はてなキーワード: 薄っぺらとは
むしろ乙女ゲーというか少女漫画というかそういうのでありがちなパターンを思いっきり皮肉ってるのではないか、と思う。
イケメンの婚約者、その婚約者の為に他の男の求婚を断り独身を通すヒロイン、愛し合ってるのに結ばれない二人、
そして非業の死を遂げる婚約者とその志を継ぐヒロイン、美しい初恋の思い出…
実はそのイケメンは他の女にも同じような事ばかりやってるただのスケコマシのクズでしたー、ってさ。
スイーツ大河とは呼ばせねえぞと言う制作側の意図があるんじゃないか。
これまでの、爽やかイケメンとして描きながらどこか腹黒さや胡散臭さも感じさせる脚本も上手いし
歯の浮くようなセリフを言いながらやはりどこか心がこもってない薄っぺらさを演技で示した三浦春馬も上手い。
そういう面を見せないで視聴者を完全に騙してしまうと騙された!となるし
そういう面をあからさまに見せてしまえば何で主人公はあいつのクズさ加減に気付かねーんだよと視聴者イライラ、となるけど
絶妙な匙加減だったから、視聴者も「あいつ胡散臭いけど深読みし過ぎかな」程度で収まってたし
あんな食中毒リスクのくっそ高いショバを高値で借りたりするわけねえんだわ
とある国で駐在妻をしているが、恐ろしいほど駐在妻同士で価値観が合わなくてしんどい。
大体の人が結婚を旦那の所属・収入・海外駐在の可能性を考慮した上で結婚している。
そのため会話をしていても話に深みがなく薄っぺらくて辛い。
会話の大部分は誰それの奥さんがどうのとか、旦那さんがどうのとかである。
あとはなぜか学歴の話も上がる。
駐在している国の第一言語の取得はもちろんのこと、キャリアプランに有利なことは全て行なう。
自分の将来のキャリアプランや成し遂げたいこと、こどもの将来の道筋、教育費、教育論に関するオススメの本など
こんなことを話せる人がいない。
特に女性のキャリアに関しては女子大に出て商社やインフラ男子を捕まえた人がすごいという価値観が蔓延しているので、
もちろん私の価値観とは合わない。
はてなblogって、いつの間にダサいFacebookみたいな使い方が蔓延するようになったんだ?
自分はここ数年ダイアリの頃から見てた人や興味ある記事くらいしか見てなかったんだけど、
知らない間にどんどん空気変わっていたんだろうか?
Facebookの日記みたいなノリの文章自体についてだけじゃなくてさ、
例えばめちゃくちゃ薄っぺらい中身の無いコメントをあちこちのはてなブログに残してまわって、
ダイアリの中にブクマ表示させて、同じく返してもらったうっすいコメントに、
しかもスター1つだけならまだしも毎度のように3つとか付けちゃう、みたいな(笑)
けど議論や揉め事は多発しても、この手の嘲笑されえるようなタイプのダサい承認欲求スター集め(Facebookのイイネ集め)する人って
ほとんどいなかった気がするんだけどなぁ。スター集め自体は勿論あったけど。
なんかガッカリだ。
上記の印象はとんだ誤解、という結果だとうれしいので、反論を期待してる。
嫌われたくなさすぎて、人付き合いができなくなった。
今日は面白い映画を見に、自由席の映画館へ行った。最近精神的にピリついている私は、なぜか頬の下あたりがかゆくなって、上映中に何度も掻いてしまった。
上映が終わり、場内が明るくなり、荷物をまとめて席を立った私は、真後ろに座っていた女性が隅っこの席へ移動する姿を見てしまった。
頬の下を掻く私の手が邪魔だったのだろう。私は見ず知らずの人に嫌われてしまったのだ。
渋谷の街を歩きながら嫌われずに生きていく方法を考えていた私は、上京してからというもの、嫌われたくない一心で、友達を作らないでいることに気づいた。
というのも、親しさは体力ゲージみたいなもので、親しくなればなるほど貯まっていき、嫌われれば減っていくものだと思っていたのだ。
つまり、誰とも親しくならなければ、ゲージは貯まらない。減るゲージが。
孤独に身を置くことで安心していた私は、今日、赤の他人にも嫌われる可能性があるということに気づいてしまったのだ。
今考えれば、どうしてこんなことに気づかなかったのか。あまりにも他人に無関心すぎて、他人を嫌いになることすらなかった薄っぺらな時間が突然重くのしかかってきた。
情けなくて泣けてくる。安心は鈍感を生むんだな。
「危うい」というのは国家としての存続ということ。
政治とか歴史とかについてあまり理解はない方だと思うのだけど、私自身が中国に留学、就労経験があることもあり、私のfacebookには日本に帰化した中国人だったりという人もいる。
日本語が非常に堪能で名前さえ明かさなければ中国人だと分からないし、日本の高等教育機関で働いていたりする。
facebookのタイムラインを見てきて分かったのだけど、これらの人たちは日本の左翼活動家をすごく尊敬していてシェアやいいね、コメントをしていろいろ励ましているし、
基本的に日本だめだー、政治家だめだー、歴史認識だめだー、とか。
いろんな文献に基づいた客観的な分析ならまだ学びがあったりするのだろうけど、最近とくに主張が薄っぺらい上にいろんな人に絡みだして立ち悪い感じになっている。
日本批判の報道内容はシェアするくせに、自国内メディアにおける捏造報道だったりには目を背け、中国称賛ニュースを拡散したりしている。
(私は中国のニュースを読解できるくらいの中国語レベルはあるので、よく中国のニュースウォッチをしているのだけど、たまに酷い捏造記事が拡散されたりしている)
これだけ日本に対するヘイトを繰り返しているのに、日本政府から何の制裁もなく今日も頑張ってヘイトできることを保障してくれている日本政府に感謝はないのか、ということ。
もし、こういった活動を母国でやったら瞬時にスパイ容疑で逮捕されるだろうに。
最近中国でスパイ容疑で逮捕されたというニュースがあったけど、この元中国人たちによる日本での活動は目に余るというか、もうすでに日本の教育機関にまで入っていて社会的地位、影響力を持っているというのが本当に恐ろしい。
この人たちの教え子もすごくこの人たちを慕っているようだし。
私という一小市民のfacebookでもこういう現状が浮彫になるくらいだから、日本全体、日本中枢まで目を向けるともしかしてもう取り返しのつかないところまでいっているのではないかとすごく危惧してしまう。
だいたいインターネットがあれば整いそうだけど、そのインフラはアメリカ全土で共通して整っているかというと、違うみたい。ニューヨーク州ですら、全域でネットワークインフラは整ってない。
次にテレビ。日本だとキー局の制限はあれど、ゴールデンタイムや深夜には新しいコンテンツを配信してくれる。でもアメリカだとテレビは有料コンテンツに大きく移行していて、日本のデジタル放送のように無料の電波で受信できるものは再放送コンテンツだったり、薄っぺらい内容らしい。
最後に本…。電子書籍で店舗数は減少したのは日本と同じ。また紙書籍が盛り上がったらしいけど、潰れた書店数から戻ったとは聞かないなぁ。
だいたい潰れるのは収入の少ない(見込みのない)店舗からだから、低所得者の多い地域からは購入機会も失われている可能性は否めないのかも?
州ごとの書店分布図とかあればいいんだけど、簡単にググったくらいじゃみつからんかった。
あと、アメリカの書籍は日本と違って出版社の返品(名称ちがったかな)が聞かず、書店買取だからすごく単価が高かったはず。日本だとマンガは四百円あれば買えるけど、向こうだと四千円くらいじゃなかったかな。
※ゲームが抜けてた。
ハードやソフトを買うのにもお金かかるよねー、と思ったけど、ゲーマーには低所得者が多いらしい。
http://forzaxbox.net/blog-entry-8748.html
格差社会アメリカだと、低所得者がメディア(娯楽)を簡単に得ることは実は難しいのではないか→日本は低所得者であっても娯楽を得やすい。ので全体的な娯楽充実度合いがちがうため、欲が抑えられ、犯罪への抑止力に間接的に繋がってる面も1つ。
あと、他のデータ見てると、そもそもアメリカでは生きていくために奪うしかないために発生した犯罪は多そう。でも、印象でしかないからわからん。
村上春樹は新刊で40万人の南京大虐殺があったと書き、それを非難されると「歴史を修正しようとする者たちとは戦っていかねばならない」と反論した。
村上春樹は南京大虐殺についてどの位研究したのだろうか、少しでも研究・調査すれば“あった”と言うには躊躇するような多くの矛盾が出てくるはずである。
彼の南京大虐殺の知識というのは我々一般人と同じで、ただ聞きかじった知識であろう。その聞きかじった知識で全世界に向かって南京では40万人が虐殺されたと喧伝したのだ、なんという無責任な奴であろうか。七十に近い男が言論には責任が伴うということが未だ分かっていない。
誰か村上春樹に対して言ってやればいいのだ「貴方は本当に南京大虐殺を信じて書いたのか?もし嘘だった場合、大変なことになるぞ、どう責任を取るつもりなのだ、命を賭けても40万人大虐殺はあったと言えるのか」と。
若いころ村上春樹の本を読もうとしたが「ノルウェイの森」というタイトルを見て、薄っぺらで欺瞞的なものを感じて村上春樹を読むことをやめたが、あの時の直感は正しかったようだ。
私たち人間は無意識的に“自分の考えていることは正しい”と信じ込む癖がある。それを改めようとしたのが、ソクラテスや孔子、釈迦が言及している“無知の知”であろう。それは、つまり知識人たちはなんでも分かっていると考えているが、本当は何も分かっていない、また神の知恵に比べて我々人間の知恵など取るに足らないものだから、我々は常に謙虚であるべきだというものであろう。
我々はソクラテスたちの時代から何も進歩していない、何千年たっても人類は“無知の知”を自分たちのものにできていない。現在においても我々は“自分の考えた事は正しい”と考え安易にネットなどに書き込んでいる。
私たちがもう少し謙虚で自分たちは無知であると知る為にはどうすれば良いのか。 自分の意見・考えに対して“本当はどの位自信を持っているのか”がピタリと分かる方法がある。
それは自分の全財産の内どのくらいなら賭けられるだろうかと考えることである。
例えば財産が一千万円あるとして、その内いくら位なら実際賭けられるだろうかと考える。数万円なら賭けられる、それでは数十万はどうだ、数百万では・・・と考えていけば、いくら位までなら賭けられるという金額が出てくる。その出てきた金額が自分の考えに対する自信の程度を示している。自分の考えが絶対に正しいと考えていれば全財産どころか命だって賭けられるであろう。しかし数十万円しか賭けられないと思うならば、それはほとんど信じていないということになる。信じてもいない事をいかにも正しいかのように発言するのは詐欺師である。
責任感をあまり感じないネット上で発言するにしても、責任が伴う事柄ならば、せめて全財産の半分ぐらいは賭けられるという自信ができて初めて発言すべきであろう。このように“実際いくら位なら賭けられるだろうか”と自問自答をしてみれば、多くの場合は“私はまだ本当には信じていないのだ、無責任に発言すべきでない”と自分の無知を理解し謙虚になることができる。
皆さんも「自分の意見は正しい」と思った時には“自分は全財産の内どの位本気で賭けられるだろうか”と自問自答してみてください、そうすれば本心ではどのくらい自分の考えに自信を持っているのかがピタリと分かりますから。
嘆きのポエムだったり、
怒りのポエムだったり、
さまざまな形で同じ主張をいっしょうけんめい繰り返す。
彼がなぜ突然、その事実に取り憑かれてしまったのかわからないけれど
後輩(いいやつ)は俺チャンピオンは毎号読みますよと反応してあげてたけど、
なんで本を読まないといけないのか。
吐き気がする。
毎日たくさんの本を併読しながら、他人の人生を薄っぺらなどと言う43歳よりも
チャンピオンだけをひたすら読みながら、上司の戯言にへらっと返せる26歳のほうがよっぽど上等だ。
それを聞いた瞬間、わあっと頭に血がのぼってキレ気味に
「じゃあ上司さんは今なに読んでるんですか」と聞いてしまった。
上司「えんぴつ塔のプペル」
たんに、へんな人なのかもしれないなあ。
ほんとそれな
昔から音楽羅列紹介ネタはクソ薄っぺらい内容でもなぜか無言ブクマが大量につく
たぶん最初の3つを無言でかまわないから互助ブクマすればすぐバズれる
まとめてスイープしてくれんじゃねーかって期待してる
最近やたら話題になっている『けものフレンズ』というアニメを視聴した
個人的には全然楽しめなかったし、クオリティ低すぎてステマを疑うレベルに流行ってる理由がわからなかったが、そこはこの日記の本題ではない
《得意なことはフレンズによって違う》
といった言葉がもてはやされているように、世間一般(といっても実際はごく一部のアニオタだろうが)では『けものフレンズ』は多様性や個性を許容する”正しい”アニメのような扱いを受けている
キモオタのネトウヨに媚びるしか存在意義のない『幼女戦記』に比べれば相対的にはそれは正しいと言えるが、しかし『けものフレンズ』には偽善的な要素が含まれているのは紛れもない事実である
その偽善的な要素とはなにか
『けものフレンズ』に登場する動物が擬人化されたキャラクター(いわゆる”フレンズ”)はすべからく女性なのだ
いや、ここでは女の子と言ったほうがいいだろうか
呆れることに鬣のあるオスのライオンまでもが、弱々しく可愛らしい女の子へと女体化されてしまっている
男女平等が理想として掲げられて久しい現代社会において、女の子しか出てこないアニメというのは一目で歪と分かる
視聴している間も気持ちが悪くて仕方がなかった
このアニメは多様性へのリスペクトしているどころか、むしろ多様性を侮辱していると言っていい
必要なものは"シコれる”可愛い女の子だけでそれ以外のものは捨ててしまえ、という男性の性的願望が丸出しだ
オナニーはせめて人の見えないところでやってほしい
《薄っぺらいセリフで表面だけポリティカルコレクトネスのコーティングをした、スカートを履いた女の子がパンチラを振りまき視聴者男性に媚びるだけのキモオタアニメ》
偽善と呼ばずになんと言おうか
こんなものを持て囃している日本人は、人権という観点において20年は遅れているということをアニオタは深く自覚するべきである