はてなキーワード: 薄っぺらとは
私はえっちゃんが嫌いである。ガールズバンドのボーカルのあのえっちゃんのことだ。
明確な理由はすぐに思い浮かばないくせに、嫌いという感情は名前を目にしたり声を聞いたりするだけで私の心にふつふつと湧き起こる。ああ、またCMでえっちゃんの声がする。嫌いだ。
私がえっちゃんを知ったのは10代の頃だった。当時仲良くしていた男性がいて、その男性が「えっちゃんかわいい」と言ったからに思う。それまではバンド名と有名曲を少し聞いたことがある程度でボーカルがえっちゃんという名前ということは知らなかった。
その男性とは曲の趣味が合うのできっと私も好きになるだろうと思った。
ちょうどその頃だったと思う。なんの番組だか忘れたがえっちゃんがテレビに出ていた。愛嬌のあるのっぺりとした顔立ちで、小さく華奢で、声が女の子らしい。スリーピース体制だったが三人とも野暮ったく上京したてなんだろうと思った。
その番組の中で三人にいろいろ質問をしていた。Yes/Noで答えられる質問ばかりだったと記憶している。そこで事件は起こったのだ。
どういう質問だったのかも忘れてしまったがえっちゃんは、えっちゃんだけは他の二人をまるで見捨てるような回答ばかりしていたのだ。売れるためならソロでもいいというようなことを言っていたように思うが、記憶を改変しているかもしれない。真逆のことを言っていたかもしれない。とにかく、他の二人とは違う回答をしたのだ。
女性は周りに合わせ必要以上に空気を読む性質を小さい頃から持っていると思うのだが、そのときのえっちゃんはそんな気を微塵も感じさせない言葉を使っていた。そのとき私はこの女を嫌いだと思った。
この女は売れるために、有名になるために、たくさんの人に自分の曲を聞いてもらうために、自分の声を聞いてもらうために、周りの人間を踏み台にしていくような女なのだと。
もちろん売れるために良い曲を作り発信していくことは素晴らしいことだ。しかしその過程で今まで一緒にやってきた“仲間”をいとも簡単に切り落とすことにためらいのない人間に、どうしても違和感を感じてしまった。
それからだ。私がえっちゃんを毛嫌いするようになったのは。きっとこれがそうだ。
この番組を見てからえっちゃんを、えっちゃんの声を嫌いになった。
それからというもの、私はえっちゃんをこき下ろすようになった。
顔がかわいいわけではない、どちらかと言うと残念な方だ。百均の300円商品のような感じ。体型がセクシーなわけでもない。薄っぺらく思春期前の少年のようだ。声も甲高く、あざとさが目につく。曲はいいものも確かにあるが、地味な女性が歌うからいいと言う“地味な女性”を抜いてしまえば凡庸なものに感じてしまう。
そして結婚を三年隠していたこと、妊娠が発覚したときに完全に大嫌いになった。あざとさだけでは飽き足らず、えっちゃんは強か過ぎた。あんなに清純そうに振る舞っていながらも実際はバンドマンの旦那と愛を育んでいた。ファンではないがとてもショックを受けた。ああ、私があの時感じた違和感と気持ち悪さは当たっていたんだと。
持論だが、性を感じさせない容姿をしている女ほど性欲が強いように思う。素顔に近い化粧しかしない人、自毛そのままでカラーやパーマをしない人、Tシャツジーパンが好きな人など。
えっちゃんは持論に驚くほど当てはまる。ウブな見た目に騙されてはいけない。えっちゃんは経産婦だ。
私がどうしてえっちゃんを嫌いなのかを考えつらつらと文章を打ち込みながら、気が付きたくなかった事実に辿り着いてしまった。
私はえっちゃんが羨ましいのだ。
どちらかというと残念な見た目をして性格も陰険な田舎者みたいなえっちゃんがたくさんの男を魅了して(たとえそれがオタクな男たちであろうとも)、バンドマンという目立つ職をしている男を捕まえ結婚しその男の子供を産み、それでも人気があることに。
私はお世辞にも綺麗とは言えない見た目をしていて、体も薄っぺらく貧乳だ。性格は薄暗く頭もおかしい。単語を並べるだけならえっちゃんとそう変わりはないのに、えっちゃんはメジャーデビューしているガールズバンドの顔でファンもたくさんいて旦那もいて子供もいる。たまにいい曲も書く。私はただの事務員で未婚で恋人もおらずついでに言ってしまうなら処女だ。しっかりと誰かと付き合った記憶はない。
私はえっちゃんが羨ましいのだ。気が付きたくなかった。羨ましい。
自分はいつも朝食や夕食時にNHKの辛気臭いニュースしか観せてもらえなかった
ニュースばかり観てるバカ者共がネットでも群れてるけど「この愚か者共が」って怒鳴りつけてやりたい
ニュースなんか観るな
ウチの親は高齢結婚のうえ肥満だったので休日は疲れてまともな新しい体験できる場所に連れていってもらえなかった
体育会系のちょっと遊びっけのあるカッコイイ父ちゃんって感じの方が良かった
体育会系を馬鹿にするクズは真面目系クズの毒親に育てられた苦しみが全く理解できないのだろうな
家族サービスは全くせずいつも同じ場所を徒歩と電車で連れて行かれ本当に不幸な幼少期だった
ニュースばかりチェックしたり体育会系を批判する連中が許せない
こいつらが2chの負け組板やらメンヘラ板やら生活板やら人生相談板のスレの魂の叫びを見ても全く理解できないだろうな
毒親論や機能不全家族論や貧困論や容姿差別論や発達障碍論は魂の叫びだ
だが
ネットの社会学被れの連中が承認欲求のためやってる男女論者や世代論は薄っぺらい衒学趣味だ
真の負け組は異性や異世代にも同じ苦しみを抱えた人間がいるって悟ってる
SNSのインテリ気取りのクズ共は人間の心の闇を全く理解してない
てめらに犯罪者の心の何がわかる?
こういうものを全く体験できない強者ほど社会学被れの男女論や世代論を勝ち誇ったように語る
全員死ね
同じような記事が既に多く存在することを承知の上で、長々とこれまで思ってきたことを書き連ねます。ただの吐き出しです。
現在、スマホアプリで様々な女性向けアイドル育成ソーシャルゲームが配信されている。私もここ数年でアイドルジャンルにはまり、その中のいくつかをプレイしていた。
一昨年のいつ頃だったか、Twitterで新しいアイドルゲームが制作中であることを知った。それが「アイドリッシュセブン」だった。
ただでさえその時アイドル物ならすぐに興味が湧くようになっていた上、原案は小学生の頃楽しく読んでいた漫画の作者。本人がよくネットで炎上する人物であるということは知らず、純粋に楽しみだった。
その時すでにキャラデザは発表されていて、チェックしてみるとすぐに「この子、いいなあ」と思うキャラもいて、俄然やる気になった。
配信開始後、思った通り私はアイナナに夢中になった。声優陣によるフルボイスで展開されるストーリーは、声を出して笑うようなシーンもあればこちらまで悲しくなってしまうくらいに暗いエピソードも盛り込まれており、何度も読み返すほどだった。
楽曲も、どれもとても好みで、元々リズムゲーが好きだったこともあり何度もプレイした。
イラストに関しては、魅力的だと感じる、と言えば噓になる。が、それを補って周りの要素が素晴らしかった。
課金額は決して多い方ではなかったと思う。新しいカードが出れば毎回推し欲しさに課金したが、ある程度で出なければ諦めていた。
そうしてアイナナにはまって何か月か経ち、ストーリーも第2部が配信された。第1部同様、いや、それ以上に心を持っていかれたと思うくらいの内容で、アイナナを大好きな気持ちは更に大きくなった。推しキャラが増えたり、周りのオタク友人にも薦めるようになったり、この頃は自分のオタク活動の中でアイナナが最優先のジャンルだったと思う。
それが揺らぐようになったのはいつ頃だっただろうか。
アイナナの公式生放送が配信されてから間もないある日のことだった。
Twitterを見ていた時、私はタイムラインに流れてきたある一つのツイートを見て愕然とした。
そのアカウントは、アイナナの絵柄の他作品との類似点、構図の酷似、いわゆる「トレパク」を検証するためのものだった。
ツイートに載せられていた画像は、アイナナよりずっと前から配信されている他作品の女性アイドルと同じようなポーズで隣に並べられた、かつて欲しかった衣装のアイナナキャラのカードだった。
頭の中を色々な思いが駆け巡った。
「アイナナ」ではなくトレパクをしている作品として蔑称のようなものがつけられていること。
追加された新しいカードを見た時、たまに「腰がくねってしてるなあ」「身体のラインが丸いなあ」と違和感を覚えたこと。
その違和感の正体が、男性アイドルなのに女性アイドルのポーズと類似している構図だったこと。
少し調べてみると、私が知らなかっただけで、この疑惑はもうずっと前から他作品のファンの間で話題になっていたようだ。
そのツイートをRTしたフォロワーに対して怒りを覚えてしまう時期もあった。
もちろん誰にも言わなかったが、「あなたがこんなツイートを拡散しなければ、私は純粋にアイナナを楽しんでいられたのに」という気持ちでいっぱいだった。
それでも、一度目に入ってしまった以上知らないフリでゲームを続けるのは無理だ。
そこで私は、回ってきたツイートをスタートにアイナナのトレパク問題について呟いているアカウントを巡り、騒動を詳しく知ることにした。
多分、この時の気持ちはただ知りたいというよりも、「自分がアイナナを胸を張って続けられる理由を探す」目的が大きかったように感じる。トレパクなんてものは言いがかりで、偶然似てしまっただけなんじゃないの、と。
結果、胸を張って反論できるような要素はどこにもなかった。
アイナナが叩かれていたのは、他作品からの構図トレパク疑惑だけではなかったのだ。
アイナナの作品発表当時から「似てる」と言われ続けていた(ということもこの時知った)某有名アイドル作品、そのキャラクター達の外見や性格、過去などの設定が酷似していること。
原案が過去にその作品の同人をしていたため、信憑性が高いこと。
ゲームのプロデューサーが作品発表前にTwitterで内容を呟いていたこと。 など。
今まで神運営だと思っていた公式への不信感が一気に生まれた。人に勧めていたことが恥ずかしくなった。
それでも、この時点でアイナナを完全に嫌いになることが出来なかった。ただ、今まで自分が楽しんでやってきたことは何だったんだろう、と思った。
とりあえず、課金するのを一切やめてみた。
それから、公式にこの騒動に関して問い合わせをした。アイナナを好きなこと、何か公式側からアクションをしてほしいこと。
多くの人が問い合わせをしているらしく、私もその内の一人になろうと思った。数が増えれば、公式も何か動いてくれるだろうと信じていた。
公式は騒動についての文章を出した。要約すれば「トレパクの事実はない。設定もすべてオリジナルで、これからもそうだ」と。
他にも挙げられていたプロデューサーの問題については、ただ申し訳ない、これからは気を付けるという謝罪だけ。
「キャラクター達を傷つけるようなことは絶対にしない」と言ったのは公式だ。
だが、現にキャラに他作品からのパクリ疑惑がある上、ネットではかなりひどい言葉で叩かれていることもあるのにも関わらず、こんな薄っぺらい謝罪文で終わらせようとしている公式はキャラを守ってすらいない。
偶然似てしまったでは済まされないし、オリジナリティがあるというなら他のアイドルとは全く違った形で輝いている彼らを見せてほしかった。
もうダメなんだろうな、と思った。
アニカフェに何度も行ったり、アニメ化や第3部決定に浮かれていた自分がバカらしく思えた。
しかし、ここでもまだ離れられなかった。
疑惑を知った当初より更に確実に熱は冷めてきていた。ゲームも、前はイベントでそこそこ上位になるまで走っていたのに、ログインとガチャで初回の1度だけ引く、という感じになっていた。
その気力を保っていたのは、推しだった。
他作品のキャラと設定が酷似していたり、ストーリー内で起きたあるエピソードが他作品とそっくりだったり、つぎはぎだらけと言われていた。
それでも、ストーリーを読んであれだけ心を動かされたことを思い出すとアプリのアンインストールは出来なかった。
そんな中、話題になり気になって視聴を始めた全く別の作品にトレパク疑惑が浮上していることを知った。
またこんなことをする作品に当たってしまったのかと肩を落としながら、どんな部分が話題に上がっているのだろうと軽く調べてみた。
そこで久しぶりにアイナナの蔑称を見たのだ。
公式に問い合わせた後は検証アカウントなどを見るのをやめていたため、何となく騒動は下火になったものと思っていた。
だが、そんなことはなかった。
後からまたトレパク疑惑の作品が出てきたところでアイナナの問題が忘れられることは決して無く、同じような例として並べられるのだ。
そんな当たり前の事にようやく気付いた瞬間、アイナナという作品そのものが地雷になっていくのを感じた。
そこからは早かった。
まず、せっかく集めたんだからと保管していたグッズを売った。
そういえばTwitterでは、公式アカウントを未練がましくフォローしたままだった。
新キャラの発表もあり、あれだけ楽しみにしていた第3部もいよいよかという段階なのに、全く心が動かなかった。
もしどんな作品とも類似しないオリジナルのキャラだったとしても、過去にパクリ疑惑があった作品のレッテルは消えない。
フォローを外して、その勢いのままアプリもついにアンインストールした。「削除する」を押すのに一瞬躊躇ったけど。
変な意地を張って公式を信じて待っていた時よりも、すっぱり切り捨てた今の方がずっと気持ちが楽だ。むしろすっきり。
もっと早くにこうするべきだった。
彼らってのは
こういう話題を有名にした見えない人たち
こんな特徴や用例どう?って人は教えて。
世間の皆様の手のひら返し感は凄まじいものがありますが、少なくともネット民の正義は正論ではなく《皆が叩いているから叩く》なので、この辺りは御容赦ください。
その人の絶望の叫びに対して、それをたまたま見つけた、正しい人が、周りの、正しい人たちに拡散する。正しい人たちは、その人をよってたかって、ぼこぼこにして、正しさで押しつぶす。
こんなところかな?
もちろん、僕もその一人かもしれないけどね。
※いろんな意見があったので下記にまとめてみました。
うん、レッテル貼りたいの。
ネット上であまり良くない扇動をしている人にレッテルを貼りたい。
こういうのって効果ないの?
真剣に議論している人よりも、むしろ軽い気持ちで批判してる人の方に刺さるレッテルだと思うけど
僕の都合の良い解釈かな??
これは自分でもそう思う。
ただ正義感振りかざして無責任に建設的じゃない批判をする人って
暇なのかなぁ?と思ったのでこんな言葉を思いつきました。
うん、そうだと思う。
何か噛み合わない人がいるなぁと思ったら、ここが伝わってないんだね。
いや、別に決めるつもりはなくて
あなたが決めていいんだよ
「あーこれは荒らしたいだけの人だなぁ」とか
「マトモそうなこと言ってるけど、批判したいだけじゃない?」とか
あなたの基準で呼びたい人に「正義のヒマ人」って言ってあげたらいいと思うよ。
特徴とか、用法とか書いたけど、別にそれが正しいつもりは全くないし。
僕は僕の基準で
レッテルってさ
例えば軽い気持ちで煽ってる人に
「正義のヒマ人って言われたら嫌だな」
って思わせるブレーキみたいなものかける効果があるんだと思うんだよね。
不毛な罵り合いとか批判とかがちょっとは少なくなってくれたらいいなって話。
まぁ、軽い気持ちで議論したい人にもブレーキかけちゃうのは残念だけど
建設的な言い回しをちゃんと選んでるから標的にされにくいのでは?と思う。
少なくとも僕はあまりそういう人にレッテル貼って揶揄したりはしないかな
先も言ったけど、議論することは悪いことじゃないよ。
でも空気感に合わせて軽はずみに扇ったり、
中味のないランキングや、なんの参考にもならない弱小ブログの運営報告、ブログのネタの絞り出しかたの薀蓄・・などなど
最近のはてブでは、本当に中味のないブログのブクマで溢れかえっている。
互助会って昔は、良し悪しは置いといて、もうちょっと情報量というか書き手のエネルギーが溢れてなかったかなあ。
この頃の互助会ブログって、どうしてあんなに中味のないことを書き続けるのだろう。
「1万PVこえましたー」「3ヶ月連続更新達成」「ブログネタがない時でも記事を作るコツ教えます」
・・・いや、無理しなくてもいいよ、誰もそんなの読みたいと思ってないから。アフィで食えるには程遠いじゃない。そんなの状況ひけらかして、自分に引き出しも想像力も洞察力も何もかもない薄っぺらい人間であることを改めて文字にして、何がそんなに楽しいのかなあ・・・
・・と、思ってたんです。
けど、最近なんとなくわかってきました。
あー、また互助会のブログ踏んじゃった、と気づかされるブックマークの並び。
面白かったです!⭐️⭐️⭐️
参考になります!⭐️⭐️⭐️
なるほど!そんな方法もあるのですね!!⭐️⭐️⭐️
これなんかに似てるなあ
ああ、そうだ。
これ依存性患者が集まって自分語りを共有することで依存性に立ち向かう集会でのやりとりによく似てるんだ。
今の自分をさらけ出し、それを否定されずに共有共感される場がある。それが生きる糧となる。
そうゆうことか。
ぼくはここにいてもいいんだ
おめでとー おめでとー
そう思えば、側からはおざなりの儀礼スター交換のための互助会に見えても、
本人たちにとってはコミュニティにつながっていられる貴重な、もしかしたら唯一の場なのかもしれないではないか。
うざければブロックすればいい。
そこがあることで救われる人がいるならばそれでいいではないか。
同期の女性
異動回数6回
(同期では最多の異動回数)
1月にまた異動となった
在籍半年での異動
同期だけではなく先輩や後輩までも
『いらない子ってことだよね』と思ってる
今回の異動が他県への異動となったため
数人の同期で送別会をした
『部署の送別会で、「お前がいないと仕事回らないのに…部長はなんにも分かってないから」って言われてさぁー』
『影武者に徹し過ぎて、私が居なくても大丈夫って思われちゃったんだろうね』
『それやったの私ですってもっとアピールすれば良かったんだよねー』
『色んな部署で色んな知識身に付けたから正直どこ行っても最初から使える人間だよね。異動させやすやダントツじゃない?』
『異動先の部長に「俺が引っ張ったんだぞ」って言われたけどそんなの嬉しくナイナイ(ヾノ・∀・`)』
同期一同キョトン
お前がいないと仕事回らない
俺がお前を引っ張ったんだぞ
真に受ける人を初めて見た
みんな部署が違うんだから、詳しく話をされても全く分からないし、最終的に『私がいたから良かったものをー』になる。
同期の中には一度も異動したことない人もいて、それはそれは上司が必死で異動を阻止している。
それもそれでその人のためにならない気もするが、10年で6回…
『色んな知識』というが、薄っぺらい知識をさもそれが全てであるかのように他部署にもっていかれても迷惑でしかない。
『私がやります私がやりますって言うくせに周りを巻き込んで騒ぐだけ騒いで最後までやり遂げたことないし嫌いなんだよね』
と言っていたことを思い出した。
本当は自分が[たらい回し]にされていることに気付いているのか
もしくは本当に[取り合われている]とと思っているのか
異動から1ヶ月
Naverまとめ、Yahoo知恵袋、Hatena、質問サイト、まとめブログが検索結果に出にくくなって喜んでるけど、みんなどんな検索結果が出たら嬉しいの?
アルゴリズム変更後、むしろ専門的な記事が上位表示されて、大まかな概要がわからないまま詳細すぎる情報が出てきて不便なんだけど。。
2chまとめの同じ内容のブログが検索結果に何ページも出まくるのは不便だけど。
俺らバカには、まとめられた情報を見て概要を知って、詳しく掘り下げるのはできるけど、分散した情報をまとめるのはすごい体力がいる。
それを代わりにやってくれてたのがキュレーションメディアだな。
そもそも一つのキュレーションサイトだけ見て、その情報が正しいか正しくないか判断することなんて無い。
例えば病気のことだったら、何十個もサイト見て自分で判断するでしょ?
キュレーションメディアがないと「とりあえず」の概要(まとめ)を理解するまでの体力というかコストがかかりまくるんだよな。
あと、クックパッドうざいって言ってる人もいるけど、クックパッドのサイトデザインで見慣れてるから、逆にデザインクソなブログとかで「どこに分量書いてあるの?」と余計な頭使うの方がよっぽどめんどくさいんだけど。ウェブのレシピは全部クックパッドにまとめてくれたら便利ですよ。
Googleが人工知能でうまいことまとめてくれる「Googleまとめ」が出れば解決なのかもしれんけど。それまでは「キュレーション」の価値はあると思うんだけどな。画像勝手に使われてムカつくけどさ。俺は出典ちゃんと書いてくれれば良いかな。被リンクになるし。
そもそもアクセスもほとんどなさそうな奴らがパクられたとか騒いでるけど、器小さすぎ。キュレーションされなきゃそもそも誰もお前の写真なんて見てねーだろって感じ。
そもそも喜んでるのは器の小さなブログ運営者とか、薄っぺらい正義感に燃えてる人だけなんじゃね?
嫌なこともたくさんあったが自分で死ぬのは怖かったし痛いのは嫌だから、自殺でもないと思っていた。
僕は今三十二歳だ。
つまり、二十歳になっても死ななかった。
なぜ二十歳で死ぬと思っていたのか、今となってはよく分からない。
落第しない程度に勉強をし、親に迷惑はかけないように生きてきた。
どうせもうすぐ死ぬんだから、何かをやろうという意欲もなかった。
下種な話だが、男女間で行われるいろいろのことは、死ぬときに後悔がないように全部やった。
もう十年前以上になるが、今でも鮮明に覚えている。
十九歳の最後の一日、深夜十一時五十分、家の屋根の上に上がって寝転がって星を眺めた。
そうしているうちに、あと一分で二十歳になろうとしていた。
怖くはなかった。僕は静かに目を閉じてその瞬間を待った。
…
ん?
僕は目を開けて時計を見た。零時十分だった。二十歳になって十分の時が経っていた。
僕は死ななかった。死ねなかったのだ。
…
しばらく夜空を呆然と見つめて思ったのは
「このままだと、僕の人生やばいんじゃないか」ということだった。
大した学歴もなし、経験もなし、ただの薄っぺらい二十歳の人間がそこにいた。
詳細は割愛するが、その後猛勉強して大学に入りなおし、割と良い学歴を得て、今は悪くない仕事をしている。
二十歳前と後では、まるで別人だと感じる。
人に昔のことを聞かれると、あまりうまく答えることができない。今の僕ではない、別の人間のことのようだから。
あの屋根の上で星空を眺めながら死を待ったひとときが、僕の分水嶺だった。
運が良かったのかもしれないが、いわゆる「人生の正規ルート」から外れてしまっても、こうしてそれなりに楽しく生きることができている。
「何寝ぼけたこと考えてんだ、死なないから!」と言ってやることができれば、どんな人生だったんだろう?とたまに思う。
もしかしたら、今より素晴らしい人生かもしれない。残念ながら、それを知ることは絶対にできないけれど。
僕の場合、二十歳以前の自分のせいでひどい目にあったが、僕を今の地点に押し上げてくれたのは二十歳以後の自分で、どちらも間違いなく「僕」だ。
日本の社会は、やり直しがきかない、レールを外れた人間に厳しい社会といわれている。確かにそうだ。
僕は間違いなくレールを外れた人間で、そのことで色々な人に色々なことを言われたりしてきた。いいトシして何やってんだ、云々。
けれど、それに対応していくのも自分の責任の一つだと思っている。だって二十歳まで適当に生きてきたからしょうがない、と。
(ちゃんと真面目にコツコツやってきて、思いがけずレールを外れてしまった人間には、これは当てはまらないが)
失敗したって、死ななきゃいけない羽目になることなんて、ほとんどない。
だけど、何もしないで待っていて状況が好転することも、ほとんどないと思う。
ガンジーの言葉で「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」というのがあるが、
正直言って、明日死ぬんならやっぱり僕は滅茶苦茶無気力になると思う。だって明日死ぬんでしょ?今頑張ったって無駄ァ!と考えずにはいられない。
残念だがそれほど人気がない。
俺は英国在住のおっさん。年始にロンドンで見たが、そもそも上映している映画館が少ない。毎日上映している映画館はロンドンで2-3か所。860万人住んでいるのに。
月に数回上映がそのほかに数か所。以上。ザッツオール。公開後1月以上経過しているから減ったのだろう。
客の入りは5割くらいで、そのうち6割がイギリス人、4割は東洋人。中国人韓国人日本人。
イギリスのメディアが君の名はを絶賛した、という記事は俺も見た。口コミサイトの評価も見てみたが、非常に良い。
更には上映後のイギリス人の反応を観察してみたが、満足そうに見えた。
ゆえに入口でのハードルなのだろう。ただし内容について「感動」「ラブストーリー」というよりは「展開が早く引き込むストーリー性」「映像の綺麗さ」が評価されているように思う。
若者のラブストーリーである「君の名は」がイギリスでアジア圏のようなヒットにならない理由は以下のように推察している。
今でも完全にそうです。宮崎アニメのように家族で見に行くならともかく、ラブストーリーをアニメで見ようという発想は世間の若者に全くないように思うし、他人に知られたら恥ずかしいことと思われる。
なお本作では奥寺先輩が煙草を吸ったり、瀧が酒を飲んだりするので12歳規制がかかっている。
作品にのめり込めるか、一番重要なのはこの点だと思う。瀧が三葉が男性として女性として魅力的に描かれているか。
多くの日本人には、瀧はイケメン、三葉は高校時代は可愛く大人時代は美人、という設定に異論はないと思う。
欧米人から見ると、経験に基づく推測だが、瀧も三葉も体が薄っぺらすぎる。
瀧は本人のときでもかなり「中性的」に寄っている。欧米人からジャニーズは中性的な子供に見えるということと同じである。
(3人組のうち)高木くらい男くさいほうがいい。イギリス人は瀧に対してこう言いたくなるだろう。「もっと肉を食え、ラグビーで体を鍛えて、女性を守れる男になれ、髪形もベリーショートかリーゼントにしろ」(適当
三葉は単純に子供に見えていると思われる。もっとグラマラスな魅力が出てこないとラブストーリーの主人公という雰囲気が出てこない。シャイな性格もマイナスだ。瀧の三葉くらい気が強いほうがウケる(作品内でもそうだったが)。
イギリス人のラブストーリーは顔を0.3フィートくらいの距離まで近づけてロマンティックな言葉を囁きあう感じなので、瀧と三葉の恋愛動作は非常に幼く見える。こちらの高校生は結構オトナである。
山頂で出会うシーンもイギリス人なら、強くハグして、濃厚なキスをして、0.3フィートである(超適当)。名前を書きあっている場合ではない。出会って3秒でハグキス0.3フィートである。高校生にそういう描写が許されているのかは知らない。
ラストシーンでいったん声をかけずにすれ違ってしまうシーンには、階段の一番下から大きく手を振って「Hey!!!, I think I met you sometime and somewhere!!!」と大声を出さないのか不思議であろう。奥ゆかしさは理解されてもそこから生じる感動は理解されないと思う。実際に泣いている人は少ししかいなかった。クライマックスの「すきだ」も字幕だからね。手によくわからん文字が書いてあって字幕でI love you。ちょっとねえ。
日本人のおっさんである俺にとってどうだったかというと「超面白かった」。イギリス、日本、機内の計3回も見てしまった。最初に見たのは機内だったが、中年のおっさんがうるうるしているのを見てCAさんはドン引きしていたことであろう。少し気になるのは日本での作品への「評論」である。確かに整合性がおかしいところは多い。私は3年のずれに気づかないことよりも、この広い宇宙で隕石が1200年周期で同じ場所を直撃することのほうが超天文学的確率というか、分母が10の何乗になるのか、そのほうがずっとありえないと思いながら見ていた。変電所の爆破は中部電力に連絡が行ってしまったので町を救ったからお咎めなしになるものではあるまい。ああいう会社は融通をきかせるのが難しい。テッシ―の「髭剃れ」の話は収監されていたから?などとも思った。しかしながら、内容の整合性に難があってもそれ以上の魅力で引っ張ってくれれば私はそれでいいと思う。官僚や銀行員のような減点主義で映画を見てもつまらんでしょう、と個人的には思う。
キネマ旬報のベスト10がどういう選考基準なのかHPを見てもよくわからなかったが、アジアで数千万人を引き付けた映画よりも、日本映画だけでも10個も上位があったら、それって大ニュースなのではないかと思う。売れる映画と良い映画は違うというのは一部分かるが、それよりはもっと簡単に説明できる言葉があるのではないか。スノビズム。大衆は見る目がない、ということだもの。
同業の監督や評論家の「売れる要素だけ詰め込んだ」とか「モチーフがありきたり」の批判に対しては、おっさんは長く生きているので、30年前の「ノルウェイの森」騒動を思い出す。「100%の純愛小説」と付けてクリスマスカラーで売り出した同書は「君の名は」と同様に爆発的に売れ、今ほど有名でなかった村上春樹をスターダムに押し上げると同時に、評論家から「誰でもかける薄っぺらい通俗小説」「ありきたりの三角関係」などの多くの批判が浴びせられ、その騒動で村上春樹は心を痛めて日本を離れた。彼の作風にも影響が出てしまった(軽妙さが失われた)と思っている。
あの名著がどうしてこうなった…
アドラー心理学の観点からいかにこのドラマが酷いか書かせてもらう。
というか、題材がアドラー心理学なのだから、ドラマ作ってるうちに矛盾に気づかんのか。
・庵堂蘭子の部下への態度が酷い
部下を携帯代わり、教育を放棄し、さらに無視と問題行動のオンパレード。
挙句は「お前は刑事に向いていない」と部下の勇気をくじく有様。
その行動はアドラー心理学を持ち出すまでもなく、いわゆるアダルトチルドレンそのもの。
というかどうやったらこんな勘違いを起こせるのかすら理解できないレベル。
この主人公はアドラー心理学を生まれたときから実践しているという設定らしい。
いやいや、一番アドラー心理学を学ぶ必要があるのはこいつだろ。
いやいやいや、ちゃんとアドラー心理学教えろよ。お前も教育さぼってんじゃねえよ。
本来最も罰を避けるべきアドラー心理学の実践者が進んで、人々を罰して刑務所にぶち込むという矛盾…。
薄っぺらい勧善懲悪のストーリーならアドラー心理学なんて持ち出すなよと。
「あなたは(刑務所で)ずっと不幸に浸っていてください」なんて、
数々の重症精神患者を病院から救ったアルフレッド・アドラーが言うわけ無いだろ。爆発しろ!
ということで、ただのドラマで、ここまで突っ込みたくなるという点では大成功だな。
引き続きたくさんの突っ込みどころに期待しよう。
ギャルや不良は1990年代に社会問題化し、2000年代に排斥が進んだが、むしろこの差別が社会のイメージアップに繋がったのではないか。
彼らがそうなった同期には恐らく社会問題や学校環境の問題に起因するものが多い。
差別の原因となった見栄えや振る舞いはともかくとして、彼らには生産性がまったくない。その点を気づかせたと言うことで必要悪だった。
他方、オタク排除の動きがアニメで、鉄道で進んでいる。オタクの楽しめるアニメは深夜から消えつつあり、今では単なる消費型の番組が多数を占めている。
鉄道についても、最近では薄っぺらい観光列車やラッピング電車など、あからさまにオタクを向いていない列車が増えつつある。
また、オタク排除に関する運動の根拠が、「醜い」の一言だけだ。しかしこれは偽善ではないか?
確かに、外観は醜い人がそこそこいるし、オタクになった動機を聞くと、社会環境が原因だと言う人が多い。
しかし、オタクはギャルや不良と違って経済面での生産性がある。アニメだけとっても300億ぐらいはあるだろうか。
しかも、ギャルや不良のように代わりの居場所があるわけでもない。オタクの中にはリア充環境に溶け込めにくい人もいる。
「君の名は。」がキネマ旬報ベスト選外となったけど、これは、日本の映画批評における下記の(伝統的な)問題点の象徴する出来事なので、みんなもっと大騒ぎすればよいと思います。
最初の問題点。日本の映画批評は、アニメーション映画を適切に評価することができません。
キネマ旬報のベストテンにランクインしたピクサー映画は、何本でしょうか?少し考えてみてください。答えは、ゼロ。ゼロですよゼロ。世界のアニメーションに革命を起こした「トイストーリー」も、障碍児童の冒険譚をウェルメイドに仕上げた「ファインディングニモ」も、冒頭からほとんどセリフを用いることなく世界の荒廃を描いた意欲作「ウォーリー」も、トリロジーの最終作として圧倒的な完成度を誇る「トイストーリー3」も、ベストテン選外になっています。ピクサー以外でも、「アナ雪」も選外なら、2016年は「ズートピア」も選外。正気かよ。日本のアニメーションに目を向けても、例えば故 今敏の作品は1本もランクインしていません。「千年女優」を超える絢爛な日本映画が2001年に10本あったか?「東京ゴッドファーザー」を超える抑揚の効いた感動作があったか?「パプリカ」のイマジネーションを超える作品があったか?「パーフェクトブルー」ほど低予算の映画で、今なお国境を越えて評価され続ける映画が何本ある?
次の問題点。日本の映画批評は、映画自体の良さではなく「他国における賞レースの結果」や「興行成績」や「過去の監督作の評価」などの外部要素に引き摺られすぎる。
2000年以降、ピクサーを筆頭にCGアニメーション映画が映像面、シナリオ面での革新を重ねる中、たった1本だけキネマ旬報ベストテンに名を連ねた映画があります。2009年「戦場でワルツを」。レバノン内戦における監督自身の記憶を辿る、という半ばドキュメンタリーのような内容の映画で、ここ数年の作品でいえば「アクトオブキリング」ような手触りの、とてもいい映画です。とてもいい映画なんですが、たぶんこの映画がキネマ旬報ベストテンにランクインしたの「アカデミー賞やゴールデングローブ賞の外国語映画賞部門にノミネートされた最初のアニメーション映画」だからなんですよね。あと反戦映画だから。反戦映画と、海外の映画賞をとった映画は日本の映画批評において高く高く評価されます。
興行成績の良い映画の評価も引き下げられます。興行成績がよい映画は「おれが評価しなくてもいいだろう」という寝言をいいながら、実のところ「自分は年に100本も200本も観ているのだから、パンピーと同じランキングには出来ない」という薄っぺらながら自意識を守るために、本当はすごく面白かったのに、8位とか9位に入れたり選外にします。2016年も「シンゴジラ」より「クリーピー」を評価して、ズートピアを選外にしたハゲがいましたね。「こいつらは友達が多いから、ほかの人が評価してくれる」って言い訳しながら。一言。邪念が多いよ!!面白い映画は普通に評価しろよ!!いや、確かに「クリーピー」は面白い。その通り!映画に順位をつけるもんじゃない。その通り!けど、正直「シンゴジラ」と「ズートピア」より「クリーピー」のほうが順位が上、とい上のはさすがに無理があります。
過去の監督作に評価が引き摺られすぎる、というのはイーストウッド映画の過大評価が最も有名でしょう。確かに、イーストウッドの映画は面白い。本当に良い映画ばかりです。でも「グラディエーターとアメリカンビューティーとダンサーインザダークを抑えてスペースカウボーイが1位」とか「父親達の星条旗と硫黄島からの手紙のワンツーフィニッシュ」は、やりすぎをこえて「ヤラカシ」だと思うんですよね。
「ヤラカシ」といえば「オールタイムベスト日本映画こと七人の侍が、キネマ旬報年間ランキングでは3位な件」がもっとも有名ですが、このときは「木下恵介作品のワンツーフィニッシュ」というわけわからんことになっているんですね。1位は「二十四の瞳」。これは、わかります。「二十四の瞳」はすごい映画です。今観てもびっくりさせられます(比類する作品は「6歳のボクが、大人になるまで。」ぐらいしかし無いのでは?)。ところで、2位は?…2位は、「女の園」という映画です。…いや、本当なら観てから言うべきなのはわかります。でもあえて言わせていただきたい…知らないよ!!オールタイムベストどころか、木下恵介監督作としても無名の作品なのではないでしょうかコレ。(誰か観た人いますか?もし「おれは観たけど、七人の侍よりずっと良い映画だよ」という人が多ければ、この段落は訂正の上謝罪いたします)
映画は観る環境によって、評価が大きくことなります。これは前項と矛盾するようで矛盾しません。映画館で観る映画と、家で観る映画は違います。「IMAXで観るゼログラビティと、金曜ロードショーのゼログラビティは別の映画だ」と言われて、否定する人は少ないでしょう。映画は体験です。ウェイン町山が「試写室で隣にピエール瀧がいたので死ぬほどビビった」と言って「凶悪」を年間ベストに挙げるように。ガース柳下が金沢映画祭で観た映画を年間ベストに挙げるように。「お家に帰るまでが遠足」と言われるように。「フェスで盛り上がる曲」があるように。では、「夫婦やカップルで観に行き、食事をしながら感想を言い合い、その日の記念にプリクラを撮り、インスタに半券の写真を上げたくなる映画」は、その体験込みで評価しなければいけないのでは?
ひとり、ルーチンワークとして試写室のパイプ椅子に座り、原稿の締め切りを頭の片隅に置きながら観る人間は、金曜ロードショーで観た「ゼログラビティ」をつまらなかったと言い切る人間と変わりません。真面目な話、かつてこれほどまでに評価され、クチコミで観客動員の伸びたデートコースムービーってあるんでしょうか?そう言えば「動員で映画の評価を語るなら踊る大走査線2は名作」って言ってる人がいましたね。…寝言かな?(たぶん口を滑らせたのだろうと思うけど)
以上3点。おれは「息もできない」を年間ベスト映画に選ぶキネマ旬報のことが(ピラニア3Dを年間ベスト映画に選ぶ映画秘宝より)本当に大好きなんだけど、やっぱりよくないところはよくないところなので、なおしていただきたく候。
なおちゃぶ台をひっくり返すようだけど「君の名は。」は観てません。だって、子どもが生まれたばかりで、奥さんが育児で手一杯だったからね。子どもがもう少し大きくなったら、ポテトチップスとコーラを片手に、あーだこーだ言いながら2人で観るよ。ほなさいなら
イケハヤが飼ってるアシスタントは現在3人。全員2016年3〜4月に高知に移住した。シミラーウェブで調べたここ半年の月間PV数も乗せてみる。
「北のウォーリー」を自称し、ウォーリールックで高知市内をうろついてる大卒1年目。中央大卒。有名な弁論部に所属していた。ウォーリーには似ていない。
元々精神的に脆い部分があった上に就活に失敗してしまい、新卒カードを捨て逃げるように高知へ移住した。
普段はゲストハウスでバイトをしながらたまにブログを書いている。更新回数が少ない理由は明らかではないが、仲間と遊ぶのが忙しい様子。
自称ローカルライターとしての活動として普段仲間と飲んでる居酒屋を紹介する傍ら、地元北海道を紹介するエントリーを書いているが、北海道エントリーは内容が薄い。
ブログやTwitterを少し眺めるだけで突っ込みどころがたくさん見つかるのが悲惨。1月7日に「昨年度はお世話になりました」とツイートする頭の悪さ、プロフィール欄の年齢やブログタイトルの変更に伴う諸々の修正を怠る詰めの甘さ、エントリーのもくじすらまともに作れない能力の低さ、立ち上げた企画を2〜3日も持たずに投げ出す飽きっぽさが就活失敗の原因だと思う。
収益報告はなし。
マイナーイケハヤアシの中では数少ない「自称」炎上経験者。高知へ移住する際、東京から自転車で向かおうとして失敗したことが話題(3ブクマ)になった。
涌井メディアデザインという事業を立ち上げ、Webアプリ、iOSアプリ、Androidアプリのリリースのサポートをしてるらしいが、儲からない様子。
彼の目標はうつ病を治すこと、事業を軌道に乗せること。どっちも高知で貧困に喘いでいる間には達成できなさそうなのが悲しい。ブロガーとしてやっていく気がないのは独自ドメインを取得していないことからもわかる。
事業やうつ病の影響で更新回数こそ少ないが、この人にしか書けなさそうな精神病についてのエントリーがたくさんある。3人の中では一番読んでみたいと思わせるようなことを書いてる。
イケハヤのブログで記事を書いた経験があるので、多分気に入られている方なんだと思う。
高知のスティーブジョブズを自称する男。埼玉県に在住していたころからブログを熱心に更新しており、内容は3人のなかで一番薄っぺらいがとにかく更新回数が多い。でも毎日じゃない。
ブロガーとしての実績はゼロだが、経験はあるため新規ブロガーを支援する活動をしており、何度か実績報告エントリーが投稿されている。
地元新聞からミニマリストとして取材を受けたり、仲間と旅行に行ったり毎日楽しそうだが、収益報告はなし。
ここ半年は月間9〜12万PVで推移しているので、副業としてはまあまあのレベルで稼げてそう。