はてなキーワード: 素粒子とは
家庭環境が主な原因だった!!
そりゃそうだ。当たり前。
書きなぐった物そのままなので、非常に読み辛いけれど、
こんな人間も居るということを、ここに垂れ流しておく。
言いたいことはこの後に書いてあるので、
面倒くさくなったら飛ばしてください。
生まれてから今まで、直ぐに感情的になる癇癪の権化みたいな姉を持つと、
こういう人間が家庭にいなければ、もっと余裕のある生活を送れたのになあと思ってしまう。
女ばかりの家で、説得しようにも長い話ができず、本当に辛い思いをしたので、上のような性格の人間は苦手すぎる。
本当に家庭は選べねえなあと思った。
仕事漬で鬱になり家にいる父、姉妹の長女で人の話を聞かない割に偉そうにする母、
その場に行かないと飯が出なかったので仕方なく行ってた。
周りのように旅行に連れていけという姉が言う。
金は無いが時間があるので、結局車で大型ショッピングモールに行く。
姉は一時的に満足するが、しばらく経つと金がない、旅行に行きたいと同じように繰り返す。
自分のせいではないものを指摘することで、自分の弱さを隠している。
毎日同じようなこと、くだらないようなことを言い合う。
翌日には忘れ、繰り返す。
感情的で閉鎖的な家庭で育ったことが、いかに自分の精神に影響し、
自分の進路に影響して、今の今まで悩ませていると思うともう嫌になる。
小学校3年までは小説や子供向け科学雑誌を学校でよく読んでた。
将来の夢は科学者だった。物質が小さい粒のようなものでできていることに感動した。
そんなことを親や先生に言っても取り合ってもらえず、科学者なんて無理と言われた。
誰からも肯定されないし、好きになっても、役立たないものだと思えてきた。
小説も読まなくなった。誰も読まないし、話題にならないからだ。
そして何より現実味がない。あっても雑学程度にしかならないと思えてきた。
感動するものもあったが、自分の環境を見直したときの絶望感が怖くなった。
誰も何も誰しも自分の気持ちなんてわからない。他人を理解しようとしない。
そうなった子供はどうするかというと、周りに頑張って迎合しようとする。
文脈が薄い一時的な笑いと理解しつつ、こうしなければ普通になれないと自己暗示をかける。
中学まで続けると割と周りが自我が芽生えてきていることに気づく。
自分はどうなったかというと、自己暗示を解けきれなくて、自我が地中に埋まってしまって、
ぼーっとすることが多くなった。何をやっても楽しくない。
全てがくだらない。
絶望的な気持ちを査読する先生に気づかれないように書いたのをよく覚えている。
でも、周りと馴染めなかった。
何いってんの、うちには金が無い。高校卒業したら働くって行ったでしょ?
人間の考えが変わらないと思いこんでいる親に対しめちゃくちゃ腹を立てる。
自分より頭が良くていい環境で育って塾とか行っている人間なんだろうな。
うちに生まれた時点でそんなものできないことは決まっていたんだ。
満足できない思いを反芻しながら、納得行かない家庭から与えられたことを無理やり正当化しようとする。
そんなことをしながら、何のために勉強しているかわからなくなったまま勉強を続け、高3までそれなりの成績をおさめる。
勉学というよりは社会に出る前に、自由な身と力を手に入れられると思った。
難しい話は通用しないことはわかっていたので、
家から出て、高校の延長線上の分野で、大学でしかできない勉強をしたいというが、反対される。
金がないから、心配だから、不景気だから、あんたのために言ってるから。
は?結局オメーの都合だろうよ。俺の何を見てきた?
大卒の就職率が低いってニュースでやってたし、高校卒業して安定した職を付けたほうが良いんじゃないと言われる。
お前、45年間、何を見て生きてきた?本当にいってんの?
ニュースで得た情報と自分の身の回りを見て、適当に集めた情報から意見を言っているだけじゃん!と返す。
めちゃくちゃ怒って、お前は社会の何もわかっていないと返される。
お前じゃい!
その後担任との三者面談をしたり、大学説明会に足を運んだりして、
勉強は続けたが、やはり高1のときに高校をやめればよかったと言う思いが引っかかる。
何より自分の大学進学を許した親に対して、姉が私も家を出て学校生活送りたかったと毎日激昂し、
何をやってんだかわかんなかった。家にいるのは人間じゃないとわかってていても、
もうなんだかよくわからなかった。救急車も警察も呼ぶ気になれなかった。
30分ぐらいしてから、ようやく呼ぶ気になる。
パニックと言うか、この状況に対して自分は何を考えているのか、全くわからなくなった。
恨み積もった家庭にどう抵抗してやろうかと思っていた矢先の理解できない死。
もう何がなんだかわかんなかった。
自殺した父に対して、苛立ちが積もりに積もって吐く。血も吐く。
悪気がなく、自然法則のように動く肉親に腹が立って仕方がない。
自分が違うのか?田舎に生まれた自分は田舎に埋もれなければいけないのか?
精神科に行ったが本当に自分が何を言っているのかさえわからなかった。
自殺したのはもちろん原因だったが、そればかりを話すだけで、
正直父が死ぬ前に、無理やり不登校になって、心療内科に行くべきだった。
もちろん今まで書いてある期間は絶え間ない感情を浴びせられている。
周りの人間が信頼できないこともあり、相談できないことがどれだけ苦しいか身を持って感じた。
子離れできない親から親離れできない。
毎日感情的な刺激を受けてきたせいで、隣の部屋の騒音などの刺激に反応してしまう。
頭の血管が触ってわかるほど浮き出て、ズキズキして、眠れなくなる。
さらに自殺した父の死体をよく思い出して、生理的に気分が落ち込む。
実家を出て数年経った今でも、文を書きながらこの症状が出ている。
あーもう何もしたくない。考えたくない。
人の気持ちを考えるってことはこんなにもよくわからないものなのか。
悩まない人間にとって悩んでいる人間の気持ちなんかわからない。
逆もまた然りだ。一生分かり合えない。
自分は具体化しすぎなのだ。人間とか今見える環境とかを具体化しても、精神が辛くなる。
記憶を消し去りたい。
昔からある不満が積もるとこうも気分が落ち込むのか。
降り積もる不安は階差数列のように増え、それが積もっていく。
この問題は解決するのか?本当はどこか解決策がわかっているんじゃないか?
わかっているけど、この先の未知の刺激に耐えられるか不安で仕方ないんじゃないか?
なんでこんなこと考えるようになったんだ?
最近になり、かなり昔から、閉鎖的実家からの膨大なストレスが、
自分の性格にかなり影響しているということが、かなり明確に示すことができた。
納得いく解釈を探しつつけてたのは、
親との思想が合わなかった事実をどうにか納得したかっただけである。
でもこうするしかなかった。
こうしないと、その場に居なくても襲ってくるからだ。
自分の気持ちを書いてそれを見直し、また書く、という生活を数年繰り返してわかったのは、
早々に自分の気持ちに蓋をして、自分の気持ちに嘘をついてきたということだ。
頭の中身をタイプしたり、図に書いたりして、ようやくわかった。
気持ちが落ち着いてくると、文字をよみ、抽象的なものも冷静に理解できる様になる。
他人が書いた物語を見て感動する。専門知識が頭に入って感動する。
俺はここまで何も知らなかったのかと落ち込む。
でも、今までよく生きてきたと、無条件な自己肯定感が芽生えてくる。
そんなことが少しづつできるようになることが、大学に入ってからの生きがいである。
「自分本位で生きたことがない」人が、心から人に好かれるということは難しい。
皆どこかで「他人に従ってもどこか違う」と思い、自分の表現をするのだ。
それを乗り越えてこなかったことが十分、身にしみてわかる。
素粒子でできている肉体に、生きる意味なんて無いってことは十分わかった。
だからこそ本能が指す、好きなことをしていいと思えるようになった。
ほどほどに好き勝手に生きていいと思える。
結局こうするしかなかった。
よくもまあ何日もこんなに長くて下手な文章を書き連ねられたもんだ。
最近落ち着いてみると、なんで落ち着いていなかったんだろうと思ってしまう。
その場しのぎで余裕がなかった。
これに関しては納得行くようになってきた。
書いてみると1ページで終わるような話を、どうしていままで耳にしなかったんだろう。
これは終わったことだし仕方がない。
見直すと、気が合わない肉親と18年間いたことが原因だったと今見返すとよくわかる。
原因がよくわからない鬱と診断されて、4年経ったが、
自分が書いたことは超悲観的だが、これまで経験してきたこと全てではない、
と納得できるのは、自分自身に対する姿勢が変わったからだと思う。
何度か兆しを見たが、今度は本当に、今までになく楽になれそうな気がする。
学校も肉親もただランダムに振り分けられた人間が配置されていただけと、やっと、心から解釈できた。
本を読むのを辞めてしまったのがいけないなあ。
あれもこれも、過ぎたことだと思えるようになれた。
自分の気持ちを書き表さないと立ち止まってしまうことも、よくわかった。
やっと人間らしさを取り戻した気がする。
今までどこか、頭を何かのタイミングでリセットできると期待していた。
まあ解決しようにもできないもんな。
わからないから。でも、もがかないと、掴めるものがあっても見逃してしまう。
自分に近しい人にアドバイスするなら、誰もいない、静かなところで正直な気持ちを書きなぐるということかなあ。
自宅が嫌なら喫茶店でとかでいい。
環境が用意できたら、書き始める。媒体は紙でもPCでもなんでも良い。
初めてみると止まらなくなって、気がついたら4時間以上立ってたということも珍しくない。
時間がもったいなかったとは思えない達成感がある。
見直すと何に悩んでいたかよくわかって、どこか整理できていないことが悩みの種だっとことに気づく。
苦しいとは思うが、自分の内面で見てこなかったことに対して、対面することだ。
対面して初めて分かるものは自分だけの発見であり、自分で掴んだものだから信頼できる。
こうしてどうにもならないことに納得し、物事への姿勢は変えられる。
あと、外部の情報に目を向けるべき。
漫画喫茶で見たことのないジャンルの漫画を手にとって、一日過ごすのも悪くない。
まあとにかく、映画館や図書館など、場の空気を感じられるところに行く。
そうすれば外部に注意が向く。
自分一人がこんな思いをしているというわけじゃないということ、
そうすると、だんだん自分に近しい物がわかってくると、信頼できる著者という対話相手が出てくるので、どこか楽になれる。
結局他のことを考えてもいいということ、その行為自体が自分のためになっていると思うこと。
そんなことで、案外心が落ち着いて、人間そんなもんだと思えてくる。
とにかく、今の気分がずっと続くことはなく、
人は変われるということを知るには、自分の頭で行動することだ。
書きなぐるだけでも、十分自分の頭を使っている。考え方も変わる。
そのことを忘れないでおきたい。
(追記)
終わりに
(内面の気づきを報告するとフィードバックを貰えるのは非常にありがたい)
全体を見ると、自分の内面にあるものがわからなくなっているという状態に対し、
気になるものを自分の中で見つけ、解釈し、納得していくかということをひたすら繰り返していた。
ネットや本にあるものは参考にはなるが、それをすっぽり当てはめて自分が治る。というわけじゃない。
趣味などの気分転換でやっていけるなら、その対処法も良いと思う。
湧き出てくるものは人によって違うし、参考になる意見も人によって違うし、考え方も違う。
これを理解するのは、自分のような人間にとって難しかったし、これが頭になかったから病んだとも言える。
どういう形であれ、このような考え方を獲得することは、生きる上で重要だと思う。
素粒子が逐次入れ替わって意識だけ残っている自分自身の体や心についてどう思っている?
生きる意味なんてないのは分かって、感情なんて長い目で考えればいっときのもので、
たまに絵画や音楽を鑑賞したり、作ってみたり、自然現象の動きを考える。
でも結局死ぬ。
自分が死ぬまでにやりたいことは何?と聞かれれば、まだ認識していないものを認識したい。
家族や教師に不快な思いをぶつけられたり、そういう人間が自殺して、死体を見せられたりして、でもどうにか立ち直れた。
その時無限に湧き出てくるものをどうにかしたくて、自然科学や宇宙物理学や世界史や哲学の本を読み漁り、いろんな小説、漫画も読んだ。
勉強という形でなく、気持ちをどうにか、とりあえず自分の疑問が解決出来るようになるまで突き詰めた。
今までにないダメージを受けて、頑張って自分で考えてきたから、もうそういう経験は慣れすぎた。
話題になるなんてどうでもいい。自分が認識できるのは自分が思う他人のみなのだ。
自分がもっとうまく伝えられるような、物語とかの表現をしたつもり。
文字や絵や音というものから、本能やありそうな経験に語りかけてくる自然現象、その表現が好きだ。
それを追求することを職にしている人はすごいなあと思う。
自分は何も気にしないまま表現するのがやはり好きなのだ。表現は表現として割り切りたい。
年増の研究者とかそんなことを考えるのかなあ。何考えてんだろ。
最近そんなことを考えて書き連ねて、1日が終わる日も少なくない。
今のところやりたいことは、グランドキャニオンとかオーロラとか、
生で見たことない自然現象を、今分かっている自然科学の知識を得た上で見てみたい。
より満足感を得られる行為を続けていきたい!
金は…まあどうにかなる?
後楽器を弾けるようになりたいなあ。
“Black hole explosions?” Nature 248 (1974) 30-31 (引用数 2592)
ブラックホールはあらゆるものを吸い込むだけで何も放出しないと長らく考えられていました。
ところで素粒子理論によると真空でも粒子が現れたり消えたりしていることが知られています。(対生成/対消滅)
ホーキングはブラックホールの表面付近を調べ、これらの粒子が放出されていることを発見しました。粒子が出ていく分ブラックホールの質量が減り最終的にブラックホールは消滅してしまいます。
“Particle Creation by Black Holes” Commun.Math.Phys. 43 (1975) 199-220 (引用数6991)
光さえ飲み込むブラックホールは熱放射をせず絶対零度であるとそれまでは考えられていました。
ホーキングは1. の研究に関連してブラックホールの「温度」と「エントロピー」を導出し、ブラックホールにおいて熱力学法則が成り立つことを示しました。
といういっけんすると奇妙な式でした。
本来ならエントロピーは体積(3次元)に比例するはず。それがなぜか表面積(2次元)に比例している。
ブラックホールーーー重力理論はひょっとして、1次元低い別の理論で表せるのではないか?
こうしてホーキングの導出したエントロピーの式から「ホログラフィック原理」の発見へとつながったのです。
“Wave Function of the Universe ” Phys.Rev. D28 (1983) 2960-2975 (引用数2143)
量子力学ではあらゆる可能性を足し上げて計算します。(経路積分)
一般相対論と量子力学を融合すると「あらゆる時空の”歪み方”(計量)について足し上げる」ことになります。
ホーキングはこの”歪み方”を足しあげるうまい方法を提案しました。
専門外なので間違いがあったらごめんね
適当にInspiresしてabst読んでまとめようかと思ったら
昨日寝る前に、嫁とこんなことを話してた。
嫁「そうだね。あの時、お義理父さんが気まぐれで(長いので略)」
俺「うん。でも、それだけじゃなくて膣の濡れ方や子宮内のわずかなひだ、どっち向きで寝たか、でも変わるよね」
嫁「それもそうだし、射精をどこまで我慢するか、だけでも違った結果になったはずだよ」
この調子で書いてるとえらいことになるので、はしょるが、要約すると
一卵性双生児ですら、違う人間だということ。つまり、Aが体験することはBは体験しない。
例えば、昔、アメリカの実験で、双子のうちAは貧乏な家に、Bは金持ちの家に養子に出す、ということをやったらしいが、
満足な教育も受けられなかった貧乏なAからしたら「なぜ俺の方がBじゃなかったんだ!!」と思うだろう。
同じ遺伝子でもこれなんだから、精子が違えば、もうそれは完全に別の人間だ。
極端なことを言えば、物質に影響を与えないはずのニュートリノのような素粒子の振る舞いが、わずかにでも違えば人類の歴史は変わってしまう。
例えば、ニュートリノ発見のされ方が少しだけ変わって、発見した人の振る舞いがわずかに変わる(例えばコップを置く位置が少しずれて、それを助手がこぼしたせいで電車に遅れる)などしたせいで生まれなかった人が存在する可能性はありえる。
それでも大きな科学の発見や、大きな歴史の流れは、もしかしたらそんなに変わらないかもしれない。
でも、そこで生きている人間は、完全に別の人で埋め尽くされてる可能性がある。
(いや、タイムマシンなんてないのだから、そんな可能性はないんだけども)
つまりそんなわずかな違いで、この子は生まれなかった可能性があるのだ。
素粒子の振る舞いは確率的にしか確定しないのだから、何もなくても俺が存在しなかった可能性すらある。
(いや、可能性はないんだけども、なんと表現するのが正しいのか。。。)
でも、本当にそんな、天文学的どころかグラハム数を使わないと表現できないような確率で俺が存在しているのか?!
と改めて驚愕しているのだ。
どうにも納得ができない。俺がいないってことは、俺的には世の中は存在してないってことだからね。
本当にそうなのか?
などと考えると、かなり強めな無心論者の俺ですら、魂という言葉を使って、こう言いたくなる。
俺「いや、多少の遺伝子が違っても、やっぱりそれは別バージョンの俺だったんじゃないかな〜」
嫁「別バージョン?何それ?」
俺「う〜ん、つまり魂は俺で、器が違うだけ、というか」
俺「だから、親父も俺も同じようなもんだと思ってさ。。。」
嫁「それは無理」
これからどうしよう。
追記:書き忘れてた。魂という言葉を使わずに、うまく俺の言いたいことを表現できる人います?いたらトラバでもブコメでも良いので教えて下さい。
なぜなら、ちょうどそのころ、高校時代から引きずっていた恋が終わって、カネが欲しかったからだ。まとまったカネと名声があれば、失った恋が戻るか、戻らなくてもちょっとは癒されると思った。
ちょうどファンタジー小説の文学賞ができたところで、じゃあこれに応募して大賞をとってやろうと思った。
とはいっても、書きたいことはただひとつしかない。失った恋のことだ。
だから、主人公はふられたばかりの若い男で、それが思いがけず別れた恋人と同じ屋根の下で暮らす、という設定にした。
主な登場人物は5人。2人はもう書いた。残る1人は弁護士かなんかをやってる中年男で、その年齢の離れた嫁さんが主人公の同級生。そして、この弁護士の大学時代の同級生で元カノでリケジョで大学に残って理論物理学やってる研究者。この研究者の研究室のボス博士が、「世界に穴をあける」方法を発見する。サイクロトロンかなんかで加速した素粒子をなんかにぶっつけると、この世界と並行して存在するいくつものパラレルワールドのどれかひとつとつながる穴ができる、というわけだ。
で、これはすぐに最終兵器に転用できる。その危険性を察知した彼女は、それを世の中に知らせようとするが、最初は研究の守秘義務がうんたら、そのうちにこれを国防に利用しようとする政府機関の手によって追われるようになり、ついには生命を狙われるようになる。
そして頼ったのが、弁護士である元カレだ。彼が法律の力で対抗しようと準備するのを知った闇の組織は、ボス博士の研究を利用して、この弁護士の家ごと二人をパラレルワールドにふっ飛ばしてしまおうとする。その家にいる嫁さん、そしてたまたま遊びに来ていた同級生も巻き込まれる。そして最後の瞬間、この嫁さんと電話をしていた主人公が電話回線越しに巻き込まれて、5人が家ごと奇妙なパラレルワールドに飛ばされる。
その世界は、重力が鉛直方向じゃなく水平方向に働く世界で、つまりは地面が垂直の崖。どこまでも続くこの崖にできた小さなテラスに家ごと引っ越しする。そこでなんとも奇妙な日常生活が始まるわけだけれど、その平穏な日常を脅かすようにこっちの世界から刺客が送り込まれ…。
とまあ、プロットだけ並べたらそこそこのラノベぐらいにはなりそうな気もするが、なんせ下手くそだった。ちなみに、この「どこまでも続く崖」の世界にしたのは、当時まだマイナーなスポーツだったフリークライミングに興味があったからで、山場で主人公が決死のフリークライミングをする場面を入れたかったから。そういう意味でも何十年たって感慨が深いものがあるわ。ともかくも、予選すらかすりもしない、惨めな駄作だったなあ。
当時、まだあんまり普及していなかったワープロで書いたんだけど、なにせメディアが1Dのフロッピーディスク(これが後に2D、2DD、2HDと進化していく)だったもんで、データを救出できなかった。だから、もう復元はできない。復元しても、あんまりにも下手くそで、顔を赤らめずに読めないだろうなと思うけどね。なんか思い出したんで、書いた。
「服従」を読んだ。色々とスキャンダラスで、フランスでは結構有名な本らしい。
フランスがイスラム教に支配されるって話なんだけど、主人公が40代の孤独な冴えない大学教師ってのも妙にリアリティあるし、
エログロの絶妙な味付け加減も素晴らしい。フランス人の性格の悪さをいい方向に発揮したなあと思える本。
それから「地図と領土」も読んだ。美術かじってる人間には結構クる内容だったが、成功した美術家の一生を描いていて、こんな人生送れたらいいなと思える内容だった。
劇中に登場する絵画作品や映像作品もかなり詳細に描かれている。自分もこういう作品を作ってみたい!と大いに創作意欲が湧いた。こんな小説は読んだことがない。
作中に作家自身が登場するんだけど、なんかいいキャラしてるし。
この作家は基本的に主人公が似通っているという批判もある。だが、それって別に悪いことじゃないし、むしろ違う主人公を描いている作家のが少ないと思う。
今「素粒子」を読んでいる。出だしからやっぱり惹かれてしまうものがある。
なんというかハマりすぎて、はけ口を求めているのだが日本だとやっぱりマイナーらしい。
ウェルベックは明らかにナボコフに影響されているけど、自分がナボコフ好きなんでそれでまた好印象を持った。(あの嫌味な文体ね。最高だね)
フロイト嫌いな点とか。
彼は昔に精神がおかしくなって精神病院に入院したことがあるらしいが、やっぱり精神がおかしくなるといい作品が書けるようになるのかな?
この作家に詳しい人いたら色々教えて欲しい。
「こんな世の中、もうウンザリだ!」
あ、小生、自殺したくなったこと過去数えきれないほどあるでござるよ?
だから自殺したいと思ってしまうことがあることは小生、理解できるでござる。
でもその理由で代表的だと言われてるこれに関しては全く同意できないでござるよ。
【ツッコミどころ】
「こんな世の中」
これって何と比較して「こんな」なの?
こんな世の中嫌だって言うけど、評価する以上は何か対等なものと比較してるってことだよね?
「酸素が嫌だから臭素を吸って生きる」とか言い出すやつがいないように、オンリーワンの体験しかしてないはずなのに、
何が「こんな世の中」なの?
ちょっと創作物の異世界モノとかラノベの転生モノとかに影響されすぎじゃないの?
死んだら転生できるとか、
死んだらあの世があるかもとか、
死んだら無になれるとか、
その幻想の君の心にしかない理想郷とこの世を比べて「こんな世の中」?
この時点で同情できないし同意できないし共感できないでござるよ。
小生はね。
もし、死んだ結果ここよりもクソな世界に放り込まれたらどうするんでござるか?
少しは考えて欲しいでござるよ。
死ねば助かるなんておこがましいでござるよ。
死んでもこの世界の肉塊になって原子・分子・クォーツ・素粒子もろもろ、残されるでござるよ。
ちゃんと魂が解放される確証もないのに、自殺なんてできないでござるよ。
でも何度もいうように何の確証もないでござるよ。
今日この記事 http://bzfd.it/2jkl8zc がホッテントリに入っていたが、正直言って早野龍五氏の科学者としての良心を疑わざるを得ない内容であった。
ところがブコメを見ると一部を除いて賞賛で溢れかえっている。未だに日本の科学リテラシーが低いことを痛感した。
ということで、彼の主張の何が科学的方法論としておかしいのか、挙げてみたい。
この文章は、あくまでも彼の主張の問題をつくだけのものである。福島が安全かどうかというのは全く別の問題であり、ここではそれに関する議論は一切しない。
これでも噛みつかれそうなので一応書いておくが、別に私自身は特に何かを避けているとかはない。単に面倒だからだ。
例えばSTAP細胞のときに、たとえSTAPが存在したとしてもゲルの切り貼りなどをした小保方氏はguiltyであるという主張は広く受け入れられたが、全く同じことである。
たとえ福島が安全であっても(その可能性はSTAP細胞が実在するよりは遥かにもっともらしいとは思うが)、早野氏の科学的姿勢は適切ではない。
(福島とSTAPを比べるなんて失礼極まりない!放射能乙!と思われた人は論理的思考法が向いていないと思うのでブラウザバックを推奨する)
簡潔に書くと
これはブコメでも幾つか指摘が見られた。Srと言うのは極めて厄介な核種で、崩壊時にβ線しか出さない。
β線はγ線と異なり荷電粒子線であるので、物質中では前方散乱により極めて速くエネルギーを失い、かんたんに遮蔽されてしまう。
外部被曝という点ではこれはよい性質であり、我々はSrの影響を気にする必要はない。
しかしながら内部被曝ではこれは極めて厄介である。基本的にはCsとことなり、正確に体内のSrの量を見積もることはできない。
さらに厄介なことに、Srはアルカリ土類元素であり、Csとことなり生体での半減期が極めて長いことが知られている。
また、体内での蓄積部位も異なるので、影響も異なるはずである。今までの疫学調査でもSrは直接測定できていないわけで、Csほど信用に足る基準値は設けられない。
したがって、特に過去の摂取について、WBCは内部被曝とは一切の関係がない。あたかもWBCが銀の弾丸であるかのように書くのは重大な欺瞞である。
食品に対しても同様で、Srの蓄積は注意深く扱う必要がある。全量検査では図ることができないからだ。
Srはあまり飛散せず、炉中に多く残っていると言われていることから、汚染水はどうなっているかも不明である。
一応心配になった方のために厚労省の資料 http://bit.ly/2iZ4M2u を挙げておくが、殆どの資料では検出限界を下回っているようなので、サンプルでの安全性という点では問題ない。
しかし、保証されているのはそのレベルであって、全量検査は銀の弾丸ではないということに留意されたい。
(別にサンプルしか見てないからダメだと言っているわけではないよ)
こういうソースがあって、このうちこれ由来の放射線は全量検査でき、ここであるモデルを仮定するとそれ以外の放射線についてもこの程度見積もれる、というのが正しい科学である。
WBC!全量検査!安全!というのではなんの説明にもなっていない。
もちろん現地でそういう説明をしているのかもしれないが、すくなくともこのインターネット記事を見るだけでは非科学的な説明しか見当たらない。
そもそも、科学は白黒つける方法論ではない。統計学に従って、確率xx%以上でyyである、ということをいう手法である。
なぜならば、ものを測って何かを予言する際には、次の3つの誤差が必ず発生しうるであるからである。すなわち、「理論誤差」「系統誤差」「統計誤差」。
高校や中学で習う科学では、理論誤差はないものとして扱うが、測定時の機械による系統誤差および個人誤差は必ず生じる。
確率事象を測定することはあまりないから統計誤差には馴染みがないかもしれないが、生物の授業などで習ったのではないか。
また、現実のサイエンスの世界では理論誤差は極めて重要である。上のように限られた情報(例えばCsの量)から何か(例えばSrの量)を推定する場合、必ずモデルが入り、それに伴う誤差が生じるからだ。
科学の世界でも最も統計に対して厳しいのは、早野氏の分野である素粒子・原子核の分野である。
例えばCERNで見つかったHiggs粒子は5σ(99.9999426697%)以上の確率で存在すると確かめられてはじめて発見と相成った。
しかし、彼がいまだかつて福島の問題で統計を議論したことがあるだろうか?
「xx人を検査しyyであったのでモデルzzを仮定すれば福島事故のせいでww病にかかる人は10万人中aa±bb人である」というのが正しい科学的な言い方である。
もしaaが十分少なければ、「1 / bb = nだから、nσすなわちcc.cc%の確率で10万人いても誰もww病にかからない」ということができる。
ではなぜこれをしないのか?
私は全く専門外なので知らないが、おそらく疫学調査などではサンプルが少なすぎる、あるいは理論誤差が大きすぎるため、このような統計処理がうまくできないのではないだろうか。
また、「3σすなわち99.7%で安全です!」と言われても多くの人はむしろ恐怖を覚えるだろう。誰も1000人のうちの3人にはなりたくない。
(本当は3σで安全だからといって3人必ず病気になるわけではない。ただ科学的には「わからない」というだけである。誤解なきよう)
最後の点に関しては100%早野氏に原因があるわけではなく、日本人のリテラシーの低さも問題ではあるが。
しかしだからといってこれは全く言い訳にならない。仮にも原子核物理学者を名乗っているならば、物理学者としての作法を通すべきである。
科学というのはこのように、いわば「歯切れの悪い」ものである。だからこそ、「水素が溶けた水はアンチエイジング!」みたいに歯切れのいいニセ科学が跳梁跋扈するのだ。
科学者はニセ科学に対抗するためにはきちんと科学の流儀を通さなければならない。「わかりやすい」白か黒かの主張は、むしろニセ科学に歩み寄るものではないか。
早野氏を賞賛するコメントでよく見受けられるのは、彼はアウトリーチを通して市民に安心を与えているから素晴らしいのだ、という主張である。
上の記事を読んでも伝わるが、早野氏自身も、市民を安心させるという点は意識していると思われる。
しかしながら、科学者の役割はあくまでも観測対象を客観的に見つめ、客観的な結論を出すことである。その結論を見て本人がどう行動する、あるいは行動すべきかというのは、本人、あるいは政治家が決めるべきことではないか。
もちろん市民に安心を与えようというのが偽善だとかいうつもりはない。しかし、あまりに対象に近づきすぎてしまえば、科学としての客観性が失われてしまう。
上で述べたように、あくまでも科学的にわかるのは、「cc.cc%以上の確率で安全」ということだけである。そのことと「絶対安全」の間には、大きな溝がある。
政治家が情けなさすぎるのか早野氏が科学者としての役割を逸脱しているのか、あるいはその両方なのかはわからないが、いずれにせよ「100%安全」というのは、科学者の言葉ではない。
これが行き過ぎれば、100%STAP細胞があると信じて実験事実を捻じ曲げた、小保方晴子が再び生まれることだってありえないとはいえない。
何度も言うように、私は福島が安全かどうかについては何も言うつもりはないし、この文章は何も言っていない。
ただ言っているのは、早野氏の言動には科学者として疑問を持つものが多いということである。
なお、もしかしたら「東大の物理の偉い先生が言ってるんだから正しいんだよ!」と思う人もいるかもしれない。
補足までに書いておくが、物理の研究者で福島に言及している人のうち、早野氏のように「絶対安全」を繰り返す人と、ここで述べたようなきちんとした科学的手続きを取っている人はだいたい半分ずつくらいである。
今の20代、30代って年金や社会保障が老後に崩壊しているのが確定している。
まぁ崩壊の定義にもよるけど、今の水準を保てるとは誰も思ってないよね?
なのに年金もらえなくても生活保護で生きるとかさ、俺が就職出来ないのは社会情勢が悪いとか、勤めている会社の給料が安いとか。
何でそんなノンキに生きてるの?
将来の情勢が悪くなるのが確定しているなら、やるべき事は今頑張って稼ぐ事じゃない?
60過ぎて路上生活したいの?警備員で1日数千円貰って四畳半に住みたいの?病気になっても病院に行けずに野垂れ死にしたいの?
今稼がないってそういう事だよ。
なんていうか、危機感足りないんじゃない?
日本が悪い、社会情勢が悪い、未来はお先真っ暗だって言いながら、どこかで自分は大丈夫って思っているよね?
ここは日本だし、水と安全はタダだし、文化的な生活はケンポーが保証してくれてるし、みたいな。
まぁ実家が金持ちの人はそれでも良いよ。遺産が5000万以上有る人な。もちろん、両親が死ぬ前に数千万使っても5000万以上残る人の事だぞ。
または子供が2人以上居て関係良好でも良い。ただし不確定要素が大きいので安心は出来ないが。
実家がショボい人、子供が居ない人は、60歳までに最低5000万、理想は1億以上の資産とメンテ済の持ち家必須だからな。
どう考えても、今から日本の景気が良くなる事は無い。2020年のオリンピック前後から急速に景気がしぼむ。
まずは社会保障の財源が尽きる。
高齢者でも医療費3割負担が当たり前になる。60歳以下は5割負担もありえる。高額医療費制度の上限が跳ね上がる。
弱いやつ、金の無いやつから死んでいく世の中になる。ここまでは既定路線だ。
文化的な最低限度の生活なんてお題目、金がなけりゃ実現不可能だ。ケンポーは神様が作ったこの世の理じゃない。
ぶっちゃけ、今60歳以上の貧乏人はご愁傷様としか言いようがない。
運を天に任せて、まな板の上の鯉として生きてくれ。
まぁ少子高齢化を放置して、社会や未来に投資しなかったツケを払うだけだ。自業自得とも言える。
20代、30代、あるいはもっと若い人は、マジで金を稼ぐ手段を考えた方が良いぞ。
公務員になりたいとか、安定した会社で細く長くとか考えていると死ぬ。
公務員の人件費はどんどん削られる。安定した会社なんて存在しない。
インフラ系なら大丈夫?人口が減る中でインフラなら安定とか頭沸いてるの?インフラを使う人間が激減してる最中だぞ。
若者の人生の中で、今が一番好景気だ。今稼がないと将来はもっと厳しくなる。
今は優秀な人が会社員や公務員に閉じこもっているが、10年後の優秀な若者は稼ぐ事に貪欲だぞ。
その時、今より年老いたお前らが、若者と競争しても絶対に勝てない。
以下に資産の目安を書いておく。
年齢×10万 人間が人間である為の最低ライン。ここを切ったらあらゆる理不尽に振り回される。
年齢×20万 独身なら最低ライン。病気や退職にある程度耐えられる。
年齢×30万 ボーナス有り職の最低ライン。ここを切ってたら無駄遣いしすぎ。
年齢×40万 同年代ではそれなりに優秀。ただし全く安心出来ない。
年齢×100万 優秀。されど油断は出来ない。
年金、共済、財形、株、不動産など、すべての資産を含めて良い。
住宅ローン有りは、ローンを現在の不動産価格と差し引きして適用。
22歳で220万は難しかろうが、30代で1000万も持ってない人は危険ライン。
1000万なんて慎ましく暮らしても5年で溶けるはした金だ。1億有って、ようやく30年くらい普通に暮らせる。
どこらへんを自分の目標にするかは各自考える事だが、数百万ではお前の人生は賄えない。
そして、福祉に頼ろうとすれば10年後に野垂れ死ぬ事になる。メンヘラです、鬱です、診断書が有りますとか、10年後も通じると思うなよ。
生きるためには稼ぐしか無い。死ぬか稼ぐか、好きな方を選べばいいよ。
稼ぎだけが全てじゃない派
ハイハイ、ソーデスネ。
で、お前いくら稼いでるの?「出来るやつ」が言うから金が全てじゃないは説得力を持つ。
節制すれば「優秀」レベルまでいけるなら構わんけどな、お前、人間や独身の最低ラインも満たしてないんじゃね?
今が楽しくなければ意味が無い派
稼げとは書いたが、切り詰めに切り詰めて生きろとは書いてない。
何で切り詰めて楽しみを捨てないと金を稼げないの?
そんで市場経済や資本主義経済が終わる時が来たとしたら、その遥か手前でお前の人生が破綻してるから心配すんな。
農家でも生き残れんぞ。電気ガス水道が止まってインフラも停止、当然ながら輸入している窒素リンカリウムも止まるからな。
お前の人生は市場経済や資本主義と比べれば、ミジンコ以下の素粒子レベルだ。
素粒子如きが世の中の心配するとか、ビッグバンからやり直しておいで。
稼げない、稼ぎ方教えろ派
一番簡単なのは売春だぞ。前か後ろの穴を売ればいいんじゃね?若者なら、穴を売れば間違いなく稼げる。
そんな事したくない?別にいいけど、自分の趣味を通すなら自分の頭で考えろよ。
何が言いたいかわかるか?人に頼るなら何でも言う事聞く覚悟でやれって話だよ。
もう一度言うけどさ。
君ら、水と安全はタダで、文化的な最低限度の生活を生まれながらに保証されてると勘違いしてるでしょ?
明日、メシが食えて寝る所が有るのが当然と思ってるだろ?
まともに税金も収めてないカスがのうのうと生きられるのはな、この国が世界有数の豊かな国だからだよ。
今を楽しみながら将来に備える。人として当たり前の姿勢だろ。
自力でその程度も出来ないのなら、まな板の上の鯉として生きてろよ。
道端で這いつくばって乞うてくるなら、小銭くらい投げてやるよ。
いくら稼いでるの?系へ
元から富裕層でもないし、老人でもないよ。趣味筋トレの中年のおっさんです。
マウンティングしたい訳では無く、危機感持って動いてくれると僕としても都合が良いから書いただけ。
自己正当化に必死で、聞きかじった経済の話してる人が散見されるけど、お前はマクロ経済語るほど上の立場に居る人間なの?
マクロ的に正しくないから社会の仕組みがおかしい的なアクロバット理論かましてるバカが居るけど、お前はマクロ経済語る前に自分の生活の心配しろよw
自分の生活を安定させる事も出来ない小物が、他人や世の中を語ってどうするんだよww自分のケツ拭いてから他人の心配しとけ。
上にも書いたけど、資本主義経済が崩壊するとしても、その遥か手前でお前の生活が全崩壊してるから。
市場経済が崩壊するのは9割以上の庶民の生活が崩壊した後だが、現段階で下位50%に入ってるカスが生き残れると本気で思ってるの?
蓄財と言えば貯金しか思いつかない貧乏人って、1000万も持った事無いんだろうな。
たかが数万~数百万程度しか持った事の無いカスが「そんな事したら世の中に金が回らない」とか言ってるのウケるわ。
そりゃアルティメット金持ちなら口座に億単位で持ってる人も居るけどな。資産10億くらいまでなら口座に億は少数派だ。
最後に。
もうブコメが屁理屈ですらなくなって、貧乏人の僻みばっかりになっちゃったな~。
正論ばかり言うと逃げ道無くなっちゃうっていつも言われるわ~。
まぁ顔合わせて話してる訳でも無いし、別にいいよね。
最後にもう一度だけ言う。若者は金を稼ぐしか生き残る道は無いぞ。
今日、大学で物理学教室の辺りに用事があって通ったら学会ポスターの並びにアニメ調バーンなポスターが貼ってあった。たぶん夏セミナーのポスターだと思う。エラー猫を持ってそうなキャラがカミオカンデを背負ってるヤツだよ。片言の日本でジンサン...とか言いそうでもあるな。
その後、生協の書籍コーナーに立ち寄ったら物理学4コマなるものが平積みにされてて、同じ絵が描いてあった。なるほどここから取ったのか。
4コマで説明できるほど物理が易しいとは思えなないが、きらら系のレベルで4コマの構成をブッチギッていけば多少説明できると思う。
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(追記)
ちょっと調べたら物理学4コマじゃなくて、素粒子実験の4コマだった。筆者は博士持ちかー、研究者としては芽がでなかったが思わぬ分野で才能が花開いちゃったパターンか。俺も道をさがさないと...
俺はそもそもひよこにまともな議論は期待してねえよww特にお前みたいな勘違いちゃんなヒナにはな。
欲しいのはお前の出身大学と勤務先か臨床研修病院の名前だけだ。この際県レベルでもいいわ。ウチでさえなければいいんだよ。
社会医学に対する風評被害を広めるのはやめろwwwパンキョーで習うレベルの常識だろうがwwwマジでどこの三流大なんだよwww
世界で一番金がかかる研究ってのはアレだろ、素粒子とか反物質の、加速器使う類のヤツ。試料1g生成するだけで天文学的な金がかかると聞いてるぞ。
地方に医者が行くの行かないのというのはノブレスオブリージュの範疇だが、俺が義務だ責任だと言っているのはもっと単純な話だ。
お前には、結果を出す義務がある。というだけのことだ。
お前に権利があるとすれば、「結果」の定義においてある程度選択権があるというぐらいの権利だな。研究して医学に寄与することにこそ意味があると考えるもよし、地方の医療を支えたいと思うならそれも良し、国境なき医師団とかに入って本当に生命の危機が日常化しているところでちからになりたいと思うならそれも良し、だ。
ただ、どれを選ぶのであれ、お前にはそれを実行に移し、しかも成果を生む義務がある。何も結実するものがなければ、事実として、お前のやったことはゴミでしかなくなる。それだけのことだ。
そして、倫理や感情を抜きにすると、「何で医者が患者の犠牲を考える必要があります?」とかほざく医者は病院や診療所において雇用する際にトラブルや最悪訴訟沙汰の種になることが容易に想像され、また患者の利益を優先することを重視する職員にとっては妨げ以外の何者でもない存在なので、「思想信条は自由なのでどのように考えても結構ですが、ウチではあなたと働きたい人はいません。くさいから近寄らないでください」という結論になるな。
救急や外科や循環器の下りは書いた通りだが。少なくともウチで若手が愚痴でもなく真顔でそんなクズみたいなことを言っていたらぶっ飛ばされるだろう、救急部長は特に怒らすと超怖いと評判だから、神様仏様ヘルメス様どうかこのくさいひよこはウチの関係者じゃありませんように。という意味だ。
インターネットはその性質上、全宇宙のデータ化を目的とする。人体やその内面も例外ではない。
いずれインターネットは脳の中に入り、就寝中の夢をストリーミングしたり、思考のいちいちに他人がクソリプを投げてきたり、幼少期に身に覚えのないヴェルタースを貰った思い出が書き加えられるようになる。そのときに、固有の脳の生理活動を「自分の領域」として保護するための権利意識の醸成が必要不可欠である。もしこれに失敗したら、未だ解明されていない自我そのものの存在が多数の典型的クソリプによって疑義を呈され、なし崩し的に政府による思考情報の自由な読み取りを可能にする法案が衆院を通過してしまうだろう。
また他の心配事として、ネットに魂を移住させて肉体運用のコストを無くすという名目での自殺が横行しする可能性があり、それを止める方便としても自分権が不可欠である。この権利の領域を魂と定義すれば、脳から意識を切り離してアップロードさせるなどという愚考はただの殺人だと説明が付くだろう。問題は、すでにこのようなことを考え、実行するのに何ら疑問を持たない輩がいるということだ。すなわち「現実と故郷の区別が付かない人」の事である。彼らは、ネットに魂を捧げてオトカドールになることは、コントローラを操作する側の世界で生きることと何ら変わりは無いと断言する。彼らが区別が付いていないのは現実とPCの中の世界ではなく、死体と生きた肉体が等価だとする錯誤である。しかし、彼らとの対話においてもはや「肉体」「生物」「社会」という単語自体が彼ら独自の「区別の無い価値」によって書き換えられているので、会話を交わす事自体が相互不信を深める以外の成果をもたらさないという事になってしまっている。近いうちに素粒子サーバー内に作られた広大な公営住宅内に貧困者を移住させる政府の計画が始まりかけている。それは真に大きな過ちであり、失われた生命(この言葉さえも、もう)の取り返しの付かなさとともに、新天地に立った彼らを待ち構えているのは文字通りの「レトロウイルス」、つまり古参の電子の民との闘争の口火に立ち会うことになる。
囲碁のルールは、「周囲を全て囲まれたら盤上から排除される」これに尽きる。他の全ての細かいルールはこの派生に過ぎない。
その上で多くの地を囲えば勝ち、というだけのゲーム。
そのシンプルさから生じる多様性は、限られた素粒子が集まり、わずかな規則のみで形作られる現実世界の縮図と言える。
一つ一つの石は単独では命を持たない。集まってある特殊な形態を持って初めて「生きる」ことが出来る。
それはまるで、一つ一つの細胞が寄り集まって一つの生物と成るさまを見ているかのようだ。
つまり、囲碁を解明するということは、この世界を解明するのと同じことなのだ。
その意味で、人工知能が人間に将棋で勝ったのと囲碁で勝ったのでは価値が全く違う。
しかし、人工知能には弱点もあった。石塔しぼりという中級者でもわかる手筋がわからなかった。
人智を超えた強さを持ちながら、素人レベルの手筋が理解できない。
不成や入玉という特殊ルールに対応できなかった将棋とは質が異なる。石塔しぼりはシンプルなルールからはみ出したものではない。単に人工知能が気付けなかっただけだ。
人に簡単に出来ることを人工知能にさせられないのは、人自身がなぜそれが出来るのか、その仕組みが分かっていないからだ。
人工知能を知ること、そして囲碁を知ることは、人自身を知ることに帰着する。
ディープラーニングだけでもここまでの能力が確認できたわけだが、それ以外にまだ人間にしか持っていない、簡単なシステムがあるのだろう。
それを理解し、人工知能に導入すれば、さらに大きなブレイクスルーが起きる。
そのような大きな夢を見ることのできる、貴重な機会だった。
人間には勝ったが、まだ強化を続けて欲しい。
人でなくて良い。