嫌なこともたくさんあったが自分で死ぬのは怖かったし痛いのは嫌だから、自殺でもないと思っていた。
僕は今三十二歳だ。
つまり、二十歳になっても死ななかった。
なぜ二十歳で死ぬと思っていたのか、今となってはよく分からない。
落第しない程度に勉強をし、親に迷惑はかけないように生きてきた。
どうせもうすぐ死ぬんだから、何かをやろうという意欲もなかった。
下種な話だが、男女間で行われるいろいろのことは、死ぬときに後悔がないように全部やった。
もう十年前以上になるが、今でも鮮明に覚えている。
十九歳の最後の一日、深夜十一時五十分、家の屋根の上に上がって寝転がって星を眺めた。
そうしているうちに、あと一分で二十歳になろうとしていた。
怖くはなかった。僕は静かに目を閉じてその瞬間を待った。
…
ん?
僕は目を開けて時計を見た。零時十分だった。二十歳になって十分の時が経っていた。
僕は死ななかった。死ねなかったのだ。
…
しばらく夜空を呆然と見つめて思ったのは
「このままだと、僕の人生やばいんじゃないか」ということだった。
大した学歴もなし、経験もなし、ただの薄っぺらい二十歳の人間がそこにいた。
詳細は割愛するが、その後猛勉強して大学に入りなおし、割と良い学歴を得て、今は悪くない仕事をしている。
二十歳前と後では、まるで別人だと感じる。
人に昔のことを聞かれると、あまりうまく答えることができない。今の僕ではない、別の人間のことのようだから。
あの屋根の上で星空を眺めながら死を待ったひとときが、僕の分水嶺だった。
運が良かったのかもしれないが、いわゆる「人生の正規ルート」から外れてしまっても、こうしてそれなりに楽しく生きることができている。
「何寝ぼけたこと考えてんだ、死なないから!」と言ってやることができれば、どんな人生だったんだろう?とたまに思う。
もしかしたら、今より素晴らしい人生かもしれない。残念ながら、それを知ることは絶対にできないけれど。
僕の場合、二十歳以前の自分のせいでひどい目にあったが、僕を今の地点に押し上げてくれたのは二十歳以後の自分で、どちらも間違いなく「僕」だ。
日本の社会は、やり直しがきかない、レールを外れた人間に厳しい社会といわれている。確かにそうだ。
僕は間違いなくレールを外れた人間で、そのことで色々な人に色々なことを言われたりしてきた。いいトシして何やってんだ、云々。
けれど、それに対応していくのも自分の責任の一つだと思っている。だって二十歳まで適当に生きてきたからしょうがない、と。
(ちゃんと真面目にコツコツやってきて、思いがけずレールを外れてしまった人間には、これは当てはまらないが)
失敗したって、死ななきゃいけない羽目になることなんて、ほとんどない。
だけど、何もしないで待っていて状況が好転することも、ほとんどないと思う。
ガンジーの言葉で「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」というのがあるが、
正直言って、明日死ぬんならやっぱり僕は滅茶苦茶無気力になると思う。だって明日死ぬんでしょ?今頑張ったって無駄ァ!と考えずにはいられない。
0x20歳がお前の本当の寿命説
1.努力しなくてもそこそこの大学に入り、セックスも出来た 2.二十歳から猛勉強したら高学歴にランクアップし、悪くない生活をしている 3.こんな中2病な俺かっけー