はてなキーワード: 中高一貫とは
10年以上は前の話。
田舎出身。都会に憧れがあったので、首都圏の難関ではない某国公立大を志望した。当時の自分の学力に合っていて、希望する学科があるのがそこだった。田舎の県立高校で地道に勉強し、受験し、合格した。他の大学のことはよく知らなかった。国立単願だったし、元から偏差値が合わない大学は眼中になかったので。俺はただ憧れの大学に通えることが誇らしく、新生活に胸を躍らせていた……
4月。新入生オリエンテーションが終わり、同じ学科の数人で集まって話していたときのことだと思う。経緯は忘れたが、同級生の1人が「こんなBランク大学」と言ったのだ。「本当はこんな所に来るはずじゃなかった」「俺の同級生には東大生がたくさんいる」と。(今考えるとFランではなくCランでもなく「Bラン」をチョイスしたところに彼の葛藤が伺える)
それを聞いてとてもショックだった。なぜかは分からなかったが、ものすごくショックだった。地道に勉強して、希望どおりの大学に入ったのに、目の前のこの人はそうではないんだと。当時は学歴コンプレックスというものの存在がよくわからなかった。ただ、全く違う価値観で生きてきた人なんだということは感じた。まさに異文化との遭遇。田舎の高校にも、難関大学を志望したりそれで不合格だった同級生はいたが、それとは違う何かを感じた。
それからしばらく経って、大学の同期の中にも「中高一貫の進学校」出身者が多くいることに気づいた。そこは田舎の県立普通高校とは全く違う何かであるようだった(今だによくわからない)。また、関東出身の同級生たちは殆ど皆、受験予備校に通っていた。河合塾とか駿台予備校とか。都会出身の同級生たちは受験戦争の荒波に揉まれまくった生き残り(または、当人の感覚では敗残兵)だったらしい。東大とかナントカ難関大学とかの高みを目指し、そこにたどり着いた、またはたどり着かなかった、妥協して腰を落ち着けた…。マジかよ。田舎の価値観と違いすぎるだろ。そら学歴コンプにもなるわ。子供のうちからそんな生活してたら心が荒むに決まってるじゃん。
とくにオチもないんだけど、このことは何故かふとした時に何度も思い出すし、地域間格差とか、学習機会の均等とか、受験戦争の過酷さとかなんかそんな話題が出るたびにジワーっと思い出してモヤモヤするので吐き出したかった。
多分創作増田だけど、ポスドクの彼氏と別れるか悩んでるやつ読んで、自分も文系院生(その後ドクターに行ったけど、特にめぼしい業績を残せず学問の道を去ったらしい)の歳上彼氏と別れたのを思い出した。
男は奢れ!とは思わないけど、私が稼いでるからって理由で歳下なのに多めに払わされるのは納得いかなかったし、「議論が好き」って言いつつ、話の腰を折って言葉で相手をねじ伏せるのが好きな人だった。
何が面白いって、親の金で私立の中高一貫男子校を出て、浪人して、やっぱり親の金で大学院行ってるのに、自分のことめちゃくちゃ貧乏人だと思ってたこと。「俺なんて、万引き家族だよ笑」っていうのが口癖だった。
他に吐き出すところがないのでここに書く。
私は多分、肩書き的にはエリートに分類される女だと思う。都内の中高一貫女子校からストレートでいい大学を出て、いい企業で働く若い女だ(こういうこと書くと、この掲示板では「うんち」って言われるのもなんとなく知ってる)。
そして私は多分、ミサンドリストだと思う。女子校から半ば男子校みたいな大学に入って、すっかり男性が嫌いになってしまった。容姿やメイク、服装に口を出されるのが本当に嫌(お前らは襟ダルンダルンのクソダサ英字Tシャツ着てるのに、どうして同じ学歴でも女はコンサバ系のお洒落じゃなきゃいけないと思ってるの?)。勝手に「ヤレる/ヤレない」でランク付けられたのが嫌(こっちから願い下げ)。生理痛が重い人間なのだが、それを理由にサークルを休んだらセクハラと嫌味を言われたのも嫌(男子も男女別学出身者が多いからだと思うけど、とにかく女の体について無神経)。
サークルでも、渉外先のおじさんに散々体触られて家に帰ってからわんわん泣いた。やめて欲しいというメールを送ったら次から電話を無視されるようになった。
就活も地獄。うちの大学から行くのが現実的な企業は、管理職のほぼ100%が男性だ。ある大手広告代理店のインターンは、講師役のお偉いさんはみーんなおじさんだった。
女性にはキャリアの断絶があり、それは出産だけではない。同じような経歴の男性の多くは育児を手伝ってくれない。というかそれこそ学歴や職歴が下でも手伝ってくれない。そのせいで女性は男性より出世できない。結婚orキャリアの世界だ。女子校時代に教えて貰えなかったこ情報が一気に入ってきて、私は一時期躁鬱の薬を飲んでいた。
そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのが、ヒプノシスマイクの中王区だった。
ヒプノシスマイクはガバガバ女尊男卑の世界線を描いた女性オタク向け音楽ジャンルだ。言の葉党というラディカルフェミニスト政党を中心に、女性が実権支配している中王区には壁が築かれ、男たちは重税をかけられながら壁の外で暮らす。中王区に住む女たちの娯楽として、メインキャラクターである選ばれし男たちがラップバトルをする、というストーリーだ。
現状の男尊女卑のミラーリングになっているかというと、全くそんなことはない。女オタクはなんやかんやで地位の高い男性キャラが大好きなので、メインキャラクターたちもかなりいい職に就いてる人間が多い。医師、弁護士、キャリア警官、教師、売れっ子漫才師……ドラマパートでも、彼らが女性に虐げられるシーンはない。モブ女性は柔らかい声で彼らを「先生」と呼ぶ。
恐らく、女尊男卑の制度が出来て日が浅い世界線なのだと思う。既に公式から出されている情報と合わせてみても、ベースは現代と一緒。現世に嫌気が指した言の葉党員たちが革命を起こし、戦争を経て、勝ち取った社会の潮流を無理矢理変えるべく「男性にだけ重税をかける」という方法に出たのだと思う。
いや、それが悪いことはわかる。私はミサンドリストだけど、実際に男性に重税に苦しんで欲しいわけじゃないし、どうせなら両方が楽になる道を模索したい。だからやっぱり言の葉党がやろうとしていることはラディカル過ぎる。彼女たちが完成させようとしているのはポリティカル・コレクトネスではなく男性への復讐だ。
でも、せめて、フィクションの中くらいは、不満を持った女性たちに好きにさせてはくれまいか。
物語の進行構造上、これから男性キャラクターたちが言の葉党を打倒することになるだろう。「平等を掲げた男たちが女たちを打倒する」ストーリーだ。でもそれで勝ち得た社会は、本当に平等な社会なのか?絶対に元の木阿弥、男尊女卑に逆戻りだと思う。
嫌だ、言の葉党が負けるのが怖い。このまま「女性しかいない国」を保って欲しい。フィクションの中だけでいいから私に逃げ場を残しておいて欲しい。
これが中王区のMVだ。最高。男に媚びない強い女最高。
彼女たちはここまでのし上がるのに、どんな努力をしてきたんだろう。一応血反吐を吐くような試験勉強や就活を経てきたキャリア女性である私は、勝手に共感して苦しくなる。
「男のためではなく、自分のために」露出度の高い格好をしているキャラクターに心の底から共感する。MVが出てから余計に中王区が好きになった。
助けてくれ。怖い。中王区が倒されるのが怖い。せめて彼女たちが国外逃亡して、その先で男尊女卑に怯えず幸せに暮らしてくれないかなと願う。
不意に思い出したどうでもいい話を書く。
高校生の時、パソコン部に所属していた。オープンキャンパスがあると、私の部活では体験に来た小学生(中高一貫だったので小学生が来る)の好きなキャラクターやら動物やらを聞き出してコピーし、ラミネートして渡していた。当時からネットから拾った画像をコピーして渡すのはグレーな気がしていたが、まあお金を受け取っているわけではないので目をつむっていた。
あるオーキャンの時に、題名のように言う小学生が現れた。私はアニメはほとんど見ないオタクではあるが、何のアニメが今期やっているかは知っていた。いや〜オタクじゃない後輩とかがこの子の担当してたらびっくりされただろうな〜、かく言う自分も驚いた、初対面の人に言いにくいアニメのタイトルをすっと言っちゃうのだもの。パソコン部の体験に来る子はオタクが比較的多い。今まででも東方とか初音ミクとかハイキューとか選ぶ子もいた。エロマンガ先生が好きって言った子には驚いたが、人に言うのが憚れるアニメを好きになっても、臆せず言える環境になったのは素晴らしいなとも思った。私の生まれた時代も別にオタクが迫害されるとかなかったが(むしろクラスの中心人物ほどアニメ漫画好きが多かった)、昔の価値観から変わっているのを目の当たりにするとちゃんと進歩するものだなあと感じる。
ちなみに、学校のパソコンなのでエロマンガ先生はセンシティブワードとして弾かれて当然何も画像が出なかった。AVとか出てきたら小学生のトラウマになりかねない……。あとコピーされた一番人気のキャラクターはすみっコぐらしでした。
今日みたいな終わりかけの夏を感じる晴れた日はどこかしんみりとした気持ちになってしまう。
女子校あるあるなのだが、みんな「好きな先輩」がいて靴箱経由でお手紙交換したり、バレンタインには気合を入れてお菓子を渡したりしていた。
上下関係が厳しく、上級生の廊下、ましてや教室まで行くのはタブーとされており、階段や廊下で同じ部活の先輩に会ったら通り過ぎるまでお辞儀をし続ける、そんな「伝統」のある女子校だった。
私はハンドボール部の日焼けした肌と切れ長一重のショートカットの先輩が好きだった。
運動神経抜群な先輩の体育の授業をひと目見ようと休み時間ギリギリまで粘って校庭を眺めたり、先輩が生徒会に入るという噂を聞けば立候補したりした。(結局ただの噂で先輩は生徒会に入らなかった)
今では先輩のプロフィールなんてほとんど覚えていないが、長めの前髪から覗く目と視線が合ったときのドキドキは今思い返しただけでも心がキュルンとする。
2年ぐらい片思いを続けた私が中3、先輩が高2のときのバレンタインには張り切ってブラウニーを作り、かわいいラッピングをして先輩の移動教室のルートを把握した上で、待ち伏せして渡した。
すると1ヶ月後のホワイトデーにお返しとしてプーさんのマグカップをもらったのだ。
中学生の身分からすると千円以上するものを買うなんてすごい買い物だったし、先輩から形の残る、しっかりとしたプレゼントをもらった私はクラスのみんなから羨ましがられ、だいぶ誇らしい気持ちになった。
このマグカップは家宝にしようと強く心に誓い、大切にしすぎて実際に箱から出して使ったのは自分が大学生になってからだった。
その後、私は高校を卒業する前に転校してしまい、先輩とはそれっきりになってしまったのだが実家に帰ってプーさんのマグカップを見るたびにふわふわと心がくすぐられるような気持ちに浸っている。
いつかこのマグカップが割れてしまったら私の中のこの小さな思い出も消えてしまいそうで、考えただけで涙が出そうになる。
先輩への好きという気持ちは未だにあるけれど、思い出の中の先輩が好きだから今会ってもきっと何も話せず、もやっとした気持ちになるのがわかっているからFacebookも検索したことがない。
あのボーイッシュな先輩が髪を伸ばして母親などしてたらきっとそれはもう私の知っている先輩じゃないだろうなぁと思いつつ、元気にしているのかなぁと淡い気持ちを思い出している。
先輩が悲しい気持ちになっているときがあれば、どこかで私のような人がいつもあなたの幸せを願っていることが通じるといいなぁと思って晩夏の空を眺めてる。
自分語りになる。自分がフェミニズムに出会うことでどう救われたかという話をしたい。
25歳男。人生がうまくいっているかいないかでいうと、あまりうまくいっていないかもしれない。就職した職場であまり仕事ができなくて適応障害になったり、発達障害がわかったりといろいろあった。今も彼女がほしいけど出会いがなくて、マッチングアプリをやっている。まだやり方がつかめてなくてうまくいってないけれど、心は穏やかだ。なんで穏やかなのかというと、フェミニズムのおかげだ。
そもそも女性への興味が昔から強かった。幼稚園とか小学校のときから「好きな女の子」がいつもいた。男の子と遊ぶより女の子のグループに入りたかった。今思うとちょっと避けられたりもしていたが、それに気づかずめげないくらい女子が好きだった。
だが、勉強を大事にする親には塾に通わされ、中学受験をさせられた。そこそこ勉強はできたからか、受けたのは男子校ばかり。親は、内申点とか気にしなくていいから中学受験せず中高一貫校に行ったほうがいいし、男子校の方が周りの目を気にせずのびのびできて楽しいと言って、男子校を勧めてきた。まだあまり自己主張がはっきりしていなかった俺は言われた通りにして、結局中高一貫の男子校に進学することになった。
男子校に入ってそこそこ楽しくやっていたが、悩みの種はやはり女子がいないことだった。中学受験せずに地元の公立中(もちろん共学)に進んだ人が羨ましかった。
時効だと思うから告白すると、女性への興味が昂じるばかりの俺は、俺は痴漢や覗きすれすれのことをするようになった。空いている電車で向こう側にスカートの女性が座ったら、毎回覗き込もうと努力せずにはいられなかったし、そもそも空いてる電車ではセーラー服の女性の向こう側に座ろうと努力した。同じ時間の電車に乗っていると、短いスカートを履いていた同じくらいの歳の女の子がいて、彼女はガードが緩かったので、覗き込むとたまに下着が見えた。なぜか彼女はしょっちゅう違う車両に乗ってきていたのだが、それくらいの方が見つけ甲斐があった。
電車が混んでるときは女性の近くに立つよう頑張った。もちろん服越しにだが、たまたま下半身が触れ合ってしまうことを楽しんだ。やましい気持ちもなくはなかったが、何より混んでいるのだから仕方がない、仕方がないけれど嬉しいなあと思っていた。
さて、そんな俺がフェミニズムに出会ったのは大学に入ってからのことだった。同級生のことを好きになり、フラれ、ストーカー気味になったこともあり、いろいろがあった末に、女性のことを知りたいと思い、フェミニズム関連の本も読むようになった。
俺はこの世界がいかに男女不平等なのかを知った。女性がどれだけ男性に苦しめられているのかを知った。もしかして俺が人生でしてきたことも良くなかったのかな、と思って沈みもした。
でも、フェミニズムについて勉強することで気分は明るくなった。進むべき方向が明らかになったからだ。フェミニズムを勉強し続けている限り、俺はただの痴漢やストーカーではない、悔い改めながら前に進んでいる人間だ、と思えた。
フェミニズムに出会うことがなかったら、と時々恐ろしくなる。俺は出口が見つからず、本当に痴漢をしていたかもしれない。ストーカーになってしまっていたかもしれない。そして何より、そんな自分に嫌気がさしていたことだろう。フェミニズムに出会ったおかげでこれ以上進むべき道を誤らずに済んだし、贖罪に励むことができた。俺がTwitterで女性差別や人種差別に対して声を上げ、フェミニズムについてみんなに知ってもらおうと思ってつぶやいているのも贖罪のためだ。
男性特権を刷り込まれるこの社会で生まれ育った男子は、みんなひとつやふたつ後ろ暗いことがあると思う。そこから目を背けていていいのか? 一回ちゃんとフェミニズムを勉強して向き合ってみるのがいいと思う。
フェミニズムを学んでいてよかったのはそれだけではない。
フェミニズムについてつぶやいていたら、Twitterで女性アカウントと絡めるようになった。フェミニズムについて学んでなかったら無理だっただろう。もっと女性に縁のない生活をしていたと思う。
マッチングアプリでも、たまに「フェミニズムに理解のない男性はお断り」といった内容をプロフィールに書いているきれいな女性がいる。今の俺なら自信を持って話しかけることができる。(まだ成果はないけれども笑)
まあ人生は苦しいよ。仕事できなさすぎて肩身狭いし、彼女はできないし。
辛いとき、俺はデリヘルを呼ぶ。といっても、普通のじゃなくて、M性感。貧困女性の搾取には加担しなくないから、女性が主体的に働いているお店を選びたい。
楽しそうに責める女性を見て俺は嬉しい気持ちになる。女性にはこうやって輝いていてほしい。微力ながら協力できてよかった。そう思いながら射精すると本当に気持ちいい。
なんていうか、まず校内に異性がいないから、
「特別仲がいい友達同士」みたいにお互いをちょっと特別と思いあう関係を作って、やや過剰にいちゃいちゃしてみたりとかそんな程度。
それでも、やっぱりみんな年頃になると
中学後半~高校前半とかあたりになると、そんな集団の中でも、「特に女の子っぽい扱いの子」「特に男の子っぽい扱いの子」が出てくる。
後者は例えば体育会系の部活に入ってて、高身長でショートカットの子とか。
そういう子には、ファンの子とかついたりして、バレンタインにチョコもらったりして、ちょっとした宝塚スター状態。
そんな風な、とあるボーイッシュで格好いい女の子を好きになって、憧れたり、恋焦がれる気持ちを抱いたとして。
その気持ちを、ごっこではなくて本当に好きなんだと強く思い込んでみたり、あるいは、本当に好きだったりして。毎晩考えて。
みんな高校も後半になると他校の男子とかと交流をし始めても、まだ好きだったりして。
周りから「もー、まだそんなこと言ってるんー」とか言われながらも「だって好きなんだもん!」と言い張ってみたり。
女の子同士だから、声高に「好き!」と叫ぶことを許される空気に甘えて、公言しつづけたりして。
で、そんな風に高校生活を過ごした後に、みんな卒業して、それぞれバラバラに就職・進学していって。
みんな新しい場所でいろんな人間関係を築いたり、もうちょっと踏み込んだ恋愛をしたりしている中で、しばらくたってもまだ、その子が好きだっていう思いを、ああ好きだったなー、かっこいいなーってまだ持ち続けて。
あの頃みたいには会えないけど、それでも誰かを好きな気持ちを持ち続けてるのはうれしいな、と思ってみたりして。
それで数か月くらいしたある日、同窓会をすることになって。
久々にその子に会える!と思って、わくわくしながら会いに行ったら、なんか、めちゃくちゃ普通の女の子になってるの。
当時、部活のために短く揃えていたぱさぱさのベリーショートも、今はもうふわっとしたボブになってて。普通に女の子の服着てて。
あの頃のこととかなかったみたいに、学校の男友達の話とか、恋愛の噂話をかを楽しそうにしてて。
その子は全く悪くないんだけど、「あ、もう変わっちゃったんだな」って。あの頃のあの子はいないんだって。
そして、なんか、高校の頃のあの子に今でも恋焦がれた気持ちをまだ持ち続けてる私だけが、
いつまでも高校生から成長できてないやつみたいな感じがして、幼稚というか、傲慢というか、
25歳になって初めて彼氏ができた。
中高一貫と女子校で出会いがなく、大学も周りのノリについていけず特定の女子とだけつるんでいたため男子と触れ合う機会がなかった。バイト先は地方の塾講師なので他の先生は皆パートのおばさまたち。場はそれなりに整っていたはずなのに自分の面倒くさい性格も相なって25歳まで処女を貫き通した。
24歳の夏、会社で説明会に出席してた時に突然それはおこった。今までも体調不良や微熱はあったけど、その日は特別だった。目の前がぐるぐると回転し続けてて座っていられない。自分が今どこにいるのか、上を向いているのか横になっているのかもわからないくらいの強烈な目眩に襲われた。説明者の目の前で。
幸い慌てて会場を出てしゃがみ込んでいたら落ち着いたのでその場は凌ぐことができたが、その後も目眩はひどく暫く続いた。真っ直ぐ歩くことができない。ふらふらして駅でホームに落下しそうになる。電車のつり革を握っているはずなのに目の前が歪んで立っていられない。座っていても世界が回り出して気持ち悪くて顔を上げられない。勿論病院には行ったがどこにもたらい回され、よくわからない薬を処方されるだけ。一度処方された薬を飲んだ夜に過呼吸を起こして熱が出たのでそれ以降薬を飲むのをやめた。
最終的に頼ったのは精神科だった。ブラック企業にいたわけでもなく親から虐げられていたわけでもない普通のオタクが行くにはあまりにも敷居が高すぎたけど、そう言っていられないほど状況は逼迫していた。毎日休むたびに減っていく有給、上司からの心配の声、悪化していく自分の体調、原因不明の謎の目眩。もう誰でもいいからこの症状に名前をつけて私を安心させて欲しかった。
普通に鬱と診断された。
それからは早いもので、といってもここのあたりの記憶は朧げなのであまり覚えていないんだけど、会社を休職し、給付金をもらい毎日家で暮らしていた。24の貴重な半年を家で過ごした。目眩がひどい期間は寝たきりだったけど、徐々にスマホでYouTubeを見るくらいならできるようになって、後半はYouTubeばかり見ていた。
初めは外に出るのも怖かったのが近くを散歩できるようになり、怖くて乗れなかった電車に乗れるようになり、友達と会って話をすることができるようになった。色んなことができるようになってくると目眩も治まってきて、その話を先生にしたら「目眩が心の危険信号だったんですね」と言われてなるほどなぁと思った。私は不必要以上に色々なものを抱え込みすぎていたらしい。毎日嫌味を言ってくる父親とか、一週間に二度ヒステリーを起こす母親とか、期待してるねと必要以上に仕事を回してくる上司とか、普通だったらなんとも思わないそれらを私は重く受け止めすぎて、結果抱えきれなくなって心が壊れてしまったらしい。それに気づいたのは休職して一年経った夏のことだった。
この辺りになってくるとTLも普通に見られるようになってきて、フォロワーとリプもすることができた。(前はなんだか億劫で見てなかった。ツイッターと10年近く寄り添って生きていた私がツイッターを見るのを面倒だと思うのがそもそも異常だったのだ)
そんな中で同世代のフォロワーが今流行りらしいマッチングアプリを始めたと言っていた。そういえば私も彼氏いない歴イコール年齢の喪女だからそろそろ考えないとなぁとぼんやり友達の結婚報告を聞きながら思っていた時だった。職場に出会いのない、そもそも今鬱で休職中だから職場にすらいない私に出会いなどあるはずなく、フォロワーが始めたならやってみようかな〜の軽いノリで登録した。ちょうどその頃恋愛神社とも言われている有名ツイッタラーさんをフォローしていて、もしかしたら私も恋人できちゃうかも〜!?なんて浮かれていたからこそそんな行動が取れたのかもしれない。いつ撮ったか不明な、人生で一度した飲んだことのないタピオカを持った写真をアイコンにして、オタクです!という内容のプロフィールで登録した。当時ヤリモクだなんだと騒がれておりマッチングアプリ自体にいい印象がなかったから登録ボタンを押した時はめっちゃドキドキしてた。
年齢が若かったからか大量にハートが来て必死に返事をする毎日が始まった。きっちり返事をしないといけない!という謎の義務感と長年ツイッターで培われてきたリプライ力を生かして声をかけてくれた方とは積極的にやりとりをした。中には会おうと誘ってくれる人がちらほらといて、どうしようかな、とりあえず会ってみるかということで一人目と天下の池袋で会うことになった。
そしてそのあとなんやかんやあったあとにその一人目の人と付き合うことになって、会社にも復帰できて、コロナの影響で口うるさい親がいる埼玉の実家に帰ることができなくなり、半強制的に彼氏の居候と化している。
実家で両親の嫌味を聞かなくてよくなったことで精神的に回復し、会社への通勤時間は短縮どころかテレワーク化でゆっくり自分のペースで仕事ができる。そして一番は一番大好きな人がずっとそばにいてくれて、尚且つ私がそばにいることを許してくれている。
私、引き運強すぎない?
横で寝てる彼氏の顔を見て、あまりのかわいさに嬉しくて文章書いてたら長くなりすぎちゃった。最近悲観的な増田が多かったからこんな幸せな奴もいるんだよっていうのが半分、もう半分は私これからも幸せでいられるために頑張るよ!ていう惚気。愚痴もだけど惚気も周りに言いづらいよね。そもそも友達少ないから言う人もあんまりいないんだけどね…
みんなも生きて行こう おわり
ちょくちょくツイッターやらなんやらのインターネット空間の場で、日本の学校教育(特に公立小中学校)が個性を認めない!学力が正当に評価されない!みたいな話が流れてくる。
まあ実際、そういう個性認めないというか認められにくいというのは場所によってはけっこうあるだろうし全体的には事実なんだろう。
ここで同時に話としてついてくるのは、「日本の教育は底辺(あえてこういう表現をする)に合わせてるせいだ」とか「頭のいい子をそいつらと別に頭のいい子の都合のいいように指導しろ」とか「底辺は底辺だけ集めて指導して学力がある子は学力はある子だけで指導すればよい!」みたいなのとかである。大体は「個性を伸ばす指導をしろ!」みたいな感じでまとめられている。
自分にとってはこれがクソほど不快で大っ嫌いだ。吐き気がする。何が個性を伸ばせだ。気持ち悪い。
他にも、趣旨はさっきのやつと違うが、「暗記をするような教え方が悪い!」みたいな話もついてくる。これもクソほど大っ嫌いな話だ。
まあ、これらの言ってることは確かに理屈は通ってるし正しいかもしれんが、自分はこれらがクソほどに不快で気持ち悪い話ということは終始述べておきたい。
底辺の妬みって言われたらそれまでだが。
まず第一に、この手の話を言ってる奴らなんて勉強できない底辺の実態なんて一切知らないってこと。
基本的にインターネット空間でこの手の話をしているのって高校がいいとこ(ここでは偏差値55以上の高校)で大学も国公立!みたいな志望を持ってる/持ってたような奴らである。(もちろん、例外もある。だけど、この手の話をしている奴らって基本的にそういう「奴ら」なのだ。大学にいた/いることが前提のような「奴ら」なのである)
そういう奴らは基本的につまずくことはあれど、なんとかできる奴であって、底辺みたいに「なんとかならない」奴とは似ても似つかぬものであること、そして、インターネット空間でそういうことを言えるほどの知識、教養がある。
現実でも、インターネットでも、そのなんとかなる空間で集まっている人間が個性を伸ばす教育しろって言ってるのが実に滑稽で腹立つ。
こんな文章を読んでる奴は九九ができない大学生とか聞いたことあるかと思うが、この話のように本当に底辺は「なんとかならない」というのをわかっていない。
そして、これが大事な話だが、たとえ天才秀才でもこの底辺に「なりえる」こと。
これはつまり、今まで天才秀才でいた子が底辺になったとき、その子を見捨てることと同義なのだ。だって、そいつの周りには残った天才秀才しかいないし、底辺は実質そいつだけなのだから。
こんな馬鹿話、「ありえない」と思うだろう。実際、自分もそうだろうと「思っていた」。だって、自分が「そうなった」のだから。
自分語りになるが、自分は地方の高校の名門進学校に通っていた。成績は悪いか良いかと言われたら悪いと思っているけど、それでもテストで高得点をとることはあったし、とある科目でクラス一位をとることもあった(別にイキっているわけでもなんでもない)。
そこまではよかったのだが、高二の冬ごろから精神疾患を患い、授業にもでれず、勉強もできない底辺に成り下がった。本当の本当に勉強ができないのである、読んでも書いても聞いても理解できない、本当に地獄だった。あいにく、自分は教諭のサポート(注意しておきたいが、このサポートは「卒業」に関してのサポートである、決して授業理解のサポートではない)があって卒業はできたのだが、それがなかったら、高校を退学していただろうし、誇張表現抜きで最悪この世にはいないだろう。このように、底辺へのサポートがなければ、今の自分は存在しない。
「それはお前の話だし、そもそも、その底辺でもサポートできるような進学校行けていいじゃないか、何が悪いんだ」や「名門進学校行っている時点で底辺とは言わないぞ」みたいな反論があると思う。
自分が言いたいのは、「底辺を知らない」のことの問題であって、自分個人の問題ではない。確かに自分は名門進学校に通っていてサポートを受けたが、そこで、実際に勉強が一切できないという「なんとかならない」状態になったのである。底辺は「卒業」はできるが「勉強はできない」「理解はできない」。これが、底辺が「なんとかならない」ということである。それを理解してほしい。九九ができない大学生が典型的な「それ」である。
これを知らないで底辺を別に指導できるかって言われたら無理だろう。自分でもどうすればいい?と思う。経験していてもわからないのである。
そして、底辺に落ちた場合、拾ってくれるような人がいたらいいが、拾ってくれないとどうするんだ?底辺が一人増えたところで変わらんとか言われそうだが、いきなり一人増えると増えないとでは大きな差がある。「勉強はできない」「理解はできない」を治せばいいのかもしれんが、なんで「勉強はできない」「理解はできない」のか、理解したことあるのか?理由は精神疾患だけとは限らないのに。
まあ、こんな自分語りと藁人形論法はこれまでにして、次の話に移るか。
次の話は、田舎(ここでは、周りには田んぼしかなく、交通網もバスが少ししかないような地域のことを指す)に住んでる天才秀才をどのように底辺と分離するかだ。
ここで注意しておきたいのは、自分は田舎を侮辱する気は一切ない。両親、親戚が田舎出身なのもあり、侮辱するようなことは自分としては許せないし看過できない。ここで述べられている事項は田舎で本当にあることなのである。
まず、ご存知の通り田舎では人が少ない。そのため、子どもも少なく学校も本当に少ないし小さい。
で、基本的にそのような学校は「公立」である。都市圏に存在するような「中高一貫」という概念なんて存在しない。正直言って地方でもその概念が存在しない場合もある。
そして、田舎で一番の問題となるのが、周りに「進学校」というものも存在しないのである。
周りに「進学校」がないと、どうなるかわかるだろう。長い道を使って遠方の「進学校」に行く必要があるか近くで下宿する必要がある。
先ほどあった自分語りのように、自分は高校の名門進学校に通っていた。そこでも、田舎から片道一時間かけて通っている人はいた。
けれども、その人の通ってた小中学校はどのくらい「進学校」にいったのか?
もしかしたら、その小中学校は頭いい人が多く「進学校」に行っている人も多いかもしれない。
けれども、田舎は「子どもも少なく学校も本当に少ないし小さい」。
もし、そこで底辺と天才秀才を分けて指導しようとする、するとどうなると思う?
田舎の学校という人が少ない場所で、底辺と天才秀才を分けれるような人数いると思うか?
それに、もし天才秀才がいたとして、そいつを指導するための知識提供者が周りにいないだろう。たとえインターネットや本で情報を得ようとしても、地方や都市圏と比べて情報の取得量は格段に少ない。
底辺と分離しようとしたら、答えとしてたどり着くのは、田舎から「出ること」である。
田舎から「出ること」、それはつまり、田舎では底辺と天才秀才の「分離ができない」ということの意味そのものを指している。
そして、田舎には天才秀才というものは消えていく。人も消えていく。残るのはなんだろうか。廃墟か?
結局のところ、これの最終的に行き着く先は階層の再生産なんだろう。
底辺が残ることで底辺が同じ場所で一生を過ごし、そしてそこで新たな底辺を生み出す。逆に天才秀才は場所を移動して、その場所で新たな天才秀才を産み出す。同じ人間で同じ人権を持っているはずなのにこんな差が生まれる。
かなり暴力的な表現だが、親の文化資本と学力や成功の関係を見ると必然的にそう考えざるを得ない。
個性を伸ばす指導を行うためには田舎を捨てる必要がある。だって、田舎では底辺と天才秀才の「分離ができない」だもん。
自分は地方でも周りに進学校があるような割といいところに住んでたし、言うのもあれなんだが、中流階級(安定した場所に住んでたことと割と安定した収入を持った父親がいたのでそういう分類にした)であったので、本当はこのような田舎問題を語る資格はないかもしれない。
けれども、「個性を伸ばせ!」と言っている奴らは田舎問題のことは無視してスマートフォンやパソコンの画面を光回線が繋がった家や整備されたアスファルトの上または電車の中で見ながらこういうことを言っているのである。腹立たしい。
最後に、「暗記をするような教え方が悪い!」の言及だけして終わりにするか。
これね、一個目で言ったように底辺は「勉強ができない」「理解ができない」。たとえ、方法やその原理を教えたとしてもそれらができないせいでまともにその方法を使えない、いわば、馬の耳に念仏、猫に小判のような状態になっているんですよ。
だから、その底辺に有効な手段としては暗記が一番で、暗記がなければ底辺はまともに覚えることすらもままならない。
もちろん、一個ずつ丁寧に教えれば理解するかもしれんが、それにいくら時間かける必要がある?誰がやるの?そして底辺全員にできるの?これらの問題を全て解決できますかと言われたら無理でしょう。
無料でセックスしまくってる男もいるのに何で俺は金払ってセックスしなきゃいけないんだよ
と思ってたけど、そういう男は身だしなみ整えたり勉強したり筋トレしたり
金や時間をかけて女と付き合うためのアレコレを揃えているわけだから別に無料というわけでもないか
と思ったのでソープランドに行くことにした。
これから女の子に会うんだから身だしなみはしっかりしなきゃと思って色々整えたりした。俺にも女の子にいいとこ見せたいっていう感情あったのかと驚いた。
中高一貫の男子校で勉強できないのを馬鹿にされてもやる気が起きず、名前だけ有名な大学に進学したんだが
もし、学校に女の子がいたらもう少し頑張ってたかもなとか妄想した。異性の目って大事なのではないか。
そんなわけでソープランドで4万も払って裸見せてもらった。若くてかわいい女の子だった。
女の子の体って柔らかくて弾力があってすごいな。スベスベだったし。
中々出なくて焦ったけどちゃんと出せてよかった。いつか好きな人とコンドームつけないでやりたいなぁ。
潮吹きなのかお漏らしなのか分らないんだけどマンコをいじってたら突然「ブシャー」って温かいのが出てきてびっくりした。2回戦やってる時も出てきた。
キスいっぱいしてくれたけどあんまり上手くできなかった。チュゥ♡とかチュッ♡って感じのキスは好きだったけど舌絡めてくる奴はナメクジに襲われてるみたいで微妙だった。
唾液は美味しいと聞いたことがあるけどうがい薬のミント味がしたので美味しくなかった。好きな人のは美味しいのかな。
でもすごい優しくサービスしてくれてうれしかったな。究極の接客業なのではないか。精神大丈夫なんだろうか。
でも夜お風呂入るときに自分のチンコみて「今日これが女のマンコの中に入ったんだ・・・」と改めて感動した。
他にも風俗ないかなと思ってしらべてたらオナクラとかいうのがあって見てみたら
唾液500円・・・ほっぺにキスで1000円・・・すごいと思った。
若くてかわいい女は唾液垂らすだけで500円なのか。すごすぎる。神か?
ありふれた話だけど、自分の顔が嫌いだ。
久しぶりに自分の顔が憎くてたまらない波が来たので、感情を小さくするために、自分の中の顔に対する思いの変遷をまとめてみた。
今となっては愚かすぎて笑っちゃうんだけど、小学生の時は自分のことを絶世の美少女だと思っていた。親に溺愛されて育ったのと、親戚にも地域にも小さい子が少なかったので、褒められる機会が多かったせいである。
しかも捻くれたことに、(自分は美人だからおしゃれなんかしなくても充分だ)と思っていて、おしゃれに目覚めて盛り上がる女子たちを小馬鹿にしていた。
その考え方はやがて女子=愚か、という結論にたどり着く。小学校高学年の頃は、男子と混ざって馬鹿な下ネタを言う自分が格好いいと思っていた。そして、体つきの変化を隠すためぶかぶかの服ばかり着ていた。つまり、小学生にして名誉男性思想を獲得していたのだ。我ながら最低だと思う。
しかし、中学生になって分別が出てくると、さすがに自分の顔が美しくはないことに気づき出し、その反動で自分の顔も体もとことん嫌いになってしまった。
毎日マスクをつけ、夏でも長袖チェックシャツに太めジーンズで、前髪を伸ばし、制服のスカート丈も靴下すれすれまで長くしていた。服屋なんて鬼門中の疑問で、滞在時間を最小にするために絶対試着をしなかったから、ジーンズの裾をいつも何重にも折り返していた。
写真にはとことん写らないようにしていたため、冗談抜きで中高の写真は高校の卒業アルバムの個人写真1枚のみである。(中学の卒業アルバムは、受け取った瞬間自分の写真を切り取ったせいで親と大喧嘩になり、貰った翌日にはもう捨てしまった。)
その頃の私が一番恐れていたのは、周囲の人に(あいつ不細工のくせにオシャレしてて、身の程知らずだな)と思われる事だった。自分の体を隠し、不細工の自覚をアピールすることに必死だったのだ。
ただ一つ恵まれていたことは、私の母校は穏やかな私立の中高一貫女子校で、私がゼロ年代の男オタクみたいな服装だろうと、毎日毎日「私不細工だから〜」というフォロー待ち感満載の発言をしようと、派手な子から地味な子までみんなフレンドリーに接してくれたことだ。(というか派手な子地味な子普通の子、みたいなヒエラルキーすらほとんど無かった。)中高時代の私が私が醜形恐怖症にならなかったのは、間違いなく同級生のおかげである。
自己嫌悪と同じくらい自己愛が強い私は、共学の大学に入学すると、オシャレへの拒否感との板挟みに苦しみながらも必死に自分磨きをした。
詳細は省くが、努力の結果、ゼロ年代のオタクから垢抜けない女子大生くらいにはアップデートできていたと思う。(ちなみに、アラサーの今までついぞ垢抜けることはできていない。)
しかし、顔だけでなく性格も悪く、社交性もほとんどないので、多少見た目が改善されても全くモテなかった。女子校時代とは比べ物にならないくらいの恋愛至上主義の中で、数年にわたって誰からも好かれないということは異常事態である。特に文系大学生にとって、彼氏ができたことがないといのは、ほとんど社会不適合者のお墨付きをもらったようなものだ。当たり前のことが当たり前にできず、みんなやすやすと飛び越えたハードルの前でいつまでも立ち尽くしている気分だった。
このモテなさを改善するには、性格をよくする努力をしたり、社交性を磨いたりするのが正しい道だとわかっている。しかし、他人と話したりポジティブな振る舞い(人を褒めるなど)をしたりすると、必ず不細工な自分が不細工な笑みを浮かべながら必死に媚びへつらっているイメージが頭をよぎっていたたまれなくなる。そして何もできなくなってしまうのだ。
大学時代を経て、顔へのコンプレックスが、容姿も含めた自分という人間全体へのコンプレックスに変わったように思う。小学校時代は明るいお調子者だった自分が根暗に変わってしまったのは間違いなく顔へのコンプレックスのせいなので、顔と性格の間に負の連鎖が生まれてしまったのだ。
その負の連鎖は今でも続いている。自分の行動がうまくいかないと、その事だけでなく自分全体を憎んでしまい、最も慣れ親しんだ顔への憎しみに帰結するのだ。仕事で失敗すると、トイレの鏡に映る自分の顔の醜さに絶望する。ちょっとした不幸(通販で失敗するとか)があると、何時間も鏡を見て、自分の顔のレベルをいつまでも考え込む。あまり他人に顔を見られたくないので、いまだに人の目を見て話せない。それどころか、不細工が調子に乗っていると思われたくないので、気持ちを奮い立たせないと自分から人に話しかけられない。
この増田を書いているのも、見知らぬ誰かに、自分は不細工の自覚があることをアピールしたいからなのかもしれない。やっぱり自分は醜形恐怖症なのかなとも思うけど、顔がいい人が醜形恐怖症になりやすいっていうのを聞くと、もう醜形恐怖症を疑うことすら調子に乗っていると思われそうで怖い。周囲の人は着々とライフステージを進めているのに、こんな思春期半ばみたいなことで悩んでいる自分の幼稚さも嫌いだ。
自分の感情を小さくするために書き出したのに、結局変に興奮してしまった。でも、朝起きてこの文章を見返せば少しは冷静になるかもしれない。明日は少々自分の醜さに折り合いをつけられる気持ちになっているといいな。
小学生の頃までは、「○○ちゃんち、綺麗〜!」と友達に言われて、「まあうちのお母さん綺麗好きだからな」と思ってた。
違う。そういうことではなかったのだ。でも全然気づかず、「母親が綺麗好きだから家が褒められる」とまじで信じきっていた。
中学は金持ち私立に入れられて、周りの方が全然金持ちだったので、特に何も思わず育った。
周りは、「車は9台持ち」とか「家にカラオケ室がある」とか「廊下でバスケットボールができる」とかそういう環境。中高一貫で、親が金持ちすぎるので、就職せずに高卒になるという同級生もいた。だから「羨ましい」「庶民は肩身が狭い」と思っていた。
高校生の時点で小遣いは月に3万もらってたが、そんなもんなんだろうな〜と思ってた。
そんな感じで親がそこそこ金を持ってるということをあんまり意識せず育つ。
最近になって「わりと裕福な家庭で育ててもらったんだなぁ」とやっと気づいてきた。
ハテナで「奨学金を借りてる苦学生」の話とか聞くと、すごく偉いと思うのだが、未だに、なにか実感がない。
前に増田で軽く家庭の話をした時に「そんなのホンモノの金持ちじゃない」という反応と、「実感が太い奴はクソ」みたいな両極端な反応をもらった。それが年収2000万なんだろうな〜と思う。
小学生の時に下半身裸の変質者にあった。逃げたら刃物片手に追いかけてきた。
中学生の時には強姦されかけた。女友達と行ったカラオケで、ドリンクバーに一人で行くと声をかけられて付き纏われた。そのまま部屋に押し込まれた。
中高一貫の女子校で、電車とバス通学だった。電車に乗ると一週間に一度はかならず痴漢にあった。はじめて痴漢に会った時、必死で抵抗した。やめてくださいと言った。他の乗客と何人か目が合った。誰も助けてくれなかった。男の人のポケットにカッターナイフが入っていた。
小学生の時のトラウマもあり、殺されるのではないかと思い、追いかけて腕を掴んだりする勇気は出なかった。黙って耐えた。
酷い時には指を何本も突っ込まれたこともある。当然男性経験はない。急いで電車から降りると下着が赤かった。泣いて、家に帰った。
当時から、今でも魘されて起きる。何度も手首を切ったり飛び降りかけたり自殺未遂をした。死ねなかった。
親か心配して連れていってくれた精神科では、思春期で不安定なんでしょうと言われた。
ワンピースを着なくなった、ショートパンツとスカートを履かなくなった。真夏でも長袖を着た。
高校に入ってからはもっと痴漢されるのが頻繁になった。ウエストにベルトが着いたワンピースの制服だったのだが、胸が発育するにつれて目立つようになった。電車の中でも、外でも、男の人にジロジロ見られた。
怖かった。新幹線や在来線の快速、新快速で窓側に座ったら通路側の男の人に太ももを触られた。胸を揉まれた。やめてください、と言っても続けてくる人には諦めるようになった。次の駅までの数分、耐えるだけだった。決してOKしたとか、そういうのじゃない。中高生の六年間で心が死んだのだ。
高校二年生のときはじめて彼氏が出来た。キスをして、肩を抱かれた。電車の中で会った男の人たちを思い出し、気持ち悪くて吐きそうだった。
TwitterでOK娘という存在を知った。痴漢冤罪についてもはじめて知った。冤罪以外の痴漢が存在しないと思っている人が凄く多くて、心が辛かった。
はじめて男の人に抱かれた時、血が出なかった。わかっていた事実だけれど、苦しかった。痴漢で脱処女する女の子だっているんだな、私のことだけど。
たまに痴漢の話題になる。痴漢をされたことある子、かなり居る。冤罪なんて、Twitter以外で見た事がない。
でも、そうじゃない被害者の女の子たちも確かにいる。刃物をチラつかせながら知らない人に身体をまさぐられるって想像してみて欲しい。自分の娘がそうだったらどうですか?
彼氏とのデートに向かう途中にも痴漢にあったことがある。抵抗したし、電車からおりるとすぐ彼氏に泣きながら電話をした。抵抗しないお前が悪い、汚い、と言われた。辛かった。そのわりに、その日セックスを誘われた。痴漢されて感じた?なんて聞かれた。天井を見るだけで言葉は出なかった。心が二回死んだ音が聞こえた。
あと三年で就職だけれど、電車に乗りたくない。だから就職先近くに引っ越さなきゃいけない。
未だに腕の傷は消えないし、魘されて眠れない。
痴漢です!と叫んで追いかけて、その人が捕まったとしても、冤罪だと言われたら無罪なんですか?さわさわと足を撫でられても指を入れられても胸をタッチされても無罪なんですか?
怖い
男の人が本当に怖い。
東大京大とMARCH以下の世界が違うように、首都圏出身と地方出身では世界が違う。
地方出身者からすると、早慶であっても東京の私立大学進学するのはかなり裕福な家庭に限られる。(家出みたいな感じで上京しちゃう人は別)
一方で、首都圏出身者にとっては、地帝に行くよりもMARCHを選ぶ人がかなりいる。私立の学費も負担に感じない。そういう層がマジョリティなのだ(少なくとも親も大卒で大学進学が当たり前の階層にとっては)
日本人の実数では多いかもしれないが、首都圏出身者にとっては実感がわかない。
東京出身だと勉強が好きな人は中高一貫国私立から普通に難なく東大入るし、勉強がそれほど好きじゃないけど大学進学が当たり前の人は入れる大学に入る。勉強できるのも東大もそこまで偉いと思われてるわけじゃない。
増田が東大でどれくらいのポジションにいるか知らんが、研究者になれる器(たぶん25%くらい)じゃないなら民間就職するんだから、東大のアドバンテージは地方出身のディスアドバンテージと相殺されると思っていた方がいい。
自分も進学校の中高一貫でずっと勉強せず高3まで赤点常連で高校受験してないから中学レベルのことすらわからない状態だったから(大学はマーチ止まりだけど)共感するところがあって書くんだけど、
とにかくどうすれば勉強出来るか(大学に入れるか)を考えてみるといいんじゃないかな。
学者云々は大学入ってから考えていい。ある程度の偏差値の大学に入れば職業の選択肢が広がるからその時の状況に応じて選べばいい。
将来何々したいとかそんな大層なのはなくてもいい、自分が自習机に向かってスマホ見ずにとにかく勉強出来る、自分を追い込むような状態に持ってける動機が必要だと思う。
陳腐だけど、ドラゴン桜みたいなマンガとか受験系の啓発本とか読んで、大学入らないと、勉強しないとヤバいという雰囲気に自分を持っていくとか、
周りの級友と自分を比べて、あいつらに負けたくない、自分も同じところに行きたいとか、そんなクソみたいなプライドでもなんでも使ってとにかくやる気を出す方法を探すべきだよ。それで自分が机に向かえれば理由はどうだっていいんだから。
勉強しないといけないっていう動機(追い込み)が出来たら、自分にあった勉強方法と参考書で勉強することが必要なんだけど、
受験系の本とか、暗記法の本を立ち読みするとかして、自分にあってそうな勉強方法が書いてある本買って実践する。
参考書は評判を確認してから、立ち読みして良さげなやつを買って一冊やりきる。中学レベルが出来てないと思ったら、めちゃくちゃ簡単な参考書をやりきる。例えば、数学だと和田秀樹さんがチャートなんかより死ぬほどわかりやすい和田式センター数学って参考書出してた。
俺は幼い頃から自己主張が下手くそで、他人に歯向かうことができない内向的な性格だった。
まあ、そういう性格だったからか、案の定イジメの標的にされて、同級生からよく馬鹿にされていた。
俺が何も言い返さんから、コイツにだったら何を言っても大丈夫と思われていたんだろうな。
小学生の高学年の頃だったか、なぜか知らんけど、同級生からイタズラをされた拍子に面白いリアクションを取ってみようと思い立った。
どうしてだろうなー。イジメの標的にされているという構図を変えたかったのかもしれない。
その間に消しカス(というかほとんど消しゴムだなw)を鼻にいっぱい詰め込んで後ろを振り返ってみたら、まーそれが大層ウケた。
それから「面白い奴」と認識されるようになって、クラスの人気者グループの輪の中にも入れてもらえるようになった。
そのときの俺は、面白いことをやると、クラスのDQNたちが腹を抱えて笑ってくれたり、時には俺の言うことにも素直に従ってくれるようになったのが嬉しくてたまらなかった。
関西地方だったから、「面白い奴が偉い」という風潮もどこかにあって、俺は「面白い奴」をどんどん演じるようになっていった。
俺は私立の中高一貫の学校に進学したんだけど、そこでも面白い奴を演じていると「調子に乗ってる奴」「変な奴」と認識されるようになって、ここでもイジメられるようになった。
別に面白い奴でも何でもなくて、中身はただの陰キャだからね。そういうところも透けて見えたんだろうな。
「リアクションが面白いからちょっと弄ってやろう」とかじゃない。「こいつムカつくからイジメてやろう」だった。
年頃の中坊がやることだからイジメも結構激しくて、あいつら、通学カバンや制服をビリビリに破いたり、首を思い切り締めて落としてきたりしやがる。
財布から金を抜き取られることなんて日常茶飯事だったし、心臓を抉るような暴言や罵倒なんて毎日のように浴びた。
それでも、何か面白いリアクションを取らなきゃと思っていたんだからもう病気だよね。演技性パーソナリティ障害とかいうやつかな。
この頃、唯一仲良くしていた友人も決して対等関係なんかじゃなくて、俺がピエロを演じていたからこそ維持できていたような関係性の奴だった。
そんなことをずーっと続けているうちに、俺の精神状態はズタボロになっていたらしく、大学1回生の頃にうつ病と診断された。
そのとき、俺を担当してくださっていたお医者さんがかなり勘の鋭い人で、「ピエロを演じるのはやめなさい」と初めて言ってくれた。
情けない話だけど、そのときやっと俺は自分が無理をしていたということに気が付くことができた。
それから約10年間、俺はうつ病の治療をしながら、ありのままの自分を認めようと努力を続けた。
ピエロを演じなくても済むように。自分に嘘をつかなくても済むように。自分を傷つけなくても済むように。
その甲斐もあってか、今となってはピエロを演じることはなくなったし、うつ病もほぼ克服した。
今から振り返ると、他人のご機嫌を取るために自分を犠牲にするなんて、本当に馬鹿なことをやっていたなと思う。
やっと人間らしさを取り戻すことができたというべきか。
ただ、その一方で、人間関係に途方もない虚しさを感じるようになった。
あの頃の友人の中には、30を過ぎても未だに子どものような精神年齢の奴もいて、
久しぶりに会ったときに、そいつから度を超えた悪ふざけをされたので、
自分でも驚くほど感情的な態度で対応したことが、ここ最近2回ほどあった。
友人間でも最低限の礼儀は必要だという当たり前のことを態度で示しただけだ。
だけど、そいつから突き付けられた答えは「友人関係を切る」だった。
そいつからしたら、俺が反抗的な態度をとったことが心底気に入らなかったんだろう。
そんなこと知ったこっちゃないし、それで友人関係が終わるんだったら仕方ない。
俺もそいつとの関係性を修復したいとも思わんし、何の後腐れもない。
ただ、その一方で、「人間なんて、多かれ少なかれ、こいつとそれほど大差ない」という虚しさを覚えるようになった。
思えば、俺に近づいてきた奴は、「こいつだったらイジメられる」と思ってたような奴ばっかりで、
俺がピエロを演じていたから付き合っていただけで、素の自分を出した途端に離れていくようなクソ野郎だろ?という目でしか見れない。