百合SFってのは「ハンバーグと唐揚げのコンボメニュー」なんだと思う。
私はハンバーグも唐揚げも大好物だ。そこそこの年齢になってきたが、一般的な調理方法で使われる油の量ならばまだまだウエルカムだ。もし、いきつけのレストランで「ハンバーグと唐揚げのコンボメニュー」のフェアがやっていたとして、私はそれを知った時に初めになんと思うだろうか?「お、いいじゃん!」まず間違いなくこれだ。フェアの内容が増量なのか割引なのか、それとも別の何かなのかに関わらず自分の好きな食べ物がフィーチャーされたイベントにワクワクしないはずがない。こういった食に対するワクワクは代えがたいものがある。別段節制しているわけではないが、普段よりちょっと贅沢なものが食べられると思うだけで、人は人生を華やかなものと認識できるものである。我ながら単純なものだと思うが。
ところで、なんの話題だったろうか。そうだ、百合SFだ。元増田の内容をハンバーグと唐揚げに置き換えるとすると「肉料理を眼の前にしている時に、酪農家の『食肉文化はなくなっていった方がいいのかもね』という発言を目にした」といった感じだろうか(全然 違ったらゴメンね )。私がその状況に出くわした時に何を思うかシミュレートしてみる。「そうだねぇ。それはそれとしてこちらのお肉料理は冷めない内に美味しくいただきますね」こんなところだろうか。
世界は常に変わっていく。長く生きていれば変わっていく世界の中にあって変わらない自分だけがまるでウラシマ効果で俗世から切り離されていく宇宙旅行者のように感じてしまうこともあるかもしれない。逆に、変わっていくだろうと思っていた世界が、実際の所は全く変わらずに拍子抜けをしてしまうこともあるかもしれない。悩み苦しんで、選択を迫られながらも世界を変えていこうとしている人々もいれば、移ろいゆく情勢に合わせて自分を変えていく人々もいる。無関心や身勝手から世の中に起ころうとしている良い変化を妨げてしまうこともあるかもしれない。
例えば食肉文化の未来を憂う酪農家とただの肉好きの私、「食肉文化」の現状を変えていけるポテンシャルを持っているのはどちらだろうか?これについては私よりも酪農家の方であると思う。「より現場に近いから」くらいの理由付けではあけれど。
そう考えた時に、『食肉文化はなくなっていった方がいいのかもね』 と述べた酪農家がその発言を実現するために、私ができる現実的な方法はなんだろうか。「肉を食べること」これしかないと思う。「買い支え」と言いかえることもできる。もちろん「支えるぞ!支えるぞ!」と張り切って過度に買い求めれば、需要過多となり、期待とは反対方向の谷底に世界はまろび落ちてしまう可能性はあるので注意は必要であるけれど。
もし明日、食肉文化がなくなったら?それは困る。では30年後、食肉文化がなくなっていたら?それは困る、とは明言しづらい。もしかしたら私は変わりゆく世界に順応することに成功し、「ハンバーグと唐揚げのコンボメニュー」がなくても生きていける体になっているかもしれない。そもそも年齢的に脂っこいものが駄目になっているかもしれない。それはそれで悲しい。
梯子が要らなくなるのは何年後だろうか。
梯子がなくなった時に、私はどう思うだろうか。
まぁ、それはそれとして、 文字を打ち込みながらハンバーグと唐揚げを画像検索していたら何だかお腹が空いてきてしまった。さて、冷蔵庫になにか残っていたかな。
うんち
うんちは冷蔵庫に入ってないよ
つまんなうんち
入れてる人もいるらしいよ 検便じゃなくても