はてなキーワード: ジオシティーズとは
Xにあるやつだとちょっと不足しているので追加で調べたヨ
2000年 | 2024年現在 | 備考 |
---|---|---|
テレホーダイ | サービス終了(2023年) | |
ISDN | サービス終了中(完全終了は2028年) | |
FLASH | サポート終了(2020年) | |
東風荘 | サービス終了(2018年) | |
ポストペット | So-netのマスコットとして辛うじて現存 | 行方不明と言っているのはソフトウェアの方か |
MSNメッセンジャー | スカイプに統合(2013年頃) | |
ジオシティーズ | サービス終了(2018年) | |
infoseek isweb | サービス終了(2012年) | |
PageOn | サービス終了(2015年) | |
2ちゃんねる | 5ちゃんねる | 2ch.sc、おーぷん2ちゃんねるなどに分裂し、過疎化(2014年) |
Yahooチャット | サービス終了(2014年) | |
ICQ | サービス終了(2024年) | |
さくら通信 | アクセスできません |
こういう事を言う時、自分がやられた側だったという設定を持ち出すと有利なことを俺は知っている。
だが俺は今回その裏技を使わない。
それをやってしまうと「本当にコイツが被害者だったのか確かめようぜ!」という方向に躍起になる奴らで溢れてしまうのも知っているから。
最初に言っておくが、俺が語れるのは俺のうろ覚えの光景だけだ。
当時のことなんて俺はもう正確に覚えてないし、グーグルもまともに引っかからない。
ジオシティーズやニフティのブログは消えていき、2chの過去ログも闇の彼方だ。
俺が物心つく頃には粗悪な中国製品を笑う文化が日本には根付いていた。
中国製=安物というイメージがあり、その一種として偽ブランド商品(SONY→SOMYとか)から発展した中国パクリ文化というイメージがあった。
日本と中韓の関係がどこらへんから悪化したのかはよく覚えてないが慰安婦問題とかでいよいよヒートアップしたように思う。
嫌韓流というどストレートな名前の漫画が発売された時期が2005年だったので、この少し前が嫌韓の加速下敷きであり、ここから5年ぐらいして下火になったはずだ。
当時の嫌韓がどんなものかといえば、主に「日本経済の深部に潜んだ日系韓国人が特権階級として利権を享受しているので倒そう」「韓国人は生活保護を不正受給している寄生虫だ」「韓国が日本のパクリで金儲けしていてズルい」「韓国人はキムチ臭い。あとウンコを食う」「韓国国内では日本を叩くのがブームだ」辺りが盛んに言われていたと思う。
2ch発祥のニダー<ヽ`∀´>というモナーのエラを張らせて目を尖らせたキャラクターが韓国人ステレオタイプの擬人化として作られ、このキャラクターに韓国にとって不名誉な発言をさせることがネットで大ブームとなっていたことを記憶している。
最初のうち嫌韓ブームは単なる外国人いじりだったが、それが段々と日本の国益を脅かす隣国との聖戦へと変化していった。
氷河期の影響で日本中が冷え込んでいたこともあり、不安に駆られたネット住民の何割かは「真実の悪」を求めて聖戦士としてネトウヨへ傾いていくのだった。
その当時のネットにおける韓国人へのヘイト行為は尋常ではなく、とにかく韓国人が日本人を嫌っているという扱いをされていて、そしてそのブームはテレビへも波及していった。
普通のおっさんがテレビで日本VS韓国のサッカーや野球の試合を見て、韓国人選手が卑怯な反則をしてくるんじゃないかと目を光らせ、怪しい動きがある度に韓国人の卑劣さを悪し様にあげつらうのだ。
そして韓国が負けた瞬間に、強豪国に勝ったかのような歓声がスポーツバーを包むのだ。
宿命のライバルではなく、倒すべき仇敵として韓国を扱う動きは日本中に広がり、政治家の中にも韓国へのヘイト感情を利用するものが出てきていた。
広がりまくった嫌韓のブームだったが、段々とその活性度は落ちていく。
韓国と日本の国交が正常化されたとか、日本人がまともになったとかではなく、他の興味対象が出てきただけだ。
2chで種火が産まれニコニコ動画で爆発した淫夢ブームと、なんJにおける超巨大ネットリンチ派閥 恒心教が、嫌韓ブームの中で暴れ回っていた暴徒たちを分散させた。
アメリカ発祥のポリコレブームにより人種を批判することは難しくなったことで嫌韓の勢いは衰えていったが、同性愛者を笑っているのではなく演技の下手さを楽しんでいるだけだという理論で淫夢は伸びていった。
同性愛者のアナルセックスをクソまみれと指さして笑うだけでは我慢できなかった者達は、より激しいリンチを求めて恒心教に入り、特定個人に脅迫状を送り付けたり、大声でウンチを漏らしているというキャラクターをつけて動画を作成したりしていた。
より安全で、よりホットで、より刺激的なコンテンツを求めているだけだ。
登場人物が小中学生なら「イジメよりも普通にサッカーしたりゲームするほうが楽しいぜ!」はハッピーエンドなんだろう。
でもいい年こいた大人なら「自分が楽しいかどうかばかりを軸にして考えるのは社会の構成員としての態度として正しくない」に辿り着けなきゃバッドエンドだ。
元嫌韓の者達の多くは、単にもっと楽しいものが見つかったから嫌韓を下りただけだ。
今でも反ワクで暴れている人、パルワールドを楽しく遊んでいる人、誰かのトレパクを見つけて笑っている人、AI絵師と崇められるのに夢中の人、色んな道に進んだが、多くの元嫌韓が「今自分が楽しめるか」ばかり考えて「その結果として他人が迷惑を被るか」なんて全然頭にないままだよ。
せめて「まだ時効と決めつけるには早いし、変なこと口走らないで黙っておこうかな」ぐらいの頭は働かせられるならいいけど、それさえ出来ないなら、もうネットに書き込むべきじゃないと思う。
過去の罪が突然飛んできて「貴方はこのときこんなことをしてましたよね?じゃあ弁護士に相談します」って言われないとも限らないんだぞ?
想像力を働かせてくれ。
他人の痛みを理解するだけの想像力をいきなり働かせるが難しいなら、せめて自分が訴えられないで暮らし続けるにはどうすればいいのかぐらいは考えて動いてくれ。
少しずつ頭使っていけば段々マシになるはずだから。
父親がパソコンオタクだったため、我が家にはニフティサーブのサービスインと同時にネットが導入された。俺はまだ中学生だった。
最初はジオシティーズに個人ホームページを作るなどして遊んでいただけだったが、メル友募集掲示板というものに出会ってしまい、もともと文章を書くのが好きだったこともあってハマってしまった。
当時のメル友というのはPCを使って長文のやり取りをするもので。後にくるケータイ時代の常に短文をやり取りするスタイルとは根本的に異なる。いわば文通に近い。
どこに住んでいるかもわからない相手と近況を報告し合ったり、本や映画について踏み込んだ感想を交換したり、そのメールの返事がいつ届くのかじりじりして待ったり。現代からするとだいぶレトロな世界観だが、ネット自体が普及しておらず、調べ物は図書館、待ち合わせには念入りな調整が必要で、大都市の情報は雑誌や新聞が頼り……そういう時代だったから、メル友との交流は最先端を感じささせた。
ブラウン管の向こうに世界があり、そこには人間がいて、俺とそいつが繋がることができる。
現代のデジタルネイティブには理解してもらえないかも知れないが、個対個のネットワークがあることは全然当たり前なんかではなかったのだ。
その後すぐに出会い系サイトの宣伝スパムで汚染されて壊滅するが、その少し前の話だ。俺はそこで同年代の異性数人を見つけてメールのやりとりをしていた。下心があったわけではないが、やはり心のどこかでロマンスを期待する気持ちもあったかもしれない。
実際その中のひとりとは3年にわたってメル友関係が続いた。仮にちーちゃんとするが、このちーちゃんとはかなり親密な関係だったと思う。お互いだいたいの住所から家族構成、趣味嗜好まで知っていたし、誕生日やクリスマスなどのイベント時にはチャットで長時間やりとりしてて、言葉にはしないまでも会いたいとお互い思っていた気がする。
時は流れて高2の頃、俺が東大を目指そうかな〜という話をしたことで、その流れが本格化した。
東京の西の方在住だったちーちゃんはそう言って応援してくれた(実際には増田は受験に失敗し、鬱を発症し浪人した挙げ句日大を出て零細企業を転々とする人生を送り、はてなブックマークが唯一の趣味の独身アラフォーである)。
俺は受験勉強に打ち込み、しかし週に2,3往復のちーちゃんとのメールは続けていた。
ところで俺はネットにだけ傾倒していたわけではなく、学校でもまあ普通に生活していた。カースト色の薄い学校だったこともあって、ギーク寄りの仲間とのんびりと生活できていた。特に仲が良かった男を田中とするが、こいつは曲者だった。遅刻魔であり地頭はいいのにテストは苦手、思考に口が追いつかなくて口下手、ときおり突拍子もない事をやって周囲を驚かせるという有様で、今で言う多動型のADHDだったんだと思う。
何の話だ?と思った。知らない名前だったからだ。しかしすぐに嫌な予感がして、
と聞いた。ビンゴだった。田中は何らかの方法でちーちゃんのメールアドレスを入手し(当時はシステム的に侵入を許したかと思ったのだが、後に調べたら他のクラスメイトに宛てたメールのCCにちーちゃんのアドレスが混入していたことがわかったので多分俺が悪い)、メールアドレスから俺がたまに話していたメル友だと察知し、偶然を装ってメールでやり取りを繰り返し、会うところまでひと月で漕ぎ着けたのだった。俺が本名さえ知らなかったちーちゃんと。
ショックだったのと同時に、田中の行動力に感心もした。ド田舎の高校生にとって東京まで往復するのは時間的にも経済的にもハードルが高い。しかし行動したから田中はちーちゃんと会えたのだ。
俺は何事もなかったふりでメル友を続けたが、ちーちゃんの熱量があからさまに落ちているのがわかった。メールの頻度も減った。それもそのはずで、その後も田中はちーちゃんと月に2回のペースで会っており、正式に付き合うことになったと田中から報告を受けた。その後に続いた
という童貞卒業の感想もボディブローのように効いて、この頃を境にちーちゃんとの関係は俺の方からフェードアウトしてしまった。
俺にとってちーちゃんはあくまでネットの向こうの、本と映画が好きな誰かであり、淡い期待そのものであり、それだけだった。
しかし数年後、俺の大学の文化祭に田中がちーちゃんを伴って遊びに来た。
ちーちゃんは俺の想像よりも小柄で垢抜けた今風の短大生だった。店番をしていた俺はぎこちなく短い会話を交わしただけだったが、田中が言うにはちーちゃんは後に俺について「なんか怖かった」と感想を述べたという。当時の俺がアート系の学部の雰囲気に影響されて髪の半分を緑に染め夕方でも黒いサングラスを掛けていたからかも知れない。
その後あっけなくちーちゃんと別れた田中はアムウェイで一財産築き、会社を立ち上げるために地元に帰ったが津波で流され、生存は絶望的かと思われたが何故か身分を偽って大阪でパチスロ系Youtuberとして生計を立てているのが同級生によって発見された。
田中の家族の頼みで俺は一度だけ大阪まで田中を連れ戻しに行った。痩せ型だった田中は別人のように太って、肌は土気色だった。しかし話すことは間違いなく田中で、スロットで金を貯めてアフガニスタンに行くと言っていた。その言葉通り田中は地元へは帰らず、ペルーへ渡って交通事故で死んだ。
なあ田中。
お前は何だったんだ。台風か何かなのか。ふざけんなって。
:大学のユニックスと従量接続でニフティサーブ(コンピューター通信)。用途は今でいうメルカリなど
:はてなの黎明期(人力検索→ダイアリー→ハイクなど一通り)。途中で光回線化。
:MMO(ファンタシースターオンライン初代など)にハマる。光回線最強。その後ゲームが複雑化して攻略本では間に合わなくなりアプデ即日わかる攻略サイトが出てくる。
:ダイアリー、人力検索が衰退しブログに一本化。趣味のfc2もやってた。ウェブ拍手など。
:育児や開業も含めてほそぼそと、しかしずっとはてなダイアリー(のちにはてなブログ移行)は続けている(過去ログはローカル保存だけにしているがたまに物価比較のためなどに増田に転載している)
:ハイクが同時期サービスであるツイッターにユーザー数で完全に負ける(お題がある分荒れにくかったからハイクがよかったのに!ただし炎上は少しはあったけどね)のがサービス終結してしまいSNSはツイッター一本化。なおフェイスブックは垢もってるけど特段やりたくない。お金もち自慢も子供自慢も(両方持ってるけど自分は)楽しくないので。
:親(おじいさん・おばあさん)にブログ教えたらはてなじゃなくて楽天を選んだ。
:増田に出戻る。ミソジニストだのオタクの論理のねじれがおもしろすぎた。増田で最初に「表現の自由の戦士」って言葉書いたのオレです。
:自宅のIT担当者は(仕事に必要だから)言うにおよばず、親・義親の家のルーターとメイン機やスマホのメンテもずっと担当しつづけている。
:デジタル入稿で同人誌や講義につかう教科書・副読本を印刷発注するのにハマる。なんだ、簡単に自分でつくれるじゃん的な。
:特に変わりなくツイッターをつかっているがなんか行き詰まりを感じる(大事なツイートが自分にだけ見えないことが多くでてきている)。ツイッター疲れって確かにあるよな
:ジャバスクリプトのサイトが一切動かない。それとは別に作品発表SNSなども炎上があり次を模索中。
:親にLINEの使い方を教えて日常報告を済ませるように
:ジオシティーズがひっそりおわった。まだあったのすげーよな。
名前が思い出せねえ。
毎日かあさんの件でこのサイトの存在を思い出して検索してみた。
15分ほど探したが見つからない。
自分の夢じゃなかったはず。
ネチケットという概念が日本中を飛び交い、ディズニーやデジモンのキャラクターがネチケットについて解説する二次創作がネット中にあふれていた頃。
サイトにアクセスすると最初に出てくるのは子どもの成長を楽しげに描く両親の日記。
子どもが成長して中学か高校かに入ったところで「娘にも日記を書かせるようにしました」とリンクが貼られる。
当時のインターネットでは個人がHPを持ち、HPの中に隠しページを用意することが流行っていた。
一番多いパターンは単一色の背景と全く同じ色のフォントで文字が書かれているパターン。
Tabキーを連打するか、ドラッグで選択して色を変えるかで簡単に見つけられる。
存在を匂わせてはくるが入り口が分からないサイトはソースコードを見れば大抵はヒントが仕込まれていた。
隠しページの内容は、イラストサイトであれば18禁イラスト、日記サイトなら人には言いにくい趣味の話についての日記が載っているのが常であった。
その当時のネットで暮らす人達は本能的に、直感的に、画面の中の空白から隠しサイトの存在に気づきクリックする。
そこには「いじめられっ子の日記」のようなタイトルで両親に勝手に個人情報をばら撒かれ続けた子どもの悲惨な人生が描かれている。
自分が赤ん坊の頃の話を誰もが知っているだとか、家であった内緒にしておきたい話がすぐに学校中の噂になるだとか、そしてその特異な立場から虐めにあってきたと。
両親はネットにアップロードした子どもの姿にしか興味が無いので現実の子供を見ようとしてないのでイジメには気付いてないという吐露もあったと思う。
ネットにアップした情報は不特定多数に広がってしまうので気をつけようという警鐘としてこのサイトは語り継がれていた。
いつからか、インターネットで個人情報が廃れリンク集は消え、ジオシティーズやさくらインターネットの個人HPからTwitterに本拠を移す者たちが増え、カトゆー家も断絶。
バカッターや迷惑系Tuberの起訴に代表されるようなネットで本当に痛い目にあった話が無数に供給される時代において、たとえばの話でしかなかったこのサイトは忘れ去られたのだろう。
20年ぐらい前の話だしなあ
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
今から20年前、ブラウザゲームといえば設置型のCGIゲームだった時代があった。
箱庭諸島、SOLDOUT、FFA、罪と罰、商人物語、珍走記…名前を挙げればきりがない。
そしてこれらの特徴としてフリーソースであることがあげられる。エンドレスバトルのような例外もあるが基本的に再配布可能であり、大本のサイトが消えてもソースが再配布され長く親しまれることも度々あった。
当時はネット回線は貧弱であり、重量級のCGIゲームはレンタルサーバーから名指しで設置禁止を言い渡されることもあったが、それでも数多の個人サイトに原本や改変版が設置され、インターネットを賑わせていた。
しかし時は流れ現在、これらのCGIゲームは文字通り瀕死の状況である。
プログラムは陳腐化し、レンタルサーバは数を減らし、かつてのプログラマーたちは皆ネットを去っていった。配布サイトもジオシティーズ消滅で壊滅し、インターネットアーカイブにすら残っていない派生も多い。今やプレイどころか、入手・設置すら一苦労するレベルの代物である。
時代の流れから取り残されたものが淘汰されていくのは仕方がない。しかし、インターネット黎明期を賑わせたプログラムがこのまま霧散していってしまってもいいのだろうか。
箱庭諸島ですら現状ダウンロード方法が消滅してしまった派生作品は10を超えている。再配布が許可されていたとしても、一度消えたサイトのスクリプトが再び表舞台に出るケースはかなり少ない。無法地帯といわれる2chのフリーソフト保管スレですら、CGIゲームが再アップされた例は存在しなかった。
これを見ている増田の古いパソコンにも、すでに入手不能なCGIスクリプトが残っているかもしれない。だがそれが日の目を見ることは、現状ないのだ。
かつてのガラケー向けゲームですらswitchでプレイできるようにする動きはあるのに、こちらを保全しようとする動きは一切見られない。ネット考古学的にも、レトロゲーム趣味的にも、もう少しこちらに目を向けてはいいのではなかろうか。
はてブのホットエントリ(総合)で月内に数多く[あとで読む]タグを集めたエントリ
376あとで/2649users 世界史講義録 | 金岡 新
273あとで/2308users 高卒新人に資産運用を説明する - やしお
267あとで/2264users プログラミングというより物事が出来るようになる思考法|牛尾 剛|note
266あとで/1628users クリエイティブコーディングの教科書 | miku | Zenn
265あとで/1730users 企画書を書くのが苦手な人、チョコプラがコントで教えてくれるこれ見よう「会議まとめるの苦手な人用も」「新卒にもオススメ」| Togetter
190あとで/1065users はじめに — 機械学習帳 | 岡崎 直観 | GitHub
189あとで/1371users mssn65 on Twitter: "ロープの結びは、この5つを覚えとけば大半の状況に対応できると思います。 https://t.co/tJucqFW19D"
186あとで/1301users なぜ、ソフトウェアプロジェクトは人数を増やしても上手くいかないのか - Qiita
179あとで/1104users 初学者に教えたい、MicrosoftがGitHubで公開している教材が最高だった! - Qiita
177あとで/1895users 「不機嫌で人を支配しようとする人」の気持ちがわかった話 | 不倒城 | Books & Apps
155あとで/1399users 「この情報無料でいいの…!?」毎日の掃除や整理整頓が時短になるよう心掛けている方の工夫が目から鱗すぎる | Togetter
148あとで/748users Reactベストプラクティスの宝庫!「bulletproof-react」が勉強になりすぎる件 | meijin | Zenn
145あとで/1170users ミルクボーイがUIとUXの違いを説明したら|広野 萌|note
144あとで/1220users 『飯テロの勉強』日本政策金融公庫が公開している資料がすごいと話題に。「売上アップにつながる写真の撮り方ガイド飲食店編」 | Togetter
142あとで/824users AWS認定10資格について模擬試験が無料/解説付きで公式からリリースされたので受けてみた | DevelopersIO
129あとで/1348users これから社会に出る若者へ。一つ忠告しておくが、マジで「Excelができる」ってのは神スキルだから勉強しとけ。プログラミングとか動画編集より即効性があるぞ | Togetter
129あとで/596users 自動化大好きエンジニアたちが語る、効率化・品質向上 Tips【26選】 - RAKUS Developers Blog | ラクス エンジニアブログ
127あとで/1036users 「ほんとに教えてくれていいの?」あの有名映画はどこから照明が当たってたか真上から図解してくれるアカウントが有益すぎる | Togetter
125あとで/733users 設計書・仕様書のレビュー方法を定めたJIS規格登場 チェック体制を標準化しやすく | 谷井将人 | Itmedia
124あとで/968users 『コーヒー初心者でも選べるコーヒー産地のフローチャート』が爆誕。試した人からは「いつも好んでる産地になった」の声 | Togetter
123あとで/839users 企画書の書き方 | アクティブ10 プロのプロセス | NHK for School
122あとで/1270users 【お手軽】爆速で恋人を狂わせる方法【簡単】|Gigandect|note
121あとで/1680users 沢山書いたやで ・実名主義 80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だか.. | anond.hatelabo.jp
120あとで/901users 冷凍庫は物置ではない 凍らせてOKな食材を教えてもらったけど、家庭科の授業で教えるべきでは? - メシ通 | ホットペッパーグルメ
120あとで/640users 「技術的負債」への処方箋と「2つのDX」 - Qiita
118あとで/1104users 昼に仕込み夜に勝利確定!「シンガポールペーパーチキン」でご飯と酒が止まらない【美窪たえ】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
117あとで/1060users 「今は犬1頭と猫1匹だけ…」借金3億を背負って「動物王国」を閉園したムツゴロウさん(86)が辿り着いた“北海道のログハウス生活”「今は自分が生きていくだけでやっとです」 | 文春オンライン
117あとで/752users アジャイル開発の外部委託が「偽装請負」だと疑われないためにすべきこと、厚労省が公表した疑義応答集を読み解く(前編)。Agile Japan 2021 | Publickey
115あとで/551users API設計スキルを次のレベルに引き上げるベストプラクティス22選 - Qiita
112あとで/834users マジ「Excelができる」は神スキルだからと、Excelのスキルをまとめたツイートが話題! | オトナライフ
世界史講義録は『おすすめの世界史の本教えて』という増田のエントリへの回答で紹介されてリバイバルブクマされたようだ。2009年7月にはすでに映画.comにおいて『はてなで大人気の「世界史講義録」が「セントアンナの奇跡」サイトで特別講義』と紹介されていた。記事によると当時すでに2900ブクマ以上されていたと言うのに現在2649ブクマなのはなぜだろうと見ると、同名のページがthanks.yahoo.co.jpドメイン下で5389ブクマを集めた痕跡がある。今のサイトはジオシティーズがサービス終了して引っ越した先らしい。