はてなキーワード: 摂関政治とは
摂関政治(せっかんせいじ)は、日本の平安時代(794年 - 1185年)において、摂政(せっしょう)と関白(かんぱく)という二つの地位を持つ貴族が政治の実権を握っていた政治体制を指します。
摂政は、天皇の摂政として政務を代行する役職で、天皇が幼少の場合や女性天皇の場合において、天皇に代わって政治を行う役割を担っていました。関白は、成人した天皇の側近として政治の補佐を行う役職でした。(GPT4)
まぁつまり、若い女の権力を向上させるのも、積極的に登用するのも
「実力は無いけど大人しく従います」って女を集めて、引退した後も権力を振り回せるようにしたいだけだよね。
摂関政治が一方的な権力者による搾取ではない、つまり共存関係(天皇は地位を維持し、摂政に関わる人間は権力を得る)にある。
現代も同じで、
「女の子だけど、男ばかりの縦社会じゃ特別扱い!経理も支出も分らない、マネジメントも無理!
みたいな利益を得て、裏ではおじさん、おばさんが操ってるだけなのよね
実際に本当に有能な女性は登用されないのよ。
若さとゴマすりが取り柄だから、若い有能な男と違って成長して自分たちに歯向かうことはできないし、根本的には無能だから独立したら何もやっていけない。大塚家具みたいにね……
だから、権力者のおじさん、おばさんはフェミニストを支持するし、「過去の反省」と称して
ターミネーターとか、ルーカスSWの原案とか、銀魂の最終回とか見るに
権力を得た男は本能的に「特に有能でもない若い女」を表に立たせるのを好む
本能なんだなと思うよ。
例え首相になっても菅さんは永遠に安倍さんの部下だろうし、摂関政治を想像してしまう。病?に倒れた結果又はポピュリズム層も叩き上げの菅さんなら納得するだろうという読みからの摂政とも言えるか?
実際現役時代にそこまで成功していたわけでもないだろうに踏襲したところで、と思う。
そして安倍さんの頃も安倍さん自身の国民に対する意志は見えなかった。全て誰かに言わされている操り人形にしか見えなかった。
とすると、操っていたのは?
原稿を練っていたのは内閣府の誰かだろう。安倍さんの頃の内閣府は安倍さんに逆らえなかったと聞く。ところで朝日新聞でも見るように官僚と内閣の意見は反対となることも多いらしい。そんな中で内閣にいられるのはよほど内閣府と意見が合う人だ。なぜ意見が合うのか。ひとつにはそうした方が評価されるからだろう。
ところで、内閣が内閣人事局を作ったのは、建前上は自分の利益だけを優先する各省主体の縦割り行政を糺すためだったかと思う。
ところが、それで自分の利益を優先する内閣府の官僚に操られるようでは元の木阿弥では?
ブラック企業の社長って、頭のおかしい目がイっちゃってるカルト思想の奴もその根っこは、単に金持ちになって金と権力と「社会的地位(だから良かれと思ってやってる)」が欲しいとかそういうのばかりなわけなんだけど
何故、それを手に入れるのに、無関係な人間を無差別にブラック労働で危害を加えているんだろうか?
単に金が欲しいなら、限界まで銀行とかサラ金とか回って30億円くらい融資引き出して踏み倒して襲い掛かるヤクザを返り討ちにすれば、数年で資産30億の大金持ちになれるはずなのに、なんでそこら辺の世間を知らない大学生や子供をやりがい搾取で騙して連れてきて、命や人生と引き換えに純利益にすれば一人つぶして300万くらいしかいかないものを延々やり続けるんだろうか?
単に権力が欲しいだけなら、某海の王子みたいに、直接名士や権力者の娘や権力者自身に取り入って、弓削道鏡よろしく愛人なりなんなりになったり、既成事実作って摂関政治でもすればいいだけなのに、なんでわざわざ人潰しまくって得たはした金で、高い金を政党に払って党員にしてもらって政治家になって…みたいな回りくどい方法を取るんだろうか?
単に社会的地位が欲しいだけなら、それこそ出家して坊さんにでもなるか、自腹で大学院行きなおして論文ガンガン書いて象牙の塔や宗教界隈から福祉活動とか論壇に出ればいいだけなのに、なんで社会をよくすると称して、無差別に何にも知らないそこらの人間をだまして連れてきてブラック労働で痛めつけるテロ行為に等しいことをしてそれを洗脳で得ようというのか?
狂ってる奴がブラック企業の社長になりたがるのか、それとも会社の経営の才能がないのに会社続けた結果気が狂ってブラック企業の社長になるのか?
最初の内はチェンジ!チェンジ!ウィーキャン!ウィーキャン!とロボットアニソンの合いの手の如くやかましかったがいつの間にかそれらは無難な決め台詞程度に収まりやることも本当に無難で良識的だった。
もしもオバマがトランプのように振る舞えば絶対に許されなかっただろう。
黒人であっても白人の役に立つ便利な働き蜂として振る舞うのなら仮初の王冠を頂くことを許してやろう、それがアメリカ国民がオバマに投票した時の本心だ。
それらは最後までなんとかかんとか世間体や便利な嘘といった薄膜によって包まれていた。
だからこそオバマは黒人である自分が白人の靴を舐めながら生きている事をアピールし続けた。
そうして白人たちはオバマに「ご褒美」としてノーベル平和賞をやろうとまで考えた。
それはオバマを優秀な大統領と認めて送られた物ではなく、黒人が白人のために頑張っていることへの「ご褒美」に過ぎない。
テストで100点を取った子供にゲームを買ってやるような感覚でそれは送られたのだ。
ご褒美を貰った子供はその後「ご褒美を上げたんだからそれに応えろよ」という圧力を大人から受ける。
最後の演説のいい子ちゃんぶりを見れば彼の牙が完全に抜かれた事が分かる。
せいぜいが摂関政治に便利に使われるお神輿としての立ち位置が精一杯。
本当に上に立つことは許されず、それゆえに世界を本当に変える事は許されない。
彼が何度も繰り返したチェンジ!は最初の頃とはもう意味が違う。
いやきっとそうだったのだろう。