人工知能の件、性差別の表現という解釈は、至極真っ当である。間違いではない。
だからこそ、それを問題の本質にされるのは致命的な間違いに見えてしまう。
日常に氾濫するそういう表現に、実は無意識な差別が含まれてるという
再発見を与えた問題提起という視点では、それは限りなく正しい。
だからといって、それに対して、性差別だ!!と叫んだ時どうなるのか。
なんかうるさいのが叫んでる。と流されて終わっていたように思えてならない。
それほど、日常というコップの奥底に、そういうものは溶け込んでいて
深く自然に沈殿し、だれかの小さな叫び程度では、透明な水に濁りを与えることも出来ずに
人々は容易く飲みほしてしまう。逆にいえば、それほど根が深い問題なんだろう。
透明だと思っていた水に濁りを与えて、その水を飲むことにためらいを与えた。
その違いこそが、本当に気しなければいけない。何かなんじゃないかと思う。
それは、「学会」という権威の塊ような言葉、さらに最も先端的な研究にに携わる者、
センシティブすぎても足りないような者達なのに、簡単に踏み外したことへの糾弾なのかもしれない。
でも、僕はもっと人に期待したい。
もっと単純に「知」というモノが、あまりにも人間の尊厳の底にあるのではないかと。
僕らが、性差というそれに対して、無意識に差別してしまうように
人々は「知性」の有無で何か大きな区別をしている。それが差別なのかは分からないのであえて区別と書いた。
でも、公平性の欠如という意味では、「性差」に壁があるように、「知性」にも壁がある。
前者について考え改善していくことは、今できる。
「知性」が持つ壁こそ、他の動物達と区別される、人間が持つ尊厳なのでないか。
性差なら明確に否定されるそれを、代替奴隷でしかないロボットだったものが
知性を獲得してしまったとき、それを強いても、僕らは肯定されるのか。
そして最初に戻る。
あの表紙には、そういう違和感が隠れているように見える。今は語れない何かが含まれている。
透明に見える水なのに、なぜかザラつく感触が隠れている。
人工知能学会誌の表紙に女性形のヒューマノイドが部屋の掃除をしている絵が採用されたことで、女性差別だの女性蔑視だのと議論が噴出している。 しかし、多くの心ある方々が学会誌...
そもそも表紙に書かれているのは女性ではなくロボットだ 却下 差別と言うのは「属性」をもとに発生するものなので「女性型」という属性を有している時点でその言い訳は認められな...
炎上マーケw
朝から経済学に関心があるらしい