ついさっきスーパーで、レジのおじちゃんにタメ口きかれた。前の客も後ろの客にも敬語で話していたのに。
自分が他の人と同様に扱われない事が凄く傷つく。
個人経営の飲食店行くと「そこで待っててね」「お水いる?」みたいな子供のように扱われる。
スーパーの店員の言葉遣い一つで傷つくのもアホらしいけど、周りの成長についていけなかった学生時代がコンプレックスでそれが刺激されるから辛い。
恋バナとか、ブラジャーとか、生理とか、色付きリップの話とか、そう言う大人びた会話についていけなかった。更衣室のちょっと下世話な話とか「〇〇ちゃんは分からなかっていいよー」で、閉め出されてきた。幼稚園の頃からままごとで赤ちゃん役、学校でも人間関係の中で赤ちゃん役。
学生時代も研究室の教授は、〇〇さんはそれぐらいでいいよ、みたいな半人前の扱い。普通より一つ下の階層にずっと居た。
きっと一人前の扱いされても、話に乗れないのは変わらないし、マルチタスクさせたら失敗するし、1人分の責任も果たせないんだろう。自分のような幼稚で無能な人間は、ぬるま湯で許されながら下の立場に留まり続けるのが一番マシな立ち位置だ。
でも人並みになりたいし人並みに扱われたいとやっぱり思う。でも人並みを期待されてもそれに添えないからより辛くなるだけとも思う。ずっとそんな事をぐるぐる考えて悩んで生きている。
だから、店員さんは大抵、マニュアル通りに自分をただの1人の客として扱ってくれるから好きだ。どんな自分だとしても、レジの前では等しくお客様で入れるところが良い。コンビニ人間で言うところの「社会に組み込まれている1人の人間である自分」が嬉しい。
だけど、不意に子供のように扱われると、梯子を外されたようで大変辛い。
極度に人見知りだった幼少から、表面上の挙動だけは改善したと思ってる。店員さんには愛想よく丁寧に話すのを心がけてるし、挨拶とかお礼だけはちゃん言うようにしてる。服とかメイクとかも人並みに見えるように合わせた筈。
なんでだろう。何がいけないんだろう。
きっと悪意はないと思う。多分おじちゃん店員からしたら若い嬢ちゃんなだけなんだと思う。
でも同じになりたい。他の人と同じがいい。普通のサラリーマンみたいなステレオタイプな普通の人になりたい。1人分の扱いをされたい。
当職も仕事では穏やかで話しやすい人という評価を頂いている分、娑婆では舐められがちなのでわかりみ。 そういう店はグーグルマップで酷評できるから良い時代になった。