はてなキーワード: 萬子とは
さんざん言われてるけど、なんかすごい太平洋戦争に突入した経緯に実感持てたわ。
オリンピックは「誰も中止する決断をしたがらない」って言われてるけど、太平洋戦争も「誰もアメリカに屈する決断をしたがらない」からなし崩しに開戦しちゃったんだろうなって。
いったん開会式が始まったり真珠湾を攻撃しちゃったら、もう中止とか外交交渉なんて無理で、「いかにしてうまく開催する/勝つか」を考えるしかなくなるもんな。
麻雀で、萬子が6つくらいしか手元にない状態で染め手を作るのを決意したときに似てる。とにかく他の手の可能性を考えずにひたすら筒子と索子を捨てて萬子を鳴きまくる。効率は悪いけど考えるのが楽なんだよな。「どう染め手に持っていくか」だけを考えていれば済むから。「他の役も狙えるんじゃないか」なんて悩むのは疲れる。染め手と決めたらひたすらそれに向かって突き進む。それで負けることも多いんだけど、小手先以外のことを考えなくていいからすごい楽。
つまり牌の扱いや得点の計算などはゲームが自動的にやってくれるので詳しくは説明しない。
同じ数字の牌や、連続する数字の牌を集めると、その組み合わせ(役)によって得点が決まるゲーム。
自分が持っている牌は13枚。
毎ターン1枚の牌が配られてくるので一時的に14枚になる。
同じ数字[8][8][8]や連続する数字[4][5][6]で「3枚」ずつ揃えていく。
同じ数字のメンツを「刻子(コーツ)」、連続する数字のメンツを「順子(シュンツ)」という。
それとは別に、同じ数字の牌を2枚揃える必要もある。これをアタマと言う。
メンツ×4組+アタマ2枚の合計14枚を揃えたときに役が出来ていればアガリ。
麻雀牌は四種類ある。
マンズ。一萬とか二萬とか書いてあるやつ。
ピンズ。丸が書いてあるやつ。
ソーズ。竹みたいなのが書いてあるやつ。
東・西・南・北・白(何も書いてないやつ)・発・中。
メンツを作るには同じ種類でないといけない。
たとえば[2萬]と[3筒]と[4索]があってもメンツとは見なされない。
[2萬][3萬][4萬]とか[2索][2索][2索]などのように揃える必要がある。
また、字牌に順番は無いので、[北][北][北]みたいに刻子で揃えるしかない。
たとえば[1萬]が既に2枚捨てられていたら、自分が[1萬]で刻子を作ることは出来なくなる。
他のプレイヤーが牌を捨てたときに取れるアクションとして「チー」「ポン」「カン」がある。
チーは「ひとつ前のプレイヤーが捨てた牌を拾って順子を作る」というもの。
たとえば、自分が[1萬]と[2萬]を持っているとき、ひとつ前のプレイヤーが捨てた[3萬]を「チー」することで、[1萬][2萬][3萬]の順子を作ることができる。
ポンは「いずれかのプレイヤーが捨てた牌を拾って刻子を作る」というもの。
たとえば、自分が[5萬][5萬]を持っているとき、誰かが捨てた[5萬]を「ポン」することで、[5萬][5萬][5萬]の刻子を作ることができる。
既に[5萬][5萬][5萬]が揃っているなかで、誰かが捨てた[5萬]を「カン」することで、[5萬][5萬][5萬][5萬]を作ることができる。
この4枚組は、3枚組の刻子とほぼ同様に扱われる。
「チー」「ポン」「カン」することを「副露(フーロ)」もしくは「鳴く」などと言う。
ツモの場合は他のプレイヤーから均等に三分割して点数をもらう。
4メンツとアタマを揃えても、決められた「役」がなければ「役なし」となって和了れない。
和了ったときに成立した「役」をすべて足し合わせて得点を計算する。
たとえばタンヤオとピンフは同時に成り立ちうる(これは有名な組み合わせでタンピンと略される)。
基本的な役。
鳴いても成り立つ。
これだけ覚えてどっちかを目指せばいい。
・[白][発][中]を三つ揃える
ドラになった牌を持っていると和了ったときに得点がめっちゃ高くなる。
厳密には役ではないのでドラだけで和了ることはできない。
鳴かずにメンツを揃えていけば、自然とリーチ・一発・門前ツモを狙う状況になる。
鳴けば和了りやすくなるが、リーチなど多くの役が成立しなくなり、全体的に得点が低くなる。
ただしドラを持っているなら攻撃力の低下を補うことができる。
他のさまざまな役は、中級者になってから覚えればよい。
これでも相当に省略して説明してるんだけど、こんなにルールが乱雑なゲームってある?
やっぱ麻雀ってクソだわ。
まずは、自分が役作りをするために、どんな捨て牌をしているか?考えたらいいよ。
一色狙いなら、萬子、索子、筒子のどれか一種だけが捨てられてこない。
国士無双、混老頭、清老頭、なら、2~9が満遍なく捨てられる。
初心者は、捨て牌の傾向からリーチに一発で振り込むことを避けるところから始めると良い。
もちろん、七対子や平和のように捨て牌から傾向が読めない役もあるので、
そこに振り込んだ時は諦める。
リーチ者に対して安全牌ばかりを捨てるようになったら、こいつは降りたなと判断する。
次に考えるべきは、ドラがいつ捨てられたか?を見る。
ドラはそれ自体で一翻になるので、自分の役に使えそうなら遅くまで残すし、
役に立たないと思えば早めに捨てる。
後半になって、手持ちのドラを切り出して来たら、既に聴牌している可能性が高いと考える。
あとは場に何枚捨てられているか?を数える。
発が3枚捨てられていたら、4枚目の発は国士でもない限り安全牌。
萬子の3が4枚捨てられていたら、萬子を123 or 234 or 345 と持っている人は誰も居ない。
とりあえず、このくらい。
ロンを覚えたら、ついでに安全牌も知っておくとよいです。
麻雀では、自分が既に捨てた牌で他人からロン上がりすることができません。
具体的に言うと、私が既に「1萬」を捨てていたら、私は「1萬」で他人からロン上がりできない。
つまり、ほかの3人は、安心して「1萬」を捨てられる。これが安全牌です。
(...とは言っても、ほかの3人の誰かが「1萬」でロン上がりする可能性は残るので絶対安全というわけではない)
麻雀では一局ごとに、牌をそろえつつ、自分の配牌を見て上がれそうかどうか判断して、
上がれそうだと思ったら、多少危険な牌(他人にロン上がりされそうな牌)でも勇気をもって捨てて役揃えを優先し、
やっぱり上がれそうにないと思ったら、役は揃えずに、ひたすら安全牌だけを捨ててゆくゲームなのです。
役揃えをあきらめて安全牌だけを捨てることを、降りる、べた降り と言い、漫画の中でも
勝てそうにないと思った子が「この回は降りる」みたいに言ってると思います。
誰への安全牌を捨てるべきか?誰が一番上がりに近いのか?
をどうやって察知するのか?気になると思います。
漫画の中では、ポン・カン・チーを2回以上やってる(2鳴きしている)人が上がりに近いとされています。
ポン・カン・チーは、自分の揃えたい役を他人に晒すようなものですから、
それを2回もやっているということは完成が近いというのは納得できるでしょう。
2つ目は、1つの種類の牌、例えば、萬子 を、ある人が一枚も捨てずに終盤が近い場合。
この人は萬子ばっかり集めてるんだろうなぁ…。
手牌の中はもう萬子だらけなんだろうなぁ…。上がりが近いかもなぁ…。
十数年前、俺が小学生だったころ。
当時コロコロコミックで『デュエルマスターズ』というMTGを扱ったマンガの連載が始まり、結構楽しみに読んでいたのだが、
途中からオリジナルのカードゲームを売りたくなったらしく、その新カードゲームをメインに扱うようになった。
俺はその新カードゲームにはもう全く興味がわかず、なんでこんな訳わからんカードゲームしなきゃなんないのと思って、
時は流れ、麻雀を覚えて
福本伸行の麻雀漫画を読むにつけ、その時と似たような感想を抱いてしまう。
つまり、なんで麻雀をこんな変なゲームに改造しなきゃなんないの?ということ。
『カイジ』のように最初からオリジナルのゲームをやるならそれはそれでいいよ。
でも麻雀を悪魔改造するにあたって、いかなるコンセプト性も見いだせず、
かといってゲームとして面白そうにはとても見えず、わざわざ改造する意義が一切見いだせない。
読んだのは『天』と『アカギ』の鷲巣麻雀編だけだが、これ以上読むのは苦痛なので勘弁。
『天』は、天がひろゆきを変な麻雀もどきのゲームで試したところから、既に怪しくなっていたが、
とりあえず東西戦の話だ。
東西戦、最初は面白かったよ。原田がイカサマで四暗刻を和了った健の左手をぶっ刺すところとかね。
その次から交代方式の麻雀が導入されたが、これもまあ良かったよ。
赤木の作った手牌を天が引き継いで四暗刻を和了る場面は熱いし、あれは確かに共闘するからこその面白さだ。
交代方式以外に特に面白いとも思えないルールが山ほどオマケでくっついていて、全部要らないと思うが、
それは忘れることにするよ。
ここまでだよね、『天』が面白かったのって。
麻雀の代表的二翻役である、「一気通貫」「三色同順」「七対子」「チャンタ」「三暗刻」を先に全て和了したグループの勝ち
というルールだ。
もう、ハァ?という感じ。パッと見、何が面白いのかさっぱり分からない。当然漫画を読んでも、とても面白そうなゲームには見えない。
こんなルールを導入するからには、それなりの説明があっても良いのだが、それも特に無い。
天が言うには、「チームワーク重視であること」「ひろゆきの理詰めのセンスが生かされやすいこと」が理由だが、
明らかに論理の飛躍がある。そのためなら、こんな意味不明なルールでなくても良い。
しかもだよ。「三暗刻」が「麻雀の代表的二翻役」ってどういうことだよ。滅多に和了れないだろそんな役。
まだ「トイトイ」が残ってるのに。
「トイトイ」を差し置いて「三暗刻」なのはなぜ?どう見ても作劇の都合で「三暗刻」にしたよね?
導入する理由も不明瞭、ルールも作劇の都合というわけで、決勝編はかなり悲惨だった。
原田が「そんなパズルみたいなことやってられるか」と言うが、ごもっとも。
ちなみに原田の提案で普通の点棒制との並立制が取られている。それがなければもっと悲惨だったかも。
まだ終わらない。決勝がいろいろあって引き分けに終わったのち、原田と天の一対一の対決が始まるが、
ここでもまた意味不明なルールが導入される。名前がついていないので、福本ルールと呼ぶね。
ざっくり言うと
18巡以内に二人のうちどちらかが先にテンパイを宣言する。宣言された方は当たり牌を推測し、宣言した方はひたすらツモる。
ツモ和了までに当たり牌を当てられたら宣言された側の勝ち。当てられるまでにツモ和了したら宣言した側の勝ち。
もちろんこれに点棒の収支が絡む。知らない人はWikipediaでも見て。
これは、本質をついた改造でも何でもなく、麻雀というゲームを激しく勘違いしているよね。
ただ二人で麻雀したいだけなら、萬子と筒子の2~8を抜くとか、あるいは萬子だけでやるとか、やり方あるじゃんよ。
まーこれどっちもゲームとしてはクソだよ?特に後者は天和・人和・地和が連発する歪なゲームになっちゃう。
でも漫画なら面白く盛り上げる方法はあるだろうし、ゲームとしてクソなのは福本ルールもどっちもどっちでしょ。
そんなんだったら、そういうスタンダードなルールを退けて、こんな意味不明なルールを採用する理由ってなに?
無いでしょ?そんなの。
天の提案したクリア麻雀を「パズルみたいなことやってられるか」と一刀両断した原田が、
ここでこんな幼稚なゲームを提案してきたことに俺はひどくガッカリした。
健の左手をぶっ刺したときは、ヤクザーな感じで超かっこよかったのに、
この後、麻雀とは特に関係のない通夜編が始まる。通夜編の評価は特に高いようだが、
俺には原田だの天だのが赤木を送り出すに相応しいとはとても思えず、特に何か感じるものもなかった。
こういうシンプルなゲームを原田と天の最終決戦でこそやれよ…って思い、更にガックリと来た。
これが『天』の感想。
もうなんかめんどくさいので、『アカギ』鷲巣麻雀編の感想は簡単に済ますと、
アレは一晩の対決を何十年もかけて連載していることに価値があるんだと思う。それは認める。
しかし、鷲巣麻雀ではなく普通の麻雀だったらもっと良かった。鷲巣麻雀は『天』の時ほど本来の麻雀からかけ離れているわけではないが、
やはり変則ルールを導入する意義が見いだせない。
『カイジ』にも変な麻雀やってるとこあるけど、アレはちゃんと読んでないから感想言えない。つーかもう読みたくない。
つーわけで以上。
『咲』もまあ、キャラ数がいい加減多くなりすぎて苦しくなっているところはあるけど、
能力とキャラクター性が緊密に連携しあっていて、それがいかにも少年漫画的で、良いと思います。スピンオフの『阿知賀編』も面白い。
あと全然関係ないけど、最初に書いた時期のコロコロで、魔法使いの話が読み切りで掲載された事があったと思うんだけど、
あれが何だったのか気になるので知っている人は作品名と作家名を教えて下さい。