に戻してくれることを切に願う。
はーーーーい、面倒くさいオタクの匿名じゃないと怖くて言えないから匿名ダイアリーに書き捨てる内輪ノリ持ち出しクソ学級会はーーーじまーるよーーーー!
お聞きのお代はうんちとパンティー、キモい金無しオッサンでも大歓迎!聞くだけ聞いてってね!聞かなくてもいいけど!
作品名は出さない(どうせバレるが)けどね、このオタク増田、いくつかとあるソシャゲをやっております
ソシャゲなぞ池沼が好む金の無駄と言ってくれるな、そんな事はあっしが一番解っております、宵越しの銭は持たぬ、課金して一夜の夢を見よ
さてさて、美少女動物園じみたゲームじゃもはやお馴染みの要素に「人気投票」ってェもんがございやす
対人作品じゃなくても自動的に対人化する魔のイベント、ネット蠱毒の壺、性能論と股間論のぶつかり合い、人気が無慈悲にランク化されるギッスギスのギッスギスイベントでつね
ヘイ、戦争ですね、なにせ愛が課金額と張り付いた時間とタップクリックプッシュ回数で示される様なモンっスから
右も左もマウント合戦!飛び交う罵声、レッテル貼り、「そんな不人気に投票するガイジなんているの?w」、「あのキャラのファンは頭がおかしい、工作票DA!」なぞ言うわ言うわの言葉の殴り合い!ここは何だ地獄でやんすか
嗚呼、この増田は惨めにもキモくて金の無いオッサン予備軍、しかしわかっちゃいても画面内で輝く◯◯たんの為に今日も周回ブヒブヒ!
イベが終わりゃァサア結果発表だ!ここ一番の荒れどころですよ!
マイハニーが一位ではない!あの不人気は最下位ザマァw!そして始まる大戦争!愛と愛の殴り合い!!
パトラッシュ、もう疲れたよ、あっ待ってパトラッシュ逃げないで
こんな風に自分を落語家か演出家みたいに勘違いするクソみたいなイキり文章書いて無理やり鼓舞してるけどさ、好きなキャラがアンチだらけだと辛いんですよね
自分の愛するものをこの世の人間全てが好きなわけじゃないのはわかってるんだけど、罵声を聞くのは辛い
だから俺は人気投票イベントが嫌いなんだよ
好きなキャラがマイナー寄りなら不人気だの空気だの言われ、人気で上位常連ならゴリ押しだの工作だのアノキャラ好きはガイジだの
辛いよ
はぁ~うんちうんち、うんちっち、お後も便通もよろしいようで
2.5次元舞台界隈を見ていると、純粋に舞台好きで通っている人って本当に少ないんだなと実感する。
俳優に彼女がいるとわかった時、俳優がとんでもないことをやってしまった時、決まって俳優ガチ恋の女性達と、原作を汚すなと怒りまくる原作ファンの声はよく広まる。彼女達はもう舞台には行かないという。ガチ恋女子達の気持ちも原作好きな人達の気持ちもまあよくわかる。
でもそれ以上にその俳優を含めた素晴らしい舞台までシャットアウトしてしまう必要なんてないのになと思う。俳優だけが好きでも原作だけが好きでも良いと思うんだけど、そういうのがきっかけで舞台も好きになってくれたらと思うよ。まあそこまで好きになれなかったから舞台通いもやめちゃうんだろうけどさ。
何かと炎上しがち、下に見られがちな2.5次元舞台だけど、素晴らしい原作のもとに素晴らしい演出家と素晴らしい俳優が一緒になって新しい舞台を作り上げる。原作とは違った一面や別の解釈があって原作ももっと好きになる。舞台も好きになる。2.5ってすごく良いと思うんだけどなあ。
まあオタクのこだわりが強くて舞台は解釈違いだキャラ汚しだこんなの◯◯くんじゃない舞台死ねって言われるのがオチなんですけどね
また水ダウが騒ぎを起こしたらしい。もはや興味もないし、番組自体見ていないので言及は避ける。
ここ数年だろうか、大好きだった藤井健太郎の笑いに徐々についていけなくなった。
彼ももうすぐ四十、多くの先人達と同じ轍を踏み始めてる気がしてならない。
1.頭の切れる若者Aが、強者に噛み付いたり、辛辣に揶揄する芸風で人気を獲得する。
2.尖ったAの芸風が若年層の支持を獲得、多くの仕事が舞い込む。器用なAはどの仕事も着実にこなして地盤を固める。
3.Aの人気は安定し、年齢も中堅に差し掛かりはじめる。しかし1.の頃の芸風を上手く捨て去ることができない。
4.お抱えの後輩や売れていない懇意の同世代など立場の弱い人間を相手に、同意の元で1.の頃の芸風の再現を行う。
5.良かれと思って行った4.の行いが、もはや単なる「弱い者いじめ」にしか見えず、反感を買う。
今、大御所と言われている芸人達は概ねこの流れを通ってきている。
とんねるず石橋なんか現在進行形で5.の沼にはまって抜け出せないでいると言える。
「芸人とプロデューサー・演出家では違う!」と言われそうだけど、
上記の大御所達と組んでいたテリー伊藤、高須光聖、土屋敏男も同罪と言えるだろう。
ここ最近の水ダウの話題を漏れ聞く限り、藤井の作る笑いは5.のフェーズに差し掛かっている。
要はクロちゃんなり、その他無名の若手なりを徹底的にいじめてリアクションを楽しんでるだけだろう。
先人達は文化人にシフトしたり、他ジャンルを模索したり、芸風を甘口にすることで5.を乗り越えてきた。
これから彼がどのように身を振っていくのか非常に楽しみではある。
前からなんとなく気にはなっていて、先日、浅草ロック座に行ってみたのである。
場所は浅草演芸ホールからちょっと行ったあたり。「浅草ブロードウエイ」なる名前がついていて、幅は広いが車は入らないようになっている。向かいはリッチモンドホテルの下層に「まるごとにっぽん」とかいう明らかにインバウンド狙いの商業施設がはいっていたり、案外こぎれいな場所だ。道路もふくめて近年だいぶ整備されたんだろうという雰囲気。
ビルには大きく「ROCKZA」書いてあるがこれまたこぎれい。入り口にはファンから出演者に贈られたらしい花が飾ってあったり、出演者の顔写真が飾ってあったりするが、そんなにいかがわしい雰囲気はなく、階段を上ったところで昔ながらの映画館の窓口みたいなところでチケットを買うとすぐモギリのおっさんがいて「もうすぐ最終回はじまりますよ」と言われる。
公演は毎日午後1時から同じ演目を4回やっていて、料金は5000円(シニア、女性、学生、カップル割あり)、入れ替えなし。ただし、20:10以降に入場して4公演目だけみれば3500円。とりあえずこの割引時間帯にいったのである。
客層は推定45歳以上の小市民風なおっさんがメイン。競艇場ほど「怪しそうな人」は見当たらず、妙な酔っ払いとかもいない。普段はそれなりに真面目に仕事してそうな人も多い感じ。
サブカル好きっぽい女子二人組みとか、そこそこ若いあんちゃんとかもいないわけではない。
劇場内は、やや縦長の長方形で、ざっと120~130人くらいが座れる感じか。客席の両脇と最後部には寄りかかって立ち見するのにちょうどよさそうな手すりも完備している。
ほぼ満席だが、幸い空席をみつけて着席した。
舞台は真ん中から客席中央あたりまで花道が延びていて、花道の突端は丸い舞台になっている。
あそこで女性があんなポーズやこんなポーズをとるのだな、と思っているうちに開演。
場内に朗々と、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の主題歌(The hills are alive with sound of music~ ってやつ)が朗々と流れて、一応、ジュリー・アンドリュース演じるマリアを意識したんだろうな、という衣装(ただし、安っぽい)を着たお姉さんがバレエのようにくるくる回ったりしながら踊ってる。
曲が終わったので、いよいよ次は脱ぐのかと思ったら、子供役と思しきお姉さんも7人でてきて、「ドレミの歌」が始まった。
古い映画なので知らない人も多いと思うが、「ドレミの歌」というのは、厳格な軍人の家であるトラップ家に家庭教師にきたマリアが子供達に音楽をおしえる、というテイの歌なのである。ちゃんと振り付けも、子供達にドレミを教えるっぽいミュージカルっぽい感じになっている。一応、映画のオマージュ的なことなのだろう。
で、ドレミの歌が終わると、子供役のお姉さんの一人がネグリジェみたいなカッコに着替えていて、マリアに手を引かれて、花道突端の円形の舞台までつれてこられた。
BGMは、これも「サウンド・オブ・ミュージック」の曲なのかどうかは良くわからないが、なんか英語で「さあ、今夜もゆっくりお休み」みたいなことを子守唄風のメロディーで歌っている。
そうこうするうちに、マリアは子供を寝かしつけて舞台から引っ込んでしまった。
そして、この女の子が目覚めるテイで起き上がると、一枚一枚服を脱いでいくのである。
正直、ここまでの流れにいささか関心してしまった。いや、なんか、「ちゃんとつくってる」じゃん。
正直、踊りのレベルがどうとか、そういうことは素人なので良くわからん。
土屋太鳳がときおり「アタシ大学でダンスやってたんです」ってことでやってみせるモダンダンスよりはレベルが低そうに感じた。
脱ぎ始めたときのBGMは、なんか「ええ歌風のJ‐Popのバラード」みたいなのだった。詳しくないので、曲名わからないけど。
怪しげなトランペットやサックスの扇情的なメロディで「ちょっとだけよ、アンタも好きねえ」という雰囲気ではない。踊りもなんというか「エロじゃなくてアートです」という感じ。もちろんストリップだから、あんな格好したりこんな格好したり、足を大きく開いたりもするわけだが。
あと、以前タモリ倶楽部でやっていた、職人芸的なリボンも、本当にやっていた。
これは、ボランティアのファンが、絶妙なタイミングでリボンを投げる職人芸である。
本当に絶妙なタイミングで、観客やお姉さん方の邪魔にならない方向にリボンを投げ、するすると手元に巻き込む様は、ベテラン漁師の一本釣り漁をみているようですらある。
そんなわけで関心しきりのうちに一演目が終わると、会場内にド演歌が流れ始めて、歌舞伎の「道行」みたいな、和装の二人連れが出てきた。男性役は男装した女性。一応、なんか逃げるように駆け落ちした二人、みたいな設定、らしい。
なんだか、振り付けに「ロボットダンス」みたいな動きがはいって独特な・・・と思って気がついたのだが、そうか、これ、人形浄瑠璃のパロディなのか!?
・・・と、そんなこんなで、どの演目も結構「ちゃんと」つくっていた。
各演目とも前半はなにかしらのモチーフを基にしたダンスミュージカル風な踊りをやって、後半は脱ぐ、という展開。
「銀河鉄道の夜」のパロディの演目では、インカムつけたお姉さんが「そのよる、ボクはカンパネルラと」とか朗読はじめちゃうし、きゃりーぱみゅぱみゅの音楽にあわせて、おもちゃの兵隊が踊る、みたいなのがあったり。
尾崎の「アイラブユー」に合わせて、何だが不幸な恋愛をしてっぽい二人がじゃれあったり抱き合ったりしてる、という演出もあり。
脱ぐときのBGMはなぜかJ‐Popが多い。ゆず版の「見上げてごらん、夜の星を」とかミスチルとか、意外なほどに合ってたりする。これはJASRACと契約してるんだろうなあ。
休憩中に、幕をスクリーンにして「本日の演目紹介」が投影されていて、最初の演目はちゃんと「サウンドオブミュージック」だった。先ほど「アイラブユー」にあわせてやってたのは「ロミオとジュリエット」だったらしい。なるほど。
本日最後の演目は「チャップリンの独裁者」らしい。何をやるんだろうか・・・と思っていたら、これまたなんか真面目だった。
ステージにはミリタリーっぽい服をきたお姉さんが立った・・・と思ったら、どこからともなく演説が聞こえてきた。
これ、あれや、「独裁者」の最後で主人公が全世界に向かってやる演説。高校のときに英語の教科書に載ってた。自由の尊さを訴えた名文やで。
やがて、演説にかぶさるようにピアノが流れてきて、お姉さんが踊っている。
はじめは何かに束縛されてるような踊り方だったのが、どんどん激しくなっているのは、多分、スピーチのテーマにあわせて、支配からの自由を表現している・・・というのは、こっちの勝手な解釈だが、でも有名な振り付け師でも出てきて「そうなんですよ」といわれれば納得してしまいそうな気がする。
最後、自由への戦いに立ち上がったかのようにこぶしを突き上げたポーズで一旦とまり、そこから曲が変わって脱ぎだすわけだが、これもあれか、支配からの自由の行き着いた先は、「洋服」という束縛からも完全に自由になるということなのか。(深読みしすぎ)
なんというか、みなさん、「売れない劇団の看板女優」みたいな雰囲気。体のラインはさすがに、それなりに美しい。ただメイクばっちりで色とりどりの照明もきついので、正直年齢とかは良くわからん。
あと、これはどこまで書いて良いのかよくわからないのだが、服は全部脱ぐ。で、それなりに高々と足を上げたり、のけぞったり、いろんなポーズをとる。
ちょうどかぶりつきに結構若いお兄ちゃんがいたのが、まさにかぶりつくように見ていた。
ま、ああいうシチュエーションであんなふうに見るのって、なかなかないからなあ。
あれが現在の日本の刑法上、どういう扱いになるのかはよくわからないが、平然とやっているところをみると、「わいせつ」とは扱われてはいないのだろう。
その昔のストリップ劇場は、観客が舞台にあがって女性とあんなこんなことができちゃう「ナマ板ショー」やら、個室で二人きりになってあんなサービスを受けられる設備やらがあったり、そりゃもういろいろある風俗だったらしいが、今の浅草にそんな雰囲気はなく、観客もいたって真面目に鑑賞しているのであった。
ま、各演目の前半はとくに興味ない風な客も多そうだが。
にしてもあのネタは誰が考えているのだろう? 作家とか演出家とかいるのかな?
なんか「昔、寺山修二や唐十郎に憧れてたじいさん」とかが裏でいろいろ携わっていたりするのかもしれない。全般的にネタが古いし。
というわけで、3500円が高いとは思わなかったが、まあ、どうしてももう一度みたいというほどでもないかな。
まあ、興味の沸いた人は話の種に一度くらいみておいても損はしないと思う。
にしてもあれだ。演目とか興味深かったので思わず、軽くメモをとってしまって、だからこそこんな増田もかけているわけだが、ハタからみたら「超熱心なストリップファン」に見えてしまったかもしれないと思うと、ちと恥ずかしい。
ま、どうせ知らない人ばかりだし二度とあうこともない(多分)だろうから、いいんだけどさ。
問題になっている作品の(元)ファンで、現在も若手俳優オタクの者です。
まず事件当時の湯澤氏のことだけど、湯澤氏が昔やってた音楽ユニットの「赤いカバン」て曲とかモロにアレだし、「頭の良い少女が好き」みたいな発言はよくしてたので、事件は事故ではなく間違いなく元々そういう癖のある人ではあるんだと思う。
ただ実刑判決を受けて出所した今の湯澤氏の内心については、誰にも分からないのではないか。
彼は今、もしかしたら当時のことを心から悔いて更正しているのかもしれない。
あるいは再犯率の高い性犯罪者として、今も変わらずそういう欲望を秘めているのかもしれない。
でもその判断は本人以外には無理だよ。
そういう人間を、演出家という舞台の現場では一番の権力者になってしまう地位に復帰させるのはどうなのか、という批判はもっともだけれど、でもあの歳のオジサンが全く権力を持たない職って、そんなんある?
窃盗の前科がある人は田んぼしかないようなド田舎に、性犯罪者は性的対象の全くいないところに隔離したい。
その気持ちは共感しないでもないけど、それは犯罪者の社会復帰とは到底言えないし、そもそも不可能だ。
だから私は、犯罪者の出所後の権利については、他の"善良な市民の方々"と全く同じように保証されるべきだと思うし、例えばこの舞台を中止にして業界から完全に追放させる、みたいな処分は絶対に駄目だと思う。
それに対して他人が口出しすることは何もない。
なので私としては、この人に関わりたくないと判断して出演・観劇を避けた俳優・舞台オタクや、逆に大人の事情とかファン感情や友人付き合いで出演・観劇を決めた俳優・舞台オタクが、
ドームライブに行った。声優が歌うやつ。この時点で察してほしい。察せない人は続き読んでも面白くないだろうから読まなくていいよ。
運のいい友人が2連番で当てたので連れていってもらうことになったのが理由だ。なぜ友人が私に声をかけてくれたかというと、その公演には私の応援する女の子の声優が出演するから。それに関してはひとまず置いておいて、披露されそうな曲はほぼ全部知ってるからわりと楽しみだった。
ここでとりあえず私が私の応援する女の子のことがどれくらい好きかっていう話をする。読み飛ばしてくれてもいいです。
まず見た目。圧倒的にかわいい。強い。美しい。のどの形容詞でも言い表せなくて歯がゆい。それでいて完成されてない。ミロのヴィーナスの美しさに近いかもしれない。
次に性格。性格を言葉で説明するのって難しいね。私からするとかっこいいなって思う。本人的には自由奔放に生きてるんだろうけど、私から見るとブレない一本の芯が通ってるように見えて。その芯っていうのはあの子のやりたいことをやっている、ってところなんですね。当たり前のようで、やりたいことをやり続けるって難しいじゃないですか。なんとなく何かに流されて、やりたくないことをやって、あとからなんか理由をつけて自分を納得させるみたいなことあるじゃないですか。私はそういうところがあって、自分のそういうところが嫌いなんです。そういう私から見ると、思うがまま望むがままに進んでいくあの子の姿が輝いて見えるんです。これ性格の説明じゃないね。
声。しゃべりも歌声も含めて、素敵。性格のところで書いたのは概ね文字情報から見出したあの子の脳内イメージなんだけど、それに全然負けてない。自由奔放で気楽な感じと、筋が通ってる強い感じと、ちょっと冷徹な感じと、あとあの子頭がいいんだけど、そういう知性がある感じとか、全部ニュアンスに入っててすごい。これは私の応援する女の子の声優さんがすごいんだと思う。ありがとう。
で。そのライブに出演する声優にはいろんなひとがいる。様々な役を演じてきた人もいるし、アーティストとしても活動してる人もいるし、このコンテンツくらいしか目立った出演作品がない人もいる。私の応援する女の子の声優は多分一番最後のグループだろう。
本題。私の応援する女の子の声優は、歌がそんなに上手くない。ダンスも特に目を引く部分はない。気の利いたMCもしてくれない。これって格差じゃないですか?
今のはさすがに冗談で、演者の実力に差があるのが格差だからどうたらこうたらって言い出すほど頭の中お花畑じゃない。でも私は納得いかない。
とりあえず誰が悪いのかを考えてみた。
(1)声優本人
ここをお前らオタクのせい!ってできたらよかった。お前らがなんでもかんでも歓声あげて、どうでしたかって聞かれたらよかったーとか最高とか叫んで、SNSで称賛するから、みたいな感じで。
でもそうじゃないと思う。さすがにあのレベルのパフォーマンスしてたら自分で気づくはずだ。気づいてほしい。気づかないならもうしょうがないのでいいです。
そもそも私そこまでこのコンテンツちゃんと追ってるわけじゃないけど、知る限りではこの人のパフォーマンスがなんというかダメなのは前からだ。私が何度かこの人のステージを見た感じだと、目を見張るような進歩はしてないと思う。でもこれは極めて主観的な話だから、もしかしたら私の脳内の完全無欠最強私の応援する女の子を重ねてしまっているせいかもしれない。もしそうだったらごめんなさい。でもあなたの仕事は私にあの子の幻影を魅せることじゃん。
ちなみにこの人より色々とひどかったけどわかるくらいよくなった声優さんもこのコンテンツにいる。だからなに。
私から見ると、本人にライブに対する向上心がないのかなあと思わざるを得ない。音域はボイトレで広がるし、ダンスが続かないなら基礎体力をつければいいんじゃないのかな。これは言いがかりだけど最後の挨拶とかいつもなんか浅いんだよなこの人。でも今回は演者として喋る機会が少なかったから比較的ボロ出てなかったんじゃない?
朗読劇はなんかサービスというか、こういうこと言ったらみんな喜ぶでしょ?みたいなアレでしたね。普通でした。
(2)オタク
ほぼ上述。でもこれはもうしかたないかなって思ってる。だってお前ら、本当は声優のパフォーマンスが良いとか悪いとか興味ないもんな?ライブに行って、ペンライト振って、周りと同じタイミングで声出して、終演後に飲み会かツイッターでどこがよかったとか適当なこと言うっていう行為自体で気持ち良くなってるみたいだから。ほんとは誰も私の応援する女の子のことも私の応援する女の子の声優のことも見てないもんな。いいよそれで。
(3)えらい人のディレクションとか
最近ようやく気づいたんだけどこれもよくないのかも。歌う人にあった音域の曲を歌わせてあげてほしい。ダンスがダメなら演出とかダンサーとかでカバーしてあげてほしい。本来ライブで歌う仕事じゃない人を歌わせて、踊る仕事じゃない人を踊らせてるんだから、そういうところはフォローしてあげてほしい。声優としての演技力、表現力で勝負させてあげたらもしかしたら違うものが見えてくるかもしれない。曲だってコンテンツの前例を考えたら遠からずライブで歌うことになるんだから、レコーディングでしか歌えないような曲を歌わせるべきじゃないのでは。私作曲家でも振付師でも演出家でもないけど、そういうもんじゃないの?
ここまで読んだ方は声優を褒めたりけなしたりなんなんだって思ってると思う。私が一番そう思ってる。
繰り返しになるけど声をあてる声優としての私の応援する女の子の声優の仕事は完璧なのだ。でもライブとかで出てくると、何かが違う。これは本当につらい。
もしかしてゲームで声あててる人とライブで出てくる人は同じ声帯の別人なんじゃないのかと思うくらい。
何が言いたいかっていうと、私も私の応援する女の子の声優を、まっすぐ応援できるようになりたい。もっとこのコンテンツを楽しみたいから。
そのためには、この感情をなんとか整理する必要がある。そしてそれは残念ながら私一人の力ではどうにかできない。
私の応援する女の子の声優が、なんとか、一つだけでもライブですごいところを魅せてくれたら、あの子を感じさせてくれたら、その姿で私を陶酔させてくれたら、それだけで全て決着が着くわけです。
圧倒的な歌唱力でも、度肝を抜くようなステージングでも、そこにあの子がいるような表現力でも、あの子に寄り添ってくれていると感じられるようなMCでも、なんでもいいから、なにかを感じたいんですよ。お願いします。
よく考えたら一つだけいいとこあった。時々結構刺さる表情するわ私の応援する女の子の声優。そこは好き。でもこれで許せてないってことはいいところ一つじゃ全然ダメだわ。全部やってください。
それにしても表情、よかったなあ。また機会があったらライブに足を運ぼうと思う。万が一パフォーマンスが化けてたら見届けないといけないし。私もすっかり奴隷だなあ。
あとこれはいまさら言うことじゃないんだけど個別衣装これじゃない感あるから白衣着て。
おわり
ピン送りや多段BOOKを使用した立体的なカメラワークが冴えわたってるアバン。
目覚めのフォーカスブレだけで分かる「この演出やりおる」感は凄い。
身体起こして周りを見るカットの回りこみ風カットのBOOK多段スライドによる立体感、指に止まった蝶を観察するカットのピン送りの早さやボケ加減凄く良い。
ピン送りや多段BOOK使用の回りこみ風PANって個々の演出家さんで送る速さやボケのやりくり加減が違うのでこの辺はセンスの良さを感じさせる。いずれ自分が演出になったときは真似したい。
アバンといえば触れずにいられないのはキリトが目にした幼少期のアリスとユージオが走る幻想のカット。演出、作画、色彩、背景、撮影、その全てが素晴らしい。素晴らしいアバンの締めくくりに相応しいとてもエモーショナルな仕上がり。
アバンのラストカットのキリトが胸をギュッと握るカット。ラストはキリトの手元しか映ってないのに表情が手に取るように分かる、素晴らしい手の芝居。
2話ホンヘや3話も後でメモる。
はじめに。今衝動で書いているのでフェイクとか全く入れてないし吐き出すだけ吐き出してるからこれが誰のことか分かっても言及しないでほしい。こんな糞みたいに長い愚痴吐いててもまだ大好きな推しだし応援したいし迷惑かけたくないし、でも愚痴は吐きたいし、単純に疲れてしまった。
若手俳優の追っかけをしている。追っかけと言ってもそんなガチな追っかけじゃなくて、月に一度彼が出る舞台を観に地方から上京して二公演ほど観劇してまた地元へ戻る、という程度のオタクだ。いわゆるゆるオタである。
どこにも愚痴が吐き出せなかったのでここに吐き出すことを許してほしい。
そもそも私は二次元のオタクで、彼を知ったのも最近何かと話題の2.5次元舞台がきっかけだった。もうこの辺で他の若手俳優オタクからは白い目で見られるかもしれないが、もうそんなことはどうでもいいくらい沈んでいる。
彼が演じていたのは自分の推しキャラとは違うキャラだったが、芝居が終わる頃にはすっかり彼の演技に引き込まれていて、そこから二年ほど彼のファンをしていた。否、今もファンであるが、いろいろなことが重なって前よりも熱心に追いかけてはいない。
元々ストレートの舞台に出演することが多かった彼が、二回目に出演した2.5次元舞台がAという作品だった。最初はあまり期待されていなかった舞台だったが、二年も経てば人気に火が付き地方巡業や海外公演もするようになった。私はその作品のファンでもあったし、同時に彼のファンでもあったので自分でも冷静になれば馬鹿じゃないのと思うくらい通った。
この辺りでお気づきの方もいらっしゃると思うが、その彼は今年その作品を卒業してしまった。
ただ、なんていうかその卒業自体が嫌だったとか、卒業したことで熱が冷めたとかではないんだけど、卒業してからの仕事を見ていて私は彼がどこへ向かいたいのかいまいち分からず戸惑っている。
卒業が発表される直前、彼の初めての個人イベントが海外で行われた。国内でも行われたことのない彼個人のイベントである。しかしそれは国内で告知されず、ひっそりと、その国のサーバーで、その国の言葉だけで告知された。それでも名前をパブサすればヒットしてしまっていたので私はその情報を知り得たのだが、待てども待てども公式からその情報は発信されず、結局チケットは発売されてしまった。アフターイベント付きのVIPチケットは即完だったし、なぜだかチケット販売の前日から数日間だけそのHPは日本語訳がついていた。(二週間後に確認したところ日本語訳が掲載されていた痕跡は一切消されていた。)
これは本当に行われるイベントなのか? と疑って調べたところ、どうにもそのイベントを主催するイベント(少しわかりづらいがイベント内で企画されていた個人のイベントだった)が昨年も同様に開催されていたことが分かったので、ひとまず詐欺ではないことを理解した開催の一か月前。開催日は推しの誕生月だった。事務所はイベントを告知しないまま時間が流れ、イベントの前日彼は突然その国に降り立ったブログを更新した。そこで今度発売するものの撮影をしたと報告され、翌日、実は現地ファン向けのイベントを開催していたという事後報告だけがファンにもたらされた。
彼に心血注いで追いかけているファンはその国にまで駆けつけたのだろう。実際現地へ赴いた同担の友人がいて、話を聴いてみたところやはりというかいたのはほとんどが日本人だったらしい。無理もない、彼の知名度が国外でそれほど高いとはお世辞にも言えない。その国には同年二月に件の舞台A関係で降り立っているが、現地在住の彼個人についているファンがその会場を埋めるだけいたかどうか、私にはちょっと疑問だ。
もし、先に国内で彼個人のイベントが開催されていたとしたら、私もこんな気持ちにならなかったのかな。海外でイベントをしたことよりも、多分そっちの方が悲しかった。私は全然通えていないファンだけど、それでも多分、国を越えて観に来てくれるファンよりは通えているはずだ。彼は超人気俳優というわけではないけれど、それでも毎月舞台に出演するほどに忙しくしている人であり、日本に近い海外とは言え毎回来日していたら旅費だって馬鹿にならないだろうし、そこまで熱心に彼を追いかけている人がたくさん言われるかと問われたたら、私だって頷きかねる。海外でイベントするなとは言ってない。ただ彼の「初めての」個人名義のイベントは、やっぱり国内でやってほしかった。しかも誕生月だし。
現地のファンの方を下に見ているとかではなくて、国外に目を向けるより先に、もっと身近なファンに目を向けるべきじゃなかったの? と事務所に失望した。彼にではない、最終的にするかしないかの選択くらいはしたかもしれないが、彼は来た仕事をこなしているだけに過ぎないので、専ら私の感情の矛先は事務所だった。そりゃあ毎回全通するようなファンは海外のイベントにも行っただろうが、全通はしてなくても毎回行ける限り通ってるファンの方もいるだろうし、私みたいに無理のない範囲で観に行ってるファンも国内にはたくさんいるはずなのに、なーんで先に海外でイベントやっちゃうかな。でも、結局は行けなかった私が悪いんだよね、時間もお金もないファンでごめんね。あなたの仕事を否定するようなファンでごめんね。
これが一つ目だ。
卒業発表前に彼の次の仕事が公表され、彼が次の公演に間に合わないことを知った。ある程度覚悟はしていたので私は次のステップへ進むんだね、頑張ってねという比較的前向きな気持ちのままキャスト発表の告知を見ていたが、界隈はまあまあ荒れた。昨今の2.5次元あるあるだと思う。二次元のオタクは、私もそうだから思うけど、色々と思い込みが激しい。そこにはアニメやゲームで一度キャスティングされた声優がよっぽどのことがない限り交代する、という事態に陥らないことに慣れ切ってしまっているのもあるのかもしれないな、と最近思う。根拠はないけど。
彼が卒業するにしろしないにしろ、私はそのジャンル自体のオタクなので次作も観に行くつもりでいたし、彼のことも応援し続けるつもりだった。しかしその数週間後またも彼の事務所に苛ついてしまったのである。
推しの事務所は広報ツイッターを所持していて、所属俳優のブログの更新ツイートや出演情報のRTなどに活用していた。ただしその情報の取捨選択がめちゃくちゃにへたくそで、所属俳優が出演している作品の情報は重要度に寄らずすべてRTしてしまう。当日券情報は必要だが、流石に俳優が出ているアプリの新ガチャ情報はいらない。しかも所属俳優は一切関係ないキャラクターのガチャ情報やイベント情報がRTされてくる。
目についたものは片っ端からRTしているという様子で、時には一般発売開始から三日後のチケット情報がRTされてきたりした。そもそもSNSの活用方法が下手なのか、RTしたツイートをコピペして情報を流してきたりするのでURLが途中で切れてしまいアクセスできない、などということもあった。
Aの卒業を発表して二週間後、なぜか事務所はAの次回作情報をRTし始めた。てっきり事務所の後輩がアンサンブルとして出演でもするのかと思い見てみたが、そんな情報はどこにもない。完全なる誤RTである。それだけならまだよかったが、そのRTの中に紛れて事務所と無関係の一般人のリプライがRTされたまま一週間ほど放置されている体たらくだった。流石にちょっと我慢できなくて、捨て鉢になって事務所にメールを送ってしまった。
ここまでだらだらと書いたからもうこれも書いちゃうけど、昨年別事務所に所属する俳優と合同で開催したイベントがあった。イベント告知とチケ販告知は流石に推し側からもされていたが、物販情報の一切が推し側からはもたらされなかった。何を売るのかも、個数制限も、何なら物販時間すら告知されていなかった。別事務所の俳優のブログやツイッターで情報が告知されていたのでそれで調べて物販に並んだが、さすがに丸投げってどうなの、と思った。推しは個人のツイッターを持ってないけど、ブログだってあるし(別事務所の俳優さんはブログで物販情報の詳細を告知していた)広報ツイッターってそういうイベント情報を流すためにあるんじゃないだろうか。もう目を付けられてもいいや、という思いでそのことと一般人のRTを指摘し、ついでに前々から思っていたツイッターの活用方法を一度考え直してほしいという旨の意見メールを送信した。ちょっと指が震えた。即座に誤RTは削除され、その日を境にRT数は減少し代わりに事務所が発信する情報が増えてくれたが、返事はまだない。
返事がない時点で、あーもう私厄介になっちゃったんだ、と思った。一個人が企業に情報発信の方法を考えてくれなんて言っちゃいけなかったんだ。RTの方がずっと楽だったよね、すみません、でもきちんと情報を文字としてツイートしてくれるようになったおかげで、推しのことも事務所のほかの子たちのお仕事も前よりずっと追いやすくなりました。それでもまだRTは多いけど、よく分からんアプリゲーのイベガチャ告知ツイが流れてこなくなったのは良かったかもしれない。
おせっかい焼いて厄介行為みたいなことまでしてしまって、色んなことを反省して、その時取ってたチケット以降の舞台のチケットが取れなくなった。こんな事務所に文句しか言ってない状況で、観に行って私が純粋に楽しめるのか分からなかったし、彼に対して罪悪感しかなかった。彼が売れるようにマネジメントしてくれてる会社に、文句付けてるファンなんていらないじゃん、普通に考えて。私が推さなくなったところで、事務所にとっては痛くも痒くもない。私は“通う”ファンじゃない。
彼はどうやら特定の演出家に気に入られていて、今年に入ってからそれぞれの演出家に二回ずつお呼ばれしている。仕事があるのはいいことだ。でも、そのどれもが2.5だった。もっといえば今年に入ってから彼は朗読劇を除けばストレートに一回も出ていなかった。
2.5も舞台なわけだけども、やはりストレートとはちょっと違う。元々ストレート多めの俳優だっただけに、その事実を鑑みるとちょっとショックだった。そして、彼が2.5次元俳優を自称し始めたことにもショックを受けていた。まあ、今の時代若手俳優が売れるのに2.5次元舞台は避けて通れない道だし、それ自体を否定しているわけじゃないんだけど、なんだかなあと思ってしまうのがファンのわがままな部分だと思う。
その、彼を気に入っている片方の演出家が突然謎の生放送アカウントを取得し、まだ全然告知も何もされていなかった撮影の裏側が配信され始めたのである。若手芸人と一緒に。関連性も何の仕事なのか分からないまま、めちゃくちゃぶつ切りで音声すらまともに聞き取れない三十分間の放送を私は虚無顔で見ていた。
その界隈で有名かどうかはさておき、それなりに規模が大きくなっていたAという舞台を卒業して次のステップへ進んだはずの彼が、結局2.5次元の枠にこれまで以上にどっぷりと浸かり、どういう方向に進みたいのかも見えないままいる現状が私に困惑をもたらし続けている。雁字搦めになっている他の要因が先述した事務所への不満だった。口悪く言うとAよりももっと規模のでかい2.5に出演します! とかなら売れる選択肢としてアリだったんだろうなと納得できるけど、今彼が出演している舞台はどちらかというと小劇場でやる2.5だなあ……同規模でも集客は残念ながらAの方が見込めてしまうし(Aに関しては辛口なコメントしかできないのでそこにいたままの方が良かったとは決して言い難いが)、名前を売りたいならなんで今こういう仕事状態なんだろうなーと、思ってしまう。本当にわがままなんだけど。
ここまで愚痴っておいてなんだけど、結局は私が悪くて彼も彼の事務所も何も悪くなくて、そんな金を落としもしないオタクがギャーギャー騒いでる現状は傍から見たらクソ在宅が動物園の檻の中で叫んでるのと同じなんだろう。考えるまでもなく滑稽だな。
タイミング悪く彼の事務所の態度への不満と彼自身の方向性の困惑が重なって、彼の事務所にメール凸なんていう奇行へ走ってしまったんだろう。一般人の誤RTを指摘したことについてはあのままじゃ気付いてなかっただろうし今後も間違いを繰り返す可能性があったから何も間違ってないと思ってるけど、なんか他のことまで言及したのはだいぶやりすぎだったんじゃなかろうか……自分が思っている以上に自分は頭がイってるのかもしれない。
何様のつもりなんだろう、私。
なんで突然こんな数か月も溜め込んでた愚痴を書いたって、他の卒業した子やその事務所のツイッターのフォローは外してなかったのに、Aの公式ツイッターが事務所の広報ツイッターだけブロ解してることを知って何かが爆発したからでした。こんな闇気付きたくなかったわ!(笑)
終わり。
テレビ(ドラマ)の制作会社は、殆どの場合、若くて見栄えのいい使い勝手のいい役者を
芸能事務所に十把ひとからげで発注します。事務所は、リスク回避から「製作先とトラブルを起こしそうにないヤツ」を派遣します。
この、「トラブルを起こしそうにないヤツ」というのが問題で、それはつまり
「監督の指示通りに言われたことだけをこなす見た目のいいヤツ」です。
私も昔はリアリティの会話劇を作っていましたが、事務所側からそのような指導は禁じられています。
今、求められているのは「セリフを一字一句違わず、わかりやすく、はきはきと、動きはオーバーに」という事なのです。
悲しいことに、製作者側も、視聴者側も、供給側も、それを「良いもの」としているのですね。
(ライダー俳優がミュージカル俳優からデビューするルートを考えてもらえば一番近いです)
ドラマの権威はもはや地に落ちました。個性的な演技をする役者はなんのことはない、出させてもらえないか、才能を事務所で潰されるのです。
その演出家をA氏とする。
各話演出でかなりエッジの効いた演出をする方だったので、「やったー!TVシリーズ丸ごとA氏節で染め上げられたアニメが見れる!」と喜んだのだけど、いざ始まってみると、認識が間違っていたことに気付いた。
第1話はコンテ・演出がA氏だったので、それはもうA氏節としか言いようがない、自分が求めていたモノだったのでかなり喜んだ。
しかし、第2話以降、A氏がコンテを描くことはなかった。
TVシリーズでは、監督が全体のクオリティコントロールに時間を割かないといけないため、絵コンテを手掛ける余裕がないのだ。
たまに全話コンテ描くような人もいるが、アニメ業界のスケジュール的にそれをやれるのはレアケースである。
A氏が監督として全体を指揮しているものの、第2話以降の演出は、A氏節を薄めたようなものだったり、各話演出の人の個性が出たものだったりした。
エースにキャプテンを任せてみたら活躍の機会が減った、みたいな感じ。いや、キャプテンが監督になったので試合に出なくなった、かも。
考えてみればエヴァだって話数によってかなり演出にばらつきがある。庵野節なんて部分部分にしかないな、と。
ウテナだって演出が全編イクニ節ってわけでもなく(設定のアクの強さでだいぶイクニ節になってる気がするが)、橋本カツヨだったり金子伸吾だったり松本淳だったり錦織博だったり風山十五だったりのスタッフがいたから成り立ったわけだし。
そもそも自分がA氏に注目したのが各話演出だったのだし、初めからそういうものだったわけだ。
監督が演出の実力に長けていても、それを全体に浸透させることができるとは限らないし、そもそもその演出を理解して実現できる人材がいないといけないわけで。
やっぱアニメって一人で作ってるんじゃないんだなあって思った。
おもしろさには様々なものがあり、それは見た人が感じるものだ。
私が感じたおもしろくなさの話をする。
知人が出ている舞台を見た。
平凡な主人公が自殺し、自分の死を惜しむ周囲の人を見て後悔する、という話だ。
この話でおもしろくなかったポイントは、大きく3つある。脚本、演出、それから役者だ。
1.脚本
おもしろくなかった。
この「おもしろくなさ」は、愉快でない、という意味でのおもしろくなさだ。
登場人物は、主人公とその周りの人々、たいした理由もなく死にたがる人達、死んだ主人公のメッセージを伝える霊媒師、主人公と一緒に死ぬ女だ。
主人公は死に憧れている。
なぜか? 理由はない。
これは明かされない、という意味ではなく、本当にないのだ。ただ、なんとなく、死にたい。
だからこそ彼は死を選んだあとに後悔するのだ。が、そりゃそうだ~って感じである。
後戻りはできないのだ。
夫を早くに亡くし、一人息子さえ失った母親が自分の遺体に泣きすがる姿を見て後悔する主人公に、一緒に死んだ女は言う。
「じゃあどうして死んだの? いまさら後悔したって遅いよ」
この女は家族がなく施設で育ち、いまはDV彼氏と共に暮らしていた。当然の怒りである。
彼女が主人公と共に死ぬことになるきっかけは、死を望む人々の集会だ。
インターネットを介して集まった彼らは、自分の死にたい理由を主人公に促されるまま語る。
婚約者と別れた女、リストラされた挙げ句離婚された中年男性、元アイドルの少女、人生うまくいってない女。
日々の生活の辛さを語る彼らに、女は言うのだ。
「自分が見えていない」
「実家に帰ってもう一度やりなおしたら?」
傲慢!
彼女にはすべて見えているのだ、死にたい理由に対する解決策が。自分の生まれ、育ち、現在の境遇に比べれば彼らの辛さはたいしたことではないと言っている!
そして密かな契約を結ぶ。
「あなたならわかってくれると思って。一緒に死のう」
そして二人は主人公の家の居間で死ぬ。(事故物件を残される年老いた母!)
この物語から私が感じ取ったのは「当たり前の幸せに気づけ」というメッセージだ。
ただし、「お前は幸せに気がついていない」し、「お前の悩みはたいしたことがない」という上から目線の言葉に表象されて、だ。
人の悩みは人それぞれだ。
いろんな人がいる。いろんな悩みがある。
自分にとっての恋愛と他人にとっての恋愛の価値が違うことだってあるのだ。
それをこの脚本ではすべて切っている。
疎外された気分で、おもしろくなかった。
2.演出
おもしろくなかった。
この「おもしろくなかった」は、単調であるという意味のおもしろくなさだ。
会話劇である。
みんながずっと座って喋っていて、感情的にも動き的にも変化がなく、おもしろくなかった。
いつまで続くのかな? って思った。
それから、脚本の意図がわかってないのかな? とも思った。後述。
3.役者
おもしろくなかった。
この「おもしろくなかった」は、ちょっと言うのが悪いなあという気持ちもある。
不愉快に近い。
セリフが聞こえない。自分が目立つことしか考えていない。脚本上における役割が果たせていない、どころかミスリードを誘うような。
そこだけ前後のシーンとも繋がりが消え、最悪だった。
周りの人はなにも言わなかったのか?
他の人達は真面目にやっていた。
技術が足りない人ももちろんいたが、この見るものの弱さを攻撃する脚本において、道化の役割を果たそうとしていた。
しかし、その人は本当に嫌だった。
演出家はなにも言わなかったのか? それとも諦めてしまったのか。
役者がおもしろくなかったと書いたが、全員がそうでなかったことが唯一の救いだろう。
しかし、チケット代は主宰団体や脚本家、演出家ではなく、出演していた知人の手のひらに直接握りこませたかった、というのが正直な感想だ。
ブチ切れ増田を書いて邪気が抜けたので良かったところさがし箇条書き
・むかついたらすぐラッパ吹きたがる高坂さんw
・リズ鳥のソロパートなのはみぞれの煮え切らなさがあーもう! みたいな(普通なら絶対しないチョイスだけど空気読まない人なのでやっちゃうw 悪意ナシw)
・久美子はおそらく強引に誘われた側で「あー」(麗奈がそうなるのはわかるけど、吹いちゃうとまずいんじゃないかなーでもまいっかあ)的なw
・なかよし川の安定感パナイ
・作中もっとも強固な絆を持ってるんじゃないかというぐらいのケンカップルぶり
・慮りつつ言うべきときは言っちゃう優子と彼女の強すぎる正論をフォローする夏紀
・同じ大学よかったですね最高かよ!
・作中の良心を一手に引き受ける剣崎ちゃん! 梨々花ですぅ! とは言わない
・号泣しちゃうのは実は唐突感あるんだけど、あーこの子これだけ本気だったんだなあというのがすっと伝わってくる間のとり方すき。演出ゲロうまですわ
・映像に関しては、見ている側が一意的な感想を抱かないように(見ているひとそれぞれの解釈を許すような)ゆらぎを敢えて残してある感じがよかった。演出家としての山田尚子はすなおにすげーなと思う
・音もすごかった。特に冒頭。あの違和感すら覚える過剰に作られた足音が否が応でも見ている側を作品に引きずり込む。あそこは違和感と心地よさでこれから始まる物語への期待がわきおこってときめいた
テニミュがテニミュたる所以、それは「テニスの王子様」の物語から独立した「テニミュ」としての物語の存在だと思う。
「テニミュ」の始まりは、やはり初代青学メンバーだ。さらに言うなら、初代越前リョーマだ。(現在は芸能活動をしていないため名前は出さない。)
彼が不運にも事故に遭い、生死の境をさ迷いながらも再び舞台に立った。それが「テニミュ」の始まりであると私は思う。ミュージカル・テニスの王子様のスタート、彼の事故、彼を抜いての再演、彼の復帰、そして卒業。ここまでが「テニミュ」の序章である。
第1章は序章と並行する部分もあるが、青学2代目、3代目である。
卒業した初代に代わり登場した2代目。しかもメンバーの大半がミュージカル初心者。中にはデビュー作になるという新人も。
これが現在まで続く「若手俳優の登竜門」というテニミュのスタイルを築き上げることとなる。
当初は不評だった2代目も少しずつ人気をつけ、惜しまれながら卒業していった。不二役と海堂役が残り、3代目も同じキャストが演じた。(正確に言うと海堂役は2代目で卒業するはずだった。そのため立海公演からは新しい海堂になっている。詳しくは「黒歴史海堂」で検索ください。)
この、キャストが代をまたいで続投する形式は後述する2ndシーズンで「タスキ」と表現されることとなる。
第2章は青学4代目、5代目、そして1stシーズンの完結までだ。
ここではダブルキャストと海外公演が始まる。テニミュの最盛期と言っていいかもしれない。キャストの人気は高く、チケットは入手困難に。ストーリーとしても全国大会に突入し、終わりが見えてきた。
目前に迫った終わりに向けて「テニミュ」は加速していた。キャストも、観客も、全てひっくるめての「テニミュ」は最高の形で終わりを迎えようとしていた。実際、「テニミュ」の第2章はここで終わる。ここで本を閉じても何の違和感も無い。
しかしまだ続きがある。テニミュ2ndシーズンという物語が。「テニスの王子様」の舞台化ではなく、「ミュージカル・テニスの王子様」の再演となった2ndシーズンが。そしてこの第3章の主人公は間違いなく小越勇輝だ。
第3章は、「テニミュ」の文脈に沿ってガラガラの客席から始まる。そこから再びチケット入手困難になるまでの物語だ。
小越勇輝は、タスキとなってテニスの王子様(無印)のストーリー全てを演じきった。卒業していく6代目を涙とともに見送り、7代目の仲間達と笑顔で卒業していった。16歳から20歳までの「青春」と表すに相応しい期間を全てテニミュにつぎ込んだ。彼のためなのか元からの予定なのか、2ndシーズンは約4年で終わる。1stシーズンが約7年であったのに比べて非常に高速だった。
そして高速であるために、1つの公演が終わりきらないうちに次の公演の発表が来る。観客はいつしか恐怖感を忘れるようになった。「終わってしまうかもしれない」という恐怖感を。
それは公演の区切りだけでなく、シリーズの区切りでもまた同じだった。第3章がまだ終わりきらない、小越勇輝がまだ主人公をやっている頃、第4章の発表が来た。テニミュ3rdシーズンである。
第4章もガラガラの客席から始まった。しかし「テニミュ」の登場人物達はそれをもう知っている。同じ物語が繰り返されると無意識的に知っている。
青学8代目の卒業と9代目の登場も、寂しさと期待を感じながらも無事に通過した。
現在のテニミュは安定期にあると感じる。ガラガラというほどではないが、チケット入手困難というほどでもない。「行きたい」と思った時にいつでもいける、安定して楽しめる。「テニミュ」はいつしか観客にとっても帰る場所になりつつある。
演出家を変え、積極的に海外へ行き、キャラを増やし、新しい公演を増やす。キャストの素を押し出してみたり、ブロマイドをキャラショットにしてみたり、一貫してない行動が多いがこれは先に進むためのトライであると思いたい。かつての熱気を取り戻すため、安定ではなく刺激になるための第4章である。
第5章がいつになるのか、そもそもあるのかはわからない。ただ1つ言えるのは、「テニスの王子様」や「ミュージカル・テニスの王子様」が終わったとしても「テニミュ」の物語は終わらないということだ。キャストが、観客が、映像が、残っている限り、物語は続いていく。
ちなみに自分はこの業界に足を踏み入れる際に具体的な業務内容など知らなかったので、特に自分が驚いたことを書く。
はじめて話数担当になった時は、先輩からアニメーターの連絡リストをもらって片っ端から電話だった。L/Oと原画作業のいわゆる営業。その後に信用を得て交流をもって、自分のキャパを拡げる。
この話数は出来がいいな、という時は制作進行の実力も大きい。
制作会社で拘束していたり、プロデューサーや制作デスクからの紹介もあるので、一概に制作進行の力だけではないけれど。
これは一般に有名かもしれない。
アニメーターは主に日中作業なので、回収は夕方~深夜。翌日演出さんに見てもらうために朝までに素材をスキャンしたり演出に素材入れしたり、というのが自分のスタイル(スケジュールに余裕がある時は別にして)。日中はデスク業務などを片付ける。これを基本に、演打ち・作打ち・作監打ち(総作監打ち)・CG打ち・色彩設計背景打ち・撮影打ち・カッティング・アフレコ・マーキング・ダビング・ラッシュチェックなどが入ってくる。
話数掛け持ちしてると忙しい。
生活が不規則になるので睡眠時間のマネージメントが必要、外回りの運転もあるので用心がいる。
休める時は就業時間中であっても休むのが鉄則になる(というより就業時間はほとんど意味を成さない)。
キツいとは認識していたが、味わってみるとホントにキツかった。はじめの頃は、納品出来ないんじゃないかという恐怖もあって気が休まらなかった。
もう二度とやるものか〜!という気分になるけど、終わってみると達成感で高揚。気がつけばまた戦場に赴いている。ハート・ロッカー。
キツいから辞める、という理由がほとんどかと思うが、2~3年くらいで他社に移るという人も多い(渡り鳥のように1年毎に居場所を変える制作進行もいる)。とにかく流動性は高い。
翻って、周りが辞めていく中で同じ制作会社に残り続けることで制作デスクへ昇格!ということもままある。SHIROBAKOの主人公のように入社2年目でデスクというパターンもあながちウソではない。
演出家志望の若者が制作進行をやっている場合が多い、という事を自分は入るまで知らなかったのでとても驚いた(みんなプロデューサー志望かと思っていた)。
自分が今まで一緒に仕事をした監督のほとんどは制作進行出身だった。
たまにアニメーターになる制作進行もいると聞くので、アニメ業界は良い意味で大らかだなあと思う。
○○さんが××制作会社に移ったらしい…という噂が風のように広まったりとか。
知り合いアニメーターの友人が実は自分も知り合いだったりとか。
三鷹、荻窪、井草辺りで深夜にご飯食べてると、隣が他社の制作だったりとか。
他社作品を観ていると大抵一人二人は知ってるアニメーターがクレジットされていたりとか。
意外とある。狭い。
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ざっくり書いた。働いてみて、キツいけど楽しいというのが自分の所感です。
ときたま話題に上がる賃金問題については敢えて触れなかったけど。
あと人狼制作日誌とかくろみちゃんとか妄想代理人とかSHIROBAKOとか、業界内幕モノはこの世界に居たら一層面白いと思う(ハケンアニメ!は掛け離れ過ぎてるけど)。