はてなキーワード: 夏王朝とは
伝説に伝わる夏王朝と、それと推定できる年代にある二里頭文化が同一だと結び付ける証拠が弱い。
かつ、二里頭文化時代(推定夏王朝時代)には文字はない。甲骨文字も殷王朝時代以降のもの。
Permalink | 記事への反応(1) | 19:16
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考古学遺跡の発掘次第。
昔は商王朝の遺跡までしか確認されてなかったが、殷王朝の遺跡(二里岡文化)、夏王朝(二里頭遺跡)の遺跡と思われる遺跡が発掘され、遺跡の作られた年代が推定されたから伸びた。
ただし、夏王朝あたりになってくると「文字」がないので、伝説上夏王朝といわれているものが本当に二里頭遺跡かの疑問も断定しづらい。よって人によって年代が分かれている。
Permalink | 記事への反応(1) | 19:13
古代中国には「鼎」という道具があり、
元は肉を煮るための普通の青銅器だったが、
神事の際に生贄の肉を煮るのに使われたことから祭器となっていった。
特に、夏王朝から殷王朝、そして周王朝に受け継がれた「九鼎」という鼎は王権の象徴として、
後の「玉璽」や、日本で言う「三種の神器」のように、それを持つものが王だとされた。
王を軽んじてその地位を狙うという意味の「鼎の軽重を問う」という故事成語があるほどだ。
その鼎がどういう形をしているかというと、
すなわち半球状の器から三本の脚が伸びているというもので、
故に三勢力が並び立っている状況を「鼎立」と言うし、
三人が集まって行う対談のことを「鼎談」と言うのである。
Permalink | 記事への反応(0) | 18:40