はてなキーワード: 極真とは
552 :量産型諜報部員:2014/02/10(月) 19:02:09 ID:lWgwOzyw
http://ameblo.jp/kyokushinkan-osakam-hp/image-11449355724-12377573431.html
553 :ソーゾー君:2014/02/10(月) 20:01:25 ID:88Jpo.y2
>>552
その為のネタ振りか?
お前達は毎回同じネガティブキャンペーンして楽しい?
だけど表層しか知らん柔道や空手をやってる奴に何て言えば良い?
確かに心は鍛えられるよ?
人気取りの為に利用してるだけだろ?良くある事だ。
創始者が健全だろうが腐ってようが中心メンバーは腐ってから何も変わらん。
利用できるものは利用したら良い。
↑違い解る?全員が腐ってるわけないだろ?大半は善男善女だよ?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1387207762/
成人とアラサーの間で学士入学の大学生で彼氏無しでオタクで腐女子。付け加えれば処女。
スペックだけ書いたら「わーお素晴らしい事故物件だね!」と自画自賛できる状況。
考えてみれば母親は私の年齢の時点で既に父親と同棲状態にあり、数年後には私が産まれている頃だ。
周囲の社会人の友人たちはそれぞれ婚活に手を付け始めたり同棲したりと、着実に「結婚」の二文字へと歩みだしている。
今の状況を整理して、「世の中にはこんな面倒くさいやつもいるんから未婚女性の皆さん安心してね」というエールにしたいと思う。
予め言っておけば、私は喪女ではない。
頭の回転も早く、オタクとしてもジャンル被りをしていたために会話は弾み非常に有意義な時間を過ごしていたと思う。
その当時の私といえば某週刊漫画誌に連載していた超人しか居ないテニスマンガの有名カップリングで同人を描き始めた頃で、男が絡み合っている絵を描いては友人たちとニヤニヤして楽しんでいた。
そんな時でも彼氏はいたのだ。今思えば不思議でならないが、田舎の小さいコミュニティに男女がいればこういうことも起きたのかもしれない。
別れたのは別々の高校に進学することが主な原因で友人にもそう説明したが、実はもっと大きな理由があった。
お互い高校にも受かり(このずっと前から別々の高校に行くことはお互い知っていた。お互いの学力レベル的に地元の男女共学は余りにも下過ぎたためだ)、これでしばらく穏やかにデートできるねーと校内のとある場所で2人っきりで話した。
その時、まあ簡単にいえばセックスしないかと言われたのだ。
私は断り、更に相手を殴り、そしてそのまま家路についた。
卒業も迫った時に初めてのセックス。少女漫画だとよくある話だ。少女向けエロ漫画だともっと日常茶飯事だろう。
別に私もそういうエロ漫画を読んだことがなかったということでもないし、そもそも男が男の尻に突っ込んでいる絵を描いてあまつさえ売っていた人間だ。
何で殴りまでして逃げたのかというと、私にとってセックスというものは二次元であり、美しい人達がするものであると固く信じていたからだ。そして責任を持った大人がするものだ、ということも頭に叩きこまれていた。
前者は恐らく少女漫画が原因だと思う。当時は小学生向け雑誌ですら(ガッツリな行為は抜きの)ベッドシーンが描かれていたのだ。そして時代的にBLも美少年たちがお互いを求め合うのが大多数。
そんな綺羅びやかな世界を見続けた後に風呂に入る。鏡に写るのは長くもない太い足と、がっちりした肩と、くびれはあるが出っ張りも目立つ腹と、凡庸かつ確実に美しくもない顔。
唯一漫画と同じなのは胸だけだった。それだけは未だに人並み以上にはあるのだが、それも私の現状の悪化の一因となる。
とにかく、美しい世界で繰り広げられる行為を自分に照らし合わせることがどうしても私には出来なかった。喘ぎ声だってあんな可愛いものではなく怪物の鳴き声のようだろうきっと。苦悶の表情は相手を萎えさせるだろう確実に。
そんな人間がセックスなんてものをしていいのだろうか?おまけに相手は大好きな人だ。そんな人にそんな姿を見られて嬉しい訳がない。
これが断った理由だ。
そもそも当時から今まで、私は自分に彼氏がいたという話を一度もしたことがない。
というのも、中学、いや小学校高学年ぐらいか。それぐらいからこういう話を私に言い聞かせ続けた。
「恋愛は大学生になったらしなさい。人生を決めるのは大学なんだから、それまでは男にうつつを抜かしていたら、その時は幸せかもしれないけど将来幸せになれない」
(「じゃあオタク趣味はどうなんだよ」、と思う方もいるかもしれないが、母はその昔某星座を守護に持つバトル漫画でBL本を出しておられたお方で、「オタクは家に籠もるからよろしい。いつでも勉強できる」という考えだった)
ということで初めての彼氏が出来たという嬉しさを自宅に帰るたびに忘れることが日課となった。
そして昔から性教育も、モロな話をする訳ではないが学校で話が出た頃から教えてくれていた。
「女の子の身体は大切にしなきゃいけない」「妊娠のリスクを頭に入れておかなきゃいけない」「一番大変な目に合うのは女の子だから、相手はちゃんとした人を選びなさい」
至極真っ当だ。今でもその通りだと思っている。
私は高校生になる前の、未来が拓けるところまで辿り着いていない「大切な身体」。
そんな私を「大変な目に合わせる」のか、この男は。
彼が私にいつものようにキスをし、それで終わるのかと思いきや教室で押し倒した時の一瞬でこの考えが頭の中を駆け巡った。
次の日、彼は私に殴った理由を尋ね、上記の回答をすると「こんな面倒な奴とは思わなかった。別に1回ぐらいいいだろ」と言ったので今度は引っ叩き、そのまま別れた。
ここからしばらく私の人生に彼氏は登場しない。何故なら女子高に行ってしまったからだ。
初めて自分用のパソコンを買ってもらい、案の定ずぶずぶと深みに嵌った私は案の定とある掲示板のオフ板に嵌ってしまう。
オフに来るようなのは大体男ばっかりだったが、萌えアニメにもブヒブヒ(当時は萌豚なんて言葉も無かったが)言うような両刀に育ってしまったために、むしろ普段つるむ腐女子たちの時と同じぐらい楽しく会話ができた。
私が出入りしていたのは新規歓迎なオフスレでメンバーの流動も多く、知り合った人が顔を見せなくなったりなんてことは日常茶飯事だった。
それでもやはり数名のベテランもおり、そういう人と一緒の時は盛り上げ方も上手く楽しい時間を過ごせた。
最初の経験で気軽に男に近付いてはいけない、そして2chで何度か手痛い失敗をした経験からネットで知り合った人間に個人情報を気安く教えてはいけない、とオフ初心者の割にはガードが固めではあったと思う。
しかしその後、活動時間が似ていたのか何度かオフで遭遇し、そのたびに会話が盛り上がり、遂にメアド交換もし、直接会うことも多くなっていった。
同い年で大学も近い。講義後に待ち合わせてお互いの大学の学食で一緒に御飯、なんていうリア充のようなことだってした。
何度目かのデート(もうそういうものだっただろう)で、「これ」と小箱を渡された。
開けると指輪。そして小さな紙に“結婚を前提にお付き合いしてください”の手書きの文字。
こんな映画みたいなことが自分に起きるのか、とその時は思わず泣いてしまったのを覚えている。
最初はネットで知り合い、「あのアニメのエロ同人、あのジャンルとあのジャンルの有名サークルが出すらしいから手分けして並ぼうぜ!」と3日目を一緒に戦い抜き、
「お前のBLを受け入れるから代わりに百合を受け入れろ」と互いに譲歩し合い、
「ああ、この人とだったらたとえ老人になっても今期のアニメはどれがブヒれるか語り合え続けるだろうなあ」といつしか思うようになっていた。
ここまで見ればハッピーエンドだ。勿論そうは終わらない。
またしても私の頭が邪魔をした。
いいだろう。彼を生涯の伴侶としよう。私は幸せに一生を過ごすのだ。
…本当に?
薄々目を瞑っては来たのだが、彼と私は趣味以外が全くと言っていいほど噛み合っていなかった。
バイトで溜まったお金はフィギュアやゲームになり、依存レベルではないが幾らかは馬に消えた。対する私は大のギャンブル嫌い。
「ドラマも映画も糞、アニメが至高の文化」と公言する彼に対し、そこそこドラマも映画も見る私。
記念日に一緒にちょっと高い店で食事をすると、彼はいつも肘をつきナイフとフォークの順番を気にせず使い、店員にはタメ口で話す。有難いことに食事のマナーは教えこまれて育ったために、それがいつも気になって仕方なかった。
そこでまた頭の中で考えが巡る。
「私は大切なこの体を、趣味の時間を一緒に過ごすのが楽しいとはいえ、それ以外何にも私と合っちゃいない人に預けてもいいのだろうか?」
「この先彼からホテルなり何なり誘われた際に、処女を捧げてもいいのだろうか?」
やはり頭に浮かぶのは性の問題だ。
その頃から既にネット上では「処女が一番、それ以外はビッチで貶すべきである」という不文律が出来上がっていた。
その考えと今までの教育が合致したために私の頭は両者を受け入れ組み合わせ、「結婚する相手じゃなきゃセックスしちゃいけない。もし別れでもしたら次に付き合ってくれる男性が居なくなってしまう」と考えるようになった。
その条件ならば彼はしても良い相手になる。だが上記の不満点を考えれば、彼とこれから先一緒に暮らすことなど到底出来ない。
何となく一緒に遊びには行くけど、という曖昧な関係のままだったためにお互い手を繋ぐぐらいのことしかしていなかったのがある意味では幸いだった。
一度悪い結末を脳内で描けばもう元には戻れない。
私は一気に冷め、数日後指輪を返し「ちょっとこれ以上は無理」と別れを告げた。
理由を訊かれたが誤魔化した。本当にいい人なのだ。趣味以外の部分を除けば。だから傷つけるようなことは言いたくなかった。
この2回の経験で私は、いかに自分が面倒くさく、幼少の教育が人生の根幹に染み付いて離れず、そして妥協ができない理想主義者であることを思い知った。
この世に完璧な王子様なんて居ない。そんなことは少女革命ウテナでとうの昔に学んでいる。
それでも私は出来るだけ理想的な人と添い遂げることを夢見てしまう。
でもきっと本当は、駄目なところすら受け入れるというのが本当の恋愛というものであり、結婚というものなんだろう。
実際私だって他の人から見れば完璧ではないのだ。そんなことは毎日風呂場で鏡を見るたびに思い知っている。
そんな私が誰かを否定できるような立場にいるはずもないのだ、最初っから。
それにネット世界の意見を全て鵜呑みにしているのも悪いのだろう。
世の中の人間が全て非処女を嫌うわけでもないのだろうきっと。再婚する人だっているんだから。
だとしても少なくとも非処女=ビッチと蔑む人は確かに存在し、そして私は他人から蔑まれる側に自ら望んで行きたいと思うほどマゾでもない訳だ。
それを知ってしまうと更に私は守りを固めなければいけない、と思ってしまう。
この後も数人、現実世界やネット世界で出会った男性と付き合いもしたが、凝り固まった私の頭のフィルターに全員引っかかっては消えていった。
成長してそれなりに化粧も覚えたり社会に出たりするも、結局顔は未だに凡庸で身体も残念。ただし胸だけはあったためにそれに引っかかる男性の多いことも知ることが出来た。
こうして更に私の脳内メモに記述が増える。「胸が目立たない服を着た時に残念そうな顔をした男からは即刻逃げろ」。
そして、今だ。
振り返ってみれば、もう今更どうしたらいいのか逆に分からなくなってしまった。
私はただ、この先ずっと一緒にいても良い人となら付き合いたいし結婚したいし、処女じゃなくなってもいい。
むしろビッチにでもならなければこの理想主義も治りはしないのではないか。
こんな重たい考えの人間なんて誰だってお断りだろう。私だってこんな自分が嫌だ。
誰かの素敵な伴侶になれる人を私なんかの相手で時間を使わせるよりは、私が一人で生きていったほうが世の中のためにはなりそうである。
幸せなことにオタクとして、腐女子としてはずっと楽しい毎日を過ごして来られている。知り合えた友人も多いし、有明に本を出す側になってもう長くなってきた。
「自分を大切にして幸せに生きる」、ということだったら私はちゃんとやり遂げられている。だから、このままでいいのかもしれない。
人工知能の件、性差別の表現という解釈は、至極真っ当である。間違いではない。
だからこそ、それを問題の本質にされるのは致命的な間違いに見えてしまう。
日常に氾濫するそういう表現に、実は無意識な差別が含まれてるという
再発見を与えた問題提起という視点では、それは限りなく正しい。
だからといって、それに対して、性差別だ!!と叫んだ時どうなるのか。
なんかうるさいのが叫んでる。と流されて終わっていたように思えてならない。
それほど、日常というコップの奥底に、そういうものは溶け込んでいて
深く自然に沈殿し、だれかの小さな叫び程度では、透明な水に濁りを与えることも出来ずに
人々は容易く飲みほしてしまう。逆にいえば、それほど根が深い問題なんだろう。
透明だと思っていた水に濁りを与えて、その水を飲むことにためらいを与えた。
その違いこそが、本当に気しなければいけない。何かなんじゃないかと思う。
それは、「学会」という権威の塊ような言葉、さらに最も先端的な研究にに携わる者、
センシティブすぎても足りないような者達なのに、簡単に踏み外したことへの糾弾なのかもしれない。
でも、僕はもっと人に期待したい。
もっと単純に「知」というモノが、あまりにも人間の尊厳の底にあるのではないかと。
僕らが、性差というそれに対して、無意識に差別してしまうように
人々は「知性」の有無で何か大きな区別をしている。それが差別なのかは分からないのであえて区別と書いた。
でも、公平性の欠如という意味では、「性差」に壁があるように、「知性」にも壁がある。
前者について考え改善していくことは、今できる。
「知性」が持つ壁こそ、他の動物達と区別される、人間が持つ尊厳なのでないか。
性差なら明確に否定されるそれを、代替奴隷でしかないロボットだったものが
知性を獲得してしまったとき、それを強いても、僕らは肯定されるのか。
そして最初に戻る。
あの表紙には、そういう違和感が隠れているように見える。今は語れない何かが含まれている。
透明に見える水なのに、なぜかザラつく感触が隠れている。
自分がまず誰かを好きになり、その人に好かれるように動かなきゃ事態は変わらない、というのは確かだと思う。
ただし、非モテの間に漂っているのは、周囲からは自分には好意が向けられることはなく、むしろ刃が向けられることが殆どだろう、という絶望感だと思う。
自分が好きになった所で、相手が自分を好きになってくれるという保証はない。これは間違ってない。
非モテ、特に俺みたいなオタクの場合は、「保証はない」なんて生易しいレベルじゃなく「相手は自分を見たら100%「キモい、あっち行け」と言うだろう」と確信している。
異性間どころか同性からすらそうやって蔑まれるだろうと怯えて過ごす彼らに、「誰かを好きになる」という温かい感情が芽生える余地はないだろう。
むしろ自分なんかに好かれたら相手は迷惑だろうとすら思っている。
多くの場合、非モテに陥る奴は、多かれ少なかれ、そして形は色々あれど、何らかの形でいじめを受けている。
いじめを受けた人間は、相手が自分に向ける感情が、ネガティブなものであることを前提にするようになる。至極真当な防衛本能である。
そうして他人の善意を信じられなくなったいじめられっ子はぼっちになり、非モテになり、魔法使いになり、アニメやゲームに傾倒し、やがて不審者として通報されて牢屋の中で一生を過ごす。
http://anond.hatelabo.jp/20131111183828
では、女性は子供じみているのかというとそういうわけではない。
女性にはしばしばこういうことがある。
問題が発生した際に、自分の非を認めず、自己を正当化し、自分以外のモノを非難する。
これは、女性が社会の中で生きていく中で、より良い個として認めてもらいたいがために
自然的に発生した動物的な本能であるがゆえ、誰が悪いとか子供じみているとかいう話ではない。
仕方がないのだ。
そしてその行動は初潮が始まる頃から、閉経するまでの年齢に顕著に見られるのである。
特に閉経後、ガラッと精神的に自立を果たす女性が多いというのは異論はないのではないだろうか。
歳を重ねても、わがままばかり言っている女性も当然いるが、これはまた違う病気なので
かわいそうな目で見守ってあげることくらいしかできない。
女性にはこのような性質があるため、重要な決定や、論理的な解決を行うことができない。
そのため、重要な決議の場から女性が外されるということは、社会的にも女性の立場向上から見ても
これを理解できない一部の女性が、「女性差別だ!」「男性中心社会だ!」と声を荒げる所などは
まさに精神が未熟な証拠に他ならない。このシステムが論理的に理解できていれば
おわかり頂けただろうか。
女性差別というのは、社会を効率的に回すための仕組みを理解できない女性が世に生み出した悪魔なのだ。
では、女性は子供じみているのかというとそういうわけではない。
女性にはしばしばこういうことがある。
問題が発生した際に、自分の非を認めず、自己を正当化し、自分以外のモノを非難する。
これは、女性が社会の中で生きていく中で、より良い個として認めてもらいたいがために
自然的に発生した動物的な本能であるがゆえ、誰が悪いとか子供じみているとかいう話ではない。
仕方がないのだ。
そしてその行動は初潮が始まる頃から、閉経するまでの年齢に顕著に見られるのである。
特に閉経後、ガラッと精神的に自立を果たす女性が多いというのは異論はないのではないだろうか。
歳を重ねても、わがままばかり言っている女性も当然いるが、これはまた違う病気なので
かわいそうな目で見守ってあげることくらいしかできない。
女性にはこのような性質があるため、重要な決定や、論理的な解決を行うことができない。
そのため、重要な決議の場から女性が外されるということは、社会的にも女性の立場向上から見ても
これを理解できない一部の女性が、「女性差別だ!」「男性中心社会だ!」と声を荒げる所などは
まさに精神が未熟な証拠に他ならない。このシステムが論理的に理解できていれば
おわかり頂けただろうか。
女性差別というのは、社会を効率的に回すための仕組みを理解できない女性が世に生み出した悪魔なのだ。
では、女性は子供じみているのかというとそういうわけではない。
女性にはしばしばこういうことがある。
問題が発生した際に、自分の非を認めず、自己を正当化し、自分以外のモノを非難する。
これは、女性が社会の中で生きていく中で、より良い個として認めてもらいたいがために
自然的に発生した動物的な本能であるがゆえ、誰が悪いとか子供じみているとかいう話ではない。
仕方がないのだ。
そしてその行動は初潮が始まる頃から、閉経するまでの年齢に顕著に見られるのである。
特に閉経後、ガラッと精神的に自立を果たす女性が多いというのは異論はないのではないだろうか。
歳を重ねても、わがままばかり言っている女性も当然いるが、これはまた違う病気なので
かわいそうな目で見守ってあげることくらいしかできない。
女性にはこのような性質があるため、重要な決定や、論理的な解決を行うことができない。
そのため、重要な決議の場から女性が外されるということは、社会的にも女性の立場向上から見ても
これを理解できない一部の女性が、「女性差別だ!」「男性中心社会だ!」と声を荒げる所などは
まさに精神が未熟な証拠に他ならない。このシステムが論理的に理解できていれば
おわかり頂けただろうか。
女性差別というのは、社会を効率的に回すための仕組みを理解できない女性が世に生み出した悪魔なのだ。
愚痴です。不満の声です。主観的な、机上の空論です。ですが自分の中にある声を素直に吐き出しておきたいと切に思いますゆえ、自らがどこまで未熟であろうともそれを容認し、第一に自らの人生のために、ここに書き記します。オフラインのメモ書きで済ませることも可能ではあり、普段は主にそうしているのですが、今回はあえて人目に晒すのもよいかなと感じました。いつもの勢いでOKWaveに投稿しちゃうところでしたが、ふと匿名ダイアリーを思い出してヨカッタヨカッタ。
'
以前、意を決して赴いたクリニックの先生はとても高圧的で、こちらの罪悪感をいたずらに掻き立てる人だった。具体的に思い出したくもない人だ。そして不運にも、今回行った別のクリニックの先生も高圧的な人だった。決め付け、見下し、呆れて見せ、息を吐くように私にツバを吐きかける。声にならない声で「お前は碌でもないダメ人間だなぁ」と。ひょっとすると精神科医とは、こういう嫌な意味で事務的で冷たい人であることが当たり前なのだろうかとも思った。
だがインターネット上に散在する、精神科医の方やその患者さんの声を掻い摘んで読み、自分の中で咀嚼した結果、「私の神経は、人間である以上当然完璧と呼べるものではないものの、人間として至極まともである。私が掛かったクリニックの先生方のあの姿勢を自分の中で擁護などしなくてもよい。あの姿勢に対して感じた、自分の中のとても不快で嫌な感覚を安易に否定してはならない。自分の素直な気持ちを大事にしたらいい。」といった考えに落ち着いた。
私としては、そんな攻撃的な姿勢のまま人の心に接する仕事をして害を振りまき続ける事のできる神経はちょっと信じられない。罪悪感に胸を痛めている泥棒さんの方が、人間対人間として付き合う余地があるぶんまだマシかもしれない。患者をどれだけ乱暴に扱って気持ちを踏みにじろうと、理屈の粘土を塗り固めて造った巨人のような姿の“法律”や“知識”という強力な後ろ盾があるため、もしかすると泥棒より性質が悪いかもしれない。どんなにまっすぐで綺麗な心の訴えも“合法”という魔法の呪文で簡単に流し戻されてしまうのだ。診療所を構えて患者を呼び込んでおきながら、診察室の中は苦しむ患者を更に苦しめる罠で満たしてある。そして診療の最後には金を必ず支払わせる、という構図は、泥棒でなければ一体何だと言うのか。
これでは、ますます人が信じられなくなってしまう。ますます、自分はダメなやつであるという無根拠な信念が強固なものとなってしまう。そんな人生絶対にゴメンだ。
人の心に携わるお医者さんというのは、こういった不安に怯える心を救うお手伝いをしてくれる人ではないのか? 自分の価値観を患者に押しつけて、自信を無くさせてトドメを刺すのが仕事なのか? 愛で以って怨恨の連鎖を断ち切るどころか、逆に恨みの連鎖を自ら積極的に作り出し多くの人の人生を邪魔するのが仕事なのか? 嫌な思いをさせて、更に金まで取るのか?
理想論を否定し、現実を見ろと説教を垂れる人をたまに見かける。だが「理想を見ろ」と言う人を私は見たことがない。私はどちらかと言えば「私は現実ばかり見ていないで理想も見る」と言いたい。サンタクロースは居るかどうかわからない不確定な御人だが、サンタクロースを夢見るなどの純粋な気持ちは、人間が何のために生きなぜ心などというものを持っているのか、ということを確定的に教えてくれるように思う。
心は“見えない生き物”のような存在で、抑えつけられれば元気がなくなる。心の持ち主に対し自分の声が届かない状態が続くと、だんだん姿がぼやけてくる。持ち主と心が正面から向き合うことなく、自由に躍動することを許されず、無視をされ続けることで、心というものの存在自体が、輪をかけて曖昧になってくる。
「この先生たちはもう、とうの昔に自らの心を捨ててしまっているのではないだろうか。」私の心の目にはそんな風に映った。心に携わる医者が心を持っていないだなんて、皮肉なものだなと思い、また同時に、この人たちとの関係は早々に断ち切ってしまうことが自らの人生のためによいと結論した。全てと取っ組みあって検証するには、私の人生は短い。
「精神科医というのは、自らの心を殺さねば勤まらない」という結論を、多くの人が出したのかもしれない。上述したように、ある観点において人生は短いと言える。その短い人生をより良く生きるために導き出された、至極真面目な答えなのだろう。私は恐らく一生その結論には至らない。なぜならそれは人生規模で本末転倒な結論であると感じるからだ。私からすれば、ふだん到底思いもしないような代物である。「へえ、そうなの」で気持ちは大体片付いてしまい、大した反感を抱くまでにも到らない。
'
というわけでなんやかんやで平穏を取り戻した自らの心にささやかな幸福感を覚えつつ、ここに筆を置きます。読んでくれた人はありがとうんこ。
意味のないことに気が付かないことに対していらだつわけでして、困ったものです。
ということで、対策を考えてみました。
・赤ちゃん乗ってないけど、「赤ちゃんが乗っています」ステッカー
・「slow moving vehicle」って書いたステッカーを貼る(ステッカーには、日本では何の根拠も効果もない。)
・「極真」という毛筆体のステッカー(特定の団体とは関係ありません)
・空力的な意味はないけど、リアウイングを付けて車高を落とす(多分うちらの仲間と認識されたらあおられません)
・一時停止はしっかり停まる
・信号は守る
・混んでるショッピングセンターとか駅とか繁華街にはいかない
・帰省ラッシュと逆の行動を取る
視野から見えている範囲でしか考えていないから、仕方がないと思います。
こーゆー面倒で理不尽なやつらに出会いたくないから、田舎から出るのであり、都会では学歴や階層で壁を作りたくなるのだろうなと最近の流行の話題に引っ掛けてみる。
http://blog.livedoor.jp/sharescafe/archives/30345738.html
ブクマにある反論をまとめると
要はそんなとこに貯めるんだったらまず給料を上げろよ、ということ。
その上で貯めるんだったらまあしょうがない」
という感じになるのかな。
ただ、あれだけ丁寧に説明してんのにそれでも会社の仕組みすらわかってない人がいて
もうこれはどうしようもないというか、まあそういう人は居酒屋で愚痴言い続けている
経営側にいる人間として会社運営とお金の関係を簡単に説明しよう。
-----------------------------------------------------------
①売上高
皆がお仕事を頑張った結果です。
↓
②原価
まずお世話になっている取引先・仕入先にお支払いしましょう。
↓
③総利益
↓
会社っていろいろとお金かかりますよね。諸々払っちゃいましょう。
その他諸々雑費含めてお金かかってる分、まとめて払いましょう。
↓
⑤営業利益/損失
やっと利益出たー!今年も頑張ったー
とりあえずプラスであれば万々歳ですね。
でもいろいろ借金の利息とか払わないと。
↓
⑥経常利益/損失
え、会社で持ってた株が急落した?
じゃあ損失じゃねーか。その分を引きましょう。
↓
あ、忘れずに税金も払ってね!
↓
でもやっぱり今後会社が傾いたりしないよう貯めときましょうよ。
-----------------------------------------------------------
これがP/Lの流れで、
お気づきの方がいると思うけど、いわゆる「株主」が手を出せるお金というのは⑦の時点になってから。
株主2「いや、そんなしょぼい金額配当されても微妙から次爆発しそうな事業にぶっこんどいて、よろしく」
つまり、最後に残ったお金について文句を言うことができるとすればそれは「出資」を
「給料上げろ」というのは至極真っ当な提言だとは思うが、従業員の給与が決まる仕組みと
この最後に残る純利益をどう分配するのかということは何ら関係がない。
もう言わなくてもいいと思うが、「給料上げろ!」というのは経営側の人間とは真反対の考えである。
株主が代表取締役社長を決め、社長が経営方針を決め、その方針のもとに一年間活動し、
残った利益をどうするか出資してくれた株主に示す。このループが会社運営であり、
業績が良かったならば一人一人の従業員の給与を上げたりボーナスあげたりする会社もある。
ただそれは言うまでもなく従業員の士気を高め、来年もっと大きい数字を稼いできてくれることを期待してのことだ。
「そんなことはどうだっていいんだよ。給料上げろと言ってるだけなんだけど」と
追記:
先に書いておきますが、前半部分の数字がついてるのは「はしもとのあれ」です。
で、その周りに書いてあることは、みなさんから反応をもらう前に私が思っていたことです。
色々反応を頂いて、自分なりに理解できたつもりにはなったので、そのまま残しておきます。
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よくわかんないので整理
1-1, 個人の意思に反して従軍させられた慰安婦がいたとしたら、周辺諸国に謝罪すべき
1-2, しかし、2007年の閣議決定で個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」ということになっている。
1-3, 閣議決定は、政府の公式見解、政府の公式見解は、日本の公式見解
1-4, にもかかわらず、諸外国から従軍慰安婦の件で、過去を反省しないレイプ国家との謗りを受けている状況は国益に適わない。
特に1-2が閣議で決定されているわけで。外野がわやわや言おうと、閣議で再決定なり覆したりしない限り、日本の見解は変わらないよね。
もし、間違いなのだとしたら、閣議なり国会なりで信頼できる証拠、少なくとも国内では確実なものだと言える証拠を提出して議論すべきだよね。
で、件の風俗発言だけど
2-1, 昔は、強制でない買春はどの国にでもあった
2-2, ここでいう買春は国が管理しているものではなく、民間業者や個人
2-3, 買春は当時の感覚では、今ほど拒絶されているものではなかった
2-4, それを戦勝国だからと言って、敗戦国で当時行われていた買春だけを責めるのはアンフェアだ
そして、アメリカの話
3-0-1, 古くはGHQ時代から買春が個人によって行われていた
3-0-2, 沖縄米軍基地の周辺でレイプや暴行事件が後を絶たない。つい最近もあった
3-0-5, 米軍の女性兵士でレイプ経験があるのは30%に達するとの報告があり、問題解決に取り組みはじめたところ
3-1, アメリカは軍の性犯罪問題に真正面から取り組むべきだ
3-3, 日本の法律で認められた風俗産業では買春は認められていない
まとめると、
1, いま、諸外国から責められている、国が管理する従軍慰安婦問題は、少なくとも日本の公式見解として存在しない。
2, 昔は一般的だった問題で日本だけが責められるのはアンフェア
3, アメリカは今までに色々問題起こしてるよね。日本を責める前に問題に真正面から取り組んだら?
ということで。うん、至極真っ当な気がする。
タダの正論だと思うんだ。
で批判だけど、
1-1, 人権云々が「管理売春」の話であれば、大戦時も今もない(ことになってる)ので的外れ
1-2, 性風俗に従事する人たちの人権が、というのなら自由意志でやっていることなので的外れ
1-3, そもそも性風俗に従事している人の人権が、というのならそれは別の問題
2-1, 主張としては正しいと思うけど、じゃあ対案は?3-0-5とかひどいもんじゃない
3-1, うん、安い挑発過ぎるね
4, 維新の会への印象が悪くなる
4-1, うん、そうだね
5, タブーに触れるのはよくない
5-1, なぜ?
6-1, 3に関わる話なら分かる
7, メディアがつまみ食いするの分かってるんだから、もう少し要点をはっきり話せ
というところで。正直、国益を損なう発言であるという以外に問題が見当たらない。
その他の批判はポジショントークだったり、メディアが勝手に切り取った話をつまみ食いしてるだけで。
7が一番の問題な気がするんだけど、それはメディアの問題で。
で、何が、本質的な問題なの?
----
1-3から明確な誤りですね。07年3月の閣議決定は辻元氏への答弁で、「いわゆる強制連行」を示す根拠がなかったとはしているが、93年8月の「いわゆる従軍慰安婦問題について」を踏襲することが明言されているもの。
「個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦がいたこと」は政府が公式に認定しているところというのが2007年の閣議決定の内容ですよ。
調査結果中には「業者らが或いは甘言によって、或いは畏怖させる等の形で本人の意向に反して集められるケースが数多く、更に、官憲等がこれに直接加担する等のケース(白馬事件)も見られた
発言では
証拠が出てきたらね、それは認めなきゃいけないけれども、今のところ2007年の閣議決定では、そういう証拠はないという状況になっています。先日、また安倍政権で新しい証拠が出てくる可能性があると閣議決定したから、もしかすると、強制的に暴行脅迫をして慰安婦を拉致したという証拠が出てくる可能性があると
と言っているので、明らかな間違いがあるってことですね。ありがとうございます。
で、まぁ
「当時は必要だった、お前らもやってただろ」と「俺たちが悪かった、でもお前らもやってただろ」の前者を選んだ時点で価値観が露呈。
だし、
http://anond.hatelabo.jp/20130515145914
橋下市長はこの問題に全く関係ない。 別に今大阪市長として何らかの政治判断を求められてるわけでもない。 だったら別に答えなくても良かったのに。
が結論かな。
あざっした。
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途中で飽きました。すみません...
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それはわかるんだけど、きれいごとで世の中が変わるのなら世話ないというのもありますよね…
当事者に倫理観がないからレイプが発生するのだから、というのは論点のすり替えか。
うーん。
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http://anond.hatelabo.jp/20130515154352 が紹介してくれた、
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/01/post-514.php
って記事、
日本での慰安婦問題に関する論調にある「狭義の強制連行はなかった」という主張は、裏を返せば「当時の法制や慣行に則した広義の強要はあった」ということであり、要するに「やっていたと堂々と認める」という話に他なりません。これは大変に異様なことです。20世紀に起きた「交戦地帯における兵士相手の管理売春の強要」を21世紀の国連加盟国の政府が「狭義の強要よりは反道徳的ではない」と主張する、それも「大っぴらに主張する」というのであれば、理解される可能性は限りなくゼロに近いと考えるべきでしょう
がかなり腑に落ちた。
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BBCの記事では「慰安婦は必要だった」という歴史認識と「慰安婦への配慮は言葉でいい」という部分が問題視されてたと思うけど。このまとめは的はずれじゃないかな。
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-22519384
Japan WWII 'comfort women' were 'necessary' - Hashimoto
...
Some 200,000 women in territories occupied by Japan during WWII are estimated to have been forced to become sex slaves for troops.
...
He acknowledged that the women had been acting "against their will". He also claimed that Japan was not the only country to use the system, though it was responsible for its actions.
...
"It is a result of the tragedy of the war that they became comfort women against their will. The responsibility for the war also lies with Japan. We have to politely offer kind words to [former] comfort women."
訳されて、中国の反応を付記してるだけで、かなり中立的な気がするけど。
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「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と「個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」は全然意味が違うんですがそこは大丈夫なんですかね…
質問(辻元清美)http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm
答弁(安倍晋三)http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm
なお、「いわゆる従軍慰安婦問題について」は以下
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf
「従軍慰安婦についての本当の話」
http://www.geocities.jp/ianfu99/
によると、
新聞や雑誌を読むと激しい論争があるように思いますが、では研究者はどう見ているのでしょう?実は慰安婦を研究している人で慰安婦を職業的な売春行為だとしている人はほとんどいません。最初に資料を発見した代表的な研究者である吉見義明と異なる立場をとる研究者は、実際上秦郁彦1人だけです。研究者の間では慰安婦が旧日本軍による犯罪(誘拐・監禁・強姦による性暴力)であることに異論はありません。
とある。
この文章の信憑性がどうとかいう声があるけど、
今日(2013/5/15)の段階で(どうせリンク切れになるのでタイトルのみ)
っていうことになったので、
1-3「しかし、2007年の閣議決定で個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」ということになっている。」
ってありえない発言(要約が正しいとすれば)だな。と理解。
談話は以下。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
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はしもとのあれに関しては、もう飽きたのでいいとして、あずまさんのTweetみててあーこれだなと思った。
性風俗やポルノさえ撲滅できない世界で、なぜ慰安婦すなわち兵士対象の売春行為が撲滅できるのかぼくにはよくわからないので、そんなら最初からその前提のうえで話したほうがいいんじゃないですか、ってのがぼくの言いたいことです。慰安婦に日本政府が絡んだかどうかってのはぼく話題にしませんよ。
@hazuma 5月13日
小学生でもわかるように書くけど、個人が性欲をコントロールすることと、集団が性欲をコントロールすることはまったく別。そりゃ個人では禁欲する男もいくらでもいるし、一般市民は普通コントロールしてるさ。でも集団になると必ず一定確率でコントトールできないやつが出てくるんだよ。
それで、戦争とかで若い男性たくさん一箇所に集めたら、そりゃ性処理問題は出るでしょうという話で、それは基本的に通勤電車があると一定確率で痴漢でるとかと同じ。これがどうして「野獣としての男を肯定するマッチョな話」になるのかさっぱりわからん。
要は、若い(中高年も?)健康な男性を多数管理しようとすれば、現実問題として彼らが抱く性欲は考慮しなければならず(会社だって同じでしょ)、そこで各人の禁欲なんかに頼っても暴発は不可避なので精神主義に頼っても意味がないという話なのに、なんでこんな炎上するのかね。よくわからんよ。
@hazuma 5月14日
(1)軍には男性が多い、(2)交戦中の軍は構成員に異常な心理状態を強いる、(3)その結果はしばしば性欲の昂進として現れる、(4)それを目的に売春行為を扱う業者も出現する、(5)以上の(3)および(4)を非倫理的で阻止するべきだと思うのであれば戦争をやらないほうがいい。以上。
@hazuma 5月14日
あと従軍慰安婦問題だけど、これは調べれば調べるほど込み入っている問題でして、ぼくはぶっちゃけ不可知論というか「専門家でもないしよくわからん」という立場です。それは無責任と思われるかもしれないけど、ぼくからすればよくまあみなさん断言できるなという感じ。
そういう認識のうえで、ぼくは、「従軍慰安婦は性奴隷でもなければ招集に政府も関与しないと橋下氏が信じているのであれば、軍と性の必然的な関係について述べた彼の発言自体は問題とするに価しない」と言っているにすぎない。
@hazuma 5月14日
で
もはや事態は「本当のことでも言っちゃいけないことがある」的なかなりくだらないレベルに落ち着いたようだな。
@hazuma 5月14日
か。うん。納得。しかし実名でやるんだもんなぁ。マッチョだなぁ。
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別に議論したいわけじゃなくて、はしもとの問題って「ただしい」ってのがどれだか分かんなくて。
なんか書いたらみんながレス付けてくれて、理解できるかなって思ったのでまとめました。
これを実名でやるほど肝が太くないんです
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おそらく理解してくれないと思いますが、いちおうちゃんと書きます。ぼくが最初に高橋哲哉の名前を出したのは、ぼくのこの歴史認識についての「いいかげん」な不可知論的立場がデリダについてのぼくの研究(と高橋氏の研究の差異)と理論的に繋がっていることを示唆するためです。
20世紀半ばの哲学者たちはおしなべて、世界に真実はない、ものごとは解釈でいくらでも自由になる、と主張してきました。それが行きすぎてソーカル事件が起きたのはご存じのとおり。1990年代からは一気に風向きが変わり、「確かな真実は疑い得ない」がトレンドになります。
デリダといえば脱構築ですが、そんな彼も90年代には新しい方向で再解釈されました。けれどもぼくはその流行に抗して、むしろ「テキストだけではなにも決定できない」という古い主張を擁護した。それがぼくの博士論文ですが、その立場と歴史認識問題へのぼくの立場は密接に関わっているのです。
ぼくは別に、真実が複数あると言っているわけではありません。真実はひとつです。しかし、真実に近づく方法が文書資料しかない場合、そこにはつねに複数の解釈可能性があって、その差異は合理的討議では決して回収できない。これは理論的問題であり感情的問題ではない。
そしてこの問題はネットの出現で深刻になっている。なぜならネットとはなによりも文書の場だからです。ある事件について資料が公開される。そこまではいい。しかしその解釈は、資料が多ければ多いほど拡散し複雑化して、結局肝心の真実は闇に包まれる。歴史認識問題で起きているのはそういうことです。
@hazuma 5月15日
反応をくださったみなさんありがとうございました!
アニメ等の著作物の違法ダウンロードサイトを運営してる連中が名前を晒して、法的に真っ黒であるということも自覚せずに、ましてや自分たちのやってることが正義であるかのごとく振る舞ってる様子をy_arimが揶揄している記事。至極真っ当な記事。当たり前のことしか書いていない。
でも、この記事を批判する人が(ごく一部)いるので紹介したい。
で。「割れ厨」を、そういう「最初から決定された悪役」として設定してる風潮が、DL違法化を止める流れを生めなかった原因のひとつかもしれんとか、ちょっとは考えないん?/次は、二次創作がそうなる番じゃないの?
(メタブ)
仮にも二次創作やってる人間が、何か余裕ぶっこいてるのか知らんけど、この手の話題でフォント弄りながら「完全アウトだ!」とか言ってる神経が分からんすわ。あぁ、御自分は赤字出してるからOKとか、そういうアレ?
http://b.hatena.ne.jp/entry/lunaticprophet.org/archives/14357
人が汗水垂らして血反吐を吐きながら作った著作物を違法にばらまく連中の所業に対して何ら疑問を持たずに擁護までしちゃう恐ろしい思考回路。二次創作と違法アップロードを同じ土俵で語っちゃう筋の悪さ。ヤバすぎる。
いまや「割れ厨」は悪役というか立派な犯罪者です。当たり前。なんで人が作ったものを無料で手に入れようとするわけ?ダメに決まってんじゃん。対価払えよ。
ましてや違法ダウンロードサイトを運営して、著作物を違法でばらまくような連中は万死に値すると思うんだけど、それを擁護しちゃうってのはもう頭が腐ってるとしか思えないんだが。
理屈も論理も脳みその中で吹っ飛んでて、ただ法律とか警察に反対したいだけのこの手の人間って社会にとって害悪でしかない。何ら生産せず、誰かに寄生し、挙げ句頑張ってる人間の足まで引っ張る。生きてる意味あんの?ブコメでid飛ばしたら途端にダンマリだし。なんだろうねこういう人って。
じゃあお前が作れと言われた。技術者はこれだから困る。ゲーム制作の企画→制作って流れを知らんの?
企画と制作は車の両輪。技術者の仕事は主に後者だけ。なのに作ったのは俺だとカンチガイしてる技術者が多い。底辺技術者ほど多い。そして昨今増えてきた。
彼らはあまり企画に興味がない。プレイヤーのことロクに考えてねえ。そのくせ企画をディスられると被害妄想をたくましくする。これである。
彼らがなぜ貧困な発想のゲームが作れないかは明白である。割れ鍋に綴じ蓋という言葉があるだろう。貧困さにフタをしているのだ。
本来己の醜い部分を直視してこそ人間として男としての成長がある。そのことは言うまでも無い至極真っ当な常識である。
だが大人というのは時としてズルい。そのズルさが己自信の身を滅ぼすとも知らずに。ありきたりな発想しか出せない未熟さ、
そして出そうとしない腐りきった体質を自己弁護しててはおまんまんの食い上げだ。そうだろ?何か間違ったこと言ってるか?
じゃあお前何をすべきなんだ?簡単。まずゲームとはこういうものであるという常識を壊そう。ありきたりなゲームをグラの美麗さなど
技術力でカバーしようという発想がもう駄目。予算がかかるのが分からないのか?お前はビジネスで成功したいんだろう?自己満足したいだけか?
まずゲームのシステムとかさバランスとかそういう所で勝負しないといけないの。当然だよな?いつまで腐った思考回路してんだ。
そうは言ってもどうやって常識を壊すのか?そんなこと言ってるからお前は駄目なんだ。まず常識に頼らない。これを大前提とし
そこから行きつく所まで徹底的に考えてみろ。走れるだけ走れ。死なないから。常識に頼らず突き詰めて考えることを我々哲学者は
ゼロベース思考と古称する。それをやれ。お前に厳しいこと言ってるが音楽でもそういう奴多いんだよ。だから音楽CDが売れない。
なぜ売れないのか?音楽家の卵ってな、世の中の音楽が大好きって人が多いの。あれもこれも大好き。既存のもので満足してるわけ。
だから新しいものを作れるわけがない。出発点がまず違うんだよ。俺の場合はあれもこれも駄目。まるでなってない。そこから出発した。
とりあえずどうしてもエヴァをループものにしたいやつはまどマギを楽しみにしたほうがその人のためだし、
巨神兵までエヴァの一部みたいに思っているやつは風の谷のナウシカという漫画を一度は読むべきだし、
ミサトさんひどいとかいってるやつはもうちょっと人の意図というものを読み取る訓練をしたほうがいい。
たしかにエヴァというのは穿った見方をさせようとするような磁場がある。
新劇は、ヱヴァンゲリヲンといったっていいけれど、これは前と違って至極真っ当な物語なのだ。
それは序、破ではみんなわかっていたはずで、
かつてのエヴァにくらべると真っ当だ、ということを強く認識していたはずで。
でもQの極端な急展開にめくらましを食らっている。
繰り返しになるが、僕が強く主張したいのは、新劇は、とても真っ当な物語である、ということ。
そしてどこまでも観客のために作られている作品だということ。
前置きが長くなったけれど、タイトルどおり、まともな見方を提示したいと思う。
エヴァQという作品の肝心な部分は、
碇シンジを観客のラインまで下ろしてきて、感情移入できるキャラにする、というところだ。
正直行って第壱話からぼくはなんでシンジがエヴァに乗ったのかわからなかった。
そりゃ綾波だとか親父だとか、そういった要素で乗ったという論理は捉えられたけれど、
その気持ちを理解できるかといえば完ぺきにノーだ。
時はたち、彼は序、破とどんどん成長していって、シンジさんなーんて呼ばれるような大人びた存在になってしまう。
そこにいるのは僕ら――この二十年近く前のアニメのリメイクをよろこんでみている僕らとは、まったくかけ離れた存在だ。
どうぞエヴァQをクソつまらんといって月9ビブリア古書堂でもみてください。
もともとエヴァの、シンジの魅力というのは、どこか僕ら側にいる主人公だ、という点だったはずなんだ。
それがTV版では話が進むうちによくわからなくなっていって、
旧劇の完全に狂った彼の姿は僕らとはまったく関係ないところにあった。
それとベクトルは真逆の方向を向いているけれど、破でもシンジも僕らとは関係ない存在だったわけだ。
「綾波を、返せ!」というセリフをはじめて耳にしたときの印象を思い出してほしい。
僕はまったくしっくりこなかった。どこかそれは英雄じみていたから。
こんなクソみたいな生活を相変わらず続けているる僕とは似ても似つかないキャラクターだった。
でも僕は破に夢中になった。爽快だったし、ポジティブな綾波やアスカも快楽主義的な立場で可愛さを感じたから。
そしてQだ。はじめて見たときは面食らった。
14年後って設定もヴンダーのデザインもゲンドウのサングラスもなにもかもに。
面食らっているうちに『つづく』の文字が黒背景に浮かんでいた。
見終わったあともしばらくポカーン状態がつづいていたけれど、一日くらい経つと、何か残るものがあった。
見事なまでに、僕とシンジの心象が重なり合っていたのだ。
というより、自分が映画を見ながら思ったことを、シンジが感じていたことだと考えてみると、
とてもしっくりいくことに気付いた。
起きたら14年経っていたときの驚きがまずそうだろう。
あのヴンダーだとかサングラスだとか新キャラだとかの強烈な違和感。
冗談だろと思いながらも、でも14年は立ったんだ、それはまるで旧劇から今までの時間のように、という曖昧な実感。
24話んときはどうもキモかったカヲルくんにも、妙な親近感がある。こいついいやつだな、という。
そしてサードインパクトの結果も、『急にこんなこと言われたってなあ……』という、
そして、『この世界をやり直したい』という強い気持ちと、2本の槍にすがってしまう気持ち。
なにもかもが手に取るようにわかったのだ。
いままでのシンジの行動は、観客が責めることができるか、褒めることができるか、そのどちらかだった。
でもQでの彼の行動は、どこまでも理解できるものだった。
そしてシンジの行動を観客に理解できるようにするには、この構成とストーリーは、必要不可欠であるように思うのだ。
ミサトさんだって『行きなさいシンジくん、とか言ってたくせして、あなたは何もしないで、といってひどいやつ』
みたいなコメントをいくつか見かけたけれど、ちゃんと映画全部見たのか疑うレベル。
もしくは親からも先生からもしつけられたことのないゆとりか。14歳の感想だったらゆるせるけれど。
エヴァQをつまんなかったというひとは、ハリウッド映画みたいなのを期待しているならもう見ない方がいい。
逆に、謎の考察ばっかしてる加持リョウジじみた人は、もうちょっと主人公たる碇シンジの視点によってあげてほしい。
いまさら人類補完計画の全貌がなんだろうが、どうでもいいでしょう? ゼーレの正体とか気になる?
いまだに本気でTV版の伏線まで回収してくれるなんて思っちゃいないよね? 先はどんなに予測しようが何の意味もないし。
伏線の回収なんかより、胸踊るサスペンスなんかより、キャラクター同士の馴れ合いなんかより、
そして14年前、旧劇で『現実に戻れ』とバケツ一杯の冷水を浴びせられながらも、
学びもせずまたアニメらしいアニメを期待していた僕らへの、再びのメッセージなのだ。
しかし旧劇のように、庵野さんは水を浴びせるだけで済ますのではない。
観ることで自分の現実にまで意識がいくように、丁寧に構成を組んだのだ。
そして、僕たちにはまだシン・エヴェンゲリオンが用意されているというではないか。
なんてサービス精神の旺盛な人なんだろうか、庵野秀明という人は。
僕は、エヴァQは一つアニメの新天地を切り開いたと思っている。
少なくとも碇シンジに関しては成立させているように感じた。
少し長くなるが申し訳ない。
民主党が選挙に大勝し、政権交代が実現した2009年8月30日。僕はネット右翼を辞めた。
選挙前、
下劣な中国人が日本を乗っ取る気だ。糞在日のせいで自分たちの血税が無駄になっている。
そんな野蛮人から日本を守るために、日本を日本人のための国にするために、野蛮国の手先である民主党には政権を渡してはいけない!
本気でそう思っていた。
何故そのような事を考えていたのか。今思うと、ネット特有の判官びいき的な部分、そして誰も知らない裏の情報を自分が知っているという優越感もあっただろう。
当時、自民党の様々な不祥事によって民主党が大躍進していた。毎日のようにテレビで繰り返される政権批判。民主党の政治家たちが政権交代をすれば暮らしは良くなると叫んでいた。
その頃の僕は、相も変わらずネット世界に入り込んでいた。ある日たまたま見た2ちゃんねるのスレ。民主党に政権を渡してはいけない!というものだった。
そこで見たものは、テレビでは一回も聞いたことの無いような話であった。中国・韓国の実態、民主党がどのような党なのか、自民党がどれだけ頑張っているのか、そしてそれを報道しないマスコミは在日の手先である……
当然、それに対する批判意見も出てくる。あまりに極端すぎないか。至極真っ当な意見だ。しかし、その意見に対するレスはたった一言だった。
マスコミが民主党に寄り過ぎているから、バランスを取っているだけ。
その日を境に、ネット右翼になった。自分のような人も多かったのだろう。その後も爆発的にこのような思想を持った人が増えたと思う。
愛国が正義だ。少しでも左寄りの発言をした者は在日であり、日本を乗っ取ろうとしているのだ。なんとしても潰さなければいけない。
自分はそれから少し後にできたyahooニュースのコメント欄に常駐していた。マスコミはいつものように政権批判記事ばかり。
そこに自分を含む大量の民主党・中国・韓国批判のコメント。今ほどコメントの削除体制がしっかりしていなかったので、膨大な量のコメントが毎日流れていた。
当然、批判意見も出る。しかし、そんな発言をした者は在日なのだ。悪なのだ。「そうは思わない」を大量に押され、個別に人格批判するコメントが流れる。それも当然だった。
そんな日が続き、選挙1週間前になった。テレビでは自民党ピンチ!民主党が第一党かなんてニュースが流れる。勿論直接ではないが、そのようなニュアンスであることは見ればわかる事である。
しかし僕は、そうは思っていなかった。なぜなら、ネットが真実だと思っていたからだ。
ネットでは、前にもまして自民党擁護・民主党批判が繰り広げられていたのだ。比率にして50:1くらいだったろうか。いや、それ以上かもしれない。
これがそのまま行けば、政権交代どころか民主党崩壊まである。そうなれば、自分は日本を救った一員になれるのだ。それくらいの気持ちでいた。
そして開票速報の時間になった。自民党の圧勝だ。せっかくだからご飯も豪勢にした。今日はお祝いだな―――
しかし、そんな思いは一瞬で崩れ去ることになる。
最後の最後まで、マスゴミの嘘だと思った。これは何かの間違いだ。きっと、またマスゴミが真実を隠しているに決まっている。
しかし、どの局も似たような数字、そして流れてくる政治家たちの声。いつの間にか、涙が止まらなくなっていた。
一体これは何の冗談なのか?麻生さんの敗戦の弁が流れている間、ずっとそれを考えていた。
気付いたら一晩経っていた。
もう仕方の無いことだ。これからは民主党に頑張ってもらおう。やってみないとわからないしね。そんな気分だった。自分でも驚くほどあっさりしていたのをまだ覚えている。
パソコンをつけて、いつも通りyahooのコメント欄を見る。たしかに悔しいが、仕方ない。現実は現実だ。民主党にも良い所はあるかもしれない。
「情弱どものせいで日本が終わった」「もう日本は中国の一部だね」「早く政権交代しろ!」・・・・
この人たちは何を言ってるんだろう?
それをいって何かになるのか?
何にもならないってつい昨日証明されたんじゃないのか?
その瞬間、全てを悟ってしまった気がした。
今の状態は、当時よりもひどいと思う。ネットで民主党・中国・韓国の話題が出れば総バッシングである。もう擁護意見なんて見つけるほうが大変だ。
思想の良し悪しなんて議論するだけ無駄、もとよりその思想が良いか悪いかなんて誰が決めるものでもない。それは当然のことである。
でも、もしこれを最後まで見てくれたなら、考えてほしい。
(ここで言うHTML5はcss3とJavascriptも含めた技術全体の事、逆にFlashはAir等の派生技術は含めないブラウザ上のFlashPlayerの技術のみを指します。)
ウェブに携わる人間には常識だけど、HTML5は何でも出来るスーパーヒーローではない。
どちらかというと、中日の高木とか、ヤクルトの宮本とか、巨人の川相とかの方が近い。知らないやつはググれgoogle:いぶし銀。
HTML5の真骨頂は、昨今のリッチなインターネットコンテンツを、非常に簡潔にスマートに記述できるところにある。複雑な事をすれば凝った事もある程度できるけど、得意分野じゃない(標準APIが機能不足だし、JavaScriptの言語仕様が複雑な処理に向いていない)。
ブラウザだけでここまで出来る、とか、
Flashはもういらない、とか、
ってのは、川相だって筋肉付ければホームラン打てるようになるし清原はもういらない、って言ってるようなもん。宮本にパワーヒッターを求めるのなら筋違いだ。生い立ちも素質も違うのに、どうして代替となりうるのか(プログラムと人間を一緒にするのが暴論なのは百も承知)。
HTML5とFlashにはそれぞれ得意分野があるし、淘汰される形で対立しうるものではない。にもかかわらず、ブコメ見てて、いまだにFlash氏ねHTML5マンセーな意見が支配的なのが痛すぎる。
「ブラウザだけで」というと聞こえはいいけど、何のことは無い。5年くらい前のFlash相当のプログラムが、ようやくブラウザに搭載され始めただけのことだ。Flash は重いとよく言われるが、同じことをすれば(今のところ)HTML5 のほうが重いことが多い。
あと、記事を読むと大概「(どれかの)ブラウザだけで(なら)ここまで出来る(けど他のブラウザじゃ動かない)」って言葉が隠されている。HTML5 の仕様が固まれば全コンテンツが全ブラウザで同じように動くようになるよ!なんて本気で信じてるならあなたはネット向きじゃない。
Flashは互換性の点で優位にある。一社提供で基本的に同じコードを同じ開発者が作っているってのもあるけど、そもそも「どのブラウザでも同じように動く」が、セールスポイント=利益に直結するというモチベーションになるのが極めて大きい。
HTML5 と対立するは Flash ではない、HTML4 だ。HTML4の悪い所を直してHTML5にしようとしてるんだから当たり前。
video対応やベクター描画といった Flash が寡占してる技術の一部を HTML5 が食ってるのは事実だけど、Flash と HTML5 の機能は相補的である。HTMLは文章構造を効率的に記述する目的で生まれたものだし、Flashはタイムラインベースのベクターアニメーションを表示するために生まれた。両方ともブラウザ上でリッチなユーザー体験を提供するという目的に向かって進化してるので、お互いの領土を食い合う形にはなってるけど、生い立ちが違うので得意分野も当然違う。
テキスト表示とレイアウトはHTML5のほうが断然得意だし、2D描画はFlashの方が一日の長がある(私見だけど、HTML5はFlashの描画能力の半分にも至っていないし、Flashのテキスト表示機能はie6のそれにすら劣る、と感じる)。
Flash vs HTML5 という構図は、スティーブ・ジョブスのプロパガンダにすぎない。
ジョブスは訴求力を上げるため、しばしば、対抗技術=「悪」とした勧善懲悪ストーリーを作り上げる。簡潔で力強い言葉にのせて、対抗技術の欠点と自社技術の利点を(時には脚色しつつ)徹底的に挙げていく。対抗技術の利点など無きものとしてしまう。そこには自社技術の欠点など存在しない。
HTML5推しの本来の意図は、ジョブスの声明から推察するかぎり、HTML5であればAppleが開発してるブラウザエンジンwebkitを通じて自らの手でインターネット体験を提供出来るが、FlashはAdobeが開発している技術なので手を出せない(厳密にはFlashはオープンな技術なので自社開発する事は不可能ではないが)という点にある(もちろん、実際は様々な複合要因だと思うけど)。自社製品におけるインターネット体験、という肝心なところを他社に依存してしまうのは許せない、というのは至極真っ当なコダワリだ。Android にユーザーが流れてしまうという大きなデメリットを背負ってまで、iPhone が Flash を載せないことについては、評価すべきとすら思っている。もともと Mac版 Flash プレイヤーのデキの悪さという恨み節もあり、歴史的な経緯による「Flash は重い」という先入感も利用し、衝撃の声明は完遂された。
かくして、勧善懲悪のスーパーヒーロー HTML5 が誕生した。
Flash と HTML5 両方のコーディング経験者であれば判るけど、HTML5はこれまでに比べて簡潔に記述できる事が最大のメリットであって、複雑で凝った事は得意分野じゃない。にもかかわらず、無理矢理 HTML5 で書かれた凄いアプリが「ブラウザだけで!」とか「Flashいらない!」とかセンセーショナルな煽り文句とともに紹介され、もはや冷笑の対象となっている。
もちろん、凄い HTML5 アプリの作者は何も悪くない。未来の技術をいち早く実験/公開して、われわれにその可能性を提示してくれているのだ。そんな彼らを冷笑の対象にしてしまって良いわけがない。
ここまで読んでくれた人ならわかるだろうが、自分は、川相のゴロ捕球からの洗練された送球フォームが大好きだ。いや、HTML5の洗練された仕様と最新鋭の技術が大好きだ。
だからこそ現状を見ていられない。
現実として、Flashは互換性を気にしないで良いがiPhoneで見れない。HTML5はiPhoneで見れるがブラウザ間の互換性が問題となる見通し。
何が幸せなインターネットの未来なのかわからないけど、今の HTML5 vs Flash という構図は、不幸な方向に向かってるように見えてしょうがない。
今回触れてない話の1つにセキュリティ/バグ関連があります。議論の余地のある話ですが、個人的にはどっちもどっちだと思ってます。
あと、巨人末期の清原は本当にもういらなかったかという話があります。議論の余地のある話ですが、個人的にはどっちもどっちだと思ってます。
いや、そういう問題では全く無く。
「本気でこんな考えをしている人間を生涯の伴侶として選ぶのは不可能」って判断があって妥当なレベルってこと。
「恋仲が解消すれば原則的に男が悪い」って理屈がどこから生じたのかは全く不明で、
増田さんがご自分でおっしゃるとおり異性との交際経験がないとすれば、それはどこから学んだ知識なのか少し気になるが。
これはそういうお話では全然なくて、相手の男の考え方が結婚相手として論外レベルで男女関係のない話ですよ。
とりあえず、「土地を変えて再就職して俺(と両親)を養え」なんて男についていくのはありえないっていう
至極真っ当な話しかしてませんよ。彼女とか男とかあんま関係ない。
それで、あなた様に彼女のいらっしゃらない理由を悪い頭で愚考させていただくとするのであれば、
「恋仲が解消すれば原則的に男が悪い」みたいな被害者意識をどこからともなく仕入れてくる、