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はてなキーワード: 王権とは

2021-09-19

はてなー皇室象徴天皇制に賛成してることに驚いた

賛成というよりも疑問に思ってない感じなのかな?

昭和3,40年生まれの人が家に天皇写真を飾って有り難いと思うことが当たり前と感じる延長の上にはてなー暮らしているのか。

昭和天皇心電図テレビ画面に写っている姿を見てそれを普通のことだと感じていた世代の生き残りなのだろう。

私は平成生まれなのでその感覚理解できない。

令和に変わるとき昭和時代には天皇死ぬ瞬間をテレビ生中継していたと聞いて「超絶気持ち悪い時代があったもんだな」とドン引きしていた。

はてなー皇室存在についてこうも肯定、というより肯定否定を投げかけるような対象としてそもそも考えていないことに驚いている。

皇室の方々は素晴らしい公務をやってくださっている」

そうはてなーは語るが、私にはそもそも皇室がやっている公務自体が頼んでも居ないお貴族様達の意味不明儀式税金と彼らの人生が浪費されているようにしか思えない。

政治宗教を分離させて長い時間が経っているのだから、そろそろ国家宗教を分離してもいい頃ではないだろうか?

そもそもをして、天皇という発想自体がある種の王権神授説であり、天与人権時代に相応しいものであるようには思えない。

勝手ながら私はこういった考え方を他のインターネットの人たちもしていると思っていた。

だが違った。

少なくともはてなは違った。

皇室存在を欠かすことの出来ない当たり前のものと感じ、それに疑問を持つという発想自体がこの世界の当然の有り様に疑問を持つ異常な行為だと受け止めている人達大勢居た。

2021-09-13

憲法人権道徳の話をごっちゃにするな

https://twitter.com/If0r5do2xx3iL/status/1436884369231126536

これの話ね。

ツイートの指摘がズレてるんだがブコメも同じようにズレてるコメントが多くて変な方向に行ってる

何がズレてるのかって道徳教師道徳科でやる道徳の話をしているのに、元ツイート主やブコメがなぜか人権の話や憲法の話をしろと主張する点

発端はDaiGoホームレスの話なんだけどあの話自体人権に絡んでくるものだと思うよ?ただそれは人権すなわち公民の授業でやれ

 

憲法の話と人権の話をごっちゃにするな

ツイートでまず引っ掛る部分が「憲法人権保障されるということは道徳科においては重要すべきことではないっぽい」という一文

特に憲法の話は今ここでする?という感じがする

 

かに憲法では97条に

この憲法日本国民保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久権利として信託されたものである

と書いてあるけど、同時に憲法99条

天皇又は摂政及び国務大臣国会議員裁判官その他の公務員は、この憲法尊重擁護する義務を負ふ

と記されてる通り基本的国家権力を縛るものであって私人同士のあれこれを既定するものではない

※1一応一部は私人に影響を及ぼすこともできる。でないと納税の義務とか適用できない。ここも参照

https://anond.hatelabo.jp/20210902174107

https://twitter.com/yorinobu2/status/1437267319411994624

 

じゃあ私人基本的人権なんて何も考えずに行動していいの?って話だけど、そこは自然権としてみんなの心に備えつけられてるんで憲法では触れないよという建てつけになっている

そんなバカなとは思うけど憲法はそういう扱い。なので、元ツイート文脈憲法を出すのは変。

 

人権の話と道徳の話もごっちゃにするな

まあ憲法は筆が滑っただけかと思うけど人権のものDaiGoの話と超関係ある

でもそれを道徳科の教師にしてもしょうがないんじゃないか。一部オーバーラップしてても目的は別だ

例えば国語教科書にはよく反戦テーマにした題材の文学が載るけど

国語目的日本語文章理解することであって憲法平和主義が歌われることは国語科においては重要すべきことではないっぽいとか言われてもそれはそうという感想しか出てこないわな

 

んじゃあ道徳科の目的は何かって言うと成り立ちから言うと戦前から修身科に変わって現代的なモラルを教える教育

ぶっちゃけ今は何が主目的かって言うといじめ問題とかを防いで学級を恙無く運営するっていう感じになってる。(含むSNSいじめ)

こういうのを人権思想から解決しようとすると、人権には移動の自由みたいなのが含まれてるのでいじめが発生したらそれぞれ別の学校勉強しましょうみたいな解決法が出力されちゃう

いや理想はそうだけど学校組織はそれじゃ運営できねえだろ

 

というよりそもそも人権思想は難しい

ていうか人権思想ちゃんと教えるには背景となる知識がいっぱい必要なんで

いきなり子供実践として教育するのは無理ゲーすぎ

 

そもそも天賦人権説王権神授説の対抗として出てきたものだけど、絶対王政の背景のない日本でいきなりそこを説いたとして

なんでホームレス人権蔑ろにしたらルイ十四世みたいなのの台頭に繋がるのか全然わからんじゃん?

 

アメリカフランス国家統合というか国の成り立ちの起源絶対王政否定が深くかかわってくる※2からピンとくるんであって

日本は何で日本なのかと言ったら昔から日本なんであって人権については社会を強くするのに便利だから思想を借りてきただけなんだよ

なんで、人権が弱いと社会も弱くなるって機序から勉強しないといけない

迂遠じゃん?だから中学高校あたりで地理歴史ちゃんと習ってから段階踏んで教えるもんだと思う

 

つーわけでこんな大変な話を道徳教師に期待するな。彼らは学級運営でいっぱいいっぱいなんだ

 

※2 つまりホームレスだろうが何だろうが「俺たち」に安全意見を言う権利を与えろと主張している

 それがないと王様が国を無茶苦茶にしたり、荒れ果てた開拓地に還って瓦解してしまうという危機感がある

 日本には安定した国境血縁があるのでなぜそこが国の瓦解に繋がるのかピンと来ない

2021-09-11

anond:20210911164020

そんなもの抑え込めるのなんてそれこそ中世イギリス王権とかレベルの強権くらいしかありえないわけ

自分の好き放題できる自由をって喚いてる増田ネット民にかぎって、実は社会を500年以上も逆行させた中世レベル世界を望んでるわけなんだよね

現代三権分立が進んでるから増田のやりたい「好き放題銃とか武器でイキっていい女侍らせて毎日チンポして面白おかし自由に生きて文句言う気に入らない奴は武力殲滅してー」なんて奴は社会的に生存不可能から

そんな奴が1パーセントでもできる可能性があるのが無政府状態社会中世並の未分化社会ってだけ

ハッキリ言って先進国人間として生まれてきたのが増田の不幸だ

2021-07-10

日本歴代天皇 1~50代

1.神武天皇

 奈良一帯を征服して大和建国

2.綏靖天皇

 欠史八代の一人目。兄タギシミミを殺して即位

3.安寧天皇

4.懿徳天皇

5.孝昭天皇

6.孝安天皇

7.孝元天皇

8.孝元天皇

9.開化天皇

10.崇神天皇

 実在する可能性のある初めての天皇大物主神祭り、疫病を治めた。武埴安彦の乱を鎮圧し、各地に四道将軍派遣。戸口を調査課役を課した。

11.垂仁天皇

 愛妻が兄狭穂彦王の乱に連座し焼死する憂き目に遭った。伊勢神宮を建立した。彼の代に相撲埴輪誕生したとされる。

12.景行天皇

 息子の日本武尊熊襲蝦夷を平定させた。

13.成務天皇

 国郡県邑を定めた。

14.仲哀天皇

 熊襲より先に新羅を討つべしと言う神託無視したため、病没した

15.応神天皇  

 神功皇后三韓征伐中に誕生。彼の治世に大和政権は国力を伸ばし、倭の五王讃と同一視される。八幡神として祭られる。

16.仁徳天皇

 民の貧しさを嘆き3年間一切の税を廃した。好色であったため木崎嫉妬に悩まされた。倭の五王讃と同一視される。

17.履中天皇

 帝位を狙う住吉皇子暗殺されかけるも、端歯別王(後の反正天皇)にこれを殺させ即位国内情勢調査のため国史を設置した。倭の五王讃と同一視される。

18.反正天皇

 身長3mで綺麗な歯並びの美男子であったとされる。倭の五王珍と同一視される。

19.允恭天皇

 刑部を定め、死傷の混乱を避けるため盟神探湯を行った。倭の五王斉と同一視される。

20.安康天皇 

 允恭天皇皇子暗殺して即位大草香王を殺して妻を娶るが、その息子の眉輪王に殺された。倭の五王興と同一視される。

21.雄略天皇

 眉輪王と履中天皇の子を殺して即位渡来人を重用して王権を強化した。倭の五王武と同一視される。

22.清寧天皇 

 生まれつき白髪で妻子はなかった。

23.顕宗天皇

 履中天皇の孫。父を雄略天皇に殺されたため、播磨に逃れたが、清寧天皇に迎えられ即位した。

24.仁賢天皇

 履中天皇の孫。弟顕宗天皇に位を譲りその死後即位した。

25.武烈天皇

 妊婦の腹を裂く、人を木に登らせて殺す等の暴君であったとされる。

26.継体天皇(507~531

 慈悲深い君主であったが、朝鮮での日本勢力が弱体化し、磐井の乱が起るなどその治世は乱れた。

27.安閑天皇(531~535)

 即位わずか4年で崩御。その治世に犬養部が設立された。

28.宣化天皇(535~539)

 任那支援のため狭手彦を派遣した。

29.欽明天皇(539~571)

 在位中に百済から仏教が伝来し、任那が滅んだ

30.敏達天皇(572~585)

 任那復興を目指して新羅交渉国内では物部氏と組んで排仏運動を進めた。

31.用明天皇(585~587)

 初めて仏教を受け入れた天皇。その治世は物部氏蘇我氏対立が激しく、天皇崩御直後に物部氏が滅んだ。

32.崇峻天皇(587~592)

 蘇我馬子と組んで即位したが、後に対立暗殺された。

33.推古天皇(592~628) 

 日本初の女帝。甥の聖徳太子摂政に任命した。

34.舒明天皇(629~641)

 初の遣唐使派遣百済宮を建立した。

35.皇極天皇(642~645)

 女帝。在位中に乙巳の変が起きる。弟の孝德天皇日本初の譲位を行った。

36.孝德天皇(645~654)

 甥の中大兄皇子皇子として大化の改新を進めた。

37.斉明天皇(655~661)

 皇極天皇重祚阿倍比羅夫蝦夷を討たせた。百済救済のため軍を派遣し、自ら九州に赴き現地で死去した。

38.天智天皇(668~671)

 日本初の全国的戸籍庚午年籍を制定。近江令を発令した。

39.弘文天皇(671~672)

 天智天皇皇子壬申の乱に破れ自殺した。

40.天武天皇(673~686)

 甥の弘文天皇を倒して即位八色の姓を創始、律令の制定、国史編纂など律令国家の確立に尽力した。

41.持統天皇(690~697)

 女帝天武天皇の妃。夫の制作を引き継ぎ、飛鳥洗御原令を制定し、藤原京を造営した。

42.文武天皇(697~707)

 大宝律令を制定した。

43.元明天皇(707~715)

 女帝平城京遷都し、風土記古事記編纂、和同開珎を鋳造した。

44.元正天皇(715~724

 女帝三世一身の法を制定。その治世に日本書紀が完成した。

45.聖武天皇(724~749)

 奈良の大仏を建立。その治世に天平文化が栄えた。

46.孝謙天皇(749~758)

 女帝。その治世に奈良の大仏が完成し、鑑真来日した。藤原仲麻呂を重用したため、橘奈良麻呂の変が起きた。

47.淳仁天皇(758~764)

 孝謙上皇道鏡を寵愛すると、藤原仲麻呂と結託して乱を起こすが敗れ淡路島に流された。

48.称徳天皇(764~770)

 孝謙天皇重祚。在位中は道鏡の専横が激しく、宇佐八幡神託事件が起きた。

49.光仁天皇(770~781)

 道鏡追放し、和気清麻呂召還するなど綱紀粛正に努めた。

50.桓武天皇(781~806)

 平安京遷都空海最澄を登用した。勘解由使の設置、兵役廃止など農民負担軽減に努めたが、蝦夷討伐には財力を惜しまなかった。

 

2021-05-31

反出生主義と神とフロイト

まとめ


デカルトから始まる近代的自我

デカルトといえば有名なのが「われ思う故にわれあり(コギト)」。ここから近代的自我が始まった。

あらゆるものを疑ってかかったとしても今思考している自分のこの思考自体存在否定できない。

よって思考している自分存在している。



自我というもの存在確立したデカルト三段論法西洋に影響を与えまくったが、特に注意しなくていけないのは神の存在を使わなくても自我存在規定できるという点だった。

でも実際のところデカルト自体はコギトから神の存在証明を行っている。神の存在証明する時代要請があったのだけれどそれについては後で触れる。

フランス革命と神の死

時代は流れてフランス革命が起こり国民国家誕生する。国民国家誕生すると神が死ぬ

どういうことかというと、それまでの王による国の支配がどういう理屈正当化されてきたのかということを説明する必要がある。

王権神授説」というやつだ。それまでの王族による支配権は神が王に与えた権利だった。

神がこの世界を作って人間も作ったのだから神には人間支配する権利がある。王は神に権利を与えられたので国民支配する権利がある。



中世神学者たちが大真面目に神の存在証明に邁進した理由がこれでわかるが、

彼らは頭の体操をしていたのではなく、国家の礎として必要公共事業として神の存在証明し続ける必要があったのだ。ご苦労さま。

ところが、王が打倒されて国民自分たちの代表によって自分たちを支配する国民国家が生まれると、神は必要なくなる。

これがいわゆるかの有名な「神は死んだである

そして神に変わったもの国民自我と理性のみとなり、国民は唯一絶対ものであるそれらによって自分自身の足のみによって立つことになる。

これにて「近代的自我」いっちょあがりだ。

神と反出生主義になんの関係が?


神が存在すると反出生主義は成り立たない。

なぜなら人間が生まれてくるのは神が「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」といったからだし、日本で言えばイザナキ神が妻ともめて「いとしい妻よ。あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」といったためだからだ。

これには同意意志確認も入り込む余地がない。

神様が決めたことだから仕方がないのである

なので神がいる前提だと反出生主義は成り立たない。

フロイトによる無意識発見


更に時代は進みフロイトが登場する。

フロイトといえば精神分析だが、あとで精神分析手法全然間違ってたということがわかったせいで、その功績についても一般的には忘れられている気がする。

フロイトの偉大な功績は2つあって、1つ目は「精神科学まな板の上に載せたこと」それ自体

2つ目は今回話題にしたい「無意識発見」。

フロイト夢分析過程人間が表層意識には浮かんでいない、既に忘却している過去トラウマに影響されて現在の行動を選択していることに気がついた。

患者自身自分理性的に考えて選択した結果だと思っていても実は意識に登ってきていない「無意識」によって人間の行動や症状が変化する。

これはすごい発見だった。それまでは人間の行動は意識、つまり自我コントロールしているとされていたのだから

フロイト無意識の例で言うと、チャップリンの「ライムライト」という映画がある。

あの映画オチヒロインは忘れていた過去トラウマを思い出し、それを乗り越えることで身体的な症状も克服する。

これはフィクションだし、ちょっとフロイト的すぎるので、もっと卑近な例を出すと、

犬が苦手だなあと思っていたら、実は記憶にないくらい小さな頃に犬に噛まれたことがあった、とか

梅干し写真を見たら、「梅干しをこれから食べよう」と意識しなくてもつばが出るとか(パブロフの犬)。

映画映像の途中で肉眼では認識できないように一枚だけコーラ写真を入れておくと映画館でコーラの売上がのびるだとか(サブリミナル効果)。

こういう感じで無意識人間の行動に大きく影響を与えるということは、今では常識にまでなっているけれど、これを言い出した始めの人がフロイトというわけだ。

フロイト原始的欲望とかが無意識の正体だと考えてなんでもそれで説明しようとして失敗したわけだが、(夢分析の本とか何でも性欲で説明しようとしていてやばい)。フロイトの後続の研究者たちは無意識概念さらに発展させていった。

不随意運動からエス

表層意識に上らないのに人間の行動に影響を与えているもの、といえば「不随意運動」だ。

たとえば、眩しい光みたら瞳孔が小さくなるとか、膝を叩いたら足が上がるとかが有名だけどそれだけじゃない。

心臓が動くのを意識して止めたり動かしたりできる人はいいから鼓動も不随意運動には入る。

呼吸も意識すれば止められるけど意識しなくても止まるわけじゃない。意識しているとき随意運動意識していないとき不随意運動といえる。

表層意識には上らないのでこれらも無意識だ。

ところで人間意識は脳の一部である大脳新皮質で起こっている反応であることもわかってくる。

脳のその部分以外で起こっているこのと大半も無意識下で行われている。細胞代謝とか。

さらさらに、全ての行動に当てはまるわけじゃんないみたいだけど、「人間がある行動をとろうと表層意識で考える一瞬前に、既にその行動を取るためのニューロンが発火している」なんて話も出てくる。

さてそうすると、どうなるかというと、人間自分意識自分の体をコントロールしているという考えは実は間違いで、人間活動の大部分は無意識コントロールしていることになる。

意識が肉体(無意識)をコントロールしているという従来の主従の逆転がここで起こっている。

ここまで来ると「無意識」を拡張しすぎて「無意識」ってなにって話になってしまう。細胞代謝のことを「無意識」という言葉でまとめるのは違和感があるから

ここでいいたいのは「表層意識下に上らないすべてのもの」みたいな意味であり、一般的言葉の「無意識」とはちょっと違うものになってしまうので哲学者はこれに「エス」とかい名前をつけた。

なんでコギトが間違ってるのか


意識ではなくエス人間の行動を決めるのである。というか人間が何を考えるのかもエスが決めているといえるのだとするとコギトがおかしなことになってくる。

「われ思う故にわれあり」ではなく、「われ思わされているゆえにエスがある。われはあるかどうかわからない」に修正しなければならない。

反出生主義は全てを理性で説明しようとしすぎる


反出生主義の理屈を雑にまとめると、

「生きるのは苦痛である苦痛でない場合もあるが生んでみないと分からないのでいわばギャンブルである

「生まれる際に両親は子に生まれてもいいかという同意を取っていない」

「よって生むのは無責任であり生むべきではない」

理屈の通った三段論法に見える。

しか人間の9割は無意識下の存在であることを踏まえて見ると、見え方が違ってくる。

第一登場人物である「子」は産まされるという受動的な立場ということになっているが、同意を取るべきタイミングには意識存在しない。つまり無意識である

無意識相手に無理やり生まれることを強制するのかと反出生主義者はいうのだが、これまでの議論無意識エス)こそが人間の大部分であることをこれまで延々と説明してきた。

で、重要なことはその「エス自体は生まれてこようとする方向性を持っている、ということである

今だに現代人は意識がなければ何も決定することはできないと思っているが、むしろ無意識が先にあって意識が後から形付けられたといえる。そして人間の肉体の不随意運動は生き残ろう、という方向で行動を起こす。

精子の蠕動だって不随意運動だし、卵子排出だって不随意運動なのでこれらはエスである

胎児は産道を通るとき自分の体をねじって頭蓋骨を変形させながら外に出てくる。生まれてこようとする意志がそこには感じられるが、もちろん意識自我もない。

だがそれらの反射が自分自身ではない、というのもおかしな話である

それらはエスであり、自分自身である


それらが全て生まれてこようという方向に方向付けられているのに、「本当は生まれてきたくなかった」というのはどういうことなのだろうか。

自意識肥大化


自意識、理性を過大に評価するのが現代人の病巣であってこれは単に、いまだにデカルト呪いがとけていないのだと思う。

「生まれてこないほうがよかった」という人間だって、それはそれで大変な状況なのは間違いないのだけれど、ひざを叩けば足が上がるし、急に熱いものに触れられたら自分を守るために手を引っ込める。

生きたくないとか言うけど呼吸は止められなければ、心臓勝手に動いている。

体中の細胞栄養を取り込んで代謝をせっせと行っている。

どう見ても肉体は生きようとしている。

やっていることと言っていることが違う。

でも不思議なことは何もない。自意識なんて人間のほんの一部でしかいかである

自己境界定義自我から少し広げることをおすすめする


自己定義自我に狭めるべきではない。それは単にその方が精神衛生上いいというだけの話ではなく間違っている。

エス定義自意識に上がらないすべてのものと書いたが、哲学者によるとこれはつまり自我」以外の「世界全て」のことを指すらしい。

流石にそこまで悟ることは難しいが、自己定義自分不随意運動、や無意識の習慣程度にまで広げておけばデカルトの作った罠にはまらないで済む。


哲学やっとこうぜ


若いうちに哲学やっとくといいよ。

2021-05-20

anond:20210519214122

断る

上官の命令絶対服従けが軍隊じゃない。

無能な上官に対して「いいえこ作戦は、これこれこういう理由で失敗します」と提案できるのが真っ当な軍人

そしてそれに文句をつけるようなもの王権を握っているなら、その王朝は滅びる

2021-04-14

anond:20210414113550

Methodologyのとこで説明してるじゃない。https://reports.weforum.org/global-gender-gap-report-2020/appendix-b-the-global-gender-gap-index-methodology-and-technical-notes/

Years with female/male head of state (last 50)

The number of years in the past fifty-year period for which a woman has held a post equivalent to an elected head of state or head of government in the country. It takes into account prime ministers and/or presidents, royalties are not considered.

訳:

過去50年間に、国の選挙で選ばれた元首または政府の長に相当する役職女性が就いた年数。首相大統領考慮に入れており、ロイヤルティ(王族王権)は考慮されていません。

2021-02-22

魔術士オーフェン雑語り

今、テレビアニメ放送中の魔術士オーフェンはぐれ旅の原作小説について、雑に語ろうと思う。ネタバレ満載原作4部まで話すので、ネタバレ苦手な人は回れ右

回ったかドリルで穴あけ殺す勢いで回ったな?じゃあ、話す。

魔術士オーフェンというシリーズ90年代ファンタジーラノベ金字塔と言われている。私は98年くらいかオーフェンを読んでいるが、確かにあの頃にとても売れていた。いわゆる夢と冒険ファンタジー的な売り文句だったと思うが、今思うとほぼ全ての読者がこの物語本質を誤解していたから売れていたのだと思う。

私もオーフェンを夢と冒険ファンタジーだと思っていた。が、当時巷に溢れていた物語とは何かが違うとも思っていた。その時にはただの予感でしかなかったが、あれから20年以上経った今になって、それはようやく確信となった。魔術士オーフェンという物語は夢と冒険ファンタジーではない。人間倫理についての思考実験だったのだ。

まず、第一である西部編。これは罪と償いについての物語である。一巻でチャイルドマンを殺したアザリーが、その罪を償うために何が出来るのかを模索したのが第一部だ。

先に言っておくと、作者の秋田禎信氏は殺人という罪を否定しているが、それを人間絶対的な汚点とは見做していないと考えられる。なぜそう思うのかというと、第一部では主人公も含めて殺人者が登場するが、彼らに物語の神の立場で罰を与えてはいいかであるしかし、安易な赦しも与えていない。彼らが殺人であるという事実に直面させ、その上で彼らの生き方を描いている。これについては同作者のエンジェルハウリングにも同様の特徴がある。

そして第一部では、アザリーチャイルドマンへの償いを通じて、この世界秘密が語られる。この秘密の明かし方は非常にドラマティックに演出され、私は陶酔すらした。

この演出の妙があまりにも素晴らしかったので、私も含めて多くの読者はこの物語を夢と冒険ファンタジーだと誤解したのだと思う。精緻に設定された世界を楽しむ物語なのだと。

しかし違った。作者は世界を描くということに、もっと自覚的であった。その自覚が存分に描かれるのが第二部、東部である

東部編は西部編で明かされた世界秘密、滅びに晒されている世界を6種のドラゴン種族の長たちだけで守っているという事実に対して、そのために現れる世界の歪みと、その世界の在り方をどう捉えるのかということを克明に描いていく。これもまた、倫理的な話である

最終的に、オーフェンにはその歪みを好きなように書き換える機会が与えられた。歪みを正す機会ではない。好きなように書き換える機会である

この時の彼は神にも等しい魔王の力を持っており、ドラゴン種族の守りをより完璧にすることも、自身ドラゴン種族の代わりに世界守護者になることも、好きに選べた。

しかし、オーフェンはごく僅かな人々が世界を守るという在り方を否定した。世界が滅ぶことによって死ぬかもしれないというリスクは全ての人で平等に背負うべきだという道を選んだ。そして、ドラゴン種族の守りを消し去ったのである

例えば、これをかつての王制になぞらえることも出来ると思う。王制と言えば王権による暴力ばかりが注目されがちだが、政治という大きなものをひと握りの人間押し付け装置でもあった。これをドラゴン種族の長達による世界の守りと同等の問題だと見做すことは出来るだろう。

そうした世界の在り方を認めてよいのか?という問題に否という答えを出したのが第二部であった。

そして語られない第三部は飛ばし、第四部の話をしよう。

四部では、力と人間の極限を描く。力の強大化が行き着く先はどこか。人間が強大化する力を持ったとき、いつまで人間と呼べる存在でいられるのか。そうした問題を扱う。

オーフェンが第二部のクライマックスで手に入れた魔王の力はそれから20年経ってもまだ彼の中に残っていた。しかし、オーフェンはその力を振るえば自分人間はいられなくなると考え、その力を自らの自制心だけで抑え続けてきた。オーフェンドラゴン種族の守りを消し去ったことが原因で遭遇することになった神人災害でどれだけの人が死のうとも、それらを全て蘇らせることが出来るのに、だ。

この、とても人間とは思えない自制心故に人間でいられるという二律背反を背負ったオーフェンと、それを生み出した作者の秋田禎信氏に深く敬服の念を抱く。

集中力が途切れたのでこの辺で。とにかく、魔術士オーフェンシリーズ倫理観を問う話だと思う。

2021-01-10

トリクルダウン

経済用語じゃなく、易姓革命とか王権神授説みたいな、当時信じられていた思想枠で教科書に載りそう

2020-12-20

anond:20201220093712

リコール犯罪行為の立証とは全く関係ない

名誉棄損をしなければ誰が誰のリコール運動をやってもかまわない

失職した議員側が町長リコール運動をやってもかまわないし、議会解散住民投票請求することもできるはず

metoo絶対王権なんかじゃないことを思い知れ

2020-06-03

anond:20200603072508

マルキストケインジアン混同するつもりはないけど、ルーズベルト政権内に多数のマルキストシンパが入り込んでいたのは間違いないと思っている。のちにレッドパージされるけど。

新自由主義下で労働者立場が弱くなるというけど、労働者を十把一絡げに扱うのはさすがにもう無理なんじゃないか

知的労働者サービス労働者肉体労働者は団結できないよ。

日本労働組合知的労働者に不当な隷属を強いているんだ。

かつてブルジョワ階級が、王権宗教的権威くびきから脱したように、知的労働者資本家とも伝統労働者とも異なる独自の利害を追求するべきだ。

2020-04-01

語尾がパンティーの増田

から俺は忙しいっつってんだろパンティー!!こっちが一切読んでないとでも思ってるのかパンティー!ここ数日、ちょくちょく語尾にパンティーを被せやがってパンティー!俺の安否確認のつもりかパンティー!!俺の体も頭脳も一つしかないんだパンティー!!忙しい時に真っ先に削減されるのは増田を読む時間パンティー!!語尾パンティ増田に注意をする時間優先順位比較的低いんだパンティ!!!不要不急の語尾パンティーの指摘は控えさせて下さいパンティー!自粛要請パンティー!語尾のパンティーは封鎖パンティー。

パンティ大王(パンティ大王って何だパンティー?)「いいかい語尾がパンティーの増田さんパンティー、語尾パンティーをな、語尾パンティーをいつでも注意できるくらいになりなよパンティー。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだパンティー。」

ふざけるなパンティー!!その基準で言えば俺自身がちょうどよくないわパンティ!!!自分で言っておいてなんだが、そもそもパンティ大王は一体何者なんだパンティー?パンティーの王の中の王なのかパンティー?どんな人生を歩んだらパンティ大王などと人様から呼称されるに到るのかパンティー??馬鹿にしてるのかパンティー!!パンティ大王王権はないパンティー!!パンティ大王もいないパンティー!!パンティ大王なんてふざけた名前の奴にあれこれ人生アドバイスを受けるほどこちとら落ちぶれてないパンティー!!熊とパンティ!!!今言いたいことは以上だパンティ!!!わかったかパンティ!!!

2020-02-21

anond:20200221182429

古代中国には「鼎」という道具があり、

元は肉を煮るための普通青銅器だったが、

神事の際に生贄の肉を煮るのに使われたこから祭器となっていった。

特に夏王朝から王朝、そして周王朝に受け継がれた「九鼎」という鼎は王権象徴として、

後の「玉璽」や、日本で言う「三種の神器」のように、それを持つものが王だとされた。

王を軽んじてその地位を狙うという意味の「鼎の軽重を問う」という故事成語があるほどだ。

その鼎がどういう形をしているかというと、

すなわち半球状の器から三本の脚が伸びているというもので、

故に三勢力が並び立っている状況を「鼎立」と言うし、

三人が集まって行う対談のことを「鼎談」と言うのである

2019-12-20

明治天皇から昭和天皇、および古代のよく分からない王権

そういうのに依存している人々を見るにつけ、自分が弱いか権威にすがるのよな。

脳内物語ロマンを感じているんだろう。せめてそれを自覚してくれれば議論余地はある。

三島由紀夫はそう言ってたと思う。

2019-07-19

きょうの逸材

鈴木雄介 Suzuki Yuusuke

@suzukiyuusuke3

今日までアニメはある種の人々(一般オタクと呼ばれる)の信仰対象になっていた。それは新興宗教だった。以前、あるアニメをみろとそういう人達に奨められ、なんとか苦労して全話みてみた上で、おもに美術批評言語を使って率直に批評したところ、その種の狂信者から大変しつこく誹謗中傷された。

それで私は気づいた。アニメは或る一部の人々にとっての正真正銘宗教なのだと。信者の中に批評言語は持ち込まれない慣行になっている。だから私がちょっとしたきっかけ(アマゾンプライムビデオに入ってみた)で一時的にひきずりこまれたその業界中では、同調か全拒否どちらかしかできないのだった。

アニメ手塚治虫ディズニー辺りから流行しだした新たな映画形式といえるだろうが、その商業芸術が主な客にしているのは一般大衆の中でも子供や、特に幼稚な大人である宮崎駿でさえ子供向けを前提にしていたから、総じて知的障害に近い社会不適合者を大勢ひきつける結果になるのは必然だった。

私が何とか苦労してあるアニメを全編みてみたのは、そのアニメファンネット上で制作陣を執拗脅迫していたのを知っていたからだ。アニオタによる猟奇的事件引き起こしている作品とは何かを確かめてみたのだ。結果はひたすら幼稚な中身で、反社会的知的障害ボーダー層を煽っていたのだった。

京アニ作品は1度もみたことがないから中身については何もいえないのだが、昨今アニメとりまく状況は嘗てのものとは全然様変わりしている。それは上述のよう反社会的精神遅滞に近い人々が大勢新興宗教として崇める対象になっているという点で、過去アニメ界とはまるで質が違うのである

アップルCEOティムクック氏が京アニに同情の様なツイートをしていて私はこの事件について知ったのだが、彼はアイフォンの主要な顧客である日本人全体の中でも、京都に新たな店舗を設置したところなどから現代アニメ界をとりま社会病理をまったく無視して単なるテロとして扱っていると思う。

他の大衆娯楽、たとえば(これも京都本社がある任天堂に縁が深いが)テレビゲームとか、映画とか、漫画小説みたいなものアニメが「サブカルチャー」として近い位置づけにあるのは確かだが、現時点のアニメはほぼ深夜テレビなどで提供される無料の娯楽で、いってみれば下流の慰み物なのである

村上隆氏はアニメの無教養(Lowbrow)な性質を、知的文脈操作欧米美術史に皮肉位置づけで乗せることで有名になった。端的にいうとアメリカのポップアーティスト漫画に素材をとったのを日本ネタで流用したのだが、一時的に彼の援護的唱道者だった東浩紀氏らも、アニメ公民権を与えた原因だ。

なにがいいたいか日本政府が麻生大臣や、東氏に親しい猪瀬都知事が在籍していた時期に、クールブリタニアを表層的に猿真似した文化政策であるクールジャパンでアニメにお墨つきを与えたのは、間接的に東京圏スーパーフラッターが影響している。要はアニメの暗黒面は意図的無視されていたのだ。

アニメは「わかりやすく」「子供に愛されており」「みなが大好きな」「誰にとっても望ましい」「外国人にも大人気で」「日本文化象徴」といった凄まじい厚化粧で美化されてしまった。背後には労働集約的手描きの不合理な制作過酷長時間労働地獄があり、知的ボーダーの客層による退廃があった。

たとえば同人誌という分類がある。二次創作という名目アニメキャラに、変態性欲の性行為をさせる独自制作漫画アニメ作品販売するとんでもない退廃主義世界が、東京コミックマーケットを中心に勃興していた。石原都知事時代には一部は18禁化されたが、堂々と非実在児童の性を含んでいる。

美術史の中ではバルテュスを筆頭に、その種の児童性愛表現や、ギリシア美術とか江戸春画などに由来した変態性欲的なエロス表現は多かれ少なかれ容認されている。つまり同人誌サブカル派生物として、未来では昭和平成・令和期の主に東京での大衆芸術の姿と歴史化されてはいるだろう。

京都中世、「上方」と称し、大衆蔑視の高踏的な文化傾向を自認していた。が上述の任天堂や今回被害にあった京アニはそうではない。京都府民の一部は東京文化を自らとりこみ、多かれ少なかれ低俗大衆芸術販売しはじめた。これは質的変容でもあるし、アニオタによる炎上事件伏線にもなっている。

サブカルなるもの低俗で無教養一般大衆相手に客商売するところに発生した。しかアニメは単なる売り上げの為ますます大衆の中で最も愚かな者」を最大公約数の客層にしようと幼児退行じみた卑俗化を極めていった。その極点に起きたのが某アニメ制作陣への脅迫事件や今回のガチ炎上事件なのだ

今日アニオタと呼ばれる人々には、おそらく東京キー局によるテレビニュースコメンテーターが訳知り顔でいいそうな「犯罪者予備軍」といった客層が確かにまれている。それは例えば高IQ知識人とかハイカルチャーの客層(日本ではほぼ絶滅しているが)に比べてより多めに含まれているだろう。

なぜなら、上に述べたとおり、東京京都アニメなるものは金儲けを目的に、できるだけ量的に俗受けする為、どんどんと卑近表現に自らを変質させていったからだ。要は、下流相手に客商売しているので、当然ながら犯罪者反社会的知的ボーダーの部類もアニメファンには含まれしまうことになる。

なぜ彼ら下流的な知的ボーダー層に昨今のアニメ宗教とみなされているかだが、私のみたかぎり、彼らは知識社会全然ついていけていない。当然ながら幼稚極まりない娯楽作品しか理解できない。資本主義の手順に従い広告費やグッズ販売などを目的に次々流される深夜アニメが彼らのたまりなのだ

ニコニコ動画は、今では国際レベルビリビリ動画にお株を奪われたが、嘗ても今もこのアニオタ層と極めて親近していた。2chねらー誘引した西村博之氏らが匿名コメント機能をつけたので、名誉どころか恥も外聞もない反社会的犯罪者との境界例にとって極めて居心地のよい居場所になったからだった。

もう一つ、注目すべき事件があった。悠仁親王アニメエヴァンゲリオン』内で引用された、ロンギヌスの槍とほぼ同じピンク色に塗った二股刃物で、或る被疑者脅迫した事件だ。この槍は神学上、磔刑後のイエスを突いて聖性を否定した遺物とされており、王権神授説の否定意識した事件だったろう。

アニメオタクそもそもが、虚構現実と多かれ少なかれ混同し易い脳の性質の持ち主が大半であろう。さもなくば作り話にいつまでも夢中になるわけもない。いわゆる偶像崇拝禁忌という私徳が弱い人達といいかえてもいい。この点では、ポケモンGO等を禁止した一部のイスラム法学者正見を述べている。

そして虚構現実混同し易い脳は、一般子供の時点でそうなり易いのが経験的に明らかなかぎり、いわゆる精神年齢の低い人々により多くみられるはずだ。つまりアニオタは単に批評言語が拙いだけではなく、アニメ内で表現された思想宗教的に鵜呑みにしがちで、かつ知的ボーターも相当混じっている。

から、多かれ少なかれ類似の退廃がみられる他のサブカル(例えば小説とかも)含め、一切近づかないことにした。その内部にいる人々は特定宗教信者とほぼ類似エコーチェンバー残響室)内にいると自覚し、サブカル批判を進んで行うのが賢明だ。

https://twitter.com/suzukiyuusuke3/status/1151922241971478528

2019/07/19

アニオタ炎上

現実アニメ混同発狂偶像崇拝悪しきアニオタ

金儲け俗受けアニメ流布しつつオタク炎上悪しき京都

中華思想自文化中心差別していなか蔑視の悪しき京都

国内外うろつくアニメオタクらが偶像崇拝広め媚び売る

同調圧力加えアニオタの下衆な妄想流布し炎上

https://yuusukesuzuki.blogspot.com/

2019-04-15

anond:20190414192423

天皇権力者グルだよ

摂関政治天皇にもメリットがある制度

陛下は騙されてると軍部政治家責任転嫁

政治家軍人天皇認証された俺様は偉大なりと臣民を虐げる

表面上のきれいごとを言っても簡単にできる王権返上絶対にしない

なぜならば阿部天皇その他はマブダチだから

2019-01-17

anond:20190116111353

他害する権利はあるぞ コスパ悪すぎるから全体の利益のために契約制限してるだけだぞ

やっぱ中世ジャップランド民は王権神授説から成長しないな

2018-12-01

[]くるみ割り人形秘密王国

くるみ割り人形秘密王国』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けであります

総評

すごいぞなんと150点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんで、なんかもっとお金出したい感じはあるんだけど、この映画場合グッズとかサントラとかそっち方向にはいかない、いけない、やばい

この映画公共向けにレビューするとジャスト95点くらいなのははっきりしていて(いや辛く採点すれば80くらいか?)残りの+50くらいは何かといえば完全に性癖の話なのですよ。いつもそうだけど、今回はそれにもまして(主に後半)全く当てにならないレビューであることを告白しなければならないです。何がやばい特殊性癖なのかについて最初に語ると話が混乱するので、後ほど詳細を述べます

遺産継承の話(前編)

物語ストームボール一家クリスマスの準備をしているところからまります。でも主人公でありミドルティーンの次女であるクララ(演マッケンジー・フォイ)は浮かない顔。他の一家もなんだかギクシャクしている。それも無理のない話で、どうやらストームボール一家母親は、このクリスマスの直前に死んでしまったようなのですね。

家族を失った喪失の中でもストームボール一家伝統であるところのクリスマスをしようとしている。ヴィクトリア朝の話だから親族の大規模なパーティーに出ようとかあるのだけれど、母親を失った悲しみからそれらを拒否して引きこもりたい主人公クララと、このような状況だからこそ普段通りに日常に過ごさなきゃならないと考える父親の間には、感情的な亀裂があるというところから物語は始まるわけです。

そういう意味で言えば、これは大事家族を失った喪失から回復する話です。同じテーマを扱った今年の映画でいえば『若おかみは小学生!』なんかがあります普遍的ものなので他にもいくつもあるでしょう。

そういう普遍的テーマだったんで、料理作法にも定番セオリー)みたいなものはあるわけですが、まずそのセオリーのものはきちんとこなしていた。そういう意味脚本及第点

また、同じテーマをこなしながらも独自性のある切り口も感じられました。この項目はその独自性についての感想です。

この種の「喪失再生」の作品において、「去ってしまった人から過去において贈られた自分に対する愛情を再認識する」というエピソードは非常に重要セオリーポイントになります

それは例えば前述の『若おかみは小学生!』においても「私たちは娘であるあなたを愛していたよ」「その愛は永遠だよ」というようなメッセージ存在していて、それが主人公に受け取られることで回復の契機になりました。

いってしまえばこの「親から愛情」ってのは遺産なわけですよね。だからこのテーマ遺産継承に関するテーマだと考えることもできます

でもこのテーマには隠された問題点もあって、それは「親子間の関係遺産を残すもの/受け取るもの、というような一方通行の、上位者秘密下位者が気づくだけという、そういう物語として描いていいの?」というものです。この問題告発って自分は今まで意識したことがなくて、『くるみ割り人形秘密王国』で始めて気が付きました。

例えば先程から比較している『若おかみは小学生!』においてこの問題提起はないんですね。それはなぜかといえば、『若おかみは小学生!』の主人公おっこはタイトル通り小学生で、これから自分世界確立していく存在からです。重要なのは遺産が(つまりは死んだ両親から愛情が)「あった」事であって、それにさえ気づけばおっこのここから先のミッション回復だけなわけです。

しかし『くるみ割り人形秘密王国』の主人公クララはミドルティーンであり、もうすでに自分なりの自意識世界観も作り上げつつある存在です。

次女のクララには、上には憧れつつも素直に従うことができない長女がいて、下には一緒に遊んで面倒を見てやる長男小学生低学年くらい?)がいます。弟の面倒を見ながらも、女性的な完成度と貫禄では長女に勝てない次女。おしゃれは苦手でちょっと理系工学系)な変わり者な主人公

彼女はそういう意味で「母親を失って狂乱するほど悲しむ幼子」ではない。悲しいし落ち込んでいるし、日常を取り繕おうとする父親に反発をするけれど、だからといってそれを破壊しようというほどのパニックにはならない。自分自身の力でこの悲しみを乗り越えようとしている、まだ若いけど自立を目指す女性なわけです。

そんな彼女は、通り一遍意味では「死んだ母親から愛情があった」ことはわかっています世間一般でそういう慰めの言葉はよく聞くし、自分が母に愛されていなかったという疑いはない。

でも、じゃあ、その「愛情」って具体的にはなんなんだろう? もちろん日常でのさりげないやり取りや、スキンシップや、無言での加護やら、ありとあらゆるものがその候補なわけですが、それらは要するに伝われば伝わるし伝わらないわけです。過去のシーンとしては無数にあるそれを、クララはまだ自分の中で結晶化できていない。そこにクララの戦いはあるわけです。

この物語ではその愛情を暗示するキーワードとして母親の残した「大事ものは全て中にある」という言葉があります

クララは亡き母からプレゼントエッグの中に残されたこ言葉を追いかけて冒険の旅に出るわけですが、この言葉意味は最終的には「私(母)がいなくなった世界においてあなた主人公クララ)が前を向いて生きていくための大事ものはすべてあなたの中に残してきた」です。

大事ものは、様々な教えであり、生きていく知恵でもあり、もちろんつながりや愛情人格のものでもあり、大げさに言うならば「母親家族)と過ごした時間のすべて」なわけです。

そしてこのキーワードが示すのは、それだけにとどまらないんですよね。

この言葉は「nを残してきた」「nが私(母)の愛情である」という指定ではないわけです。だからこそ逆に「何が残されていたと認識するかは、娘であるクララが選んで受け取りなさい」という信頼であるわけです。

愛情遺産なわけですが、それは決して贈る/受け取るという一方的関係ではない。この物語における「気づき」はそういうステージテーマとして描写されている。それはやはり一味変わった、深い踏み込みだったと思います

一方、作中において「遺産」はもうひとつ意味でもあらわれますクララの母は幼いころ「秘密王国」を発見してその民に慕われた女王でもあったのです。わお。ですから遺産女王位。クララは本作のメインの冒険である秘密王国への迷い込みそこで戦うこと」をとおして、この「女王位の継承」という問題へ巻き込まれゆきます

でもこの問題も前述の「母の愛情いかに受け取るか」とワンセット、同じ物語の両面なのです。

クララは「女王が去ってしまって荒廃が始まった秘密の国」で大歓迎を受けると同時に、その危機においては「お前なんかは女王代替品にすぎない」ともいわれてしまます。「女王の位」をうけとった娘クララは、ただ単にそれを受け取った段階では「無力な模造品」にすぎないという弾劾です。

クララの母でもあり前女王でもあるマリーが幼いころ発見して作り上げた秘密王国とそこに住む住民たちは、マリーに生み出されて育てられたという意味では、クララと同じく「マリの子供」でもあるわけです。表面上は老人に見えても年上に見えても異形に見えたとしても、その意味では全てクララ兄弟姉妹に等しい。その彼らが、母マリーがなくなって、道を失い、うろたえ、クララに剣を向けさえする。

その混乱はマリーの残した女王位をただ受け取るという、つまり遺産を残す上位者、受け取る下位者というだけの状態では、収拾されないわけです。

まり、これもまた、「継承というのは一方的な贈与関係ではない」というテーマ接続されているわけです。

作中で、母との回想シーンの中で、クララは母からあなたは姉に憧れているけれど、あなたにはあなた独自世界があって物事あなただけの見方で見ることができる。そこがあなたの魅力なのよ」と励まされます

クララクララなりに世界を見ることができる。それは父母や周辺環境コピーとして自意識確立していくしかない幼子ではなく、ミドルティーンとしてすでに自分世界があるこの物語クララしか描けなかった切り口です。

から無限の贈り物を残されたけれど、その中のどれを受け取るか――母の残した教えや愛情のうちどれを「クララという自分自身のコアとして据えるか」というのは、クララの側の自由であり、その選択によって自らの存在を定めるわけです。

その自由の幅が良かった。

この物語の中で、クララは「秘密王国」での旅と冒険を通して、そういった自分自身の内面出会い、悲しみを癒やすわけですけれど、でも実はこの度ってなくても良かったんですよね。作中でも途中でリタイヤして現実世界に帰る選択肢が示されるシーンが有ることからも分かる通り、それはありなわけです。途中で帰るどころか、実は、出かけなくても良い。

クララはもうすでに自分自身を確立しつつあるミドルティーンで、この作品冒険なんかを経なくても、時間さえかければ悲しみから立ち直っていたと思います父親との間にギクシャクした感情は少し残ったかもしれないけれど、それすらも時間の流れでおそらく解消できた。

そこがとても良かった。

幻想郷への旅が必要不可欠であり、この冒険行がなければクララ破滅していたのだとすれば、クララは神が(母が)操る遺産相続操り人形なわけですが、そうではなくクララは旅をやめる自由がある中でそれを続行し、自分で選んだわけです。

から与えられたすべての教えや愛情の中から、姉と同じように「おしゃれで社交的な自分」ではなく、「機械いじりが好きでとびっきりの発明家である自分」を選んで継承した。同じように「秘密王国歓待されるだけの女王」ではなく「みんなのために調和を取り戻そうと戦う女王」も選んだ。選ぶという行為によって、ただ与えられる下位の存在ではなく、継承というテーマにおいて贈り主である上位存在と対等の関係であることを示したのです。

この辺はもはや登録商標とも言って良い「ディズニープリンセス」というワードの「プリンセス」にたいして、一定の回答を出そうと本作が挑んだ結果でもあると思います

まりプリンセスというのは継承である」という主張です。

王位とか王権(そして愛情を)先代から送られ継承した存在が、プリンセスである

でもそれは逆説的に、「プリンセスとは手渡されはしたものの、その手渡されたものをまだ十全には使いこなせないし、自覚もはっきりとはできていない、運命自分自身と戦いの最中にある存在だ」という主張でもあると思うのです。

そういう踏み込みのある本作は、テーマから見ても脚本構造から見てもかなりの出来でした。

――まあ、もっとも、ここまで脚本を褒めては来たんですけれど、その表現としての台詞回しがどうにも垢抜けない感じで、紋切り型なところも多くて正直言えばそこは今ひとつです。取ってつけた感じがある。

てなわけで、構造面ではキラリと光る部分はあるけれど、80〜95点くらいですかね、これは。という感想になるのでした。

文字数オーバーしたので後編 https://anond.hatelabo.jp/20181201181722 に続きます

2018-11-05

愛国心がうらやましい

アメリカ報道見てると右も左も「愛国心」を持っていて、馬鹿でも一つの信念になってる。

その内実はそれぞれ違うんだろうが。

日本でもネトウヨが噴き上がっていたころは愛国心が一つの軸になるかと思ったが、徐々にその内実が「作られた伝統」「利権擁護」に過ぎないことがバレてきて鎮静化してしまった。

司馬遼太郎が昔、「愛国心というのはそんなに複雑なもんではなくて、ふるさと馬鹿にされたときに抱く素朴な怒りの感情だ」という趣旨のことを言っていたことがあったが、個人主義が進み過ぎてふるさとに何の愛着もない。そもそも隣近所の人の顔すら知らないんだからどうしようもない。

ここまで書いてて気づいたが、「愛国心」が何だと言う以前に、「国」「日本国」とは何かという点がものすごく曖昧だな。

アメリカ建国者が明確な理念を持って作った国だから、「アメリカとは何か」と問われれば建国理念を思い起こすことができるのだろう。

日本は大昔の王権豪族自分利権を守るために形成していった国だから、こういうのが無い。

戦後憲法理念をそれに代置できるかと言われると、押し付け憲法論を採らないとしても、結局西洋で作られた理念を具体化したものから、それが「日本理念」と言われてもピンと来ないところがある。

これまで数多くの研究者が「日本思想とは何か」というテーマに取り組んできた気持ちが分かる気がする。

この国は国民が共有する理念が本当に存在しない。

それによって生じるメリットもたくさんあるんだろうが、国全体が貧しくなってる現代だとただただツラい。

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