2015-05-14

連帯責任の思い出

http://suminotiger.hatenadiary.jp/entry/2015/05/13/162046

 運動系教育現場における連帯責任話題を見かけ思い出したことがあった。

 私の通った中学では体育教師が毎年四月の授業プログラムとして基礎体力トレーニングなるものを行っていた。一度の授業に参加するのは2クラス男子それぞれ15名前後ずつの計30名程度。主な内容は短距離ダッシュ、中距離走、腕立て、背筋、空気椅子手押し車アヒル歩き、馬跳び、カエル跳び、アザラシなどなど全身の筋肉を万遍なくいじめてやるメニューを45分の授業時間いっぱいかけて行う。

 特に下半身への負荷が非常に高く、体育の授業があった翌日などはホームルームの起立着席時に男子の動きが緩慢でずいぶん時間がかかっていたことをよく覚えている。非常にキツイ授業ではあったが今考えてもそのメニュー内容はシゴキというレベルではなく指導範囲内であったろうことは先に明言しておこう。

 さて、この授業には掲題にあるとおり連帯責任ルールが取り入れられていた。

 2クラス合同で行われているところが味噌で各メニューを何本か連続でこなす最後の一本になるとクラス対抗の対決要素が加えられるのだ。

 勝利条件はメニューによって様々で馬跳びのように団体競技で先にゴールしたクラスが勝利となるシンプル場合もあれば、個人がそれぞれにメニューをこなし「ノルマを達成した者が多くいたクラスの勝利」「ノルマ未達成者を多く出したクラスの敗北」という場合もあれば「最も優秀な成績を出した一人が所属するクラスが勝利」「最も悪い成績を出した一人が所属するクラスが敗北」という場合もあった。

 敗北したクラスには連帯責任で都度ペナルティが科せられる。足上げ腹筋30秒。一人でも脱落者が出た場合、もう一度全員でやり直しとなる。ただし二回目以降は有志の人間が脚にボールを挟んでやり遂げれば、未達成者が出た場合でもペナルティ完了となる救済措置が用意されていた。

 ところで、ここまで他人事のように書いてきたが、私は昔からからっきし運動が苦手で、この授業でもクラスで一番足を引っ張る役どころとなっていた。その立場から言わせてもらうと、この授業には結果的には大変救われていたと今では感謝している。

 この一学期初めの一ヶ月の授業を通して、新たに顔を会わせたクラスメイトたちは互いの運動能力の差を否が応でも理解していくこととなる。そしてそれは運動能力の高いものが自ずと中心になり作り上げていく無言のヒエラルキー的な理解ではなく、各々の能力に応じてクラスの中での役割分担を作っていく形での理解だ。私にはこれがとてもありがたかった。

 もちろん運動ダメであることには違いないので、クラスメイトからのそのような認識が変わることはない。しかしそれは明らかな足手まとい、空気のように扱うべき存在としてではなく、フォロー必要存在としての認識だ。他に助けられた時、必然私は彼らに感謝言葉を伝える必要があったし、クラスメイトは互いに声援を送りあう必要があったし、誰かが今まで出来なかったことを達成した時には素直に賞賛し合った。それだけペナルティから遠ざかったのだから当然だ。

 そうして四月を終える頃に出来上がっていたその空気というのは一年継続することとなり、私は小学生の頃に比べて運動に携わる学校時間を格段に過ごしやすくなった。

 もちろん他クラスから嘲笑を浴びて嫌な思いをすることもままあったが、中学に入る以前はそもそも団体球技をしている時に同じクラスメイト運動ができる存在に話しかけることなど出来もしなかったのだ。それに比べれば、できないなりにチームに参加し励まし合うという体験ができたのはこのうえなくありがたいことだったのだ。

 私がそのようにクラスに受け入れられ、自身も前向きに取り組むことができたのは、あの四月の連帯責任ルールのお陰であったことを私は今でも疑わない。

 私はこの一事例をもって必ずしも連帯責任制度肯定的立場をとるわけではないが、せっかくなので書いてみた。

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