2023-01-23

ガチャ嫌いでガチャギャンブルホスト狂い扱いするはてなーに決定的な違いを教える

結論から言うと、ギャンブルにはゴールがない。

なぜなら、金を使って金を得るのがギャンブルからだ。

1000円が1万円になっても、次は1万円を10万円にしたいと思うだけで、もうここで終わり、というゴールがない。

逆に1万円が1000円になっても、次やれば取り返せるかもしれないから、負けても終われないし、ひどい時は使ってはいけないお金まで使ってしまう。

ガチャはどうかと言えば、もちろん全キャラ集めて最大まで強化するまで止まれないガチャ中毒も中にはいるだろう。

しかほとんどの人はイベントごとに好きなキャラ、強いキャラを一体手に入れられれば満足だろう。

適正な金額かまでは知らんがある程度のゲームは大抵天井もあるから、それには非現実的金額はかからない。

例え全キャラカンスト目指す中毒者であってもいつかは終わりが来る。

また、ガチャに勝ったからといってお金が戻ってくるわけではない以上、ないお金を使う心理的抵抗ギャンブルのそれより多少は高い。

ギャンブルは「勝てば取り返せる」という誘惑があるが、ガチャは勝っても1円も返ってこない。

「勝てる可能性があるだけギャンブルのほうが有意義だ」とのたまう人間がいるが、むしろその可能性こそがギャンブルが人を破滅させる要因になっている。

ホストキャバクラはどうか。

ゴールが無いわけでは無いが、現実的にはゴールできる可能性は極めて低い。

ホストキャバクラのゴールとはそもそも何か。

乱暴に言ってしまえば、彼や彼女自分とだけプライベートに付き合ってくれることだろう。

しかホストキャバ嬢仕事でやってるし、金で自分を買うような人間、あるいは養分しか思ってないような人間を本気で好きになるようなケースは早々ないだろう。

あったとしてもホストキャバクラに狂って破滅するような人間はまず対象外だろう。

からホスト狂いやキャバ狂いはほとんど0%の可能性のためにお金を注ぎ込むことになる。

そもそもガチャなどというと最近まれたモノのように感じるが、言ってしまえばくじ引きスクラッチカードゲームのパック、ガシャポンなど、類似遊戯はいくらでもある。

それらのことをギャンブルだの賭博だの言う人はいたか

もちろん、それらとガチャとでは注ぎ込む金額スマホによる課金のしやすさな無視できない違いもあるが。

また、本来言うまでもない事な気もするが、たかデータお金を、という人もたまにいるのだが、

買い切りゲームだろうがクリエイターの書いた漫画だろうがパソコン上のコンテンツは全部データだ。

現実絵画もただの絵の具のパターンだし、彫像はただの石だし、人間はただのタンパク質の塊だし、思考電気信号の集まりだし、地球はただの岩石である

データであることが何かの否定材料になることはありえず、それでもそのように主張するなら、その人は自分をただの肉塊である宣言するのと大差がない。

最後に、ガチャになんの咎も無いかというと、別にそんなことはないだろう。

上に書いたように、くじ引きだのガシャポンだのと違って金額中毒性は問題になりやすいのは否定できない。

ギャンブルのものではなくともギャンブル共通する要素はある。

共通点があればそれは同じものであるというのは乱暴すぎるというだけで。

あとはガチャ責任と言っていいのか微妙だが、買い切りコンテンツの開発をそっちのけて課金させるためのノウハウばかり生産者に注力されるのも困る。

じゃあ何が言いたいのかというと、ガチャはクソだということを主張するためにギャンブルだの水商売だのを適当イコールで結ぶのは問題所在曖昧にしてしまうからやめろ。

あとあれもこれも全部一緒くたにするの、頭の固いお年寄りみたいだよ。

(全部ピコピコとかファミコンとか言ってた昭和おかんか)

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん