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はてなキーワード: クラスメイトとは

2024-03-14

我が子のいじめ

去年、娘が学校友達いじめているらしいという話を聞いた。

まさかと思いつつ、本人に尋ねる前に周りから話を聞いて確認することにした。

相手は元々仲の良かった女の子で、いじめの内容はいわゆる「仲間はずれ」だった。

露骨無視や加害はしていないが、昼休み放課後の遊びに誘わないだとか、授業でグループ分けをするときメンバーに誘わない、といったような内容だった。

親の私自身、小中学生の頃に似たような経験をした。仲間はずれされたのも、したのも、どちらも経験がある。当時はそれを「いじめ」とまでは認識していなかったが、今の基準ではそうなのだろう。

当時のことはあまりはっきりとは覚えていないが、そういった経験を経て、合う友達と合わない友達区別がついていったような覚えがある。

しかし勿論仲間はずれをするのは肯定するつもりはないし、親としてもそれがエスカレートして激しいいじめになってしまう前に芽を摘んでおきたい。

でも、そりが合わないと感じるクラスメイトまでも無理やり友達として仲良くし続ける必要があるのだろうかとも思ってしま自分もいる。特に最初は接点がなくても席順が近い子と仲良くなるものだし、そこから親友になることもあればフェードアウトするように離れていくこともある。

どうしたものかと思いつつ、当時は6月下旬とかだったので2学期にも同じような状態のようだったら介入しようかなと考えていた。

そしてこれは本当に幸いなことに、夏休み明けにクラス転校生がやってきて、その子が大変な人格者だったようで、その子を中心にクラスがまとまったらしく親の出る幕はないまま終わった。

まさに僥倖という感じで落ち着いたのだが、転校生が来なかったら私はどうすべきだったんだろうな。

2024-03-13

千切りキャベツコロッケを塩で食べる人に会わない

いつからか千切りキャベツコロッケは塩をかけて食べるようになった

目立ちたいとかじゃなくて好きだから

そして30近くなって思う

コロッケはともかく

千切りキャベツに塩かけて食べる人いない

トンカツ屋さんとかでも他の客みるけど

千切りキャベツに塩かける人いない

みんなドレッシングか何もかけないか

そんな感じ

高校の時のクラスメイトもみんな塩はかけなかった

おいしいのに

みんなわかっちゃくれないんだ

2024-03-10

ドラゴンボールトラウマがある人

ってかなり多いと思うんだけど、そういう配慮はないんだろうか

全国の男子小学生マネしてクラスメイト暴力奮いまくってたから、被害者の数はかなり多いはず

2024-03-09

短気だけど「優しい」と評価されるクラスメイトがいた

自分自身もその人のことを「優しい人」と思っているし、周りも概ね同意見だった。

でもその人は、気に入らないことがあるとすぐキレるし、嫌いな担任に叱られると担任の机を怒鳴りながら蹴っていた。どう考えてもヤバい奴だった。他にそんな人は1人もいなかった。

でもどうしてもその人のことを「性格が悪い」とか「嫌なやつ」とは思えずむしろ「優しい人」だと感じるのは何故なのか。ほかにあん癇癪持ちいなかったのに、癇癪持っていないほかのクラスメイトのほうがよっぽど性格悪く感じていた。


例えば偶然放課後に聞こえた会話で、その人は自他共に認める潔癖症だったんだけど、ほかの子手作りバレンタインチョコをブスから貰ったらどうするかって話してる時に、話題を振った他の男達は「キモい、捨てる」って言ってたけどその人だけは「別にキモいとは思わない。全部は食べられるかわからないけどなるべく食べる」みたいなこと言ってたり、発表のグループが一緒だった時に、私以外全員発熱休みだったんだけど、それを知った彼だけは、発表の時間だけ顔真っ赤で苦しそうなのに「一人は申し訳ない」と言ってわざわざ来てくれたり、なかなかクラスに馴染めない時に話しかけてくれたり、優しかったなあって思う。

2024-03-06

留年ヤバイ

隣の席の人が亡くなりました

私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。

亡くなった隣の席の人は所謂一般的学生でした。

きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。

その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。

からその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。

今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています

それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。

留年しそうでワロタ

隣の席の人が亡くなりました

私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。

亡くなった隣の席の人は所謂一般的学生でした。

きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。

その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。

からその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。

今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています

それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。

留年しそうでワロタ

私は人付き合いが苦手で、そのうえ成績も悪いただの落ちこぼれです。

亡くなった隣の席の人は所謂一般的学生でした。

きちんと友達もいて、遅刻も欠席もほとんどせず、平均より全然成績も良い人でした。交通事故により亡くなりました。

その人と私はグループワークなどで話す機会こそありましたが、特別仲が良い訳ではありませんでした。

からその人が亡くなったことを告げられた際も、衝撃こそあれど他のクラスメイトの様に大きな悲しみに包まれることも無くそのまま日常を送っていました。

今は進級・進学の時期です。私は今までの怠惰祟り進級も危ぶまれる状況になり、そんな折に「その時死ぬのが私なら、もっと社会に役立つ真っ当な人間が生きられたのかな」と思うなどしています

それまで何も感じず何もせずに居たのに、なんともまぁ自分勝手な事です。

2024-03-02

問 L〜2Lサイズの服を着ている人は「はっきり太っている」のか

答 身長と体型による。あと服屋にもよる。167cm67kgの自称ぽちゃ筆者においては、HoneysのLLは着れなくはないが着丈が足りずに腹チラするイメージ。肩まわりデカい系でもあるので布帛のブラウスだと入らないかもしれない。

あと背が高くなくても胸があると小さいサイズは着れなかったりするらしい。高校時代、小さくて細かったクラスメイトのAちゃんに「AちゃんはSでしょ」と無邪気に言ったら「胸が入ればね」とため息とともに返された思い出。

とはいえ、かの増田は「他人に体形について期待されてる事、それ自体がツラい」と自分で書いているので(追記だが)、かけるべき言葉は「太ってないよ(痩せている方がよいとする価値の追認)」ではなく、「太ってても別にいいよね〜わたしもそう〜」だと思った。

みんなbeautifulだよ、となりがちな昨今のアメリカで、uglyの何が悪いの?と言っていた人もいたような。

2024-02-29

クラスメイトの共有物扱いにされるほど立場が落ちたヒロインが冴えない男子童貞卒業相手なっちゃうあたりが一番興奮するよね

2024-02-28

XXくん係

小学生の頃に殴り合いの喧嘩をした相手同姓同名(年齢も合致居住区もほぼ合致)の男が殺人逮捕されたというニュースを見て朝から萎えてる。

2月25日札幌コンビニで3名を死傷させる犯行に及んだ宮西浩隆容疑者に思うことを書く。

彼とは小学校同級生だった。当時から彼は攻撃性が高く異様な雰囲気だったので、クラスメイトから敬遠されていた。

孤立している彼を可哀想に思った私は、たまに彼と一緒に下校したり(彼の実家小学校

近所で小さな店を営んでいた)遊びに誘ったりした。

彼のどこが変わっていたかというと、たとえばさ行をうまく発音できなかったり協調性がなかったり、言動がやや過激だったりした。おまけに体格がよかったので、大人も手を焼いているように見えた。

たまに暴力事件を起こすこともあったが、とりわけ

問題児だったわけではない。

ただ、少なくとも当時の彼にとって唯一の友達と言っても過言でなかったであろう私にさえ、彼は暴力を働いた。応戦したものの私は小柄な子だったので、彼に簡単に突き飛ばされてしまった。その時、彼が「なんだ、たいちたことないじゃん」と言い

放ちにやにやしていたのを覚えている。私にはとても不気味な光景だった。あまり覚えていないが、それから疎遠になったと思う。彼はいっそう孤立した。

似たような出来事が彼の人生で繰り返されたのは想像に難くない。

宮西容疑者には何かしらの障害があったのだと思う。それだけでなく

生育環境も良くなかったかもしれない。彼の実家の様子(店頭)は殺伐としどこか荒んでいたし、理由は忘れたが(少なくとも私は)彼の家族や両親の話題タブーだと当時は思っていた。私が勝手にそう思っていた可能性があるし、どこかで彼の複雑な家庭環境を小耳に挟んだ可能性もある。

いずれにせよ、

小学生の時点で既に異様だった彼が健常者とは考えにくいと思う。授業中にいきなり立ち上がって絶叫したこともある。行動がもはや健常者のそれではなかったのだ。

一方、実は冗談が好きでよく笑う男でもあった。

彼の犯行は許されるものではないし、彼を擁護する意図もない。ただ、もし彼の生育環境

少しでも違ったり、十分に表面化されていない“見えない障害”に対する社会的理解サポートが整備されていたりすれば、犯行に及ばなかったのかもしれない──と思うと残念でならない。

「狂った男の凶行」として処理してしまうのは、問題根底にある真の課題をみすみす見過ごす粗末なやり方だと

私はどうしても感じてしまうのだ。

被害者やご遺族の無念を晴らすためにせめてできることがあるとすれば、それは「同じ悲劇を繰り返さないように皆で努めること」ではないだろうか。

この問題根底には、見えない(あるいは見えにくい)障害問題に対する無理解や無策があるように思う。

障害だけでなく、介護や片親、精神疾患など複雑な事情を抱えるご家庭も然り。様々な世帯に通じる課題が潜んでいるように思うのだ。だからこそ考える価値があると思う。

宮西容疑者は確かに狂っていたのかもしれない。しかし彼をいっそう狂わせたのは、もしかすると社会無理解と無策かもしれない。

彼をただの狂人として糾弾するのでなく、些細ではあるがこの投稿を参考に社会的問題として考えてくれる人が一人でも増えてくれればと思う。

お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被害者の方々の一日も早いご回復を願っております。また、ご遺族の方々には心よりお悔やみ申し上げます

なお、本件に関する個別のご質問その他諸々への対応や回答はご遠慮させていただきますのであらかじめご了承ください。

2024-02-26

給食まらせ、小1男子児童が死亡 ウズラの卵か

クラスメイト死ぬってことを受け止められるんだろうか。先生はなんと説明するんだろう。

自分が死と言う概念理解したのが何歳だったかからない

今でも理解していないのかもしれない

2024-02-24

今日の夢

中学校時代好きだった人の夢を見た。

十年以上経って、一度も会っていないくせに時々見るその人の夢。

今日学校卒業式の日。

進学先が違うからもう会わないかもしれない。好きだと伝えるか、いや出来るはずがない。

気恥ずかしい所の話じゃない。

あぁ、今日で終わりかぁ。と思っていたら、その人が隣に来た。

どん、と軽く体をぶつけて来たその人を見れば、こちらを見ている。周りに卒業式だと賑やかな他のクラスメイトもいる。

じっと見つめてくるが、その人はぶつかってきたあと、何も言わない。

好きな人そばにいる事で、恥ずかしいやら、何か言うのかと思うが、何も言わない。

何?と問うても、曖昧な軽口以外口にしない。

私が何かを言わないと、察したその人は、そう、じゃあいい。と言って、笑いながら他のクラスメイトのところへ行こうとした。

もうこれきり。何もない。でもきっと、その人が私の近くに来たのは、何かの意味があったのでは。と、焦燥感に駆られその人に手を伸ばす。

しっかりと意識して触れた、その人の手を握れば、嫌がるそぶりはなく、好きだった笑いを含んだ目でこちらを見てくる。

他のクラスメイトもいるのに、こんな場所で言わせるのか、その人は待つように、こちらを見ている。

好きだ。好きだ好きだ。

告白なんてたいそうなものとも思えない、馬鹿な一つ覚えのように、単語のみを口にした。

突然の告白現場に遭遇したクラスメイトが、騒ぎ立てる中、その人は笑い、俺も好きだよ。と笑った。

進路が分かれているのに、それでもこれから続く、関係を繋げようと提案するその人──…

ってところで、滅茶苦茶な動悸と発汗で目が覚めた。

夢の余韻で寝ぼけた頭だが、死ぬほど嬉しくて恥ずかしかった。

夢とは、あったかもしれない分岐の一つなのかと思えば、こういう未来もあったかもしれないのだな。と思って二度寝した。

私は私の人生選択に後悔など一ミリもないが、そういう他愛もない人間らしい未来もあったのかもしれないと思った。

2024-02-21

他人病気自分に移して治す能力がある

から共感性が高いと言うのだろうか、友人に大腸がんが見つかると自分も憩室炎になるというようなことがあった。

そして自分が憩室炎にかかり通院しているうちに、友人は元気になっている。

クラスメイトが脚を骨折した怪我をした際もそうだ。

何故か自分が転び、左手を打撲した。無論、自分が苦しむタイミングクラスメイトギブスも取れ、順調に回復している。

この能力を使うには心から相手の痛みを理解したいと思う必要がある。弟や祖母が腕を怪我した時は理解したいという気持ちになれず、駄目だった。

そして今度は、母の臓器に大病が見付かった。当然のごとく自分は治る事を望み、自分犠牲になっても構わないと思った。

母の手術が成功して一年が経過し、私の身体には予兆が訪れていた。大きさにして実に母の二倍の腫瘍。これは自然に退縮することはない。

そう、私は誰かの傷を自分に擦り付けることで近い誰かの肩代わりが出来てしまう。思いが大きければ大きい程に影響力は強く、自分へのダメージはでかい

救えた達成感を得た事は一度もなく、平気な顔をしている彼らから寧ろ蔑ろにされることすらある、自分には何らメリットの無い能力だ。

ああ、自分腫瘍がどうにもならないのはきっと力を使いすぎたからだ。無闇に共感なんざするもんじゃない。

いじめ100%加害者が悪い論

あれ嫌いなんだよね

どっちかというと「いじめられる方にも原因がある」派

例えば小学生の時、同じクラスにスンゲー髪の長い子がいたのよ。

背が低いか椅子に座ったら床にまでつきそうなレベルの。いっつも結んでない。(親の言いつけとかでそうしてんのかな?と思ってたけどその子の姉によると本人の希望で頑なに切らないらしい)

給食当番のつけるキャップに髪が収まらいから出してるんだけど、その子がよそうおかずに髪がついちゃったりすんのね。

イヤじゃんそれは。俺はイヤ。

でも先生が言っても親が言っても髪を切らないし、もちろんクラスメイトが言っても無視

からみんな、その子給食当番をしているときは配膳台に並びたがらなくなった。

そしたらしばらく経ってその子が数日学校を休んだと思ったら、学年主任が出て来て「クラス総出でいじめをするとは何事だ!」って説教。あとはテンプレ

まあ小学生露骨な態度って大人でも割と傷つくし、そこに悪意が見えたならその子は大変傷ついたんだろう。

それに関して俺も態度を隠せていた自信はないので普通に申し訳ないと思っている。1対複数の状況だしね。

でもその状況をつくり出したのは誰?っていう。

もちろん何か譲歩策が出せないまま”不快を態度に出す”っていう浅はかな言動をした俺含めクラスメイトが最も悪いのは言うまでもないよ。

けどそれで「加害者100%悪い」って言われるのは納得がいかない。

先に俺たちは結構我慢してたんだが?っていう。

髪を切るかせめてくくってくれという懇願を、何度もした。

「おい髪どうにかしろよw」とかいうからかい混じりとか嘲りまみれのソレではなく、結構まっとうにお願いしていた(俺主観)。

でもその子自分スタイルを変えなかったから、俺たちがダメな方向に変わった。

の子に対する態度がいじめだと自覚していた人間なんてその時いないだろうし、けれどその子いじめだと感じたんだから事実いじめだったんだろう。それならクラスメイトはみんな同罪だ。

比率で言って100:0で俺たちが悪いのか?は今でもよく考える

80くらいまでは「マジで俺が悪かったな…」って思える。99くらいまでは「やっぱ俺が悪いかも」と思える。でも1くらい情状酌量余地があってよくないか

の子が「私のスタイルクラスメイトに不快感を与えているんだ」っていう自覚さえ持ってくれたら、絶対お互いこんなことにはならなかっただろうと思う

顔の造形とか身長とかまあギリ体臭とか、本人の努力でどうしようもないこととか他人に強いられて仕方なくしてることならともかくさ、自分でどうにでもできる範囲での話ね

言うまでもないけどいじめって何億色あんねんが前提だから「なんとなく」とか「そこにいたから」とかそういうテキトー理由いじめられたガチ無罪いじめられっ子の話は別だよ。それは加害者100%悪い

2024-02-17

チクリ魔クリスティ君は哀れ

俺が小学校の頃、公園と林の中間みたいな公園の大きい植木の中にいい感じの空洞があって

そこで仲間と秘密基地作って遊んでいた事がある。


基地って言っても1.5畳くらいの空間で、今思えば色々汚いけど、

自販機の下漁って手に入れた小銭を貯めて駄菓子とか買い溜めしてそこに備蓄したり、

読まなくなった漫画本(週刊誌とか)を持ち寄って皆で読んだりしていた。


学校で「チクリ魔くん」って呼ばれてたクラスメイトがいたんだけど

そいつがある日、基地の噂聞きつけて入れてくれって言われたけど、当然断ったの。

どうせ仲間に入れたら先生にチクるだろうって。

そもそもチクらなくても一緒に遊んで面白くないから勘弁だって

案の定そいつホームルーム時間基地のこと全部バラしやがった。

先生基地まで来てお菓子とか漫画本も没収されてかなり説教された。


学校の仲間の遊びに加わる権利があると思います!仲間外れはイジメです!僕はイジメられました!

って主張してたけど、子供ながらに「コイツガキかよ」って思っていた。

自分の思う通りにならないからぶっ壊してやる!ってヤツはワガママなガキでしか無い。

当然それからもチクリ魔くんは皆から相手にされずぼっちだった。


チクリ魔くんみたいな人間大人になってもたまに見かける。

異常に構ってちゃんで、自分から積極的交流する気も無い癖に

構って欲しいそぶりだけはする誘い待ちで、話もやる事も面白く無く

人の悪口ばかりが多くて他人不快にさせる様な事ばかり言ってて

その癖相手にされないと全力で被害者面して大騒ぎして場を壊そうとするヤツ。


その手の人間を見かけたり、遭遇する度にうんざりさせられるけど

(増田ブクマカではよく見かける)

ガチ友達いなさそうなヤツってのは色んな意味で「おかしい」と痛感させられるよね。

酷い偏見だと思うけど、チクリ魔くんみたいなヤツにコミュニティ壊された経験ある身としては素直に笑えない。


そりゃワガママなガキのまま成長してない様なヤツとは誰だって深く付き合いたく無いし

友達がいないのは当然を超えた当然なんだけど、

孤独ますます構ってちゃん悪化しておかしくなっていくのだろう。

悪循環なんだけど本人は嫌われ者から敢えて救いたい人間もいない。


大人の「チクリ魔くん」は、どうしたら救われるのかまるで分からない。

放っておいて害が無ければ放置で良いけど、そういう訳でも無いからなあ。

勝手にウザ絡みしてきては思った様に構ってくれないとキレて騒いで

色んな所で被害者アピールし始めるから始末が悪すぎる。

2024-02-14

10年前起きた、同級生殺人事件現場に行った話

 不謹慎聖地巡礼をしてきた。

 何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナル事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件現場特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。

 はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者地元出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。

 はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記

 事件の具体的な名称地名については関係者迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。

現地レポ

 事件現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップ検索、自宅からルート検索し向かった。

(ちなみに事件現場マンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間割愛させていただく。

 現場国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキング現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。

 ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場敷地内には立ち入っていない。


敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い


 そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。


 現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。

 マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女スマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。

 駐車場からさら路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。

 マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎商業施設風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神新天町商店街にかなり近い。

 商店街は今どきのカフェ居酒屋といった飲食店から昔ながらの八百屋かばん屋、チェーン店ドラッグストアアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケード喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像限界だった。勿論、真相はAにしかからない。

 横断歩道渡りマンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母養子にし、マンション一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。

 しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック自分職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。

 結果としてAの父親2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。

 ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物ハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。


 参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件からだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。

聖地巡礼動機

 では、なぜそのような不謹慎聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田匿名性を損なわない程度にお話しする。

 筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校中学受験で入っている。抜けきらない中二病一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)

 問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話ケータイ小説執筆投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである

 事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である

 そしてそのケータイ小説掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。

 そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグTwitter特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的シンパシーを感じていた。

 そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面深淵のぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタル調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校卒業した。

 犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。

 そして現在2024年2月児相勤務は上司や先輩から陰湿いやがらせに遭い、私はひっそりと公務員退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である

 ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。

 話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。

 最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である

追記

 ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊博物館見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置シールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュ服装マダムと談笑したり。名物バーガーを食べていたらバラエティ番組ロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。

 10年経とうと、何も変わらず日常は回っていることを実感した。そしてそのことは、私にとって救いでもあった。

2024-02-12

anond:20240211222432

でもおまえのいう「恋愛」って風俗サンタみたいな一方的性欲じゃん

クラスメイトがいいたかったのは性欲をあきらめてから連帯だの友情だのはじまって恋愛につながる人間関係の基本だろ

中学生から進歩できてなさそうでそっちのほうが心配

そりゃ中学生まだ子供だから男としてみれないわ

おまえは未成年の子供を女としてみてたんだろうけどな

2024-02-11

男として見れないってトランスジェンダーでも同じこと言うのか?

・・・今ではそう思う。

オレは個人攻撃するつもりじゃないので、エアリプに留めるが。

恋愛を諦めろ

自己完結する趣味に逃げろ

女の関係ないとこで幸せになれ

男性から下り

・・・というのはさ。中学時代にオレを「男としてみれない」って捨て台詞を吐いたクラスメイトを思い出すよ。今では、もしオレがトランスジェンダーだったとしても同じこと言えるのか、って思うがね。

anond:20240211121146

男ってまじで人権意識が低いよな

男って人権自分たちのモノと勘違いしてるからか明らかに人権意識が低い

性犯罪冤罪について、まじであってもいいと思っていて疑わしきは罰するべきと考えているみたいだ

更に男は奢るべきのような差別的ジェンダーバイアス根深く、改善する兆しもない

また、腐男子界隈ではナマモノかい人権侵害ジャンルがあるらしかて驚いてしま

男向けにナマモノがあってアイドルエロ同人とかクラスメイトエロ同人とか作られてたらどう思うのだろうか?

とにかく男は人権意識先進国の水準に達してない

女ってまじで人権意識が低いよな

女って人権自分たちのモノと勘違いしてるからか明らかに人権意識が低い

性犯罪冤罪について、まじであってもいいと思っていて疑わしきは罰するべきと考えているみたいだ

更に男は奢るべきのような差別的ジェンダーバイアス根深く、改善する兆しもない

また、腐女子界隈ではナマモノかい人権侵害ジャンルがあるらしかて驚いてしま

男向けにナマモノがあってアイドルエロ同人とかクラスメイトエロ同人とか作られてたらどう思うのだろうか?

とにかく女は人権意識先進国の水準に達してない

anond:20240210181955

はてブって「スキロー」「僕ヤバ」「阿賀紅茶作品」=恋愛トンチ漫画が大大大好きなくせに

正しい服オンナ漫画への「こんな辛気臭い漫画どこから持ってくるんだよ」

って人気ブコメマイナス評価で欄外に蹴落としててさー

うわー 上のキャラ達も描かれないとこで

とんちの働かない、半歩先の優しさを持てないクラスメイト

をせっせと排除してるんだろうなーはてブ民と一緒で うわー

って思って読むようになっちゃった

  

2024-02-07

女性初見弱者男性だけど注意点ある?

ついに重い腰を上げて、人生最初最後勇気を振り絞って

いつも1人でいる女性に話しかけようと思うんだけどさ。

僕は今まで、女友達が持ち合わせてなかった。それどころか知り合いも話せるクラスメイトにも女性は皆無だったんや。だから実質、女性という未知の生き物とのファーストコンタクトになる。

男は1人でいる女性に話し掛けるな、という新常識は知ってる。

でも、どうせ一回しか人生過ごせないんだから、役に立たない後悔をして余生を浪費するより、たった一度だけ当たって砕ける賭けに出るのが正解だと考えた。

だけど女が男性とどう違うのかが分からないんだ・・・。落ちてた議論を読むと、男が男にしてる態度はモノ扱いというものらしい。その延長線上でコミュニケーションを取ろうとすると相手を損なうっぽい。でも、なにせ女性経験ゼロから、女がしてくれるという人間扱いなるものがどんなルールなのか想像もつかないんだ。アドバイスくれ、頼む。

弱者男性に限らず一般的に男の人って、モノ扱いに関する感覚バグってる。

から、男友だちにしてるような態度を女性に取ったらそりゃ、キレられる。

男がモノ扱いされ続けてきたという事実。生まれから一度も他人人間扱いされてこなくて、人間扱いしてくれるのが女性だけなら。男は女を求め。

運良く女性に恵まれた男以外は、みな、捻くれるのは当然。

https://anond.hatelabo.jp/telaoki/edit?title=anond%3A20240207220431

anond:20240207000327

じゃあクラスイジメを見て見ぬふりしてたクラスメイトも被害者ですね☺️

2024-02-01

日記という習慣の効能

僕は小学生の頃から日記を書き続けてて、律儀に保存してる。

そういう人、多分けっこういると思う。

毎日ではない。

でも飛び飛びになっても、自分言葉で日々の記録を残す習慣を継続するのがコツだよ。

どういうメリットがあるの? ってたまに聞かれる。

意義なんて考えずに自動で続けてる日課だけど、メリットは色々あるね。

とても色々あるけど、分かりやすいのは、証拠になる事だ。これはとても大きい意味がある。

まさしく小山田圭吾さんの事件で、子ども時代の悪行の半減期は10年20年では足りないのを知ったんだ。時代価値観なんて関係ないって。

小学校の、クラスメイトの女は、僕を、いじめてた。

何もかも、全部、記録してある。いま彼女大企業に勤めていて、結婚したらしい。

子どもを産むとか、まだ幸せになれる。もっともっと幸せになってほしい。

人生への嘆き

中学時代、私は運動が全くできない運動音痴だったが、勉強は得意だった。レベルの低い田舎公立中学校だったので常に定期テストは学年1位。私のアイデンティティ勉強しかなかった。田舎男子中学生の社会の中で、運動音痴はヒエラルキーの最底辺。体育の時間苦痛で、運動音痴で鈍臭い動きしかできない自分馬鹿にされているように感じていた。だから私は勉強ができない人間を内心馬鹿にしていた。体育の時間に散々私を馬鹿にしたのだからお互い様だと思っていた。

高校県内トップ進学校を志望し、模試では常にA判定だった。フィジカルの強さが物を言う野蛮な田舎とはおさばらできると思っていた。

念願叶って高校受験第一志望に合格し、私は県内トップ進学校入学した。ようやく、運動音痴の呪縛から解放されると思った。だが、現実は違った。

県内トップの子たちは運動勉強も私より出来る子ばかりだった。基本的に皆優しかったが、中には粗暴な者もいて、露骨に私の運動音痴っぷりを見下す態度をとられたこともあった。私のアイデンティティ崩壊した。勉強でも運動でも周囲に勝てない私は、自分がとてつもなく無価値人間のように思えた。その結果、自分のような無価値人間クラスメイトに話しかけても迷惑なだけだろうと思い込むようになり、誰とも会話をしなかった。勿論、高校時代友達が出来なかった。

一応、自分なりに勉強は頑張った。でも、東大京大に行くようなレベルには到底なれなかった。高校の成績は受験直前期でも半分より少し上くらいだった。トップにはなれなかった。

とはいえ大学受験地元旧帝大法学部に何とか滑り込んだ。

大学入学後、運動呪縛から逃れたかった私は、音楽サークルに入った。音楽センスがあるわけでも、楽器が特段上手いわけでもなかったが、友達人生で初めての彼女サークル内で出来て、それなりに楽しいサークル活動だった。

勉強のほうも、それなりにやった。政治に関心があったので、政治ゼミに入り自分の興味関心の赴くままに、ゼミ論文作成した。学部生の書く拙いものだったが、満足感はあった。

旧帝大ということもあり、地元ではちやほやされた。私は高校時代に潰された勉強というアイデンティを取り戻そうと思った。県下トップ進学校から旧帝大に入った実績がある。中学時代は学年1位だった。勉強は得意なはずだ。そう思って、学部3年生の時、私は法科大学院に進学し文系最難関の司法試験を受けようと決断した。

前述のとおり、ゼミ政治ゼミだったため、周りに司法試験を目指す友人はいなかった。そのため、相談できる友人もおらず、孤独勉強だった。勉強は何から手を付けて良いかもわからなかったが、とりあえず勉強して法科大学院試験に臨んだ。今思えば、全く努力方向性を間違った勉強法だったと思う。論証パターンという言葉を知ったのは試験の2か月前だった。もちろん既修者試験は落ちた。私は未修者コース入学することになった。

 法科大学院での生活は大変だった。学部のころに法律勉強を一応していたとはいえ講義の内容は難しく、予習復習に追われた。ほぼすべての科目が必修科目で、一つでも単位を落としたりGPA一定値以下だと留年卒業延期になるため、期末試験が近づくと、精神的に不安定になった。法科大学院生活では楽しいこともあるにはあったが、トータルで見たら辛いことのほうが多かった。

 期末試験を何とか乗り切った私は、一年から二年生へ進級できた。二年生になり、既修者と合流して講義を受けた。周囲のレベルの高さに正直ついていけず司法試験に受かるとは思えなくなった。深夜に自習室勉強しながら涙を流す日が続いたことをきっかけに、中退を決めた。勉強というフィールドで戦うことに心が折れたのだった。

 未修者コースには東京の中堅レベル私大法学部卒や地元私立大学法学部卒の人間などもいた。私が心折れて中退した後、彼らは卒業までこぎつけ、ついには司法試験に受かり弁護士になった。私より勉強が不得意な人たちだと思っていたが、私が断念した試験に受かり、立派に弁護士をやっている。

 一方私は、法科大学院中退後になんとか就職新卒カードを失った私は民間を諦め、公務員試験を受けるしかなかった。新卒就活だったら切符が手に入ったはずの企業に足蹴にされるのが怖かったからだ。法科大学院法律勉強をしていたこともあり、公務員試験筆記試験特に苦も無く合格した。面接もそれなりに振舞えたようで、第二志望の自治体採用が決まった。入庁後は上司や他の自治体職員から執拗にきつい言葉をあびせられたことを機に、メンタル病み休職。今は完全に閑職に飛ばされ、精神的負荷の少ない仕事を任されている。出

世の見込みはないだろう。

 中学生以来の私の勉強というアイデンティティは完全に失われた。こんなことを言ったらドン引きだろうが、私より入学難易度の低い大学出身人間弁護士として働いていることや、中学時代に私より勉強のできなかった中学校の同級生東京大阪大企業新卒入社してギラギラと頑張っていることを知るたびに、猛烈に落ち込む。学生時代は私のほうが勝っていたのに、なぜ。。。と。

私が学生時代積み上げてきたものは何だったのか。ときたま人生意味を見出せなくなる。人生意味を見つけようと私なりにもがいた。音楽社会サークルに入ったり、大学公開講座に参加したり、大学院進学を検討したり(来年放送大学大学院を受験しようと考えている)。だが、何をしても私の心は満たされない。

32歳にもなってこんな内容の長文を書いて、我ながら心底みっともないが、ありのままの心情である

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