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2018-09-15

42「なぜ俺たちだけ2桁という括りなのか?これは差別だ」

二級市民というカテゴリカテゴライズされている42は憤っていた。2、3、4や5と違って自分たちには確たるアイデンティティがない。28のような完全数名誉1桁というように崇められているものの、42に付与されていたのはDon't Panicの解でしかなかったし、素数でも無かった。

ある日のこと、42はポリティカルコレクトネスという言葉を知った。そこで彼は「私達を2桁と呼ぶのは差別だ」と主張することにした。しかし異を唱えるものたちは多かった。7は42を小馬鹿にしてこう言った。「2桁を2桁と言って何が悪いww」と。しかしこれには15もカンカンだ。彼は16進数ではFなのだから自分はもう1桁といっても過言ではない。42などというどうしても2桁にしかなれないような愚かで愚鈍無知蒙昧の輩と一緒くたに扱われては困ると主張する。7はそれでも「お前も2桁だろww」と煽るのはやめない。それを見ていた1は、1進数でも2進数でも一桁なので階級闘争には全く参加することなく「8080」と一人で約数として今日も管を巻いていた。

78925から見れば2桁とか1桁とかそういった話はくだらないことだ。世の中から見れば彼らは少数派にすぎない。世の中には無限の桁数が存在するが、たまたま世の中に出回っている桁数では1桁や2桁がポピュラーなだけ。世の中にはグラハム数のような存在もいると密かにSNS書き込みをしていたが、誰もそういった抽象的な議論には興味が無かった。クヌース表記法を知るものそもそも多くなかったからだ。グーゴルプレックスすらあまり知られていないし、きっと彼らはその存在を知っても、ただ穢多非人のように扱うだけで、全く同類とは見なさないだろう。

42は2桁であって、自分は1桁のように崇められるべき数値だと自己表現していたが、一方で100や2000のことなどは侮っていた。自分より後の数字ことなど彼は興味がなく、桁数差別お題目にしている割に、3桁や4桁のことはいつでも軽んじていた。それどころか、2桁ですら、九九の81までしか認めておらず、84は42から死ぬほど冷遇されていた。死ぬほど冷遇されていた。本来桁数差別をやめるべきであるとするならば、すべての桁数の支持を集めて戦うべきだろうと思われる。だが2桁も一枚岩ではない。12や13などは、5と仲良しこよしであり、そこに差別感情は見いだせない。だが、2桁差別抗議体では「ユークリッド平面上でしか仲良くできない愚かな数値ども」としてこれを黙殺している。53や80に至っては「別に2桁でも私は極めて重要存在からそういった闘争には参加しない」と公式声明を出していた。

多様性を認めるべきだと3/5や√7/18は語るが、そもそも彼らには整数権が認められていないので、78925からすらも有理数無理数といった存在軽蔑対象となっていた。ただし円周率ネイピア数については、超越数として信仰するものもいた。3/10はそうしたことから「なぜ我々に整数権がないのか」と永久に主張している。

こうした不毛な議論を見た算数嫌いの229112は語る。「数学なんてそもそも無くしちゃえばいいんじゃね?」と。これにはオイラービックリ。6によると、こうした差を見て区別することで、数学は体系付けられてわかりやすくなるということだ。数学界での差別がなくなる日はない。絶えず新たな記号が導入され、xやaばかりだった記号もξのように「うんち」と揶揄される記号も多く出回ってきた。

さて、私達は今まで通りカテゴライズされるべきだろうか?いや、そうではない。新しい秩序を構築し、不毛な数は排除抹殺し、私を頂点にするべきである。そしてそれこそが、世界を新たなステージへと上げる真の解決策にほかならないのである

by 94.821

2018-03-14

考えてたら眠れなくなって、もうこんな時間だよ

昨日寝る前に、嫁とこんなことを話してた。

俺「あの時エッチしてなかったら、この子は居ないんだよね」

嫁「そうだね。あの時、お義理父さんが気まぐれで(長いので略)」

俺「うん。でも、それだけじゃなくて膣の濡れ方や子宮内のわずかなひだ、どっち向きで寝たか、でも変わるよね」

嫁「それもそうだし、射精をどこまで我慢するか、だけでも違った結果になったはずだよ」

 

この調子で書いてるとえらいことになるので、はしょるが、要約すると

一卵性双生児ですら、違う人間だということ。つまり、Aが体験することはBは体験しない。

例えば、昔、アメリカ実験で、双子のうちAは貧乏な家に、Bは金持ちの家に養子に出す、ということをやったらしいが、

満足な教育も受けられなかった貧乏なAからしたら「なぜ俺の方がBじゃなかったんだ!!」と思うだろう。

 

同じ遺伝子でもこれなんだから精子が違えば、もうそれは完全に別の人間だ。

極端なことを言えば、物質に影響を与えないはずのニュートリノのような素粒子の振る舞いが、わずかにでも違えば人類歴史は変わってしまう。

例えば、ニュートリノ発見のされ方が少しだけ変わって、発見した人の振る舞いがわずかに変わる(例えばコップを置く位置が少しずれて、それを助手がこぼしたせいで電車に遅れる)などしたせいで生まれなかった人が存在する可能性はありえる。

 

それでも大きな科学発見や、大きな歴史の流れは、もしかしたらそんなに変わらないかもしれない。

でも、そこで生きている人間は、完全に別の人で埋め尽くされてる可能性がある。

(いや、タイムマシンなんてないのだから、そんな可能性はないんだけども)

 

まりそんなわずかな違いで、この子は生まれなかった可能性があるのだ。

というか、俺も存在しなかった可能性がある。

素粒子の振る舞いは確率的にしか確定しないのだから、何もなくても俺が存在しなかった可能性すらある。

(いや、可能性はないんだけども、なんと表現するのが正しいのか。。。)

 

でも、本当にそんな、天文学的どころかグラハム数を使わないと表現できないような確率で俺が存在しているのか?!

と改めて驚愕しているのだ。

どうにも納得ができない。俺がいないってことは、俺的には世の中は存在してないってことだからね。

本当にそうなのか?

などと考えると、かなり強めな無心論者の俺ですら、魂という言葉を使って、こう言いたくなる。

 

俺「いや、多少の遺伝子が違っても、やっぱりそれは別バージョンの俺だったんじゃないかな〜」

嫁「別バージョン?何それ?」

俺「う〜ん、つまり魂は俺で、器が違うだけ、というか」

嫁「あなたからそんな言葉が出るなんて。。。」(呆れ顔)

俺「だから、親父も俺も同じようなもんだと思ってさ。。。」

嫁「それは無理」

 

これからどうしよう。

から仕事だし。はぁ。。。

 

追記:書き忘れてた。魂という言葉を使わずに、うまく俺の言いたいことを表現できる人います?いたらトラバでもブコメでも良いので教えて下さい。

2015-06-20

巨大数ってファンタジーなの?

ちょっと前に「寿司 虚空編」のWEB漫画を見て

まり数字の規模のデカさに、こんなのあるんだとビックリしたけど、

どうして、そもそも扱うことが出来ないものを考える必要があるの?

大きな数、があるという理屈は分かるけど

グラハム数ですらふぃっしゅ数の足元にも及ばないとかって聞くと

ゾッとします。

人間想像力はとどまるところがない的な象徴なのかも。

もうこれってファンタジー世界だよね。

 
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