はてなキーワード: シンディ・シャーマンとは
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あと芸術なら許容って言い分も 嘘を以て芸術とする、なら解るけど 芸術なら嘘でも許される、はまた違うのではないかと思う。個人的には。 [..] 少なくともこの場所まで単車を走らせてこの写真を撮って加工した身としては、2枚目の写真には現地の紅葉から感じた暖かみも寂寞も感じないから芸術としてもクソだと思ったな。
ツイート主への批判ではなく、主が批判している対象が思っているだろう事「加工するのが芸術」という考えについて。
前提として、写真自体が芸術のアウラ論からすると既に破綻しているのだけど、ベンヤミンはそれでも、写真を通して大衆が芸術に参加する可能性を見いだしていた。「加工するのが芸術」という考えは、写真が大衆化した80年代以降、様式や歴史といった各要素の編集や再構成がおこなわれるようなったリミックス文化が背景にあると思うのだが、ただ加工するから芸術とかそういうものではなく、芸術にはその時々の文脈、近代以前の彫像作品で言うところの台座がそれたらしめているのだということは知っておいた方が良く、この場合は「何が台座で何が表現されているのか」考えた方が良い。
スマホが普及しさらに加工技術自体もすでに自動化されている世界にいる私たちとしては、リミックス文化の時にもてはやされた表現としての加工はもはや価値を持たなくなり、さらに写真の表現自体にもそれほどの価値は持たなくなった。写真の価値は事実そのもので、その時その場所にそれがあるという証跡に価値を見いだすようになっており、加工は邪魔なものに過ぎないという考えが根底にできはじめているのだと思う。ただ、表現としての気持ちよさみたいなのはあるのでその折り合いをどうつけるのか判断に揺れている時期でもある。
スマホ間の写真加工技術の競争が落ち着いたらベンヤミンが見いだした大衆芸術としての写真は終焉を迎えるだろうし、その時、写真をつかった芸術がでたとしても「加工するのが芸術」という評価とは別の次元になるのだろう。というか、今までに加工で評価された写真家がいたかというと疑問ではあるけれど...
著名な写真家