2013-12-28

性差別と人の尊厳

人工知能の件、性差別表現という解釈は、至極真っ当である。間違いではない。

からこそ、それを問題の本質にされるのは致命的な間違いに見えてしまう。

日常に氾濫するそういう表現に、実は無意識差別が含まれてるという

発見を与えた問題提起という視点では、それは限りなく正しい。

そういう表現は、それこそ日常に氾濫している。

からといって、それに対して、性差別だ!!と叫んだ時どうなるのか。

なんかうるさいのが叫んでる。と流されて終わっていたように思えてならない。

それほど、日常というコップの奥底に、そういうものは溶け込んでいて

深く自然沈殿し、だれかの小さな叫び程度では、透明な水に濁りを与えることも出来ずに

人々は容易く飲みほしてしまう。逆にいえば、それほど根が深い問題なんだろう。

だが、今回はいとも簡単に、その沈殿物は舞い上がった。

透明だと思っていた水に濁りを与えて、その水を飲むことにためらいを与えた。

その違いこそが、本当に気しなければいけない。何かなんじゃないかと思う。

それは、「学会」という権威の塊ような言葉さらに最も先端的な研究にに携わる者、

センシティブすぎても足りないような者達なのに、簡単に踏み外したことへの糾弾なのかもしれない。

でも、僕はもっと人に期待したい。

もっと単純に「知」というモノが、あまりにも人間尊厳の底にあるのではないかと。

僕らが、性差というそれに対して、無意識差別してしまうように

人々は「知性」の有無で何か大きな区別をしている。それが差別なのかは分からないのであえて区別と書いた。

でも、公平性の欠如という意味では、「性差」に壁があるように、「知性」にも壁がある。

前者について考え改善していくことは、今できる。

しかし、後者について考えることは、今できるのだろうか。

「知性」が持つ壁こそ、他の動物達と区別される、人間が持つ尊厳なのでないか

性差なら明確に否定されるそれを、代替奴隷しかないロボットだったもの

知性を獲得してしまったとき、それを強いても、僕らは肯定されるのか。

そして最初に戻る。

あの表紙には、そういう違和感が隠れているように見える。今は語れない何かが含まれている。

透明に見える水なのに、なぜかザラつく感触が隠れている。

それがたまたま横にあった性差という問題で一般化されたことで

水の底の沈殿物は勢いを付けて舞い上がったのではないかと。

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