はてなキーワード: 所在とは
たぶん同じ資料みてるとおもうんだけど
30年は87,962人
年度繰越するケースはあれど3209人とかじゃん
20倍以上に水増しすんなよ
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/fumei/H30yukuehumeisha_zuhyou.pdf
あまり理解されてない事だけど非実在キャラクターである事自体は問題じゃない。小学生然とした子が胸を揺らしてても、そういうコンテンツなんだから、そこに文句がある人は自分で声を上げなよ。って感じだ。実際に問題視する好事家はほぼいないでしょう。
思い出して欲しいんだけど、警察の宣伝に採用された Vtuber、その Youtube チャンネルや彼女の存在を消そうとしたフェミニストは事実上全くいなかったでしょう。ウマ娘を問題視するツイフェミもきっと探せばどこかにいるかもだけど、そのレベルで希少だった。主に私たちが気にしているのは、責任の所在なんですよ。社会的責任を持っている人々がキチンと社会的責任を果たしていないことを。
自カプがネガティブな文脈で界隈外にまで取り沙汰されてしまい、
好きな作家が去ることを惜しむな悲しむななんて言わないし、誰にも言う権利はない。
ただ、A氏・Z氏が去る結果となった責任が少なからずK氏にあるかのような印象操作、
人格や評判などの本件に無関係の主観的要素を証拠なく書き立てて被害者の心証を悪化させ、責任の所在をスライドさせようとする行為、
さらには他の同カプ作家たちの撤退や萎え表明までもK氏のせいであるかのように引き合いに出すイニシャルトーク。
さすがに卑怯だし無理がある。だーれも騙されないよ。
あなたは「なにもしてない」無関係の巻き込まれた同カプ者を自称し、
「界隈の平和」を犠牲にしたとしてK氏ばかりを糾弾しているが、
そもそもK氏への「悪夢のような嫌がらせ」があった時点で、あなたの大好きな「界隈の平和」はすでに失われていたのでは?
先に「界隈の平和」を壊してK氏に殴りかかった加害者たちをさしおいて、
「溜めて溜めてカウンター」しただけのK氏ばかりを執拗に非難するのはなぜですか?
1人きりだったはずなのに、味方が増えたのがそんなに嫌でしたか?
「私の方がずっとKを見てたし聴いてたし知ってるのに」って悔しいんですか〜?
悔しすぎて、大事な大事な「界隈の評判」を犠牲にお気持ちダイアリーしちゃうんですか〜?
まさかとは思いますが、あなたの言う「界隈の平和」って、K氏だけは含まれないんですか? なんでですか? 好きになれないからですか? 赤ちゃんですか?
そういうとこだよ。
吉野家といえば「うまい、やすい、はやい。」の三拍子揃った牛丼屋だった。
店内は街中の店でもロードサイド店でもほぼ変わらずロードサイド店にはカウンターの他に少しばかりテーブル席がある程度の差だった。
BSE騒動の時は牛丼への頑固なまでの拘りを垣間見てより吉野家のファンになった。
かの有名な2chのコピペにもなったとおり、殺伐とした雰囲気がありつつも、さっと食べてさっと帰るそれが吉野家だった。
30代も半ばを過ぎ牛丼を食べる機会はかなり減ったが、それでも私の中では牛丼=吉野家だった。
先日「生娘シャブ漬け戦略」発言で話題にあがりさらに10年かけて開発した親子丼の発売と続けて目にし、久しぶりに吉野家へ行った。
いつものロードサイド店。いつも通り、店内に入り席に座ろうとした。しかし吉野家は変わっていた。しばらく行っていない間に「黒吉野家」というものになっていた。注文は持ち帰りの場合はタブレットで、店内飲食の場合はカウンターで席に座る前に行う。注文したものが出来上がり次第、取りに行く。メニューは大きなものが1つだけでとても選びにくい。メニューも牛丼や定食が豊富すぎて迷う。これなら席でゆっくり選んでから頼みたい。席も見馴れたカウンターはなくファミレスのような席と食器返却口の前に狭い1人席がいくつかあった。とりあえず牛丼並を注文し受け取って席に座る。卓上には箸も七味も紅しょうがもない。セルフコーナーに箸や七味、紅しょうが等が置かれていた。そしてなぜかドリンクバーがある。
はじめてこんなにわかりやすいマーケティングの失敗例を見た。黒吉野家は女性客や家族連れをターゲットにしているらしいが店内はがらんとしていた。
吉野家の主要客であろう1人でさっと食べてさっと帰る人たちの姿はほぼない。暇を潰しているサラリーマンと所在無さげなおじさん。私の3人だけだった。
まず家族連れで席に座る前に注文はなかなか難しいのではないか。特に子ども連れの場合、手元にメニューがなく立ったままではとても選びにくいと思う。注文したものはセルフで取りに行き返却する。箸や紅しょうがなども席にない。もちろん水もセルフサービスだ。
女性客といっても1人で食べずらければ持ち帰りにするだろうし、カフェ風の店内というだけで吉野家に行くという選択にはならないだろう。
そもそも牛丼屋で長居しようと思う人はかなり少数派ではないだろうか。吉野家ほどドリンクバーや充電サービスとかけはなれた店はないと思う。
ほとんどがセルフサービスかつ客も少ないのに店員だけは5人もカウンター内にいた。
調べてみると黒吉野家になって1年ほど経っているらしい。徐々に客が減って店員が余っいるのか。それとも店の規模だけて店員数が決まっているのか。謎だ。
少なくとも私はこの店舗には2度と行かない。
「黒吉野家」のような誤ったマーケティングをしている吉野家だから「生娘シャブ漬け戦略」発言をするような人を役員にしてしまったのか。
それとも「生娘シャブ漬け戦略」発言をするような人が役員だから「黒吉野家」のような誤ったマーケティングをするようになったのか。
時代の流れとともに私が好きだった「うまい、やすい、はやい。」の牛丼に拘りを持つ吉野家はなくなっていくのかもしれない。
2022/5/8 07:00
村嶋 和樹
反応
アマゾンで購入した中国製バッテリーが充電中に発火し、焼損したリビングの壁や家財道具=平成29年11月(原告提供)
アマゾンで購入した中国製バッテリーが充電中に発火し、焼損したリビングの壁や家財道具=平成29年11月(原告提供)
インターネット上で商取引の場を提供するデジタルプラットフォーム(DPF)事業者は、商品のトラブルにどこまで責任を負うべきか-。ネット通販大手「アマゾン」で購入した中国製バッテリーから出火し自宅が火事になった男性が、消費者保護を怠ったとしてアマゾンに対し損害賠償を求める訴訟を起こした。東京地裁は請求を退けたが、納得のいかない男性は控訴。アマゾンを相手取った同種訴訟では米国で消費者側の勝訴が相次いでおり、現行法の見直しを含めた議論を求める声も上がる。
宇都宮市の男性会社員(35)は平成28年6月、アマゾンのサイトを通じて中国メーカーの充電式モバイルバッテリーを購入。約1年5カ月後の29年11月、自宅マンションのリビングで充電中のバッテリーが突然発火した。家族は全員避難し無事だったが、リビングは大きく焼損。家財道具も被害を受け、損害額は1千万円超に上った。
その後の消防の調査で、出火原因はバッテリー内部の絶縁体の劣化によるショートと判定された。加入していた火災保険で補償されたのは約730万円。男性はアマゾンの問い合わせフォームを通じメーカーに連絡を取ったが、メーカー側は電話での対応に応じず、日本の法律には規定のない「家財損壊証明書」の提出を要求してきたという。
被害弁済は一向に進まず、男性はアマゾンに交渉の仲介などを依頼したが、拒否された。個人での交渉に限界を感じた男性は、複数の弁護士に依頼し中国国内での訴訟も検討したが、訴訟費用だけで数百万円ほどかかることが分かり、断念した。
結局、メーカー側は「見舞金」として弁護士費用の相当額を支払ってきたが、「直接の製造業者は別」などとして、火災の責任自体は認めなかったという。
一連の対応でアマゾンに不信感を持った男性は令和2年10月、アマゾンジャパン(東京)に30万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴。アマゾンには利用契約に基づき出店者や商品を審査する義務や、消費者が不測の損害を受けた際の補償制度を構築する義務があった、などと主張した。
だが、今年4月15日の地裁判決は「原告はアマゾンの問い合わせフォームを利用してメーカーと連絡を取り、和解を成立させることができた」と指摘。アマゾンによる商品の審査については、義務とまではいえないとして、請求を棄却した。
「アマゾンは取引で利益を上げている。消費者を守る義務とまでは言わないが、困ったときに積極的に対応する仕組みがあってほしい」。判決後の記者会見で、男性はこう訴えた。https://www.sankei.com/article/20220508-WXMOX63FRFIC7NGNFRHKH6LSRM/
昨日アマプラ会員向けに配信レンタルが安くなるセールがやっていてその中に『花束みたいな恋をした』が入っていた。
普段ならこの映画の宣伝の仕方とか、ぱっと見の内容を想像するに見ないようなジャンルの映画だなと思っていたんだけど、
以前この映画の感想がはてぶでもホッテントリしてたりして、みたいなと思っていたのでこれ幸いと思い視聴した。
で、まあ、すごく面白かった。終始どこか痛々しさを感じっぱなしで、共感性羞恥?というやつをくすぐられ続けた。
ああ、自分もこうだったなと。主人公の二人の麦くんと絹ちゃんが、所在のなさを、自己の存在の価値をなんとか感じるために、
サブカルチャー(この表現が正しいのかはわからないけれど)で壁を築き、自分を感受性の高い特別な人間でありたいとするが、
同しようもない薄っぺらさが漂う。それは例えば、天竺鼠のライブを好きなはずなのに当日に放り出したり、二人とも作家の固有名詞を羅列する
だけで、内容に関する話がなく、そうではなくてまるでその作家や作品の固有名詞をいかに多く知っているかの知識に価値があるかのような二人の
やり取りの悲しさ。そうすることでなんとか自分たちを特別な人間であろうとし、周囲の人間をある種見下す特権意識の現れ。
じゃんけんに関するエピソードで、グーよりパーのほうが強いのは納得いかないと言った一度は誰でも思うような事をなにか特別なことのようにことさら感じたり、
「電車に揺られる」といったありふれた陳腐な表現なのに、そうした表現を使用することで自分たちは違うんだ、特別なんだと思いたい若さゆえの痛々しさ。
また、終電を逃し居酒屋で二人でいるとき、途中から入ってきた麦くんの同級生に対する絹ちゃんのと拍子のない態度や、麦くんのなんとなくのいけてなさ、
そこはかとなく、周囲から浮いている、居場所のなさを暗示しているように感じる。
麦くんが就職し、働き始め、忙しさから次第に、かつて好きだったものへの興味を失い、頭に入ってこなくなる。パズドラしかできなくなる。
ああ、そうだよなっとついつい共感してしまう。生きていくことだけに目を奪われ、自分の現状への焦りや、未来への焦燥感や不安が募り、かつて大好きだった作品が頭に入ってこなくなる。
いやそもそもそこまで好きではなかったのかもしれない。麦くんの書いていたイラストは所詮イラスト屋で代替可能なレベルのものなのだ。
一方で昔のまま変わらないであろうとする絹ちゃんに麦くんは苛立ちをつのらせすれ違っていく。
麦くんが麦くんなりに「大人」になったように、絹ちゃんは絹ちゃんなりに「大人」になって行くのであって、これはどちらが現実的だとかそういう話ではない。
そうして二人はすれ違っていくわけだが、最後に二人でカフェで別れ話をするシーンには、かつての自分たちを彷彿とさせる若いカップルを見て
涙を流す。ああ、自分たちは特別ではなくどこにでもいる代替可能なbotでしかないんだなと二人はそこでひしひしと感じる。
麦くんの言うように、彼らにも子供を作ってワンボックスカー乗って、ディズニーランドへ行くそういったよくある様な家庭を築けたかも知れない。
しかし絹ちゃんは言う、いや、そうじゃないんだと。そういうのじゃないでしょと。
全編を通して自分自身の若い頃の痛々しさ、未熟さ、滑稽さ、いやらしさを感じさせられ、本当にグサグサきた。
でも、麦くんは絹ちゃんがいただけ良かったなと。自分には何にもなくって、自我を必死に保つための選民意識で壁を作り、
もうどうしようもないぐらい取り返しのつかないとこまで来てしまい、本当に薄っぺらい代替可能なbotでしかないんだなと。
https://anond.hatelabo.jp/20220505163243
確かに、自分ももうどうしたらいいんだろう。仕事に興味もないし、パートナーも家族もいない。
好きだった、小説、映画、マンガも頭になかなか入ってくなくなって、スマホゲームすらすぐに飽きて、twitterやはてぶの記事を眺めるくらい。
本当になんにもないんだよ。
私はとある社会人サークルのOB会的なものの会長をやっている。
社会人サークルだから定年とかあるわけではない。しかし第一線での活動はもう無理、やらないがサークルに係っていたい、そんな人間のための会だ。
基本的にはOB会の会費で現役に用品をプレゼントしたりとか酒代に使ってもらうとか、年1で自分たちで集まって酒を飲むとか、その程度の活動である。
説明しよう。
サークルの創設にあたり、多大な貢献をいただいた方(便宜上、Aさんとする。既に鬼籍に入られている)がいらっしゃった。
その御恩へ報いるため、とある背番号はAさん専用とし、絶対に使わないこと、つまり永久欠番となっていた。
ところがだ、使ってしまっていたのだ、今の現役が。
永久欠番のことは、サークルの、少なくとも役職者にとっては常識だったのだが、悪く言えば口頭伝達事項であった。
コロナ禍による活動縮小の影響をモロに受けてしまったのだろうか、顔を合わせて何人かで話していれば誰かが絶対に話したであろう引継ぎ事項が今の役職者に伝わっていなかったのである。
しかもそのOB、よりにもよって、まだご存命のAさん奥様へいきなり連絡してしまったのである。
彼の弁としては、「速やかにAさんの関係者にOBとして謝罪したかった」とのことだ。気持ちはわからなくもない。
だがしかし、OBとして謝罪するのであればOB会長である私から謝罪するのが筋である。
そもそも彼が私に最初に連絡してくれれば、まだ内々に済ませられたのだが、そういった経緯で、OB会内に大々的に広まってしまった。
大揉めである。
う る さ い
知らずに使ってしまった現役に罪は無いし、Aさん奥様へは私とOB副会長が謝罪する。
それで良いと思うのだが、「こんなことも伝えられないOB会の存在意義はあるのか」みたいなことを言いだす奴までいる。
50過ぎてるオッサンどもがまあ本当にうるさい。
こんなことなら永久欠番なんてやめときゃよかったと思うが、私自身もAさんに良くしてもらったこともあり、口が裂けてもそうは言えない。
はあ、どうしよ。
後世のためと表現すると些か大げさ過ぎるけど、将来的に今回の件を振り返った際に「過激な女性向け作品をゾーニングした責任の所在」が求められた場合「特定の属性を持った人たちを犯人に仕立て上げる」ことは回避されなければならない。
つまりこのエントリはそういった捏造を防ぐためのアンカーだ。
2022/04/27現在の議論を見ると、老若男女性別不明からファンタジー生物に至るまで「過激な女性向け作品はR18ライセンス(マーク)の記載とR18へ基づく適切な設置位置での販売」を行うったほうが良いという主張が大勢だ。
決してこれは表現規制推進派による主張でなければ女性蔑視主義者の主張でもなく、何なら女性向け作品を愛好する当人たちも同意し主張している言説だ。
ただし、2022/04/27現在として異論も存在しており、無制限の表現の自由を推進する様な者は当然ながら現状維持もしくは拡大を主張しているし、女性向けは犯罪へ繋がりにくいのではないか?という仮設を立てて現状維持を訴えるという様な者も居て、完全無欠の大勢意見であったわけではないことは忘れてならない。
このエントリは記録を残すためのアンカーなので、はてなブックマークやTwitterなど他のSNSへ共有し記録として活用すると良いだろう。
前回、小説家のSNSは宣伝程度にとどめるべきではないかという戯言を書いた気がする。その際有難いことに記事の反応として三件頂けた。
正直、こんな酔っ払いのような中身のない話にいくつか意見を頂けたことに対して有難いと感じた。
届いた三件の言葉から引用して、今現在どう思っているかについて軽く触れておきたい。
<言うて三島由紀夫を挙げるまでもなく小説家なんて政治に物申してなんぼやろ。むしろそれが教養人としての責務やで。>
小説家が政治に関わり、意見を述べることについては良いことだと思う。教養人として言論人として政治に介入することはある程度の責任を負うことだが、
自らの立ち位置を明確にしたうえで発言することが教養人の責務であるという点に私は感嘆した。
<小説家だろうが誰だろうが、SNSを使うのは別にいいと思う。言いたいことを言えばいい。ただ、その結果、責任は本人が取らなくてはいけない。 あとはフォローする側が、相手に対して...>
言いたいことを言えばいいというのはもちろんのことだ。ただ、社会的ステータスの高い立場からデマ情報をファクトチェックせずに流す行為について、ある程度責任的な所在を明確にすることや、明確な悪意が認められた際に法による裁きを受けることは当然ではないだろうか。一時的な謝罪もそうだが、悪質な場合は法の判断が必要ではないか。その場合、司法機関は阿鼻叫喚になる気がするが。
<言論自由だろ ツイッターでネトウヨ判定されて知名度が良くない意味で増えたとしてもそれも含めて漫画家の魅力である>
言論は確かに自由であるべきだが、かといって大多数の人間は「自由」の意味をはき違えているようにしか思えない。ただ、炎上商法という点については成功の部類だし、魅力として売りに出すことに特別に異議を申し立てるわけではない。
補足しておくが、私は言論弾圧がしたいわけではない。既存の政治に対して立場から意見を述べること。社会の時事問題に関する個人の見解。多様な視点から意見として集約されることは良いことだ。重要なのは、社会的立場からデマ情報を流布することに対する責任所在の明確を求めるべきではないか。
霞が関に予算も人もいなさすぎるときに、どうやって目立たない課題に対処すればいいのかがわからない。
人も予算もないけど、「人とカネをつけてきちんと対処しないといけない問題がある」ことを示すのも、今ギリギリで業務を回している担当者がひとりでやらなきゃならない。
人や予算をつけてもらうには対外的にも示される形で問題提起しないといけないけど、問題が放置されて何年もたち、容易に対処もできません、みたいな問題の所在を公表したら国会で炎上することが目に見えていて、問題があることすら外に示せない。
結果として本当に本当に世の中で問題になって炎上してはじめて対処が可能になる。
もう、「政府にはリソースがないので、やらなきゃと思うが対処できていない問題がたくさんある」、という共通認識を広く世の中にもっていただいたうえで、
政府が自力では解決できない課題をどんどん公表して、誰かなんとかできる人たちの助けを求めていかなければいけないフェーズに来つつある気がしている。
たとえば1,2,3,4の4つのステップで進める業務があるとする。
合理的に考えるなら、1,2は担当者Aが、3,4は担当者Bが受け持つこととし、両者の受け持ち範囲はかぶらないようにする。
そうすることで、ここからここまではAの責任、ここからここまではBの責任、両者がすべて過不足なくやりきってはじめて完遂できる、どちらが欠けても成り立たない…と責任の所在を明確に切り分けることができるし、各々が緊張感や責任感をもって事にあたることを促進できる。
しかし現実にはこの「明確な責任の所在」を嫌うのか、「ダブルチェック」の大義名分のもと、両者でカバーし合うフローを意図的に構築したがるケースが少なくない。
その結果、お互いに「Aがやってくれるだろう」「Bがやってくれるだろう」と他力本願な考えになり、結局「誰もやっていない」状態を見過ごし、あとで尻拭いに追われることになる。
曖昧なほうがいいこともあるが、この場合は曖昧なままはよくないだろう。
こういう「みんなで~」っていうの、いつになったらやめられるんだろ。
官報のうち破産者情報のみ抜き出して掲載してた行為が個人情報保護法違反なので止めるべしという判決が出てたけど、
官報毎号を個人が勝手にテキストデータ化してネットに掲載したらどうなるんだろ。
(著作物ではないので著作権法違反にならないのは確定してる。)
官報てほんらいは国民に広く知らしめるべき内容で、むしろ国民すべてが読んで知っておかなければならないとされている内容。
例えば、民事裁判で訴えられた人の所在が不明の場合、訴状を送れないので代わりに官報と裁判所前の掲示板(全裁判所でなく一か所だけ)に「○○さん、あなた裁判起こされてるよ」て公告が乗って、そのまま出廷・反論せず完全敗訴となって、あとから本人が「官報なんて読むわけないだろ。俺は訴状を受け取ってないし、訴えられてたことすら知らないんだから、欠席裁判の判決は無効だ」と主張しても、官報はすべての国民が目を通し知っておくべき内容とされてるので、無効の主張は通らない。
新しい法律ができた時も官報に掲載される。新法で禁止される行為を誰かがやって摘発されたとき「新しい法律ができてこれが禁止されてるなんて知らなかった」と言い訳しても、やっぱり官報の内容は国民が知っておくべきなので、警察にも裁判所にも言い訳は通らない。
法の不知はこれを許さず。なぜなら官報に乗せたのだから国民全員が知ってないとおかしい、と。
もちろん現に官報を毎号読んで内容すべて把握してる人なんて日本全国におそらく一人もいない。
国家が行った大事な決定は官報で公示するって制度が、大昔にできて拡充されてないのでそうなってるだけで、それをインターネットに掲載してアクセスを向上させることは、むしろ国民の知る権利・自己防衛権から好ましいことなんだよね。
破産者情報だって同様で、お互い権利と義務を完全に有する成人同士が「お金借ります、いつまでに返します」「ならお金貸します」と自由意志に基づいて同意した賃借契約を、
借りた側の事情で国家権力が一方的に反故にして貸した側の権利(返してもらう権利、将来手にするはずだった財産)を無にするのだから、広く知らしめるべき内容なんだよね。
で、今回の判決は破産者情報のみ抜き出してたこと、削除するのに手間賃以上の手数料を取ってたことから、明らかに破産者という弱者に対して悪意があるだろうってことで事情を組んだ判決だと思うけど、
官報全体を機械的にテキスト化して掲載した場合、これは国民の国家権力に対する自己防衛権の一助だ、と主張したら、そこに破産者情報が含まれてたとしても同じ判決にはならないような気がするんだよな。
一方的に投げかけられるこの「責任」というものは、往々にして論理整合性に乏しいからだ。
自分の行いを棚に上げ、
それらしい論調で物を言えない弱い物側を叩くことが嫌いだ。
そして私は、この叩く側の立場にいる。
どう考えても関わる全ての人が悪くても、
本当の意味での「責任」は無視され、損害のなすり付け合いになるこの瞬間が、
この構造に心底疲れを感じる。
そして金銭の発生という面で違うこともわかる。
決して分かり合えない瞬間が来ることもわかる。
それでも、各陣営が己の非を認め合い、
等しく責任を分散するような世界であって欲しいと思ってしまう。
弱者をいじめて全てが成り立つなら、一生そうしてればいいんじゃない?
自分が虐げられる側に立たないという自信があれば、一生好きにしてろよ。ほんと。
せき にん 【責任】
①自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。「━を果たす」「保護者としての━」
②自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。「━をとって辞職する」「だれの━でもない」「━の所在」「━転嫁」
③〘法〙法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。
スーパー大辞林3.0 編者:松村 明 三省堂編修所
指定校推薦使う人って小さい頃にDSのポケモンでチート使って心の底から楽しめてたタイプの人種?
https://twitter.com/anokoronomirai/status/1492714346535092225
イフオ@anokoronomirai
先日、このツイートを読む機会があった。せっかく学生課の職員という仕事をしているので、ちょっと解説してみようと思う。
結論はタイトルのとおりだ。大学にとって、指定校推薦は優れた制度である。一般入試で入ってくる学生よりも、指定校推薦で入ってくる方が優れている。
指定校推薦というのは、大学と高校と生徒にとって三方好しである。高校生が指定校推薦による利を得たい場合は、在学中にたくさん勉強して、学校行事に多く参加し、部活動や社会教育活動やボランティアに精を出さねばならない。
大学としては、新入生としてはできれば安牌が欲しいと考えているし、高校側も特に推薦したい生徒がいる場合がほとんどである。重ねて申しあげるが、一般的な高校生が指定校推薦を活用するためには、その学校にとっての模範的な生徒である必要がある。
私が勤めている大学は、世間的には上流とされている。私立大学の総合力を図るランキングがあったとすると、国内上位3校に必ず入る。
これまで十数年に渡り、百人以上の高校生・大学生の面談面接又は評価活動を行ってきた。その経験に照らして、一般入試と比べた場合の指定校推薦の優位性を説明する。
※公募推薦やスポーツ推薦や帰国子女入試はそれに準ずる扱いとしている。いずれも一般入試の学生よりも優れていると幣学では結論している。
これが最大のメリットだ。幣学から「〇人の推薦枠があるので出願をお願いします」という通知を受け取った各高等学校が、それぞれ選りすぐりの生徒を受験させる。受験者は概ね、以下の性質を一つ以上は有している。
・評定平均が概ね4.5以上
(推薦要綱に4.5以上とあっても、双方の合意で4.4以下の子が受けることは可能)
・特殊な才能に恵まれ、若くして成果を挙げている(スポーツ、文化芸術、学会、芸能界その他での活躍)
幣学は毎年、上記の性質の3つ以上を有した学生を手に入れることができている。ほぼ必ず、将来大器と思われる人材を得ることができている。募集要綱での評定平均が足りていない子はけっこういるが、それらは裁量でどうにかなる。
いい子に入学してもらい、学生生活では多くの人と交わることで自分を磨いてもらい、卒業後は社会で活躍できる人材に育つことが学校としての至上目的だ。
具体例をひとつ挙げる。
4年ほど前のことだ。府中の辺りにあった私の日常通いのマクドナルドで、ある女子高生が働いていた。私と彼女は、レジでたまに世間話をする関係だった。その子が新人だった時の話をする。
夕方だったろうか、外国人サラリーマン2人組(大柄な白人と中肉中背のアジア系だったと思う)がその子のレジに並んだ。私はそのひとつ後ろに並んでいた。
そのうち1人が、店員に対して英語で話し始めた。併せてジェスチャーを行い、干飯ハンバーガーを注文しようとしていた。
さて、彼が欲しかったものは、「チキンフィレオのセット×1+チキンフィレオの単品」だった。その子も身振り手振りで話を聞き終え、「千何百円になります~」と言ったところ、「No」と白人リーマンは言うのだった。「チキンフィレオのセット×2」としてしまったのだろう。
その高校生は、もう一度メニューを見ながら、手指や視線を動かして、彼の顔も見て――今度は正解を当てることができた。白人リーマンは、「glad」と言って隣のアジア風の男性に注文を譲った。
その子は、アジア風の男性からも英語で注文を聞き取っていたが、今度はミスなく注文に応えることができた。身振り手振りだけの、上手なコミュニケーションだった。サイドメニューのサラダ単品と、ナゲット×2とジンジャーエールだった気がする。
この間、彼女は一切英語を話していない。労働経験も少ないだろうに、外国人に即応したのだ。言葉を交わすことなく注文に応えてしまった。緊張した様子もなく、終始ニコニコだった。
才覚を感じた。私が学生の頃は、あの子のような接客は絶対にできない。せいぜい、しどろもどろになって社員を呼んでいたことだろう。彼女については後述する。
指定校推薦の話に戻る。
幣学では、彼女のようなレベルに達している人間がぜひ欲しいと思っている。幣学だけではない。ほかの大学だって喉から手が出るほど欲しいだろう。残念ながら、その子が通っている高校には幣学の指定校推薦枠がなかった。が、その他の推薦入試であれば可能性がある。私が入試事務局で彼女の願書を審査するメンバーだったら、一次選考は確実に通しただろう。
ここまでお読みいただいた増田民への情報提供を兼ねて、推薦入試の際に最も重視される評価基準を説明する。
『自助努力』
以上だ。
評定平均が4.0以上など、指定校推薦では成績優秀な学生を求めている印象があるが、この際だから正直に言ってしまう。合格順位の点数付けの過程で、評定平均はほぼ見られない。あれは受験者を少なくするために振るいにかけているだけであって、本当に見られるのは上記3要素だ。
例えば、推薦入試の募集要綱には、「全体の評定平均が4.0以上であること」などと書いてあるだろう。実務上の対応としては、それ未満の評定平均でも出願すること自体はできる。むしろ出願して欲しいほどの人財がいる場合は、当高校に対して個別に依頼と訪問を行い、その生徒を推薦してもらう。これは幣学でもそうだし、他の名門大学でも変わりはない。それくらい、上記3要素を有した高校生はこの世界に少ない。喉から手が出るほどほしい。
なお、自己推薦制度を採用する大学の場合は、評定平均が足りないと学校長からの推薦書がもらえないので注意しよう。すなわち出願ができない。学校を通した推薦入試の場合は、評定平均が少し足りないくらいであれば双方が話をする。やり取りの例はこんなところだ。
パターンⒶ
高「評定平均は3.8である。貴学の示す4.0には少し足りないが、在学中に難関試験である〇〇に合格している。性格は朗らかであり、リーダーシップもある。貴学の学風に相応しい生徒かと思われる。出願は可能か」
パターンⒷ
高「評定平均は3.0未満である。この子は1年生からインターハイに出場している。推薦入試の受付開始時点でインターハイに上位入賞しているなどの場合は、出願することは可能か」
大「協議して回答するので、出せる範囲で資料をいただきたい。出願できる可能性はある」
どんな大学にも救いようのない学生はいるものだ。箇条書きにしてみよう。
‐①
講義中に先生に当てられても、何も答えない。ずっとだんまりだ。人として生きる力に欠けているというか。私が幣学で学んでいた頃もいたし、ずっと前から一定数いるのだろう。わかっていようといまいと、とにかく答えない。黙っている。こういう人間は大学生になってはいけない。行動が大人のレベルに達していない。社会の進歩と同時に、こういった人罪が増えるのは致し方ない面がある。大昔であれば、こういった人間は厳しい修行の中で開眼するか、できなければ間引きされていたに違いない。
‐②
学生に一般貸出している施設の鍵を個人がずっと持っていて、サークルや部活動の団体が使用できなかったにもかかわらず、詫びの一言もなく鍵を返却して済まそうとした女子学生。口頭での注意及び一定期間の施設使用禁止を命じた。後日、ほかの利用者が鍵を開けて使用するタイミングでこっそり利用していたことが判明し、正式な処分を行うこととなった。
‐③
ある警備員が、大学が閉まる時間になっても遊んでいる学生を出て行かせようとしたところ、逆切れして「警備員ごときが偉そうに!」と文句を言った男子学生(譴責処分とした)。彼のような場合、親が地元有力者や代議士経験者といった名士であることが多い。肉親や親類縁者が多くの人から崇められているため、それが自分の力であると勘違いしているのだ。大学としても、譴責以上の処分を与えるのは難しい案件であるため、厳しい対処はできない。
・明確な不法行為をする者
‐①
学外私生活でトラブルを起こし、警察沙汰になる者。アルバイト先など関係者からのクレームの電話が年に10件以上はある。あの学生に家族を侮辱された、彼は替玉入試だから調査しろ、あいつはコンビニで万引きをしていたなど。明らかな証拠がある場合に限って調査をする。証拠がなければ何もしない。当人を呼び出すこともしない。杞憂なく学生生活を過ごしてほしい思いがある。
‐②
不埒な行為を目的とするサークル活動。ゴシップ雑誌やニュースサイトで、泥酔した学生十数人が路面で倒れて~といった報道が稀になされる。本当ならば、路面に倒れるよりも前に個室に連れて行きたかったのだろう。誠に遺憾だが、そういった行為を目的とするサークルはある。ネット検索でもヒットする。近年だとミスコン運営委員会の事件が記憶に新しい。
現代社会では到底許される余地のない連中だが、昭和の時代から存在している伝統的なサークルが多い。既得権というか、潰すに潰せない事情がある。
ここでいったん、関連するトピックに逸れる。
京都教育大学集団準強姦容疑事件に関しての京都地裁判決に対する緊急声明
https://wan.or.jp/article/show/2038
覚えている人もおられるだろう。
2009年2月、京都教育大学の体育会で追い出しコンパがあった。その居酒屋の空き個室で、当時19才の泥酔した女子学生に対し、6人+見張り3人が代わる代わる性行為を行ったという。数か月後、女子学生の親が大学の対応を信用できなくなり、刑事告訴に踏み切った。
この事件当時、文部科学省から事件関係の通知(指導)文が何件も送られていたのを思い出す。掻い摘んで述べると、「大学の活動の一環として行われる行事は大学側にも責任が生じるおそれがあるため、このような事案が決して起こらないよう、学内団体の監視及び指導、事前対策を徹底すべし」といった文面だった。
幣学でも、遠く離れた京都であったこの事件を対岸の火事と見ず、リスクマネジメントの観点から積極的な議論を行い、事前事後の対応策を決めた。
当時、若手職員だった私には疑問だった。なぜ偏差値的に優れている、勉強を頑張ることができる人間がこんな事件を起こすのか? と考えていた。今ではわかる。偏差値と人格は何の関係もないのだ。こんな当たり前のことを理解するまでに相当の年月をかけてしまった。恥ずかしい限りだ。
それから十数年。幣学でも、そういった事案が年に数件は上がる。どれもこれも、いい大人がこの程度のことがなぜわからないのかというほどレベルの低い案件だ。その度に、慎重に慎重に慎重に、最大限の注意をもって被害学生の心に寄り添い、謝意とフォローを示さねばならない。
こういった事案の多くは、一般入試で入ってきた人間が起こしている。ほぼ同率2位がスポーツ推薦だ。公募推薦や指定校推薦や帰国子女入試の学生は、こういったレベルの低い問題事案を起こす確率は少ない。明らかにそういう傾向がある。
‐③
幣学には、はるか以前から、警護が付くレベルの皇族の子女が何人も通っている。数年前、とある男子学生が、講義棟から出てきたばかりの女子学生にいきなり近づき、「一緒に写真を撮ってもいいですか」と尋ねたという。女子学生の反応は想像に難くない。警戒心で強張っていたと推察する。
男子学生は、その子の肩を抱くようにして一緒に携帯で写真を取ろうとした。すぐに警護の人が物理的にシャットアウトしたのだが、その様子を男子学生の仲間が遠巻きに笑って眺めていたという。学生課に抗議にきたのは、その女子学生ではなく友人だった。女子学生は、どちらかというと穏便に済ませたいとの意見だった。こういった案件がある度に、偏差値と人格に関係がないことを思い知らされる。この顛末は【後述】する。
さて、どうして私がこのような考えに至ったのか? 統計を取ったからだ。
大学職員になって十年ほどが経った頃、問題を起こす学生の傾向について、上の人間から指示を受けてデータ化を進めていた時、ある傾向に気が付いた。
過去に問題行為のあった学生約200人を無作為抽出し、データベース化した。そして、その入試制度別の発生割合を調べたところ、
指定校推薦<その他入試制度(帰国子女含)<一般入試<スポーツ(一芸)推薦(※1)
という関係が成り立った。
この時、私は――社会で実績を挙げる人間には反対の傾向が当てはまるのではないかと考えた。実際、正しかった。学生の卒業後追跡調査の結果を独自分析し、卒業後の進路ごとに1点~5点(※2)を付けて入試制度別に平均点を並べたところ、
指定校推薦>その他入試制度(帰国子女含)>スポーツ(一芸)推薦>一般入試
と、おおよそ対称的な結果を得た。これにより、私の考えが確信に変わった。
知能テストで図ることができる要素よりも――それ以外での、高校在学中の部活動その他の社会的交流や、自らを高めるための活動にどれだけ勤しんだかに重点を置いて入試制度を運営する方がよりよい結果を得ることができるということだ。
※1…一芸とは、AO入試やスポーツ以外の特殊技能により入学した者を示す
※2…国際公共機関やそれに準ずるNPOや世界的企業を5点、一般企業や一般公務員は3点、フリーターや無業者や所在不明者は1点とした。4点と2点はその間を基準として点数を付けた。
ここからは【後述】の内容になる。女子学生に写真撮影を求めた学生は、一般入試だった。それまでに何度も事件を起こし、3回の学内処分を受けていた。
ゼミの担当教授にも参考意見を伺ったところ、やはり人格的素養を欠く言動を繰り返しているようだった。犯罪に達している行為もあった。
事務局側の責任者に彼の処分内容を協議したところ、「遺憾だが、処分内容は考える必要がある。考えたうえであれば~~そちら側に委任する」という答えがあった。これは、その人なりのサインだ。自らの手を汚すことをしたくないから、処罰される人間に明白な忌避行為がない限りは、こうした答え方をする。意図を汲み取る必要があった。
数日後、彼との面談で、私達は「自主退学」を求めた。はっきりと「あなたは本学にふさわしくない」旨を告げたうえで、自ら退学願いを出すのであれば、こちらから退学処分を行うことはないと宣言した。これは半分以上がブラフだ。実際、この程度で退学処分を行うことは難しい。ただ、学校としては、品位を落とす学生には退学してもらいたい。それだけだ。
そのうえで、あの時、彼の周りで笑っていた連中にも釘を刺している。個別に呼び出しをした。「学生だからといって、社会で許されないことをしたら、彼のようにキッチリ落とし前をつけさせるぞ」と。はっきり宣言した。
苦しいが、仕方がないのだ。危険の芽は摘み取っておく必要がある。こうした学生を放っておくことで、上の京都教育大学のような重大事案に繋がってしまう。問題事案が起こる可能性は、費用をかけたとしてもゼロに近づける。リスクマネジメントの基本だ。これは、どんな学校でも同じことだと思う。
私は本学を愛している。高校生の時もそうだったし、大学生の時もそうだったし、大学職員になった今でもそうだ。事案が生じることで、本学を世間の目に晒したくない。
お目汚しを失礼した。
基本はロム専だが、どうしても一度、増田に投稿してみたかった。
そんな時、冒頭のツイートが流れてきた次第だ。暇な時間を費やすだけの価値があったなら幸いだ。
イフオ@anokoronomirai様、この度は拙作を投稿する機会をお与えくださりありがとうございます。重ねて感謝申しあげます。
私は高値転売は擁護しないし、そういうところからは買わないという立場です。
そのうえでですが、これは逆張りとかでなくて例のストアの件は義憤に駆られてアレコレ叩くのやめたほうがいいと思いますよ。
どう動くかわかりませんけど、多分「世間の心情」とだいぶズレたところの決着も想像されるので。
まず外からは「あいつらは法外に高く売ってる」という見え方は一緒なんですが、小売店と転売業者ではそこでだいぶ意味合いが変わってきます。
「小売店は自分が仕入れた商品(※もちろん正規ルートで仕入れた商品)を好きな値付けで売っていい」んですよ。
それをメーカー希望小売価格より高く売るのも安く売るのも小売店の自由です。
小売店で売られているものを買い占めて、別の場所で高値で売るのだったらそれはいわゆる「転売」だと思います。
ですが小売店が「仕入れた商品をメーカー希望小売価格よりも高値で売る」のは「通常の商行為」の範疇であり、転売ではないんです。
心情の面では許せない行為であっても残念ながらこれを「転売」と呼んでしまうと、「事実に反することを喧伝された」と逆に反撃を受けると思います。
別名義で沢山出品しているように見えていることを、ペーパーカンパニーを使った手段だという主張もありますが、
「商品の仕入れはAという会社が行い、販売はAのチェーン店のB、C、Dがそれぞれで行うことにしている」と言われる可能性があります。
「高額転売している業者B、C、Dと所在などが一緒じゃないか」という声に対しては、
「あれはウチのチェーン店で小売店ですが何か?」と言われてしまうことが想定されるのです。
なので「普通の商行為をしている」と主張する相手の行為に対して「転売」と指摘し発言・拡散すること自体が「名誉毀損」になったり、また「ここで買わないで」と発言することが「業務妨害」になり得る可能性があるんです。
今回争点になりそうなところはここだと思います。
以上のことから考えると、これ仮に司法の場に出たとしたらものすごく分が悪いと思います。
たまに庶民の心情に沿わない裁判の判決が出たりすることがありますが、自分が感覚的に「正しい」と考えていることが、ああいう場に出た場合にまったく逆の結果になってしまうことがありますよね。
俺は無理だな。
例えば、って例をあげてみると
窃盗犯が家族にいる伴侶を得たとしよう。盆正月に伴侶の実家に集まるって時に、財布にクレカやキャッシュカードを入れた状態で、家のどこかに置いとける?
レイプ犯が家族にいる場合なら、年頃の娘を連れて実家に行けるか?ロリコンなら、幼児を付けて行けるか?薬物犯に自分の子供を無警戒に接触させられるか?
元殺人犯、傷害犯と密室で二人きりになれるかね?放火魔に自分の家の所在を教えられるかね?
俺はどのケースでもNOだね。自分が被害者になる事だけは避けなくてはならないが、犯罪の被害者になるのを避けるための最もいい手段の一つが
元受刑者とは絶対に関わらん事なのは、高い再犯率を考えれば議論の必要すらない事実でもある。
犯罪者の家族とかかわりを持つってことは、犯罪者とかかわりを持つって事と等しいし、避けるのは当然だと思うけどな。
犯罪者本人じゃない?そんなのは承知の上で、犯罪者の縁者と関わる事で犯罪者が自分とのかかわりを持ちうるリスクは過小評価できないだろ。
犯罪者も更生する?全く高くない可能性に、自分の生命・財産を賭けるほどギャンブルすきじゃないんでね。どうせやらかすって前提で行動するのが賢明ってもんでしょ。
普通に生活してる誰かが犯罪者になる可能性はないに等しい程小さなリスクだが、犯罪者が再犯するリスクはほぼ確実に起こると考える必要があるほど高いのだからな。
ある報道番組で、更生し小さいとはいえ企業の社長を任されてる様な元窃盗犯が、入ったパチンコ屋で落ちてる財布を拾って窃盗に手を染めて逮捕寸前のところで見逃してもらうってことがあった。
更生してるように見える?後悔してる?そいつは、それを5回繰り返してんだ。変われる訳ない。前歴を知ったら、その瞬間にエンガチョですよ。我が命や財産が大事であるが故の事実に基づく区別であって、差別でも何でもないよ。
https://www.moj.go.jp/KANBOU/KOHOSHI/no44/2.html
https://anond.hatelabo.jp/20220214164328
pbp2 だから道交法違反・殺人などの軽犯罪と、強姦のような性犯罪は厳密に分けるべき。前者は更生可能だが、後者は死刑廃止の埒外と置かれてよい。
【重要】欧州などからご利用のお客様へ - Yahoo! JAPAN
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/privacy.yahoo.co.jp/notice/globalaccess.html (はてブ)
まあ理由は既に書かれているんだが
nisezen: GDPRのせいと明記すると「現状GDPRに対応できていないと分かっているにも関わらず今まさに欧州からの接続を許している状態である」とGDPR違反を証明することになり、自分で自分の首を絞めてしまう
補足すると、トップページとかに「本サイトはGDPRに対応しておりませんのでEEA所在の方はアクセスしないでください」などとドキュメントガードみたいなことするのもアウト。
なぜならそう注意を促すこと自体、このサイトにEEA圏からアクセスがあり、当該ユーザの個人情報を管理している(管理していた)と自白しているようなものだから。
Yahooの場合はアクセス制限の理由をGDPR非対応とは明言していないので、現状黒か白かは分からない。まさにグレー。疑わしきは罰せず。
ただ4/6(水)までにGDPRの監督機関から「オイおめぇ、あんな怪しい告知を出しているが、まさか現時点でGDPRに対応せずのうのうとサービス運営している訳じゃあるめえな?」と腹を探られた場合は知らん。
個人情報が流出した時だけじゃなく、個人情報を取得するフローに少しでも不備があったらその時点で莫大な罰金を請求されるから大変だよね>GDPR