はてなキーワード: 一刀両断とは
「アスタリスクが私にとってのロック」でしょ。超ストレートな肯定じゃん。
でもそれを増田は「だりーの本心じゃない」とか「それは精神的なロックの話で」とか言い訳する。
なんでストレートに受け取らないの?って訊いてるんだけど。
「アスタリスクが私にとってのロック」というのは「自分がロックだと思ったらそれがロック」とセットになってるわけだ
アスタリスクの全てを肯定するものではない、アスタリスクで音楽性やスタイル備わったロックができると肯定しているわけじゃない
そして繰り返すけど
だりーなが、ギターが上手くなって、アスタリスクで、音楽性やスタイルが備わったロックをやればいいと思っている描写は?
だりーながやりたい音楽性やスタイルが備わったロックと、アスタリスクのギャップに悩んでる描写はあっても
だりーながアスタリスクで音楽性やスタイルが備わったロックをやれると思っている描写がないのだから
「自分がロックだと思ったらそれがロック、アスタリスクが私にとってのロック」宣言は
「アスタリスクでは音楽性やスタイル備わったロックはできないが、自分がロックだと思うロック」だと読むのが妥当
にかかるからこそ、「人の気持ち(=だりーなの心情)を勝手に決めるな」だし、「みくちゃんとユニットを組むのは…」につながるんでしょ。
「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」
この察しが間違っている、みくが決めつけたものだということは
だりーなは、ロックに本気じゃなくて、本格的にロックをやりたいわけじゃないってなるんだけど
「いやアスタリスクはロックだ!」の「いや」はどこから出てきたの
そもそもみくはアスタリスクはロックじゃないと言ってるわけじゃなくて、アスタリスクはロックだけじゃないって言ってる
「アスタリスクはロックだけじゃない」に対して「自分がロックだと思ったらそれがロック、アスタリスクが私にとってのロック」と答えてるんだから
「アスタリスクはロックだけじゃないが、アスタリスクは自分がロックだと思うロック」と読むのが妥当
具体的にどこで?
みくと増田の中では「本格的にロックをやる」と「アスタリスクをやめて夏樹ちゃんみたいなユニットを目指す」が分かちがたく結びついていて、
「ロックに本気だから本当はアスタリスクをやめたいに違いない!」と思い込んでいるんだけど、
だりーにとっては「本気でロックをやる=アスタリスクでロックをやる」なんだから、みくや増田の言うことは「勝手な決め付け」なんだよ。
だりーにとっては「本気でロックをやる=アスタリスクでロックをやる」なんだから、みくや増田の言うことは「勝手な決め付け」なんだよ。
つまり
「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」
これが勝手な決めつけだと言うわけだ
「アスタリスクが私にとってのロック」でしょ。超ストレートな肯定じゃん。
でもそれを増田は「だりーの本心じゃない」とか「それは精神的なロックの話で」とか言い訳する。
なんでストレートに受け取らないの?って訊いてるんだけど。
だりーなが迷わないよに、このユニットでよかったと思えるように、みくが主体的に活動して、だりーなの気持ちを動かすと読める。
無理やりすぎるよ…
みくだってわかってるよ。李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって。だったら本当はみくなんかより…
にかかるからこそ、「人の気持ち(=だりーなの心情)を勝手に決めるな」だし、「みくちゃんとユニットを組むのは…」につながるんでしょ。
「みくなんかより」→「みくちゃんとユニットを組むのは」で完全に対応してるじゃん。
その「察し」が間違ってるから「勝手に決めるな」と言うんじゃん。
みく「アスタリスクはロックじゃないでしょ」→だりー「いやアスタリスクはロックだ!」と解釈するのが素直な読みでしょ。
明らかにロックの定義を「自分がロックだと思っている」というところだけに求めていて、
「音楽性やスタイルでは夏樹ちゃんのユニットみたいなのが本来のロックだけど」なんてエクスキューズは含まれていない。
というか、みくが「音楽性やスタイル」に拘泥しているのを一刀両断している。
「夏樹ちゃんのユニットは確かにロックだけど私はああいう風になるのを諦めてアスタリスクを選ぶから」と解釈するのは無理筋。
「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」
この台詞をどう読むの
みくと増田の中では「本格的にロックをやる」と「アスタリスクをやめて夏樹ちゃんみたいなユニットを目指す」が分かちがたく結びついていて、
「ロックに本気だから本当はアスタリスクをやめたいに違いない!」と思い込んでいるんだけど、
だりーにとっては「本気でロックをやる=アスタリスクでロックをやる」なんだから、みくや増田の言うことは「勝手な決め付け」なんだよ。
始めに、この文章は「元少年A」や『絶歌』に対する世間の大多数と反応と「真逆の主張」であることを先に示しておく。
馬鹿じゃねえの。
この中川淳一郎っていう奴の『絶歌』の書評( http://biz-journal.jp/2015/06/post_10431.html )を読んで、正直こう思った。
ハッキリ言うけど、お前に元少年Aや太田出版を外道だなんて糾弾する資格なんてないだろ。正義ぶって身勝手な書評を書く前に、我が身を反省してみたらどうなんだ。
おそらく、中川淳一郎はこう思ってるんだろうな。
「元少年A」は叩かれて当然の「極悪人」で、それを一刀両断している中川淳一郎は「正義の告発者」だからな。
世間の感情と同調している中川淳一郎はきっと、どれだけ「元少年A」を扱き下ろしても大丈夫だと、そう思っているんだろう。
フザけんな。
非難してやる。ネット上の他の全員がお前の書評を褒めちぎっても、俺だけは非難してやる。
元少年Aを「外道」だと罵るお前の方がよっぽど「外道」だと、この場で主張してやる。
俺が最も中川淳一郎の書評で怒りが沸いた部分は、元少年Aが「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問いに対して答えた箇所に、コイツが吐いた感想だ。
一応、元少年Aの言葉を引用しておく。前述の問いに対して、元少年Aはこう答えた。
(引用)
『「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」』(註:原文では「あなた自身が」の部分に傍点あり)
で、これについて、中川淳一郎はこんな風に言っている。
(引用)
あぁ、何もわかっていない……。どうしてこうも自分本位なのか。「あなた自身が苦しむから殺人はいけない」と言い、まるで自分が悲劇の主人公かのように「重い十字架」というエセ文学的表現を使う。人を殺してはいけない理由は、これである。
「誰もが他人の人権を蹂躙することはできないから」 「殺された人に近しい人が悲しむから」
酒鬼薔薇は被害者とその遺族よりも、自分自身(加害者)の側の論理でいまだに語っている。そしてこれがやっと見つけた唯一の答えとは、非常識かつ幼稚もはなはだしい。
ハッキリ言って、頭にきた。
何も分かってないのはお前の方だろう?
人の「本気の思い」をこんな風に平然と踏みにじる、お前の方がよっぽど外道だ。
確かに、元少年Aの答えは自分本位だよ。凶悪な殺人を犯したくせに、いまだに自意識の中でしかその理由を語れてない非常識で幼稚な答えかもしれない。
だけどな、ここにあるのは『本気の思い』だよ。事件の後の全人生を通じて、元少年Aが自分の頭で考えて言葉にした「人殺しをしてはいけない」ことへの『本気の思い』だ。
どれだけ自分本位で幼稚でも、本人があの事件を起こした後に見つけてきた『自分の答え』だ。
それを、お前は踏みにじった。
「あぁ、何も分かってない・・・・・・。」なんて、さも悲哀ぶった言い方で、お前は元少年Aの言葉から耳を塞いで、「自分の意見」で踏みにじったんだ。
「人殺しをしてはいけない」ことに、お前の考えや正義があるのは分かったよ。客観的に見れば、お前の考えの方に正当性があるんだろう。
でも、だからって踏みにじって良いわけじゃないだろ?
他人が自分の全人生をかけてたどり着いた『本気の答え』を、そんな風に無価値だと切り捨てて良い理由にはならないだろ? お前にとっては「何も分かってない」ような幼稚な意見でも、それが元少年Aにとっては「やっと見つけた正しさ」なんだぞ。
まあ、元少年Aの「答え」なんて、他人から見たらボロ布くらいの意味しかないのは分かってるよ。
ネット上の大多数、「元少年Aや『絶歌』に対する怒りを燃やす人々」はそれでもいいよ。
だけど、中川淳一郎。お前は違う。
お前は、婚約者を亡くしているんだろう?
正直、俺には信じられない。婚約者を鬱病の末の自殺で亡くしているにもかかわらず、あんな身勝手な書評を書くだなんて。
一応、読んでない人のために書く。
中川淳一郎の書評には、その昔、当時の婚約者が自殺で亡くなった件について書かれている。
そして、その際に本人が参考にしたのが『完全自殺マニュアル』・・・・・・『絶歌』の担当編集である落合美砂が、93年に世に送り出したベストセラーとのことだ。
これだけ書くと、まるで中川淳一郎が「『完全自殺マニュアル』のせいで婚約者が自殺した!」って主張してるみたいに誤解しそうだけど、そこまでは思っていないらしい。
ただ、その本が自殺した婚約者の本棚の中にあって、そこに書かれた「最も推奨されている方法」で自殺したという、それだけらしい。
中川淳一郎は言っている。「彼女が死んだのは鬱病のせいである。それは間違いない」と。
これは完全に憶測になるけれど、鬱病みたいな「心の病気」の最たる原因は「孤独」だ。
自分の抱えている問題を誰にも打ち明けられない、誰とも共有できない、そういう風に「一人でどうにかしなきゃ」という状況に追い込まれたときにこそ、「鬱病」みたいな精神病に人は陥る。
もちろん、実際にその婚約者が「孤独」だったかどうかは憶測の域を出ないけれども、誰にも相談できなかったことは間違いないだろう。
そうでなきゃ、『完全自殺マニュアル』なんて買うわけはないからな。
当たり前だけど、この本は自殺の「方法」を書いているだけであって、自殺を「推奨」しているわけではない。中川淳一郎も引用していたけれど、太田出版の紹介文ではこうなっている。
(引用)
「世紀末を生きる僕たちが最後に頼れるのは、生命保険会社でも、破綻している年金制度でもない。その気になればいつでも死ねるという安心感だ! 自殺の方法を克明に記し、さまざまな議論を呼んだ、聖書より役に立つ、言葉による自殺装置。」
この文章で注目すべき点は、二つ。
一つ目は、「世紀末を生きる僕たちが最後に頼れるのは」という部分。この箇所から、この本は「生きる僕ら」が「頼れる」ものを示したものであることが窺える。
二つ目は、「その気になればいつでも死ねるという安心感」という部分。この箇所から、あくまでこの本は「安心感」を提供するためのものであることが窺える。
以上の点から、この『完全自殺マニュアル』はあくまで「生きるための本」であることが分かる。具体的には「自殺という『逃げ道』を示したから、後は安心して生きればいい」という本だということだ。
イメージが掴みにくい人は、『完全自殺マニュアル』を「精神科医」に喩えてみてほしい。「『いつでも安心して、私を訪ねてきて下さい』そう患者に言ったら、二度と患者は訪ねてこなかった」一度くらいこういう話を聞いたことはあるだろう。要するに、「いつでも訪ねられる」という「安心感」が重要なのであって、実際にその選択肢を取るかはさほど重要ではというないのだ。その「安心感」を提供されただけで、患者の心の問題は半分くらい解決しているらしい。
おそらく、『完全自殺マニュアル』も、そういう「安心感」を提供することが目的の書籍なのだろう。事実、前書きや後書きの部分には「いざとなれば自殺してしまってもいいと思えば、苦しい日常も気楽に生きていける」旨が書かれているようだ(https://ja.wikipedia.org/wiki/完全自殺マニュアル)。
というわけで、この『完全自殺マニュアル』はそういう、精神科医的な「安心感」を提供する本だ。
そんなものが本棚にあったということは、そんな「安心感」に頼らなくてはならないほど、その婚約者は精神的に追い詰められていたのだろう。
普通ならば、『完全自殺マニュアル』は買って読まれた時点でその役割を全うする。
「いつでも死ねるという安心感」さえ提供してしまえば、いつでも精神科医に相談できる患者のように、「生きる日常」に帰って行けるからだ。
『完全自殺マニュアル』に書かれている方法を実行して、本当にこの世から「逃げ」てしまったからだ。
その婚約者がいつ亡くなったかは分からないが、おそらく『完全自殺マニュアル』を読んですぐというわけじゃないだろう。
一度読んで、一度「日常」に帰って、そこで何かしらアクションがあったのだと思う。
そして、そこで「上手く行かなかった」からこそ、まるで精神科医に再び相談しに行く患者のように、その婚約者は『完全自殺マニュアル』に頼ってしまったはずだ。
そして『完全自殺マニュアル』に頼ったことからも明らかなように、その婚約者も「誰にも相談できない」状況に陥っていたはずだ。
それが行き着くところまで行き着いて、自殺だ。
何が言いたいかっていうと、その婚約者の死因は「周囲の無理解」だということだ。
中川淳一郎本人が語っている、「(自殺の)予兆に気づけなかった」という話が象徴的だろう。「婚約者」という最も近しい立場の人間ですら、本人の抱えている「問題」に気がつけなかった。
婚約者の男が居てもこの世を去らなくちゃいけないほど、自殺したその女性は「分かられていなかった」のだろう。
以上のことから、俺が言いたいのはこうだ。
「他人の言葉に耳を塞ぐ」ってのは、こんな風に人を鬱病になるまで追い込んで自殺させることもあるってことだ。
それを中川淳一郎は、「予兆」に気がつけず婚約者を自殺させてしまったお前は、知ってるはずじゃないのか?
にもかかわらず、中川淳一郎はよくも平然とあんな風に「人の思い」を踏みにじれるものだ。
自分の婚約者を殺したかも知れない「人の話に耳を貸さない」ことを、あんな風に実行できるものだ。
元少年Aの「問いへの答え」へ呟いた感想もそうだし、『完全自殺マニュアル』の「大義名分」を語ったこともそうだ。
確かこんな風に勝手に決めつけてたな。
(引用)
「自殺する自由はある」 「苦しい時の選択肢として、自殺もあっていいのでは」 「命の大切さを伝えたい」
こういった大義名分は『完全自殺マニュアル』発刊にあたってはあったのだろう。
きちんと紹介文を読めば、この発言が的外れであることが第三者にも明らかだろう。
『完全自殺マニュアル』は、「生きるための安心感」を提供する本なんだよ。本当は自殺のためじゃない。
婚約者が亡くなった後、「本当に後追い自殺をするつもりになり、彼女が愛読した『完全自殺マニュアル』を再度読んだ」ときに目にした前書きと後書きに、ちゃんと書いてあったはずだろうが。
そういう態度にこそ自分の婚約者が殺されたかも知れないことに、どうして気がつかない?
元少年Aは外道だと、いまだに悲劇の主人公ぶる幼稚な男だと、中川淳一郎はそう言った。
だけど、ハッキリ言うぞ。
元少年Aの「なぜ人殺しはいけないか」っていう問いへの答えを、お前は「自分本位」だとか「非常識」だとか「幼稚」だとか非難するけどな、お前の書評だって全く同じだ。
『完全自殺マニュアル』や落合美砂への「自分本位」の勝手な決めつけ、記念パーティでの「非常識」で「幼稚」な不謹慎発言。これらは元少年Aの態度と何が違う?
「酒鬼薔薇は被害者とその遺族よりも、自分自身(加害者)の側の論理でいまだに語っている。」ってお前は非難するけどな、だったら自分はどうなんだ?
自分が婚約者の自殺の予兆に気がつけなかったのを棚に上げて、『完全自殺マニュアル』や落合美砂という「外的要因に」文句をつけるしかないお前の態度はどうなんだ?
「『完全自殺マニュアル』を参考に恋人に自殺された、可哀想な自分」を気取っているお前は、「いまだに『罪の十字架』に苦しんでいる、可哀想な自分」を演出している元少年Aと何が違う?
「悲劇の主人公ぶっている」のはむしろ、今のお前の方じゃないのか。
他人の言葉に一切耳を貸さない、身勝手な「自分本位さ」にまみれているお前の書評は、いまだに被害者遺族の心情に寄り添うことのできない元少年Aの「自分本位さ」と良い勝負だ。
ハッキリ言っておく。
中川淳一郎。そして、元少年Aや『絶歌』を叩きまくっているネット上の大多数の諸君。
お前らがやろうとしていることは、れっきとした人殺しだ。
『絶歌』という本人の言葉を封殺して、元少年Aの人格を否定して悦に浸るその行為は、間違いなく「一人の人間」を社会から抹殺しようとしている殺人行為だ。
かつて、どこかの誰かの婚約者を自殺に追いやった「他者への無理解」を、今度はお前たちがやってるんだ。
かつて、どこかの十四歳が、か弱い十一歳の少年を殺したようなことを、今度はお前たちがやってるんだ。
元少年Aのことをお前らは「殺人犯」だって言って罵るけどな、今ではお前らの方がよっぽど「元少年A」に見えるよ。
正直な話、『絶歌』なんていう「ポエム」を出版「しなくちゃいけない」くらい元少年Aを追い詰めたのは、俺たち社会の方だと思う。
本当にこの書籍の出版を憎んでるなら、こんなものを出さなくて大丈夫なくらい元少年Aを社会の方が受け入れてやれ。
これが、俺の精一杯だ。
昨日世話になってる女史への誕生日プレゼントを買うべく、同じくその女史に世話になってる友人と男2人で色々回ってたんだけど、愛用してるコスメブランドのものがいいんじゃないかということになって、そのブランドが入っているデパートに行ったんですね。
で、うだつの上がらない野郎二人が完全にアウェイな高級デパートに鎮座するきらびやかな化粧品フロアに足を踏み入れると、館内放送がこうなじってくるのです。
「へーい、ここは快適な生活シーンを創造するプロフェショナァルが集い、最先端のオシャレを求めるセレブ達へ提案する高級デパート。
おいそこ!そこの風俗崩れみたいなWエンジンのチャンカワイじゃない方と首を一刀両断しやすそうな一茂、お前らだよお前ら!
キミ達は田舎の養鶏場の横で売ってる鶏糞をそのまま塗りたくってパックしてた方お似合いさ。あ、発酵タイプの方が効果倍増だからね?」
そんな懐かしのおしゃれ大戦的なネタはともかく、場違いな2人がそこのコスメブランドのブースで悩んでいると、販売員の人が「プレゼント用ですか?」と声を掛けてきたので「そうなんですけど、どういうのがいいのかさっぱりわからなくて」と返答。
したら「その方がカード登録しているなら名前と誕生日がわかれば履歴からお調べ出来ますよ」って言うんですね。
ここの段階で若干ん?と思ったんだけど、伝えたところカウンターにあるノートで打ち込んで検索、おそらく一致する人が出たようで電話番号の下4桁を聞かれて携帯番号の下4桁を伝えるも不一致、おそらく自宅の固定番号を登録してるようで思いっきりその4桁を口頭で言うわけです。
とりあえず「○○区だったら多分その人です」と伝えたら「○○区○○町ですね、○○歳の」と聞いてもいない町名と歳まで口頭で。
そして『履歴から見るとこれがオススメです』って買ったものは具体的に言わずアドバイスしてくれるのかと思ったら
「限定の○○色と○○をいついつお買い上げなされているので、こちらの色がオススメです」って購入品どころかいつ頃買ったかまで言ってて驚く。
確かに「前ここの~円の化粧水買ってた」と、女史と一緒に見に来たことがあるという具体的な話もしてたり(ちゃんとその商品もあって、値段も合ってる)誕生日用ってことで最初伝えてて調べたら本当に誕生日が近かったり、男1人ならともかく2人で来店してお互いの話も一致してたから疑われなかったんだろうけど、悪意あるなら話なんかいくらでも作ったり盛ったり出来るし、こっちの身分も全く明かしてないのにそこまで言ってしまうのって相当危険なんじゃないかなあと。
後情報だけどこういうのアパレル業界でもよくあるらしく、実際彼女へのプレゼントと偽って個人情報ゲットしたのもいるとのことで。
客の趣向を共有化するのに色々手元で見れるようにはしてるんだろうけど、末端の店員が全情報にアクセスできるってのは怖いなあ。
コスメ業界上位なとこがそうなんだから、アパレル含めそんなのは当たり前なのかもしれないけども。
こっち(IT関連)の業界だと管理してる個人情報そんな感じで喋ってたら懲戒レベルだし、そもそも末端じゃアクセスすら出来ないのにね。
十年前からネットに詳しかったであろうのに、今更「武田邦彦がデマばかりで」云々と噴き上がっている人たちを見ると、何を見てきたのかなあと思います。こういうことをする人だということが、2011年にはもう広く知れ渡っていませんでしたか?
ペットボトルのリサイクルは駄目という説に対する反論が目立たない理由
http://archive.wiredvision.co.jp/blog/fujikura/200804/200804041200.html
1と2の議論では、双方が主張する数値が違っている。武田さんは、「国のデータが信頼できない」から、「独自に計算」したデータを使っていると言う。しかし、環境省が実数を何倍もゴマかしているとはちょっと思えない。また、武田さんがPETボトルリサイクル推進協議会から引用したとする「再利用量」データは、「捏造」であるとデータ元とされた同協議会が指摘している。武田さんも協議会や環境省のデータが信じられないと主張するのならば、「独自」の計算の根拠を示すべきだが、見たことがない。
3の議論は、かなり前から武田さんが主張している。しかし、森口さんや安井さんが指摘するように、「お金が3倍かかるから、エネルギーも3倍かかる」という主張は理解できない。金額とエネルギー消費は必ずしも比例しない。グリーン車に乗るには普通車の2倍近いお金が必要だが、だからグリーン車での移動は普通車の2倍エネルギーを消費するとは言わない。リサイクルも同じ理屈である。人手を使って、分別収集すれば人件費がかかるのは当たり前だが、それによって化石燃料の消費が増えるわけではない。
武田さんの言説は一刀両断歯切れが良い。「駄目!」と言明する。しかも、リサイクルは良いという「常識」に挑戦している。だから、マスメディアにも受けるし、市民が受ける印象も強い。結局、多数の研究者の「学者っぽい」指摘よりも、武田さんの断言が勝ってしまう。
ちきりん女史の評判が悪い。
ここ2年ほどで、永らく切れ味の鋭いテキストで人気を博してきたブロガーの権威失墜が目につく。
いろいろ理由があるとおもうけれども、その一刀両断型のレトリックがあまりにもくりかえしつかわれたが故に
彼らが何をいっても「既視感」が醸成されてきたがゆえではなかろうか。
一度そういう感覚を得てしまうと、また同じ構造のテキストをみると「もうその手には乗らない」と身構えてしまうし反感も感じてしまうのだろう。
論客に対する信頼の担保になるのは、ロジカルな切れ味ではなく、最後には「テキストに倫理感が通底しているか」というところに尽きるとおもう。
倫理感がベースにない論客はもう賞味期限が切れたのだ。ひろゆき氏とか池田信夫とか(同列に扱うのはどうかと思うがイケダ某とか)
全国のトルシエ信者同志よ、今こそ声を上げるべきではないのか。オフト?あの当時のレベルをちゃんと教育できたってだけでしょ?岡ちゃん?二回とも想定外の代役でしょ?
いや別にトルシエもっぺん呼んで来いと言ってんじゃないの。あの時の真剣さ、ベンゲルに何度断られてもすがりついて、
そのベンゲルが推薦した人物を一に二もなく採用、どれだけマスコミにバッシングされても(一応)(ふらふらしながらも)守り通した、あの泥臭い精神を日本サッカー協会は思い出すべきなんじゃないのかってこと。
だってクライフとかにもオファーしてたんだよ昔は。バカだね。でも成り上がり新興中堅国がお利口さんでどうするの。我々は辺境の島国なんだよ。身の丈に合った手堅いチョイス、なんて上手く出来るほどの蓄積はないんだよ。
韓国みたいにせっかく神奇監督で金字塔打ち立てたのにまた自国人監督にこだわって、なけなしの自国英雄の名に泥を塗るのを繰り返してるよりはましだが、結果的にやってることはそう変わらない。(それにこっちには古英雄がそんなにいない)
2002年からこのかた日本サッカーの「地位」は一歩も進んでいない。そりゃ世界も進歩しているが、日本は遅れながらのたのた付いてきているだけだ。これが目指していた場所だったの?W杯自国開催(共催)できればもう終わった話なの?
中堅どころの監督なんて性格に問題なければたいていただの世渡り上手だ。メディアとは上手くやっていけても肝心の腕はそれなり。なら見どころのある問題児の方がいい。むしろ正確に難のある方が日本代表監督には向いている。
以前本田圭佑が「日本のストロングポイントはチームワーク」なんてことを言っていたが、もはやはっきりした。日本のウィークポイントはチームワーク。ザックやジーコのように「選手の自主性を尊重する」監督の下では日本代表は同じ症状に落ちいる。それは「エースの顔色を伺うサッカー」だ。ボールを持ったらまず本田を探す。「本田くんこれでいいかな?」というサッカー。ミスすれば「本田くんごめん!」というサッカー。今なら本田、昔は中田。
それを打開し秩序を打ち立てられるのがトルシエや岡ちゃんのような戦術主導の監督だ。エースと言えども戦術のためにはためらわず外す。(トルシエは中田を外すことまではできなかったが)
できればトルシエのように「俺が首領だ!」と主張するタイプがいい。そうすればサッカー選手に必要なお互いの対等意識が生まれる。
日本サッカー協会はトルシエで懲りたのかもしれないが、「日本の文化に理解のある外人」など選ぶべきではない。我々は厳しい勝負の世界で「和」を尊ぶことのできる民族ではない。気遣いと嫉妬と常識と僻みと気おくれと尊大と仲間意識と階級意識にがんじがらめになる民族である。
ゆとりちゃんは聞くなんてプライドが邪魔して…ってなるんだろうし、ゆとりじゃない自分は「聞いていいの!?ごめん、聞き方わかんない!どこまで聞いていいの?聞いていいって知らなかったからわかんない!教えて!」ってなってしまいます。
自分で考えられるところは自分で考えようとすると自分で考えてるより聞いてさっさとやったほうが効率いいだろって言われるし、ちょっとでも躓いたら聞こうとすればちょっとは自分で考えろって言われるし
それでも教えてくれる上司は優しいと思うし、仕事が遅れたら尻叩いてくれるなんて親切だなあ……って思います。
学生時代はわからないところを教授に聞きに行くと「なんでこんなのもわからないの? 授業の内容でこれが理解できないようならこの学校向いてないってことなんじゃないかな^^」と一刀両断でした。
いや勉強教えるのがあなたの仕事では……「君に熱心に教えたからって言って給料上がらないし。他の子はほっといても理解してくれるよ?」
卒研もほったらかしでした。「尻とか叩いてくれないんですか?」「僕になんの得があるの? サボってダブったら君の問題じゃない」
なにやら風評被害というものが、一部の扇動者の空虚な妄想による破壊行為であるかのような論調が目立つ。
かくなる無知蒙昧は、科学的真実の剣にて一刀両断できると信じているのだろうか。
政府の出した復興予算には、風評被害への補償がきちんと組まれている。
かく言う俺もその一人。
そして、厳然たる事実として、さっぱり売れない。
多くの人は、ある程度わかっているんだろう。その食品はきちんとした検査を経て、ある程度の安全が担保されたものであることを。
しかし、好んで買おうとは、思わない。
なんだか気持ちが悪いから。
福島産の野菜を好んで買う人であっても、チェルノブイリ産の大根も、スリーマイル産のアジフライも、好んで買うような酔狂な人はいないでしょう。
もう世界のマーケットでは、福島県の産品は、殆ど全て競争力が無い。
それは日本国内においても、そうなんだろうし、人々にその記憶がある限り、それはずっと続く。
それが風評被害であり、それらは(その人の信じたい)科学的なデータの裏付けを以ってしても、それを解決することはできない。
俺は原発に対する賛否を問われるならば、安い方がいいんじゃないのか、ぐらいの考えでしかない。
これはあまり意味のあるデータでは無いかもしれないが、一説には、原発一基あたり2千年に一度の確率で、重大事故が起こるらしい。
数百万年に一度とする(電力会社による)データもあれば、300年に一度とする(民間損保会社)データもあるが、概ね二千年に一度と見ていいだろう。
日本に50基ほどあるわけだから、40年に一度の確率で原子の釜が割れるというペースになり、現時点ではそれほど大きな乖離はない。
現在、化石燃料による発電で、燃料費が年間3.6兆円ほど費用が嵩んでいる。
対して、原発事故の処理には、その試算にもよるが、現在までに12兆円、以後廃炉までの数十年の間に年2兆円ぐらいが費やされるという。
今回のフェーズが終わった後の40年のサイクルで見た場合の、単純な損金の比較では、五十歩百歩といったところだろうか。
無論、今後、原発の技術が進み、放射能汚染の浄化技術も効率化することだろう。
また、化石燃料に依存していては、二酸化炭素削減の国際社会の趨勢に伴い、立場が危うくなることも予想される。
そして最も大事なのが、日本のエネルギーを海外からの輸入に依存するとなれば、戦略上非常によろしくない。
それら国家戦略上の潜在的なリスクは、お金に簡単に換算できるものではない。
当然、原発を存続させる事によるリスクは現在進行形で進んでおり、それは一々挙げ連ねることが億劫なほど大量にして雑多な、今現在向き合っている問題であり、今後さらなる問題が噴出するんだろう。
『美味しんぼ』という漫画の内容に、批判を越えた糾弾と言えるような声を上げる方が多いようです。一部は研究者や医療関係者のようですが、彼らの『科学的』にあり得ないという論を元に一般の方や政治家も糾弾しているようです。
根拠の無いデマを広げる無知蒙昧な人間を、正義感をもって成敗しようとしているように見えます。そこで自明のように語られる科学的知見とは何でしょうか。
管理された実験室での放射線と、無秩序に飛散した複数の放射性物質の影響を同列に扱えるはずもありません。従来の原発事故や大昔の原爆の調査の知見は、規模や内容が違いすぎて十分とは言えないのです。
ある方は粘膜への影響が『噴飯もの』と表現されていました。ごく微細な放射性物質の粘膜への付着による影響などどれほど研究されていたのでしょうか?ましてや人体への影響などそもそも実験が不可能です。また『放射線は量の問題です』と単純化することで、実際には距離と時間と種類によって変わる事が見えにくくなります。
以前一部の方々はプルトニウムの飛散などは物理的に絶対にあり得ないと一笑に付されていましたね。しかし現実には飛散していました。机上の想定を越える事実が本当に多いのです。
そもそも微細な放射性物質の飛散の影響は十分な知見が得られていない上に影響が小さいですので、個人差が大きい事が予想されるのです。タバコを吸っても長寿な人がいるのと同様です。生死や遺伝など重大な影響の可能性は極めて低いでしょう。しかしそれだけに軽視されがちなのです。
私は漫画の内容の正否をここで述べたい訳ではありません。問題なのは噴飯ものと一笑に付し、問題提起する者を糾弾する事が『科学的な姿勢』であるかのように振る舞う事です。
そのような事例は過去の公害事件を例に出すまでもなく何度も繰り返してきました。目の前に症例がありながら偶然・精神的問題・虚言などとし調査を怠りました。このような問題提起を口にする事すら糾弾されるのであれば、一体誰が調査研究できるのでしょうか?
私たちは微細な放射性物質による健康への影響について一刀両断できるほどの知見を得ていないのです。人体はあまりに複雑です。致死率やガン発生率以外の、一見して分かりにくい健康上の問題は動物実験では発見が難しいのです。まして人体での実験は不可能です。
それを簡単にアウトだセーフだの言えるはずがありません。根拠など簡単に分からないのです。それを探求する事が科学的姿勢なのですから。本件を健全な批判ではなく、ことさら糾弾するのは科学的姿勢とはいえません。それは科学的な姿勢とは正反対の、ある種のイデオロギーに縛られた姿勢だと思います。
※私は関係者でも何者でもありませんが、現在の状況を考えると実名では生活に支障をきたす可能性があり匿名での投稿としました。
話の着眼点が面白く、はてな向きなんじゃないかと思う友人がいて、
せっかくだからはてなブログ始めてみたら、もしくははてなブックマークだけでも。と薦めたい。
それで、はてなを知らない友人に、はてなについて説明しようと以下の文章を書き始めたところ、
(ダークサイドだけに目がいって、薦めた自分が誤解されたらどうしよう)
という懸念が出てきて、はてな独自の雰囲気や用語、注意点なども教えたいと思うに至り、
おすすめ記事や注意点などがあれば、ブコメやトラックバックで是非お願いします。
後は「はてなってこんな感じ」ってところを友人にみせたいです。
ブログ、ブックマーク、人力検索、キーワードなどのサービスがある。
はてなの主力サービス、略して「はてブ」。ブックマークは「ブクマ」、ブックマークコメントは「ブコメ」。詳しくは下記URL参照。
■はてなブックマークって?
http://b.hatena.ne.jp/guide?via=201004
■年間ランキング
http://hatenanews.com/articles/201312/17870
※さらに「はてなスター」って★マークつけることで「いいね!」みたいな評価ができる。
http://www.hatena.ne.jp/help/star/guide
はてなのブログサービス、こっちは「はてブ」と略すのは間違い。ここでブログを書くと、はてブが付きやすい。
●ブログじゃなくて単発的に発言したいなら「はてな匿名ダイアリー」。
英語で「AnonymousDiary(アノニマスダイアリー)」だから「増田」、文章書いた人のことも「増田」と呼ぶ。
※ややこしいことをいうと「はてなダイアリー」というのもあって、こちらが先で、「はてなブログ」が後発だけど今は主流。
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20121220/1355975719
http://anond.hatelabo.jp/20130515153030
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20111030/p1
村上春樹の「好き」「嫌い」はどこで分かれるのか? に関する一考察
http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2013/11/02/111443
http://d.hatena.ne.jp/ikkou2otosata0/20140225/1393324125
http://anond.hatelabo.jp/20131221214901
…(補足募集)
※個人的に、考察、日常生活、くだらないのに文章力がすごい、系が好き。
ネットを一刀両断してきた中川淳一郎さんに、はてなのダメなところや好きなところを訊いたところ、バカが足りないと言われました
http://blog.hatenablog.com/entry/2013/12/06/141554
http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/01/07/114002
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2013/12/09/072614
http://topisyu.hatenablog.com/entry/2013/11/17/144450
…(補足募集)
ちきりん、やまもといちろう、イケハヤ、トピシュ…(補足募集)
等の言葉を覚えると理解が早いです、日常会話で使うのはお薦めできない。
なんか面倒くさそう…と思ったなら、
とりあえず、このiphoneアプリだけでも使ってみてね。。
https://itunes.apple.com/jp/app/id799334646
あまりに、やめておけ派が多くてびっくりしました。最初ネタだと思ったんですが、割と本気??
自分からはてなを危険物扱いするようなことを書いておいてなんですが、あれ?はてなって、そこまでそんな位置づけだった?と不安になってきました。
自然流入派と軽く教える派の意見を参考に、なんだかんだ言わず、それとなくPresso薦めるくらいにしておきます。
【話題】 TBSの大御所アナが今の “女子アナブーム” をメッタ斬り
1 :影のたけし軍団ρ ★:2013/12/11(水) 10:54:46.05 ID:???0
女性アナウンサーの草分け的存在、吉川美代子氏(TBS)の新著が話題だ。「アナウンサーが教える 愛される話し方」(朝日新書)で、
今月13日発売される。中身はアナウンサーの声の出し方、プレゼン、司会、スピーチのノウハウなのだが、
その最終章が圧巻で、今の女子アナブームをケチョンケチョンにこきおろしているのである。
吉川氏は1977年にTBS入社後、37年間アナウンサー一筋で活躍してきた。来年5月に定年を迎える。
〈わたしはこれまでずっと「女子アナ」ではなく、「女性アナウンサー」としてプライドと自覚を持って仕事をしてきました〉という吉川氏。
それだけに今の「女子アナ」が我慢ならなかったようだ。
吉川氏によると、今のアナウンサーには4つの亜種があり、「男性アナウンサー」「女性アナウンサー」「ベテランアナウンサー」そして「女子アナ」だという。
吉川氏が許せなかったのは、最後の「女子アナ」になる。その批判の凄いこと。
〈「女子アナ」がアナウンサーの亜種であろうが、新種だろうが、週刊誌やスポーツ紙の記者やカメラマンにとっては、まさに飯の種、ありがたい存在に違いありません。
一方で、心ある視聴者にとっては、タレントのようなかっこうをしたり、漢字を読み間違えたり、放送界の環境汚染源といえるかもしれません〉
〈必ずしも、「女子アナ」は放送局の社員とは限りません。タレント事務所に所属している「女子アナ」もいますが、ニュースを読む機会は多くありません。
いまどきの高校生と変わらない遊び着ファッションと、甘えた声でニュースを読むことがあります。原稿の内容を理解しているのかは、はなはだ疑問です〉
〈放送局社員の「女子アナ」はどうでしょうか。わたしが新人アナウンサー研修で、みっちり教えたはずの発声や発音やアクセント、、間違いやすい表現、
言葉づかいなども、「女子アナ」にかかれば、無残にも砕けちり、粉々になって消えてゆくことがあります。(中略)漢字を読めないことを売り物にする「女子アナ」さえいます〉
極めつきは、以下の部分で、まさしく一刀両断だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131211-00000004-nkgendai-ent
2 :影のたけし軍団ρ ★:2013/12/11(水) 10:54:58.72 ID:???0
〈パパラッチに追い回され、ボーイフレンドとのデートや買い物姿を写真に撮られる。(中略)でも「女子アナ」はめげません。
細い脚を誇示するような短いスカートでしゃがむ。公道でキスをする。「女子アナ」はサービス精神旺盛なのでしょうか。
これでは、写真週刊誌にねらわれても自業自得と言わざるを得ません〉
吉川美代子氏に改めて聞いた。
「80年代後半頃から、若い女性アナウンサーが『女子アナ』と呼ばれ、バラエティーに出るようになりました。
技量より個性が重視された。最近はタレントが情報番組のMCを務める時代、局アナとの線引きが曖昧になっているし、
東日本大震災以降、いざというときは放送局のアナウンサーとしてきちんと情報発信していかなきゃいけないという意識が少しは芽生えてきた気がします。
ですが、どうしたらいいのか、形にできないと意味がない。アナウンサーを名乗るなら、教養や技術を身につけて、
自覚を持ちましょうと誰かが厳しく言わなきゃいけないと、メッセージを込めました」
女子アナに「反論」があるのなら聞きたいくらいだ。
もやもやしながら推移を見てきたわけだが、追いオリーブによって決定打が打たれた。
「見苦しすぎワロタ」。
今となってはもう明らかだが、これはもともと、店にいやな思いをさせられた客と、客にいやな思いをさせられた店との、ただの口論に過ぎなかった。
どちらが正しいか、というより、どちらが相手の状況を汲み取れる大人だったか、という程度の。
ところが、乙武氏は致命的な対応をしてしまった。彼は自分の最大の弱点にして最大の武器「五体不満足」を掲げてしまったのだ。
これは最強のカードだ。
おすぎとピーコに勝てるのは、三つ子以上のオカマであることが必要なように、
このカードに勝つには、六体以上の不満足を満たさなければならない。(不満足を満たすとはこれいかに)
あまり面白くない冗談を書いてしまったが、これの何が致命的であるかというと、かねてから彼が主張するバリアフリー、健常者も障害者も対等である、という意識は、お互いの意識改革によって実現されねばならないのに、対等のテーブルを自分から早々に降りて、攻撃に転じたことを意味するからだ。
(ふと、現在の彼の心境は、手塚治虫『火の鳥』鳳凰編の、茜丸ーー我王と鬼瓦を作る競争をして、誰の目にも我王の作品が優れていて、自分が負けるのが分かるのだが、茜丸は我王の、殺人鬼であった過去の所業を明かすことで、我王を追放して自らの面目を保つーーに似ているかもしれない、と思う)
彼は一人の客として、店側の不寛容に文句をたれるべきだった。(60万人に店名を挙げ褒めるもけなすも、私は問題のあることだとは思わない。それは影響力をもった彼の自己責任だ)
しかし、障害者差別のカードは、「かの差別”的”発言に寛容で、バリアフリーの主張を持つ」乙武氏がここで切るカードではなかった。
スレタイでもあったが、「私怨」を差別問題にすり替えたことによる周囲の落胆と、差別問題の後退は、やはり大きい。
(そんなの有名人ひとりに出来ることじゃねーよ、という意見はあるだろうが、彼はその力も、魅力もある、稀有な人物であると思っている)
失われた信頼を取り戻すのは、長い時間と苦労を伴うだろう。茨の道もあるし、これまでと変わらない道も、あるにはある。選ぶのは彼なので、その選択にとやかく言うことはできない。
しかし、やはりもう一段踏み込んだ言葉を発言する責任はあると思う。ネットを巡る日本の言論状況は、今回の問題も含めて、きわめてリテラシーが高く、本質を逸れてない意見が多かったように思う。西洋の言論のアプローチとは異なるかもしれないが、決して遅れても、愚かでもない。じじつ、最初にあげた2chの一行は、彼の、反省はしているが謝罪はしていない長文の本質が簡単に見抜かれている。
はがないの映画化反対運動に同意できる(署名しているわけではない)という人から理由を聞いた。「好きなものをけなされたら嫌だから」ということだ。
はがないに限って言えば、小説、アニメですでに評価は安定していると思われるのでそれは杞憂だと一刀両断できるのだが、わりと他の作品でも同様のロジックを使う人を見かける。が、どうも納得出来ない。私にとっては好きなものは好きなので、誰がなんと言おうと作品の価値は貶められないし、このなんでもかんでもメディアミックスされる時代に原作も公式の二次作品もいっしょくたに批判してしまう人もいないだろうし、もしいるとすればその人自体が批判の対象になるだろう。
ただきっとそういうことをいう人は以前に嫌な思いをしたのだと思う。もし何か思い当たる作品があれば、今後の参考にしたいので教えてほしい。
※なお、はがないの話は朝のツイッターのTLでしたものだが、朝から嫌な思い出を思い出させたくなかったため、冒頭で理由を聞いた人には質問しなかった。
人付き合いというか、身の振り方で悩んでる事がある。
この悩み、正論で一刀両断されまくるんだろうなぁと簡単に予測が付く程度の内容なので、詳しく書く気はない。
これが他人の悩みであれば、自分は色々言うかもしれないが、結局「最後は自分で考えて自分で決めるしかないよ」という結論に落ち着くだろう。
で、今まさに、その最後の「自分で考えて自分で決めるしかない」って状況にある。
(かといって、他になんと言えばいいのかは、やっぱり分からない)
自分がこんなアドバイスをした人達は、最終的にどんな理由でどんな選択をしたんだろう。
今の自分は、決断をぎりっぎり先延ばしできる所まで先延ばしして、あとはその時の気分次第で決めるんだろうな、と漠然と思う程度なので、
まだ答えは出そうにない。
十数年前、俺が小学生だったころ。
当時コロコロコミックで『デュエルマスターズ』というMTGを扱ったマンガの連載が始まり、結構楽しみに読んでいたのだが、
途中からオリジナルのカードゲームを売りたくなったらしく、その新カードゲームをメインに扱うようになった。
俺はその新カードゲームにはもう全く興味がわかず、なんでこんな訳わからんカードゲームしなきゃなんないのと思って、
時は流れ、麻雀を覚えて
福本伸行の麻雀漫画を読むにつけ、その時と似たような感想を抱いてしまう。
つまり、なんで麻雀をこんな変なゲームに改造しなきゃなんないの?ということ。
『カイジ』のように最初からオリジナルのゲームをやるならそれはそれでいいよ。
でも麻雀を悪魔改造するにあたって、いかなるコンセプト性も見いだせず、
かといってゲームとして面白そうにはとても見えず、わざわざ改造する意義が一切見いだせない。
読んだのは『天』と『アカギ』の鷲巣麻雀編だけだが、これ以上読むのは苦痛なので勘弁。
『天』は、天がひろゆきを変な麻雀もどきのゲームで試したところから、既に怪しくなっていたが、
とりあえず東西戦の話だ。
東西戦、最初は面白かったよ。原田がイカサマで四暗刻を和了った健の左手をぶっ刺すところとかね。
その次から交代方式の麻雀が導入されたが、これもまあ良かったよ。
赤木の作った手牌を天が引き継いで四暗刻を和了る場面は熱いし、あれは確かに共闘するからこその面白さだ。
交代方式以外に特に面白いとも思えないルールが山ほどオマケでくっついていて、全部要らないと思うが、
それは忘れることにするよ。
ここまでだよね、『天』が面白かったのって。
麻雀の代表的二翻役である、「一気通貫」「三色同順」「七対子」「チャンタ」「三暗刻」を先に全て和了したグループの勝ち
というルールだ。
もう、ハァ?という感じ。パッと見、何が面白いのかさっぱり分からない。当然漫画を読んでも、とても面白そうなゲームには見えない。
こんなルールを導入するからには、それなりの説明があっても良いのだが、それも特に無い。
天が言うには、「チームワーク重視であること」「ひろゆきの理詰めのセンスが生かされやすいこと」が理由だが、
明らかに論理の飛躍がある。そのためなら、こんな意味不明なルールでなくても良い。
しかもだよ。「三暗刻」が「麻雀の代表的二翻役」ってどういうことだよ。滅多に和了れないだろそんな役。
まだ「トイトイ」が残ってるのに。
「トイトイ」を差し置いて「三暗刻」なのはなぜ?どう見ても作劇の都合で「三暗刻」にしたよね?
導入する理由も不明瞭、ルールも作劇の都合というわけで、決勝編はかなり悲惨だった。
原田が「そんなパズルみたいなことやってられるか」と言うが、ごもっとも。
ちなみに原田の提案で普通の点棒制との並立制が取られている。それがなければもっと悲惨だったかも。
まだ終わらない。決勝がいろいろあって引き分けに終わったのち、原田と天の一対一の対決が始まるが、
ここでもまた意味不明なルールが導入される。名前がついていないので、福本ルールと呼ぶね。
ざっくり言うと
18巡以内に二人のうちどちらかが先にテンパイを宣言する。宣言された方は当たり牌を推測し、宣言した方はひたすらツモる。
ツモ和了までに当たり牌を当てられたら宣言された側の勝ち。当てられるまでにツモ和了したら宣言した側の勝ち。
もちろんこれに点棒の収支が絡む。知らない人はWikipediaでも見て。
これは、本質をついた改造でも何でもなく、麻雀というゲームを激しく勘違いしているよね。
ただ二人で麻雀したいだけなら、萬子と筒子の2~8を抜くとか、あるいは萬子だけでやるとか、やり方あるじゃんよ。
まーこれどっちもゲームとしてはクソだよ?特に後者は天和・人和・地和が連発する歪なゲームになっちゃう。
でも漫画なら面白く盛り上げる方法はあるだろうし、ゲームとしてクソなのは福本ルールもどっちもどっちでしょ。
そんなんだったら、そういうスタンダードなルールを退けて、こんな意味不明なルールを採用する理由ってなに?
無いでしょ?そんなの。
天の提案したクリア麻雀を「パズルみたいなことやってられるか」と一刀両断した原田が、
ここでこんな幼稚なゲームを提案してきたことに俺はひどくガッカリした。
健の左手をぶっ刺したときは、ヤクザーな感じで超かっこよかったのに、
この後、麻雀とは特に関係のない通夜編が始まる。通夜編の評価は特に高いようだが、
俺には原田だの天だのが赤木を送り出すに相応しいとはとても思えず、特に何か感じるものもなかった。
こういうシンプルなゲームを原田と天の最終決戦でこそやれよ…って思い、更にガックリと来た。
これが『天』の感想。
もうなんかめんどくさいので、『アカギ』鷲巣麻雀編の感想は簡単に済ますと、
アレは一晩の対決を何十年もかけて連載していることに価値があるんだと思う。それは認める。
しかし、鷲巣麻雀ではなく普通の麻雀だったらもっと良かった。鷲巣麻雀は『天』の時ほど本来の麻雀からかけ離れているわけではないが、
やはり変則ルールを導入する意義が見いだせない。
『カイジ』にも変な麻雀やってるとこあるけど、アレはちゃんと読んでないから感想言えない。つーかもう読みたくない。
つーわけで以上。
『咲』もまあ、キャラ数がいい加減多くなりすぎて苦しくなっているところはあるけど、
能力とキャラクター性が緊密に連携しあっていて、それがいかにも少年漫画的で、良いと思います。スピンオフの『阿知賀編』も面白い。
あと全然関係ないけど、最初に書いた時期のコロコロで、魔法使いの話が読み切りで掲載された事があったと思うんだけど、
あれが何だったのか気になるので知っている人は作品名と作家名を教えて下さい。
はてなブックマーク -- 全文読んでないのは麻生擁護派の方では? - vanacoralの日記
id:kangiren 麻生太郎くちがひんまがったときにぽっくりいってればよかったのに。←これにスターを付け合うはてサ
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/vanacoral/20130122
麻生太郎の口は確かに曲がっている。原因については諸説あるがオリンピックにまで出場したクレー射撃の練習のやり過ぎたという説も。
さて、人の身体的特徴を揶揄したこの発言に対して記事の書き手(id:vanacoral)を含むはてサ達が喜々としてスターを付け合う御馴染みの光景を夜中に見かけて吐き気がした。
いわゆる朝日ハシシタ騒動の時に「普段は人権人権と口にするが、敵に対してはその人権を踏みにじってまでも攻撃するダブルスタンダード」とkanoseさんに一刀両断されていたがまさにその通り。何なんだろうねこういう人達って。左の人にとって一番大事なものを捨ててる癖に、立ち位置は左のままっていう意味不明な人たち。
このさかもとさんこそが勧善懲悪気取りだったと思うけどなぁ。
法律違反をして皆に迷惑をかけたけど、うるさい子持ちに一刀両断に正論言ったんだから私は正しいよねみたいなさ。
それに着陸態勢時に叫びながらシートベルトをはずして飛行機内で走るという法律&マナー違反をして、赤子を必死にあやしている母親にマナー違反を上から目線で説教する時点でおかしいわ。
この人が席に戻るまで飛行機は着陸できなかったし、シートベルトを締めるように指示が出ている不安定な機内で走るのは周りの乗客の上に転倒しかねない危険行為だし、しかもこの人は普段は車いすや杖を使っている障害者だから周囲に与えた危険は半端じゃない、叫んでいるなら自分もマナーを無視して周囲の客に騒音公害をまき散らしている。
対してJALは赤子が乗るのを歓迎しているし、赤ん坊が泣いている間ずっと母親があやしていたならマナー違反だと非難するほどの事ではない。
以下引用
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121119-00000002-voice-pol
反応まとめ例
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航空機内における迷惑行為は法律で禁じられています:政府広報オンライン
http://www.gov-online.go.jp/useful/article/200709/3.html
詳細はこちらもご参照ください。
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/12/120328/01.pdf
航空機内における安全阻害行為等を定めた航空法第73条の4第5項及び
http://www.mlit.go.jp/pubcom/07/pubcomt7/01.pdf
航空法第73条の4第5項では、前述のトイレ内での喫煙行為を含め、以下の8類型の行為に対して、機長による禁止命令を発することができることとしています。そして、禁止命令に違反した場合は、50万円以下の罰金が科されます。
3.乗務員の職務を妨害し、航空機の安全の保持等に支障を及ぼすおそれのある行為をすること(セクハラ、暴言など)
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某自身が認めているように、着陸中に歩いた段階で「上記5.」に対する明白な違反行為であり、機長による禁止命令後でも違反継続の場合、50万円以下の罰金に処せられる行為となります。
また、某のクレーム自体が「上記3.」への違反行為とも、私自身は考えます。
某のクレーム自体、いくら何でもおかしい行為になるのですが、その際の行為の方が遙かに重篤であり、日本の国内法であっても
「航空法に明示された違法行為(明文化された処罰対象:知らないでは済まされない)」
なお、これが海外の航空会社であれば、原則として日本の国内法適用除外となり(外国船舶の場合と同様)、その場合は当該国の航空法相当のものにより、身柄拘束(米国だとスタンガン併用もあり得る)、逮捕、入国拒否・国外追放処分、及びそれによって生じた損害賠償請求も考慮しなければならないことも追記します。
皆さんは如何お考えでしょうか。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-507.html
逆に言えば、そうした実務の現場を考慮することなく、「大学を卒業しても就職できないのは不況のせいだ」とか「高校生の就職が厳しいのは新卒に偏重していることが諸悪の根源だ」とか、一面では正しいもののおおざっぱでしかない議論をされている方にこそ読まれるべき本だと思うのですが、そうした「一刀両断」的なワンフレーズを好む方がこうした地道な考察を理解すること自体が期待できないわけで、社会的な制度の改善というのはなかなか難儀なものです。
おおざっぱであれ正しい面があるなら、その問題点と改善方法を現実の政策に落としこんでいくのが実務家の仕事じゃないか。全体像を見通せる研究者が、細かな個々の事情も全て知っておくべきということになれば、それこそ実務家なんて必要がなくなる。全体の方向性をおおざっぱに示す人がやるべきことは、全体像をより精緻に正確につかめるよう精進し、実務家にはない視点を積み重ねていくこと。その上で実務家と共同していくことでよりよい政策が生まれることになる。みなが個々の事情を個別に検討する地道な作業をする必要はなく、全体観にも個々の事情にも精通したパーフェクト・マンを求めること自体が間違っている。そして、批判をするならその全体像のつかみがダメダメだからもっとうまくつかめ、という方向のものであるべきであり、地道な考察を知らない、実務の現場を知らない、という方向であるべきではない。
「ぼく、考える人。君たち、手を動かす人。」と言われているようで腹が立つ気持ちは理解できるけどさ。