「必然」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 必然とは

2015-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20150129222407

ケチンボではない。

これは「生きる」ということにおいての必然だ。

古来より人類は自ら生きるための糧は自分たちで稼いできた。

それは集団生活においても不変であった。

それを放擲するお前のような奴は死を選んだに等しいのだよ。

わかったら働け。わからないなら死ね。work or die.

2015-01-24

新たな強者世代が生まれつつあるのはなんで?

萌え」では、力や能力のある者は読者の感情移入対象にならない。なぜな ら、ネット世代は誰しもが程度の差こそあれ凄惨罵倒を受け続けている。その為自己肯定感に乏しく、ヒーローヒロインに対して妬みの感情を持つからだ。掲示板などで常に激しい罵倒を受けるため「自分ヒーローにはなれない」と最初からあきらめてしまっている。ヒーロー活躍するような物語を読んでも自分がみじめになるだけだから、そうした物語が嫌いなのだ

硬派の象徴ワンピースさえも泣きに走り、ネット界最強を誇る腐女子歴女さえも叩かれ続けた果てに「ダメクズ精神弱い人斬り以蔵が好き」と言わされる(認めきれず発狂したものもいる)暗黒のネット社会

強者よりも弱者男性より女性、有能より無能

行き着く果てが百合日常系流行だったと言うのはネット史の力学として完璧なる必然であった

腐向け百合厨向けしかない日々

しかしそこに突如顕れたのが硬派作品の数々

リアル二次わず今や時代は硬派一色である

ネット界に何が起こったのか

全く訳が分からないのである

2015-01-23

エロ漫画における絵の巧さが押しつける異常性癖のおぞましさについて

正義。力。

正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである

力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である

力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるかである

正義のない力は 非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。

そのためには、正しいものが 強いか、強いものが正しくなければならない。

正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である

そのために、人は正義に 力を与えることができなかった。

なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だ と言ったかである

このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである

ブレーズ・パスカル著「パンセ」より、第五章 正義現象理由




まあ、緑のルーペ氏の出した「宇宙人の冬」についてですよ

調べてみて貰えばすぐに分かるが、あれは正義ではない

少なくとも、自分にとっては正義ではなかった

しかし、自分は敗北した

何に?絵の巧さに、自分の性欲に、それを刺激した描写

以前、自分はVictimGirls3という作品に触れる機会があった

朝凪氏の描いたもので、ROキャラクター触手モンスター媚薬を打たれて快楽墜ちをし、同胞を巻き込んでいくと言う話だ

作中、女の子がおぞましい触手恍惚の表情で見つめ、キスをし、舌先から針を打ち込まれしまうシーンがある

この描写自分人格に大きな衝撃をもたらした

そこには尊厳はなく、正義はなく、倫理はなく、道徳信仰もなかった

ただひたすらの快楽と、堕落と、力だけがあった

それを良く覚えている

朝凪氏はそれから、その世界観を崩さずに現在まで活動を続けている

緑のルーペ氏はどうだったのだろうか

商業的に氏が有名になった作品は、初単行本表題作である「イマコさんシリーズ」だろうか

氏の作品にも、人が普段は忌避するような倫理観冒涜が綴られている

作品内での出来事だと分かってはいても、読むことによって何らかの"汚染"が始まってしまうような感覚

それが、氏の作品には匂っていた

ただ、それは今になって思うことなのかもしれない

なにしろ、「イマコシステム」ではその冒涜にも「すべてはイチナの妄想であった」という解放感や救済感があったからだ

まあ、初単行本と言うことで氏本人が自重たか編集に止められたのかもしれないが

また、次の単行本である「ガーデン」でも基本の傾向は変わらなかった

人の持つ倫理観侮辱し、柔かく大切に思うものを徹底的に凌辱し、その背徳感で快楽を貪る

前述の朝凪氏の作品もそうだが、赤卵氏の作品にも通ずるものがある

しかし、この単行本でも氏は最後には救いを作った

そこが氏のバランスのとれた所だと思うし、作品の巧さに繋がっているのだと思う

どこまで意識しているのかまでは個人の人格の話になってしまうが、"それだけではない"というのが分かっているのだと思うし、センスが良い

きれいはきたない、きたないはきれい。闇と汚れの中を飛ぼう。

ウィリアム・シェイクスピア著「マクベス」より魔女セリフ


まさに、この言葉の通りだったのだと思う

今回の「宇宙人の冬」にも、氏のテーマが語られる

何も知らない可愛らしい性欲を掻き立てられるような 女の子

快楽に負け、自分倫理観尊厳未来無慈悲かつ理不尽に奪われ穢される

その背徳感を描き切っている

漫画において読者の感情を引き出す事は力となる

怒りや悲しみ、時として性欲を

冒頭の引用を読み返してほしい

「力は正義駆逐する」

この言葉がこの作品には似合う

人はきっと、綺麗さを信じ込むことはできない

それがどんな理由であれ、信じ込むことなどできない

から人は他人善行ケチをつけるし、美徳には汚点を加えたくなる

しかし逆に、それは人が完全には堕ち切らない事をも意味するのだ

嫌なだけの人間はいない。悪いだけの人間はいない。

どの方向から見ても同じ性格の奴はいないし、どの時点でも同じ性格の奴もいない

西尾維新著「花物語から貝木泥舟セリフ



人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。

人間堕落する。義士聖女堕落する。

それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。

人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。

人間から堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。

だが人間永遠に堕ちぬくことはできないだろう。

なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。

人間可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道あみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。

坂口安吾著「堕落論



今回の作品宇宙人の冬」では、主人公の青沙マコ地球人には救いがないだろう

そのことは、氏の過去作品とは異色な所だ

朝凪氏がVictimGirlsで描くような救いのなさだ

同人誌と言う媒体で描いたのは氏なりの配慮である

おそらく、だからこそ、氏はこの作品を全力で描かざるを得なかっただろうし、今まで描けなかったのだと思われる

「それを 打ち倒さねば 己になれない」

そのために何もかもを引っくり返して叩き売りだ

そうだ 500年前の俺も! 今のお前も! アンデルセンも!! あの少佐も!!

私と闘いたかったんだろう?

でなけりゃ一歩も前に歩めなくなったんだろう?

進む術も知らんのだろう?

無用者になるのが怖いか!! 老いが怖いか!!

忘れ去られるのが怖いか!!

ジョンブル? ふざけるな!! ふざけているのはお前だ!!

平野耕太著「HELLSING」9巻よりアーカードセリフ



この作品は、間違いなく氏にとっての闘争だったのだ、打ち倒すべき何かだったのだと思われる

そして、氏がこれを描くにあたっては、あるいは年月以外の何が介入していたのだろうか

それが気になる所である

追記

1.2015/01/23 21:00

取り消し線の付け方の訂正

引用元の明記

改行の追加

2.2015/01/24 09:00

エントリにて追記

ふと思ったのだが「イマコシステム」におけるイマコが時折"黒以外の装飾"を着けているのは意図的なのだろうか

クロミツイマコ」には「常に真っ黒の服しか着る事が出来ない」というキャラクターペナルティを持つ。

その観点で言えば、商業において「クロイミツイマコ」は登場していない

ぱんつも装飾品に含まれるのだろうか?クロミツイマコの下着絵を確認できないので分からないが、黒ぱんつということなのだろうか、背伸び感が出ていて素晴らしい

下着まででした靴ひもはノーカンかな?

「イマコクロミツイチナと出会わない限り幸福になれない」というキャラクターペナルティを持つが

このシステムと、イマコとイチナのキャラクターを流用したのが"イマコシステム"だったのだと思われる

3.2015/01/24 10:00

「私は私が見える世界を皆に見せる為の機械だ。」

荒巻「さっきから聞いていたが、外部記憶装置無しにはさっぱり付いて行けない会話だな。

ここのエロ本は全て読んだのかね?」

「そこまでは」

2015-01-22

自動車デザインがダサすぎて買う気がしない

大きな車内空間に沿って鉄板を配置するので、必然としてずんぐりとしてしまうという、致命的な欠陥がある。

無理に車高を低くしたり、ノーズを長くしたりするのは、少しでもその印象を緩和したいからだろうが、いまだ根本的な解決には至っていない。

たとえば、「HMDを被った運転手が寝そべりながら運転する」というくらいの革新が起きれば、この問題は解決するだろうか?

目下のところは、デザイン自由度高まるというFCVと、運転席が必要なくなるかもしれない自動運転車に期待したい。

http://anond.hatelabo.jp/20150122112730

地方は今までは昔からの旧道をメインに集落形成されていたが新しい国道が整備されて

そちらがメインになってきている。

駅までの移動になると必然と車が必要になるけど、車の駐車スペースが確保されなかったか

電車は発展しなかった。

2015-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20150118231031

上野千鶴子に傾倒するのも良いけど、その先には救いはないんじゃないかなぁ。基本的フェミニズム男性を救うものではなく『女性を救うだけ』の社会運動。例えば「弱い女性を救うため」みたいな主張がある。でも別に女性って限定する必要本来ない。そうではなく弱者ってくくりにすべきで、「女性のための」っていうと必然、男女の対立を生み出してしまう。 その彼女達の分析は君の抑圧を増やすだけなんじゃない?

フェミニズムもさ、彼女達の基本的な振る舞いは把握して、自分の振る舞いも制御すべきではあるし、女性と付き合うようになったら、彼女達の自尊心を尊ぶほうが良いとは思うし、女性が何を求めているのか? という把握には使えるツールではある。が、かといって自分の中に取り込もうとすると苦しみが増してしまう。

別に君が戦わなくていい。戦えるものが戦えば。君は怒りたくないんだろう。 という訳で、私は2chまとめサイトや、この増田アメリカでのアンチフェミニズム面白く眺めてる。

自らの男性性について自信満々なオヤジ層に対して放つフェミの流れ弾が非モテ層にグサグサ刺さってるのはマジで勘弁して欲しい(今回の岡田事件でも分かるようにオヤジは無傷)

うん、これフェミ誤爆してるよね。対象が大きいというか。怒りたくてしかたがない人たちもいる。

すべての女性が悪い訳じゃない。でも糾弾した方が良い、という存在もいるんではないかな。

2015-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20150116031439

viemacs新規言語作ったわけじゃない。

viqededexviと元々存在した別のエディタから派生している。

emacs採用したlisp世界で2番目に古い高級言語。(1番目はFortran。それ以前はマシン語アセンブリ言語だけ)

ちなみに昔はlisp計算機工学を学ぶ上での必須教養だった(つまり使い手が多かった)からマクロ言語として選ばれたのは必然

あとlisp以外の言語を使えるemacs亜流もあった(過去形)はず。

2015-01-15

ガンダムバトルオペレーションが好きだ

バンナムの人ありがとう。僕がバトルオペレーション出会ったのは2013年10月17日だ。会社の人に誘われて久しぶりにやった、そして初めてまともにPSNアカウント運用した思い入れのあるゲームだ。このゲームは、一戦闘ごとに撃墜スコアが出るので、腕を磨けば短期的に結果が出るという報酬欲求を満たしてくれた。

また、一番輝いていた人には☆がつく。(与ダメトップスコア貢献度、アシストトップ数字黄色くなる)初めは武器の切替もままならなかったけれど、スコアを稼いでうまいですね、とチャットで言われたり、称賛システム(戦闘結果画面で誰か一人に○ボタンで称賛が出来る。)が僕のモチベーション維持に大いに貢献してくれた。基本無料ゲーム課金は気が進まなかったけれど、もともとガンダムが好きなのもあり、大いに課金をした。後悔はしていない。

初めて1年以上経つが、アップデートによる機体追加、仕様変更による機体運用トレンドの変化でプレイヤーを飽きさせない工夫が出来ている。僕が現在でもプレイ動画wikiを見て現在トレンドの把握と腕磨きに奔走している理由の一つだ。

バトルオペレーションは(大げさかもしれないが)人生も変えてくれたと思う。常々僕は仕事で生き辛さを感じていたけれど、このゲームを始めてから、その原因は「他者から継続して承認され続けていないからだ」と気づく事が出来た。「現にうまくなれば短期的に結果が出るバトルオペレーションは続けていられるじゃないか」と思うようになった。今は人より少しだけ上に立つ仕事だけれども、人生において誰でも最初二等兵01で、尉官左官になるまで経験値を積ませるためには、短期的に評価を与える必要があると思っている。

バトルオペレーション心理学に基づいて作られたゲームだと思う。2012年表彰されたゲームであるが、短期的な報酬が枯渇気味の現代社会において、ヒットは必然だったと言える。これはガンダムゲームであるが、キャラを変更するだけでほかのゲームにも転化出来る形式なので、今後も手を変え品を変えてリリースし、僕みたいな承認欲求の強い人を救ってほしいと思う。

2015-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20150113102514

店の間違いは偶然でも客が気付かなかったふりをしたのは必然

あるいは、気付かなくても不自然でない理由があるなら、裁判所もきちんと考慮するでしょ。

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.06 『墓場まで45分~1999年上半期総括』

■本文。

 今年上半期の美少女ゲーム業界を見渡すと、市場の拡大に伴う、保守化の流れに向かいつつある感がある。これは、おたく業界全体が内包している問題ではあるのだが、正直な所、拡大する市場を追いかけるのは既に辛くなっている。個人的にも、久々に行った秋葉原で、ギャル絵の洪水に立ち眩みがしたのも確かだ。

 さて、コンシューマ市場肥大したが故に、一般性の高さが必然となっていった。例えば、ドリームキャストの失敗は、古くからセガファンが放つ、マニアック重力から作り手の側が脱する事ができなかったが故の悲劇とも言えるのだが、一般性ばかりを追い求める状況は、作り手の側にも不満が蓄積されていく。

 その、取り残された創作性を実現させる場所として、美少女ゲーム業界が成立したという背景がある。実際、筆者が一番面白かったのはDOSからWINDOWSへ移行する過渡期で、けったいな野心作が多く出た時期だったのだが、その後、市場として、成長・拡大すると、やはり、メディアミックスなど、資本主義的な視線が入り込んできた。

 そして、今の美少女ゲーム業界は、昨年来からレーベル数の増加と、タイトル数の増加と反比例するように、ゲームジャンル多様性が失われる傾向が生まれている。タイトル数の増加の背景に、発売サイクルの短期化があり、制作期間の短縮に伴い、システムシナリオ練り込みが薄れている作品も多い。バグなどの不具合の発生が日常茶飯事になっていて、インターネット上での差分ファイルの配布が流行している現状に至っては、もはや何をいわんかや、という感じでもある。

 不幸中の幸い、筆者はそういうゲームにあまり遭遇したことはないのだが、シナリオ練り込みが足りない上に、一時間程度で終わるゲームの為に一万近い金を出すのは、効率が悪いよなあ、という心境は間違いなくあるだろうと思われる。また、メイドもの恋愛ゲームタイトル数の半分以上を占めるという状況では、やる気そのものが起きなくなってくるのは事実だ。

 まあ、メディアミックスを基盤とした企業複合体のシステムに組み込まれ大手では、実験的な企画はほとんど通らないという話もあるし、一獲千金を狙う中小メーカーも、安全パイの企画しかさない所が増えた。市場が拡大すればするほど、ジャンルが逆に淘汰されていくというのは、当然と見るか、皮肉と思うべきなのだろうか……。

 このような、メーカー側の風潮と相互作用しているであろう、ユーザー側の意識についても、前回、「オブジェクト嗜好」と指摘したように、非常に即物的な傾向を示している。キャラクターの消費サイクルが非常に早くなっているため、自己内面においての批評的な掘り下げが生まれなくなったのだ。

 既に、ゲーム誌の編集者すら、全体を把握しきれない程、美少女キャラクターが氾濫している現在市場状況では、その心性に惚れ込むのではなく、快楽的な記号の組み合わせだけで、売れ線のキャラクターが成り立ってしまう。あまりにも多い選択肢対峙した時、人間というのは表層的で直接的な視覚イメージを優先してしまうからだ。

 ところが、快楽的な記号を積み重ねれば積み重ねるほど、どんどんキャラクターフリークス化していくし、リアル少女から離れれば離れるほど、逆説的にキャラクターイノセンスを獲得して、ユーザーヒーリングされる……といった構図になっているのだろう。多分。

 何故、おたくセックス観がリアルな肉体から遠く離れなければならないのかを考えると、それだけでこのコラムの3回分になってしまう位に深くて浅い問題なのだが、やはり、日本特殊フェミニズム環境が背景に存在しているような気がしてならない。これほどまでに、二次元美少女を消費しなければならない、内的な問題はいったい何なのかについては、また改めて書くとしても、これらの背景に、戦後日本の構築した、過剰な消費社会ターゲット若者のみに向けられ、若さの素晴らしさや、青春幻想メディアが強調しつづけた蓄積の結果であると思われる。その副作用として、「オブジェクト嗜好」も含めた、おたくの奇妙な性嗜好が構成されているようにも思う。

 これは、日本独自フェミニズム的なものに対する、無意識下での抵抗と位置づける事もできるし、その中で形成された美少女概念現実のズレが生み出した現象ともいえる。現に、美少女ゲームにおけるヒロイン像の大半が、十代中盤の保守的少女に設定されているのは、当たり前と言えば当たり前だが、不自然といえば不自然でもある。だが、少なくとも、筆者はこの状況を全面肯定できるほど、気楽にはっちゃけられないのだ。

 しかし、同じおたくの枠に括られているとはいえ、メタ的なものフェミニズム的な表現を賛美するサブカル好きなおたくと、ひたすら癒しを求めて空想世界依存し続ける昔気質おたくは、明らかに正反対の方向を向いているし、それ故に、前号の本誌「オタク定点観測」にもあったが、双方の感情的な対立も表面化している。だが、前者には普遍化させようという意志が欠けているし、後者には相対化する視点が欠けているので、おそらく、どこまで行っても歩み寄ることはないだろう。

 まあ、自分のことは棚に上げるが、本誌のコラム陣もまた、サブカル否定おたく保守の傾向が強すぎるようにも思うし、最近はあらゆる所で極端な対立が起きるので、さすがにどちらかに与して云々という気持ちも無くなってしまったのだが、おたくという言葉が生まれて、15年の歳月が経ち、その括りだけでは収まりきれない時代になっているのだろう。美少女まんがはそれぞれのニーズに応えようとして、遂に80誌を超えようかという所まで肥大してしまったが、ならば、美少女ゲームはどうなっていくのだろうか?

 加えるならば、前回の原稿を書いている時にインターネット上でぶつかった、萌え派と泣き派の思想的対立というのも、拡大する市場と、それに伴う価値観拡散に伴う混乱、そして、批評軸の喪失といった状況が、結果、ユーザー思想脆弱にしてしまったという意味では、分かりやすい例だと思う。

 快楽記号が多くてキャラクター萌えられるから良いゲームだ、とか、心の琴線に触れて泣けるから、良いゲームだ、というのは、はっきり言って、どちらも同じ穴のムジナだし、良いゲームかどうかを決めるのを、一元的価値観のみに拠って決めること自体が、ゲーム本質を歪めているようにも思うのだ。そして、作り手の側も、「時代がそれを求めている」とかい言葉で、その表層的な状況をそのまま受け入れているようでは……なんだか、ヒヨコが先か、タマゴが先か、といった話になってきたのだが、もう、この世界は良い方向へ向かうことは絶対にない、と言わざるを得ない。これは、鬱のせいばかりじゃないと思うし、美少女ゲームに限った話でもないのだ。

 批評軸の無い世界自由に限りなく拡散していくのだろう。だけども、空洞化した世界には秩序は生まれないし、結局、内面の闇から逃げる為に、無意味祭りを繰り返すのだろう。そして、絶望祭りを行ったり来たりする筆者の心は、まるで墓場酒場を行ったり来たりする沢田研二のような気分なのだダバダバダバダ(意味不明)。

■暑くて憂鬱な夏の総括。

 なんか、またゲームの話をしなかったなあ、このコラム最初普通にゲーム評をやるつもりだったんだけど、すっかり別物になりつつあります。ごめん。しかし、ゲームのことを書くと、褒めても褒め方が気に食わないと文句付けられるらしいので、いっそ全く書かない方がいいのかも知れない。まあ、これは某メーカー広報誌と化した、とあるコンシューマゲーム雑誌で書いている友達台詞なので、美少女ゲーム誌では、そんな事はないと僕は信じているけどねっ☆

インターネット空き地

http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2015/01/01/072258

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20150101/p1

読んだ。

だいたい自分は上のお二方と似たような経過をたどってきたと思う。その後、諸事情によって引きこもらざるを得なくなった点だけが違う。そして「やってることが10年以上、本質的になにも変わらなかった」という点ではおそらく上記お二方以上。どれくらい変わらなかったかというと、その息苦しさとやらがそもそもわからなかったくらいだ。俺は昔から「だれが読んでいるか」を意識したことがあまりない。「どれくらい読まれいるかしか考えてこなかった。具体的にはPVのことだが、それは結局数字なので、100が1万になったところでいずれは慣れる。なので、本質的には変わらない。

毀誉褒貶があったことはとうぜん承知していたが、それがリアルのほうに影響を及ぼすとはまったく思っていなかったわけだ。俺の場合、その息苦しさとやらを感じなかった代償が、いきなり現実の罰としてやってきた。つまり、10年以上、書き手として意識をまったく変化させずに「書きたいこと書いたるわ!」などとやっていると、それを不快に思った人からの罰が下る。ブコメを読む読まないの問題ではなく、リアルに影響が及ぶ。それだけインターネット人口は増えたってことだ。おもらしこどもぱんつ口に突っ込まれようじょのおうまさんとして東奔西走したいなあさあお兄ちゃんのミッションレバーを握ってごらんウッいきなりバッテリー漏れだぁなどといえば、それを気持ち悪く思う人間はかならずいるということだ(いるだろう、そりゃ)。

もっともこんなことには解決策はある。リアル情報をいっさい封じればいい。自分が何歳で、どこに住んでおり、どんな仕事をしているのか、そういう情報カケラも出さなければ、たとえば「あの人は女の子の放尿シーンのすばらしさについてのみ語る人だ」という認識ができる。

しかしうまくいかないもので「書きたいこと」のなかには、たとえば仕事に関することや、近所の公園で見た桜の花がきれいだったなんてことも含まれたりする。そしてどうかすると、その公園の滑り台の降り口のところでべったりと匍匐しており、上から降りてきたちっさいこのぱんつが見えた経験もまた書きたいことだったりする。そういうものが渾然一体となってひとりの人間であり「書きたい」という欲望を持つ人間は、往々にしてそのへんの区別をしない。桜の花の美しさに感動するのも自分なら、ロリゲーなのにヒロイン処女じゃないことに激怒するのもまた自分である

もちろん社会生活のうえでは尿ゲーと謳っておきながら着衣失禁が一度もないことに激怒していたことなんかはだれにも言わない。インターネットがもはや電話と同じように単なるインフラなら、リアルネットという二項対立意味はない。よって、リアルで言うべきではないことは、ネットでも言うべきではない。

なので、実は俺自身は「ネットってものの質が変化したんだから不自由もなにもない」という意見になる。不自由さ、息苦しさのようなものを感じるのは、かつては「俺ら」の隠れ家や理想郷めいたものがそこにあったと錯覚しているからだ。実際あったかもしれない。しかしそれは流入人口が少ないがために偶発的に発生した空き地のようなもので、その空き地ではエロ本を隠れて読もうがなにしようが、だれも見咎める人がいなかった、というだけの話だと思う。

2015年、インターネットから空き地は消えた。遊び場が欲しければ、どこぞのSNSという名のビルの何号室かに、外部から干渉されない場所が用意されている。妹キャラにはオナニー必須だと叫んでも外には聞こえない。安心していい。

そう断言する俺自身を含め、どうしても郷愁めいたものが残るのだとしたら、それでもその場所密室しかないということだ。広い空き地があって、空が見えて、エロ本探しに飽きたらキャッチボールをやってもいい、駄菓子屋で買ってきたうまい棒を食っててもいい。空き地の前の道路は町につながっているし、その町には鉄道の駅があって、ひょっとしたら空き地にだれか知らない人が遊びに来るかもしれない。空き地で大声をあげて遊んでいる「俺ら」を見て「おもしろそうなことやってるね」と近寄ってくる人だっているかもしれない。かつて、それがどれほど嬉しかったことだろう。

ビルの何号室かは、部屋の番号を知らなければ訪れようがない。

でも、そういうものだ。人口が増えたら都市化は進む。あたりまえの話だ。

PVが増えたというのは、立地のいい駅前広場で、出力の高いスピーカーを装備しているようなもの。観客を集めることはでき、多くの人に自分の声を届けることもできるだろう。本人にそのつもりがなくても、地声がでかければ結果は同じだ。その声をマイクで拾って拡散する人だっている。

いいとか悪いとかの問題ではなく、それはまったく「そういうもの」でしかない。必然の結果ってやつだ。そのぶん、多くの人に声は届く。

とまあ、かつてはマイクの前で大声をあげており、いまは部屋の窓から外を眺めているだけの俺はそう思う。もう、あの場所はいいや、とも。

2014-12-31

冬コミが終わった。夏コミの準備をしよう。

転機はプリパラが終わった時だったように思う。

生きがいがなくなった。

自分は何のために頑張ってきたのかという疑問が、頭から離れなくなった。

思い返せば、プリパラが楽しかったこと、冬コミに参加したこと、そして冬コミに参加したことだけが走馬灯のように浮かんでは消えゆく。

茫然自失のまま、僕は新年度を迎えた。

毎年のように、新入社員部署に配属される。

下ろしたてのスーツにまだ値札が付いていそうなフレッシャーズが、屈託のない瞳で笑う。

(僕もあんな風に笑えていた……)

当てこすり、だったのだろう。

勤務中に社用PC辞表を書き、会社印刷から出力し、昼食時に上長へ提出した。

ちょうど課員全員でランチを食べている時である。憔悴しきっていたのだ。TPOマナーもあったものではない。

焼きそばを食べていた上司は箸を置いたが、食事の場で慰留するわけにもいかず、口元に青のりをつけたまま終始唖然としていた。

夕礼後、退職事由を聞かれた時は「夏コミに参加したいから」と答えた。「プリパラが終わったから」より前向きな回答だと思ったのだ。

仕事を、辞めた。

膨大な可処分時間に窒息させられることはなかった。

同人誌の絵を描き、新人賞投稿するラノベを書き、アニメをチェックする。

昼は瞬速で後方へ飛び去り、日付が変わる頃に意識がなくなり、ニチアサが始まる時間に目覚める。

変化のない、循環的な時間に飽くことはなかった。社畜時代も、やることは違えど会社と自宅を往復して毎日をすり潰していたのだ。

悔いがないと言えば嘘になる。

しかしもし、プリパラ最終回があった朝にタイムリープしても、僕は仕事を辞していただろう。

仕方のないことだった。

自分が気づかぬうちに頭のブレーカーがいくつも落ち、他にどうすることもできなかった。必然だったのだ。

今はひたすらサブカルに耽溺している。

同人で食べていけるとは思っていない。ラノベもせいぜい一次選考通過が関の山だろう。

しか不思議と、路頭に迷う自分イメージされない。『ぼんやりとした不安』もない。

人間人間たらしめているのは文化である。余剰だ。無駄と言い切っても良い。

僕は今、確かに生きている。それだけで幸福だ。

夏コミ最大の頒布物はフーテンに成り下がった僕自身になるだろう。

人生を対価にして仕上げた一品である

2014-12-22

技術的特異点の前に

なんかAIやばいかいうけどさ、

強いAIとかが出来る前にたぶん、普通の今ある機械学習プログラムの改良版みたいなものと、それを動かす計算資源と、

それを作ったり改良したり運用したりするエンジニアを独占する営利組織が富を独占するのが先に来る気がする。

資本主義はそういうの目指さざるを得ないシステムなので、すべからく企業はそう振る舞うだろうし、

そういう動作原理からすると労働需要が減るのは必然だし、ピケティの本とかで言ってるようなお金性質(資本収益率>経済成長率)もあるしで、

たぶん貧乏人が圧倒的に増えてなんか革命とかテロみたいなのが先に起こる気がする。てかすでに6億人もニートがいるらしいし、誰もそれを議論してない感じなの怖い。

経済学者はかつてラッダイト運動というのがあってだなとか言って、新たな労働需要が起こるみたいな説明するけど肉体労働自動化と精神労働自動化では意味合いが全く異なると思う。

 

そう考えると今が資本主義限界点な感じなんだろうか。じゃあ次はなんだろ?人工知能管理された共産主義ファシズム

2014-12-18

高座から物言い

「高座から物言いをしているのは誰か?」

(以前、普通に話している時、「随分高座から物言いだな。」と話している相手では無い人間に横槍を入れられ、揚げ足を取られ、怒鳴り返そうかと思ったことがある。まぁ、それはどうでもいいんだが。)

身分制度がこの国から表層的に消え、(職業身分による分類・分析が出来なくなった今、何か別の指標・方法を使わなければ社会現象分析する事はできない。

(実の所、「身分制度解体」もその嫉妬心から士族階級」をスケープゴートにして寄って集って叩くと言う単なる日本の伝統芸能()であるイジメと全く同じ構造であった。今で言う「公務員叩き」と同じ。その証拠士族以外は殆ど身分解体されていない。何故なら元々平民が9割以上であったから。「士族のみ」が社会的追い剥ぎにあっただけ。それ以外はいつもながら安穏とした生活を続けているだけで終った。平和ボケして暇だったかストレスの捌け口として士族を狙った八つ当たりに過ぎない。平和ボケすると人は傲慢になる。それまで守ってもらっていた人間攻撃すると言う恩を仇で返す事を平気でするようになる。それどころか明治維新の混乱に紛れて不義を働き、ぼろ儲けしたような成金もいる。まぁ、それは商家豪農と呼ばれる大規模農民が主だが。長くなるので別の時に残すか、、、)

様々な分類法が考えられるが、社会学的・経済学的に見るならばやはり所得資産が解り易いだろう。

そして更にその所得を細かく分析すると、ある特徴が現われてくる。

それは「世代」或いは「年代である

(もしこれが解らないようであればこの先の記事は読まない方が時間無駄にしなくて済む。)

経済学社会学をやっている人間、或いは企業経営をしている人間にとっては「市場分析」が当たり前になるが、それが出来ない人間が一部ではいるようだ。(もしかしたらその能力がないのかもしれない。)

個人的にも実際、会社経営をしながら市場分析が出来ない人間を何人も知っている。

勿論、そう言う人間は大抵経営に失敗している。(まぁ、必然ではあると思うが。)

バブル経済に作った蓄財を細々と消費しながら何とかやっている人間も少なからずいるようだが、まぁそう言う人間の先は永く無いだろう。

市場分析をするとどこに資産が集まっているか良く解る。

そして「最近の若者は消費をしない」と言うマスコミの低レベルスケープゴート作りが愚かしく、滑稽に思える。

彼らに脳味噌を使うと言う行為はできるのだろうか。

そして更に事態悪化させる事に大衆もそれを鵜呑みにする。

自ら調べて分析する事も考察する事もなく、ある一部の人間が垂れ流す駄情報だけを取り入れ、飲み込み、踊らされてしま人間達。

そして、その結果が齎す事に対して何の責任も感じていない。

自分は高座に上がって、それより下に抑圧されている人間を叩くのは簡単だろうな。

勿論、それはイジメ構造に他ならない。

(大抵、イジメ撲滅運動をやっているような市民団体構成員イジメをやるような皮肉が世の中には多いから理由は容易に理解できるのだが。)

「何故、最近の若者は消費しないのか。」を考えた事がないらしい。

意図的に「消費しない」のではなく、消費する元手がないから消費できないのである事さえ理解していない。

滑稽であり、愚かしい。

(そう言えば他人を何の理由根拠も示さないままに「愚かしい」と誹謗中傷していた零細企業社長がいたが、ソイツが一番愚かしいと言う事には気づいていなかったようだな。無知・無学・無教養なのに他人を罵る愚かさは過去俺が関わりを持った人間の中でも一番酷かった。慈悲深いならまだしも本当にソイツ以外の他人を全員見下し、貶めていた。まぁ、そう言う最低な人間も世の中にはいる。)

http://www.jili.or.jp/lifeplan/houseeconomy/asset/3.html

http://www.nli-research.co.jp/report/gerontology_journal/2011/gero11_007.pdf

http://rh-guide.com/data/kojin_sisan.html

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4690.html

バブル経済崩壊してからと言うもの給与右肩上がりにもならない上に若年層の給料は低い水準で停滞したまま。

その人口層に「お前らがカネを使わないから経済が回らんのだ。不況はお前らの責任だ。」とする人口層がいる。

彼らは社会構造が全く理解できていないのだろう。

或いは自分達で持っているか意図的にそう言っているのだろうか。

まぁ、自分が優位に立てる立場におかれている時に、自分より立場の悪い状況下に置かれている人間を罵る事など誰でもできるし簡単な事である

しかし、それでは何の問題も解決できないどころか、問題時間経過と共に悪化していくだけである


「水は高きより低きへ流れる。人の心もまた、高きより低きへ流れる。」

つの時代もそれは不変なのかもしれないな。

2014-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20141211232247

この人ある意味面白いなーと思ったので、疑問に思ったところなどを適当につっこんでみたいと思います

質問もしているので、良かったら返信くださいね

>ただ、僕は増田のように安全から人を攻撃するのが嫌いだから文体とか、最後リンク貼って誰だかちゃんと言うわ。お前らとは違うということを先に書いてから話を始める。

社交辞令上の問題(変な日本語だな…)で増田に書いたらしいけど、安全からオフ会参加者攻撃してるじゃないですか。それともこれは攻撃じゃないんですか?(攻撃じゃなくて手斧だ、とか訳分からないこと言わないでくださいよ)

>なんで、遅れてきたヤツに一番最初スピーチさせてるの?

「じゃあ俺が」言わなければ良かったのに…。

まあそこは百歩譲って周りの人が悪いにしても、後半部分はただの人格攻撃。この安全増田で。最初スピーチさせられたことと何も関係ないただの暴言誹謗中傷

オフ会なのに友達グループで来てる奴多すぎ

リアルの知り合いでずっと固まっている人達がいたなら俺もそれは良くないと思う。

でも「リア充層」「モテ層の女」とかそこら辺何言ってるか全然からない。一人で来ていたリア充もいるでしょう。

知り合いと一緒に来たかどうかとリア充関係ない。それともリアルに一人でも知り合いがいたらリア充なんですか?

要は大人しそうな人に雑用を押し付けたり、進行や片付けを邪魔する人に腹が立ったんでしょ?

それをモテ層の女がどうとか意味の分からない話に結びつけない方がいいですよ。支離滅裂です。

…かと思ったら、結局ずっと同じ奴とダベってるだけなのが嫌だったのか。話をもっと整理してくれ。

アニメアイコン使ってると気まずい空気になる

Facebookは大体みんな実写アイコンです。

からアニメアイコンあなたは珍しいのです。

それだけでしょう。まあ顔出しが嫌で顔写真アイコンにしてない人もいますアニメアイコンは圧倒的に少ないです、空気を読むのが嫌ならそういう扱いをされるのは必然です。受け入れましょう。

てか自分顔写真アイコンにするのが「無神経」とかどんな神経が通ってるんですか。

>褒められてカチンと来たことなんか生まれてこの方始めてだ!

ブロガーオフ会だったのですか?もしそうならすみません

そうではないと仮定して話を進めると、月10アクセスブログやってますって言われて「へーすごい」以外になんて返せばいいんだ?

周りの人間が、お前の一番喜ぶようなちょうど良いリアクションをしてくれると思ってたのか?初対面の赤の他人が?世界はお前を中心に回ってないんだよ?

半年間月10アクセスキープしてるブログをやってる」と聞いて「すごーい」というのは普通だ。ごく普通の反応。なんなら気を使ってくれてる。いい人達じゃないか。

本心から思ってないとかそういうのは、あなた被害妄想だよ。自分に自信がないのは分かるけど、もうちょっと楽天的に考えられるようになれば楽しく生きられると思いますよ。

しかも、この後合コンに行くとか、デモに行くとか言われてもにょった

見出しと本文が関係なさ過ぎて笑った。

結局参加者たちが「自分勝手で愚かで頭が悪い」のに「リア充」だったから妬んでるんですね。違いますか?

最後に。

精神を病んでいる人というのは色々敏感で、自分と合わない人やその行動に対してすぐイライラしてしまうのでしょう。

昔「鈍感力」とかい言葉ちょっとだけ流行ったけど、あなたにはそれが必要だと思う。

あとなぜそんなに他人を見下しているんですか?自分に自信がないのに。矛盾してませんか。

必要攻撃的すぎるでしょう。僕もイライラしてちょいちょい文体が崩れてしまいましたがめんどくさいのでこのまま投稿しますね。

返信来たらいいなー。

2014-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20141203110329

アホの子設定じゃなくて、「人から金を募って、それを増やして返す」という仕組みの下で動いてるが故の必然

それが「アホ」だと決めてるお前の脳みその方がずっとアホ

2014-12-02

慶應東大アレルギーを持ってる理由について

名前は出さないが、灘卒のあるいちびり外国人は言う。

慶應東大よりも上だ、と。

でもちょっと待って欲しい。

不正して裏口入学(AO入試同義)ができる慶應

完全実力勝負東大とを

どうして比べられるのか疑問でならない。

それは慶應東大受験の滑り止めであり、

ために劣等感を抱いているかである

あるいはそうした背景から東大に対して

何が何でも一番にならなければならないとする

きわめて個人的な劣情が渦巻いているからかもしれない。

慶應が如何に優れていようが、慶應生が東大に毎年大量に入学するのは

ひとえに慶應東大より劣っている何よりの理由になる。

そうでなければ、東大より劣る慶應にわざわざ多額の授業料寄付金を出して

入学したいとは思わないだろう。

ある国民アニメの主役を張った有名人自分以外は東大京大入学して

自分早稲田大学しか通らなかった事を暫く悔んでいたという話がある。

これを見ても当時から早稲田、それと同レベル慶應東大京大に満たないという認識が既にあったのだ。

まり劣等意識を持っていた、あるいは東大ブランドアレルギーを持った人間は、

慶應早稲田で燻ぶって東大を貶すのである

それはあくま東大アレルギーを持った大学しか起こりえない。

すなわち慶應東大アレルギーを持っているのは必然である

加えて東大慶應など歯牙にも掛けない程高みにあるが、慶應はそんな自分が許せない。

でもどうする事も出来ないから東大を貶して自分をアゲるのに必死なのだ

慶應はそもそも東大落ちの受け皿筆頭格なのだから東大より劣るのは当然だし、日本一国立日本一私立とでは天と地との差がある。

であれば、なおさら劣悪な感情を持つのも無理からぬ事である

2014-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20141127161943

コンだの会だのと名のつくものに参加している以上お前も目的は同じだろ? と思われるのは必然

女もヤりたいだけだろ?と考えてる男って存在するのか

一般的にそれらに参加する女の目的婚活であるという認識一般論だと思ってたけど

http://anond.hatelabo.jp/20141126004313

丁寧にお断り、これ一択

これで引っ込まない奴はちょっと異常な奴、おかしいのは向こう、と烙印を押していい。

まぁもしあなたが余程隙だらけでヤれそうオーラを出しているキャラだったならば、寄ってくるのもそれなりのグレードの奴になってしまうのはもう仕方ない。似たもの同士で潰しあえーとしか言えない。

そうでないと言うのなら、尚更丁寧にお断りを貫けばいい。

ていうかまあね、コンだの会だのと名のつくものに参加している以上お前も目的は同じだろ? と思われるのは必然。参加に費用などのハードルがないものなら更に有象無象度は上がる。わかってるでしょ。

釣りに行ったら虫に食われたり汚れたりするのはセットなんだよ。後始末しながら文句言うな。

2014-11-25

イケメンブサメン論=漫画

① 「男は中身」=「漫画ネームがすべて」

 俺は、男は中身だといわれて、なるほど哲学文学か?って思ったけど。テーマ性が強い漫画が売れるとは限らないよね。信者はいるかもしれないが、やはり、ここで言う中身とは「付き合っていての面白さを提供できるフォルム提供のしかた、コマ割」ってことだろうな。

  

② 「※ただしイケメンに限る」=「※ただし絵が汚いと読まれない」

 確かに、ブサメン好きとか、下手な絵が逆に好きとかいるだろうな。

 ただ、一般論として、汚い絵はそうそメジャー誌に乗らないわけだ。

 ブサメンが見られないどころか、最近フツメンも見てもらえないのは事実だろう、だってイケメンネット上で氾濫してるし、テレビもがんがん整形済み化粧済みの奴を流す。

 細マッチョかいって、シントールっていう筋肉をでかく見せるシリコンを植え込んだような腹筋を見せる。

 最近漫画画力が上がりまくってる。それと同じで最近の整形とファッション美容院システムヤバイ

③ 「顔だけよくってもね~」=「画だけよくってもねえ」

 絵だけよくっても、つまらない漫画は読めない。

  

④ 「イケメンは観賞用、緊張するから雰囲気イケメンくらいがいい」=「大暮は絵だけ、話は大風呂敷から作画だけ集中して原作つけろ」

 これもよく分かるって感じやな。

  

⑤ 「処女若いころのセックスイケメンにつくして、年とったら安定収入の男と結婚したい」=「若いころはコロコロなりジャンプで、年とったらヤンジャンゴラクモーニング

 なるほど感性が違うし、一番漫画を消費する世代ジャンプに行ってしまって、残りかすみたいな感性青年漫画を読むわけだ。

 一番いい時期を下らないもので消費してしまうが、それが漫画の楽しさ。性の楽しさ。

 残りの楽しめなくなった時間は落ち着いてゆっくり読める感じで静かに当たり前の生活感を求めだす。

  

⑥ 「ブサイクでもいいから医者結婚したい」=「ジャンプエロ漫画みたい、矢吹エロ漫画かけ」

 自分ジャンプ楽しめなくなると、エロ漫画に来いという。当然矢吹サイド(医者)もそれが分かるが、行くわけにはいかない

  

⑦ 「結婚ブサメン金持ち子供イケメンのタクラン」=「エロ漫画ストーリー性を求めて、ジャンプエロを求める」

 ちょっと違うか?w

  

⑧ 「ババアに興味ない、女は若さがすべて」=「IKKIかいマイナー雑誌に興味ない、マガジンジャンプ系がすべて」

 高望みだろうが、そりゃそうだろ。有名雑誌で売れたいから漫画家になるのに、ぜんぜん読まれ収入も苦しいってメリットまったく無い。漫画家やめるわな、結婚やめるわな。結婚メリット無いって。趣味同人だけやる(風俗等)。

  

  

こう考えると俺がモテナイのはなんつーか必然だわ。

そりゃ深いテーマ性を読めない読者を叩いてたらだめだわなあw消費者はアホ、ってのと同じで女もアホと思って、ブリーチだのワンピースだのナルトだのの、クソほども面白くも無い漫画大事なわけだ。

あれはまともな知能してれば面白くは無いが、テーマ性の低さと比べて圧倒的に過分な画力構成キャラつくりがなされてる。クッソつまらないがレベルは高い。

  

イケメンとか、いわゆるモテルやつってのも、ストーリー性っつーか、伝え方がうまいんだろうな。コミュ力とは別の。

まず作画だが、普通に読めるレベルはほしいわけだ。

肩書きも、ジャンプはないにしろモーニングくらいはほしいわけだ。(年収とか職業とかか?)

テーマの深さよりも、まずはネームのよさ、伝わりやすさ、基本を抑えてる表現、引きゴマとかをきっちり守って、表現手法を学んで来いと。女が喜ぶストーリー展開は決まってるし、そこに変化つけて個性見せていけよと。ビジュアル系バンドみたいな。

  

なるほどな、中身ってのは、ネームのことで。この面白さを磨けってことだな。決して高尚な何かではない。

ネームを磨くには、理屈をわかってまねすることだ。何がどういう理屈面白いのか。自分オリジナルで書いたものを絞っていって無駄を省く作業。

なるほど、デブモテナイわけだ。多すぎるんだよな、主張が、分からないは女には。逆に細マッチョ指輪だのネックレスだので主張してくれれば分かるんだろうな。絞って主張してくれってことだ。油おとしてこいよと。

チビモテナイのも、そこにストーリー性が湧かないからだ。恋愛ストーリーとかそういう圧倒的に楽しませてくれそうな感じ。扉絵とでもいうのか。

ハゲが論外なのもなるほどな、絵が特殊すぎるんだよな。

  

ここまでを総合すると。どうすればいいんだろうな。

やせろ、自己主張は系統だててくれないと混乱するからネームキッチリ絞って最低限で教えろ。せりふで説明されるとウザイからコマ割(やさしい分かりやすい伝え方)で説明しろ

みたいな?

  

そこまでやれば、相手は信者になる。信者になった女は本当に楽に洗脳されるし、簡単に抱かれる。

なるほどなあ。

2014-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20141124113450

日本人議論というと国会討論のようなものを目指すのかもしれないし、またディベートについても誤解があるように思う。

日本ではない別の国のネット上のやり取りを見ていると、

意見を言ったらそれに対する反論さら反論せねばならないという重荷を感ずることもなく、

また誰かに承認されたいという欲求もなく、ただ自分経験を語る、というパターンが多い。

確かにたった一人が延々やっていればうざい。

けれど、10人がそれぞれ経験した出来事100ー300 words で語るとその場の空気というのは少し変化を見せてくる。

そもそも「いいね!」が誕生したのだって、この手の議論の進め方が多いからでしょ。

日本ネット上での喧嘩にいちいち「いいね!」なんてしないでしょ。

議論の途中で色々な人が色々な意見を言うからそういうインターフェースになるのが必然なんで。

この国には言論による喧嘩を好む人が多いし、PV乞食が多いから炎上すれば内容はどうでも良いや、という雰囲気を感じる。

それに対して閉塞感を感じている人が多いような空気も感じているけれども。

2014-11-22

win-win関係

オタクターゲットにすると、自分モテるかのように勘違いできる

メンヘラを構うと、自分が優しくて強くなったような錯覚に陥ることができる

どちらも、自分を優位に置いた人間関係を崩したくないもの同士で、そこにはコミュニケーションなどなく単なる打算と欲望しかない。

打算と欲望という「必然のように見える何か」を愛や恋だと錯覚していたのだとしたら、それはもう、お気の毒にとしか言いようがない

2014-11-18

私にとってニコニコ動画空き地だった


例の淫夢を憎む人の記事を読んで思う。


『そもそもツイッターを筆頭にあらゆるソーシャルネットワークサービス

自分達にとって都合が良く心地の良いなれ合い環境を作り出すツール場所として存在しており、

故に淫夢のような特定集団形成や、その集団エゴステイックに闊歩するのは必然なんじゃない?』


...というのは一旦置いといて、

ニコニコ動画も随分まっとうな物になったんだなぁと。


----------------------


私にとってニコニコ動画という場所空き地だった。

ドラえもん漫画に出てくるような土管の積んである様な。

そこは非社会的な・隔絶されたグレーゾーンであり、

大人のルールから外れた場所であった。

子供としてはしゃげる場所大の大人子供になりたくて来る場所だ。

かつてのニコニコを知っている人は思い出せるだろう。

アニメ映画は丸上げされ、キーボードは飛び散り、狂った裸の馬が毒キノコ調理する光景を。

何でもアリの有象無象の輩が良く分からない情熱を持って馬鹿を競い合い、笑い合う。

咎められないからこそ自由にあらゆる物が交錯し、

そこではフリーダムな風を吹きあれていた。


----------------------


”だった”と書いたのは、もはや今のニコニコは別物だからだ。

今は一般化を目指してテレビの代わりになってしまったと私は感じている。

多くの人の目に触れた時に耐えうるクリーンイメージの追求。

社会的場所から社会的場所への整備が進んでいった、すなわち公園化だ。

公園とは遊ぶ場所ではあっても社会的空間であり、社会的ルール適用範囲に入る。

もはや好き勝手に出来ない場所なのである

社会的玩具としてあったビリーも、

公認された為に社会化し使い勝手の悪い遊具になった。

大人の目に届く好き勝手しにくい遊具になったのである

結果、ニコニコ安全公式が上げたアニメを見て猫を愛でるような安全場所になってしまった。

まらない遊具と禁止事項が羅列された看板しかない公園のようだ。


----------------------


淫夢的な物に人が集まるのはまだそこに非社会的自由さがあるからである

逆にもはや「かつて」のニコニコ的なる要素はそういった場所しかないからである公園の隅だ。

善の楽しさも悪の楽しさも、尊敬侮蔑面白さや発想として許容される非社会的空間

息苦しく無く見る側も作る側もそれが受容出来る空間

そんな敷居の低さが人の創造承認とのサイクルを作り出し熱を生み出す。

人が集まるのは当たり前だ。

面白い場所にこそ人は集まるのだから


---------------------------


から私は淫夢系の動画にある本社爆破ネタが割と良く分かる。

あの何も無く人の目に届かなかった更地に戻したいのだ。

あの頃の皆で持ち寄り、産み出し、互いの発想を讃えて、笑い合うような。

2014-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20141117110725

軍事事業による進化が目覚ましかったのは事実だけど、

その分科学者達はそこにつぎ込まれてるし、

無ければないで他のことが進化してたかもしれないし。

まあ、金が圧倒的にそこにつぎ込まれたのは確かに進化やすかったかもしれないけど。

そもそもヒトラーすら、あの時代ドイツにおいて、ある意味必然だったのかもしれないし。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん