はてなキーワード: 一刀両断とは
同類になった。
同類になるという選択をしたんです。庇ったりしたら自分が標的になるから。
「怖いから黙りこんだ」。
私が昔苛められてた時に周囲で黙り込んでた人達の心情を知る事ができたけど、
恨みに思ってたその人達と同じく「黙り込み」を選んだ自分の弱さに情けなくて愕然。
勿論《あの子を庇う》のが最善の選択なんだけど、
そしたら2月までの間空気悪い中で過ごす事になる。
あのグループから伝播して他の人達とまで空気悪くなるかもしれない。
今まで理想を信じ続けてたけど、
いざ現実に直面したら怖くて尻込みしてしまった。
ああ
こんな時、増田ってどうしてます?
http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20091025/p1
既存の仕組みに異を唱えるだけで、何故それが今現在の形に出来上がっているのかという点については全く考えようとしない
いや、すばらしいね。あの人の毒々しいスタイルが苦手な方もこれは読むべき。これだけでいいので読んでほしい。稚拙な知識で現状否定しかできないブロガーの低俗さを一刀両断している。KoshianXさんの主張だけでなく、存在そのものにすら踏みこんで斬り捨てている。チンケな想像力と自分のおもちゃ(ネット)に対する過剰な期待と現状認識の甘さと社会への批判的な立ち位置を単にブログで表明したいだけの数多のブロガー達の否定でもある。彼らのやっていることはただの自己満足という名のオナニーブログであり、社会に影響を与えるセックスブログでは無いと言い切った。同意である。エントリーを読みながら100回ほど頷いてしまった。興奮してまだ寝られない。
今年のアルファーブロガーアワードが去年と同じ記事単位での募集ならば私はこのエントリーを推薦したいぐらい。そこまである。そのくらいの価値がある。彼はただの罵倒男ではなかった。このようなエントリーをもっと彼には書いてほしい。個人的な恨みから発生する罵倒エントリーが多すぎるのでもっと大きなものを斬っていただきたいと思う。
既にオナニーブロガーは世に必要とされておらず、今後のブログ文化の成熟のために彼らには退場していただきたい。オナニーブログの終焉をここに宣言する。
イスタリ、マイアとかの単語を調べてみれば、なぜ彼らが直接的に問題の解決を行えないのかの理由がそれなりに調べられると思いますが。
かれらは、自分達の愚考を反省した(我々の世界的にいってしまえば)神々にその能力の直接的な行使を禁止されています。
どちらかと言えば、廃坑のバルログやらドラゴン相手に力を行使してしまった方をこそ問題視すべきなのですが、そこをあれこれ言い出すと、指輪世界のどろどろとした世界解釈とその闇に潜む魑魅魍魎を相手にすることになるので、「じぶんではかいけつできない」設定だったと思っていただければ。
ちなみに、あの世界のバルログは、直視すると恐怖だけで相手を死に至らしめる事があるほどの強敵で、ガンダルフが対峙したのは、その中でもまず人間では手も足も出ない相手。
黒の乗り手は指輪に取り付かれた人間の王達ですが、かれらも常軌を逸した能力者で、当然のように恐怖で人を殺します。
直視するだけでも能力が制限され、なみの魔法武器ではダメージを与えられませんし、攻撃のための接触でさえ自分に危害が及びます。
むしろ満足に戦えてるアラゴルン達を賞賛すべきシーンだったり。
(アラゴルンも人間上位種の直系で、人としては規格外な能力者だけれどもね)
バルログや古代人間種のように、高位のエルフもとんでもないチート集団で、暴力以外での不老不死が約束されていたりする。
エルロンドに至っては、RPG的な表現ではレベルカンスト者で、愛剣ヘルカルイネを一振りするだけで、トロール程度なら一刀両断。
なんなんでしょうか。
以前から相手がいると言っているにもかかわらず、同僚とくっつけようなどと画策するいやな人がいて転職をしたりもしましたが、長く付き合った彼と婚約をして以来直接デートに誘ってくる男性が増えました。
ここで浮気をするような軽い女だと思われてるのか、それとも婚約をしているから割り切った付き合いができると踏んでいるのか、はたまたここから巻き返しておれとゴールという映画の卒業ばりのシチュエーションを夢見ているのか(それはないな)。とにかく失礼にもほどがあると思うんですけど、そういうもんなんでしょうかね。
きっぱり断って、上司であっても迷惑だと一刀両断してるんですけど、ぎりぎりセクハラで訴えにくい範囲で接触を図ってくる人が数人いるので、よっぽど頭悪そうにみえるんだろうなぁ。ひどい。たとえどんな状況であっても浮気なんてしないし、したことはもちろんないというのに。
少し誤解があるようだけど、「やってみたい」というくくりが恣意的で大雑把過ぎて、結果として不必要に人を一刀両断にしすぎるところがある。どれもこれも一緒くたにしてしまっているから現実に適用するには無理があると思う。
あることを「愛好すること」と「実行したい」の間には距離があり、「実行に向けて具体的に行動する」というのはもう場合によっては全然別のことだったりする。端から見ると区別がつかないことが多々あるわけだけれども。
たとえば鉄道ファンでも「ただ電車が好き」というのと「実際に乗って運転してえ」というのは違うし、「そのためにJR東海入るぜ」ってのは更に違う。F1好きな人が実際に乗りたいと思ってるとは限らないし、実際にレース場いってぶっ飛ばす人は数えるほどだ。男でゴスロリ衣装のファンだとしても女装子であるとは限らないし、実際に購入して身につけて外出する人はむしろ少数派に属する。単なるレストランのファンとグルメとシェフは、たとえばファン→グルメ→シェフとなる人もいれば、全然そうならない人もいるし、それはファッションブランドのファンと評論家とデザイナーでもそうだ。シェフ未満とかデザイナー未満で単なるファン、という場合もあるだろう。でも全てのファンが、できればシェフになりたいとかデザイナーになりたいと思っているわけでは無い。なぜならそれらは『それぞれ異なる方向への嗜好』だからだ。あなたはまずそこを勘違いしていると思う。
更に、考えてみてくれ。あなたの考えのその先…すなわち「『実行すれば』法的に×なことを『想像する人』は×だ」という理屈について。
上の(あなたにおける)「愛好する」と「実行する」の混同と合わせてみれば、たとえば絶滅を危惧されていて法的に採集が禁止されている蝶を『愛好する』ことは、あなたの分類だと『犯罪嗜好者で叩かれるべき』となるわけだ。なぜなら『それを実行するのは法的に×』だから。あるいは、他人の身につけてる貴金属を『ちょっといいな』と思っただけで許し難い罪悪になるわけだよね。他人の持ってる貴金属を『取って身につけるのは法的に×』だから。人ゴミで『こいつらウゼえ』と思ってもダメだ。それを『実行する』人間は死刑に値するから。そうなるともう街の中で『うわ小便してえ』と思うことすら軽犯罪法に違反する可能性があるね。
まあそういう『他人の妻を欲望の眼で見る人間は既に姦淫を為したのである』という考え方があるのは認める。でもそれはほとんど宗教だ。それを現実の人の振る舞いとして期待するのは、明らかに逸脱だし、その発想自体が危険ですらある。そもそもあなた自身、「法が推奨しないことであっても実行しない限り罰しない」という現実の法の運用に反して「実行しなくても社会的に罰されるべきである」と妄想していることになるわけだよね。それは、あなたの定義によれば罪なのでは?
もちろんオレはそれを罰しようとは思わない。間違ったことであっても、それを考える自由はあると思う。社会というのは、そのぐらいゆるく運営されるべきだ。そして、その同じ理由で、あなたの考えていること――他人の「頭の中を取り締まろう」という発想は(及び最近の『児童ポルノ取締の暴走』は)残念ながら社会の運用ルールとしては適さないと思うな。
元増田です。
「・・・警戒してる?彼女との間に入り込もうとしているんじゃないかって」
「そういうことはさせないよ(キッパリ)」
彼がこう一刀両断していなかったら、誘っていなかったと思う。
少しでも将来が期待できる人とは、やはり初日にHする気にはなれない。
彼にしても、私が
「(苦笑)そんなことしても意味ないでしょ」
と言ったからことに及んだんだと思う。
・・しかし、体目的でもいいから次回以降があれば、っていう下心は正直若干あった。
若干だけど「将来を期待」していた。
「セックスだけじゃないからね」
という台詞は、
「セックスだけで人の心を動かすことはできないからね」という意味で、
私の下心を見抜いて拒否していたのかな、って今は考えている。
何で意地悪ないいかたをわざとするんよ。それって気持ちいいのからやっているのか。なんとなく文脈や行間から本心じゃないように見える。あるいは斜に構えているのか。わからないけどさ。でもとにかくそういうのやめようぜ。お前が意地悪なことをするとさ、傷ついたり嫌な思いした人たちがまた、誰かに冷たくしたり意地悪してしまうわけよ。それで悪循環はたぶん早周りで、お前ががちょっと弱音は来たくなったりしたとき、なにか助けが欲しいとき、冷たくされたり意地悪されてダメージ受けるんだよ。で、嫌な雰囲気になるじゃないか。マジでマゾヒスティックならそれもやむなしかも知れない。でもそうじゃない人が大半だろ。たぶんお前も。いやわからんけど。持ち出すともめそうな言葉だけどマナーというか、人情というか。まあ俺も必要もないのにバッサリ切り捨てる様な物言いしてしまうこともある。もちろんはっきり断言することが必要なときもある。議論の場とか。なれ合いすぎる井戸端会議に一席投じたい気持ちになることもあるな。あとは何気ない一言が相手にとっては一刀両断される言葉だったなんてこともあるな。だが、俺は正しい俺は負けない俺の一撃を食らって痛み苦しめ、みたいな、まあ人間的と言えば人間的だがそんなに褒められたものじゃない感情から発する攻撃もあってだ。いっている俺もまだ気をつけているレベルだ。愛想はいまにも尽きそうだけど、まだ俺は俺とお前に期待するよ。
科学とニセ科学の違いってそんなに重要か? - よそ行きの妄想
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081115/1226722771
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081115/1226722771
駄目だこいつら……早くなんとかしないと……と夜神月ばりの顔になった。
もちろん、エントリ主ではなく、ブコメで叩きまくってる連中にだ。
ぼくはなぜ自分が疑似科学批判論者にイラッとするのかわかった。
彼らはまず、自分(科学)が唯一の正義であると信じて疑っていないのである。
そんな態度じゃ、いくら正しいことを主張していたとしたって、話を聞いてもらえないというのが解らないのだろうか?
その偏執的で高慢な意見の数々を見ていると、そりゃ科学が宗教と一緒にされちゃっても仕方ないよ、と思う。
科学であるというだけで盲目的に信頼する姿勢の方が、よっぽど詐欺に合いやすいと思うのだが。
まあ、こういうブコメから解るように、この手の疑似科学批判で多いのは、
「ニセ科学自体が「科学を詐称してる」「ウソをついてる」などの「詐欺」だから」であり、転じて
「嘘を信じちゃうことの不利益」がある、というこういう言説が多い。
そんな彼らにどう思うか尋ねてみたい諺がある。
「鰯の頭も信心から」という諺である。
プラシーボ効果を許さないのか、と言い換えても良い。
実際に信心を持って、偽薬を薬と成した人に、
それは「薬ではない」と宣言して、その効果を打ち消すことが
果たして本当に正義なのだろうか?
疑似科学は、本当に悲劇しか齎さないのであろうか?
マイナスイオンのドライヤーを買って、髪の毛がサラサラになって少しかわいくなった気がする、勇気を出して家から出てあの人をデートに誘ってみよう!
「いや、それ錯覚ですから! あなた不細工のままですから! 残念!」
また、例えば、飲み会の席などで気になる異性に話しかけたいとしよう。
うわべの会話でなく、相手の性格をもっと知りたい。
そんな時に会話の端緒として「血液型、何型?」と訊くのは、これだけ血液型に対するコンセンサスがある日本では、実際にかなり有用なことである。
「○○ちゃん、何型? そうなんだ、××な性格って言われない?」
「えー、うち、そんなことあらへんよう……けっこう、落ち込みやすい性格やと思ってるんやけど……」(ぼくが萌えるので便宜的に関西弁風女子とさせて頂いた。意味はない)
そこからフォローするなりアドバイスするなり裸で向き合い本当の性格をキャストオフさせてあげるなりワンナイトカーニバルを決めるなりはあなたの腕の見せ所だ。
少なくとも「血液型何型?」と訊かれて「そんなのは疑似科学なんだ。それよりアインシュタインがどうやってブラウン運動からアボガドロ定数を求めたか知ってる?」と返すよりは仲良くなれるだろう。
「嘘も方便」
こういう諺もある。
差別に使われるかもしれない。でも人を救うこともあるかもしれない。実際、血液型云々は、会話の潤滑剤として現代の社会ではまだ充分に有益なものなのである。
疑似科学批判批判批判をする人間は、あたかもそれを排斥することが唯一の正義であり唯一の価値観のような顔をして主張するのが、どうしても解せないのだ。
・民間信仰もまた文化である
そして、この立場からも、言わせてもらいたい。
あなた達がその科学は偽である、間違いである、と主張することも諭すことも自由ではあるが、それを信仰する人間自体を貶めて良い理由にはならない。
批判者を馬鹿と断じる心こそが、最も醜く差別的な精神であると思う。
ぼくはなにも、疑似科学批判批判の批判をするな、と主張したいわけではない。
科学者はデータや検証が全てという価値観の中に生きているのだろうが、世間一般の人はそうではない。
人を説得するなら説得するなりの、言葉や態度というものがあるのだ。
それを「科学」信者が自覚しない限り、血液型診断は100年先も余裕で生き残っているだろうと思う。
<11/17 追記>
元増田です。
このエントリで一番言いたかったことである
「疑似科学批判論者はまずキレすぎ。キレるな。」
ということが微塵も伝わらなかったので、絶望しました。
もうこの問題に言及するのをやめます。さようなら。
はてブストの特徴
少なくとも、Romanceは今年の3月の時点で、実践的活動をしてることは公言して
いやー、1時間足らずで反論が出てくるとは、どなた様でしょうねえ?w
本を読んでちょっとばっかし現場に首つっこんでフィールドワークした気になってた奴は昔からいるんだけど、その手の手合いが誰のためにもならないことが多いという批判は聞いたことがないんだろうねえ。でなきゃ、そんなにナイーブに「実践的活動をしてる!」なんて免罪符のごとく言えるわけがない。
またネトウヨ君がアカウントも明かさずに増田で卑劣な中傷を繰り返そうというのかな?d:id:Sokalianみたいなみっともない真似はするなよ。
お前らネトウヨたちがやったことは、まさにデマを流して「全体最適はナチ」などこちらが言ったようなこともないようなことを言ったように悪宣伝をくり広方ことだ。
よっぽどSokalianが嫌いなんだな?かわいそうに、そんなに痛いところを突かれたんだねw
今回、専門用語の意味を確かめもせずにあやふやな印象だけでイナゴ化してたのは君らなのに、批判する側を「ネトウヨ」なんてよくもまあ言えたもんだね。だいたい、稲葉先生とかそのあたりの専門家がトリアージ批判派を一刀両断してる時点でどちらがトンデモかというのは明らかなんだが。Sokalianがネトウヨなのではなく、君らが「ネトサヨ」なのだよ、いい加減に「デマを流して」「悪宣伝」をするのはやめなさいってw
嫌いな奴に人権があることは嫌いですかwどう見てもスターリニストです、本当にありがとうございました。
結論:お前ら、最悪。
結論にも何にもなってないことを持ち出して「結論:○○は最悪」とか書く人は1名しかいないよねえ?ww
http://anond.hatelabo.jp/20080709084425
もちっと切り分けようぜ。感情と理論が混ざってるから趣旨がはっきりしてないよ。
>著作権違反仲間だよねっ!
おおざっぱすぎ。道交法違反で駐車禁止とスピード違反と飲酒運転を全部同じ道交法違反仲間だよね、と言ってるのと一緒。
間違ってはいないけれど、そういう理解は本質を誤らせるよ。
>二束三文の稼ぎしかなく、すこしのトレースや模倣をしただけであっても、作家生命が絶たれるくらいにまで非難されるプロ。
>表現の自由の名の下に、二次創作という著作権違反を犯しながら、どれだけ稼いでいても(半ば)許されているアマチュア。
まずトレスについて考えようか。トレス・模倣自体は悪ではない。"他者の著作物のトレースを自作とする事"が、一般にNGとされているね。
実際、資料用に風景写真を調達してきてそれを参考に漫画の背景を描くこと自体は、そこまで問題になっていないと思う。
作家生命が絶たれるレベルで問題になるのは、ページをそのままトレスしたような状態、コマ割りをそのまま持ってきた状態だと思う(記憶違いかもしれないから調べてみてくれると嬉しい)。このレベルになると、。"他者の著作物のトレースを自作とする事"、要するに「盗作」になってしまう。これはNGだよね。
二次創作について言うと、
>著作物の翻訳、編曲、翻案等により、2次的著作物を作成する行為(著作権法28条)
とあるのでアウト。ただし、私的複製(著作権法30条1項)、引用(著作権法32条1項)、非営利無報酬無対価演奏(著作権法38条1項)など制限事項は結構ある。その上、著作権侵害は親告罪。この辺が事態をややこしくさせている。訴えられるかそうでないかが一つの線引きになってるわけだからね。僕らの判断と著作権者の判断は違う、と言うのは答えになるだろうか。
皆してディ○ニーとかを避けてるのには気づいているよね? あと、アン○ンマンの二次創作が問題になったこともあった。一方、二次創作をOKしている版元もある(参考:http://d.hatena.ne.jp/REV/20080531/p1)。全てが全て許されないわけでも、許されているわけでもない。
>どっちも著作権違反といえば、著作権違反。だけど、この扱われ方の違いは一体…。
まぁ、結局は湯加減問題というか程度問題に行き着いてしまうんだと思う。一刀両断な答えは無い、としか言いようがないね。
トレスも状況とレベルによるし、二次創作も状況とレベル、あと対称となる一時作品による、としか。
最近finalventさんにたいして追求でもあるのか、ブログでコメント欄承認を発表してます。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/06/post_efdf.html
それと関係あるのかないのかfinalventさんの本名と称する怪情報がでまわっています。
どこから流れたのかと思ったら、切込隊長のブログがきっかけのようです。
(他にもきっかけがあるようだったら補足しといてね)
意味不明な爺という言葉がいっぱいでてきますが、実はfinalventさんは、
親しいブログ仲間から爺と呼ばれることが多いそうです。
だいたい物事が流動的な状況から収束に向かい、誰もが関心を払わなくなるころ、決まって登場する爺がいて、突発的な事件でも何がしかの教訓にまとめてしまうわけである。爺はまとめるために議論に参加するため、流動的な状況でははっきりと指し示さず、抽象的なことをいい、あとになって「ああ。爺は読み解いておったのだな」と思い返す人々があるものらしい。
切込隊長のブログでは意味不明な単語がでてきたあとには、コメント欄でそれを解説する人が匿名で出てくることが多いのですが、
コメント欄には、そのものずばりなことを指摘するなぜか妙に詳しい人たちがやはりいました。
佐藤って誰?
Posted by: | 2007.04.03 at 05:31
どう見てもfinalvent氏です。
Posted by: | 2007.04.03 at 08:15
「佐藤信正って誰?」
「それはね、モニョモニョ」
隊長も意地が悪い。
Posted by: | 2007.04.03 at 10:48
隊長の意味深なエントリーとそれをきっかけにしたコメント欄の匿名さんが本名と称する情報を流したようです。
本文とコメント欄をセットでみると、わかるようです。
finalventさんはいったいどんなネットイナゴに個人情報らしきものをばらされたのでしょうか。
ところで、ついでにみつけたんですが
finalventさんは、もともと沖縄にかんしてはいろいろ発言を極東ブログでも書いてますが、
英語版でも書いてたんですね。
http://www.well.com/user/nobumasa/(沖縄は日本の一部ではない)
5人くらい仲間うちでくだらない話をしていた
その中で自分に子供出来たらなんて名前付けたいっていう話題になった
みんな順々に答えていった。男だったら○○女だったら○○とか
なんの躊躇もなく他の人はスッと答えてた。
自分は子供の名前なんて考えた事も無かった
みんなナチュラルに答えてく中でなんとか答えようと考えてるうちに
適当に答えればいいんだろうけど
沈黙を作ってしまい結局答えられなかった。
他の日
同じメンバーに1人加わって同じような話題になった
その1人ってのは自分がちょっと気になって好きな人だったんだけど
「○○は子供できたらなんて名前つけたい?」
「そんな事考えた事もないよ」
一刀両断だった。さらになんか好きになった。
だから卑怯者の自分は書くものを使い分けてる
ex.どこどこの店に食べに行ったらあんまり美味しくなかった
知らない人からリアクション欲しい 肯定的でも否定的でもいいけどそんなに議論したくない→2ch雑談板
ex.最近ようやくゲド戦記原作読んでジブリ版見た やっぱジブリひでえな!
知らない人からリアクション欲しい 一刀両断されてもうれしい→anond
自分でコントロールしてる 明らかにアンフェア 全部顕名で書けよな人には怒られるだろう
でもそれでいいと思ってる 無責任に受け流せるようにしておけばいいんだ
どのフェーズを選ぶかは情報の縦のつながりや横のつながりと天秤にかけて自分で選べばいい
全部オープンな自分のブログに書くというのはそのメリットとリスクを背負うことだ
もちろんうまくいったときだけ「これ自分が書いたんだよ!」と言ってしまうことは可能
でも改心の一撃を繰り出したときだけ自分の手柄にしたいなんてやっぱり傲慢だから
そこはトレードオフだ
でもなんていうかめんどくさいし疲れるんだよね
ニュー速+やはてぶネガティブコメントといった負のエネルギーはちょっとうらやましい
よくあんなに精力的にやれるものだと思う
自分は結局はてぶホッテントリにフリーライドしつつ情報はGmailに投げちゃってる
新しい価値産まないしタコツボ化に消極貢献してしまっていることはよく分かってる
でもなんていうかめんどくさいし疲れるんだよね
というか、もとより隙だらけでありつつ、どこまでも人の意識に手が伸びてくるのが歴史というものだから、
たぶんそれを一刀両断にしたりすることは、かえって片手落ち感が漂うというか。
何を言ってるか訳分からんですな…。
諸君、私は小島よしおが嫌いである。
放送コードギリギリの挙動不審さで蠢く彼を見ていると、その無駄についてる筋肉を本物の熱湯で湯通しして、丁寧にむしり取ってどこぞの犬にでもあげたい衝動にかられる。
しかしながら、そんな私の思いとは別に、テレビで彼を見ない日はなく、「そんなの関係ねぇ」はついに流行語大賞を受賞してしまった。
世を構成する様々な「関係=リレーションシップ」を一刀両断で全否定するこの言葉は、一見切れ味が鋭く心地よい錯覚を覚えるものであるが、
その反面「神は死んだ」と高らかにニヒリズムを宣言することで19世紀という繁栄と安定の時代の終焉の到来を告げたニーチェの混乱を、
この21世紀に繰返す恐れのあるものである。
私は、この言葉の蔓延がもたらす未曾有のカタルシスに恐怖を覚え、小島本人への接触を試みた。
私「どうも。」
小島「ういー。」
私「彼方は、物事と物事の間の関係をことごとく否定して回っています。」
小「そんなの関係ねぇ。」
私「よろしい。例えば彼方が履いているその海パンですが、その海パンのメーカーとあなたに関係があるのは流石に認めるところでしょう。」
小「そんなの関係ねぇ。」
私「その海パンメーカーには沢山の人が働いていて、糸一本紡ぐのに石油の精製から海パンへの縫製まで、数多の人が関わり、
そして誰かが店舗に運んで、誰かが店舗に陳列したものを彼方が手にとって履いてる訳です。」
小「そんなの関係ねぇ」
私「私は、寧ろこの世の全ての物事には何らかの関係があるのではないか、とすら思っています。」
小「そんなの関係ねぇ。」
私「そして、其れが関係のないものと思えるのなら、そう思うほうが無知なのだととも。」
小「はい、おっぱっぴー。」
私「その『おっぱっぴー』ですら、私は彼方と何らかの関係がある言葉だと思っているのです。
例えば、何故『おっぱっぺー』ではなかったのか、『おっぱっぷー』ではいけないのか。
もっとも、彼方は此れを「オーシャン・パシフィック・ピース」の略だ、としています。
小「はい、おっぱっぴー。(白目を剥きながら)」
私「此れが英語として完全に間違いだということは今更指摘をすることもないと思うのですが、
小「はい、おっぱっぴー。」
私「私は残念でならない。何故、其処で『おっぱい』だと云わないのか、と。
森羅万象を『そんなの関係ねぇ』と言い切るのであれば、何故其れを無意味な混沌である現実に耐えつつ、
自らが現実の新しい意味であろうとする真に自由にして批判的な精神へと昇華していかないのかと。」
小「うぇーい」
私「うぇーい」
と云うことで、小島本人との接触を試みたが全く接点を持たないまま物別れに終わってしまった。
結局、関係という糸で繋いだ服は、裸の王様には見えないのであろう。
私は「イ」の字になって踊り狂う小島を残し、静かに冬の街を後にした。
今まで見たホラー映画の中で一番怖かったのは中学生の頃、深夜に見たアレだ。
もうタイトルすら思い出せないけれど、気の弱そうな美形の男を
年増の女たちが狙ってわれ先にとモーションをかけていくという内容。
色目を使って身体を摺り寄せてくるババアはどんなモンスターよりも破壊的だった。
まだ恋愛を知らない中学生の俺は、漠然と「モテたいなぁ」って思っていたんだけど、
自分の好みじゃない女にモテるのはこれほど怖いのかと戦慄し、ずっきりと脳に傷痕を残した。
俺は最近、名前も思い出せないこの映画のフラッシュバックに苦しんでいる。
奴は狡猾で巧妙で、決して「好き」とはストレートに言ってこない。それゆえ「嫌い」と言い放つこともできない。
毎日のように送られてくる奴からの恐怖新聞。手を変え品を変え、俺を魔界へと引きずり出そうと画策している。
奴の中ではクリスマスは俺と過ごすことになっているらしい。キリストなんて生まれてこなければ良かった。
俺の落ち度を正直に吐露すると、はっきりと「NO」といえないことだ。
思えば初めて会ったその時に無手勝流の撫で斬りで一刀両断してやればよかった。
だって「NO」って言ったらあいつショック受けるじゃん。下手したら泣くじゃん。気持ち悪ぃ。
先に行った人たちはあぁだこうだいうだろうが,現在進行形で悩みを抱えそれについて考えている人にくだらないとかつまらないとかそれはまちがってるとかまじになっちゃってなんなのとかきもいとか理論的でないとか言ってることがころころ変わるとかそういうことを言ってもしょうがあるまい。
悩むことすら奪い去ろうとする人たち。それは救いの手を差し伸べているのではない。救いの振りをして深い絶望の中へ突き落とそうとする行為に他ならないのだ。もし自分が理性的で合理的できちんとした理論を持って言を成していると思うのであれば,見守ることをなぜしないのか。わざわざちょっかいを出し憤らせ,あるいは呆れさせるのか。わざわざ口を出し,勝手に放言し,それにかえってくる反発を逆切れだと罵るのか。
相手はあなたではなく,あなたは相手ではない。歩いている道は違う,似ている部分もあるだろう,参考になる部分もあるだろう。しかし違うということが本質的に変わるわけではない。先に知っているというだけで,少し経験値が高いというだけで,相手に介入し根本的な違いを認めず同質化しようとするのはなぜか。相手を一刀両断するのはなぜか。あらゆる差異を認めず,間違っていると糾弾するのはなぜか。その程度のプライドなら捨ててしまえ。
解決方法の提示じゃなくてすまん。
うちはWindows機(Windows XP)だけど同様に文字がにじむ。
Firefoxのフォント指定は、デフォルトの「MS Pゴシック」、サイズ「16」のまま。
文字がにじむページは、すぐにぱっと思い出せるのがイザ!とmixi。
Firefox2系にアップデートしてから起きるようになった気がするけど、諸事情で一ヶ月に数回新しいフォントをインストールするような環境なので、システムフォント近辺が怪しいのかなあと思ってる。
文字がにじむページが一割以下というのと、毎日見に行くサイトの場合はStylishでにじまないフォント指定に変更するようにしてるから、結局原因を突き止めてない。
以前、Mozilla組掲示板かmixiのFirefox系コミュニティで同様な質問が挙がってたけど、Firefox側の問題じゃないんじゃないんですかと一刀両断されてた。根拠が提示されてなかったという意味では、あてにならない情報。