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はてなキーワード: 家族サービスとは

2024-10-02

anond:20241002215515

私の親は左遷ではなく栄転でしたね^^

もちろんゴミ扱いはされずに家族サービス仕事仲間とのプライベートを両立する良き親でした~w

妻との関係も良好w円満な家庭でごめんね~w

ちなみに今は23区内に戸建で~すw

マウント取るならもっと高いステータスじゃないと大変だ!さあどんな設定が出てくるのか楽しみだなあ~都会人さ~んw

論破もできてませ~んwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

認識違いも甚だしいばかりか論理破綻wwwwwwwwwwwwwwwwwwww

同じ(?)都会人として恥ずかしいですわ~~~~~~~~~~~~~wwwwww

2024-09-06

anond:20240905224806

この自称左翼面白い

愛国心の足りないなまけ者 にきめっ!

@tacowasa2nd


焼肉食べ放題女性半額の話

強者男性「妻とか娘の分が浮くな、家族サービスしよ」

弱者男性男性差別ダー、ぎゃおおおおん!」

ガチでこんな感じになってるのキツい。

やっぱ強者強者たる理由があって、弱者弱者たる理由があるってわざわざ自ら証明しに行くのマゾなんかな?


https://x.com/tacowasa2nd/status/1830987115020329289

2024-08-31

人生意味なんてあるのか by 負け組中高年」の意味ちゃんと伝わってないな―と定期的に感じる

本当の命題は、「毎日仕事で嫌な思いをして、休日家族サービスのために連れ回され、特別趣味もなく、子供や伴侶から特に好かれている感じもなく、身体も少しずつだめになっていき、昔楽しめことも少しずつ飽きてきた。生きることで得られる幸福度は下がっていく一方だけど、仕事で求められる責任や面倒くささはドンドン増えていってる気がするし、かといって楽な仕事をすれば「年齢の割にこんなショボイことしかしてないのか」と冷ややかな目を向けられ結局辛い思いをする。進歩する技術や変化するルールについていく能力も失われ、ただただ生きるということに必死にならなければいけない。こんなにも辛い思いをしてまで生きるほどの価値が今の人生にあるのか?表層をただ眺め回しただけでは、毎日苦痛釣り合うだけの幸福毎日得られているなんて思えない。人生の深層にはなにか素晴らしいものが埋まっているのだろうか?私がまだ気づいていない生きるに足る何かが。そういった妄想にすがることでなんとか日々の無聊を慰めてきたが、いい加減ただ苦しくて退屈で先の見えた人生なんて終わりにしたほうが幸せな気がしてならない。

死んでしまえば今ある日々の幸福は失うが、同時に今ある全ての苦痛から逃げられる。

生き続ければ日々の小さな快楽を得られても、同じく日々の苦しみを味わい続けることになる。

表面上だけで電卓を叩けばプラスマイナスに勝っていると思えなくなったこ人生、それでも何か、まだ死ぬべきではないと思えるものがあるのだろうか(なお、住宅ローン子供養育費については十分な貯蓄があり、伴侶や子供再婚理解があるため自分が死を選らんでも家族が路頭に迷うことはないものとする)」

なんだよなー。

ここがちゃんと伝わってるとは思えない回答が多いんだよな―といつも考えてしまう。

それをギュっと圧縮するなら「死ねば全てが終わるが、生きれば全てが続く、続けるだけの価値がこの人生に残っているのか?」って言い方のほうが正しい気がするんだよねーといつも思ってしまう。

anond:20240827012946

たぶん、産後の失敗以降記録することをやめたから言ってないだけで色々失敗してるんじゃない?っていう想像をしてしまうよね。

家族サービスって連れてって金出すだけじゃないじゃん。

行き先の選定、ベビールームはあるのか、離乳食はあるのか持ち込めるのか、お子様向けメニューはあるのか、泊まりなら予備含めてパッキング必要だしそういうのやったんかな?

子供三人の親友名前言えるんかな。

などもろもろ。

産後の失敗のようなことを20年し続けてきたんでしょうね。

2024-08-28

産後の恨みは一生おじさん」の、あんまよくないところ

しっかり稼いでいる、そしてそれに自負もある責任感の強いおじさんなんだろうな、ということは割と容易に想像ができる。それなりに家族サービスもしている。

そういうタイプのおじさんの中には、「社会的地位に基づく自負」を、サラリーマン人格以外の全方位において適用できるかのようにこじらせている人が一定数いて、恨みおじは、そのタイプなのかもしれない。

産後の恨みは一生おじは、「育て上げたって感じがするなぁ」の一言で、恨みおじ家の家庭のパンドラの箱を開けてしまった状態なのかと思う。

少なくともこの件より前は、恨みおじ自身も妻に対して『妻はあまり自己主張をしないタイプで、だけれども器用に誤魔化すタイプでもない』という古い専業主婦型の性格類型ではあるもの比較フラットポジティブな印象を妻に対して持っていたわけで、それまでは、恨みおじが抱いていた「分業だが協力した家庭運営」を夫婦お互いの努力により大きな破綻なく作り上げていたのだろうと思う。恨みおじが問いただしたりしなければ、妻はこれまで通り、努力と諦めと愛情をもって家事子育てをし、夫である恨みおじも色々なことを我慢したりして、お互い協力して家庭を円満運営し続けていたんじゃないだろうか。分からんけど。

そうはいっても、現代夫婦家族言葉によるコミュニケーションにより円滑な関係を続ける方が良いわけで、恨みおじが問いただしたこと自体は責められるべきことじゃない。ただ、聞き出した結果がおじの思ってたのと違っていたとしても、それを否認してしまったらせっかくのコミュニケーションが何の意味もなさなくなり、むしろ恨みおじの家父長的ハラスメントポイントがアップする。そして妻も「愚かなる専業主婦ポイント」がアップする。これは家庭にとっては小さい不幸の種ではある。まぁ多少の不幸なんてどんな家庭にもあるけれど、放置してこの小さい不幸の種から芽が出て葉が茂ってしまうと、よくあるタイプの「冷え切った熟年夫婦」になる種ではある。

恨みおじの一番の傷ついたポイントは、「自分の考えていた温かみのある分業家族」が、自分だけじゃなく妻の我慢や諦めもあって成り立っていたことを突きつけられたからではないか

恨みおじも我慢や諦めがたくさんあって、妻も同様にあった。それは聞きださなければ表出しなかったのだから相殺して許しあう方が適切だろうと思う。

おじは

文字にすると端的だが、もっと長々と具体的に話された。その割に、振り返ってみると上記の3~4行でまとまるような内容しかなかったな

と余談のように書いているが、愚痴冗長になってしまう程度には「やらかし」の回数が多かった可能性も推測できる。それに関して、まるで妻を「話を要約する能力がない奴」みたいな印象操作をするような余談はあまり上品言葉ではないと思うし、そういう話ぶりからは、こいつ普段からこんなイヤミったらしい当てこすりしてんじゃねという印象も生まれる。

産後1年弱のたった数回のやらかしのことを何十分も話していたのだとしたら、①相当ひどい(死ぬ可能性のあるレベル)やらかしだった、②問い詰めておいていざ話し出したら批判だったのでろくに話を聞いてらんないなって態度をしていた、とか、そんな可能性もある。③単に妻が話が長くて恨みがましい、という可能ももちろん十分あるが、だとするとそれまで20年以上の夫婦関係の中で妻の、家庭の何を見てたんだ?お前の目は節穴ですか?という話だ。自己主張は少ないがごまかせないタイプなんだろ?妻は。

恨みおじが、根本的に勘違いしているところは、会社員として結果を出すという仕事と、子育てを同じ尺度査定評価しようとしているところだ。

総量では圧倒的に貢献してきたプラスの方が大きいと思っていた(し、冷静になって考えてもここは揺らがないと思う)

総量って何だろう。

家庭の運営必要リソースは、①金、②割いた時間労務、③精神的なコミット、④緊急時対応力、ぐらいがぱっと並ぶところだと思うが、特に①とそれ以外は比較するための尺度が全く異なるので「圧倒的に貢献してきた」と簡単に言うこと自体が愚かである。要するに、恨みおじはちょっと自分に対する査定が甘くないだろうかと思うのだ。

お金がないと家族は路頭に迷うのは当然で優先順位は高いが、そもそも家族内分業で夫が金を稼ぐことにリソースの多くを集中できる環境は妻が作っているということを忘れている。冒頭に述べた「稼いでいる自負があるおじさん」が一般的に忘れやすいところで、まぁ色々異論はあっても妻の扶養控除を適用しているのなら少なくとも扶養控除以外の部分については「妻が夫が稼ぐためにしている労働」として堂々と数えられる部分ではある。外に出て稼いでいるんだぞ!というなら「生んだんだぞ」になるので水掛け論にすらならない。今二十歳になる長女がいる年齢の女性だったら、3人産んで育て上げられる社会環境は実質無かったのだから妻に給与所得などがないことを妻の責任できるものでもないし、もっと言えば2024年だって金を稼ぎながら子供を3人育てられる女はごく少数の恵まれ環境にいるものだけだ。そういう現実をまるっと無視して「冷静になっても揺らがねえ俺のジャスティス」と思ってるのだとしたら、割と滑稽である

会社では、営業生産企画、人事総務、管理など様々なセクションがあるが、恨みおじは「営業が、新商品成功自分の手柄のように喜んでいる」みたいな構図にも見える。営業は当然顧客開拓などに血道をあげて努力をしただろうしマーケティングの手伝いなども責任感を持って従事しただろう。だが、それを生み出した生産企画マーケティングの力も大きいし、支える人事総務や管理などのセクションがなければ会社という機構自体が動かない。出来る営業担当者なら「各部門のみなさんおかげで最大売上になりました」と言うところだろうと思う。それが「育て上げたって感じだよなぁ!」と肩を組まれても、工場生産管理担当者も「あっ、はぁ」となるだろう。恨みおじの言いぐさはこの間抜け営業マンみたいな感じなのだ

別の見方提示する。

家族満足度子供の成長ぶりが、家庭運営成功を図る尺度の一つだと思うが(もちろんone ofでしかない)、恨みおじは、実はこの「家族満足度」において「バツ1つ」付いた、そしてそれに傷ついた、というのが今回の件の別の角度から見方として筆者が提示したいことである

少なくとも家族の1人はそれほど(自分ほど)は高い満足度がなかったという「結果」に落ち込んでいるのではないだろうか。頑張ってきたという自負がある人ほどショックだろうと思うので気の毒だとは思う。

もしも、妻から査定について、自分我慢強くて家庭に責任感があるから言わなかっただけで自分が稼いだ金で生きているくせに妻は我慢強くない愚かな女で満足してないのは不遜である、と思うなら、仕方がないが、その場合熟年離婚コースの方に3コマ進む、である

一方で、もし恨みおじが、本当にもう少し冷静なら、他の家族構成員であり主に家庭の受益者となってきた子供たちに(受益者と言うとなんか変だが子供なので当然だな)話してみたらいいと思うのだ。妻一人の感想ではなく子供たちにもリサーチをすればいい。「娘が成人してパパも肩の荷が下りた、ここまで無事に育て上げられたなぁと思うよ」と聞いてみたらいいと思う。娘はにっこり笑って、そうだね!社会人になるまであと数年お願いします!とか言ってくれるかもしれないし、はぁ?何言ってんの?という顔になるかもしれない。

子供馬鹿ではないので親の背中を見ている。恨みおじが本当に「俺だって仕事も頑張ってきた、自分なりに家庭も大事にしてきた」のなら、子供父親尊敬尊重するだろう。

そうじゃないなら育て方が悪かったので、母親はもちろん、自分が「育て上げた領有権」を主張する程度には父親にも当然責任がある。「育て上げた」のだから、育ちあがった状態に一部分の責任があるのは当然。

まぁそもそも子供は3人いるらしいし娘さんも大学生ということはまだまだ社会には出てない。成人の年齢は18なわけで何で今「育て上げた」って突然?と思われそうな気はしないでもない。妻もそんな風に感じたのかもしれない。

anond:20240828002410

朝に記事を読んで、午前中ずっともやもやしてたのを昼休み中に急いで文章にした。

読みづらいだろうしはてな界隈に愛想尽かしてそうなので、もう読んでないかもしれないけれど一度走り出した思考アウトプットしちゃったので書き捨てておく。

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2024-08-27

産後の恨みは一生、らしい

長女が先日20歳になった。

成人は定義上は18歳だが、やはり20歳になるといよいよ成人という感じがする。

特に大学生になってから、娘が家にいない時間も増え、バイトなんかをして自分のことを自分でやりくりし始めるようになったからか、いよいよ子供というよりも1人の大人として見られるようになった気がする。

そんなことを感じていたこともあって、先ほど妻と2人になったタイミングでふと「ようやく、『育て上げた』って感じがするなあ」としみじみと呟いた。

てっきり妻も同意してくれるものだと思って発したのだが返事はなく、妻の方を振り向くと微妙な面持ちをしていた。

妻はあまり自己主張をしないタイプで、だけれども器用に誤魔化すタイプでもない。何か思うところがあるのは明白だった。

妻を問いただしたところ、「正直、あなた(夫婦間では下の名前で呼び合っている)と育てたという感覚はないし、自分が育てたような気持ちになられるのも不愉快だ」という旨のことを言われた。

そんなこと思ってもいなかったし、正直かなりショックだった。

長女を身籠ったタイミングで妻は退職し、それから専業主婦として家のことを任せていた。

長女を含め、3人いる子供のことも主には妻に任せていたのは事実だ。

だけれども、専業主婦+3人の子供を抱えても不自由がないくらいには稼いできたつもりだし、子供のことを考えて会社までかなり遠いこの場所にも引っ越してきた。毎日通勤は、それまで都心暮らしていた時と比にならないほどの負担だったが、それでも妻と子供のためならと我慢してきた。

もちろん毎週とは言わないが、それでも余裕があるとき子供を連れて遊びに行っていたし、妻に負担がかかりすぎないように、ある程度は家事も手伝っていたと思う。

体力的にはしんどい日々が続いてきたように思えるが、それこそが父になるということなんだと思っていた。

妻にはその分家のことは任せていたし、その中で妻なりの苦労もあったんだと思う。そんな中でも、妻が体調を崩した日は早退して代わりに家事をこなしたこともあるし、たまに旅行に連れて行ったりと家族サービス(というのも死語かもしれないが)も積極的にしていたと思う。

それにもかかわらず、一緒に育てたと言われたくないと、明確に父親という役割果たしてたことを否定されたのは本当に苦しかった。この年でショックで泣きそうになるとは思わなかった。

なぜそのようなことを思ったのかと聞くと、妊娠中に体調が優れなかったのに俺が妻をそっちのけで飲み会に行った話や、夜鳴きがひどかったのに俺が寝ていたこと、3人の子供がそれぞれ別のことで泣き喚いていた時にテレビを見ていたことなんかをつらつらと述べ始めた(文字にすると端的だが、もっと長々と具体的に話された。その割に、振り返ってみると上記の3~4行でまとまるような内容しかなかったな。完全に余談だが)。

かに上記個別の事例に関しては俺が悪いとは思う。

だけれども、そんな20年近く前の、いくつかの失敗をもって「一緒に育てたという感覚はない」なんて言えるのかが本当に理解できなかった。

そんなことを言ってしまえば、俺の仕事が本当に回っていなかったタイミングだったのに、妻のプライベートの予定のせいで子供の面倒を押し付けられて結局徹夜する羽目になったこともあったし、妻が長男(当時小学校低学年だったと思う)の遊ぶ行き先を覚えていなかったせいで、夜になっても帰ってこない息子を探すのに手当たり次第に同じクラスのご家庭に電話をかけたりするような大トラブルもあった(後日ご迷惑をおかけした家に謝罪して回った)。

お互いに至らぬところはあっただろうが、それ以上にお互いがお互いのために頑張って、互いに両親としての役割を全うしてきたと思っていたし、だからこそ振り返ってみたときに、2人で子育てちゃんとやってきたなと言う感覚が俺の中にはあった。

それが妻の中にはなかったらしいというのが本当にショックで仕方がない。

妻があげたエピソード自体も本当に些細な20年近く前の出来事が2〜3個なのに、それでも俺を父親だと思えないってのが、「産後の恨みは一生」ってことなのかもしれないなと思った。

そのいくつかの事例を除いたほとんどの時間は協力してやってきたと思っていたし、総量では圧倒的に貢献してきたプラスの方が大きいと思っていた(し、冷静になって考えてもここは揺らがないと思う)。にも関わらず、この20年近くを否定されるようなことを言われるんだとしたら、本当にやるせないよなと思う。

明日仕事だというのに、このことがショックで全く眠りにつけそうもない。

2024-08-16

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

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どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

2024-08-13

子供の命が危ない

来週から切迫早産で3ヶ月入院するであろう妊婦です。

仕事休職になった。

自宅安静になればいいけど、子宮頸管の短さとお腹の張りを見るに次の検診には間違いなく入院

問題は、上の子をどうするか。

両親は遠方で全く頼れない状況。

なので、夫がワンオペ家事育児仕事をこなさなければならない。

悪阻中も夫はすごく頑張ってくれたけれど、近くで見てても夫は全く育児が向いてないことが解ってる。

自分成功談を子供押し付け解決しようとする

→例えば、夫は糖質制限をしているため、子供に肉ばかり食べさせた結果、子供は腸閉塞を起こし病院に連れて行くことになった

→「咳は我慢すれば治る」というエビデンスも何もない力技を盲信しており、まだ気管支の未熟な子供にもそれを押し付けて治そうとした結果、悪阻中の3ヶ月ずっと治らず肺炎になりかけた。しかも咳をすれば「うるさい!」と大声で叱責する。

→擦り傷をロコイドを貼っておけば治るとして独断治療した結果、とびひになって投薬が必要になった。私がとびひに気付いて指摘してもなお「子供が傷を触るからだ」と子供を責める始末。

これら、悪阻で寝込んだたった3ヶ月に起こったこと。病院なんて久々に行った。

夫は子供責任にするだけで、己の失敗とは1mmも思ってない。間違いなく繰り返す。

問題は、これだけではなく、最も恐れているのは暴力

夫は、最終的には相手のことは暴力で黙らせるしかないと、本当に令和を生きる人間なのか怪しい思想をしている。

表面的には「暴力は何も解決しない」と反省の弁を述べるが、何度言っても手が出てしまう。

まるで衝動を抑えきれない障害を持っているかのよう。

聞けば己もそれで育てられたし、自分兄弟子供を殴って育ててるらしい。

子供は、そんな夫を、小さい時は恐れで言うことをきていたけど、小学生にもなれば、

「こいつは暴力しか解決できないアホ」

尊敬とは程遠い目で見ている。

それを夫は感じ取っており、俺を馬鹿にするな!と更なる暴力を生む。

最悪なのは、夫はこれで「俺は育児もできるスーパーお父さん」かなんかと己に絶対の自信を持ってしまっている。

なので基本的に私の言うことは聞かない。

から悪阻になる前は、

私は夫をコントロールすることは諦めて、

夫を物理的に子供から遠ざけて、ワンオペでなんとか上手く家庭を回せてたと思う。

夫の暴力がひどくなるのは、

仕事が忙しい時

・前日深夜までゲームをして寝不足の時

なので、

その場合特に注意を払うことができた。

ここまで書いておいてなんの説得力もないが、

夫は上記以外は浮気ギャンブル借金もしない、

よく稼ぐし家族サービスもしっかりやる努力家で子煩悩なお父さんなのだ

ただただ、方法空振っていて、何らかの脳機能障害で手が出てしまうのではないかと思っている。

夫は悪阻の私を必死で支えようとしていたのは感じ取れているので、私の敵ではないと認識している。

から私が夫の駄目な所をフォローすれば

夫が暴力をせずともいられた。

子供病気にならずに健やかに育ててられた。

でも来週から私が3ヶ月も入院することになる。

それも、スマホすらできない状態になるのだ。

ペットカメラ監視する方法を思いついたが、多分早産に良くないからこれも駄目だろう。

あとはどうしたらいいんだろう、

遠方の実家からリモートで連絡してもらうことくらいしか思いつかない。

義実家介護中だし夫の味方なので頼れない。

このままでは子供の命が危ない。

暴力夫と3ヶ月も過ごすなんて危険すぎる。

なんでこんな状態なのに次の子を望んでしまったのか、夫の夢(兄弟たくさん)を叶えてあげようと思ってしまったのか

自分の愚かさ思慮の浅さを深く悔やんでいる。

でもそんなことは言ってられない。

の子供の命も危ないけども、

今まさにお腹に宿ってくれた子供の命も危ないのだ。

あと1週間、私ができることは、ないだろうか。

2024-07-27

anond:20240727104602

増田の言う『普通に働いてた』とは?ワイこうも思ってるので

メンヘラ同人絵師の女は最低年収500万以上得られるように働けばいいのでは?

こういう女性たちは基本的にロクに働かないし、ちゃんと自活できる程度に働けば、いいんじゃねーかなって思いました 

そうすれば世界は多少は広がるのでは?・・・・・・・とか思ったけど、増田書いている途中で、

頭悪い職場バカみたいな派遣バイトして、よちよちしてポエム漫画あげているヤツもいることを思い出したので、

最低年収500万以上は稼げるように働いたいたらいいんじゃないかなと思いました

 

500万以上稼ぐためには、大手企業に入る、地方都内中小なら役職者・ミドルレベルエンジニアにならないとダメなので、

世界が多少は広くなるし、いちいちネットで構ってやらなくなるんじゃないかなと思います

 

仕事そこそこ頑張ってもなお『あたちはーダメなヤツだからー』をするのに余念が無い人は、

 

自分タスク管理能力を誇ったらいいと思います

そこそこ仕事頑張った上で、創作したり・スポーツ大会出たりとか、なかなか出来ないです

少なくとも自分は出来ていないです、両方やったら家事がまったくできないし、ウォーキングレベル運動習慣すら放り投げてしまます

 

大手で『別に仕事暇なんですけどー?むしろ社内ニートっぽくて将来不安なんですけどー』って人は

長期旅行でもしたらいいと思います、あるいは不動産投資でも始めましょう

https://anond.hatelabo.jp/20221113125227#

奴隷って大変だな。家族より大切なもがあると思ってやがる

 

そもそもソエリート想定しなくても、

まぁそれなりに仕事優先でやってればなんとなくいけそうなライン年収でも、家のことなんかロクにやってなんかいねーぞ、

日本に限らず、世界中、男女ともね

 

✨\自己実現/✨とかじゃないのよね

 

つか、ワイ的に真のエリートってどこの組織に勤めて肩書きがーとかじゃぶっちゃけないと思うのよね

どういうわけか、ほぼ定時退社して、家族旅行よく行って、家族サービスするけど、トライアスロンやってててみたいな

スケジュール管理能力時間創造能力が優秀な人のことをいうと思うの

2024-07-15

しろ結婚したいというのが理解できない

好きな相手がいて一生を共にしたいか結婚するというならわかる

家を守って後継を産み育てる必要があるから結婚するというのもわかる

そうではなく、相手もいないし結婚しなければならない理由もないのに結婚したいというのは全く理解できない

結婚って相手がハズレなら地獄やぞ?

稀にある大当たりなら幸せになれるけど、SSRやぞ?

しか早い者勝ちシステムから結婚したいと思うような頃にはアタリがかなり減ってるんやぞ?

結婚適性あるやつは早く結婚するから、残ってるのは適性に問題アリなやつがおおいんやぞ?

自分のために使える金も時間も激減して趣味制限されるんやぞ?

家事育児もしないといけないし家族サービスだってさせられるんやぞ?

それなのになんで結婚したいとか思うの?

全く理解できない

2024-07-05

anond:20240705164109

大人になったら当たり前のように結婚して 子供を持ってマイホームを建てて休日家族サービスするようになるのかと思っていた

2024-06-29

anond:20240628211521

奴隷って大変だな。家族より大切なもがあると思ってやがる

 

そもそもソエリート想定しなくても、

まぁそれなりに仕事優先でやってればなんとなくいけそうなライン年収でも、家のことなんかロクにやってなんかいねーぞ、

日本に限らず、世界中、男女ともね

 

✨\自己実現/✨とかじゃないのよね

 

つか、ワイ的に真のエリートってどこの組織に勤めて肩書きがーとかじゃぶっちゃけないと思うのよね

どういうわけか、ほぼ定時退社して、家族旅行よく行って、家族サービスするけど、トライアスロンやってててみたいな

スケジュール管理能力時間創造能力が優秀な人のことをいうと思うの

2024-06-24

anond:20240624211454

こんなことを避けるためにマイナンバーを導入したはずなのに、肝心のデジタル化やデータの共有が全然進んでいないから手間が増えるだけっす。

笑っちゃうような無駄な手間が増えてるって、まるでお笑いネタにされそうなレベルっすよね。

マイナンバーシステムがまともに運用されるようになったら

こういうクソみたいな事務仕事でお給料を貰って定時で帰って休日家族サービスに勤しみ子供たちを育てていく、仕事はできないかもしれないけど良きパパをやってる人たちの仕事が無くなるんだろうなあ

2024-06-21

狭間の地に降り立ちたかったが週末は家族サービスなんだ仕方がないんだ

2024-06-12

ちゅーてもね。

奥さんがいて子どもがいて、やれ家族サービスが大変だとか、子ども教育費がかかるだとか、そういうことで悩める人生になってはじめて「一人前の男」なわけで。

それが出来てない男が何を言おうが、一人前ではない未熟者の発言しかならないわけで。

ね。

2024-06-08

ずっと寝てる父親でごめん

仕事の疲れとやらかしの悩みでストレスがすごくて土曜日ずっと寝てた。家族サービスどころじゃない。つらくて寝ていたい。かみさん子供は出かけた。かみさん正社員で働いてるのにな。ごめん。ごめん。

2024-06-01

セクシー田中で思い出す某アニメ

声優韓国ルーツの人がいて別の仕事慰安婦について聞かされていた監督音響監督監督と仲が良くストーリーにもかなり関与)がアニメ慰安婦を取り上げたいとなり(本人たちがインタビューで語る)

西洋舞台ファンタジーからもちろんそのまま使うことはできないが、「ヒロインレイプ妊娠されるがその苦しみを乗り越える」という原作には一切存在しないシナリオ提案

原作者は「ヒロインの出番が原作では遅れたので早めに出してほしい」とアニメ側に改変要望を出していたのだが

監督らは「早めに出します、ヒロイン軍人レイプされてどん底に陥るがそこから回復するストーリーにしてもいいですか」と相談

鬱要素もあるファンタジー作品とはいえセクシャルさはあまりない原作で、16歳の明るく元気なヒロインへのレイプネタなど、原作者は断る

しか慰安婦の悲しみをメインストリーに組み込むのはもう決定済みで、軍事政権軍人が幅を効かせているという世界観なのに軍人によるレイプネタがない原作の方がおかしいと納得いかないアニメ制作

攻防の末、「ヒロインに使うのはダメだが、レイプネタオリキャラに使う分には許す」という運びへ

そのオリキャラというのがアニメしか完全に存在しないキャラかというとそうではなく、原作ではほぼゲストキャラのような子

ファーストネームしかなかったそのキャラ苗字もくっつけ、肌の色などキャラデザもやや変更し、「一応オリキャラ」ということにして原作ヒロインよりも活躍する悲劇慰安婦へと仕立て上げた

それだけレイプ展開を描きたくて仕方なかった制作陣なのに、レイプに至る展開が雑だった

市民暴動を起こして軍が制圧した際に「レジスタンスがどこに潜んでいるか知っているか」と聞かれ、慰安婦が「知らないわ!たとえ知っていたとしても教えないわ!」と強硬な態度を取ったため見せしめ連行され犯されるという

本当にどこにいるか知らないのでただのアホになっているという

その慰安婦連行した軍人キャラ原作から登場する人物

主人公サイドの軍人キャラ対立関係にあり態度悪いものの、休日には妻子を連れて遠出して家族サービスするパパという描写がある

家族サービスパパをレイプ犯にしたってわけ

原作には老若男女が出てきて、イケオジではないおっさんキャラが多数いるのだが、アニメは若く美しい男女ばかりに興味があり、おっさんキャラの変な改変がよくあった

内乱移民虐殺が行われた際に、前線移民の子供の死体を前にして、彼らを殺すことなどできないと精神崩壊して撤退したメンタルが脆い軍人キャラがいて、

彼は名門家系から解雇にまでは至らなかったが、内乱で武勲をあげられなかったため昇進が止まって目下のもの階級を抜かれている

アニメだと普通に移民虐殺するキャラに変えたくせに昇進してないただの無能にされた

美しくなく若くもなく、アニメ側がオリジナルでやたらねじ込む恋愛ネタに使えないキャラから興味ゼロでそういう扱い

「これ変えたら面白いやろ」と色々変えるけど物語全体との統合性を考えられないのでオリジナル部分と原作由来部分の矛盾が大量にあった

慰安婦レイプ出産のショックで口を利けなくなっていたが、かっこいい主人公くんにイイハナシされたら立ち直って喋れるようになりましたチャンチャン

全てが雑でゴミだった

2024-05-26

anond:20240526010152

文系のことは知らんけど、自分のいた研究室毎日来るのが当たり前の情報系だったので、そことは大いに違うな。

「これでは修士に値しない」と卒業できなかった

個人的感覚だと、研究室が課している出席のルールを満たしていてこれはちょっとあり得ない。

過去卒論をそんな理由で失敗していた学生なら見たことはある。

学部3年のころ、先輩方の卒論発表会を傍聴してたんだけど、

一つ下の学年の自分から見てもヤバいと思うような発表内容で、回覧に出されていた卒論ほとんど何も書いてない感じのだった。

後で聞いた話だと、その発表をした学生ほとんど研究室に来ていなかったらしい。

...まあ、こういう状況で「これでは修士に値しない」はわかるけれど、それなりに研究室に来ているのにそれをもらうのははっきり言ってブラック研究室

実際に見たことはないんだけれど、自分のいた学部にかつて卒論発表会で自分学生パワハラを始める人がいたらしくて、

その研究室に行くとヤバいってことが知られているところがあったな。

今でいうAIのような流行ものテーマを扱っている研究室だったので、憧れだけで研究室を選んで地獄を見る場所だったらしい。

文系大学院常識は知らんけど、自分感覚だと修了率50%は相当ヤバいと思う。

ゼミ以外の時間は(研究質問に)来ないでね。

この研究室論文を書く場合って、指導教官はauthorに入りますか?

ゼミ指導をしたと言えば言えるのかもしれないけれど、文系研究室はえらく気が長いんですね。

月1程度(1回1.5時間ほど)以外は研究について話すのNGなんですよね。

研究を進めるうえで研究室特殊機械を借りたり、先生の人脈を使ったりしてますか?

自分感覚だと、その程度の相談時間で、研究室リソースも使わないとなると、指導教官をauthorに入れていいのか怪しいレベルだと思うんだけど。

ちなみに、自分のいたところは毎日指導教官テーマについて話してました。

論文を書くときは構想から相談して、添削もしてもらってました。

増田君が言いたいことはこういうことでしょ」と先生が書き直したことも時々あったので、ぶっちぎりでauthor感があった。

ゼミでのご助言が抽象的すぎる

これが1カ月に1回。ほんとに研究室の進捗がslowなんだな。

そして、シン・仮面ライダーメイキング(NHK制作ドキュメンタリー見てくれ)よりもひどい世界だ。

早いフィードバックで何度も回すのが自分の周りだと普通なので。

もちろん、先生に毎回確認するのは気が引けるので博士などの人が先生質問をするときに一緒に居たりして、一緒に先生の話を聞いて意図を組んで、その人と壁打ちをすることが大半だと思うけど。それでもって、その博士の人もauthorに含まれる。話しているうちに博士の人のアイディアが入ることもあるし。

私たちに聞かれても、知識がないからわからない。私たちを頼りにしないで」

別に正直でいいと思うんだけれど、先生の知り合いでその分野に明るい人を紹介してもらって共同研究できないんだろうかとかは考える。

ヒステリックになっていると言われる

先生同意ちゃうかな。

先生方は現状をどのようにお考えなのですか」の回答はそんなに問題があるとは思えない。

「お考えですか」だからね。

大学としてこの修了率は普通ことなのか、普通じゃないのか?みたいなところからだな。普通のことだったら、それ以上の会話はないよ。

普通じゃなかったら改善案についての話になるけれど、普通のことだったら改善などないからね。

正直、元増田お気持ち表明以上の意味がある質問には見えない。

納得いかない感情をぶつけられても困るだろうなと。

修了率が高い研究室に移れないかを考えてもいいとは思うけれど。

計画性がないと言われる

ここまで読んでいて思うのは先生には学生を育てる動機づけがないってことかな。

先生問題というよりも、大学やその業界問題のような気がしてならない。

うちの分野だと自身研究成果はさておき、育てた学生(特に博士)の数や研究評価対象になるので、下を育てることにそれなりの動機付けがある。

多分、指導能力がない(学生を育ててない)人はテニュアトラックに乗れないんじゃないかなと。

あと、先のところでも書いたけれど、もしかして元増田の通っている大学院別に修了しない学生が多くても構わないって思ってない?

自分のいたところはその分野の人材を育てるという意味合いもそれなりにあったのか、修了率はかなり高めだったと思う。中途で消えた人は見たことない。

でも、修了率50%でなんとも思わないというのは研究室どころか、その専攻科がそれを良しとしているとしか思えない。

休みメールすると怒られる

え?先生って定形勤務なの?てっきり裁量労働なのかと思ってた。

働きたかったら何時間でも働いていいけれど、働きたくなかったら別に何もしないでもokみたいな。

ふんわり定時みたいなのがあったほうが自分学生も働きやすいからそういうのをやっているだけかと思ってた。

前述のとおり、先生には学生を育てる動機づけがないと思う。

でも、この書類GW直後に見てもらうのだと間に合わなかったんだろうかとも思ったりする。

先生だって休みの日を休みの日として過ごす時間必要だと思うので。

家族サービス中にちらちらとメールチェックをするのはokですか?ngですか?

旅行に行けるような休みは、去年の年末からありません。

これは理系だと普通という認識

ちょっと研究室にいた時間と自宅にいた時間かぶってて、なんかおかしいので時間帯はわからんけど、

理系だと追い込みの時期に研究室に住んでいるみたいな人は普通にいる。

ま、事実上研究室に住んでいるような人生研究に捧げた先生なんかもいるらしいしね。

学位論文書いてた時は研究室から徒歩数分のソバ屋で年越しそば喰って、正月研究室にいたけれど...

大学院はこんなものですか?やっぱりおかしい?

研究に費やす時間についてはこんなものだと思う。修了できなかったら死ぬみたいな気持ちでやってたのは事実で、文字通り命を削って学生してた。

親はモラトリアム楽しんで遊びに行っていると思っていたようで、恥ずかしいからと親戚の集まりに来ないように仕向けられてた。

就職して思ったけれど、仕事の方が大学院行くよりも楽だな。

労働基準法で守られているし、学位を取れなかったら死ぬみたいな謎な緊張感もないしね。

でも、指導教官対応はなんかおかしいと思う。そもそも学生を育てようとか卒業させようとかい意思を全く感じない。

でも、それは個人問題というよりもシステム問題なのかもしれないとも思う。

もし、増田の分野が人を育てることを重視していないなら、それは業界問題であって個人問題ではないし、

そこは手厚い育成を求める人たちが行ってはいけない分野なんだと思う。

アカハラで(学校以外で)駆け込むとしたら、どこ?

法テラス

普通に考えると、この手のトラブル弁護士に話す案件かなーと思った。他の人の状況や客観的証言を集めたかったら探偵も使うのかもしれないけど。

2024-05-05

GW中は家族サービスに務める者が多いと思われる

そうでない悲しい男はアニメの娘を追いかけるかね

2024-04-25

ゴールデンウイークがやることなくて辛い

どうしよう。

何したらいいか全く思いつかん。

足を痛めたから、帰省するのもめんどい

いっそ振替出勤(デスクワーク)しようかと思ったら「こんな時くらいゆっくり休め」と言われてしまった。気持ちは嬉しいが困る。

みんな(独身男性)はどうやって過ごすんだ?帰省以外で。

家族サービスは大変だろうけど、暖かい家庭を築いている皆様がうらやましいぜ。

2024-04-13

インターネットが好きでWEBデザイン業界入ったけど別に面白くないな

転職してー」みたいなことは考えてない。

趣味トラウマが出来たわー」とも思ってない。

単に「仕事面白さってその業界に興味があるかじゃないな」って感じてるだけ。

結局仕事に求めていいものって「無茶振りされないで済んでるかどうか」なんだろうな。

仕事しててクソかどうかって感じるのってそこだもんなあ。

まあつまる所、金曜に「壊れました。月曜までに治してください」と言ってくるような奴らに囲まれてないかなんだよなあ。

もっと言えば上司が「治してやるのが俺達の仕事だろ。代休処理だけはちゃんとしとけよ。じゃ、俺は家族サービスがあるんで月曜まで休むわ」と言ってこないかなだなー。

舐められとるとしか思えないっていうかさー、顧客にも上司ににもなー。

仕事がこっちのこと舐めてくるなら、こっちも仕事のこと舐めてやらな話にならんよなー。

キトー時間つぶして頑張った感だけ出したら、月曜にメモ残して火曜休んで上司に丸投げでもすっかなー。

2024-03-14

anond:20240314191048

そもそもソエリート想定しなくても、

まぁそれなりに仕事優先でやってればなんとなくいけそうなライン年収でも、家のことなんかロクにやってなんかいねーぞ、

日本に限らず、世界中、男女ともね

 

✨\自己実現/✨とかじゃないのよね

 

つか、ワイ的に真のエリートってどこの組織に勤めて肩書きがーとかじゃぶっちゃけないと思うのよね

どういうわけか、ほぼ定時退社して、家族旅行よく行って、家族サービスするけど、トライアスロンやってててみたいな

スケジュール管理能力時間創造能力が優秀な人のことをいうと思うの

2024-03-07

一生独身いいわけない

40代になり、友人も同僚も、仲の良い部下までも、全員結婚し、子どもが生まれ、俺の暇つぶしに付き合ってくれる人はただのひとりもいなくなった。

俺は酒が好きだと思っていたが、酒の味が好きなのではなかった。仲間と飲んで、少し酔って、他愛無い話をして笑うのが好きなだけだと気づいた。

趣味だと思っていた釣りも、カラオケも、俺は一人では何も楽しめない。ひとりカラオケ楽しいと思っていたが、ひとりで練習して上手くなった成果を披露して褒められるのが嬉しいだけだった。今やいくらひとりカラオケをしても、練習の成果を披露する機会などない。それに気づいてから、もう何年もカラオケには行っていない。

ずっと独身でいても人生楽しいと思っていた。男同士の付き合いが気楽だから、妻も子もいらないと思っていた。

でもこんな歳になって、その男同士の付き合いすらなくなった。だってみんな妻子がいるから。

仕事終わりに俺と飲みに行くより、急いで帰って子ども風呂にいれてやるらしい。

土日に俺と釣りに行くより、家族サービスで遠い水族館いくらしい。

そりゃそうだ。俺なんかより、家族の方が大切に決まってる。

俺が子どもの頃、父親休みの日にはよく近所の小さい動物園に連れて行ってもらってた。すごく楽しかったのを覚えてる。みんな、それと同じことをやってるんだよな。

俺だけ20代精神性のまま見通しの甘い40代になってしまったよ。自分が寂しがりやだってこと、なんで今まで気づかなかったんだろうな。

今更婚活してもきっとしんどい思いをするだけだろうし、もし運良く俺のことをよく思ってくれる相手がいたとしても、こんな理由結婚をして子どもを産ませるだなんてできない。

残りの人生消化試合だと気づいて、今更ほんの少し絶望している。

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