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2015-05-16

美人専用車両思考実験

女性専用車両の是非を巡って議論がありますが、

そこで私は「美人専用車両」を導入したらどうなるかを考えてみました。

女性専用車両満員電車性的犯罪行為から女性を守るために導入されたわけですが、

その理屈であれば優先して守られるべきは痴漢に遭いやすタイプ女性ということになります

まり美人です。

美人でなければ満員電車であっても男性の方から避けてくれるので痴漢に遭う心配などありません。

から本来なら女性専用車両など廃止して、美人専用車両を導入すべきなのです。

しかし、「女性を守る」という建前を廃し、

社会の共通財産である美人を守る」という本音を全面に押し出した時何が起こるでしょう。

美人専用を謳っている以上、その車両に乗り込んでいる人は

「私は私を美人だと思っている!」と自己申告していることになります

すさまじい面の厚さであります

美人が乗っていたら乗っていたで、「あの人自分のこと美人だと思ってるんだ」と思うし、

美人が乗っていたらギャグなのか本気なのか、それとも空いてるから乗ってみただけなのか、判断に困ります

となると美人であるにも関わらず「私は自分自分美人だと言うほど、面の皮厚くありません」というアピールのために、

あえて美人専用車両に乗らない女性も現れることでしょう。

自称バサバ系に多そうです。

思春期の子供などは、自分美人専用車両に乗れるのか乗れないのかで一晩眠れぬ夜を過ごしたりもするのでしょう。

勇気を持って美人専用車両に乗って登校し、クラスで「あの子今日美人専用車両に乗ってたんだって~!」

などとクラスメイトからからかわれ、泣いてしまったりするのでしょう。

いつだってアイデンティティクライシスであります

それくらいならまだ良いのですが、もしも美人専用車両女性が満杯になったら?

そこに新しい女性が乗り込む時に、周囲の人がちらと顔を一瞥して

美人専用ですので、ご遠慮願えませんか?」などと言う事態が発生するのでしょう。

想像するだけで、その場に巻き起こるであろう刺すような極寒の空気に、おしっこちびりそうであります

すごすごと退散する不美人

ですが、自己評価の低い男ウケはしても女ウケのしない地味系な女性が、

冷たい空気にあしらわれる場面なども起こりえるのでしょう。

きっと泣いてしまうのでしょう。

それはちょっと見てみたくあります

などというバカ話に朝からつきあってくれる私の彼女のことを、本当に愛しております

一生守って養っていくつもりです。

子供は3人くらい産んで欲しいです。

2015-05-14

連帯責任の思い出

http://suminotiger.hatenadiary.jp/entry/2015/05/13/162046

 運動系教育現場における連帯責任話題を見かけ思い出したことがあった。

 私の通った中学では体育教師が毎年四月の授業プログラムとして基礎体力トレーニングなるものを行っていた。一度の授業に参加するのは2クラス男子それぞれ15名前後ずつの計30名程度。主な内容は短距離ダッシュ、中距離走、腕立て、背筋、空気椅子手押し車アヒル歩き、馬跳び、カエル跳び、アザラシなどなど全身の筋肉を万遍なくいじめてやるメニューを45分の授業時間いっぱいかけて行う。

 特に下半身への負荷が非常に高く、体育の授業があった翌日などはホームルームの起立着席時に男子の動きが緩慢でずいぶん時間がかかっていたことをよく覚えている。非常にキツイ授業ではあったが今考えてもそのメニュー内容はシゴキというレベルではなく指導範囲内であったろうことは先に明言しておこう。

 さて、この授業には掲題にあるとおり連帯責任ルールが取り入れられていた。

 2クラス合同で行われているところが味噌で各メニューを何本か連続でこなす最後の一本になるとクラス対抗の対決要素が加えられるのだ。

 勝利条件はメニューによって様々で馬跳びのように団体競技で先にゴールしたクラスが勝利となるシンプル場合もあれば、個人がそれぞれにメニューをこなし「ノルマを達成した者が多くいたクラスの勝利」「ノルマ未達成者を多く出したクラスの敗北」という場合もあれば「最も優秀な成績を出した一人が所属するクラスが勝利」「最も悪い成績を出した一人が所属するクラスが敗北」という場合もあった。

 敗北したクラスには連帯責任で都度ペナルティが科せられる。足上げ腹筋30秒。一人でも脱落者が出た場合、もう一度全員でやり直しとなる。ただし二回目以降は有志の人間が脚にボールを挟んでやり遂げれば、未達成者が出た場合でもペナルティ完了となる救済措置が用意されていた。

 ところで、ここまで他人事のように書いてきたが、私は昔からからっきし運動が苦手で、この授業でもクラスで一番足を引っ張る役どころとなっていた。その立場から言わせてもらうと、この授業には結果的には大変救われていたと今では感謝している。

 この一学期初めの一ヶ月の授業を通して、新たに顔を会わせたクラスメイトたちは互いの運動能力の差を否が応でも理解していくこととなる。そしてそれは運動能力の高いものが自ずと中心になり作り上げていく無言のヒエラルキー的な理解ではなく、各々の能力に応じてクラスの中での役割分担を作っていく形での理解だ。私にはこれがとてもありがたかった。

 もちろん運動ダメであることには違いないので、クラスメイトからのそのような認識が変わることはない。しかしそれは明らかな足手まとい、空気のように扱うべき存在としてではなく、フォロー必要存在としての認識だ。他に助けられた時、必然私は彼らに感謝言葉を伝える必要があったし、クラスメイトは互いに声援を送りあう必要があったし、誰かが今まで出来なかったことを達成した時には素直に賞賛し合った。それだけペナルティから遠ざかったのだから当然だ。

 そうして四月を終える頃に出来上がっていたその空気というのは一年継続することとなり、私は小学生の頃に比べて運動に携わる学校時間を格段に過ごしやすくなった。

 もちろん他クラスから嘲笑を浴びて嫌な思いをすることもままあったが、中学に入る以前はそもそも団体球技をしている時に同じクラスメイト運動ができる存在に話しかけることなど出来もしなかったのだ。それに比べれば、できないなりにチームに参加し励まし合うという体験ができたのはこのうえなくありがたいことだったのだ。

 私がそのようにクラスに受け入れられ、自身も前向きに取り組むことができたのは、あの四月の連帯責任ルールのお陰であったことを私は今でも疑わない。

 私はこの一事例をもって必ずしも連帯責任制度肯定的立場をとるわけではないが、せっかくなので書いてみた。

2015-05-10

暗黙の線引き

今週の弱虫ペダルを見た。ネタバレになるから詳しくは控えるけど、「1位以外は意味がない」という言葉が心に残った。

オリンピック世界大会だったら、普通の人なら銀メダルでさえ超人的なすごさだと思うだろう。

対して、その二位になった人は表彰台では笑顔を振りまいているが、悔しさで一杯のはずだ。

この一般人選手認識の差はなんだろうか。もちろん、理想の差なんだけど。

時たま、何かに突出してるようなすごい人に出会うけど、

そういう人ってある分野に対してものすごく理想が高いんだと思う。

もはや野望だ。貪欲に知識を吸収するし、もちろん努力もしてる。

そして、俺は意図的にその状態に持っていけるのではないかと考えてる。

その手段としては、理想の高い人に近づくことやその環境に身を置くことだ。

そこにしばらく身を置けば、大分成長するのではないか。

これはよく認識されている事項だとおもうけど、ちょっと説明する。

高校生でクソバカ共に囲まれれば、美容師などの大学で学べない分野を除いて、

専門学校が当たり前だろという感じになる。

例えば、絵が描きたいから専門学校に行こう、という。

これには美大に行けるほど頭は良くなくて、そんなくらいのバカでも通えるから、という消極的な前提が含まれている。

それで進学したその専門学校には同じような考えの奴らがいるから、さらにそんな価値観に侵されていく。

逆に藝大や武蔵美多摩美以外ありえないという環境に囲まれれば努力する下地が整って行くのではないだろうか。

ほかにも、非進学校なら専門学校fラン以外ありえない、

似非進学校だったら日東駒専未満はありえない、

ぼちぼち進学校だったらマーチ駅弁未満はありえない、

進学校なら旧帝大未満は人にあらず…などの「暗黙の線引き」がある。

本人がマーチも行きたいけど日東駒専でもいいやと思っているのなら、

それは日東駒専未満はありえないという線引きをしている。

からそいつはほぼ確実に日東駒専以下の大学に行くハメになる。

それは自分で納得できる暗黙の線引きに従ったから。

この、「⚪︎⚪︎未満(以外)はありえない」みたいな価値観内面化するのって成長の点において物凄く重要だと思う。

仮に超進学校から旧帝大以上に行けなくてクラスメイトからまれたとしても、

それをバネにして在学中に会計士などの超大型資格を取る人もいる。

そのようなものしか満たされないからだ。だけど、辛酸を舐めた分努力はできた。

から、⚪︎⚪︎上手くなりてえなあってのがあったら、その分野のガチ勢コミュニティに入って揉まれていくのが重要なんではないか。

英語ぺらぺーらになりてえ…と思ったら、ガチ勢サークルに揉まれにいく。

仮にTOEIC700しかなかったらもちろん蔑まれる。

英検一級、TOEIC900すら取れんとかありえないという価値観内面化する。それがバネになる。

よく自己啓発本ミッションステートメントとか願望を書こう、とかがあるが、

この暗黙の線引きを引き上げることの方が重要なんじゃないだろうか。

もちろんミッションステートメント否定するわけではないけど。

「思いのタネを撒き…」ってくだりが有名だけど、

この暗黙の線引きそこが思いのタネの正体なんだと思う。

暗黙の線引きと自分の現状を比べて、その線引きに満たなかったら、動く。

線引きのレベルと現状が同じなら、習慣にもならんし、努力もしないじゃんということ。

だって⚪︎⚪︎未満は自分にとってあり得ないんだし。⚪︎⚪︎を満たしているならもう動かないじゃん。

しか留意することが二点ある。

一つは単にファッションとしてその分野を触りたいと思うのであれば、

意識高い奴じゃなくて、「今日ベンチャー系のセミナーに出た。いい刺激になった」などと

Facebookでほざくただの意識高い系に成り下がるということ。

もう一つは、これは「自分の」成長の為に使うのであって、

他人を」見下すためにあるのではないということ。

あなたが持っている暗黙の線引きはどこにありますか。

2015-05-04

友達

僕は地元友達がいない。

僕の地元埼玉入間という街である入間は、まあ言ってしまえば埼玉田舎である。だが近年の都市開発により大きなアウトレットモールショッピングモールができ、急行に乗ってしまえば1時間もかから池袋まで行くことが出来るという、いわゆる郊外都市だ。僕はそんな入間という街で生まれ育った。

高校に進学する際、地元近辺の公立高校に行くか、東京私立高校に行くか二つの選択肢があった。迷わず僕は東京私立を選択した。理由は簡単。地元が嫌いだったかである地方都市独特の……と言えば「どこの街だってそうだよ」と批判が聞こえてきそうだが、同じような音楽映画を好み、同じような服装の人がたくさんいて、土日は車でショッピングモールに向かいフードコートチェーン店のご飯を食べる。そういったテンプレ化した入間住民になりたくなかったからだ。「全てこの街で完結する」という閉鎖されている雰囲気が大嫌いであった。このタイミングこの街を出ないと人生まらなくなる! と考えていた中学3年生。うん、まあとても拗らせていたんだ。

新宿の近くの高校に進学した。その高校大学附属高校ということもあり、様々な地域から生徒が集まっていた。どんな街に住んでいるのか、どんな友達が周りにいるのか……。中学生の頃同級生とそんな会話をするのは一切なかったので、とても新鮮だったことを覚えている。

高校進学後は、自然中学生時代友達と遊ばなくなっていった。その頃はFacebookなんてなかったので、中学生時代友達の近況を知る術はなかった。たまに、みんな何やってんだろうなと考えることはあっても、こちらから電話をして遊びに行こうなんてことはなかった。遊びに誘われても何かと理由をつけて断っていた。

高校3年生になって、また悩んだ。このままで良いのかと。

大学附属の高校ということもあり、学校に通ってさえいえればエスカレーター式で大学に進学できる。高校クラスメイトと喋ったり遊んだりしているととても楽しいしかし、大学に行っても4年間また同じ友達と一緒に学び、遊ぶなんて考えられなかった。バイト先の先輩に一般入試でその大学を受けた人がいて、附属の人は附属で固まっていてすごく話しかけずらいと言っていたのも背中を押した。そして僕は別の大学に進学した。また全然知らない、初めましての友達が増えていった。

中学高校の頃の友達とは、卒業以来誰とも会っていない。自ら選択したことに誤りはないと信じていたかである成人式も行かなかった。

だが大人になってふと思った。僕には長い時間を共にした友達がいないということを。

少し寂しくなって、Facebookを開いて同級生名前検索し、旧友たちのタイムラインを見てみた。

近況をアップしている写真コメントいいね! を押している人は、自分が知っている名前ばかりで大変驚愕し、さっとFacebookを閉じた。

閉じたその後、少し思った。「永久不滅な友情」を持つとはどんな感覚なんだろうかと。

GW地元に帰って友達と遊びます。と言う後輩を少し羨ましくなった、そんな今年のGWである

2015-05-02

パクリとかパクリじゃないとか著作権とかにネガティヴ感情が強くて執拗に気にしてしまうのは、

小学生の頃に友達の絵の描き方をパクったって言われて責められた後遺症かもしれないなとふと思った。

例えるなら少年漫画を読んでた奴が少女漫画も読み始めて、影響を受けて目が大きくなってまつげとハイライトちょっと増えたとか、

そういう絵柄の変化を「クラスの絵が上手い子の目の描き方をパクった!!」ってめちゃめちゃ糾弾された。

別にクラスメイトの絵柄を意識したりなんかしてなかったので衝撃だった。下手だから似せたって似るわけないし、自分では似てるとも思えなかった。

交換ノート(絵と文章)してる時も「この字自分で書いたの?」とか言われてたし、パクりそうな子だと思われていたのかも。

鈍感だったか全然気付けてなかったけど多分嫌われてた。交換ノートではぶられなかったのもヲチ対象だったからなんだろうな。

反論しても決めつけられて、どうしていいかわからなかったか

「こういう描き方なら大丈夫?」って 自分の描ける範囲で色々変えた絵柄を提示したんだけど結局どう解決したかは憶えてない。

「もういいよ死ねよ、余計なことするなよ」みたいな感じになったあとうやむやになったような気はする。

糾弾した方はもう忘れてるか、クラスの下手な奴にパクられてムカついた思い出として憶えてるかどっちかなんだろうな。

後者だったらなんだか申し訳ないけれど、でもパクってはいないんだ。信じてくれないのは仕方ない。

2015-04-17

バビロンのキマシタワー進化論2

小豆ちゃんとのチャットを切った後はしばらくボーっとしていた。

やっぱり気になってネットでいくつか検索してみた。

ゲルーググで「シコッテ・ネィロ」をググッてみると教団の始祖であることや、私が今まで聞いたことのある情報がでてくる。

小豆ちゃんの持っていた本のことや小説家であることなど一切でてこない。

スマホでも調べてみたが結果は同じだった。

スマホ・・・

見ているとなんだか学校のことを思い出して憂鬱になった。

年代の子たちはクラスでも部活動でも塾でも、それぞれのコミュニティーを築きあげている。

不登校気味になり、今ではボッチになったが中学に入った当初はそれでも何とか輪に入ろうと努力していた。

スマートフォン入学した時に生徒全員に配られるもの基本的に教団から支給品らしい。

ITリテラシーとか情報化社会がどうとか先生からいくつか説明されたがよくわからなかった。

入学式の日、家に帰ると祖母が入学祝だといってスマートフォンを私にくれた。

でも、スマホなら今日渡されたのがあるし2つもいらないなぁと思ったが祖母には黙っておいた。

久しぶりの祖母からプレゼントだったので凄くうれしかったのだ。

学校で渡されたのと微妙に型番が違う。

それ以外は見た目も画面もほとんど同じだったので祖母に貰ったほうを使うことにした。

しかし、数日たって何やら不具合がでるようになった。

学校スケジュールクラスメイトとのやり取りにはLINNE(リンネ)というアプリを使う。

クラスリンネグループに参加しようとすると何故か私は登録できなかった。

他にもノイズのような画面がチラチラでる時があった。

クラスでも私以外は皆LINNEで繋がっている。

そのうちクラスの中でもリンネでの話題が多くなると会話についていけず、困っていた。

なにより仲間はずれにされるのが嫌だった。

私は、祖母に故障かもしれないと相談してみた。そこで本当は学校支給されてることも打ち明けた。

すると祖母はなんだか複雑な表情でこう言った。

あらあら。それは故障ではないけど、とりあえず学校で配られたほうでもいいんじゃないかねえ。今はね…。友達大事よね。」

配布されたスマホに替えるとエラーが無くなったので、その時からおばあちゃんのスマホは机にしまっていた。

思い出すと何かひっかかる。今は…という言葉

もしかして何かわかるかもしれない。

私は机の引き出しかバッテリーが切れたスマホをとりだし、とりあえず充電機にさした。

つづく

バビロンのキマシタワー進化論3

2015-04-06

子供学校を休ませて旅行に行く親が理解できない

子供学校を休ませて家族旅行、あげくにはディズニーランドなどに行って笑顔クラスお土産を配る家庭まである。まったくもって信じられない。

学校を休んだからといって勉強が遅れるとは言わない。いくらでも復習はできる。そうじゃなくて、学校集団生活規律ルールを学ぶのも大事目的なのに、平然とズル休み子供に取らせるその神経が理解できない。

学校を休めるのは、体調不良病欠)、部活動課外活動の公欠、忌引き、などの理由のみである。それ以外はただのズル休みだ。こういう事を言うと、「旅行大事勉強だ」とか「子供休日に合わせて休みを取れない親はどうなるのか」とかワケの分からない反論をしてくる人がいる。

旅行大事勉強」、それは間違いない。行けるならなるべく行った方が見識も深まる。しかしズル休みをしてまで行く事を子に教えるのはいかがなものか。

子供休日に合わせて休みを取れない親はどうなるのか」、知らん。子供休日に合わせて休暇を取れないような職業についたあなた責任でしょ。あなた休みたければ有給をとればいい。それは法律でも社内規定でも認められたれっきとした「お休み」だ。しかし、学校旅行に行くために休むのは、どこにも認められていない。単なるズル休みである

親が平然とズル休み子供に教えたりするから、欠勤の報告をメールでしてきたり、平然と会社遅刻したり、就活で親を引きつれてくるような常識外れな若者が育つのだと思う。個性経験大事だが、それを大義名分にしてルールから外れていいというわけではない。社会や属する組織には、集団生活を送るためのルールや枠組みがある。それを守って、その上で個人を表現し、経験を重ねるべきだ。

百歩譲って休んで旅行に行ったとして、せめて子供に「本来は褒められた行いではない」という事を教えられない親は、親失格だと思う。丸々一週間くらい休んだ後に、何の遠慮もなくクラスメイトお土産を配りドヤ顔で思い出話をするような、そんな子供は、育てないようにしよう。

2015-03-15

いじめは「する側の問題」ではなくて「される側の問題」として捉えるべきだと思う

昨日、NHKいじめについて特集していた。おそらく例の川崎市事件を受けてだと思う。

このときニュースに限らないけど、いじめテレビで取り上げられるたびに、少し不思議な気持ちになる。それは「なんでマスコミは、いじめをそこまで大事だと捉えているのだろう」ということ。

自分は小中の9年間、いじめを受けていた。と言っても、そこまで深刻なものじゃない。

罵詈雑言を吐かれる、ランドセルのなかを捨てられて代わりに砂や犬の糞を詰められる、牛乳拭いた雑巾臭い)や一輪挿しの花瓶を机の上に置かれる、上履きのなかに折れたカッターナイフの刃が入っているとか、その程度。

殴られたり、刃物で斬りつけられたり、万引きしてこいって言われたりといった、例の事件被害者少年が受けていたような凄惨いじめ、身体的・金銭的な被害を受けるいじめほとんど受けていない。

以下、続く内容は、そんな自分いじめられた経験だけをベースにして考えている。

いじめって、そんなにオオゴト?

なんとなく「大事」って書くと紛らわしいので、以下「オオゴト」とカタカナ表記にする。

自分は、いじめをオオゴトと捉えている人の感覚が分からない。

なぜかと言うと、いじめなんてどこにでも転がっているものだと思うから

世の大半の人は「いじめ」を「オオゴト」だと考えていると思う。だからいじめが「オオゴト」にならないと誰も目を向けようとしない。生徒が自殺したり、家出したり、不登校になったり、罪や事件を犯してしまったりしないと、誰も目を向けない。

でも、その「オオゴト」に至るまでに、小さないじめ」が毎日積み重ねられていて、その積み重ねこそが問題なのは当然の話。

以下、その「いじめなんて、オオゴトじゃない」と感じる根拠について。

▼「していいことと、しちゃいけないことを教える」だけで、いじめはなくなったりしない

たとえば「していいことと、しちゃいけないことを教えるべき」という意見があると思う。テレビのなかでも、ツイッターでそう投稿している視聴者意見が流れていた。

でも、それはいじめをなくすことにはつながらないと思う。なぜなら「どんな行為であっても、それはいじめにつながり得る」から

これは実際の自分の例だけど、小学校3年生のあるとき、物凄く機嫌が悪い日があった。

その日、少し寝坊して親に叱られて、学校では自分に非がないことで先生に叱られて(後にそれが判明して先生謝罪してもらったけど)、などなど、嫌なことが立て続けに起こった。

そして給食時間、仲がどちらかと言えば悪い(でも、自分いじめてきたことはない)クラスメイトから「お前、ホント国語ダメだよな」的なことを言われた。その前の時間国語テスト返却があり、その点数が悪かった。

別にクラスメイトは、そこまで酷いことを言った感じではなかったのだと思う。単純にちょっとからかってやろう程度だったんじゃないかと。

でも、頗る機嫌の悪かった自分は、それをうまく受け流すことができずに、たぶん「だったらどうした」「お前よりマシだ」みたいなことを言い返してしまったんだと思う。正直よく覚えていない。

そのあと、殴り合いの喧嘩になった。そしてそれ以降、そのクラスメイトからいやがらせが何度かあった。

この経験を後から振り返って、自分は「どんなに些細な一言行為であっても、受け手側の心理状態によってはいじめ(の発端)になり得る」ということを知った。もちろん「お前の我慢強さが足りないだけだろ」と言われれば、それもあると思う。昔は確かに沸点が低かった。でも、どんなに沸点が高い人でも、同様のことは起こり得るとも思う。

これが「いじめなんて、オオゴトじゃない」と感じる理由

いじめは、どんな些細なことが原因となっても起こり得る。だからいじめ=オオゴト」だと考えて向き合っていると、いじめの本当の原因(日々積み重ねられる些細な言葉や行動によるダメージ)を見落とすことになると思う。

▼「いじめ撲滅」という言葉に対する違和感

いじめは「撲滅するもの」ではないと思う。

そもそも、いじめを撲滅することは不可能だと思う。先述したように、どんな言葉行為であっても、それは「いじめ」につながり得るから。それこそ褒め言葉でも、相手の心理状態によっては嫌味に聴こえたりするように。

あと、どうでもいいけど、いじめ「撲滅」って言うと、なんか「いま起こっているいじめを一掃する」ってニュアンスに聴こえる。つまりいじめが起こってから対応する」という事後対応イメージ対応としてあんまり正しい気がしない。

それなら「防止」が良いのだろうか? そうでもないと思う。防止することも同じ理由不可能だと思うから

個人的必要だと思うのは「耐性」をつけること。「免疫」と言っても良い。つまりいじめ」は、誰もが受ける可能性があるものと考えて(誰もが風邪をひくみたいに)、そのための耐性・免疫をつけておくことが重要だと思う。

いじめは「する側の問題」ではなくて「される側の問題」として捉えるべきだと思う

まとめ。

いじめは「する側の問題」ではなくて「される側の問題」として捉えることが重要だと思う。

なぜなら「どんな些細なことでも、いじめ(の萌芽)の原因となり得る」からいじめる側を教育したり矯正したりしてもあんまり意味がない。いくら綺麗な言葉や行動であっても、言われた側・やられた側の心理状態によって、それはいじめになり得るから

からいじめは「される側の問題」と考えて、誰もが「される側」になっても大丈夫なように、耐性・免疫をつけてもらうことが大事だと思う。

「される側に耐性がないのが悪い」ということを言いたいわけじゃない。もし「される側」になってしまったとき、堪えられるようになっておこうということ。

「じゃあ、それをどうやるんだ」と言われると、なんにもアイデアないから、言いっぱなしになって終わってしまうのだけど……。

2015-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20150302084420

初体験がちょうど10月5日だったので書いていきます

俺は冴えない高校生だった。女子とはほとんど喋らないし、恋愛経験もない。当然、高校卒業時に俺は童貞だった。

そうはいってもクラスで浮いてると言うほどでもなかったから、普通にクラス打ち上げには呼ばれたし、そこでワイワイしていた。

打ち上げボーリング中、クラス1の美少女が、自分がまだメールアドレスを知らないクラスメイトメアドを訊いて回っているのに気付いた。

俺も訊かれるかなあと思っていたら訊かれて、めちゃくちゃ笑顔で教えたと思う。

その晩、その子からメールが来た。

他愛もない話をしてるうちに、なぜか明日おもちゃ屋で会うことになってしまった。

まりに話が急展開だったから、俺も半ば混乱していたと思う。

約束時間玩具屋に行って、2時間くらい談笑した。

から俺に興味があったと言ってくれて、本当にうれしかった。

だんだんの子下ネタに話を振ってくるようになり、ヒートアップしたところで、

ふと、その子玩具を指さして言う。

「あれ何か知ってる?」

知らないと答えると、

オナホだよ」

俺は動揺していた。

の子は笑いながら、

「入ってみる?」

と聞くので、これは一生に一度のチャンスだと思い、入ると答えた。

そのあとはもう想像の通りです。

初体験の相手はクラス美少女だった

初体験がちょうど5年前の3月2日だったので書いていきます

俺は冴えない高校生だった。女子とはほとんど喋らないし、恋愛経験もない。当然、高校卒業時に俺は童貞だった。

そうはいってもクラスで浮いてると言うほどでもなかったから、普通にクラス打ち上げには呼ばれたし、そこでワイワイしていた。

打ち上げボーリング中、クラス1の美少女が、自分がまだメールアドレスを知らないクラスメイトメアドを訊いて回っているのに気付いた。

俺も訊かれるかなあと思っていたら訊かれて、めちゃくちゃ笑顔で教えたと思う。

その晩、その子からメールが来た。

他愛もない話をしてるうちに、なぜか明日河川敷で会うことになってしまった。

まりに話が急展開だったから、俺も半ば混乱していたと思う。

約束時間河川敷に行って、2時間くらい談笑した。

から俺に興味があったと言ってくれて、本当にうれしかった。

だんだんの子下ネタに話を振ってくるようになり、ヒートアップしたところで、

ふと、その子が川の向こうのビルを指さして言う。

「あれ何の建物か知ってる?」

知らないと答えると、

ラブホだよ」

俺は動揺していた。

の子は笑いながら、

「入ってみる?」

と聞くので、これは一生に一度のチャンスだと思い、入ると答えた。

そのあとはもう想像の通りです。

高校卒業の次の日に童貞卒業したのでした。

しかし結局その子とはそれっきり会うことも連絡を取ることもなかったけど。。

あれから5年。

1年浪人して、なんとか私文に合格し、卒業も決まり内定も取れた。

あれから5年ですよ。信じられないな。

2015-03-01

「解ってる、この漂う世界は/一時的な輝きに過ぎないんだ」

もう二十年以上前の話だから時効ということで許して貰えるだろうか。実は私は生首を運んだことがある。十七歳の時のことだ。

その日真夜中に『2001年宇宙の旅』を観た私は、感激のあまり外に飛び出し線路沿いの道を歩いていた。夜空に煙草押し付けて穴を開けたような月が空に輝き、灰色線路が鈍く輝いていた。

既に路線の運行は終わっていたので、私の足取りも勢い大胆になる。私はいしか線路の真ん中を歩いていた。すると私は、線路沿いの側溝に黒いものが落ちていることに気がついた。

それはクラスメイトのヨーコの生首だった。ヨーコが線路に飛び込み自殺したという話は聞いていたが私は普段は列車を使わないし、ヨーコとも特に仲が良くなかったので自殺の話はそのまま忘れてしまっていたのだ。

初めて私はヨーコの生首を見た。切断面は粗く踏み潰されたようにぐちゃぐちゃになっており、辛うじて骨と分かる部分が肉色に染まりながら白く光っていた。生首に手を触れてそれを拾い上げる。手ににちゃにちゃと脂と血がついたのだがそれは構わなかった。

ヨーコは目を閉じていた。土で汚れていたが未だ生命力を誇示するかのようにストレートな髪が私の腕をくすぐった。頬は奇跡的に綺麗なままでその象牙のように白い肌を光らせていた。

閉じられた瞼に目をやったところ、生首も瞼を開けた。死んだ魚のように濁っていた。生首は口を開いた。

ミツバチ君じゃない。

こんばんは。ヨーコだよね。

呼び捨てにしないで、とヨーコは言った。そんなに仲が良かったわけでもないでしょう?

はいはい。ヨーコさん、こんばんは。

私は生首を私の首の高さに掲げた。面と向き合う形にしたかたからだ。結構人間の生首というものは重いんだな、と思ったことを思い出す。

ミツバチ君、こんな遅くまで何をしてるの?

さっき『2001年宇宙の旅』を観たんだ。最高だったよ。

私とヨーコの間には、改めて言うが何の付き合いもなかった。せいぜいフリッパーズ・ギターモーマスCDを貸し借りした程度の仲だった。

ねえ、それより私を運んでくれるかしら、とヨーコは言った。

どこへ?

沼まで。私が案内するわ。

その言葉に従って、私は生首を胸のところで抱きかかえて歩き始めた。

ヨーコはその角を右に、左にと指示していく。私はその通りに歩いた。私たちはどんどん線路から外れていく。家に無事に戻れるんだろうか、と心配になった。

やがて私たちは町の外れの森に辿り着いた。既に道は舗装されておらず、土が茶色く光っていた。

森の中に入ると、道の両側から立っているクヌギがその幹を誇示してどこまでも高く伸びていた。森は腐葉土特有の芳醇な匂いに満ち充ちていた。そしてその頂点にある四方八方に伸びた枝から生えた葉が頭上の月を丁寧に隠していた。僅かな月光を頼りに二人で歩いた。

ヨーコは言った。ねえ、ミツバチ君。

どうしたの?

さっきはごめんね。呼び捨てにしないでって。

こっちこそ呼び捨てにしてごめん。確かに僕らってそんなに仲良くなかったよね。

ミツバチ君のことは気に入っていたのよ。告白しようかって思ったこともあった。

そうなんだ。

から思い出せば私はあの頃は恋愛特に興味を持って居なかった。好きに音楽を聴いたり本を読んだり出来れば幸せだったのだ。だから異性の私に対するそうした反応に対しても私は極めて鈍かったのだろう。

今度は私から尋ねた。ヨーコさん。

何?

死ぬってどんな感じ?

ヨーコは少し目を閉じた。しばらく黙りこくったうちに、ごめんね、と言った。脳が痺れてうまく考えがまとまらないの。

分かるような気がするよ。

私たちはどんどん森の内奥へと入っていく。それはまるで陰部をどこまでも探るような淫靡な試みだった。森の中を彷徨私たちの足取りに到達点などあるのだろうかと不安になる一方で、月をやがて覆い隠すクヌギの森の葉が濃くなってきたことに興奮を覚えた。

ヨーコは言った。生きていた頃のことが全部夢だったみたい。

途方もない夢だね、と私は言った。十七年間も続いたんだから

そうよね。本当にね。

私たちはそのようにして森を小一時間ほど歩いて、ヨーコの言っていた沼に辿り着いた。表面が鰻のように黒くぬめっていて、おぼろげに月が反射していた。

中に沈めて、とヨーコは言った。

いいの?

いいわよ。私泳ぐのが好きだったから。

そこで私はヨーコの首を沼の中に漬けた。最初は浮かんでいた首はやがて水の中に沈んでいき、上方に漂う髪の毛が藻のように揺らいでいたがそれもまた沈んでいった。彼女が浮かべる細かな泡が後に残った。私は帰ることにした。

森の中は相変わらずどこかじめじめと湿り気を帯びており、土を踏む私の足は時々剥き出しになっている石に躓いて転びそうになった。途中で小動物らしきものが立てるかさかさとした物音が聞こえた。私は森の中をどこまでも歩いた。

死ぬってどんな感じなんだろう? そんなフレーズヴィーナスペーターの歌にあったことを思い出した。「死ぬって何だろう?/解ってる、この漂う世界は/一時的な輝きに過ぎないんだ」……。

私は家に着き、窓から二階の自室に入り込んでそして眠った。クヌギの木の匂い彼女の首の匂いは朝になっても残っていた。

今でもヨーコのことを思い出す。つい最近休暇が取れたので私はあの沼に行き、追悼の言葉を呟いて戻って来た。何故かは分からない。ただ、そうしなければいけない気がするから、そうして来た。それだけだ。

2015-02-24

人生で犯した過ち

皆、自分悪事は誰にもバレなければ大丈夫と思っているかもしれないけど、

人生で行った全ての悪事というのは、

小さいモノから、大きいモノまで、全てエンマ様の帳面に書かれているんだよ。

守護霊っているでしょ。

守護霊は、自分悪事を全部しっているし、嘘付けないんだよ。

ある出来事で、自分が何を思い、どんな行動し、その行動が、どんなふうに人々に影響を与えていったか

守護霊世界では、全て見えているんだよ。

から自分を騙すことは出来ないし、正直に、自分が犯した罪を見つめて、人生の速い段階から罪の償いをした方がいいよ。

ちなみに自分は、自分人生で犯した罪を紙に書き出して整理・把握している。

それで、その罪が償われるように日々、生きている。

幸な事に、私の今生の人生では、それほど大きな罪は犯していない…。

例えば、12歳の時、●●さんが大切にしていた花瓶を割ってしまったけど、怒られると思って黙っていた、とか。

小学校の時、クラスの▲▲さんがクラスメイトに苛められていたけど傍観していた、とか、

あと、もうちょい、ダメなやつがあるけど、代替は、小さい事ばかりで良かったと思っている。

おおむねの過ちは、無知な10代までにやらかした事で、20代から殆ど、罪悪感の感じるような悪事は犯していない。

20代になってからやらかした大きな過ちと言えば、ユーチューブとかで無断UPロードかもしれない動画を見てしまったことだ。

人生理不尽に人にてキレた(怒鳴った)事は1回だけだし、これも、ストレスが異常な程溜まりまくっていた時期だし、どうしようもなかった…。



誰にもばれていないと思って安心していても、

過ちがあると、天使は助けてくれないし、運もついてこないんだって

から、見えないところで善行をした方がいいよ。天使は、善行を積む人を助けてくれるんだって。これ、ホントの話。

自分守護霊が言ってるから

2015-02-21

瞑想って

最近よく瞑想って聞くけど

  • ボーっとしてるだけと思ったらものすごく時間が飛んでる
  • ボーっとしてるだけと思ったら空から自分を見てる

一方本体のほうでは

  • からよだれをたらしながらアーウー言いつつ瞳孔が開いてる(証言
  • 何かの角に渾身の力で額を打ち付け続ける(証言
  • なんかやらかしてる(気づいたら血だらけ

みたいになる現象

小学生20歳くらいまでよくなってた。

一人の時が多かったからなんとかなったけど、たまに学校でなると大騒ぎだった。

クラスメイトなどの発見者にはわざとしてみただけなんて言ってごまかしたりして病院も行ってない。


しかし、このままだと永遠にあっちにいったまま戻れなくなると思って。

ボーっとしないように、アレにならないようにずっと気を付けてるけど、ずっとこっちにいなきゃいけないってのも、疲れる。

もしもアレが瞑想だとしたら、家族や友人ののある人はやめたほうがいいかもしれない。

でもアッチはすごく幸せなのでお勧めしたい気持ちもある。。

ずっと二重人格だったのかなっておもってたけど、瞑想・・・?なのかな。

 追記

なるほど、てんかんだったみたいですね。

 

あの感じがしたらああならないように気を引き締めればあっちに行かないようにできると思っていたが、実際は制御できてなかったのかもしれない。

30年前にプリントアウトすれば治療もしたかもしれんが、もう20年も症状が出ていないので病院には行きにくい。

それにしても増田さんたちはすごいですね。なんでもわかる。

2015-02-17

Kについて

中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校出身でした。

彼女一人っ子で、父親は転勤しており、母親共働き

祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事などをしていました。

彼女の部屋にはゲームおもちゃも多く、私から見て彼女の家は裕福でした。

彼女勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。

彼女自分がこんなにもがんばった、こんなにもうれしかった、

こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。

そのほかにも、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、私はそれらの話を楽しんで話を聞きました。

彼女は「なかよし」をつくってその子しか遊ばないような子でした。

私はそれは嫌でしたし、ちょっと世界の狭い奴だなと思っていました。

私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。

しかし、気づいていない振りをしていました。

理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶交宣言を受けました。

私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。

一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。

しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。

具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手彼女を見下していました。

私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人自分を比べていました。

体育の時間、ペアを組むとき彼女はお願い、私を選んで!と泣きそうな目で私に訴えていました。

しかし他の子に誘われた私はその子とペアを組みました。彼女はそう言う時、たいてい私の前では何でもないという顔をしました。

わたしが彼女をえらばないとき、いつも不服そうでした。

彼女から一緒にやろうよと誘われる事はありませんでした。私はそれらの事がひそかに嫌でした。

けれど私は、彼女の傷にぶしつけに触れる事もしませんでした。

私たちはこのとき、多くの時間をともにし、二人でしかさないような事をお互いたくさん喋りましたし、

傍目からはまるで親友のようでしたが、ほんとうに理解し、さらけ出し心から共感し合う事はなかったなと思います

私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「今は風景が綺麗なんだから、黙ってれば良いのに」と思いました。

それは彼女のそういった言動が常に第三者意識したものでありつづけるからでした。

彼女は時には、比べる対象が私であることもありました。

彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」

私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。

しかし「へえ、そう思うの。」と

返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。

Kと私は同じ高校に行きました。

そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。

先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。

◯◯◯とは、ある特殊職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、

将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)

Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。

Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。

私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。

掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、

と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。

そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。

ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。

それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうがもっと醜い、Kを支配しているのは私、

お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、

それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。

私は自己嫌悪に陥り、その日からKと一切喋れなくなりました。

Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり

高校生活でKと必要以上に会話する事はありませんでした。

私はそのまま高校卒業して、地元を離れました。

私は地元を離れて、自分自身人間に対して不信感にまみれていることを知りました。

生来明るいので友達はすぐに出来ました。

しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。

根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリ世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。

一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。

最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分マイノリティである気づきました。

私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるもの自分価値を見いだしていた事、

Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分気づきました。

しかしそれはおそらく、自意識自我オナニー排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。

そして私はKを否定批判もしてきませんでした。

ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。

私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。

同時に、色んな人と話す事で病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、

つの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。

病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。

そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。

Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、

親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、

Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。

彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。

私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己不安定で問題対処の仕方に問題がある」

と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。

Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。

Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。

私も同じ職業でしたが、その仕事本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。

連絡をとったのは私でした。

私は正月地元でKに会うと、学生時代のことを謝罪しました。

嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考自分が許せなかった。

事実は少し違いますがそう伝えました。

Kはあのとき私に無視され、精神不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。

しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンション半同棲で済んでいること、

仕事毎日忙しいけれど充実していると。

私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。

私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。

長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。

そのあと高校友達も呼んで、私の実家飲み会を開きました。

Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。

いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、

みんなすごいね、さすがだね、と言います

Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトバカにしていました。

言葉ではっきりバカにするとは違います

「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」

Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。

母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、

kはありかわらず勘違いをしているんだなあいぼんやりした思考とともに、

私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。

Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。

それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。

私はこういう感情嫉妬しかなく、無駄しかないと信じ、仕事に打ち込みました。

Kからは数年に一度程度メールが来ました。

内容は毎回、いまの自分仕事は大変である

そっちはいまどうなの?という内容でした。

はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。

彼氏と一緒にいるときに、Kからメールが来ました。

「あ、Kからだ…学生時代友達なの」

メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。

メールを見た私の反応を見て、彼氏が聞いてきました。

「その友達のこと、好きなの?」

思いがけない質問でした。

Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。

感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。

でも、嫌いな面もありました。

2人でいうととても素直なのに、

3人になると2人で私の意見批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。

私がKをバカにする人間だと思っているところ。

人を無意識に格付けしているところ。

本当は人を信用できていないところ。

でもそんな自分に気付いていないのか…よくわからないところ。

私はなんにも言えずに泣いてしまいました。

病んでいる子たちは、私を求めてきました。

なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。

Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。

しかしKと話すと、いつもどこかでこの人は綺麗な言葉だけを並べているのだと思っていました。

ほんとうは、がんばっていない自分には価値がないと感じているのだと。

小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親浮気現場を見て、

年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーひとつしかない最新のゲーム達と。

祖母宅に住んでいる自分叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、

私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ

あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。

私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。

Kについて。

2015-02-14

Kについて

中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校出身でした。

彼女一人っ子で、父親は転勤しており、母親共働き

祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。

ゲームおもちゃも多く、私から見て彼女の家は裕福でした。

彼女勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。

彼女自分がこんなにもがんばった、こんなにもうれしかった、

こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。

実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。

彼女は「なかよし」をつくってその子しか遊ばないような子でした。

私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。

私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。

しかし、気づいていない振りをしていました。

理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。

私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。

一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。

しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。

具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手彼女を見下していました。

私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人自分を比べているのを感じていました。

なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、

頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。

私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。

私たちはこのとき、二人でしかさないような事をお互いたくさん喋りましたし、

傍目からはまるで親友のようでしたが、自分彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います

私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。

それは彼女のそういった言動が常に第三者意識したものでありつづけるからでした。

彼女は時には、比べる対象が私であることもありました。

彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」

私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。

しかし「へえ、そう思うの。」と

返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。

Kと私は同じ高校に行きました。

そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。

先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。

◯◯◯とは、ある特殊職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、

将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)

Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。

Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。

私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。

掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、

と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。

そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。

ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。

それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうがもっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、

それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。

私は自己嫌悪に陥り、その日からKと一切喋れなくなりました。

Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり

高校生活でKと必要以上に会話する事はありませんでした。

私はそのまま高校卒業して、地元を離れました。

私は地元を離れて、自分自身人間に対して不信感にまみれていることを知りました。

生来明るいので友達はすぐに出来ました。

しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。

根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリ世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。

一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。

最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分マイノリティである気づきました。

私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるもの自分価値を見いだしていた事、

Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分気づきました。

しかしそれはおそらく、自意識自我オナニー排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。

そして私はKを否定批判もしてきませんでした。

ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。

私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。

二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。

普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分さらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、

ただ、自分自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。

ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。

同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、

つの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。

病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。

そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。

Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、

親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、

Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。

彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。

私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己不安定で問題対処の仕方に問題がある」

と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。

Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。

Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。

私も同じ職業でしたが、その仕事本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。

連絡をとったのは私でした。

私は正月地元でKに会うと、学生時代のことを謝罪しました。

嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考自分が許せなかった。

事実は少し違いますがそう伝えました。

Kはあのとき私に無視され、精神不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。

しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンション半同棲で済んでいること、

仕事毎日忙しいけれど充実していると。

私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。

私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。

長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。

そのあと高校友達も呼んで、私の実家飲み会を開きました。

Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。

いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、

みんなすごいね、さすがだね、と言います

Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトバカにしていました。

言葉ではっきりバカにするとは違います

「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」

Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。

母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、

kはありかわらず勘違いをしているんだなあいぼんやりした思考とともに、

私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。

Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。

それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。

私はこういう感情嫉妬しかなく、無駄しかないと信じ、仕事に打ち込みました。

Kからは数年に一度程度メールが来ました。

内容は毎回、いまの自分仕事は大変である

そっちはいまどうなの?という内容でした。

はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。

彼氏と一緒にいるときに、Kからメールが来ました。

「あ、Kからだ…学生時代友達なの」

メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。

メールを見た私の反応を見て、彼氏が聞いてきました。

「その友達のこと、好きなの?」

思いがけない質問でした。

Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。

感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。

でも、嫌いな面もありました。

2人でいうととても素直なのに、

3人になると2人で私の意見批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。

私がKをバカにする人間だと思っているところ。

人を無意識に格付けしているところ。

本当は人を信用できていないところ。

でもそんな自分に気付いていないのか…よくわからないところ。

私はなんにも言えずに泣いてしまいました。

親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。

相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、

鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。

病んでいる子たちは、私を求めてきました。

なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。

Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。

しかしKには、高い自己愛がありました。

がんばっていない自分には価値がないと感じているのだと。

小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親浮気現場を見て、

年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーひとつしかない最新のゲーム達と。

祖母宅に住んでいる自分叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、

私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ

あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。

私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。

Kについて。

2015-02-13

Kについて

中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校出身でした。

彼女一人っ子で、父親は転勤しており、母親共働き

祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。

ゲームおもちゃも多く、私から見て彼女の家は裕福でした。

彼女勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。

彼女は今思えば寂しかったのでしょうか。彼女自分がこんなにもがんばった、こんなにもうれしかった、

こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。

実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。

彼女は「なかよし」をつくってその子しか遊ばないような子でした。

私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。

私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。

しかし、気づいていない振りをしていました。

理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。

私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。

一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。

しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。

具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手彼女を見下していました。

私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人自分を比べているのを感じていました。

なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、

頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。

私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。

私たちはこのとき、二人でしかさないような事をお互いたくさん喋りましたし、

傍目からはまるで親友のようでしたが、自分彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います

私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。

それは彼女のそういった言動が常に第三者意識したものでありつづけるからでした。

彼女は時には、比べる対象が私であることもありました。

彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」

私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。

しかし「へえ、そう思うの。」と

返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。

Kと私は同じ高校に行きました。

そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。

先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。

◯◯◯とは、ある特殊職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、

将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)

Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。

Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。

私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。

掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、

と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。

そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。

ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。

それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうがもっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、

それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。

私は自己嫌悪に陥り、その日からKと一切喋れなくなりました。

Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり

高校生活でKと必要以上に会話する事はありませんでした。

私はそのまま高校卒業して、地元を離れました。

私は地元を離れて、自分自身人間に対して不信感にまみれていることを知りました。

生来明るいので友達はすぐに出来ました。

しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。

根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリ世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。

一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。

最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分マイノリティである気づきました。

私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるもの自分価値を見いだしていた事、

Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分気づきました。

しかしそれはおそらく、自意識自我オナニー排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。

そして私はKを否定批判もしてきませんでした。

ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。

私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。

二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。

普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分さらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、

ただ、自分自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。

ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。

同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、

つの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。

病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。

そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。

Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、

親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、

Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。

彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。

私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己不安定で問題対処の仕方に問題がある」

と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。

Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。

Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。

私も同じ職業でしたが、その仕事本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。

連絡をとったのは私でした。

私は正月地元でKに会うと、学生時代のことを謝罪しました。

嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考自分が許せなかった。

事実は少し違いますがそう伝えました。

Kはあのとき私に無視され、精神不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。

しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンション半同棲で済んでいること、

仕事毎日忙しいけれど充実していると。

私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。

私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。

長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。

そのあと高校友達も呼んで、私の実家飲み会を開きました。

Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。

いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、

みんなすごいね、さすがだね、と言います

Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトバカにしていました。

言葉ではっきりバカにするとは違います

「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」

Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。

母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、

kはありかわらず勘違いをしているんだなあいぼんやりした思考とともに、

私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。

Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。

それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。

私はこういう感情嫉妬しかなく、無駄しかないと信じ、仕事に打ち込みました。

Kからは数年に一度程度メールが来ました。

内容は毎回、いまの自分仕事は大変である

そっちはいまどうなの?という内容でした。

はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。

彼氏と一緒にいるときに、Kからメールが来ました。

「あ、Kからだ…学生時代友達なの」

メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。

メールを見た私の反応を見て、彼氏が聞いてきました。

「その友達のこと、好きなの?」

思いがけない質問でした。

Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。

感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。

でも、嫌いな面もありました。

2人でいうととても素直なのに、

3人になると2人で私の意見批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。

私がKをバカにする人間だと思っているところ。

人を無意識に格付けしているところ。

本当は人を信用できていないところ。

でもそんな自分に気付いていないのか…よくわからないところ。

私はなんにも言えずに泣いてしまいました。

親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。

相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、

鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。

病んでいる子たちは、私を求めてきました。

なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。

Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。

しかしKには、高い自己愛がありました。

がんばっていない自分には価値がないと感じているのだと。

小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親浮気現場を見て、

年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーひとつしかない最新のゲーム達と。

祖母宅に住んでいる自分叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、

私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ

あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。

私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。

Kについて。

2015-02-12

今週のジャンプの斉木楠雄のΨ難について

読んだ瞬間え???これいいの???と思った。

内容をざっくり言うとクラスメイト熱血漢もしかしてゲイなんじゃないかと疑う

主人公の友人2人がその熱血漢を隠れて観察するという内容。(主人公は一連の流れを見てる)

友人2人の行動は完全にホモゲイ)を馬鹿にする思想の行動だし

作品全体からホモネタにしていい、笑い物にしていいという思想が見える。

ワンピースであんなにオカマ表現に対して騒いでたのに

ツイッター検索してもあんまり問題視している人はいないし

ホモネタワロタwwwていう人の方が多い。

少年向けなんだからギャグマンガからいいじゃんてレベルには

見えなかった。

2015-02-09

ごちうさをつまらないと言ったら人格否定された

クラスメイト(♀)がごちうさ2期楽しみだって言っててウルサイなと聞き流していたが、

ごちうさ面白いよねって同意を求められたから正直に、

「あんなの何が面白いのか分からない。

開始10分でゴミアニメだと分かった。

2話で切った。

だいたい見始めたのだって

明治時代タイムスリップした主人公が、

歴史改変のために喫茶店をやる話だって聞いていて、

ホラ吹きまれたわけだが)

奇抜な発想だなと思ったからだし。

俺個人の好みを置いておいても、

日常系にしては喫茶店というのは非日常的な空間だし、

純粋萌え豚のエサとしても、キャラデザがかわいくない。

一体何を狙って作った作品なのかさっぱり分からない」

と、つとつとと語ったら泣かれた。

ガキじゃあるまいし、勝手しろと思って放置したら、

女子グループに包囲されて、非難轟々の集中砲火。

こういう時の女子コミュニティISIS並に恐い。

首は切られなかったが、キモイ臭い、将来ハゲる、死ぬまで童貞

などの鋭利言葉ナイフ心臓をえぐられた。

思うに、言葉暴力DV認定される動きらしいし、

こういう場合に男が女を殴るのも合法化されるべきだろう。

マジウザい。

2015-02-05

諸行無常

大学に入って1人のクラスメイトと、学祭の準備を通して仲良くなった

友達としても仲良くなりたかった…というのもあって

お互い準備で色々張り切った。色々遊んだ。色々積もる話もしてきた。

しか学年末に少し揉めた時、クラス友達として仲良く…と言われる。

連絡を取ろうとしても、それ以来音信不通の一路をたどっている。

今までしてきた事は一体何だったのか、強い虚無感に苛まれる。

本当は、相手にはここまでの意図はないのかもしれない。

少し考えすぎな部分も否定はできない。

それでも、心の奥底から忽然と消えた灯火を追い求める自分の姿が

いかにどうしようもなくもどかしくて、醜いか。

ほんの少しでも入り込んだ人間関係が、苦手で、恐怖だ。

2015-01-29

渇き。』の小松菜奈天使

 今さらながら、中島哲也監督の『渇き。』を観た。

 Cinemascapeでもみんなのシネマレビューでも酷評であったため、あまり期待はしていなかったが、割と楽しめた。

 魅力的な作品であるが、酷評も納得の問題点散見されたため、それらを論じつつ、それでもみんな『渇き。』観た方がいいよ!!ということを論じたい。

 以下、ネタバレなし。

 まずあらすじを書く。大まかに言うとこの映画は、主人公の娘加奈子に魅入られた2人の男が、その魅力と狂気に狂わされていく過程を描いた話である

 1人目の男、藤島役所広司)は、加奈子の父親である藤島は勤めていた警察を辞めた上、加奈子母親離婚し、自堕落生活を送っている。ある日別れた妻桐子から連絡があり、曰く加奈子覚せい剤を部屋に遺して失踪したという。藤島加奈子行方を追う過程で、加奈子が周囲の人間を魅了し、売春グループに引きずり込んでいたことを知り、闇社会の抗争に巻き込まれていく。

 2人目の男、「ボク」は、加奈子クラスメイトである学校いじめられている自分を影で救ってくれる加奈子に想いを寄せており、加奈子はこの想いを利用して「ボク」を売春グループに引きずり込んでしまう。心身ともにボロボロとなった「ボク」は、加奈子への変わらぬ想いを抱きながら、加奈子復讐を果たそうとする。

 この映画は、この2人の男の視点を通して、加奈子は今どこにいるのか、加奈子はなぜ闇社会の抗争の中心となっているのか、売春グループ目的は何か、といった謎を解明していくものである

 演出で特徴的なのが、上映時間ほとんどが、藤島暴力を振るうシーンと、加奈子がその魅力を振りまくシーンで占められている点である藤島関係者暴力を振るい、罵声を浴びせ、時にはレイプしながら謎を解き明かしていく。一方加奈子は周囲の人間をその美貌と言動で魅了し、闇の社会に引きずり込んでいく。

 その上で、この映画酷評されている点をまとめると、以下のようになる。

(1) 結末まで観ても話がよく分からない

 この批判は非常にもっともな指摘で、この映画は全部が万事、藤島暴力加奈子の魅力だけで語られるものであるから言葉による説明がほとんどなされない。そのため、加奈子ヤクザ、不良グループのそれぞれの狙いがどう交錯しているのか非常に分かりにくくなっている。おそらく監督の狙いとしても、この辺は説明する気がなさそうな感じ。

 ただまぁこの点はネットで解説記事がいくらでも上がっているので、そこを読んでいただければ解決できるのでご容赦いただきたい。筆者は映画の途中、暴力シーンの連続に飽きてきたところで解説記事を読んで大体の構造を把握してしまった。結果的にそれで良かったと思う。

(2) 暴力シーンの連続に疲れてしま

 この批判もごもっともなところで、観客は2時間ずっと登場人物各人の暴力を見せ付けられることになる。殴る蹴る、ナイフで刺す、銃を撃つ、車で轢く、レイプする、建物の屋上から突き落とす、プールに沈めて出てこれないようにする、耳を切り取る、顔に傷を付ける、腹をかっさばいて内臓を踏みつける等々等々、さまざまな趣向を凝らしてくるが、その都度緊張を強いられるため、観てる側はひどく疲れてしまう。

(3) 何が言いたいのかよく分からない(主題は何か)

 観客は、よく分からん話を2時間も見せ付けられた挙句暴力シーンの連続に散々痛い思いまですることになる。そうしてほうほうの体で家に帰った(またはDVDを取り出した)後、考える。「一体あの映画は何を言いたかったんだろう?」と。観客としては大変な思いをさせられたのだから、観終わったあとに心に残る、人生の糧になるような教訓を得たいと感じるものである

 しかしこの映画主題なんてない。監督は、徹底した暴力シーンと加奈子の魅力を描きたかっただけで、そんなものクソ喰らえと思っているに違いないのである(断定)。映画主題を求める人は、ここで躓いてしまうかもしれない。

(4) 結末(加奈子の在り処)に納得がいかない

 この映画では、加奈子の居場所がきちんと明確に示される。しかしそれが、なんというか、えー、そんな端役に、えー?という感じなのだネタバレ配慮した表現)。これはもう上記瑕疵が許せる筆者でもあまり納得がいかなかった、というかもうちょいふさわしい結末があったような・・・。

 そんな感じで、酷評ポイントの多い本作であるが、それでも筆者がこの映画を愛してやまないのは以下の理由による。

(1) 加奈子死ぬほどかわいい

 これである監督の前作『告白』もそうであるが、監督は謎めいた女の子を撮らせるとめちゃくちゃうまい。周囲を魅了して悪の道に引きずり込む女性といえば東野圭吾の『白夜行』が想起されるが、映画版でこれを演じた堀北真希は、「かわいいけど、そこまで魅了されるほどではないよな」、という感じであった。しかし本作では加奈子を演じた小松菜奈の美貌を監督映像技術さらパワーアップし、そのミステリアスな振る舞い、言動により聖少女っぷりを炸裂させている。これだけで名作ポイントうなぎのぼりである

(2) 暴力シーンが痛快

 批判対象にもなっている暴力シーン。観てて疲れるのは確かなのであるが、非常に痛快である。やはり人間、緊張と緩和により快楽を得る生き物である桂枝雀師匠もおっしゃっておりますし、突き抜けた暴力シーンの連続はこれを得られる点で非常に快楽的なものなのです。

 どうでもいいけど耳を切り取るのは『レザボアドッグス』で、オダギリジョーとの決闘は『太陽を盗んだ男』のオマージュなのか?と思っておるのですがどうなんでしょう、詳しい人教えてください。

(3) 考察楽しい

 よく分からん話というのは考察する楽しみがあるわけで、本作の場合原作を読めばこれが解明できるという点で、考察の楽しみを手軽に味わえるものとなっておりますネットには丁寧に原作をまとめた記事もあるしね。

 そんなわけで、女子高生だいすき!暴力シーン最高!考察のしい!という方は楽しめるんじゃないかと思いますので、ぜひご覧になるといいと思います。そしてできたら感想とか増田に書いて欲しいな!読むよ!

2015-01-27

小学校のころ教師含めクラスぐるみいじめられた

小学校低学年までそれなりに幸せ生活してたがいじめ徴候はあった。それは俺のだらしない生活態度が原因ではあるのだけれど。その時は意識していなかったが金持ちの子供で、周囲の子供の親より俺の親の年齢が高く感覚が違っていた、両親共コミュ障でそれを受け継いでいた、等々理由はあるだろうがとにかく今自分で考えてみてもいじめられる要素が大量にあったと思う。それといじめ善悪はまったく別で単純にいじめ犯罪と思うけど。一言で言うと天真爛漫で傍若無人なガキだったんだと思う。

小学校五年生の時。クラスわけで中年女教師になった。そいつがもう大変でヒトラーのような教師だった。それまで軽度のからかい友達同士での喧嘩などがあってもそこまで深刻化することはなかったが、彼女クラスになってからはそれが原因なのか毎日吊るし上げをくらった。集団をまとめるための生贄にされた。毎日帰りの会で1~2時間立たされ罵倒言葉を浴び、クラスメイトたちに嘲笑され、腰巾着女子クラスメイト三人に毎日粗を探された。一緒にいじめを受けた多動気味O君は一年で根を上げて転校していった。そりゃあ、毎日のようにビンタを張られて一人だけ黒板に机の前部分を付けさせられて隔離されて授業を受けさせられれば転校したくもなるだろう。六年生の次の年からはO君と仲が良かった俺が本格的にいじめられることとなった。

六年生になったがまるでこの世の地獄だった。クラスメイト男子から暴力をふるわれたのにいつのまにか俺が立たされ、罵倒言葉を浴びせられた。そのころにはもう辛すぎて現実逃避が上手くなっていた。今でもオレンジ色の夕日に照らされ、泣きながら立たされていたことを思い出す。それがとても綺麗だった。そのうち小学校低学年に時を戻したいと思うようになり、実際に巻き戻った夢を見た。過去に戻った俺は高学年の頭を持っているのでクラスをあっと言わせるのだ。現実自分と強くてニューゲームをした俺、どっちが本当に自分なのかわからなくなった。というかどうにかして現実から逃げたかったんだろう。小学生の俺、可哀そうに。そういえば毎日のように些細なことで泣いていたと思う。

その後も家出したりなんなりありやっと卒業した。やっと開放されたと思った。だが現実は甘くなく、俺は学校生活が完全にトラウマになっていた。2年間かけて自尊心を根っこからカチ折られて、極度の人間不信精神不安定になった。中学高校で計5回程家出し、結局高校中退した。もちろん精神科のお世話にもなっている。

今、こうして当時のことを振り返っているのは、やっとその時のことに向き合うだけの心の余裕が出来たからだ。それまでは思い出そうとすると動悸がして苦しくなりどうしても思い出せなかったからだ。あれから約20年がたち、愛する家族にも恵まれて、やっと向き合えた。

今、思い出してみればいじめ当事者たる教師やクラスメイトも哀れな人間だったのだと思う。

ちなみに親はまったく気付かず、俺も言わなかった。もし話していても頭の固い親を説得するだけの知恵はなかったから結局同じだっただろう。

とにかくそういう時代だった。

いじめはなくならないだろうが社会意識を変えることは出来ると思う。

もし今、いじめられている子がいるのならば思うのだけれど、出来れば死なないで欲しいと思う。人生めちゃくちゃになっても諦めなければなんとかなる。

俺はあまり出来なかったから強くは言えないのだけれど、出来なかったからこそ諦めないで欲しい。

2015-01-16

センター試験前日に思うこと

テレビ天気予報を見てもCMを見ても、お菓子パッケージを見ても「がんばれ、受験生」なんて言っている。

言われるたびに申し訳なってくる。

ごめんなさい、お天気おねえさん。ごめんなさい、キットカット。ごめんなさい、森高千里さん。

今週、通っている高校で決起集会があった。

先生が僕たちに一言ずつ応援コメントを言い、最後でみんなで「えい、えい、おー!」って言った。

ここで、学校先生は「今までやったきた自分の頑張りを思い出して、自信をもちなさい」なんて言ってた。

でも僕は頑張った記憶なんて全くないし、大学に受かるとも思っていない。

学校定期テスト赤点をたくさん取っていたし、数学問題集の提出日に間に合わなくてクラスメイトの前で先生に怒鳴られた事もしばしば。

でも、そのころの僕に「自分頭が悪い」とか「自分クズだ」なんて自覚は全くなかった。

試験に対しての緊張感なんて全くない。

しろ浪人したい。予備校に入って旧帝大を目指したい。」なんて思ってる。

どうせ浪人しても今と変わらないニッコマレベルの成績なのに。

自分は高2の頃に成績が悪いから勉強に専念するなんて理由部活中退した。

でも結局、アニメみてばかりだったし、図書館自習室でも居眠りしかしなかった。

放課後はずっと暇なのに数学問題集が提出締切日に間に合うこともなかった。

学校現代文の授業で読んだ夏目漱石の「こころ」に載ってる超有名な台詞で「精神的に向上心の無いものバカだ」ってあるじゃないですか。

今になって、やっとこのセリフ意味が分かった。

僕はバカだ。もう取り返しがつかない。

今日晩御飯母親スーパーの総菜売り場で買ってきたトンカツだった。

いま、「胃がもたれるんだよな...」なんて思いながらタルタルソースと一緒に食べている。

中学生のころ、異常な行動をしていた

私にもJCだったことがあった。私はいわゆる陰キャラで、友達はおらず、ぼーっとすごしていた。

ある日、体育の授業が終わって教室に戻ると、私の制服に精液がかけられていた。純粋無垢だった私はそれが精液だと分からなかったが、戸惑う私を見て寄ってきたクラスメイトが「ゲッこれ精液じゃんw」と言ったのでなるほどこれが精液なのだと思った。仕方がないので先生に説明してその後は体操着のまま過ごした。

実は、それが精液だと分かった瞬間異常に興奮していた。自分でも分かるくらいに愛液が出た。ビシャビシャになっていたはずである。昼休みトイレオナニーをした。

制服に精液をかけられてから、私はおかしくなってしまった。次の体育の授業の日、私は体調が悪いと言って授業を抜け出し、クラス男子制服で股を擦ってオナニーをした。当然制服はマン汁が染み付く。それが快感だった。制服欲が満たされた。男子の筆箱に唾を入れたりもした。そんなことを2ヶ月ほど続けた。

精液と違って愛液は目立たないので特に話題にはならなかった。そこである日、私はもっと目立とうと思い、恐ろしいことをする。まず、いつものように授業を抜け出し教室に向かう。クラス男子制服臭いを嗅ぎながら男子シャーペンを膣に入れてオナニーする。オナニーが終わると、最後に盛大に放尿する。尿の水溜まりその男子のシャツを投げておく。それから保健室に行く。

これは大事件になった。私はシラを切り通した。それ以後は変態行為をしたいという欲望がなくなったのでもう何もしなかったが、今となっては全部良い思い出だ。

2015-01-14

出産を目前にした今、思うこと

もうすぐ、出産を控えている。

そんな今、『母という病』 (岡田尊司)を手にとった。

子を生む前、このタイミングで読めてよかった、と思う。

本書は、様々なケースを紹介しながら、母とうまく関係を結べなかった子どもの不幸を説明している。

個人的には、多かれ少なかれ〝母という病〟は誰でも持っているのではないかと思うのだが。もちろん、私も。

私はずっと、それこそ30になるまではずっと、子どもは欲しくないと思っていて、それは、子どもにとって親は神のような存在になることの恐怖からだった。私の一挙手一投足、一言、だけではなく、存在のものが1人の人間に影響を与える、そんな恐ろしいことはとてもできないと思っていた。

私は、母とも父とも、関係が悪いということはなく、ただ関係希薄であり、それは大学から私自ら距離をとったからだ。中学時代から、ずっと早く家を出たいと思い続け、大学でやっと遠方に出てからは、ほとんど帰省しなかった。

母にまつわる幼い頃の記憶は、自分否定されたことしかない。褒められた記憶はない。

叔父の家で少し癇癪をおこしたら殴られたこと、

友達否定ばかりされ挙げ句の果てにその友達の前で『お母さん、◯◯ちゃんは嫌いよ』と言われたこと、

弟と一緒にスーパーでふざけていたら、『うるさいしずかにしろ』といわれ『弟のことは無視しなさい』といわれたこと、

父と喧嘩ばかりしており離婚するするといっては結局しないで、さっさと別れればいいのにといつも思っていたこと、

父の転勤話がでているのに自分は行く気は無いと言って小学校に何の連絡もしてくれず、父との板挟みになった私が自分から担任に申告して驚かれたこと、

つの間にか家族の誰にも言わずに内職を始めており物件情報も集めていて、それを見つけた私に『お母さんは出て行くから』と言ったこと(結局出て行かなかった)、

進路希望を軽い気持ちで相談したら、泣いて否定されその後全力で怒られたこと。

何のきっかけか忘れたが、まだ幼い頃、脅しでハサミを母の腕に押し当てたところ無視され続け、そのまま母の腕をハサミでざっくりと切ったこともあった。

いつも髪をひっぱりあって喧嘩していた。

本書を読んで思ったのは、そっか、私は母に認められたくて、否定され続け、愛着が適正に育たなかったのかもな、ということ。

十代のころから、ずっと生きづらさを抱えていた。中学高校とだいたいの友達グループをつくっていたが、私は一つに属すのではなくフラフラといろんなグループと付かず離れずでいた。

中学受験で入った学校イジメなどはなく自由でおおらかな校風だったため、そんな私でも通えていたのかもしれない。

途中から、親もただの人間だと気付き、親に期待するのはやめ、いや、そもそも人に期待すると裏切られるだけだから最初から期待すべきではないという考えに至った。

大学時代は、水商売世界に足をいれ、似たような生きづらさを抱える人の中に埋もれて安心感を得た。

ずっとずっと、自己肯定感を抱けずにいた。

なにも、私が特別などとは思っていない。こんな家庭はごまんとあるだろうし、こんな生きづらさは誰しも抱えているだろうと思っている。

ただ、親に健全に愛されて育ってきたんだろうな、と思わせるようなクラスメイト達の、会社の同僚達の無邪気さをみては、私はあんな風にはなれないしなりたくもない、と思っていた。

ーーー

でも今、もうすぐ子を生むにあたって、我が子には適正な愛着を育んで欲しいと思っている。

必要な生きづらさは抱えて欲しくないし、自己肯定感を、基本的安心感をもった子に育って欲しいと強く思う。

基本的安心感とは、世界自分といったものを無条件に信じることができることだ。基本的安心感がしっかり備わっている人は、何が起ころうとどうにかなると、未来を信じることができる。

本書では、ADHDも母との関係によるものだと述べている。もともと持っている子どもの傾向はあれど、それに対して適切なコミュニケーションが取られなかった場合ADHDなどの行動障害がひどくなりやすい、とのこと。(これが正しいのかどうかは私には分からないが)

もともとの子もの性質は、人それぞれあると思うし、それに対してどう対応していくのか、がこれから親となる私に課されていること。

幼い頃、どれほど愛されたかオキシトシン受容体の数がきまってしまい、オキシトシン受容体が少ないと子育てに歓びを感じにくく苦痛になりやすい、(つまりこれが負の連鎖なのだということか。)とも本書は述べている。

そうすると、私はオキシトシン受容体が少ないかもしれない、恐れている産後うつになりやすいのかもしれない、などとも思ってしまうが、その理屈を知っているのと知らないのとでは対応の仕方がまた異なる。

辛くなったら、周りに助けを求めながら、子を否定するとなく、暴力に訴えることなく、ダメものはきちんと理由を説明しながら、自己肯定感を持った子に育てていきたい。

それが、出産を目前にした、今のわたしの気持ちだ。

2015-01-08

痴漢という性犯罪に対する男女の反応差

女子高生という子どもが、電車内という社会で、痴漢という性被害に遭うことについて https://note.mu/ogawatamaka/n/n209d5eb2807f

反応ブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/ogawatamaka/n/n209d5eb2807f

男性ユーザーが多そうなはてならしいブコメに仕上がっている。

痴漢話題だとだいたいそうなんだが、それでもぼくはやってないシンドロームというか、冤罪被害だってあると水かけ論を仕掛けてくる男性が一部に発生する

なぜか被害者告白に同情をよせることも忘れて「俺たちだって被害者予備軍である」と主張する一群がいるのだ。

冤罪被害の話なら、別の場所増田noteにでも書いて、そちらでまた議論したきゃすればいいと思うのだが、

なぜか、現実被害者の前で、実際に冤罪に巻き込まれたわけでもない人が被害者ぶっているわけだ。

この痴漢問題に関して、男女両者の間で齟齬が起こるのはなぜなんだろうと考えると、

男性から見た場合自分の性衝動にある種の後ろめたさを持つ男性が、彼らの性衝動存在非難されてるように感じているという側面があるのではと思う。

一方で女性の多くは、ごく子供のころからライトな性被害にあっていて、さらにその被害ライトに扱われてきたという側面がある。スカートめくりやらブラ紐引っ張りとか、そういうやつ。

スカートめくり犯人児童は、もちろん先生から怒られたりかコワモテクラスメイトに追いかけられたりする。

そしてなぜか、被害者であるはずの私たちまで、隙がある方も悪いとかスカートめくられたぐらいでいつまでも泣かないの、とか、まぁそういった感じの割とひどい扱いをうける。

個人経験で一番ひどかったのは、スカートめくり執拗ターゲットにされて泣いて担任教師に訴えたが「○○くんはあなたのことが好きなんだから」とか言われたことだ。

このごろは、先生によってはかなりきちんと対応する場合もあるようだが、加害者へ罰と被害者へという注意喚起バランスものすごく悪いと大人になった今では思う。

反応ブコメにも同性の女性から心ない言葉を投げかけられるという報告があったが、小学生には性被害セカンドレイプなんて概念があるわけもなく、

そういう被害にあうのは私が悪いからだ、と、思ってしまうのだ。

子供のころからからの性被害体験を積み重ねてきた側と、痴漢冤罪におびえる人が話をしていたら、そりゃかみ合わない。

冤罪をことさらに言う人は、女性ほとんどが実際に何らかの性被害に会ったことがあるということを頭に置いておいてほしい。

数で比べても不毛まりないけど、実際に痴漢冤罪で捕まったことがある男性の数と、痴漢されて泣いたことがある女性の数の差を考えてみろ。

noteは、男性にも痴漢被害者がいるという話で締めくくっているが、やはり少数派なんだろうとは思う。だからこそ想像しろよ。頭の上に乗っかってんのはカボチャか何かか?

最後に。

痴漢の話のときに決まって出てくる、満員電車が悪いと思い、口に出す人たちに

あんたらが満員電車に乗らなきゃ、少なくとも冤罪被害者にはならねーよ、という言葉を送る。

痴漢電車の中でしか起こらない犯罪だと思っている、想像力ミニマムおめでたいカボチャ頭に幸あれ。

結局、性犯罪をどう減らすかなんてことには興味がまったくなくて、「自分冤罪被害者になる可能性」からしか物事が考えれられないから、そういう些末な想像しかできないんだ。

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