はてなキーワード: 梯子とは
ちょうど自宅の最寄り駅から電車を降りたらサイレンが鳴り響く。自宅までの道程に大きな国道があって、その沿線に消防車と消防隊がたたくさん居て、消防隊は事件がある(通過したときは煙は無し)ビルを梯子で登っていた。
国道の歩行者通路には自宅から何事かと様子を伺う近所の住民がたくさんいた。たぶん30人くらいだと思う。
でも煙も立ってないし近所の人達は反対車線だしそんな気になることなのかね。反対車線にいる消防隊に話し掛ける住民登録が居たけど、明らかに自分の家は被害が無い感じの人だった。
私自身は野次馬とか嫌いなもんで、そういう慌ただしい時は身寄りとか知り合いが関わっていない限りはそのままスルーしてしまう性格。仮に妻とか友人とその場を目撃しても、「仕事の邪魔になるから早く帰ろう」とか言ってしまう。消防活動の迷惑じゃないかなって思う。
そんな私はダメですか?
俺たちにとっては偶然舞い降りた奇跡といえた。
だが得てして、奇跡だとされる物事は見方を少し変えるだけで、ただの偶然になる。
分解していく過程で、くだらない因果の成り立ちが露わになるんだ。
話は十数分前、俺たちがライバル店のアイスを食べていた頃に遡る。
弟は自由研究のため俺を探していた。
しかし深く考えずアミダくじで決めたものだから、アテもなく彷徨う羽目になっていたんだ。
足を滑らせて、地面に激突するのも已む無しだ。
「そもそも何で俺……行き先も知らないのに兄貴を候補にしたんだろう」
いや、どちらかというと、弟の足元が覚つかないのが問題か。
何とか降れたとしても、地に足がついていないのでは安心できない。
「あっつ……今年は涼しいだとか言った奴、世が世なら今ごろ死刑になってるぞ……」
汗で服が濡れ、それが身体に張り付き出す。
時間を無駄にしたくないという動機で始めたので、無駄なことを認めるのは酷く抵抗があった。
しかし、さすがに暑さには勝てなかったようだ。
そう呟きながら、弟は近くにあったアイス屋へいそいそ向かう。
目的に近づいていたのに、そのタイミングで諦めてしまうとは何とも間の悪い奴だ。
「はい、いらっしゃ……げっ」
だがもっと間の悪い奴がいるとするなら、それはアイス売りの男だろう。
「あれ、あんた、どっかで……」
奇しくも、その男と弟は知り合いだったんだ。
男は依然に働いていたスーパーで、超能力を使って客に嫌がらせをしていた。
物体の位置を入れ替える力で、客の買ったオニギリをこっそり昆布入りにしていたのである。
それを弟と仲間たちに突き止められるという過去があったんだ。
「ま、まあ、それよりアイスはどうする?」
「いや……やめとく」
俺の通う学校でも、食堂でよく働いているのを見かけるし、これ以上ケチがつくような真似はしたくない筈だ。
だが弟からすれば、過去の評価を払拭できるほどの判断材料は何一つなかった。
「また超能力で、アイスに何かしてんじゃないの? キャラメル味を塩キャラメル味にしたりさ」
「そんなことしないって。何の得があって、そんな……」
「損得勘定なんて、悪意という感情の前では何の説得力もないね。前科がある奴なら尚更さ」
元々は身から出た錆といえなくもないが、真っ当にやっていることまで邪推され、それを吹聴されてはたまったものではない。
男は居たたまれなくなり、逃げるようにキッチンカーに乗り込むと、どこかへ走り去っていった。
「あー、でもアイスは食いたかったなあ……お、他にもアイス屋あるじゃん」
その後、弟は俺たちと邂逅。
ドッペルと自由研究がカブっている(しかも明らかに弟の方が劣化している)ことを知る。
まあ、それはまた別の話だし、それを話すことはもっと時間の無駄だ。
それでも言えることがあるならば、意味を持たせるなら自分で行動するのが近道ってことだ。
何でもないようなことを幸せだと思うには、何事も前向きで、相応の工夫が必要なのである。
今の弟にとって、一ヶ月“も”残っている夏休みは一ヶ月“しか”残っていない。
吹きすさむ熱風は、既に秋を運んできていると感じている。
「やっぱり面倒くさい、難しいやつから片付けていこう」
弟はやらないと決めたらやらないが、やると決めたらやる。
つい先ほどまで全くやる気のなかった宿題を、今は無性にやりたくなっていた。
「ようし、まずは言語だ」
それらを組み合わせた雑多な表現。
弟はその言語の複雑さを理由に、この国に生まれたことをよく俺に愚痴っていた。
客観的に考えても有数の習得難度だとは思うが、弟の場合は書き取りなどの作業が嫌いなだけである。
そして嫌いなものが好きになるほど、やる気というものは魔法の力を持ってない。
こんな思考を巡らせている時点で、気力が持続するのも時間の問題だ。
このままでは、どの宿題から片付けるかで悩み、勉強の準備をしただけで力尽きる。
「あーみだ、アミーダ、阿弥陀籤~、漢字で書くとワケわかめ……ここ、もう一本引いとこ」
そこですぐさまアミダくじを作り、天に指示を仰ぐことにした。
こんなことをする位なら、書き取りの続きでもやったほうがいいとは思うが。
「……」
そうして決まったのが自由研究だった。
となると、今度はテーマを考えなければならない。
「これと……これだ」
そして書いた言葉に線を平行に引き、それらを繋ぐ横線を引いて梯子状に……
まあ、回りくどい説明を省いていうなら、とどのつまりアミダくじである。
「あーみだ、アミーダ……これかあ」
「要は働く人に取材して、こんな感じの仕事をしてまーすって、まとめればいいんだろ」
奇しくもドッペルの決めたテーマ、それに加えて方向性までカブってしまった。
確実に内容を比べられるし、手を抜く気まんまんの弟じゃあ圧倒的に見劣りする。
ドッペルは弟の格好をよく真似するが、今度は弟がドッペルの宿題を真似していると思われるかもしれない。
なんとも間の抜けた話である。
「取材は父さんのとこだな。いや、ここは母さんもアリか。家で取材できるから楽だし……あ、そういえば兄貴は今バイトだっけ」
そんなことを知る由もなく、弟はもはや直進を始めていた。
後はどこで曲がるかってだけだ。
どこに信頼要素があるかは分からないが、弟はこの短期間の間にアミダくじに判断丸投げだ。
もう自由研究を「アミダくじ」にしたらどうなんだってくらい、頼りっぱなしである。
そんなオウム返ししたって駄目だよ
(当人がノリノリだったにせよ周囲に求められて仕方無くにせよ)
数十年後にその朝日から「あの話ウソでした」って梯子外されて撤退できるわけもない
「実は私達も朝日に合わせてちょっと話を作ってました」なんて言えると思う?
多くはおそらく「追加で補償もらえるの?」みたいな話で出てきたところを担ぎあげられて一生民族のアラヒトガミ状態
嘘は罪深いね
「ウィトゲンシュタインの梯子はずし」もなかなかいい。
百合SFってのは「ハンバーグと唐揚げのコンボメニュー」なんだと思う。
私はハンバーグも唐揚げも大好物だ。そこそこの年齢になってきたが、一般的な調理方法で使われる油の量ならばまだまだウエルカムだ。もし、いきつけのレストランで「ハンバーグと唐揚げのコンボメニュー」のフェアがやっていたとして、私はそれを知った時に初めになんと思うだろうか?「お、いいじゃん!」まず間違いなくこれだ。フェアの内容が増量なのか割引なのか、それとも別の何かなのかに関わらず自分の好きな食べ物がフィーチャーされたイベントにワクワクしないはずがない。こういった食に対するワクワクは代えがたいものがある。別段節制しているわけではないが、普段よりちょっと贅沢なものが食べられると思うだけで、人は人生を華やかなものと認識できるものである。我ながら単純なものだと思うが。
ところで、なんの話題だったろうか。そうだ、百合SFだ。元増田の内容をハンバーグと唐揚げに置き換えるとすると「肉料理を眼の前にしている時に、酪農家の『食肉文化はなくなっていった方がいいのかもね』という発言を目にした」といった感じだろうか(全然 違ったらゴメンね )。私がその状況に出くわした時に何を思うかシミュレートしてみる。「そうだねぇ。それはそれとしてこちらのお肉料理は冷めない内に美味しくいただきますね」こんなところだろうか。
世界は常に変わっていく。長く生きていれば変わっていく世界の中にあって変わらない自分だけがまるでウラシマ効果で俗世から切り離されていく宇宙旅行者のように感じてしまうこともあるかもしれない。逆に、変わっていくだろうと思っていた世界が、実際の所は全く変わらずに拍子抜けをしてしまうこともあるかもしれない。悩み苦しんで、選択を迫られながらも世界を変えていこうとしている人々もいれば、移ろいゆく情勢に合わせて自分を変えていく人々もいる。無関心や身勝手から世の中に起ころうとしている良い変化を妨げてしまうこともあるかもしれない。
例えば食肉文化の未来を憂う酪農家とただの肉好きの私、「食肉文化」の現状を変えていけるポテンシャルを持っているのはどちらだろうか?これについては私よりも酪農家の方であると思う。「より現場に近いから」くらいの理由付けではあけれど。
そう考えた時に、『食肉文化はなくなっていった方がいいのかもね』 と述べた酪農家がその発言を実現するために、私ができる現実的な方法はなんだろうか。「肉を食べること」これしかないと思う。「買い支え」と言いかえることもできる。もちろん「支えるぞ!支えるぞ!」と張り切って過度に買い求めれば、需要過多となり、期待とは反対方向の谷底に世界はまろび落ちてしまう可能性はあるので注意は必要であるけれど。
もし明日、食肉文化がなくなったら?それは困る。では30年後、食肉文化がなくなっていたら?それは困る、とは明言しづらい。もしかしたら私は変わりゆく世界に順応することに成功し、「ハンバーグと唐揚げのコンボメニュー」がなくても生きていける体になっているかもしれない。そもそも年齢的に脂っこいものが駄目になっているかもしれない。それはそれで悲しい。
梯子が要らなくなるのは何年後だろうか。
梯子がなくなった時に、私はどう思うだろうか。
まぁ、それはそれとして、 文字を打ち込みながらハンバーグと唐揚げを画像検索していたら何だかお腹が空いてきてしまった。さて、冷蔵庫になにか残っていたかな。
川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい
https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/
元記事は概ねまともなものとして受け止められているようであるが、中には反論する者、疑問を呈する者、新たな論点を提示する者なども見受けられる
それらには見るべきものもあれば、検討に値しない詭弁もあるように思われる
増田個人としては、何が何でも相手を貶めようとする後者のような下衆な輩は嫌いではないので、本記事においては、増田らしく、猿の喧嘩のように、不毛な言及をしていく
murasakizaru これは綺麗なスルメロックでは?女に比べてあらゆる高下駄と自由を享けても思うほどの特権を得られなかったオッサンの恨みを女の子たちが女神のように一方的に受け止めるの?私は怒りも非難も隠さないよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4669352217264433538/comment/murasakizaru
元記事には性別に関することなど一切書いていないにも拘らず、ここではなぜか「女」という要素が持ち出されている
この時点で既に論点がブレ始めているのだけれど、仮に本事件が「女に比べてあらゆる高下駄と自由を享けても思うほどの特権を得られなかったオッサンの恨み」によって引き起こされたものであるとしよう
たとえそうであったとしても、元記事で主張されているのは「社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき」というように、社会が「女に比べてあらゆる高下駄と自由を享けても思うほどの特権を得られなかったオッサン」を包含していこうということなのであって、「女の子たちが女神のように一方的に受け止めるの?」などというように、女性にのみ何らかの役割を求めているかのように受け止めるのは、明らかな誤読である
あくまで主語は社会全体であり、困っている人に手を差し伸べるのに性差も糞もないのだ
では、本記事では 性別は問題にされていないにも拘らず、この人物はなぜわざわざ 性別を持ち出して論点化しようとしたのだろうか?
その理由を分析するために、過去のブコメをいくつか見ていこう( https://b.hatena.ne.jp/murasakizaru/)
最新版“6歳から7歳の小学生の女の子13人” 池田小の時と同じく、狙うのは低学年の女の子。女の子は被害者意識を肥大させたオッサンのストレスの最終処分場
許さないという意思表明に意味があるからだ。ヘイトスピーチを許さないし、痴漢を許さないし、全ての殺人を許さないかには留保があるが見知らぬ女の子の殺戮は許さない。「もっと酷い目に遭うから黙れ」には与しない
どうやらこの人物が性別を持ち出したのは、被害者の多くが小学生の女の子であったからだと思われる
すなわち、男性の大人という腕力のある者が、女性の子供という弱者を狙った者であることを重視しているのだろう
しかし、本事件では小学生だけでなく大人も襲われているし、死亡している内の一人は30代後半の男性である
いくら刃物を持っているとはいえ、51歳の男性にとって30代後半の男性というのは十分脅威であるし、容疑者が返り討ちになっていた場合も考えられなくはない
もちろん、容疑者が第一に狙っていたのが児童である可能性は高いだろうが、容疑者よりも10歳以上若い成人男性が殺害されているという事実をスルーし、「女の子が一方的に受け止めるの?」などと無理やり性別の問題に引き寄せて語る振る舞いは、牽強付会であると指摘されても仕方がないだろう
t1997takaaki 嘘のメッセージで思いとどまらせようとするのも残酷だと思う。そういう人にたいして本当に行政や個人が手を差し伸べる国だったら氷河期世代問題も無敵の人問題も存在しない。絶対に助けない国だからそれらがある
https://b.hatena.ne.jp/entry/4669352217264433538/comment/t1997takaaki
見出しに引用した言葉は極論であるが、極論であるが故に、強い共感を得られそうな主張である
しかし同時に、これはまるで「神がいるのならば、なぜ悪が存在するのか?」とった、いかにも古めかしい神義論を彷彿とさせるような言説でもある
また、元記事はあくまで社会に関する提言をしているのであるから、例えば「絶対に助けない社会」というように、社会について言及するのが自然であるが、当人はここでわざわざ「国」という要素を持ち出している
どうやらこの人物は、本邦に対する特別な不信感を抱いているようである
ここで、この人物のパーソナリティを分析するために、過去のブコメをいくつか見てみよう(https://b.hatena.ne.jp/t1997takaaki/bookmark)
id:REV id:inmysoul id:keinorichi2250 id:suisuin id:kakaku01id:kibiya id:kusorurosuk とっととブコメ訂正しろや情弱知恵遅れども。何がコラだ。Twitterで検索すれば秒で元動画出てくる。それすらしないでデマ認定とかなんでそんな頭悪いの?
任天堂大好き44才無職おじさん、退院後も逮捕しないという続報(https://twitter.com/i/status/1120673410713931776)が出た後は完全に知らん振りしてるのね。完全に梯子外されてやんの。「自分は賢いと思ってるバカ」の典型。
事故起こした直後に真っ先に息子に電話かけて連絡して対処してもらったヤツの怪我の程度が本当に重いと思っているのか。はてなって「自分は賢い、騙されないと思ってるバカ」ばかりでウンザリする。
人によっては生理的な嫌悪感を催すであろうおぞましいブコメの数々であるが、悪いインターネットに毒された諸兄にあっては、ごく見慣れた日常風景であるかもしれない
早速内容に当たると、まず、個々のブックマークやはてな全体への言及が見られる
この人物はどうやらはてな、あるいははてなブックマーカーに対して否定的な印象を持っているようである
しかし、このようなサービスや利用者に対する強い感情を表明している割に、ブックマークの総数は百数十と少ない
このことから、このアカウントは殊更に過激な主張を行うためのサブアカウントなのではないか、という仮説が成り立つ
他にも「情弱知恵遅れ」「自分は賢いと思ってるバカ」など、知性に関する強い執着を持っていることが見て取れる
ところでこのような執着は、ユング心理学においては本人のコンプレックスに由来するものと考えられる
自身の知性に対するコンプレックスが巨大であるが故に、それを刺激されると、このような強い拒絶反応が現れるのだ(参照: http://www.j-phyco.com/category1/entry2.html)
これらの推測が仮に正しいとすると、この人物は過激な物言いに反して、その性根はいかにも小心であり、同時に知性に対する強いコンプレックスを持ち、おまけに周囲の環境への恨みを募らせている、ようは「無敵の人」に近いパーソナリティを持っているということになる
低能先生の事件を考慮すると、「次の凶行を生まないため」に「社会が手を差し伸べるし、何かしらできることはあるというメッセージの必要性」というのは確かに感じさせられるのだが、一方で、個人がこのような人物に対してまで手を差し伸べるというのは大変難しいことであるのもまた事実であろう
しかし、それでも元記事の筆者は、件の記事を通して、あらゆる人々に向かって手を差し伸べようとしているのであり、その姿勢と理屈からは大いに学ぶべきところがあるように思われる
ついさっきスーパーで、レジのおじちゃんにタメ口きかれた。前の客も後ろの客にも敬語で話していたのに。
自分が他の人と同様に扱われない事が凄く傷つく。
個人経営の飲食店行くと「そこで待っててね」「お水いる?」みたいな子供のように扱われる。
スーパーの店員の言葉遣い一つで傷つくのもアホらしいけど、周りの成長についていけなかった学生時代がコンプレックスでそれが刺激されるから辛い。
恋バナとか、ブラジャーとか、生理とか、色付きリップの話とか、そう言う大人びた会話についていけなかった。更衣室のちょっと下世話な話とか「〇〇ちゃんは分からなかっていいよー」で、閉め出されてきた。幼稚園の頃からままごとで赤ちゃん役、学校でも人間関係の中で赤ちゃん役。
学生時代も研究室の教授は、〇〇さんはそれぐらいでいいよ、みたいな半人前の扱い。普通より一つ下の階層にずっと居た。
きっと一人前の扱いされても、話に乗れないのは変わらないし、マルチタスクさせたら失敗するし、1人分の責任も果たせないんだろう。自分のような幼稚で無能な人間は、ぬるま湯で許されながら下の立場に留まり続けるのが一番マシな立ち位置だ。
でも人並みになりたいし人並みに扱われたいとやっぱり思う。でも人並みを期待されてもそれに添えないからより辛くなるだけとも思う。ずっとそんな事をぐるぐる考えて悩んで生きている。
だから、店員さんは大抵、マニュアル通りに自分をただの1人の客として扱ってくれるから好きだ。どんな自分だとしても、レジの前では等しくお客様で入れるところが良い。コンビニ人間で言うところの「社会に組み込まれている1人の人間である自分」が嬉しい。
だけど、不意に子供のように扱われると、梯子を外されたようで大変辛い。
極度に人見知りだった幼少から、表面上の挙動だけは改善したと思ってる。店員さんには愛想よく丁寧に話すのを心がけてるし、挨拶とかお礼だけはちゃん言うようにしてる。服とかメイクとかも人並みに見えるように合わせた筈。
なんでだろう。何がいけないんだろう。
きっと悪意はないと思う。多分おじちゃん店員からしたら若い嬢ちゃんなだけなんだと思う。
でも同じになりたい。他の人と同じがいい。普通のサラリーマンみたいなステレオタイプな普通の人になりたい。1人分の扱いをされたい。
自分も七つの大罪を読んで同じようなことを少しは思ったので、元増田の気持ちがわからんでもないが、2点言わせてもらう。
①嫌いな点だけ長々と書いてあり、好きな点が書かれていないから「嫌なら読むな」という反応が来る。
好きな点も熱く語ってほしい。期待している
②便乗して規制したい勢が出没している。こいつとか↓
https://anond.hatelabo.jp/20190516150318
この辺も↓
https://anond.hatelabo.jp/20190516140835
こういう輩にビシッと「やめてください」と言って梯子を外してやってくれ
暁の薄光、絡みつく葦の藪、もう動かない重い体、迫り来る野猿の牙
もう助からない――覚悟を決めた私を救ったのは、遠方から刺す一本の矢だった。
髪を凛々しく結い陽の光を背に弓を持った彼女は
※ ※ ※
彼女は私に歩み寄りながら話しかけてきた。綺麗な長い手が差し出される。
ティアラはそう言って本当に可笑しそうに笑った。
「じゃあタワヤミア(か弱い女の子の意)。みんなからそう言われてるし」
「ふぅん、じゃあこれからヤミアね。そう呼んでいい?よろしくね」
そう言ってティアラは私の手をとった。
帰り道の空はもう明るく、風も柔らかい。
あんなに恐ろしかった葦の大草原も、ティアラと手をつないていれば何も怖くなかった。
※ ※ ※
男性顔負けに馬を駆り、弓を引けば国一番の腕前、おまけに血筋は首長の娘だ。
それでいて決してお高く止まったりはしない。
国に来たばかりの私にも気さくに接してくれた。
「かっこいいよね…」ティアラの話になると、
機織りのときさえ時折手を止め話をしはじめ、よく怒られる。
「身近にあんな人いたら結婚する気なくなるわ…ハードルあがるもの」
婚礼の祭りは毎年、春分の日が過ぎた最初の新月の晩に行われる。
暗闇の中、年頃の男性たちが夜通し歌い踊り続け、
朝の明けるのを待って最も技巧みとされた男性から順に気に入った女性に声をかける。
※ ※ ※
今日はいつもの凛々しい結い髪ではなく、髪をおろし化粧を施した
大人の女性の姿だった。赤々とした夕日に映える、美しい姿だった。
話をしたくなった私は、櫓に這い登った。
「そろそろ大人の格好もしなきゃって婆ちゃんがね、婚礼の祭りもあるし」
ティアラは照れながら言った「変でしょ?」
「ううん、おしゃれしたティアラもすごく綺麗!」私は本心からそう言った。
「ティアラもお祭りに出るんだ…どんな男性が来るんだろうね。ドキドキするな。」
「ふふ、ああいうのって大体相手は決まってるのよ。特にあたしみたいに堅苦しい血筋だとさ。今年は海の民が踊りにくるじゃない?あそこの男と結婚するよ。」
その話を聞いて私は正直驚いた。海の民といえば荒くれ者で有名で、
人を招けば国を奪いに来ると警戒されていた。彼らと祭りをするとは。
「ほら、こないだ向こうの国から来たお嫁さんが3人、みんな女の子を産んだじゃない?あれが和解の印になったのよ。優しい女の子が生まれたから、侵略の意図はないんだって。」
「ええ、何かおかしくない?それ、あらかじめ『女の子が生まれたら海の民に侵略の意図はない』って言ってから生まれたのならわかるけど、順番逆ならなんとでも言えるじゃない…」
「ヤミアのゆーとーりだね。あたしもそう思うよ。」ティアラは寂しそうに言った「でもしょーがないじゃん。首長の娘が我儘言うとみんなが困るんだし。」
ティアラはふと欄干に足をかけ、夕暮れに矢を放った。いつもの凛とした所作だった。
「もう弓遊びも終わり。あたしも大人にならなくちゃね。」
そう言って櫓の梯子を降りていった。あたりには薄墨色の夕暮れ空だけが残っていた。
矢の行き先はわからない。
※ ※ ※
ほどなくして海の民の男性たちが国にやってきた。7日7晩逗留し、
「海の民、ガサツで嫌い…」ワカピルミアは口を尖らせた。「畑荒らしたり、そこらじゅうでお酒飲んだり…こないだ神殿で酔っ払って吐いたんだって。」
「まあ、風習の違いとかあるんじゃないの?」私は答えた。「畑とか手伝いたかったけど間違っちゃったとか。」
「おしゃべりをやめなさい!」
またワカピルミアが怒られた。私にとばっちりが来ないように目を伏せて機織りに勤しむ。
「綺麗どころがいっぱいじゃねえか!家に閉じこもって何してんだい?」
天井から大声が響いたかと思うと上から人馬が舞い降りてきた。否、人馬ではない。総面の馬皮の衣装を纏った海の民の男性だった。
機織り小屋は騒然となった。ワカピルミアは恐怖のあまり足腰も立たなくなっている。
私もどうしたらいいかわからず、あちこちを右往左往するばかりだった。
「無礼者!」凛とした声を張って助けに来てくれたのは、やっぱりティアラだった。
喉元に突きつけ組み伏せた。
ティアラが凄んだ。その時、後ろから声が聞こえた。ティアラの祖母、大婆様だった。
「大婆様…でも、こやつは機織り場で狼藉を…」
「だからといってあなたも乱暴をするのですか?嫁入り前の娘でしょう?」
ティアラはしぶしぶ立ち上がり、男性を開放した。男性は立ち上がるとティアラをしげしげと見つめた。
「元気のいい女は嫌いじゃないぜ?お前が首長の娘か?気に入ったよ。」
「俺は海の民の首長の子、ツツァ。祭りでは俺の踊りを見てくれ。」
ツツァと名乗った男性は、小屋の出口に向かいながら言い放った。
「惚れ直すぜ。」
※ ※ ※
婚礼の祭りの前日、酒を出し鶏と豚を屠り、国中が大忙しだった。
夜もふけると男性たちの踊りが始まる。海の民たちはもろ肌を脱ぎ帯をほとんど腰下まで押し垂れ、情熱的に踊る。ほとんどの観客は、普段の海の民の狼藉を忘れ夢中になって見ていた。
特にツツァの踊りは自負するだけあって力強く美しく、ティアラも本当に惚れ直すのではないかと思った。
そういえばティアラはどこにいったのだろう。夜更け過ぎから姿が見当たらない。
あたりを見回すと、松明を持って広場の外れに行く姿が見えた。
私は直感した。ティアラだ。祭りの真っ最中に何をしに行くのか、追いかけた。
行先は薄暗い洞窟で、ティアラは石扉を閉じて閉じこもってしまった。
「ヤミア?追いかけてきたの?」扉の向こうでティアラが答えた。「今は一人にして…」
「何言ってるのよ、あなたがいないとお祭りが終わらないじゃない。」
「でも」ティアラが聞いたこともない弱い声で答える。「ツツァと一緒に暮らし続ける自分が想像できない…」
石扉の前で私は立ち尽くした。もう夜が明ける。ティアラがここにいるとみんなに伝えるべきだろうか。
※ ※ ※
時が過ぎ、一人また一人と異変に気づいた。
そろそろ夜が明ける頃なのに、空が暗いままなのだ。
いつまでも明けぬ朝を目の前に、国の人々は誰彼となく噂をはじめた。
異変にはツツァも気づいていた。悪い噂に負けぬよう、一層情熱的に踊る。
しかし、その横でもうひとり、力強く踊る者がいた。
桶を伏せ足を踏み轟かせ、背をそらし高らかに歌い踊る。あたりは暗く、何者かはわからない。
みなはその者の踊りに夢中になった。
不吉な噂を忘れ、誰もが今宵の一番の踊り手を決めた時、日は東の空の中空からわずかずつ姿を現した。奇跡が起きた。みなはそう信じた。
「日は昇った!嫁を貰い受けに行く!」一番の踊り手は高らかに叫ぶと、
ツツァは目を凝らし一番手を見た。まだ薄暗く姿ははっきりと見えないが
洞窟の中にティアラは座っていた。いつまでもこんなところでいじけてはいけない。
それはティアラ自身がわかっていた。夜が明ける前に広場に戻ろう。そんなことを考えていた矢先、
扉の向こうから再びヤミアの声が聞こえた。
「ティアラ、出てきて。みんなが待ってる。ツツァより美しく、情熱的な踊り手があなたを迎えにきたよ。」
外は薄明るく、ようやく人の姿がわかるようだった。
開けて見えたのは、海の民の男たちのように胸をはだけ、帯を腰下まで垂れたヤミアだった。
「私が踊ったの。みんな私が一番だって認めたわ。」
一番手を追いかけ洞窟の前にたどりついた観客達は騒然となった。
あの激しく、美しく、情熱的な踊りを踊っていたのは、海の民ではなく、
まして男性ですらなく、か弱いタワヤミアだったのだ。
「ヤミア、あなたが踊ったの?!」ティアラは思わず声をあげ、そしてたまらないという表情で笑いはじめた。
「どうして笑うのよ…」
「まさか、あなたがこんなことできるなんて…もうあなた、タワヤミアなんて名前似合わないわ。今度からウンツミア(迫力のある女の子の意)とでも名乗ったら?」
「それもいいわね」私は今までで一番力強い笑顔で笑った。そして、ティアラの手をとり洞窟の入り口を出た。
「ねえ、ウンツミア。朝ってこんなに明るいのね。それにあんなに恐ろしかった洞窟への道も、あなたと手をつないていれば何も怖くないわ。」
ティアラは私にそう言った。私も同じ気分だった。
多大なるインスピレーションを与えてくれた id:guinshaly のブコメに感謝
http://b.hatena.ne.jp/entry/4663896363178868321/comment/scopedog
http://b.hatena.ne.jp/entry/4663896957494999777/comment/scopedog
>これ「南北共同連絡事務所で使う石油精製品について、韓国が...輸出の届け出を見送っていた」とあるので、南北共同事務所のストーブ用の灯油を韓国が持ち込んだことを違反扱いしている程度じゃないのかなぁ…
一階で書いたら即座に嘘を暴かれるか梯子を外されるかするからって
旗色悪くなった途端梯子外すのなw
「コミュ障が婚活マッチングアプリで出会い別れるまでの一部始終」(anond:20190106214218)という日記を書いた者です。
前回の日記を通じて、自分の経験を文章に落とす作業をしている間はすごく気分が晴れるということに、生まれて初めて気づきました。文章を褒めてくださる方もいらっしゃったので、調子に乗ってもう1本、投稿してみます(読み手を選ぶ内容なので、さほどブックマークはつかないと思いますが)。また、前回の日記では、あたかも僕が恋愛経験・コミュニケーション能力以外の点において完全なる真人間であるかのような印象を与えてしまったので、ちょっと彼女に対してアンフェアだったな、という懺悔の思いもあります。
●
僕が中学生・高校生時代に、人生で初めて好きになった方の話をしたいと思います。
僕が通っていたのは、中高一貫の男子校でした。所謂進学校で、有名大学進学率がKPIになっている、勉学を重んじる厳しい校風でした。
中学校の登校初日。入学式を終えた新入生は、疲れた足取りで初めて行く自分の教室へ向かっていました。殆どの生徒はお互い初対面なので、会話もまばらでした。1人で居ても目立たなくて良いな、ずっとこのままなら良いのに、などと思いながら、僕は人の波から少し外れたところを歩いていました。
廊下の角を曲がった時、僕は斜め前を歩いていた同級生の1人に気づきました。サラサラなストレートの髪に、小さな顔、大きな瞳、長い睫毛。人生で見たことのある誰よりも格好良い男の子が、そこには居ました。
これが、一目惚れか、と、冷静に思ったのを、はっきりと覚えています。
彼と僕は同じクラスでした。彼は、才色兼備な人でした。文武両道で、サッカーが趣味。優しい性格で、愛嬌があり、話は面白く、友人も多い。笑顔がキラキラしていて、王子様のように見えました。過去を美化し過ぎだと言われるかもしれませんが、アイドルグループに所属していてもおかしくなかったと思います。クラスで文化祭に出店した、大して美味しくない割高なタコ焼きも、彼が声を掛けた女子学生は全員買ってくれました。
僕は、絶対に彼には自分の心の内を明かさない、と決めていました。傷つくのが怖かったのもありますが、彼の人生劇場の登場人物として、僕はあまりに分不相応だと思ったからです。僕は、彼が僕を抱きしめ、名前を呼びながら優しく髪を撫でてくれることを想像し、時に嗚咽しながら床に就きました。僕の人生は泣いてばかりです。今思えば、この時の涙の理由も自己憐憫でした。努力を放棄し、自分で自分のことを追い詰め、思考停止して悲劇のヒロインを気取り、自身を慰めて、精神的な安寧を得るのが日課になりました。幸せと虚しさが入り混じった複雑な気持ちで、彼と時空間を共有できない夜をやり過ごすことしか、できませんでした。
僕は「好きな人の好きなものを好きになる」タイプでした。彼があるアイドルのファンだと聞けば、プロフィールを暗記し、出演するテレビ番組を観ました。彼がよく口ずさんでいた洋楽アーティストのCDは全部借りて聴き、歌詞まで覚えました。そうして仕入れた話題で彼に話しかける勇気もないのに、です。
ある日僕は、彼と彼の友達が教室の窓辺で繰り広げる雑談に聞き耳を立てていました。彼は、塾で出来た初めての彼女とファストファッション店に行き、お揃いのトレーナーを買ったと、少し恥ずかしそうに、しかしとても楽しそうに話していました。僕は彼に彼女ができていたことさえ知りませんでした。完全に狼狽しました。彼は彼女のことが好きで、僕が知ることのできない存在であるその彼女は、僕の見たことのない彼の表情を知っているのです。結局、その日は何もやる気が起きず、トイレに籠って残りの授業をサボってしまいました。泣き腫らした顔を誰にも見られたくなくて、放課後、日が沈んだ頃に個室を後にしました。親には怒られましたが、何も言えませんでした。
でも、サボってばかりいたわけではありません。むしろ勉強には必死で取り組んでいました。彼と同じクラスになるためです。入れ替わりの激しい特進クラスを6年間ずっとキープし続けたのは、とうとう彼と僕だけでした。彼は文系コース、僕は理系コースでした。本当は彼と同じコースに進みたい気持ちもありましたが、無理して高い授業料を払ってくれている両親の顔を思い浮かべると、人生を棒に振る可能性のある決断をする勇気は出ませんでした。それでも、少しでも多く彼と同じ空気を吸っていたくて、受験に必要のない文系科目まで、教頭に頼み込んで時間割の許す限り履修していました。ただ、残念ながら僕の学力は彼に遠く及ばず、別の大学に通うことになるのは自明でした。最終学年になって勉強のモチベーションを失った僕の成績は、急に翼を失った鳥のように落ちてゆきました。教師全員にひどく心配されたのを良く覚えています。
高校3年の1学期の席替えで、僕の席が彼の後ろになりました。夏休みまでのたった数ヶ月だけですが、世界中の誰よりも彼と一番物理的に近い場所を占有できる喜びで、胸がいっぱいになりました。居眠りの振りをして机に突っ伏し、いつの間にか仄かに甘い香りを纏うようになっていた彼の背中に近づきました。息をするたびに、彼と一体化してゆくような、幸せな気持ちが溢れました。放課後、憶えた匂いだけを頼りに、彼と同じ香水を探しました。塾を休んで、お店を何軒も梯子しましたが、結局見つけることはできませんでした。
ある授業の小テストで、僕が酷い点数を取ったことがありました。回収の号令が掛かり、自己採点した答案用紙を、前の席に座る彼に恥ずかしそうな顔で差し出すと、彼は僕の眼を見て「可愛い」、と言いながら、優しい笑顔で受け取ってくれました。どういう意味を持つ言葉なのか、しばらく理解できませんでした。その声色は、今でも耳にこびり付いています。辛いことがあった時に、何度も、何度も心の中で反芻して、その度に涙を流し、頬から耳まで真っ赤に染めました。
彼が僕の気持ちに気づいていたのかどうかは、卒業するまで、ついに分かりませんでした。
●
この日記は、彼の好きだったEric Claptonを聴きながら書きました(この日記では固有名詞を一切出さないという自分縛りがあったのですが、これだけ例外にさせてください)。自分の中で強く記憶に残っているエピソードを集めてみたのですが、結果として完全なる狂気という印象になってしまいました。常にこのような変態行為に走っていたわけではないことだけ、申し開きをさせてください。この時期にできた数少ない友人の一人とは、年に一度、母校の文化祭に行く間柄を保っています。
彼とは、高校卒業以来、一度も会っていません。大学に進学すると、僕は別に男性が好きだったわけではないのだということに気づきました。ただ、6年間、彼という重いアイロンを掛け続けた心の折り目はなかなか消えず、随分とひねくれたまま大学生活を送ってしまいました。
客観的に読み返すと、僕は本来的には恋愛依存体質で入れ込みやすいタイプなのかな、と思いました。これをコントロールできるようにしないと婚活中に精神を病みそうですね。
●
この日記をどうしても書きたくなったもう一つの理由は、前の日記の「彼女」が、3次元ボーイズラブ小説の執筆をこよなく愛していたからです。彼女は、本当に親しい人にしか言えない秘密だと言って、4度目のデートで僕にその趣味を打ち明けてくれました。彼女に僕の経験を伝える機会はついにありませんでしたが、あの時僕が彼女の良き理解者として振舞えたのは、中高時代の彼との思い出があったからこそでした。
●
ブックマークコメントを読ませていただきました。「まともな人かと思ったらヤバい奴だった」みたいなことを云われるのではないかと心配していたのですが、杞憂でした。お薦めしていただいた漫画も面白そうなので読んでみようと思います。あと、「明治の文豪が書きそう」とあって笑ってしまいました。読書量の少ない人間がそれらしく文章を書こうとすると、学生時代に読んだ著名な本にしか影響されていないことが透けて見えてしまうものですね。僕は「こころ」が好きでした。この日記が遺書にならないよう精進します。
女版はじめの一歩。ボクシングで成り上がるサクセスストーリー!!
戦争でのランボーの如きジョニーの活躍を描いた痛快アクション!!
鹿狩りのオラが戦争に連れて行かれただ、田舎の男たちが巻き起こすはちゃめちゃ大騒動!!
田舎から出てきたカーボーイが都会とのギャップにドジするコメディ!!
よくできたまとめ。
かくいう自分はロストメビウスあたりで離れた組(※と、いいつつ結局今でもどこか目の端で作品群を追いかけている)
このあたりの解説もまさに増田の言うとおりで、作品のテーマが難解になって、作者の言わんとしているところと作品読了後の自分の得たいカタルシスが一致しなくなったため。
自分がブギーポップに求めていたのは第一に『笑わない』のような多重構造のミステリーを通して語られる世界というものの複雑さと適当さに圧倒される閉塞感。
第二に『パンドラ』『ホーリィ&ゴースト』『冥王と獣のダンス』『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』で示されるような、閉塞的な世界において個々の人生という名の運命=<試練に立ち向かう戦士>の話。
第三に、前項ふたつの要素が組み合わさって終幕を迎えた物語におけるカタルシス。
初期作品は間違いなくこの三つの要素で形作られていたといっても過言ではない。
そして著者のあとがきで語られる分析と考察と独白みたいな結論(通称:上遠野節と言われる)がこのカタルシスに絶妙な味を与えてくれて、二週目以降の読破にも興が乗る。
このカタルシスだが、二期後半以降かなり薄れる、
具体的にはまさに増田が触れているとおりで、ロストメビウスとそれ以降の作品群。
『世界の謎要素』が強くなった二期以降のブギーポップにおいて、ロストメビウスは作品群として重要な位置づけにはなりえても『戦士』よりも『世界の謎』を優先したために作品単体としての完成度が低い。
そのわりにロストメビウス以降も大筋でブギーポップの世界観に進行があったということはないので、かなり肩透かし感がある。
そして二期作品以降はこの傾向が加速して、世界観に一切進行のない肩透かし感(「結局あれはなんだったのか」)が続く。
その原因について、ブギーポップを含む作品群についてを含めてこのblogがすばらしい考察を書いているのでリンクを張っておく。
http://gentleyellow.hatenablog.com/entry/2019/01/03/135038
もともと上遠野氏の作風はストーリー自体がもともとスタンドアローンで、ストーリー同士をつなぎあわせることで全体が見えてくるというミステリーみたいなスタンスだった。
つまり最初期における『笑わない』で用いられていた手法が、今度は作品群全体において用いられるというスケールアップが面白かった。
したがって、巻が進むごとに世界の謎が徐々に解き明かされるというミステリーっぽさが熱狂的なファンを生んだ。
しかし二期後半くらいから過剰になってきたために、年単位で放置されてきた伏線が増えてきたことで、作者の中でネタの賞味期限が切れてきた、というのが正直なところではないだろうか。
この賞味期限の切れ具合から起こったネタの在庫整理が、そのまま上遠野氏における二期、三期の切り替えの時期に一致している感じがある。
したがってこの賞味期限切れの結果、世界の謎要素は徐々に手仕舞いしなければならなくなる。この手仕舞いが「ヴァルプルギスの後悔」である。
ではそれ以降のブギーポップはどうなるのかというと、作品全体を覆う世界の謎がなくなってしまったので、あとにはスタンドアローンになったストーリーしか残らない。
筆者が特にこの傾向を感じたのは「沈黙のピラミッド」あたりであり、確信したのが「化け猫とめまいのスキャット」あたりである。
この辺になってくると、もはや世界に謎がないのでスタンドアローンで作品を見ていく以外に楽しみ方がない。
もともと外伝作品とスピンオフのかたまりだけで構成されていたブギーポップシリーズが、それでもシリーズの体を保っていたのはブギーポップの存在と世界の謎だったのだが
世界の謎がなくなったことで(※まぁ、振り返ってみるともともとそうではあったのだが)ブギーポップシリーズが明確に単純なスピンオフの塊シリーズとなった。
類似作品としては「地獄少女」みたいなものだと思ってもらうと分かりやすいだろうか。
ブギーポップの魅力が一番詰まっているのはやっぱり原点である「笑わない」とそこに連なる初期9作品、ロストメビウス手前までの二期前半だと思う。筆が載ってた時期が一番面白かった。
個人的には「ビートのディシプリン」シリーズこそ真骨頂だと思っている。<世界>と<戦士>の構図をカタルシスと共に描くことにかけては著者の作品でいまだ右にでるものがない。
時系列的にも世界の謎がもっとも沸騰していた頃だったので、ここまでは大きな流れが見えて面白かったように思う。
二期後半以降から作者はたぶんブギーポップ関係とは別作品を書き始めて、ブギーポップの位置づけが自分の中で変わってしまったんだと思う。
やりたいことをやるために別の枠が用意されているなら、ブギーポップではもはやそれをやる必要はない。特に<ヴァルプルギスの後悔>という大仕事を終えてからはそれが顕著である。
したがって初期作品に見られたカタルシスは二期作品と並行で書かれた著者の別作品できちんと得ることができる。
たとえば<戦士>と<世界>の構図の代表作であれば『冥王と獣のダンス』や『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』
そして<世界の謎>=ミステリーであれば『しずるさん』『ソウルドロップ』があげられる。
つまりこの辺から上遠野さんは、やりたいことがいろいろとできちまってブギーポップについてはとっちらかし始めた感じがあり、最終的にもともとそうであったようにスピンオフとスタンドアローンストーリーの寄せ集めに落ち着いた感じがある。
すでに二話まで見てみたが、まぁこんなもんなのか?という感じ。
もっとカットを多様してキーワードとなる台詞にはキャラクターの口元を映したり、必要なシーンを瞬間的な回想で一瞬だけ挿入させるなど、雰囲気を出すためにシャフト的演出が必要なのではないか。
シーンごとのつながりは見た人に分かりやすいつくりにはなっていると思う。
ただ木村君を出さないのはどうかと思う。「笑わない」を読んだことがある人にはわかると思うが、通しで読むと途中までは単なる青春ストーリーでしかなかったものが
木村君のチャプターから徐々にストーリーの肝へと近づいていく、いわば切り返しのチャプターなのだ。
というよりそもそも三話か四話程度で「笑わない」をやってしまう今回の計画自体に無理があると思うのだがどうなのか。
聞くところによると中盤から後半は「vsイマジネーター」をやる予定らしい。
上遠野氏にとって間違いなく重要な存在だったイマジネーターだが、多分筆者の雑感ではおそらくまだこのテーマは著者の中ですっきり終わってないまま放置されている。
原作がまだすっきりと終えていないものをアニメ化したところで面白い話になるはずもない。
個人的に監督に対する批判としては、アニメ化するなら上遠野氏の作品のなかでもスタンドアローンできれいに完結しているものを選ぶべきだった、と言いたい。
何かと話題になる『笑わない』とか『イマジネーター』ばかりに目をやるのではなく、形としてワンクールに綺麗に収めやすい初期の作品なら
『ペパーミントの魔術師』『ホーリィ&ゴースト』『エンブリオ侵食・炎上』『パンドラ』があったではないか。
初期作品の趣を正当に継承しつつ、ワンクールという短い話数でまとめやすくきちんとカタルシスを与えられるストーリー強度を持っているのは間違いなくこの四作品だ。
三期以降の著者の作品は手にとっていないので分からないというのが正直な感想だが
懸念していることとして何点かあげておきたい。
成熟期~衰退期にある現在の日本は、当時の熱狂からの急速の冷却時期をある種越えて、落ち着いた感じがある。
またITの広がりを受けて知識を得ることが一般かつ容易になったために、今まで知らなかった社会の謎や不満、不安が解き明かされつつある。
少なくとも「自分の感じていること」が何なのかを社会的な構造や論理できちんと説明できるようになった。「何がなんだか分からなかったもの」から、少なくとも「原因はこれなんじゃねえか」と言えるような、手触りのあるものにまで落ち着いてきた。
そしてエヴァで示されるような自分自身の心理的な問題や、ガンダムのような社会と自分との対決ではなく、もっと普遍的なある種受け入れざるをえないような構造上の問題として理解されつつある。
働き方も人生に対する考え方も将来に対する展望も、今の若い人たちはよりリアルで現実的だ。
自己実現の形も身近で多様になってきた今、閉塞感を主要な題材として手探りで作品を作る事は普遍的とはいえやや共感が難しい。
ある種のカウンターカルチャーから始まっているとはいえ、ストーリーの路線はもっと王道的なものへ回帰する必要があるのではないか。
いまの若い子たちのほとんどは迷いがない。情報がたくさんあり、そのことに慣れているので、彼らのほとんどは過去90年代に存在していたような迷いや苛立ち、先行きの見えなさというものからきちんと卒業している。
先行きが見えないレールとして見るのではなく、多くはレールを立派に相対化して統合評価し、少ない選択肢のレールの中から自分の納得のいく選択を手にして自分の人生を生きている。
平凡ではあるが、意思ある存在としてその平凡さを選んでいるのだ。わけもわからず梯子を登り続けた90年代を背後から俯瞰して「だいたいこんなものだ」という感覚を肌で分かっているのが00年代だ。
したがって、振り落とされて振り回される世代ではない。また将来に対する不安はあれど、道しるべや指標、解析ツールは探せば手に入る時代に、無理をして多くを手に入れようとはしない。
したがって、ピート・ビートが感じていたような不安感は、物語の没入のためには役立つが、そこに共感を感じさせる要素は見つけにくいだろう。
過去SFは現実の社会を映すものであり、社会の謎を解き明かす鍵があると考える読者も多かった。それがカルト的信者を生んでいた一面もあった。
しかし現在の若年層にとって、SFが提供する社会の謎はエンターテイメントの一部でしかない。
したがって<世界>と<戦士>の構図も同様に、エンターテイメントとしての構図に終始するか、あるいはこの時代における新たな<世界>と<戦士>の構図を再度見つけなおさなければならないだろう。
一言で言ってしまえば、セカイケイはもう終わってしまって古くなった。
人々は自意識というものについての興味を、以前ほどにはもっていない、ということだ。
したがって、意識というもののあり方が大きく変わってしまった以上、<世界>と<戦士>のあり方も本質は変わらずともあり方を変えて描かざるを得ないのではないか。
知っての通り、上遠野氏はジョジョの熱狂的なファンであると同時に、洋楽から多数の引用を行う。
これはあとがきに書かれている通りだ。
これはこれで悪くない選択だとは思うし、古典に学ぶことが創作の近道なのだが、現代のサブカルチャーとその源流についてももう少し学んでいいのではないか。
現代っ子が引用するサブカルチャーのほとんどはpixivはニコニコ動画が主流である。
そして引用のされ方にも傾向がある。
売れ筋に寄せろといいたいわけではないが、そもそも主戦場がライトノベルであるから、ハードな戦い方(※つまり正統的なSFとミステリ)をしていても遠巻きに眺められる終わるのがオチではないか?
もう立派な大御所なのだから売れるための本を書く必要はないのかもしれないが、もっとキャラクターがきちんと動くストーリーを書いてくれたっていいのではないか
ファンサービスのありかたも商業小説のあり方も変化してきたのだから、もうちょっと寄せてくれてもいいのではないか。
そんな気がする。
ラテン語で「e=(ここから)外に」「scala=梯子(でよじのぼる)」「tor=するもの」。
直訳すると「上の階によじのぼるもの」といった感じか。
ラテン語で「e=(ここから)外に」「levare=持ちあげる」「tor=するもの」。
直訳すると「上の階に持ち上げるもの」といった感じか。
scale(スケール)は「目盛り」や「ものさし」の意味、また「音階」という意味もある。
vectorに対するscalar(スカラー)は「量を増大・減少させる大きさ」。
ちなみにエスカレーターという言葉から「エスカレート(徐々に激しくなる)」という動詞が生まれた。逆ではない。
levareは、「軽い」という意味のlevisに由来する。
たとえば「levitation(レビテーション)」は「空中浮揚」という意味。
「relief(リリーフ)」は「苦痛を軽減する=救済」という意味。
「leverage(レバレッジ)」はテコで持ち上げる。
いずれも「軽い」「重さを取り除く」結果として「上がる」という意味だ。