はてなキーワード: 結果的とは
現代においてその代表例とされるのが世界平和だの人種民族の共存だの反差別とか
だから結果的に冷笑系の嘲笑の対象は左翼リベラル派の類になりやすい
つまり冷笑系は「俺は現実主義者の大人だぜ」というスタンスを取りたがるわけだが
一方で右派的な主張にもお花畑的な理想主義や嘘くさい過去の美化もある
明治から戦前の日本は教育勅語があったから理想的な聖人君子しかいなかったとか
戦国時代に残酷なことをしたのは織田信長一人だけで庶民はみな非暴力だったとか
自分は「人間はずるいし汚い(俺もな!)」という前提で生きてるから
「人間はずるいし汚いからこそ、せめてタテマエ上の正義や理想ぐらい必要」
ぐらいに思っておくべきではないか
最大の原因はたくさんの戦う女の子キャラクターたちがいて、かつ彼女らにかなりはっきりとした序列がついていること。
彼女らの大半は敵として登場し、中ボス、ステージボス、ラスボス、裏ボスという役職そのものが強烈な格付けになっている。(ラスボスよりステージボスの方が設定上は格上のこともあるが)
解釈の分かれる曖昧な背景設定よりもレベルデザインははるかに雄弁だ。
これの何が問題かというと、推しが弱キャラ(あえてそう呼ぶ)だと他キャラのファンから煽られてしまう構造になっていることだ。
ともすればキャラクターの序列がそのままファンの序列になってしまうのだ。
つまるところ格付け厨が暴れまわるのに最適な環境になっているのだ。
ソシャゲのように今後強化パッチが当たる望みもない。(新作で強化されて再登場する可能性はなくもないが)
作者にそんな意図はなかったのだろうが結果的にとんでもない蟲毒の壺が出来上がってしまった。
俺も一時期はまったのだが、界隈の険悪さにとてもじゃないがついていけなかった。
昨晩のテスラの値動きはすごかった。
265ドルまで下がった後、踵を返すように175ドルまで上昇。そして終値ではふたたび265ドルへ。
ショートを積み増そうと思っていた私は、寄り付きから下げていく株価を見てあわて、265ドルで売り玉を少し増やした。しかし反発してしまったので仕方なく272.5ドルでこれを損切り。模様眺めしていると株価の上昇はとまらず275ドルまで駆け上がった。
直近で275ドル程度で下げ止まっている日が3日、5DMAも277ドル程度。上げ止まって反転するならこのあたりだろうと想定していたラインに昨日のうちに達してしまったのには本当に驚いた。上がる場合でも数日かけて上がるのだろうとのん気に構えていたのでなおさら。
上がった場合に275ドルで反転の可能性を見込んでいたわけだからと、おそるおそる275ドルで売り玉を追加した。結果的にはこれは正解だったようだ。他にも272.5ドルで追加。損切った価格と同じ価格で再度参入するのは奇妙な気分だが、ポジションを取る際には微損の段階で間違ったと判断して即損切り、あらためてポジションを取り直すという動きを繰り返す。その軽薄さが大事と最近思うようになった。収まりの良いところでポジションを取れるまで微損で何度か(あるいは何度も)損切りする際の損は、合計しても大した額ではない。儲けを出すまでに必要な最小限のコストだ。一度下した決断にしがみついて損が膨らむよりずっといい。
来週以降の値動きには確信を持てない。チャートは出来損ないのカップウィズハンドルが上抜けに失敗し、ハンドルの底へと出来高を伴って急降下した形。これだけ見ると下落の可能性が高い。
問題は日足、週足、月足が揃って上ヒゲである点。天井圏の右肩で上げきれずに出来高を伴って墜落したと見るべきか、もみ合いの底で出来高を伴って下げ止まったと見るべきか、今の私の力量ではよく分からない。前者なら週明け以降は下落の可能性が高く、後者なら反転上昇して310ドル程度を上限にチャートはボックスを作るのかもしれない。
とはいえ、悪い地合い、高すぎる成長期待とPER、直近2年程度のチャート形状、これらから、テスラの株価に下落の気配が濃厚であることは変わらない。来週は株価が反騰したとしても長くは持たず、しばらく後に下落していくとは思っている。
(最下部にブコメ返しあり)
この増田はいつ頃、どういう入り方で、陸海空どの自衛隊のどの隊にいたのだろうか?
なんでみんなそれすら確認せずにこの情報を信じることができるのか?現場を経験してないからなのか?
俺も自衛官だった時期がある。身バレしない程度に、俺が経験したことを具体的に書く。ちなみにめちゃくちゃ長いです。
俺は2007年8月〜2010年3月まで、任期制隊員として陸自の関東方面隊にいた。任期制隊員についてはググって。まだこの制度あるのかな。
今はどうか知らないけど、当時は入隊してから半年の教育は前期3ヶ月と後期3ヶ月に分かれていた。
前期は武山駐屯地で自衛隊法とか小銃の組立解体とかの座学と、徒手空拳とか5段階ある匍匐前進の仕方とか寝撃ち膝撃ちみたいな小銃の撃ち方とかの実技演習と、定期的に実施される体力テストのための体力づくりが中心だった。
俺はちょっとした事情で、教育中はなかなか野外訓練についていけなくて悔しい思いをした。
前期の教育中、同じ班の人が「24時間拘束されてこの給料じゃ国の最低賃金下回るじゃん」みたいなことを若い奴らに喧伝して支持を集めてたけど、少なくとも教育中は長時間拘束されるなんて入隊前から分かりきってるんだからそもそも入隊しなきゃ良かっただろ、士気下げるだけだからさっさと辞めちまえばいいのに、と言う人たちもいた。
印象的だったのは、教育隊の隊長が2尉だったかな?20代後半のなよなよした人で、それに対して10の班を纏める40代くらいの2曹がミッシェルガンエレファントのドラマーをシュワちゃんばりにおもくそ屈強にしたみたいな、子供時代が想像できないタイプのいかにも鬼軍曹な人で、まあその人も話してみると意外と優しかったんだけど、最初から幹部で入ってるっぽい人と現場叩き上げでこうも違うのかと思ったな。
あとは、軍事オタクよりアニオタの方が多かったとか、選ばれし者だけが習志野の空挺に行くことを許されるとか、同期に柔道全国6位とか特殊な人がまれにいたりとか、入隊前の書類に実家の信仰する宗教を記入する欄があったとか、ある日全隊員が会議室に集められて特定の生命保険への加入を(隊友会のめちゃくちゃ安いやつじゃなかったと思う)半強制的に勧められたとか、東富士での三日三晩の訓練の後に叩き起こされてみんな絶望的な顔をしながらとある部屋に集められて「次の任務を言い渡す。これを飲め」と配られたのがキンキンに冷えたコーラ(任期制は未成年もいるからね)でめっちゃ安心して涙が出るほど美味かったとか、普段全く笑わなくて班員のやらかしが発覚すると班の部屋に潜入しバームクーヘン毛布を全員分グチャグチャにすることで「台風」のあだ名がついた班長が休日に部屋へやって来てすわ何かと身構えたらPSP取り出してはにかみ笑いでモンハンやろうぜって言われて一緒に遊んだりとか、まあ色々印象的なことはあった。
後期は普通科施設科需品科とか、隊員たちがそれぞれの職種に対応した駐屯地に分かれて、ある程度専門的な教育を受けた。あんまり言うと特定されそうだから詳しくは書けないけど。
後期は大抵5年〜10年ほど自衛隊にいてだらけきった(後述する)人たちが上官になるので、前期に比べると圧倒的にヌルかった。
武山駐屯地の教育隊はというと、彼らは教育専門の部隊で、年中そればっかりやってる人たちなんだよね。そのことは後期に入って初めて知った。
ただ、後期は冬だったから野外訓練が死ぬほど寒かった。キツかったのはそれくらい。
教育期間を振り返って思うのは、確かにパワハラ的なことは全くなかったとは言えないんだけど、当時のご時世とか考えると、高校の部活の延長みたいなもんだった。むしろ強豪校にいた人にとっては前期もヌルかったんじゃないかな。訓練はどうしても体力のない人に合わせる形になるからね。
それに、少なくとも教育中は、この増田が言ってるようなことは全く無かったな。自衛隊法は学んだけど、「神と虫」なんて言ってるのは聞いたことがない。上は「教官」じゃなくて別の肩書だったし。前期の休日で外出する場合は制服着用って言われたけど、彼女待たせてる人は当然外で着替えるし、横須賀中央とかのあたりはその辺を軍服の人が歩いてるのが日常だからそんなに忌避感もなかった。
一定の耐性がついてる人は多少制限を与えられても抜け道とか自由をその中に見出してなんとかするし、何か洗脳っぽいことを言われても自分でちゃんと考える。そういう意味では増田が教育の時点で抜けたのは正しい判断だったのかもね。まあそもそも、この増田がやってることこそ洗脳な気もするんだけど。
とにかく。話変わって、パワハラみが増したというか、俺にとって地獄だったのはむしろ教育が終わってからの方だった。
教育が終わって、俺は地元にまあまあ近い駐屯地に配属になった。
そこでまず知らされたのは、春以外の入隊員は季節隊員という半ば蔑称に近い形で呼ばれて、「使えない・すぐ辞める」隊員が多いというレッテルを貼られていること。「部隊のエース」という言葉は文脈によって、本人の与り知らぬところで蔑称になること。新入隊員は慣習的に、部隊長の半長靴磨きという業務時間外の仕事を割り当てられること。訓練での活躍なんかよりも、休憩時のお茶汲み、上長が煙草を吸っていたら煙缶を持って来る、ビール瓶のラベルを見えるようにして上手く酌ができる、飲み会で要領よく挨拶回りができる、そういう「空気の読める」隊員が良しとされる風潮があったこと。
んでもって極みつけは、所属大隊の隊長が、金正恩もびっくりの「お前屈んで半長靴の紐結べねえだろ」ってくらい不健康そうな出っ腹だったこと。
別にルッキズムなんて持ち合わせちゃいないし、市井の人々はいくら太ってても気にしないけど、有事に人を守る自衛官としてそれはあんまりだろ。
俺はこれからこんなやつらの下で働かなきゃいけねえのかと思った。この半年学んだのは何だったんだと思った。
んで、それでも我慢してやってみようとしばらく過ごしてみると、よりその地獄みは鮮明になった。
一年のうち3分の1ほどが、草刈り・車両整備・消防点検やらお偉いさんの来訪前などに頻繁に行う寮の清掃・持ち回りの風呂掃除や警衛などに費やされる。
さらに、これは駐屯地によると思うけど、俺のいたところは糧食班もあって、食堂で飯作りと配膳を3ヶ月ほどの持ち回りで担当する(対象は陸士)。
よって、訓練や体力づくりに精を出すのは一年の半分を満たない。当然毎日定時。通勤1分。
半長靴磨きとか迷彩服のアイロン掛けとか定時外にやることはあるけど、隊長の半長靴は陸士の間で持ち回り、それも一番下の立場の時だけなので、自分の下が来ればそいつらに引き継いでやらなくなる。自分の半長靴はイベントがあったとき磨けばいいくらいだし、迷彩服は私物って言ってアイロン掛けの要らないタイプを買ったり貰ったりしてたから、やっぱりイベントで官給のやつを使うときしか掛けなかった。
ついでに、たまの訓練で遠征するとなると、7tの荷室で人員輸送されてる最中は密閉された幌の中で何人もがバカスカ煙草を吸いまくる。煙草を吸わない俺にはそれが無茶苦茶辛く、かと言って指摘すればたちまちエース(笑)扱いになる未来が見えていたので、繊維が肌に刺さるほど質の悪いカーキ色の官給毛布で顔を覆って耐えるしかなかった。さすがに今はそんなことはないと思いたいけど。
自衛隊車両の運転免許を取りに行くとか、観閲式の準備対応とか、あとはさっきの糧食班とかは、普段の部隊から離れてかつ自由な時間が大幅に増えるので「おいしい仕事」と呼ばれていた。駐屯地の中にクラブという名の安っぽい飲み屋があって、酒を飲まない俺でも週に2日くらい連れて行かれた。
そんなわけで、大体の人は教育期間とのギャップから、怠惰になる。怠惰にさせられてしまう。だから、大隊長に限らず太ってる奴らは多い。
こっからは完全に自慢になる。
俺はそんな怠惰な環境が嫌でしょうがなくて、体育学校に行きたいと思った。ほぼ帰宅部の人生で教育期間もほぼビリケツの筋力だったんだけど、幸い持久力だけは人並み以上にあったので、かなり頑張れば3000m(5000mだったかな?)走の資格に手が届きそうだった。
ちなみに、カナヅチだった俺は駐屯地内のプールでシンスプリントの治療がてら練習しまくった結果遅い遠泳ならできるようになったけど、立ち泳ぎができなかったのでレンジャーはハナから諦めてた。
とにかく、2年弱走りまくっていたら、3000mの歴代中隊記録を更新して、さらに大隊内で一番体力テストの成績が良くなった。2年弱の間に糧食班にいた期間の自由時間とか自衛隊内の教育とかを使っていくつか資格を取った。そんなこんなしてたら件の大隊長から表彰状を貰った。この場で破り捨てたらどうなるかなと思った。
もう少しで体育学校に行けるというタイムまでこぎつけたところで、別にやりたいことができた。体育学校に行くのは良いけど、現役を引退した後も自衛隊にいるとまた空気を読むだけの怠惰な生活が始まって面倒そうだとも感じたので、2任期目の途中で退官することに決めた。
半年ほど前に申告したにも関わらず、結構直前まで揉めた。まあ任期制隊員なのだからある程度は仕方ないんだけど、なんか中隊長を納得させるためか会社の事業計画の個人版みたいなものを作らされた記憶がある。1年後にこういうことをして、3年後には海賊王に俺はなりますみたいなやつ。
今はこんなご時世だし多少は改善されてると思いたいな。
えっと、ほんとにめちゃくちゃ長くなった。何が言いたかったんだっけ。
とにかくだ。洗脳って言葉を使うのであれば、教育期間は俺にとって洗脳でもなんでもなかった。当然咄嗟には受け入れられない出来事もたくさんあったけど、それは、「人を守る仕事」という前提と、当時の時世ということで鑑みれば納得できた。
むしろ教育が終わってからの方が、耐性のない、考える力のない人は洗脳されやすいと思う。それくらいにあの場所は怠惰だ。その「人生楽勝な感じ」に大半の人が流される。騙される。
そんなんじゃ人は守れないからと、一部の「強い」人たちがその人たちなりに必死こいて、あの組織を「人を守れる組織」としてなんとか保っているのが実情なんだと思う。当然この場合の強さってのは権力でも、武力でもない。精神的なタフさと、ひたすらな良心だ。
断っておくけど、「だから俺は強いんだぜ、すげえだろ?」がやりたいんじゃない。俺はむしろ弱い。あの組織で怠惰に抗い続けることができなかった。さっきは自慢話にしたけど、その場その場の怠惰に流されたことも何度もあった。
居続けることで結果的に「弱い」人間になる。そんな場所になってしまっているということが、あの組織の悪いところだと俺は思うよ。
大切なのはいつでも、考え続けることだ。
学校もそうですが世間の目が届きにくく指導者管理者の裁量が大きい場所は下の人間への扱いの振れ幅が大きくなり信じられないようなことも起こりますどちらの話も嘘だと断定はできないと思います
信じられないようなことが起こりうるというのはほんとそのとおり。
まあもう身バレしてもいいかなと思ってるから言うけど、当時俺が在籍してた駐屯地で、教育隊の幹部が新入隊員たちに爆薬を食わせる事件があった↓
俺の言うことを信じろと主張するつもりは毛頭ないんだけど、「神と虫」の件に関しても時期によっては事件扱いになっていておかしくないので、調査のためにもう少し具体的な情報を元増田には尋ねたい。
人は自分が都合の良い用に考える。日々、警察の不祥事を批判しているニッポン・リベラルは、なぜか「AEDを女性に使って良いか」問題では、警察は100%理性的に行動し、AED使用者を逮捕するはずないと信じる人が多い。
人は自分が都合の良い様に考える。そうだね。
ついでに。
別に情報拡散だとか発言の際に絶対に失敗すんなって言ってるわけじゃなくて、そりゃみんなもっと慎重になるべきじゃねとは思うけど、うっわ失敗したーと感じたら無理に軌道修正しようとせずに素直に認めてアップデートすりゃいいんだよ。
それが考え続けるってことだと俺は思ってる。
ニッポン・リベラルという言葉が具体的にどういう思想の人たちのことを指すのかちょっと調べた限りではよく分からんのでここでは触れない。
3行でまとめると
・並んでいたのは普通の人って感じだった
・16時ごろには反対派も賛成派も見かけず落ち着いた雰囲気だった
・蒸し暑くて並ぶの疲れた
故安倍氏に対するイメージも書いておいた方がいいのかな。岸田総理支持、数年後の河野太郎期待、2・3段下がって安倍氏という感じ。支持政党なし。事件については未遂かせめて大怪我で済んでいたら、山上容疑者も殺人者にならず、警備体制やカルト宗教との付き合い方も見直されて、みんな今よりは幸せだったんじゃ無いかなと残念に思ってる。何も殺さなくてもよかったのに。
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9月27日14時すぎ、YouTubeの国葬の配信を見てふと現地の様子を体験したくなり家を出る。仕事中だろ!と突っ込まれると辛いけど、家から半蔵門に行ってノータイムで献花して帰宅できればちょっと長めの昼休み・・で収まる想定。まあ無理なんでサボりですが。
手ぶらはアレだなと思い、近所の花屋にいくと白と青の小さな花が220→165円で売っていたのでそれを購入。九段下駅で降りると、普段よりだいぶ騒がしい。関係者と思われるスーツの男性が「最後尾は四ツ谷駅です」と頻繁にアナウンスしている。行列の先頭から最後尾まで歩いてもいいやと半蔵門駅に向かって降りて地上に出たところ、そこでも最後尾に案内された。どうやら複数の列があるみたい。(結果的に、これがめちゃ時短になって申し訳ない感じ)
横5〜6列くらいで並び、普段着の人、喪服っぽい人、なかにはゴスロリの人もいたりした。男女もあまり偏りなく、だいたい30代から上が多い感じだったかなあ。まあ、その辺で歩いてる普通の人のように見えた。ノーマスクはごく一部。99%くらいの人がマスクをしていた。屋外とはいえ距離が近いから助かる。かなりの数の警察官が行列の整理にあたっていて安心感があった。税金の使い道として正しいのか判断しかねるけど、現実問題として警察官の協力がなかったらこの規模の開催は無理だっただろうなとは感じた。
疲労と空腹で、「天重 本店」の前を通った時は列から抜けて食べてしまおうかと思ったが、まだ営業前だったからなんとか我慢。気温はYahoo天気で27度くらいだったけど高湿度でジト汗。1時間半近くじりじり進んで、やっとFM東京前くらいまで列が進んだと思う。そこからちょっと南下してから千鳥ヶ淵の堀の方に渡って北に向かって、そこから急にペースが早まった。かなりの早歩きなのに、年配の人でもそのペースについてくる人も多くて凄いなと思った。立つのに疲れて先に進みたかったのか。
イギリス大使館前の交差点で別の行列(市ヶ谷、四ツ谷方面?)と合流したように見えた。5台くらいの空のバスが皇居の方に向かっていったので、式典が終わったのかな?と想像。そこから千鳥ヶ淵の桜の通り抜けを歩き続けると、ボート乗り場の先で荷物検査場があった。まあまあ厳し目にチェックされたように思う。飲み掛けのペットボトルや水筒はその場で一口飲まされていた。「もう3時間以上並んでるよ〜」とか話し合ってるリーマンもいた。
献花会場に近づいたけどちょっと期待していた反対派と賛成派のどちらも見かけず。疲れて帰ってしまった?エフエム東京あたりと、松尾九段ビル前あたりに行列をずっとカメラ撮影してる高齢者がそれぞれいてちょっと不快だった。
献花会場は白いテントの中にいい表情の安倍氏の遺影があって、横4列くらいで進んでいく感じ。一人一人心の中でお別れをしているのか、回転はかなりゆっくり。それと同じテントが先の方にもう一つ。コミケの参加者より少ないとか揶揄してた人がいたけど、あの会場だとキャパ的に絶対無理。おそらく最大の倍以上は来てたんだと思う。Twitter見てると途中で諦めてハンバーガー食ってる人とかいたし。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Z4mibyc8FYL06mB/status/1574660165642567680
都庁のColabo担当に電話で別件確認してついでにきいたのだけど、Colaboの生活保護って必ず弁護士が一緒に行ってるんだって すごいね弁護士って
はてブで話題のこのツイート、数々の突っ込み通りマジで何も悪いことしてない内容だが、発言の方も何にも悪いことしてるとは書かれてない。
なんとなく悪印象を与えたそうな意図だけ窺える。
彼に隙がある訳でなく、暇空氏は徹底的に拡散を目的にしてる、と言う視点で見ると解釈は簡単だ。
共産党と(略)仁藤さん、のワードから始まるように、コラボが何か悪いことしてるよう印象操作することが全ての目的だ。
目的が達成できると、仁藤さんはインフルエンサーとしての価値を落とす。
動画もつけて悪印象を多くの人に植え付ければ暇空氏からしたら勝ちなのだ。
例えば、統一教会と強い繋がりがある自民党政治家Aさんがいれば、ネットの発信力はここ数ヶ月でガタ落ちして叩かれてるはずだ。
同じように仁藤さんがインフルエンサーの座から落ちればネット炎上の火種にもなりにくくなり、影響力を失ってネット上での存在価値を落とす。
仁藤さんが表現を燃やしたい人間のままでも火のつかない濡れた木になるので、結果的に表現を守れるというわけだ。
これまで色んな論敵に同じことをしてきた。
フェミニストAさんは認知プロファイリング(キリッ)によるとこいつは水商売だ!
こんなのばかりだが、それなりに悪評のレッテルの影響はあったようでインフルエンサー的フェミニストの勢いを挫いてきた。
同じように仁藤さんにも仕掛けるが、実名の人に完全に事実無根のことを言っても名誉毀損になるだけなので、
コラボに疑惑がある、税金の使い道がと正当性を立て付けつつ、悪評を撒き続ければ目的はある程度達成できる。
影響力を失ったインフルエンサーは悲しいほどRTされない。この状態にすればネット上の仁藤さんはインフルエンサーとして死ぬので100点の状態だ。
本来、自身が提示した疑惑を証明するだけなら住民監査の結果を待つだけでいいが、そうしてないのは目的が違うからだ。
開示請求で証拠を集めてから住民監査を投げてないのも目的が違うから。
住民監査自体も目的じゃない。その後に住民訴訟ができるからだ。そうすれば何年も疑惑を擦り続けることができる。
住民訴訟を受けていて疑惑が深まったコラボの仁藤さん!で粘り続けることができる。
仁藤さんの悪評を撒き続けるには十分な時間だ。
地域によるだろうが四国の田舎では 1940 年頃までの部落民は本当に無法者だった。
暴力など当たり前で、徒党を組んで商店から品物を強奪していくのが日常。 子供もその先兵だ。
1985 年頃には露骨な暴力行為などはほぼなくなっていたが、細かな問題行動は頻出していて人間性を信頼できなかった。
いわゆる部落民の中にはそういう教育 (として確立したものではなかろうが結果的にそうなった) が存在した。
社会からはじき出されてはそうするしか生きていけなかったのだとはわかっている。
しかし部落民から被害を受けた人々は実際に存在するし、まだ生きている。
個人としては自衛として部落出身者を避ける理由は存在する。 決して理由のない思い込みではない。
あまりにもキモすぎて、街を歩いてるだけですれ違った人から笑われるレベル。
しかも、当時2ちゃんねるにドップリ浸かっていたから、そこのジャーゴンを現実でも使う痛い奴だった。
そしたら俺の隣になった女子の渡辺さんが物凄い勢いで泣き出してしまった。
ギャアギャアと喚き散らしてたんだけど、要するにこんなキモオタ野郎の隣で過ごさなきゃいけないなんて我慢ならないんだってさ。
結局、俺の隣に座りたがる女子はいないので、男子の本田君(彼も俺ほどじゃないが陰キャだったので生贄にされた)が俺の隣に、渡辺さんは本田君の席だったところに座ることになって一件落着。
ただ、この騒動のせいで家に帰る時間は遅れて、買ったばかりのテイルズオブジアビスを遊ぶ時間が減ってしまった。
今後も同じようなことがあったら面倒くさいな~と思ったので、キモオタルックやキモオタムーブはやめた。
別に望んでキモオタになってたわけじゃないし、これをやめたところで何も損しないしな。
次の休みの日になったらすぐ美容院に行って髪切って、ドラッグストアでワックス買って、わけのわからん言葉は使わないようにして・・・って感じで。
その後高校入ってからも見た目や言葉遣いの見直しは続けて、大学に入る頃には中学時代の面影は完全に消えた(当時の写真を大学以降に知り合った人に見せるとめっちゃ驚くので面白い)。
一時期TikTokで流行った「陰キャを美容院に連れて行って陽キャに変身させる動画」みたいなのをじっくり時間をかけてやったようなもん。
成人式の日に同窓会があって、渡辺さんにも会ったけど、当時のことは何も言われなかったというか、普通に話しかけてきた。
歴史的に革命をもたらす者って本人は猛反発にあってボロボロに朽ち果てていくけど死後結果的に本人の目指した時代がやってきたりするじゃないですか。
それまでの価値観だと異常者でしかなかった「家庭的にも社会的にも何も成していない男」が自由恋愛と格差社会の時代には普通に現れることを身をもって証明してくれた人たち。
特に当時オタクの持ち物だったインターネットをガッツリ弱者男性マインドに寄せていったのは良くて、これで下の世代がかなり"教育"された。
おかげで今は「適当に生涯独身で生きます」と宣言しても表面上は「ま、いいんじゃない?」と返すのが正しい世の中になったし本心からそう思う人も多い。
氷河期弱者男性のおかげで今の俺たちがあるといっても過言…いや過言か。でもそこそこ貢献してくれたと思う。
ただ、そうやって彼らが(部分的に)作り上げた時代に…彼ら自身はいまいち適応できていないのが残念なところだ。
まず本人らの価値観が更新されていないからいまだに妻子持ちの年収800万~年齢的には1200万あたりに「普通」のラインを置いているフシがあり妙に要求が高い。
しかもパターナリズムが抜けていない場合が多くて影響を与えたはずの下の世代ともやたらと衝突を起こす。
なんといってもずっと針の筵だったから性根が腐りきってしまっているのが致命的で、もう属性がどうとかではなく普通に付き合いたくない人間になってしまった。
最初の話になぞらえると今は氷河期弱者男性にとって死後の世界、腐りながら彷徨う姿はゾンビのようなものだから、せめて速やかに成仏してほしいものだ。
"ポリコレ批判"批判をしている人達ってよく「ポリコレは作品を面白くしている!」とか「現代の人々が受け入れられるように差別的な表現を避けたら自然にこうなっただけだ!」とか言うけどさぁ……。
そういう人達は、例えば同じディズニーという土俵で見ると、ミラベルとか近年のポリコレムーブを取り入れた作品は大したヒットもせず、逆にそういう臭みのないアナ雪1とかの方が流行り、一昔前のディズニープリンセスが世代交代されることなく未だに彼女達の方が人気なことについてはどう思っているんだろう?
(アナ雪もポリコレだ! とか、昔からディズニーは先進的な価値観を取り入れてきた! とかいう人もいるだろうけど、個人的には少なくともそれらはポリコレファーストだったとは感じない。まあその辺りは主観なので異論は認める)
アメコミヒーローとかも、近年のLGBT配慮や多人種推しヒーローが昔ながらのヒーローに人気で勝てているようには見えないし。
観客動員数や興業収入だけがコンテンツの価値とは思わないので、作者が描きたいモノを優先した結果や、ニッチ需要ターゲティングで結果的にポリコレ的になった作品を否定する気はサラサラないんだけどさ。
そこを否定したら"ポリコレ批判"叩きでよく使われる「日本の美少女動物園深夜アニメより多様な価値観に配慮したディズニーの方が世界で受け入れられている!」みたいなムチャクチャな論法を肯定しなくちゃいけなくなるし。
タクティクスオウガって最終的には明治維新みたいな話なんですよね
死んだ王の娘を敵味方双方が担ぎ上げて、玉を押さえた方の勝ちみたいな
完全に自分を棚上げして書く。
世の中には致命的に「他人向けの文章」がうまく書けない人がいる。
ここでいう「文章を書く能力」とは、「りんごを一つ買った」というような単文を作る能力を意味しているわけではなく、
記事全体の構成や、段落ごとのまとまりを意識して、「その記事全体で何を言いたいのか」「その段落は何を言いたいのか」を文章で他人に伝えられる能力のことを意味する。
これがもう壊滅的な人がいる。
自分の知識が前提になっていて、読者のレベルが想定できていない。行間を端折りすぎている。
「上級者向けです」などと言う前提を出してくるが、どうみても完全に「自分向け」であり、対象の読者を自分にした時点でそれは記事じゃなくて備忘録だ。
それはもう個人ブログでやってくれ。
そしてこういう他人向けの文章を書く能力は、あとからなかなか鍛えられない。
そもそもそういう人たちは、それをせずに済む術を身につけていて、その能力を鍛える必要に駆られないからだ。
例えば事あるごとにMTGをしたり直接話したがる人もその一種だと思っている。
メールやチャット、あるいはドキュメントで伝えれば済むものを口頭で済ませようとするのは、他人向けの文章が書けないからだろうと思う。
なぜなら文章力〇〇以下の人は記事を書いてもらうのを止めておこうという言い訳を作れるからだ。
「あなたは文章力ないので記事書くのNGです」なんて言い分は通らない。
こういった人たちに対して、それぞれうまく言いたいことが伝わるようにレビューをして文章を修正させるが、
そもそも崩壊気味の文章をいくら取り繕ったところで限界がある。
そうなるともはや自分で書き直したほうが早いレベルになる。だがそんなことをするとその人の記事ではなくなるし、その人のプライドもあるだろう。
結果的にレビューの工数が異常に膨らむ一方で、記事としては普通に読みづらいものが出来上がる(それでもレビューをしただけ多少マシ)。
国葬の件で盛り上がってるけど、そもそも葬式というイベントをなんか公的というか、あまりプライベートでない関係でも出席する
ある種の公的な範疇に扱うこと自体がよくわからんのだよな。葬式ってどうあっても宗教がらみの催しになるわけだし。
冠婚「葬」祭として1つの参加して当然イベントの形になるのはなんか違和感があるし、仕事関係の人を呼ぶのとかになると良いのかそれと。
特に、政治家の葬式に政治家がある種の仕事上の関係性を根拠に出席するってのはなんかすごく違和感を感じていた。
遺族が行った普通の葬式だろうがなんだろうが、政治家が出ていってそれを自分の政治的なアピールに結果的につながるというのまで行くと
いいのかそれという気持ちが強い。まあ自民党の爺さんたちはそういう伝統的なつながりとかにこだわりがあるんだろうなというのはわかるけど。
以前の現場の話。
「女の子にそんな難しい事させるなんて!!」
「○○さんに残業させないで下さい!女の子に残業なんて可哀想!!」
「○○さんが出来るからって私達にやれって言わないで下さいね!!」
「○○さんも素直に言って断りなさい!!」と事あるごとに言われまくった。
こっちとしては開発の仕事やらなきゃいけないのに、そんな事言われるの意味不明だし、
じゃあ何をやれって聞いたら「こっちの仕事が忙しいから!」って事務の仕事をやれと言われる。
馬鹿らしーと思って無視してたら、私もその女達に「名誉男性」とか「男に媚びてる恥ずかしい人」
などと陰口を叩かれたり、事務方の上司から自社の方にクレーム入れられる始末。
現場の人達も、女の人達が煩いからって、とりあえず仕事は外されて事務の仕事
(と言ってもエクセル仕事が大半だからマクロ作れば大した仕事量では無かった)
を割り振られ、でも開発の仕事もあるからそれらを仕事をこっそり指示してくる始末。
どうしても急ぎの作業や、残業が必要な作業は、現場リーダーの指示で一旦帰ったフリして
仕事的には経験を活かせるし女の人達以外の同僚(開発部署のメンバー)はいい人達で
その現場のプロジェクト自体も勉強になって面白いかったんだけど
そもそも女の人達は事務だから課も違うし同僚ですらないのだが、どうもその会社は女性が、
正確に言えば社長の妻とか事務方の上司(女性)やらの声が結構大きいらしく、それに事務の女達も同調して
少なくとも男性にとっては居心地悪そうな会社で、特に開発部署の扱いは「キモオタw」みたいな感じだった。
事務とSEは全く別の仕事だし、SEが偉いなんて全く思ってないのだが
女が女がって主張しまくって結果的に女である私の足が引っ張られまくったのは色々やりきれない。
「明らかに男よりも女の方が避けない」で一致していると思う。
これは自分の経験のみならず、過去の増田やその反応の数々(もちろん女性側からの声も含む)からも、そろそろ結論づけていいのではないかと考える。
個人的な印象としては、単体では「スーツの女性」の避けない率の高さが異常。
制服の十代女子は、一人だと道を譲りがちだが、「イケてそうな集団」では高確率で避けない。
地味な集団は道を譲る。
なぜか女子より「人来たよ」と注意する率も高い。
男子は何も考えていない。
そもそも「道を譲るグループ」「避けないグループ」で、自然と小隊がわかれる。
そして、たまに出てくる「イカツイ恰好をすれば避けてもらえる」というライフハックは、半分正解で半分ウソ。
それは、いかつくない人が「無理してイカツイ恰好をしてる異物感」に相手が反応して避けてる。
イカツイ・ガタイのいい人が道で避けられるかというと、意外と全然そうでもない。
身長180㎝以上でガタイが良い、武骨な顔のいわゆるゴリラである自分は、全然避けられない。
薄いサングラスをかけるとか、スーツに黒シャツレベルまでいけば別だろうけど。
(しかしブコメには坊主タトゥーですら、若い女性は避けないという報告もアリ)
ちなみにガタイと併せて、街中でテキトーな服に安いゴムサンダルとかを履いて歩くと、周囲は一気に避ける。
やはりガタイのよさ単体よりも、「不自然な格好」の方が避けられる原因だと思う。
特に若めの女性は自身の魅力を信頼しているからか、マジで避けない。
まっすぐ前を見て大股で歩きながら、絶対避けない。
「オスゴリラなんぞを私が避けてたまるか」という気迫を感じる。
なんなら、こちらに対し「道を譲らなかったら分かってんだろうな?」とばかりに、バッグや肘等での攻撃を準備し、「半身ですら避ける意思がない事」を執拗にアピールする。
(偏見だという人もいるだろうが、「道を譲る側」の人間なら絶対わかってくれるはず。マジで多いんだよ)
これらはガタイがいいスポーツマンなら共感する人が多いと思う。
こっちは縦一列になってるのに前方からきた女性二人組が一切避けず、コントみたいに壁に貼りついて避けたことがあった。
友人はそのことについて特に何も言わなかったので、(ここまで極端なことは例外としても)ガタイがいい人が避けること自体はあるあるなんだなと改めて思った。
人混みを見ていても、ガタイのいい人ほど実は人を避けるのがうまいと思う。
ぶつかってトラブルになったときに、見た目で「加害者」扱いされてしまうのだから、自然とそうなりがちなのだろう。
「ガタイがいい人間は向こうから避けてもらえる」というのは、実情と乖離した偏見だと思う。
ただ、一時期髪型をツーブロックにしていたことがあって、その際、「前髪を弄りながら避ける女性」が少し増えた印象だった。
この小さな出来事から、「イケメン・美女は、道を譲られることが多いのではないか」と推測している。
先ほど、イケメン・美女は道を譲られるのではないかと書いたが、
「避けない女性が多い」こともこれに絡んでいるのではないか、という仮説を思いついた。
「道を譲られない=美人扱いされていない」というプライドのために、「避けない女性が多数いる」のではないかという仮説だ。
実際、そうでもないと「若い女性に避けない人が多い」ことに、説明がつかない。
仮にもし、若い女性が「前方から時速4㎞(相対速度は8㎞?)で近づいてくる1.5m以上の物体」を認識して避けられないような空間把握能力なら、女性は日常を生きていくことなどできない。
小走りになったらほぼすべての物にぶつかることになる。
化粧品売り場など、ライブ会場のモッシュ状態になっているはずだ。
序盤に挙げた、「十代女子のイケてるグループは避けず、地味グループは道を譲る」も、この仮説を補強する材料だ。
もちろんこれはあくまで仮説にすぎず、安易な結論を出すつもりはないが。
人を避けながら道を歩けばわかることだが、「周囲の観察」が必要だ。
簡単に言えば、ぶつかる直前で不意に避けると、避けた先でさらにぶつかったり、隣の人がビックリしたりと不都合が多い。
それなりの人ごみだと、「その場で反応し、瞬発力で避けて対応すること」が困難になっていくのだ。
(多すぎると、逆に密な流れが出来て避ける場面も少なくなる)
そのため、道を譲る人は「常に(事前に)薄く広く」周囲を警戒し続ける必要があり、何mも手前から警戒することで人を避ける。
これをしていると、大体の流れや傾向がわかってくるのだ。
道を譲る人は、こちらと同じようにそもそもかなりの距離から予備動作に入っている。
そして避けない側は「避けないスイッチ」(なぜだ)を入れていることが結構多い。
「道を譲る側の人間」なら、避けない相手がこういう状態なのが、容易に認識できる。
この感覚を知らず、呑気に「心が広い方が避ければいいだけ」などと言っている時点で、「日常的に道を譲っていない人間」で確定なのだ。
※日常的に人混みを歩く必要がなく、その経験がないのか知れないが。だとしても、そもそも門外漢ということになる
※また、「前を歩く人間のあとをくっついて歩く」ことで、自分で回避する手間を減らすこともできるが、それも結局自分で「道を譲っている」わけではない。前を歩いている人間の労力を想像もせず、タダ乗りしているだけである
オッサンが道を譲らないという話もあるが、個人的な体感としては、
スーツを着てるときは避ける、私服でスーパーなどにいるときは避けない、という傾向がある気がする。
駅や街中などでは、老人未満(定年以下)の中年男性は、道を譲るというか、最小限の動きで自然にかわす側が多い印象。
この(長年の通勤生活で身につけた)「最小限の動きでかわす」という動きが、実はオッサン最大の特徴だと思う。
ここで思うのは、
世の中で「オッサンが道を譲らないでぶつかってくる」「ぶつかってきて睨んでくる」という説を提唱しているのは、
「一歩も避けない女性」ではないだろうか、ということ。
オッサンは最小限の動き(相手が少し歩幅をずらすか、肩を捻ればぶつからない)でかわしているつもりなのに、相手が「一歩も譲らない」ために結果的にぶつかり、「なんだこいつ」と睨んでいるのはないかと思うのだ。
そういう風に「わからせてやる」という意思でぶつかる人間は、ぶつかった後にわざわざ睨むことはないと思っている。
本来、「避けない」と「ぶつかる」は、厳密には違う行為なのだ。
「避けない人間」はぶつかった後に睨むが、
「わざとぶつかる人間」は下を向いてそのまま通り過ぎることが多い。
これは「道を譲る側」として、「周囲を薄く広く警戒」し、わざとぶつかる人も含め、オッサンを観察していて感じたことである。
しかし自分はオッサンにぶつかられる女性ではないので、詳しいことはわからない。
「小学生男子レベル」でマジで何も考えないで歩き、突っ立っているのをよく見かける。
(邪魔そうにして避けると、こちらに気づいて本当にびっくりしたような顔のオッサンとよく目が合う)
老人になると、
男女関係なく、道を譲る譲らない以前に、
「改札の出口で立ち止まる」とかそういう状態なので、これは話が全く違う。
老人はいたわりましょう。
最近もうあれよね、
お粥作りとスプラトゥーン3の話ばかりしかしていないのでなんとかならないかなーって自分でも思いつつ。
やっぱり豆なのでションテンがいまいち上がらない、
味もヒヨコ豆味だし、
そんなことよりさ、
前に私肩火が付くように痛い!って言ってたかしら?
なんどかもみほぐし処的なのに通ってみたんだけど、
あそこは痛みを調べて突き止めて痛みのもとを撃退する!ってところじゃないから
ここが凝ってるんです~的に重点的に文字通り揉みをほぐしていく処なのよ。
そんでさー
しばらく通っていてもみほぐし処のお客さんとしてはかなりいいお客さんと思われるぐらい通い詰めたと思っているんだけど、
そこはそう痛みは軽減せず、
私正直困っていたのよね。
この肩の痛さが続けば
お粥作りはできるけど
これはどうにかせねば!って思い立った腰を上げたところ
事前に電話予約して、
でさ、
まあそんなことはどうでも良いんだけど
初回なので問診票を書いて渡してしばらくして
診察的なことが始まったの。
結論を言えば、
肩じゃなくて首!ってことが原因で、
これはどういう仕組みの機械か初体験だったのでドキドキしたけど、
説明を受けたら、首を後ろから10キログラムの重さで引っ張ります!って言うのよ。
結構ギリギリのところで痛いところと気持ちいいところの境目の伸びるところまで限界なポイントで伸びるようにして
もう正にそうよ、
首を長くして待つを実演するかのように、
私の首は亀さんのように伸びた縮んだりして、
やられている本人はそんな感じで伸び縮みしている感じを256分施術。
先生の言うとおり、
肩よりも首に原因があったってことだったの。
そうなると
あとは分かるわよね。
重点的に通って首伸ばしてもらいに行けば
正に文字通り治るのを首を長くして治す!ってことを名を体で表す的に実際に体験するとは思わなかったわ。
そんで仕上げに湿布もらって
ほんと正直私の肩このままずっと痛いのかな?って悲しかったけど、
ホイ!
って言ってしまいそうだったわ。
そんな私がホイホイ簡単にホイホイ言う安いやつだとは思わないで欲しいけど
本当にホイ!って言っちゃったから笑っちゃったわ。
そんなわけで、
いままでのもみほぐし処へ通っていたのは何だったの?と思う反面、
身体が硬いのをより柔らかくストレッチもまた再開サボっていたのをやらなくちゃなぁ~ってことみたいね。
誰も苦労しないわ。
タコさんの足8本に対してイカさんの足が2本多い10本あるので、
お酢もほどほどにってことよ。
直接飲んでそうなれば誰も苦労しないもん。
まあそんなわけで
引く手が2本あまたところで、
肩も軽くなるわ。
ここで私もマンションポエムを
どうかしら。
「閑かな」とか静かな言葉が入っていたら駅から遠いって隠語だってこと
迂闊に「閑静な佇まいの邸宅」とかあったら要注意らしいわ。
やっぱり現地に行ってみて実地を調べて歩くことは大切よ。
うふふ。
これは美味しいは美味しいんだけど豆なのでいまいちションテン的に上がらないわ。
もっとコクをくわえたら豆になにかをコクをプラスすれば良いと思ったし。
今度やってみる!
なにかのコクを足すのを。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!