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はてなキーワード: 中高一貫とは

2020-12-09

anond:20201209163932

中高一貫私立出身の落ちぶれた人間様が「俺はこんなBランク大学に来るはずじゃなかった、お前らとは違う」って呪詛を吐き散らすような国立動物園大学だよ

モテ指南が上手くいった

最近調子に乗ることがあった。

モテ相談してきた3人の男性たちにアドバイスをしてみたところ、相次いで彼女をつくり、今のところ前組3ヶ月ほど続いているということだ。

当人たちが努力たから、他に環境要因があったからなど、他に原因も考えられるかもしれないが、もしかしたら覚え書きが誰かの役に立つかもしれないので(まぁほとんど承認欲求だが)、それぞれの男性属性アドバイスの内容を残しておこうと思う。

身バレが怖いので、それぞれぼかしたり、内容に影響がない範囲フェイクは加えておく。(取り敢えず1人分、書き加えていく)

1人目:高学歴オタク容姿のAさん

スペック

年齢:アラサー

顔:中の下くらい

身長:172くらい、平均的

学歴:京大

年収:800万円(IT開発職)

性格はとにかく大人しく、自分から会話を振るのは苦手なタイプ。筋金入りの男子校育ちで、今まで彼女いたことはない。フィギュア棚はあるが抱き枕はない程度のオタクデブハゲでは無いものの、身も蓋もない言い方をするならチー牛で、自分容姿に頓着しない。マッチング恋活をしているが、年収や年齢、学歴の割にマッチング数が低く(一月に0〜3程度)、デートも2回目がない。

アドバイス

マッチングアプリのプロフィールに詳細な好みの外見を書くな

マッチングアプリには、会話のとっかかりや出会いきっかけをつくるための「コミュニティ」というもの存在している。「アウトドア好き」「中高一貫出身」などだ。

彼のプロフィールを見てみると、よりにもよって「色白黒髪/色白黒髪好き」コミュニティに入っていた。4000人中3000人が男性、何のためにあるんだこのコミュニティ

本人に、この色白黒髪マストなのか尋ねてみると、清楚な人が好きなのは確かだが、多少チャラい元気系でも可愛ければ…と口ごもった。つまりあると嬉しいが絶対必要な条件ではないということだ。

このコミュニティに入るのは彼のモチベーション的にもマッチング的にもめちゃくちゃリスキーだ。理由は2つある。

そもそも黒髪色白=清楚ではない

色白黒髪でお前が可愛いと思う女が性的に清楚なわけないだろ。というかこのご時世色白黒髪清楚系ファッションの女は隠れビッチってこれ一番言われてるから

黒髪色白=手が加えられてない」と思うやつも多いが、これもやはり間違い。そのストレートロング黒髪を保つのにどれだけのヘアオイルが、その色白を保つのにどだけの日焼け止め化粧水投資されているのか。「自然な感じの方がこっちも気負いしなくて済むし💦」じゃないんだよ、そんなんだから外見に気を使ってる黒髪色白好きが圧勝なんだよ。

②女は処女厨嫌い

女は処女厨が嫌いな奴が多い。処女非処女は不可逆の関係にあるとともに、女に従順性を求めていると判断されるからだ。そしてマッチングアプリを使う女は、通常と比較してもある程度恋愛積極的な層が多い。何が言いたいかと言うと、「処女がいい」と言う層に厳しい女が圧倒的に多い世界だということだ。(ちなみに不可逆である以上、処女処女厨を避けがである。)

それがどうだ、「色白黒髪女性が好きです」。処女厨丸出し。本人的にはそういうつもりはなくても、そう解釈されても文句は言えない。

しかも彼はオタクコミュニティにも入っている。世知辛いことに、世間からオタク処女厨の多い集団だと見なされている。オタクコミュニティと色白黒髪好きコミュニティコンボは、まぁ厄介認定を受けること必至と言っても過言ではない。

そもそも相手が色白黒髪かどうかはプロフィール写真でわかる。こんなコミュニティ百害あって一利なし説明して退出してもらった。

相手の条件の緩和

これが一番肝かもしれない。

彼の希望は、

自分と同程度の学歴

バリキャリ

③オシャレで容姿タイプ(要は可愛い)の子

だった。

……いやもうミスマッチがすごい!というかそもそもそういう女はもう市場いねえ!

そもそも京大東大レベル女子は著しく少なく、女の高学歴忌避されるという傾向はあるものの、彼のように学齢同類婚を望む層からは熱烈な支持を得ている。少なくとも在学中はそれなりにモテること必至だ。

しかもそこに「オシャレで可愛い」がつく。確実に彼氏がいるし、いなくてもめちゃくちゃ口説かれ慣れてるから余程の物好きでもない限りオタクくんには振り向いてくれんのや!目を覚ませ!

話を聞いていくうちに、男子校を極めすぎて彼が「可愛くない女子」を知らないのだとわかってきた。そりゃアニメの女とコスプレイヤーアイドルしか知らんかったらな……理想も上がるわな……。

正直、③の条件だけならなんとかなるのだ。

彼の年収京大/東大卒の中ではそこまで珍しくはないとはいえ世間的に言ったら立派な高収入の部類だ。職種としても手堅い。「人畜無害」を絵に描いたような彼は、婚活に行ったら専業主婦志望の可愛い子にだってモテるだろう。

彼にそのことを相談したら、それでも他の条件も外せないらしい。他の階層人間恋愛するのが怖いそうだ。

ならばなるしかない、擬似モテ男に。

・外見の改善

彼にしてもらったのは、

①骨格診断

②服の刷新

③顔の印象改善

姿勢改善

の4つだ。

①骨格診断

骨格のタイプによって似合う服の形が違うという話。かなり精度が高いし、肌の色などと違って自己診断が比較的楽だ。(詳しくは「骨格診断 男性」でググれ)

これで流行りではなく、「自分がオシャレに見える服」を把握してもらう。

ちなみにAさんはロジカルな仕組みが気に入ったらしく、自主的に調べてきたパーソナルカラーなどと組み合わてコーディネートを考えるようになった。

②服の刷新

①の法則に従って、とにかく服を新しく買い換えさせた。ブランド物を買う必要はないが、着古した服は、センスのいい古着でもない限り悪印象だ。

少し乱暴だが、高校から着ている(!?)という服は全て捨ててもらい、ルミネに入っているブランドを決め手(ジャケットなど)にして、あとはGUで揃えてもらった。ルールは一つ、暗い色だけで完結させないことだ

③顔の印象改善

男ができる最短・最高の整形、それは眉毛だ。

Aさんは伸びっぱなしボーボー、しかも八の字系の眉毛だったが、眉サロンで整えることで理想的な形にすることが出来た。

その他にも、コンシーラー(ニキビ跡を隠したりする化粧品)などの軽いメイク指南

骨格に合わせたカットに定評がある美容院(床屋に行くな)に行ってもらい、髪型も変えた。

姿勢改善

彼の体型(普通身長痩せ型)で姿勢が悪いと、とにかくだらしなく見える。オタク(趣味)はタイプによってはウケるが、オタク(容姿)は等しくモテない。

ピラティスの一日体験指南してもらってきて、デート中の姿勢改善をしてもらった。

これらのアドバイスを1ヶ月で実践してもらったうえでマッチングアプリで3人ほど会ってもらい、コミュニケーションにもその都度アドバイスを入れた。

その結果か偶然かわからないが、かれは3人目(会い始めて2週目)でぽっと彼女を作ることに成功した。

相手東大外資コンサルバリキャリコンサルの同期に比べ業務時間にに融通がきき、余裕がある彼が気に入ったそうだ。彼より年収は高い。

anond:20201209143233

そう。

指摘の通り國學院帝京など中堅〜低位クラス大学の附属校は結構偏差値表では上位にいたりする。

ただし、増田想像していると思うがその実績はマンモス校ゆえに成されている部分も多く、また女子なんかは附属大学バカちょっかいを出されることも多い。

大学に附属しない中高一貫、とくに別学の進学校が今でも別格扱いなのはこういう理由による。

anond:20201209142947

公立擁護している上位大っぽいブクマカ教師とも生徒とも良好な関係を維持してクラスの中心になって内申点取るのなんて簡単だったからじゃないの。中高一貫私学擁護してるブクマカはそれが出来なかったんだろうけど。

anond:20201208155032

がっつり中学受験組だけど、学年のうち後悔してたのって成績最下層に近い子たちだったなぁ。

真ん中〜上の層はそういう意味中高一貫の良さを享受してたし、自分の子どもにも中学受験させたがると思うよ

anond:20201209105616

名前書けば受かると噂の中高一貫女子学校があるんだけど、まさにそんな感じ。

ほとんどの生徒が援〇やパパ活してるとのことだ。

エスカレートや推薦で大学、もしくは専門に進学する。パパ活で養ったコミュ力を糧に、上手いこと生きてゆき、最終的に玉の輿にのる。

切ないほどに羨ましいな。おカネはあるほうがいいね

anond:20201208155032

うん、いじめなかったな

とんでもない金持ちクラスに1~2人程度で誇示することもなく

どんな地味な子でもオタクでも気の合う相手がかならずいて楽しく過ごしていて平和だった

いじめをやりそうなカースト上位系の人(ダンス部入ってて男子校合コンが盛んなギャルとか)ほど息苦しいといって高校あがるときに8割消えてったよ

バイトも表向きは禁止予備校にいくのも届け出必須部活があっても5時過ぎに追い出される(7時まで残ってたら異常事態

週番かなんかで学年主任クラスサンシャイン通りセンター街に立って見張りして、たまに捕まったなあ(今もやってるかは知らないけど)

一番遠くて群馬、柏や所沢からみんなが二時間くらいかけて通ってくるような渋谷中高一貫女子校です

2020-12-08

麻布高校

麻布高校に6年いた経験を踏まえ良い面と悪い面を書く。これから書くことはおそらく他の上位の中高一貫男子校共通しているだろうと思う。

良い面は友人が(途中で落ちぶれる生徒もいるが)優秀で、自分の知り得なかったことが会得出来ることや、無意味制限がなかったことだ。また全員ではないが教養がある面白い教師も多かった。カリキュラムとしては教養主義的なところがあり、受験不要な教科を嫌がる者もいたが、為になったと思っている。内申点に気を遣い部活をやめられないというようなこともなくよかった。

悪い面もいろいろある。まず男子校からと言って今の時代見逃すべきではないことである教室の汚さ、ホモソーシャル環境友達同士で連むと社会迷惑になる行動に走る割に、仲間内で閉鎖的になりやすいこと、女性蔑視などである。どうやら麻布入学すると、歪んだ特権意識と抑圧された小学校時代反動からか、行動範囲が広がった高校生蛮行に走りやすいらしい。文化祭運動会不祥事や、飲食店での横暴な振る舞いなど、自由範囲から逸脱して単なる愚かな振る舞いをしてしまうのだ。またどの生徒の親も基本的には裕福なので、よく変人が多いとメディアで取り挙げられるが、実際はこれ以上ないほど均質な生徒の集まりである。そのため多様性というものはどこにも存在していないと思う。その点、地元小学校に通っていた頃は、びっくりするほど漢字が読めなかったり、物を知らない生徒がいるなどある程度の多様性が確保されており、これも必要経験だったと今になって思う。

まとめ

中高一貫にも長所短所はあり、私は入学したことを後悔していないが、もう一度入学したいとは思わない。開成筑駒は少し違ったところがあるのかもしれないが、少なくとも麻布に関しては、判断力と知性の欠如が余りにも目に余ったかである。また唯一避けた方が良いと思うのは小学校から私立に通って、上位の中学または高校に進学することだ。それは多様性経験しないまま社会に出てしまうからだ。

anond:20201208155032

東京みたいに中学受験が盛んなところだと、トップ私立中学に行ける人はごく僅かで、ほとんどの人は、都立トップ高よりも進学実績が劣る中高一貫に進学しているんだよね。

儲かっていない私立学校は、非正規教師が多かったりするし、教育環境も(設備は立派だが)必ずしも公立よりも良いとは限らない。

2020-12-07

受験勝ち組を「不幸せ者」扱いする日本の風潮

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1632892

このブコメ読んでて思ったが、君等、というか日本全体が

「良い学校たからって幸せなのかねえ」とか「勉強だけできたってねえ」みたいな

勉強頑張った人に冷たい目線を浴びせ過ぎな。

俺は中学受験組、偏差値70超え中高一貫私立トップ国立大なんだが、

小学生ときから、そういう「勉強だけできたって幸せになれない」っていう価値観をずーっと浴び続けてきたよ。

まあ、幸せの形は人それぞれだとは思うし、

学歴のレールをうまく走れない人たちも当然いると思うが、

そういう人たちにとっては残念ながら、俺と、あと高い受験費用学費をつぎ込んでくれた俺の親は今すごく幸せだよ。

高い年収かわいい嫁さん(俺の年収に惹かれたことは否定しない)、親には毎年充分プレゼントもできる。

さらには一生懸命公文に通いながらすくすく育つ孫を見るだけで、ジジババになった俺の親までつられて幸せってもんだ。

友達たちは官僚医者弁護士一流企業勤務、ベンチャー社長、、、人脈づくりにいそしむ必要もなく、

鉄のつながりの超ハイスペック同級生たちに囲まれてる。

勉強で得た知識は、仕事にも旅行に行った土地をよく知ることにもすげー役立ってる。

子の幸せを願う親なら

小学高学年〜大学まで15年ぐらい?の年間100~150万程度をつぎ込めば、

その後は一家丸ごと幸せになる「可能性が非常に高い」。

勉強だけできたってねえ」っていう人たちは、

一生そうやって、視野の狭い世界幸せを楽しんでればいいよ。

借金してでも受験しな。

2020-12-02

anond:20201201172108

今どき教師、それも意識高い中高一貫女子校教師が「女子数学が苦手だから~」とか言うはずないよな

それどころか女性数学教師が「数学楽しいよー!」とか言ってめっちゃ熱心に授業してる

でも数学が苦手・数学が嫌いな女子は多い

2020-12-01

anond:20201201121614

共学の学校だと女子よりも男子の方が数学試験平均点が高かったんだけど、中高一貫女子校(進学校)でも数学の平均が低かったとよく聞く

2020-11-25

実家が太い実家が太いうるせえんじ

実家が太くて悪いかく

そうで〜〜〜す私はラッキーでした〜〜〜

地元友達にも親戚にも散々言われたわ

大学に行くなんてお家に余裕があるんだね」

バイトしないで受験勉強だけできて良いね

「うちは家の手伝いしなきゃいけないか勉強に専念できて羨ましい」

そう言われて、まあそうだよな…て罪悪感と後ろめたさを感じながら育って、

田舎公立の小中高卒業して東京国立大に進学してみたら同級生だいたい予備校とか通ってたんか〜〜い海外経験とかあるんか〜〜い中高一貫私立とか出てるんか〜〜い

うちの実家の太さがタコレベルだとしたら工事用トラロープレベルから綱引きの綱レベルまでいるやん

稀にしつけ糸レベル実家からのし上がった凄い人もいるけど、それ以外の殆どの人はだいたいみんな刺繍糸とかタコ糸とか麻紐とかパラコードみたいな範囲の中で実家が太いとか細いとか言ってるんでしょ?アホくさいよ

それも生存者バイアスじゃん(バイアステープの話ではない) タコから他の運に恵まれ出世街道にうまく乗った人は「実家がしつけ糸じゃなくて助かった」ってなるし、パラコードの家に生まれても何かしらの原因で脱落した人は「もしうちの実家ヨットロープだったら」ってなるわけでしょ アホくさ

そりゃ実家がしつけ糸だったら努力することすらできないのは知ってるよ…

友達にも親戚にも何人もいるもの 中卒で働いて親の借金返してる人とか 中高生の頃から兄姉の子供の世話してて自分時間が取れない人とか

でも実家が太い細い言ってる人ってだいたいそのレベルの話はしてないじゃん アホくさ

追記

昨日は思いついたままに書き散らしたけどじわじわ見られてるようなので伝わりづらかった部分補足する

主に言いたいのは

てこと

糸の話続けるけど、

例えば

がいたとして、

綱層のAさんから見たら、細い糸層はしつけ糸も刺繍糸もタコ糸もぜんぶ「ほっそい手芸用糸」みたいな解像度で、逆に太い綱層は「トラロープはまあそこそこ苦労してるだろうな、注連縄なら安泰だろうな」みたいな認識かもしれないし、

逆に糸層のBさんから見たらタコ糸もトラロープ注連縄もぜんぶ「太い糸」で、逆に細い糸層については「うちはしつけ糸だから何もできないけど、せめて刺繍糸くらいあれば専門学校に通えたのに」みたいな認識だったりする人もそこそこいるんじゃないの

具体例として自分の話するけど、

これ、どっちもすべて真実だけど(仕送りもらって足りない分は奨学金受けてバイトしてたのは事実なので)、前者からはたぶん細い糸層に、後者からは太い綱層に見られてると思うんだよ 周りからの扱いを見てもね

なんか自分経験からだけど、こういうこと考えるとぜってぇみんな同じもの見てないだろ、「わかってる」って言ってるヤツも解像度低い自分理解でわかってる気になってるヤツぜったいいるだろと思っちゃうんだよね 自分も含めてね

蛇足だけど、ちょっと前に話題になってた北海道から都会に出て学歴格差を訴える増田、あれにも「増田は苦労して頑張ったね」みたいなブコメいっぱいついてたけど、

きっとあの元増田地元同級生や親戚には「親に支援されて大学なんて進学してお金があってよかったですね」みたいに見られてると思うんだよね 想像だけど

2020-11-23

anond:20201122234720

子育てさえ諦めればIT系のフルリモートで働いてる人とか……(ただフルリモートで働く人は何かしらの理由がある人が多そう、フルリモート可能職場普通に働いている人と結婚する?)

子供がいると小学校が厳しそう、転勤族の子なら転校2回くらいは普通かもしれないし、中学以降は全寮制の中高一貫入れるとかやりようはいくらでもあるけど

2020-11-22

男子校イケメン

男子校でのイケメンというのは、周りが全員男でもちょっとした求心力を持っている気がする。顔がいい人はだいたい小洒落た服を着ているし、なんとなくその人の周りに友達が集まってくる、あるいは無条件に大切にされる感じがある。共学はどうか知らないけど、私立中高一貫男子校に6年間通った感想

2020-11-18

有名国立大学中退しました

初めて長文をネット投稿するので、不備があったら申し訳ありません。また細かい部分は匿名性の保持のため一部改変してる可能性があります

タイトル通りですが今年の9月某国立大学を中退しました。現在24歳です。大学には理工学部に5年半在籍していました。1回生、2回生までは普通に進級できたのですが、3回生でつまづき(後述)、そこから休学を挟んで3年半3回生を繰り返して最終的には中退しました。

幼少期から勉強は非常にできる方でした。勉強するという点においては他の子と比べてあまりに要領が良かったのだと思います勉強時間はそんなに取らずとも吸収力はすさまじいタイプでした。両親の学歴はともに平凡でしたが教育熱心で幼稚園から公文などの学習を始めていました。小学校4年生から学習塾に通い、中学受験もして難関中高一貫私立校合格入学しました。

ただ私自身は勉強自体が好きだったというよりはゲーム感覚で解けるのが楽しかっただけでした。そして中学受験までは良い大学に入って良い企業就職するということが当たり前の幸せ人生目標といった感じでなんの疑いもなく勉強していました。しか入学後にその考え方は複数理由で消え去りました。この「良い大学に入って良い企業就職する」という考え方は、後に両親が一種洗脳に近い考えを私に植え付けていたのだと感じました。もちろん前述のようなレールに乗っかる人生設計は社会的成功する可能性を高めてはくれるので他の人から見れば贅沢の浪費だと考える人いるかもしれません。しかし当時の私はそうは思えませんでした。

中学入学以降私の成績は落ちていきます中高一貫校に入ったおかげで高校入試もなく、生徒の自主性を重んじる校風もあり強制されて勉強させられることもありませんでした。自由時間が増えたので私は遊ぶことに費やしました。テレビゲームだったり部活仲間とのカラオケボウリングなど、一般的中学生でした。成績は落ちたと言っても有名私立校で真ん中くらいの成績でした。これは高校3年生まで変わりませんでした。勉強時間も日頃は宿題をやる程度でテスト前だけ範囲分おさらいするくらいでした。

しかし、勉強好きだった(ように周りからは見えていた)私が勉強しなくなった一番の理由は、周りの圧倒的な天才集団を目の当たりにしたからでした。もちろんそれは一部の生徒でしたが、数学オリンピックメダリストだったり、論文コンテスト最優秀賞だったり、とにかく次元の違う天才ゴロゴロいました。もちろん彼らも類稀なる才能の他に血のにじむような努力はしていたに決まってるのですが、当時の私はその才能に嫉妬し、「とてもじゃないが敵わない」と感じ、トップブトップを目指すのをやめてしまったのです。そこから勉強するのが苦痛になりました。「どうせあいつらには勝てないのになんで勉強する必要があるんだ」と。

その結果勉強の方はなあなあで高校3年生まで過ごしてしまいました。それでも一定学力は維持していたので効率よく勉強する才能だけはあったようです。

とにもかくにも高校2年生になった私は自然大学受験意識し始めます。将来の夢もそれのために行きたい大学もなかった私はとりあえずどちらかというと得意だった理系選択します。大学受験しないという生徒は周りに1人もおらず、仕方なく周りに合わせて大学受験する、といった感覚でした。

高2のときは一応東大を目指していましたが本気で勉強しないで行けるほど甘くはなく、高3の夏にはランクを落として某国立大学を目指すことになります。その大学ですら日本ではベスト10に入る有名大学で、企業からも高く評価されている大学です。「この大学にならほとんど勉強せずに入れるぞ」と感じ、それでいて社会的一定評価を得られると思ったのです。

実際高3の夏以降の平均勉強時間は、平均1日5時間もなかったと思います

そんな舐めた私ですが、センター試験、2次試験ともに無事終了し、結果は合格

世間一般受験生からすればほとんど勉強せずに有名国立大学に入って「しまい」ました。自分受験に対する計算がぴったり合っているくらいの小さな努力とそれなりの結果の相関があり、割と満足してました。

大学は自宅から通える範囲ではなく、ひとり暮らしをはじめました。大学生になってから自由を得たこともあり、誇張なしに全く勉強しませんでした。1回生、2回生まではほとんど単位を落とすことなく進級できましたが、そのあたりで異変気づきます。「授業についていけない」と感じることが多くなってきたのです。大学理系科目の高度な授業を勉強せずとも理解ができるほど私は天才ではありませんでした。同級生過去問などをもらったりして単位を拾ってはいましたが次第に大学の授業に出られなくなりました。最初自分怠惰なだけだと思っていたのですが次第に大学に向かうだけで動悸、めまい嘔吐などの症状が出始めました。これはもしやと思い心療内科に行くと案の定うつ病と診断されました。

これだけ見ると「何だこいつ甘えてるだけじゃないか」と言われそうですが私は自己分析していました。メンタルの弱さと完璧主義です。

もともと完璧主義者のようなきらいがあった私はできない事があるとすぐ嫌になってしま性質がありました。小学校の頃は図工や家庭科などの副教科が苦手でうまくこなせないと授業中泣いてしまうことも多々ありました。周りの子に主要教科では負けたことがないのにです。また中高時代天才出会ってからトップブトップになれないという挫折を引きずっておりそれが数年たって限界に達したとも考えました。

私は4回生にあがれず留年しました。2度目の3回生を始める4月に休学をして、2年間大学に行きませんでした。その間将来に対する不安が募りました。大学すらまともに行けず、しか自分努力不足であるという自己嫌悪に陥り、社会人としてやっていける自信もなくなっていたのです。死にたいと思ったことも何度もありました。

しか大学から離れたことでうつ病の症状は緩和され、バイトを始められるまでになりました。

そのバイト先で評価され社員にならないかという打診を受けて、大学中退し今年の10から社員になりました。大学にこれ以上在籍しても勉強研究する気は全くないし、自分の将来にプラスになることはないんじゃないかと思い思い切って中退しました。現在は後悔は全くないです。

長くなりましたが一応まとめを書きます。この話から皆さんに伝えたいことは人生は辛いことから逃げていいということです。

私自身いわゆるエリート街道を歩んでいましたが、挫折し、レールからは外れました。少年時代描いていた未来とは大きく異なっています高卒ということで今後大企業就職できる可能性は大きく減りました。昔ならそれに耐えきれませんでしたが今は非常にポジティブに生きています

しかイレギュラーではありますコロナ禍の現在就職できただけでもありがたいと考えていますし、現在仕事やりがいも感じています人生一度きりだし後悔のないように楽しく生きる。これが今の私の人生観です。

もし受験勉強がつらい、大学に行くのが辛い、就活が辛い、仕事が辛い…そんな人の気持ちを軽くできれば幸いです。

冗長な文ですが読んでいただいてありがとうございました。

2020-11-17

婚活タグ地獄を見て恐怖した大学生

今年度地方国立大学工学部(応用数学)に進学した者です。

私は中高一貫男子校で、女性と関わる事に全く自信が無く、また周りを見てもチェックシャツチー牛陰キャばっかで(今年はオンラインですが、一応顔出しがある授業もあるのでよく見ます)、こいつらこの状態から結婚できるのか?と常々思っています。また、学科の男女比が30:1で、女性と話す機会も無いため頭を抱えてます

また、私がいる学科は8割くらいの方が大学院に行くのですが、その大学院生方も割と毎日非リアツイートをしていて、もし博士まで行けば20代を潰す事になるので(浪人してるので博士出たら28歳)結構本気で危機感を感じています

どうやら増田さんの記事を見る限り、拗らせてる人もいるものの、割と結婚できるみたいなんですが、そこで他の工学部の方や卒業生の方々がどうやって克服して(してない?)恋愛結婚まで至ったのか知りたいです。また、何かアドバイスがあったら教えていただけませんでしょうか。

P.S 御回答ありがとうございます。体質的問題で酒タバコは一切しないですね。毎日風呂にも入ってるのであまり問題ない気がします。

大学についてもそうで、150年くらい前まで首都だった所にある大学です。増田さん鋭いですね……。

2020-11-13

いじめるほうが100%悪いのか

こんなことマジで増田しか書けないので、ところどころボカシながら書く。

ふたつ離れた私の姉には、付き合って半年ほどの彼氏がいる。姉と私は親元を離れて都心ルームシェアをしており、たまに姉の彼氏が遊びに来る(泊まりはしない)。姉彼は明るくて友達の多いスポーツマン。姉はどちらかと言えばインドアだけど波長が合うらしく、二人はとても仲良しだ。

ある時、姉は彼氏から後輩♀を紹介された。大学サークル仲間だったというその子(仮に花子とする)は、姉彼いわく友達のいない人見知り。姉彼は姉に「花子とは趣味が合うと思うし、よかったら仲良くしてやって」と言っていたらしい(姉はやたらと女に好かれるタイプである)。

よくよく聞けば、姉彼と花子はそこまで親しい間柄でもないと言う。年に数回、複数人で会うくらい。姉彼が「彼女ができた」と話したら、花子が「会ってみたいな」と言った……という話だった。その時点で「ん?」である。たまに飲む程度の先輩の彼女に会いたがる『人見知り』とは……。

もやもやしつつも会ってみれば、花子は意外と普通女の子だったらしい。仮にも恋人である姉の目の前で彼氏にボディタッチするのは目についたものの、ベタベタするというほどでもなく。ハキハキ喋る明るい子、という印象だったとか。

学生時代の話になり、姉が母校である地元中高一貫女子校名前を出したところ、花子はその学校を知っていた。花子実家は姉の母校の近くだった。姉が「花子さんはどこの中学なの?」と尋ねると、花子県内公立中学校の名前を答えると同時に、「あまり良い思い出がない」とも言っていたという。花子出身校は妹の(つまり私の)母校だったが、勘の良い姉は突っ込むのをやめた。(私も姉と同じ女子校を受けたのだけど、落ちたので公立入学した)

花子が席を外した隙に、姉が「普通の子に見えるけど、本当に友達がいないの?」と姉彼に聞くと、どうやら中学でのいじめが原因で、同性とうまくやれないらしい。で、帰宅した姉は私に花子のことを尋ねたと。

前置きが長くなったが、ここからが私の話だ。

花子とは確かに同級生だった。

目立つ子だったか卒業して10年経った今でも記憶に残っている。クラスの中心的な存在だった。良く言えばムードメーカーだが、悪く言えばクラス雰囲気を変えてしまえるような子だった。主に悪い方向に。

ちょっとしたことで機嫌を損ね、昨日まで親友だった子に冷たく当たる。そうすると周りが追従し、ターゲットの子悪口の的で(花子悪口にみんなが同調する感じ)、ゆるやかに仲間外れになる。ただし、花子は気まぐれなので長くは続かないことがほとんどだった。ほとぼりが冷めればまた『親友』。ターゲットは別の子うつる

印象に残っているのは、花子の「ダサい」と言う言葉だった。花子ダサいと言われた子はダサい。本人もダサいし、その子と仲良くしているのもダサい。だから孤立する……という仕組みだった。髪型ダサい、顔がダサいから始まって、最後には『存在ダサい』になっていく。

私も一度、ペンケースが花子かぶってしまたことで短い期間だがターゲットになった。「あんダサい子と同じとか最低」と聞こえよがしに言われたのをよく覚えている。1週間後、ケロッとした彼女の「おはよぉ」ですべてが元に戻ったことも。

……と、いうことで花子には良い印象はなく、いじめっ子でもあったのは確かだ。けど、だからと言って「花子いじめられていた」という話に心当たりがないわけではない。

中2でクラスが離れることを祈っていたけど、また同じクラスになってしまった。

花子は相変わらずで、新しいクラスでも短期間でターゲットを変え、ローテーションで仲間外れにしていた。一緒に悪口を言うのはしんどかったので、わたしはずっと愛想笑い花子を持ち上げる戦術をとり、ターゲットにならないように必死になっていた。……そんな花子独裁が終わったのは、中2の秋ごろだった。

単純な話だ。花子ターゲットに選んだ子が、孤立しなかったのである。みんなが同情しつつもターゲットの子を避け始めても、その子と仲良しだった光子(仮)は変わらず彼女そばにいた。

光子は可愛くて明るい人気者で、花子も一目置く存在だった。だからターゲットになったこともないけど、今まで花子特に嗜めたりもしなかった。そんな光子反旗(ってほどでもないかもだけど)にクラス雰囲気はずいぶん変わった。なんていうか、花子に従わない道があるんだと気付かされた感じだった。光子が何も気にしてないテイでみんなに普通に話しかけるので、光子と会話するうちにターゲットの子とも話すようになり、ターゲットの子ターゲットではなくなった。

同時に、花子絶対的存在ではなくなった。

光子の「性格が合わないか花子とは少し距離を取る」というスタンスクラス全体に広がった結果、みんなが花子から距離をとった』。花子孤立することとなったのだ。

最初花子は怒りを燃やして、光子悪口を言ったり、喧嘩をふっかけたりしていたが、光子相手にしなかったし、誰も花子に加勢しなかった。

花子は今までの自分の行いをすっかり忘れてしまったのか、早々に担任に泣きついた。クラス女子担任個人面談するはめになった。私は昔ターゲットになり辛い思いをしたので、できるだけ花子とは関わりたくない旨を伝えたが、担任は「悪いところがあるなら指摘して直してやるのが友達」なんて言っていた。だけど、花子に対してそんな面倒なことをする友情?体力はすでに残っていなかった。

担任はどうにかして花子光子を仲直り(?)させようとしていたし、花子光子だけは格上と認めたのか、媚びるようなことすら言うようになった。けれど、少しでも態度が軟化すると光子友達の間に割って入って他の子孤立させようとする(光子の無二の親友としてクラスを牛耳りたい、みたいな感じに思えた)ので、時間が経つほど光子花子の間の亀裂は深まっていった。

クラスでの返り咲きを諦めた花子は一時期、休み時間に他のクラスまで『出張』するようになった。けれど、そこでも花子の思い通りにはならなかった。中心人物女子と揉めて、ほぼ出禁みたいな扱いになった。結果、無視もされないし会話もでき、聞こえよがしの悪口もない自分クラスにいるのが1番マシだと思ったのか、自分教室から出ることはほとんどなくなった。

花子と同じことをしてはいけない。無視はしないし話しかけられたら普通に答える。けど、遊びに誘う必要はない』というのが、クラス暗黙の了解だった。比較花子と家の近かった私は、たまにに「一緒に帰ろう」と言われた。理由をつけて断ることも多かったけど、「待ってるから」「何時でも良い」と言われると、毎回無下にもできなかった。花子もその頃には流石に学んで、自分から積極的に誰かの悪口を言うことはなかった。けれど、たまに「◯◯ちゃんって××なとこあったりする?」みたいに誘導している感じはあった。微妙に心当たりのある、他の子だったら「まぁ、そういうところもあるかもね」と言ってしまいたくなる言い方だったけど、乗ったら終わりと分かっていたので流した。たまに「遊びに行きたい」みたいな空気を出してくることもあったけど、全力で鈍感を装った。

花子立場を失ったことを、当時の私ははっきり言って「いい気味、こんなんじゃ生ぬるいくらい」と思っていた時期があった。実際中学生にしては大人対応だった気がしている。

その後は不思議花子に関する恨みも消え、花子が何を考えているか、どう感じているかにまったく興味がなくなった。花子の機嫌を窺わなくなった後半の中学生活は、前半と比べ物にならないくらい楽しかった。

『本人がいじめと思ったらいじめ』とするなら、あれはいじめだったのだろう。でも、性格の合わないクラスメイトを遊びに誘ったり、積極的に話しかける義務が、中学生にあるんだろうか。あれがいじめだったとして、いじめっ子は私たちか。そうだとしたら、この場合でもいじめる方が100%悪いんだろうか?

もちろん私の知らない何かがあったのかもしれないし、私の記憶が美化されている可能性もある(他の同級生にも聞いてみたけど、私と同じ記憶だった。ただし私と同じ立場なので参考になるかは不明)。でも花子同級生としては、彼女が姉彼に語ったと言う「ひどいいじめ」には首を傾げざるをえない。

余談だけど、大学に入る前の同窓会で、クラス男子がこう言ったのを覚えている。

花子も1年の時はいじめみたいなことしてたけど、2年になったらおさまったし……うちのクラスって、マジで仲良かったよな!」

2020-11-03

心象風景

今日の帰り道、長い塀とその中にある高い木々に囲まれ屋敷を見かけました。随分昔からあるような雰囲気でした。大きな門のところにはぴかぴかの監視カメラがあって、そこだけちぐはぐな感じがしました。

私は散歩が好きで、気がつくと三時間くらい歩いていたりします。この街はくまなく歩き回ったと思っていたのですが、まだ知らない場所があったみたいです。こういうことがあると、物語の中に入ったようで少し楽しい気分になります。ここはそんなに大きな街ではないので、もう何ヶ月かしたらきっと、本当に行ったことがない場所などなくなってしまうでしょう。そう思うと少し残念でした。その時が訪れたら、人に迷惑にならない程度に少しばかり酒に酔って散歩するのも良いなと思いました。そうして、意識がはっきりしていない状態で歩き回ると、「猫町」に出てくるような遊びができるかもしれないと考えました。

小説といえば、昔に村上春樹小説を夢中になって読んでいたことがありました。近頃はあまり読まなくなってしまったのだけど、日常から日常へとシームレスに暗転していく感じが好きで、今でも地下鉄に乗っている時や、古いホテルの長い廊下を歩いている時などに小説の情景を思い出します。

どうして村上春樹のことが頭に浮かんだかというと、今横を歩いているこの立派な屋敷は「1Q84」に出てくる篤志家の老婦人が住む家の描写に似ていたからだと思います塀の中にはほうれん草が好きなドーベルマンや、隙なく鍛え上げられた肉体を持つガードマンタマル氏がいそうでした。思わず空を見上げましたが、月は一つしかありませんでした。

小説の内容は断片的にしか思い出せませんでした。ただ、タマル氏が語った木彫りのネズミを作る少年の話ははっきりと記憶しています。その少年タマル氏が育った児童養護施設にいて、ネズミを彫ることの他に何もしませんでした。少年ネズミを彫る情景は、何故かわからないが心に残っていて、それは自分にとって大切なもののように思える、というようなことをタマル氏は言っていました。それが彼の心象風景なのだと。

1Q84を初めて読んだときのことはよく覚えていますお金がなかったので本は買えず、図書館はずっと予約待ちでいつ読めるかわからず、でもどうしても読みたかったので、きっと責められるのでしょうが、隣町の図書館に行った帰りに本屋立ち読みをして少しずつ読み進めたものでした。

その当時の私は、失意のどん底にいました。大学受験に2回も失敗したのです。高校卒業して就職し、少し経って色々なことが見えてきて、大学に行きたくなって、仕事をしながら受験勉強しました。そして失敗しました。頑張って溜めたお金もどんどんなくなって、やっぱり自分馬鹿なんだ、甘かった、叶わない夢を見ていたのだと思い知らされて、本当に惨めでした。それでも諦められなくて、図書館自習室に通って勉強を続けていました。

そんな折にウッカリ病気になり、入院して手術を受けなくてはならなくなりました。高額医療なんとかという制度でかなりの額が戻ってきたのですが、それでもやはりお金は減るし、大部屋だったので周りの病人なんやかんや干渉されるし、古い病院なので暑くて臭いし、とにかく最悪でした。

私の心象風景は、そんな時期に起こったある一日の出来事です。

その日も最悪な気分でした。手術で受けた傷が痛みました。術後から数日間しか経っておらず、しばらくは風呂に入れないでいたので、自分臭いのがわかって辛かったものです。

気分転換でもと思って院内散歩しているうちに、見知らぬ病棟に入り込んでしまったようでした。エレベーターで一番上まで上がると、屋上に続くドアを見つけました。

屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、やかましい蝉の声だけが聴こえました。季節は夏で、真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが憎たらしいと思いました。しかしながら病院屋上というのはなかなか絵になるもので、まるで自分小説の中に入り込んだような心持ちがして少し気が晴れました。ですが、そんな雰囲気で柵に凭れたら、熱された金属が肌を焼いて飛び上がり、格好が付きませんでした。ため息をついてふと見下ろすと、ある病棟の窓から内部が見えて、目をこらすと病室から廊下に棺が運び出されているのが目に飛び込んできました。

私はますます憂鬱になりました。それで、とぼとぼと病室に戻ると、点滴を引きずりながら歩いたせいで血が逆流してしまったらしく、看護師さんに怒られました。

落ち込みながら、歩き回って汗をかいたので着替えて、脱いだTシャツを流しで洗濯していると、明らかに大掛かりな手術をしたと思われる包帯ぐるぐる巻きの人がやって来ました。その人は壺のようなものを重たそうに持ってよろよろと歩いていて、とても怪しい人物のように見えました。それを流し台に置いて居なくなったかと思うと、しばらくして綺麗な花束を持って戻ってきました。壺ではなく花瓶だったのかと私は思いました。

その人にとって、かがみこんで花を花瓶に入れることも、蛇口をひねることも、そしてその後に運ぶことも難しい状態に思えました。普段は、困っている人に親切な行為をするのに随分勇気が要るのですが、その時は反射的に声をかけることができました。

病室のテーブルに花瓶を置くと、その人は小さな板(何回でも書いて消すことができる子供用のお絵かきボードがありますが、それに似ているものです)のようなものを取り出し「ありがとう、とても助かりました」と書きました。そして、手術をしてもう喋ることができないのだと続けました。私はその時初めて、その人が今まで一言も発していなかったことに気が付きました。

私は何故かその瞬間、自分を恥じました。しかし、そう思ったこ自体もその人に失礼で、恥ずかしく思いました。

視線を落とすと美しい紫色の花が目に飛び込んできて、見たことがない花でした。とても綺麗な花ですねと私は言いました。

その人は花の名前を教えてくれました。名前は聞いたことがありましたが、こういう見た目の花ということは知りませんでした。

そう言うと、好きな花なんです。母が持ってきてくれた。と答えました。

それからもう10年が経ちました。あの夏を過ごした翌年に、私は何とか滑り止めの大学合格しました。その後、機会にめぐまれて、大学院にまで進学することもできました。いわゆるロンダリングです。恥を忍んで正直に言うと、大学に入るまで大学院を存在することを知らなかったので、それを初めて知った時はなんだか謎めいた機関のように思えました。周りに院を出ている人などいなかったし、そもそも大学を出ている人も多くはありませんでした。今では、本の奥付に書かれた著者のプロフィールにX大学大学院X課程修了などと書いているのが目に入るようになりました。昔から色々な本をたくさん読んでいたはずなのに、きっと見えていなかったのでしょう。

20代前半で初めて東京に出てきて、育った環境の違いに打ちのめされたものでした。中高一貫学校出身の人々に囲まれて、私が初めからこういう場所で育ったならどうなっていたかなと考えましたし、今でも考えます奨学金の残りの返済額に憂鬱になることもしょっちゅうで、そういう心配がない人はいいなと思います。進学してから変な経歴を笑われたこともありましたし、ロンダだと陰口を言われたこともあって、そうした時は悲しくなりました。

でも、いつからか、自分自分人生をある程度コントロールできているのだという充足感があって、これは昔にはなかったものでした。ただ、これは、大学受験を乗り越えて「分断」を渡った(かもしれない)ことだけが原因ではないように思えます

何かがあって落ち込んだり、何かなくてもふと悲しくなったとき、あるいはただ呆けているだけのときに、あの夏の病院出会った包帯の人との出来事が、鮮やかな紫色の美しい花のイメージとともに浮かび上がることがあります普段は忘れていて、そのとき見たもの匂いや状況などがトリガーになって出てくるのでしょう。この情景はとても印象的ではあるのですが、別に感動的ではないし、大きく感情を動かされることもなく、さして貴重な体験だったという訳でもないように思えます

ただ、思い出したとき何となく心が凪いで、これは私だけが持っているものだと言う気持ちになります。多分ですが、自分にとって大事ものであるような気がするのです。そう思うと、タマル氏が言っていたことが理解できるような気がしました。

「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目わきめもふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事風景ひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうもの必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」

2020-10-30

anond:20201029182524

だんだん議論が嚙み合わなくなってきてるっぽい

(A)非常に優秀な能力学生が、地方で高レベル教育機会(東大京大以上)に恵まれないのは社会的損失だ

(B)平凡な能力学生東京教育環境の助け(中高一貫進学校AO入試等)によって、苦労せず高学歴早慶マーチ程度)を獲得し、華やかな学生生活を楽しんだのち、ホワイト高収入会社入社できるのはズルい

増田はどっちの立場

2020-10-28

日本から捨てられた土地で生まれて」に対する恵まれた側の人間とし

https://anond.hatelabo.jp/20201026003439

最近このエントリーSNSで流れてきて読んだ。

何度かこの手の機会の格差に関する記事を読んできたが、今回のエントリーもなかなか心にくるものがあった。

格差是正とか機会の均等のためにどうするべき、みたいな難しい話はここではしないことにして、ただただ感想を垂れ流してみる。

簡単自己紹介をすると、自分上記エントリでいう恵まれた側の人間である

東京都で育ち、小中高と私立に通い、塾は幼稚園である5才から大学受験までの13年間通っていた。

小学校受験中学校受験を経て中高一貫に進学し、周囲の大半が東大にいく環境自分もそのレールに乗り東大へ進学している。

ただ、お恥ずかしいことに、大学に入るまで自分が特段恵まれている人間だという認識は全くなかった。

しろ自分の家は両親が地方出身比較的貧しい家庭で生まれ育ち、親が借金などに追われながら生きてきたような人なので、周りの環境においては貧しい方に分類されてしまっていた。

小学校私立に通うような人はかなりお金持ちが多いので、別荘を皆持っている中で自分の家だけ別荘がない、などといったことで疎外感を感じて悩んでいたりもした。

今考えるととても異常なことなのだが、当時は本気で自分貧乏だと思っていた。

学生のうちはせいぜい狭いコミュニティに生きているので、周りと比較してしまう。

まれている者がその自覚を持つことは大変難しい。

はじめてこの格差問題に気づいたのは大学に入ってからだった。

クラスサークルに塾の友人や中高の同期がいて、新歓などでも最初挨拶では出身高校の話になる。

お互い名の通った中高一貫出身であることが多いので出身校の話をすれば大抵共通の友人の話などで盛り上がることができるので当然のようにその話をしていた。

ただ大学に入って仲良くなった人の中に全くしらない高校から入学してきている人がいた。

話をきくと地元には塾などが全くなく、強いて言えばくもんがあっただけ、模試も受けたことがないと言っていた。

正直自分にはそんな状況でどうやって東大合格できるのか理解ができなかった。むしろ自分学校の授業は当てにならないので全て寝て塾に全振りしていたくらいである。

彼は学問を愛していたし、とても頭がよかった。

地頭レベルが違うと感じた。

一方で、環境お金入学した自分がとても恥ずかしくなった。

勉強する環境が整っていて親から勉強しろ」と言われる毎日の中で、勉強が本当に嫌いで仕方なくやらされている感じで勉強をしてきた、東大に入っても学問にまったく興味を持てない自分を呪った。

心のそこから自分の代わりにこういった人に東大学問をしてほしいと願った。

東大国内にそれ以上の大学実質的にないと言っていいので、学内レベル差は最も大きいのではないかと思っている。

入学してすぐ、もっと学問好きな人地頭がいい人はたくさんいる、自分は最底辺であるということを悟った。

お金環境でなあなあで入学したのはいいが、自分は要領がいいだけでなにもすごくなかったのだと自覚せざるをえなかった。

格差を知り、自分立ち位置理解して以降、恵まれている側のコンプレックスのようなものが芽生えてしまい、外で初めて会う人などに「東大生なんだすごい!」と言われるのがとてもつらくなった。

ただ、東大に落ちている人がたくさんいる中で自分環境のおかげでここにいる、決して頭が良いわけではないと言っても嫌味にしかならないので、当たり障りのない謙遜をすることしかできない。

ただ、ここでは自分よりもっと東大学問をするべきだが、そのチャンスすら得ることができない人がたくさんいる事実を噛みしめたい。

最近では恵まれ環境に育ったからには努力を怠ってはいけない、社会還元しなければならない、という認識を持っているし、周りもその想いで似たような環境から激務の公務員などになろうとしている人や事業を起こしている人が多くいる。それが自分たちにできる精一杯だと思っている。

とりとめもなく書いてしまったので結論はないのだが、皆がチャンスをえられるような社会を目指して、微力ながら行動していきたい。

2020-10-27

anond:20201026003439

東大卒地方出身です。我ながら性格が悪いと思うが、元増田について、色々と納得できないので、ネチネチと指摘しておく。

増田は、「東京国立大学」に入学し、その後、東京で育った子供が与えられる塾教材を見て、「私も東京に生まれていれば東大に受かったのに」と書いている。

東京国立大学東大の他に、東工大一橋大、お茶の水東京医科歯科大学東京学芸大農工大芸大電通大といったところがある。インカレサークル東大生と知り合ったとあるから、恐らく増田お茶の水ではないかと思う。

大前提として、東大入試問題比較オーソドックスであるお茶の水学生が、高校予備校の教材を見て、「これが有れば合格できたのに!」と思ったことに対して共感ができない。育った環境の中でお茶大には合格することができたが、その先の東大との差を埋めるものは教材なのか。教材を見て、その差をうめるための何かを感じ取れるほどに受験をやっていた人間ならば、東大入試は、赤本チャート式で行けてしまものだと思う。そんなの嘘だろ、と思うかもしれないが、東大中の人間には入試はそのように見えているのであり、そう見えていないのはあなたが「わかってない」からである冗談抜きに「ドラゴン桜」を読んでみよう。あれはよく書けている。

入試問題の癖とかアドミッションに関する諸々に対する最適化という意味では、都市部の塾予備校中高一貫進学校メリットがあるのは事実で、たとえば、「予備校に行っていれば早慶受験対策ができたのに!」「あの高校からであれば指定校推薦取れたのに」とか、「もっと視野が広がる環境であれば海外大学を受けていたのに!」と思うのであれば理解できる。が、繰り返しになるが、お茶大と東大の差を環境で埋める、というのは理解しづらい。

一方で、そもそもお茶大でないとするならというのもあるが、こちらは更に納得感に欠ける。東工大一橋大や外語大であれば、東大本質的入試難易度の差は無いので東大に入らずそれらの大学に行ったことを環境のせいにしないだろう(これらの大学学生には自分東大生に劣っているとは思って欲しくない、という私の勝手な願望もある)。学芸大電通大以下であれば逆に偏差値が違いすぎて環境云々の差以前の問題であるし、普通感覚ならこれらの学生自分東大はいることを想像しない。

増田お茶大なら、という前提のもとで穿った見方をすれば、かの学校校風やら学内のなにやらに、地方出身のぽっと出の真面目な学生が影響されてるだけのように思える。負けず嫌いなのはいいが、ぜひこの先の人生を間違えて欲しくない。例えば学歴ロンダリングだけを目的仕事をやめて東大の院に入りなおす、とかそういうのはやめよう。書いてて酷いと思うが、上記が私の結論である

地方都市部教育格差

https://anond.hatelabo.jp/20201026003439

バズってる増田を読んだ。

日本海側の3万人クラス田舎出身人間としては共感しかないのだが、嘘松扱いしている人がいるのがなんかむかついたので、私のエピソードも追加して地方の状況を広めたい。個人的には下記の3つが地方の不利さだと思ってる。

大卒で就ける仕事ロールモデルがいない件

元増田も挙げていたが、地方に住んでると高等教育を受けた後に就ける職業イメージが全くわかない。なんていうか、大学進学率が2割台で大卒仕事自体があまりない町なんで、両親や親類、先輩と言った周囲の大人ロールモデルとなる人が全然いないのだ。うちの家族も俺がはじめての大学学者だったりする。そんな俺の10代の頃のイメージはこんな感じ。

医師→都会から来る偉い先生か町1番の秀才

公務員市役所職員(官僚なにそれ?)

金融信金さん(都銀外資系存在しない)

弁護士ドラマ世界の住人

工学部卒のエンジニア→箔のついた工業高校出の現場作業員

建築士→箔のついた大工さん

研究者少年マンガサポートキャラコナン阿笠博士的な発明家ぽい人

その他商社マン広告代理店とかの文系花型の仕事司法書士公認会計士等の仕業そもそも大学行ってから存在を知ったぜ!

見えてる世界が狭かったんで、将来像がそもそもはっきりしないんだよな。俺は結局地方国立工学部に行ったんだけど、箔のついた工業高校だと思ってたから授業で微積をまたやるのに驚いた。なんせオープンキャンパスでは面白理科実験的なことしかしてなかったんで。今となっては笑えるエピソードだけど、地方高校生認識ってマジでこんなもんだと思うよ。

公立中学校の劣悪さ

個人的にはこれが地方の最大の問題点かなと思ってる。3万人の地方田舎町でも、高校には進学コースがあってそれなりにレベルの高い教育を受けられた。ところが中学校ダメダメ動物園状態英語リーディングで笑われるのはまあデフォルトとして、廊下自転車で走るヤンキーがいたり、冬場にストーブ教科書を燃やしたりする馬鹿かいしょっちゅう授業が中断して学習できる環境では無かった。だけど義務教育なんで進度別のクラス分けとかあるわけもなく、校区制なんで学校選択肢もなく。先生も進学熱が無いというか、金八先生に憧れてるようなタイプが多くて生徒指導のことしか頭がない。もしもタイムマシン過去に戻れるなら親に無理を言って県庁所在地中高一貫受験してるだろうな。だけど地方で育つと中学受験という選択肢に思い至らないんだよな。そもそも田舎には通学1時間圏内に進学系の中高一貫自体が無かったりするのがザラなんで。

学習方法や教材の情報の無さ

コレは最初の項目と少し関連してるかもしれない。Amazonが普及した現在でも、参考書は実際に手に取って使ってみないとわからない部分が多いものだが、地方だと蔦屋併設の本屋が町に一軒だけ見たいな事が多くて置いてあるのがせいぜいチャート式赤本だけだったりする。この選択肢の少なさは正直キツかった。もちろん予備校とかも無いので、入試対策全面的高校教師を信頼するしか無かった。幸い俺の担任地方国立数学科院卒の経歴で、難関大学入試問題もスラスラとけるような頼もしい人だったんですごく恵まれてたんだけど、一つ下の学年は教育学部出身ちょっと頼りない先生だったんで、教師ガチャの要素がデカいなと思えたのだ。

まあ同じ地方でも、県庁所在地まで行けば話が変わってくるもしれない。紀伊国屋ジュンク堂的な大型書店があって多種多様参考書を手に取って見れらし、進学校存在してるから、実際に使ってる友人に見せてもらったりできるんでハンデは小さいかもしれない。周りにも県立なんたら大に通うような大学生があるから、それこそ友達のお兄ちゃんとかが自宅から通ってたりして、ノウハウエピソードを聞いたりできそうだし。

そんなわけで

俺も普通に地方は不利だと思うよ。特に県庁所在地以外。

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