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2023-04-15

「すいませんめっちゃお腹痛くて漏れそうなんで先いいですか!」ってトイレに並んでる人に順番でお願いして行列の先頭に行くのやりたい🥺

2022-09-28

安倍元総理の献花に行ってきた

3行でまとめると

・並んでいたのは普通の人って感じだった

・16時ごろには反対派も賛成派も見かけず落ち着いた雰囲気だった

・蒸し暑くて並ぶの疲れた

プロフィールアラフォーリモートワーク。

安倍氏に対するイメージも書いておいた方がいいのかな。岸田総理支持、数年後の河野太郎期待、2・3段下がって安倍氏という感じ。支持政党なし事件については未遂かせめて大怪我で済んでいたら、山上容疑者殺人者にならず、警備体制カルト宗教との付き合い方も見直されて、みんな今よりは幸せだったんじゃ無いかなと残念に思ってる。何も殺さなくてもよかったのに。

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9月27日14時すぎ、YouTube国葬配信を見てふと現地の様子を体験したくなり家を出る。仕事中だろ!と突っ込まれると辛いけど、家から半蔵門に行ってノータイムで献花して帰宅できればちょっと長めの昼休み・・で収まる想定。まあ無理なんでサボりですが。

手ぶらはアレだなと思い、近所の花屋にいくと白と青の小さな花が220→165円で売っていたのでそれを購入。九段下駅で降りると、普段よりだいぶ騒がしい。関係者と思われるスーツ男性が「最後尾は四ツ谷駅です」と頻繁にアナウンスしている。行列の先頭から最後尾まで歩いてもいいやと半蔵門駅に向かって降りて地上に出たところ、そこでも最後尾に案内された。どうやら複数の列があるみたい。(結果的に、これがめちゃ時短になって申し訳ない感じ)

横5〜6列くらいで並び、普段着の人、喪服っぽい人、なかにゴスロリの人もいたりした。男女もあまり偏りなく、だいたい30代から上が多い感じだったかなあ。まあ、その辺で歩いてる普通の人のように見えた。ノーマスクはごく一部。99%くらいの人がマスクをしていた。屋外とはいえ距離が近いから助かる。かなりの数の警察官行列の整理にあたっていて安心感があった。税金の使い道として正しいのか判断しかねるけど、現実問題として警察官の協力がなかったらこの規模の開催は無理だっただろうなとは感じた。

疲労と空腹で、「天重 本店」の前を通った時は列から抜けて食べてしまおうかと思ったが、まだ営業前だったからなんとか我慢。気温はYahoo天気で27度くらいだったけど高湿度でジト汗。1時間半近くじりじり進んで、やっとFM東京前くらいまで列が進んだと思う。そこからちょっと南下してから千鳥ヶ淵の堀の方に渡って北に向かって、そこから急にペースが早まった。かなりの早歩きなのに、年配の人でもそのペースについてくる人も多くて凄いなと思った。立つのに疲れて先に進みたかったのか。

イギリス大使館前の交差点で別の行列市ヶ谷四ツ谷方面?)と合流したように見えた。5台くらいの空のバス皇居の方に向かっていったので、式典が終わったのかな?と想像。そこから千鳥ヶ淵桜の通り抜けを歩き続けると、ボート乗り場の先で荷物検査場があった。まあまあ厳し目にチェックされたように思う。飲み掛けのペットボトル水筒はその場で一口飲まされていた。「もう3時間以上並んでるよ〜」とか話し合ってるリーマンもいた。

献花会場に近づいたけどちょっと期待していた反対派と賛成派のどちらも見かけず。疲れて帰ってしまった?エフエム東京あたりと、松尾九段ビル前あたりに行列をずっとカメラ撮影してる高齢者がそれぞれいちょっと不快だった。

献花会場は白いテントの中にいい表情の安倍氏遺影があって、横4列くらいで進んでいく感じ。一人一人心の中でお別れをしているのか、回転はかなりゆっくり。それと同じテントが先の方にもう一つ。コミケ参加者より少ないとか揶揄してた人がいたけど、あの会場だとキャパ的に絶対無理。おそらく最大の倍以上は来てたんだと思う。Twitter見てると途中で諦めてハンバーガー食ってる人とかいたし。

献花が終わって九段下駅に向かって帰宅行列に並んだ時間トータルで2時間弱でした。以上!

https://imgur.com/a/kAfGVgl

GPSの軌跡と現場風景。顔とかは写ってないと思う。

2021-10-20

anond:20211019185559

お互いに興味がない質問をぶつけあっているように見える。

ただし先に質問してるのは理解してるのかどうか訊いてる方だね。

自分にとって興味がない質問提示されているのを自覚しているうえで、横から入った人がその人の質問に答えようとせず被せるように自身質問をぶつけるのは別に逃げてることにはならないだろう。議論が展開していくなかで言葉に窮したために論点をずらそうとするのとは訳が違うから

しかし先に質問してる人にとってもまた後から質問してきた人の質問に答えないのは逃げてることにはならない。興味がないだけなんだから

しろからした自分質問に答えさせたいのなら最低でも先に相手質問に答えてやらないと筋が通らないだろう。

極端な話でたとえれば、これは行列に対する横入りなのだ。後からやってきた人が常に行列の先頭に入っていいのなら、下手したら一生最初に並んでた人は先頭に並べないかもしれない。実際は店とか窓口の行列なら受付時間とか時間帯という制約もあっていつか必ず行列が解消されるのでそういうことは起こらないものだが、インターネット空間しか第三者が次々と被せるように質問を携えて輪に入ってくる場合、みんながみんな俺の質問に先に答えろ、さもなくば逃げてることになると言わんばかりの態度を貫けば、最初質問者の質問には永遠に答えがつかないことになってしまう。そういうわけで、最初質問した人が優先されるといった最低限のルールがあるべきだろう。

2020-12-06

大いなる決断には大いなる責任が伴う

最初に書いておくが、これはフィクションだ。たとえ真実に近い部分があっても特定を避けるために変えてある。

金曜日職場忘年会が予定されていた。

こんなご時世に忘年会かよと思われるかもしれない。私もそう思う。人口密度の低い地域ならまだしも、東京のど真ん中で、しか会社現代的なウェブサービスベンチャーだ。このタイミング忘年会を開くなどという選択肢から最も遠いはずの環境だ。でもしょうがなかった。課長が「忘年会やろうと思ってるんだけど、幹事やってくれない?」と私に聞いてきたから。いくら年が近いとはいえ、「いや、いま忘年会ヤバいっしょw」などと返すことはできなかった。

参加者は部内の社員で合計二十人ほど。ベンチャーだけあって年代は多くが三十代前半以下。部長でも四十代前半といったところだ。たとえ感染しても重症になったり、それ以上になることはまずありえない、ということなのだろう。会社方針としても特にこうした大人数の会食を制限するつもりはないようで、社内独自警戒レベル緊急事態宣言の解除以降はずっと最低レベル。十一月の急増を受けてもこれは揺らがなかった。勤務は仕事柄もあって基本テレワーク継続されており、希望すれば出社も可能だ。心配性の私はもちろんそんな狂気じみた希望など出さず、出社するのはどうしても断れないときだけなので月に一二度といったところ。同僚との食事飲み会も辞退し続けてきた。こうしたことができる環境なのは非常に感謝している。

幹事を任された私は、課長に伝えられた条件に合うスケジュールや店をピックアップし、いつものように調整さんで出欠を取って、一番人が集まる日にちを選んだ。課長の条件にはなかったものの、店の絶対条件としては「換気の良いところ」を選んだ。私にできるせいいっぱいの対策はそれくらいしかない。それが忘年会の前週だ。緊急事態宣言が出ればさすがに社内的にも忘年会禁止になるだろうと期待し、あえて直前にした。結果は周知の通りだ。

こんなとき忘年会かよ……とは思いつつも、私はいつもと変わらず幹事仕事を進めた。なんせ、これは業務なのだ課長から忘年会の開催を指示され、それに従っているだけだ。もしそこで感染が広がっても私のせいじゃない。後遺症が出ても私は関係ない。妊娠中の後輩がいた。まもなく結婚式だという同僚もいた。持病のある先輩もいた。老いた親と同居している同僚もいた。彼らはどういうわけか、出欠を取るときすべての日を欠席にしなかった。いやたしかに私が「参加してねー」って書いて出欠取ったよ! でも正直言って、おまえら本当にそれでいいのかと思った。その人たちが感染して、どんな結果になっても、私の責任ではない。もし彼らが私に損害賠償請求しても、私は裁判の席で「課長命令されました」と、感情のないロボットのように答えるだけだろう。これは私の忘年会ではない。だから私の責任ではないのだ。そう思うと、いや実際間違いなくそなのだが、気が楽になった。(とはいえ大学心理学講義で習った電気ショック実験をまったく思い出さなかったといえば嘘になる。)

予定の時刻になり、荷物をまとめた社員エレベーターホールに集まる。こんな時代でも金曜の夜はどこか浮足立つ。だがそこに並ぶ人々がどこか不安げな表情をしているのは私の気のせいだったろうか。

会社ビルを出て、二十人もの大人数で狭い道を駅前へと並んで歩く。通り過ぎる人々には私たちがどう見えていただろう。「こんなとき能天気な奴ら」「ニュースも見ない愚かな若者たち」「根拠のない楽観主義にまみれ、判断力の欠如したバカもの行列」。それは私自身が一番、私たちに叫んでやりたい言葉だった。

増田ちゃ〜ん、今日はありがとね」そんなことを一人で考えながら歩いているとき課長が話しかけてきた。「今年は忘年会やめる会社が多いんだってさ。でもやっぱりこれがないとなんか物足りないよね」

「はあ」私はむしろこういうのは苦手なタイプだ。「私も本当は感染広がってるしどうかなと思ったんですけどね。でも課長がやりたいと言ったので」

「え?」課長が聞いたこともない素っ頓狂な声を上げる。まるで用意していたみたいに。「別にぼくは何も言ってないけど? 増田ちゃん忘年会やりたいって言ったんだよね?」

頭が真っ白になる。私が……言ったのか? いやそんなはずはない。十一月の二人ミーティングとき課長に指示されたから、幹事をやっているだけだ。この全力コミュ障の私が忘年会をやりたいなどと言うはずがない。

課長が私に、幹事をやってくれないかって言ったんですよ。そうですよね?」

「うん、でも増田ちゃんがいいですよって言ったでしょ? だから主催者増田ちゃんじゃない? お店選んだのも、出欠取ったのも増田ちゃんだし。何より幹事だし」おそらく課長もこの忘年会のヤバさについて薄々気付いていたのだろう。いや、最初から承知で私に頼んだのかもしれない。何かあったときに逃げられるように。彼の口からは前もって練り上げられていたようなねじれた論理ほとばしった。「ていうかさ、誰が何言ったかなんてどうでもいいでしょ。せっかくの忘年会なのにカタい話はよそうよ」

「つまり」私は言った。「課長はこの忘年会で何が起きても、責任を取らないということですね?」

課長は驚いたような顔をしたあと、笑いながら「責任ってさあ……忘年会責任って、それギャグ?」と言った。

あたりを見回して部長を見つけると、駆け寄って尋ねた。部長の答えは課長と同じだった。

私は行列の先頭へ走り、みんなに叫んだ。

忘年会は中止にします」

その後の彼らの様子は書きたくない。

みんなを返したあと、部長課長と私は会社に引き返し、短い面談をした。この忘年会の件について私を擁護してくれる人は、その会議室はいなかった。

うちの会社社員に求められている資質に「決断」がある。増田は幼い子供のように、自ら決断することを嫌がり、責任放棄し、多くの人々に迷惑をかけた。そんなことを二人は言った。

それが彼らに見えている、そして他の社員にも見えているだろう私の姿だった。

リスクが低いことに大騒ぎして、迷惑をかけた」。だったらあなたたちが責任を持つと言えばそれで済んだのだ。そんなにリスクが低いというなら、どうして自分責任を持つと言わなかったんだ?

決断しろ」。私は中止という決断をした。それは苦しみに満ちたものだった。でも私にはそれ以上の決断などできなかった。どうしてあなたたちは「よしわかった、おれが責任を持って、開催するという決断をする」と言わず、代わりに「こんなとき責任なんて空気読めないこと言うなよ! それより早く酒飲もうぜWowhooo」などという答え方をしたんだ? 「大いなる決断には大いなる責任が伴う」という言葉を知らないのか。私も知らないが誰かが言っていてもよかったと思うんだ。誰かに言っていてほしかったと思うんだ。責任のない決断が尊ばれる職場出世するのは牟田口みたいな奴だけだ。責任トリクルダウンなんてまっぴらだ。

最初に書いたように、これはフィクションだ。私の人生にはどういうわけかこんなふうに、週末に何をしていても、愚にもつかないフィクションが頭の中を回り続け、どこかに吐き出さずにはいられないことがある。

からこれを読んで「これはもしかしてあの人かな?」「うちの職場かな?」と思ったとしても、それは絶対に違う。

ももしそんなふうに思ったのなら、お願いだからあなた幹事であってもそうでなくても、どうかみんなのいる前で聞いてあげてほしい。

「それって誰の責任でやるんですか?」と。

2020-12-01

日本暮らしている自分にPS5転売非難する資格はあるのか?

転売非難すべき行為なのか?という点よりも、はたして日本で暮らす自分転売非難する資格があるのか?という点が気になっています

別に転売避難されるような行為じゃないとか言いたいわけではなくて。非難する資格自分にあるのかな?という話です。


よく転売屋のせいでPS5が買えないという人がいますが、今PS5が買えないのは、供給量を遥かに上回る需要があるからです。転売屋が居ても居なくても、世の中のPS5の数は変わりませんし、入手できる人の数も変わりません。1人の転売屋がPS5を100個買い占めたとしても、最終的には100人金持ちの手に渡るわけですから。変わるのはPS5の値段だけです。

仮に転売屋が一切居なかったとしても、今回のように需要供給量を超えると、買えるのは一部の人間だけでになります。この場合、PS5を買えた人と買えなかった人の差は、「他の人より早く店に行けたかどうか」「抽選当選たかどうか」だと思います

ところが、転売屋によって買い占められると、PS5を買えた人と買えなかった人の差は、「他の人より多く金を払えるかどうか」になります本来なら先着順や運が入手できるかどうかを左右しますが、転売屋が買い占めると、全てが札束の殴り合いへと変化します。お金がある人は、行列に並んでいなくても、抽選当選しなくても、PS5を手にすることができます


たまに駅前で「〇〇ちゃん救う会」という看板を掲げた人たちが募金をしていますが、あの人達がやっていることも本質的には同じです。彼らの求めている募金金額は大抵の場合2~4億円とかなり高額です。何故こんなに高額になるのかというと、アメリカにおいて臓器移植の順番待ちをスキップする、いわばディスニーランドファストパスのような枠が設定されており、その権利世界中患者オークションのように競っている状態からです。

要するに、PS5だろうと臓器だろうと、お金持ちは行列に並んでいなくても、金の力で入手することができます。対してお金を持っていない人は?

なかなか臓器移植の順番が回ってこないので、そのうち死にますそもそも、順番が来たとしても、手術を受けるお金がなければ死にます。これを不公平だと思う人は少なくないと思います。もし私が臓器移植を待っていて、生きるか死ぬかの瀬戸際でようやく自分に回ってきた臓器を金持ちにぶんどられたら…… そんなの死んでも死にきれません。でも死にます。う~ん辛い。

こんなの絶対おかしい! と思ってしまう一方で、はたして日本で暮らす自分に、「お金を持っている人しかPS5や臓器を入手できない」ことを非難する資格があるのか……?

と思い、私たち日本人は世界的に見てどのような生活をしているかを、昔チェーンメール流行した「世界がもし100人の村だったら」で考えてみました。


仮に世界100人の村だった場合、村人100人の1日の収入は下記のようになるそうです。

1人が90ドル以上(1万円~)

6人が50~90ドル(5560円~1万円)

9人が20~50ドル(2200円~5560円

13人が1020ドル(1100円~2200円)

56人が2~10ドル(220円~1100円)

15人が2ドル(約220円)以下

https://www.youtube.com/watch?v=QFrqTFRy-LU

村1番のお金持ちの収入は1日1万円以上、2~7番目は1日5560円~1万円となっています

国税庁民間給与実態調査によると、2019年における日本給与所得者の平均年収は441万円になります。ちなみに中央値はだいたい360万円~370万円辺りだそうです。つまり中央値で考えてみても、一日当たりの収入が約1万円はあることになります

まり、仮に世界100人の村だった場合一般的収入日本人は、村で2番目くらいの金持ちであると言えると思います。(違ってたらすみません)「日本終わった」「日本人は貧しくなった」と盛んに言われていますが、年収200万円のフリーターでさえ上位8位辺りに入るほどですから世界的に見たら相当な金持ち国家です。

以上を踏まえて、考えてみました。とてつもない額の収入で村で2番目に裕福な暮らしをしている日本人が、「お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい」と言っていたら、他の村人たちはどう思うか?


村で2番目に裕福な日本人は、下位15人の村人が一日で稼ぐ金額を5分で稼ぎます

村で2番目に裕福な日本人は、下位15人の村人が1日で稼ぐ金額を、ソシャゲガチャを回すのに使います

村で2番目に裕福な日本人は、下位15人の村人の年収よりも高い金額iPhoneを、中高生が持っています

村で2番目に裕福な日本人は、途上国の子どもたちの命を奪うはしか予防接種ワクチン2500回分の金額を、5万円のPS5を買うために使います

そんな村で2番目に裕福な日本人が、「お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい」といったら他の村人はどう思うか…… 



確実に村八分にされます自分ならまず投石します。

私は日本の中では貧しい方に分類される人間ですが、そんな自分でさえ、あまりにも歪に偏った経済格差の富める側に属しているんだなと再確認させられました。自分は「金を持っている人しか入手できない」という資本主義システムと、金という圧倒的な力を最大限利用し、普段の(あくま世界的にみたら)豊かな生活を手に入れているのだなと。


お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい? それじゃあ、物やサービスを手に入れる必要条件お金から先着順や抽選制にしたらどうなるか――

そうなった瞬間、私は圧倒的に不足している食料や水を、地球上の77億人と奪い合うことになるわけです。行列の先頭集団に入れないと、抽選に当たらないと、その日食べるものもなければ、医療サービスを受けることもできません。抽選に運良く当たり、PS5を手に入れたとしても、目の前の栄養失調で死にそうな家族のために、PS5を売って食料を買うこともできません。だいぶ辛いです


別に、こんなに不公平世界おかしいとか、ユニセフもっと募金しようとか、そんなこと言うつもりは全然ありません。「金を持つ人しか物を買えない」というシステムを利用して、(世界的にみたら)裕福な暮らしをしている自分が、同じシステムを利用して稼いでいる転売屋を非難する資格がはたしてあるのか。そこがモヤモヤしてます自分転売屋も、自分たちの生活を豊かにするという利己的な理由でこのシステムを利用しています。どこに違いがあるのか。他人迷惑をかけているかどうか?


転売屋が居てもPS5の数は変わりません。お金を持っている人は相変わらずPS5を買うことができます。コレを迷惑から平等に分配しろと行った途端、日本一般的暮らしをしている人は、自らの資産平等に分配する側になってしまます転売からPS5を買える人はお金を持っている人だけですが、そもそも定価5万円のPS5が買える人だってお金を持っている人だけです。100人の村では、上位10位以内の人でないと、定価5万円のPS5を買うことは難しいでしょう。

残りの村人90人からすると、普通に定価5万円でPS5を買っている日本人は、「お金がある人しかPS5を買えないなんておかしい」と思われている側の人間です。転売からPS5を買っている金持ちに対して、「お金がある人しかPS5を買えないなんておかしい!平等に分配しろ!」と思うのなら、定価5万円で買ったPS5を下位90人の村人からお金がある人しかPS5を買えないなんておかしい!平等に分配しろ!」といわれたら、せっかく手に入れたPS5を手放さなければなりません。

みんなで公平に抽選なり早いものがちでPS5争奪戦をしなければならないわけで、自分が入手できる可能性は低くなります。実際はそんなことしませんよね? 私はしません。下位90人の村人がなんと言おうと、PS5は自分で使います。何故そんな事が可能かというと、それは「金を持つ人しか物を買えない」というシステムを、他人迷惑がかかろうと構わず利用しているからです。「〇〇ちゃん救う会」と同じように。


お金がある人しか物を買えないなんておかしい」と思うのなら、「お金がある人しか満足に食事ができないなんてなんておかしい!」と最貧国人達に言われたら、自分の食費を彼らに渡すのか?

お金がある人しか物を買えないなんておかしい」と思うのなら、「お金がある人しか学校に行けないなんておかしい!」と最貧国人達に言われたら、自分大学学費を彼らに渡すのか?

自問自答してみますが、もちろん答えはNOです。まだ奨学金払い終わってないし。


別に自分で稼いだお金自分のために使えばいいと思います。1万の寿司を食ったっていいし、推し100万使ったっていい。家族のために使ったっていいし、もちろん募金したっていい。私は世界で一番、自分の事が大切です。1本20円のはしかワクチンで救える命があると知っていても、のどが渇けば自販機100円のコーヒーを買いますケチなので躊躇はしますが。

1本20円の予防接種ワクチンが買えなくて死んでいる子供がいるこの世界において、「金を持つ人しか物を買えないなんておかしい」と思ったら、定価でPS5を買うことも、子供ランドセルを買ってやることも、1本100円の缶コーヒーを買うことだってできなくなってしまます

あなたがこの文章を読んでいる間に、75人の子供が栄養失調で亡くなりました。

という現実を私は知っていますが、たまに気まぐれでコンビニのお釣り募金箱に入れるくらいで、お金自分の好きなように使いますゲームお菓子も買います。見たい映画を見て、読みたい本を買います

でも、だからこそ、「お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい」なんて、そんなことは言える立場じゃないよなあと、そう思いました。

2020-01-15

anond:20200115121354

朝の中央線新宿駅で一番やべえのは中央地下通路よ。

中央線プラットホームに続く唯一のエスカレーター西口方面に向けて行列ができ、

その行列の先頭に割り込んでホームに上がろうとするクズが、さも埼京線ホームへ向かおうとするかのような態で行列の右側を抜き去ろうとしていく。(老若男女問わず

この行列に並ぶことがあったら、右後方に顔を向けときな。

あいつら、やましいもんだから顔を見られると列の後ろに並びなおすぞ。

2019-02-02

京王新宿駅の一ウォリアーからのお願い

 京王線新宿始発の(準)特急電車戦場だ。

 座れるか、座れないかぐらいの位置行列に加わる。うまく動けば座れるが、座れないこともある。その勝負はほんの数秒で決まる。ここで勝負を落とせば、良くて調布、下手をすれば府中あたりまで立ち続けなくてはならない。苦行である

 この戦いで重要なのは、競合するのが同じ行列に並んでいる乗客だけではないということだ。座れるか座れないか微妙位置行列に加わった場合、より重要なのは同じ車両の別のドアに並んでいる乗客との競争になる。

 ドアとドアとの中間ぐらいに位置する座席は、行列間の闘いになる。そこではお互いの陣地をどこまで拡張するかが戦われているのだ。

 こうした見方にたてば、行列の先頭に立つ者は切り込み隊長である。先陣を切って戦場突入し、後方部隊が陣地を拡大するための時間を確保しなくてはならない。

 ところが、である

 新宿駅は乗車ホームと降車ホームとが分かれている。全員がそのルールに従うなら問題はないのだが、なかには乗車ホームから降りてくる乗客もいる。

 一般的マナーとして、われわれは電車でもエレベーターでも降りる人を優先させるよう教えられている。言うまでもなく、そこには合理性があって、乗る人を優先させると降りられない人がでてきてしまう。

 しかし、繰り返すが、新宿駅は戦場である

 われらが切り込み隊長が乗車ホーム側に降りてくる乗客を悠長に待っていると、われらが領土はまたたく間に敵軍に蹂躙されてしまう。

 そのため、われらが切り込み隊長には、一般的マナーはとりあえずスルーして、降りてくる乗客の横をすり抜けてでも戦場突入してもらいたいのである。乗車ホーム側に降りてくる乗客は、すでにマナー違反しているのだから、その横をすり抜けることはマナー違反だとは言い難いのである

 というか、混んでいる時間帯に乗車ホーム側に出たい人は、まずはいったん降車ホーム側に出て、乗り降りが落ち着いたところで乗車ホーム側に通り抜けてもらいたいのである

 京王新宿駅の一ウォリアーとしてのお願いである。

 
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