はてなキーワード: 運命の人とは
春に結婚を控えている。
地味婚を希望したのは私だ。
結婚に対しても「共同生活を送る相手を見つける」程度の認識しかなく、今もそう思っている。
彼も私の性格をよくわかっているので、「僕ららしいんじゃない?」と賛同してくれた。
ところが、「興味ないから式あげません」とか「恋愛めんどくせぇ」とかドライなこと言ってると、親や周囲が心配するわけだ。
「その人のこと、本当に好きなの?」って。
「もっと心ときめく、本当に好きな人と結婚しなさいよ」などという助言には、「好き=男女の恋愛」という決めつけがあるように思う。
更にいうなら、燃えるような恋愛の末に、夢の結婚と出産があるはずだという意識。
相手を人間的に好ましいと感じ、生活スタイルや経済状況が見合うのなら、それで共存に至れるはずだと考えている。
だから、今回はたまたま彼だったけども、別に異性である必要はないし、なんなら女友達を選んでも良かったと思う。
ここで声を大にして言うが、彼のことは好きだ。
だがそこの判断に、当然のように男女の恋愛があったと捉えられると、もぞもぞと居心地の悪い気持ちになるのだ。
だって、A×Bは恋愛結婚よね!って言われると必ずしもそうじゃないじゃん。
一言に結婚といってもAとBの関係性は100通りくらい妄想できるのが腐女子って生き物じゃん。
私は、
コイツが相手なら子どもを産もう。産まれたらあそこ連れてこ、ああしよこうしよ。うわっ人生設計もできたわ~~~
よっし!!!なんかもう一緒に住むか!!!!!!ちょうど結婚って制度あるし!!!!!
って思って結婚するわけで、そこに「彼のこと愛してるのね~♡運命の人でラブラブなのね♡彼格好いい?ドキドキする?♡」などと言われると
ってなるわけ。
恋してる・愛してるから結婚するんじゃなくて、パートナー(相方)になりたいから結婚するんだ。
だから特別おめでたいことだとも思ってないし、面倒なことは面倒だって言う。
人を好きになったことは、まだない。
2度ほど告白されて、とりあえずでいいから付き合ってみないかと言われ頷いたものの、いずれも所謂男女の関係にはなれずお別れした。
「まだ運命の人に出会ってないだけだよ」「今は他のことで忙しいからじゃない?」
と言われ、まともに取りあって貰えない。
ネットとかで色々調べてみたら、どうやら自分のような人間は一定数いるらしく、"アセクシャル"(無性愛者)と呼ばれていることを知った。
ただ、確証が持てない。
wikiとか見ても自覚時期については「第二次性徴期以降であることが多い。」としか書いてなくて、自分が無性愛者なのか、レズビアンなのか、はたまた友人たちの言う通り単なる奥手なタイプなのか、それは一体いつ判断していいんだろう。
そもそも元から執着心や依存感情に縁が無く、広く浅く淡白な人間関係しか築いたことがないので、これがセクシャリティの問題であるのかすら定かでない。
ちなみに男女問わず美しい顔が好き&刹那的な青春っぽいエモさに弱いのでアイドルとかは好きでよく観に行く。
しかし当然ながら恋愛感情ではないと思う。推し多数だし、認知欲求もないので。
あと子どもも好きだし、いつか自分の子どもが持てたらとは思う。まあ現実的に無理だな。
別にこのままボンヤリと生きていけばいいかなと思ってたのだけども、最近あまりに上記のやり取りをすることが多く、しかもそれが結構なストレスであることに気付いた。
だからこの際ハッキリ決めて宣言してしまおうと思ったものの、これ他のセクシャリティに比べて判断基準がぼんやりしすぎてないか?という印象が拭えず躊躇われる。
だから誰か教えて下さい。
私はAセクなのでしょうか?
モヤモヤするわ~。
好きになった女の子がビッチだった。本当にめちゃくちゃビッチ。
なんで誰にでもそういうことするの?と問いかけると、
「求められると嬉しいから」
これをホテルのベッドで聞かされる彼氏(自分)の気持ち、分かりますか。
でも、実はこのビッチ話は付き合う前から本人から聞いてたし、自分も知っていた。
なんでそれを知ったうえで付き合ったんだろう?たまに、ふと、分からなくなったり、自分に自信が持てなくなったりする。
はっきり言って自分の社会的ステータスや外見、いろいろ鑑みても”選べる側”であることが多い人生だったとおもう。
これは驕り高ぶっていることは重々承知だし、読んでいて不快になる方もいらっしゃるかもしれない。
けれど、自分がなぜ、”あえて”その子を選んで、好きになってのめり込みそうなのか、いまだによく分からない。
だったら紹介でいいところのお金持ち令嬢の女子大卒を紹介してもらったほうがよっぽど色のある人生とも思える。
高校生のとき、童貞身分だった自分は、彼女に対して処女性とか、清潔感とか、よく分からない幻想を抱いていた。
周りを見渡しても男子しかいない男子校だし、楽しいことは放課後、男友達と遊んだり、彼女いるやつのデートをつけてみたり、恋愛とは縁遠かった。
大学入って、年を経るにつれて、そういうのも失ってある意味「諦念」のような感情も芽生え、処女性とかそういうのは少し歪んでいる方の考えって思うようになった自分も今は理解できる。
よくネットで新品と中古品、どっちを選びますかって問われるけど、まぁそういう言論も分かる。
分かった上で、こだわっている訳ではないのだ。
けど、話は戻るが、なんでそれを知ったうえで好きになって、付き合い始めたのか、いまだによく分からない。
彼女はキスも手慣れてるし、エッチも上手だし、ラブホに着いてもルーティンワークのように動く。
僕はそういう姿を見る度に何か悲しくなる。でも、彼女のことは好きだし、愛している。
彼女に、付き合ったら今までのそういう関係はどうするの?と問いかけると、
「分からない。寂しくなってたまに自信がなくなってしまうときがあるのかもしれない」
彼女との今後はどう過ごすべきか、結婚すべきか、でもそういう人は浮気をしてしまうのか、分からない。
特別な人間とか、運命の人とか、絶対とか、そういうのを信奉する信条は持ち合わせていない。
大事なことは、その人にとって特別な人間になり続けられるように努力することだ思う。
自分も努力するし、彼女も努力して欲しい。どうすればこっちだけを振り向いてもらえるのか、分からない。
まず初めに言っておく。対象の方々を貶めたいわけじゃない。
だから駄目ってのは言い過ぎたかも。ただ、男性って処女をありがたがってくれる。
だから30超えて処女の人も「気にはなるけど、そんなにハンディじゃないよね…」って心のどこかでは思っているかもしれない。
違うよ。結構なハンディだよ。男性がありがたがってくれるのは大目に見て20代までの処女だよ。
処女であることが問題なんじゃなくて、その処女マインドが問題だと気付いてほしい。
もしこれを読んだ30過ぎた処女の方がいたら気を悪くしないで「そうなんだ」って助言だと思ってほしい。
みんなの周りにもいるよね?
美人ってわけじゃないけど、顔も性格も職も、普通にいい子なのに未経験のまま30歳を超えてしまったって人。
私の周りにもいて、彼氏および配偶者はいらない主義かな、と思って聞けば「欲しいよ」という。
ならばということで、男性を紹介。
あんまり肉食系ではだめだから、ちゃんとした企業にお勤めの性格の良い、落ち着いた男性たち。
ちょっと年下になってしまうけど、人に紹介できるような独身なんてもう年下しか残っていない。
3対3で行った食事会(私含む幹事2名を除けば2対2の出会いの場)は雰囲気も良く盛り上がり、
私目線であるがぱっと見て「手ごたえあり」でお互いにもっと会いたいと思っているのが見て取れた。
良い食事会になったなー、いいことしたなーと勝手に自己満足していたら、女性側からメール。
(うんうん、でしょー? うまくいくといいね)
「あのね、それでね、次回もみんなで楽しくできたら嬉しいなって。
(……!?)
み、みんなで楽しく……。
いいことだよ!うん、いいことだ!!
私もうまくいったら3カップルで出かけたりできたら楽しいなって思ってた!
30超えたら4回目のデートには仕留めてほしい所じゃない?
なんつーかさ、なんつーかさ。
30超えたら初対面の人でもある程度スムーズに会話できるコミュニケーションスキルって学んどくべきだし、
仮に盛り上がらなくてもそのぎこちない雰囲気も恋愛のワンステップだって割り切る強さって必要なんじゃない?
「えへへ、緊張しちゃって…すみません」とか笑って好意っぽくすり替えちゃう処世術とか身に着けとくべきじゃない?
えへへとかいう女いねーよとか言わない。基本男性は愛想のよいぶりっ子には好意的なはずだ。
彼氏がいらないんだったらそれでいいんだ!でももし欲しいのだったら!
失敗することを恐れず、上記を学ぶつもりでもっと男性と二人っきりになってほしい。
そういうのも居心地よく出来る男性が運命の人でしょう?って思うかもしれんけど、いや違うから。
頑張ってほしい。
タイトルそのまま。
superlove☆の話というより、それが好きな1ファンである私の話なので、興味のある方だけお付き合いください。
先に前提を話しますと、私はおそらくアセクシャルと呼ばれる人種です。平たく言うと、恋愛感情が持てない。
もしかしたら、恋愛が出来ないのではなくて、運命の人と出会ってないだけ。そう信じてめでたく三十路です。
試しに付き合った方とも性行為…というか、キスすら出来ずに別れ、もしや同性なら?と思うも試す度胸もなく(イメトレではやはり恋愛感情は持てなかった)他人がごく当たり前に抱く恋愛感情に憧憬と畏怖を覚える日々でした。
以上、前提終わり。
さて、巷ではシンデレラ5thが終わった頃ですね。全通しました。最高でした。
4thは運命的でした。ままゆに惚れ直したこと。そして、superlove☆を届けてもらったことです。
superlove☆自体はCDで聴いていましたが、そのときは「かわいい~」くらいの印象でした。
しかし、4thで、イエパが終わって、そのままセンターに躍り出たのじょがsuperlove☆を歌った時、この曲が真っ直ぐに私の心に刺さりました。
「どんな愛も愛は愛じゃん」
のじょが真っ直ぐにきらきらと歌ってるのを見て、不意打ちで号泣してしまいました。
昔の恋人に別れるときに言われた、「キスもできないなんて、あなたは私のことが好きではないんだよ」という諭すような、諦めたような別れのセリフを思い出しました。
わたしは、キスなんてしなくても、一緒に食事して、笑って、たまに映画なんかみたりして、それで十分だったことを思い出して、そこにのじょの「どんな愛も愛は愛じゃん」って言葉が響きました。
恋人には否定されたけど、確かにそれは恋人になんてならくても、友達でもできることだったけど、私は元恋人とそれをしていたかった。とられたくなかった。それは確かに私の愛だったのではないか、と。
世間一般の愛の形ではないけど、相手に愛ではないと否定された愛でもです。人を愛せないと泣いた日々が救われた気がしたんです。認めてもらえた気がしました。あなたの愛はその形をして、確かに存在してるんだよって。「あとはもう気づくだけじゃん」ってのじょが手をさしのべてくれたから気がつけました。
「パパにママにお姉ちゃんに」愛を歌うのじょを見て、私のまわりにはちゃんと愛が溢れていることを思い出して、また泣きました。「アタシなりにとどけたいよ」って歌うのじょを見て、私も、どんなに世間一般ではない形の愛でも伝えることを諦めちゃいけないって思えました。
そしてきっと、愛の形に「上も下もない」んだろうなって思いました。
のじょが「ドアの外も怖くはない」って歌ってくれたから、ドアを開こうと思えました。
「だれもきみを傷付けない」って言葉を信じたいって思いました。
抱えてる不安をぽい!ってして、幸せになっていいんだよって、本当に、肯定感?というんでしょうか?すごく救われたんです。
CDの時点で気がつけよって感じなんですけど、多分これはのじょの、生のパフォーマンスがあったからこそ、心に響いたんだと思います。
歌詞だけ見たら「誰も君を傷付けない……わけねーだろ!」って感じですよきっと。
のじょが心からの笑顔で、全力で、真っ直ぐに愛をこめて届けてくれたから、私の心にささったんだと思います。
それ以来、superlove☆は大好きな歌です。
5thでますます進化したのじょのsuperlove☆を聴いて、改めてそう思いました。
そんな気持ちを吐き出したくて書きました。
すっきりしました。以上です。
あ、superlove☆はスペル大文字なんですが、変換的なあれこれがアレなんで見逃してください。
ちなみにアイマスには祖母が亡くなった時に、「ポジティブ!」という曲で救われたこともありました。ありがとうアイマス。
以上です。
superlove☆だいすき!
全10話を視聴。
勢いあるコメディー調でテンポがいい。携帯ゲーム機片手にでも、さらっと見れる。
なんだコイツ?というドラマにありがちな非現実的すぎる嫌な変人が出ない。人間描写には基本的にリアリティがある。
主人公達が過剰にモテないリアルなところもいい。安心して見れる。(登場人物を信頼できる、というのも一つの良さだと思う)
★こういう人には向かないかもしれない★
ラブコメ然としたライバル登場からの事件の連続による激しい揺り戻し、二人を引き裂く過酷な試練などはない。
最終回まで上り調子のため、あっさり終わるのが我慢できない人は向いてないと思う。
★まとめ★
短所はすべて長所の裏返しだと思うので、一つの方向に向かって毎回亀梨君が奔走するという基本的方針に沿って、あっさりしたコメディードラマをゆるりと見たいなら見る価値はある。
今日,内田けんじ監督の「運命じゃない人」を見た.とても,面白かった,運命じゃない人は運命の人なんだろうと思えた.
僕には妻がいる.知り合って10年,付き合って9年,一緒に住み始めて6年,結婚して1年である.一緒に暮らしている時間は,今の所は,とても楽しい.
冷静に考えると,結婚は「たまたま出会って気が合って」という説明がしっくりくる.もっと冷静に考えると,「この人と出会って気が合って結婚までいけたのは,奇跡なんじゃないか」と思う.未婚率が高いと問題になっている今日この頃だけど,他人(しかも2人)に,こんな奇跡が(同時に)訪れるのは滅多にないんじゃないかと思う.
僕は結婚願望はほとんどなかったけど結婚した.だけど,もう一度人生をやり直して,今の妻くらいに気が合う人と出会える気がしない.僕はたまたま運が良くて結婚した,そんな奇跡みたいな相手に出会える確率は少なくて,未婚率が低いのは仕方ないことだ,と最近思う.
えいやと風俗行ったら最高だった。
そんで賢者モードになったら「あれ、もう彼女要らないんじゃないか?」と考えた。
風俗は
・自分がやりたい時に出来る、終わればパッと自分の用事や趣味に戻る事が出来る
・高くない(2万円とか)
・ご機嫌伺わなくてオッケー、何なら愛想までくれる
なのに何だこの満足感は…?
・ホテルあたりで知り合いにあったら気まずい
・風俗行ってるのを隠すのが大変…?
あれ、他にあるっけ?無いよね。つまり出会い系を使うより、嬢を定期的に性病検査行かせてる風俗店の利用がベターとなる。今時素人の方が怖い。
これまで20人くらいの女性と付き合ってきた。結婚までいきそうだったのは4人。残念ながら縁が無かった、もちろん自分の甲斐性の無さもある。そして今後収入が上がるかどうかと言うと、正直心配である。
アラフォーになってしまったし、今更家庭や子供が持ちたいと思わない。
今の収入じゃ子育ては辛いだろうし、何より生まれてくる子供が可哀想だ。子育ては自己実現の方法や趣味じゃない。
1人で生きていくには困らないし、ちょっと遊ぶくらいのお金と時間も欲しい。
自分からすると綺麗事。これが人として普通ならば、不妊の人や同性愛者はどうだろうか。
爽やかに子供を育てられる階級に許される事。残念ながら自分はもっと下層にいる。
「寂しく無いか?」
口説き無しの遊びに行ったりも出来る。
所帯持ちも一人で飲みに来てる。
セックスしたくなる衝動を風俗で抑えられれば気持ちに余裕が出来るから、
周りの女性から信頼度が上がる。更にみんなで遊ぶのが楽しくなる。
子供を設けるのは、先述したが自己満足も少なからずあると思う。自分には必要無いし、アラフォーだからもう遅い。
浮気だ何だと束縛されない。
どの女性とも付き合っていないから、風俗で毎回相手を変えてもオッケー。必要なのはお金だけ。
やれ誕生日だの記念日だの、ディズニーだのリョコウだの言わない。
予定を合わせてデートしたり、プレゼントを悩んだり、以前は楽しかったけど、しがない会社の社畜だから休み少ないし、付き合う人の年が上がっていくとプレゼントも高額になってくるし、風俗行くよりよっぽどお金が掛かる。
結婚しなくていい。
20代後半あたり、女性から結婚をチラつかされたり、こっちから結婚したくなったりするようになった。
30代あたりには、女性からのお願いで真面目に結婚を考えさせられる事もあって、お金無いのに結婚式したいとか、やっぱり子供欲しいとか言われて「(正直、重いな…)」と思った。
自分の両親は今でも仲が良さそうだが、社会に出て、色々な人と関わる中、こんなに人は離婚するものなのか、と驚いた。大きな世代の変化を感じる。
自分は甲斐性が無いし、人の失敗をなかなか許す事が出来ないし、結婚しても離婚するような気がする。
あれは去年の冬、僕が22歳の時だった。大学が嫌になってしまって実家に帰省していた僕は地元でバイトをしたりしながら、フラフラしていた。課題もたまっていたしやるべきことが溜まっていたけれど、そう言うことから逃げるために実家に帰っていた。そして毎日毎日意味もなくバイトをする中でインターネットだけが僕の癒しで、特にSNSを楽しんでいた。
そんなある日、僕の元に知らないアカウントから連絡が来た。なんでも自分の高校の5つ下、17歳の後輩の女子らしかったけども、プロフィールに出身校など書いていない僕をどこで知ってなぜ連絡が来たのかはっきりわからなかった。けれども、とりあえず連絡を取り合って見た。
そして彼女から話を聞いていく中で、僕は驚きの事実を知った。高校の同期の非リア非モテ童貞だと思っていた友人が実はその5つ下の後輩と付き合っていた上にすでにセックスをしていたと言うことが明らかになったのだ。リア充非童貞だったわけだ。ただ彼は彼女に対し自分の高校時代について多くを語ろうとしなかった。だから親友である僕に彼の高校時代などについて一度話を聞いて見たいと連絡が来たのだ。
正直彼は容姿がいいわけではなく、オタクの権化みたいな見た目で、彼自身も非リア芸をSNSで展開していたし、それは疑うことのない事実だと思っていた。しかしそうではなかったんだ。正直裏切られたと同時に、やることやってんだな、とも思った。
高校の同期が女子高生と交際している上にセックスまでしている、それだけなら同期で集まった時にみんなで話して盛り上がるゴシップの一つに過ぎなかったのかもしれない。でも話を聞いていくと同期のクズっぷりが少しずつ明らかになった。
初のセックスに関しても彼の童貞卒業、そして彼女の初体験にもかかわらず全く愛がないセックスでげんなりしてそれ以来セックスはしていないと聞いたし、記念日にプレゼントもなければ普段の愛情表現もなくて、一方的に彼女が彼に奉仕している、そういう関係だった。髪型も彼氏の指定する髪型を強制させられていて、彼女はなぜ自分が彼氏のことを好きなのか理解できないとすら言っていた。それを聞いた僕は奴隷だな、と言うのが素直な感想で、僕は義憤に駆られたけれども、どうすればいいかわからなかった。そんな折、彼女から二人でカラオケにでも行って一度彼氏の愚痴を聞いて欲しいとの誘いが来た。
行くべきか悩んだ末、興味本位で僕は行くことにした。
カラオケボックスで彼女から話を聞くにつれ、彼女の健気さに僕は惹かれた。正直可愛かった。可愛いと言う感情は弱い生き物に対して抱く感情のそれであると以前聞いたことがあるんだが、まさにそれだ。それに僕と彼女は本当に馬が合った。本当に盛り上がって、かなり長時間カラオケボックスに居たものの全く飽きることなく、そしてカラオケにもかかわらず全く歌を歌うことなく終わった。
でもその中で、彼女と僕は盛り上がりすぎた。最初ソファの端と端に座っていた僕らは少しずつ距離が縮まっていって、いつしか隣同士になった。健気な彼女の努力と、彼氏の愚痴を聞いていく中で彼女の努力を褒めるために彼女の頭を撫でると、彼女は甘えた声を出し始めて、一気に触れ合う面積が増えた。少しずつ彼女の息も荒くなって、彼女は「キスしよ?」と禁断の提案をして来た。
その頃僕は東京に彼女が居た。でもその彼女とはただ単に互いに異性が欲しいから仕方なく繋がっていただけの、愛のない関係だった。実際実家に帰省していたからといって寂しいと言う感情もなく、こまめに連絡を取り合うこともなかった。そういうある意味冷めた距離感というのが居心地が良かったのでもあるが、まあとにかくそういう関係だった。
それでも僕は彼女持ちだ。僕は迷うべきだっただろう。しかし僕は全く迷わなかった。正直に言うが全く迷うことなく、僕は彼女と唇を重ねた。彼女は小刻みに震えながら、僕と濃密なキスをした。いろんな女性とキスをして来たが、今までで最高のキスだった。もう僕は止まることはできなかった。彼女の小さな体を抱きしめ、何度も何度もキスをした。
22歳にして、17歳の女子高生をカラオケボックスで抱きしめ、キスをした。彼女は親友の恋人でもある。でも僕はもう、彼女が好きになっていた。たった数時間会っただけにもかかわらず。禁断の関係だった。もはや漫画か小説かと言うレベルの話である。
そして彼女も、「もし先輩に先に出会っていたら、先輩を好きになってたと思う」と言って来た。もう僕たちは停車位置を大きくオーバーランして、暴走していた。
最後に彼女は「これは『共犯』だからね」と言って、互いに今日のカラオケボックスで何があったかは互いの恋人に対してだけでなく、多くの関係者や友人に対しても秘密にすることを約束した。
そして僕たちは『共犯』という名の元に、互いに恋人がいるにもかかわらず、いわば「セックス抜きのセフレ」として、今後もイチャイチャして行くことにした。僕たちは互いに本命の恋人がいるから本気にならないようにしながらも、イチャイチャしていこうという約束だった。でも僕はすでに本気だった。しかし同時に彼女は親友の彼女でもある。
この感情を相談するのに適切な人間はなかなかいない。高校同期の友人に相談しても手を出すことを制止されるに決まっている。そんなわかりきった綺麗事なんて僕は欲してないんだ。ただ、この複雑な状況において、この僕の走り出した熱情に対し、手を出しちゃいけないならなぜいけないのかを納得させてくれる、そう言う人間が必要だった。
だから僕は恋愛経験の豊富な年上の知人男性にどうすべきかを聞いた。その時その人は「その女子高生を落とすしかない」と言った。その知人は僕と東京の彼女の冷めた関係についても知っていたので、そこまで本気で好きになったのなら、いくところまでいくべきだと言った。そして両方を目指すのはダメだ、どっちかにしないといけないとも言われた。
僕はそれを聞いた数日後に、東京の彼女に対して別れ話を提示した。色々あったけれども、互いに冷めた関係でもあったので大きく揉めることもなく、すんなりと別れた。
また同じ時期に東京で飲み会に参加した時のこと。普段占いなんて気にしない僕だったけれども、飲みの席で占いを勉強していると言うとある女性に自分の運勢を占ってもらった。すると、恋愛運はあまり良くない。そして運命の人とはまだ出会っていないと出た。ちょっと参ったな、と思いつつもその時はあまり気にしなかった。
そして実家に戻った僕は、「高校同期と彼女の関係の健全化を図る」という名目のもと、彼女と会合を重ねた。その時の僕は同期との友情も維持しつつ、あわよくばJKと仲良くしたい、付き合いたい、そういう感情だった。ただ僕はまだ本気で彼女のことを狙っていることを明かしていないのでそこまでガツガツ行くこともなかった。
JKの彼氏(そして僕の高校同期)のことをここでKと呼ぶことにする。
バイトの合間を縫って彼女の家に行ったり、カフェで待ち合わせしたりして僕は彼女の愚痴を聞いたり、彼女がKにどういうことを求めているのかなどを聞いて、Kと彼女の関係を取り持とうとした。とにかく僕は目的だけは真面目だったので彼女の家に行く際もマナーや態度にも最大限を気を使っていて、彼女のご両親からも認められていた。今の彼氏(K)よりも僕の方がいいんじゃないか、みたいなジョークすら言われていた。
そんな後ろ盾を得た状況だったので今思えばKに対してなかなかひどいことも言って、申し訳ないことをしたとは思う。でもあの時僕は義憤に駆られていたし、間違ったことを言ったとは思っていない。ただもう少し表現の方法は色々あったかもしれないなと今反省している。
しかし僕はいずれ彼女のことを本気で好きであることを明かさねばならないとは思っていた。そして彼女もある程度察していたのか素直に自分の欲求を言ってみて、と聞いてきた。だから僕は素直に彼女のことが好きであると言うこと、そして東京の彼女と別れたことを説明した。彼女は特に驚くことはなく、「それなら奪い取るために頑張ってみて」と、対立構造を明確化させた。こうなった以上僕も男だ。やるしかない。
僕は彼女の家にしょっちゅう通った。行くのは彼女から来て欲しいと言う相談がある時だけで、僕から行きたいと言い出すことはない。もちろん目的は彼女と話をしてKのどういうところが問題なのかを聞き、そしてより良いKと彼女の関係の構築を目指してどこを着地点にするのかということを僕が第三者的視点から検討するという目的だった。
役人が出会い系バーに行って問題になったりもしているけれど、僕の場合は本当に調査目的だった。それは事実。
でもカラオケボックスで燃え上がった僕と彼女の関係は簡単に消え去るほど弱い火ではなかった。
彼女と会うたびに僕は彼女を抱いた。とにかく抱いた。それは彼女から求めて来た。僕が先に手を出すのは良心の呵責に堪えなかったからだ。でも僕が彼女に求めていたことでもある。互いに『共犯』という名目のもと、とにかくイチャイチャした。それに僕は少なくともKよりはセックスが上手いという自信があった。実際彼女は僕とイチャイチャしてる時、ものすごく感じていた。そしてある時には一緒にホテルに泊まってイチャイチャすらした。
体の相性って存在するんだな、と思った。多分体の相性が良かったんだと思う。とにかく楽しくて、正直離れられそうになかった。
肉体関係だけじゃなく、普通に喋っていても楽しかった。しょうもないことから大事なことまで、いろんなことを話している中で僕と彼女の考えは非常に近かったし、話していて本当に楽しかった。ここまで女性と話していて楽しかったことはない。彼女は聡明で年上の僕の話にもついてきて自分なりの考えを臆することなく話すので、話していて楽しかった。女の子と話しているのではなく、一人の大人と会話している感覚だった。正直尊敬の念すら抱いた。
イマドキのJKみたいなくだらないこと、当たり障りのないことをグダグダ喋るようなタイプではなかった。例えるならPulp Fictionのミアみたいな女性だった。気まずい沈黙は嫌うけれど、それを回避するためのつまらない話も好まない。そう言う、少しめんどくさいタイプではあったけれど、考えが近かったぶん色々話しやすかった。
やがて僕は彼女とKと僕の3人で集まって話す機会を何度かセッティングし、関係改善の突破口としようとした。表向き僕はレフェリーとしてその場に存在していた。その中でKは幾度となく彼女を泣かせた。僕の目の前で僕の好きになった女を泣かせるKという男が僕は憎かった。幾度となく傷つけ、そして傷つけたことへのリカバリーも十分ではなく、それがまた彼女を傷つけた。なんで、なぜ、そんなにも無神経になれるんだと。なぜわかってあげることができないんだと。本当に僕は怒りで体が震えた。
そんな状況だから僕と彼女は本当の意味で互いに好きになり始めていた。最初は僕が一方的に本気になっていただけなのに、彼女の方も本気になりかけていた。本当に幸せな時間だったし、僕は彼女のあらゆるものを欲した。
そうして僕たちは幸せにイチャイチャし続けていた。でもそれと同時に僕はKと彼女の関係改善のための努力も続けていて、Kは確実に良い方向へと変化し始めていた。僕は完全な悪にはなりきれなかったから、Kと僕との関係も守りたかったし、Kと彼女の関係も最初の対等じゃない関係を改めて改善するつもりだったし、僕と彼女の関係に関してもこのまま幸せになりたいと思っていた。
しかしその3つは最初からどうあがいても両立できないものだと今ならわかる。でもあの時の僕はとにかく今Kと彼女の関係がマイナスになっているのでそれを僕の努力で0にまで戻してやり、その間に僕が彼女との関係で大きくプラスを稼げば彼女は確実に僕を好きになるだろうと。そしてその結果僕とKとの関係が多少冷え込んだとしても僕の努力についてKは僕に感謝するだろうし、長い付き合いだから関係が切れることはないと考えていた。それにもしKとの関係が切れたとしても彼女を手に入れることができればそれでいいとすら思っていた。
そうして僕の計画が軌道に乗り始めたところで僕は年度末が迫って来て忙しくなり、東京に戻って大学や職場関連の手続きなどに追われ、彼女にあまり会えなくなった。それでも僕はずっと彼女のことは好きだったし、片時も忘れることはなかった。
そして僕がつらい時期を乗り越えることができたのも、彼女のおかげだと今も思う。彼女からもらった励ましの言葉や時には彼女に叱責されたことも思い出して、そうして僕はつらい時期を乗り越えた。ただ優しくするだけなら誰にでもできる。僕のためを思って叱ってすらくれる彼女を僕は本当に心の支えにして、必死に生きた。必死だった。
僕はその頃メンタル面に問題を抱えていて、父からもそのことについてよく怒られていた中で、彼女が本当に僕のメンタル面の改善において決め手となる後押しをしてくれた。これが僕の中では本当に嬉しくて、Kも変わっただろうけども僕も変わったぞと、はっきり胸を張って言えると思っていた。
そうしていつしか冬が終わり、春になった頃。Kと彼女の関係改善に関しては僕の努力によりある程度目処が立って、一時かなり冷え込んでいた二人の関係も多少回復していた。
それでも僕は絶対に彼女が選ぶのは僕に違いないと信じていた。そこに根拠はない。でも僕は絶対にKよりも僕の方が彼女を幸せにできると確信していた。それは内面もそうだし、就職も決まっていて収入もそこそこ確保されていて、より現実的な選択肢だと自分のことを思っていたからだ。
しばらく会えなかった中で彼女と3月末に久々に会うことになり、一緒に花見をしながら互いの話をする中で僕と彼女はやっぱり馬が合うなと確信したし、彼女も公園であるにもかかわらず僕にすり寄ってきて、僕のことを好きだと言った。僕はほぼ勝利を確信した。
そして新年度が始まり、ある程度忙しさの峠を越えて、先日僕が久々に彼女とまとまった時間話す機会を得た。と言うより彼女から話したいと言って来た。久しぶりだ。「今話しても大丈夫?」と聞いて来たので僕は少し嫌な予感がした。でも僕は大丈夫だと答えた。
↓続き
公式オリキャラで「女キャラ」が出(そうにな)る度に「他ジャンル」の人が「夢」とか「乙女系」とかの動向気にしてネタにする流れいい加減なくならないかな。
うんざりなんだよ。
公式と解釈違い起こしたりメディアミックスオリキャラで訣別したりするのは夢に限らないし、そういう感覚は人それぞれのものでしょ。それなのにいちいち主語を大きくして騒ぐのはやめてくれ。
同人自体、人それぞれの趣味なんだから軽率に「○○で○○するなんてあり得ない」とか「○○で○○できるの?w」とか世界中からよく見えるようなとこで口にしないでくれ。せめて言うなら「他人の趣味の幅を勝手に決めつける無礼なことを言っている」自覚をもって。
めちゃくちゃ汚い表現と極端なたとえも使うけど、他ジャンルの人間が夢・乙女系の内心勝手に探って謎評論家目線でコメントするのって、クソアフィブログなんかが男同士が絡んでいる画像を取り上げて文脈を無視して「腐、大歓喜www」みたいな人を小馬鹿にしたタイトルつけるのと似たようなものなんじゃないの。
そもそも、今回槍玉にあげられているジャンルは元々シェアードワールド的なとこのある原作なんだから、メディアミックスのどれかひとつが絶対的な設定ってものでもないだろうに。既存メディアミックスだって全部あわせたら矛盾起こすぞ。
まあどれかひとつが爆発的に流行ってそれが二次創作内で準公式的な扱いになるってこともあるだろうが……それは公式メディアミックスに限ったことじゃないし……。
早バレでこそないけど、「先行公開情報」でこういう学級会じみたことになりかけていたから、それもあって余計にもやもやする。まだ実際には見ていない人のが多いんだから今その話ふっかけられても判断できないだろうし、私はネタバレ踏まされたような不快さが先に来た。私の場合は発表があるのをうっかり忘れて対策怠っていたのも悪いといえば悪いんだけど。
でも学級会の予習みたいにされたらどのみちワードが増えて弾ききれないじゃん……先走りすぎだろ……本発表でやれよ……いややらないでくれ……やるなっ……! 本発表でもどうせ似たようなことになるんだろうけどっ!
仮に後出しで「キャラくん(ちゃん)の正ヒロイン(相棒とか運命の人とかでも)」が出てきたとしても、夢をやる人はそりゃいるでしょ。夢やりたいから夢やるんだもん。「キャラくんの正ヒロイン」いるジャンルでだって他キャラとキャラくんとのCPが全くないことはないし。
というか、後出し正ヒロインにダメージ受ける場合は夢も他キャラCPもじゃん!?
しなばもろとも!
<はじめに>
■注意事項
以下の項目のいずれかに該当する方は、速やかにブラウザバックしてください。
・「好きじゃない人にモテても嬉しくない。好きな人だけに好かれればいい」とかほざいてる奴
・「ありのままの自分を好きになってほしい。モテるためだけに自分を変えたくない」とかほざいてる奴
・同性を好きな人(申し訳ありません。自分が同性にそこそこモテる方法を知らないため)
■講師の紹介
・年齢:アラサー
・体型:普通
①同性の人が極めて少ない環境に身をおく
簡単に言えば「オタサーの姫」の姫(男女共に)に自分がなるということ。
例えばあんたがそれなりに魅力的な人だったとしても、同性がうじゃうじゃいるフィールドにおいては勝率は低くなる。
(この文章を読んでいる時点でそこそこモテないはずだから、勝ち目はゼロに等しい)
学校や職場を変えることが難しければ、同性が少ないコミュニティに参加する。
②動き・しゃべりをスローペースにする
ちょこまかとせわしなく動いたり、焦って早口になったとしても可愛いのはロリ&ショタのみ。
ゴキブリやフナムシは見た目もアウトだが、キモがられるのはあの無駄に素早い動きのせいである。
例えばクワガタやゲンゴロウはあまり動きが早くないので、見た目はゴキブリやフナムシとそう変わらないが
手でつかんで愛でることができる。
動き・しゃべりをスローペースにすることは、たゆまぬ訓練によって実現可能だ。
③没個性的になる
あんた方は自分のことを変わり者だと思っているだろうが、世の中の大半は変人である。
服装は女子も男子もユニクロとか(ただしサイズに気をつける。女子はスカート推奨)でOK。
本当の嗜好は、深い仲になった人に対して徐々に出していけばいい。
「なに当たり前のこと書いてんだよ」と罵倒されそうですが
その当たり前のたった3つのことをできていない人が多いのです。
すごくモテるということは決してないですがそこそこモテるようになります。
実践あれ。
『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマが流行っている。
要約すると最初は便宜上の契約結婚を交わして夫婦がだんだんお近づきになり「本物の夫婦」になる話だ。
好きでもない相手と同棲状態になったり、なかば無理やりお近づきになり、付き合っていくうちに本物の恋仲になる。
そういうお話をバリエーション含め、あなたはいくつも知っている。どれも人気作だ。
少女向けコミックのそれ系統は最近じゃ一月に一作は実写映画化されてるし、
男性向けの場合は落ちものだとか、ハーレムものだとか呼ばれている(まあただハーレムの場合、「好きでもない相手と〜」は一昔前の流行になってるかもしれない)。
こういう系の恋愛物語がいったいなんで受け入れられやすいかというと、
それは我々にとって(少なくとも概念的には)馴染みぶかい恋愛の形態でもあるからです。
親や仲人から引き合わされて、ほとんど初対面の相手となんだかよくわからんが結婚し、最初は家と家との結婚という感じだったのが、
『この世界の片隅に』なんかもそうでしたね。
あれが理想の「見合い結婚」、日本人の好きな「恋愛物語」のパターンです。
日本人は現在に至るまで実はアメリカ的な意味での恋愛結婚をよく理解していないのじゃないか、と思う。
いやね、アメリカ人だって昔から自由恋愛バンザーイ!みたいによろしくやってたわけじゃないんです。
50年代60年代あたりまでは、結婚相手なんて「ご近所さん」が普通だった。
特に都市部では出稼ぎにきた移民労働者が、やはり移民であるお隣の娘さんをなんとなく良いな、と思って、デートを申し込んだり、
あるいはいきなり「娘さんを僕にください」とやってきてそのまま結婚することも多かった(後新聞に結婚相手募集の広告出したりなんかしてた)。
「結婚したあとで好きになっていく」パターンは実はわりと最近までアメリカにもあったんです。
カウンターカルチャー、フリーセックスの時代です。
フリーセックスの方はエイズやらキリスト教保守派のバックラッシュやらで廃れていくんだけど、
自由恋愛のほうは残った。
そう、電話の普及ですね。といっても、
今みたいに個人につき一つってわけにはいかなかったけれど、約束を取り付けるのは楽になった。
娯楽も増えたし、公民権運動の余録で女性の地位も向上して女性の選択肢もちょびっとながら増えた。
なんたって50年代までは女性が単身で社会にでる手段なんて絶無に近かったわけですからね。
やたら女性が結婚を急いだのも実家という家庭から逃げ出したいところが大きかったんです。もっとも、結婚で実家を脱出したところで新しい「家庭」に囚われるわけですが。
恋愛の自由市場化が何をもたらしたかといえば、相手を「事前に」品定めできることでした。
やはり恋人は楽しい人じゃないといや。自分と合う人じゃないと。たとえば、音楽の趣味。映画の趣味。本の趣味が合う人。
食べ物の好みも重要。服装のセンスも忘れちゃいけない。それに犬派か猫派かも……そうそう、絶対ウンコはもらさない人じゃないとね。
こうして相手に要求するリストは無限に増えていく。このうち一つでも「アウト」だとたとえその他の条件を満たしていてもバイバイさよなら、となりやすくなる。
あなたは見知らぬ他人といくらでも知り合えるようになったし、その他人の情報を一切会うことなしにいくらでも知れるようになった。
メールやSNSの発展は新しい人とのつながりを容易にもしたけれど、同時に既存のつながりの切断も容易になった。
ネットで知り合ったあなたのカレの音楽の趣味が最悪だと一分前にわかった? よっしゃ、ならメールを送るんだ。
「あなたがそんな人だとは思わなかった。別れましょう」
そういう人はまだやさしいほうだ。なかには、別れのメールすらおくらずに元恋人を一方的にブロックする人間もいっぱいいる。
アメリカではカジュアルに出会えるマッチングサイトが普及しているけれど、
でも、なぜかアメリカ式自由恋愛のマインドだけは心得ていて、相手への要求レベルは格段に細かく、高くなっている。
知り合う手段は相変わらずインターネット以前のものに限定されているのに、意識だけはポストフェイスブックと化している。
この齟齬は、なんだろう。
といえば、おそらく日本人には「運命の人」信仰があるからだと思う。
「運命の人」信仰とは、趣味が全部合うとか食べ物の好みが一緒だから好きなんだとか、そんなんじゃなくて、
理屈抜きで前前前世から結ばれるべき運命だった人がいるんだよ、という幻想のことだ。
そう、『君の名は。』だ。
わけのわからないまま同居生活を続けるうちに相手のことがなんとなく好きになって
自分の好みを相手が事後的に受け入れ、相手の好みを自分が事後的に受け入れることだ。
それは家父長的な家庭であれば、夫の好むを妻が一方的に受け入れなければならず、逆はないという非対称な関係であったけれど、
現代の恋愛物語ではそれがアップデートされて「お互い様だよね」ということになっている。
日本の恋愛では、まず運命が先にあり、個人の人格はあとからついていく。
それはおそらく個人の人格を認め合う自由恋愛の本義からは外れた思想なのだろう。
でもまあ、なぜか日本人はそういうのが好きだ。
結局、皆、自由恋愛最高!を謳いながらも、心の奥底ではお見合い結婚に憧れ、理想化しているのだ。
なんて人に話すと、たいていは
「本当に人のことを好きになったことがないんだね(かわいそうに)」
「まだ運命の人に巡り会えてないだけだよ」
と、返答は2パターンに限られる。
なぜ、好きな人がコロコロ替わる価値観を受け入れてくれないのだろう。
つーか、この先その”本当に好きな人”なんてできる保証もないのに。
理解してくれなんてこれっぽちも思わないが、まだ起きていないことを出されても「はぁそうですか」としか言えない。
しかし、御年30歳。
いい加減、無駄に回数だけは多い自分の恋愛パターンも理解してきたし、多分こういうタイプの人間なのだろうと諦めている。
そして、多くの人には理解できない価値観だということにも気付きはじめたので、人には言わないようになった。
(会社や友人と恋人の話になったときは、3年付き合っている設定の架空彼氏を登場させ、実際に様々な男性とデートに行った場所の話をすることはある)
好きな人がコロコロ変わったり、交際期間が短く、多くの人と交際をする人は少数派なのだろうか。
(邪推する人がいるからあえて言っておくが、別にやり捨てされる訳ではない。だいたい自分から振ってしまう。理由は価値観の違いや飽きだったりする)
端的に言って、思いのほか面白かったです。
監督の過去の作品から憶測して「どうせまた雰囲気だけの恋愛映画だろう」と思い、
あまり乗り気ではなかったのですが、
実際にはそうではなく、非常にエンターテイメント性に富んでいて、
過去作とは段違いの人気があるのも素直にうなずけましたし、見に行って本当に良かったと思います。
その上で、気になったことが主に二つありました。
それは、恋愛作品としての欠点と、恋愛以外のストーリー上の欠点です。
前半のコミカルな入れ替わり劇から、後半のシリアスな展開へといっきに変える重要な部分であるだけに、
こまかいことではありますが、違和感のようなものが最後まで残ってしまいました。
今が何年かというのは、嫌でも目や耳にする機会はたくさんあるはずですし、
もし何月何日という日付が同じで気づきにくかったとしても、曜日がちがうはずです。
テレビで彗星のことを見て、それを思い出せなかったのはすごく不自然に思えます。
ただし、このことについては、設定上の説明はいちおうされていると思われるので、
「入れ替わってるあいだは、まるで夢の中にいるように、意識や記憶があいまいになる。」
というような説明が何度かあったので、
おそらく、日付のちがいに気づけなかったり、彗星や糸守の惨事のことを思い出せないような、
ただし、この入れ替わりの能力自体が、糸守を惨事から救うためにあるとしたら、
記憶があいまいになるように働く力は、その目的に反したものになってしまうので、
その矛盾を解くために、さらなる説明が必要になる気はしますが・・・。
そういえば、入れ替わった瀧が、朝、制服を着て学校に行こうとして
四葉に「なんで制服着てるの?」と言われるシーンがありましたが、
もしかしたらあれが、「曜日がちがっているけど気づけない」ということを
表現したシーンだったのでしょうか。
さじ加減の難しい部分ではあると思います。
そして、恋愛作品として、はっきり欠点と言えるのがこの部分です。
入れ替わる前までの二人は、せいぜい胸を揉んだり、都会の生活を楽しんでいただけで、
入れ替われなくなり、シリアスな展開になったとたん、
「お前が世界のどこにいても、必ず会いに行く!」などと言い出してしまうほど、
たしかに、急にもう会えないと知って、もういちど会いたいという気持ちが盛り上がるのは、
瀧は三葉のことを好きになっていることを先輩から指摘されていますし、
ということは、入れ替われなくなり、会えなくなる前から、
すでに二人は好き合っていたということになるのですが、
そうなった理由もわからないですし、それらしい描写も何もなかったように思います。
自分一人では行き詰ってしまっていた問題を、入れ替わってる間に相手が献身的に解決してくれたなら、
そうやってお互いの心の深いところまで知るうちに、
相手を大切に思う気持ちが芽生え、それが徐々に好きという気持ちに変わっていって、
ラストシーンでようやくそれが最高潮を迎える、というような展開であったならば、
おそらくもっと納得できたでしょうし、感動できたのではないかと思います。
でも実際には、瀧は自分の感情から机を蹴って意地悪な同級生たちを威嚇してみせただけですし、
三葉は、興味本位から先輩との仲を取り持って余計なお節介を焼いただけでした。
これだけではとても、お互いの心の深いところまで踏み込んだことにはならないと思います。
にもかかわらず、ストーリーの中盤ですでに、二人の恋愛テンションはマックスになってしまう。
これでは、観客は置いてけぼりにされた上にどん引きされてもしかたありません。
結局、この問題は、監督自身の恋愛に対する価値観から生まれているのだと思います。
ささいな出来事でも惹かれ合い、出会ってしまえば恋に落ちるのは当然、ということでしょう。
宮水の神様から与えられ、三葉のご先祖様たちから受け継がれた、
「時を超えた入れ替わり」の能力のことなのだと、いちおうは理解できます。
本人たちの意志とは関係なく無理やり結び付けられた二人というのは、
もし、瀧と三葉がその「運命」によって惹かれ合っていただけなのであれば、
糸守の人々を救うことができた時点で、その必要はもう無くなってしまうことになり、
五年後に再会した時に、お互いを「運命の人」とすぐに認識できた理由が説明できなくなってしまいます。
このように、「運命の人」という言葉自体は、この上なくロマンチックな響きのようではありますが、
実は本来のロマンスとは異なるものだというジレンマを併せ持っています。
だからこそ、その「運命」によって惹かれ合った二人が本当の恋に落ちるための理由、
いわば「運命の人のジレンマ」を埋めるためのプロセスが、本来であれば必要なのです。
また、運命の人かどうかはともかく、
誰かを好きになるために、第三者が納得できるような客観的な理由というのは、
じつはほとんど無いのだろうと思いますし、必要も無いでしょう。
たんなる直感や一目惚れといった、本人だけにしかわからない理由であったとしても、
本人さえ納得していれば、何の問題もありません。
そう考えると、瀧と三葉が恋に落ちた理由も、べつに無くても良いのではないか
と、思えてしまうかもしれません。
ですが、ことフィクション作品においては、それではダメなのです。
監督や脚本家という第三者によって、観客という別の第三者が見るためにつくり出された
ですから、その第三者が納得できるだけの理由が、絶対に必要になります。
もし本当にリアルな、つまり理由の無い恋愛を描いた作品にしたいのであれば、
監督や脚本家がつくり出したものでもなく、観客が見るためのものでもない、
実際に恋愛をしている二人のありのままを撮ったドキュメンタリー作品をつくるべきです。
そうではなく、あくまでフィクション作品をつくりたいのであれば、
たとえ恋をしたことが無い人でもそれが「リアル」だと感じられるような「リアリティ」、
わかりやすく言えば、たとえ「ウソ」でも「リアルっぽい」と思わせる説得力であり、
もしそうでなければ、リアルにおいて「理由の無い恋愛」をしたことのある人にしか、
これは恋愛だけでなく、たとえば、殺人や戦争などの表現に置き換えてみると、
たとえどんなにリアルでも、
実際に殺人や戦争を体験した人でなければ、理解も共感もできないような表現を、
フィクション作品に用いることは悪手なのです。
そもそも、今作のようにオカルトやSFなど、リアルではない世界観を扱っている作品で、
それは一つの作品の中で各要素における「リアリティのレベル」が合っていないことになるでしょう。
恋愛体験の異なる人たちのあいだで論争になっているようですが、
そのこと自体がすでに、恋愛をテーマにしたフィクション作品として、
この作品が大きな欠点を有していることの顕れである、と言えると思います。
恋愛作品としての欠点が、監督自身の恋愛観に因るものであるとすると、
今後の作品において何度でも繰り返されることになってしまうのでしょうか。
今回は、監督のその間違った恋愛観を表現するための設定や伏線の副産物として、
エンターテイメント性の高いストーリーがたまたま生まれてしまっただけだとすると、
今作のヒットは、ただのラッキーパンチだったということになってしまうでしょう。
できれば、そうならないことを願いたいと思います。
絶賛の嵐、っていうほどなのか。シン・ゴジラの方が、熱いコメントよく見た気もするけども。
これ、共感してるのは、男もなのかな。
どこらへん?
どこら辺ツボった?マジで?
どんな風に面白くしてくれんのかなって、見てたんだけど、
入れ替わって、まあ、わかる。
そんな感じでリアクションするかもしれん。うんうん。
お互い入れ替わって、だんだん惹かれ合う。ふむふむ。
でもこの段階。この段階も、実は違和感がある。
完全に一時的に、自分の体になってる、っていうのが、想像難しいけどさ。
それでそいつを好きになるのだろうか。
おっぱいもんで、ちんこもある程度触っているわけでしょ。お互い。
なんか、そこですんなり好きになるのかな。自分好きになるみたいじゃん。
なんていうか、体を何されてるかわからなかったりする、
変さって、あるんじゃないっていう。知ってしまってるだけに、恋愛感情になり得にくくない?
で、まあ、いろいろあって突然入れ替わらなくなるんだけど、
好きっていう感情は残ってるのに、住所に全く関心示さなくて、全くわからないっていう。
それもなんかね。いやいやいや、どんだけだよ。なんか、なんかしら手がかりあるでしょ。
と思わなくもない。記憶に残ってるものと、残ってないものが都合よすぎるというかね。
で、なんとなく思い出したから、行ってくる、ってなって、
女の先輩と友達、入れ替わっていた事実をあっさり受け入れすぎてるっていうか、
何なのそのリアクション!あっさりしすぎじゃない?もっと、こいつ頭おかしいんちゃうん、って思うでしょう。
なら出すな。絡ますなっていう気がする。
で、村民を助けるっていう流れ、わかる。僕らの七日間戦争的な、あれでしょ。わかる。
わかるんだけど、前段階で、結構ふわふわしちゃてるからもう、なんか全部、ふわふわしてきちゃって、
茶番に見えるというか。
真実を知ってるのは主人公なんだけど、説得しきれてない。証明できてないよね。
でもあそこまでの犯罪に手を染めるというのがね。
何でやねんって思わなくはないですよ。
3年前に髪を結ぶ紐を渡す、っていうのもね、わかる。その感じ。
ドラえもんのび太の魔界大冒険の序盤で、石になってるドラえもんとのび太の伏線の回収みたいなあの感じわかるよ。
冷めてる。
で、最後、わかるんだよ。
いろいろ、全てが終わって会っちゃう。どうしても出会ってしまう。赤い糸だからね。
わかる!わかるんだけど。
でも隕石回避、ただ走って伝えるだけで、セッテングは友達がやってたわけだしね。大して何もしてない。
それにお互いをどうやって好きになったかって、
決定的に、お互いに、何か心の隙間を保管するようなことがあったわけでもなくて、
頼りになるのは、何となく好きかもっていうなんかよくわからない、気持ちだけ。
そんなんで、思いを募らせる何かがあるんか!みたいな。
なんか一悶着あって離れ離れなら、もう日がな考えてフワフワしちゃう。
でもめっちゃ記憶薄いからね。なんか運命の人、いるかも、程度でしょ。
しかも最後なんて、ただのリーマンじゃないっすか。もうめちゃくちゃただの日常だし。
みたいな。
なんか言うほどの恋愛なのっていう。
ピンチになってるけど、隕石回避してるだけで試練でも何でもないしさ。
いや、もう、燃え盛る山にボロボロになって突っ込んで助けに行って半死半生とかなら、
まじかよ、そこまでしてくれたなんて、めっちゃ好き!!っていうのもあるけど。
そんだけ。
説得しただけ。
シンジを見ろよ。めっちゃエヴァ乗るの嫌がってて、もう死ぬほど怖い思いしてるよ。
すごいじゃん。
とか思うんだよね。
途中で恋愛的に凹むことがあるわけでなくて、なんか、ヒロインがあえて、自分で女先輩導いちゃってるし。
アホかってしか思えんし。
というのもあるわけ。
まあでも、泣けるのかな、泣けんの?本当に?
せめてロミオとジュリエット的な、どうしようもない運命に引き裂かれてるとかならわかるけど。
とまあ、もう、突散らかしたけど、俺は共感できなかったんだよ。
なんなんだよ。100億超えただと?なぜ!なぜなんだぜ?
http://method-of-pharmacist.hatenablog.com/entry/%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%90%8D%E3%81%AF%E3%80%82
>そもそも「入れ替わり」の原因って何?
>二人が入れ替わった理由って、物語中で明示されていましたっけ…
>三葉の家の血が、「入れ替わりの夢」を見せる力を持つからってことでしょうか?
>一葉おばあちゃんも「昔私も同じような夢を見た」って言ってましたよね?
>「入れ替わり」が起こったのは、三葉が持つ特殊能力?
二葉さんにも、同様の事が有った様です。
「妄言は宮水の血筋か」と、宮水トシキ氏(三葉と四葉の父)が言ってましたから、彼も、常識的には理解しがたい事を、奥さん(二葉さん)から聞いて居た筈です。
一葉さんとの会話で、瀧入りの三葉の「その能力は、この時の為に有ったのでは」て発言が、部屋に飾ってあった宮水家歴代の方々の写真が映っている画面で、有ったかと思います。
>都会のイケメン男子として暮らしたい」という三葉の願い(遺志?)が、
>3年先の世界で生きる瀧との入れ替わりを実現したんでしょうか?
過去の隕石落下当時や、200年前の大火でも、似た様な事が有ったのかもですね。
>なんで瀧と入れ替わったの?
>なんでわざわざ3年先に生きる17歳の瀧と入れ替わったの?
>三葉の死亡、糸守町の壊滅を防ぐために?
そうであろうかと思われます。
>「3年のずれ」、途中で気づきませんか?
>二人の世界に3年のずれがあることを、
>お互い入れ替わっている間に気づかないもんなんですかね。
>スマホ開けば今は何年何月何日かとか、
>友達と話せば微妙に話題がおかしいこととか、気づかないものですかね…?
>本編では瀧は「糸守町は3年前の事故で壊滅した」ことを、実際に岐阜県に行って初めて気づきます。
>そして、三葉が2013年までしか生きられなかった人物であること、
>自分が「入れ替わり」で経験した世界は2013年だったことを、そのときやっと気づきます。
>正直、もっと早く気づかないんですかね?週に2~3回は入れ替わってたし、日記もつけていたし。
入れ替わりの発生期間は、何度も有ったにせよ、そんなに長くはなかったのでは。
もう少し長く続いていれば、また違ったかもです。
それと、日記では、年は省いていたのでしょう(確か、スマホのアプリでも月日だけだった様な)。
また、「夢」で見聞きした情報は、醒めた後は、断片的に不鮮明に成る様です。
よって、戻っている間は、時間のずれに気付けなかったと思われます。
瀧が糸守町を探していた折りも、探索中は名前を認識していませんでしたが、ラーメン屋夫妻から聞いて「そう、糸守町!」と思い出しました(一旦認識はしても、覚醒中は薄れるという事)。
>なんで瀧は三葉を好きになったの?
>なぜ瀧が三葉に入れ込んで
>命がけで三葉を助けに行くまでになったのかが、あんまり伝わってきませんでした。
>このとき三葉と出会った記憶が無意識に刷り込まれていたから、
>瀧は三葉のことを好きになったのかな。
>序盤でも、三葉に組紐を託されるシーンが夢の中に出てきていましたよね。
思春期の少年にとっては、可愛い女の子と知り合えた時点で、大事件ですよ。
ましてや、その子が死んじゃう(死んじゃっていた)んですよ?
で、瀧の感情は。
入替わりの日常化/
奥寺先輩とのデートと其の不調、「別の誰かが意中に居るのでは」と指摘される/
入替わり起きず、連絡も不通。不安/
諦めきれず、御神体の所まで行き、口噛み酒を飲む/
トリップ。三葉の人生を俯瞰し、三葉が自分に逢いに来てくれ、組紐を託してくれた件を認識(その時の事を思い出す)/
最後の入替わり発生/
カタワレ時、奇蹟的な出会い
て過程で、強まっっていったのでは。
こうやって見ますと、特に、《三葉が自分に逢いに来てくれ、組紐を託してくれた件》で、キュンときますかねえ(“刷り込み”も、有るかもですが)。
>別に東京が舞台じゃなければならない理由って、なかったかなーって思います。
>3年前の事故とはいえ、彗星が日本に落ちて500人以上死亡したって、
>未曽有の災害だと思うんですけれども。
災害を知ってはいても、自分が入れ替わっている人間の住む町との認識が、上述の理由により、無かったのでしょう。
最後、瀧は就職したばかりで22-23歳くらいで、三葉は25-26歳くらいです。
>そういや三葉は東京へ瀧に会いに行ったとき「14歳の瀧」を見つけたわけですけど「あれ?子供じゃん?」って思わなかったのかな。
彼が、入れ替わっていた瀧だと、見て、直感したのでしょう。
>あのとき14歳の瀧に邪険にされたから、そして組紐を瀧に託したから、三葉は髪を切ったんですね。
(文責.ID:popoi)