前回、小説家のSNSは宣伝程度にとどめるべきではないかという戯言を書いた気がする。その際有難いことに記事の反応として三件頂けた。
正直、こんな酔っ払いのような中身のない話にいくつか意見を頂けたことに対して有難いと感じた。
届いた三件の言葉から引用して、今現在どう思っているかについて軽く触れておきたい。
<言うて三島由紀夫を挙げるまでもなく小説家なんて政治に物申してなんぼやろ。むしろそれが教養人としての責務やで。>
小説家が政治に関わり、意見を述べることについては良いことだと思う。教養人として言論人として政治に介入することはある程度の責任を負うことだが、
自らの立ち位置を明確にしたうえで発言することが教養人の責務であるという点に私は感嘆した。
<小説家だろうが誰だろうが、SNSを使うのは別にいいと思う。言いたいことを言えばいい。ただ、その結果、責任は本人が取らなくてはいけない。 あとはフォローする側が、相手に対して...>
言いたいことを言えばいいというのはもちろんのことだ。ただ、社会的ステータスの高い立場からデマ情報をファクトチェックせずに流す行為について、ある程度責任的な所在を明確にすることや、明確な悪意が認められた際に法による裁きを受けることは当然ではないだろうか。一時的な謝罪もそうだが、悪質な場合は法の判断が必要ではないか。その場合、司法機関は阿鼻叫喚になる気がするが。
<言論自由だろ ツイッターでネトウヨ判定されて知名度が良くない意味で増えたとしてもそれも含めて漫画家の魅力である>
言論は確かに自由であるべきだが、かといって大多数の人間は「自由」の意味をはき違えているようにしか思えない。ただ、炎上商法という点については成功の部類だし、魅力として売りに出すことに特別に異議を申し立てるわけではない。
補足しておくが、私は言論弾圧がしたいわけではない。既存の政治に対して立場から意見を述べること。社会の時事問題に関する個人の見解。多様な視点から意見として集約されることは良いことだ。重要なのは、社会的立場からデマ情報を流布することに対する責任所在の明確を求めるべきではないか。