囲碁のルールは、「周囲を全て囲まれたら盤上から排除される」これに尽きる。他の全ての細かいルールはこの派生に過ぎない。
その上で多くの地を囲えば勝ち、というだけのゲーム。
そのシンプルさから生じる多様性は、限られた素粒子が集まり、わずかな規則のみで形作られる現実世界の縮図と言える。
一つ一つの石は単独では命を持たない。集まってある特殊な形態を持って初めて「生きる」ことが出来る。
それはまるで、一つ一つの細胞が寄り集まって一つの生物と成るさまを見ているかのようだ。
つまり、囲碁を解明するということは、この世界を解明するのと同じことなのだ。
その意味で、人工知能が人間に将棋で勝ったのと囲碁で勝ったのでは価値が全く違う。
しかし、人工知能には弱点もあった。石塔しぼりという中級者でもわかる手筋がわからなかった。
人智を超えた強さを持ちながら、素人レベルの手筋が理解できない。
不成や入玉という特殊ルールに対応できなかった将棋とは質が異なる。石塔しぼりはシンプルなルールからはみ出したものではない。単に人工知能が気付けなかっただけだ。
人に簡単に出来ることを人工知能にさせられないのは、人自身がなぜそれが出来るのか、その仕組みが分かっていないからだ。
人工知能を知ること、そして囲碁を知ることは、人自身を知ることに帰着する。
ディープラーニングだけでもここまでの能力が確認できたわけだが、それ以外にまだ人間にしか持っていない、簡単なシステムがあるのだろう。
それを理解し、人工知能に導入すれば、さらに大きなブレイクスルーが起きる。
そのような大きな夢を見ることのできる、貴重な機会だった。
人間には勝ったが、まだ強化を続けて欲しい。
人でなくて良い。